「臨海学校!! ですわ!!」
「一週間後だけどね」
腕を組み大見得を切ったわたくしの隣で、ロイが力なく嘆息した。
我が魔法学校は、初年度の夏に王国領内の海へ繰り出す恒例行事がある。
「水着何にしようかしらねー。ユイはどうすんの?」
「私はその、こういうの選ぶのが初めてなので……」
「そいつはいいな! 俺たちでユイに最高の水着を選んでやろうぜ!」
恥ずかしそうに頬を染めるユイさん、彼女に似合う水着は何か議論するリンディとユート。
要するにいつものメンバーを引き連れて。
「というわけで来ましたわよアキトさん!」
「え、そのテンションでなんでここ来てんだよお前……」
「細かいことを言うのは禁止ですわよ」
わたくしはレーベルバイト家の商店を訪れていた。
ずらっと並ぶ魔導外装や騎士甲冑を見渡し、思わず感嘆の息が漏れる。
店番をしている三男坊アキトの表情にやる気はないが、そこらに置かれた魔導器一つ一つが一級品だ。流石は王立工房。
「つーかよ……臨海学校なのは分かるぜ。俺もOBだしな。だけど、ウチにくるのはなんかおかしいんじゃねえか?」
「え……レーベルバイト家って水着売ってないのですか?」
「お前それマジで言ってんのか?」
会計用の机に頬杖を突いた姿勢で、アキトはわたくしを半眼になって見た。
何でも売ってると思ってた。
何だよ使えねーな。
「おい、お前今、使えねーって思ったろ。顔に出てるぞ」
「おほほほ」
「笑って誤魔化せると思ったのか!?」
ええ? 水着買えると思ってみんな連れてきたんだけど。
困ったなと腕を組んでいると、アキトの後ろ、店のバックヤードから一人の女性が姿を現わした。
「アキト、お客様?」
「あ、ジェシーさん。ピースラウンドが水着売ってないのかとかワケ分かんねえこと言いに来てる」
顔を出したのはジェシー・レーベルバイト。
アキトの義理の母親である。
澄ました表情で数秒わたくしを見つめた後、彼女は店に出てきて、先導するように歩き出す。
「……水着ならこっちよ」
「待て待て待て待て待て」
椅子を蹴っ飛ばしてアキトが立ち上がる。
「ちょっ、待ってくれよジェシーさん!? ウチ、水着の取り扱いなんてあったのか!?」
「あるわよ。何でも売ってるのが評判だから、このシーズンは4階が水着売り場になってるわ」
ショッピングモールみたいだな。
最上階にレストランフロア作ればそこそこ売れそう。
ジェシーさんに先導され、わたくしたちは4階へつながる階段を上る。
「ああ、そういえばジェシーさん」
「何よ」
「レーベルバイト家の、燃料運転用の新魔法について聞きましたわよ」
「耳聡いこと。相変わらず勉強熱心ね」
「正直言って驚きました。実に革新的ですわ。余りにも革新的すぎて……今までずっと温めていたとは考えにくいですわね。何かしらのブレイクスルーがあったのではなくて? 例えばそう、今まで魔法開発に参入していなかったどこかの女性が、やる気を出したとか」
ジェシーさんの横顔を見つめながら問うと、彼女はフッと笑みを浮かべて肩をすくめた。
「名義はレーベルバイト家よ。この家のためにやったのだから」
「ふーん? 本当はアキトにかっこいいところを見せたかっただけではなくて?」
「ちょっ、ちょっとピースラウンド。からかうのも大概にしておきなさいよ」
彼女は頬を赤く染めて、ぶつぶつと文句を言っている。
えっなんか反応が予想と違った。
何この……何? 恋バナか?
〇日本代表 ジェシアキは公式やぞ
〇無敵 やーい! お前の母ちゃん淫靡な人妻、立体化済み!
最低かよ。
いや、だけど、え? アキトってお前の義理の息子……えっ?
よく考えたら年齢差そんなにないけど。むしろ年齢だけなら健全なんだけど。いやでも年上のお姉さんが義理の母になってそこから──おいレーティングどうなってんだ! CERO仕事しろ!
「おっ、水着結構あるんだな」
4階に到着すれば、確かに水着コーナーがあった。
ロイたちがしげしげと商品を見始めるのを確認し、ジェシーさんは軽く一礼して立ち去ろうとする。
「それじゃあごゆっくり」
「あ、ありがとうございます……」
「何よその表情」
「いえ……あの、わたくしは応援しますわ」
「何の話よ!?」
恋の話だよ。
ぶつくさ言いながら、ジェシーさんは階段を下りていった。
さて、わたくしも水着を買わなきゃな。
「ん~、ユイは結構かわいい系だから、こういうフリル付きが似合うんじゃないかしら」
「確かにな」
売り場に入ると、リンディとユートが三着ほどの水着をユイさんに手渡し、真剣に考え込んでいる。
お前らお兄ちゃんとお姉ちゃんなのか?
「け、結構派手じゃないですかこれ……私なんかが着ていいんですか……?」
「ンなこと気にしてんじゃねーよ。顔が可愛かろうとブスだろうと、何着るかは自由だろ?」
ユートがいいこと言ったな。
リンディもうんうんと頷いている。
「いいじゃないですか、似合うと思いますわよ」
ひょこりと顔を出して言うと、ユイさんは手に持った、ピンク色でボーダー模様とフリルの飾りのついたビキニをぎゅっと握る。
「じゃ、じゃあ、試着してみます」
「おうよ!」
試着室にいそいそと入っていく彼女を見送り、さてと一息つく。
「お二人はもうお決めになりましたの?」
「俺はこの赤いやつにする」
「いいですわね。情熱の赤、炎の赤。アナタには似合うでしょう」
「えっ……お、おお。ありがと」
真正面から告げると、彼は照れたように頬を掻いた。
いやいや。逆だ逆。お前がデレてどうすんだよ。ユイさん相手には兄貴ムーブしてただろうが。
「リンディは?」
「私はこの紺色のやつ。スタイルはまあ、ちょっとね……あんたたちと並ぶと自信ないし。ていうか胸じゃなくておなかに脂肪がついちゃうのよね」
「どれどれ」
「ひゃんっ」
おなかをつまむと、リンディは艶っぽい声を上げた。
「…………あっち向いてなさい」
「いやお前が勝手に始めたんだからな!?」
友人のあられもない声を聞き、ユートは耳まで真っ赤にしている。
耐性のない陰キャはこれだから。
まあ、かくいうわたくしもガンガンに興奮してしまったが。
「も、もういいでしょうが! ていうかマリアンヌは水着どうするのよ!」
わたくしから距離を置いて、リンディが絶叫する。
それなんだよなあ。なんにも決めてねえや。
「そんなところだろうと思ってたよ」
陳列棚の向こう側から、両手に水着を持ってロイがやって来た。
片手には紺色のスポーティーな男性用水着を持っている。自分用だろう。お前は何着ても似合うだろうからいいよな。
で、もう片手には、随分と布面積の大きな女性用水着があった。
「それは?」
「マリアンヌに似合う水着をずっと考えていたんだ。結論は出たよ。僕は競泳水着を推す。特にこの白いのがいいんじゃないかな」
「いえ、流石にそういうコスプレじみたのはちょっと」
「しかし、あえて……?」
「しかしもあえてもありませんわよ」
マジでコスプレ趣味じゃん、とわたくしたちは頬を引きつらせた。
「こう見えてわたくしも令嬢のはしくれ、スキンケアは全身くまなくやっていますわ。ご心配されずとも、マイクロビキニだって着こなしてみせましょう!」
「しかし、あえて……!?」
「何ですのそのマジックワード!? それ言えば何でも押し通せると思ってますわね!?」
〇鷲アンチ 実際どういう水着が似合うんだろうな
〇トンボハンター 黒ビキニとかじゃね
〇無敵 はい初心者。誰がどう考えても流星柄のビキニ
〇適切な蟻地獄 は?それでしか脳内再生できなくなった、どうしてくれるんだよなあお前よおなあ!!!!
そんなもんあるわけねーだろ……
「でもよ、ロイ。その水着って魔法防御力低そうじゃないか?」
「水着選びで何を話してますの?」
「そこは気になったんだよね。物理防御力は高いんだけど……」
「本当にそのパラメータ振られてますの!?」
思わずその辺の水着を適当に掴んでタグを確認する。確かに攻撃力・防御力・魔法攻撃・魔法防御の数値が書かれていた。
装備品じゃねーか!!
「おいおい。こいつ、水着買ったことないのか?」
「いや普通の私服にはなかったので……いやなんで水着になったらこんな数値が出ますの……?」
〇宇宙の起源 普通の服は装備品として影響力ないからな
〇TSに一家言 まあそもそも誤差みたいな補正値だから気にしなくていいぞ
えぇ……これから先、服買うときにちょっとタグ見た方がいいのかな。
金だけはごまんとあるから、可愛いと思ったら値段確認せずにぽんぽん買っちゃうんだよなあ。
「あ、それならパレオ付きとかバランスが良さそうですわね」
『……ッ!!』
すぐそこにあったパレオ付きの水着を手に取る。
ここらで清楚アピールでもしておくか、と考えていたところ、ふと見たら男子二名が勝負師の目つきになっていた。
「ユート……」
「分かるぜ。神の一手が出た」
「僕は浅はかだった」
「性癖に従うのは悪いことじゃねえさ」
「…………ふふっ、似合ってるよ。そろそろ冷えてきそうだし、戻ろうか?」
「こいつ、もう脳内でパレオ付きのビキニを着たマリアンヌと夕暮れの砂浜を歩いてる……!?」
わたくしはそっとリンディを見た。
彼女は諦めきった様子で、首を横に振る。
この婚約者マジでキモすぎるんだよな……
「あの、すみません。着替え終わりました」
「あら」
試着室のカーテンがさっと開かれる。
両腕で自分を抱きしめ、恥ずかしそうにもじもじしながら。
フリル付きのビキニを着たユイさんが、姿を現わした。
「……ッ!」
こいつは凄まじい破壊力だな。
清楚系の顔立ちだからこそ、可愛らしいデザインが映えている。
そして……気づいてはいたが、やはり胸がたぷんとあるのが素晴らしい。わたくしよりは少々小さいが、存在感は健在だ。
「あんたミリオンアークたちと同じ顔つきになってるわよ。本当にどうかと思うわ」
「そ、そんなにまじまじと見ないで下さい……」
おっと、失礼だったかな。
わたくしは結局、黒いビキニと、同じく黒ベースに花柄を散らせたパレオを購入するのだった。
魔法防御力はあんま高くならなかった。
マリアンヌは夢を見ていた。
ルシファーに見せられた悪夢ではない、完全なる無意識領域。
或いは、明瞭な意識には浮かび上がってこない、記憶の奥底に沈殿した過去の想起。
二人の男が相対している。
『禁呪の研究から手を引いたそうだな』
『…………』
『意外だったよ。お前は……俺と同じ、外道に成り果てたと思っていた。だが違ったんだな。お前はまだ、人の心の光を失ってはいなかった。それが親友として、何よりも嬉しい』
『……それだけか。言いたいことはそれだけか。私はもう、お前を親友としてではなく……いつか世界を滅ぼす厄災と認識している。だから、ここで欠片も残さず滅相する』
地獄のような業火の中だった。
随分と視線が低いと思った。倒れているのか──違う。自分が、余りにも幼いのだ。
『その娘だろう? まったく。お前のような悪鬼が、子供ができて、人の道に戻っていくとは。家族のつながりはバカにできんな』
『そうだ。私はまだ、人でありたいと思った。この娘が一人で生きていけるようになるまで……私は、お前のような外道にはならない』
『悲しいよ。だが理解はできる。道は分かたれたな』
ここは、どこなのだろうか。
宮殿のようだった。見るも無惨に破壊された建造物は、しかしかつて確かに栄華を誇っていたと、残骸になっても分かった。
『私の力は世界を守るためのもの。力なき者たちの日常を守護するための権能。だからここで、お前を打倒するためには何も惜しまない』
『面白い。受けて立とう』
視界が真っ白に染め上げられる。
世界が、二度爆砕した。顕現する巨大な力場が大地を砕いていく。
自分はただ何もできないまま、けれど不可視のヴェールに庇護されていて。
【────汝に
荘厳な声が、天から降ってきた。
臨海学校を目前に控えたある日。
王立魔法学校は保護者参観当日を迎えていた。
「……何の夢だったのでしょう」
「また変な夢を見たんですか?」
難しい表情で唸るマリアンヌに、隣に座るユイが心配そうに声をかける。
「あの大悪魔が出てきたのかしら?」
「いえ、まったく別でしたわ」
むしろそれは、記憶を辿るような、確かな既視感を伴ったもの。
だがマリアンヌはあのような場面に出くわしたことを覚えてはいない。
「むむ……」
考え込んでいる間にも、教室は普段より活気づいた様子になっていた。
保護者がやって来ているのだ、生徒たちは楽しそうに、あるいは少し恥ずかしそうにして、教室後方に並ぶ保護者たちに手を振っている。
(まあ、わたくしには関係のないことですけれど)
見渡せばミリオンアーク家当主の姿もあった。
ユイとリンディは興味なさそうに黒板やプリントを眺めている。
自分も先日手に入れた論文集を再読するか、とマリアンヌが息を吐いた。
その時だった。
「──まったく。この学園は変わらないな」
革靴が教室の床を叩き、軽い音を立てた。
新たに入ってきた彼を見る。それだけで誰も身動きが取れなくなった。
「どうした、マリアンヌ。そんなに驚いて……保護者参観のプリントを家に置いていたのは、お前だろう」
黒い燕尾服に黒いシャツ、黒いネクタイと黒一色の服装を見事に着こなし。
同じく濡れ烏を束ねたような黒髪をオールバックにまとめあげ。
深紅の双眸に鋭い眼光を宿らせ、あたりを睥睨するその男。
現国王アーサーが第一王子だった頃、戦友として親交を結び、戦場で名を馳せた傑物。
現在も未だ、王国内における戦術魔法の第一線を張り続ける名家の当主。
「……おとう、さま?」
名前はマクラーレン・ピースラウンド。
ほかでもない、マリアンヌの父親が、そこにいた。