風がそよぎ、木々を揺らす。
ユートという転校生による変化はあれど、一週間も経てば彼もすっかりクラスに打ち解けた。
日常は変わらず回っている。
『あら、ピースラウンド様だわ』
『今日もなんて麗しい……』
教室の騒がしさから解放された昼休み。
わたくしはユイさんとリンディをたまには二人でご飯でも食べなさいと食堂へ押し込み、一人で屋外庭園を歩いていた。
カップルなんかが花を愛でながら手を繋いでイチャイチャしたりしている。思わず唾を吐き捨てそうになるな。
「……さて」
曲がり角をいくつか右へ左へ折れ、人気がなくなったことを確認する。
右手を一振りして、そびえ立った生け垣に魔力を流し込む。ざわりと生き物のように蠢動した後、生け垣が静かに、わたくし一人が通れるだけの隙間を作った。
〇木の根 出たわね
〇鷲アンチ ここがあの魔女のハウスね
〇太郎 共通ルートの段階でこの最高ランクショップを解放してるのはRTAっぽいな
庭園隅のカフェテラス。盛り上がった小丘の上に建てられたそれは、広大かつ迷路じみて入り組んだ魔法学園屋外庭園を一望できる絶景のスポットだ。
「あら、マリアンヌちゃん。久しぶりね」
「お久しぶりですわ、マダム」
背後でしれっと生け垣が閉じていく中、カフェテラスの店員である丸っこいおばちゃんに挨拶する。
周囲を見渡すが、今日はわたくし以外に客はいなさそうだ。
特等席である屋外のテラスに一人優雅に腰掛ける。
「また紅茶でいいのかい?」
「ええ。是非お願いしますわ。ここのお茶は絶品ですもの」
「嬉しいこと言ってくれるじゃないの」
知る人ぞ知る隠れスポット、というのは半分正解で半分不正解。
正確には『王宮地下の国宝を保管する隠し部屋に相当する巧妙かつ強固かつ多重の偽装を見破れる人間でなければ気づけないスポット』だ。やっぱ9割不正解だな……
正直入学してからここの存在に気づいたときは滅茶苦茶びっくりした。なんだこれ。いや最上級生も5%ぐらいしか気づいてないだろこんなん。
小脇に抱えていた、魔法理論分析論文の束をテーブルに置く。つい先日の学会で発表された内容をまとめてコピーしてもらったのだ。いやあ、使えるパイプは使うに限るぜ。
「難しそうなの読んでるわねえ。って、ギャッ。王国魔法研究所の学会議事録じゃないの。あーやだやだおばちゃんあの人たち苦手なのよ~」
紅茶を運んできてくれたおばちゃんが、わたくしが眺めていた羊皮紙の束を見て目を剥く。
なんかこの人、ケンカ売ったら即死しそうな匂いがプンプンするんだよな……こう、技量差とかじゃなくて、もう純粋にシステム的に勝てない感じがするっていうか……
〇第三の性別 即死を見分ける嗅覚は優れてるんやな
〇みろっく 実際このおばちゃんにケンカ売ったらどうなるの?
〇火星 操作可能画面を挟まずに即死攻撃デモムービーが始まって即死する
〇みろっく は?????
っぶねえ! コメント見てマジで今びびった……
初対面の時とりあえずケンカ売るかどうか悩んだけど、止めといて本当に良かった……
「マリアンヌちゃんはあんな頭でっかちになっちゃだめよ~?」
「ふ、ふふっ。ありがとうございます。それよりも、わたくしの名前を覚えていただいたなんて光栄ですわ」
「覚えてるに決まってるじゃないの。一年生がここを見つけるなんて、滅多にないことだもの。アーサー以来かもしれないわ」
「……ははっ」
流石に乾いた笑いが出た。
そのアーサーって生徒、もしかして今、王様やってません?
さっきの王国魔法研究所へのディスといい、このおばちゃん何者なんですかね……
〇苦行むり 知らぬが仏案件
〇適切な蟻地獄 そのおばちゃんの正体明かされるルートは大体地獄
〇無敵 おばちゃんは、ずっとおばちゃんにしておこう!
怖い怖い怖い怖い。
怖ぇよ。
まあ何はともあれ。
ここが最も安全なのは確かだ。
おばちゃんが店の中に引っ込むと同時、わたくしのテーブルの上に上空から一匹の小鳥が舞い降りた。
可愛らしく翼をぱたぱたと羽ばたかせて着地し、小さなくちばしがパクパクと開閉する。
『ふむ。聞こえるかの?』
「聞こえますわ」
響いたのは老年の男の声だった。
王国の頂点に君臨する国王アーサー。彼の使い魔を介して、指定されたごく僅かな時間に、わたくしたちは情報を共有していた。
『すまないの。こちらも教会再編のごたごたで忙殺されておった。それで成果はあったか?』
「……ええ。当人の口から確認できましたわ。ユートミラ・レヴ・ハインツァラトスが『
即報告した。当然だ。報告しないわけねえだろ。
「彼はそれをわたくしに明かした後、第三王子の妃として嫁ぐことを提案してきましたわ」
『ふぅん? それは交渉か? それとも……』
「半分交渉、ですわね。細かい見返りは後日話すから、今は話だけ頭に入れておいてくれとのことでしたわ」
どんなスタンスで向こうが提案に臨んだのか、まだ分からない。
果たして嫁ぐこと自体がわたくしにとってメリットだと認識しているのか、あるいは何かしらの見返りを用意するから、国を裏切れと言っているのか。
「……わたくしを重要視しているのは、預言者がわたくしの名前を出したからだとか」
『ハインツァラトスの巫女か。厄介な連中に目をつけられたの』
小鳥越しに嘆息が聞こえる。
『まあ、そちらは良い。問題はそなたに接触してきた第三王子への対応だわい』
「ええ……正直、王子が禁呪保有者というのは想定外でしたわ」
『同意見だの──ハインツァラトスめ、適性者だったとは言え、自分の息子を保有者にするとは』
ちょっとびっくりした。
珍しい、と思った。
国王アーサーの声は、普段の飄々としたものではなかった。本気の苛立ち、軽蔑、憤怒。そうして負の感情をまぜこぜにして孕んでいたのだ。
『……失礼。ただまあ、適性を見込まれ、恐らく国が全力を挙げてバックアップし、禁呪保有者として修練を積ませたと考える方が自然だの。そなたとは違う方向性で、禁呪というものを突き詰めておるじゃろう。そなたの、あの馬鹿げた詠唱改変はともかく。ある程度の詠唱短縮ならば習得していると考えるのが自然だぞい』
「ふむ、成程。ただ……他の適性者を待てなかったのでしょうか」
『そのあたりを理解せずに『
小鳥が呆れたように嘆息する。
絵面は可愛いんだけどジジイに呆れられてるって考えるとマジ殺意案件だな。
『禁呪とは、適性ある者にしか習得できん。適性なき者は一節目を詠唱した時点で禁呪側から弾かれる』
「はい」
『そして……ここからが大事じゃようく聞けい──大賢者セーヴァリスは禁呪にリミッターをつけた。我々の使う一般魔法は、大元となる『
「はい」
『禁呪も原理は同じだわい。しかし現象を再現するに当たって、大元となる『根源』へのアクセス方法を極端に絞ったのだ。息子ですら保有者に仕立て上げたのは納得できんが、理解はできるの』
ん? ん~~~~~……
「つまり、禁呪保有者は、同世代において、禁呪一つにつき一人しか現れない……?」
『──! その通り、だが、え? 今の説明からそこまでどうやって理解した? えっ怖い、何今の』
「アクセス方法を絞る、というのは要するに、
口ぶりからして適性を持つことと、保有者になることはまた別なんだろう。複数の適性者がいたとしても、保有者の領域まで至れば、その禁呪が使う『根源』へのアクセス経路が保有者一人に絞られる、と推測できる。
二人目の
『……そなた、もしかして結構頭は良いのか……?』
「頭"は"ってなんですの、は、って!」
小鳥に向かって両目をつり上げ威嚇する。
『まあ、禁呪保有者が殺害されたらどうなるのか等、まだ調査し切れていない点もある。だが大まかに言えば、禁呪保有者は禁呪につき一人だわい』
「仮にそうでなかったとしても、全員蹴散らすだけですわ。関係ありません」
『心強い台詞だの』
カラカラと国王アーサーが笑う。
タヌキが。かなり精妙だが、作り笑いだった。
『とにもかくにも、第三王子は泳がせておくとしようかの』
「断らず、同意する姿勢を見せつつ、情報を引き出せと」
『理解が早くて助かるわい』
お前これ要するにハニトラやれってことじゃねーか!
「大丈夫でしょうか。わたくし処女なのでそういうのちょっと自信はありませんが」
『そ……そこまでやれとは言ってないからの!? と、年頃の乙女がなんてことを……!』
「小鳥さんが顔を赤らめてわたわたするの、とても可愛いですわね。今ばかりは使い魔であることを忘れておきたかったですわ」
わたくしは死ぬほど冷たい表情で紅茶をすすった。
いやだってなあ。こっちじゃどうだか分からんけど、処女って気づいたらなくなってるもんじゃないの?
『そ、そのあたりは自分をちゃんと大事にせい!』
「はいはい、分かりましたわ……ああそうだ。でしたら、婚約者のロイ・ミリオンアークにも、ある程度の説明は必要でしょうね」
『む。確かにそうだのう』
あー大丈夫かな。なんかキレられそうだな。
まあなんとかこう、ノリで説得できるだろ、多分……
同時刻。
男子寮個室にて。
ユートミラ・レヴ・ハインツァラトスは、物憂げな表情で外を眺めていた。
『では、後日また改めて交渉すると。不必要に怪しまれてはいませんね? 結果次第では……』
「……ああ。分かってるさ。下手を打ったつもりはねえ。成果は出す」
耳元に装着しているのは、魔力を溜めることで動作する、いわば外部取り付け型の端末装置。
通信機器としてここまで小型化しているのは、ひとえにハインツァラトス王国の技術力の高さの証明だった。
マシンランナーという特大の隠れ蓑もあった。誰にも気づかれることなく、ひっそりと、ユートは母国とリアルタイムに通信できる装置を持ち込むことに成功していた。
とはいえいまだ試作型。長時間の動作は不可能。そもそも遠距離の通信ならば、魔法使いなら普通に可能だ。
ハインツァラトス王国がこれを造り上げた理由はただ一つ。
『マリアンヌ・ピースラウンドを引き込むことにどれほど価値があるかは分かりませんが、よろしくお願いします』
「フッ……巫女が名指しした理由、少しだけ分かった気がするよ」
ユートは誇り高き、そして自分の隣を走り抜いてみせた令嬢の顔を浮かべた。
『……極力、『
「逆にこっちが禁呪保有者を見つけたら、
『理解してくださっているのなら何よりです』
それきり、通信が切れる。
ユートはデバイスを耳元から外すと、フンと鼻を鳴らした。
「第三王子より、禁呪保有者の方が価値があるってワケだ」
その双眸には業火が宿っていた。怒りだった。ユートの中にはいつも、途方もない怒りしかなかった。
思い出す。王宮の日々。優秀な第一王子と第二王子。
必死に得意系統の、炎属性魔法を訓練した。だが敵わなかった。武道も、学問も、何一つとして勝るものはなかった。
圧倒的格上が一人だけなら、まだ耐えられたかもしれない。
だが二人いた。
兄たちは互いを認め合い、切磋琢磨した──その下にいる弟なんて、存在しないかのように、踏みつけながら。
「……クソが」
ダン、と壁に拳を叩きつける。
屈辱の日々。存在を忘れ去られ、透明になってしまった自分。
そうしてある日、降って湧いた、圧倒的な力。適性があったと言うだけで反転した世界。
ユートミラ・レヴ・ハインツァラトスは知っている。
この世界に本物なんて何一つない。
本物のフリをして、それらしい仮面を被った偽物だけが、この世界を構成している。
まがい物、贋作、欺瞞。唾棄すべきものばかりが視界を占めている。
全部ぶち壊してやりたいと思った。嫌いだった。何もかも嫌いだった。
だけど、それよりも。
ユートは、反転した世界の中で、かつてのようには戻りたくないと怯えている自分が、一番嫌いだった。
「…………クソっ!」
ベッドに背中から飛び込む。見上げた天井にはシミ一つない。
学校生活を心の底から楽しんでいる自分がいることに、もう気づいていた。
ここには立場こそあれど、恐れや、侮りはない。
そして、何よりも。
己の隣を走り抜けてみせた、あの令嬢。
妃として来い、と切り出したとき。
マリアンヌは数瞬、戸惑っていた──恐らく向こうも、バックにいる存在に報告しているだろう。
だがユートの目はごまかせない。二人きりで見せた、あの一秒にも満たない生の反応。
(実は、あの女、かなり『良い人』だ。俺なんぞを見過ごせねえんだからな、そりゃ善人だろ)
あんな振る舞いをしておきながら、人間の善性はきちんと残している。
尊い輝きだと思った。
自分なんかでは、触ることすら躊躇われる。
だが国からの命令は絶対だ。やらなければ、明日の保証もない。
どうしようもない歯がゆさと、あの輝きを自分が汚すのだという罪悪感に身を焦がされ。
ユートは腕で目を覆った。
彼の中には、やはり、怒りしかなかった。
ジジイとの会話だけでなんか一話分になってしまった(???????????????????)ので閑話として投稿しました。