二
「しかし、ディルド茶道とは何なのだ……? 茶道はともかく、ディルドとは……」
「ディルド茶道」なる面妖な語を理解しかね、長門は考え込んでいた。神妙な面持ちで、来た道を黙々と戻る。凛々しいその顔は、疑問に囚われるあまり険すら漂っている。
彼女の心がここに無いことを知ってか知らずか、呼び止める者があった。
「あら、長門じゃない、提督がお呼びみたいよ?」
長門型二番艦・陸奥。姉妹だけあってよく似ているが、外見も口調も心なしか長門より柔らかである。彼女の呼びかけで不意に現実に引き戻された長門だが、歴戦の兵の威厳を崩さず答える。
「ああ、それでここまで来たんだが、少しばかり気が早かったようだ。
そうだ! 陸奥よ、ディルドとは何か知ってはいないか?」
迷わず疑問をぶつける長門。暁の口ぶりからすれば、長門以外なら知っていてもおかしくはない。
「え? あら? 何て?」
聞こえなかったのだろうかと、長門はもう一度尋ねる。
「ディルドだ」
その質問が鼓膜に達するや否や、陸奥は瞬く間に赤面し、滅多に見ないような表情――中破してあられもない姿をさらしている時の顔が近いだろうか――で、室内、かつ緊急出撃でもないことを忘れさせるような速さで駆けて行ってしまった。長門にはどういうことかわからなかった。
「おい、どうした、何も逃げることは無いだろう!」と呼び止めようとするも、陸奥の姿は既に見えなくなっていた。
陸奥の反応を訝りつつも、長門は先に進んでいく。と、もう一隻の戦艦が目に留まる。
「おや、あそこに居るのは武蔵じゃないか。あの武蔵が恐れをなすようなことはあるまい。おーい! 武蔵!」
大和型二番艦、武蔵。上半身にはさらしだけしか巻いておらず、褐色の肌が露出し、その肉体の美しさを主張している。へそも、肩も、豊かな胸も。このような、ともすれば破廉恥な恰好をしていてもそれを感じさせないのは、そのきりりとした面持ちや、軍装であることを忘れさせないその服の意匠からだろうか。放たれる声はいかにも戦う女といった響きで、語る内容がその武勇でなくとも、それらを物語っているようである。
「おお、長門か。提督は期間限定海域の攻略に乗り出すらしい。私も次の出撃予定を通達されたぞ。おそらく長門もそれで呼ばれたのだろう」
「なるほどな。また武蔵の主砲が火を噴くのを見られるとは、胸が熱いな。今回も撃破数勝負といこうじゃないか。そうだ、話は変わるが武蔵よ、ディルドとは何か知っているか?」
「ディルド……? 知らんな、新兵器か何かか?」
知らんと言いつつ、その問いが真剣なものであると察した武蔵は、即座に推測し、答えた。
「そうか……武蔵も知らないとは。駆逐艦の間でディルド茶道なるものが流行っているらしくてな」
「なるほど、ではディルドって奴を茶の素材、ないしは茶道具として使っているということだろう。む、那智が来るぞ、彼女なら知っているかも知れないぜ」
得られた情報からできる、過不足のない推理を開陳した武蔵。その視線の先に居るのは重巡・那智である。紫紺を基調とし、肌の露出もなるべく抑えられた落ち着いた装いは、並び立つ二人に比べればいくらか地味に見えた。面持も凛とし、その毅然さが滲み出るようだ。側頭部で一本に結われた黒髪が腰より下まで垂れ、彼女の個性を主張している。
「呼んだか? 那智だ。二人揃ってとは珍しいな。戦術談義か何かか?」
「いや、鎮守府で流行しているディルド茶道なるものについて、少しな。那智は何か知らないか?」
涼しげな目元を崩さず立っている那智に、長門は本日かねてからの疑問を投げかけた。
「ディルド茶道か。足柄と羽黒が執心のようで気にはなっているのだが、私はまだだな。妙高姉も誘って今度誰かにご教授願おうと思っている」
「ほう、では那智はディルドについて知っているのか」
武蔵もまた、ディルド茶道なるものに対する興味を持ち始めていた。長らくこの鎮守府に勤めていた長門さえ知らない「ディルド茶道」。その謎に、既に少しずつ囚われ始めていたのかも知れない。
「話にはな。何やら棒状の物らしい。どんなディルドを使っているかで微妙に味が変わるらしいぞ」
武蔵は考える。棒状ということは道具であろう。そして、ディルド茶道というからにはディルドは本来その用途には使われないものがだということだ。となるとやはり、ディルドは……。
長門の方は、武蔵の思索など意に介さずに話を進めていく。
「那智も興味があるとは、いい話を聞いた。私も昼から、駆逐艦たちにディルド茶道を教えてもらおうと思っていたところだ。後で妙高も連れて、一緒に来ないか?」
「悪くない話だな。私は夕方の演習まで時間がある。妙高姉も誘っておこう。」
休日に同席するという、普通であれば姦しく盛り上がりもしそうな提案。しかし二人は微笑もせず、まるで業務連絡であるかのごとく約束を取り付けた。しかしながら、その口ぶりからはそこはかとない期待が漂っていた。
「さて、私は執務室に行かなければ。ついでに提督にもディルド茶道について伺おうと思っているが、皆も来ないか?」
すかさず二人を誘う長門。
「そうだな、もしかしたらこの流行も司令官に考えがあってのことなのやも知れぬ。真意を問おう」
「私もディルドが何なのか気になって仕方ない。面白そうだ。同伴させてもらうぜ」
返事に迷いは無かった。この三人の間には、既に「ディルド茶道への興味」という紐帯が形作られ始めていた。
「では、私への用件が済んだら二人を呼ぶから、外で待っていてくれ」
*
白い軍服をその身に纏い、執務室の椅子に座っている男はそこそこ若く見える。それでいて、きりりと締まった目つきは、肩書相応の厳格さを湛えているようであった。彼がこの鎮守府の提督である。脇では薄桃色の髪をした艦娘が書類を収めた盆を持ち、直立不動で控えている。
長門を呼び出したのはやはり、次に出撃を解禁される海域の概要を説明するためであった。演説のように大仰な語り口ではない。むしろ淡々としていたが、信頼に値すると直感させる、迷いの無い口ぶりだった。
「……と、いうのが今回の作戦案だ。迅速な攻略が求められる以上、期間中は全力出撃だ。苦労をかけるが、毎度ながら頼りにさせてもらうぞ」
「任せておけ。ビッグセブンの力、存分に揮わせてもらおう」
そのような提督だからこそ、長門の返事もまた自信に満ちていた。
「心強いな。ああ、そうだ。次回の作戦には高練度の駆逐艦娘・軽巡艦娘が必要との噂でな。用心のために海域解放までは彼女を秘書艦にして対潜装備の備えをしておこうと思う」
提督が言い切るや、脇の艦娘が敬礼をした。手先が風を切る音まで聞こえそうな、鋭い動きであった。
「不肖、駆逐艦不知火、秘書官を務めます」
そう答えた彼女、不知火は、やはり駆逐艦だけあって背も低く、あどけなさの残る面影をしている。しかし、その声は磨き上げられた刀のように、鋭い気迫を纏っている。そして、挙動も、表情さえも一切遊びは無い。生まれながらにしてそのようであったとでも言わんばかりの、洗練された佇まいである。それを見るだけで、彼女が娘であるより先に戦士であるのだと理解するには十分であった。
「不知火か、よろしく頼んだぞ。そうだ、提督に聞きたいことがある。……武蔵、那智、入っていいぞ!」
その声に合わせ、執務室の開き戸が左右同時に開け放たれた。提督から見て右のドアを武蔵が、左を那智が押したらしい。執務室のど真ん中、提督の正面に対峙していた長門の左右後ろに、那智、武蔵が立つ。その鶴翼の陣のごとき隊列、那智の怜悧な表情、武蔵の含みのある顔、相変わらずの長門、いずれもさながら提督に詰め寄るようであったが、提督はうろたえない。
「揃いも揃って一体どうした、気が合いそうな面子ではあるが」
そして長門はこれまでと同じように問う。
「提督、聞きたいことがある。鎮守府で流行している『ディルド茶道』とは一体何なのだ?」
「ふむ」
――多少の間があった。
「何?」
「ディルド茶道だ」
間をおいたところで、長門の返答は変わらない。だが提督は、己の聞き間違いではなかったことを受け入れられなかった。流行している……?
「は?」
提督の否認もまた、姉妹からその名を聞いていた那智には受け入れがたい。
「どういうことだ! 妙高姉も足柄も知っているのだぞ、長門は朝に六駆がディルド茶道とやらをしているのを見たそうではないか」
「ああ、実に楽しげに器をかき回していた」
長門の言うことは事実である。だが提督にとっては、確かな現実味を帯びた、冗談には聞こえない長門の口調と、短いながらも認識を拒む語の連なりは、一層の混乱を招くものでしかなかった。
「どういうことだ」
「うむ……提督も知らなかったか。こうなったら仕方あるまい。私もこの目でディルドとやらを確かめてやるぜ」
武蔵は、提督が知らないとあればあてにはできない、ならば自分が行こう、と、まっとうに思考した。
「そうだ、私達はこれから六駆の面々にディルド茶道を教わりに行く。二人も一緒にどうだ?」
「そこまで流行しているなら、把握していないのは流石に不知火の落ち度を認めざるを得ません。ここで留守番というのも性に合いませんし、不知火は同伴します。司令?」
ほか三人の艦娘も実戦を想定し、常に実践のもとに己の刃を研いできた面々である。相談せずとも意見はまとまった。
だが提督は違う。ましてやディルド茶道である。そもそも何故ディルドなのか。なぜそんな単語をこの鎮守府で聞くのか。そもそも、ディルド茶道とは、何だ。
「いや、俺は遠慮しよう」
「そうか、またとない機会だと思ったのだが」
「食わず嫌いとは感心しないな、男が廃るぜ?」
「怖じ気づくなど、司令官らしくもない。見損なうぞ」
「つまらないわね」
「折角だ、行かせてもらおう」
ものの数十秒で意見を翻す提督。長門、武蔵、那智、不知火は、自らの言葉に相当の圧力があったことを果たして自覚していたのだろうか……。
「よし、そうと決まれば皆で行くしかあるまい! ヒトサンサンマルに駆逐艦寮玄関前で落ち合おう! 作戦以外で提督と行動を共にするのは久々だ、胸が熱いな」
長門の言葉には提督と憩うことへの純粋な喜びがあった。
「ふむ。時にはそういうのも悪くない」
那智はあくまで冷静であった。
「フッ、この武蔵、主砲だけではない所を見せてやる」
何が主砲だけではないのだろうか。
「ディルド茶道戦隊、出撃する!」
不知火の気迫は遊びにも全力でむけられた。根が軍人だと何につけてもこうなるらしい。
そして提督は、今にも頭を抱えたかった。誰も聞いていなくとも「ディルド茶道ってなんだよ」と呟きたかった。
それを飲み込み「以上、解散」と告げることができたのは――提督自身にも正直なところよくわからなった。おそらく、四人の態度があまりに軍人然としていたからだろう。
次回、更なる犠牲者が。