彼を初めて見た時、白馬の王子様が絵本から飛び出てきたみたいだと思った。
特に印象強かったのは、彼の、豊かに実った麦のような、黄金色の髪。
色を、濃いとか薄いとか派手とか地味とかじゃなくて、『鮮やか』だと感じたのは、前世から今世まで通しても初めてだった。
『はじめまして!』
にこりと優しく微笑む彼。
一人で童話を読みふけってばかりいる少女に、そっと手を差し伸べた幼き貴公子。
『……はじめまして』
それが彼女が覚える、彼との出会い。
そして、彼にとっての、人生の転換点だった。
「……そういうわけで、選抜試合に向けて諸々の推測を組みましたわ」
騎士たちと合コン……じゃねえや、お茶会をしてから数日。
わたくしは羊皮紙にまとめたレポートをばさりとテーブルに放り投げて言った。
対面に座る貴公子、ロイはそれをぱらぱらとめくって表情を引きつらせる。
「えっと、これは?」
「プロファイリング……では通じませんわね。ユートの日頃の言動や、日常的でないシーンにおける立ち振る舞いなどを羅列し、それらを行動科学の見地から分析しました。臨床的な面が大きいので必ず的中してるという保証はありませんが、参考にはなるかと」
〇木の根 FBIかな?
〇適切な蟻地獄 今コイツの部屋ユートの顔写真とか隠し撮りとか大量に壁に貼り付けられててマジで怖いからな……
ここは例の、屋外庭園に隠蔽されたカフェテラス。
ロイも何かがあるというのは察知していたが、具体的な入り方などは探っている最中だったらしく、わたくしが生け垣に魔力を流し込んでいるのを見て驚いていた。
「後半には推定される魔法戦闘スタイル、並びにメンタルの状態、それらを踏まえた勝ち筋をいくつか書いております」
「これだけの枚数を使って、最終的な落とし所はそこなんだね」
当たり前だろうと鼻を鳴らす。
人格面の分析は、あくまで副産物に過ぎない。本命はそれらを材料として行う戦術的分析の項目だ。
「ざっくりまとめますが、ダメージレースに持ち込めば手堅く勝利を狙えるかと。一つでも予想外、或いは彼が掌握できない要因が発生すれば、そこから一気に突き崩せますわ」
「ふむ……根拠としては?」
「後で精読していただきたいところですが、まあいいでしょう。かいつまんでお話しします」
ちゃんと読めよ? と視線で釘を刺しておく。
確かに気づけば羊皮紙二十枚を超える超大作になってしまったが、割と厳選した方なんだからな。
「ユートミラ・レヴ・ハインツァラトスは特徴的な人格を持っています。過剰な社交性。攻撃的な防御反応と言い換えてもいいでしょう」
「……あのフレンドリーさは、自分の立場を確保するためのものだってことだろう?」
やはり感づいていたか。
ロイは馬鹿じゃない。というか、めちゃくちゃ頭が良い。ミリオンアーク家の徹底的な英才教育により、他者の心理を見抜く術に長けている。
「だが、演じているのは別にいい。僕だってそうだ。誰しもが、厚さに差異はあれど仮面を被って生きている」
「そうですわね。ですが仮面の下を知ることは、相手を知り、そして相手を打倒する術を知ることにつながります。彼は主導権を常に握っていることへの執着が極めて強いですわ。したがって先手で最初から優位性を確保することをお勧めします」
わたくしの言葉に、ロイは眉根を寄せた。
「解せないな」
「何がでしょう?」
「君は……僕たちが勝てるようにこうして手を回している。何故だ? 普段の君なら、もし彼を打倒したいなら直接戦っていてもおかしくない」
「別に、考えなかったわけではありません。ただ今回の選抜試合は、わたくしが彼を打倒するにあたって適切な場ではないというだけです」
訝しげにこちらを見てくる貴公子相手に、肩をすくめる。
〇第三の性別 禁呪持ちと禁呪持ちが公式試合で戦えるわけないんだよなあ
〇鷲アンチ こないだの御前試合は例外中の例外だしな
〇red moon ロイはユートが禁呪保有者って知らないからしゃーない
「お待たせね~。お友達も連れてきてもらって、張り切っちゃったわ~」
その時、店員のおばちゃんがトレーを持ってきた。
ロイを連れてきてもいいかと尋ねたところ、彼なら大丈夫とあっさり言われ拍子抜けしたのは記憶に新しい。というか口ぶりからして、このおばちゃん多分ロイがここの存在に気づいてることに気づいてたっぽいんだよな。マジで何者なんだ……
「はい、ロイ君はコーヒーね」
「ありがとうございます」
「はい、マリアンヌちゃんはカレーうどん」
「何それ??」
わたくしの前にゴトンと置かれたどんぶりを見て、ロイは顔を引きつらせた。
「これは極東に伝わりし、高貴な者にしか食することの許されない伝説の食事。カレーうどんですわ」
「初めて聞く食事だ……なんだ、その地獄のように煮えたぎった液体と、有り得ない太さのヌードルは!?」
「ふっ。まだアナタじゃ理解らないでしょうね、このレベルの話は」
「本当に美味しいのかい、それは……ッ!?」
「やめておきなさい。
「クッ……!? それほどまでに、選ばれし者だけに許された食事だというのか……!?」
〇みろっく こいつ今嘘しか言わなかったな
〇外から来ました でも時々無性にカレーうどん食べたくなる気持ちは分かる
わたくしはずるずるとカレーうどんを食べ始める。
制服が白じゃなくて良かったわマジ。にしてもこいつなんで白マントなんて着てるんだろうな……ゲームキャラの見分けをつきやすくするためかな……
「それにしても……日頃の観察はともかく。ジークフリート殿の部下たちすら分析に利用してるとはね」
呆れかえったような声色だった。
「何か不思議ですの?」
「そりゃ不思議さ。貴族が騎士とお茶会の時点で睨まれても仕方ない。だが、君はできる。次世代を担うホープ同士だからこそ、何をやってくれるんだろうっていう期待感が味方を作る。もう貴族院はてんてこ舞いだよ。父上が君の暴れっぷりを嘆いてたからね」
「それはご愁傷様ですわね」
「犯人に言われるとかなりムカつくなそのフレーズ……!」
震える手でコーヒーカップを口に運んだ後、ロイは頭を振った。
「いやそうじゃなくって……危ない橋を渡ったものだ、と思ったんだ。だけど結果的には良い方向に転がった」
「でしょうね。わたくし、なんだかんだで最後には勝つ星の下に生まれていますもの」
「君が言うと洒落にならないな。ただまあ、実際影響は大きい」
彼はソーサーにカップを置いた。
風に髪をなびかせ、真剣な顔つきで庭園を眺め、その向こうがわにそびえ立つ校舎を見据えた。
「考え方の過渡期なんだろう、と思ったよ。生徒の中には、君のように騎士と仲良くしたい子も大勢いる。親の言う通りに相手を憎み、果ての無いゼロサムゲームの駒として一生を終える時代は過ぎつつある」
「へぇ。騎士って人気がありますの?」
「そりゃあね。護国の盾として、おとぎ話にも出てくるぐらいだし。それに、騎士たちは眉目秀麗だと聞くよ」
「アナタより整った顔立ちの人間はいませんでしたわね」
「そうか……待て。待ってくれ今何て!?」
二度と言わねえよバーカ。
ていうか普通に事実だ事実。お前は自分がイケメンなのをちゃんと理解して場合によっては利用するタイプだろうがよ。
なんかロイがニヤニヤしながらコーヒーを凄い勢いで飲み始めた。浮ついてるのを見るのはそれはそれでムカつく。
……悪いけどそのだらしねえ顔をしていられるのはここまでだぜ。
「あっ言い忘れてました。わたくしユートさんに求婚されまして、ちょっとその件ですり合わせをしておきたいのですが」
「分かった。殺すよ」
「すり合わせの意味分かってます?」
一瞬で空気が切り替わった。
ロイの目は完全に据わっていた。
こっわ。滅茶苦茶怖ぇ。
「そうではなく……恐らく、選抜試合をターニングポイントとして、何かしらの動きがあると思われますわ。それに備えなければなりません。少なくとも試合当日までは求婚を保留にする必要がありましてよ」
「……つまり、最後には求婚を断ると?」
「多分そこを答えないと話が進みそうにないので答えますが、そうですわ。アナタとの婚約関係を破棄するつもりはありません」
「ふーん」
ふーんて。お前机の下でガッツポーズ連打してんじゃん。顔と身体が一致してねえ、雑コラかよ。
「ですので、場合によってはアナタに不快な思いをさせることがあるかもしれませんわ」
「いや、気にしなくていい。僕は君のしたいことを応援するよ。どうする? 一回ぐらい、僕がユートにケンカを売って無様に負けておくかい? それっぽくなると思うんだけど」
「最後には自分が勝つと知った途端にイキイキし始めましたわね」
「『何故だ! 何故この僕が、お前みたいな出来損ないの王子に負ける!? 有り得ないッ! ぼ、僕のパパが誰だか知らないのか!? お前なんて簡単に罪人としてでっちあげられるんだぞ!?』……どう? 決闘に負けて狼狽してしまいボロを出す悪役王子の真似なんだけど」
「上手すぎてびっくりしました……」
あとこいつ断罪系の文脈めっちゃ熟知してんな。しれっとお父さん巻き込んでるし。
もしかしてわたくしの悪役令嬢ロールより、こいつの悪役王子ロールの方が精度高いんじゃねえの? ちょっと悲しくなってきたわ。
〇日本代表 ロイの爪の垢を煎じて飲ませたい
〇火星 それおれがのみたい
〇日本代表 うわキモッびっくりした
〇無敵 メテオぶんぶん丸に悪役令嬢がこなせるわけないだろ起きろ
うるせえよ。
ロイとの密会を終えて。
一人校舎を歩きながら、マリアンヌは考える。
特級選抜試合の内容は心配していない。仮にユートが禁呪を行使したなら話は別だが、流石に両国の王の御前でそれはないだろう。相手の騎士という不安材料もあったが、コメント欄から察するにジークフリート以下の強さらしい。
「問題はどちらにロイを、どちらにユイさんをあてがうのかといったところですが……」
すっかりシミュレーションゲーム気分で、マリアンヌは試合の戦術を構築していた。
だが。
「……あら」
「よう」
人気の無い校舎廊下で、窓枠にもたれかかっている男。
ざんばら髪の学ラン男、ユートだった。
「婚約の話、少し期限が変わってな」
「ふうん?」
瞬時に周囲へ視線を巡らせる。生徒はいない。おかしい。いなさすぎる。
マリアンヌは踵で床を叩いた。魔力を伝導させ、張り巡らされた人払いの結界を可視化させる。
「器用なモンだな」
「こちらの台詞ですわ。炎系統の魔法に精通しているだけでなく、補助系統の魔法も一級品とは」
無論、驚愕はない。その人格からして、得意分野以外も手広く修めているだろうとは予想できていた。
声色が白々しくならないよう気をつけつつ、マリアンヌはぱちぱちと拍手する。
「それで?」
「ああ……今度の特級選抜試合。あの日に返事をもらいたい」
「また急な話ですわね」
「本国からのお達しさ」
「それで、わたくしにどんなメリットが?」
ユートはつまらなさそうに鼻を鳴らした。
「選抜試合で俺たちの国が勝つ。王国の弱体化を明瞭に暴き、国そのものを突き崩すそうだ。関係は悪化する。ハインツァラトス王国は一気にこの国へ圧力をかけるだろう。機械化兵団を国境に配置する話もある。そうなってからじゃ遅い……泥船から逃げ出すことが、お前にとってのメリットだ」
言ってることが滅茶苦茶だ、とマリアンヌは嘆息した。
話にならない。何もかもが、自分たちにとって都合の良い前提と結果で構成されている。その絵を描いた人間は大馬鹿だとマリアンヌは呆れかえった。
(……ですが)
そこで一秒、彼女は思考を研ぎ澄ます。
本当に?
本当に心の底から、そうなると思っているのか?
いいや、向こうの国王や政権の最終決定がこれを目指しているのは、まあいい。身の回りにいて欲しくはないが、そうやって自分のものさしでしか物事を考えられない人間はいるものだ。
だが問題はそこじゃない。
この流れを考え出した人間は、本当にこれが現実的だと考えたのか?
(…………現段階で考えられることではありませんわね)
頭を振って、マリアンヌは疑念を頭の片隅に追いやる。
決して忘れてはならないという直感に従った。
「……たかが学生同士の決闘で、そこまで判断できると?」
「王様が黒って言えばそれは黒だろう?」
皮肉げに笑みを浮かべて、ユートはマリアンヌに歩み寄る。
その美しい黒髪を一房手に取った後。
とんと肩を押し、彼女の華奢な身体を壁に押しつけた。
「……ッ」
「マリアンヌ。俺たちは所詮、駒の一つだ。王子だろうと令嬢だろうと、絶対的なプレイヤーがいることに変わりない。なら、自分が盤上から落ちないよう、有利な盤面を構築してもらうことに賭けるしかない」
顔を近づける。
鼻と鼻がこすれ合うような距離。
「さっき言ったのが世迷い言だなんて分かりきってる。だが、それを実現するために俺は派遣されている。もうロイとユイの手札も読み切って本国に報告した。俺も十全に対策を組んでいるし、もう一人の選抜メンバーである騎士はとびきりの一流だ。お前たちの騎士団で言う、中隊長クラスに比肩するレベルの達人を、学生だと偽って投入するつもりらしい。お前たちに勝ち目はない。間違いなく俺たちが勝つぞ」
「……あら、そうですか」
「動揺しないな。隠しているのか? 俺がスパイだと予測できていても、直接言われて動揺しないはずがない」
「動揺している暇がありません。別のことに驚いています」
「別のこと?」
マリアンヌは決然とした眼差しで、深紅眼の中に彼の貌を映し込んだ。
「壁ドンしてる側がそんな情けない顔をしてどうしますの」
「……え」
ユートは思わず自分の頬を触り、ぎくりとした。
自信ありげな、不敵な笑みを浮かべているつもりだった。だが実態として、頬は引きつり、目はしゅんと垂れている。
「顔に書いてありますわよ。こんなことしたくない。面倒事に巻き込まれるのは沢山だ。もう逃げたいと」
「そんな、ことは」
「普段の言動も痛々しくて見てられませんわね。陽キャの才能が無いのに陽キャの振りするって完全に苦行じゃないですの」
普段の言動。自信のなさの裏返しだった。
大切な友達になれば傷つけてこない。ユートはそう思っている。
臆病なくせに誰よりも大胆に踏み込む。その歪な有り様は、攻撃的な防御と言っていい。
それが、マリアンヌは気に入らない。
「ほら、こうして心の隙が身体の隙に直結する」
一瞬だった。
壁についていた腕を掴まれ、そのまま勢いよく反転、重心をずらすことで最小の腕力のみで、マリアンヌがユートを壁に押しつけ返していた。
「な……ッ!?」
「可愛い反応ですわね」
彼の頬に手を添えて、令嬢は艶美に微笑む。
「絶対に自分を傷つけない存在だけで、周りを固めたいのでしょう? いつか無償で自分を愛してくれる存在に巡り会えることを願っているのでしょう? でしたらわたくしが愛して差し上げましょうか?」
「それ、は……!」
目を泳がせるユートに対して。
マリアンヌはパッと手を離すと、踵を返した。
「つまらない男ですわね」
振り向くことなく、一顧だにすることもなく、彼女は悠々と歩み去って行く。
「どれほど堅牢な鎧を着込もうとも、心の弱さは守れませんわ」
「……ッ!」
追いすがろうとして、身体が動かなかった。
言い当てられていた。心の奥底を覗き込まれたように、ユートは身震いした。
「……ああそれと。一応言い返しておきます」
マリアンヌは人払いの結界をするりと切り裂きながら。
顔だけ見返り、ユートを見据えた。深紅眼の残光が空中に線を残した。
「特級選抜試合、必ずわたくしたちが勝ちますわ」
揺るぎない断言だった。
あらゆる材料を精査し、あらゆる可能性を突き詰めた者しか持ち得ない、自分の発言に絶対の自信を持つ声色だった。
「ユイさんはやや不安ですが、ロイに関してはまったく心配しておりません」
「何……? 馬鹿な。調べた限りでは、こと決闘においてはロイ・ミリオンアークよりタガハラ・ユイの方が……!」
「アナタ、彼のことを何も知らないのですね」
嘲笑うように唇をつり上げて、彼女は喉を震わせた。
「あれは御伽話から飛び出したような、最強にして最高の貴公子。残念ですが、勝負にもならないでしょう」
マリアンヌ・ピースラウンドは知っている。
異世界にて、ひたすら自分にできることを知り、できないことを知り、挫折と失敗と無力感に苛まれながらも必死にもがいていた日々。
それを変えた、たった一人の少年。
『はじめまして!』
にこりと優しく微笑む彼。
怪しまれないよう魔法学術書に童話のカバーをかけて、それを読みふけってばかりいる少女に、そっと手を差し伸べた幼き貴公子。
『……はじめまして』
それが彼が覚える、彼女との出会い。
そして、彼女にとっての、人生の転換点だったことを。
乙女ゲーみたいなこと書いたせいでハチャメチャに疲れました。
二度とやらねえ。