お姉さんと妹ちゃん   作:Tico Ruzel

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戦場に取り残された97式と95式の姉妹。
そんな二人が会ったのは淑女然とした掴みようのない戦術人形。

いささかマイペースな歓待に、とりあえずひと心地をつける二人。

一方、姉妹の所属するB373基地の指揮官ブライアンは、
グリフィン本部の命令に反した同僚の指揮官を詰問していたが……?

新シリーズ〔お姉さんと妹ちゃん〕第1話「恋慕のコランダム」第2節です!


ep.1 恋慕のコランダム Ch.2

「あたたかいもの、どうぞ」

 赤銅の髪の彼女は、そう言って湯気の立つマグカップをそっと差し出した。

 

「……ありがとうございます」

 97式はそっとカップを受けとって、中身を覗き込んだ。

 琥珀色のお湯から、ふわりと華やぐ香りが立ち昇っている。

 しかし――素直に飲んでいいものかどうか。

 

 妹が迷っていると、眉をひそめて姉がつついてきた。

「……そんな顔しちゃ失礼でしょう」

 お小言を口にしながら、しかし姉の方も口をつけていない。

 

 すると、姉妹を招いた人形が、すっと笑んでみせた。

「ご安心を、ただの紅茶です。どうこうする気なら、とうにわたしの相方で狙い撃ちしています」

 そう言って、自分の傍らに立てかけたライフルを示してみせる。

 ずいぶんと年代物に見えたが、手入れが行き届いている以上に、何か重みを感じさせた。

 

 姉妹はそろってマグカップを傾けて一口啜るや、

「……甘い!」

 思いがけない滋味に目を丸くした。

 

 それを見て、赤銅の髪の彼女は満足げにうなずいてみせた。

「疲れたら甘いものを摂るとよい……まあ、人間に当てはまる法則ですが、人形のメンタルモデルでも疑似効果は得られます。緊張しておられた様子ですから、思考回路にも感情パラメータにも沁みとおるでしょう」

 

 そう言うと、ライフル持ちの人形は目を細めた。

「しかし、これで今回の賭けはわたしの勝ちだということですね」

「……賭け、ですか?」

 姉の方が眉を曇らせて怪訝な顔で訊ねると、

「ええ。接近してくる人形が敵か味方か、自分で賭けをしたのです」

 

「相手がいないと成立しない気がしますけれど……」

「この場合は運命を相手に賭けでしょうか。なにはともあれ、わたしはこうして話し相手を得たわけです。なかなかの配当ですね」

 語る言葉は実にふざけていたが、穏やかな声は真面目そのものだった。

 ただ、その表情には韜晦に似たヴェールがかかっているように見える。

 なんとも窺い知れない様子なのが、勧められたお茶を姉妹が躊躇った理由だ。

 

「あの……あなたは、ここで何をしているの?」

 妹が小首をかしげながら訊ねる。

 ツインテールを飾る紅いリボンが落ち着かなげに揺れた。

「――ああ、たぶんあなた方と変わらないと思います。作戦に参加したものの、ご覧の通り、急な撤退命令が出ましたから、部隊を逃がすためにわたしがしんがりとなったのです。副隊長は怒っていましたが。『隊長がしんがりとは何事なの!?』とね……ですが、こういう場面では、わたしが一番経験を積んでいましたから」

 

 そこまで言って、ライフルを携えた淑女は肩をすくめてみせた。

「しかし困ったことに、相手には例の大砲があります。あれがある限り、救援を出しても近づく端からヘリが落ちるだけです……さて、地上部隊がのんびり前線を再度押し上げてくるまでアナグマを決め込むかと思案していたところへ、あなた方が来た次第です」

 

「……ずいぶんなピンチなのに、落ち着いてらっしゃいますね」

 姉が苦笑いしながら言うと、ライフルの主は愉快そうに口の端を上げた。

「わたしたちの基地の指揮官どのはずいぶん変わった用兵をなさいますから。ライフル部隊は往々にして、主力部隊より前に戦域へ潜入してパッシブな偵察や、地形の把握、そして位置取りをするのですよ。自然と、隠密行動が得意になったもので。不意の事態にそなえての準備も、この通り万端というわけです」

「……自分のところの指揮官なのに、すごい変人のように言うのね」

 

 妹が指摘してみせると、問われた本人は指を組み合わせて口元へ当てた。

「まあ、他に形容できないものですから。わたしも本来は真面目なパーソナリティなのですが、だいぶあの人には毒されています。しかし、そのおかげであの方の考えも読むことができます。今回の急な撤退、おそらくうちの指揮官の提案ですね――そちらの指揮官どのは随分面食らったと思いますよ。応援に来たはずの部隊がそろって波が引くように、確保地域を〔鉄血〕にくれてやったのですから」

 

「な……あなたのところの指揮官、何を考えてるの?」

 妹が気色ばんで声をあげると、淑女は視線をついと向けてきた。

 エメラルドの瞳が強い光を帯びている。次いで語ってみせた声は力強かった。

「指揮官どのはなにもかも考えておられます。言葉だけ聞くと場当たり的でふざけているように見えて、実は先々を見通して準備万端なのです。わたしたち人形に無用な犠牲を出すことなく、最大限の戦果をもぎとってみせる。そういう方なのです、われらが指揮官どのは――」

 

 紡ぎだす言葉ににじむ、全幅の信頼感。

 単なる人形の忠誠というには、それはもっとゆるぎない何かに見えた。

 

「あの――お訊ねし忘れていたのですが、あなたはどちらの所属なのですか?」

 姉が眉をひそめて問いかける。

 妹もまた、ライフルの主をじっと見つめた。

 

 交流のある近隣の基地では、見かけたことのない顔だ。

 この、落ち着き払って、慇懃そのものの淑女は何者なのか。

「……これはこれは。こちらもご挨拶が遅れましたね」

 

 座ったまま、彼女は敬礼をしてみせた。

 ぴんと背を伸ばして指を額に添える仕草は、目が冴えるほど鮮やかだった。

 

「L211基地隷下、第五部隊を預かっております。リー・エンフィールドと申します」

 

「それって、まさか……」

 姉が目を丸くしてみせると、エンフィールドは薄く笑んだ。

「ご存じのようですね。指揮官は、かの“カサンドラ・ロロ”、その人です」

 

 エンフィールドが口にした名前を聞いて、妹が「あーっ!」と声をあげた。

「知ってる! その人が参陣した戦闘では必ずグリフィンが負けるって噂の!」

「おや、負けるのは最初のうちです。負けているはずなのに最終的に勝ってしまうのが、あの人の実に度し難いところです。そうですね――」

 エンフィールドが自分の頬を撫でた。

 姉妹の目には、それは、つい浮かんでしまった笑みを隠すかのように見えた。

 

「――いまごろ、あなた方の指揮官と作戦会議という名の口論をしている最中かもしれませんね。案外、わたしたちのことも話題にのぼっているかもしれません」

 そこまで言って、エンフィールドは二人を見つめて、

「まあ、とりあえず落ち着くことです。食事とバッテリーもおすそ分けできることですし」

 

 そして悠然と微笑みながら、ポットを差し出した。

「とりあえず紅茶をもう一杯、いかがですか?」

 


 

「どういうつもりだ、“カサンドラ”!」

 指揮官室に年若い男の怒声が響き渡った。

 

 刈り込んだ焦茶の髪に浅黒い肌。どこか野戦の匂いが漂う精悍な顔つきは、なかなかのハンサムであろう――だが、いまの彼は額に汗を浮かばせ、焦燥に顔をゆがめて通信モニタを睨みつけていた。せっかくの男前が台無しである。

 

 対して、画面に映る女性は対照的だった。長く白っぽい癖毛を彩る紅いリボン、生白い肌。顔つきも体格も痩せていて、どこか骨ばってさえみえる。だが、なにより印象的なのは知性と好奇が煌めいてみえる紫の瞳だろう。悠然たるたたずまいながら、さざめいた湖面のような表情は、なにか笑い出したくなる衝動をこらえているようだった。

 

「同僚を勝手に悪名で呼ぶなよ。私の名前はロゼ・ローズだ。ンン?」

 確認を促すような、しかし軽く嘲るように喉を鳴らす。

 

 ロゼ・ローズ――ロロは瀟洒なティーカップを手に取り、紅茶を一口飲んでみせる。

 ほう、と息をつくと、ひとりごちてみせた。

「なるほど――さすがはエンフィールドだ。いい店を探してくるネ」

 

「……この状況でよく茶など飲んでいられるな」

 男がいら立ちを隠せない様子で言うと、ロロはすっと目を細めた。

「きみもお茶なりビールなり飲んだらどうだい、ブライアン指揮官どの?」

「作戦任務中だ。そんなものを嗜むつもりはない」

 

「ンンン。ではピュアウォーターでも構わないさ――まったく、軍人さん上がりは頭が固くてよくない。私は『とりあえず落ち着け』と言ったんだヨ」

 ロロが声を少し和らげた。それなりに心配してくれてのことらしい――そう判断して、グリフィンB373基地を預かるブライアンは、手近なボトルを開けた。

 

 口をついて喉へ流れ込んだ水は、存外に甘く感じた。

 思えば、撤退戦の指揮の間、まったく水を飲まずにいたのだ。

 体内の水分が不足していても不思議ではなかった。

 

「……落ち着いたようだね。では状況を整理しようか」

 水を飲んでいる隙に、ロロが勝手に話を進めようとした。

「私の提案どおり、43地区から概ね撤退は完了した。勢いに乗った鉄血はさらに前線を押し上げようとしている。さて、これをどうするか、なんだが――」

 

「――待て。お前の〔提案〕がそもそもおかしい」

 息を整えて、ブライアンは言った。

 平穏を取り戻すと、軍務経験者らしいどっしりした声が出てくる。

「俺たちの任務は43地区の確保のはずだ。あそこを守るのが任務だ」

「ふむ、そうだったネ」

 

 しれっと認めたロロを、ブライアンは睨みつけた。

「なら、どうして『この地区から引き揚げよう』という判断になるんだ!?」

 いら立ちを込めて放った言葉を、ロゼはあっさりと捌いてみせた。

「簡単なことサ――あれじゃ勝てないからだヨ」

 そう答えた彼女の目は冷ややかだった。

 

 見抜けなかったのか、といわんばかりの物言いに、ブライアンはため息をついた。

「――説明してくれないか。なぜ勝てないと言い切れる」

 その問いに、ロロが肩をすくめると、通信モニタに手早く作戦地図を出してみせた。手際の良さからすると、彼女にしてみればとうに検討済みの課題のようだった。

 

「まず43地区の戦略的価値だが、つまるところ二つの居住区を結ぶハイウェイが通っているからにすぎない。そしてこの物騒な時代に呑気にトラック単体で通行なんてまずありえない。居住区から警護車両込みでキャラバンを組んで物資を運ぶのが普通だ――要は、キャラバンが使う時にハイウェイが使える状況なら構わないということサ。必ずしも43地区全体を墨守する必要はない」

「だがグリフィンの指令では43地区を守れ、と――」

「一時的に引き渡しても、最終的に保全できればいい。オーケイ?」

 

 反論しかけたブライアンを、紫色の鋭い眼光が制した。

 軽くうめいて言葉を飲み込むと、ロロがうなずいて続けた。

 作戦地図がさらに広域に拡大する。周辺地区が描かれると同時に、にらみ合うグリフィンと敵性である〔鉄血〕の戦力配置が表示された。43地区に隣接する、複数の敵性エリアの推定戦力が、この数日で三割程度増大していることが、グラフで視覚的に表示される。

 

「見ての通りだ。43地区へのプレッシャーが増大している。これは他所から抜いてきた戦力らしくてね。鉄血としては予備戦力のつもりなんだろう」

「――第二波以降の攻撃に使うつもりということか」

 ブライアンの言葉に、ロロはぱっと手を開いてひらひらと揺らした。

 

「その通り! じゃあ、どのタイミングで使うつもりか? 簡単だよ。43地区の戦局が膠着しそうなら、後方から一気に投入してグリフィンの対応能力を飽和させるつもりなんだ。鉄血は数で押してくる印象があるが、実際、あの連中の戦い方は大祖国戦争のソビエト赤軍の戦い方に酷似している。まともに力比べをすると、たちまち呑まれてしまうわけさ――ほら、勝てないだろう?」

 

「……なるほど、お前が“カサンドラ”などと呼ばれるわけだ」

 ブライアンは忌々しげに言った。

 対するロロは悠然とティーカップに口を付けてみせる。

 

 カサンドラ。トロイの滅亡を予言した王女。

 そして悲劇の末路をたどった人物。その名の響きは、不吉なものを想起させる。

 だが、いまモニタに映っている女は伝説の王女とはまるで異なる。

 当人は余裕綽綽で、周囲が苦労するのが常なのだ。

 ゆえに。本人の聞こえないところでは、“カラミティ”とさえ呼ばれている。

 

「……そこまで読めているということは、後の方策も考えているということか」

「準備はしているが、選びあぐねている、というところかな」

 ロロが通信モニタに映像を映し出す。

 リアルタイムのライブカメラは、まさに出撃体制にある数多の人形たちを捉えていた。

 

「43地区をこちらが空けたことで、鉄血の第一波はあっけなく前進してきた。我々の縄張りの手前まで押し寄せているが、その実、背後はがら空き、43地区は実質空白地帯だ。連中の後方へ少数精鋭の部隊を送り込んで、防衛線と同時挟撃すれば、あっけなく瓦解するだろう」

 

 そこまで言って、ロロは作戦地図のある地点をポイントしてみせた。

「――ただ、連中のジュピター砲があれだけ短時間で設置できるとは想定外だった。本部に報告しないといけないな。一門だけとはいえ、あの位置にあるのは実に厄介だ……ンン? どうした、あまり顔色がよくないようだネ」

 

「ああ……うちの副官と、もう一人。その大砲のために43地区に取り残されている」

「オーゥ。きみの基地の副官というと――あの黒髪の美人さんか。95式は麗しいよね。妹の97式も実に愛らしい。うちにもほしい。というか、くれない?」

「やるわけないだろう。彼女は俺にとって大切な人形なんだっ」

 気色ばんで声をあげたブライアンは、

 

しかし、ロロがにやにやと笑んでいることに気づいた。

「ンンン。そっかそっか。かの不器用ブライアンも、とうとう肚を決めたわけだ」

 

「……この作戦が終わったら、〔誓約〕しようと思っていたんだ」

 ため息をつくように、ブライアンは言った。

「ちょうど終わった頃に休暇が取れる予定でな。だから――」

 

「――なるほど、いろいろと下心で企んでいたわけか。お気の毒さま」

 言葉こそ揶揄する調子だったが、思いのほか、ロロの声は優しげだった。

「いま戦術速報を見た。なるほど、姉妹そろって――時に、この子らは運のいい方かな?」

「運だと? そんなものがこの局面でどう役に立つ?」

 

「人事の及ばない局面においては、天命と運に頼るものだろう?」

 ロロはにんまりと笑ってみせた。紫の瞳が鋭く光ったように見えた。

 

「実は、うちの部隊でもわざわざ戦場に残った奇特なヤツがいてね。彼女ときみのところの姉妹が落ち合ってくれれば、事態打開のワイルドカードになるかもしれない」

 愉快そうな予言者の言葉に、ブライアンは腕組みしてうなってみせた。

 


 

「だから! お姉ちゃんはいつもそうじゃない!」

「いつもってなんですかっ。そんなにお説教したつもりはないわよっ」

「いままさにお説教だよ! 現在進行形だよ!」

「わたしはあなたを思って、言ってあげてるのにっ」

「誰もたのんでませんー! わたしの思考回路は覗けないくせに!」

 

「わかるわよっ、だってわたしたちは姉妹だものっ」

 

「そうだよ、姉妹だよ! だからあたしはしんどいんだよ!」

 

 喧々と口論していた姉妹だったが、先に打ち切ったのは97式だった。

 頭をぶんぶんと振って、ツインテールの黒髪と紅いリボンを盛大に揺らし、

「お姉ちゃんのわからずや! あたしもう寝る!」

 そう言って、ごろんと廃バスの床面にごろりと横になってしまった。

 

 自発的にデフラグを起動させたのか、ほどなく寝息が聞こえてくる。

 その様子に、姉である95式は大きくため息をついた。

 

「――ずいぶんと仲がよろしいのですね」

 やけに慇懃な声のエンフィールドの言葉に、95式は苦笑いを浮かべた。

 

「……お恥ずかしいところをお見せしました」

「いやいや、三人でそれなりに晩餐を楽しめるかと思っていたら、まさかビスケットの譲り合いから喧嘩に発展するとは思いませんでした」

 細めた目にどこか冷ややかなものを漂わせて、エンフィールドが紅茶をすすった。

「まあ、お茶請けとしては、それなりにいただけましたのでご心配なく」

 

 淑女の皮肉に、少し泣き笑いの顔を見せながら、95式は寝ている妹の頭をそっと撫でた。

 自分と同じ髪質の艶やかな黒髪。それをなぜながら、ぽつりと言う。

「この子、作戦前から調子がおかしかったのです。出発前に指揮官が声をかけようとしても、聞こえないふりをして、まるであの人を避けているみたいで……」

 

「――ふむ、ドルハラのたぐいでもありましたか?」

「そんなことはありませんっ」

 エンフィールドの問いに、95式は気色ばんでみせた。

「それこそありえません。わたしはもちろん、指揮官にとっても大切な子ですから」

 

「……それだけ大切なら、隠しごとをしているのはなぜですか?」

 すっと発せられた疑問は、見えざるナイフとなって95式を刺した。

 はっとして息を呑んで表情を曇らせた姉は、恐る恐る訊ねた。

「どうして――そう思われますか?」

 

「ああ、われらが指揮官から学んだ手法です。お二人の口論のログを取りながら、片端から論理分析にかけていきました。まあ、概ね水の掛け合いですが、二人とも“ある話題”に敢えて触れないようにしている――そのように解析できましたから」

 

「……ずいぶんと器用ですね」

「部隊で議論になったときに、わたしは敢えて距離を置くのですよ。お互い、表向きに戦わせている言葉と、問題とすべき事象は往々にして異なりますから。言うだけ言って双方が疲れ切ってから、トラブルの元にメスを入れれば、もめ事はさっさと解決するものです」

 

 淡々と言ってから、淑女がポットから熱い紅茶を、95式のカップに注いだ。

「まあ、一杯どうぞ。不安と焦燥にはこれがよく効きます」

 

「……ありがとうございます」

 95式はお礼を述べつつ、マグカップをそっと手に取った。

 だが、口をつけようとはせず、両手でカップをくるんで、琥珀の色を見つめていた。

「そうですね……もしかしたら、この子、あの夜のことを知っていたのかも」

 

 エンフィールドが片眉を釣りあげてみせると、95式はうなずいてみせた。

「ええ、そうです。おとといの夜、わたしは指揮官から〔誓約〕に関して話していたのです。その時の会話は聞こえなかったにしても、そのときにわたしが指揮官にねだった行為は見ていたのかもしれません」

「ふむ、詮索はしませんが、予想はつきます。なるほど、興味深いですね」

 言いながらも、またエンフィールドはすっと目を細めていた。

 

「……この子ったら、そのことでやきもきしているのかも。ああ、ちゃんと出発前に指揮官と話をしてくれていれば、こんなことには――」

「――さあ、それはどうでしょうか」

 凪のような表情のまま、淑女は静かに言った。

「こういうのはどうでしょう? 実はもっとやきもきしているのは、実はあなたなのでは? 普段なら丸く収まるはずの喧嘩がどうにもぎくしゃく続くのは、それが理由ではないでしょうか」

 

「それも……論理解析の結果ですか?」

「むしろ勘ですね。コミュニケーションの経験値に基づいて行った、予測演算というところです」

 エンフィールドの言葉に、95式はそっとうなずいた。

 

 黒真珠のような瞳が、涙で潤んでいた。

「ええ……わたしにはあの子に話せていないことがあります。本当なら、きちんと話すべきでしょう。ですが、わたしからはとても話せないのです。話そうとすると、感情パラメータがネガティブに揺れて思考パルスを乱してしまって。我ながら、自分が浅ましいと思います――妹だからこそ、きちんと話しておくべきなのに。つい、ためらってしまう――〔誓約〕は人形にとって一大事だというのに」

 そこまで言って、95式はきゅっと歯を噛んでうつむいた。

 

 長い黒髪がはらはらと落ちて、その佳麗な面立ちに影を落とした。

「でも、だからこそ、わたしはこの子を無事に帰してあげなくてはいけません。それが、わたしのできる、せめてもの……」

 

「――行動倫理コード、二十八条四項」

 唐突なエンフィールドの言葉に、95式は目をぱちくりさせた。

 言葉を発した当の淑女は、涼しい顔で紅茶を一口飲むと、

「無事に帰れたら、調べてみることをお勧めします。ライブラリが更新されたばかりなので、ちゃんと確認している者は指揮官でも人形でもわずかでしょう――存外、あなたのためらいはたちどころに氷解してしまうかもしれません」

 

「無事に帰れたら……と言っても――この状況でどうすれば」

「……もう太陽もすっかり沈みましたね。夜になってから確かめたいことがありまして」

 エンフィールドはそう言うと、背嚢から双眼鏡を取り出した。

 

 ただの光学観測用ではないことが、微妙にゴテゴテした外見から見て取れる。

 淑女はそれを目に当てると、車体の割れた窓からそっと窺ってみせた。

「ふむ、やはりですか――昼だと汚染霧で上手く確認できなかったのですが――なるほど、これは充分に賭けとして成立します」

 

 淑女はそうつぶやくと、95式を手招きした。

「こちらへ。あなたも確認されるといい」

 95式は誘われるままにエンフィールドのそばへと近づいた。

 手渡された双眼鏡を目に当てて、促されて覗き穴からそっと窺ってみる。

 

 暗視モードで見ると、あのジュピター砲が空を睨んでいるのが視界にうつった。

「あのデカブツから、西の方を見てください」

 エンフィールドに言われて、少し視界をずらす。

 

 レーダーか、アンテナか、一見したところ通信設備らしいものが見えた。周囲はそれなりの数の〔鉄血〕の人形が守りを固めている。微妙な違和感をおぼえて、くだんの設備を見つめていた95式だったが――

 

 ややあって、はっと息を呑んだ。

「変です。アンテナの位置が固定されたままですね」

 

「こうすれば、正体がつかめると思いますよ」

 95式がのぞいたまま、エンフィールドが双眼鏡を操作した。イメージ処理された映像が表示される――遠隔地から絞られた波動が届き、それを通信設備が受け取って、ジュピター砲へと送っている様子を。

 

「これ……もしかして……」

「マイクロ波送電ですね。単なる通信用にしては出力が大きすぎる」

 双眼鏡から顔をあげて振り返る95式に、エンフィールドはにやりと笑んだ。

「妙だと思っていたのです。ジュピター砲は運用に少なからず電力を必要とする。じゃあそれはどこから来ているのだろう、と――案の定でした」

 

「エンフィールドさん……あなた、もしかして最初から――」

「さあ? ただ、守りについている敵性の数はちょっと読めませんでした。ですが、こうしていま、あなた方がいる。アサルトライフル型が二人に、ライフル型が一人。大砲の〔命綱〕を断つには、分のよい賭けではありませんか?」

 

 真剣なまなざしで見つめてくる淑女に――95式はこくりとうなずいた。




次回第3節は明日20:00更新予定です。

ジュピター砲への給電設備を押さえるため、
護衛の〔鉄血〕に向けて強襲をかける97式たち。

思わぬ危地に際して語られる「あの夜の真実」とは?

バトル突入の第3節、お楽しみに!
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