サモンナイト5 路地裏の暗闇   作:クレド先生

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 最近になってシネマックスが放映しているバンシーと言うドラマを知りました。
 カイ・プロクターがダンディですね。ただ、アラン・ポールの名前に引っ張られてきたら全然制作に関与してない名前のみの総指揮だったので、ちょっとガッカリかも……


2. 素顔(前編)

 -事件ファイル 98.4-

 

 リチャード・サイラスは土曜の休日の昼、セイヴァール郊外の公園で遊んでいた9歳の少年ヘンリー・ワイズミュラーとその5歳の弟のアルバート、そして彼らの幼馴染である8歳の少女デイジー・ベルモンドに近付いた。

 リチャード・サイラスは三人に自分の飼い犬の行方が分からないから探している、見ていないかと話しかけた。三人は見ていないと答えた後、自分達も探すと言い出した。その後、彼は三人と共に公園から去り、翌日の早朝に発見姿を消していたという。

 事件発生の推定時刻からおよそ四時間後、三人の両親らから通報を受けた警察騎士団少年犯罪対策課は、関係者に事情聴取を行った。しかしそこで当該児童三名を連れた男の目撃証言が多々寄せられたため、初動捜査が行われた。

 リチャード・サイラスは宗教を熱心に学ぶ内向的な18歳の青年だったが、幼少期から人目を忍んで小動物の殺害を繰り返す残虐な行為を楽しんでいた。初めは虫を、次に小鳥を、続いて猫や犬といった風に、彼が殺す生物は時間を経るに従って大型のものへと変化していった。

 そうして年月を重ねる毎に、その標的は次第に人間へ、そして手近な周囲の人々へと変化していく。

 彼が11歳の頃、母親の不倫が原因で彼の両親は離婚している。当時の父親の証言によれば、三行半が付き付けられた日の晩に、母親は彼に対して「こんな子供を生むんじゃなかった」などと酷く怒鳴り散らし、食器類を投げたり、胸部を殴りつけるといった暴行を一時間にわたって働いたという。

 (追記)その後の更なる捜査で、リチャード・サイラスの母親は以前から彼に暴行を働いていた事実が判明した。林家の住人によれば、彼の家には小さなプールがあり、母親は何か気に障る事があれば酒に酔い大声を上げて彼を殴りつけ、プールに蹴り落としていたという。父親については児童虐待幇助及び通報怠慢の余罪を追及中。

 その数日後、夫婦は離婚。リチャード・サイラスの親権は実父の手に渡った。その翌日、彼の母親は自宅の風呂場で溺死した。酒に酔っていたこともあり、警察騎士団による捜査は事故という結論にたどり着いた。なお、母親の死亡推定時刻には彼が家に居た事が判明している。

 更に五年後。郊外のある地区の学校に通う児童、セレーナ・デッカードが行方不明になった。セレーナは その三日後、死体となって近くの公園の池で発見された。警察騎士団当局は通報を受けた当初、死因は溺死による不運な事故であると考えていたという。

 しかし初動捜査の結果、遺体から胸部に24箇所の刺傷痕が発見された事により、事態は大きく変化する。当然新聞社から事件のあらましについての説明を求める声が殺到し、市民には不安が襲い掛かった。

 中には警察騎士団の初動対応について批判する声も確認されている。

 捜査によれば、目撃証言は無く、指紋は比較的小さく、断片的なものしか発見されなかった為、捜査は難航の色を呈した。地域に住む性犯罪の前歴がある人物を虱潰しに調査し、事件当時妖しい行動をしていた人物を調べ上げたが、これと言った成果は挙げられなかった。

 そして次第に事件に関する報道が風化し、セレーナ・デッカードの死が世間から忘れられて二年後、彼は凶行に至った。

 誘拐事件発生から21時間後、河川脇の大通りの78丁目で、子供三人を連れた男が銃を持って河川敷に立っているとの通報が相次ぎ、警察騎士団当局の機動部隊が出動。男はリチャード・サイラスと判明し、自動三名も誘拐被害者であると確認された。

 マーレイ警部は待機中の騎士達と共に現場へ急行、近隣住民の避難と共に機動部隊を展開。リチャード・サイラスの位置から道を挟んで反対側の建物に、一班の狙撃部隊を配置した。

 彼は児童三名を横一列で地面に座らせ、彼らに銃を向けたままその後ろを歩いていた。彼は警察騎士団の包囲を見てもすぐに児童らを殺害せずにいた。現場ではその状態が二十分ほど続いている。

 その時、後方から人質交渉人がテープで彼の音声を録音していた。以下の文章が録音内容の一部である。

 

リチャード・サイラス

『誰か……に気付いたのか?』

 

機動隊員

『銃を捨てろ! 捨てるんだ!』

 

リチャード・サイラス

『誰か僕に気付いたのかって言ってるんだ!

 誰も僕を見てくれなかった、誰もだ! だからあの売女を殺してやったのに!』

 

 この発言からおよそ一分後まで、リチャード・サイラスはうめき声をあげていたことが確認されている。

 そしてさらにその直後、彼は叫んでアルバート・ワイズミュラーの後頭部を銃撃した。

 すぐさま建物に待機していた狙撃班が発砲。銃弾はリチャード・サイラスの右肩部を貫通して地面で跳弾し、デイジー・ベルモンドの左大腿部に命中。しかし被弾した際に、彼は所持していた回転式拳銃の引き金を引いてしまい、その銃弾が前方で待機していた騎士一名の左鎖骨に命中。

 現場に居た警官隊の内三名の騎士が銃撃を敢行し、計十一回の発砲を行った。その内の一発がリチャード・サイラスの頭部に、三発が彼の左腹部及び下腹部に、内五発が背後の壁に命中した。更に残りの一発はデイジー・ベルモンドの頬を掠り、もう一発はヘンリー・ワイズミュラーの左肩部を貫通した。

 その後、無論リチャード・サイラス及びアルバート・ワイズミュラーは死亡し、デイジー・ベルモンドは左大腿部から銃弾を摘出されるも、杖を必要とする歩行を余儀なくされた。ヘンリー・ワイズミュラーは左肩を奇跡的に回復するも精神的鬱状態に陥り、重度の自閉症を患った。

 彼らの両親はいずれも弁護士団と共に警察騎士団を告訴したが、半年後のヘンリー・ワイズミュラーの自殺と裁判費の不足を理由に和解に至っている。

 

 以上が、後のリバー・キラーと呼ばれたリチャード・サイラスの概要である。

 

 

 

 

 

 

 

-14日 午前7時21分 セイヴァール 警察騎士団本局 2F デスクルーム

 

 『メイトルパ特区で開発された新製品枕の特許が発行』『誓央連合 合法薬物に関する新法案の投票を開始』『新型の減音器内蔵拳銃 ロレイラル特区で本日射撃試験開始』

 机の上の朝刊を尻目に、朝一番のコーヒーを啜って、イェンファは報告書の束を睨んでいた。

 昨日の繁華街の武装強盗事件の詳細は、ごく普通の報告書と何ら変わりないものだ。

 「未確認の薬物反応」と「特別捜査官 リゼル」という項目を除いては、

 まず二人の薬物中毒者、出所不明の密造拳銃の使用という点から見て、考える。

前者は比較的簡単だ。本人らは事件当時とその前後の記憶が無いと主張しているが、現場に居た目撃者の証言や、突入した自分達が確認した事から、武装強盗を行ったのは自称マッドボールことダニー・クライドとレジー・ドノヴァンで間違いない。

 後者の事でまず思いつくのは、最近になってセイヴァールで銃器の密造と密売を行い始めた真紅の鎖だ。

 これは、犯罪件数が極めて多い地域で張っている潜入捜査官の情報が裏付けになる。しかし最近では、銃火器や違法薬物の売買と併せて何らかのビジネスを始めているらしい。

 銃の仕入れ先も同じである。捜査にあたった警察騎士団員の聞き込みにより、三日前、クライドとドノヴァンは12丁目のバーの裏手で数人の男と銃や薬の取引をしていた事が確認されている。裏路地で吐いていた客が、たまたま現場を見かけたのが幸いした。

 その際、取引の相手はストリートギャングマーク入りの衣服を着た数人の強面の集団で、真紅の鎖の名を口にしたとの事だ。はったりにせよ、本当に真紅の鎖に所属しているにせよ、組織の名前を出している時点でこの取引相手は小物だ。こういった手合いは、近い内に自然と逮捕されるか、間抜けをやらかすものだとイェンファは経験から知っていた。

 問題は、検査の結果、ドノヴァンとクライドの尿と血液のサンプルに確認された流動性の薬物である。鑑識の薬物専門班に分析を頼んだところ、この薬剤に含有されている物質は、大麻やマリファナ等の原生植物ではなく、幻覚作用を含む薬剤を調合して人為的に製造されたものだったと判明した。

 警察騎士団本隊にこの含有物と一致する成分の違法薬物が無いか照合したところ、これと一致する物は確認できないと返答が返ってきた。つまるところ、この薬物は新種のLSDに近いのである。セイヴァールをはじめとする警察騎士団本局は、まだこの薬物の全貌について把握していない。

 現在、セイヴァールではこの薬物を服用した二人と、酷似した発作を訴える住民が数人居る。

 彼らを診察した医師の報告書によれば、服用時の効果は旧世代の違法薬物と類似しているようだ。短時間の多幸感と痛覚等の感覚の軽減の後、軽度の疲労感や幻覚、幻聴等の禁断症状が発症し、次の服用を求め始める。服用回数が多ければ多いほど、多幸感は短くなり禁断症状の発症が早まる。

 しかし重要なのはその点ではない。この薬品は旧世代のそれとは違い、正規の医薬商品に類似した錠剤の形状をしており、検閲や大衆の目に止まる事が少なくなったのだ。

 現在、麻薬捜査課と組織犯罪捜査課が連携して、取り締まり強化と新型薬物についての広報準備を行っているが、潜伏している常用者はかなり多い筈だ。連携しても早期撲滅は難しい。

 

 そして後者である、『特捜班』所属、特別捜査官リゼルについて。

 結果から言えば、詳細は全く不明のままだ。わかっていることは、この男は先述の強盗犯二人の片割れのクライドの右目を完全に潰し、右腕と鼻骨と歯六本を折りアキレス腱を切りかけたこと、そしてもう片方の強盗犯のドノヴァンの両目をほぼ失明させた上に、右腕と頬骨、鼻骨と左鎖骨に歯四本をへし折り、声帯に重度の障害を残す一撃を与えた事である。

 警察騎士団本隊で人事部の幹部補佐を務める友人を頼りに、データベースに登録されている特別捜査官扱いの騎士をリストアップして確認する事は出来た。しかし登録されている情報は「リゼル」という個人名と「本隊特殊捜査班所属 第一級特別捜査官」の肩書きのみで、ほかの情報は一切記載されていないのだ。

顔写真どころか、必要最低限の戸籍情報すら記録されていない。

 イェンファは特務騎士として長年勤めを果たしている訳ではないが、それでも本隊の階級事情にはある程度明るいつもりだ。だが、今までの経験から言えば、この第一級の特別捜査官の肩書きは見たことが無い。

 精々地方局をまたいでの合同捜査で、一時的に派遣される第三級特別捜査官しか知らないのである。

 ただし特殊捜査班の噂は違う。眉唾物の話に近いが、櫻花隊で噂を何度か耳にしたことがあった。

 やはりそれぞれ詳細な部分に差異はあれど概要は同じで、皆こう話す。

 一桁のほんの僅かな人数で構成される捜査班。所属する騎士は皆精神異常者であり、その正体は騎士団の病質者隔離用部隊である、と。

 この件について「特務」を扱う上層部に秘密裏に連絡を取ってはみるが、やはり関知していないと一辺倒の返事がやってくる。彼女は内心首を傾げるしかなかった。

 何にせよ、このリゼルという男についての情報が少なすぎるのだ。

 自分が接触したのは二回だけ。それも前者は呆気にとられていて顔を見ただけで、後者は銃口を向けての会話だった。尤も、警官隊の応援部隊の突入のどさくさに紛れて、振り向いた時にはすでに彼の姿が消えていたのだが。

 何にせよ、今後は自身の特務の障害にならない様に調査を続けていくべきだろう。

 イェンファは書類を錠付の棚にしまって席を立ち、デスクを後にした。

 

 

 

 

-14日 午前10時48分 セイヴァール 繁華街49丁目 路地裏

 

 初動捜査隊の貼ったテープをくぐり、急ごしらえの現場保護用テントに足を踏み入れる。

 死体保護用のブルーシートに、コンクリートの上に滲んだ黒いシミ。証拠物件があったのだろう番号付きの札が点々と置かれているのが目に入る。

 途端に鼻孔を突く血と死臭の臭気が漂い、鬱屈とした気分が小さく顔を覗かせた。

 アベルトのキャリアは着任から現在までの期間から見ても、ベテランには程遠い。しかし第一線で活動する身として、それなりに場数を踏んでいると自覚していた。

 それでも、もう二度と動かない人間の姿と、血だまりに浮かぶ亡骸から薄らと漂う言いようのない臭気にだけは、どうしても慣れなかった。死体を見る度に、初めてその落ち窪んだ瞳で見つめられた時の事を思い返す。その真っ暗な瞳孔は、誰かの顔を覗き込むのと同時に、誰かに覗き込まれる時を待っている。それを理解していても、彼には、その光を失った瞳に、いと深き谷底で叫び声がこだまする地獄が垣間見えて仕方が無かった。

 こういう時、アルカ達の様な調停召喚士の職務を羨ましく思ってしまう。確かに彼女達の職務でも、人間の悪意や、頭の内側に潜んで、ふとした時に顔を覗かせる恐ろしい悪魔を見つめねばならない時が少なからずあるだろう。しかし、誰かの家族だったのだろう惨い亡骸を扱う事はまず職務上有り得ない。

 アベルトは頭を振った。迷いを持てば心が揺らぐ、揺らぎがあれば捜査は出来ずと言っていた教官を思い出す。今此処に立っているのはこの亡骸の為なのだ。自分の為に悩んでどうする。

 

「よう、坊ちゃん。早い到着だな」

 

 相棒のドランが、からかう様な軽い口調で言った。

 この剽軽で何処か達観した中年の警察騎士は、アベルトの知る中でベテランの部類に入る捜査官だ。この男は事務作業中だろうと事件発生の通達にいち早く駆け付けているのか、必ず初動捜査隊に混じって現場に居る。

 アベルトはフッと溜息を吐き、苦笑してひらひらと手を振った。

 

「皮肉かよ、アンタの方が先に着いてたってのに。

 ……で、何があったんだ?」

 

「おう、一時間半前に裸の男が路地裏に倒れてるって通報があってな。

 付近を巡回中だった警官二人が駆け付けて見付けたのが……この少年だ」

 

 ドランがシートに歩み寄って屈み、端を掴んで持ち上げる。

 中から姿を現したのは、身長170cm頬の、痩せた青白い肌をした少年だった。やや細い体格や幼さの残る顔立ちからして16、7歳程だろうか。上半身を薄汚れたダストボックスにもたれさせ、項垂れた顔だけが横を向いている。見開かれた黒い穴の様な瞳が、自分の血が流れた地面を見つめていた。血の線は当てもなくコンクリートの表面の傷を走ると、幾許かのところで掠れた痕と共にぴたりと止まっている

 取っ組み合いをしたのか、血濡れのパーカーには幾つかの大きな皺とほころんだ傷、そして足跡があった。この材質では、指紋を採るのに時間がかかるだろう。

 思わず同期達の顔を重ねそうになったアベルトは、軽く息を吐いて死体の観察に戻る。

 パーカーに滲んでいる血液の染みを見る。血は少年の額と後頭部の傷口から流れ出たらしく、薄汚れたダストボックスはべったりと赤色に濡れていた。口の端からは切ったような痕と大きな痣が幾つかあり、鼻は右向きに折れている。

 

「ひどいな」

 

 アベルトが顔を顰めて微かに目を背ける。

 

「路地裏はいつもこうだ。被害者はアレックス・マーヴィン、17歳。高校二年生。

 此処から12ブロック先の第六高校に通ってた。今のところ逮捕歴や補導歴は無い。

 自宅も近所にあるらしいから、此処は通学路の近くかもしれんな」

 

「名門校だな。学生証を持ってたのか」

 

「いいや、無い。だが第一発見者のパイナって女性が顔を見て気づいたんだ。

 それで通報を。彼女の勤務する果物店も此処から2ブロック先にあるらしくてな。

 近所の高校生はその店によく買い物に来るから、顔を覚えてたらしい」

 

「彼女なら知ってる。果物屋の娘さんだ。ショックを?」

 

「まだ若いし、顔見知りの客の死体を見たんだ。無理もねえよ」

 

 アベルトは溜息を吐いて現場を見回した。隣接する建物の雨乞いが壊れているのか、路地裏はそこら中水たまりだらけだった。おまけに、回収されていない生ゴミの山から汚物と油が染み出て、水面は濁った暗い虹色に変色していた。

 その為か目立つ証拠物件しか見つけられず、プレートの数も少ない。

 

「親御さんに説明する、となると気が重くなるな」

 

「俺も長年この仕事やってるが、これには慣れんよ。

 マーヴィンには捜索願が出てる。昨夜自宅付近の交番が受理してた」

 

「家に帰らなかったのか」

 

「ああ。先週弟が高校に合格。昨夜はそのパーティをする筈だったらしい。

 だが昼に帰宅するはずが、翌日になっても彼は――――」

 

「帰ってこなかった。俺も小さい頃家に帰らなかった事はあるが、永遠じゃない」

 

「検視官によりゃあ、死亡推定時刻はおよそ十一時間前だ」

 

「となると、昨日の23時か。水たまりがあるな……昨日は晴れだった」

 

「一昨日のかもな。一応気象観測局にも問い合わせとくか。

 今のところ、死因は後頭部の傷だ。検死解剖の予定は三十分後になるだろうな」

 

「足跡も期待できそうにないぞ。壁や粗大ごみの指紋が頼りか」

 

 ドランが遺体の後頭部を探り、傷口を見る。黒い髪の毛が楕円状に赤黒く染まっており、出血箇所だろう中心は肉がはみ出ていた。しかしよく見ると、傷口は斜め上にかかっている、数センチ程の細い一本の線になっており、ほの暗いその隙間から何かが此方を覗いている様な気がした。

 

「深そうだな。ひっかき傷に見える」

 

「細い金具が刺さって引き裂いた痕だ。

 この先を歩いて行った奥の方のダストボックスの角の金具が緩んでてな。

 紐状になった部分が飛び出してた。路地から血液反応も出たよ」

 

「凄いな。アンタが見つけたのか」

 

「いんや、一番最初に現場に到着した……なんてったかな。

 特別捜査官のリゼルってのがあっという間に見つけたんだ。

 そういやその男、それからすぐこの辺りを一回りしてどっか行っちまった」

 

 アベルトの片眉がピクリと上がる。そのリゼルという男には、先日の強盗事件も含めて事情聴取せねばならない点が多くあったが、如何せん情報が全くつかめなかったのだ。上司のジェイコブズに逮捕時の過剰暴行の容疑がかけられていると書面で連絡しても、一切返事は帰ってこない。

 しかしその人物が、現場で平然と捜査を行っているとは、予想だにしなかった事実だ。アベルトはこの不可思議な状況について考えれば、集中力が途切れてしまうと感じ、頭の片隅に渋々と考察を引っ込めた。

 

「知り合いか?」

 

「後で話すよ」

 

「そうかい。最近は殺人現場に客がよく来るな。

 ついさっきもお前と入れ違いで、地域の犯罪撲滅委員会の会長が来たんだ」

 

「誓央連合が自治団体に指定したやつか? まさか口出ししてきたのかよ」

 

「ああ。奴さん、来週犯罪発生率を防ぐだのどうたらの演説があるみたいでな。

 今犯罪が起きるとまずいだのなんだのまくし立ててたよ」

 

 よく口が回るもんだな、とドランがぼやきながら被害者の顔や上半身を左右に反らし、顔の状態を確認する。

 

「口が回るって言やぁ、この被害者は口も利けないほど殴られたらしい。

 見ろ、唇がひどく腫れ上がってる。喉もだ」

 

「頬や額の痣もひどい。右目は少し潰れてるな……踏まれもした筈だ。

 手に防御創があるから、上半身の殴打痕は生前に出来たものが多い筈だ」

 

「ああ。それともう一つ」

 

 ドランは言うなり死体の袖を捲り、右肘の内側が見える様に出した。

 肘の内側の皮膚には、幾つかの小さな点状の傷が、薄い発疹の様に散らばっていた。

 

「注射痕か。それも静脈用の針の」

 

「に、見えるってだけさ。とりあえず血液サンプルを鑑識課に回しといたよ」

 

「殴られたのは薬物の取り合いか? 名門高校の学生が、とは思えないがな。

 俺は裁判所に封印記録の問い合わせをしとく」

 

 どちらにせよ親には伝えにくいが、と付け加えて、アベルトは周囲を見渡し、ドラン共に奥の方へと向かう。振り返ると、死体遺棄現場から表まで約9、10メートル程ある様に見えた。その上街灯も無い為、夜はかなり暗かった筈だ。左右の建物は改装中の税理士事務所と空き家で、住民はいない。

 更に奥へと路地を歩いていく。死体が引きずられた痕だろう微量な血痕の脇に、プレートが並んで立っている。水たまりの濁った水面に、パーカーの色と同じ毛が浮いていた。

 路地裏の奥は更に掃き溜めじみていた。不法投棄された、錆びと油を垂れ流すガラクタや家具だった物が路地の両脇を尽く埋めており、その奥にもう何か月も使われていないだろうダストボックスが転がっていた。尤も、その向こう側の通りも、人気がまるで感じられなかったが。

 アベルトがボックスの脇に屈むと、丁度人が長座姿勢になった時の頭の位置に、ボックスの角にピンと立った金具が突き出ているのが見える。箱の蓋と胴体に僅かに、蓋が開いている小さな隙間の中には幾許かの、血の飛沫が広がっていた。金具は酸化した血と膿の様な脳の破片にまみれて、異臭を放っていた。

 

「しかし、此処で殺してわざわざ表側の方に引きずったのは何故だろう?

 此処に捨てときゃ、いずれネズミかなにかが持ってくだろうに。目撃者は?」

 

「今、巡回中の騎士が総手で警戒網と聞き込みを張ってるが、まだ見つかってない。

 となりの事務所の業者も、昨日と一昨日は別の作業で来ていないそうだ」

 

「裏側の通りはドヤ街だし、正規の目撃者を探すのは難しいな」

 

 となると、最初の頼りは第一発見者の証言か。そう付け加えると、アベルトはドランと共に表のテントへ向かった。しかしアベルトの後ろ髪を引くように、彼の鼻孔の下には血と屍の臭気が残っていた。

 

 

 

「お店の買い出しに行ってたんです。ウチは喫茶も軽く営んでいるので……」

 

「ええ、繁華街の方のお店ですね。俺の同期もよく通ってますよ」

 

 果物屋の女性店員は、おどおどとした態度で言葉尻を小さくして話し始めた。

 普段店の呼び込みをしているときの、あの明るく溌剌とした様子をよく見かけるアベルトは、内心気の毒だと感じていた。陰鬱な表情になるのを咄嗟に隠し、アベルトは出来るだけ穏やかな調子で話を進める様に促す。

 

「それで……少しお辛いとは思いますが、遺体を見つけた経緯と、遺体の身元について知っていることを話してください。勿論、ゆっくりで構いませんよ」

 

「はい。ええ、と……それで、店に戻ろうとして、近道でこっちの道に入ったんです。

そしたら、急に変な臭いがして。でもお店とかからじゃなくて、裏路地の方から」

 

「それで、異臭の元を見に行った?」

 

「はい。そうしたら、男の子が血まみれで倒れてて。

 慌てて交番に通報したんです。見知った子だったから」

 

 その時の光景を思い出したのか、彼女が口に軽く手を宛がったので、アベルトは救急士からタオルを受け取って彼女に手渡した。ドランが無理のないように促すと、彼女は一、二拍置いて大丈夫と言った。

 

「見知った子、というのはアレックス・マーヴィン君ですね。

 彼と以前に話したことが?」

 

「はい、何度か店で買い物をしてくれた時に。

 ちょっと内気な子で、でも優しくて礼儀正しい子でした。

 名門大学の受験勉強をしてたみたいで……」

 

 ドランがアベルトに目配りをする。彼の親と教師に聞き込みが必要になった事をメモして、アベルトは先を促した。

 

「彼と最後にあったのはいつ頃ですか」

 

「三日前です。夕方に帰宅するついでにウチで買い物をしてたみたいで」

 

「先程マーヴィン君は内気気味と仰ったが、彼と親しい友人などはいましたか?」

 

「いえ、あまり……あ、でも、ジョッシュという子が居ました。

 彼と同級生で、幼馴染の仲良しだといつも言っていたんです。

 マーヴィン君も彼と笑ってよく話してました。真面目そうな子でしたよ」

 

「成程。その子の本名はわかりますか?」

 

「確か……ジョシュ・アークランドだったと思います」

 

 二人はパイナに礼を言って、騎士団員のテントを出た。テープの外では新聞社の記者がたむろしており、暇さえあればレンズを向けてシャッターを切っている者も居る。そんなに死体をカメラに収めたけりゃ、鑑識に勤めればいいのに。アベルトは、目障りなストロボを焚くカメラマンの無作法な撮影姿勢を見て、つい思ってしまった。

 

「ジョシュ・アークランドか。本部に問い合わせよう」

 

 ドランはそう言って手帳を開けると情報を確認しつつ、胸元の無線機の周波数を本部無線係のものに合わせた。

 

「こちらドラン。騎士団番号117845。刑事課分析官のロニーに繋いでくれ」

 

『少々お待ちください。ただ今連絡します』

 

 それから一つ間をおいて独特のノイズが入り、凛とした女性分析官の声が無線機から流れた。

 

『お呼びですか』

 

「よう、ロニー。これから言う人物の検索を頼む。

 名前はジョシュ・アークランド。男性、年齢は16か17だ。

 西区の第六高校の二年生。補導記録でもなんでも洗ってくれ」

 

『少しお待ちを……出ました。

 ジョシュ・アークランド。補導記録はありません。ですが一つ、交通課に記録が』

 

「何だ?」

 

『昨夜の23時43分に死亡が確認されています。死因は列車との衝突による轢死。

 記録によれば、深夜帯に稼働する貨物運搬用鉄道の7番線路に侵入した、と。

 身元の確認は今朝両親が行った模様です』

 

「事故が起きた場所は?」

 

『繁華街47丁目の線路沿いです。交通課と鉄道警察所属の警官が現場対応を』

 

「ありがとう。良い一日を。

 ……だとよ、とりあえずそっちの事故は鉄道警察をあたるか」

 

「47丁目の線路っていうと、こっから繁華街中央に繋がるあの薄暗い場所だな。

 しかしいったいどういう訳だ? 偶然にしては縁起悪いぜ」

 

 アベルトがドランと共に報道陣に見つからないようにテープをくぐり、訊く。

 外の繁華街の通りは野次馬が減り、路地裏に少年の死体がある事など知らぬ様に活気づき始めていた。

 

「わからんよ、俺もさっぱりだ。

 確かなのは、二人の子供が同じ夜に奇妙な死に方をしたって事さ」

 

 

 

 

-捜査手記 14日 午後1時48分

 

 96丁目の路地裏で、ホームレスの男が大声で喚いていた。

 こんな狂った世の中はもうすぐ終わる、きっとリベラルが世の破滅を認めるんだと。

 この街の住民は、自分が住む場所の素顔をよく知っている。だが、もたらされた虚の生活に甘える為に、誰も真実を見ようとはしない。毛嫌いし遠ざけるポーズを見せても、結局その汚泥にまみれた素顔は鏡に映った自分の顔に似てきているのに。誰もが全てに見て見ぬふりをしている。誰もが……

 結論から言えば、アレックス・マーヴィンが薬を肘の内側に目一杯打ち込んで、路地裏で吐しゃ物と糞をまき散らした事実は無かった。少なくとも、不法投棄された腐りかけの木棚の上で眠るまでは。

 アレックス・マーヴィンの自宅や学校付近で薬物を売る5人の売人の鼻と歯を折ったが、成果は無かった。誰も死体の生前の顔を見ていない。そもそもあのクズ共は、注射型の薬は販売していなかった。精々がキセルの口に詰め込む密造大麻程度だ。

 それに、あの注射痕は数だけ見れば二か月前まで遡って薬をやっていた事になるが、実際に二か月麻薬を服用し続けて名門大学目標の成績を保てる訳がない。生徒と性交した可能性のある教師を数人脅して話を聞いたが、麻薬を服用した様子は無いと全員が言っている。

 だが犯人らしき人間を一人見かけたという情報を近隣住人から得た。地元の麻薬密売を食い物にしているカローナ・ファミリーの若頭を名乗った男だ。アルマンド・チェイス。浅黒い肌で黒髪、身長は180後半。尤も、情報提供者は、泣いている赤ん坊を殴っていた男だ。左右の鎖骨を折って歯を数本引き抜いておいたが、あれはジャンキーに違いない。あまり信用は出来ない。

 あの注射痕はやはり偽装だ。痣と血のせいで古傷に見えるだけで、実際には何者かが死体をジャンキーのなれの果てに仕立て上げたかったらしい。傷の程度も、深さは異なったがすべて同じ時期のものだ。ビニル臭いコンドームの様に真新しかった。

 実行犯が死体の素性を知らなかったと考えよう。そうでなければ薬物常用者に見せかける事は無い。死体の身元を隠すには、服を剥いで顔と歯と手を潰し、燃やすか埋めるかが一番安全だというのに、この犯人は敢えて偽装を選んだ。

 時間が無かったからだ。事前に計画を立てたなら、標的の素性を少なからず知っている筈だ。しかしそれを無視して死体に工作をしたという事は、素性を知らずに突発的な殺害に至ったという訳だ。もしくは殺す意図は無かったのかもしれない。どちらにせよクズに変わりはないが。

 死体は中背で痩せぎすだ。不意を打てば簡単に殺せるだろう。だが傷は一つではなく、腹や背中、腕や顔に集中している。後頭部には死因となった傷だけ……

 パーカーについていた足跡はいくつか種類があった。つまり死体は生前、数人にリンチされたのだ。防御創が腕にあったのは蹴りや拳を防いだからだ。その時に倒され、箱の角に頭を打った。

 だが麻薬漬けのゴミの頭に、注射針で偽装するだけの中身があるのか? 手引きした人間が居る筈だ。

 あの辺りは夜になれば売女共やジャンキーのたまり場に変わる。薬物常用者らしき男を捨てるには絶好の場所だ。それを熟知していた者が現場に居た。

 まずはアルマンド・チェイスからだ。奴は郊外のグロリアズ・バーに入り浸る事が多い。そこを攻めるとしよう。

 

 

 分厚い手帳を閉じてコートの懐にしまい込み、路地裏の奥へと歩いていく。リゼルは、昨夜のホームレスの焚き火がごく僅かにオレンジ色に照らし出した行き止まりを見つめていた。丈の長い木の柵の手前で、体格の良い三人の男達が、一人の女を取り囲んでいるのが見える。

 

-手前の男はひったくりだ。12丁目の交差点で中年の女の鞄を盗んだ。残りの二人は強盗犯だ。一週間前、4丁目の合法マリファナ店を襲った。重傷者2名。片方は刃物、片方は特殊警棒だ。今も持っている。どちらにせよ結果は変わらないが。

 

「おいオッサン! ラリってんのか? ここはインポの来る場所じゃねーぞ!」

 

 ゆっくりと歩み寄ってくるリゼルに気付き、手前の男が片手を前に出してからかう様な調子で静止する。

 そして、男が逆にリゼルに歩み寄り、その肩を右手で押そうとした瞬間だった。リゼルが男の腕を引き、その人差し指を素早く握って手の甲目掛けてへし折った。男が悲鳴をあげるよりも早く、彼の股間にリゼルの恐ろしい速さの蹴りが叩きこまれる。固いブーツの爪先が男の性器を潰し、鈍く激しい激痛と吐き気が男を襲った。

 前のめりになった男の膝の裏を蹴って逸らし、髪の毛を掴んで男の顔を煉瓦模様の壁に勢い良く叩きつける。そしてその後頭部に片膝の一撃を叩きこみ、重く固い音が響いた。

 男が呻き声を上げて倒れながら、口から歯の欠片を幾つか吐き出した。それと同時に、残りの二人がリゼルに気付いて走り寄りながら、各々の武器を取り出した。

 リゼルは、まず襲い掛かってきた男の警棒を素早く躱して右に回り込む。そのままラリアットの様に二人目の首に腕をたたき込み、胸倉をつかんだ。そしてそのまま粗大ゴミの山にあった、倒れたテーブルの縁に男の背中を叩きつけた。

 細いアルミ製の縁に男の背骨と肋骨が殴り付けられ、息が出来ずに警棒を取り落としながら二人目が声の無い悲鳴を上げた。立て続けに片目へ肘の一撃を入れ、興奮で理性が途切れた、最後の一人のナイフをいなす。前進すると同時に片手でナイフを握る手首を叩きながら、リゼルは片肘を男の喉に打ちこんだ。

 腰の回転により勢いが付き、凄まじい威力を持つ肘が男の喉仏を叩き潰す。リゼルは瞬時にナイフを奪い取り、男の目元を斬り付けて、前のめりになったその顔に凄まじい力で拳を喰らわせた。

 先程背中をやられた二人目が呻き声をあげながらリゼルに背後から襲いかかるが、それより遥かに俊敏な動きでリゼルが左に回り込み、膝の裏を蹴る。そして中腰の様な姿勢になった男を髪の毛を引っ張って引き寄せ、リゼルは、先程奪ったナイフを男の口に突き刺した。

 くぐもった悲鳴が上がると同時に、リゼルは凄まじい力でナイフを横に薙いだ。血飛沫が飛び散り、悲鳴が一段と高くなった。しかし男が力を込め、リゼルのコートの袖を掴んで必死の抵抗を見せる。だがそれよりも早く、リゼルが刺したままのナイフの柄から手を離して男の手を掴み、痛みで曲がりきらなかったのだろう小指と薬指を真逆の方向にへし折った。

 男が倒れてから、悲鳴が掠れた小さな声に変わったのは、それから間もなくであった。

 リゼルは突き当りの柵を見た。鞄を抱えた女がへたり込んでいる。露出の多い服を、着替えが無いという様に不格好なコートで覆っている。近所の人間ならば、女が娼婦だという事に何となく気が付くだろう。

 鞄を抱えて座っていたが、最後の一人が虫の息になったのを見て媚び諂うような視線をリゼルに向けていた。

 リゼルは女の横にあるゴミ山に歩み寄った。それに合わせて、少し震える足取りで近づいた。

 

「ねぇ、助けてくれてありがとう。

 アンタならタダでサービスしてあげるよ、どう?」

 

 リゼルは女の媚びた態度を無視してゴミ山を見つめた後、しばらくしてから女の方へゆっくりと振り向いた。

 

「郊外34丁目の強盗」

 

「え?」

 

 聞き返すと同時に、女の顔色が変わった。微かに後退りする音が壁に響く。

 

「性感染症検査を知人に受けさせて性病を隠して売春。

 そして通行人を誘って暴行と窃盗を働いたな」

 

 女が護身用のスプレーを取り出すよりも速く、リゼルがゴミ山から拾い上げた酒瓶が女の頭蓋を殴りつけた。そして女が倒れると同時に、割れた酒瓶を女の顔に叩きつけ、スプレーを握ったまままっすぐに伸びきった彼女の腕を掴み、その肘に膝の一撃を叩き込んで折る。ガラス片が女の顔の周囲にまんべんなく散乱し、リゼルが女の髪を掴んで持ち上げ、その破片まみれの地に叩きつけた。

 

-この女は、一週間指名手配されていた売女だ。性感染症検査を誤魔化して性病を持ったまま売春を行っている。四日前に郊外34丁目の路地裏で通行人の男を殴って、財布と荷物を盗んでいる。これで四人の犯罪者を始末した。情報を手帳に書いておかなければ。

 

 そう思いながら、低い呻き声を白痴の様に上げて微動だにしない女を放置し、表の通りへと向かう。

 表はいつも通りの活気に溢れていた。皆が笑顔を交わしている。

 しかし誰も路地裏の事には見向きもしていなかった。そう、誰も……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 素顔で語るとき人は最も本音から遠ざかるが、仮面を与えれば真実を語り出す。

 

 -オスカー・ワイルド

 


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