平凡で、少しオタク気質でありながらも周りにはひた隠しにし、事故であっけなく死ぬ。
そんなくだらない記憶が、脳内に再生されていったのはテッドが4歳の時だった。
テッドも初めは驚き、興奮した。自分は選ばれた人間なんだと思った。
しかし、すぐに只の妄想だろうと思った。そう確かに表面上はそう思ったのだ、しかし心の奥底ではこの世界の何らかの力、決して神などという寄生虫モドキではない、偉大なる存在に授けられた知識なのだと、そう確信したのである。
故に知識はテッドにとって絶対の真実になった。
よって、話に聞くこの世界においての神々も、テッドにとっては人間が創り出した只の創造物に過ぎなくなった。
そして、自らの叔父が旅だった先にあるという、ダンジョンやオラリオといったものは、その絶対の知識に内包されていた。
さらに知識の中ではベル・クラネルやダンジョン、加護を与える神々などが登場するものは創作物である本の中の物事である。
そのようなこともあり、テッドにとっては自分以外のこの世のあらゆるものが、一人の人間の空想によって創られ、決められたレールの上を歩くことしかできない道化にしか見えなかった。
さて、そんな事を考えている人間が他人に好かれるわけがない、そう思うかもしれない。
しかし実際にはテッドは村の中では好青年だと評判だった。
何故か? 簡単である。人間は心の底からどうでもいい存在に悪意を向けようと思わない、少なくともテッドはそういう人間だった。
テッドが知識を得てから他人に初めて向けた感情は哀れみである。
隣の家の夫婦や村長一家、自らの両親でさえそれは変わらない。
しかし、テッドとしても自らが存在としては比べるまでもなく上位だとしても肉体的には他者と変わらない、その程度ならば認識していた。
下等生物に傷付けられるリスクを背負うくらいならば、その者達に合わせるのも悪くない、そう思っていたのだ。
それだけでは無く、テッドは人が嫌がる様な事も積極的に行った。
何故ならば自分だけは他人が決めたレールの上を歩いているのでは無く自分の意思で動いている。
そんな優越感や、自らが行動することによって、間接的に他者がレールの上を歩くだけではなく、自分で行動する余地を与えてやったという下らない自己満足感が満たされたからである。
しかし、そんな理由で行動していたら、実際にはすぐに他人に本性を見破られる。そう思う人もいるかもしれない。
だが、本当にそうだろうか?只の隣人や同じ村に住む、その程度の関係でしかない人間に、誰が本性を探りたいと思う程の関心を持つだろうか。
少し違和感を感じる、その程度の存在など神々が存在し、魔法など超常な力が蔓延る、そんな世界においてはありふれた物であった。
そんなテッドはオラリオに旅立ち、何度目かのダンジョンに挑戦していた。緊張や興奮といったものはとうの昔に無くなり、テッドの中では面倒くさい、という感情が心の大部分をしてめいた。
一緒に来たクラネルと同じ主神のファミリアに入り、村から持ってきた棍棒でゴブリンを叩き潰す。
簡単な作業では有る、危険もほぼ無いと言っていいだろう。
故に、塵になる一瞬の時とはいえ、叩き潰した瞬間に漂ってくる脳髄の匂いや、同じ事を繰り返す行動に対して面倒くさくなってきたのである。
しかし、多少の騒ぎの後に真っ赤になって横切っていった同郷の姿に、自らの知識の正確さを再確認すると共に、確かな歓喜が胸の奥にくすぶっていった。
主人公は自分の知識が只の妄想では無いことを確認することによって安堵を得るためにダンジョンに来ました。
主人公は只の村人なので苗字はありません。確か地球なら村長みたいな一部の人間しかあの作品の文明レベルなら苗字を持っていなかったと思うので。