短編集   作:むかいまや

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昔のアカウントで書いた短編小説。
カクヨムで行われた自主企画『同題異話 コップの中の漣』参加作品。
上記企画は、同じ題名の元、各々がオリジナルストーリーを創作し、投稿する企画。


コップの中の漣

 夏は嫌いだ。

 理由は至って単純。暑いし、湿気だって酷い。台風で被害を被る人も居れば、熱中症で倒れる人も居るはたまた渇水で困る人も居るし、暑さで機械が壊れることもある。食べ物だって日持ちしなくなるし、氷や冷水の使用量が増大する。電気代だって、クーラーや扇風機でかなりお高くなる。要するに、金は出ていくばかりで、あれやこれやの命に関わる問題が頻発する。

 古来より日本では家を夏に備えたつくりにする様に言われている。つまり日本においては夏と冬とでは、地域の差こそあれ、夏の方が厳しい環境なのである。高温多湿。あぁ、憎たらしい。

 

 そんな私だが、この七月の真っ只中に何故公園に居るのか、疑問に思われるだろう。理由は単純である。恋人との待ち合わせである。私はそもそも夏に外に出るのが嫌なので、お家デートでいいじゃん? と説得しようとしたのだが、どうやら夕方からこの公園でお祭りがあるらしく、それに行きたいのだそうだ。已む無しというところである。

 

 コンクリートから照り返す熱気で景色が歪んで見える。昨日雨が降ったからだろうか、それはそれはじめじめとした嫌な空気で、澄み渡る空や、ぼんやりと浮かぶ雲の愛らしさが霞んで見えてくる。私が今腰掛けているベンチの上の、青々とした木々の葉や、その葉が作る陰、そこに吹き込む風は、それはそれは心地よいのだが、そもそも暑くなければこのような環境に身を置こうとなど考えまい。あぁ、暑くてたまらない。

 周囲では、祭りが控えているからだろうか、妙に子供連れが多い。耳障りというと少し失礼だが、そんな喧騒が耳に入る。私は子供が元気にはしゃいでいる姿も、音も、全てが愛おしく感じるので寧ろ心穏やかになるのだが、これを好まぬ人も少なくは無いだろう。そう考えると、これも夏特有の災難と呼び表して良いのかも知れぬ。夏は嫌いなのだ。

 

 空を見上げると葉を透かして届く柔らかな陽光が目に入る。

 夏の日差しというモノは直視に耐えたものではない。室内から一歩出たときの目の眩み、眩みが済んだと思っても油断は出来ない。目に突き刺さるような日光が、我々に襲い掛かってくる。言うまでも無いことだが、サングラスなり帽子なり、そういった物は必須であろう……

 ふと私の体を涼しげな風が撫でた。心地よいものである。後は数度ほど温度が下がっていただければ良いのだが今は正午前という時間帯ゆえ、まだまだ暑さは続くに違いなかろう。アイツが早く来てくれればカフェーなりレストランなりに入って、少しは涼しい空間に居られるのだろうが……

 何故こんなにも待つ羽目になったのか、それは、私は今回三十分ほど早く待ち合わせ場所に到着しているからだ。予定していた電車を前倒しに乗ることが出来、何故だか早く早くという焦りのような思いに駆られていたのだ。夏の暑さの所為に違いあるまいて。

 

 私はため息をつき、視線を動かす。

 木々の葉のすぐ下から覗く、ビルと空との合間には入道雲が聳えている。雄大なその姿に惚れ惚れしてしまうが、彼の雲があるということはすなわち夏ということである。うんざりである。

 ひとしきり入道雲に見惚れて、更に視線を落とすと、ベンチの脇に水溜りがあった。良く見てみると、小さく波紋が広がっている。はてさてと思い、よくよく見てみると、アメンボが数匹浮かんで、楽しげに滑っていた。アメンボなど意図して視界に入れたのは、果たして何時振りだろうか。幼年期の頃以来では無いだろうか。郷愁のような思いが胸中をめぐる。楽しげに跳ねあうアメンボたちを見ていると、つられてウキウキワクワク……とまでは行かないが、愉快な思いになるのは違いない。

 少しばかり詩的に表現するならば、コップの中の漣、というところだろうか。

 とはいえ、ベンチ脇の水溜りをコップの中と表現するのは流石に飛躍が過ぎるだろう。アメンボの動きで出来る波も漣というよりも波紋というべきであろうし、詩的に過ぎる表現をしてしまったような気がしてきて、妙にこそばゆい。こそばゆいついでに体が火照ってきた。誰に言ったわけでもあるまいに、勝手に恥ずかしがって暑くなるなどとは……これも夏の所為にしてしまおうか。

 春だとか満月だとかは人を狂わせると時折言われるが、夏の暑さも人を狂わせるに相応するだろう。

 

 段々と喧騒が遠くなっていく。眠いやら暑いやらで頭が呆けて来たのかもしれない。

 頭の中に一つのイメージが沸いてきた。薄暗い部屋にレースのカーテンを揺り動かすそよ風と、結露しすぎて触るのが少しばかり躊躇われるようなコップ。中身はジュースかもしれないし、麦茶かもしれない。私としては後者だ。色合いが薄茶色に思われた、それだけの理由だ。

 そして、氷の解けるかちゃりと言う音と、風鈴のちりんという小奇麗な、澄んだ音が響く。昼寝から目覚めたばかりで薄らぼんやりとした意識と、それを覚まそうとする執拗なまでの熱量とが充満した部屋。扇風機が生ぬるい風で部屋をかき混ぜている。薄暗い室内には突き刺さるような日差しが窓から侵入してきている。そんな景色が夢想せられた。いわば白昼夢ともいえる夢想である。熱中症になりかねないので、あまり空想に耽るのも良くないのだろうが、私は夢心地を楽しんでいた。

 

 そんな私に急に声をかけてきた存在があった。

「お待たせぇーこれ、あげる」

 恋人である。つばの広いハットを被り、白い半袖のブラウスに紺色の長い釣りスカート、低めのヒールのベージュのサンダルを履いている。大人しめの可愛らしい格好をしていた。少しばかり見惚れてしまった私の様子を見て彼女はどうしたの? とくすくす笑っている。少しばかりバツが悪い。

「お、おう。ありがとうな」

 普段私が珈琲を好んで飲んでいるのを知っているからか、彼女は珈琲を持って来てくれたのだった。まだ購入してから時間が経っていないのだろうか、しっかりと冷えていて、体の火照った私には大変ありがたい。かしゅりと缶を開き、飲み下す。どうやら思っていたよりもずっと喉が渇いていたようで一気飲みとなってしまった。

「一気に飲んだの?」

「思ってたよりも喉が渇いてたかな……暑くてねぇ……」

 思わずぼやいてしまう。

「なんだかごめんね、無理行って外に出ることになっちゃって……」

「いや、平気平気。偶には外に出ないと、それに祭りも楽しみだよ。何時振りかなぁ……」

 あ、私も久しぶりかもと彼女は言った。二人して昔を懐かしむような素振りをしながら空を見上げる。

 

 恋人が傍らに居て、木陰のベンチに腰掛けている。時折吹く風は我々の体を撫で上げ、そよぐ木々の枝葉の音が喧騒を我々から遠ざける。ぼんやりとしながら考える。今年の夏も、きっと何も出来なかったというのかもしれない。あれがしたかった等と過ぎ去った日々に思いを馳せて、後悔の秋を過ごすのだ。この暑さは人に、何かをしなくてはならぬという焦燥感と、何かをすることを躊躇わせる身体的な倦怠感とを味あわせるのだ。それが嫌で嫌でたまらない。

 今年こそは今年こそはと毎年思い、過ぎ去ってしまった日々に、過ぎ去ろうとする日々に、焦りを感じる。何も出来なかったと後悔するばかり。その後悔の前には自分が何を成したかなど、忘れ去ってしまう。そうして後悔をひとしきりした後、幾年かしてからの夏になって、初めて思うのだ。あの時の夏はあんなに出来たのに、と。

 

 気付けば私の顔を恋人が覗き込んでいる。さて、昼飯時だし、食事にでも行こうか。不思議がっているやら面白がっているやら判然としない彼女に声をかけてベンチを立つ。夏が始まる。

 

 じりじりとした暑さ。命の全盛を迎える草木。夜に吹く風。木陰に吹く風。入道雲。夕立の前後の雨の匂い。陽炎。暗い屋内と明るい屋外の対比。はしゃぐ子供たちの声。胸に抱く郷愁。

 

 コップに浮かんだ氷がふわりと動き、漣を立てる。

 

 夏は嫌いだ。

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