大切な人をずっと代わりに死なせてきた。
誰もが、お前は皇国の未来を背負う、最強の魔法使いとなるのだからと笑って死んだ。
心が折れそうな時、いつも自分を奮い立たせてくれるのは過去だった。
あの時も乗り越えられた。だから大丈夫。
自分に言い聞かせれば、立ち上がる気力が湧いてきた。だからずっと、勝利し続けることができた。
きっと自分は天才なのだと思う。
常人ならば挫けて、折れてしまうようなことがあっても、自分はまた頑張ることができた。
頑張れなかった他の人たちの分まで、頑張ることができた。
みんなその姿を見て、きっと、自分に期待してくれていたのかもしれない。
だから、強くなければならない。
強くなるために犠牲が必要なのではない。
強くなければ──あの犠牲に、意味なんてなかったことになる。
だから、
マリアンヌとカサンドラの間合いがゼロになったのに、一瞬もかからなかった。
飛び込んだマリアンヌが、鮮血流星の刺突を浴びせながら抉り込むようなアッパーを放つ。
「ちぇりあああああああッッ!」
「そんな大振りでッ」
のけぞるようにしてカサンドラがそれを避ける。余波に空間が破裂した。
至近距離。
展開された『
人類史に刻まれた七つの厄災、七つの悪夢、七つの汚点。その原初と終着点が、真っ向から激突する。
「カサンドラさん! アナタは邪竜の力なんかで新世界を築けると、本気で思っているのですか!」
鎧が自在に伸縮する。鋭い刺突を秒間数十のペースで放つ。
接触すれば並の兵士を半身丸ごと吹き飛ばせるであろう威力。正面からぶつかって相殺し続ける。
時に本人へ到達する攻撃は、打ち払い、かわし、潜り抜ける形で致命傷へ至らない。
「見れば分かるでしょう!? あれは破壊と混乱を巻き起こすだけの存在! 人々の安寧を脅かすだけで何も生み出せない悪竜ですわ!」
「分かっているわよ、それぐらいッ!」
禁呪によって形成された可変鎧を操作しながら。
少女二人は、自身の肉体を以ても攻防を繰り広げる。
カサンドラは両腕を覆うようにして流水のブレードを展開、その一閃で敵を両断せんとする。
相対するマリアンヌは徒手空拳。斬撃を拳で砕き、そのまま踏み込んで間合いをゼロにした。
「分かっていませんわ! あんな単調な攻撃しかできないやつ、七日どころか七年あっても世界を作れませんわよ!」
「そんなの、
「ならば一生マイクラでもやってなさい!」
ゼロ距離。コンパクトに叩きつけられた肘が、カサンドラの腹部にめり込む。
「ぎ。ぃっ」
酸素が零れる無様な音。
だがカサンドラの瞳から光は消えていない。
そこで気づく──マリアンヌめがけて狙いを定めているような視線。
咄嗟に首を振ると同時、カサンドラががばりと口を開けた。口内に仕込まれていた禍浪の水滴が弾丸として放たれる。紙一重での回避。マリアンヌの頬がぱかりと裂けて、血が滴った。
「うわっ汚っ」
「……ッ! これにも対応できるの!?」
「あ、いえ、カサンドラさんのって考えると価値あるな……結構高値で売れそうですわね! あと美少女の唾液、一回浴びてみたかったんですわよね。すみませんもう一回お願いします!」
「!? き、気持ち悪いわ貴女……!」
カサンドラが後ろへ飛び退く。
間合いを取り直しながら次々に砲撃を浴びせるが、その弾幕をマリアンヌはすり抜けるようにして突破。
「そんな甘えた引き撃ちなんて!」
右腕を振りかぶる。パワーを溜めこみ、拳としてではなく砲撃として放つ。
カサンドラは前面にヴェールを集中させガードする──が。
「ぐ…………ッ!?」
バン! という大きな破裂音が響いた。
ヴェールが粉砕される、コンマ数秒の判断でカサンドラが飛び退く。着弾した地点が抉り取られ、雷雨の中に破壊された大地が飛び散った。
「もう一度聞きますわよ、カサンドラさん! 本気で、アナタは本気で世界を作りかえるつもりですか!?」
「──ええ、ええ! だって新たなる世界には、
「よくぞ言ってくれましたわ!」
戦闘は長引いている。
夜闇の中の奇襲で始まった電撃作戦でありながら、既に数時間が経過している。
それだけの時間を全力戦闘し続けているのに、マリアンヌの気迫は増すばかりだった。
「ならばこの戦! わたくしとアナタの、信念のぶつかり合いですわ! 世界を変えたいアナタと、世界を変えるとかいういかにも悪役っぽいこと言っているのが気に入らないわたくし! どちらが正しいのか白黒つけましょうッ!」
「本当にその着眼点で戦うつもりなの……!?」
二人の視界の隅では、ジークフリートが空中のファフニールに対して攻撃を仕掛けている。
飛翔する斬撃を回避し、邪竜が地面をブレスで舐めた。だが騎士は、そのまっただ中にあっても傷一つ付かない。
「だけど、どんな理由であっても!
「……ああ。おっしゃっていましたものね。何かを犠牲にしてでも強くなると」
雷が鳴り響く。
後方の乱戦はどうなっているのか、見当もつかない。
ただ一つ分かるのは、自分が倒すべき相手は、目の前にいるということだけ。
だからマリアンヌは腕を組み、雨に打たれながらも優雅に黒髪をかき上げて。
「心意気は否定しませんわ──ですが! その程度の強さでは、今まで犠牲にしたものが泣いてますわねぇ!?」
「────────」
バチンと、視界が白く灼かれるような感覚がした。
カサンドラがゆっくりと表情を変える。唇を震わせ、大海のような両眼に昏い炎を宿す。
「あな、た。貴女それは、その言葉は……!」
「はい?」
「それだけは……それだけは、看過できないッ!」
「あれ? なんかめっちゃ効いてる……」
「貴女って人は────ッ!!」
ぶわりと水のヴェールが膨れ上がった。
マリアンヌの背筋を悪寒が走る。
「
「ぐぎぁっ!?」
反応が間に合わなかった。
視界を埋めるような、土砂降りの豪雨。
それらがマリアンヌの至近距離で突如刃となり、右肩を切りつけてきたのだ。
鮮血の鎧を掻い潜ったそれが肩を深く抉る。傷口を手で押さえ、マリアンヌは慌てて全方向に防御を展開した。
「貴女のその鎧は、わたくしと違って可変できるだけ! 無形性はない! だから鎧に隙間があるわよね!」
「なんですのォォッ今のクソ発生クソ判定技! ナーフしなさい! こんなのがまかり通るなんて許されませんわよ!」
二人は血を流し、傷つきながらも、何度でも攻撃を繰り出す。
今までもそうだった。
マリアンヌ・ピースラウンドは。
カサンドラ・ゼム・アルカディウスは。
何度だって立ち上がってきた。
けれど──その内実は余りにも違う。
心が折れそうなとき。
マリアンヌは、折れてしまった。折れた後に、仲間に支えられて、立ち上がれた。
カサンドラは、折れなかった。折れることすら、許されなくて、一人で立ち続けた。
絶望してもまた立ち上がれた少女と。
絶望しているのに立ち上がり続けてしまった少女。
「わたくしが持っていないもの、全部を持っているというのに──!」
「
距離が爆発的になくなる。
互いに踏み込み、拳と手刀を繰り出す。
剣戟じみた音を奏でながら、戦闘が結末へと加速していった。
「本当にやれるのよね!?」
「やるしかねえだろうがッ!」
一方、マリアンヌとジークフリートが戦闘している後方。
不死の兵士に攻め込まれている本陣では、ユートが十三節詠唱の力を必死に練り上げていた。
「ロイ君! 私の作戦が上手くいっても、多分なんですけど……あの隊長格の人は、対応してきます! その場合に動けるのはロイ君だけです!」
「ああ、分かってるさ」
ユートとリンディは本陣の高台にて、二人の間に佇むユイから同時に加護を受けていた。
二重スレスレの加護。今耐えられる限界の助力を受けて、ユートが禁呪を展開する。
「ハインツァラトス君! 今だ!」
防衛戦を形成していた騎士たち。
彼らが息を揃えて、一気に後退する。
交戦していた敵兵たちが数秒硬直した。背を向けて逃走されて、目を丸くしている。
「……! いかん、防御、いや撤退しろ!」
「いけよォッ、『
敵隊長が慌てて指示を飛ばすが、遅い。
ユートを起点として焔の波が吹き荒れた。騎士たちが退避するのと入れ替わりに戦場を根こそぎ薙ぎ払い、敵兵がマグマに飲まれていく。
「ヒ、ィァアアッ!?」
「熱い、あ、うあ、脚、溶けて……!?」
「狼狽えるなッ! 我々は不死身だ、すぐに再生する!」
数秒で一帯が地獄と化した。
そして、それだけじゃない。
「リンディさん!」
「
六節回復魔法『癒憩昇華』発動──!
加護の助力を受けて、リンディが
マグマの中で呻く兵士たちの、溶かされている脚部が再生する。
だが再生したところでマグマの中だ。
「ひがっ、あ、あああああっ!?」
「なんで、再生がおそく……!? い、うあっ、あああ、あし、あしが……!」
再生サイクルの発動を待てば、ファフニールの理ありきで敵兵は動いてくるだろう。
だがそうはさせない。リンディの回復の方が早い。
大邪竜の加護には劣る。劣るからこそ、痛みは消えないし、中途半端な再生が痛みを継続させる。
「……気分悪いわ。二度とやりたくない」
「同感だな」
二人は天使と悪魔役を続けながら、吐き気をこらえていた。
発案者であるユイは、申し訳なさそうに縮こまっている。
「その、ごめんなさい。嫌な役を」
「いやいい、いいぜ。仕方ねえよ」
周囲に集まってきた騎士も、先ほどまで刃を交わしていた相手が悶え苦しんでいるのを、直視しがたい様子だった。
けれど──その地獄を、真っ向から破る人影が一つ。
「学生相手と舐めてかかったのが運の尽きだったか! しかし君たちを倒せば問題はない!」
敵の隊長格。
両足を自分で切り落として、ファフニールによって再生させることで、無限地獄に飲まれるのを回避していた。
「ロイ君! 魔法発動は……!」
「もう一発だけなら、気合いでなんとかしてみせるさ!」
ユートたちめがけて猛進してくる『ラオコーン』隊長の目の前に。
マントをなびかせ割って入るのは、ロイ・ミリオンアーク。
「ロイ君、やっちゃえェッ!」
「ミリオンアーク、思いっきりぶちかましなさい!」
「仕方ねーから譲ってやるよ! 決めろよ!」
応援を背に受けて、貴公子が剣を構えた。
正眼に構えて息を深く吐く。
「
詠唱が紡がれる。
八節に及ぶ雷撃魔法『灼天迅雷』の、改変無しの詠唱。
「
全身を循環する魔力が乱れ、激痛が走る。
それでも。
「
今ここで何もできなければ、意味なんてないから。
「どけぇっ!」
(剣術では互角、あるいは不利。だけど──!)
間合いが刹那で詰まる。
互いの距離を、静かに、ロイは把握していた。
(この一度きりでいい。頼む。僕は……僕は彼女のために、諦めるわけにはいかないんだ!)
世界がスローモーションになる。
迫り来る刃を視認する。
「
刹那の抜剣。
稲妻のように走り出し、ロイが、敵隊長と交錯──
「────
しなかった。
「なんとォッ!?」
直前で姿がかき消えた。
だがいる。敵をぐるりと囲むように、複数人のロイがいる。
あらゆる方向から刺突、斬撃が繰り出された。半数近くを撃ち落とす代わりに、半数が身体をズタズタに引き裂いた。
それは超高速の連撃を、超高速で相手の周りを一周しながら放つ高速技巧。
雷撃魔法による加速を爆発的に高め、数度の斬り込みを行うロイのテクニック。だがそれは今は、平時の数倍近いスピードによって残像を形成するに至った。
最後に正面へ戻ってきたロイが隊長をマグマの海へと蹴り飛ばす。
「これほど、とは……! 御美事だ……!」
「…………」
「カサンドラ様、申し訳ありません……!」
赤く光る海に沈んでいき、隊長が悔しそうに呻く。
その光景に、ロイは目を伏せ、それからがくんと崩れ落ちた。
「ミリオンアーク!」
リンディが即座にロイも回復対象に含めた。
だが痛みにえずきつつも、彼は顔を上げて、戦場の奥を見据える。
「マリアンヌ……どうなってるんだ……!?」
ユートたちが敵兵を一網打尽にし。
最奥部でマリアンヌとジークフリートが奮戦する中。
「……カサンドラ様たちは、無事でしょうか」
「分からん。我々は、ここを守護するだけだ」
戦場から少し離れた山の中に、『ラオコーン』の別働隊の姿があった。
彼らが守っているのは、紫色に輝く魔法陣。
常に魔力を大地から吸い上げ、作動し続けている。
「おーっ、おいおい。マジでやっと見つけたわ」
「!?」
その時、戦場に似つかわしくない軽薄な声が響いた。
慌てて兵士たちが剣を構える。がさがさと草むらをかき分ける音。
「いやあ、それ、上位存在を固定する術式だろ? 例の、特級選抜試合の時にもあったって聞いたんだわ」
姿を現わしたのは、灰色の長髪を一つに束ねた、長身痩躯の男。
「で、それを踏まえて今回のコレだ……順当に考えりゃ分かるだろ、前回のアレは試金石だったってことだ。ならどうするかって、戦場から少し離れたところに置く。誰だってそうする」
「きっ、貴様何者だ!?」
「ん? 観光客」
ルーガー・ミストルティン。
マリアンヌが格闘術の師と勝手に仰ぐ、対人格闘戦最強の男。
彼は兵士たちの前でおどけたように両手を挙げる。
「そいつがファフニールを固定してたんだろ? まあアレだ……話を聞いちまったっていうか。抜け目ねえよな、あのジークフリートって騎士。俺のこと把握して、もし良かったら協力してくれないかって言われてさあ。で、見つけちまった。降伏してくれると楽なんだけど?」
「巫山戯るな!」
ぺらぺらと長台詞を喋りながらも、ルーガーの視線は魔法陣の仕組みを見て取った。
(なるほどな。魔力を持ってたら近づくだけで呑まれちまうってわけか)
「貴様がいかに優れた魔法使いであろうとも、これは破壊できんぞ!」
「ん、まあ……あー……ご愁傷様。アンタら、マジで運が悪すぎだろ」
一瞬だった。
剣を構えていた三人が、同時に地面にひっくり返った。
刹那の脚さばきで距離を詰めたルーガーの掌打は計三発。一人一発で、キレイに意識を刈り取っている。
「そらよっと」
そのまま地面を思い切り蹴りつけた。
震脚──魔法陣が刻まれた大地がビシリと割れ、循環していた魔力が柱となって吹き上がる。
「おーおー……凄え光景だな……」
上位存在の固定に必要だったエネルギーが無秩序に天を衝き、雨雲を散らしていく。
それを見上げながら、ルーガーは胸元から煙草を取り出すと口にくわえた。
間欠泉のように噴き出す魔力に、上体をかがめるようにして煙草を突き出す。ジュッと先端数センチが消し飛び、残った部分が赤く火を灯していた。
紫煙を吐き出して、ルーガーは爆心地と化している戦場に振り向く。
「さて、俺はお役御免だ……後はお前の仕事だぜ、マリアンヌ」
固定術式の破壊は、しかしファフニールの存在に一切の影響を与えていなかった。
『フン、破壊しようとも今更だ! 我の完全な顕現は既に成立した!』
空中を飛び回りながら、ファフニールが嘲るように声を上げる。
術式の破壊をジークフリートも感覚的に察知していた。同じ系統の存在であるためか、奇妙なリンクが繋がっている。だから既にファフニールの存在自体に影響はないとも理解出来た。
だがジークフリートは不敵な笑みを浮かべていた。
「いいや……意味はある。顕現した貴様は、自分自身で、自分の存在を固定できている」
『そうだ。その通りだ。故に無敵となった!』
「違うな。ならば固定術式なんて破棄すれば良かった。維持していたのは保険のためだろう? だがそれを失った以上、貴様の存在を担保できるのは貴様だけだ! 『倒せば、倒せる』! オレたちと同じ領域に落としたぞ!」
『できるものならなあッ!』
人類が畏れる超越存在の結晶体。
火を吐く竜という、穏やかな暮らしを編む人々に対する絶対的虐殺権能の行使。
『いい加減、根こそぎ消えてなくなれ────!』
(最大火力が来る!)
ジークフリートは巻き込まれる味方がいないか、周囲を即座に確認し。
「は、ぁっ……?」
いた。
ユイ、ロイ、ユート、リンディがいるのを見た。
(まさか────戦闘を続けている間に、本陣近くまで来ていたのか!?)
戦闘の余波だけで人間を轢殺して余りある、絶戦。
絶対に巻き込んではいけない学生たちが、間近にいた。
「ジークフリート殿……!」
「全員退避しろ!」
ロイが加勢しようとする瞬間に、騎士が制止した。
「最大火力が来る! 下がれ!」
「……下がれって、お前」
「本当に死ぬぞ! 学生を下がらせろッ!」
副隊長に対してジークフリートが叫ぶ。
当然の選択だった。騎士として、大人として。
けれど。
「うるっせー!! 黙ってろッ!」
「……ッ!?」
ビリビリと空間を震わせる大声。
それを上げたのは──ユートだった。
彼は両眼から焔を噴き上げて、隣のユイに顔を向ける。
「ユイ! まだ加護のストックはあるか!? 一瞬で良い!」
「……ッ! 分かりました! 彼の者に、『祝福』を!」
加護を受けてユートが右手から焔を噴き上げた。
だが生み出された莫大な出力は、普段通りのユートが制御せねばならない。
「ユート! 何を……!?」
「俺の
剣が膨れ上がっていく。
大地そのものを両断するほどに、大きく、天すら衝かんとそびえ立つ。
「俺だけ何もできない、しないなんて!」
走りながら、彼は剣を振り上げた。
降り注ぐ雨が、火柱の通過したところだけ蒸発していく。
「そんなの我慢できるかああああああッ!!」
カサンドラが禍浪を自在に変形させるのと比べれば、余りに不格好。
剣というよりは、威力の放出が辛うじて指向性を持ち、結果として剣のように見えているだけだ。
それでも。
ユートという不器用な男が作るなら、これ以上の剣はない。
「『
禁呪によって形成された剣を、ユートは──投げた。
「ジークフリート! これを使えェッ!」
「次は事前に言ってからやってくれるか!?」
慌てて騎士が大剣を放り捨てて、飛翔してきた剣の持ち手を掴む。
「むぅっ……!」
流石に無理があったらしく、ジークフリートが加護を両手に集中させる。
それでもあと数秒保つかどうかだ。
数秒──彼にとっては十分すぎる。
紅髪の騎士が、その剣を振り上げる。視線の先では、天に翼を広げる巨大な邪竜がいた。
『何だそれは!? 何故、禁呪保有者と貴様が手を組んでいるッ!?』
「無論────
全開出力のドラゴンブレスが吐き出される。
一帯を焼き尽くしてもなお有り余るであろう、絶死の広範囲攻撃。
ざんッ、と。
ブレスが、真っ二つに切り裂かれた。
ジークフリートが放った斬撃。
巨大、長大、そんな言葉でも足りない焔の剣が、今度こそファフニールを切り裂いた。
『────く、ぉっ』
刹那の斬撃が、曇天に斬撃痕を刻んだ。ばかりと切り裂かれた雲の隙間に星々が煌めく。
浮力を失ったように、巨躯が落下を始めた。
そのまま邪竜が地面に墜落する。
大地が揺れた。ジークフリートたちが思わずよろけるほどに、地面が大きく揺れた。
『ばかな』
力ない声。
見れば砂煙の向こう側で、ファフニールが横たわっている。
身体を深く、深くすぱりと切り裂かれた邪竜は──再生が、始まらない。
ジークフリートは自分によく馴染んだ、ファフニールの支配法則の感覚が薄れていくのを感じた。
「……貴様の再生能力にも、限界があったということだな」
『あり、えない……完全顕現を果たした我が……死ぬ、とでも……!?』
「ああ、死ぬ。オレが殺す」
焔の剣がかき消える。
ユートは視界が揺らぎ、その場に蹲った。まずい、と頭では分かっていた。ジークフリートへの加勢のため、『灼焔』の制御が緩んだ。
すぐにでも、後方から敵兵たちがマグマの地獄を脱出して、駆けつけてくる。
だが────大勢は決していた。
「忘れたか、大邪竜ファフニール。貴様も、オレのことをそう認識していたはずだろうに」
『ありえない、ありえない……ッ! 我を、完全なる上位存在を打倒するなど……!?』
「できるさ。オレは──『竜殺し』なのだから」
ゆっくりと近づいていく。
ファフニールの身体が切り裂かれ、そこに光がたまっていた。
目を凝らせば……中心に、発光する球体があった。
「そうか。完全顕現した以上……存在の
コアを破壊すれば、ファフニールは完全に稼働を停止するだろう。
だが足音が響いた。
振り向けば、ロイたちの更に後方。草木をかき分けて、『ラオコーン』の兵士たちが追いついてきている。
「馬鹿な! ファフニールが……!?」
「もうよせ!」
狼狽する兵士たちを見渡し、ジークフリートは元の大剣を拾い上げて一喝する。
「不死の理は破られた! これ以上は本当に巻き戻せない死だ! 投降しろ……!」
『……ッ』
前に進み出るジークフリートと、中隊騎士たち。
敵兵たちとにらみ合う彼らの背中を見ながら、リンディはユートの隣に座り込んだ。
「…………勝った、のよね」
「ああ、大体、終わったはずだ……」
深く息を吐く。
そして気づいた。
恐らくロイとユイは、最初から気づいていた。
────つくべき決着はもう一つある。
爆砕音が響き渡った。
全員、弾かれたように音の発生方向を見る。
音は断続的に響き、段々と近づいてきていた。そして最後には。
「どぅおおおおおああああああああああああッ!!」
「つああああああああああああああああああッ!!」
黒髪と銀髪がまぜこぜになって飛び出した。
超至近距離で攻撃を打ち込み合いなら、マリアンヌとカサンドラもまた、本陣近くまで転がり込んできたのだ。
「こぶっ……」
「ぎ、いっ」
身体が弾き合い、二人が反対方向へ吹き飛んでいく。
べしゃりと地面に落ち、数メートル近く転がってからやっと止まった。
お互いの禁呪がかき消えていく。
マリアンヌの体内に血液が巻き戻し再生のように吸い込まれ、腹部からこぷと血が流れ出した。
「…………ッ」
静謐。
駆け寄ろうとする者もいた。だが雨音だけが響き、倒れ伏す二人の令嬢の呼吸音すら聞こえない。
にじむ視界の中で。
確かにジークフリートは──カサンドラが、ゆっくりと立ち上がるのを見た。
「はぁっ、はぁっ、はっ……はぁっ」
荒く息を吐き、激痛に顔をしかめながら。
それでも悪逆令嬢が立ち上がり、目の前で倒れ伏している少女を見やった。
「もう、立ち上がらないで……」
心の底からの言葉だった。
幾度も攻防を繰り返し、並の相手なら十回殺害できるダメージを与え合い、それでも戦いは続いている。
いい加減に終わってくれと願うカサンドラの前で。
「ぐ、えっ……ふぅーっ……」
呻きながら。
雨に打たれながら。
悪役令嬢が、腹部を押さえて立ち上がる。
「全然………全ッ然、効いてませんわァ……!」
効いている!
超効いている!
「さあカサンドラさん……! いよいよフィナーレですわねぇ……ッ!」
「貴女、は! 貴女はどうして……ッ!」
騎士たち、憲兵たち、友人たちが息を呑んで見守る中。
二人の令嬢が、視線を重ねた。
あーもう今回は完全に無理だ。
痛くないところがないし禁呪解除されちゃったから出血エグいし。いやこれ自分で腹切っただけか。
〇トンボハンター ん!? ファフニールが再生してない……!?
〇無敵 え? ああ再生限界になったのかな
〇つっきー あるんだ、限界
〇無敵 普通はないけどまあジークフリートさん相手だからな
〇外から来ました やけに冷静だと思ったけどお前もしかして『推しがかっこいいからいいや』みたいに投げやりになってない?
〇無敵 ヘヘッ
意識が混濁する中でも、なんとか立ち上がる。
流石にもう帰りたい。
「カサンドラ! 脚本変更だ! ファフニールがやられた、
いやマジ、もー今回ばっかりは頑張った。
頑張りすぎたかもしれない。
だから、あとひと踏ん張りだ。
「アナタを、倒す!」
天を指さして叫んだ。
「アナタは間違っていると証明する! アナタはわたくし以下なのだと思い知らせる!」
「……ッ。いいえ。勝つのは
カチリと、お互いの戦闘用思考回路が起動する音。
同時に飛び退き、即座に詠唱をスタートさせた。
────
────
────
────
選択するのは当然十三節。
今の自分にできること、全部やんなきゃ、勝てない。
────
────
────
────
向こうも当然
そうこなくっちゃなあ。
全力のアナタを越えなきゃ意味ないからなあ!
────
────
お互いしか見えない。
お互いの詠唱と息遣いしか聞こえない。
「
「
だから。
このラストアタックで、勝負だ。
当然それを、周囲が黙って見るわけがない。
「いかん! お守りしろ!」
憲兵たちがマリアンヌの進路に割って入ろうとするのを見た。
ロイ・ミリオンアークがその光景を見た。
カチリと。
彼の頭の中で、スイッチが切り替わる。
(ふざけるな)
そこは彼女の舞台だ。
そこは彼女の進む道だ。
そこは──彼女が切り裂く
【新規接続者を確認】
【主権者からの認可を待機……エラー。処理の不具合を確認】
【必要条件の確認に失敗。緊急性の確認に失敗。擬似認可を不許可】
誰にも踏み入れない領域だ。
誰にも穢させはしない彼女だけの場所だ。
【新規接続者を確認】
【主権者からの認可を待機……エラー。処理の不具合を確認】
【必要条件の確認に失敗。緊急性の確認に失敗。擬似認可を不許可】
冗談じゃない。
それは、それだけは絶対にさせない。
それだけは。
彼女の進む道に彼女以外に立っていいのは──
【新規接続者を確認】
【主権者からの認可を待機……エラー。処理の不具合を確認】
【必要条件の確認に失敗。緊急性の確認に失敗。擬似認可を不許可】
『ロイ! ご覧なさい!』
『えぇ……何がだよ……』
『あれですわ! あれ!』
『いやアレって、その……宙を裂く星のこと、かな?』
『流れ星ですわよ、な・が・れ・ぼ・し!』
『ああ、そういう呼び方もあるんだね。あの光は……一瞬だろう? 刹那に消えてしまう光に過ぎないじゃないかな』
『んもう! ロマンの足りない男ですわね、なんとつまらないのでしょう!』
『な、な……ッ!? 君なあ! ぼくはお父様の言いつけで君についてきただけなんだ! 天星学なんて不要だろう!』
『いいえ!』
『あの流星のように、わたくしは輝いてみせますわ!』
『アナタが見て驚くような……誰もが目が離せなくなるような』
『そんな流星に、いつか────!!』
美しいと思った。
その願いを、叶えて欲しいと思った。
だから邪魔させない。
彼女の進む道を、邪魔なんてさせない。
【新規接続者を確認】
【主権者からの認可を待機……エラー。処理の不具合を確認】
【必要条件の確認に失敗。緊急性の確認に失敗】
【擬似認可の許諾に必要な条件はクリアできていません】
【それでも】
【遙かな旅路の終着点に待つ光を、今でなければ意味がないというのなら】
【あなたへの祝福と、
【限定的擬似認可を許諾】
【第六天との限定接続安定化を確認】
【迎撃権限を一部譲渡】
【術式指定:『
【適切な処置を行い、対象の未確認プログラムを排除せよ】
【────汝、
「マリアンヌが進む邪魔をするなァァァ────ッ!!」
無数の雷撃が戦場を塗りつぶした。
わたくしとカサンドラさんを囲むようにして、
「な、ァッ……!?」
精密性、威力、全て絶大。
こちらに駆けつけようとした敵兵たちが雷撃に絡め取られ、吹き飛ばされていく。
「ナイスな援護ですわ!」
笑みを浮かべて婚約者を見る。
彼は──何か、呆然としていた。
あ? どうしたんだ? ん? っていうかこんな魔法使えたっけお前?
〇雷おじさん えっ!?
〇日本代表 誰が出て来ていいつったよオラァ!今忙しいんだからすっこんでろ!
〇雷おじさん いやちがっ……誰かがワシの本体にアクセスしておるんです!?
〇日本代表 ………………は?
〇雷おじさん ただ部分的というか。引きずり下ろされる感じではないんですが、力を引き出されていてですね……
え……マジで何? ロイ何してんのこいつ。
「どうしてよ……! どうして貴女の進む道は、誰にも邪魔されないのよ!?」
悲痛な声が聞こえて、顔を前に戻す。
カサンドラさんが泣きそうな表情で、禍浪を展開していた。
フン、わたくしの進む道、か。
「邪魔なんて無数にありましたわ! それら悉くを粉砕して、突き進むこと! それこそがわたくしの令嬢道ッ!!」
「れッ……令嬢道ぉ??」
「打ち砕いて、踏みにじって! それでも止まらない、止まることなんて考えもしない!」
目を閉じれば、いくつもの光景がよぎっていく。
入学式を滅茶苦茶にして。
御前試合で聖女をぶん殴って。
特級選抜試合の会場を半壊させて。
そして今、臨海学校で、地形を変えている。
…………………………思い出さない方が良かったなこれ。ま、まあいいや。
開眼。
正面にカサンドラさんを見据えて、わたくしは腹の底から叫ぶ。
「あの時の問いに答えましょう、カサンドラさん!」
「……ッ!」
「わたくしも沢山の犠牲を払って来ました! そしてこれから先もきっと犠牲を払うのでしょう! だけどッ! 犠牲なんて名前で呼びたくない! それら全部を飲み干して、糧にしていく!」
「そんな、強者の理論……!」
「仕方ないでしょう、だってわたくし強者ですもの!」
カサンドラさんが言葉を失い、ぽかんと口を開けた。
今だ。詠唱スタート。
「
〇火星 せ、セコっ……
うるせえよ。
スタートするは、十三節ツッパリフォームと並行して起動できる限界の六節詠唱。
腹部から垂れる血が、そのまま右腕に纏わり付く。
「
単なる六節ではない。
ツッパリフォームと噛み合わせて相互に増幅し合う、今のわたくしに放てる全部!
「──
右手を弓矢のように引き絞った。
後はただ、放てばいい。
向こうも右手に慌てて禍浪を展開、螺旋として巻き付けた。
さあ。
同時に飛び込む。
視線を重ねたまま、思いっきり、右ストレートを撃ち込む!
「必殺・悪役令嬢ロケットドリルパァァ──────ンチッッ!!」
「
激突の余波が天を衝いた。
雲が砕けて、空すら貫き、力場が空間そのものをねじ曲げる。
真上の天空が奇妙に歪んだ。世界そのものがひずんでいく。
互いに砕き合う。
同じ禁呪同士で貫いて、穿ち、破壊する。
結果として空中を流星と禍浪の欠片が舞う。ダイヤモンドダストのように輝きながら飛び散っていく。
「ハァアアアアアアアアアアアアアッ!!」
「ツッゥアアアアアアアアアアアアア!!」
拮抗が続く。
カサンドラさんのドリルパンチとわたくしのドリルパンチが、削り合う。
削られた破片が周囲にぶちまけられていた。
光っている。
雷に照らされ、空中で水滴一粒一粒が輝いている。
まるで流星のようだった。
漆黒の夜空を引き裂く、幾筋もの流れ星たち。
……実質流星なんじゃないのかこれ。
普通に考えて流星だと思う。最早そうとしか見えないな。
いやもういい──お前も
〇無敵 なんて??
〇宇宙の起源 なんて??
〇日本代表 なんて??
バキンと、互いの攻撃が砕け散った。
コンマ数秒をおいて、その破片が再結集する。
「ぇ?」
カサンドラさんが、自分の元に戻ってこない禍浪に、呆然とした声を上げた。
流星も禍浪も、まとめて巻き付ける。左手を二色の輝きが包む。
〇日本代表 待って待って待って待って
〇鷲アンチ こいつ、禁呪を禁呪で上書きしやがった!?
左手に再結集した二つの禁呪。
二つ? いいや違う! もうこれは
「超必殺・悪役令嬢パンチ──レフティィイイイイイイイイッ!!」
最速の二段構え。そういやわたくし左利きだったわ。
狙い過たず。
レフティパンチがカサンドラさんの腹部に直撃し、一瞬遅れて破壊音を轟かせる。
吹き飛ばされた彼女の身体が、地面をごろごろと転がっていく。十数メートル転がって、最後に止まる。
動かない。禍浪の水流が力を失い、ただの水となって、ぱちゃんと落ちた。
「わた、くしの」
呼吸が上手くできない。
それでも、右手を天にかざす。歪んだままのソラを指さす。
「わたっ、くしのっ……勝ちです、わァァッ……!」
ぶつんと視界が切れて、気づいたら天を仰いでいた。
あ……これ倒れてる?
「気がついたか」
ひょこっと視界に入ってきたのは、鎧がボロボロになって、けどなんだかんだで途中から無傷のまま勝ったジークフリートさん。
顔はモロに疲弊していた。疲れ切っている。恐らくあのワケ分からんモードが解除されているのだろう。
「まったく、アナタも、無理しましたわね……」
「……ふっ。君のおかげで、無茶ができたんだ……」
気合いを入れて立ち上がる。
切腹した傷が塞がっていた。治療魔法をかけられていたようだ。
おなかもなんかたぷたぷするし、これポーションガブ飲みさせられたな。
「……一件落着、ですわね」
周囲を見渡す。
拘束されたカサンドラさんと、再生せず呻いているファフニールの姿があった。
勝った。
……じんわりと、染みるように実感が湧いた。
「ああ。君のおかげだ」
「謙虚が過ぎますわ。邪竜を倒したのはアナタでしょうに」
「君がいなければ……オレは立ち上がれなかったよ」
「そうですか?」
「ああ。君に出会えて良かったと……心の底から、思っているよ」
ふっ、ふーーーーん?
なんかやたら顔が熱かったのでぱたぱたと手で扇いで顔を背けた。
わたくしが立ち上がっているのを見て、ユイさんたちが駆け寄ってくる。
「もう、無茶しすぎです!」
「ご心配をおかけしました。ですが勝ってきましたわよ」
みんなを笑顔を交わす。
そう、終わった。
勝ったのだ──
「カサンドラ、よくやった。よくやったよ」
声が響いた。
見れば、拘束されているカサンドラさんの隣に、少年が立っていた。
〇第三の性別 ……そういやお前だけ残ってたっけな。
〇脚本家 ああ。戦闘には参加できなかったけどな
〇日本代表 大人しく降参してくれない?色々と聞きたいこともあるし
コメント欄でも既に、彼にできることはないと断言されていた。
「残念でしたわね。アナタのクソ脚本は終わりですわ」
「うん……確かに、カサンドラとお前が戦うように、僕がシナリオを書いた。だけどそれは、カサンドラがお前を倒すお膳立てじゃない。二人が戦うことそれ自体に意味があったんだ」
あ?
少年相手に騎士たちが警戒する中、彼は一瞬でカサンドラの拘束を解く。
彼女は立ち上がると、痛みに顔をしかめながらも彼に問う。
「……共犯者さん、目的は達成できたかしら」
「バッチリだ」
おかしい。
なんだこれ。負けた空気じゃない。
だって──勝った後の空気出してやがる。
「ファフニール」
『……そうか。そういうことか』
少年が声をかけた先。
それを見て、わたくしは言葉を失った。
ファフニールのコアが、解けていく。光の粒子に分解されていく。
〇無敵 ……ッ!? なんでコアが自壊してるんだ!?
『ワームホールの発生と、我のコア……貴様! 愚かな真似をしたな!』
「好きに言ってくれ。もう終わりは始まったんだ」
『諦めん、諦めんぞ……!』
呆気にとられているわたくしたちの前で。
ファフニールの存在が分解されていく。巨躯も光に解けていく。
『諦める、ものか……! 我はゼールと共に、この世界を支配する……! そして、そして……ッ!』
そしてそれらが、天に昇っていく。
わたくしとカサンドラさんの最後の一撃で、奇妙に歪んだままの空に、吸い込まれていく。
『最初から、誰も善など信じなければいいのだ……! 悪こそ全てだという新たなる倫理を、遍く敷く! そして……!』
もうコアの9割が分解されていた。
覆せない敗死を前にしてもなお、邪竜は変わらぬ憎悪の声を上げる。
『もう二度と──あんな…………あんな女と、出会わずに……』
それが最後の言葉だった。
ファフニールのコアが粒子へと分解され、天空のワームホールへ吸い込まれていく。
わたくしたちはただ、その光景を見ていることしかできなかった。
「……許してくれ、ファフニール。あんたに信念があったことは、ちゃんと分かってるつもりだ。最初の願いを忘れた醜い妄念に成り果てても……根源は、確かな祈りだった……」
少年は数秒目をつむった。耐えがたいと言わんばかりの、泣きそうな表情だった。
何だよ。
何をするっていうんだよ、こんな。
「アナタ、は! アナタは一体、何を……!」
「僕に方法を教えたのは、ファフニールだ。上位存在の召喚術式を教えられた。それを使って自分を呼び出せと。だけど……それ以上の知識まで与えられていた。本当に呼びたかったのは、そっちだ」
彼は天を見上げた。
雷雨の向こう側で、虚空へと続く洞穴がぽっかりと開いている。奥底など到底見えない。
〇宇宙の起源 あっ
〇101日目のワニ え、何? 何?
「条件は二つ。一つは、ファフニールの完全顕現。これはファフニールの力を最大限に発揮するためではなく、完全顕現しなきゃコアがこっちの世界に来ないからだった」
少年が滔々と語る。
勝利宣言と言うには、余りにも無機質な声だった。
「もう一つはワームホールの顕現。現世とも、地獄とも異なる位相……『エテメンアンキ』へ続く道。かつて
思わず自分の右手を見た。
先ほどカサンドラさんを打倒したこの拳。だが、それすらも脚本上に書かれた、一つのイベントに過ぎないのだとしたら。
〇宇宙の起源 これまずいねまずいよまずいよこれやばいよこれ、おい担当者感じてるだろ!?
〇外から来ました ……アクセスされてる…………
「さあ来るぞ──
少年が叫ぶと同時だった。
ワームホールから一筋の光が迸った。
雷が地面へ落ちるようにして、極光の柱が立つ。それ自体が門なのだと遅れて気づいた。
柱の中から、のそりと、人のような形の巨像が現れた。
表面がぶよぶよと蠢いている。感覚器官らしきものはない。
下半身から先は全部、成形するまえの粘土のように、緩やかに蠢動している。
上体から伸びた腕は地面に届くほど、アンバランスに長い。
子供がふざけて作った怪物、みたいだった。
『ちつじょを、はかいすべきちつじょを、せかいを、まだおわらぬせかいをかくにんした』
声が響く。周囲から苦悶の声が上がった。
神聖言語。聞いただけで人間の脳に凄まじい負荷をかける異界の言葉。
『みらいをまぜろ。すじがきをはたんさせよ──そのためにこそ、私は存在する』
それが途切れ、突如として発声を聞き取れるようになる。
スイッチを切り替えられた。
こちらの世界に、瞬時に適応された。
「コアを材料として召喚した。これが本当の切り札だ。お前たちの頑張りのおかげだよ……これで、僕たちはゼールを滅ぼし、この世界を破壊し尽くせる」
「何の、ために、そんな」
「知る必要があるのか? まあ……ルシファーじゃダメってだけだ。あいつは、本当に何も残さない。再建のしようがない破滅だ。こいつは、この
その名前を聞いて、奇妙に頭の奥が痛んだ。
〇みろっく 何、こいつ?
〇外から来ました お嬢その場からすぐ逃げて。そいつ、全力でこっちの神域から力引っ張ってる
〇日本代表 はあ!?
逃げる、ってそれどころじゃないだろ。
混沌がのそりと、周囲を見渡す。わたくしたちを見つける。
心臓が張り裂けそうだった。もう誰もまともに動けない状態だ。
「……そん、な」
ジークフリートさんですら、武器を構えることもできない。
ルシファーの端末が顕現した時すら、こんなにも死と絶望を実感しなかった。
もう誰もが出し尽くし、限界を超え、限界のその先すら枯れた瀬戸際。
終わりが訪れてしまった。
眼前で混沌がその腕を振り上げる。
隣のジークフリートさんが、なんとか立ち上がろうとする。
間に合わない。
ふざけるな。
こんな、こんなところで終わってたまるか。
冗談じゃない。
わたくしは、まだ、こんなところでは────ッ!!
「12番、『
漆黒の奔流が、わたくしの頭上を駆け抜け、
黒く、光を飲み込む闇。だというのにそれ自身は輝きを放っているという矛盾。
────え?
足音。
周囲の絶句する雰囲気だけが、伝わってきた。
顔を上げることすらままならないわたくしの隣に、その足音はやって来て。
「よくやった。流石は私の、自慢の娘だ」
声が聞こえた瞬間に視界がにじんだ。
「……なん、で」
「必要があった。私が死んだと、私以外のあらゆる存在が信じ込む必要があった。でなければ……この迎撃作戦を成立させることはできなかった」
ああもう、そうか、そうだよな。
当たり前だ。全然そりゃそうだ。
死ぬはず、ないよな……!
「お父様……!」
わたくしは涙を拭うことすら忘れて顔を上げ。
絶句した。
「だからマリアンヌ、感動はするな。私は今度こそ──本当に、死にに来たのだ」
いつも通りの真っ黒なスーツ。オールバックに整えられた髪。
だがその深紅眼が。見慣れた、わたくしにも受け継がれたルビーの瞳が。
昏く、見たこともない激情の色を宿して、妖しく光っていたのだ。
「お前を討ち果たすことで、私という存在は役割を終える」
彼はわたくしを一瞥もしない。
ただ通り過ぎざまに、優しく頭を一撫でして、数秒動きを止めて、それからぎこちなく離れていく。
「未来へ繋がる光は、十分すぎるほどに育った。後はただ、既に吹き払われていなくてはならないはずの闇を、今度こそ吹き払うだけだ」
違う。
待って。
待って、お父様、それは違う。
言葉が出ない。声を聞けば分かる。お父様は、わたくしにウソなんてつかない。
心の底からそうだと思ったからこそ、声に出して、宣言しているのだ。
「滅相せよ、破魔の鋼……
お父様が。
マクラーレン・ピースラウンドが、魔剣を片手に進み出る。
彼はその切っ先を、
「旧時代の異神よ──清算を始めようか」
嫌でも分かる。
わたくしたちの舞台は一つの区切りを迎えた。
ここから始まるのは別の演目。
登場人物が、主役が入れ替わり、開幕する再演。
別次元が、はじまる。