私? 仕事が決まらない才能でしょうねぇ。それくらいしか無いです。
空調がしっかり効いた喫茶店。内装は打ちっぱなしのコンクリートに観葉植物が所々にある。そんなありふれた喫茶店に俺は待ちぼうけて居た。身体をだいぶ冷やしたのか、エアコンの音が煩いくらいの店内なのになかなか身体は温まらない。なので暫く上着も脱がずにメニューとにらめっこをしていた。
手を擦ったりしながら注文を選んでいると、俺を案内してくれた大学生のアルバイトらしき女性がエプロンを外して外に出ていった。休憩時間なのだろうか。
「すみませーん」
「はぁーい」
店の奥――見た所厨房だろう――から男の声が聞こえて、それからとてとてと小走り気味で俺のテーブルへと男が来る。黒のエプロンに黒のワイシャツ、青のデニム。個人経営の店だから、服装規定は特に決まっていないのだろう。胸元には店長と書かれた名札が付けられていた。
「ホットコーヒーと、えー……ハムサンドイッチ。お願いします。……あ、後灰皿ってあります?」
店長は愛想良くほほえみ、かしこまりましたと奥へと戻る。灰皿は後で持ってきてくれるそうだ。
俺は店長の背中を見送り、ぼそりとつぶやく
「……アイツなんで居ないんだよ」
そもそもここへ来たのはアイツがここに俺を呼び出したからなのだ。そして呼び出したからには俺よりも先に待っていてもらいたいものである。
しばらくすると店長が灰皿を持ってきてくれた。俺はそれに感謝の言葉を伝え、タバコに火を点ける。一口、二口とタバコを味わっていると、からんからんとドアのベルの音が店に響く。俺は音に気を引かれ、ドアの方を見ると、アイツが――圭佑が店に来ていた。
「いらっしゃいませぇー、お好きな席にどうぞぉー」
厨房の方から店長が出てきて、案内をする。アイツは会釈だけして、店内を見回し、俺の席にまっすぐやってきた。
「うーっす、待った?」
へらへらした表情に俺は眉間にシワを寄せる。腕時計をちらりと見ると、時間は午後三時を少し過ぎたあたりだった。
「いや、そんなに。五分くらい」
圭佑は表情を変えずに俺の真向かいに座る。
「すみませーん、ホットココアひとつー」
厨房の方から店長の「かしこまりましたぁ」と言う愛想がいいやら適当やらわからない声が響いた。
「なんだ、可愛いの頼むな」
圭佑は上着のポケットからタバコとライターを取り出した。
「うるせぇ」
そう返事をした彼は、上着を脱いでタバコに火を点けた。
「で、何、急に」
俺の言葉に、圭佑は紫煙を細長く吐き出してから答える
「何を言っても笑わないか?」
「さぁなぁ……」
圭佑のなんとも言えない言葉に、俺は困ってしまうが、それでも間違ったことは言っていない筈だ。
「ま、いいや」
圭佑はあっけらかんとした様子だった。
「信じてくれとまでは言わないんだが、超能力に目覚めたらしい」
俺は圭佑の言葉を鼻で笑う。流石に気に障ったらしい。
「あ、笑ったな?」
「お前、良い歳した大学生だろうが」
「いや、それにしてもだな、そこまで『ありえねー』って感じに笑われるのはきつい」
俺は口の端をにやりと歪めて、彼の言葉に応じる。
「で、超能力? どんなのさ」
圭佑は神妙そうな顔を浮かべて、ゆっくりと言葉を選んでいるようだった。
奴が言葉を選んでいる内に店長がお盆を持ってテーブルに来た。
「おまたせしましたぁー」
店長がテーブルにコーヒーとサンドイッチ、ココアを配膳し、去る。それからもしばらくの間、圭佑は腕を組んで考え続けていた。
「……三分くらい悩んでねえか?」
奴のタバコは半分ほど燃え落ちている。
俺の煽る言葉に、圭佑はむっとした表情で睨み返してきた。
「信じてないな?」
俺は「まぁな」と返し、コーヒーを啜る。圭佑はひとつ大きくため息をついて、諦めたように首を振った。俺が「どうした」と尋ねると、奴は観念したように呟いた。
「――そのまんま言った方が良いか」
俺は黙って圭佑の言葉を待った。そして、圭佑はココアを一口含んでから口を開いた。
「他人の隠された才能ってのが、わかるようになったんだ」
「は?」
「いや、そんな顔しなくてもいいじゃん……ホントだもん」
どうやら俺は凄い表情をしていたらしい。
「わ、悪い悪い……」
悪いとは思ってないが、一応そう返す。
「で、どういう事なんだ? そのーえー、何だっけ?」
「才能を見る能力な。どういう事って言われてもそのまんま。顔を見た相手の隠された才能や能力がわかる。それだけ」
圭佑は「言ってやったぜ」と言わんばかりの満足げな表情をしていた。
「それだけって言われてもなぁ……証明しようもないし、信じられ――」
圭佑は俺の言葉に不服なのか、俺の顔をじっと見つめてきた。
「――男に見つめられても嬉しくねえぞ」
「……高橋、お前の能力はな――」
唐突な言葉に思わず身構える。
「お、おう、急だな」
隠された能力などと言われてしまえばどんなに疑わしくとも多少なりとも興奮し、期待感を抱いてしまうものである。
「論より証拠ってな。えーっと、お前の能力は双子の卵の黄身を絶対に割らない能力、だな」
「帰る」
「まって! まって!」
上着を手にし、立ち上がった俺を圭佑が引き止める。
「いや、下らなさすぎるだろ、バカにしてんの?」
「ホント、ホントなの! バカにしてないってぇ!」
俺は席に座り直し、新しいタバコに火を点ける。厨房の方からこちらを覗き込んでいた店長と目があい、俺はなんとなしに会釈を返した。
太く短く、ため息と一緒に煙を吐き出した俺は、圭佑に聞き返す。
「必死すぎるだろ……で、なんで俺そんなくっだらない能力なの? 他、なんか無いの? っていうか俺お前になんかした?」
俺が尋ねると、奴は首をひねる。
「んー……見えちまったからとしか言いようが無い。それに、今はもう見えないなぁ、他にあるのかもわからん」
俺はそうかよと圭佑に言って、続ける。
「仮にお前の言うことが本当だとして……俺、そんな下らない才能? 能力? 持ってんの? けっこー落ち込むぞ。無能って言われてるみたいじゃねえか、それじゃ」
俺は顔をしかめてコーヒーをすする。
が、圭佑は至って真面目な顔をしていた。
「それだけって訳じゃ無い、と思う。多分だけど……。例えばサークルの佐藤には別の日にだけど、二つ見えたし、この前電車の向かいに座ってたオッサンは何も見えなかった」
佐藤、俺たちと同じサークルで圭佑と同じ学部だったか。
俺は適当に相槌を打ってから聞き返す。
「佐藤は何だった?」
この際、「能力がわかる」という話の全てが圭佑の妄想や冗談の類いだったとしても、こいつの話を全て聞いてやった方が良さそうに思えた。ここで無理に話を打ち切って帰っても後腐れがあるというか、こいつが満足しなさそうというか、そんな気がしたのだ。
圭佑は視線を上に運び、腕を組んで思い出すような素振りをして、言った。
「えっと……確か『ダイラタンシー効果特攻』と『ひゃひゅひょを大声で叫べる能力』……だったかな……」
「うっわ、どーでもいー……」
本心が漏れ出してしまった。
「……いや、見えたのそれだったからさぁ」
「どうしてこう……『将来に役立つ!』みたいなのじゃないんだよ」
自分でも呆れているのか、圭佑は軽く笑う。
「そりゃな。俺如きじゃそんな便利な力。むりむり」
妄想話で「俺如き」と口走るのも変な話だし、事実であるなら不思議パゥワーを入手している時点で十分なのではなかろうか。そう思うと、何故だか奴の話に妙な説得力があるように感じられてきた。
「じゃあ……ここの店長は?」
俺が圭佑に尋ねると、奴はぶつくさ呟いてから厨房の方をちらりと覗いた。
「距離離れてても平気なのか」
思ったことを素直に尋ねると、圭佑は視線を店の奥へと向けたまま小さく頷く。
そして数秒ほどじっと店長の方を見つめて、ふうとひとつ息を吐き出した。
「ペヤングの湯切りで麺がこぼれにくい能力」
俺は暫く考え込んで、口を開く。
「……アバウト……っていうか今、違うだろ」
「だよな。俺もそう思う」
お前がそれを言っちゃいけないだろう。多分。
「俺の能力もそうだけどさ、その能力自分じゃ気付かないだろ」
「俺もそう思う」
やや食い気味な圭佑の発言に俺は苦笑いを浮かべてしまう。
「でもさ、お前今まで二十年くらい生きて来て、双子の卵の黄身を割ったことないだろ?」
過去の卵割り経験を思い出したが……
「そもそも双子の卵を割った記憶がないなぁ」
多分、佐藤のダイラタンシーなんとかもそうだろうし、ここの店長の能力もそうだろう。
「そうか……そうか……」
圭佑は落ち込んだ様子を見せる。だが次の瞬間にはスマホをぽちぽちと弄ってから、俺に画面を見せて来た。非常に楽しげな表情だった。
「高橋! これ! 見てみ!」
画面に写っていたのは双子の卵だけを集めたパックの通販ページだった。
「……買え、と」
圭佑は極めて真面目な顔で厳かに、ゆっくりと頷いた。
「試してみ?」
俺は普通の卵の三倍くらいしそうな値段を冷ややかに見つめて「アホか」と口にする。
「で、他にはなんか無いの?」
「なんかってなんだよ」
圭佑は俺が話を信用していないのを察したのか、不服そうな表情を浮かべていた。
「例えば……そうだな、お前が能力を発動する条件とか、限界とか……よくあるだろ? 漫画みたいな……『息を止めている間だけ能力が』とか『金属だけ操作する』とかさ」
俺の言葉に圭佑の不満に満ちた表情は一転して満足そうな顔に変わる。
「そうかそうか、知りたいか」
うっざぁ。口にはしないが。
「……いや、ペヤングで終わりにしたらお前文句言うだろ」
事実にせよ、脳内設定の開陳にせよである。
圭佑は小声で「まぁな」と呟いてから、考えながら口を開く。
「んー……条件はさっき言ったろ? 顔見るだけ……直接だけどな。それと限界と言うか範囲というか……なんて言ったら良いのかわからんが、見えるものに共通する事が少しだけある」
「限界? 範囲? どういうことだ?」
俺が聞き返すと、圭佑は言葉を纏めるように腕を組んで考えていた。数秒の間を置いて、圭佑はひとつの例を出してきた。
「例えばだけどさ、中世ヨーロッパに俺が行ったとして、その時代の人を見たとする」
俺はとりあえず頷いて言葉を促す。『とする』にしても例が極端な気がしてやまないが。
「でさ、その人の顔を俺が見たとき、その時代その瞬間に関係した能力しか見えない……と思う」
「はぁ」
思わず気の抜けた返事を返してしまったが、奴は意に介さず言葉を続ける。
「っていうのはさ、さっき話した能力が見えなかったオッサンが関係してくるんだ」
俺は適当に相槌を打って、タバコに火を点ける。
「そのオッサン、なんか印象に残っててさ、顔覚えてたんだよ。んで、朝乗る電車が一緒なんだろうな、昨日大学に行く途中で電車で見かけたんだよね。その時はオッサンに能力が見えた」
俺はタバコの灰を灰皿に落して「それで?」と促した。
「その時に見えた能力が……えーっと確か――」
圭佑はひとつの雑誌の特定の号を挙げた。
「んー? ……それ若い女向けのファッション誌だろ?」
圭佑は俺の言葉に同意した。
俺は号数に疑問を抱き、スマホで軽く情報を調べる。
すると――
「ん? その号数って昨日発売の奴か?」
「そうなんだよ。オッサン、その雑誌の昨日発売の号のどっかの一ページだけ完コピできるっつー能力があったんだな」
俺は思わず考え込んでしまった。
ティーン向けファッション誌の特定の号の特定の一ページを完コピできるとか言う能力が可哀想だということもあったが、圭佑の例え話を踏まえて考えると何かが見えてきそうな気がしたのだ。
圭佑は俺の考えている事を察したのか、意味ありげに頷いた。
「……要するに、見たその瞬間に存在するモノや仕組みにまつわる才能とか能力とか……そういうのがわかるっていうのが能力の詳細……なのかもな」
「お前が言いたいのは……あー、中世ヨーロッパの人に現代にまつわる能力や才能があってもお前にはわからないってことなのか?」
未来のことはわからない……とでも言えばよかったのだろうか? 少しまどろっこしい言い方になってしまった気もする。
「多分、だけどな。実は例のオッサンには百年後の世界で流行ってるゲームの才能があるかもしれない。実は中世ヨーロッパの農民には現代の格ゲーの才能があるかもしれない。でも、それは俺にはわからない。そういうこと……なんだと思う」
意味深な空気が立ち込めるテーブルだったが、話している内容は極めて下らない。
事実であろうと、妄想だろうと、人生において何らの利益をもたらさない能力を見つけられるという話が下らないもので無いとしたら、何が下らないというのか。
程よい下らなさとタバコを楽しみながら俺も圭佑も議論を進めていたのだが、そこに興味深げに声をかけてきた人が居た。店長だった。
「なになに? 何の話? 才能がどうとか言ってたけど」
店長は人懐っこい笑みを浮かべながら、俺に尋ねる。
俺は圭佑の方を見て、言う。
「こいつ、人の秘められた能力や才能が見れるって言うんですよ」
「へぇ、占いみたいな? 俺は? どう?」
軽薄そうな口調ながらも、決して俺たちを馬鹿にする様子が感じられない。こういった距離感の縮め方というのは熟練のバーテンダーに似ているのかもしれない、と俺は思いさえする。バーに行ったことは無いが、思ったものは思ったのである。
「なんだっけ、圭佑」
圭佑は店長の顔をちらりと一瞬見て、俺の方に向き直る。困ったような表情を浮かべていた。
「言っていいと思う?」
「ん? どういう――」
今日の圭佑との会話を一瞬の間に思い返し、得心する。
「……い、いいんじゃない?」
圭佑もそうだろうが、店長のひととなりはまるで知らない。迂闊な事を言って怒らせてしまっては申し訳ないし、強制退店という可能性だってありえる。
「そ、そうか……」
「なになに、渋らないでよー。あ、なんかヤバい話だったりする?」
圭佑はけらけらと今にも声を出して笑い出しそうな店長の顔を見て、意を決したように口を開く。
「えっと、店長さん、ペヤングの前の容器って覚えてます?」
「んー? うん、蓋だっけ? 懐かしいねぇ、俺あれでだばぁってしたことないんだよー、あ、ごめんごめん、それがどうかした?」
圭佑は店長の顔から視線を逸らす。俺も店長から見えないように顔を背ける。思わず笑ってしまいそうになった。店長は自分の才能に気づいているんじゃないかと思ってしまった。
「えーっと、そのぉ……店長さんの能力というか、才能というか、なんですけど……――」
圭佑の言葉に店長さんは本当に声を出して笑ったのだった。
楽しかったから、という理由で会計を一割引にしてくれたのは……えー……芸は身を助く、という奴なのだろうか……?
それから数日後、サークルの冬合宿の下見兼予約ということで、俺と圭佑、それと先の話で出た佐藤の三人で町外れのキャンプサイトに行くことになった。運転手である圭佑の疲労を除けば、下見自体は何の支障もなく昼過ぎには終わった。
が、帰りの真っ最中にちょっとした出来事が起こる。丁度、山道から抜けて、だだっ広い上に妙に小綺麗な県道に出たばかりの頃だった。佐藤が後部座席から身を乗り出して俺と圭佑に言ったのだ。
「なぁ、科学館行こうぜ」
科学館。端的にいえば、児童向けの科学の展示を行っている場所。名称が違う可能性もあるが、おそらくどこにでもあるだろう建物。
車の主であり、我々の行き先を司る圭佑は不慣れらしい山道が終わった事に安堵を抱いていたのだろう。少しだけ表情が柔らかくなっていた。しかし、油断することなく前を見つめたまま佐藤に聞き返す。
「この歳になって?」
それもそうだ。児童諸君らがあの場所を愛するのはわかる。俺にも心当たりはある。だが、大学生にもなって、という思いは当然抱いてしまう。
「悪いかよー……高橋も笑うなよなー」
佐藤が俺を咎めるようにつぶやく。どうやら意図せず笑っていたらしい。
「いや、違うんだって、いとこが年明けに来るからさぁ、連れて行く予定なんだよ、その下見がしたいの。その子科学館大好きだって言うから、じゃあ年明けの予定とかイベントとか調べたいじゃん? 俺、暫くバイトで今日しか休みないんだってぇ」
やたらに早口で捲し立てられた言葉に、俺は聞き返す。
「で、ホントは?」
佐藤は恥ずかしがるようなこともなく、即答した。
「うん、俺が行きたい。好きなんだよ、あそこ」
俺は呆れて小さく笑ってしまった。正直なのは美徳なのだが他者を巻き込む以上、多少なりとも悪びれたほうが良いのではないだろうか。
「あ、いとこの話も本当な。岐阜から来るんだよ」
こんなやり取りの間にも、圭佑は路肩に車を停める。人通りが少ないのに異様に広い道だから場所には困らなさそうだった。
ハザードのカチカチという音を背景に、圭佑はカーナビをつんつんしながら俺たちに尋ねる。
「それどの辺? 住所とか電話番号とか……何でも良いから教えて」
圭佑は地元の人間でないのを俺も佐藤もすっかり失念していた。確か隣県から進学してきたのだったか。俺のそんな感慨を他所に、佐藤は器用に腕と身体を伸ばしてカーナビを操作していた。
「んーとね――」
そんなこんなで科学館行きが決定した。
山の中腹が目的地になった為、圭佑は面倒そうな顔を浮かべていたが、佐藤の「缶コーヒーを奢る」と言う言葉を受け、渋々ながらも車を進め始めた。
冬めいた乾いた日差しが降り注ぐつづら折りの山道を再び登り、時期に科学館へと着いた。
案の定疲労の色を再び見せている圭佑と、彼とは打って変わって楽しげな表情を隠しもしない佐藤。それと懐かしさを噛みしめる俺。そんな男三人が駐車場に降り立つ。
「なっつかしいなぁ」
俺の言葉に佐藤が頷く。
「だなぁ、俺は中学以来だから……十年は無いにしても、それくらいか」
「俺もそれくらい昔っきりだなぁ。あ、喫煙所あったっけ、ここ」
佐藤に尋ねると、奴は「知らん」と一言。
ぐいぐいと伸びをして身体をほぐしていた圭佑が呟いた。
「なんつーか俺は知らないところだからなぁ、そういうの羨ましいよ」
俺も佐藤も小さく笑い、機会があればお前の地元にも行くよと言う会話が始まった。
さて、それから暫くは入館して順路に沿って中を見学して回っていた。順路も殆ど終わり、ガラス張りの窓から見える景色が、昼の姿から夜景に変わり始めたころ、大きな広場についた。
看板がひとつあり、その奥では数組の子供連れがたむろしていた。よく見てみれば床には何か箱のようなものやタライのようなものが幾つも置かれている。
「んー? 期間限定展示?」
なんのかんので楽しんでいた圭佑が看板をしげしげと眺めてつぶやく。
「水の上を歩いてみようってさ」
言葉を引き継ぐように佐藤が言う。
興味を惹かれ、看板を見てみると金盥の上で足踏みをしている子供のイラストがある。イラストの脇には『ダイラタンシー効果を体験!』とかなんとか、安っぽいフォントで印刷されていた。
「これ、なんか最近聞いた気がするな……」
俺が誰に聞かせるともなくつぶやくと、佐藤が今日一番の興奮した面持ちで俺に言う。
「テレビかなんかだろ、有名じゃん? 片栗粉を溶かした水とか、そういうのに力を加えると水が固くなるっていうヤツ。俺もやったことはないけど、知ってるぜ」
佐藤は諳んじたが、よく見てみれば看板に小さな文字で同じようなことが書いてあった。
「ふぅん……」
俺がかがんで看板の文字をつらつら読んでいると、佐藤は「俺行ってるぜー」と小学生男子の頃を思い出したかのような興奮した言葉を告げ、広場の中へと入っていった。
興奮した佐藤を無視して、看板の文字を読んでいる内に、そういえばと喫茶店での話を思い出した。
「ん? そういえばさ、圭佑」
「何だよ」
自分の言葉や能力をすっかり忘れているのか、圭佑は不思議そうな顔を浮かべていた。
「お前さ、この前能力どうこうとか言ってたよな」
「おう」
「佐藤ってなんかこの効果関係で能力なかったか?」
圭佑は腕を組んで暫く考え込み「あー」と声を漏らした。
「そうだったそうだった」
「あれの詳細ってわかるか?」
佐藤の姿を見てみると、奴は体験コーナーにある一番大きそうな箱の隣にかがみ込み、靴と靴下を脱いでいた。
「んー……いや、確か『特効』としか読めなかった気がする」
「そうか――」
俺と圭佑の会話が続くかと思いきや、唐突に「ふおおおお」という全力を出す男の声と「わぁ……」という感嘆とも畏怖とも取れない幼い声が聞こえてきた。
声の方向を見て、圭佑がぼやく。
「――なるほどね」
「特効って言っても、まだわからんだろ……?」
「ま、まぁ、うん」
圭佑は困惑――というかヒいた声色で、俺に返事をしていた。
叫び声の主は、まぁ、佐藤だった。幼い声は、はっきりとはわからないが、おそらく広場で佐藤の姿を見ている子どもたちのものなのだろう。
俺は大学で佐藤と知り合ってから佐藤の一番本気の顔を見た。奴は水の中へと沈むまいと全力で足踏みをしていた。が、全力であるのは見てわかるのに、箱からは水しぶきが殆ど立っていない。それに加えて、足踏みの動作に一切の迷いや疲労の色は無い。きっと続けようと思えば幾らでも続けられるのだと言う確信めいた思いを、俺は抱いていた。
何故そんな確信を抱いたのかといえば、佐藤の正確かつ無駄のない流れるような綺麗な動きだ。
例えばだが、寿司について何も知らない人物であっても、熟練の寿司職人の調理を見たとき、そこにある種の神々しさや高い技術のニオイを感じると思う。そしてそれを基準に「素晴らしい腕前だ」と感心するだろう。それと同じようなものをダイラタンシー効果を引き起こし、水上で足踏みをする佐藤の姿から感じていたのだ。
「……」
「……」
俺も圭佑も黙って佐藤の姿をみつめる。周囲に居た数人の子供達はめいめいに声を上げ、佐藤を応援している。俺も圭佑も子供も、その親達も……その広場に居たみんなが佐藤の姿に魅了されていた。
「なぁ」
俺と圭佑の間にある静寂を破るのが躊躇われた。佐藤の卓越した動きを邪魔してしまうのではとさえ危惧した。だが、俺は圭佑に尋ねる。
「お前が言ってたの、本当なんだな」
「いや、本当だって言ったじゃんか」
圭佑は苦笑いを浮かべながら、俺の顔を見つめていた。
佐藤の公演が始まって、数分。急に、佐藤はひょいっと箱から飛び退く。佐藤はそのまま近場の椅子に座り、使い捨ての紙切れか何かで足を拭って、靴を履き、俺達の元へとやってきた。
「おまたせー」
佐藤は満足そうな顔を浮かべていた。疲労などまるで感じていない様子だ。
「……お、おう」
「お、おかえり……」
俺も圭佑も言葉に困っていたが、友を迎える言葉をかろうじて絞り出す。
佐藤は俺たちの様子を意に介さず、看板の隣に置かれたビラを手にとって眺め始めた。
「あー、これ今年いっぱいかぁ……」
俺も気になってビラを見てみる。期日の下には小さな文字で「新春初叫び」という企画が一月から始まることに気づく。
「そう寂しがるなって、次の企画も書いてあるだろ?」
俺がそこを指し示すと、佐藤と圭佑は興味深げにビラを確認する。
「ふーん……なんか科学って感じじゃないけどなぁ」
佐藤がつまらなさそうに文句を言う一方で、圭佑は小さく笑っていた。
「佐藤さ、これ、参加しろよ」
圭佑が佐藤に見た〝才能〟。それはふたつあったはずで、もうひとつは、確か――
「叫ぶ内容は『ひゃひゅひょ』にしとけ。優勝か、入賞くらいはできるぞ」
俺も圭佑もニタニタ笑いを浮かべていた。
「なにそれ、わかんねー……大声って感じじゃないしな、それ」
そう言って佐藤は広場を離れていく。それを圭佑が追う。俺は少しだけ立ち止まって、広場に視線を向けた。
広場では佐藤に感化されたのか子どもたちがこぞってダイラタンシー効果を引き起こそうと動きを始めていた。親に手を取ってもらいながら足踏みする子、独力で足踏みする子、色々居たが、どの子もすぐに沈んでしまったり、暫く足踏み出来ていてもすぐに疲れてしまったのか、足を止めてしまっていた。その様子を見るに、どの子も佐藤ほどの技術と才能を持っていないのだろう。
「才能の差、か……」
ダイラタンシー効果でぇ? と言ってはいけない……気がした。
それから暫くして、サークルの冬合宿の夜。
合宿中はペンションを借りていて、その晩は外でバーベキューになっていた。肉を焼く網の番は他のメンバーがしていて、俺は焼きそばやら何やらの鉄板係。どうでもいいが、人選は飲食バイト経験者だ。
俺の出番は開始から少し時間が経ってからだったので、最初の方はみんなに混じって酒を飲んだり肉を食ったりしていたが、程々のタイミングで輪を離れて鉄板に向かう。
鉄板はまだ熱されているだけで、何の調理もされていない。
「そろそろ作るか……」
ぐいと缶ビールを煽り、鉄板に手をかざして温度を測る。確かな熱を感じ、油を引く。と、そんな時に圭佑が俺に近づいてきた。
「よーう」
間延びした酔っぱらいの声だった。
「どうした?」
「お前さーぁ、ナポリタン作れるー?」
「急だな。一応レシピは知ってるぞ? 作ったことは、そんな無いが」
圭佑は身体を横に揺らして、鉄板の辺りにあるクーラーボックスを開いて覗き込んだ。
「高橋ーぃ、おまえ、焼きそばよりもナポリタンの方が美味いぜー」
そう言ってから圭佑は確認したクーラーボックスを俺の方へずりずり動かした。訝しく思い、ボックスの中をちらりと見ると、中にはナポリタン用の材料(ソーセージやカットされた玉ねぎ、ピーマン、そんなもの)が入っていた。
「……準備いいな、お前」
「だろぉー? 科学館のときに絶品ナポリタンの才能って見たからさーぁ。じゃなきゃ調達のしごとなんてしねぇってぇ」
うふうふ言い出しかねないごきげんな様子で圭佑は手にした缶チューハイを煽る。
「そん時言えよ……」
ぽやぽや言ってる圭佑を尻目に、俺は箱の中身を見ながらレシピを順序立てる。ケチャップ、油、具材――ふいに、卵のパックが目に入った。
「なぁ、コレ、なんで卵?」
「双子の卵ぉ。目玉焼きーぃ」
俺は大きくため息をついて、鉄板に油を引くのだった。