・ハンナは反省した!
・ハンナはジャンを探し始めた!
・ジャンはリックとピートが連れて行ったぞ!
・ジャンはピンチだ!
リックとピートに強引に連れ出されたジャンは、人気のない階段下の暗がりで、壁際に追い込まれていた。
「なあジャン、お前今朝、お前んとこのガキにキスされたんだって?」
「キスされたんだって?」
「な、なんでそれをリックが知ってるのさ!?」
「ははっ、本当だったのか!ピート、お前が見たってのは嘘じゃなかったみてえだな」
「ひでえよリック、俺を疑ってたのかよ!
俺はこの目でちゃーんと見たんだぜ!」
わざとらしく怒ったふりをしながら、ピートは普段は前髪に隠れている目をギョロリと見せびらかした。
リックはそんなピートの背中をバシバシ叩きながら、「わりぃわりぃ」と口先だけで謝った後、ジャンに向かって意地悪く笑いかけた。
「なあジャン、このこと、他のみんなには秘密にしておいて欲しいか?」
「う、うん……」
「だったらこれから毎日、俺たちにハンバーガーとフライドポテトとソフトクリームとピザとサイダーを奢ってくれよな」
「奢ってくれよな」
「はぁ?なんで僕がそんなことしなきゃいけないのさ!」
「イヤなら別にいいんだぜ?ジャンは自分とこのちびっこにキスされて、顔真っ赤にしてたって言いふらしてやるからな」
「言いふらしてやるからな」
「や、やめてよリック」
「おう、いいともやめてやるぜ。ハンバーガーを奢ってくれたらな?」
「フライドポテトとソフトクリームとピザとサイダーもな」
「そんな……」
「ああそうだ、いっそジャンとあのガキは恋人同士って言った方が分かりやすいかもな。
なんせ朝からキスなんてしてるんだもんな」
「ジャンとちびっこは恋人同士~」
「やめろってば!」
ジャンは激昂して跳びかかったが、リックはおどけながら大袈裟に躱した。勢い余って倒れたジャンを見下しながら、リックはさらにジャンを追い詰めていった。
「別に俺はどっちでもいいんだぜ?困るのはお前だけだ。
だから、俺にどうして欲しいか決めるのはお前だぜ、ジャン。
さあ、言いふらされるかハンバーガーを奢るか、どっちにするんだ?」
「どっちにするんだ?」
ニヤニヤと笑うリック達の顔を睨み返しながら、ジャンは立ち上がった。
「いい加減にしろよリック!
僕はもう怒ったぞ!」
珍しく感情的になって、ジャンは叫んだ。
ヤダモンと恋人だなんて言いふらされるのは絶対にいやだった。そんなことをされたら、ただでさえ気まずいハンナとの仲が余計に拗れそうな気がして、それだけは避けたかった。
しかし、大人しくリックの言うことを聞くのもいやだった。こんなことになっているのは、ヤダモンのキスが発端ではあるが、彼女のキスは好意からの行動であることに間違いない。それをダシにからかわれるのは恥ずかしいけれど、だからと言って「黙っててやるから言うことを聞け」なんて脅しに屈してしまうのは、ヤダモンの気持ちを食い物にされているようで我慢ならなかった。
ジャンは強い拒絶の意志を瞳に宿して、リックを見据えた。
怒りを露わに立ち上がったジャンを見て、リックは楽し気に目を細めた。
いつもの気弱なジャンをからかうのも楽しいが、骨のある所を見せてくれるなら、それはそれで好ましい。歯向かうなら叩きのめして言うことを聞かせるだけさ、そう考えながら、リックは右手を握りこんだ。
「へえ、ジャン。やろうってのか?」
リックはニヤリと笑うと、右手の拳を左手に打ち付けながら一歩前に出た。好戦的に笑うリックに一瞬気圧されたジャンだったが、それでもここで退くわけにはいかない、と両手を握って不格好ながらも構えを取った。二人の間のピリピリとした緊張が走っており、まさに一触即発といった空気だった。
その一方で、リックの後ろにいるピートは「あれ、ちょっとヤバいんじゃないか…」と少し焦っていた。もともとピートの算段では、ジャンをからかって遊んで、2、3日タカれたらラッキー、くらいのものだった。それが今や喧嘩騒ぎになろうとしている。
止めた方がいいかなと思うものの、下手に割って入ると熱くなっているリックからとばっちりを受けそうで、どうしても二の足を踏んでしまう。
あわあわとうろたえるピートを尻目に、リックとジャンとの距離はじりじりと縮まっていた。あと一歩でお互いに手が届くというところまで近づき、ピートが「もうダメだ」と顔を背けた瞬間―――。
「なにやってるの!」
階段下の暗がりに、一人の少女の声が響いた。
「「「ハンナ!?」」」
驚いて声の主の方へ一斉に目をやったジャン、リック、ピートの三人は、一様に少女の名を呼んだ。
「ハンナ、一体どうしてここに?友達と宿題してるんじゃ……?」
「そんなことはいいの!
それよりジャン、リック。どうして喧嘩なんてしてるのかしら!」
ぷんぷん怒りながら二人に詰め寄るハンナに、リックは慌てて言い繕った。
「べ、別に喧嘩なんてしてないぜ!?
ジャンとは話をしてただけで、喧嘩になんてなってねえよ、そうだろジャン?」
「う、うん、確かに喧嘩にはなってない、かな……?」
「なによ言い訳して、男らしくないわね!
それにこんな所でコソコソする話なんて、どうせロクな話じゃないんでしょ!」
ハンナに半眼でジトっと睨めつけられ、ジャンとリックは曖昧に笑いながら目を逸らした。
それを見て、ハンナは鼻をふんと鳴らし、ジャンの手を掴んでぐいと引っ張った。
「もういいわ、ジャン、帰りましょ」
「う、うん」
ハンナに引っ張られて歩き始めたジャンを、リックは焦って呼び止めた。
「おいジャン、今朝のこと、バラされてもいいのかよ!どうなんだ!」
ツカツカと歩いていたハンナだったが、それを聞いて「今朝のことでジャンが脅されそうなこと」と考えてはたと思い至り、振り向いてジャンに代わって答えた。
「今朝のことって、ヤダモンにキスされたことなんでしょ。
ばっかじゃないの!家族にキスされることの、何がそんなにおかしいのよ!
それにキスなんて、大したことでもないでしょ!」
そう言うと、ハンナは隣にいるジャンの頬にすばやく口づけた。
それを見たリックはショックを受けたように固まり、ピートは驚いて目を見開いていた。
そしてジャンはというと、頭から湯気が出そうなほどに顔を真っ赤にしていた。
ハンナも少し頬を染めていたが、照れ隠しなのかむすっとした顔でジャンの背中を叩いた。
「なに赤くなってんのよ!もう、行きましょ!」
そう言って、まだ顔の火照りの取れないジャンを従えて足早に去って行った。
残されたリックは、愛しのハンナがジャンにキスするのを見せられて、地団太を踏んで悔しがった。
「チクショー、なんでジャンのヤツがハンナにキスされるんだよ!
こうなったら絶対に言いふらしてやる!」
「そうだそうだ、ジャンがハンナにキスされたって言いふらしてやる!」
ピートがそう言った途端、リックの拳骨がゴチンと脳天に振ってきた。
「バカ、そっちじゃねえよ!
ガキにキスされた方に決まってんだろ。
いいかピート、絶対にハンナがジャンにキスしたなんて広めるんじゃねえぞ!!」
「お、おう……」
ピートは頭をさすりながら、釈然としないまま返事をした。ハンナのキスの方がジャンは恥ずかしがるんじゃねぇかな、と思ったピートだったが、リックがハンナに恋をしているのは知っているので、そりゃまあリックは悔しいよな、と隣にいる友人を少しだけ哀れんだ。
そして嫉妬の炎に燃えるリックは、ピートと共に今朝の出来事をクラスメイトたちに吹聴して回るのだった。
●
ランドへと走るリニアの座席に、ジャンとハンナは隣り合って座っていた。顔の火照りが取れて落ち着くまでに時間のかかったジャンだったが、今は何とか平静を取り戻していた。
「さっきはありがとう、ハンナ。 おかげで助かったよ」
「まったくよ、ジャン。もうちょっとで本当に喧嘩しそうだったじゃない。
怪我がなくてよかったけど、なんであんなことになったのよ」
「あはは、ちょっとね……」
バツが悪そうに笑ってごまかすジャンだったが、すっと表情を引き締めて、今日一日ハンナに言いたかったことを伝えた。
「ハンナ、ごめんね。今朝、僕のせいでハンナを怒らせちゃったみたいで。
今日はずっと謝りたかったんだ。本当にごめん」
「ううん、ジャンは悪くないわ。私が勝手に怒ってただけなの。
私の方こそごめんなさい」
ジャンとハンナはお互いにしおらしい顔をして見つめあっていたが、どちらからともなくくすくすと笑い始めた。
「よかった、僕、ハンナと仲直りできてうれしいよ」
「私もよ、ジャン。
ね、今からジャンの家に行っていい?
実は宿題、全部は終わってないの」
「もちろんだよハンナ、一緒にやろう!」
そうしていつものように他愛ない話をしながら、ジャンとハンナはルブラン家までの帰路を辿った。
「ただいまー」
「おじゃまします」
ルブラン家に着いたジャンとハンナは、揃って玄関をくぐった。
しかし、家の中はしんと静まり返ったままで、ジャン達の声に答えた静寂が、二人以外に誰もいないことを伝えていた。
「そっか、今日はみんな研究所に行ってるんだった。
ハンナ、座っててよ。なにか飲み物持ってくる」
「うん、ありがとう」
ジャンがキッチンに消えると、ハンナはぽっと顔に熱が宿るのを感じ、両手で頬を挟んだ。
よくよく考えてみると、その場の勢いでとはいえ先ほどキスした男の子の家に、今は二人っきりでいるのだ。一度そう思ってしまうと、どうしてもジャンのことを意識してしまい、自分がどんどん緊張していくるのをハンナは止められなかった。
「気にしちゃだめ、ジャンの家で宿題なんて何度もやってるじゃない。
大丈夫、ジャンのことだもの。きっと何もない、わよね……」
小さくそう呟いたハンナは、ジャンの意気地なしな性格をいい意味で信じて、何も起きないことを祈った。そして深呼吸すると、そわそわと髪を撫でつけたり、いそいそと襟元を整えたりしながら、ジャンが戻ってくるのを待つのだった。
一方のジャンも、家の中でハンナと二人きり、という状況に動揺していた。
「さっき、学校でハンナにキスされたけど、ハンナは僕のこと好きなのかな……。
気になる、でもそんなこと聞けないよぉ!」
思い出して赤面したり、顔を覆ったり、地団太をふんだりと百面相していたジャンだったが、頭をふって雑念を追い払った。
「落ち着けジャン、ハンナとは友達だし、今日は宿題をするだけだ。
いつも通りじゃないか。普通に、普通にしてれば大丈夫」
そう自分自身に言い聞かせて、オレンジジュースを注いだグラスを持って、ハンナの元へと戻った。
「えっと、はい、どうぞ」
「ん、ありがとう、ジャン」
向かい合わせに座って、ジャンは飲み物をハンナに手渡した。
いつも通りに、と意識しながらもどこかぎこちない二人だったが、お互いそんなことは口にせず、オレンジジュースを一口飲むと、早速宿題ノートを広げた。
「私、理科は好きだけど電気はちょっと苦手かも。
電流とか電圧とか、こんがらかっちゃうわ」
「大丈夫だよ、覚えることはそんなにたくさんないから、ハンナならきっとすぐ得意になるよ」
「そうだといいんだけど。
ねえ、ジャン。今日のモーターの宿題、これであってるかしら」
「ちょっと見せて……あっ、ハンナ、ここ2つの磁石が同じ向きになってるよ。
こっち側は反対にしとかなきゃ」
「ああそっか!じゃあ、こうすればいいわね。
ね、次の問題はこれでいいんだっけ?」
「うん、これで大丈夫。あ、でもその次のここ―――……」
「あれ、でもこれって確か―――……」
二人は時に教え合い、時に黙々と手を動かしながら、宿題を片付けて行った。
ジャンは、時折ハンナの顔をちらちらと見ては、頬を染めて慌てて自分の宿題ノートに視線を戻す、ということを繰り返していた。
ハンナはそんなジャンの様子に気づかないフリをしながら、安心半分、もどかしさ半分で「やっぱりジャンはジャンね」と心の中で呟いた。
やがて日が傾きかけた頃、、宿題はすべて終わった。
理科の得意なジャンと、頭のいいハンナが揃ったことで、宿題はかなり効率よく進んでいた。
「ありがとう、ジャン。
電気の宿題、助かったわ」
「こっちこそ、国語の宿題はハンナがいないときっと散々だったよ」
お互いに労い合いながら、二人は宿題ノートを片付けた。
「ね、宿題も終わったし、ゲームやらない?」
「ごめん、ジャン、今日はもう帰らなきゃ。
今日の夕飯は私が作る番だから」
「そっか……。じゃあ引き留めちゃ悪いね」
ジャンは名残惜しそうにそう言うと、玄関先までハンナを送った。
「じゃあね、ハンナ。また明日……」
どことなく力ない感じで別れの挨拶をするジャンに、ハンナは小さく苦笑した。
――ま、ジャンだもの。こんなものよね。もう少し積極的になってくれてもよかったのにな――
そう思って、ハンナは少しだけがっかりした。
――でも、これでもう大丈夫。明日からはいつも通りよね――
心の内でそう思いなおして、ハンナはジャンに手を振った。
「じゃあね、ジャン。また明日」
ポーチまで出たハンナが別れを告げ、くるりと背を向けようとしたその瞬間――。
「ハンナ!」
ジャンは叫ぶようにハンナを呼び止めた。
「どうしたの、ジャン。急に大きな声出して」
きょとんとした顔でこちらに向き直ったハンナの視線の先に、決意を顔に滲ませたジャンが立っていた。
ジャンはハンナの目をまっすぐに見て、精一杯の勇気を出して言った。
「あの、えっとさ……。君に、キスしていいかな!」
「えっ?」
ハンナは驚いた。
それは、ハンナがほんの少し期待していて、でもきっとダメだろうな、と思っていた言葉だった。
まさか聞けるとは思っていなかった言葉だったが、実際に言われてみると、それはこそばゆく、はずかしく、けれどその何倍も嬉しいものだった。
ハンナは後ろで手を組んで、少しの間もじもじした後、上目遣で答えた。
「う、うん…いいわよ」
そしてハンナは目を閉じて、つんと顎を突き出した。
ジャンの顔を見ているのが恥ずかしくて、思わず目を閉じたハンナだったが、その分ジャンの息遣いまで聞こえるようで、余計にドキドキした。
やがて、ジャンの震える手で肩を抱かれ、火照った肌の熱が分かるほど顔が近づいたかと思うと―――
ちゅっ、と左の頬に唇が降れるのを感じた。
ジャンが離れていくのを感じて、ハンナはぱちくりと目を開けた。
目の前では、これ以上染める所はない、というほどに顔中を真っ赤にしたジャンが、出せる勇気は出し切ったとでも言うように、うつむいて目をせわしなく動かしていた。
そんなジャンを見て、ハンナはくすっと笑うと、人差し指で彼のおでこをつついた。
「なにそんなに照れてるのよ。ほっぺにキスしたくらいで大袈裟ね。
もう、しゃんとしなさいよ、ほら!」
ジャンに顔をあげさせ、無理やり目を合わせさせて、ハンナはすぱっと言った。そしてふと西の空を見て、一番星が出ているのを見つけて慌てて言った。
「たいへん、早く帰らないと!
じゃあね、ジャン。また明日」
「う、うん。またね、ハンナ…」
そして自分の家へ向かい始めたハンナだったが、2、3歩進んだところで振り返った。
「ねえ、ジャン。ヤダモンが帰ったらあの子にもキスしてあげたら?
ヤダモン、きっと喜ぶんじゃないかしら?」
ハンナはそう言ってウインクすると、今度はもう振り返らずに走り去った。
後に残されたジャンが、今度はヤダモンのことを意識し始めてまた百面相していたが、そんなことなどハンナは知る由もなかった。
ジャンからは姿が見えなくなる所まで走ったハンナは、歩調を緩めると、そっと左の頬を撫でた。
意気地なしの男の子が、自分のために勇気を出してくれたのだと思うと、顔が綻ぶのを止められなかった。
そしてハンナは、頬を撫でたその人差し指に、そっと口づけた。
「もう少し男らしくなるまで待っててあげるから。
ジャン、しっかりしなさいよね」
夕日に照らされた少女の頬が赤いのは、きっと西の空のせいだけでないのだろう。
空に光る宵の明星に、宇宙物理学博士を目指す男の子の顔を重ねて、ハンナは微笑みながら語りかけたのだった。
というわけで、「母親以外の女性に、ジャンが初めて自分からキスしたお話」でした。
ジャンに告白させる気はありませんでしたし、告白もしない内から唇にキスさせるつもりもありませんでした。
というわけでほっぺにちゅーです。
ハンナ的には今回の頬にキスも満更でもないので、告白してくれたら唇にキスしてもいいよ、って思ってるんじゃないかと。
最後の「宇宙物理学博士を目指す少年」はジャンのことです。
アニメだと『ジャンのラブレター』で語られています。
このエピソードは意外な行動力でラブレターを送るジャンに、「お。お前、漢気持ってるやん。」と、私の中でジャンへの評価が上がった回でした(笑)
ハンナが絡むと時折予想外の爆発力を見せてくれるジャン少年です。
そういう所が、ハンナの気を引いているんでしょうね。
その内、ジャンとハンナのなれそめ部分(妄想)も書きたいなー