「元気にしてたかい? 姉さん。学校生活は楽しい? 友達はできた?」
王都の通りで、凍り付くユイとロイ。
二人の視線の先には一人の少年が佇んでいる。
彼は防寒用の真っ黒なコートを着込み、降り積もっている雪など見えていないかのように無表情だった。
「隣にいるのはロイ・ミリオンアークかな。マリアンヌ・ピースラウンドを介して出会い、仲良くなったと聞いているよ」
「……ッ、ユイの弟というのは、血がつながっているということかい?」
不躾なのは分かっていたが、ロイは最初に問いを繰り出した。
ユイの立場は重い。次期聖女というのは、つまり将来的にはシュテルトライン王国の中枢そのものになるということだ。
その肉親を名乗るからにはまずは確認が必要というのは、自然な認識である。
「つながってはいないですよ」
弟と言い出した少年の答えは簡潔だった。
言葉の相手がロイに切り替わり、彼はユイ相手には使っていなかった敬語を使い始めた。
「僕の名前はリョウ。姉さんに従うのなら、リョウ・タガハラになりますかね」
自らの名前を告げて、それから武器は持っていないという証明をするかのように、少年はその場でコートの前を広げた。
確かに武器の類は見当たらない。だが徒手空拳といえども油断できない理由は無数にある。特にこのシュテルトライン王国では。
「……血がつながっていないのに弟なのかい?」
「義理の弟に近いものだと思っていただければ。証拠をお見せしますよ」
無表情と共に告げて。
少年、リョウは低く身を沈ませた。
「予兆ナシは流石にまずいので。今から攻撃をします、姉さんと同じクオリティのものが飛んでくると思ってください。殺したりはしませんが……一応、備えてもらえますか」
その言葉を聞いたロイの手が、剣の柄へと素早く伸びた。
既に覚醒の時を迎えた彼の抜刀は、権能を全開で発動せずとも音を置き去りにして速い。
追随して反応したユイも人間に許された反応速度を超えている。
故に人智を超えた速度で、全員の行動が完結した。
「無刀流──絶・破」
無刀流が奥義の一つ。
接触そのものは、母親が我が子の頭を撫でるかのような代物。
だが撫でるように伝わる接触は、人体を水風船であるかのように破裂させるほどの威力だ。
触れた場合に、命はない。
武術という道を究めた先に鎮座する技巧を、リョウは息をするように繰り出した。
「……っ!」
ロイとユイの反応は同時だった。
貴公子が引き抜いた剣、次期聖女が飛び込んで振るう拳。
それらは常人には認識できない速度で空間を裂いたが、リョウを捉えるには至らなかった。
『…………』
首筋に突きつけられた指先を見て、ロイの頬を冷や汗が伝う。
同様にロイの切っ先、ユイの手もまたリョウの身体に添えられていたが……
「証明はできましたよね? あ、威力までってなると……僕とミリオンアークさんが同時に死んでしまうんですが。姉さんは死なないから、それはそれでいいのかな?」
なんてことはないように、リョウは自分とロイが相討ちになる未来を告げた。
「ま、無刀流の精度を見てもらえたので、まったくの無関係ではなさそうぐらいの認識は持ってもらえたんじゃないでしょうか」
静かに身体を引いて、視線をユイへと向けるリョウ。
「それで、僕のことは覚えてもらえてるのかな、姉さん」
「…………」
「ほら、組手も何回もしたじゃないか。あなたについていける人間は師範代を含めても、僕ぐらいしかいなかったでしょ?」
組手の相手──という言葉を聞いて、ロイは大まかにあたりをつけた。
恐らくは、無刀流の同門だろう。そしてかなりの使い手であり、いわば弟というよりは弟分だったのだと。
「……ユイ」
そこを確認するべく、完全に戦闘態勢を解いたリョウからユイへと視線を向けて。
ロイの視線の先にいるユイは、顔面蒼白になっていた。
「どう、して……」
「生き残りはいないって話かな? 僕みたいに逃げ出した子は他には聞いてないよ。僕も無我夢中だったしさ」
そこで言葉を切り、リョウは初めて表情を変えた。
誰が見ても自然に思えるほどに朗らかな笑顔だった。
「まあ積もる話もあるしさ、ちょっと歩こうよ。水入らずはまた別の機会で……ミリオンアークさんにもついてきてもらってさ」
◇
わたくしは屋台を閉じた後、ユートを連れて王都の噴水公園まで来ていた。
「逆借り物競走ですわ!」
宣言するも、ユートやついてきてもらったリンディとジークフリートさんはピンと来ていない表情である。
なんだよ一発で分かんねえのか。仕方ねえな、解説が必要か。
「世界を運営する上では、その中で暮らす生物の行動原理を知るのが必須ですわ! よって! 逆借り物競走によって、町で暮らす人々が何を必要としているのかを知り、その願望に応えることこそが! わたくしたちのステージを一段階引き上げるために役立つのです!」
「これ禁呪の訓練じゃなくて神様の研修だったりすんのか?」
ユートが渋い表情で問うてくる。
「何言ってるんですか? 世界の一つ掌握できずして、禁呪を極めることなどできないと思いますが」
「……お前が言うとマジでそれっぽいのがなあ」
嫌そうな様子を見せながらも、彼は説明を聞く姿勢を取った。
「それでいいのです。でも訓練は簡単ですわ! その辺の人の望みを片っ端から叶えていきましょう! いわばわたくしたちこそがサンタクロースなのですわ!」
「サンタクロースってなんだよ」
あっこれ通じねえのか。
そりゃそうだよな、この世界のクリスマスって建国の英雄の誕生日らしいし、切っ掛けからして違うんだよな。
……そういえば建国の英雄って結局のところ、ナイトエデンが勉強してたあいつの先祖なのか、それとも別人なのか、どっちなんだろう。いやナイトエデンはかなり偏った教育を受けてるっぽいから佐藤さんの言ってる方が正しいと思うんだけどなあ。
えっとナイトエデン的には初代『
じゃあ多分だけど、初代『開闢』を倒した連中の中の一人が建国の英雄なんだろうな。
「とにかく! その辺の人々の願いを叶えて回るのです!」
「そうは言っても、流石に何の準備もしてない状態でそれは無理なんじゃ」
「はいよーいスタート」
ユートの泣き言を無視して、わたくしは即座に跳び上がって家屋の屋上を伝って走り始めた。
背中に『おいちょっと待てよルールとか何も決まってねえんだが!?』という叫びが投げられる。
ふふん、その辺を気にしている段階でお前は弱者なんだよ。
「まあ、クリスマス一色ですわね」
走り始めると同時に王都の全景が一望できた。
あちこちにイルミネーションが飾られ、街路樹や店を眩しく飾っている。
よくできているなあ。元の世界でもそうだったけど、この辺の金ってどこから出てるんだろうな。
「……あ、これ貴族からですか」
当たり前の答えにたどり着いて、わたくしは結構渋い顔になった。
煌びやかな光景はすべてその家の権力を誇示することにつながる。
だったら投資するよなあ。
「ま、とりあえずは願いを持っていそうな市民を探すところからですが」
完全に悪魔みたいなセリフを言いながら、わたくしは王都を走る。
その瞬間、隣にフッと影が並んだ。
「……一応聞いておくがこれは訓練なのか? それともさっきの屋台みたいな暇つぶしか?」
「うわあああああああっ!?」
同速度で追いついてきたジークフリートさんにビビって、わたくしは危うく屋根から転がり落ちそうになった。
「何をしているんだ!?」
即座に反応した紅髪の騎士がわたくしを抱きかかえるようにして拾い上げ、自分を下側にして路地裏へと勢いよく落下する。
ぼふん、とわたくしと騎士をまとめて受け止めた雪が飛び散った。
『……ッ』
屋上から勢いよく落ちた先で。
わたくしはジークフリートさんの真上で、あと少しでも首の角度を変えれば唇が接してしまうような至近距離で彼の瞳を見つめていた。
「……ぁ」
あっやべだめこれかっこよすぎ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ。
無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理。
いやこれ逆にキスか? 逆でもない? 普通にキス? いや何?
ファーストキスのタイミング来た? ここで? ここで? ここで? ここで? ここで?
「…………フッ!」
しばし無言のまま見つめ合っていると、突然、ジークフリートさんが自分で自分の頬を思いきり殴りつけた。
こっちの感覚がおかしくなっているのでなければ、神秘を込めた結構本気の拳だった。
「~~~~っ! ま、マリアンヌ嬢、すまなかったな」
「何がですか?」
普通に今の行動の意図が分かってしまい、わたくしは彼の身体にのしかかったまま死ぬほど冷たい声を出した。
こいつ今、理性の糸が切れてわたくしに口づけしようとした瞬間に自分を止めたな。
「な、何がと言われても……その」
「わたくしとキスするのが嫌だったということですか?」
彼の両手首を掴んで、地面に押し付ける。
単純な膂力では敵わないが、向こうが抵抗する様子はない。
「!? マリアンヌ嬢、これは……これは待ってくれ、オレは……」
いやお前もうわたくしの性癖破壊してんだろうがよ。
幼馴染の貴公子婚約者がいた段階でめちゃくちゃになったわたくしの性癖を、誠実高実力最高騎士属性でまたもや全破壊しやがって……
鼻の頭同士がこすれ合う距離で。
竜を断つ刃を振るう彼の瞳には。
今この瞬間は、頬を上気させたわたくしの表情だけが映り込んでいた。
「────ママ! あれってちゅー!?」
声が響いた瞬間に、わたくしたちは弾かれたように距離を取った。
家屋と家屋の隙間をたどった先、明るい路地から小学生ぐらいの男児がこちらを指さしている。
「うん? どしたの~? ……いやあれは臨戦態勢を取ってる男女じゃないかしら」
わたくしとジークフリートさんは距離を取ったと同時に、もう身体が覚えている動作のままに戦闘姿勢を取っていた。
そりゃそうだ! 片方が制圧間際の状態から距離を取りなおすのはもう戦闘中以外にありえないもん。
「そっか~……」
「キスは他人のじゃなくて、私とパパのをこっそり見ておきましょうね~」
「それは毎日見させられてるし、その後をシームレスに始めるから見たくないよ……」
「あらもうおませさんね~」
「ママ、多分性教育のやり方間違えてるよ」
かなり問題のある言葉を残して、男児とその母親は立ち去っていった。
は? ズルいだろ。わたくし美少女に転生したにもかかわらずまだ処女なんだが……
「んっほん! ではマリアンヌ嬢、これから逆借り物競走ということか。オレも微力ながら手伝おう」
ジークフリートさんはやたらと大きな咳払いを挟んだ後に、全てをなかったことにしようとした。
「いくじなし」
「……その誹りは甘んじて受け入れるが、君もオレも立場がある」
立場なんて捨ててもいいと思っていますが? と言おうとして流石に理性が止めた。
それは相手がジークフリートさんじゃなくても言えてしまう、簡単で安易な逃避の言葉だ。
そもそも彼が相手なので、一時の勢いで言うものじゃないとか、そういう感じで終わりだろうしな。
「……興が冷めました」
「すまなかったな」
「いえ、アナタはそれでこそだと思います」
わたくしはめちゃくちゃ熱くなっている頬を手で仰ぐ。
「あ~……逆借り物競走をする気がなくなってしまいましたわ」
「ではユートに連絡しておくか。君ならハートセチュア嬢に使い魔を通して連絡を取れるだろう」
「はい。それはそれとしてわたくしが全部嫌になったらわたくしを連れて逃げ出してくれますか?」
「オレの全てをかけてその望みは叶えてみせるよ。で、連絡は?」
「もう飛ばしています」
逆借り物競走を中断して……次にやるなら、雪だるま大作戦だ。
わたくしはその辺に積もっている雪へ視線を飛ばす。
魔法を使えば高層ビルぐらいにはできそうだな。よし、やるか!
だってなんかわたくし、今フラれたみたいだし!
いや騎士であることこそが存在理由みたいな相手だったからしょうがないけど!
うおおおおおおおおおおおおん!!!!!
わたくしは怨嗟も込めながら、王都の真ん中で雪だるまを作り始めた。
いやキスぐらい良くない!?!?!?!?!?!??!?