不死鳥たちの航跡   作:雨守学

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第10話

今でもはっきりと覚えている。

君との出会いは、――総合病院の――号室だった。

 

「坂本さん、抱いてやってください」

 

「いいのかね? では、失礼して……」

 

私の腕に抱かれる君は、とても小さくて――けれど、元気いっぱいな泣き声を私に聴かせてくれた。

 

「おぉ、ごめんよ。ほら、お母さんの元へお帰り」

 

「すみません……」

 

「いや、元気いっぱいでいい事じゃないか。真奈美さん、佐久間、本当におめでとう」

 

「ありがとうございます」

 

「それで、名前は決まっているのかな?」

 

「はい。『慎二』です」

 

「慎二か。なるほど。いい名だ。この子もいつか、海軍に来るのだろうか」

 

「この子には、好きなように生きて欲しいと思っています。海軍に入りたいというのなら、止めはしませんがね」

 

「そうか。もしそうなったら、私が直々に面倒を見てやろう。きっとその頃には、艦娘も全て『人化』され、私は上官になっているだろうからね」

 

「だってさ、慎二。坂本さんに面倒を見てもらえるなんて、羨ましいぞ~このこの~」

 

頬をつつかれる君は、どこか嬉しそうな笑顔を私に見せてくれた。

 

「佐久間慎二、数十年後に、また会おう」

 

小さな小指に紡いだ約束が、全く違う形で果たされることになろうとは、その時の私には予想も出来なかった。

そして、あんな悲劇が重なることも、また――。

 

『それでも私は、貴方の意志を継ぎたいのです――』

 

 

 

 

 

 

『不死鳥たちの航跡』

 

 

 

 

 

 

「十日間の休養……ですか……」

 

医者は小さく頷くと、落書きのようなカルテに目を通した。

 

「今回の発熱は、急激なストレスによるものかと思われます。最近、寮に進出されたとか」

 

「えぇ、まあ……」

 

「環境の変化で体調を崩される方は多い。特に雨宮さんの場合、その環境が特殊ですからねぇ」

 

医者が何を言いたいのか、俺には分かっていた。

 

「とにかく、十日間は休養し、様子を見ましょう。坂本上官には事情を話しておりますので、ご安心を」

 

上官……。

 

「さて、雨宮さん。十日間の休養ですが、もちろん敷地の外へ出ることは出来ません。基本的に、こちらの施設で過ごしていただきます。毎日、10時と16時の2回、30分程度のカウンセリングがありますが、その時間以外は自由にしていて構いません。何かありましたら、1階のカウンターに来ていただくか、部屋にある内線をお使いください。それと――」

 

医者が何かを言いかけた時、診察室の扉が叩かれた。

 

「ちょうど来たみたいだ。入り給え」

 

扉が開かれ、現れたのは――。

 

「山風」

 

「えへへ、久しぶり。雨宮君」

 

山風は、何故かナース姿になっていた。

 

「研修中でして。今回、雨宮さんのお世話係にと」

 

「看護師を目指してるの。雨宮君が来るって聞いて、是非担当させてほしいって、無理にお願いしちゃったんだ」

 

「そうだったのか」

 

嬉しそうに笑う山風。

その笑顔に、俺は何故かホッとしていた。

 

「雨宮さん、今は島の事を忘れて、休養に専念してください。それが今貴方に出来る仕事です。坂本上官もそうおっしゃっておりました」

 

「……そうですね。分かりました」

 

医者は頷くと、山風に目配せをした。

 

「それじゃあ雨宮君、施設を案内するね」

 

「あぁ。先生、ありがとうございました」

 

「えぇ、また明日」

 

 

 

一通りの説明を受け、最後に案内されたのは――。

 

「ここは……」

 

「ここが雨宮君が十日間過ごすお部屋。吹雪ちゃんが使っていた部屋だよ」

 

吹雪さんが使っていた頃と、何も変わっていない。

しばらくしたら、吹雪さんが戻ってくるのではないかと、錯覚するほどに――。

 

「この部屋が一番、気持ちのいい風が入ってくるんだ。あたしのお気に入りの部屋」

 

そう言うと、山風は窓を開けて、優しく微笑んだ。

長い髪が、風のかたちをつくっていた。

 

「本当だ。風が気持ちいいな」

 

「でしょ? えへへ」

 

少し冷たい風ではあったが、島で感じるものとは違って、どこか落ち着くものであった。

 

「雨宮君、色々あって大変だったでしょ? 先生の言う通り、今はゆっくりと休んでね? あたしも、精一杯、雨宮君を支えるからね!」

 

「あぁ、心強いよ。頼んだぜ、山風」

 

「うん! えへへ、嬉しいなぁ。これから毎日、雨宮君とお話出来るなんて」

 

「そんなにか?」

 

「そんなにだよぉ。だって……」

 

「だって?」

 

「……ううん、なんでもない! えへへ……」

 

何やら照れる様に髪をいじる山風に、俺は思わずドキッとしてしまった。

 

「あ! そろそろミーティングの時間だ! ごめんね、雨宮君。またあとで来るから!」

 

「あぁ、ありがとう」

 

「じゃあね! えへへ」

 

イソイソと去って行く山風。

まるで嵐が去って行ったかのように、部屋は一気に静寂に包まれた。

 

「…………」

 

窓の外に見える小さな島。

昨日まで、あの場所に居たことが信じられない。

それほどに、俺の心は、どこか穏やかで――。

 

「……何を安心しているんだ、俺は」

 

不気味なほど静かな海。

あの島で、今、皆がどう思っているのか。

俺が居なくなって不安がっているのか、それとも――。

 

 

 

「ん……」

 

目を覚ますと、空はすっかり夕焼けに染まっていた。

 

「いつの間にか眠ってしまっていたのか……」

 

ベッドから起き上がってみると、机の上にラップで包まれた握り飯が置かれていた。

傍に『お腹空いてるでしょ? 食べて! また明日! 山風』というメッセージが、付箋で添えられていた。

 

「来てくれていたのか……」

 

確かに腹は減っていた。

思えば、昨日はてんわやんわしていたものだから、ろくに飯を食っていなかった。

 

「いただきます」

 

小ぶりな握り飯は、少しだけしょっぱかった。

 

 

 

握り飯を食い終わり、さてどうしようかと思っていると、部屋のドアがノックされた。

 

「どうぞ」

 

返事を聞き、部屋に入って来たのは――。

 

「上官……」

 

「雨宮」

 

立ち上がろうとする俺を止めると、上官は近くにあった椅子に座った。

 

「気分はどうかね?」

 

「はい……おかげさまで、何とか……」

 

「そうか……」

 

永い沈黙が続く。

 

「……あの」

「――すまなかった」

 

そう言うと、上官は頭を下げた。

 

「君のストレスに気が付けなかった……。ここまで追い込んでしまったのは、私の責任だ……。本当にすまない……」

 

昨日の態度とは打って変わり、上官は弱弱しくそう言った。

 

「そ、そんな……。頭をあげてください! 私のストレスは、私自身の問題で……!」

 

「いや……そうじゃない……。そう思わせるよう仕向けた私の責任なのだ……」

 

「仕向けたって……。しかし、そうだとしても――」

 

いくら説得しようとも、上官は謝ることを止めなかった。

どうしてこんなにも謝るのか、俺には理解が出来なかった。

 

「――とにかく、むしろ、謝らなければいけないのは私の方です。一人では何もできない癖に、傲慢な態度を取ってしまいました……。上官は手を差し伸べてくれたのに、私は……恩を仇で返す様な真似を……」

 

「いや……そんなことはどうでもいい……。君は上手くやっていた……。それを邪魔したのは……私なのだ……」

 

頑なに自分を責める上官。

本当、一体、どうしたというのだろうか。

とにかく、このままでは埒が明かない。

 

「……上官。この話は、また落ち着いてからにいたしましょう……。今日のところはお休みください……。上官もお疲れのようです……」

 

「いや……私は……」

 

「……私も、医者に無理をしないよう言われておりますので。ですから……」

 

それを聞いてようやく、上官は顔をあげた。

 

「……そうか。そうだよな……。すまない……」

 

その表情は、今までに見たことがないほどに――。

 

「無理をさせてすまなかった……」

 

「い、いえ……そんな……」

 

上官は立ち上がると、フラフラと扉へと向かっていった。

そして、去り際に、もう一度俺に目を向けた。

 

「雨宮……」

 

「上官……」

 

「……本当に、すまなかった」

 

そう言って、上官は部屋を出ていった。

 

「…………」

 

ここ数日、色々な事が重なり、上官も参ってしまっているのかもしれない。

俺なんかよりも、上官にこそ休養が必要なのではなかろうか。

そう思わせるほどに、上官の表情は――あの背中は――。

 

 

 

翌日は、朝早くから山風がやって来た。

 

「おはよう、雨宮君」

 

「おはよう。早いんだな」

 

「うん! 雨宮君に会いたくて、早く来ちゃったんだ。迷惑だった?」

 

「そんなことはないさ。むしろ、来てくれて嬉しいよ」

 

「そっか。えへへ、良かった」

 

山風は、買って来たのだという花を花瓶に挿した。

 

「今日は天気がいいから、カウンセリングが終わったら、外に出てみない? この施設の近くだったらいいよって、先生も言ってくれたし」

 

「そうか。なら、そうしようかな」

 

「お弁当も作って来たの。後で一緒に食べようね」

 

満面の笑みを浮かべる山風。

嗚呼、なんて言うか……久しくなかったな……。

こうして穏やかに過ごす事……。

島に居た時にも、落ち着く時間はあったのだけれど、心はいつもざわついているようで――とにかく、こんなに穏やかな気持ちにはなれなかった。

 

 

 

カウンセリングは、これといって特別な事はしなかった。

体調はどうだとか、気分はどうだとか――そんな事を聞かれただけで、30分もかからずに終了した。

 

「では、雨宮さん。また夕方の16時に」

 

「はい。ありがとうございました。あ、そうだ……。先生、一つお聞きしたいのですが……」

 

「はい、なんですか?」

 

「島の事なのですが……私が十日間いなくなることを彼女たちは……」

「――雨宮さん」

 

医者の目の色が、急に変わった。

 

「島の事は、今はお忘れください。貴方に出来る仕事は、休養をとることです。島の心配をすることではありません」

 

鬼気迫るその表情に、俺は生唾をのんだ。

もしかして、自分が思っている以上に、事態は深刻なのではなかろうか、と思わせるほどの気迫であった。

昨日の上官の態度も、或いはそれが関係していたりするのでは……。

 

「……そうでしたね。分かりました」

 

いずれにせよ、医者の言う通りにするのがベストであろう。

 

「それでよろしい。山風はどうです? 雨宮さんのお邪魔をしていませんか?」

 

「いえ、むしろ助かっています。彼女と居ると、こう、穏やかな気持ちになると言うか」

 

「それなら良かった。彼女も、貴方に夢中のようです」

 

「そうみたいです」

 

「ふふ、気を付けた方がいいですよ。彼女はまだ独身ですから、もしかしたら、雨宮さんを狙っているのかもしれません。仕事柄、恋愛は出来ないのでしょう?」

 

「まあ、そうですが……。山風がそんな事を考えているとは、とても……」

 

「私の知る限り、彼女がここまで誰かに夢中になるなんてことは、なかったように思います。この際、島の事は忘れて、恋愛でもしてみてはいかがでしょう? 恋はいいですよ」

 

そう言うと、医者は悪戯な表情で笑って見せた。

なるほど。

どうやら気を遣わせたらしい。

 

「考えておきます」

 

「ふふ、そうですか。では、また16時に」

 

「はい。ありがとうございました」

 

 

 

山風を待つ間、ベンチに座り、遠くに見える島を望んでいた。

 

「島の事は忘れろ……か……」

 

忘れる事なんて出来ない。

だが、忘れてもいいのだと言われて、少し安心している自分がいた。

 

「だーれだ?」

 

小さな手が、俺の視界を塞ぐ。

 

「フッ、誰かな。北上か?」

 

「もう、分かってるくせに……。雨宮君のいじわる」

 

山風は小さく頬を膨らませながら、俺の隣に座った。

 

「待たせちゃったかな?」

 

「いや、俺も今来たところだ」

 

そう言ってやると、山風は俺の手を取った。

 

「嘘、手冷たいもん。ずっと待っててくれたんでしょ?」

 

俺は何も言えず、ただ頭を掻いた。

 

「温めてあげる」

 

山風は、俺の手を自分の頬にあてた。

 

「あたしのほっぺ、温かいでしょ? 普通の人に比べて、体温が高いの」

 

確かに、山風の頬は温かくて、それでいて柔らかかった。

 

「本当だな」

 

「えへへ、ずっと触ってていいからね?」

 

「いや、遠慮しておくよ。冷やしちゃうのも悪いし」

 

「え~? なんでよ~? もっと触ってよ~」

 

「フッ、なんでだよ」

 

自然と笑みがこぼれる。

山風と居ると、何だか落ち着くと言うか、妙に安心できるんだよな。

 

『私の知る限り、彼女がここまで誰かに夢中になるなんてことは、なかったように思います。この際、島の事は忘れて、恋愛でもしてみてはいかがでしょう? 恋はいいですよ』

 

恋、か……。

 

「雨宮君?」

 

こんな調子で、俺はこの先、本当にすべての艦娘達を『人化』出来るのであろうか。

 

『提督……私は、やっぱりこの島を出たいです……。『生きたい』のです……。でも……この島の艦娘たちを見捨てられません……。だから……私は『生きる』為に、提督に協力したいです……。この島の艦娘たちを島から出すために……。私が私の『人生』を歩むために……』

 

あの時、明石はそう言った。

それでも――。

 

『好き……です……。提督の事が……好きです……』

 

明石の気持ちが本気であって、皆を――いや……自分の幸せを強く願うのなら、あいつは俺についてきてくれるだろうか。

もし、ついてきてくれるというのなら、こんな俺に出来ることは――それしかないのなら――。

 

「あ~ま~み~や~君!」

 

両手で顔を掴まれ、俺は我に返った。

 

「大丈夫? ぼうっとしていたけれど……なにか考え事……?」

 

「あぁ、いや……別に……」

 

「……嘘。島の事を考えていたんでしょ……?」

 

山風は唇を尖らせ、俺の目をじっと見つめた。

 

「……悪い。考えていた……」

 

「やっぱり……」

 

「ごめん……。考えてはいけないと分かってはいるのだが……」

 

「……うん。しょうがないよ……。ずっとあの島で過ごしてきたわけだし……。すぐに忘れることは出来ないよね……」

 

分かっている、とでも言うように、山風はそっと、手を取ってくれた。

安心できる手であった。

 

「先生が言っていたのだけれど、何かを忘れるには、別の何かに夢中になるのがいいんだって。雨宮君、趣味だとか、好きな事ってなあに?」

 

「趣味……好きな事……か……」

 

ずっと、海軍に入るために勉強をしてきた。

『あの施設』に居た頃だって、そんなことは――。

海軍に入ってからも、また――。

 

「……何もないかもしれないな」

 

「そうなの……? あ、じゃあさ、楽しかった思い出とかある? そこにヒントがあるかも!」

 

「楽しかった思い出……」

 

どちらかというと、辛い思い出の方が多かったように思う。

 

「…………」

 

こうして振り返ってみると、俺って、本当に何もない男だったんだな。

全ての艦娘を『人化』することばかり考えて来たけれど、それすらかなわないのだとしたら、一体、俺に何が残るというのだろうか。

こんな何もない男だと知ったら、明石はきっと――だとしたら――。

 

「雨宮君……」

 

また、我に返る。

 

「また……考えていたでしょ……?」

 

「……あぁ」

 

駄目だ……。

何をしようにも、島の事――艦娘の事ばかりを考えてしまう……。

 

「ごめんね……雨宮君……。あたし……力になれなくて……」

 

「い、いや……山風が謝ることでは……。いや、本当……趣味もいい思い出も、何もない俺が悪いのであってさ……。ごめんな……。こんな何もない男でさ」

 

そう笑って見せると、山風は俺の手を強く握って、強く叫んだ。

 

「そんなことないよ……! 雨宮君は、何もなくないよ!」

 

「え……?」

 

「雨宮君はすっごく素敵な人だよ……! あたしにないもの……他の人にないものをたくさん持ってるもん……! 言葉では言い表せないけれど……あたしは知ってるもん……! そんな雨宮君だから、あたしは……!」

 

そこまで言うと、山風は口を噤み、顔を赤くして俯いてしまった。

 

「山風……?」

 

「と、とにかく……。そんな事、言っちゃ駄目だよ……。雨宮君の素敵なところを知っている人たちは、たくさんいるはずだから……。少なくとも、あたしは知ってるよ……? だから……」

 

今度は悲しそうな顔を見せる山風。

誰かの為にこんな表情が出来るなんて……。

山風こそ、本当に……。

 

「……そうだな。悪かった。確かに、自分じゃ気が付けないこともあるもんな。山風がそれに気が付いてくれているのなら、俺はそれを信じるよ。俺には何もない訳じゃない。君が信じてくれる何かがあるってさ」

 

「雨宮君……」

 

その時、俺の腹がぐぅと音をたてた。

 

「あ……」

 

「……ふふ、お昼にしよっか」

 

「……だな」

 

 

 

山風の作ってくれた弁当は、とても可愛らしくて、とても美味しかった。

特別な食材を使ったり、特別な味付けをした訳ではないとのことであったが、どういう訳か、とても魅力的なものに感じた。

 

「はい、お茶だよ」

 

「ありがとう」

 

「えへへ、残さず食べてくれてありがとう。実は、ちょっと自信なかったんだ」

 

「そうなのか? その割には、弁当を開ける時、「じゃーん!」なんて、派手な演出があったけれど」

 

「あ、あれは……なんて言うか……ちょっと気分が舞い上がってて……」

 

「気分が? どうして?」

 

「……内緒」

 

「内緒? そう言われると、余計気になるな」

 

「……いつか教えてあげる。でも、今は内緒だよ。えへへ」

 

可愛らしく笑う山風。

こうしていると、本当――。

 

「山風と居ると、何もかも忘れてしまうな。時間も、島のことも」

 

ふと、そう零した。

いつもは心に留めようとするような言葉であったが、自然と口から零れ落ちた。

 

「だ、だったら……! その……雨宮君が良かったら……なんだけど……。これからも、こうして一緒に過ごさない……? それなら、島の事も忘れることが出来るだろうし……。あ、あたしも……雨宮君が夢中になれるよう、頑張るから……!」

 

「いいのか? 仕事があったりするんじゃないのか?」

 

「大丈夫だよ! これも仕事の内だし……あ! 別に、仕事だからやってるって訳じゃなくて……! その……あの……」

 

「大丈夫、分かっているよ。ありがとう、山風。嬉しいよ」

 

「本当……? えへへ……。じゃあ……これからよろしくね、雨宮君」

 

「あぁ、よろしく」

 

それから俺たちは、本当に時間を忘れて過ごした。

その所為で、俺は16時からのカウンセリングに遅れ、山風と共に医者に怒られることになった訳だが……。

それでも、共に過ごした時間が有意義であったのだと医者も察していたのか、最後は笑いながら、俺たちの仲をからかっていた。

 

 

 

「じゃあ、私はこれで。今日はごめんね……」

 

「いや、先生も言っていたけれど、それだけ楽しんでいたって証拠だし、謝ることはないよ」

 

「でも……」

 

「それよりも、明日の事だ。明日も、また一緒に過ごしてくれるのだろう?」

 

「う、うん……! あたしでよければ……だけど……」

 

「あぁ、君がいい」

 

――まただ。

こんなこと、普段は絶対に零さない。

零さないはずなのに、どうしてか、山風の前では――。

 

「雨宮君……」

 

「……そろそろ戻らないと。また明日、よろしくな」

 

「う、うん。また明日」

 

山風を見送った後、俺は急に恥ずかしくなり、その場に座り込んでしまった。

 

「『君がいい』……か」

 

なんであんなクサイ台詞を言ってしまったのだろうか。

どうも、山風の前だと、隠し事が出来なくなるというか――。

 

「ううむ……」

 

 

 

しばらく部屋で悶々としていると、部屋の扉がノックされた。

ノック音で、誰が来たのか、すぐに分かった。

 

「どうぞ」

 

扉を開け、顔を出したのは、やはり上官であった。

 

「今、時間いいかな……?」

 

「はい、大丈夫です。どうぞ」

 

「お邪魔するよ」

 

上官はゆっくりと部屋に入ってくると、これまたゆっくりと椅子に座った。

 

「調子はどうかな?」

 

「えぇ、凄くいいです。充実しています」

 

「そのようだね。顔色が随分いいように見える。何かいいことでもあったのかな?」

 

ふと、山風の笑顔が、頭に浮かぶ。

 

「まあ、そんなところです」

 

「そうか。それは良かった」

 

上官は微笑むと、何度も小さく頷いた。

 

「……昨日は取り乱してすまなかったね」

 

「いえ……少し驚きましたが……」

 

「今日は、昨日話せなかったことを話しに来たのだ。少し長くなるが、時間は大丈夫かね?」

 

上官は、どこか落ち着いた口調で、そう尋ねた。

 

「大丈夫です。今日はもう、消灯まで何もありませんから」

 

「なら良かった」

 

一呼吸おいてから、上官は口を開いた。

 

「まず……君がこうしてストレスを抱えてしまったのは、私の所為だ……。すまなかった……」

 

俺はあえて、それを否定しなかった。

無論、その通りだという訳ではなく、昨日のリプレイを避けるためであった。

 

「気が付いていたかどうか分からないが、今回の大井の件、私は多くの嘘をついた。まず、期限の事だ。二日間の期限なんてものは、君に発破をかけるためについた嘘だ。もっと言うのなら、上層部をごまかしているのも嘘であるし、大井を島から強制的に出すなんてことも出来るはずがないのだ。そもそも上層部は、君の作戦を大いに歓迎していた」

 

上官が嘘をついていたことには驚いたが、それ以上に、上官が何故あんなにも謝っていたのか、その理由を理解できたことの方が、俺にとっはて重要であった。

 

「……なるほど、そういう事ですか。しかし、それでも、上官がそうしてくださらなければ、きっと今回の交流は上手くいかなかったかと思います。上官も、それを分かっていて、発破をかけてくださったのでは……?」

 

「……確かに、君の作戦には、少し甘い部分があった。だが、ここまで君を追い詰める必要はなかったのだ……。それは最初から分かっていた……。分かっていたのだが……私は……」

 

深く目を瞑るその姿に、ただならぬものを感じた。

 

「……分かりません。どうして上官は、そこまでご自分を……」

 

上官の目が、真っすぐと俺を見つめる。

 

「君に……私と同じ道を歩ませたくなかったのだ……」

 

だが、その瞳に、俺はいなかった。

――そうだ。

この瞳は――。

 

「佐久間の息子である……君にはね……」

 

 

 

小石でもぶつかったのかと錯覚するほどに、大粒の雨が窓を叩き始めた。

あんなにも天気が良かったのに――天気予報でも、一日晴れが続くと言っていたのに――。

 

「……降って来たね」

 

「え、えぇ……」

 

俺は、ひどく動揺していた。

それは、雨が降り始めた事にではなく、『どうして上官が俺の正体を知っているのか』というところにあった。

 

「不思議に思うかね……? どうして私が、君の過去を知っているのか……」

 

俺は何も言えなかった。

そうだ。

知るはずがないのだ。

俺はずっと、佐久間肇の息子であることを――艦娘だけではなく、海軍にすら隠してきたのだ。

俺が佐久間肇の息子だと知っているのは、重さんだけだ。

――そのはずなのだ。

 

「どうして……」

 

上官は立ち上がると、窓の外に目を向けた。

何を見ているのかは、すぐに分かった。

 

「私はかつて、あの島への出向を夢見て、挫折したことがあるのだ……。とあることがきっかけでね……」

 

上官が島へ……?

そんなことは、噂ですら聞いたことがない。

 

「そんな私の夢を継いでくれたのが、佐久間だった……。そう……。君の母である真奈美さんと、まだ幼かった君を残し、島へと出向させたのは――いや、佐久間を君たちから引き剥がしたのは、私なのだ……」

 

雨が激しくなって行く。

上官はゆっくりと目を瞑ると、静かに語り始めた。

 

 

 

 

 

 

佐久間は、私の後輩であった。

人懐っこい性格で、教育担当者であった私に対しても、まるで昔からの知り合いの様に――されど、敬意を払う事を忘れない男であった。

 

「いよいよ始まるんですね。『適性試験』。坂本さんも、もちろん受けるんですよね?」

 

「あぁ、永い戦いになるが、何とかしがみついてゆくつもりだ」

 

「ずっと、夢だって言ってましたもんね。私に出来ることがあれば、なんでも言ってください。協力します」

 

「ありがとう、佐久間。だが、いいのか? 私なんかに感けていて。子供も、もうすぐ生まれるのだろう?」

 

「大丈夫です。妻も――真奈美も、私の仕事の事をちゃんと理解してくれていますから。それに、真奈美も言っていました。『私たちを引き合わせてくれた坂本さんを、全力で支えるのが貴方の仕事』だと。ですから、私は、全力で坂本さんをサポートしますよ! 坂本さんが嫌だって言っても、私はもう決めてましたから!」

 

「ははは、分かった分かった。頼りにしているよ、佐久間。だが、あまりはしゃいでくれるな。『適性試験』は、永い時間をかけ、秘密裏に行われるものだ。例え同じ海軍の人間でも、試験を受けていることを知っている者は、一部の人間だけだ。分かるね?」

 

「えぇ、大丈夫です。私の所為で、坂本さんの夢を台無しにはしたくないですからね。坂本さんの夢は、私の夢でもあります。あの島への切符、必ず勝ち取ってください」

 

「あぁ。ありがとう、佐久間」

 

佐久間の応援を受けながら、私の『適性試験』が始まった。

 

 

 

君も知っての通り、『適性試験』には、『試験艦』と呼ばれる元艦娘と生活を共にし、その適性を判断するものがある。

――君の『試験艦』は、吹雪さんだったね。

私の『試験艦』は――。

 

「は、羽黒です……! よ、よろしくお願いいたしますっ!」

 

「……坂本だ。よろしく」

 

羽黒――。

彼女を見た時、正直、がっかりしてしまった。

オドオドした態度。

合う事のない視線。

これから先、共に生活してゆくには、あまりにも――。

 

「あ、あの! し、司令官さんと……お呼びしても……?」

 

「あぁ、好きに呼んでもらって構わないよ」

 

「あ、ありがとうございます! 不束者ですが、よろしくおねがいしますっ!」

 

深く頭を下げる彼女に、私は、ただ微笑みを見せるだけであった。

 

 

 

生活を共にすると言っても、『試験寮』――昔、試験の為の寮があったのだが、知るはずもないね――その寮で二人、生活を共にするだけで、特別な事は何もしない。

部屋は別々であるし、風呂トイレも別。

お互いが持っていた仕事が変わることもなく、休日を共に過ごす必要もない。

艦娘と生活を共にできるか。

艦娘の心を開かせるだけのものがあるか。

生活によるストレスはないか。

差別や価値観の偏りがないか。

それら全てを『試験艦』に評価してもらう。

永い時間をかけて――ゆっくりとね――。

 

「寮とは言え、大きな戸建てのようだね」

 

「そ、そうですね」

 

初日の羽黒は、どこか緊張している様子であった。

 

「……一つ、質問をいいかな?」

 

「は、はい」

 

「君は何故、『試験艦』に立候補したんだい?」

 

言った後、意地悪な質問だったかなと反省した。

羽黒もそれを感じ取ったのか、俯いてしまった。

 

「ごめんなさい……。私なんかでは……不満ですよね……」

 

「い、いや……そういう訳ではないのだが……。なんというか……仕事とはいえ、最大で二年間もの永い間、異性と共に暮らす訳だから、普通は抵抗があるものだと思ってね……」

 

ましてや、異性でなくとも、人付き合いが得意でなさそうな彼女だ。

一体、どんな心境があって――。

 

「……実は、立候補なんかじゃないんです」

 

「え?」

 

「いつまでも恋人が出来ない私を見かねて、姉さんたちが……」

 

姉さん。

妙高達の事であろうか。

 

「私、男の人と目を合わせてお話出来なくて……。姉さんたちも、そんな私を心配してくれているのですが、いつまでもそうしている訳にもいかないって……」

 

『試験艦』となれば、嫌でも異性と生活しなければならない。

彼女にとっても、異性慣れする訓練となる訳だ。

 

「ご、ごめんなさい……。こんな理由で……不純ですよね……」

 

「……いや」

 

本当に、終わったと思った。

だから私は――。

 

「今回の試験は、中止にしてもらおうか」

 

「え……?」

 

「君も乗り気でないようだしね。お互いに、時間を無駄にはしたくないだろう?」

 

「で、でも……それだと、司令官さんの試験は……」

 

「今回はチャンスが無かったと思うさ。確かに、『試験艦』が立候補してくれることは、今では少なくなってしまったけれど、きっとまたチャンスは来るはずだ。その時を待つさ」

 

精一杯の笑顔を見せたけれど、内心はひどく落ち込んでいたよ。

君の代では、吹雪さんが積極的に立候補してくれたけれど、昔はそうもいかなくてね。

何しろ、吹雪さんの旦那さんは、まだ御存命で――とにかく、羽黒が来てくれたのも、奇跡のようなものだったんだ。

 

「お姉さんたちには、私から話をつけておく。君が異性に対し、もっと積極的になりたいと思っているのなら、また別のかたちで協力するよ。そういう機会を得ることの出来るイベントを、いくつか知っているから」

 

「…………」

 

「じゃあ、戻ろうか。上には、私が怖気づいたとでも言っておくよ。だから、君は心配しなくていい」

 

そう言って立ち去ろうとする私の手を、羽黒は止めた。

 

「どうした?」

 

「や……やらせてください……」

 

「え?」

 

「私に……やらせてください……! 司令官さんの『試験艦』を……!」

 

「しかし、君……」

 

「……私、知っているんです。司令官さんが、今回の試験にどんな思いで臨んでいるのかを……。ずっと、待っていたんですよね……? 『試験艦』が立候補してくるのを……。でも、中々立候補が無くて……永い事待っていたって……」

 

そうだ。

私は、ずっと待っていたのだ。

若いころから、艦娘を『人化』する夢を持っていた。

試験を受けられる条件を私自身がクリアしても、中々『試験艦』に恵まれず、永い事待っていたのだ。

ようやく掴んだチャンスであったのだ。

 

「それなのに……私の所為で諦めることはさせたくはありません……! 確かに私は……姉さんたちの言いなりのまま、ここに来ました……。でも……私だって、このままではいけないと思っていますし……司令官さんのような、立派な夢を持った人となら、きっと私も、変わることが出来ると思います……! だから……」

 

そこまで言うと、何故か羽黒はぽろぽろと涙を流した。

 

「お、おいおい……」

 

「ご、ごめんなさい……。感情的になり過ぎて……私……」

 

この国を守った艦娘とは思えないほどに、彼女は脆く、傷つきやすくて――それでいて、優しい心を持っていた。

誰かを評価するなんて、彼女には――。

それでも――。

 

「……分かった。君がそこまで言ってくれるなら、最後まで付き合ってもらおうかな」

 

試験の結果がどうあれ、ここで彼女の心を救うことが出来なければ、あの島に出向したとしても、私には何も出来ないだろうと思った。

 

「司令官さん……」

 

「もう後には引き返せないよ。それでもいいんだね?」

 

羽黒は涙を拭くと、覚悟を決めた目を見せてくれた。

 

「……はい! 羽黒、精一杯『試験艦』を務めさせていただきます!」

 

「よろしい。改めて、よろしくな。羽黒」

 

「よろしくお願いします。司令官さん」

 

あの時交わした握手を、今でも鮮明に思い出せるよ。

永い年月が経っているのにもかかわらずね……。

 

 

 

共同生活は、至って順調であった。

最初は、顔を合わせる時間が食事の時くらいしかなかったのだが、このままではいけないとお互いに分かっていたのか、何もない時間でも、リビングで過ごすようになった。

 

「コーヒーを淹れるが、君もどうかな?」

 

「あ、それなら私がやりますよ!」

 

「いや、いいんだ。コーヒーの淹れ方には、少しこだわりがあってね」

 

コーヒーを淹れている姿を、羽黒は真剣な表情で見つめていた。

 

「……やってみるかい?」

 

「いいんですか……? 是非!」

 

羽黒は、なんにでも興味を持つ奴だった。

正直、最初は、気を遣ってくれているものだと思っていたのだけれど、時が経つにつれて、単に彼女が純粋であるという事に、気が付いていった。

 

「こ、こんな感じでしょうか……?」

 

「あぁ、とても上手だよ。筋がイイね」

 

「そ、そうでしょうか……。えへへ……」

 

なんにでも興味を持つという事は、何も知らないという事でもある。

彼女は本当に、妙高達に大事にされてきたようだ。

何も知らない、純粋な女性。

そんな彼女であると、分かっていたのにもかかわらず、私は予測できなかった。

彼女の気持ちの変化に――。

そして、自分の気持ちの変化に――。

 

 

 

共同生活を始めて数か月もすると、休日さえ合えば、一緒に外出をすることも増えていった。

 

「へぇ、コーヒー豆って、こんなに種類があるんですね」

 

「高いからいいって物でもなくてね。私なんかは、いつも飲んでいる、この一番安いオリジナルブレンドが好きなんだ。いくつか試飲出来るから、何か好きな豆を選んだらいい。プレゼントするよ」

 

「そ、そんな! 自分で買いますよ!」

 

「いや、プレゼントさせてほしいんだ。君がこうして興味を持ってくれたこと、とても嬉しくてね」

 

そう言って笑って見せた時、彼女は――いつもなら、申し訳なさそうな表情を見せるのだけれど、その時は、どこか恥ずかしそうに、俯いてしまっていた。

 

「……迷惑だったかな?」

 

「い、いえ! そんなことありませんっ! むしろ……その……あの……」

 

初めて会った時のような――されど、どこか色っぽくて――思えば、あの時から彼女は――。

 

 

 

結局、彼女が買ったのは、一番安いオリジナルブレンドであった。

 

「それで良かったのかい?」

 

「は、はい! これがいいんです……。えへへ……」

 

「そうか」

 

嬉しそうに袋を抱える彼女は、とても可愛げがあってね。

恋人なんかが居たら、きっと――そんなことを思った自分が居て、恥ずかしくなったのを覚えている。

 

「司令官さん?」

 

「あぁ……ごめん。何の話だったかな?」

 

「これからどうしますか? コーヒーは買いましたし……」

 

「あぁ、実は、ちょっと買いたいものがあってね。どうしようか。ここで別れるかい?」

 

「え……あ……買いたいものって……なんですか……?」

 

「この前、私の後輩に子供が生まれてね。その出産祝いに、何か買ってやろうと思っていてね」

 

「出産祝い……。わ、私も! 同行してもいいですか?」

 

「あぁ、構わないが……。退屈させてしまうかもしれないよ?」

 

「大丈夫です! その……わ、私もいつか、赤ちゃんを育てることになるかもしれないから……その……見ておきたくて……いろいろと……」

 

「なるほどね。じゃあ、一緒に行こうか」

 

「は、はい! えへへ……」

 

 

 

 

 

 

「その後輩って……」

 

「あぁ、佐久間の事だ……。つまり、赤ちゃんとは、君の事だよ。雨宮」

 

上官は、俺の事を赤子の頃から知っていたという訳か……。

 

「生まれたばかりの君を抱いたこともある。泣かれてしまったがね。佐久間と真奈美さんの腕に抱かれる時だけは、とても穏やかな顔を見せてくれたのを覚えているよ」

 

上官は思い出す様に、遠い目を見せた。

 

「話が逸れてしまったね……。――いや、或いは、私の事の方が、逸れた話なのかもしれないね……」

 

「いえ……そんな事は……」

 

永い沈黙が続く。

雨は容赦なく、窓を叩きつけていた。

 

「……上官」

 

「なんだね」

 

「上官は……好きだったのではないですか……? 羽黒の事を……」

 

空が光る。

遅れて、轟音が窓を揺らす。

 

「上官……」

 

「……あぁ、好きだったよ。好きに……なってしまったんだ……」

 

 

 

 

 

 

自分の気持ちに気が付いたのは、共同生活を始めてから、一年がたった頃であった。

 

「坂本さん、試験の方はどうです? 順調ですか?」

 

「声がでかいぞ佐久間……。誰かに聞かれたらどうする……」

 

「大丈夫ですよ。ここは滅多に人も来ませんし、今日は皆、イベントで大忙しですから」

 

「だとしてもだ……。全く……」

 

とは言っても、こうして試験の事を話せる機会と言うものは、私にとって貴重な事であった。

唯一話せる――といっても、本当はいけないことなのだけれどね――その相手が、佐久間だけであったのだ。

 

「佐久間……」

 

「なんです?」

 

「相談に乗ってくれないか……? 少し……困ったことになってね……」

 

「……珍しいですね。佐久間さんが私に相談するなんて……」

 

「あぁ、そうだね」

 

「そうだねって……」

 

「ふふ、冗談だ。困っていることは事実だ。茶化さずに、聞いてくれるかな……?」

 

私が本気だと知ると、佐久間は真剣な表情で向き合ってくれた。

 

「……はい」

 

「ありがとう」

 

私は一呼吸おいてから、今までの経緯を全て、佐久間に話した。

 

「――なるほど。相手は羽黒でしたか。それで? 困った事とは?」

 

「あぁ、実は――」

「――羽黒の事を好きになってしまった……とか?」

 

私は驚いた。

佐久間は、得意げに笑っていた。

 

「どうして分かった……?」

 

「何となく、ですよ。話を聞いている限り、そうなんじゃないかって。それに、最近の坂本さんは、なんていうか、とても活き活きしていましたからねぇ。そう言う事か、って感じです」

 

「……そんなに活き活きしていたかね?」

 

「そんなに活き活きしていましたね」

 

私は恥ずかしくなって、思わず赤面してしまった。

 

「……『試験艦』に惚れてしまうのは、よくあることだと聞いています。実際に、それで結婚した奴もいますから。けど、坂本さんが羽黒に惚れるとはねぇ……」

 

「…………」

 

「……その様子だと、向こうにも気があるようですね」

 

「あぁ……。私の自惚れでなければだがね……」

 

「坂本さんともあろうお人が、見当を誤るとは思えませんがね……」

 

「経験が無いのだ……。私はずっと、仕事に生きて来たからね……。試験の条件もあったし……」

 

単純に、モテなかったのもあるがね。

 

「それで、坂本さんはどうしたいと? 何を悩んでいると?」

 

そう言われて、困ってしまった。

 

「……私はいいと思いますよ。このまま羽黒と結ばれても、誰も貴方を責めたりしません。だが、もし夢を取るというのなら、決断は早い方がいい……」

 

思わず息を呑んだ。

こういう時の――真剣に取り合ってくれている時の佐久間は、とても不気味で――私を責めているようで、恐ろしかった。

いや、或いは、そう思いたい自分が居ただけで――。

 

「もし……夢を取るのなら……君ならどうするかね……?」

 

「きっぱりと彼女を諦めます。彼女にも、それを分かってもらいます」

 

即答だった。

仮定の話とは言え、佐久間の答えは真剣そのものであった。

 

「……これはあくまでも、私個人の意見ですが、坂本さん、貴方には夢を取ってもらいたい。貴方には、全ての艦娘を『人化』させるだけの力があります」

 

「…………」

 

「ここで決断してください……。羽黒を取るか、夢を取るか……。それが出来なければ、夢を諦めることです。これ以上長引かせることは、羽黒にとっても辛い事なんです……」

 

羽黒にとっても……。

 

「坂本さん……」

 

「……そうだな」

 

確かに、ここで決めることが出来なければ、私はずっと、この問題を引きずって行くことになるだろう。

私一人の悩みであれば、それでもいいかもしれない。

だがこれは、私だけの問題ではない。

羽黒にも影響してしまう問題であるのなら――。

 

「…………」

 

私は覚悟を決めて、佐久間に宣言した。

 

「――私は、夢を取る。羽黒の事は惜しいが……まあ、初めての失恋として、いい経験だったと割り切ることにするよ」

 

「坂本さん……。そう言ってくれると思っていました……」

 

佐久間は安心した表情を見せると、私の肩をポンと叩いてくれた。

 

「今日は飲みましょう。失恋は、酒で忘れるのが一番なんですよ」

 

そう言う佐久間の笑顔に、私は本当に救われた気がした。

自分の気持ちに踏ん切りをつけることは簡単だ。

だが、それが、誰かの気持ちにもピリオドを打つこととなるのなら、私一人では――。

佐久間は、そんな私の――誰かを崖の下に突き落とすような気持ちでいる私の――なんなら、自分も押すことを手伝ってやるのだと――そういう心持で、私を救ってくれたのだ。

――少なくとも、私はそう感じたのだ。

 

 

 

それから私は、羽黒から距離を置くことにした。

 

「司令官さん。今度の休日、水族館に行きませんか? この前オープンしたみたいで、招待券をいただきましたので」

 

「あぁ、すまない。その日は用事が入っていてね……」

 

「では、その次の週は……」

 

「次の週もだね……。すまないね……。ここのところ、忙しくてね……。しばらくは、一緒に出掛けられそうにないのだ……」

 

「そ、そうですか……。分かりました……」

 

罪悪感もそうだが、やはり私は、夢を取ったとはいえ、羽黒の事を好きでいたものだから、正直、とても辛かったし、何度も誘いに乗りそうにもなった。

そんな私を支えてくれたのが、佐久間と真奈美さんだった。

 

「せっかくの休日なのに、家に押しかけて申し訳ない……」

 

「いいんですよ。夫の仕事は、私の仕事でもあるので。それに、坂本さんには感謝していますから」

 

「慎二も、坂本さんの事が好きみたいですよ。ほら、慎二、抱っこしてもらえ」

 

会う度に、君は少しずつ成長していったのを覚えているよ。

 

「困ったら、いつでも家に来てください。何なら、泊まっても大丈夫ですよ」

 

「あぁ、ありがとう……。真奈美さん……佐久間……」

 

 

 

そんな事を半年続けた。

時々、羽黒の外出に付き合ったこともあったが、それはあくまでも、買い物の為の荷物持ちだったり、なるべく娯楽の少ない用事だけにしていた。

そうすることで、彼女の気持ちも、段々と薄れて行くものだと思っていた。

同じように、私の気持ちも――。

しかし――。

 

「司令官さん、今度の休日――」

 

「すまない――」

 

いつものように断ると、羽黒はぽろぽろと涙を流し始めた。

 

「お、おいおい……。急にどうした……?」

 

「司令官さん……どうして私の事を避けるのですか……?」

 

「え……? さ、避けてなどいないよ……」

 

「嘘です……。いつも予定があるって……私の誘いを断るじゃないですか……」

 

「そ、それは本当に予定があってだね……?」

 

「佐久間さんのお宅に……ですか……?」

 

私は、思わず息を呑んだ。

 

「どうしてそれを……」

 

「失礼だとは思ったのですが……この前、司令官さんの跡をつけてみたんです……。そしたら、佐久間さんのお宅に……」

 

「……それは、佐久間に用事があってだね」

 

「嘘です……。その日は、――鎮守府でお仕事があると言っていました……。それなのに……」

 

どう言い訳をしようか考えていると、羽黒は突然、私の胸の中に飛び込んだ。

 

「は、羽黒……?」

 

「私の事……そんなに嫌いですか……?」

 

「え……?」

 

「私の事が嫌いだから……そんな嘘をつくのですか……? 嫌いなら……はっきりと言ってください……」

 

羽黒は顔をあげると、今にも消えそうなほど小さな声で、言った。

 

「司令官さんの事が好きなんです……。恋……してしまったのです……。だから……だからぁ……」

 

大粒の涙を流すその姿に、私は――。

 

「……嫌いなどではないよ」

 

「じゃあ……どうして……?」

 

そう問われた時、ふと、佐久間の言葉を思い出した。

 

『きっぱりと彼女を諦めます。彼女にも、それを分かってもらいます』

 

もし、それが正しいのなら――。

 

「司令官さん……」

 

「……分かった。正直に話そう。君を避けていたことは事実だ……。だが、それにはちゃんとした理由があってね――」

 

佐久間の言葉を信じて、私は、羽黒に全てを話した。

彼女を好きになってしまったこと。

好意に気付いていたこと。

それでも尚、夢を諦めきれなかったこと――。

 

「――だから、私は、君を諦めるため……君に諦めて貰う為に、避けていたのだ……。傷つけるつもりはなかったのだ……。すまない……」

 

深く頭を下げる私に対して、羽黒は、顔をあげるようにと、私の頭を起こした。

 

「本当にすまなかった……羽――」

 

一瞬の出来事で――されど、とても永くて――。

彼女の唇が離されるまで、私は動くことが出来なかった。

 

「羽……黒……」

 

「嬉しいです……」

 

「え……?」

 

「両想いだったなんて……とっても嬉しいです……」

 

「い、いや……羽黒、私は――」

「――分かっています」

 

私の言葉をかき消すかのように、羽黒は言葉を重ねた。

分かっているとは言っているが、言葉を重ねたのは、まるで――。

 

「分かっています……。それでも……司令官さんはまだ、私を諦めきれていないんですよね……? 私の事が、好きなんですよね……?」

 

私は、何も言えなかった。

 

「なら、それでいいじゃないですか……?」

 

「え……?」

 

「島に行く条件に、『試験艦』を好きになってはいけないなんて、ないはずです……。独身であればいいだけであって、恋人が居てはいけないなんて……ないはずです……」

 

「……そうかもしれないね。でも、よく考えて欲しい。恋人になったとしても、私が島に行ってしまったら、君に会う事は許されないのだ。私は、全ての艦娘を『人化』させたいと思っている。それには、途方もない時間がかかることだろう……。言いたいこと、分かるね……?」

 

「えぇ……分かります……。それでも、私は待てます……。待ち続けます……。それに、司令官さんならきっと、そんなに永い時間をかけなくとも、全ての艦娘を『人化』できると信じています……」

 

羽黒の目は、『恋』の色に染まっていた。

それ以外、何も見えないとでもいうかのように。

そして、その瞳の中には、その色に染まりそうになる私の姿があった。

 

「羽黒……分かってくれ……。君に辛い思いをさせたくなくて言っているのだ……」

 

「辛い思いなんてありません……。司令官さんが私を好きでいてくれるという事実があるのなら、私は……」

 

「口で言うのは簡単だ……。後悔はさせたくないのだ……」

 

そんな事でしばらく言い合っていたが、お互いに不毛だと気付き、黙り込んでしまった。

永い沈黙が続く。

 

「……とにかく、そういう事だ。君に深入りし過ぎた私が悪いのだ……。すまなかった……」

 

「司令官さん……」

 

「……少し、距離を置いて欲しい。君が望むのなら、試験を中止し、私を失格にしてもいい――いや、『試験艦』に恋をしてしまったなんて、そもそも失格に値する行為なのかもしれないね……」

 

夢をとる。

それは、羽黒が諦めてくれて、試験に協力してくれることが前提である。

だとするのなら、もう――。

 

「私は夢を諦められない……。だが、それを叶えるのが今でなくてもいい……。少なくとも、今の私には、その資格はないようだ……」

 

「…………」

 

「やはり、終わらせよう……。試験は……私の『失格』だ……。これ以上続けても、お互いに苦しくなるだけだ……」

 

羽黒は俯くと、小さくこぶしを握った。

まるで、何かに耐えるかのようにして――。

 

「ありがとう、ここまで付き合ってくれて……。そして、すまなかった……」

 

そう言って立ち去ろうとする私の背中を、羽黒はそっと、抱きしめた。

 

「……羽黒」

 

「嫌です……。この生活を終わらせることも……司令官さんとお別れすることも……」

 

羽黒の手が、徐々に――。

 

「お、おい……! 何をして……!」

「――私はっ!」

 

その手は、小さく震えていた。

 

「私は……それでも……貴方の事が……好きなんです……。失いたく……ないのです……」

 

彼女は再び、私にキスをした。

心臓の音がうるさくて――だが、それが自分のものなのか、はたまた羽黒のものなのか、よく分からなかった。

 

「羽黒……」

 

「私……初めてなので……優しくしてください……」

 

膝が崩れ、心までもが堕ちて行く。

何かを探るかのように、羽黒は、何度も何度も、私にキスをした。

視界が狭くなって行き、やがて羽黒の事しか見えなくなった。

気が付くと私は、羽黒の事を押し倒していて――。

 

 

 

 

 

 

そこまで言うと、上官は涙を流した。

 

「上官……」

 

「自分を律することが出来なかった……。本当に……情けない……」

 

普段の上官からは想像も出来ないほどに、彼の言う情けない姿が、そこにはあった。

 

「……それから、羽黒とはどうなったのですか?」

 

「……行為が終わった後、私は本部に出向いて、全てを自白した。当然、試験は失格になった……。羽黒とは、それっきり会っていない……。会わない様にと、命令を受けたのだ……。羽黒は、何度か私に連絡を取ろうと必死だったようだが、その後、同じ試験を受けに来た男と結婚したそうだ……」

 

俺は、何も言えなかった。

何と言ってやればいいのか、分からなかった。

 

「それっきり、私は夢を諦めた……。佐久間は、何度も、諦めないよう説得してくれたが……私はもう駄目だった……。何もかも失って……立ち直ることが出来なかったのだ……」

 

上官にそんな過去があったとは……。

あまり自分の事を語りたがらない人だとは思っていたが……。

 

「すまない……。情けなく泣いてしまった……」

 

「いえ……」

 

「ここからが本題だ……。君の父親……佐久間が、どうして島を目指したのか……」

 

上官は涙を拭うと、再び語り始めた。

 

 

 

 

 

 

私が完全に夢を諦めたことを悟った佐久間は、ある日、驚きの行動に出た。

 

「真奈美さんと離婚した……?」

 

「えぇ……」

 

「それはまた……どうして……」

 

「試験を受けるためです」

 

「試験って……『適性試験』のことか……!?」

 

「えぇ、そうです」

 

私の驚愕に対し、佐久間は驚くほど冷静であった。

 

「何を考えているんだ!? 試験の為に離婚って……!」

 

「真奈美も理解してくれました。むしろ、応援してくれているほどです」

 

「……だとしても、一体、どういう心境の変化が……」

 

私はハッとした。

 

「まさか、私のかわりに……という訳か……?」

 

佐久間は何も言わなかった。

 

「馬鹿な真似を……! 私がいつそんな事を頼んだ!?」

 

「……確かに、きっかけは、坂本さんが夢を諦めたことにあります。けど、艦娘の『人化』には、私にも思うところがあるのです。貴方が出来ないというのなら、私がやるまで……。そう思ったのです……」

 

「……分からん。全く分からん……! どうして家族を捨ててまで、そんなことを……!」

 

「家族は捨てていません。私は必ず、家族の元に帰ります。全ての艦娘を『人化』させて……」

 

佐久間の意志は本物であった。

語りはしなかったが、佐久間にも何か、艦娘の『人化』に対して、強い意志があったようだ。

 

「……本気なのかね?」

 

「そうでなければ、離婚なんてしません」

 

「そうかもしれないが……」

 

「それに、『試験艦』も見つかっているのです」

 

「『試験艦』が? それは一体……」

 

「吹雪さんです」

 

「吹雪さんって……確か、先日、旦那さんを亡くされたという……」

 

「えぇ……その吹雪さんです……。彼女は、私が試験を受けるのであれば、『試験艦』に立候補してくれると、約束をしてくれました」

 

どうして吹雪さんが、そんな約束を佐久間にしてくれたのかは分からない。

そもそも、どうして出会ったのか……。

 

「とにかく、そういう事です。上にはこれから、話をつけてきます。その前に、どうしても、坂本さんには伝えておきたかったのです」

 

佐久間は私の手を取ると、真っすぐな瞳で、こう言った。

 

「もし私が試験に受かったら、サポートを坂本さんに頼みたいのです。引き受けてくれますよね……?」

 

それは、お願いというよりも、確認のようであった。

「まだ、艦娘の『人化』を諦めていないのだろう?」とでも、問うかのような――。

 

「坂本さん……。私には、貴方が――いえ、艦娘には――あの島の艦娘には、貴方が必要なんです……。貴方となら出来る……。艦娘の『人化』を夢に持っていた貴方になら……貴方となら……!」

 

「…………」

 

「坂本さん……!」

 

佐久間の熱意に、私の中にあった――忘れていた気持ちが、再び燃え出すのを感じた。

そしてそれは、涙となってあふれ出したのだ。

 

「坂本さん……」

 

「……馬鹿者。そんな事を言われたら……協力せざるを得ないではないか……」

 

「では……!」

 

「あぁ……協力する……。いや……させてくれ……。私の代わりに……艦娘の『人化』を成してくれ……」

 

「……はい! もちろんです!」

 

「……ありがとう、佐久間」

 

 

 

それから一年後。

佐久間はたった一年で試験を合格し、島への切符を手に入れた。

出発する日、佐久間は言った。

 

「すべての艦娘を『人化』するまで、本土には帰りません」

 

それが、佐久間の覚悟であった。

事実、佐久間が島を出てからの十年間、一度たりとも島を出ることはなかった。

私は、そんな彼を支えるべく、裏で色々と動くことにした。

時には、彼の体調を確かめるという名目で、島に行ったこともあった。

――泊地までだけどね。

 

「大淀、紹介するよ。坂本さんだ」

 

「大淀です。提督から話は聞いております。色々とサポートしていただいているようで……」

 

「いや、私は……」

 

「坂本さんはな、かつて、島を目指した男で、誰よりも艦娘の『人化』に力を入れていてな?」

 

「ふふ、提督。その話、何回目です?」

 

佐久間は本当に優秀な奴だった。

私なんかよりも、はるかに適性があって、たった数年で何十隻もの艦娘を『人化』へと導いていった。

そして、『人化』した艦娘の全てが、佐久間を尊敬し、佐久間の言葉によって、自ら『生きる事』を選択していたのだ。

 

 

 

佐久間が島で活躍している間、私は何度か、真奈美さんと密会していた。

 

「こんな形でしか会えないことをお許しください。私にも、立場と言うものがあるので……」

 

「いえ、こうしてお話をしていただけるだけでも……」

 

会っていた理由は、主に佐久間の様子についての報告であった。

 

「――そうですか。元気にしているようで良かったです」

 

「えぇ……。真奈美さんの方はどうですか? 息子さん、そろそろ小学校に通う頃でしょう。金銭面など大変であれば、支援する用意はあります」

 

「私たちの事はいいのです。坂本さんは優しい方ですから、きっと、あの人に報告しちゃうでしょう? 変に心配をかけたくないのです」

 

「しかし……」

 

「本当に大丈夫なんです。ですから、もっとあの人の話を聞かせてください。この前、利根という艦娘が島を出たと聞きました。それもあの人の?」

 

真奈美さんは、佐久間に心配をかけまいと、私に何も話してはくれなかった。

私も多くは詮索しなかった。

だが、ある日――。

 

「真奈美さん、やつれているように見えますが……大丈夫ですか……?」

 

「え、えぇ……。最近、ダイエットを始めまして……」

 

すぐに嘘だと分かった。

ダイエットにしては、あまりにも――。

 

「ですから、心配なさらないで。それよりも、あの人の話を――」

 

 

 

私は、悪いとは思いつつも、真奈美さんの事を調べることにした。

何かあったに違いないと。

そして、知ってしまった。

彼女が、癌であると――。

 

 

 

 

 

 

上官は悔やむように、俯き、こぶしを握った。

 

「彼女の病を知った時には、もう遅かった……。全身に癌が転移していて、永く生きられないとのことだった……」

 

知っている。

知っているさ。

だから俺は――。

 

「私は、真奈美さんに言った……。佐久間にこの事を伝えよう、と……。だが……」

 

「『あの人に迷惑はかけられない』。そう言ったんですよね……?」

 

「!」

 

「私も、同じことを母に言いました……。佐久間肇に連絡を取ろう、と……。けど、母はそうしなかった……。そうすることを許してはくれなかった……」

 

「雨宮……」

 

そうだ……。

俺は、佐久間肇に戻って来てほしかったんだ。

母さんの為に……。

けど――。

 

「……実は、佐久間には伝えていたんだ」

 

「……!」

 

「あいつは最後まで悩んでいたよ……。私も強く説得をした……。一度は島を出る決意をしたそうだが、何かきっかけがあったようで、ついに戻ることはなかった……」

 

『実は……『とある事情』があってさ……この島を出るかどうか……迷っていてな……』

 

大井の言っていたことは、やはりそう言う事であったのか……。

 

「そして……十五年前のあの日……。真奈美さんは亡くなった……。奇しくも、同じ日に、佐久間も……」

 

「…………」

 

「その後、君は海軍の運用する『児童養護施設』に預けられた……。しかしそれは、君が佐久間の息子だからという理由ではなく、ただの偶然であった。だから、君の事を知った時は驚いたよ。こんな偶然もあるものなんだとね……」

 

上官はその頃から、俺の事を知っていたという訳か……。

だとしたら、何故――。

 

「何故、私が初対面のフリをしたのか……。そう思っているかね……?」

 

まるで心を読んだかのように、上官はそう言った。

 

「……それは、君が佐久間の事を恨んでいるのだと、知っていたからなんだ」

 

「……!」

 

「施設に入った君は、知ってしまったのだろう? 佐久間が『戦犯』と呼ばれてしまっていることを……」

 

「…………」

 

「だから君は、自分が佐久間の息子であることを皆に隠した。だがそれは、自分が『戦犯の息子』として、晒されることを恐れたからではない。そうでなければ、わざわざ海軍なんか志望しない。平穏に暮らすことを望むはずだ……。だが、君はそうしなかった……」

 

上官は真っすぐ、俺を見つめた。

 

「君は、自分が『佐久間肇の息子』であることが許せなかったのだろう……? それほどに、佐久間の事を恨んでいたのだろう……?」

 

俺は、何も言わなかった。

 

「君が海軍を志望した理由……。『艦娘を『人化』させる為』だったね……。それを見て、確信した……。君が、何をしようとしているのかを……」

 

上官は一呼吸置くと、俯き、優しく言った。

 

「真奈美さんへの弔い……なのであろう……?」

 

 

 

いつの間にか、雨は止んでいた。

恐ろしいほどの静寂が、部屋を包み込む。

 

「君が佐久間を――自分たちを捨てたのだと――単にそれだけの理由で恨んでいるのだとしたら、わざわざ海軍に入り、父親と同じ道を選ぶことなんてしなかったはずだ……。父親の汚名を返上することだけが目的なら、自分の正体を隠すことはしないだろうし、そもそも、そんな事をする理由が君にはない……」

 

「…………」

 

「……真奈美さんは最期まで、佐久間が全ての艦娘を『人化』出来ると信じていた。君もその事をよく知っているはずだ……。そして、真奈美さんと同じく、信じていたはずだ……。だが父親は、海軍では『戦犯』として扱われていることを知った……。真奈美さんは、自分の幸せを捨ててまで、佐久間に尽くしてきた……。なのに佐久間は、それを裏切ったのだ……。君は、それが許せなかったのだろう……?」

 

「…………」

 

「真奈美さんは佐久間を信じ、亡くなった。その信じた男が、結局なにも成せず、さらに汚点を生んだというのだから、浮かばれないよな……」

 

上官はそれ以上、何も言わなかった。

言わずとも、分かっているだろうと、言っているようであった。

 

「……だから上官は、佐久間肇の事を隠したのですか」

 

「あぁ……。そして、君の弔いに協力しようと思った……。佐久間の死には、私も大きくかかわっているからね……」

 

上官は再び、窓の外を眺めた。

 

「大井の件、私が君に厳しくしたのは、私と同じような道を歩んで欲しくなかったからなのだ……。長い時間をかければ、きっと君は、大井の心を開くことが出来たはずだ……。だが、大井のような艦娘は、時間をかければかけるほどに、開く心があまりにも大きくなりすぎて、羽黒のような『依存』に近い気持ちに昇華してしまう……。それを避けるため、つり橋効果を目的とした、短期決着を狙ったのだ……。それが君に大きな負担となり、心に大きな穴をあけてしまった……。君は私と違うのに……同じ道を歩まなかったかもしれないのに……。本当に悪い事をしてしまった……。申し訳ない……」

 

「上官……」

 

「思えば、君にはいろいろと厳しくして来たね……。私の失敗を繰り返してほしくなかったというのも強いが……本当はね……」

 

上官はもう一度、真っすぐと俺を見た。

その瞳は――。

 

「佐久間が君に出来なかったことを――父親らしいことを、私が代わりにしてあげたかったのだ……。君の父親に……なってあげたかったのだ……」

 

 

 

消灯の時間になり、上官は去って行った。

全てを話し終えた上官は、どこか安心したような表情を見せていた。

きっと彼も、俺と同じように、一人で苦しみを背負って生きて来たのだろう。

 

「…………」

 

上官の話を聞いた俺は、自分が空っぽになってしまったような感覚に襲われていた。

その理由は分かっている。

分かっているからこそ、認めたくはないのだ。

認めてしまえば、俺には本当に、何も残らなくなる。

 

「母さん……」

 

佐久間肇の事を恨んできた。

上官の言う通り、母さんの弔いなのだと、必死になってやって来た。

だが、知ってしまったのだ。

佐久間肇は――親父は、『戦犯』などではないのだと――。

母さんや俺の事を捨てたわけではなく、むしろ、母さんの為にやっていたことなのだと――。

 

『俺は今まで、艦娘の『人化』を成し遂げることが、『為』になることだと思っていた。俺が出来る唯一の事だと思っていた』

 

そうだ――。

親父は、俺たちを裏切った訳じゃない。

裏切らないよう、最後まで戦っていたのだ。

 

「だとするなら、俺はもう……俺にはもう……」

 

親父を恨む理由も――母さんを弔う理由も――俺には――。

 

 

 

強い光に目が覚める。

 

「おはよう、雨宮君」

 

どうやら山風が、カーテンを開けたようであった。

 

「もう8時だよ。珍しくお寝坊さんだったね」

 

「あぁ、何だかよく眠れてね」

 

「そっか。顔色も、大分よくなってるみたい。朝食、出来てるよ。着替えたら、一緒に食堂に行こう?」

 

「あぁ」

 

「じゃあ、部屋の外で待ってるね」

 

去って行く山風を見送り、俺はベッドから起き上がって、窓の外を眺めた。

昨日は、本当によく眠れた。

きっとそれは、俺が空っぽになったからなのだろうと思う。

それほどに、抱えていたものが、あまりにも重かったからなのだろうと思う。

 

「…………」

 

俺にはもう、母を弔う事も、親父を恨むことも――あの島に行く理由もなくなった。

何もなくなり、絶望するものだと思っていたが、今はどこか、とても心が軽くて、全てがきらめいて見える。

 

「……ごめんな」

 

それが、誰に向けた謝罪なのかは分からない。

まるで欠伸でもするかのように、自然と、抗う事も出来ず、口から零れ落ちていた。

 

「雨宮君、まだぁ?」

 

「あぁ、今行くよ」

 

カーテンを閉め、着替えてから、俺は部屋を飛び出した。

 

 

 

あれから数日がたった。

 

「島に戻らないだと……!?」

 

上官は驚愕のあまり、椅子を倒し、立ち上がった。

 

「えぇ……」

 

「正気か雨宮……!? だって、お前……!」

 

「色々考えた結果です。上官の言う通り、私は、今まで母の弔いになるのだと、頑張ってきました。でもそれは、あくまでも、親父が母の事を何も想っておらず、ただ死んでいっただけであること、そう思っていたからできた事なんです。親父が母を想い、想うが故に頑張っていたのだとするのなら、私からはもう、何もすることはありません」

 

「……分からん。全く分からん……! そうであるのなら、真奈美さんや佐久間の弔いの為にでも、艦娘の『人化』に尽力しようとするのが普通ではないのかね!? それに、君は、たったそれだけの為に、あの島の艦娘達を見捨てるのかね!? 君はそんな男じゃないはずだろう!?」

 

「買いかぶり過ぎですよ……。私は結局、何も成せていません……。親父とは違う、親父のようにはならない……ずっとそう思ってそうやって来たのです……。だから駄目だった……。親父は優秀だって、本当は気が付いていた……。なのに、目を逸らしてきたのです……」

 

「……まだ始まったばかりだろう。それに、確かに佐久間は優秀だったかもしれないが、欠点もたくさんあった。君は自分の失敗ばかりを――佐久間の成功ばかりを見て来たから、そう思ってしまうだけだ。君は優秀だ……。君以外、あの島の艦娘達を『人化』できる人材など――」

「――私は」

 

上官の言葉を切り、俺は優しく言った。

 

「私はもう、苦しみたくないのです。全てを知った今、私の心は穏やかなんです。そっとしておいてほしいのです……」

 

その言葉に、上官はただ俯くだけであった。

 

「ごめんなさい……。上官の夢を背負うことが出来なくて……」

 

「いや……私は……」

 

「あの島の艦娘達には、中途半端な希望を持たせてしまった……。本当に申し訳ない事をしました……。恨まれても仕方がありません……」

 

「雨宮……」

 

「けど……私はもう……」

 

その時であった。

非常事態を知らせる警報が、敷地内に響き渡る。

 

「何事だ!?」

 

上官と共に廊下へ出ると、皆が慌てた様子で外へ飛び出していった。

物騒な事に、武装をして――。

 

「ただ事ではないな……。私たちも外に出よう……」

 

「は、はい……!」

 

 

 

泊地の方で、野次馬が出来ていた。

何かを取り囲むように、武装した軍人が、銃を構えている。

 

「一体、何があったというのだ……!?」

 

よく見ると、泊地に重さんの船が停まっていて、どうやらそれを取り囲んでいるようであった。

 

「誰かに事情を聞いてくる……。君はここで待っていなさい……」

 

そう言うと、上官はどこかへ行ってしまった。

 

「直ちに船から出てきなさい!」

 

誰かが船に向かって叫ぶ。

 

「人質を解放しなさい……! 君は包囲されている……!」

 

人質。

船をジャックされたという事だろうか。

 

「待て! 武装を解除しろ! 俺ぁ無事だ!」

 

船から出て来たのは、重さんだった。

 

「雨宮! 分かったぞ!」

 

「上官」

 

「驚くなよ……。あの船に乗っているのは……」

 

その時、重さんが叫んだ。

 

「そうだろう? 大井!」

 

「え……?」

 

重さんに声をかけられて、大井は恐る恐る姿を現した。

 

「大井……」

 

「雨宮……。どうやら大井は、重さんが物資を運んでいる間に、船に侵入したらしい……。そして、本土に連れて行くようにと、重さんを……」

 

大井はきょろきょろと、何かを探すかのように、辺りを見渡した。

そして、俺と目が合うと、船から飛び降り、走り出した。

 

「とまれぇ!」

 

銃口が一斉に大井に向けられる。

大井はそれに構うことなく、俺の胸に飛び込み、強く抱きしめた。

 

「大井……お前……! どうして……!」

 

瞬間、『かかれ!』との叫び声と共に、俺と大井は引き離された。

 

「大井……!」

 

取り押さえられる間際、大井は小さく笑って見せた。

それにどんな意味があるかのかは分からなかった。

だが――。

 

「雨宮君! 大丈夫!?」

 

「山風……」

 

「怪我はない……?」

 

「あ、あぁ……大丈夫だ……」

 

大井は拘束され、どこかへ連れ去られてしまった。

 

「雨宮……」

 

「…………」

 

ふと、遠くに見える島に目を向けた。

どうしてそうしたのか、自分では分からない。

だが、大井のあの顔を見た時、はっきりと思い出したのだ。

あの島にいる艦娘達の顔を――。

あの苦悩の日々を――。

 

「あ、雨宮君……!?」

 

潮風に吹かれ――頬だけが冷たくて、それに気が付いた。

空っぽなのに、苦しむ必要もないのに、確かにそれは頬を伝っていた。

どうしてなのかは分からない。

 

「雨宮……」

 

上官は、その理由が分かっているようで――されど何も言わず、ただ俺の涙を拭ってくれた。

 

――続く

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