路地裏を通り、リョウはマリアを連れて大聖堂へと近づいていた。
「……マリア、フードを被って顔を隠してろ。目をつけられると厄介だ」
「えっ!? あ、はい」
「一応、俺の方で擬態効果は付与してるんだが……本職じゃない以上、秘匿戦闘部隊は普通に見抜いてくる可能性があるからな」
「なる、ほど……?」
言われるがままに、マリアはフードを目深に被った。
果たして自分の顔などが見られて、そんな不都合があるのだろうかと思ったが……恐らく無関係な人間を連れて入るのは良くない場所なのだろう、とすぐに合点がいく。
(だとしても、リョウさんはどうして私を連れて行くんだろう?)
「……ていうかずっと思ったけど、俺の方が年下のはずだろ。何で敬語なんだ」
歩きながら、不意にリョウから問いかけが飛んできた。
「あ、それはそうなんですけど……記憶喪失の私にとっては、やっぱり恩人さんですから」
「……まあ、それならいいが」
そうこうしているうちに、リョウは大聖堂の裏手、関係者だけが入る通用口へとたどり着く。
警備担当であろう甲冑を着込んだ騎士が二名、リョウたちを笑顔で迎える。
「こんにちは。こちらは関係者口ですが、ご用件は?」
「面会です。こちらを」
リョウが敬語を使ったことに、マリアはちょっと驚いた。
一方でリョウが差し出した書面を見た騎士たちも、表情に驚きをにじませている。
「教皇様からのお呼び出しですか……」
「親戚がここで働いているんです。そこで僕たちの話を教皇様にしたところ、何度かお茶をさせてもらっていまして」
「ああ、報告にありました。教皇様に定期的にお見えになるお客さん……君がそうなんですね」
得心がいった様子で、騎士は丁寧に書面をリョウへと返す。
だがその後に、訝しげな表情でマリアを見やる。
「彼女は? 書面には一名のみとありましたが」
「あれ……前回、次は友達を連れてくると言ったので、話は通っていると思いましたが。流れ星を一緒に見た少女と言ってくれたら、伝わるかと」
「失礼、確認します」
騎士の片割れが伝令所へと早足に向かう。
リョウはそこで、大聖堂の中から漏れ聞こえる音が、普段とは違うことに気づいた。
「なんだか騒がしいですね」
「ああ、ちょっとだけ騒ぎがありましてね。王都の方ですが……君たちは巻き込まれていたりしませんか?」
「大丈夫です」
返事をしながら、多分だが自分たちが引き起こした騒ぎだな、とリョウは推測した。
前触れなしに発生してはいけない規模の神秘が王都のど真ん中で観測されたのだ。
マリアに至っては完全に自分のせいだと感づいて、俯き震えている。リョウの隠蔽がなければ怪しまれていただろう。
「失礼、確認が取れました」
戻って来た騎士の言葉を聞いて、ひとまず関門はクリアしたかとリョウは安堵する。
「案内は?」
「いえ、大丈夫です」
一礼してから、リョウはマリアの腕を引いて大聖堂の裏手に入った。
「ここからなら、あまり人と会うことなく教皇のところまで行ける」
「きょ……教皇、って?」
「ここで一番偉い奴」
「そんな人と会うんですか!?」
粛々と頷いてから、リョウは階段を上がり始めた。
確かに人気はなく、遠くから喧騒こそ聞こえるものの、誰かとすれ違うことはない。
結局ほとんど無人の階段と廊下を進むだけで、二人は大聖堂中枢部に当たる教皇との謁見の間までたどり着いた。
「こ、これ大丈夫なんですか? こんな簡単に」
「会う相手を選んでるんだ、流石にそこは抜けてないさ」
「でも私、無関係……」
そこでマリアは言葉を切った。
「か、関係、あったってことですか……?」
「……さあな。それは自分で確かめろ」
告げて、リョウは謁見の間の扉をあけ放った。
中は簡易的な礼拝も可能なように設計されており、聖像と、聖像へ日の光を降らせるステンドグラスが目につく。
その聖像の前には豪奢な椅子が置かれ、そこに一人の老人が腰かけている。
相手はただ座っているだけだというのに、マリアは自分の呼吸が詰まるのを感じた。
身体から発せられる畏怖の空気が、広い部屋全体を一分の隙間もなく埋め尽くしている。
「教皇様。お客様がお見えです」
「ん……全員、下がれ。防聴結界も展開しておけ」
一瞬驚いた様子を見せたものの、控えていた神父は命令に頷き、部下たちへと合図を出す。
カソックコートに身を包んだ男たちが静かに、そして迅速に部屋から去る。
その背中を見送った後に、リョウは鼻を鳴らし、椅子に腰かける教皇へと顔を向けた。
「ジジイ、随分と元気がなさそうだな。ついにくたばるか?」
「……最近眠気がひどくてな」
「迎えが来てんだろ、それ。大人しく連れていかれておけよ」
「それはもう少し先でお願いしたいところだな」
その会話を聞いて。
マリアは数秒絶句した後に、思いっきりリョウの頭を引っぱたいた。
「な、な、なんてこと言うんですかおじいさん相手に────!?」
「イッダッ!?」
もんどりうって転がるリョウと、思わず手が出てしまったことに硬直するマリアに。
教皇は椅子に腰かけたまま、部屋が震えるぐらいに爆笑するのだった。
◇
「クソ……笑い過ぎだろジジイ」
「ふふ、ふっふっふっ……ふ、いや、失礼失礼。お前さんがこんなふうになってるのは初めて見たからな」
「本当にすみませんでした、お見苦しいところを」
用意された椅子から立ち上がり、マリアは深々と頭を下げる。
その謝罪を教皇は手をかざして制止した。
「ああ、構わんよ。ほら、茶でも飲むといい」
「は、はい」
三人は円形のテーブルを囲み、聖像に見下ろされる中で随分と物寂しい茶会に興じていた。
果たしてこれが、リョウの言っていた大事な用事なのだろうかとマリアは首を傾げる。
確かに相手は国内でも最上位に位置する超重要人物である。こうしてテーブルを囲む機会だけでも、喉から手が出るほどに欲しがる者は無数にいるだろう。
「で、なんだけど」
紅茶を一口すすって頷いた後に、リョウは口火を切った。
「姉さんの『
「厳密には次期、だ。今はまだワシだよ」
リョウの問いに対して、教皇は微笑みを浮かべて答えた。
しわまみれの顔だったが、断じて油断などという言葉を持ち込んではいけない相手だと、リョウは理解している。
「とはいっても、今となっては、もはやワシが権能を間借りしているような有様ではあるがな」
「だろうな。ただでさえヨボヨボのアンタが、最近は一層老け込んだって噂になってるぜ」
「手厳しい意見を言うやつがいたものだ、年長者を敬う気持ちはないのか?」
からかうような声色に対して、意図して冷たい声でリョウは答える。
「俺は顔を見せに来た孫じゃない。『大和』の力をさっさと寄越せ、第二候補として俺を見つけ出したのはそのためなんだろう? 俺に渡せば、安らかな老後を送らせてやるさ」
「え? 殺す気じゃないのか?」
「ふざけるな、不要な殺生に意味なんかないんだよ。先生からの受け売りっていうのと……」
「無刀流の教えを全否定したいのか。まだそこは若いな」
「あいにく、まだ14なんでね」
二人は気安い関係の様子で、ぽんぽんと言葉を投げ合う。
一部過激な言葉遣いが飛び出すこともあったが、それもまたじゃれあいとして成立している様子だった。
(何の話だろう……)
知らないワードが次々に飛び出て、マリアは両手でティーカップを持ちながら目を泳がせる。
やはり、この場に自分が存在する理由がわからない。
「それと……ここに来る途中、ウルスラグナの当主と会った」
「当主? 現当主のことか」
「ナイトエデン・ウルスラグナだろ?」
「あそこは襲名制だから、全員ナイトエデン・ウルスラグナなんだが……」
「ややこしいな。金髪ロン毛、黒スーツのナイトエデン・ウルスラグナだ」
「全員、金髪ロン毛で黒スーツのナイトエデン・ウルスラグナだぞ」
「馬鹿なのか? あいつら」
嘆息して、リョウは茶請けの菓子に手を伸ばした。
道中ということはつまり、今話題に挙がっているナイトエデン・ウルスラグナなる人物は、自分たちが逃げる手引きをしてくれた青年なのだろうとマリアは気づく。
「当主さん、ってことは、貴族の人だったんですか? 確かに貴族っぽかったような」
「貴族なんていうチャチな存在じゃない。ウルスラグナ家の始祖は建国の英雄だ。あの男の先祖が『大和』のシステムを体系化し、他者へ加護の形で権能を分割・譲渡する仕組みを作り上げた、つまりこの教会の大元を作った……らしいぞ」
「そ、そんな凄い人に助けてもらったんですか私たち!?」
リョウの言葉に驚愕するマリア。
一般常識が抜け落ちているのは理解していたが、せめてああいう場面に遭遇する前に勉強しておくべきだったかという後悔がよぎった。
しかしその時、教皇が冷え切った表情でカップをソーサーに置いた。
カチャリという冷たい音が、リョウとマリアの唇を縫い付ける。
「逆だ、リョウ。当時のウルスラグナ家当主を討ち果たした者こそが、初代国王アルフレッド・ジ・アレース・シュテルトライン様とその奥方であるユキ様だ」
「……どっちの説が正しいんだよ、結局」
「一部の貴族院の面々はウルスラグナ家と認識し、それが秘匿された真の歴史としているが、それは創作に過ぎんよ。ワシが保証する」
「フン……じゃあ英雄の子孫から、詐欺師の子孫に転落したぞ、あいつらの認識」
さすがに、こればかりは、マリアの顔から血の気が引いてきた。
今明らかに、何の変哲もない一般女子が聞いてはいけない話が出ている。
秘匿された歴史。それを信じる者、嘘だと断言する者。別にこれが単なるうわさ話であればいいが、貴族院と教会上層部でそれほどの認識の乖離があるとすれば。
「あ、じゃあリョウさんが教えてくれた、魔法使いと騎士の対立ってそこが原因なんですか?」
『────』
「ひうううすみません口が滑っちゃいました!」
ぴこんと頭の上に豆電球が浮かんだばかりに言葉が出てしまい、マリアは縮こまって謝罪した。
「……実際、そうなのか」
「いや驚いた。記憶を失っても流石、物事の芯を見定める能力を持っておる」
「ふえ……?」
なんだか評価されていて、マリアは恐る恐る二人の顔色を窺った。
というか今、教皇はまるで記憶を失う前の自分について知っているかのような言葉を言っていたが──
「まあ、いいさ。本題に入ろうぜジジイ」
「……次の教会のトップの話、か」
嘆息して、教皇は椅子に深々と背を預けた。
マリアが追及のタイミングを失い、挙動不審な様子で紅茶を口に運ぶ。
「姉さんが第一候補だってことに、疑いを持ってるやつなんかほぼいない。何せ事情を知らなくてもオンリーワンだし、事情を知ればもっと確信する。既に『大和』の覚醒者として、戦ってるんだからな」
「だがお前もまた『大和』の資格を有している」
「そうだよ、教皇サマ。だからこうしてアンタとの謁見を許されている」
リョウはカップを乱暴にソーサーの上に放り投げた。
勢いのままにテーブルの上を転がるカップが、紅茶のシミをテーブルクロスに広げる。
「だから俺が、聖女ユイ・タガハラが教会に君臨する未来を打ち砕く。あの女に、権力を持ち、勢力を率いて争いに参加するような未来は絶対に訪れさせない」
宣戦布告だった。
教皇は無表情のままそれを聞き、マリアはついに顔が青すぎて海みたいになっている。
(え!? どういうこと!? リョウさん……っていうか、私がお世話になってる人たち、何者なの!? 今はその、タガハラさんっていう人が後継者って言われてて、でもリョウさんはそれを奪おうとしていて……こ、これって権力闘争の、蜂起をする側ってことじゃないの!?)
思考が凄い勢いで回転し、あまりにも悲惨な結論をはじき出す。
だとすれば自分が拾われた勢力は、かなり非合法的な可能性がある。
(……ッ)
チラリと部屋の出口を見た。
今ここから飛び出して、神父の人に助けを求めることは可能か。いや教皇が認めている以上、印象よりは穏健な組織なのだろうか。
無数に考えるべきことがあった。自分の身の安全を確保するためには。
でも。
「あの……」
マリアへと視線が集まった。
彼女は怯えた表情を浮かべながらも、おずおずと手を挙げている。
「えっと、その」
「何だよ」
鋭い視線を向けられ、一瞬呼吸が止まる。
だが勇気を振り絞るようにして、少女はぐっと拳を握り、リョウを見つめ返した。
「でも、リョウさんだって、戦いは似合わないと思います……」
マリアの視界の中で、二人の表情がぽかんとしたものになった。
「す、すみません! 部外者で、何にも分かってないのに偉そうなこと……で、でもリョウさん、そういうのしたいですか……!? み、みんなでご飯食べてる方が、絶対楽しいですよ!?」
返答は来ない。
唇を震わせて、何とか喋ろうとして、それでもリョウは返す言葉を持っていない。
横目にその様子を見た後に、教皇は口を開いた。
「そこの少女。マリア、といったかな」
「はっ、はい!」
まさか自分の名を呼ばれるとは思わず、マリアは上ずった声で返事をする。
「まだ『そこにあるだけのもの』が希望になるか絶望になるか、その目で確かめるといい」
「え……?」
「舞台から降りたのかもしれんと思っていたが、君はやはり選ばれている。常に何か、我々が認識しているよりもずっと上の領域で、君に役割があてがわれる……或いは君という人間の根底が、そうした役割を引き寄せているのかもしれん」
要領を得ない言葉に、マリアは首を縦にも横にも振ることができない。
その間に落ち着きを取り戻したのか、リョウがテーブルを指で叩きながら息を吐く。
「……マリア、お前を連れてきたのは、教皇と会わせるためだ」
「は、はい。でもなんで……」
「ジジイ、アンタの手で記憶を取り戻させることはできないのか」
本来は──リョウは単純に、彼女が記憶を失いながらも、何か『大和』に対して感じ取るものがないか確認したかったのだが。
(今の問答で確信した。こいつがいると、俺の心が揺らぐ)
馴染んできていたし、ほだされてきているという自覚もあった。
それが危機につながり得ることを、リョウはしっかりと認識できた。
「外部から刺激を与えることぐらいならばできるだろうが……」
「危険か?」
「どういう反応が返ってくるか分からんな」
難しい表情で教皇は腕を組む。
なら、とリョウが言葉を続けようとしたときに、他でもない張本人がビシと手を挙げた。
「や、やってみた方が、いいと思います……! 私このまま、何も知らないまま、ただリョウさんに守られているだけじゃいられないです!」
マリアの言葉を受けて、教皇は確認するようにリョウを見た。
「本人はこう言っているが」
「…………一回やってみるだけ、やってみよう」
不確定要素の多さに悩みながらも、リョウは許可を出した。
ならばと教皇はゆっくり立ち上がり、記憶のない少女の前で佇む。
聖像の頭上から降り注ぐ光が、教皇の姿を影のように浮かび上がらせた。
チリ、とマリアの頭の裏側に嫌な感覚がよぎった。
火花が散るような、稲妻が走るような、そんな、何か嫌な感覚が──
「招来せよ、団結の詔──
◇
「ほう。この感覚──『大和』の現在の覚醒者が干渉してきたか。面白い、おれが出てやってもいいが」
「しかし、違うか」
「ふむ、なるほど、なるほど。これは意外な……そういうことだったか。観測しきれていなかった要素が、外的刺激を要因として観測可能になるとは」
「『
「これは出るまでもない、というか、今迂闊に動くと、おれまで排除対象になるな……」
「やれやれだ。リンディ・ハートセチュアの時にも実感したが、メタを張られる側というのは気苦労が耐えんな。とはいえそれも、
◇
光が散った。
それは成層圏の向こう側に存する、気高き光。
それは破壊と創造の無限の円環を司る、恐るべき光。
神秘の余波にテーブルが消し飛び、リョウと教皇が大きく後ずさった。
そこにいた。
黄金色の瞳を輝かせ、少女の形をした宇宙がいた。
「……アンタは?」
「当方は当方だけでは意味を持たない、塵に近いものの集合体です……存在の本質に沿うならば、当方のことはダストトレイルとでも呼べばよろしいかと」
静かに響いた声は、堂々たる名乗り。
流星が生まれる前の、宇宙を漂う物質群。
まだ明確な光を持たない状態の、いわばごみの集まり。
──その意味合いとは裏腹にぶちまけられる、過剰かつ荘厳な神秘が、大聖堂そのものを軋ませた。
『教皇様!?』
「……入ってこなくてよい。入れないと思うがな」
外がにわかに騒がしくなるが、ドアは叩かれない。
空間の位相そのものがズラされたのだと、教皇もリョウも理解していた。
この部屋そのものが、現実世界からの干渉を弾く特異点として再構成されている。いや、厳密に言えば、上書きされている。
「其方からの干渉を受けて、当方は外部での起動を実行しました。其方は当方が所属する宇宙へと、攻撃的な干渉を行った可能性があり、排除を吟味しています」
「……宇宙、だと? どういうことだ」
リョウの問いかけに、ダストトレイルと名乗る少女がゆっくりと顔を向けた。
「マリアンヌ・ピースラウンドは仮定ではなく、比喩表現でもなく、概念に干渉する形の定義変更の結果でもなく──宇宙なのです」
意味が分からなかった。
意味が分からないのに、理解ができていた。
眼前に降臨する存在は、人の形だ。
しかし、それでも宇宙なのだと、不思議と理解も納得もさせられた。
「最も新しく、最も小さき宇宙。故にそれを管理するために、無自覚のうちに無数のプログラムが構成され、稼働しており……当方はその中でも、侵入者を排除する迎撃機能の役割を保持しています」
ダストトレイルは虚空から剣を引き抜いた。
それは一つの銀河を圧縮し、圧縮し、圧縮し、彼女の身の丈ほどにまで大きさだけを押し込めた剣だった。
「問答を開始しましょう──場合によっては、実力を行使します」
リョウは、心の底から思った。
こんな女拾うんじゃなかった。
本日一迅プラス様にて、コミカライズ連載が更新されています。
https://ichijin-plus.com/comics/23957242347686
めちゃめちゃ顔の良いシーンがあります。普通にヤバ過ぎ。
くゆ先生isGOD
よかったら読み終わった後のGOODもお願いします!