シュテルトライン王国王都中心部。
ウルスラグナ一派の蜂起によって王都は瓦礫の山となった。
かつては繁栄の象徴であった王城もまた、原形が分からないほど破壊されている。
その、地面に叩きつけられてほとんど崩れ去った玉座の間にて。
朝日に煌めく、豊かに実った麦のような金色の髪。
澄み渡った海の色をした碧眼。
今はその髪を振り乱し、碧眼に殺意を充填させて。
まったく同じ顔をした二人の男が、剣を叩きつけ合い、殺し合っている。
「この剣技……! 本当に僕だとでもいうのか!?」
「その通り! 最上級クラスに迫れるほどの才能はないけど、せこせこ練習を積んで磨いてきた小賢しい剣筋だ! 身に覚えがあるだろォ!?」
「傷つくからその言い方はやめろ!」
「こっちも傷ついてんだよォ!」
何を言い争っているんだか分からない状態ではあったものの、二人は剣の速度を緩めない。
互いの一挙一動が、神威を炸裂させ速度に転換した、理外のスピード。音如きでは横に並ぶどころか追いすがることすらできない。
激突ではなく攻撃の予備動作ですら、その余波が空間を砕く。一般人が居合わせようものなら、コンマ数秒で単なる血煙になっていただろう。
(剣技に関しては、確かに僕そのものだ! 原理は分からないが、僕をコピーした何かだと仮定して……どこまでだ! どこまで僕を再現している!?)
ロイはどこまでも冷静だった。
鏡写しの己に怯え過ぎることもなく、自分が為すべきことを一貫して理解していた。
(恐らくこの僕は、王都内全域に及んでいる加護を阻害するシステムの守護者! というよりは、システムを壊しに来た人間を足止めするために、同じ存在をコピーして発生させているんだろう……!)
現在のシュテルトライン王国は、王都全域に騎士の加護を阻害する謎のフィールドが展開されている。
それを無効化しに来たロイからすれば、こうした障害が用意されているのは至極当然。
しかし――
(単純なモノマネなら、間違いなく出力の上限に引っかかるはず! 僕は二重覚醒の
ビシュ、と左頬が裂けて血が飛ぶ。
裾が焼け焦げていた制服の破片が宙に舞った。
豪雨のように降り注ぐ斬撃の中でも、避けきれなかったものがロイの身体を微かに刻んでいく。
「どうしたどうしたァ! わざわざ切り刻まれに来ただけかァ!?」
「僕の顔で……! そんな品性のない言動をしないでもらいたいな!」
「品性なんて元々ねぇーだろが!!」
ほぼ同レベルの言い争いとは裏腹に、向こうには傷一つない――力量差、ではない。剣術が完全に同等であることは、数度の交錯を経た瞬間に理解していた。
傷の差は見ている範囲の差。ただ目の前の相手を倒せばいいわけではないロイと、ただ目の前の相手を殺せばいい偽ロイ。
(僕はこいつを倒しに来たんじゃない、王都に影響を及ぼしている何らかのシステムさえ壊せばいいんだ! 決闘に付き合っているフリをしながら、どこに阻害システムがあるのかを探れば――)
「――って全体を俯瞰した気になってんのがテメェの弱点なんだよボケ!!」
思考を断ち切る雄叫び。
偽ロイが満身の力を込めて剣を振り抜く。余波に地面が爆砕し、ロイの視界が噴煙と火花に覆い尽くされた。
「……ッ!?」
「テメェは観測者を気取ってんのに観察眼が足りねえ! 本当に見るべきモンはなんだ!? 目の前の敵を殺すことにすら集中できねえのに、何が出来るってんだよ!?」
反響する声は、その出所を探らせない。
ロイから見れば、偽ロイはただやり過ごせば良い存在ではなくなった。
(くっ、気を逸らした瞬間に襲いかかってくるんだとしたら、単純に探すべきものが二倍になったってわけか……! 信じがたいほど粗暴な言動だけど、戦術は理にかなっている!)
こんなことをしている場合ではない
ロイは全身に紫電を纏い、強引に加速しようとした。
「だからァ! それが通らねぇって話をしてんの!!」
直後。
ロイの視界を、憎悪の黒雷が埋め尽くした。
「……ッ!?」
出鼻をくじかれたロイが体勢を崩す。
行動を阻害するための雷槍が次々に地面へと突き刺さり、完全に行き場を塞ぐ。
「人の話を聞けェ! テメェはどこまでいっても、観測者の適性がねーんだよ!」
戦場を俯瞰すればするほどに、行き先がない。道を断たれ、ただ立ち尽くすことしかできない。
これが格下ならば、強引に突っ切ってもどうにかなっただろう。
しかし先ほどまでの攻防で、そんな策が通用しない相手であることは理解させられている。
「ほらほら思考スピードが遅いんだよ! 先手打たれた時にいちいち迷うのをやめろ! マリアンヌはブチギレるけど迷わねぇーだろが!」
既に当初の計画は破綻した、と言っていいだろう。
他の面々が権能に妨害を受けている中で、動ける自分が最速で突出し、その妨害の根本を断つ――はずだったが、ここまで手間取っているのでは、既に戦況全体が不可逆的な劣勢に追い込まれている可能性が高い。
「カッコイイ救世主になりたくても、お前如きの単独行動じゃこれが限界なんだよ」
脂汗を浮かべるロイに、酷薄な声が浴びせられる。
それは罵倒や嘲笑ではなく、純粋な憐憫によるものだった。
「……ッ、別にいいさ。窮地を救いに現れる王子様なんて、ガラじゃないのは分かってる」
自分は救世主なんかじゃない、その器じゃない。
ロイはそれをよく理解している、なぜなら彼の行動原理はいつだって、ただ一人の少女にあるのだから。
しかし――悠々と姿を現した偽ロイは、心底冷え切った表情で、首を横に振った。
「いやお前、マリアンヌの窮地に駆けつける自分を妄想して、部屋で一人でかっこいい着地の仕方とか練習してただろ」
「グワアアアアアアアアアアアアアッ!」
絶叫と共に、ロイは膝から崩れ落ちた。
繰り出された言葉は
「な、なぜ僕の秘められた忌まわしき過去を知っている……!」
「おれはお前だからだ」
よく見れば、本物と同様に偽ロイも脂汗をにじませている。
どうやら捨て身の口撃を放っていたようだ。
「……テメェは物事を外から観察するフリこそ上手いが、結局はマリアンヌほど本質を見れねぇし、他の奴らほど察しがいいわけでもねぇ」
「他人からの低評価っていうのは、実に不快だな……僕を傷つけたいだけなんじゃないかい?」
「そりゃ受け取り手の意識次第だろ。だが――批判を聞き流し続けるやつに進歩はあり得ねぇ、それだけは真理だ」
ロイはゆっくりと立ち上がった。
砂を払い、先ほどまでと違い姿を現している偽物と、正面から対峙する。
(……緩い雰囲気にのまれるな、間違いなく難敵なんだ。意識を逸らしていい相手じゃない、こいつはここで僕が叩く!)
ロイは決断と同時に、瞬時に権能を
先程までのロイは、ケラウノスの権能を主軸とした高速戦闘形態。
だがここからは違う、軍神の権能を主軸とした、高出力で相手を押し潰す決戦形態。
それぞれ、常人ならば触れただけで魂魄を砕かれてしまうような密度の神威。
しかしロイは、この世界でロイだけが、そんな力を二つ保持し、切り替えることすらできる。
ロイの身体から爆発的な神威が放出され、彼が保有する上位存在を象り――
「――使い方が甘いんだよ!」
その絶技を見てもなお、偽ロイは嘲笑を崩さなかった。
彼が身に纏う黒い雷が、墨汁に浸した筆を振り回したかのように飛散し、世界を侵食していく。
「空間に散らばった『
「な……ッ!?」
「自己中心的に戦ってこそ、戦場を統べる英雄だろうが!」
収束した『混沌』の粒子が槍を象り、ロイが顕現させた巨神を正面から貫く。
単なる損壊ではなく、巨神は存在そのものを霧散させられ跡形もなく消え去った。
「そんな、一瞬で……!?」
「
それだけでは終わらない。
偽ロイの背後に稲妻が散り――ロイが顕現させたはずの巨神の右腕が顕現した。
(これは、殺して奪い取ったのか!? そんなのなんでもありじゃないか……!)
「――そう、そうだ! なんでもありなんだよ! 使い手の
同時、偽ロイが腕を振り抜く。
その動作をなぞるようにして、神秘で構成された巨腕が猛スピードで稼働し、ロイの身体を吹き飛ばした。
「か、はっ……!」
壁に叩きつけられると同時、ロイの喉奥からせり上がった血がカーペットを穢す。
手を突くこともできず、顔面からロイは地面へと落ちた。
「ハッハァーッ! 権能は同じでも結果は歴然! 使い手の差が出たなァ!!」
偽ロイが哄笑を上げる。
彼は目尻に涙すら浮かべながら、絶対的な差を示すかのように両手を広げた。
「自分にできることは何なのか……そんなことを考えてる時点で、何も分かっちゃいねぇ」
「ぐ、うぅ……っ!?」
「そもそも、何だってできるはずなんだよ、おれたちは」
倒れ伏したまま、ロイは必死に面を上げる。
自分と同じ顔の男は、先ほどまでの嘲笑から一転し、冷め切った表情を浮かべていた。
「テメェは全てにおいて『お子ちゃま』なんだよ。独占欲の使い方すら分かってねぇ……お前、周りからそう観られるからワザと気色悪い婚約者を演じてるタイミングすらあったな? バカが、テメェ自身のエゴを他人のために消費してんじゃねえよ」
これは本当に、自分の中から生み出されたものなのか?
恐ろしいほどの客観視をもとにして吐き出される、自分自身への冷たい評価。聞きたくない、と本能的に思った。
「だがそれは、僕が望んだこと……!」
「テメェは馬鹿か? おれたちが望んでるのはもっとエロいマリアンヌの姿だろ」
「は?」
著しく決戦場に適さない単語が飛び出して、ロイは面食らった。
偽ロイの確信犯的な表情は雄弁に『自分の言い分こそが正しい』と物語っている。
「コスプレだってそうだ……競泳水着が至高なのなんざ当たり前だろ。問題はどう密着するかだ! 身体のラインが出ているからそれだけでいいなんて綺麗事を抜かすつもりじゃねえよな? 競泳水着はあの感触あってこそだ、分かってんだろ!?」
「は、は、破廉恥な! 僕はもっとお淑やかで、ユイやリンディに聞かせても問題ない妄想しかしていない!」
「そんな訳ねえだろあいつら普通に引いてるぞ」
実際、ロイの妄想に問題がないなどとは口が裂けても言えない。
とはいえ自分と同じ顔の男が、口にするのもはばかられる猥談を平然と叫んでいるのは、ロイの精神衛生上あってはならない光景だった。
「ふざけるなッ! 僕は彼女にとって完璧な貴公子でありたい! 彼女の悪夢を祓う存在でありたい! 君のような側面があるとしても出さない! というか目障りこの上ないんだ君は! 彼女の周りに王子様系イケメンは僕一人で十分だ、消え失せろ!!」
「お前はおれだって言ってんだろうがロイ・ミリオンアァァク!! そしておれはァ! 普通にマリアンヌに夜もリードされてみてえ!」
「喋るなァァァ!!」
◇
わたくしはズタボロの身体を引きずるようにして、ただひたすらに、王城だった廃墟を進んでいた。
「君は分かっていない。何も、何一つとしてだ」
先導するグレイテスト・ワン――厳密に言えば、グレイテスト・ワンの遺体へ意識をインストールした、ナイトエデンの父にして現ウルスラグナ副当主兼先代ウルスラグナ。おい、ややこしすぎないか?――は、こちらを一顧だにせず、粛々と歩いている。
だが、歩む速度は非常に緩やかなものだった。恐らくわたくしに合わせてくれているのだろう。気遣いではなく、自分の話を聞かせるために。
「……何の話ですか」
言葉を発するたびに、口の中に鈍い鉄の味がにじむ。
ナイトエデンの死骸を拾うことすらできないまま、わたくしはただ、この男に追随して王城を登っている。
先ほど見えた雷光――その主を目指して、必死に。
「あの時……マクラーレン・ピースラウンドが敗北し、彼の代わりに君が勝利した時とは違う。今度こそ、君にはもう何も出来ない」
「……アナタもあの場に? いいえ、アナタは……」
「そう、参加はしていない。ただ、これが欲しくてね」
グレイテスト・ワンは、自分の頭をとんとんと叩いた。
そうだ、あの時はまだ、グレイテスト・ワンはお父様の親友だった。
つまりは、彼がこの体を手に入れられたのだって、恐らくあの時わたくしが勝利したことが原因で――クソ、マジであの戦いが全部の起点になってるじゃねーか! 記憶なくすのに同意しなきゃよかったぜ。
「薄汚いコソ泥ごっこも、聖なる意志とやらのご意志ですか」
「聖なる意志の指示? まさか……
吐き捨てるような言葉だった。
声色には本物の嫌悪が宿っていた。
「もうウンザリなんだ、あんなものが目指す世界は。ゆえに、我々がすべてに勝利し、勝ち切って、唯一の勝者となって争いを根絶する。この手が届く限り、神だろうと魔王だろうと殺し尽くす」
「……夢物語ですわ」
「夢は叶えるためにあるだろう? それにこの一点に関しては、君には負けるさ――君はずっと自分の願望だけを追いかけて、叶え続けてきたじゃないか」
グレイテスト・ワンはふっと微笑んだ。
この上なくわたくしをリスペクトしているのが伝わってくる。だからこそやりにくい。
こいつはわたくしのことをよく分かっているからこそ、逆転の機会を絶対に与えてくれないのだ。
「……それで、アナタの夢は?」
「言ったはずだろう、神を殺すことだ。そのために、まずはこの世界を壊す必要がある」
もう話にならねえ。
「アナタのような手合いは、なぜ最初に世界を否定しなければ気が済まないのでしょうね」
「神を殺したいのに、神が創った箱庭に暮らしているわけにはいかないだろう。小鳥が抜け出すには、まず籠を壊さなくてはならないんだ」
「小鳥は人を食べませんわ」
「それぐらい無茶なことをしようとしている自覚はあるよ」
飄々と答えられては、こちらが言葉を続けられない。
そんな様子を見てなのか、彼は足こそ止めないままゆっくりと口を開く。
「だが小鳥は、飼い主が何者かなんてわからない。聖人かもしれないし殺人鬼かもしれない。そして、仮に飼い主が悪しきものだと気づけても、何もできることはない」
「……普通は気づけませんけどね」
「そこはラッキーだったんだ」
だんだんと、王都中に響いていた戦闘音が小さくなっていくのが分かった。
各地の戦いが収まっている。おそらくだが、王国側が鎮圧されているのだろう。
「シュテルトラインが起こした戦争で私は故郷を失った」
「……それはウルスラグナになる前の話ですね?」
「そうだ。私は無力な子供で、一緒に逃げた幼馴染が……衰弱して死んでいくのを見ていることしか、できなかった」
ありふれた悲劇だろう、と彼は表情を歪めた。
今の顔は、もしかして笑おうとしたのだろうか。
「だけど大人になるにつれて、私のような人間はいくらでもいると分かった。皆が悲劇を背負いながらも、いつかのハッピーエンドのために戦っていると分かった」
「……だったら、どうして一緒に戦わなかったのです。どうして、みんなの努力をぶち壊すようなことをするのです」
「努力? お粗末な音楽に合わせて体を揺らしているだけだろう、ダンスとすら呼べない」
――こいつふざけんじゃねぇぞッ!!
カッと頭の奥が白熱する。だが、それが声になって出ない。
「君たちの華々しい英雄譚を進めるために、前提としての悲劇が必要になる」
「…………」
「さぁ、憮然としている時間はないぞ。早く彼の所に行こう」
グレイテスト・ワンは、朗らかに笑ってわたくしを先導した。
今はただついていくことしかできない。正直、体力も魔力も限界ギリギリで、言い返したり無視して走ったりする余裕もない。
廃墟と化した王城を登っていく。
かつては天にそびえていた城も、今となっては廃墟に過ぎない。
こいつがお膳立てしているであろう、最後の戦場へとたどり着く。
そこにあった光景は……。
「ロイとロイが、戦っている……?」
かつて玉座の間だった空間では、金髪の貴公子二人が剣戟を繰り広げていた。
どっちか本物でどっちが偽物なのかはすぐにわかる。口調が違い過ぎた。
何よりも、わたくしの大好きな、果てのない海みたいな目が。
片方は死臭すら放っているように感じるほどの、ドブみたいに澱んだ目になっているのだ。
これで分からない方がおかしい。
「……いえ、片方はロイではありませんわね。これは何のマジックショーですか?」
わたくしの問いかけに対して、答えは本人ではなく、隣のグレイテスト・ワンから返ってきた。
「彼は『軍神』の破壊衝動と共鳴したんだ。そして、その破壊衝動と戦っている」
「……世界を守る権能に破壊衝動なんてものがあるのですか」
「あるさ。どんな善人にだって、ふと大切なものを叩き壊したくなる瞬間はあるだろう?」
ねぇーよ。
そいつ何のために戦ってんだよ。
「……まったく共感してくれていない表情だけど、この点に限っては君が例外だと言わせてもらいたいな」
グレイテスト・ワンは懐をあさり、それから肩をすくめた。
タバコでも切らしていたのだろうか。
「しかし……正直言って、ここまで現実に干渉しているとは驚きだ。君のように、他人からは見えないものだと思っていたのだけど」
「わたくしのように?」
身に覚えのない言及。
だが数秒考えれば、ハッと気づく。
「あの宇宙人間たち……ええとなんでしたっけ、十三領域の住人? なんかそんな感じの連中ですわよね」
「そうだ。彼らが他人に見えない理由は簡単、君の頭の中にしかないからさ……心当たりがあるだろう、十三領域の主たちは現実へ干渉できない代わりに君の脳に直接姿を見せている」
ああ、なるほど、だから魔眼を持つアルトリウスにすら見えなかったのか。
納得はできたが――同時に現状のまずさも理解する。
「ならばロイは、あの宇宙人間たちと同等の存在と戦っている……?」
もう身体はボロボロで、正直、戦いに割って入る余地はない。
いいや……正確に言えば、今この瞬間も、戦いに割って入る準備だけは進めている。
しかし今すぐは無理。わたくしの身体、生きてるか死体かで言えば、普通に死体の方が近い。
それを理解しているからこそ、わたくしは時間稼ぎのために雑談をするし、グレイテスト・ワンもそれを理解してあえて乗ってくれている。
こいつは、わたくしを仕留めたいんじゃない。
わたくしが戦いに参加するのを待っているのだ。
だってわたくしは、その選択しか取れないから。
歯噛みしながらも、ズキズキと痛む頭で必死に新フォームを練り上げる。
この空間にたどり着いた直後から、必要なものは理解していた。
ロイを見たその瞬間から。
この瞬間に必要な力を、わたくしは、分かっていた……。
◇
「馬鹿だな……本当に救いようがない」
一方で、マリアンヌたちが来たことにロイは気づいていなかった。
理由は明白。眼前に立ちはだかるもう一人の自分への対応に、ありとあらゆるリソースをつぎ込んでいたからだ。
「テメェは一切合切を分かってねえ。テメェは何もかもが足りてねえ。そしてテメェは、『
膝が震えている。
恐怖からではない。最高速度での戦いを続けて、そして押し切れず、逆に一方的に体力を削り続けられたからだ。
(どうやって……勝てばいいんだ? この幻影は、まるで、僕の、完全上位互換……)
「そしてテメェが見て見ぬふりをしている、最も重い罪がある」
幻影ロイは、構えていた剣の切っ先を地面に下げた。
彼の目には憐憫の光すら宿っていた。
「テメェは結局……マリアンヌがこの世界を生き続ける理由になれてねえんだよ」
「……は?」
「だってそうだろ。少しだけ、ほんの少しだけでいいんだ、想像力を働かせてみろよ」
酷薄な笑みと共に。
「世界を脅かす敵が現れたとしてよ」
幻影ロイは剣を持ったまま両腕を広げて。
「もしも自分を犠牲にすれば完全無欠のハッピーエンドになるとしてよ」
その瞳をぐっと閉じて幻影ロイが告げる。
「マリアンヌは世界のためなら死ぬぞ」
その言葉は、ロイにとっては
「……!!」
「分かるだろ? 理解できるだろ? おれたちが何を喚こうとも、最後は『善き人々』とやらのために命を、いや……命を含む何もかもすべてを投げ捨てちまうぞ」
その言葉に否定の余地はない。
彼女は身内が好きだ。ロイが、ユイが、リンディが、ジークフリートが、ユートが、みんなのことが好きだ。
けれどロイは知っている。
彼女の身内という範囲は狭いようで広い。
確かに彼女は――この世界の人々を守るためなら、命だって投げ出してしまえるだろう。
「そして、
「…………やめてくれ……」
「
「やめろ……!」
「――世界なんか、守らなくていいのにって。
「…………ッ!?」
勢いよく振り向く。
最も聞かれたくない相手がそこにいると分かった。
そして――最もしてはならない行動だったと、遅れて気づいた。
◇
偽ロイの剣が、音を立てて肉を貫いた。
決着の予兆も何もなく、わたくしの知る本物のロイが、串刺しにされていたのだ。
「え?」
まだ拮抗状態が続くと思っていた。
だから力をためていた、のに。
「……ぇ、あ」
ロイは戦いの真っ最中、突然こちらに振り向いた。
だから生まれた隙を、当然のように貫かれた。
「――ようやく隙を見せたなァ」
二人のロイが重なっている。
剣を突き刺した側と、突き刺された側。
突き刺された方の顔は見えないが。
突き刺した側はわたくしに目を向け、にやりと嗤っていた。
その顔を見て、わたくしはすべてを理解した。
――
――
「ァ」
視線の先で、二人のロイがブレた。
重なり合い、反発し合い、そして――最後は一つになる。
「待ちなさい……! 待って! ロイ!」
名を叫ぶも、起きた現象は覆らない。
その場に残ったのは、濁った瞳をした、わたくしの婚約者によく似ているだけの男一人。
「フッ……おれのことは、おれが一番分かってる。だからヒントを与えれば、気づけると思ったんだ」
「……何の話、ですか」
「
自分の手のひらをしげしげと見つめて、彼は何度か拳を握った。
実体を初めて持ったと言わんばかりの、人間一年生のしぐさ。
だが挙動の一つ一つから、莫大な神威を感じる。
目の前にいるのは人間ではない。
たまたま人の形をしているだけの、災害だ。
「なるほど、人間の身体を直に使うのは初めてだが……こういう感じなんだな」
「アナタは、まさか――『
「厳密に言えばその一部分だ。さっき説明受けてただろ。おれは『
ロイの顔をして、彼は皮肉気に笑う。
「で、人間の身体は初めてだが……マリアンヌ、期待しろよ。やり方は分かってるんだぜ? まあ『
「……何の話を、いえ、それはまさか――」
ぞわりと、首筋を死神の鎌が撫でた。
醜悪な笑みと共に、婚約者の顔をした男が首を鳴らす。
「安心しろよ。おれは最初から
ダメだ。
それを、発動するな。
わたくしのロイの顔で世界を破滅させようとするな――――!!
「隆興せよ、正義の鉦──
ロイの口から紡がれる
先ほど聞いた、ナイトエデンが行っていた例のあれと同じだろう。
「背負いし罪業の数こそが、我を新世界へと導く灯火ッ」
即ちこれは、七聖使側が行う
出し惜しみはなく、ただ自分の目的を達成するために行われる、純粋な全力全開。
「世界を変えるための絶戦が、あらゆる悲鳴を挽き潰す――輝かしい
それは、不正を働き悪を為す者相手に、世界を救うためだけに発動する神秘の剣。
「我々が決意することは成就し、歩む道には光が輝くことだろう――暗闇を照らす微かな月光に代わり、太陽として眩き道を照らし出すのだ!」
それは、連綿と受け継がれてきた世界を守護するための最終兵器。
「未来を志す限り我らは不死身──故に悪しき者よ、選別の炎に焼かれ廃滅せよ!」
金色の瞳に怒りの炎を宿し。
救世主が輝きで世界を満たす。
「
ああ、なるほど。
確かにこれは世界を救うための権能だ。
見た瞬間に分かった。
ロイを中心として立ち上る神威に、今まで見聞きした、そして戦ってきた上位存在たちの気配を感じる。
「……全部を、自分の力とできるのですか」
「もちろんだ。つーかそのためのおれだしな」
幻影ロイ、いいやもう、これは、ロイではない……
『軍神』の権能そのものが、身にまとう黄金の輝きを睥睨して薄く笑う。
「とはいえ『軍神』単体の
おそらくは。
ロイが保持している権能――『
確かロイは、『軍神』のリソースを『天空』に注いでいたはず。それを逆にした形だろうか。
「ともかく、この戦場の支配者は明確におれになった。マリアンヌ、大人しくしてくれるなら、それでいい。おれは確かに破壊衝動の塊だが、愛する女を傷つけようとは思わないんだ。なんなら特等席だって用意できるぞ?」
言葉とは裏腹に。
彼の全身からは、殺気が吹き荒れていた。反論を赦さず、言い返そうものなら潰すという意思表示があった。
初めて浴びる、ロイの全身全霊の殺意。
あの時……暴走によって漏れ出た物など、比較にすらならない。正真正銘、混じりっけなしに叩きつけられる『お前を殺す』という見えない刃。
「ロイ、アナタは……!」
「おうよ、何だ?」
違うお前じゃない! 誰なんだよお前はァッ!!
目の前で返事をする男が、ニヤリと笑って剣を軽く揺らす。装填された絶大な出力の稲妻が、ただそれだけの余波で火花を散らして空間を焼き焦がした。
「アナタはそれでいいのですか! 身体を操られて、それで!」
「……今の呼びかけだけで、おれの支配が揺らぎかけた。やはりテメェだな、マリアンヌ。この身を縛る執着の縄。我が原初の渇望にして最大の束縛」
ロイの顔をした男が剣を構える。
その視線はわたくしをまっすぐに捉えていた。
いやでも理解する。
真っすぐすぎる殺意は、こちらにも悟られる。悟られていいと思っている。
人生初めての、ロイ・ミリオンアークからの、本人の意思による殺意。
思わず後ろに退きそうになった、その瞬間。
「――さあ出番だ、主人公。悪を倒してみせろ」
薄く笑いながらの言葉だった。
「あれはもう君の婚約者ではなく、人々を殺して回ることしか頭にない、殺戮と破壊の嵐そのものだ」
背後でグレイテスト・ワンが酷薄に告げる。
わかっている。
そんなことは理解っているんだ!!
だから!
だから――――
「……ははっ。流石、主人公だねえ」
天を指さし、詠唱を開始する。
────
頭の中に浮かび上がる詠唱……が。
ザザ、とノイズを立てて上書きされていく。
それを自然と受け入れて、わたくしの唇が勝手に動く。
────
頭が痛い。視界が明滅する。今までの戦闘のツケが来ているのだろうか。
だが譲れない。本能が選択したこのフォームで、こいつを止めなきゃいけない。
────
────
全身が悲鳴を上げている中で、詠唱だけがよどみなく紡がれる。
自分では、言っていないような、唇が勝手に動くかのような感覚のままに、わたくしは力を実体化させる。
────
「マリアンヌ・ピースラウンド────スコーピオンフォーム・ネガドライブ!」
左腕に流星の輝きが巻き付き、刃をかたどった。
簡素な装甲が身体を覆い戦闘モードへと移行。
多数を相手取ることを考えていない、接近戦で一対一をするためだけの、わたくしの理想からはかけ離れた、単一の目的しか有さない限定的フォーム。
しかし、わたくしの本能が叫んでいる。
「そうだ、マリアンヌ・ピースラウンド。十三領域へのアクセス権を有するならば……本当に選ばれた、この世界を救う存在なら……
反動に身体が軋み、砕けていく。
その崩壊や激痛を片っ端から流星で食い潰していく。
負けるわけにはいかない。
ロイの顔をした別の男になんて、絶対に負けられない!
「さあ勝負ですわ! アナタを
正面から対峙して拳を構えた瞬間。
ロイの顔が、少しだけ――微かに、微笑んだような気がした。