その太刀筋は、酷く透き通っていた事を今でも覚えていた。11年前にみた情景は、未だに脳裏に焼き付き、命の剣技の核となる存在だった。
子供ながらその美しさに惹かれ、古びた木刀を拾って、川の水面に移る自分の姿を見ながら、手の豆が潰れようが、握力が無くなろうが、目に焼き付いた太刀筋を只管になぞっていた。それがどうしようもなく楽しかった。
日に日に削られていく無駄な動き。徐々に流麗になる太刀筋は、優しさを孕んだように緩やかで柔を帯びた。木刀を振り始めて2年が経った頃には、水面を揺らす無駄は消え、剣速は既に大人のそれを優に超えた。
そうなると、試したくなるのだ。自分の力は、どの程度通用するのか。
そして、近隣にあった剣術道場、武道場の門を片端から叩き、自分の力を試した。
道場破りをして師範級を打ちのめし、看板の名前と引き換えに飯をたらふく食べた。
その日から、あらゆる道場の師範級が勝手に命に勝負を仕掛けてきては、飯や金の代わりに勝負を引き受けた。命は、当たり前のように挑戦する尽くを打ちのめした。
狡い盗人をしていた幼少よりも、ずっといい生活ができるようになったころ。
命は、所詮井の中の蛙である事を知った。
命が10の頃、最高の機会が巡ってきた。自分が剣を握ったきっかけである名も知らぬあの老人との立ち合い。
結果は、勝負にすらならなかった。何が起きたのかすら分からなかった。見えた太刀筋は辛うじて一閃。体の跡を見てわかったが、6度攻撃をされていた。超高速の6連撃を防げることもなく、命は為す術なく沈んだ。
努力は怠らなかった、あんたのようになるために。
修練は欠かさず毎日行った。あんたに近づくために。
なにが、何が足りないのか。
そう叫んだ命に、老人は静かに告げた。
何が為に、剣を振る。
命は、何も言えなかった。そんなこと、考えたことも無かったから。そんな理由、必要がなかったから。
無言で呆然とする命に、老人は微笑みを向け、答えは、またいずれにしよう。今は、食べなさいと、握り飯を差し出して来た。
貪るように食べる命を、優しく撫でて、老人は快活に笑って、しっかりと語った。
何かを極めた者が辿り着く場所は、いつも同じだ。いつか、お前もここに来いと。
それから、道場の一室を貸し与えられ、道場で暮らすことになった。老人に技を教えてくれと言うと。
盗んでみろ。
と悪戯っぽく笑われるだけ。だから、意地で勝負を挑み続け、技を盗んだ。必死に、強くなる為に。生きる意味も、存在理由さえ分からなかった命には、剣を握るだけで、十分な理由があると思えた。
鬼殺隊の隊士と邂逅したのも、丁度このときだった。夜の鍛錬に向かっていたら襲って来た雑魚鬼。それが鬼の存在を初めて知った時だった。
いくら叩きのめしても再生する鬼を練習台に、数多の技を放っていたら、鬼殺隊がやって来て、そのまま首を落として終わらせた。
そこで、呼吸の仕方を覚え、剣の修練と同時に、全集中の呼吸の修練を同時に行い始めた。
呼吸を扱える様になって、剣技も上達した。その命が1年間に及び勝負を仕掛け続けても、老人に勝てることは無かった。そして、暫くすると、あの老人はただ1文、己の刃を見つけたら会いに来なさいと書き置きを残し、それ以降会うことはなかった。
だから記憶を、憧憬を辿って、必死に剣を振った。
鬼殺隊の隊士の言葉を思い出す。
剣を振って、鬼を殺すだけで金が貰える。いつか、こうして剣を振るえれば楽しいだろうと夢を見て、呼吸の修練とともに、剣の修練を続けた。
そして、ある日唐突に、なんの前触れもなく、なんの前兆も無く。
命の刃は、六の軌跡を一筋に束ねた。
そこに興奮はなく、動揺もなく。ただ、己が老人の領域に片脚を踏み入れた事だけが、ストンっ、と理解出来た。
程なくして、過去に拾った鬼殺隊の殉職者の刀を担いで、道場を後にした。東京にあると言う、鬼殺の本拠地。そこに行けば、己の刃が見つかる気がして。
懐かしい情景は、未だに己の起源として残っている。
あの澄んだ太刀筋を、ずっと求めた。今だって、ずっと求めてるんだ。あの頂きに座する、老人の背を。
そうして、思い出の海から目覚め、目を開ければ、懐かしい風景が飛び込んでくる。住宅地と森を隔てる境界線。このど真ん中に建つ、ボロ小屋。未だに残っているとは思ってもいなかったが、帰巣本能というのか、どうしてか足を運んでいた。
「ここが、命の住んでた場所…?すごく…その…」
「あ、やめて、惨めになる。これだから金持ちは……さぞいい暮らししてたんだろう?」
「わ、悪かったわよ…!」
若干拗ねた命に苦笑したしのぶは、悪い事をしたと反省した。
2人が今いるのは、東京府から遠く離れた佐賀県。列車と馬車と船を乗り継いで、1週間かけてようやく辿り着いた。命が育った場所である。
蝶屋敷での業務は悪いとは思ったが、カナエとアオイに任せ、命はしのぶを連れてある人物に会いに来ていた。
「この街並みも酷く懐かしく感じる。」
「…ねぇ、良かったの?あの子を任せても…」
しのぶが言ったあの子とは、時透無一郎。彼の事。血の繋がった唯一の人のその後をアオイやカナエに任せてよかったのかと。
「…いい。カナエさんの医者としての技術は高いし、アオイも補佐できる。何かあってもあの二人なら、問題ない……それに、見立てではまだ目覚めるまでに時間はかかる… 」
「だからってこんな遠くに来なくったって…」
「あの人との約束なんだ…それに、いついなくなるかも分からない。早い方が良かった。」
「……約束約束って…私、その約束知らないんだけど?」
「後で話してやるさ。そら、腹拵えでもしよう。」
「ちょっと!遊びに来たわけじゃ…!まったく、もう…っ」
そう言って、しのぶの頭に手を置いて急かして、食事処を探しに先を歩いて行く。
しのぶはしのぶで、撫でられた頭を抑えて唸り、不承不承と言った具合に、命の後を追った。
「それで?約束ってなんなのよ。あっ、このイカ美味しい!」
「別に、大したことじゃない。理由を見つけたら、逢いに来なさいと言われていただけさ。ほんと、イカ美味いな。」
「だろうお二人さん!うち自慢の活け造りさね!あとね、ちょいと値は張るけど、鯨肉の唐揚げも家の看板商品さ!」
「鯨肉!頂きましょう、命。」
「あぁ。じゃあ、それも1つお願いするよ。」
「あいよ!ちょっと待ってな!」
街で有名だと言う食事処に入り、2人して名産の食事を楽しむ。
遊びに来た訳では無いが、これくらいの楽しみがあって然るべきだと、命に説得されて、さっきまでブチブチ言っていたしのぶも、結局楽しんでいる。
「…悪いな、こんなとこまで。」
「…何よ?気にしてないわ、修行しに行くって言ってたし、私もそれに付き合う形なだけよ。」
「それでもさ。俺の事情で来ただけだから…」
「いいのよ、貴方は気にしなくて!私は来たくて来たの!いい?」
「あ、あぁ……ありがとう、しのぶ。」
「…いいって言ってるでしょ。」
ツンと突き放したように言ったしのぶだが、単に照れてるだけなのは、耳が赤い事を見ればバレバレだ。そんなしのぶを微笑ましく思っていると、ドンッと揚げたての唐揚げが運ばれてきた。
「お待ち!たんと食べとくれよ!お似合いなお2人さんにサービスでオマケしとくよ!」
「あっ、ありがとうございますっ!」
「どうも。」
少し赤くなったしのぶをよそに、命は爽やかに笑って流す。なんだかんだ言って満更でも無いが、後で揶揄うネタにしようかなぁとか考えていた。
カラッと揚がった唐揚げを前に、しのぶは目を輝かせ、早速手をつける。もりもりと消えて行く空揚を見て、余程気に入ったのだろうと命は笑った。
見た目には全く分からないが、胡蝶しのぶは意外と健啖家。けれど、ほとんど体型が変わらない。どこにその栄養が行ってるのかは、見れば分かる。見れば分かるのだ。
夢のしのぶは、共に居た時間こそ短かったが、どんどん痩せていく一方だったから。なんだか、感慨深いものがある。
(…本当に立派に育って…)
命は拝む様にしのぶの一部分を眺める。どこを、とは言わない。
「…コラ、どこ見てんのよ、変態。」
「……健全な反応だ、許せ。」
女性とは、やはり視線に敏感なのだろうか。絶対にバレないと思っていたのに普通に怒られた。
「…暫く嫌よ……貴方…夜、優しくないから。」
「だから謝ってるだろ……もしかしてこれ死ぬまで言われるのか?」
「あら、どうかしら?」
くすくすと笑うしのぶに、どうにも敵わないと頭を抱えれば、弱点を見つけたと言わんばかりに頭を突っついてくる。こうして弱点を晒すことは珍しいから、存分に揶揄おうという魂胆が見え見えだ。
いたたまれなくなった命は、もういいだろうと金を取り出す。
「…そら、食ったなら行くぞ。ごっそさん、美味かったよ。」
「あっ、待ちなさいよ!ご馳走様でしたー!女将さん、美味しかったわ!」
「まいど!ありがとうね!」
代金を机に置いて、空の食器を纏めた命としのぶは、足早に目的地へと向かった。
「ここ…なの?」
「そう、ここだ。」
そこは荘厳な趣がある、大きく古い道場。湿った木の匂いと、稽古場から響く素振りの音すら、命をあの荒んでいた頃へと戻された気がした。
(俺が…ここに戻ってくるなんて…考えもしなかった。)
昔の命のままであったのなら、きっとここに来る事は、生涯なかった。けれど、今は違うのだ。
(そうだ…俺はもう違う。今は、しのぶが…彼女が……)
隣に並ぶしのぶの手を取ると、しのぶは驚いた様に体を固めたが、直ぐに微笑みながら握り返した。
遠慮なく立ち入った命は、迷うこと無く奥にある離れの道場に向かう。
その道場に近づく度に、えもいえぬ緊張感が、しのぶに纒わり付く。
「凄い…ここ…なんて言えばいいのか分からないけど…全然違う…」
「……もういるのか。」
「いる?誰が?」
「先生だ。俺の剣の。」
何の変哲もない道場なはずなのに。この場所だけがこの現世から隔絶されたような雰囲気を醸し出している。どうにも引き寄せられるような、不思議な空気があった。
そして、命の師を初めて見るしのぶは、どんな人物なのだろうと夢想する。
とてつもない大男だったり、剣狂いの狂犬のような男を想像して、少し怖くなった。
どこか心ここに在らずなまま、しのぶは命の背中を追う。
そうして、その中に入れば、1人の老人が正座をして、ピクリとも動かずに、その場に
あまりにも動きがなかったその老人を、はじめしのぶは置物かと思ったのだ。
呼吸による体の上下。止められるとは思えない筋肉の震えも、何もなかったその老人に、しのぶは植物を幻視した。
そして、道場に漂う不思議な空気の発生源が、この老人であることに気がついた。
「────7年。まさかお前が、女子を連れてくるとは、思いもしなかった……お前の刃は、その女子という事か。」
「……先生。」
「えっ、え?な、何の話?」
命の言葉から、この人が、命の師なのだと理解した。
しかし、全く話を理解できないしのぶとは反対に、分かりきったように話す二人。
いい加減分からなくなってきたところ、老人がしのぶに顔を向けた。
「はじめまして、お嬢さん。遠路遥々、よく来てくださった。何も無いところだが、ゆっくりして行って欲しい。」
その老人は、至って穏やかにしのぶを見つめた。白髪の長髪は丁寧に纏められているが、肌の感じや、声の質を見るに、凡その年齢は70歳前後。しかし、その高齢を感じさせぬ程に、風格があった。鋭くも優しい眼光、伸びた背筋に、握り拳から見える剣ダコは、しのぶのそれよりも厚く、堅く硬質化していて、年季を感じさせた。
自身の想像よりも、ずっと優しそうなこのお爺さんに、しのぶはなんだかドギマギしてしまう。
どこか、初めて命に会った時のような。
あの時を、無意識に思い出していた。
「あっ、えっと、その、ありがとうございます…」
「可憐なお嬢さん。自己紹介をしたい所だが…申し訳ない。そこから五歩、下がってはくれんか」
「えっ、ここから…?」
「少し、下がっていて欲しい。」
よくわからず、言われた通り1歩ずつ下がり、その4歩目。
自然に、本当に自然に、老人は膝に置いた握り拳を緩め、自分の脇に置いてあった刀に置いた。
次に老人が出した声は、さっきと同一人物とは思えない程に、底冷えする様な殺気を孕んでいた。
「抜けい。」
「耄碌したか────もう、
そして、命のその言葉と同時に、しのぶが5歩目を踏み出した。
その瞬間。なんの前触れもなく、老人が消え、命を襲う一筋の軌跡を、しのぶは見た。
道場に響く
「ハッハッハッ!愉快!そうか来たか、ここまで!」
「…えぇ。漸く、並びました。」
「…ふむ……見え方は違うようだが…なに!辿り着く場所は同じとは言ったが、見え方まで同じわけではあるまい。お前はそれでいい。」
「そこまでわかるんですね。」
(また、私の分からない話…!)
また2人だけで盛り上がっている。置いてけぼりにされて少しだけイラッと来たしのぶは、二人の間に入り込んで、丁寧にお辞儀をした。
「はじめまして!私、胡蝶しのぶと申します。命とは、好い、関係を築かせて貰っています。」
「おぉ!これは失礼した。挨拶が遅れてしまったな。しかし、しのぶ嬢は豪胆なお嬢さんだ。狂狼とまで言われたじゃじゃ馬をここまで大人しくさせるとはなぁ…」
「ちょっ、先生…!その話はやめてくれ!」
「命の小さい頃のお話ですか!是非聞いてみたいです!」
「後で存分にしてやろう。今家の者に茶を持ってこさせる。」
そうして家の者を呼びつけた老人は、にこやかに2人をもてなした。
予想外のところで過去の黒歴史を掘り返されそうになった命は、こうなったしのぶは止まらないと、若干諦めて、老人に促した。
「先生。名前言ってないぞ。」
「おぉ、そうだったそうだった。さて、まぁ、なんだ、私はこの剣術道場の頭みたいのをやっとる
継国
感想お待ちしてます。
命くんのお師匠名前めっちゃ迷った。
あ、大正初期の剣豪と言われた辻真平という人が縁真さんのモデルです。