「大井は、別に俺を脅したりはしてねぇよ。ただ、お願いされたんだ」
「引き返すことも出来たと?」
「あぁ、そうすることも出来た。大井を本土に連れて来たのは、俺の意思だ」
松尾重光。
『重さん』と呼ばれるその男は、悪びれもせず、ただ淡々とそう答えた。
「重光さん、貴方、自分が何をしたのか分かっているのですか? これは重大な規約違反ですよ?」
「んなこた分かっているさ。俺ももう歳だし、いい幕引きになったと思っているさ」
事の重大さが分かっていないというよりも、命が惜しくないと言った感じだ。
「……とにかく、どうして大井の言いなりになったのですか? 貴方はあくまでも、中立な人間であると聞いていますが……?」
男は、何かを思い出すかのように目を瞑ると、真剣な口調で私に問いかけた。
「あんた、自分の命をかけてでも、会いたい人ってのはいるかい?」
「……何の話ですか?」
「俺は言ったんだぜ? 本土に行けば、慎二に会えるかもしれねぇが、『人化』は免れないんだぜってよ。そしたらあいつ、即答しやがった。あんなこと言われた日にゃ、俺だって協力したくなるってもんだ。まるで……あぁ、そうだ……」
男は海を見た。
その瞳は、どこか――。
「ありゃ、そうだ……。50年前の『あの人』と同じだ……」
男は優しく微笑むと、『あの人』が言ったという――大井が言った台詞を教えてくれた。
『死ぬことよりも、あの人に会えないことの方が、とても恐ろしいことのように思えたのです』
『不死鳥たちの航跡』
「大井は、君との面会を強く望んでいる」
会ったこともない、どんな階級かも分からないお偉いさんが、俺の病室を訪ねて来て、そう言った。
「島を出た以上、戻ることが許されないのは、大井も承知の上だと言っていた。『人化』にも、同意するつもりだとのことだ。ただ、条件として、君との面会を……とのことだ」
お偉いさんは、何やら俺の顔をまじまじと見つめた。
「本来なら、そんなことは許されないのだが……。どういう訳か、君を支持する声が多くてね……。『雨宮に会わせてやって欲しい』だとか、『雨宮なら解決してくれる』だとか……。全く、何がどうなっているのやら……」
何故、こんな男が……とでも言いたげに、お偉いさんはため息をついた。
「そういう訳で、今回は特別措置として、面会を許可した。だが、くれぐれも余計な事はしてくれるな。大井が『人化』すれば、十数年ぶりの快挙だ。低迷した海軍の評価を見直してもらえる、千載一遇のチャンスだ。それが君の腕にかかっていることは、正直癪ではあるのだが……。とにかく、失敗は許されない。頼んだよ」
お偉いさんは、俺の肩をポンと叩くと、そそくさと部屋を出て行ってしまった。
入れ替わるように、山風が部屋にやって来た。
「雨宮君、今のは?」
「さぁ……なんか偉い人らしい」
「そうなんだ。なんかすごく偉そうで、嫌な感じだったね」
「実際、嫌な人だったよ」
そう言ってやると、山風はくすくすと笑った。
「大井さんとの面会……受けるの……?」
「あぁ、大井が何を思っているのかは分からんが、それを知るためにもね」
「そっか……」
山風は近くにあった椅子に座ると、不安そうに俺の手を握った。
「山風?」
「雨宮君……無理はしなくていいんだからね……?」
「え?」
「大井さんが来た時……雨宮君、泣いてたでしょ……? なにか、辛い思いをしたんじゃないかって……」
あの涙の理由は、俺自身、未だによく分かっていない。
「雨宮君は……ずっと頑張って来たんだし……。別に……逃げてもいいんだからね……? 無理に頑張らなくても、誰も雨宮君を責めたりしないよ……?」
「あぁ……ありがとう、山風。でも、大井との面会は、受けることにするよ。そして……それを最後の仕事ととしようと思ってる……」
「最後……それって……」
俺は、上官に伝えた事と同じように、もう島には戻らないことを説明した。
「そっか……」
「ごめんな……。色々世話してもらったのに、結局、こういう選択をしてしまって……」
「う、ううん……! 雨宮君の選択は、悪くないよ……! むしろ、いい選択だと思う!」
「山風……」
「そっか。じゃあ、これからは、もっとたくさんの事が出来るね! 今までできなかったこととか、全部!」
「あぁ、そうだな」
「楽しみだね! 雨宮君、どこか行ってみたいだとか、やってみたいことってある?」
「そうだな……。のんびり旅行とかしてみたいかな」
「だったら、北海道とかいいよ! のんびりしてて、ご飯も美味しいし! 今度一緒に行こうね!」
「一緒に?」
山風はハッとすると、顔を赤くして、焦りだした。
「え、えと……! い、今のは、あの……」
「……一緒に行ってくれるか?」
「え……?」
「一人旅だと味気ないしさ。それに、山風となら、きっと楽しい旅になると思うんだ」
「雨宮君……。う、うん! 行こう! 一緒に! えへへ! 楽しみだね!」
「あぁ、そうだな」
満面の笑みを浮かべる山風に、俺の心は洗われるようであった。
それと同時に、心の底から、楽しみになっている自分に気が付いた。
これからの楽しい思い出に全部、山風が居たらいいのに。
なんて。
嗚呼、きっと、この気持ちこそが――。
大井との面会が迫る中、次に俺の部屋を訪ねて来たのは、鈴木であった。
「よう」
「鈴木……!」
「見舞いに来てやったぜ。ほら、お前の好きな缶コーヒー。外にしか売ってねぇからよ。感謝しろよ」
鈴木は缶コーヒーを投げると、椅子にドカッと座った。
「あ、あぁ……ありがとう……」
早速、缶コーヒーに口をつける。
今すぐ飲みたいという訳ではなかったのだが、何だか気まずくて、すぐに開けてしまった。
「来ると思ってなかっただろ」
そう言われ、ドキッとした。
正直、鈴木が見舞いに来るなんて、思っても無かった。
――前に喧嘩をしてしまったのもあるしな。
「お前、島に戻らないんだってな? 坂本上官から聞いたぜ」
上官、鈴木に話したのか。
「お前が本当に戻らなかったら、控えの俺が出向することになるんだってよ。んなもんで、真実を確かめにお前のところに来たって訳だ」
なるほど、そういう訳か。
なんだかホッとした。
「なんだよ?」
「いや……。そうか。上官から聞いたんだな。その通りだよ。俺はもう島には戻らない」
俺の事を煽るか、それとも、喜んで見せるか。
どちらかの反応を期待したが、鈴木は小さくため息をつくだけであった。
「そうか……」
鈴木は、窓の外の島を見つめた。
だが、その目に映っている景色は、どこか違ったものの様に見えた。
「……おめでとう、鈴木。夢だって、言っていたもんな」
「あぁ……そうだな……」
自分で言うのもなんだが、あの島に出向出来るって事は、結構名誉な事だ。
ましてや、鈴木は昔から、あの島へ行くことに憧れていた。
そのはずなのに――。
「……どうして嬉しそうじゃないんだ?」
「……どうしてだろうな」
嬉しくないことは否定しないのか。
すると……一体……。
「慎二……」
「なんだ?」
「お前……本当に島に戻らないのか……?」
「え?」
「大井との面会があるだろ……? そこで、揺らいだりしないか……?」
そう言うと、鈴木は俺をじっと見つめた。
その表情は、どこか不安そうであった。
「どうなんだ……?」
「どう……って言われてもな……」
「もし大井に説得されても、はっきりと断れるか……? どうなんだよ……?」
俺を説得している、というよりも、今すぐにでも不安を拭い去りたいという様子で、鈴木は俺に問い掛けてきている。
「おいおい、一体、どうしたって言うんだよ? 何をそんなに……」
「……お前が本当に島に戻らないというのなら、俺にも色々と諦める覚悟が出来るってもんなんだ。だが、もしそうでないというのなら……」
何か、島に行くには未練が残る。
そう言う事なのだろうか。
「鈴木、お前……何かあったのか……? 今のお前は、どうしても島に行きたくないって感じだぞ……」
「……そういう訳じゃねぇよ」
「じゃあ……一体なんだって……」
その時、部屋の扉がノックされた。
「雨宮さん、そろそろ面会の時間です」
「あ、はい」
鈴木は何も言わず立ち上がると、そのまま部屋を出て行こうとした。
「鈴木」
鈴木は立ち止まると、表情を見せることなく、俺の言葉を待った。
「……缶コーヒー、ありがとう。それと……この前は悪かったな……」
「……あぁ」
そう返事をして、鈴木は去って行った。
缶コーヒーのお礼、そして、この前の謝罪。
どれ一つとっても、今の鈴木にはどうでもいいことのように聞こえたのか、返事もどこか、空を向いていた。
大井が居るという部屋に近づくにつれ、何だか緊張している自分が居た。
「こちらです。私はここまでしか案内できませんので」
「そうか。ありがとう」
物々しい扉が、そこにはあった。
まるで金庫のそれだ。
「よっと……」
扉の向こうには、またさらに部屋があった。
そこに、先ほどのお偉いさんがいた。
「来たか……」
薄暗いその部屋は、大井がいる部屋を監視するための部屋らしく、いくつもあるモニターには、いろんな角度からの大井が映し出されていた。
「随分大げさな部屋に閉じ込められているのですね」
「あんな小娘でも、一応、兵器であるからな。厳重にもなる」
大井を知らない奴からすると、そういう印象なのか。
「この扉の向こうに、さらに扉がある。その扉を開ければ、大井と面会できる」
「そうですか。では……」
「おいおい、待ちたまえ! 普通、そんなにあっさり会うものか!? もっとこう、心の準備だとか……」
「まあ、少し緊張しますが、特にそういった準備は……」
お偉いさんは、唖然とした表情を見せていた。
確かに、本来、艦娘と会うという事は、心の準備が必要な事なのだろう。
特に、島の奴らの事を知らないのなら、尚更。
「……まあいい。君のタイミングに任せるよ。いいか? くれぐれも、余計な事はしてくれるなよ?」
「分かってますよ。では、行ってきます」
重い扉を開け、もう一枚の扉を開けようとすると、警報が鳴った。
「一枚目の扉を閉めないと、開かない仕組みなんだ」
言われた通り、一枚目の扉を閉める。
すると、恐ろしいほどの静寂が訪れた。
「防音か……。徹底してるぜ……」
二枚目の扉に手をかける。
「…………」
一瞬の躊躇いののち、俺は扉を開けた。
すぐに目に入ったのは、大井の姿……ではなく、壁の全面を覆う、クッションのようなものであった。
「なんじゃこりゃ……」
これじゃあ、まるで……。
「久しぶり」
声の方を向く。
居るのは分かっていたはずなのに、その姿を見た時、俺は何故か、驚いてしまった。
「大井……」
「フッ、何その顔? まるでお化けでも見たかのようじゃない」
そう言うと、大井は微笑んで見せた。
机や椅子――とにかく硬そうなものは、全て柔らかい素材で覆われていた。
「異常な部屋だな」
そう言ってやると、大井は面を食らった顔をした。
「やっぱり、変な部屋だったのね。てっきり、私が知らないだけで、こういう部屋が普通な時代になったのかと思ったわ」
大井なりのジョークかと思ったが、どうやら、本当にそう思ったようであった。
そりゃそうか。
70年間、あの島に居たんだもんな。
そうも思うよな。
「お前が思っているほど、何も変わっちゃいないよ」
「車が空を飛んだり、タイムマシーンが開発されたり?」
「ないな。車は……まあ、近いものはあるかな」
俺たちは少しばかり雑談をした。
本当に話したいこと、本当に聞きたいことは、お互いに切り出すことをしなかった。
――いや、或いは出来なかったのだろうと思う。
「北上さんは元気?」
「あぁ、元気だ。お前の帰りをずっと待っていた」
俺はあえて、待ってい『る』ではなく、待ってい『た』と言った。
それが何を意味しているのか、大井も分かっているようであった。
……切り出すなら今だろう。
「……どうして島を出て来た」
言葉を詰まらせるだろうと思ったが、意外にも、大井は即答した。
「あんたに会う為よ」
その表情は、とても穏やかなものであった。
全てを覚悟してやって来た――という感じだ。
「十日間で戻ってくるとは聞いていたわ……。でもきっと、あんたは戻って来ないのだろうと思った。だから会いに来たの」
驚いた。
――いや、そんな理由で島を出た事に……というのもそうだが……。
「……どうしてそう思ったんだ?」
「どうしてかしらね……」
全く分からない、というよりも、知ってはいるが言いたくない、とでもいうように、大井は目を逸らした。
「まあいい……。一番分からないのは、どうして俺に会う為だけに、島を出たのか、だ。島を出ることを恐れていたお前が……一体、どうして……」
「前に言ったじゃない。あんたが島を出るのなら、私も一緒に行くって……。あんたとなら、怖くないって……」
「そうかもしれないが……」
あの時は、色んな感情が俺の中にあったから、大井の行動を簡単に受け入れることが出来た。
だが、冷静になって考えてみると……どうも……。
「……正直、島を出る理由については、色々と考えたのよ。というより、考えなきゃいけなかった。島を出て、あんたと会って……どんな理由で出て来たのか、どう説明すればいいのかって……」
「……どういうことだ?」
大井は小さくため息をついた。
「鈍感ね……。まあ……はっきり言えない私も私なんだけど……」
大井は頬杖を突くと、何もない場所に視線を移した。
そして、退屈そうに――だが、どこか恥ずかしそうに、言った。
「あんたが戻って来ないだろうと思ったことは、嘘……。まあ……厳密に言えば嘘じゃないんだけど……。とにかく……なんていうか……そう思ってしまったというか……そう思ったことに動かされたというか……」
ハッキリとしない大井。
それにイラついているのは、誰でもない大井自身であるようで、終始、貧乏ゆすりをしていた。
「だから――あぁ、もう……! どうしてハッキリ言えないのよ……! うぅ……」
大井は机に伏すと、しばらく動かなくなった。
「大井……?」
「……ちょっと待って。ちゃんと言うから……」
永い沈黙が続く。
しばらくして、大井は顔をあげると、何か決意したように、俺の目をじっと見つめた。
「わ、私は……! あ……あんたが……その……あの……す、好き……みたいな……感じなんだと……思う……の……」
「…………」
俺が唖然としていると、大井は怒り出した。
「な、なによ……!? 笑いたければ笑えば……!?」
「え……あ……あぁ……ははは……?」
「――っ!」
大井は再び、顔を伏せてしまった。
「もう最悪……。言うんじゃなかった……」
「す、すまん……。変な事言わせてしまって……」
「……あんたは悪くないわよ」
あげられた大井の顔は、今まで見たこともないほどに、赤く染まっていた。
「はぁ……」
「だ、大丈夫か……?」
「……大丈夫なわけないでしょ? 初めてなんだから……告白したの……」
そう言うと、大井は横目で俺の反応を見た。
「その……俺の事が好きだから、島を出たって事か……?」
「……そう言ってるでしょ」
そうは言ってなかったと思うが……。
「……あんたが島を出て行った時、不安になっている自分が居たの。もしかしたら、もう戻って来ないこともあるんじゃないかって……」
それはそれで、都合がいい事だと思いそうなもんだがな。
「十日間と聞いた時は、ホッとしたわ……。でも、日数が経つにつれて、また不安になってる自分が居た……。どうしてこんなにも不安になるのか……私には――いえ、本当は分かっていたのだけれど、無視してきたの……。認めたくなかったの……」
大井は再び頬杖を突くと、俯きながら言った。
「あんたに会いたかった……。あんたの事でいっぱいだった……。私はあの日から――あんたと島を出てもいいって思えたあの日からずっと、あんたとの生活を想ってきた……。あんたと話がしたくて――あんたに触れたくて――そういう気持ちが『好き』だって気が付いて――それで――」
大井は俺の手を取った。
「大井……」
「少しでも早く……あんたに会いたかった……。その為なら……島を出てもいいって……。むしろ、その方が、あんたと永くいられるって……同じ時間を共有できるって……そう思ったの……」
大井の気持ちが、俺にはよく分からなかった。
それほどの強い想いを、誰かに向けたことが無かったから――。
明石の顔が――山風の顔が――だが、その気持ちすらかすむほどに、大井の気持ちは――。
「色んな言い訳を考えて来たけど――照れ隠しをしてきたけど……やっぱり、はっきり言わないと、あんたは分からないわよね……。そういう男だものね……」
「……よく知ってるじゃないか」
「嫌いなものほど、よく知るものよ……。それが好きになったのだから、今はもう……貴方しか見えないわ……。自分の命なんか、かすむほどにね……」
大井は俺に近づくと、少し躊躇いがちに――緊張した面持ちで、そっとキスをした。
抵抗する気は起きなかった。
それほどに、大井の気持ちは純粋だった。
「キスって……レモンの味だって聞いていたのだけれど、コーヒーの味に似ているわね……」
照れ隠しだったのだと思う。
「……さっき、コーヒーを飲んだからな」
そう返してやると、大井は恥ずかしそうにそっぽを向いた。
変な空気が流れるかと思ったが、そんなことはなく、大井はすぐにいつもの調子を取り戻した。
「まあ、そういう事よ……。だから島を出たわけ。で、あんたはどうなのよ? 島に戻る気、ないの……?」
「え……?」
「さっき、島に戻って来ないかもしれないって私が言った時、あんた、核心を衝かれた顔をしていたから……」
俺は思わず自分の顔に触れた。
「……どうして戻らないのよ?」
「どうしてだろうな……」
その返答の意味が分かったのか、大井は小さくため息をついた。
「あの娘たちの事はどうするつもりなのよ……?」
「俺よりも優秀な奴が、出向することになる」
「みんなはあんたを待っているのよ……? あんたが豪語していたことを信じて、それについていこうと決意した人たちの気持ちを踏みにじるって訳……?」
「結果として、そうなるだろうな……。だが、俺でなくていいし、俺にしかできないことではない」
大井は、怒ったり、呆れるわけでも無く、ただ悲しそうな瞳で俺を見つめた。
「そう思ってしまうほど……私たちはあんたを追い詰めてしまったのね……」
「違う……。お前たちの所為じゃない……。俺がただ弱かっただけだ。それに、理由はそれだけじゃないんだ」
「え……?」
「実は……」
大井に全てを話そうとしたとき、ふと、監視カメラに目が行った。
別に、もう全ての真実を知られてもいいと思ったが、何故か言葉が出てこなくなってしまった。
「……実は、なによ?」
俺は黙り込んでしまった。
全てを話せばいいはずなのに、どうして俺は――。
「提督」
そう呼ばれ、思わず顔をあげた。
俺をそう呼んだのは――当然だが、大井であった。
「ほら、顔をあげた」
「え……?」
「あんたは、あの島の『提督』なのよ。どんなに気持ちが変わろうと、あんたはそれを自覚してる」
「いや……今のは、ただ驚いただけで――」
「――信じてるから」
大井の真剣な目が、俺を見つめていた。
「あんたのこと……信じてるから……」
「大井……?」
その時、部屋内にブザーが鳴り響いた。
「どうやら時間のようね……」
「時間……?」
「面会の時間よ……。実は、決められていたのよ……。永遠って訳にもいかないでしょ?」
そう言うと、大井はもう一度、俺にキスをした。
「大井……」
「次に会う時には……私はきっと、『人化』してると思う……。艦娘としての最期の思い出が、貴方と過ごす時間で、本当に良かったわ……」
再びブザーが鳴る。
「もう行って……。あの島で、皆が待ってるわ……」
「しかし……」
「信じてるからね……。提督……」
そう言って、大井は小さく笑って見せた。
艦娘としての彼女の姿を見たのは、それが最後であった。
気が付くと、俺はいつもの部屋に居た。
どうやって戻って来たのかは、よく覚えていない。
「信じているから……か……」
島に戻る気はない。
だが、俺自身、何か迷いがあるのか、全てをさらけ出すことが出来なかった。
自分の気持ちにピリオドを打つには、それが必要なのに。
「慎二。居るか?」
ノックもせず、扉を開けたのは――。
「重さん……!」
「おう」
遠慮も何も知らない重さんは、大きな荷物を持って、近くにある椅子に座った。
「どうしたんだ重さん? よく来れたな」
色んな意味で。
「坊に無理言って、入れさせてもらったんだ」
「坊?」
「坂本の坊主だよ。てめぇの上官だ」
上官、重さんに坊って呼ばれているのか……。
流石というかなんというか……。
「体調はどうなんだ?」
「ばっちりだ。特に異常はないさ」
「そうか……」
重さんは椅子に座りなおすと、小さくため息をついてから、言った。
「実はな? 俺ぁもう、てめぇを運んでやれなくなっちまったんだ」
「え?」
「今回の大井の件、それで叱られちまってな。まあ、クビってやつだわな」
「クビって……重さんが……?」
「ほかに誰がいるってんだよ」
重さんは笑ったが、俺は笑えなかった。
「そんな顔すんな。俺も、もういい歳だからよ。引退も考えてたんだ。いいきっかけになった」
そうは言っても、重さんはどこか寂しげであった。
「当然、海軍本部に出入りも出来ねぇ。だから、てめぇに会うのも、これが最後だ」
「重さん……」
「最後に、てめぇに言いたいことがあって、ここに来たんだ」
「言いたいこと……?」
「あぁ……ずっと隠してきたことだ……。てめぇの親父、そして、吹雪さんの事だ……」
「親父と……吹雪さんの事……?」
その二人の関係性については、特に疑問はなかった。
疑問に思ったのは、その二人について、どうして重さんが出てくるのか、という事であった。
「話は五十年前に遡る」
そんなに遡るのか。
「俺がまだ、船乗りの見習いとして、親父の船に乗っていた頃だ。俺の親父は、海軍上がりの船乗りでな。ここいらでは有名だったんだ」
あの頃はまだ、艦娘を人化する技術どころか、艦娘を人化出来る事すら知られていなかった。
終戦から二十年も経っているのに、艦娘はずっと、あの島に閉じ込められていたんだ。
そんなある日、雨野愛という一人の女性が、とある細菌を発見した。
『ヘイズ』と名付けられたその細菌は、艦娘を艦娘たらしめるものであることが分かった。
詳しいことは分からねぇが、その細菌から、艦娘を『人化』する『技術』が生まれたらしい。
――そうだ。
『ノベル』と呼ばれている技術だ。
――まあ、そんな事はどうでもいいんだ。
とにかく、人類は艦娘を『人化』する技術を手にした。
そして、初めて『人化』に同意したのが、吹雪さんだった。
吹雪さんの『人化』が決まり、その海運を任せられたのが、俺の親父だった。
俺はそれに同行することを許され、吹雪さんの世話を任せられた。
――今思えば、どうして俺にそんな事が許されたのか、本当に分からねぇ。
まあ、その頃はまだ、艦娘に対して恐怖を抱く奴は少なかったし、世界情勢も平和なものであったから、色々緩かったんだろうな。
「松尾重光だ。吹雪さん、あんたの世話を任せられた」
「そうですか。よろしくお願いします」
艦娘を見たのは、それが初めての事だった。
あまりにも幼い顔をしていたものだから、すげぇ驚いたのを覚えている。
こんな子供が――と言っても、推定年齢は俺と同じだったんだがな――化け物と戦っていたんだってよ。
「聞いてもいいかい?」
「はい、なんでしょう?」
「どうして『人化』に同意したんだ? あんたら艦娘は、不老なんだろう?」
吹雪さんは、小さく笑って、こう答えた。
「会いたい人がいるんです。その人に会う為に、私は生きることを選んだ」
「会いたい人……?」
「私の司令官です。二十年前、一緒に戦ったその人に、私は会いたいのです」
「人に会う為だけに、不老であることを捨てるってのか? すげぇなあんた」
「そうでしょうか?」
「あ?」
「重光さんは、死ぬのが怖いですか?」
「そりゃ、怖いぜ。出来ることなら、老いたくもねぇ。なんだ、あんたは違うってのか?」
吹雪さんは小さく頷くと、優しい顔でこう答えたんだ。
あの時の顔は、今でも忘れられねぇ。
「死ぬことよりも、あの人に会えないことの方が、とても恐ろしいことのように思えたのです。だから私は、『人化』に同意したのです」
それから、吹雪さんとは何かと縁があってな。
司令官だという男と結婚した時も、式に呼ばれたりしたんだぜ。
俺がこの仕事を引き継いだのをきっかけに、交流は少なくなっちまったが、年賀状のやり取りだとか、そういうのは続いていたんだ。
年月は経ち、坊が試験を受ける事になった時、そいつは俺の前に現れた。
「こちらに、松尾重光さんはおられますか?」
「あ? 俺がそうだが……。まだ尻の青そうなガキが、俺に何の用だ?」
「佐久間肇と申します。実は、松尾さんにお願いがあって参りました」
「俺にお願い?」
てめぇの親父は、俺に頭を下げると、こういった。
「艦娘の事について、ご指導いただきたい。海運を任せられ、艦娘を見て来た貴方に、是非教わりたいのです」
面倒くさい奴が来たと思った。
だから、俺は理由も聞かず、断ってやったんだ
けど、そいつは毎日毎日、雨が降ろうが槍が降ろうが、俺の元へとやって来た。
そんなもんだから、俺も参っちまってな。
教えてやることにしたんだ。
聞くと、先輩の為に――坊の為に勉強しているのだというじゃねぇか。
「んなもん、てめぇが来いと坊に言っておけ」
「坂本さんは試験中で、滅多に動けないんです。だから、俺が今の内に、情報を集めないといけないと思って」
「随分、先輩想いなんだな」
「世話になってますから。全ての艦娘を『人化』する。それがあの人の夢なんです。あの人にならそれが出来る。俺は、少しでもその力になりたいんです」
全ての艦娘を『人化』する。
その言葉を聞いた時、俺は、いつだったか、吹雪さんが零した言葉を思い出していた。
『司令官の夢は、全ての艦娘が『人化』して、幸せに暮らす姿を見る事なんです。私の夢でもあります』
もし、坊に、その力があるというのなら――。
「てめぇに紹介したい人がいる」
てめぇの親父に、吹雪さんを紹介したのは俺だ。
二人はすぐに意気投合したようで、吹雪さんの旦那にも会うようになって――暇さえあれば、話を聞きに行っていたようだった。
やがて、奴自身も、艦娘の『人化』について、強く想うようになって――。
「吹雪さんの旦那さんは、もう永くないようです。だから、坂本さんには早く試験を受かってもらって、艦娘の『人化』を急いでもらわないと」
「んなこと言ったって、坊が受かるか分かんねぇし、すぐに『人化』出来るとは限らねぇだろ」
「あの人なら出来ます。いや……あの人にしかできないんです……」
どんな根拠があっての事かは分からねぇが、佐久間は信じていたよ。
坊の事をな……。
だが――。
吹雪さんの旦那さんが亡くなった。
それと同じ時期に、坊の失格も知らされた。
「これからどうすんだ……?」
「坂本さんを説得します……。旦那さんの夢は叶わなかったけれど……だからと言って諦めていいわけじゃない……」
佐久間は必死に坊を説得したが、坊はもう駄目だった。
何があったかは知らねぇが、完全に折れちまっていた。
その事に気が付いた佐久間は、自らが立ち上がることを決意した。
それは、坊の為でもあったが、吹雪さんや旦那さんの為でもあったんだ。
重さんは一呼吸置くと、俺をじっと見つめた。
「奴がどうして、てめぇを置いてまで吹雪さんたちの為に戦ったのかは、未だによく分かっていねぇ……。けど、てめぇには分かるんじゃねぇのか? 吹雪さんと共に過ごした、てめぇなら……」
「…………」
「……ちなみに、吹雪さんは気が付いていたぜ。てめぇが佐久間の息子であることを……」
「え……?」
「分かった上で、何も言わず、てめぇの『試験艦』に立候補してくれたんだぜ……。吹雪さんは信じていたんだ。てめぇなら、佐久間の夢を――自分の夢を叶えてくれるんだってな……」
重さんの目が、俺を責めているようであった。
何が言いたいのか、俺にはハッキリと分かっていた。
「坊から全て聞いている……。俺はもうクビになった身だから、てめぇに強く言うことは出来ねぇが……これだけは言っておくぜ……」
重さんは席を立つと、窓の外に見える島を見つめながら、言った。
「てめぇが背負っているのは、てめぇの人生だけじゃねぇ……。その背中に全てを託した人が、何人もいるんだ……。その事だけは忘れるなよ……」
何も言えない俺の肩を叩くと、重さんは部屋を出ていった。
屋上に出ると、夕日が俺を強く照らした。
「おぉ……」
思わず声が出る。
眩しさの先に見えたのは、赤く染まった広い海であった。
「綺麗だな……」
その中にポツンと浮かんでいる島は、大きな影を落とし、どこか寂しそうに見えた。
『てめぇが背負っているのは、てめぇの人生だけじゃねぇ……。その背中に全てを託した人が、何人もいるんだ……』
俺の背中……か……。
ふと、昔の事を思い出す。
『お父さんの背中、とっても大きいね』
『色々と背負えるように、大きくしてあるんだ。ほら、こうやって!』
『わぁ! すごいすごい!』
親父との思い出は、数えるほどしかない。
家に帰ってくることが少なかったし、俺が幼い内に、親父は出向していったから。
「佐久間肇……。思えば、あんたの背中は……とても大きかったな……」
あの背中なら、なんでも背負ってゆけるだろう。
けど、俺の背中は……。
「こんなところにいたんだ」
声に振り返る。
山風は微笑んで見せると、俺の隣に立って、夕日を眺めた。
「屋上は立ち入り禁止だよ。それと、カウンセリング、さぼったでしょ? 駄目だよ、ちゃんと受けなくちゃ」
そう言って、山風は缶コーヒーを俺に渡した。
「……悪い」
「あたしに謝るんじゃなくて、先生に謝らなきゃ」
「そうだな……」
俺を連れ戻しに来たのかと思ったが、山風は縁を見つけると、そこに座って、缶コーヒーを飲み始めた。
「共犯になってあげる」
「共犯って……」
「その代わり……雨宮君が何を悩んでいるのか……あたしに教えて欲しい……。雨宮君の力になりたいの……」
「山風……」
本気で心配しているのか、山風は何故か、今にも泣き出しそうであった。
「……分かった。聞いてくれるか?」
「うん……」
俺は、全てを山風に話した。
俺の正体も、何もかも、全て――。
「じゃあ……雨宮君は……あの……」
「あぁ……佐久間肇の息子だ……」
山風は驚きを隠せないでいた。
「親父は偉大だと気付かされた……。親父が背負ってきたもの――皆が俺に託してくれたものは、俺が思っていたものよりもはるかに大きくて――そんなものを俺が背負っているなんて――俺は、母さんの想いを無駄にしたくなかっただけで……」
ちぐはぐな説明にもかかわらず、山風は一生懸命話を聞いてくれていた。
「重さんに言われて、気が付いてしまった……。俺は……俺に託してくれた人たちの想いを……捨てようとしてしまっていたんだ……。けど……そんな大きな想いを……俺が背負えるわけがないんだ……」
「雨宮君……」
「吹雪さんの事を想うと、心が痛い……。正直、逃げてしまいたい気持ちでいっぱいだ……」
「……でも、そうは出来ないんだよね?」
「…………」
山風は、俺の手をそっと握ってくれた。
「雨宮君は優しいね……」
「……違う。臆病なだけだ……」
「そんなことはないよ……。だって、こんなにも真剣に向き合おうとしてる……。逃げずに、ちゃんと向き合ってる……」
「逃げるのが怖いだけだ……。向き合うふりをして……慰められたくて……こうしているだけだ……。逃げる理由も見つからない……。言い訳が出来ない……」
そうだ。
俺には何もないんだ。
逃げる理由すら、俺には――。
「……なら、理由をあげる」
山風は顔を赤くすると、真剣な目で俺を見つめた。
「あたしと……恋人になって……」
「え……?」
「あたしと恋人になれば……逃げる理由になるでしょ……? 雨宮君はたくさん頑張って来たんだもん……! 自分の事を犠牲にしてでも、お母さんの為に頑張って来た……! 逃げても……雨宮君を責める人はいないよ……? それでも、逃げる理由が欲しいというのなら、あたしを理由にすればいい……!」
山風は真剣だった。
「……どうして、そこまで」
そう問う俺の唇に、山風はそっと、キスをした。
「これじゃ……伝わらない……?」
瞳を潤ませる山風。
俺は何もすることが出来ず、ただ茫然としていた。
「好き……。雨宮君の事が……大好き……」
「山風……」
「あたしと……恋人になってくれませんか……? あたしの為に……逃げてくれませんか……?」
山風は手を差し伸べた。
夕焼けに染まった彼女の顔は、とても美しかった。
「――……」
その手を取ろうとした時だった。
海の方で、何かがキラリと光った。
「…………」
思わず、海を見る。
その光は、何度も何度も、規則的に――何かを伝えるかのように、光っていた。
「あれは……」
島の頂上付近で、何かが光っている。
夕日をあそこまで反射させるようなものは、そこにないはずだ。
だとすると――。
ふと、山風を見る。
山風も同じように、光の方を見つめていた。
「……そっか」
そして、差し出していた手を引いた。
「山風……?」
「みんなが雨宮君を待ってるみたい……」
「え……?」
「あの光……。モールス信号だよ。誰かが雨宮君の事を呼んでる」
モールス信号。
「分かるのか? モールス信号」
「うん。島でね、一時期流行ったの。鏡で太陽の光を反射して、メッセージを送る。そうすれば、島を出ていった艦娘達に、連絡が取れるから……。昔はよくやったけど、最近は見なかったな……」
山風はもう一度、光の方を見た。
「雨宮君に、早く帰ってくるよう、連絡してほしいって言ってる……。皆が待ってると……伝えて欲しいって……」
山風は微笑むと、俺を見つめた。
「みんなも、雨宮君が戻ることを望んでるみたいだね」
みんなが……。
「……ねぇ、雨宮君」
「……なんだ?」
「雨宮君は……自分が、皆から託されたものを背負うことが出来れば、島に戻ろうって……思うことが出来る……?」
「え……?」
「あたし、思うんだ……。雨宮君のお父さんは……皆の期待を背負うことが出来るって、多分、思ってなかったんじゃないかって……。だからこそ、家族と離れる決意をしてまで、自分を追い込んだんじゃないかって……。島に戻らないと決めたのも、退路を塞ぐためなんじゃないかって……」
「……なにが言いたいんだ?」
「逃げようと思えば逃げれたんだと思う。でも、そうしなかった。今の雨宮君と同じだなって……」
そう言われて、ハッとした。
「逃げる理由なんて、本当は何でもいいし、雨宮君もそれを分かっているはず……。そうしなかったのは、そう出来なかったからでしょ……? 皆の期待を無下に出来ない……あの島の艦娘たちを見捨てることが出来ない……雨宮君の優しさでしょ……?」
俺は首を横に振った。
「雨宮君のお父さんも、きっとそうだったはず……。だって、家族と離れるだなんて、そう簡単に決意できることじゃないもん……。逃げることが出来なかったんだよ……。自分の本心から……」
山風が何を言いたいのか、俺には分かっていた。
分かっていたが、完全に否定することが出来ない自分もいた。
「雨宮君に必要なのは、慰めや逃げ道なんかじゃない……。背負うことが出来なくても、自分の気持ちに正直になることが必要なんだと思う……」
「自分の……気持ちに……」
「だから……」
山風は、一歩、後ろに下がった。
「あたしは、雨宮君の逃げ道にはならない……」
それが、俺にどれだけの絶望を与えたのか、山風には分からないだろう。
だが、それ以上に、山風は――。
「雨宮君の事が好き……。好きだからこそ……雨宮君には戻って欲しいって思ってる……」
大粒の涙が風に乗り、どこかへと消えていった。
山風は、それを拭う事をしなかった。
「行って……雨宮君……。あたしの初恋を置いて……。逃げ道を置いて……戻って……」
「山風……」
去ることが出来ない俺を見かねてか、山風は徐々に距離を置き始めた。
「待ってくれ……」
「さようなら……雨宮君……」
一瞬の躊躇いののち、山風は走り出した。
「山風!」
階段の踊り場に差し掛かった時、誰かに腕を掴まれた。
「雨宮……!」
「上官……」
上官は首を横に振ると、俺の腕を強く握りしめた。
「は、はなしてください……!」
「堪えろ雨宮……! 一番つらいのは、山風なんだ……!」
「え……?」
「君は、山風の気持ちに対して、すぐに答えを出せなかった……。その事がどれだけ彼女を傷つけたのか、分からんのか!?」
そう言われて、ハッとした。
「……悪いとは思ったが、全て聞かせてもらった。山風の気持ちは本物だったよ……。君が本当に山風の事が好きだというのなら……全てを投げ出してでも――どんなことがあれど、彼女の手を掴んだはずだ……。山風もそのことが分かっていたはずだ……。だからこそ、引いたのだ……」
心が締め付けられる。
景色が歪んでゆく。
「雨宮……」
手をはなした上官は、しばらくの間、俺の背中を撫でてくれた。
心が縮む――と言った表現が正しいかは分からない。
だが確かに、何かが胸の中で縮み、それによって涙があふれる様な――声も――。
「たくさん泣いておけ……。それが君を強くするんだ……」
上官は、この痛みの正体を知っているようであった。
――嗚呼、そうか。
これが、所謂――。
「雨宮……」
俺は今日、失恋というものを知った。
同じく、初恋というものも――。
上官は、俺が泣き止むまで、何も言わずに傍に居てくれた。
「もう大丈夫か……?」
「……はい。すみません……こんな……」
「いや、いいんだ。むしろ、安心したよ。君にも、少しは人間味があるんだってね」
「……私をなんだと思っていたんですか?」
上官は笑うと、屋上に出るよう促した。
「いいんですか? 禁止されているって聞きましたが……」
「今更だろう。私も共犯になってみたくなったんだ。同じ失恋をした者同士、仲良くやろうじゃないか」
夕日は既に沈んでいて、空は暗くなっていた。
「見ろ」
上官の指す方向に、島があった。
夕日は沈んでいるはずなのに、チカチカと何かが光っていた。
「懐中電灯か何かで照らしているんだろう。明かりが小さすぎて、気が付くことも難しい」
一体、いつからああしているのだろうか。
一体、誰が――。
「雨宮、これを」
そう言って上官が渡してきたのは、一冊のノートであった。
「これは……?」
「私が試験を受けている時、佐久間がくれたものだ。あいつなりに、艦娘について、色々調べてくれたようでな」
パラパラとノートをめくってみる。
何とも汚い字で、島の艦娘についてまとめられていた。
「大したことは書いてないのだが、あいつの気持ちがうれしくてな」
「……本当に大したことは書いて無いですね。字も汚くて……間違いだらけだ……」
「言ってやるな……。あいつも若かったからな……」
それでも、本当に上官の事を想っていることが、鮮明に伝わってくる文面であった。
「それを君に託す」
「え?」
「役に立たないかもしれないが……君の親父が、一生懸命、出向してゆく人の為につくったものだ」
「いえ……これは、上官の為に書かれたもので……」
「まあ、そうなのだが……。つまり、その……私が言いたいのはだね……? このノートは、私の為、つまり、出向してゆく人の為でもあって……それは君の為でもあるから……」
説明がちぐはぐで、なにが言いたいのかはっきりしない。
上官にもこういうところがあったのか。
「な、何を笑っているのかね……?」
「いえ、すみません。つい」
「……とにかく、これは君の為に書かれたものでもあるのだ。君の親父が、君の為に遺したものでもあるのだ」
「……それは少し強引ではないかと」
上官は黙り込むと、恥ずかしそうに頭を掻いた。
俺は何も言わず、ノートを抱えた。
「……最初から素直に受け取り給え」
「すみません」
俺は再び、島を見つめた。
「上官……」
「なんだね?」
「佐久間肇は……親父は、立派な人でしたか……?」
「……あぁ。誰よりも、艦娘の『人化』に尽力した」
「……私もなれますかね? 親父の様に……」
上官は躊躇う事もせず、首を横に振った。
「確かに佐久間は立派だった……。だが、全ての艦娘の『人化』は成せてはいない……。君とは違う……」
「私なら成せると……?」
「そうでなければ、私の宝を君にやるものか」
そう言って、上官はノートを指した。
「……そうですか」
強い風が、俺たちを叩く。
濡れていた頬は、もうとっくに乾いていた。
「雨宮……」
空っぽになった心に、色々なものが詰まって行くのを感じる。
山風の顔が――吹雪さんの――親父の――母さんの――。
背中などではない――心の中に――。
「上官……俺……」
その時、海辺の方で、汽笛が鳴った。
あの汽笛……重さんの船のものだ。
「君を呼んでいるようだ」
「え……?」
「重さんの最後の仕事だ。君が花を添えてきなさい」
それが何を意味しているのか――俺の決意を、上官は最初から――。
「……また、食わされましたね。流石です……上官……」
「当然だ。君の上官だぞ」
そう言って笑うと、上官は俺の肩を叩いた。
「行ってこい、雨宮」
「……はい!」
いつもの泊地に、重さんはいた。
「慎二!」
「重さん! クビになったんじゃないのか?」
「今日付けでな! だから、今日までは仕事が出来るんだ!」
そんな屁理屈が通用する訳がない。
「さっきのが『最後』じゃなかったのか?」
「そうさせなかったのはてめぇだろうが。さぁ、早く乗れ! バレたらマズい!」
「やっぱり!」
俺は急いで船に乗り込んだ。
遠く、例のお偉いさんと目が合う。
「やべ……! バレちまった……!」
重さんは急いでエンジンをかけた。
「しまった! ロープを外してねぇ!」
「え!?」
「君たち……! そこで何をしているのかね!?」
お偉いさんが全速力でこちらへ向かってくる。
「どうするんだ重さん!?」
「これでロープを切れ!」
渡されたのは、小さなカッターナイフであった。
「いや、無理だろう!」
「無理か分かんねぇだろ!」
そんな事でごたついている間にも、お偉いさんは凄い剣幕で迫ってきている。
万事休す。
「クソ!」
その時だった。
物陰から、影が飛び出してきて、ロープを外した。
「――!」
ロープを外したのは、鈴木であった。
「鈴木……!」
「船を出すぞ、慎二! 何かにつかまっとけ!」
船は徐々に、泊地を離れて行く。
鈴木はじっと、その行方を見つめていた。
「鈴木!」
俺の呼びかけに応じることも無く、鈴木はそのまま、お偉いさんに連れていかれた。
「奴もまた、てめぇに託したって訳だな……。愛されてるな、慎二」
「鈴木……」
船は、島へと徐々に近づいてゆく。
「坊に言われたんだ。慎二は必ず、島へと戻る決意をするってな。全ての責任は自分がとるから、連れてやって欲しいってな」
「上官が……。けど、どうしてそんなことが……」
「さぁな。何か秘策でもあったんじゃねぇか?」
相手が上官なら、ありえない話ではない。
重さんや鈴木に、俺が戻らないことを話したのも、何か考えがあっての事だったのだろう。
……まさか、山風も?
いや……流石にありえないか……。
「兎にも角にも、だ。正真正銘、これが俺の最後の仕事だ。今までやった仕事の中で、一番やりがいのある仕事だったぜ。ありがとよ、慎二」
「……お礼を言うのは俺の方だ。重さんのお陰で、俺は……」
「やめろやめろ! そんな辛気臭い顔。最後くらい、勇ましい顔を見せてくれよ、慎二」
「……分かった」
俺は自分の顔を叩くと、重さんを真っすぐ見つめた。
「これでどうだ?」
「……あぁ、いい顔だぜ! 今まで見て来た海軍の中で、てめぇの顔が一番勇ましいぜ!」
そんなこんなで話していると、船はあっという間に、島の泊地についてしまった。
荷物を全て降ろし終わると、重さんは船を降りて、寮の方をじっと見つめた。
「この景色も、これで最後か……」
「寂しいのか?」
「いや……。結局、見ることが出来なかったと思ってな……。最後の艦娘が、この島を出る瞬間ってやつをよ……」
「……なに、すぐに見れるさ。最後の艦娘が島を出る時、船頭は重さんにお願いするよ。頼まれてくれるか?」
「へへ……バカヤロウ……。約束だぜ……?」
「あぁ……」
静寂が、俺たちを包む。
「……そろそろ行くぜ。元気でな……慎二……」
「あぁ……重さんもな……」
船に乗り込んでゆく重さんの背中は、いつも見る背中よりも、とても小さく見えた。
「重さん」
「あ?」
「……ありがとう。俺にとって重さんは……本当の親父のようだったよ……」
重さんの背中が、小さく震える。
どう返してくれるものかと期待したが、重さんはただ、背を向けながら手を振るだけであった。
船が泊地を離れて行く。
「重さん!」
「……あばよ! 俺がくたばる前に、しっかりと約束を果たしてくれよ!」
「あぁ! 必ず!」
「じゃあな! 我が息子よ!」
そう言って、重さんの船は、あっという間に島を離れて行ってしまった。
「ありがとう……重さん……」
船を見送り、寮へと向かおうとした時だった。
「雨宮さん!」
大淀といつものメンバーが、駆け寄って来た。
「おう、久しぶり。戻ったぜ」
平静を保って見せたが、皆の顔を見た瞬間、俺は泣きそうになっていた。
一度でも皆を裏切ろうとしたこと――皆と再会できた喜び――色んな感情に支配されていた。
そんな俺の気持ちなんて、こいつらが知る由もなく、やはり切り出してきたのは――。
「提督……大井さんが……」
まあ、そうなるよな。
「……あぁ。その事については、後で皆に説明をするつもりだ。その前に……」
俺は鹿島を見た。
「鹿島……少しいいか……? 話があるんだ……」
「え……? 私……ですか……?」
「あぁ……。それと、大淀と鳳翔……青葉もそうだったな……。お前たち三人にも、話があるんだ。鹿島との話が済んだ後だから……十分後くらいに、家に来て欲しいんだ。残りの者は……悪いが、寮で待っていてくれ。後で説明に行くから」
皆、困惑しながらも同意してくれた。
ただ一隻を除いて……。
「どういう人選よ……?」
言わずもがな――。
「後でわかる。それまで、大人しく待ってろ。夕張」
自分が入っていないことに腹を立てているのか、夕張はムッとした表情を見せた。
「大淀さんと鳳翔さんは何となく分かるけど……どうして青葉が……」
それは青葉も同じようで、困惑した表情を見せていた。
「後で分かるって言ってんだろ。とにかく、そういう事だ。行くぞ、鹿島」
「は、はい!」
夕張に睨まれながら、俺と鹿島は家へと向かった。
皆が入ってこないよう、家の扉を施錠し、全ての窓やカーテンを閉め切った。
「これで良し……」
「ここまでする必要があったんですか……?」
「あぁ……一応な……」
鹿島を呼び出したのには訳がある。
この島に戻ると決意した時、ふと、思ったことがあったのだ。
「実は……俺が佐久間肇の息子であること……そして……この島に来た目的を……全て、皆に話そうと思っているんだ……」
「え……?」
「それには、お前の許可が必要だと思ってな……。以前、お前の過去を聞きだすために、俺は全てをお前に話した……。言うなれば、等価交換だったわけだ……。今度はそれを、無条件で皆に話そうって言うんだ。不平等だと思うか……?」
鹿島は少し考えた後、ようやく状況を理解したようであった。
「そういうことですか……。不平等だなんて思いません。けど……どうして皆に……?」
「実は……」
俺は、本土であったことを全て、鹿島に話した。
「じゃあ……提督さんは……」
「あぁ……親父と向き合うことが出来た……。俺が今ここに居るのは、母の為なんかじゃない……。皆の期待を背負って、ここにいるんだ……。その事を皆に知って欲しいと思っている……。それには、俺の過去についても、知っておいてもらう必要があるんだ……」
皆の期待を背負っているのは、俺だけではない。
この島の艦娘達もまた、『人化』して欲しいと願われている。
ならば、その事を艦娘達にも理解させる必要がある。
そう思ったのだ。
「そういうことですか……」
鹿島も、その事を分かってくれたようであった。
「よく分かりました。私の事は構いません。でも、どうして大淀さんや鳳翔さん、あと、青葉さんなんですか?」
「あぁ、実は、響の事があってな……。響は、俺の事を佐久間肇の生まれ変わりだと思っているんだ……」
「生まれ変わり……ですか……?」
鹿島はハッとした。
「以前、青葉さんが話していた『響ちゃんの件』って……その事ですか!?」
「あぁ……。俺は、そう思っている響に対して、本当の事を言えないでいる……。あいつを傷つけたくなかったし、大淀にも、今は話す時ではないと言われた……」
「じゃあ……これから来る三人は……」
「鳳翔以外は、その事を知っている。鳳翔に関しては、俺が佐久間肇の息子だと知っていることもあって、その事を相談したい。もし、話すべきでないということであるのなら、俺の正体を明かすこともやめようと思っている。そういう話だ」
鹿島は完全に理解したようで、手をポンと叩いて見せた。
「だから私が先だったんですね。納得です」
「そういうことだ。少なくとも、あとで来る三人には、俺の正体を話す。だから、その許可が欲しかったんだ」
鹿島は息を吐くと、肩の力を抜いた。
「そうでしたか……。鍵を締めるから、もっと重要な事かと思っていましたよ……」
「まあ、俺にとっては重要な事なんだけどな。どんなのを想像したんだ?」
「え? た、例えば……島を出ていくつもりだ……とか……?」
数十分前であれば、間違いではない。
「だとして、どうしてお前だけ呼び出すんだよ?」
「そ、それは……その……」
鹿島は何やら、顔を赤くした。
「なんだよ?」
「た、例えば……その……島を出るとして……私だけを呼び出すって事は……あの……その……」
もじもじする鹿島に、俺はハッとした。
「もしかして、娶られると思ったのか?」
鹿島は頷くと、俯いてしまった。
その姿に、俺はなんだか恥ずかしくなって、目を背けてしまった。
――ん?
この気持ちって――いや、まさか……。
「提督さん……? な、何か言ってくださいよ……」
……なるほど。
そういう事か……。
これは……マズイ事になったな……。
今まで、『そういうもの』だとは知らなかったから――山風に恋をしていたという事に気が付いてしまったから――俺も男なんだと知ってしまったから――。
「そ、そうか……。し、しかし……そうだったとしても、お断りだろう? 俺なんかに娶られるなんてさ」
照れ隠しに言ったつもりであったが、鹿島は何やら驚いた表情を見せた後、余計に顔を赤くして、黙り込んでしまった。
「え……まさか……」
その時、家のチャイムが鳴った。
時計を見ると、もう十分を経過していた。
「さ、三人が来たようだ……。迎えてくるから、座っていてくれ」
そう言って玄関に向かおうとする俺を、鹿島は引き留めた。
「か、鹿島……?」
「……やっぱり、納得できません」
「え……?」
「私だけに教えてくれた提督さんの過去を……誰かに教えるなんて……」
「え? あ、あぁ……その事か……。急にどうした? やはり嫌になったか?」
鹿島は頷くと、俺の目をじっと見つめた。
「じゃあ……」
「でも……提督さんの気持ちを、皆にも知ってもらいたいって気持ちもあります……。ですから……もう一度、私にだけ何かくれませんか……?」
なんだ、そういうことか。
「お、おう……。別に構わないぜ。何が欲しいんだ?」
鹿島は、呟くように言った。
「提督さんとの思い出をください……。鹿島と……デート……してください……」
再びチャイムが鳴る。
「デ、デート……?」
「駄目……ですか……?」
「だ、駄目って訳ではないが……」
「じ、じゃあ、いいんですね!?」
迫る鹿島。
顔の近さに、俺は思わず赤面してしまった。
「あ、あぁ! 分かった! 約束するよ! だから、その……」
再びチャイム。
扉を叩く音も聞こえる。
「……とにかく、出てくるぜ?」
鹿島は頷くと、小さく微笑んで見せた。
しかし、まさかデートを要求してくるとは……。
鹿島……まさか、俺の事を……?
……いや、そう考えてしまうのは、俺が――。
変なモヤモヤを抱えながら、皆を家に入れた。
鹿島もまた――かと思ったが、真剣な表情で座っていた。
いかんいかん……俺も切り替えなければ……。
「悪いな。呼び出してしまって……」
「いえ……」
鳳翔は、集められたメンツに目をやると、何かを察したかのように頷いた。
「なるほど……。呼ばれたのは、提督の正体を知っている人たちですね……」
それを聞いた大淀は、大変驚いていた。
「鳳翔さんもご存じだったのですか!?」
「え? えぇ……。提督、言っていなかったのですか?」
「そういや、言ってなかったかもな……。お前より先に、鳳翔は俺の正体に気が付いたんだぜ。全く、あの時はビビったぜ」
「先って……いつからですか?」
「俺が島に来て、二日目くらいの時だったか? ほら、鹿島に突き飛ばされた俺が怪我して、お前がパニックになったことがあったろ。あの後、手当てしに来てくれた鳳翔が……だったよな?」
「えぇ、そうでしたね」
呆然とする大淀。
青葉はというと、ホッとした表情を見せていた。
「そうでしたか……。いやはや、謎が解けましたよぉ……。いやぁ、どうして青葉が呼ばれたのか分からなくて、陸奥さんがカンカンなんですよ~……。どうして青葉だけが……って」
「それは悪かったな。後で、俺から陸奥に謝っておくよ」
「そうしてもらえますか? ついでに、明日の朝食と夕食は、必ず陸奥さんの隣で食べるって約束も……」
「え? あぁ……まあ……構わんが……」
「やった!」
何やら和やかな空気になってしまった。
どう改めようか考えていると、鹿島がパンッと手を叩いて、皆の注目を集めた。
「皆さん、提督さんから、重要なお話があります。皆さんも知りたがっていたことです……」
「知りたがっていたこと……? って、何ですか?」
「青葉さんは分かりませんけど……大淀さんや鳳翔さんは、気になっていたんじゃないですか……? どうして提督さんが、この島に来たのか……その目的を……」
それを聞いた大淀と鳳翔の表情が、真剣なものへと変わった。
その空気を感じ取ったのか、青葉も――。
「提督さん……」
「あぁ、ありがとう、鹿島……」
俺は、大淀に目を向けた。
「話してくださるのですね……。でも……どうして……」
「すぐに分かる……。まずは、俺の話を聞いて欲しい……」
一呼吸置いた後、俺は全てを皆に話した。
俺の過去――この島に来た目的――島を離れた十日間の出来事を――。
全てを知った三隻は、何も言えず、ただただ黙り込んでいた。
「俺は、その事を皆に知って欲しいと思っている……。だからこそ、正体を明かそうと思っているんだ……。しかしそれには、今話した通り、響の問題がある……。お前たちの意見を聞きたい……」
そう問うても、三隻は口を開かなかった。
「……いきなりの事で困惑させてしまったのなら、すまない。考える時間が欲しいというのなら、今日はもう解散でもいい。大井の件についてだけ、皆に報告するようにしよう」
そう言ってやると、大淀は我に返ったように、ハッとした。
「い、いえ……大丈夫です……。皆さんに話すことについて、私は賛成です。大井さんの件には、雨宮さんの事も大きくかかわってきますから、混乱しない為にも、話された方が宜しいかと……」
「それが例え、響が傷つくことであってもか?」
「いずれは知ることです。それが今になるか、後になるかの違いです……。それに、隠したとしても、響ちゃんは必ず、雨宮さんの正体に気が付くでしょう……。それほどに、雨宮さんと佐久間さんは……」
そこまで言うと、大淀は黙り込んでしまった。
それがいい意味なのか、悪い意味なのかは分からない。
ただ、大淀は、もう俺の影に佐久間肇を見る事はないだろうと思った。
「皆はどうだ? 鹿島なんかは、響を一番近くで見て来ただろう? どう思う?」
「私も賛成です。響ちゃんのケアは、鹿島にお任せください。本人にとっては辛いことかもしれませんが、それを乗り切れない弱い子ではないと、私が一番よく分かっていますから……」
「そうか……。ありがとう、鹿島。響の事は頼んだぜ」
「はい!」
俺は残りの二隻に目を向けた。
「青葉、お前はどうだ?」
「……青葉的には、響ちゃんの影響もそうですけど、他の艦娘たちへの影響も気になっています。佐久間さんの死にショックを受けたのは、何も響ちゃんだけではありません。司令官が佐久間さんの息子だと知って、トラウマを呼び起こしてしまう艦娘もいるのではないでしょうか……?」
それは確かに、考えていた。
というよりも、初めてこの島に来た時に考えていたことだ。
大淀がそうだったように、この島の艦娘達に、佐久間肇に関するトラウマがあったとするのなら、俺がそれを呼び起こしてしまう可能性がある、と……。
鳳翔も青葉と同じ意見なのか、小さく頷いていた。
「私も、その事が心配でした……。佐久間さんを慕っていたのは、何も島を出た艦娘だけではありませんから……。私たちが知らないだけで、佐久間さんのファンだって方もいるかもしれませんし……」
「確かにな……。そいつらのケアを考えると、難しい所があるな……」
「でも……」
口を開いたのは、大淀であった。
「もしそうだとしたら、きっと、雨宮さんを見た時点で、トラウマが呼び起こされてしまうのではないでしょうか? 顔だけで言えば、佐久間さんそっくりですし……」
「確かに……司令官の顔は本当に佐久間さんそっくりですから、逆に、正体を知っても、やっぱり……って思う方の方が多いかもしれませんねぇ……」
「雨宮さんから、佐久間さんを連想しない方が難しい事だと思います。だとしたら、もうトラウマ云々の時期は過ぎているかと……」
「鳳翔、どう思う?」
「確かにそうかもしれませんね……。分かりました。私も賛成です」
「青葉」
「青葉も賛成です。ただ、正体を明かすって事に、しっかり責任を持ってくださいね。トラウマを呼び起こす可能性が少ないとはいえ、佐久間さんと司令官の関係が確信的なものになったら、少なからず影響はあるわけですから……」
青葉はそれを一番よく分かっている。
だからこその警告なのだろう。
「……決まりですね」
皆、顔を見合わせると、小さく頷いた。
「……ありがとう、みんな。じゃあ……早速……」
「あ、待ってください……」
皆、一斉に大淀に目を向けた。
「あぁ……いえ……用があるのは雨宮さんだけです……。お三方は、先に寮へ戻っていてください。すぐに向かいますから……」
三隻は顔を見合わせると、同意し、寮へと戻っていった。
「大淀……」
どうして大淀が俺を呼び止めたのか。
その意味を、俺は分かっていた。
「やっと……貴方を知ることが出来ました……」
「……あぁ」
そう言うと、大淀は俺の目をじっと見つめた。
その綺麗な瞳の中に、俺は居た。
確かに、居たのだった。
「やっと……お前を真っすぐ見ることが出来る……。今まで……悪かったな……」
大淀は首を横に振ると、俺の手を取った。
「いいんです……。それ以上に、私を見てくれたことが……とても嬉しいのです……」
「大淀……」
「佐久間さんを忘れることは出来ません……。でも、それが貴方を受け入れられない理由にはなりません……。――いえ、それ以上に、貴方は……」
そこまで言うと、大淀は黙り込んでしまった。
「大淀……?」
「……あの」
「なんだ?」
「雨宮さんは……嫌ですか……? 私が……その……貴方の事を……提督って……呼ぶこと……」
一瞬、大淀の言葉の意味が分からなかった。
だが、その真意を理解した時――。
「雨宮さ――……」
大淀の表情が、徐々に崩れて行く。
「『提督』……」
その表情が――視界が、徐々に滲んでゆく。
「『提督』……。「提督」……」
大淀がそう呼ぶ度に、遠くかけ離れた――失われた呼び名に、色がついて行く。
「提督……」
その言葉に温もりを感じた時、俺はようやく、返事をすることが出来た。
「――……」
どう返したのか、自分でも覚えていない。
それでも大淀は、嬉しそうに笑ってくれていた。
その笑顔を伝う涙は、まるで宝石のように美しくて――涙というものが、これほどまでに美しいものだと気付かされたのは、この時が初めてであった。
「ありがとう……大淀……」
メソメソと泣いたものだから、俺たちは少しだけ遅れて、寮に到着した。
「あ、提督さん。ずいぶん遅かったですね……。皆さんお待ちかねですよ」
食堂には、山城を除く全員が集まっていた。
「集めといてくれたのか」
「皆さん、気になっているんですよ。大井さんの事……」
まあ、そうだろうな。
なんせ、十数年ぶりだもんな。
島を出る艦娘なんて……。
「司令官」
寄って来たのは、響であった。
「響……」
「お帰り司令官。ずっと待っていたんだ」
そう言って、響は俺の手をぎゅっと握った。
「提督さん……」
俺は今から、こいつに残酷な真実を伝えなければならない。
そう思うと――。
「提督……」
手を握ってくれたのは、大淀であった。
その光景に――というよりも、大淀の「提督」呼びに、皆驚いていた。
「……響、今から大事な話をする。ちゃんと聞いてくれるか……?」
「え? う、うん……」
俺の真剣な表情に、何かを察したようで、響は第六駆逐隊の方へと戻り、小さく座って俺の言葉を待った。
真実を知るものたちが、小さく頷く。
それと同時に、食堂は静寂に包まれた。
「…………」
正直、話すことが得策かどうかは、未だに分からない。
それでも、艦娘達は知らなければいけない。
自分たちが、どれだけの人たちに願われているのかを――。
何を背負っているのかを――。
「まずは、何から話そうか……」
俺の切り出し方に、皆、不安な表情を見せた。
それでも、話が佳境に入るにつれ、皆は俺の話を真剣な表情で聴いていた。
消灯時間を知らせる鐘が鳴る。
それと同時に、俺の話は終わった。
「――以上だ。お前らにも、その事を分かって欲しかった……。だからこそ、俺の正体を明かしたんだ……」
皆、何も言えずに、ただ俯いていた。
何を思い、そうしているのか。
それは分からない。
「司令官……」
案の定、響は俺の元へとやって来た。
「響……」
「司令官が生まれ変わったんだって……ずっとそう思ってた……。司令官だって……言ってたじゃないか……。私たちは……生まれ変わることが出来るんだって……」
責め立てる表情……というよりも、悲しい表情をしていた。
「じゃあ……『司令官』は……? 『司令官』は……独りぼっちなの……?」
『死んじゃうと、真っ暗な場所で、永遠に独りぼっちになってしまうらしいんだ……。とっても怖いよ……』
いつだったか、響はそう言っていた。
「……さあな。死んだ人間は、二度と帰ってこない……。だから、死んだらどうなるかもわからないんだ……」
それを聞いた響は、表情を見せることなく、食堂を飛び出していった。
「ひ、響! どこに行くのよぉ!?」
第六駆逐隊が、跡を追う。
「鹿島……頼む……」
「は、はい……!」
鹿島も、同じように。
食堂に、再び静寂が訪れる。
「……今日はもう解散にしよう。皆、色々と思うところがあるだろう……?」
返事はなかったが、その通りらしく、皆、恐る恐る席を立った。
「信じられません」
発言したのは、大和であった。
「大井さんが貴方に託したですって……? そんなの、人間がでっち上げた嘘です! そもそも、大井さんは本当に、自らの意思で島を出たのですか……? 無理やり連れ込んだのではないですか!?」
「大和さん、それは……」
俺は、庇おうとする大淀を止めた。
「提督……」
「大淀、お前は皆が部屋へと戻るよう誘導してくれ」
「しかし……」
「頼む、大淀」
俺の真剣な表情に、大淀は何かを察したのか、小さく頷いてくれた。
「分かりました……。皆さん、部屋に戻ってください。鳳翔さん、駆逐艦たちを……」
「は、はい!」
大淀と鳳翔に誘導され、皆は食堂を去って行った。
ただ、残ったものもあって――青葉と陸奥、明石、夕張、武蔵であった。
「お前らも戻れ」
そう言っても、皆、動くことをしなかった。
強情な……。
「……まあいい。大和、お前がそう思い込みたいのは分かる。だが、全て真実だ……」
「貴方の言う事なんて信じられない……。ましてや、あの男の息子だったなんて……」
何か嫌な思い出でもあるのか、大和は苦い顔を見せた。
ふと、自分のポケットに、何か入っていることに気が付いた。
「とにかく……私は信じませんから……! それに、私たちの『人化』が願われている、なんて嘘を言うのもやめて……! 私たちがその人たちの期待を背負っているって……勝手に背負わせないで……!」
「……そうか。お前はあくまでも、その期待を背負えないと言うのか……?」
「えぇ!」
俺は、ポケットの中身を大和に渡してやった。
「な、なによ……これ……」
それは、重さんに渡された――縄を切るために渡された、カッターナイフであった。
「なら、それで俺を殺せ」
驚愕したのは、大和だけではなかった。
「て、提督……! 何を言っているんですか!?」
「明石、悪いが黙っていてくれ……」
「そ、そんな……。む、武蔵さん……」
助けを求められた武蔵が、俺の肩を掴む。
「貴様、自分が何をしているのか、分かっているのか!?」
「武蔵……引っ込んでろ……」
「そういう訳にはいかな――」
「――引っ込んでろって言ってんだッ!」
静寂が、食堂を包み込む。
武蔵は恐る恐る手を離すと、一歩、後ろに下がった。
「……悪い。叫んでしまって……」
「い、いや……」
「……悪いが、お前らももう戻ってくれ。頼むから……」
皆、互いに顔を見合わせると、そのまま食堂を出ていった。
「……邪魔する奴は、もう居ないぜ」
そう言ってやると、大和は再び真剣な表情を取り戻した。
「殺せって……気でも狂ったの……?」
「狂ってなんかないぜ。俺は、全ての艦娘の『人化』を願って来た人たちの想いを背負って、ここに居るんだ。それをお前が無下にするって事は、俺を殺す事と変わりないんだぜ、と言いたかったんだ」
「……どうしてそうなるのか、全くわかりません。貴方が死ねば、その願いも死ぬという事でしょうか……?」
「あぁ、そうだ」
「益々分かりません。貴方、何様のつもりですか? 残念ながら、貴方が死んだところで、何も変わりません。貴方の代わりの人間が来て、同じことを言って、また死んでゆく。それが繰り返されるだけ」
「いや、これは俺にしか出来ないことだ。俺が死ねば、全ては終わる。断言してもいい」
「おめでたい人……。そういうところも、本当に父親そっくり……」
そう言うと、大和はより一層、ムッとした表情を見せた。
「いいから、殺してみろ。そうすれば、全て終わる。約束してもいい」
「するわけないじゃないですか? 大和が貴方に刃を向ければ、それを通報し、強制的に『人化』させられるのでしょう? そんな罠に、この大和がかかるとでも?」
「そんな事はしない。責任は問わせない。何なら、一筆書いてもいいし、証拠の映像を撮ってもいいんだ」
「そんなハッタリが通用するとでも……」
「ハッタリなんかじゃない」
大和は、見極める様に、俺の目をじっと見つめた。
うるさいほどの静寂が、辺りを包む。
「いいのか? やらなくて……。俺は必ず成すぜ……。全ての艦娘の『人化』を……。お前も例外ではないんだぜ……」
俺が本気であると悟ったのか、大和は一瞬、目を逸らした。
「……今出来ないというのなら、それでもいい。そのカッターは、お前にやるよ」
「え……?」
「いつでも殺せるように、だ。尤も、ここで出来ないんじゃ、この先もないだろうがな」
そう言って、俺は大和に背を向けた。
再び、静寂が訪れる。
「どうした? チャンスだぜ……」
大和がどんな表情をしているのかは分からない。
ただ、大和が動くことはなかった。
あんなにも威勢の良かった口も、どうやら閉ざされているようである。
「……帰るぜ」
俺は、一度も振り返ることをせず、食堂を出た。
寮を出ても、大和が追ってくる様子はなかった。
家に着くと、何故か、消したはずの明かりが灯っていた。
入ってみると、そこには――。
「夕張、お前、何してんだよ?」
夕張はムッとした表情を見せると、小さい声で「こっそり抜け出してきた」と言った。
「何やってんだよお前。早く寮に帰れ」
そう言っても、夕張は動くことをしなかった。
「……何か不満でも?」
ため息まじりに聞いてやると、夕張は小さく頷いて、ぶつぶつ言い始めた。
「私だけ知らなかった……。提督が、佐久間さんの息子だって事……」
何となくだが、そんな事だろうと思っていた。
「皆も知らなかっただろう。お前だけじゃねぇよ」
「でも、鹿島さんや大淀さん、鳳翔さんは知ってたでしょ……。あと、何故か青葉も……」
「だから何だってんだ?」
夕張は答えず、ただ膝を抱えた。
「……お前がなにを言いたいのか、なんとなく分かる」
「だったら……教えてよ……。どうして私には……隠していたのよ……? 私だって……貴方のこと……」
こういう時、何か慰めの言葉をかけてやれればいいのかもしれない。
佐久間肇なら、きっとそうしただろう。
だが――。
「お前に教える必要はない。そう思ったから、教えなかった。ただそれだけだ」
「……私だって、貴方の役に立てるわ! 少なくとも……!」
「青葉より……ってか? それはないだろうな。あいつの方が、お前よりもはるかに優秀だ。あいつが俺の正体を知ったのだって、別に俺が教えた訳じゃない。あいつが自分で掴んだんだ。お前はそれが出来なかった。ただそれだけの事だろうが」
夕張は、今にも泣き出しそうに――俺を睨み付けた。
「なによそれ……。そんな酷い言い方……」
「……この際だから、はっきり言わせてもらうぜ。お前の事、「面倒くさい奴」だって、本気で思っている。『人化』の為だと割り切って、お前を慰めて来たし、例の作戦にも『参加させてやった』。けど、もうそれも今日で終わりだ。俺にはもう、何も隠すことはないし、お前の顔色を窺って、慰める必要もなくなった。お前が下に見ている青葉や――そいつらの方が優秀だし、味方になってくれているからな。メソメソして、我が儘言って――誰かを見下すことでしか自分の評価を上げることの出来ないお前と違って、あいつらは――」
夕張は立ち上がると、俺の頬を平手で叩いた。
大淀のそれとは違い、夕張の涙は、とてもじゃないが――。
「……事実を言われて、傷ついたか?」
そう言ってやると、夕張の表情から、怒りが徐々に抜けてゆき――やがて、悲しみの色を見せた。
「どうして……そんな酷いこと言うのよぉ……」
「…………」
「私だって……貴方の役に立ちたいって……思ってるのに……。いっぱい……頑張ってるのに……。貴方の事が好きで……大淀さん達に負けないって……なのに……うぅぅ……」
嘘偽りのない涙であった。
心が痛む。
けど――。
「……言ったろ。俺は慰めないぜ……。もう寝るから、とっとと帰れ……」
そう言って、俺は夕張の首根っこを掴み、外へと放り出した。
しばらくの間、夕張は玄関の近くで泣いていたようであったが、寝床に就くころには、寮に戻っていったようであった。
「…………」
これでいい。
俺は、夕張の気持ちに応えることが出来ない。
このまま中途半端な慰めを続けても、夕張は恋心を捨てきれず、何度も落ち込むことになるだろう。
上官と羽黒の関係と同じで――だからこそ――。
「ごめんな……夕張……」
翌朝。
目が覚めると、そこには、敷波の顔があった。
「わわ……!」
「敷波……?」
「お、おはよう……司令官……」
「どうした……? こんな朝早くから……」
敷波はもじもじと手を揉むと、恥ずかしそうに言った。
「し、司令官……その……アタシと……散歩……しない……?」
「え?」
「アタシ……知ってるんだ……。響ちゃんと、いつも散歩してるの……。ほ、ほら……響ちゃん、今、ああいう状態だからさ……その……アタシが代わりに……なれないかなって……」
……なるほど。
「俺を慰めに来てくれたのか……?」
「え? そ、そういう訳じゃ……」
嘘をつくのが下手なようで、敷波はあたふたし始めた。
「……分かった。じゃあ、一緒に散歩、してくれるか?」
「う、うん!」
俺たちは、たわいのない会話をしながら、静かな海沿いを散歩した。
「――だから、司令官が居ない間も、みんなでお家を掃除したりしていたんだ。綺麗だったの、気が付いた?」
「そう言えば、綺麗だったな」
「でしょ? えへへ」
敷波は、昨日のことなど気にしていないのか、無邪気な笑顔を見せてくれた。
――いや、或いは気を遣われているのかもしれないが。
「……司令官はさ、響ちゃんの事、どう思ってるの?」
「え?」
「司令官と響ちゃんって、なんか特別な感じがするんだよね。アタシはいつも、響ちゃんに対抗してみたりしているんだけどさ、やっぱり、勝てないというか……。なんか……そんな感じがしてさ……」
そう言う敷波は、少し寂しそうであった。
「……本当はさ、今日来たのも、司令官が寂しいかなって……思ったからなんだ。アタシなんかが響ちゃんの代わりになるなんて思ってないけど……少しは……気がまぎれるかなって……」
「敷波……」
「司令官が誰の息子でも……アタシの司令官は、司令官だけだからね……?」
どうやら敷波は、本当に俺の事を慰めてくれているようであった。
本当……こいつは……。
「司令官……?」
俺は、敷波を抱きかかえた。
「え、えぇぇ!? ししし、司令官!?」
「案外軽いな」
「ききき、急になに!? おおお、降ろしてよぉ!」
「敷波」
「ふぇ?」
「ありがとな。慰めてくれて。おかげで、救われたよ」
そう言って、俺は敷波を降ろしてやった。
「司令官……」
「響の代わりだなんて、寂しいこと言うな。お前はお前だろう」
「で、でも……ほら……アタシは、こんなことしかできないし……」
「こんなことが、俺にとっては特別なんだ。普通、そうは出来ないもんだぜ。俺にとってお前は、特別な存在だよ。敷波」
頭を撫でてやると、敷波は恥ずかしそうに俯いた。
「もうちょっと散歩に付き合ってくれるか? ようやく目が覚めてきたところなんだ」
そう言って手を差し出すと、敷波は俯いたまま、手を握り、小さく頷いた。
朝食の時間になり、寮へと向かう。
昨日の事があったから、気まずい雰囲気になるだろうと覚悟していたが、食堂は何事も無かったかのように、皆が集まっていた。
その中には響も居て――だが、目が合うことはなかった。
「司令官、こちらです!」
青葉に呼ばれ、席に着く。
そういや昨日、約束をしていたな。
「おはよう青葉、陸奥」
「おはようございます!」
青葉は何事も無かったかのように、元気な姿を見せてくれた。
敷波と同じで、青葉も気を遣ってくれているのであろうか。
――いや、そう思うのはやめよう。
今日からは、いつも通りの生活に戻る。
皆も、そうしなければいけないと思っているから、いつも通り振る舞っているのであろう。
昨日の事は、あくまでも心に留めておくことなのだと、分かっているのであろう。
「お、おはよう! 提督」
陸奥は挨拶をすると、俺の目をじっと見つめた。
「陸奥? どうした? 俺の顔に何かついているか?」
「ふっふっふっ……気が付きましたか? 司令官」
何故か得意げにする青葉。
「気が付くって……何が……?」
「陸奥さん、今日は司令官の顔を真っすぐ見れているんですよ!」
「え?」
再び陸奥の顔を見る。
そう言われれば、島に戻ってくる前は、何だか視線が合わず、何かとオドオドしていたような……。
「実は、司令官が帰ってくるまで、特訓をしていたんですよ! これを使って!」
青葉はパネルのようなものを取り出すと、自分の顔に当てた。
そのパネルには、俺の顔の写真が、デカく貼り付けられていた。
「な、なんだ? その気色悪いパネルは……」
「気色悪いって、自分の顔ですよ? 司令官。これを青葉がかぶって、会話する訓練を陸奥さんにしていたんですよ!」
「くだらないことを……」
「くだりますよ! 現に、陸奥さんを見てください! しっかりと会話、出来ているでしょう?」
「そうなのか?」
「え、えぇ……。まだちょっと緊張するけれど……前よりは……」
確かに、以前の陸奥とは少し――いや、本来の姿に戻りつつあると言った方が正しいだろうか……。
「とにかく! これからは積極的に、陸奥さんに話しかけてあげてください! 実戦を経験することが、一番の近道ですからね!」
一体、何の近道だというのか。
そんな事で騒いでいると、大淀が食事の挨拶を始めた。
それが終わる頃、夕張が食堂に入って来た。
「…………」
夕張は俺をチラリとみると、食事を二食分受け取り、どこかへ行ってしまった。
「夕張さん、最近ああして山城さんに食事を持って行っているみたいですね」
「え?」
「山城に食事を持って行って、出てくるよう説得してるみたいよ。貴方が島を出る前から、やっていたみたいだけれど、気が付かなかった……?」
そう言えば、以前、食事を持ってどこかへ行ったのを見たことがあった。
あれはそういう意味だったのか。
しかし、なんだってそんなことを――。
「って! 陸奥さん! 普通に司令官と話せてるじゃないですか!?」
「あ、確かにそうだな」
その事に陸奥自身も驚いていた。
「本当……。これも訓練の成果かしら!?」
「きっとそうですよ! 良かったですね! 陸奥さん!」
「えぇ!」
意味があったのか……あのパネルの訓練……。
しかしまあ……なんというか……。
あんなことがあった後だというのに、こんなにも平和な時間が流れるとは……。
大井が島を出た事は、皆にとってはショックなことのはずなのに、引きずっていないところを見ると、案外切り替えの早い連中なのかもしれない。
まあ、そうだよな……。
これまで、いろんな奴らが島を出て行っているわけだし、適応もするか……。
そんな事を考えながら食事をしていると、遠くで何かが衝突するような音がした。
「な、なんだぁ?」
その音は、徐々に大きさを増してゆき、やがて何かが壊れたかのような音と共に、静まった。
食堂内がざわつく。
「ひぃぃぃぃぃぃ……!」
次にきこえて来たのは、悲鳴であった。
だがそれは、食堂にいる誰かの声ではなく――夕張のものとも違う、聴いたことのない声の悲鳴であった。
皆が一斉に、食堂を出る。
「あの悲鳴、まさか……」
陸奥がつぶやく。
「誰の悲鳴だってんだ?」
陸奥と共に、食堂を出る。
皆、驚愕の表情を浮かべながら、何かを見つめていた。
「ちょっと失礼……」
皆の間をすり抜け、輪の中心に向かってみると、そこには――。
「夕張……」
と、謎の女。
傍には、壊されたであろう扉が転がっていた。
「お前、一体何をして……」
女が顔を上げる。
短い髪に、白い肌――特徴的な赤い目……まさか……。
「お前が……山城か……?」
「提……督……?」
山城は、驚愕の表情を浮かべながら、俺を見つめていた。
――続く