「今日は早かったなー」
夜中に近い宵の刻。お馴染みの古ぼけた扉をくぐった矢先、魔王様の声がこちらに届いた。
本日の魔王様はゲームを嗜んでおられるようだ。
ショートパンツにTシャツ(今日は白無地で、中央に「SO TIGHT」と大きく書かれている)というラフなスタイルで、あぐらをかいてTVモニタに夢中になっている。
相変わらずの彼女の姿を見れてどこか安心した自分は、ただいまと一言返してから家に上がった。
魔王様は帰宅しても玄関までわざわざ出迎えてくれる事は少なく、また定番の「おかえり」がない事も多い。しかしながらそこに自分への労いが含まれて無いかと言えば、そうではないと言える。
何故ならば彼女は例えコントローラーを忙しなく操作していたとしても、意識はしっかりと自分に向けてくれているからだ。
その証拠に、邪魔しないように部屋へと通り過ぎようとした自分の脚に、彼女の立派な尻尾がしゅるり、と軽く纏わりついた。まるで「忘れていないよ」と言いたげなその行為はどこかくすぐったく。そして少なからず嬉しいものだ。
こういった細かな所作が蔑ろにしているような感覚を与えず、逆に淡白な反応だとしてもわざわざ待ってくれているのだ、という実感を強く与えてくれるのだ。
一日の重荷をハンガーにかけ、部屋着に着替えて居間に戻れば、魔王様のゲームは依然として続けてられている。
薄型のTVモニタの中では魔王様操る甲羅に棘を生やした亀が、モーターカートを駆使ししてライバル達とのレースを競い続けている。
場面は既に最終ラップに突入している。彼女の順位は現時点で2位。デットヒートである。
前傾姿勢になり、「あっ」「くそ」「待て待て待て」なんて小言を言いながら、必要もないのにコントローラーをハンドルのように傾ける彼女。
魔王様の立派な尻尾は主の意思か、それとも尻尾そのものの意思か、それによって展開が変わることなどないのに執拗に床を何度も叩いているのが見て取れる。
そして、眺めている間に決着がついた。
気になる結果は奮闘むなしく2位のまま。
魔王様はまるでその結末を認めたくないと言わんばかりに呻き声を上げながら後ろに仰け反り、そしてソファ越しに立つ自分を反転した体勢のままで睨みつけてきた。
「二位だぞ。どうしてくれる」
どうしてくれと言われても。
「……このステージだけ1位になれないんだよ。何かコツあるんだろ」
のけぞった体勢のままこちらに両腕を伸ばしてくる魔王様。何となしに近寄っていた自分は、その伸ばされた腕を跳ね除ける事もせずに掴まってしまう。
魔王という絶対的強者に掴まってしまったのだ、哀れな子羊は命だけはとアドバイスを送る他ない。
淡くこちらの服を掴んだ状態で真摯に俺の言葉を傾聴する彼女は、ある程度まで語ると「なるほど」と頷いてから拘束を解いてくれた。どうやら納得行く解答が出来たらしい。
「んじゃ雪辱は後で晴らすとして……飯にすっか」
見る者全ての心を解す笑みを見せて、ソファから飛び起きた魔王様。
そんな彼女に隣り合うようにして自分もまたキッチンへと移動する。
準備ぐらいオレがやるけど? と言わんばかりの彼女の目に、今日は余力があると伝えれば、こちらの背中をぽんぽんと叩かれた。頼りにしているという意味であろうか。
――そうして、自分と魔王様は二人では少し手狭なキッチンに並び立っている。
魔王様が手際よく冷蔵庫から取り出す惣菜を、こちらが小皿に取り分けて乗せていく。
時に電子レンジにいれたり、調味料や箸を取り出す作業もお手の物だ。
互いにやるべき事が分かっているため「ん」や「あぁ」と言った簡単なやり取りだけで全てが済む。
ちなみに言えば我々の食事は大半がスーパーの惣菜であり、本日もまた例に漏れず惣菜がメインである。
それは自分も魔王様も料理には明るくないのが大きな理由である。
自分は無理をすれば野菜炒め程度なら作れる技量しかなく。
魔王様はやんごとなき身分だ、料理はするのではなくさせた事しかないので言わずもがなである。
我々が唯一板についていると言っていいのは湯沸かしと電子レンジ捌きぐらいだろう。
勿論、料理は出来た方がいい事に間違いない。
だが現代社会と来たらコンビニ、スーパーで格安で料理を提供してくれるのだから困り物である。二人共その恩恵に依存しすぎており料理技術は一行に育たないのであった。
閑話休題。物の数分もしないうちに我々は食卓を囲んでいた。
小さなこたつ机を瞬く間に占領した今日の主役達は、スーパーで買ったきんぴらごぼう、アジフライ。後は冷奴とチキンサラダである。
魔王様は並び立つ主食を見て目を輝かせ、そして有り余るような笑顔で片手に持つ缶(準備中も片時も離さずに持っていた)をコチラに寄せてきた。
乾杯。
缶同士を合わせる行為をお辞儀代わりに、まずは二人でビールを煽っていく。
口の中を瞬く間に満たす苦味の利いた液体。
喉を流れる時の炭酸の感覚はやはり堪らず。
普段ならわざわざしない喉を鳴らすという行為を、意識的にしてまで味わってしまう。
本日の疲れを洗い流すかのように我を忘れて半分ほど飲んだ自分に対して、魔王様はこちらの目の前で缶を真反対に傾けて空っぽをアピール。雄弁である。
「なぁなぁ、ヒヤヤッコって醤油しかかけないのか?」
二人の箸が机の上をうろちょろする中で不意に魔王様が問うてきた。
自分は肉じゃがの上に箸を着地させると、それを自分の皿に取り分けてゆきながら考える。
別に醤油以外をかけてもいいと思うが……冷奴は醤油であるという固定観念を持っているせいかそれ以外はあまり思い浮かばない。強いて言えばポン酢や甘醤油くらいだろうか? 何だか途端に湯豆腐めいたイメージが沸いてしまうのだが。
「何かこう味が足りないんだよな、醤油だけだとさ。もっとガツンとした味付けにしてもいいんじゃねえかって」
自らの冷奴を箸でつっつきながら主張する魔王様は、イメージ通り繊細な味付けより豪快な味付けを求めるタイプである。
ドレッシングはたっぷり、調味料もどっさりと使用した料理を「んん!」の一言と共に目をきらめかせて完食する彼女のスタイルは見ていて気持ちが良いくらいであり。そんな彼女にとって味気のない豆腐はまさしく物足りないの極地なのだろう。
「ソース……いや、ケチャップ」
全く味の想像がつかない。
「やっぱりマヨネーズか。マヨがいいのか?」
その先は地獄だぞ魔王様。
大体が魔王様はマヨネーズを信頼しすぎなのではと思う。
マヨネーズと言う調味料の万能さは確かに凄いが、彼女はマイマヨネーズを用意するぐらいには中毒状態。そのうち直にマヨネーズを口に運ぶのではと薄々心配する程だった。
なんであれ挑戦するのは自由だ。
しかしこちらとしては醤油のまま食べさせて頂きたい。
「美味しいかもしれないだろうに」
ぷぅ、と頬を軽く膨らませた魔王様は空いた缶を手に持ってキッチンへ。
そしてすぐに新たなビールと共にマヨネーズを用意すれば、それを彼女用に取り分けた冷えた豆腐の上にぶちまけていく。
粘性の高い淡黄色の液体がみるみるうちにとぐろを巻く様に最早言葉も出ない。コチラに出来るのは祈る事だけである。
「……変な顔すんな。食べる前から間違えてる気がするじゃねえか」
そう言ってたっぷりマヨネーズの豆腐を一口分だけ運んでいった魔王様。
動向の気になった自分は、その柔らかそうな頬がハムスターのようにもくもくと動くのを見つめていたが、思ったよりもその表情に変化はない。何だか不思議そうに味わい続けている。
「うーん」
たっぷり味わった筈の彼女の感想は、たった三文字だった。
そして口直しだと言わんばかりにドバドバにソースをかけたアジフライを口に運んで味わい始める。
今度は頬が綻んでいる事から、やはり先程のマヨ豆腐はそこまで美味しい物ではなかったようだ。
「別に不味くはねえよ不味くは。ほら、味わって見ろよお前も」
自分がいつまでも見ている事に気がついた魔王様はマヨ豆腐を箸で掴み、体ごと乗り出して口元に寄せてくる。
今にも落ちそうな不安定な豆腐もそうだが、毎度毎度急にパーソナルスペースを侵してくる彼女にドキっとさせられてしまう。
その美しい顔に、目の前で重たげに揺れる双房。そして女性特有の仄かに甘い香りに意識を奪われそうになりながらも、努めて無表情で口を開ければ、割と大きめの豆腐が舌の上に軟着陸した。
豆腐独特の弾力といっぱいの大豆の味。そこにマヨネーズの酸味と甘味が絡みつく。
これは……うーん。
「だろ?」
まだ何も言っていないが我が意を得たりとしたり顔の魔王様。
しかして彼女は急にこちらの唇のフチを指でなぞり始めたではないか。
すわ、何事だと思えば、その指にはマヨネーズが付着しているのが見えた。どうやら口についていたらしい。
「コレに関しては醤油の方がいいよな」
そして彼女は指についたマヨネーズを真紅の舌で猫のように舐め上げ。
自分は同意も否定も出来ずに少し固まってしまうのであった。
§ § §
夕飯を終えた自分と魔王様が次に行ったのは居間のソファで二人陣取り、そして互いにコントローラーを握りしめてレースゲームに興じる事であった。
先行するは自分が操る配管工のオヤジ。彼女の操る棘あり亀より順位は3つ上。
魔王様はライバルの密集するS字カーブゾーンで言葉にならぬ吃音を漏らしながら悪戦苦闘。どうにかこうにかこちらとの差を縮めようとしている。
「待てっ、待て待て待てずるい! ずるいぞ!」
NPCが放った雷が、他全キャラクターに舞い落ち。そして当たったキャラはスリップをしだす。
こちらも被害を食らったが魔王様の被害は特に甚大だ。ジャンプ台から飛び出した瞬間の直撃でコースアウトになってしまっている。
「あのアイテムは嫌いだ!」
更に画面にのめり込んだ魔王様のボタン捌きは激しくなる一方。
ことレースゲーにおいてボタンの連打は必要はないのだが熱くなっている今では聞き入れられる事はないだろう。興奮のせいか、先程から彼女の尻尾が頻繁にこちらの背中を叩いて地味に痛い。
レースは瞬く間に最終LAPへと突入していた。
魔王様との差は依然として開いたまま変わらず、モニタから流れるエンジン音に隣に座る魔王様の唸り声が混ざりあっているのが聞こえてくる。
そんな魔王様の執念が実ったのだろうか、彼女に千載一遇起死回生のチャンスが訪れた。
「――来た!」
一時的に無敵状態になれるアイテムを手に入れたのである。
無敵に加え、更に加速までした彼女は徐々に、いや着実にこちらとの差を縮めていく。
ぬおおおおとコントローラーを派手に傾かせて猛追する魔王様。すでに場面はゴールライン直前のストレートゾーンである。
自分のゴールは秒読みで、彼女との差は気付けば僅かになっていた。
そしてついに。
彼女のマシンがこちらに接触すれば、ゴール手前で自分のマシンはクラッシュ。
魔王様は土壇場のクラッシュを尻目にゴールラインを悠々と越えていった。
「ぃよぉしっ! 勝ったぞ!」
画面に映る1位の称号に諸手を挙げて喜ぶ彼女は、その溢れんばかりの喜びのまを抑えきれず、にまーっと輝かんばかりの笑顔でこちらに勝ち誇ってきた。
そんなアピールに素直に称賛を贈れば、魔王様は鼻高々。祝杯と言わんばかりにビールを煽り始める。
「っかぁ、美味い。勝利した後だから尚更美味いな!」
慣れた手付きでこちらの肩を何度も叩いて喜ぶ魔王様だが、実の所このレース勝負、既に5回目の挑戦であった。
彼女は負ける度に「今のは違う」「偶然だ」「まだ負けた訳じゃない」などと再戦を望むのでその都度付き合った結果がこれである。この泣きの五戦目で彼女は初勝利を飾ったのだ。
だと言うのにまるで全ての試合を制したかのように振る舞う魔王様は、中々に良い性格をしている。これが魔王様の魔王たる所以か。
ビールを飲みながらも如何に自分のプレイが優れていたか、そして如何にこちらのプレイに粗があったかを
どうやら今日の勝負も魔王様の勝ちで終わりのようだ。
「そう言えば明日ってお前、休みだよな」
んん? とちびちびとビールを飲みながら壁のカレンダーを見やれば、確かに本日は金曜日。明日は休日である。
多忙であったため曜日感覚が完全になくなっていたがそうか、土曜日か。
そう考えるだけで今を無駄にしたくない気分が芽生えてくる。ならば夜更しして映画でも見ようか、などと伝えてみたが、意外にも彼女は首を振った。珍しい、一体どうしたというのだろうか?
「映画はいいんだけどさ。明日がせっかく休みって言うならどこか遊びに行こうぜ」
ふむ、それもまた良いかも知れない。
頷きながらいそいそと映画配信サイトにつなげようとリモコンに手を伸ばした所、その手をぺしりと叩かれた。痛い。
「その肯定とも否定とも取れない曖昧な発言やめろ。遊びに行くのか行かないのかどっちだ」
コチラの顔を間近で覗き込むその顔は少しだけむっとしている。
白黒はっきりさせたいのは山々だろうが、とは言え明日までまだ時間があるのだ。
優柔不断な自分のためにももう少し考慮させて貰いたい。そう伝えたのだがやはりまだ気に入らないらしい。
魔王様はいきなりこちらが飲んでいたビールを奪うと、それを一息に飲み干し。少し酒臭い吐息で抗議してきた。
「お前さぁ、そう言って曖昧な返事で先延ばし先延ばしにして『今日は一日中寝る』って事に何回なった? オレは忘れてねえからな。動物園に行く約束だったのにやっぱやめたーってなった事」
何回も何も1回だけだと記憶しているしあれは確約していなかった筈だが、魔王様の中では辛抱ならない裏切り行為と認識されていたらしい。
魔界出身の魔王様は変身能力で何とか外を出歩く事も出来るのだが、人間界との常識の差から一度
そのため、平日は買い物以外は日がな一日中部屋で過ごす他ない彼女からすれば、その一回の反故でも許せるものではないようだ。
「だから今オレと約束しろ、明日はどっかに出かけるって事を」
おや。自由意志だった筈なのになぜか強制へと変わっている。
だがそれを咎めようにも最早魔王様の中で遊びに行くことは決定事項になっているようだ。この決定は今更覆る事はなさそうだ。
出不精なため本来なら家でだらだらしていたいが、腹を決める他ないらしい。
そうなると動物園リベンジか。はたまた水族館か。
あるいはゲームセンターか。遊園地というのも手かもしれない。
魔王様はアグレッシブなお方だ。ショッピングよりかはレジャーを好む筈。
「お? いいんだな。ならオレはあそこに行きたいぞ。スカイウォークタワー」
しかして意外な事に彼女が提示したのは、まさかの日本一高い遊覧スポットである。
動物園はいいのか? と聞けば動物園は明後日行くからいいらしい。
こちらもまた決定事項である。魔王様には抗えない。
しかしあそこは騒げるようなスポットではないが、どうしてそこに行きたいんだろうか。
「オレが四六時中暴れ周ってるような言い方やめろ。知ってると思うがオレの居た世界ってのはこっち程文明が発展してなかったんだよ」
ソファの背もたれに体を預け、頭と角を重力に従うがまま傾けた彼女は、天井を眺めながら語り始める。
聞けばそちらは魔法文化はかなり発展しているように認識していたが。
「魔法だけな。その代わり発展に不可欠な科学や天文学と言った他の学問は蔑ろにされ続けていた。だからえーっと、そっちでいう……"チューセイ"? レベルで文明は止まってた。いかんせん魔法に依存しすぎたな……人間も魔物も、不思議な事が起きても全て神秘に依る物だと片付けて、思考を停止しちまった」
曰く、異世界人は魔法という不確定な事象も「神とか超越者がもたらした不思議な物である」と理解とは到底言えない状態で完結してしまっているらしい。
故に、人々は魔法という恩恵に預かりながらその文明レベルは目覚ましい発展を遂げなかったようだ。
「だからオレはこっちの世界に来て驚いた、だってこの世界には魔法なんてないんだろ? なのにドラゴンよりでっかい建物がうじゃうじゃと林立してやがるんだぞ」
両手を使ってこんなにも大きいんだぞと表現する魔王様。
彼女の美しくもすらりとした腕が示す空想のビルは、自分には思ったよりも小さく見えた。
「分かるよな? で、だ。その中でも滅茶苦茶でかい建物に登りたくなったんだ。あれって実際に登れたりするんだろ?」
顔は動かさず目だけコチラに向けた彼女に頷き返せば。にぃ、と魔王様は笑った。
明日の予定は決まりである。ただあらかじめ言っておけば、あのタワーは非常に眺めのいい景色こそ眺められるが娯楽要素は少ない。
恐らく眺めるだけ眺めたらそのまま帰ることにはなるだろうが、それでもいいのだろうか。
「は? 登ったら上から飛び降りて遊べるんだろ?」
え。
「ああいう高い所って空を飛んで見れたりするんだろ? オレは知ってるぞ」
魔王様は至極真面目そうな表情で何言ってんだお前とツッコんでくるが、突っ込みたいのはこちらである。
その情報源はどちらからと聞いたら「この前見た映画だ」と言うありがたい答えを頂いた。
それはチョイワルオヤジ達が破茶滅茶する映画で、確かにとあるシーンでは高層ビルの屋上から飛び降りていたが……あれはあくまでフィクションである。
努めて冷静にそんなアトラクションは実際にはないのだと伝えると、最初こそ冗談はキツイぞとこちらの頬をつついて笑っていたのだが、やがてこちらが表情を崩さずに居るとようやく理解してきたらしい。一点して顔に朱が混じり始めた。
「……知ってたぞそれくらい。今のは冗談だ」
しばしの沈黙の後。魔王様の口から零れ出たのはそんな言葉だった。
魔王様は頑なに非を認めない事が多い。
魔界で一番えらい身分だったせいなのかもしれないが、非を認める=負けであるというイメージを持っているようだ。生来の負けず嫌い気質も相まって中々どうして認めてくれない。(勿論本当に悪いと思った時は謝ってくれるのだが)
「なんだその顔は。何か文句があるのか」
文句なんてあろうはずがございません。と首を振るうが、頬を赤らめ恨めしそうに睨みつけてくる魔王様がどこか子供のように見え、つい自分の意思とは裏腹に少しだけ頬が引き攣ってしまい、そして案の定見咎められた自分は魔王様に襲われた。
「だ、大体お前が映画見てた時に、ああいうのいつかやってみたいなぁなんて言うからだぞ! それでオレはてっきり出来る所があるのかと思って……!」
こちらに覆いかぶさり、首根っこを掴んだ体勢で魔王様の顔が視界を埋め尽くす。
前と同じように肉感ある彼女の肢体が薄い布越しに感じられると正直たまらないのだが、怒りにかまけた彼女は知ったことではないようだ。密着した体勢で怒りのままがくがくと揺さぶってくる。柔らかい。だが世界が揺れる。ここは天国と言うべきか地獄と言うべきか。
「お前があん時にちゃんと説明しなかったのが悪い。いいな!」
衝動のままに揺さぶり続けた彼女は、気が済んだのかこちらをソファに投げ捨てると、指を突きつけてそう宣言した。
正直理不尽に思わなくもないが他でもない我が家の魔王様の命令である。こちらとしては特に文句もない。
彼女はこちらに異論がない事を確認してからもぷんすこ、と怒っている様子を崩さず、机の上のリモコンを引ったくり、慣れた手付きでチャンネルを変えていく。
チャンネルは映画配信のものへ。そして彼女のお気に入りであるB級アクション物の映画が放映され始めた。
「……」
部屋には訪れる再度の静寂。
魔王様は胸の下で腕を組んでむっつり顔。
自分も何を切り出したらいいのかも分からず、ひたすら視線をモニタに注ぐ他なかった。
映画の中で主演男性二人組が、悪の組織のたくらみに気付くシーンが写されているが……正直内容に集中出来ない。そして映画がいざ戦闘シーンにさしかかった途端。「スカイウォークタワーだけどさ」と魔王様が切り出し始めた。
「屋上から飛べなくても明日。行くからな」
画面の中で二人組の警官らが悪漢をたちどころに吹き飛ばしていくのを尻目に、本当にいいのかと問いかけたが、彼女の返答はない。
無理をせずとも他に行きたいところがあれば優先してもいいんじゃないのだろうか。そう提案しようとした矢先の事だった。
「……本当はお前と一緒に空が飛びたかった。でも出来ないならそれでもいい。一緒に空から見下ろすだけでも楽しいかもしれないからな」
映画のアクション音声に負けそうな程か細い彼女の発言に、ようやく自分は合点がいった。
この世界に来てから、魔王様は今まで培った魔法技術を全て禁じて生活している。
恐らくは恩義ある自分に迷惑をかけたくないが故なのだろう。彼女は何とかコチラの生活に馴染もうと努力してくれている。
しかし、普段息をするように使っていた魔法を禁止する。それは少なからず彼女にストレスを与えるのだろう。
そんな中でようやく見つけた魔法が役立つ瞬間。魔王様は心踊らせた筈だ。
だが、その願いは叶わなかった。
現実は神秘を必要としない社会構造をしている。
彼女の魔法はやはり、この世界では発揮させる場所がなかったのだ。
そう考えた途端にどこか不貞腐れたように語る彼女の寂しそうな雰囲気がたまらなく思えてしまい。
自分の口から堰きを切って飛び出した返答は、自分でも驚くような声量で「絶対に行こう」と言うものであった。これには魔王様も自分も驚いてしまう。
「分かったよ。そんなに張り切りすぎんな」
だが二人して驚いた後は、二人して笑う番である。
どちらから始まったか分からない含み笑いの連鎖の中、約束を交わしあった自分と魔王様はようやく。流れている映画に没頭することが出来たのだった。
何気なくソファに投げ出された二人分の手。
それは手の甲同士を触れさせたまま離れることも重なる事もなく。
合間合間に感想を言いながらも二人の夜はとっぷりと更けていくのだった。
畜生分かりたくない!こんな魔王様が現実には隣にいないことを!!!!
誰かが魔王様の挿絵を送ってくれるまで更新を続けてやる!!!!!1!!