帰路につき 扉を開ければ 魔王様   作:月兎耳のべる

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妄想は止まらない。
でも書けば書くほど辛くなるのはどうしてなのかしら。



お出かけし 笑いを絶やさぬ 魔王様

「おーっしただいまー!」

 

 お馴染みの古いアパートの扉が開け放たれ、魔王様の声が二人分の足音と共に家中に響き渡る。

 本日は仕事漬けの平日と違い、解放の休日であり。

 そして約束をしていたお出かけを堪能してしてきた帰りであった。

 

 いつも自分が発する側だった「ただいま」の言葉を、二人で揃って言える事がどこか嬉しい。

 酔っ払っているせいか自分だけ勢い余って「おかえり」まで言ってしまえば、魔王様に「応!」と頭をわしゃわしゃされて、なんとも言えない気分になってしまう。

 

 壁にかかった時計を見れば時刻は既に23時を過ぎている。

 朝から出かけたのでほぼ丸一日かけて休日を楽しんできた事になる。

 日頃だらりとしているよりかは遥かに有意義に使った感じはするが、その分疲労も濃い。

 

 肩と頭に少しだけ重さが乗っかった感じを覚えながらふらふらと居間へと移動していけば、そんな自分の横を颯爽と魔王様が通り過ぎていった。

 そして、どすん。と言う音が響けば、魔王様が目の前のソファに墜落していたのが目撃出来た。

 

「うおぅおぅおぅおぅ」

 

 平素な四角いクッションに顔を埋めて右に左に忙しそうに柔らかな感触を楽しみ始める魔王様。両足をばたばた、尻尾もうねうねびちびちと全身で何らかのお気持ちを表明しておられる。

 今の彼女は中々に酔っ払っており、そしてご機嫌である。

 それもこれも道中浴びるほどお酒を飲んだせいだろう。

 

 ご要望の日本一高い建造物(スカイウォークタワー)に登ってからお昼御飯(お酒込み)。買い物をしたら夕飯目当てで居酒屋。二軒目はバー。三件目もバーと、常にお酒がついて回った一日であった。まさしく()()の如く飲んでいた魔王様だが、あの量はいくら何でも大丈夫なのか心配ではある。

 一応お水でも飲むか、と聞いてみたが「大丈夫だぞ~」と間延びした声が帰ってくるだけで、彼女のクッションへの奇行は止まることはなかった。

 

 ちなみに本日の魔王様は外ゆきの格好をしている。

 白のデニムパンツにオフショルダーの紅梅色のリブニット、そしてジャケット。

 その自身の美貌とスタイルも合わせれば洗練されたモデルのようにしか見えない彼女は、街でも強く人目を引いていた。

 とは言え今ではそんな美貌も格好も形無しである。だらけるならせめてジャケットは脱いで頂きたい。

 

「え~? しょうがねぇなぁ~」

 

 気の抜けた返事と共にえっちらおっちらとジャケットを脱ぎ始める魔王様だが、まるでソファと同化しているかのように芋虫のように蠢くばかり。埒があかないので近寄って脱がすのを手伝えば、シャンプーだけでは説明出来ない淡く甘い香りと、少しだけお酒の匂いも漂って来る。

 ジャケットが脱がされていく過程で(あらわ)になる首筋や肩を見れば、部屋の明かりに照らされた彼女の肌が平時よりほんのりと火照って桜色になっているのが分かる。それが余りにも色気を感じてしまうのだから……兎に角とてもよろしくない。

 

「ぬーげた」

 

 その声にハっと現実に引き戻された。

 既に彼女のジャケットは完全に外されており、魔王様はクッションを横抱きにしてソファで寝転がり始めていた所だった。

 よろしくない。自分も少なからず酔っ払っているのかもしれない。

 ジャケットをハンガーにかけてから自分も外ゆきの服から軽く着替えてゆく。

 

 彼女は要らないと固辞するかもしれないが後でお水を飲ませよう。

 部屋着に着替えた後、そのままキッチンに移動して二人分の水を汲みながらそう思考する。

 

 ……それにしても予想以上に忙しなく、そして思った以上に二人ではしゃぎ回った一日だった。

 普段以上に魔王様のテンションが高かったのは間違いなかったが、それは今にして思えば彼女の数少ない外で遊ぶ機会だったからではないのだろうか?

 魔王様と一緒に出かけた事はそこそこあるが、そのほとんどが近所のスーパーへの買い物だ。

 こうして遊ぶためだけに出かけたのは数えるほどしかなかった。

 

 そう考えた途端に申し訳なく思えてしまう。

 仕事に忙殺されてしまっていたからか、全然気が付かなかった。

 自分が魔王様に限りなく不便を強いている事を。

 世界の違い故に行動が制限され、そしてこの8畳二間の城で缶詰を強いてしまう事を。

 

 ……今度から、もっと一緒に出かけに行こう。

 魔王様の見たいモノを、遊びたいモノを。

 この世界だけにしかない体験をさせあげよう。

 

 気がつけばコップから溢れてしまった水を止め、何が楽しいのか未だソファでゴロゴロとソファに(じゃ)れついている魔王様の元へと戻る。

 彼女のすぐ傍に(ひざまず)いてコップを差し出せば、クッションに顔を半分以上沈めた彼女の金の瞳がこちらを見つめ返してきた。

 

「お酒?」

 

 お水です。

 

「別に大丈夫だっていっただろぉ」

 

 念の為ですよ、と近くのテーブルに彼女の水を置いておき、そして自分は魔王様が占領するソファの直ぐ側に座り込む。

 自らのコップを軽く傾けて喉を潤してゆけば、思った以上の清涼感を覚えた。

 こちらもそこそこにお酒が回っているようだ。

 

「……」

 

 しばし、壁の時計が秒針を刻む音だけが部屋の中を満たし続ける。

 自分は魔王様の方に体を向ける事もなく、電源のついていないモニタを眺め続けていた。

 黒一色の味気ないモニタは居間の電球の光を反射して、だらしない体勢で寝転び続ける魔王様と、その傍で神妙な顔で座り続ける自分を写している。

 液晶越しに見る魔王様は寝転がった体勢のまま、ただただ自分の方に視線を注ぎ続けているようだった。

 

『色々と窮屈な思いをさせてごめんなさい』

『今度からもっと一緒に色々な所に遊びに出かけましょう』

 

 ただそう告げるだけでいいのに自分は何故沈黙しているのだろうか。 

 肝心の言葉は尻込みしているのか、喉の奥から出てこようともしやしない。

 それは魔王様が一日の余韻を楽しんでいるのを崩したくないというのと、謝罪なんか求めていない彼女に『そんなの気にするな馬鹿』で一蹴されるのが目に見えていたから。

 そして今更窮屈させた事を謝る自分があまりにも愚かで、何よりも意気地なしであるからだろう。

 

 このまま黙り込んで良い訳はない。

 肝心の一歩が踏み出せない臆病な自分を心中で叱咤し、既に乾き始めていた喉をもう一度水分で潤す。

 そして勢いのままに言葉をつむごうとしたのだが――結局自分の口から飛び出たのは、陳腐を極める「今日は楽しかったですか」の一言であった。

 

「んん……勿論楽しかったぞー」

 

 すると衣擦れの音と共に、すぐ耳元で彼女の甘い吐息が届くものだから、ひゃっとしてしまう。

 瞬時に振り返れば魔王様の顔が目と鼻の先に近寄っており、コチラの反応を見てかんらかんらと華のように笑っていた。

 

「タワー、すっごかった。予想以上だったぞ。あんなでっかい棒と板切れをぺたぺたくっつけたような建物でさ、間近で見ると、見上げても見上げても頂上が見えねえ。スカイドラゴンなんて目じゃなかった」

 

 顎の下で手を組み、うつ伏せになった体勢で目を瞑って思い出す魔王様。

 確かに彼女の興奮は、タワーに近づけば近づくほど指数関数的に上昇していったのは見て取れていた。

 タワーを飽きるほど見上げ、中に入ってその洗練されたデザインに感嘆の息をつき、ぐんぐんと速度を上げて上昇するエレベーターに少し不安げにし、展望室に辿り着いてからは周りに居た子供と一緒に様々な場所をうろちょろしては、見渡す限りに続くビルの群れや階下を豆粒のように動き回る人間達を、自分が声をかけるまで飽きずに眺め続けていた。

 

「あんなものを魔法なしに作れるなんて、人間ってやつは凄いんだなーって思い知らされたぞ。オレの家もあんなでっかいタワーにしちまいたかったな」

 

 魔王様の家?

 

「お。そういや言ってなかったな、オレの家は魔界の奥の奥。瘴気満ちるダークシャドウマウンテンって所の頂上にある城だ。割とでっかいし、それなりに豪華な家だと思ってるぞ」

 

 ダークシャドウマウンテン。格好良い名前ですね。

 何となくだが洋風のお城で常日頃真っ暗で、かつ定期的に雷が落ちていそうなイメージがある。

 

「よく分かったな」

 

 あ。ドンピシャでしたか。

 

「瘴気ってのはどうしても強ければ強いほど空気を淀ませていくんだよなー。だから太陽がさしてても周りが暗くなる。それで瘴気の塊があるところには何故か雷が落ちやすいんだよな。朝から夜までうっせーのなんの」

 

 てっきりラスボス感溢れさせるためにわざとやってるかと思ったが違うらしい。

 それにしても魔王様の家の中はどうなっているのかが気になる。豪華な調度品が沢山置いてありそうだ。

 

「あるぞあるぞー、お歴々の魔王の彫像とか絵とか飾ってあるしなー。勇者から奪った装備品コレクションとか!」

 

 あとは幹部専用の超でっかい円卓とか、意味の分からん即死トラップ部屋とかもあるぞ! と鼻高々に語ってくれる魔王様。

 とても見てみたい気はするが即死トラップの部屋は勘弁して頂きたい。

 そもそも瘴気とやらに普通の人間が耐えられるのかと聞いたら「結構鍛えれば耐えられるらしいぞ。耐えられなかったら魔物になる」らしい。多分お宅訪問は死ぬまで無理だろう。

 

「はははは、そもそもあっちにはもう帰れないしなー」

 

 その言葉を聞いた瞬間、しまったと思ってしまう。

 世界から追放された彼女が元の場所に戻る事は現状では不可能。

 だと言うのに無神経な事を口にしてしまった、と後悔した直後。こちらの髪がぐしゃぐしゃとかき混ぜられてしまう……見透かされたのだろうか。

 

「その後のお昼ご飯も楽しかったな。"ソバ"って言うんだっけか? ウドンとかラーメンとかと違って素朴だけど美味かった。(すす)るっていうのはどーにも慣れないけどな」

 

 昼食は魔王様自らお選びになった立ち食い蕎麦屋に入ったっけか。

 お店なのに立って食べるという所がツボに入ったらしい。笑いながら入ったその店で、この世界で遭遇した4つめの麺類(他3つはパスタ、うどん、ラーメン)を注文。

 最初は上品に啜らず、パスタのように頬張って食していた彼女だったが、自分や他の客が啜って食べているのを見て困惑し。そして恐る恐る真似をしていたのが印象的だった。

 

「それで買い物だよな。山のように商品が置いてある建物の中に、人が本当にゴミみたいにいっぱい居るってのは面白かったが……まあ疲れるな。暴れちゃ駄目だと思うと息がつまりそうだった」

 

 魔王様の手は自分の頭に置かれたままだ。乱雑だがゆっくりと髪を撫で回している。

 まるで親戚の子供をあやしているような、そんな撫で方。

 少しだけ納得いかないような思いをしながらも手を振りほどかずにこちらも思い出す。

 休日のデパートに入り込んだ魔王様の第一声は「うげっ」という如何にもな声であった。

 そこは見渡す限りの人の山である。

 電車で移動する間も人の多さに辟易していたのだ、コレは少し可哀想な事をしたと今更ながら思う。

 

 だがデパ地下に突入して、様々な惣菜や物産品の試供品を片っ端から楽しんでいく彼女の光景は中々に見応えがあった。

 魔王様は喜怒哀楽が激しい。口に合うものと合わないものでこれでもかと表情の差が出てくるので、見ているこちらまで感化されそうになる。(とは言え、店員さんの前で不味いな!と口に出すのは辞めてほしい)

 

「あとはずーっと飲み屋だったか、今日はたらふく飲めた感じがするなー」

 

 買い物の後、お酒も飲めて夕飯も楽しめる場所と来たら居酒屋だろうと、自分と魔王様は二人で様々な店をはしごしていった。

 チェーンの和風居酒屋から、個人経営のオイスターバー、そして普段なら滅多に行かないような雰囲気あるBARの3件。

 魔王様は待ってましたと言わんばかりに各店を楽しんでおられた。

 チェーン居酒屋で様々なつまみを一通り食べながらビールやハイボールをがばがば飲んで。

 オイスターバーでは様々なつまみを食べながらワインをぐびぐび飲んで。

 場末の寂れたBARではバーテンダーに作って貰った手作りカクテルを目を輝かせながらもたっぷり飲んでいた。

 

 その飲みっぷりは見ていて本当に驚かされるものだ。

 酒豪ってこういうモノなんだ、と感心してしまうくらいには彼女の杯を空けていくスピードが速い。

 つられてペースを早めてしまう危険性は過去の体験で分かっていたので、自分はと言うと各店舗最大2杯までを目安にセーブしていた。

 だが結果としてトータル7杯は飲んでいる。どうにも飲みすぎた気がしてならない。

 

「いつも缶で飲んでたからジョッキで飲むと格別だった。あれだな、キンキンになるまで冷やしたジョッキとビール! 感動だった。同じビールでもあんなに味が変わるなんてな!」

 

「ワインも良かった……ぶどう酒はオレの世界でも作ってたが純度が違う。つまみの貝とか、シチューと一緒に食べるとたまらん」

 

「カクテルっつーのも面白かったなー。"ばーてんだー"がカシャカシャカシャーって振ってさ、色んな色の酒作ってんの。酒の種類があんなにあるのも驚いたが、オレの注文を聞いて好みの味にしてくれるのが楽しいな。味も美味いし」

 

 クッションをかき抱きながらころりころりと転がる魔王様、その表情は確かに幸福が満たされている。

 

 今もそうだが、大好きなお酒に囲まれているせいか飲み屋にいる間、魔王様はずーっと上機嫌だった。

 様々なお酒を飲み比べては「こっちの方が良いな」と笑い。

 つまみを食べては「これも美味いぞ」と笑い。

 まだ見ぬ地球の常識を知って「なるほどなぁ」と笑い。

 そして何でも無い話に興じあって「わははは」と笑う。

 それが如何に小さな内容だとしても、まるで満開の花が咲いたような笑顔を見せてくれた。

 

 だからだろうか。そんな彼女の姿が見れるのが何よりも嬉しくて。

 自分も柄にもなく色々な話題を振っていた気がする。

 

 ……今後もそういった彼女の顔が見れるように頻繁に出かける事を誓おう。

 自然な流れが出来たのでいざ、と尻込み続けていた言葉を伝えようとしたが、魔王様の話はまだ終わってはいなかった。

 

「あ。でもお酒よりも何よりも楽しかったのは、お前の反応だったなー」

 

 自分の反応?

 

「3件目の酒屋の事だよ、ほら。あの静かな場所で色々飲んでたら隣に座ってた男が話しかけて来ただろ」

 

 確かに、会社帰りのサラリーマンのような男が魔王様に話しかけていた記憶がある。

 その男性の目的は世間話ではなく露骨な程にナンパ。

 美貌故に彼女に惹かれてしまうのは致し方ない気はするが、あまり愉快な男ではなかった。

 視線は魔王様の顔だけでなく、その体をねっとりと這い回っており、連れの自分など見向きもしてない感じであったから。

 

「あいつ、オレの体をじーろじろ見てきやがってさぁ。何度その目玉えぐってやろうかと……あ、冗談だからな。マジでやらねえよ、お外だし騒ぎは起こさないって!」

 

 駄目ですからという目を向ければ慌てたように取り繕う魔王様。

 しかしその話でどうして自分が出てくるのだろうか。……あぁもしかして。

 

「そんであんまりにもあんまりな目線に見かねてそろそろ一言言おうと思ったらさぁ、お前がグラスを机に強めに置いて『彼女にそんな目を向けるのやめて貰っていいですか』って言い出したじゃねーか。あん時だな、オレが今日一番面白かったのは」

 

 ……やっぱり。

 確かに露骨な目線と態度、そして自分をひけらかす行為が不愉快だったせいか、そんな言葉を投げかけてしまった記憶がある。グラスを強めに置いた記憶はないが。

 

「お前、あん時怒ってたんだよな? 見られてたのはオレだっていうのに、オレの代わりに怒ってたんだよなー? マジトーンの声で静かに怒ってたから、オレびっくりしてたんだぞ」

 

 そう、なのかもしれない。

 

「いやーそれで相手もなんだテメェと来たし、お前も無言で椅子から降りて臨戦体勢だからどうするべきか迷ったぞー。結局は"ばーてんだー"、だっけか。ソイツに冷静に諭されて終わってたけどさ」

 

 あの時は結局お酒に酔っていたのもあってか、割とブレーキが効かなかった気がする。

 場馴れしていたバーテンダーが居なければどうなっていた事やら。

 何であれ、あれは少し恥ずべきだったと反省している。反省しているが……。

  

「あん? 何だお前、拗ねているのか?」

 

 ……拗ねてはいない。

 例え面白いと言われても別に。なんとも思ってはいない。

 

「あははは、いやぁ悪かった悪かったって、でも面白いのは事実だから仕方ねえだろ? 滅多に見ないお前の表情が見れたんだ、得したと思ってるくらいだ」

 

 酒臭い息をかけてきながらこちらの肩を揺さぶる彼女に少しだけ頭に血が登ってしまう。

 この怒りとも恥じらいとも言えない感情は表にするべきではないのは分かる。

 だが魔王様の為に怒ったっていうのに調子を変えずに茶々を入れてくるのだから、もやもやした気持ちはどうしても出て来てしまう。だって言うのに、

 

「まあそれはともかくとして――ありがとな。アタシの代わりに怒ってくれてさ」

 

 出て来たそばから、これである。

 裏表のない彼女の言葉を耳にしただけで、自分の制御できない感情というのは瞬く間に霧散してしまったではないか。

 代わりにこちらの脳裏を瞬く間に占めていく感情は照れ一色である。

 違う意味で頭に上っていく血を抑えようと、机に置いたコップを手に取り一息に飲み干すが、駄目。熱を持った何かは脳裏を占領し続けており、居ても立っても居られなくなってしまえば何故かその場を立ち上がってしまう。

 

 もう寝るべきだ。一日歩き続けたしお酒もしこたま飲んだんだ。

 魔王様も風邪を引かないように早く服を着替えて、お布団で寝よう。

 

 彼女の顔は努めて見ないように早口で(まく)し立て、足早に彼女の元から去ろうとしたのだが……不意に自分の手に何かが絡みついた。

 自分の体温よりも熱いその何かは強烈な力でこちらを引き寄せてきて、あれよという間に自分の重心が崩れてしまい、その結果。

 

 

 ――ぎしり。自分は、ソファの上で魔王様に抱きすくめられていた。

 

 

 彼女の細腕はこちらの手に重なって指先をしっかりと握りしめ。

 彼女の両足はこちらの脚と交差するように絡み合って、解けそうにもなく。

 彼女の胸部はこちらの胸に潰れる程押し付けられてなお柔らかく。

 彼女の顔面はこちらの鼻先とおでこがくっつくほどには近づいていた。

 

 視界いっぱいに広がる、魔王様の金色の瞳。

 規則正しく、それでいて静かに吹きかけられる彼女の吐息はやはりお酒の匂いと、食べた肴の香りがしてくる。

 彼女の体温の高さは服越しでも如実に感じ取れ、温かい、と言うよりかは熱いくらいで。

 お互いの鼓動が不規則にビートを刻みあい、歪なテンポを作り出しているのがはっきりと分かった。

 

「ありがとな。オレに色々奢ってくれて」

 

 そして永遠にも思える程の静寂の後、唐突に彼女は告げ始めた。

 

「ありがとな。オレ好みの所に優先して連れてって貰って」 

 

 手を握りしめる力が少し強まる。両足が更に深く絡み合う。

 

「ありがとな。オレのワガママを色々と聞いてくれて」

 

 自分と魔王様の間に隙間がなくなる。鼓動の音がより確かに聞こえてくる。

 

「ありがとな。オレのために時間を割いてくれて」

 

 おでこどころか、頬が触れ合い。そして擦れ合う。

 

「ありがとな。オレを助けてくれて」

 

 そして頬に朱の入った彼女がへにゃり、と破顔しているのが見えた。

 

 1つ1つ。ゆっくりと積み上げられていった感謝の言葉。

 思いもしなかった彼女の気持ちを改めて伝えられた事で、自分は改めて理解する。

 

 あぁ魔王様と出会えて本当に良かった、と。

 

 彼女の裏表のない性格が、その人柄がどれだけ自分の救いになってきたのかと。

 空虚に会社に通い続ける自分にとって、どれだけ魔王様が大事な存在なのかという事が。

 

 そして胸を満たす暖かな気持ちがじんわりと広がれば、気が付けばあれだけ躊躇っていた言葉もするりと溢れ出ていた。

 

『こちらこそ、自分と出会ってくれてありがとう』

『今度からもっと一緒に色々な所に遊びに出かけましょう』

 

 謝罪は要らない。感謝があればいい。

 だから前の言葉から少しだけ内容を変えて。

 我が家の魔王様にそう伝えたのだった。

 

 すると突如背中に回された腕がこちらを引き寄せ苦しいくらいに抱きしめられてしまう。

 「ばーか」「感謝したいのはオレの方なんだぞ」「嬉しいけどさ」なんて、少し力の入っていない言葉で耳元で呟いてくるのだからそれが堪らず。自分もまた彼女の背中に手を回して思う存分抱擁を楽しんだ。

 背中を撫で、頬を擦りあい。そして堪能した後、ゆっくりと顔同士を離す。

 今の暖かな気持ちと、自分の思いを再確認してしまえば、もう躊躇いはなかった。

 目を瞑り、穏やかな顔を向ける彼女の唇に吸い寄せられるように、こちらも唇を寄せてゆき――

 

「……」

 

 ――その穏やか過ぎる呼吸に、おやと思ってしまう。

 

 ひょっとして、ひょっとするのだろうか。

 まさか、今のこの流れで彼女は……と思って、ふと声をかけてみたが案の定返事はない。どうやら本当に眠りについてしまわれたようだ。

 これには大いに拍子抜けしてしまう。この胸の高鳴りだけはどうにもこうにも収まりそうにもないが、意識のない相手に行う程自分は人の道を外れてはいない。

 こうなってしまえば今の自分に出来るのは、魔王様の健やかな眠りを妨げないようにするだけ。

 そう考えて静かに彼女の拘束を解こうとしたのだが……これがまた解けない。腕も脚もがっちりと固定されてしまったかのようにロックされて、うんともすんとも言わないのだ。

 

 狭いソファの上で二人で抱き合いながら眠る。

 非常にロマンチックであるが、一人だけ意識がある状態で取り残されるのは存外に辛い。

 柔らかかつ強固な抱擁の中、自分の忍耐力を試されるような試練が今まさに始まろうとしていたのだった。 

 

 

 

 

 

 

 ……これは余談ではあるが。

 

 彼女は自分を抱きすくめている間、一度も目を覚まさず穏やかに眠り続け。

 自分は緊張のあまり一睡も出来ず。解放された同時に眠りについた。

 お陰で、日曜日に約束していた動物園は延期になってしまい、魔王様の機嫌を損ねてしまうのだった。




魔王様クンカクンカ!クンカクンカ!
お酒ノ匂イスル!オイラスキ!ケッコン!早クケッコン!!
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