* * *
「友達よ」
臓腑を吐き出すようにして、その言葉を口からひねり出した。
言った瞬間、自分が二人に分裂したような、奇妙な感覚に襲われる。生身の肉体――熱く脈打つ臓物を抱えた自分の上に、もう一人、大脳新皮質から理性だけをはぎ取った、冷たい観察者がふわりと浮き上がるような。
己の上澄み――観察者が、ヒュゥッと肉体の耳元に息を吹きかける。靴底で霜を潰すような、冷ややかな声音。
――信じてもいない言葉を、よくもぬけぬけと。
「……本当に?」
幻影の言葉に同調するように、目の前の彼女が、そっと尋ねてくる。
咎めるような調子じゃない。こちらを気遣うような、でも妥協することなく、真摯に覗き込んでくるような、真っすぐな視線。
益体もない思い付きが、ふと胸をよぎる。
もしも――もしも私が男性として生まれついていたら、きっとこういう人を好きになっていたのだろう。優しくて真っすぐで、素直なのに芯は強い。そうして、必要な時には相手にそっと寄り添ってくれる。男性のみならず、同性の私から見ても魅力的で、こうして一緒の空気を吸っているだけで胸の奥が暖かく溶けていくような――出来すぎた人。
きっと、彼女にこそふさわしい場所がある。願いに一番近い席。幸福の在りか。
私たちは長く同じテーブルを共有していきたけれど、これから座る席は順番があり、しかも有限だ。
選ぶべきもの、選ばれるべき人。
私は理解している。責任と資格について。
だから、私は選ぶ。
「ええ、本当よ」
背後の幻影に、キチッとひびが走る音が聞こえた。生身の内臓がお腹の底で脈打ち、炎のように熱い血を吐き出す。
街灯の光を受ける彼女の瞳に、夜露を結んだような潤いが宿った。わななく唇が盛り上がり、何かを言いたげに半開きに開かれて、また閉じる。少しして、彼女がもう一度、唇を開いた。
「……そう、なんだ」
「ええ、そうよ」
りきむこともなく、穏やかな声で、告げることができた。だからこれは嘘じゃない。
決意だ。
「それじゃあさ……じゃあ、さ」
「きっと叶うわ。あなたのお願いも、私のお願いも」
敗者はいない。三人仲良く手をつないで、みんな揃ってゴールイン。
――そんな謳い文句でゴールテープを両隣と一緒に切ったのは、幼稚園の頃――たしか、近所の自然公園でのオリエンテーリングかなにかの時だったろうか。あの頃そばにいた人たちは、いまはもう誰もいない。傷つくことを知らず、綺麗で無力な掌をしていた時だけ、握ることが出来た夢。
懐かしむでも、憐れむでもなく、ただそれを思い出した。
学生時代の最後の思い出だとすれば、こんな締めくくりも悪くない。いや、雪ノ下雪乃という人間にしては、むしろ上出来の部類ではないか。
学生時代。十代。私がまだ『子供』だと名乗れる時間の、ここが最後。
「ゆきのん……」
身を引くようにして、彼女が姿勢を変える。天に祈るように、壊れそうな何かを抱きしめようとするように、胸の前で両手を重ね、濡れた視線をこちらを送る。
「大丈夫よ、なにも不安がることなんてない」
「ゆきのんは、本当に、それで……」
「ええ」
彼女の瞼が震える。たわめられた唇から、微かな囁きが漏れて、夜に溶けていく。
――ぜんぶだよ。わたしが欲しいのは、ぜんぶなんだよ。
「ゆきのんの全部、私のぜんぶ、ヒッキーにとってのぜんぶ――それって」
「由比ヶ浜さん」
彼女を制して、私は口を開いていた。自分で少し驚く。彼女の言葉を遮ってまで、私は何を言いたいのだろう。いまこの局面で、こんなことをする必要など、どこにもないのに。
「あ、うん――」
彼女の顔に、微かに不安が浮かんだ。
唇を湿らせる。
「私たち、ずっと友達でいましょうね」
* * *
火曜日。
入学式の朝は、昨日に引き続き、薄曇りだった。別に空模様で人生は変わらないが、爽やかな青空が拝みたい気分でもなかったので、まあ満足するとしておこう。
小町は、今日だけは俺と一緒に行きたくないらしく、早々に行ってしまった。仕方なしに一人で身支度を整え、朝食を掻きこむ。自分で準備するぶん時間が掛かったが、無言の食事はすぐに済んで、鍵を閉めて家を出たのは、いつもとあまり変わらない時刻だった。
川沿いの通学路に出ると、まだまだ新学期の興奮冷めやらない生徒たちの姿が目立った。あちこちで笑い声や、甲高い叫びが上がっている。入学式があるからか、むしろ今日の方が活気が強い。
道々で目立つのは、やはり新入生の姿だ。昨日の二年と三年の違い以上に、すぐに見分けがついた。なんせ物理的に顔が違う。犬の子供みたいにまだまだ丸っこくて、あどけないとさえ感じる。見てるだけなら可愛らしいが、俺が中学の時に、まさにああいう奴らから色々な体験をプレゼントされたわけで、まあ見かけに騙されちゃダメだよな。子供は天使なんかじゃない。この世に天使はただ一柱、常にトツカエルさまだけなのだ。
大声で「おめよろ」挨拶を交わす幸せそうな連中の横をスゥーっと通り過ぎ、何事もなく学校までたどり着く。昇降口で、先生と何人かの生徒が新入生を案内している光景が、ちょっと新鮮だ。
「おはようございまーすっ! みなさん、ご入学おめでとうございまぁーすっ!」
活き活きと弾むソプラノに、足を止めた。
晴れやかな挨拶が飛んでくるたび、通りかかった生徒たちの六割ほどが、目を見開いて立ち止まっている――おもに男子が。
会長さまは、今日もあざとオーラ全開で、昇降口前に陣取っていた。花曇りの空の下に映える、微かに着崩した制服と桜色のカーディガン。薄っすらと照り差す日を受けて、亜麻色の髪が早春の花のように淡く映えている。腕に巻かれた生徒会の黒腕章は、実務的で色気もない代物だが、今この場ではポイントもののアクセサリ――もっとはっきり言えば萌えアイテムみたいなものだ。属性付与で本人の可愛らしさを引き立てる役にしかたっていない。隣には若手の先生もいて、玄関奥のクラス表を確認するよう、大声できびきび指示を伝えているのだが……当然のごとく、生徒たちの目線は生徒会長の方に集中している。
うーむ、予想通りというか、さすがというべきか……新入生の男子たちに甚大な被害が出るだろうとは思ったが、それにしてもあのボーイ・ジャグラーっぷりはどうだ。さっきからいちいち足を止めて、熱っぽい視線を向ける奴が、そこにも、ほら、あそこにも。一色の方も、目が合うとにっこり微笑んだり手を振ったりするもんだから、昨日までウブな中坊やってた新入生どもはひとたまりもない。街中でアイドル声優にでも出くわしたみたいに、耳まで真っ赤になったり、デレレっと笑み崩れたり――。
ヤバイ。大惨事の予感がする。
俺、つくづく今年の新入生じゃなくて良かった――まああの小悪魔会長を爆誕させちゃったの、俺なんですけどネ! てへ☆。
とはいえ、これが男どもの黒歴史増産だけで終わればいいが、あんまり酷い事態になれば、あいつ自身や生徒会にとっても有害かもしれない。もちろん一色は男子の操縦なんざ手慣れてるんだろうが、そもそも、それで女子たちに嫌われたのがすべての発端だし。なんかあいつ、脇が甘いんだよね……。
そんなことを思いながら、少し離れてぼーっと人垣を眺める。と、一色がこちらに気付いた。まん丸に見開かれた瞳がこちらに飛び込んでくる。俺もどう返したものやら分からず、互いにしばし固まるが、やがて気を取り直したのか、一色はフッと不敵な笑みを浮かべた。なに、いまのどういう意味よ?
「おほん……おっはようございまーすっ!」
何事もなかったかのように、威勢のよい挨拶が再開される。が、時々こちらに、チラッ、チラッ、と得意げに流し目。なにこっちチラチラ見てんだよ……まじめにやれ、まじめに。
「苦しい受験を乗り越えて、ついに今日のこの日を迎えられましたこと、心よりお祝い申し上げますっ! まだまだ興奮冷めやらぬでしょうが、この喜びを是非みんなで分かち合いましょう! な・の・で、入学式には遅れないでくださいねぇ~。靴箱には名前が貼ってあるから、よぉく見て、間違えないようにしてくださぁい。あと、奥のクラス表で、自分のクラスの場所を確認してくださいねぇ♪」
声の調子が、さらに一段階甘やかさを増して、耳に絡みついてくる。すると、ポーッと見とれる者もあり、ニマニマと相好を崩しつつ、言われたとおり昇降口へ歩き出す者あり――こうかは、ばつぐんだ! ていうか、やりすぎだ。
なるべく目立たない立ち位置から、そっと身振り手振りでジェスチャーを送ってみる。『オイ、イッシキ』――すかさずドヤ顔カメラ目線。だからなんでそんな勝ち誇ったような雰囲気なんだよ……『アンマリ、チョウシノルナヨ』……っと。人前で目立つようなことはしたくないが、可愛い後輩のため、背に腹は代えられまい。
俺・決死のジェスチャーは、しかし、いまいち通じていないみたいで、一色は変わらずドヤ・フェイス。パチっとウィンクまで決めてくる始末で、流れ弾に当たった下級生が、視界の隅にまた一人。うーん、いろはす可愛い! 抜けててアホなところが、特にカワイイ!
……もう一回やるか? あんまり目立つことしたくないんだけど……と思っていると、一色は隣の先生になにか断ってから、ちょいちょい、とこっちに向かって手招きして、校舎の隅に歩いて行った。
後を追いかけて校舎の物陰まで行く。家庭科室わきの角を曲がってみると、ふんすっと胸を張った会長さまがお出迎えだ。なにを自慢しているつもりなんだ。
「どーでした先輩? 新入生を可愛らしくも頼もしく案内する、可愛い生徒会長の晴れ姿。思わず見惚れてたんじゃないですか? あ、でもでもすいません、あんまり先輩みたいな目の濁った人からマジマジ見詰められてたら通報されちゃいそうなので、そういうのは周りに人がいない時でお願いします、ごめんなさい」
「うん、なんか久しぶりだね、お前のそれ」
不覚にも懐かしいとか思っちゃったぞ。周りに人がいない時なら凝視していいって? 冗談にしても変な言い草だ。
とはいえ、さっきの仕事ぶりはなかなか悪くなかったとは思う――テンプテーション地獄みたいな部分さえ除けば。
なにごとも否定から入るのは良くない。貶すばかりでは、相手に悪意だけが伝わってしまい、信用されなくなる。とある少年がコンビニバイトで出くわした茶髪チーフは、口を開くたびの第一声が、ダウナーなトーンでの「チッ――あのさぁ~」だった。結局最後まで彼の態度は改善されることなく、その少年が最終的にバックレ+制服着払い+辞表同封のコンボを決めたのも仕方ないことであろう。俺としては、一色との関係をそこまで冷えたものにしたいわけでもないので、まず評価すべきところは、ちゃんとしてやろう。
「まあ、なかなかサマになってると思ったぞ。堂々としてたし。新年度の仕事はじめとしては、悪くない出だしなんじゃね? 生徒会長どの」
「――っ、お、おお……」
唖然と固まったと思ったら、一色は何かを追っ払うように、わたわたと両手を振り回しだした。
「せ、先輩が私をストレートに褒めるとか、どういう風の吹きまわしです? ちょっと気持ち悪いです。なに企んでるんですか?」
「お前な……上級生からのねぎらいなんぞ、素直に受けておけよ」
「や、だって人を持ち上げるのなんて、なんか下心がある時に決まってるじゃないですか。男子のアプローチとか単純すぎて、哀れだなぁって思うまでありますけど」
辛辣ぅ! てか無自覚のうちに人の黒歴史攻撃すんのやめようね!
「お前も大概だよね、そういうとこ……まあその意見自体は否定しないけどよ」
「ですよね、ですよね。あ、もしかして、とうとう先輩も私の魅力に当てられすぎて、下心が表面に出てきたとか? なら口説くのはムードを選んでくださいごめんなさい」
なんでちょっと嬉しそうな顔なんだよ。まだ俺に優位を取りたいのだろうか。いろはすったら、ブレないんだからっ。
「この程度の褒め言葉で口説いたうちにはいるんなら、俺の中学時代、もうちょっと色々あったろうな……」
実際には『放課後一人掃除の刑』だ。モテるどころか、モテあそばれてる。ボッチこそ、安い言葉で釣られてしまう生き物だしな。誰か、僕のこともっと褒めてよ! 優しくしてよぉ!
俺の内心の苦悩を読み取っているように、なぜか笑みを深めながら、一色はおとがいに指を当ててみせた。
「まあ確かに、エサの撒き方としては中途半端ではありますよね。私としては、もっとこう徹底的に、ターゲットが窒息して、その人のこと以外は考えられなくなるくらい、ご褒美漬けにしてくれる方が好みです」
乙女ゲー的な発想ですね。目の腐った王子さまとか需要あるのかしらん。当然ながら俺は王子でもなんでもないので、苦言を呈しておくことも忘れない。
「……まあいいよ。ただな、新入生の男子とか、昨日までウブな中学生やってたような連中だぞ。あんま弄ぶなよ。やりすぎると下級生の女子からも評判悪くなるぞ」
「あははっ、あれぐらい大丈夫ですよ。変に気を持たせるようなことしなけりゃ、舞い上がってる男子の方が笑われて終わりですから」
「おいバっ――やめろ、そういうこと言うの!」
マジでやめてくんねえかな、いちいちカサブタをほじくり返すの……。女子が振りまく上辺だけの愛想ほど、残酷なものはない。永遠不変の真実だ。額に手を当てて、深々とため息をつく。
「俺、つくづく中学の時に、お前と出くわさなくて良かったわ……」
「ほほう、先輩もあんなふうだったんです? てっきり昔から、腐った眼をして『ケッ』とか言ってたんだと思ってましたけど」
「さすがにそこまでじゃねーよ……」
アレでソレなボッチ野郎ではあったけど、別に家庭環境が荒んでたとか、そういうことはない――ありがたいことに。なので、普通にピュアでヤワでした。
「中坊の時にお前と会ってたら、名前を覚えられることもないまま、いいように顎で使われて終わりだったろうよ」
ていうか、今だってボク、あなたから名前で呼ばれたこと無いような気がするんですけど、気のせいですかね……。
俺の疑念など気にするふうもなく、一色は唇の内側で、そうなんだ、と呟く。頭の中で、どこぞの中学のガクラン着た俺が「いろはちゃ~ん」とか叫んでる光景でも想像しているのか……実際、中学の俺だったら、折本のとき以上に、こいつにコロッとヤラれてたに違いない。下手をすると取り返しのつかない傷を受けてダークサイドに堕ちていたかも。
「――なら確かに、先輩はラッキーでしたね」
顔を上げた一色が、ニッと口の端を吊り上げて、ワルい笑みを作って見せた。
「うんまあ、ラッキー……なのか?」
「決まってるじゃないですか。今になってこういう出会い方をしたの、なかなかタイミングが良かったですよ。なにしろ先輩みたいな取り巻きが一人増えたところで、私は別に嬉しくないし、むしろキモかったりウザかったりで損するかなって思いますし」
「そりゃどうも――すいませんねぇ」
なんなの。一日に一回は、俺の悪口言わないと生きていけない病気にでもかかってんのか。
どんよりと目を濁らせる俺には構わず、一色は続ける。笑みを含んだ、くすぐったげな声が、校舎の壁に跳ね返って、耳の奥に降り積もっていく。
「この高校で先輩と会えたからこそ、私はこうして、カリスマ美少女生徒会長として覚醒を遂げたわけですし? 内申にもプラスになるし、クラスの陰でプークスうるさかったアバズ――女子どもも黙らせることが出来たし、プロムとか自分なりにちょっと楽しいイベントもやれたし。うん、なかなかいい結果です。私的にはかなりグッドですよ」
弾むような節回しで、一つ一つ数え上げていく。小悪魔さまはニコニコ笑顔で、くるんとその場で一回転すると、俺に向かって両手を広げた。
「うん、私にとっても今の先輩の方が、メリットありありの、ありまくりですね」
「さいですか……満足いただけてるんなら結構だが、さっきからお前にとって良かったことしか挙がってないんだけど」
「先輩だって、こんなに可愛い後輩と親しくなれたじゃないですか。ウィン・ウィンの関係ですよね」
「俺にとってのウィンって、なんです?」
「私からの感謝とか?」
軽口なのは分かっているが、反応に困る。後輩からの感謝は――そりゃ価値がないことも、ない。ただ、それが俺のウィンなのかといえば……。
「なんか不満そうですね」
「勝利条件がお前の感謝ってのがな。難易度ベリーイージーなのか、ナイトメアなのか。判断に困る」
本題から逸れるように、わざとそんなことを言ってみた。そんな俺の底意などお見通しなのか、一色はふっと悪戯っぽい笑みを咲かせる。
「冷たいですねー。私の方だって感謝してるんですよ。仕事とかめんどくさいし、イベント始まる前も、終わった後も、書類書いたりハンコ押したりばっかでめんどくさいし、とにかくホントにめんどくさいですけど――しっかり得るものは得てますしね」
そうして、一色は俺に向き直ると、姿勢を正した。愛らしい大きな瞳が、急に真剣な光を宿して正面から向けられて、思わずこちらの背筋まで伸びてしまう。
「改めて、進級おめでとうございます。昨年は先輩のおかげで、様々な困難を乗り越えることが出来、得難い経験を積むことも出来ました。本当に、ありがとうございました」
びっくりするくらい真っすぐな言葉とともに、綺麗なお辞儀が繰り出される。四十五度の美しい弧線が、残像のように目に焼き付いて、けれど自分の見たものがいまいち信じられない。完全に飲まれてしまって、軽口の一つすら返すことが出来ず、金魚みたいに口をパクパクさせるだけ。
そんな俺に、顔を起こした一色は、破顔一笑、またあのワルそうな笑みを向けた。
「どうです、こういう仕草もそれなりに板についてきたでしょ。入学式での本番前に、先輩にだけ、特別に先行上映です」
「……おう、かなり驚いた」
すげーな……まるで品行方正な生徒会長みたいだ。ちょっと前までナメた口調で「あー、仕事だりぃんですよねー」とか言ってた女と、同一人物とは思えない。いや、いまも時々そんな態度とるけど。
ふふん、と胸を張って、一色は得意のキメ顔をする。
「最近は先生たちからも評価されてるっていうか、なにかとニコニコ笑顔で話しかけられることが増えたなーって実感してます。この調子でいけば、推薦とか狙えそうですし、来たる受験ではせいぜいオイシイ思いをさせてもらいますよ」
そう言って、カラカラ笑う。
そんなに簡単に推薦に食い込めるのかは疑問だが……まあ内申とて、マイナスよりはプラスの方が良いに違いない。それより先生からの評価が変わり始めているというのは素直に驚きだった。一色いろはは、決して優等生でも秀才でもなかったはずだから。
「すげーな、ほんと」
「ま、これも誰かさんが、会長やれって発破かけたせいですけど」
しれっと口にして、一色は笑った。
「かくして、いろはちゃんのスクールライフは、ほぼほぼウィンに王手です。あと足りないものは――もうちょっとの成績と、マトモな友達と、忠実な後輩と、あとついでに葉山先輩とか」
「ついでって……」
冗談です、と告げて、一色は身を翻す。
「さて、ではそろそろ私、戻ります。入学式の準備もあるし」
「ん――頑張れよ」
眩しいような気持で、その背中を見送りつつ、俺もぼちぼち昇降口へ向かおうとして――「おっといけね」と一色が振り返った。
「伝え忘れていたことがありました。二点ほど」
「ん、なんだ?」
気軽に問い返した途端、カウンターをくらう。一色の目元に、またあの真剣な光が宿っていた。
「私、こう見えて安い女じゃないつもりです」
「お、おう」
「なので、本当に心からの感謝は、そう簡単に人に示したりしません。心からの感謝って、それなりに重みのあるものだと思うんで」
「あ、うん……なんかさっきは、すみません」
自分の声が細くなるのが分かる。小さく縮こまる俺に、一色はかぶりを振った。
「けどまあ、男子を振り回して得意になってた頃の私って、ちょっとアレっていうか、我ながら器が小さかったかなーと思わなくもないので。あれも、もういいかなと。――そんなわけで、ナイトメアも目指しません」
きっぱりとした口調に、俺はうまい返しも思いつけないまま、頭を手櫛で掻いた。
「そっ、か」
「はい。なので、自分で言うのもなんですけど、ここからの私は普通な方だと思います。私の勝利条件、きっとノーマルですよ。それは今、先輩に言っておいてやりたいなぁ、と」
不敵な笑み。堂々としていて、チョイ悪そうで、可愛らしい笑顔。不覚にもやりこめられて、俺はモジモジと下を向くだけだ。
一色はしばし満足そうに俺を見つめた。が、それからまた、あの真剣な目つきに戻った。
「それと、もう一つですけど」
「お、おう」
「入学式――あんまり驚かないでください。それだけです」