夏休みが半ばに差し掛かろうかという日。
まだ観光客の姿も見当たらない早朝、わたくしは砂浜に体操座りをしていた。
プライベートビーチだけあって海の音は静かだ。使い魔を介しての連絡や密書の確認など、持ち込んだ事務作業は全部終わってしまっている。
〇TSに一家言 もう数時間経ってるぞ……
〇木の根 マジでこれ何? 徹夜組の物まね?
チッ。今日このタイミングで処理できれば大幅なタイム短縮なんだがな。
この手は使いたくなかったが、仕方ねえ。
わたくしは立ち上がってスカートから砂を払うと、動き始める。
〇トンボハンター ?
〇みろっく 何してんの?
砂浜からは離れ、足の裏に流星を張り付けて海面を歩いていく。
えーっと120,121,123……意外とめんどくさいなこれ……
〇無敵 この動き、どこかで見たことあるような……
〇外から来ました オイこいつ右に200歩下に256歩左に63歩動いてるぞ!
〇宇宙の起源 しんげつじま行くの!?
よし、63歩目。
立ち止まり、海面をじっと見つめる。
すると海底から巨大なシルエットが浮かび上がり、ざばあと音を立てて、その姿を現す。
『矮小な存在よ。ここはこれから我の領域となる……去れ』
海竜アイアスだ。
え、本当に出てんだけど。なんで??
〇日本代表 なんで!?!?!?
〇101日目のワニ(劇場版) このダークライ君随分鍛えなおしましたね……
〇鷲アンチ どうでもいい争いに巻き込まれ過ぎたんだろうなあ
なんか出てきた。ウケる。
寝不足で見えてる幻覚とかじゃないっぽいので余計にウケる。
「くくく……」
『ほう。我が来るのを待っていたというのか』
正直めっちゃうれしいよ。このタイミングで処理出来たらな~という気持ちしかなかった。なるべく王都回りを離れたくないので、どうにか呼び出せねえかなあと思っていたが……
確信した。今、この世界はわたくしを中心に回っている。
『人間如きが、驕ったな……!』
「ええ、ええッ! アナタをお待ちしておりましたわよ!」
わたくしは詠唱を開始し、右の拳を握り突撃した──!
というわけで瞬殺した。
グーパン二発で終わった。
『ふえええん…………』
前回とは違い、レベル差を分かったうえなので、それなりに手加減してあげることができた。
「人気のないところを選びなさい。それならこちらもアナタに害を加えたりしません」
『うぐぐぐ……なんか一発目でとんでもない外れを引かされた感じが強くないか……!?』
「わたくしは確かに人類の中でも最強格か準最強格ぐらいですが、そうでなければ、わたくしの百分の一の強さを持つ者が百人来るだけですわよ」
『人類、怖いなあ……!』
どうやら教育は終わったようだ。よしよし。
「では用件は終わったので失礼します」
『おい待て、失礼するんじゃない……! おかしくないか!? 我、仮にも竜ぞ!? 普通一日かけて対策立てて、激戦の末……とかじゃないの!?』
「生憎わたくし、暇人ではありません。特に今日は忙しいのです」
わたくしは振り向くと、静かに告げる。
「今から、お引越しの手伝いと婚活パーティーと怪盗団活動がありましてね」
『なんて??』
「あの……いいんですか?」
メイド喫茶の経営が軌道に乗ってきた。とはいえわたくしの下に入る利益など、家の財産に比べればお小遣いのようなものだ。感覚としてはあぶく銭に近い。
なのであぶく銭を盛大に使いに来た。
「ええ、構いませんわよこれぐらい」
ミュン・ハートセチュアは降ってわいた話に、目を白黒させている。
わたくしは隣に佇む男を親指で指す。
「こう見えてこの男は本物の王子なので、これぐらいどうってことないですわ」
「こう見えてってなんだよ。そもそも費用は全部お前が持ってるじゃねえか……まあ、向こうでの待遇に関しちゃ俺が話をつけといたがよ」
ユートミラ・レヴ・ハインツァラトゥス。
隣国の第三王子のツテで、わたくしはリンディの末妹の国外脱出を計画したのだ。
「そちらの護衛の方、荷物は全部載せましたね?」
「ウ、ウス……」
ベルゼバブに声をかけると、彼はめちゃくちゃ挙動不審になっていた。
「ああ、わたくしのことは気になさらず。ルシファーの因子を持っているからといって、アナタの上司になるわけではありませんので」
「……ッ! やっぱ自覚的に持ってるんすねそれ……!」
どういうことだ、と視線で問うてくるユート。
「彼は地獄より召喚された上級悪魔、ベルゼバブです」
「! なるほど、それも記憶でか」
「ええ。もちろん悪い悪魔ではありませんので、ご安心を」
「悪い悪魔ではない、字面が意味分かんねえな……」
わたくしは跪いてミュンと視線を合わせる。
空気を読んでユートとベルゼバブは、そっとこの場を離れ、用意した馬車の傍で話し込み始めてくれた。
「ご安心を。アナタを追っていた連中にはキツく言っておきましたわ」
「……あなたは、なんで私を助けてくれるの? お姉さまのお友達だから?」
「ええ、そうです」
はっきりと断言した。
上位存在たちを撃退してから、リンディの様子はおかしい。端的に言えば余裕を失っている。
背後で糸を引くとまではいかずとも、かなり根本的なところでハートセチュアが関わっていることが確定しているのだ。さもありなんだが、それでも彼女はわたくしの友達だ。
「そう。ありがとう、おねえさん」
ミュンはぺこりと頭を下げた。
わたくしは微笑み、彼女の頭をそっと撫でる。
妹がいたらこういう感じなのかもな。
「お前、臭うな。飢えてるだろ……力に」
「……マリアンヌの方がそうだろ」
「馬鹿言えよ。ありゃ悪魔とは正反対だ。貪欲に渇望しちゃいるが、
「ハッ。悪魔の方が、人を見る目ってのはあるのかもしれねえな」
「当たり前だろうが。オレサマたちは契約を持ちかける存在だぜ? 相手の見極めは死活問題だ」
「ああ、なるほどな。得心がいったぜ」
「…………オレサマはミュンと契約して力を得ている。だが悪魔の契約にはやり方が二つある」
「あ? なんの話だ」
「契約により、悪魔が力を振るうケース。契約により、悪魔が力を貸すケース。それぞれ同じやり方を二つ、ってのはオレサマの流儀に反する。だが一つずつなら可能だ」
「おいおい、まさかお前」
「あいつを、ミュンを助けてもらった。本来は姐さんの方に恩を返してえが、ルシファー様の因子持ち相手にオレサマの力を貸すぐらいじゃたかがしれてる。っつーかめちゃくちゃルシファー様の機嫌損ねそうで怖い」
「それで俺か」
「ああ。悪い話じゃねえぜ。オレサマが要求する対価は大まかには──闘争。ただそれだけだ。闘争の際にオレサマの力を使え。それが契約の対価。ちなみに力を使うには相応のデメリットもある。しかし
「俺が禁呪保有者なのもお見通しか」
「どうする」
「………………」
ミュンとベルゼバブをハインツァラトゥスに送り出した日の夜。
わたくしはドレスを着こみ、第一王子主催の婚活パーティーに顔を出していた。
あらゆる予定を済ませて万全の状態で決戦に臨みたい。なのでイベントたちを悉く最速で済ませて回っているのだ。パーティーはアーサー
〇第三の性別 イベントを回避せずにむしろ前倒しにして全部片づけていくの、RTAっていうのか?
〇無敵 一応タイムアタックはしてるんだけどタイム以外へのアタックが激しすぎる
やり残したことがあったら嫌だろ。
神殿にはまだ影も形もないっていうし、それなら今やれることをやるだけだ。
こっちに読まれたことに感づいた可能性もなくはないが、あの完璧なプランの組み方からは、かなり自信家な性格が読み取れる。おそらく、向こうが臨機応変にプランを組み替えてくることはない。
「マリアンヌ嬢、こっちだ」
「あ」
パーティー会場で考え込んでいると、ぐいと腕を引かれた。
気づけば人混みの真っただ中にいたらしい。顔をよく覚えていない社交界の連中がご機嫌取りに来ていたようだ。
その人垣をかき分けて、正装を着込んだジークフリートさんが、わたくしを連れ出した。
「大変だな」
「アナタの方が大変な感じですが……」
背後から視線が飛んでくるのを感じる。
「まあ、なんて素敵なのかしら。美麗な騎士様と一緒だなんて、さすがマリアンヌ様だわ」
「まったく若い子は。やめなさい、騎士なんて……」
わたくしたちを見て、半分は羨望のまなざしを、半分は胡乱なまなざしを向けていた。
過渡期なんだな、と自覚する。わたくしは貴族と騎士が手を取り合った方がいいに決まってると思うが、そうでない状況下でうまく回っていたシステムだって多いのだ。
「今日は貴族院側の人間が見当たらないからな。これぐらいなら大丈夫かと思ったが……」
屋外テラス席に案内され、二人で座る。
ウェイターにジークフリートさんが水を持ってきてもらうのを、ぼうっと眺めた。
夜空にぽつんと浮かぶ月光は、ジークフリートさんの紅髪を鮮やかに照らしている。
「普段とは髪紐が違いますわね」
「ああ、アレは故郷から持ってきたものだ。愛着もあるが、場に合わせて変えねばならないだろう」
以前礼服は一張羅を持っていると言っていたが、これか。
顔が顔なので何着ても似合うと分かっているが、それを差し引いても、よく着こなしている。
「余裕のない顔をしているな」
「……リンディの話ですか?」
「違う、君だ」
あら、と自分の頬を触る。
そうか。言われてみれば、ここ最近は軍神との決戦に向けて、各所と密に連絡を取り続けていた。
「睡眠時間を削っているだろう。大隊長や、憲兵団の方からも聞いたよ。ハインツァラトゥスとの合同警戒態勢の中、ピースラウンド家の跡継ぎがよく働いていると。他国の騎士団を叱り飛ばしたりしているそうじゃないか」
言いながら、彼はそっとわたくしの涙袋を指でなぞる。
「化粧で隠しているが、クマがひどいな」
「……踏ん張りどころですから」
自宅の執務室を借りて、使い魔や密書を往復させる日々。寝る間を惜しむ価値がある。
正式に国家間で手を組んだのだ。人の動き、物資の流通。すべてのデータが手に入っている状態だ。それらを片っ端から確認し、連中の居場所を探る。
「今日はこれで終わりか?」
「いいえ。パーティーが終わったら別件が一つ」
「多忙だな……ゆっくり休んでいくといい」
まあそうだな。
休むために、招待状を一枚余分にもらって、本来は来ていなかったジークフリートさんを呼んだのだ。
この顔が隣にいたら誰も近寄れないでしょと思っていたが……普通に二人きりにされるとは思わなかった。普通にドキドキするからやめてほしい。
「くぁ……あっ」
「フッ、気にするな」
ごく自然にあくびをしてしまい、バッと口元を隠す。
騎士は微笑みを浮かべるばかりだ。その表情を見ていると、なんだか力が抜ける。知らず知らずのうちに肩肘を張っていたのだと気づかされた。
「…………」
「眠るか。毛布を持ってきてもらおう」
「い、え……ここで構いません」
「!?」
わたくしは椅子をそっと寄せて、ジークフリートさんの肩に頭を乗せた。
一回やってみたかったんだよねこれ。スチルでたまに見るけど実際寝心地ってどうなアッこれ本当に眠れる奴だ。
〇無敵 どけ!!!!!!!!
〇つっきー どいたとしてもお前の場所じゃねえよ
〇無敵 みんなの場所なんだよ!!!!!!!!
〇無敵 でもこの顔は多分お嬢じゃないと引き出せない顔だから……!!!
〇無敵 この顔をさせた以上、厳密には、お嬢の場所だと……!!
〇無敵 認めるしか、ないのは、分かってる…………ッ!!!!
〇つっきー そう……
コメント欄がうるさいので消した。
ぼやけつつある視界の中、騎士が身体を硬直させ、無言で月を睨んでいるのが見えた。耳が真っ赤だ。
思えばこういう美少女にしか許されないムーブをするのも久々な気がする。本当に、気合入りすぎだったんだろうな。
「ふふ……わたくしの騎士は優秀ですわね……」
「……ああ、もちろんだとも。敵がいるなら誰が相手でも勝利し、支えが必要なら止まり木ぐらいにはなれる」
「ええ、ええ。ありがとう、ジークフリートさん……」
意識が少しずつ遠のいていく。
肩は枕とするには少し固かったが、それよりも、彼のすぐそばにいられるということが何より安心できて、わたくしは抵抗なく意識を手放すのだった。
婚活パーティーのあった日の深夜。
数時間前にはわたくしとジークフリートさんを優しく照らしてくれていた月の下、仮面を外して、ふう、と息を吐く。
指定された合流地点は王都のとある家屋、その屋上だった。
「あっけなかったわね」
「だな。ピースラウンドも正直拍子抜けだったんじゃねえか?」
両隣に佇む男女──ジェシーさんとアキトが、わたくしの手の上に乗った指輪を見て言った。
カジノ『フューチャーヴィジョン』への侵入はつつがなく終わった。
「いえ、全て予想通りでした。だからこそ手間取る理由はなかったのです」
何せ一度侵入をした場所だ。経営時間を終えて、警備の者しかいなくなったタイミングなんて、楽勝に決まってる。騎士も名探偵も出てくる前に全部終わらせたからな。
流儀に反するが、最速で片づけるためには仕方ない。
「それにしても恐ろしい手際だったわよアンタ。全部知ってたみたい」
「ああ。地図を何度も確認したとはいえ、一切迷わず倉庫まで駆け抜けてたぐらいだ。下見とかしてたんじゃねえか?」
「まさか。ただ……実行する前に少し、とってもいいベッドで仮眠を取ったからでしょうね」
要領を得ない返事に、二人は首をかしげる。
まあお前らインモラル親子じゃ分からないか。わたくしが最高の騎士からもらったピュアラブパワーのことはな。
……自分で言ってて恥ずかしくなってきたな。ピュアラブパワーってなんだよ。頼れる人に休ませてもらったってだけだろ。でもまあ肩に頭乗せるのはちょっとやりすぎとちゃうんか? お? あ? いや普通に恥ずかしいことしてたなこれ!?
「あびゃーー!! ぐぎゃああああああ!!」
顔を手で覆いその場をのたうち回る。二人は何してんだろうと顔を見合わせ肩をすくめた。
「お疲れさまでした」
「っ、王子殿下」
その時、闇の中から音もなくグレン王子が姿を現す。
二人が平伏する中、わたくしは立ち上がると、手の中で仮面をもてあそびながら、適当に会釈した。両サイドから跪けよ! と視線が飛んでくるが、グレンは苦笑してるしいいだろ。許されてるんだよ。これが特権階級なんだよなあ。
「驚きましたよ。まさか君が、ここまでスマートに、誰にも気づかせず事を運ぶとは。やはり本命の案件が控えているから、余力を残したかったのですかね」
「ええ、まあ。仮面の力もありまして、最速で動けましたわね」
カジノに侵入してから指輪を手に入れ脱出するまで大体十分と少しだった。
前回は騎士やらユイさんやらと大立ち回りを繰り広げたからめちゃくちゃ綱渡りの連続だったものの、本気でやればこんなもんだ。
やっぱ本気でやるのはつまんねーな。次はちゃんと予告状出して正面から突入しよう。
「いやもうコリゴリですよ殿下。流石に犯罪行為ですし……」
「私としてもここぞという時にしか依頼は出しませんよ」
「ですよねー。んじゃあそういう感じで」
「アキト騙されないで。今殿下、定期的に依頼出すって言ってるのよ」
「はい? え? 嘘っすよね殿下? え?」
「ははっ」
「笑ってごまかそうとしてるんじゃねえか!?」
アキトの悲鳴が夜空に響き、ジェシーさんが肩をすくめる。
それにしてもこの仮面、素材自体は上位存在なんだろうけど、デザインは誰かが組んだんだよな。いいセンスしてるよ。
〇幼馴染スキー マジで仮面が似合うの不思議過ぎるな、なんで似合うんだろうこのデザインで
わたくし的にはかなりイケてるデザインだと思うのですが?
〇red moon お前のセンスなんか信用できるか
は? わたくしギアスのOPで一番好きなのは無印後期の背中合わせに立つルルーシュとスザクがネガ反転しつつすれ違い対峙するアニメーションですが?
〇みろっく それは……まあ……
〇宇宙の起源 はい……
〇日本代表 いや騙されねえぞお前じゃなくてサンライズのセンスだろうが!
まあサンライズのセンスではあるよな。
わたくしはグレン王子に指輪を渡すべく一歩進み、立ち止まった。
「この指輪」
「はい?」
「効果はなんですの?」
「さあ……神殿では、随分厳重に管理されていたようですが。そこも込みで我々の方で……」
「殿下。こちらの指輪、わたくしに預からせていただけませんか?」
闇夜に静けさが訪れる。
ジェシーさんとアキトが驚愕に言葉を失い、グレンが興味深そうにこちらを見やる。
「理由は?」
「大体の見当はついているでしょうに。神殿残党にとって重要な物品の可能性があります。ともすれば、何かの突破口になるかもしれません」
そうだ。前回のわたくし、マジで馬鹿じゃねえのか。最初に気づくべきだった。
〇火星 まーたメタ読みしてる……
〇日本代表 この読み能力、頼むから本筋で生かしてくれませんかね
「おいおい、流石にそれはちょっと……」
「分かりました」
アキトが割って入ろうとしたタイミングで、グレンが頷く。
三人揃って絶句した。ていうかわたくしが一番びっくりしてた。
「そ、即答ですか」
「今のピースラウンドさんの言葉は、誰の言葉よりも重いですよ。我々が抵抗するための、唯一無二のキーパーソンですからね」
「……アナタは報告を受けていましたわね。わたくしのことを」
事情についていけず、アキトたちがわたくしとグレンと交互に見る。
「預けます。ですが事態を収拾した後にはこちらで引き取りますからね」
「ええ、それはもちろん」
指輪を持ち、月にかざす。
綺麗な緑色の宝石が嵌め込まれたそれは、月光を浴びて静かに煌めいている。
アーサーの王国にてピースラウンド仮面率いる怪盗団が活動を終えた、丑三つ時。
「…………」
寂しく光る月の下。
遠い遠い国の砂浜に、一人佇むカサンドラ・ゼム・アルカディウスの姿があった。
漆黒のドレスを身に纏い、長い旅の中での休息を得る少女。
寄せては返す波に素足を浸し、彼女は静かに息を吐いた。
「
「…………」
彼女一人の舞台に無粋な闖入者がいることは、分かっていた。
こちらに真っすぐ進んできた男の姿を目視して、カサンドラは訝し気に眉根を寄せる。
「てっきり、ゼールの刺客だと思っていたのだけれど。記憶にない顔ね貴方……何者かしら」
豪奢な長い金髪。
黒いスーツ、黒いシャツ、黒いネクタイと黒一色の服装に身を包んだ、見た者を残らず魅了するほどに美しい男。
彼は歩みを止めないまま、微笑みを浮かべる。
「私はナイトエデン・ウルスラグナ。
「!」
その言葉にカサンドラは言葉を失う。
開闢の力──今共に行動しているマクラーレンがかつて振るっていたという、絶対の権能。
「要するにはね、君たち禁呪保有者の天敵だよ」
「……そう」
「それにしても、うら若い乙女がこんな時間に一人とは、感心しないな。親御さんには何も言われないのかい?」
ナイトエデンの言葉に、カサンドラの頬がぴくりと動いた。
同時、ナイトエデンが歩を止める。
「?」
パキ、と彼の呼吸が凍てついた。しかしそれは錯覚だ。
カサンドラから放たれる絶対零度の殺気。分かりやすく円形を描くその縁に、あと一歩の所まで来たからだ。
彼女は優しい。どんな弱者でも気づけるように、きちんと警告を出している。
──それ以上踏み込めば、待つのは死だと。
「成程。すさまじい使い手のようだ。君が禁呪保有者のリーダーかな」
「……どうかしらね」
「まあ、そう殺気立たないでくれたまえ。ここで戦うつもりはない」
思いがけない言葉に、カサンドラは疑いのまなざしを向ける。
ナイトエデンは薄く笑い、躊躇なく、警告のラインを踏み越えた。
「挨拶だよ、単なる」
同時、四方八方から飛来する水で構成された針。
それらがナイトエデンの右腕の一振りでかき消えた。
「……っ」
「刺客と思った、と言っていたね。トラップは仕掛けていたか、流石だ。しかし言葉を交わす上では不必要だろう」
あらかじめ用意しておいた遅延攻撃だ。
しかし音速で放たれた針は、ひとまとめになってナイトエデンの手に握られている。完全にコントロールを掌握されていた。
ぐっと彼が拳を握ると、音を立てて『
「へえ? 貴方の立場が本当にそうなら、今この場で私を確実に殺すべきだと思うのだけれど」
「私は人類の最後の希望だ。だから絶対に死ねない。絶対に負けられない。私は禁呪保有者7名を確実に殺す手はずを整えた後に実行する」
「……ピースラウンドさんから、貴方の先代の『開闢』の覚醒者から聞いているわよ。七聖使は世界を守るための存在だと。貴方一人でやり遂げるつもりなの? 随分独善的ね」
カサンドラの嫌味に、男は悲しそうに首を振る。
「勘違いしているよ、君は。言っただろう。私は最後の希望だ。故に、最悪の状況を想定しなければならない。私の死は世界の死なんだ。この世界において最も死を許されない存在。それが私だ」
「自分のことを絶対的な、唯一無二の救世主だと勘違いしているのかしら。思い上がりも甚だしいわね」
「これは手厳しい。君の主観ではそう見えなかったのなら、私の至らぬ証拠だ」
ナイトエデンにとって、相手に侮られることは自らの落ち度だ。
「私が目指すのは、敵対者が、顔を見るだけで膝をつくほど圧倒的な──ヒカリだ」
両腕を広げて語る姿を、月が照らす。
救世主を名乗るなど人間にはできないはずだ。それは結果を残した者に与えられる名。しかし彼は当然のことのように──否。
比喩でもなんでもなく、それは本当に、当然の事実として語られていた。
「光?」
「そうだ。私はヒカリになりたいのだ。明日を招来するヒカリに。闇を追滅するヒカリに」
そう言って、ナイトエデンは踵を返す。
「今日はあくまで顔見せだ。味方にも、敵にも、遍く知らせねばならないのだよ。時は近いのだと……手始めに、『軍神』の覚醒者が仕事をしてくれている。野心家だが、いいやつだ。自分に芯がある。本当にやり遂げられるのなら、世界を救うのは彼でもいいと思っている」
「言ってることがめちゃくちゃよ。貴方が救世主だったのではなくて?」
「私はあくまで最後の救世主だ。私たちの価値は過程ではなく結果によって証明される。私でなくとも誰かが世界を救ったのならば、その者が救世主だ。私が世界を必ず救うことと、矛盾はしない」
語りを聞きながら、カサンドラはその無防備な背中を見つめている。
「逃がすと思って?」
直後、カサンドラの背後に海から水流が飛び出し、形を成す。
「
顕現するは、神秘を凝縮し構成された水の竜。
見た者を畏怖させる絶対の殺戮者。
「ここで死んでおきなさい。そうすれば理想が夢物語だと知らずに済むわ」
「いいや違うな、カサンドラ・ゼム・アルカディウス」
振り向いて、ナイトエデンは右腕を振るう。
カサンドラが反応できたのは僥倖だった。防御ではなく回避を選んだ。足元の水分を炸裂させ飛び退く。
取り残された濤竜が、すぱりと上半身と下半身を分かたれた。
「理想は夢物語だ。夢物語は非現実だ。故にこそ、私は非現実を現実にせねばならない。これは仕事でも、責務でも、宿命でもない。誓約だ」
「っ……!」
水分で構成された竜は、当然だが両断されても即座に断面同士がつながり、再生される。
しかしカサンドラにとって衝撃だったのはそちらではない。
(何かしら今のは。ほんの刹那見えた……光の、束?)
マクラーレンから詳細を聞いてはいないが、開闢は光のエネルギーを放つ権能だと推測している。光は放射されるものだ。しかしナイトエデンは完璧に指向性をコントロールしているように見えた。
「だから今日はここまでだ」
ぞわりと背中を悪寒が走った。ナイトエデンがすぐそばに立っている。
「貴方ッ!」
「お暇させてもらおう。夜分にすまなかったね」
振り向き様に手刀を放つが、彼の姿はどこにもない。
周囲を見渡せど、やはり見当たらない。砂浜に足跡がなければ、幻覚と疑ってしまうほどだ。
(そんな……! 音速程度なら反応できるはずなのに!)
慌てて立ち上がる。
不可視状態で展開していた水のヴェールは、接近する敵性存在を自動で迎撃する。それが反応する暇もなく接近された。異常事態だ。
「…………ナイトエデン・ウルスラグナ。虚仮にしてくれたわね」
竜をかき消してから、カサンドラは月を睨んだ。
「禁呪保有者の、リーダー。それにふさわしいのは彼女しかいない……」
原初の禁呪『
その姿を脳裏に浮かべ、カサンドラは砂浜を去る。
(気をつけなさいマリアンヌ。一筋縄ではいかない相手よ……)
月に照らされる美しい姿。
だが彼女の胸中には怒りと、微かな不安が燻るのだった。
マリアンヌは一日の仕事を終え、自宅のドアの前に立っている。
(やるべきこと、大体は片付きましたわね。勝たなきゃまた巻き戻し。だけど次はもうない。必ず今回の夏休みで、軍神を仕留めて全部終わらせてみせます)
息を吐いて、こわばった表情を自分でもみほぐす。
それからドアを開き、無人のピースラウンド邸宅に入る。
『おお、遅かったな嬢ちゃん。帰りはもう少し早くないと、心配しちまうだろ?』
玄関に小さな龍が浮いていた。
ふわふわと滞空する銀色の龍。姿勢だけならタツノオトシゴにも見えるが、小さくも確かに存在する翼と、体躯に見合わぬ存在感が、神聖な存在であることを証明する。
「は?」
『とはいえ寝ぼけていた儂が言えた義理じゃあねえか……その節は迷惑をかけた。すまんかった! まずは嬢ちゃんに事情を説明しなきゃならんっつーのにな。見ての通り、見る影もないぐらい弱体化を食らっちまっておる。嬢ちゃんがそれを持ってきてくれなきゃ、意識だってハッキリしないままだったかもしれん』
「そ、れ?」
たじろぐマリアンヌの言葉に、銀龍──ミクリルアは目を何度かしばたかせた。
『おいおい、まさか偶然か!? なんてこった……逆説的に運命だ。どんな星の下に生まれたのか知りてえぐらいだよ』
「……!」
ミクリルアの言葉に、マリアンヌはハッとし、慌ててポケットの中をまさぐる。
取り出したのはカジノから盗み出した指輪。
嵌め込まれた緑色の宝石が輝きを放っていた。まるで眼前の小さな龍に呼応するかのように。
『嬢ちゃん、一日動き回ってたんだろう。眠くはないか? 明日の朝に回してもいいが』
「いっ、いえ! 今から話しましょう! アナタの知っていること全部! 教えてください!」
そこで急激に意識が覚醒し、マリアンヌはミクリルアに駆け寄る。
『ああ、そうだな。儂らは手を組めるはずだ。目的は同じだろう?』
「わたくしの目的は、世界の巻き戻しを防ぎ、それを実行しようとする連中を撃滅すること」
『まさしくだ。儂はゼルドルガの大馬鹿野郎を止める。儂が止めなきゃならねえ。止められなかったのは儂の責任だ……』
マリアンヌは頷き、手を差し出す。
浮遊するミクリルアは意図を察し、微かなはばたきで手に近づくと、翼をパシイとぶつけた。
神話の龍と少女が、大いなる野望を阻止すべく、立ち上がる。
「いっっっっっだ」
『あ、すまん。あれ、痛かったか……?』
「わたくし人間ですのでえ!!」
『……? そ、そうか。じゃあこれからは合わせる』
…………立ち上がる!
ぬくもり様よりマリアンヌのイラストをいただきました!
https://img.syosetu.org/img/user/9944/80921.jpg
夏休み欲張りセット!センターのマフィアマリアンヌの胸の下ベルトを見てロイが死にました。
一つ結びアロハまじでやばくないですか?おれはかつてじいさんの夢はおれが叶えてやるよって言ってアロハ女好き性癖になった過去があるので滂沱の涙を流していますよ
右上のロイユイジクフリも最高。原作主人公と原作メインヒーロー、並ぶと絵になりすぎる。お前想像の百倍名探偵似合うな……!ジークフリートさんはタピオカ食べられて良かったね!
で、板前姿の女は何?
次々回あたりでEXTRA CHAPTERは最終決戦に入れるかなと計算していました。本当は五話ぐらいで終わらせたかったんですけど余裕で無理オブ無理でした。もう割り切って普段通りに12話構成に組み直すか検討中です。少々お待ちを……という感じです。なんかその辺はTwitterやら活動報告やらで報告するかもしれません。