水平の彼方 作:#Ext
晴風の航海は後悔の連続だった。
00/Harekaze
「隣、いいですか?」
そう聞かれて振り返ると見知った顔があった。
情報調査隊所属、航洋艦御蔵艦長の福内典子がそこに立っていた。
「晴風を?」
「晴風を一目見ておこうと思いまして」
教官の古庄薫は目の前の艦、晴風を見上げた。
10番パースに繋がれている晴風は、二つ右に繋がれている武蔵とはまた違う威圧感を与えていた。
武蔵ほど大きな砲塔を持つわけではない。武蔵は46センチ砲────永遠に破られることのない世界最大の主砲────を背負い式に三基搭載している。晴風の主砲は、二基と標準よりも多いもののたかが5インチ単装砲である。
しかし晴風は、武蔵のように圧倒的な力強さを感じさせるのではなく、見る者にあらゆる無駄が削ぎ落とされ、機能的に鋭く洗練された、どこか冷徹な印象を与えるのだ。
艦橋に配置された六角形型のフェーズドアレイレーダー、その特徴的な外見は世界最強の水上艦艇の証であり、常に電子の眼で持って遙か彼方の上空、宇宙空間まで見守っている。
古庄は、自分の持つ疑問 ────そして恐らく教員全員が思っている疑問、その解をここに見つけに来た。
晴風は新たに教育艦になり、自分の担当クラスになる。
福内は現役のブルーマーメイド、それも艦長。
教員の自分には知らされていない情報を掴んでいるしれない。そんな期待を込めて聞いた。
「何故晴風が、最新鋭イージス航洋艦が、教育艦に降ろされたか知っていますか?」
福内はその質問に答えなかった。
目の前の晴風をどこか慈しむように見つめていた。そこに彼女の影を、失ってしまった人の影を見た。踏み込んではいけない一線を越えてしまったのだろうか。
しかし、知らなければならない。重大なことなら尚更。晴風クルーは私の教え子だ。
福内は躊躇いがちに口を開いた。
「私は二年前晴風の航海長でした」
初耳だった。
「ニ年前晴風に配属された私達は、最新鋭艦に配属されたことで浮ついていました。最強という言葉は晴風の為にあるのだと思っていましたし、実際に晴風は無敵でした。だから私達なら何だってできると酔ってしまったんです」
それが驕りを生んだ。そう福内は言った。
そして視線を晴風から自分の方に戻した。
「晴風は極めて攻撃的な艦だと思いませんか」
「えっ……」
困惑。晴風はイージス艦。であるから、当然味方の艦隊を守ることに特化した艦であり、攻撃的という言葉と対極にあるような艦ではないか。
「ブルーマーメイドの任務は、主に防衛出動、海上警備行動、水難救助の三種です」
「ええ」
それは海洋女子学校の入学試験でも出るくらいの基礎的な内容だ。だが、今までの話と何の関係があるというのか。
「ブルーマーメイドが標準採用している弁天型、そして後継艦の木曽型は、三種の任務をくまなく遂行出来るように設計されています」
教員艦にも使われている弁天型は、極めて使い勝手がいい艦である。
三胴船型の恩恵である広大な甲板に、いずれの任務にも対応し得る多用途ヘリ。VLSは晴風に比べれば控えめな32セルであるが、充分な打撃力を備えている。
後部の巨大なミッション・ベイには、平時は戦術執行部隊の30人と全員分のスキッパー、非常時には状況に応じた豊富なモジュールのいずれかを搭載できる。
「でも、晴風が想定しているのは、防衛出動のみ。つまり、晴風の存在は、悪意を持った、それも国家規模の敵勢力が攻撃してくることを
福内は指揮者のように大仰に手を広げ、肩を竦めた。
「そんな攻撃を誰がするっていうんです? この平和なご時世に」
「それは……、そうかもしれません……」
冷戦の長く続いた対立によって、膨張した軍事費は各国の財政を蝕んだ。東側諸国の盟主たるソ連は、産業構造の転換が遅れ、経済は停滞し、火の車状態であった。
やがてソ連は内部から崩壊し、西側諸国の共通の敵は消え、各国の財政各国は調和と協調の道を歩んでいる。戦争も軍備も莫大な金が掛かるものだ。この経済不況の中、わざわざ戦争の火種を生もうとする国はいなかった。
「結局、晴風は強さの象徴でしかなかった。実際は何も出来なかった。気づいたのは目の前で幾多の人が喪われてからでした」
笑っちゃうぐらい愚かですよね。彼女はそう自嘲した。
川崎オーシャン号沈没事故。フェリーが小笠原沖で沈没した事件。近海にいた航洋艦晴風は、急行し、懸命な救助を行ったものの、乗客の約半数の384人が死亡した。近年稀に見る大惨事となった事件。原因は急速に発達した低気圧の暴風雨と、船長の経験不足が重なった結果と言われている。
だが、こう言われているのも事実だ。救難隊がもう少し早く突入していれば、犠牲者はかなり減ったのではないか……。
「人を守るのに七億円の対空ミサイルなんて要らなかったんです」
強ければ何だってできるのだろうか。否。
戦闘能力と救難能力無論別物である。
だが、それは晴風にとって意味のないことだった。都合の良い言い訳のようにしか聞こえなかった。
従来艦と隔絶し、圧倒的な力を守る性能に特化させた晴風は、盲目的に誰でも守れると思わせる力があった。
約1500kmを一瞬にして見守る多目的レーダー。新調されて、より直感的に素早く操作できるシステム群と、味方の全ての艦艇、航空機の得た多層的な情報を結合し、瞬時に最適解を弾き出す戦術情報処理装置。共同交戦能力を持つ対空、対艦複数の任務に対応した300km以上の射程を持つ極超音速ミサイル。
これらは全て従来の艦艇である弁天型、一世代前のイージス航洋艦夕雲型では持ち得なかったものだ。
だけど無敵の盾のその力は、実際には無意味で、無駄で無理だった。
曰く、
晴風は、人々の平穏を守るために戦う守護神らしい。
晴風は、味方をどんな絶望的な状況でも守り抜くために生まれたらしい。
────守れてないじゃないか。
❖
「これが……、晴風クラス」
晴風クラスの名簿を眺める。その名前の隣には全員分の詳細な成績が記されていた。
総合成績は全体的に悪い。平均を下回っている。
解答欄を一つずつズラした宗谷ましろはともかく、艦長の岬明乃でさえペーパーテストはなかなか酷い有様だ。
「だけど……」
晴風クラスはただ成績が悪いだけのクラスではなかった。
「全員とも実技試験はトップクラスね」
艦長の岬明乃は入試のB型演習────想定される現実的な状況に対しどのように対応するかを見る試験、で素早く適確な判断を下し、味方艦隊の被害一切出さずに任務終了した。
恐るべきは、敵への反撃を決断した速さである。
一種のTRPGのように数多の選択肢が用意されているB型演習では、取るべき行動を決断できず時間切れになる受験生も少なくない。
そもそも、たかが中学生に実務的な対応を問うということ自体が無茶であり、ここ20年でAを出したのはたった5人、その内の二人は現校長の娘、宗谷真霜と宗谷真冬である。
そんな中で岬明乃は、圧倒的な成績、前代未聞の評定A+を叩き出した。
複雑な状況設定、刻一刻と更新されていく情報、限られた時間で正確な状況をできる限り把握し、最もベターな結果を掴み取る。その能力は、危機的な状況と常に対峙し続ける現場で上級士官が一番必要とされる力だ。教官達が凄まじい素質を持つ学生が受けてきた、と色めき立つのも仕方ないことだ。
一方、副長の宗谷ましろは艦長の岬とは対照的だった。砲雷科で志願した彼女は、B型演習で優柔不断、前例主義気味で柔軟な対応に難ありとされたものの、攻撃決定後は圧巻の一言だった。
A型演習、図上演習とも呼ばれる戦闘シュミレーターを使用した戦術眼を問う試験で、絶望的な運のなさで敵がクリティカル攻撃を連発する中、敵を全滅させ学年ニ位。今年の学年首席、知名もえかの成績が異常に高いだけで、例年なら大差をつけて学年一位を狙える成績である。
流石宗谷家のご令嬢と言うべきだろうか、『来島の巴御前』こと武装勢力を単艦で壊滅させた宗谷真雪、現校長の血を引いているだけはある。
機関長の柳原麻侖は必要部品を余らせたにも関わらず、機関を動かすという離れ業をやってのけて教官達を唖然とさせ、船務長の納沙幸子は情報オリンピック中学生の部で全国準優勝を果たしていて、プログラミングのスペシャリストだ。
砲術長の立石志摩は、実際に必要とされる技術かはともかく、十数キロ先から一撃で的に命中させ、水雷長の西崎芽依は、数十発の敵ミサイル飽和攻撃を最も効率的に、それもイージスシステムが下した判断とほぼ同様に迎撃管制をした。
どのような脳の使い方をすればそのような芸当ができるか定かではないが、間違いなく人間業ではない。
教官達の間では人型のFCSだ、人間イージスだと噂される始末である。無理もない。
恐らくペーパーテストの関係上、武蔵に配属されなかった、化け物のような卓越した実務能力を持つ人材が晴風に集結している。
戦艦である武蔵は強さの象徴に過ぎず、先鋭化し過ぎた現代の戦闘に最適化された晴風こそが、実務的な生徒が配属されるのに望ましいという固定観念があるからだろうか。
そうだとすれば、大層の皮肉だと思った。
そして古庄も、無意識に常識として思い込んでいた一人だった。
突出した性能に裏打ちされた強さと、目の届く範囲ですら守れない弱さを内包し、自己矛盾に苛まれた晴風。
晴風の生徒達は、晴風の新たな希望の風となるだろうか、それとも……。
どうか彼女達の航海に平穏があらんことを。
そう願ってやまない古庄だった。
❖
『こちら、川崎商店街船現在────』
『避難の進行度は約40%』
『傾斜角30°を越えました。もう持ちません!』
『──────総員離艦、繰り返す、総員離艦』
爆発。
その瞬間、視界が真っ白に漂白された。
『待って、あの中にまだたくさんの人が────』
『目の前の命さえ守れないような力なんて要らなかったのに』
『最強なんでしょ、どうして、どうして……』
全てを救えるわけがない。
そう知っていた。
だけど、諦めるわけにはいかなかった。
──────最強だから
彼女は救えなくて、守れなくて。
目の前で海底に沈んでいく仲間達をただ眺めているだけしか出来なかった。
それでも彼女は、あの日誓った約束を、二度と戻らない過去を、否定しないために生きている。
孤独の航海の果てに、肯定できる未来があると信じた。