夜が明け、朝がやって来た。別に誰かが無惨な姿で見つかったりはしていない。
わたくしは割り当てられた部屋のベッドからのそのそと出ると、置かれていた水差しから冷えた水を一杯呷る。
「ふーっ……」
確か今日の昼に、上位存在に関して具体的な説明をする……と言われていた気がする。
相手を知らずに対策は立てられない。今までのケースは不幸にも出たとこ勝負ばかりだったが、あらかじめ敵のデータを知れるならそれに越したことはないのだ。
ささっと寝間着から活動用の衣服に着替え終わると、見計らったかのようにドアがノックされた。
「マリアンヌ、起きてるかい?」
「レディの朝に押しかけるなんて、婚約者とはいえ度し難いですわよ」
「君の顔を見たくて待ちきれなかったんだよ」
フン。キザったらしいこと言いやがって。
わたくしはドアに歩み寄って少し開くと、万全の準備を済ませているロイの顔を見上げた。
澄ました表情でその碧眼にわたくしを映し込んでいる。気に入らねえな。
「でもアナタ、ノックのタイミングからして、微弱な電磁波とか飛ばして部屋の中でわたくしが着替え終わるの待っていたでしょう」
「………………」
分かりやすいぐらいロイはそっぽを向いた。
お前さあ……
〇日本代表 えっ電磁波レーダーってもう取得してたっけ
〇火星 ない! 何で持ってんの? マジ無理
〇苦行むり まーたフライングゲットしてる
えっこれ何かの特殊スキルなのか?
「アナタちなみにそれ、いつ頃からできるように……?」
「でっ、できるってワケじゃないんだよ! 僕も制御あんまりできてないというか……電磁波っていうのかいこれ、周囲の状況が勝手に頭に飛び込んでくる瞬間があるというかさ……」
マジで上級スキルが暴発してる感じじゃん。
コワ~……とロイの顔を見上げる。
「あ……でもそれ制御できるようになったら教えてください」
「え?」
「電流流して部分痩せとかできそうじゃありませんか。どうせなら楽して体型維持したいですわ」
「それ以上スタイルを良くして何のつもりだい……!?」
話聞いてたか? 維持っつってんだろ維持。
男は即座にスタイルを良くするかどうかの話につなげるけど一番大変なのは現状維持なんだよ。無理して腹回り絞ったりするだけなら誰だってできる、それを定着させられるかどうかがデカいんだよ。
……いやまあ、考えてみれば前世のわたくしもこの辺は分かってはいなかったけども……!
「とにかく何の用でしょうか」
「ん、あ、ああ。僕らはちょっと前に起きたんだけど、ユートが偵察も兼ねて町に出て行っちゃってね」
「へえ。抜け駆けしに来たということですか」
「え? 起きてるかなって様子見に来ただけだけど……」
え?
ロイが困惑した様子でこちらを見ている。
おいおいおい。
「なんかわたくしが一方的に意識してたみたいになってるじゃないですか。そういうのやめてくださいます?」
「…………顔真っ赤だけど?」
うぐうううううう王子様モード入りやがった!
フッと笑みを浮かべて、彼はわたくしの頬に手を添えた。
この野郎!
わたくしはバッとのけぞりドアを思いっきり閉める。置き去りにされたロイの手が木製のドアと壁の間に挟まれ嫌な音を上げた。
「い゛っっっっっ」
「許可なく乙女の肌に触るからですわ! グーを飛ばさなかっただけ温情だと思いなさい!」
ドアを開け放ち、痛みに蹲るロイの前で仁王立ちになる。
やつは肩を震わせ、息を荒らげていた。
「くぅっ……! 久々に、マリアンヌから痛みを与えられたけど……! やっぱり"効く"なぁっ……!」
「ハーブか何かやっておられる?」
よく見たら顔を伏せてハァハァしてるだけだった。
この婚約者怖い……
屋敷に兄妹の姿は見当たらなかったので、ひとまずわたくしとロイもユートを追って町に繰り出すことにした。
昨日と同様、多くの人が行き交い、町は賑やかな様子を見せている。
異邦者であるわたくしたちなど眼中にない、と言わんばかりに先を急ぐ町民たち。彼ら彼女らにぶつからないよう、わたくしとロイは街道の隅っこをゆっくり歩いていた。
「……こんなことしてていいのかな」
「あら、散歩は不服ですか?」
並ぶ露店を流し見ながら進んでいると、隣のロイが不安そうな声を上げた。
「具体的にいつ上位存在と戦う羽目になるのか分からない以上、悠長な真似をしていると言わざるを得ないんじゃないかな」
「言わんとすることは分かります。ですが……ちょっと嫌な予感がするのです」
実際のところ。
ユートと合流しよう、と言い出したのはわたくしだった。ロイは屋敷であの兄妹を探してからで良いんじゃないかと言っていたが……
「それにしても、ユートはどこにいるのでしょう?」
「町の様子を見てくる、としか言っていなかったからね……おや」
きょろきょろと周囲を見渡していたときだった。
わたくしとロイの前を、一匹の黒猫が横切った。魔力反応がある。野良猫ではなく使い魔だ。
「あれかな?」
「恐らくそうでしょう」
尻尾をピンと伸ばしたまま、のそのそと歩いて行く猫の後を追う。
表通りから離れ、細い路地を進んでいく。ゴミなどは一片も落ちていない。手入れの行き届いた町だ。
「…………」
「ロイ?」
のほほんとそんなことを考えながら猫のケツを追っていると、ロイの顔が随分と難しいものになっていることに気づいた。
どうしたのだろうか。
「マリアンヌ。君は……この路地を見てどう思う?」
「え? キレイですわね。ゴミ一つなくて」
「そうだね。路地裏なのにまったくゴミがない。露店では食品を取り扱っているところもあった。あれだけ人が行き来していて……全部片付けられた、と考えるのは不自然じゃないか?」
「えっ……急に怖い話しないでください……」
なんで突然推理パート始まってんの?
サブクエ特有の使い捨てられる町だからオブジェクト処理が雑なだけなんじゃねえの?
〇トンボハンター それだけはない
〇日本代表 世界を運営するソフトは、お前が前いた世界を運営してたソフトとスペック的には変わりないんだよ。お前の世界って、実際に処理落ちとかあったか?
んんんおおおおおお完璧に反論されてしまった。
頭を抱えていると、前方で黒猫がぴょんぴょんと跳ねていた。
路地の向こう側から誰かが歩いてきている。
「おっ、来たか」
顔を出したのはユートだった。
黒猫がするりと滑らかな動作で彼の肩まで登っていく。
「何か分かったことはあったかい?」
「ああ。恐らくは……上位存在を呼ぼうとしてる場所だろうってとこを絞り込めた」
ユートは路地裏の上に伸びた細い空を顎で指す。
青空のラインが続く先に視線をやると、屋敷から見て真向かい、ちょうど町を挟んだ地点に山がそびえていた。
「多分あそこだろうな」
「えぇ……」
いかにもというか、なんというか。
山頂からは町並みを一望できるだろうそこは、儀式場としては正直目立ちすぎだった。
「本当ですか?」
ちょっと安直すぎるだろこれ。
疑いの眼差しを向けると、ユートは苦笑を浮かべ踵で地面を叩く。
「見えるようにしてやるよ」
──空気の色が変わった。
比喩表現じゃない。わたくしとロイ、ユートを中心に、空気がやや青みがかった色に染め上げられたのだ。
同時、全身を舐めるようにして走った、微かな魔力反応。思わず臨戦態勢を取りながら周囲を見渡す。
「これ、は……ッ!?」
「単純な索敵魔法ではありません。ユート、アナタ……魔法、ではなく、特殊な波長に調整した魔力を照射しているのですか?」
「流石だなマリアンヌ。一発で見抜かれるとは思わなかったぜ」
化学反応で色が変わる液体と同じ現象だろう。
わたくしたちが感知できていなかっただけで、既にこの町は
「要するにはだぜ。今すれ違ってる町の人たちも、既に何らかの暗示を受けてるかもしれねえ……いや、十中八九受けてるだろうな」
「いや! ……いや、いやいやちょっと待ってくれ。町一帯を何らかの魔法的効果の下に、既に取り込んでいるってことかい? だとしたらとんでもない規模だぞ!?」
「ああ、だから確かめるしかねえだろ」
黒猫を肩に乗せたまま、ユートはそそくさと歩き始める。わたくしとロイは顔を見合わせて、彼の後を追った。
路地裏を抜けて、表通りに戻る。行き来する人々の様子に不自然さはない。
いいや──しいて言うならば。
「わたくしたちを……認識できていない?」
「そういうことだな。忙しそうだから遠慮してたけどよ、肩をぶつけてみても無反応だったぜ」
街道を見渡して、ユートは頷いた。
「この町だけじゃねえ。山まで含んだ一帯そのものが、一種の実験場だと考えてみろ。上位存在が一般人にどれだけの影響を与えられるのかを見て、その後に俺たちを呼んで対抗してくるやつ相手にはどうするのかを見る。観察実験としては自然な流れだろ?」
名探偵ユートかよ。すげえな、頭が回るキャラだとは知っていたが、本当に回るじゃん。
今までこういう探索パートをロクにこなしてなかったっていうのが大きいのかもしれんが……
「……ここまで町を広げるのは大変だったろうに。それをかすめ取るとは度し難いね」
町並みを見渡してロイが言う。
「そうなのですか?」
「君は、というよりピースラウンド家は領土統治とか本当に興味がないみたいだからね……所有してる土地、屋敷があるところ以外は全部外部委託にしてるだろう?」
「屋敷以外に土地持ってたんですか!?」
「そこから!?」
知らなかった……!
なんだよやろうと思えばNAISEIできたってことかよ。
これはもう内政チートで金を稼ぎまくって、悪役令嬢として金にモノを言わせるしか……!
〇苦行むり 無理だよ
〇火星 お前にはマジで無理
ふふん。予習はばっちりですわ。
貧乏人スタートでも10連ガチャを解放してSSR美人秘書、SSR資金五億円、SSRスポーツカーで社長になれますわよ!
〇つっきー 雑なシミュレーションゲームやめろ
〇無敵
〇宇宙の起源 クソ広告コレクションは一刻も早くフォロー解除しろ
〇鷲アンチ 美人も資金も金色の馬も全部持ってんだろ起きろ
配信コメント欄はもはやわたくしのアンチスレと化していた。
こいつら……! ていうかスポーツカーと金色の馬は違くない? 互換性あんの?
歯噛みして屈辱に打ち震えていた、その時だ。
「な……ミレアおばさん!?」
ユートが素っ頓狂な声を上げた。彼の視線の先には、町の人々に交じって歩いている妙齢の女性がいた。
何だよ。新キャラ多いな。
「どなたです?」
「あ、ああ。乳母さん……で、そっちの国でも通じるか?」
「勿論ですわよ。なるほどこれは……頭の上がらない相手の予感がしますわね」
とはいえこの町を歩いている以上、魔力波の影響下にあるのだろう。
いや、冷静に考えて、ここってハインツァラトゥス王国領か。第三王子がその辺歩いてて無反応なの確かにおかしかったな。
そうのんきに考えていた時だった。
ミレアおばさん、と呼ばれた女性が、ハッとこちらを見た。
「……ゆ、ユートお坊ちゃま……どうして、ここに……!?」
驚愕の表情を浮かべるミレアさん。
だが驚いているのはこっちもだ。特にユート。
「────ユート。これは」
「待ってくれ」
わたくしの発言を制止して、彼は自分の乳母に歩み寄った。
「な、なあミレアおばさん。ここで、何してるんだよ」
「……ユートお坊ちゃま。私は……」
「なんかの用事、とかか? この辺さ、ちょっと危ないかもしんなくて……や、そのさ。早く帰った方がいいんじゃねえかな、って思うんだけど……」
「ユート」
ユートの震え声を、わたくしたちの後方にいたロイが斬り捨てた。
振り向かずとも彼が何をしているのか、わたくしには分かる。
わたくしの婚約者は抜剣し、その刃に雷撃を纏わせているだろう。
「分かるだろう? ユート」
「ま、てよ。そうとはまだ決まってない、だろ……!?」
「決まってる。他の町民と違う。足並みも違う。僕らにリアクションを示した」
背後から足音が近づき、わたくしの前に出た。
予想にたがわず、やはり彼は剣を抜き放っていた。
「影響下にいないんだ。何故か、なんて答えは一つだろう。被害者でないのなら、加害者しかあり得ない」
「……ッ」
ロイが切っ先を突き付けると同時だった。
ミレアさんは踵を返すと、全力で逃走を開始した。
「待ってくれミレアおばさんッ!」
その背中を追ってユートが走り出そうする。
……リアクションからして接触は想定外。あるいはそもそも、わたくしたちがここにいること自体、異常事態。
もしも。
もしも、あの兄妹の話を信じるのなら。
「落ち着きなさいユートッ!」
「ぐべらっ」
勝手に突っ走ろうとした駄犬の襟元を思いっきり引っ張る。
加速に急ブレーキがかかり、タッパのある王子は真後ろにひっくり返った。
「このタイミングで分断されるなんて愚の骨頂ですわ! みすみす戦術的ディスアドバンテージを稼ぐなんてありえませんッ!」
「……ッ!」
至近距離で怒鳴りつけると、ユートは目を見開き、呼吸を数秒止めた。
「……だけど、マリアンヌ。ミレアおばさんが……」
「うっさいですわね! 一人で追いかけたら何が解決するのですか!」
まだごねるんならさすがにシバくぞ。
「本当にあの人を信じたいのなら! それはおとなしく向こうの手中に落ちることで証明するべきではありませんッ! 今すぐ屋敷に戻ります、事態を伝えなければ……!」
わたくしの言葉を聞いて、ロイも頷く。
ユートは静かに息を吐いて、それからゆっくり立ち上がった。
「……分かった。悪かった、パニクっちまった……」
「気になさらず。この町の実態を暴いたのは、アナタの功績ですから」
わたくしはミレアさんが走り去っていった方向を見た。
そこには山がそびえている。
町を見下ろす、薄暗い山が。
「敵と推定される人物と遭遇してしまいましたか」
大急ぎで屋敷に戻れば、既に兄妹は玄関口でわたくしたちを待っていた。
恐らくこれを避けるために、町に行くときには妹さんがついてきたのだろう。
「教えてくれ! ここで何が起こっているんだ!?」
「……見つかった以上は、向こうはスケジュールを前倒しにして、すぐにでも上位存在を召喚するでしょう。あなたたちは今すぐ儀式場へ行かなくてはならない」
アズトゥルパさんの言葉は的確だったし、的確過ぎて機械のようだった。
「では、上位存在五体の情報開示をお願いしても?」
「ええ。分かりました」
口頭で告げられる五体の詳細なデータ。
早口に、とにかく時間が惜しいのだろう、情報は過密だった。
「──────以上が、五体の上位存在に関して、我々の知っていることです」
話し終わるころには、ロイもユートも目を回していた。
ザコどもが。まあIQ五億のわたくしと比較するのも酷な話か。
「も、もう一回お聞きしても……」
「全部覚えましたわ! さっさと行きますわよ!」
「え、えぇっ!? 全部覚えたの!?」
「IQ五億をナメないでくださいます!?」
一旦屋敷に引き返して、また町を突っ切って山へ逆戻りだ。
RTAとしては不要な手順に思えるが……違う。今手に入れた情報は値千金のものだった。これがなけりゃ、下手したら向こうについてから詰んでたかもとさえ思った。
「ここから先は時間との勝負ですわ! 大目標は敵集団の撃滅、小目標は上位存在五体の完全顕現の阻止、あるいは撃破! 戦術は走りながらお話します!」
〇日本代表 待って待って待って急にRTA始めないで
〇無敵 だからサブクエに限ってRTAするのやめろって言ってんだろ!
言われてみれば、転生してから一番走者っぽいこと口走ってたな、今のわたくし……
走り出した三人を見送って、わたし──マイノンは、その場で俯いていました。
どうしてマイノンは、こんなに弱いんでしょう。
今の、この状態だからじゃありません。こうじゃなくても弱かった。喉を掻きむしって、死にたくなっちゃうぐらいに、マイノンは何もできませんでした。
「……大丈夫だ。状況は良くなっている」
お兄様が、マイノンの頭に手を乗せて言ってくれました。慰めの言葉でした。
「大丈夫さ。彼女たちなら……勝つ。あの人は本当に、勝ってくれる人だ」
「……知っているわ」
信頼できる。
どんな逆境においても失われない輝き。
全てを飲み込む闇の中でこそ、最も眩しく存在する魂の光。
それを持つ彼女の姿を知っているからこそ、信じられるのです。
────きっと、また、勝ってくれると。