されない。
辛い。
直接脳を響かせる甲高い電子音。
今の今まで
こちらの都合を全く考慮しない高音は鳴り響き続け、自分は暗闇の世界の中、慣れた手付きで音源――スマホを手元まで手繰り寄せ、それを止める。
今の今まで火のついたように鳴きわめいてた癖に、指先1つでシレっと沈黙するコイツには起床時限定で殺意を覚えて仕方がない。怒りをぶつけるかのように布団をかぶり直し、たっぷりと伸びをし……そして理性が本能に勝った所で布団から這い出る。
窓辺に映る明るい空と小鳥の
普段以上の気だるさを覚えつつものっそりと部屋を出れば、布団を敷いてリビングで眠る魔王様とご対面である。まだ春先だというのに薄い毛布一枚だけで眠る彼女の眠り顔は、それが威厳ある魔王であることを忘れる可愛らしさがあった。
あどけない表情で眠る彼女を起こさぬようにゆっくりと洗面台へ向かい、シャワーを浴びて、歯を磨き、ヒゲを剃る。ルーティーンとも言ってもよい朝の儀式。それを物の三十分程度で終わらせた後に待ち受けるは朝食の準備である。
献立は冷奴、インスタント味噌汁、漬物にご飯、目玉焼きぐらいと予想を立てればいざ台所へ。脳内でタスクを整理しながら1つ1つを無心でこなす。これもまた慣れきったワークである。
タイマーセットした炊飯器の中を覗き。
無事に炊けている事を確認して。
電子ケトルに水を入れてお湯を沸かし。
同時にフライパンを温めて目玉焼きの用意。
冷蔵庫から卵と漬物。そして豆腐を出して。
それが終わったら一旦魔王様を起こす。
それから、それから。それから――
命令せずとも勝手に動く手足に任せ朝食の準備を進めていく、その矢先の事だった。
あ、と思った時には自分の脚はもつれ、そして思いっきり転んでいた。
響く鈍い音。視界の中では大量のお星さまが瞬き、頭部から全身を伝った痛みに、その場で悶絶してしまう。
あぁもう駄目だ。始まったばかりの1日の全てにケチがついてしまった。
憂鬱な平日の朝、ようやくエンジンがかかって来た所だと言うのに何をやっているんだ自分は。
鬱屈した気分の中、頭を抑えて起き上がろうとした所で急に自分以外の力が働くのを感じてしまう。
「おい、大丈夫か?」
我が家の魔王様である。
先程まで寝ていたはずの彼女が何故か自分の元に来ていた。
「お前な……あんだけ派手な音を立てたら誰だって起きるぞ」
ぐいと強めの力で強制的に立たされれば、彼女の指先……少しひんやりとしたそれがそっと患部であるおでこを触れていた。
途端に響く鈍い痛み。コチラの表情からそれを察した魔王様は、次の瞬間には指を離していた。
「血は出てねえみたいだけど赤くはなってんな……こりゃ、そのうち腫れるな」
顔面に集まっていく血の感触。
しげしげと患部を眺め続ける魔王様はこちらの気も知らずに視界を占領し続けている。
彼女は心配だからこそこうしているのだろうが、魅入ってしまった自分に取ってこの状況、大変嬉しくもあり地獄でもあるのだ。
起きがけで艶のある黒髪がいつも以上にボサっとしていたり、黒い眼が片方だけが二重になっていても魔王様の魅力は全くと言って損なわれておらず。逆にその粗野な部分がこちらの琴線を刺激して仕方がない。
何よりも着崩され過ぎて肩が露出しているTシャツの着こなしに、根本まで見える眩しげな太ももが余りにも余りにも目の毒で……いや待て。太ももが何故根本まで見えるのだろう?
「あ? 暑いから脱いでただけだ。今更恥じらうなって」
魔王様は熱がりである。
環境変化に強いせいか肌着だけのスタイルを好み、真冬でもなければ中々厚着をしたがらない。だからたびたびその御素肌が見えてしまうという事態が起こりうる。
自分の頭の痛みもさておき、彼女に着替えを促しながら全力で離れようとして――ふらつく。そしてふらついた所をまた支えられてしまうのだから世話がない。
一言謝罪しながら努めて視線を反らしていたのだが、唐突に彼女の冷えた手がおでこに触れた。
痛みのせいか熱を持った頭部に、彼女のきめ細やかな手は心地がよいが、どうして二度も触れるのだろう。彼女のはしたなさを咎める事もできずにじっとされるがままで居ると、彼女の口から「やっぱり」と呟きが零れ出た。
「お前、熱あるぞ」
おぉ?
「顔が全体的に赤くなってるし、何か体がだるいとかないか?」
……言われてみると若干の倦怠感はあるように思える。
だが同時にこれから始まる仕事への忌避感だとも見受けられる。
強いて言えば普段よりはその感じが強いだけか。
ぼんやりとした頭で出した結論は「気の所為」であったのだが魔王様はそうは思わないらしい。
返事も顧みずにこちらの腕を引いたと思えば次の瞬間にはソファに座らされ。そしてはしたない格好のままどたどたと部屋を駆けていった。
どうやら戸棚の1つに飛びついているようだが……急にお菓子でも食べたくなったのだろうか。それならばそこの戸棚には入ってないのだが。
助言しよう迷っていると、魔王様は次の瞬間には赤十字のマークが入った桐箱を両手に抱えてこちらに来ていた。救急箱である。先の発言はしないで本当に良かった。
ほっとしたの束の間。眼前に無言で突き出されるのは体温計である。
視界にデカデカと映る丸みを帯びた端子、その奥では魔王様の不満そうな顔がこちらを見つめている。
彼女の気迫に気圧されるがまま、それを脇に挟み検温を始めていく。
検温をするのは
ないのだがせめて魔王様には着替えて欲しい、このままでは目の置き場がない。
だが彼女は結果が出るまで動くつもりはないようで。
自分は遠慮がちな電子音が響くまでの間、目を逸らしつつ沙汰を待たなければならなかった、
「結果は」
はい。37度5分です。
「……それっていつもより高いのか? 低いのか?」
人間の平気的な体温は36度くらいなので高い方だと思われます。
「そうか。じゃあ今日は休め」
……休め。休めと申しますか魔王様。
確かに常識的に考えると休むべき体温かもしれない。
だが今日は大事な会議と今日中にやらないといけない作業が色々と目白押しだ。休むわけにはいかない。
第一熱は熱でもこれは微熱だ。この程度の熱ならば平時とほとんど変わらない。
「なぁ。オレはこの世界の常識には疎いが……カイシャって奴は病人にも無理矢理仕事をさせるような所なのか?」
持論を展開したのだが魔王様の視線は冷ややかになるばかり。
この質問も正直どう答えるべきか迷っていたが、こじれるのもあれなので素直に首を左右に振っていた。
「であるなら休むのが普通だよな」
そう世間一般的には普通だ。間違いないだろう。
だが時には無理をしなければいけない時もある。
翌日以降の仕事に差し障りが出てしまうし、回りに迷惑がかかる。だからこそ休むべきではないのだが……。
「"だが"も"しかし"もないんだよ。体調が悪くなったら休むんだ」
自分の理論は、残念ながら魔王様には通用しなかった。
魔王様は強情だ。一度コレと決めるとテコでも曲げない。
彼女の中で既に休む事が決定しているので、いきなりこちらを抱えて寝かしつけようとする始末。
これには自分も抵抗せざるを得なかった。
だいいちこのぐらいの熱なら自分でも移動出来るし、自分が如何に会社に行かねばならないのかを再三に渡って説得したのだが、意を介してくれる程魔王様はお優しくはない。とうとう自分は重力から解放され、彼女の腕の中でお姫様扱いをされてしまう。これは余りにも恥ずかしい!
「お前さぁ目的がずれてるぞ。何のためにお前は仕事してるんだ? お金のため、ひいては生活のためだろ?」
かき抱かれながら部屋を移動する間、まるで親が子を叱りつけるかのように淡々と彼女が説く。
居間から壁1つ隔てた部屋までは大した時間もかからず、自分はとうとうベッドにまで戻されてしまう。
「それは言ってしまえば自分のためだ。違うか? なのにどうして自分の不調を無視する。優先するのは自分であって仕事じゃないだろ。無理して頑張った結果倒れたらどうする? 死んだらどうするんだ?」
それは、確かに一理あるかもしれない。
だがこんな微熱程度で死ぬは言い過ぎでは。
「うるせえ。兎に角休まないと殺す」
背中に感じる柔らかなマットの感覚。そして同時に伸し掛かる辛辣なお言葉と羽毛布団。
柔い羽毛の海に若干溺れそうになりつつ、その海から脱した所で、コチラを見下ろす魔王様の表情にようやく気付いた。
眉を弱々しくハの字にして、真剣な眼差しでこちらを見据えているその顔は、こちらのことを真に心配しているのに違いなく。
そしてそんな顔を見させられてしまえば最早反論など浮かぼう筈もなかった。
もう観念する他なさそうだ。傍らのスマホに手を伸ばして会社に連絡を入れる。
コール音とともに湧き上がる罪悪感、それを抑えつけながらも休みの項を伝える。
話している間胸が痛くて仕方がなかったが、いざ報告を終えて電話を切った瞬間どっと解放された感覚が湧き上がった。
「よし。じゃあ今日は一日中寝てろよ。今日は何もしちゃ駄目だからな!」
一連の行為を見てようやく満足げに頷いた魔王様は強く指を突きつけて命令をすると、そのまま部屋を出ていった。
部屋に残されたのは微熱休みの自分とただの静寂のみ。
時間は未だ出勤前とは言え、呑気に布団に入っている時間ではない。
だが現実として自分は布団に入らされている。
シャワーを浴びて覚醒したばかりの意識は「今更寝直すのはどうなのだ」と折角手に入れた休みなのに一抹の焦燥感をチクチクと与えてくる。
……いや、駄々をこねている場合じゃない。
魔王様の言う通り、そして体温計の指し示す通り自分は熱が出ているのだ。
風邪なのか何なのかは分からないがゆっくりと休養を取るべきだろう。
熱だと意識した途端に全身の気怠さもずっしりと増している気がするし。
兎に角眠ろう。眠ってしまおう。
早く眠って。体を治して。仕事の遅れを取り戻して。
それで、それで魔王様に迷惑をかけたことを――……。
§ § §
会社帰り。自分はいつもの道を歩いている。
時刻はとうに日付を越え。街灯はちかちかと
黙々と歩いて見えてきた帰宅先のボロアパート。
しかしそのアパートは、いつもと違って不自然な程に真っ暗だ。
軒先の電灯、階段を照らすライト、窓から見えるはずの暖かな光。
それらは失われ、暗闇が重く纏わりついている。
住まう存在など誰もいないようにも思えるその場所に、確信を持って脚を進める。
階段を上がる。通路を歩く。扉の前につく。鍵を開ける。ドアノブを引く。
入り込んだその部屋は間違いなく自分の家だが、外の暗さと負けない位の闇で満ちていた。
部屋はスイッチを入れても明かりはつかず。
窓越にさしこむ街灯の頼りない光が唯一の光源になっている。
停電しているのだろうか? ブレーカーが落ちているのだろうか?
いずれにせよ自分は電気のことはあまり気にしていなかった。
なぜなら帰宅して一番気がかりだったのは、我が家の同居人であったから。
彼女におかえりを告げないといけない、ただそう考えて家の中を探し回る。
居間は見渡せど誰もいない。自室を覗けど人の形跡はなく。
トイレのノックは返事もなくて。風呂場はただただ沈黙で満ちている。
おかしい。どこか外に出かけているのだろうか。
いつもなら少しぶっきらぼうに自分の事を迎えてくれる筈なのに。
そこまで考えた所で、はたと違和感を覚えた。
――あぁ、自分は何を言っているんだ。
同居人なんて
自分は一人暮らしで、ここ5年はずっと一人で過ごしていた。
この場所におかえりを言ってくれる相手は居なかった。
この場所に一緒に食事してくれる相手は居なかった。
この場所に映画を見たり、ゲームをしたり、馬鹿話をする相手も当然居なかった。
そもそも誰を探していたというのだろうか? 彼女とは誰だ?
居もしない相手を探して回るなんて疲れているに違いない。
そこまで思い立った所で、自分がソファに座り込んでいる事に気がついた。
TVのリモコンはスイッチを押しても一向に反応せず。沈黙を続けるだけ。
それなのに自分はそのモニタをじーっと眺めている。
着替えもせずに。夕飯も食べずに。ただただ
いつも隣に居た筈の誰かの感触が無いことに寂しさを覚えながら。
そしてこうして待っている間に誰かが声をかけてくれる事を期待しながら。
さながら、誰かが拾ってくれることを期待する、捨てられたおもちゃのように――
――――――――
――――――
――――
――気がつけば部屋は明るくなっていた。
朝――ではない。窓からさす日差しは茜色に染まり、近所の学校の下校アナウンスが遠巻きに聞こえてくる。天井を見ているはずの視界はどこかぼやけ、全身に溜まりすぎた熱が鬱陶しかった。
肌着は汗をたっぷりと吸って重く、眠る前にはなかった額の濡れタオルは体温ですっかりとぬるくなっている。それは顔を動かした瞬間にべちょりとベッドに落ちた。
どうやら寝込んでいる間に熱が上がってしまったようだ。
身体が重い。息が無駄に熱を持って暑苦しい。
全身はじっとりと湿っているのに喉だけはからからに乾いている。
先程の悪い夢のせいで動悸すら怪しく、被さった布団を剥ぎ取るのすら億劫だった。
喉を、いや。そんな事はどうでもいい。
魔王様は、あの人は本当に居るのだろうか。
あの夢のように全てが自分の幻なのではないか。
そう考えた途端に全身が底冷えするように震え、胸が強く締め付けられてしまう。
兎にも角にもまずは彼女を探さねば。
そう考えてがばっと飛び起きれば――同じ部屋の中に魔王様がいらっしゃる事に気がついた。
いつものTシャツ(今日は古いロボットアニメのTシャツだ)ジーパンスタイルの彼女は部屋の椅子に浅く座りこみ、背中を大きくもたれかけさせ、胸の下で両腕を組んだ姿勢で目を瞑っている。
長く、ゆるやかな息遣いと共に頭を揺ら付かせて寝入る彼女の姿は珍しいが、その珍しさ以上に居てくれた事に嬉しさと安堵を覚えて仕方がない。
あぁ。居てくれてよかった。本当に良かった。
心の底からそう思い、胸を大きく撫で下ろす。
心中で燻っていた黒い靄は払拭され、現金なもので胸の痛みはもう無くなっていた。
そうして目下の不安が無くなれば、次は乾いた喉を潤おしたくなってしまう。自分はしばらく満足するまで彼女を視界に収めた後、そのままベッドから這い出る事にした。
最初は声をかけるべきか迷ったが……やはり寝入ってる彼女を起こすのも申し訳ない。ふらつく身体でえっちらおっちらと部屋から出て、牛歩の如きスピードでようやく冷蔵庫までたどり着いたのだが……その時に棚に脚を引っ掛けて音を立ててしまう。
しまった。魔王様を起こしてしまっただろうか。
冷蔵庫の前からちらりと後ろを伺えば、懸念した通り部屋と居間の境からひょこり、と魔王様の顔が丁度覗き込んできた。
彼女の顔は微睡み模様。しかしてその目が自分の顔を捕えれば限界まで見開かれ、次の瞬間には目と鼻の先まで間合いを詰められていた。それこそ瞬間移動と思うくらいには早かった。
「起きてちゃ駄目だろ、どうしたっていうんだ?」
いや、喉が渇いたので何か飲もうかと……あと魔王様近いです。感染りますよ。
「そうか喉か……分かった。それならお前はまずそこに座ってろ。オレが全部用意するから」
魔王様に支えられ、言われるがままにソファまで誘導される。
ぐっしょりと汗を吸った肌着越しでも背中に添えられた手の温度差がどこか心地よく。
クッションに体重を預けて息をついた所で。魔王様がどたどたと冷蔵庫まで走り出すのが見えた。
「水がいいか? ジュースか? あ、お酒もあるぞビールに、チューハイに、ワインに」
お水で。
「遠慮するなよ、好きなのを飲んでいいんだからな? 高めのビールでもいいぞ?」
遠慮してないです。
あと魔王様はお酒に信頼を預けすぎです。
「そうか分かった」
冷蔵庫が開く音。製氷室から氷が取り出される音。
コップに氷が放り込まれる小気味の良い音と、注がれた水で氷が割れる音。
一連の音を聞きながらぼぅっと彼女を眺めていると、ほどなくしてコップが手渡される。
氷で急速に冷やされつつある硝子の感触が気持ちいい。
水分に飢えた身体が急ぎコップを煽ろうと急かしてくるが、その動きがたどたどしかったのだろう。ソファには座らず、すぐ近くで見守っていた魔王様が重ねるようにして手を添え、飲むのをサポートしてくれた。
「……苦しそうだな」
飲んで一息ついた魔王様の手が、またもおでこに覆いかぶさる。
濡れ布巾を被せられたかのような開放感に思わず安堵の息を漏らせば、次は首筋に手を当てられる。そして次は肩、次は腕と。とにかくべたべたに。
何でこんなに触れてくるのだろうと不思議そうにしていると、魔王様ははたと何かを思いついてその場を離れ、そしてすぐに戻ってきた。手にしているのは一般的な冷湿布だ。
是非も聞かれずに頭部にそれが貼られる。火照った頭部に冷たすぎる程の湿布は声が出そうになるが、喉元を過ぎれば気持ちが良い。
そんな自分の態度にホッとした様子を見せた魔王様だが、またもはたと思いついたのか忙しなくその場を離れ、そしてすぐに戻ってきた。手にしているのはタオルだ。
これまた是非も聞かれず汗をかいた自分の顔や首筋が拭かれていく。汗が拭われるのは確かに嬉しいが服を無言で脱がすのは辞めて欲しい。流石にそこは自分で脱ぎますと強い口調で言えば、少し不満そうな顔をした彼女はそっとタオルを手渡してくれた。
少々の恥ずかしさを覚え彼女の前で渋々汗を拭っていると、また魔王様はどたどたと慌てた様子でその場を離れ。そしてすぐにまた戻ってくる。その手に持っているのは毛布だ。
冷やしすぎるのもアレだと考えたのだろう、魔王様は自分の膝に毛布をかけ。そしてまたじっとコチラを見守り始めた。
正直……凄くやり辛い。
世話をされるのはとても嬉しいが、ここまで甲斐甲斐しくお世話をされる程の病状ではないと思っている。
なので感謝の言葉ともう大丈夫だ、後は放って置けば治ると伝えたのだが、言葉だけでは満足行ってないのか依然として心配そうに眺めるばかり。これでは調子が狂って仕方がない。
「あ。あ。そうだ薬。薬がいるな。風邪っぽいんだよな? 風邪薬でいいんだよな?」
落ち着く様子もなく、またもその場を離れて薬を取りに行こうとする魔王様に流石にストップをかける。
色々と面倒を見てくれてありがたいがそこまで心配する必要はない。
風邪を引いた時はポカリでも飲んで、水を飲んで。そして寝る。そうすれば治ると言う経験則が自分にはあった。だからそこまで慌てなくてもいいのだと改めてお伝えしたのだが……そんな自分の発言も虚しく。魔王様は自分の手にたっぷりの薬剤を握らせてくれた。
風邪薬。胃腸薬。頭痛薬。ビタミン剤に漢方薬。掌から零れ落ちる程多種多様な薬。
また直ぐ側で待機している魔王様にじと目を返せば、流石に彼女も過干渉であることに気付いたか、しゅんとなって縮こまり始めた。
彼女は始めこそ床と自分に視線を行ったり来たりさせていたが、やがて視線に耐えかねてぽつぽつと語りだす。
「だって。だってさ……時々お前の様子眺めてたけど、お前、寝てる間にどんどん息荒くなって、うーうーって言ってたし……」
どうやら自分はうなされていたらしい。
熱が上がってしまったのが原因だろうか。
「でもお前の事を起こす訳にはいかないし……おでこ触れたらいつもより全然熱いし……でもオレに出来る事って言ったら濡れタオル変えるぐらいしかなくてさ……」
膝立ちになり、うつむきがちに語るその言葉は、いつもと違って非常に弱々しい。
膝に置かれた彼女の手は握りしめられ、そして震えていた。
「人間は予想以上に強い。でもそれ以上に脆い事はよく知ってる……どれだけ強い戦士もつまらん怪我や流行り病で呆気なく死んだりする。だからお前が死んだらどうしようって思ったら、どうしようもなくなって……」
今にも泣き出しそうな魔王様の様子は見ているだけで胸が詰まってしまい。気が付けば自分は彼女の肩に自らの手を置いていて。
魔王様は肩に手を置かれただけだというのに叱られた子供のように肩を跳ねさせ、そして力なくこちらに顔を向けてくれた。
普段とは打って変わって、その自信などどこにも見当たらない表情。
その双眸は少しだけ滲んでいるのがはっきりと分かった。
「ごめん、ごめんな。オレは破壊の事ばっかりしか考えてなくて、回復魔法を覚えてなくて…………クソぉ」
悔やみに悔やむ魔王様に適切な言葉は思いつかない。
だがこれだけは確実であるという事が2点ある。
魔王と呼ばれた彼女が優しい人物であるという事。
そして彼女がここまで悔やむ必要がないという事だ。
自分はこの瞬間、魔王様に対して深い深い感謝の念を抱いた。
だがそれと同じくらい、魔王様に心配をかけすぎた自分への苛立ちも抱いていた。
だからだろうか。そんな魔王様をどうにかしようとしたくなって、自分は余りにも突飛な事をしでかしてしまった。
泣き出しそうな魔王様の目の前でやにわに立ち上がったと思えば、ソファの上で思い切りラジオ体操を始めたのだ。
大きく腕を上げて動かし、腰をひねったり、屈伸をしたり。
馬鹿みたいに声を跳ね上げてそれをやるものだから、魔王様と来たらぽかんと大口を空けてこちらを眺めるばかりだ。
気が狂ったと思っているのだろう。実際そう思われても仕方がない事をしている自覚はある。
だがその時の自分はどうにかして悲しげな魔王様の顔をやめさせたかった。
他にももっと良い手段があったのだろうに、頭が茹だっていたせいかこんな変な事しか思いつかなかったのだ。
「お? おぉ…お、おいお前どうしたんだ!?」
困惑の表情を見せる魔王様にラジオ体操を続けながら返答する。
心配をかけてごめんなさい。でも自分はこんな事が出来るくらいには大丈夫。
魔王様が色々と気にかけてくれたお陰で多分すぐに回復するだろう、なんて普段以上に声をあげて強気に振る舞った。
「嘘つけ! というか動くのやめろっ、そんなフラフラで動いたりしたら」
大丈夫ったら大丈夫、と強気で押し通す。
体は全身に鉛を背負ったみたいに重くて、頭はガンガンと痛みを発するが大丈夫なのだ。
魔王様の看病を受けた自分は、高速で治りかけているに違いない。
「わ、分かった! 分かったってば、お前は治りかけてるのは認める! だから頼むからこんな所で」
慌てふためく魔王様の前で、よせばいいのに調子に乗って跳躍した。
その結果、自分は案の定脚をもつれさせてバランスを崩していた。
重量に従って落ちていく体。でも予想していた衝撃は訪れはしなかった。
「言わんこっちゃないだろ!?」
気付けば朝の時のようにお姫様スタイルで抱えられていて、目と鼻の先で怒鳴られてしまう。
これは恥ずかしい。そしてすみませんしか言えない事態だ。
でもそこをあえてぐっとこらえて、それでも自分は治りかけていると頑なに主張すれば、軽く頭突きをされてしまった。痛い。
「どこがだ……生まれたてのゴブリンみたいな動きしてさ」
馬鹿め。馬鹿め、と何度となく痛くもない頭突きをされながらそのままベッドまで運ばれる自分。
結果として魔王様の悲しむ顔は見えなくなったが、代わりに待っていたのは怒り顔。
これじゃ何のために馬鹿をしたのかが分からない。
……もう羞恥とかそういうのはとりあえず置いておいて謝ろう。
ベッドに横たえられたのに合わせて口を開こうとしたが、機先を制したのは魔王様の方だった。
「……わざわざあんな虚勢張ってさ。余計オレを心配させてどうするつもりだよお前は」
自分の謝罪の言葉は、被せられた彼女の声音にかき消され。未だ体温の残る布団越しに見る世界は、贅沢にもほどんどが傍に座り込んだ魔王様で占められる。
最初は怒っているように思えた。だが一見して不貞腐れたその表情には少しばかり照れが含有されている事に、気が付かない訳がなかった。
「でもなオレの治療が本当に無駄じゃないっていうなら……本当に治りかけだって言うんならさ。そんな病気すぐに治さないと怒るからな……これは命令だぞ」
魔王様の白磁の肌には薄っすらとした朱がさしており。
平時よりも優しく頭を撫でられた自分は大人しく首肯していたのだった。
もう知っている方もおられると思いますが、
現実に魔王様が居ないのが辛すぎたのでイラストに書いて貰いました!
【挿絵表示】
なごかつ(@KatsuPainter)様本当にありがとうございました……!
最高です……!
ただ書いて頂いた絵柄を元に書くと
余計ああじゃないこうじゃないって書くのに時間がかかってしまった感はあって若干反省しています…。