不死鳥たちの航跡   作:雨守学

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第13話

「――……」

 

流れて行く景色。

遠く――『あの場所』で見た、いくつもの高層建物。

それらが、窓の外で――まるで映画の様に、流れて行く。

 

「電車……?」

 

乗ったことはない。

乗ったことはないはずなのに、もう何度も、こうしている気がする。

 

「大井」

 

私を呼ぶ、ぼんやりとした影。

逆光の中に居るかのような――目を凝らしても、誰なのか分からない。

 

「ここまで来ればいいだろ?」

 

そう言われ、何やら焦るように怒っている私。

――私?

これは、私?

じゃあ、私は?

 

 

 

「いただきます」

 

朝食――にしては、少し凝ったものの様に見える。

 

「美味いな」

 

私が作った――作った……らしい朝食を、提督は――提督……?

 

 

 

私が作った財布を、提督は嬉しそうに受け取った。

 

「ありがとう、大井」

 

私は手を伸ばすと――いやいや、何やってんのよ私。

 

「最近は甘えてばかりじゃないか?」

 

「頑張ったんだから、褒めてくれてもいいじゃない……」

 

「分かった。おいで、大井」

 

提督の温もりに包まれて、私は――。

 

 

 

 

 

 

「――……」

 

目を覚ますと、私は泣いていた。

白い天井。

眩しいほどの光。

心地の良い風。

 

「ここは……」

 

窓の外に、青い海が広がっている。

その中にある小さな島は――。

 

「あぁ……そうか……。私は――」

 

『夢』の事は、もうすっかり忘れていた。

けれど、確かにあんたはそこに居た。

そこに、居てくれた。

 

「提督……」

 

窓から射す太陽の温もりは、彼の与えてくれたものに、とてもよく似ていた。

 

 

 

 

 

 

『不死鳥たちの航跡』

 

 

 

 

 

 

「んっ……いっ……いてっ……いてぇ……」

 

目を覚ますと、そこには敷波の顔があった。

 

「やっと起きた」

 

「……今、俺の顔を叩いていたか?」

 

「叩いたよー。司令官、中々起きないんだもん」

 

だからって叩く奴が……。

 

「……どうした? こんな朝早くから……」

 

「今日、鹿島さんとのデートでしょ? 遅刻しない様に、起こしに来てあげたんですよー」

 

そう言うと、敷波は布団を畳み始めた。

 

「そうか……。鹿島に頼まれたのか?」

 

「ううん。アタシが勝手に起こしに来ただけ」

 

「そりゃまた、どうして?」

 

「どうしてって……。遅刻したら、鹿島さん怒っちゃうだろうし、司令官だって困るでしょ?」

 

「いや、そうなのだが……。どうしてお前がこんな事を?」

 

そう聞いてやると、敷波は唇を尖らせた。

 

「別に……気まぐれ……」

 

……ではない、だろうな。

 

「顔、洗ってきたら? こっちはやっておくからさ」

 

何が目的なのかは分からんが、とりあえず好きにさせてやるか……。

 

「あぁ、分かった。頼んだぜ」

 

「うん」

 

 

 

顔を洗い終え、居間に向かうと、敷波が俺の服を広げていた。

 

「何をしているんだ?」

 

「デートの服、どんなのがいいかなって」

 

「デートの服? そんなの、別にいつもの通りで問題ないだろ?」

 

「ダメ! ちゃんとしないと……。鹿島さんだって、すっごい悩んでたんだから!」

 

「そうなのか?」

 

敷波は、わざとらしく大きくため息をついた。

 

「司令官ってさ……ほんっっっとにっ! デリカシーが無いって言うかさ……。女心が分かってないよね……」

 

「否定はできないな……」

 

「この島でデートするなんてさ、もはや好きだって告白しているようなものでしょ? すっごい勇気がいることだよ。なのに司令官ったら……どうでもいいみたいにさ……」

 

「どうでもいいってことはないが……」

 

「とにかく! もっと真剣にならないとダメだよ!」

 

鼻息を荒くして、俺の服とにらめっこする敷波。

 

「随分、俺たちのデートに真剣だな。そんなに鹿島を応援したいのか?」

 

「別に、そういう訳じゃないけどさ……」

 

敷波は俺をチラリとみると、再び唇を尖らせた。

俺を見る目。

その目に、どこか見覚えがあった。

 

「……何か、言いたいことがあるんだな?」

 

一瞬の間。

 

「……別に。何もないけど……」

 

「何かある言い方だ。言ってくれないと分からんぜ? 俺は、女心が分からないんだ。お前も知っているだろうに」

 

敷波は手に持っていた服を置くと、退屈そうに膝を抱えた。

 

「敷波?」

 

「……別に、何もないし」

 

いや、強情だな……。

普通は折れて、訳を話しそうなものだが……。

 

「実はデートが気に入らない……ってな訳ではないよな」

 

「…………」

 

「俺がお前に何かしてしまった……訳でもないか。そもそも、ここ最近はお前と――」

 

敷波は、より一層小さくなった。

あぁ……そういうことか……。

 

「最近構ってやれてないから、拗ねているのか?」

 

「ち、違うし……。別に……そんなんじゃないし……」

 

そうなんだな……。

 

「じゃあ、どういう訳なんだよ?」

 

敷波は黙ったままだ。

面倒くさい所は夕張そっくりだが、ここまで強情なのは――。

 

「……そうかよ。なら、もういいよ。何も言わなくて」

 

そう言って俺が立ち上がると、敷波は何やら焦りだした。

 

「あ……し、司令官……! その、違くて……!」

 

俺は、細い目で敷波を見た。

 

「違うって……何がだよ……?」

 

「え……あ……その……」

 

敷波は俯くと、今にも泣きだしそうな顔をした。

 

「フッ……なんてな。怒っているのだと思って、焦ったか?」

 

「え……?」

 

敷波はポカンとした顔を見せた後、状況を理解したのか、今度は怒り出した。

 

「――っ! ばかばかばか! 司令官のばか! アタシをからかったの!?」

 

ポカポカと叩く敷波。

 

「ははは、すまん。あまりにもお前が強情だからさ」

 

「もう……! 本気で焦ったじゃん……! もうそれ禁止だかんね……!」

 

「あぁ、二度としないよ」

 

「もう……最悪……」

 

「でも、こういう事をしたかったんじゃないのか?」

 

そう言ってやると、敷波は黙り込んでしまった。

 

「最近はずっと、島風たちに構ってばかりだったからな。疎かにして悪かったよ」

 

敷波は俯くと、寂しそうな表情を見せた。

 

「敷波」

 

「別に……司令官が誰と居てもいいよ……? 鹿島さんと恋人になったっていいし……。でもさ……その……」

 

「お前を疎かにしていい理由にはならない、か?」

 

敷波は何も言わなかった。

 

「そうならそうと、言ってほしかったぜ。それに気が付けるほど、俺は女心を分かっちゃいないんだ」

 

「……そんなだと、鹿島さんに振られちゃうよ?」

 

「……かもしれないな」

 

告白する予定はないが……。

 

「それで、どう構ってやったら、お前の機嫌はよくなるんだ?」

 

「……それさ、本人に聞いちゃうんだ」

 

「ダメなのか?」

 

「ダメだと思う……。普通、察してあげるものだと思うけど……」

 

俺が黙っていると、敷波は目を細めて俺を見た。

 

「今、面倒くさいって思ったでしょ……?」

 

「い、いや……別に……そんなことは……」

 

「まあ……全ての女の子がそうじゃないかもしれないけどさ、司令官はさ、鈍感って言うかさ……本当に女心が分かってないよね……」

 

「……すまん」

 

どうして俺は、こんな朝早くから説教をくらっているのだろうか……。

 

「……ごめん。偉そうなこと言ったよね……」

 

「いや、まあ……正論だしな……」

 

「……本当はさ、ただ島風たちに妬いてるだけなんだ。自分でも分かっているけど……素直になれないって言うか……」

 

そういう奴ばっかだな、艦娘って。

 

「でも、それじゃダメだよね……。また司令官に偉そうなこと言ったり、自分の気持ちから逃げようとしちゃうから……。ちゃんと、して欲しい事、言わなきゃだよね……」

 

その前向きな姿勢に、俺は思わず感心した。

それは、敷波が子供であるからこそ――大人の艦娘は、そこで立ち止まってしまうだろう。

なのにこいつは――。

 

「…………」

 

だからこそ、思う。

どうして、敷波はこの島に――。

 

「ん……」

 

敷波が、俺の胸に飛び込んできた。

 

「敷波……?」

 

「ぎゅって……して……欲しい……」

 

その表情は見えなかったが、小さな耳が、真っ赤に染まっていた。

 

「……分かった」

 

屈み、抱きしめてやる。

敷波は、俺の首に手をまわすと、ぎゅっと抱きしめ返した。

 

「いいこいいこって……して……?」

 

「あぁ」

 

頭を撫でてやると、まるで猫の様に、より深く、体を預けた。

 

「島風でも、こんなに甘えては来なかったがな」

 

そうからかってやっても、敷波は離れることをしなかった。

――どれくらいそうしていただろうか。

 

「もういいか? そろそろ、準備をしないと」

 

「……うん」

 

敷波は離れると、再び寂しそうな表情を見せた。

 

「……デートの服、選ばないとな」

 

そう言って、俺は敷波に服を渡した。

 

「え……?」

 

「選んでくれるんだろ? 一緒に、考えてくれないか?」

 

「え……あ……う、うん! アタシで、いいなら!」

 

「お前がいいんだ。頼んだぜ」

 

敷波の表情が、一気に明るくなる。

 

「そ、そう……。そっか……。えへへ……。分かった! とびっきりいいのを選んであげるね!」

 

打って変わり、敷波は鼻息を荒くして、服とにらめっこを始めた。

女心と秋の空――とは、よく言ったもので――案外、こういう事なのかもしれないな。

女心って奴は。

 

「おかげで参考になったぜ。ありがとな、敷波」

 

「うん? うん」

 

 

 

服を選び終え、寮へと向かう。

門のところで待ち合わせをしようとのことであったが、鹿島はまだ来ていないようであった。

 

「朝食も食べないでデートするの?」

 

「昼食を作って来てくれるとのことだったから、抜くことにしたんだ」

 

「ふぅん。そういうところだけは、しっかりしているんだ」

 

「食い意地だけは、女心とは関係ないからな」

 

敷波は笑うと、確認するように、俺の全身を眺めた。

 

「うん。ばっちり」

 

「あとは、お前のセンスと鹿島のセンスが、同じであることを願うばかりだな」

 

「大丈夫だと思うよ。多分鹿島さん、緊張して、司令官の服装に気を配れないと思うから」

 

「だったら、どうしてあんなに真剣に選んだんだ?」

 

そう聞いてやると、敷波はそっぽを向いた後、横目で俺を見つめた。

 

「敷波?」

 

「……やっぱり司令官って、女心が分かってないよね」

 

「え?」

 

「鈍感……。鹿島さんとのデートでは、しっかり気が付いてあげてね? じゃあ」

 

敷波は足早に、寮へと戻っていった。

 

 

 

鹿島が寮から出て来たのは、約束の時間を十分ほど過ぎた後であった。

 

「ご、ごめんなさい……! 遅くなっちゃいました……!」

 

『俺も今来たところだ』……と言うのは、地雷だと鈴木は言っていた。

お前も遅刻してるじゃねぇか。

という事になるらしい。

 

「大丈夫か? 何かあったのか?」

 

これが正しい返しなのかは分からんが、鹿島が遅刻するなんて珍しい事であるから、つい聞いてしまった。

 

「い、いえ……その……」

 

鹿島はチラリと、寮の方を見た。

視線の先――いつものメンバーが、こちらの様子を窺っていた。

 

「実は皆さんが、お化粧とか、お洋服選びをしてくださって……。思いのほか、時間がかかっちゃって……」

 

詳しくは語られなかったが、容易に想像できた。

ああでもないこうでもないと、皆が言い争っている姿を……。

 

「それは大変だったな」

 

「いえ……皆さん、頑張ってくれましたから……」

 

そう言うと、鹿島はチラリと、俺を見つめた。

これは確か……。

 

「……あぁ、そのようだな。とても綺麗だぜ、鹿島」

 

容姿の感想を求められている……んだよな?

 

『女が意味もなく視線を送ってくるときは、何か見て欲しいっていうか、察して欲しい何かがある時だ。例えば――』

 

「そ、そうですか……? えへへ……。提督さんも、とっても素敵な格好ですね」

 

そういや、さっきの敷波も――いやはや、難しいものだな……。

 

「提督さん?」

 

「あぁ……悪い……。それじゃあ……」

 

「あ……は、はい……。今日は……その……よろしくお願いします」

 

「こちらこそ。よろしくな」

 

皆に見送られながら、俺たちのデートが始まった。

 

 

 

とりあえず、海沿いを歩くことにした。

実は、どこに行くのかは決まっていない。

尤も、この島で行くところなんてのは――。

 

「本土であれば、好きなところにでも連れて行ってやったんだが……」

 

「この島で十分です。今日一日、提督さんをひとり占めできるなんて、これほどの贅沢はありません」

 

「大げさだな」

 

「そうでもありません。提督さんは人気者ですから。さっきのお化粧の時だって、皆さん、言っていましたよ。『ひとり占めできるなんて羨ましい』って」

 

言っているのは、一部の艦娘なんだろうけれどな。

 

「それでも皆さん、今回のデートを応援してくれました。せっかくなんだから、目一杯オシャレしなきゃって、お化粧も、お洋服も、皆さんが用意してくれたんですよ」

 

「なら、絶対にいい思い出にしないと、あいつらにも悪いって事か。これは中々のプレッシャーだ」

 

「うふふ、いい思い出になるかどうかは、私がどう思うか次第ですから、今日はたくさん、鹿島を満足させてくださいね?」

 

「……努力するよ」

 

こりゃ、敷波が来てくれてよかったぜ。

そうでなかったら、今頃――敷波は、分かっていたんだろうな。

 

 

 

たわいもない会話をしながら、ゆっくりと島を巡る。

デートと呼ぶには、あまりにも――それでも、鹿島は退屈せず、会話を楽しんでくれているようであった。

 

「うふふっ、楽しい。こんなに提督さんとお話ししたの、あの時以来ですね」

 

「あの時?」

 

「お互いに、秘密を打ち明けた時の事ですよ」

 

鹿島と初めて向き合うことが出来た、『あの場所』での事か。

 

「そう言えばそうだったか。あれから、お前のおかげで、たくさんの駆逐艦たちと交流できるようになったんだよな。それもあって、こうして話し合うことも出来ていなかったんだよな」

 

そう返してやると、鹿島は急に黙り込んでしまった。

 

「鹿島?」

 

「……あの時の事を思うと、私、提督さんに迷惑ばかりかけているなって」

 

「迷惑って……」

 

「今日のデートだって、提督さんの秘密は、別に私だけのものじゃないのに……それを出汁にして、無理やり約束させて……」

 

鹿島は俯くと、歩みをとめた。

 

「どうしたんだ? 急にそんな事……」

 

「……ここ最近の私は、ちょっと――いえ、すごく舞い上がっていました。自分が背負っている罪も……忘れていました……」

 

「それだけ、楽しめるようになったって事なんじゃないか? いい事だと思うがな」

 

「でも……」

 

鹿島は、自分の胸に手をあてた。

まるで、祈るようにして――。

 

「八百万豪の事を想うと、自分が幸せであることは罪であると?」

 

鹿島は何も言わなかった。

 

「そんな事、八百万豪は望んでないと思うけどな。むしろ、お前の事が好きだったんだ。幸せであることを願っているんじゃないか?」

 

そんな事は、鹿島も分かっている。

分かっているからこそ、苦しんでいるのだ。

それでも――。

 

「それは、俺も同じだ。迷惑なんかじゃない。むしろ、それがお前の幸せであるのなら、出来る限り叶えてやりたいと思っている。苦しみを共有するとは言ったが、それだけじゃない。お前の幸福は、俺の幸福でもある。それもまた、共有すべきことの一つだ」

 

「提督さん……」

 

「それに鹿島。デートで他の男の事を想ったり話したりするのは、いかがなものかと思うが?」

 

そう言って、俺はわざとらしく目を細めた。

鹿島は少し驚いた後、小さく笑い、唇を尖らせた。

 

「……提督さんだって、いつも陸奥さん達にデレデレしてるじゃないですか?」

 

その反撃に、俺は思わず閉口してしまった。

一瞬の沈黙。

 

「……ぷっ、うふふふ」

 

「フッ……ははは」

 

まるで、緊張が解けたかのように、お互い笑みがこぼれた。

 

「そうさ。今は俺とデートしているんだから、他の男の話は無しだぜ」

 

「そうでしたね。ごめんなさい」

 

鹿島は頭を下げると、俺に近づき、手を取った。

 

「ありがとうございます、提督さん。本当、私、提督さんの事――」

 

鹿島はそれ以上を言うことはなかった。

 

「そうだ。せっかくだし、『あの場所』に行こうか。ちょうど昼時だし、飯もそこで」

 

「いいですね! 行きましょう! えへへ」

 

鹿島はいったん手を離すと、指を絡める様に握りなおし、俺の手を引いた。

快晴の中で、彼女の表情は、何よりも輝いて見えた。

嗚呼、この感覚は――。

 

 

 

それから俺たちは、『あの場所』で、鹿島が作って来てくれた弁当を食べた。

 

「美味いよ」

 

「良かった。本当は、サンドイッチのような洋食が良かったのですが……。この島の食材だと、どうしても和食寄りになってしまって……」

 

「いいじゃないか。俺は和食、好きだぜ」

 

「本当ですか? えへへ、じゃあ、たくさん練習しないと」

 

そう言うと、鹿島はニコッと笑って見せた。

その笑顔に、思わずドキッとする。

 

「えへへ……」

 

飯を食っている間にも、終始見つめる鹿島。

 

「そんなに見られては、食べにくいぜ」

 

「あ、ごめんなさい。その……嬉しくて……」

 

「嬉しい?」

 

「提督さんが、鹿島の作ったものを美味しそうに食べてくれていることが。もし、恋人が出来たら、こんな感じなのかなって」

 

恋人……か……。

 

「……提督さんは、その……全ての艦娘を島から出したら、どうされる予定なんですか?」

 

「どうされる……ってのは?」

 

「お仕事の事もそうですけど……恋人とか……つくらないのかなって……」

 

最近、その事をよく考える。

特に、本土に居た十日間で、俺は――。

 

「提督さん?」

 

「……どうかな。その時にならないと、分からない。とにかく今は、目の前の仕事に集中するだけだ」

 

「そうですか……」

 

鹿島はおにぎりを手に取ると、口をつけず、ただじっと見つめた。

 

「もし……」

 

「?」

 

「もし……艦娘の人化が出来なかったら……提督さんは、いつ島を出ようと思っているのですか……?」

 

「え?」

 

「提督さんだって、分かっているはずです……。この島の艦娘達の人化は、一筋縄ではいきません……。佐久間さんですら、十年かけても、島の艦娘全員を信用させるに至りませんでした……。私達艦娘には時間がありますけど、提督さんはそうじゃない……。どれくらいの時間をかけて、全ての艦娘を人化しようと思っているのかなって……。それを過ぎたら、提督さんは――それまで、あとどれくらいなのかなって……」

 

鹿島が何を心配しているのか、俺には何となくわかっていた。

 

「タイムリミットはない。俺は一生を、この仕事に捧げるつもりだ」

 

「では……」

 

「あるとすれば、寿命だな。もしくは事故。いずれにせよ、この島に艦娘がいる限り、俺は諦めないつもりだ。だから、安心して欲しい」

 

鹿島はおそらく、自分が島を出ることが出来るまで、俺が島に居てくれるのか不安に思っていたのだろう。

そう――なのではないかと考えていたが、どうやら違う様で、鹿島はもじもじしながら、膝を抱えた。

 

「でも……やっぱり、幸せな姿を見せることも大事だと思うんです。時間をかけても説得できないようなら、自らの幸せをアピールするのもありなんじゃないかなって……思うのですけれど……」

 

「どういうことだ?」

 

鹿島は顔を真っ赤にすると、小さな声で言った。

 

「もし……全ての艦娘を人化出来ないと諦めることがあったら……鹿島を……娶ってくれませんか……?」

 

「え?」

 

鹿島は向き合うと、俺の目をじっと見つめた。

 

「ダメ……ですか……?」

 

俺は思わず、目を逸らしてしまった。

 

「……ダメなんですね」

 

「い、いや……! ダメという訳じゃないが……」

 

「では……」

 

「その……ちょっと待ってくれ……。急な事で動揺している……」

 

落ち着くように、俺は深呼吸をした。

その間、鹿島は目を離さず、俺を見ていた。

 

「まあ……なんだ……。気を遣って言ってくれているのだろうけれど……」

 

「気なんか遣っていません……。鹿島は……本気です……」

 

「……俺の事が、好きなのか?」

 

鹿島は顔を伏せると、小さく頷いた。

 

「……提督さんだって、鹿島の気持ちに気が付いていたんじゃないですか?」

 

図星。

 

「いや……まあ……。デートして欲しいってくらいだからな……」

 

「それを受けてくれた提督さんの気持ちは……どうなんですか……?」

 

俺の反応を確かめる様に、鹿島は再び俺を見つめた。

 

「俺の気持ちは……その……」

 

ふと、何故か、夕張の顔が頭に浮かんだ。

そしてそれが、俺の緊張を――男としての本能を抑えてくれた。

 

「……素直に嬉しいと思っているよ。お前が嫁だったら、どれだけ幸せか……」

 

「で、では……!」

 

「けど……約束はできない……。それは、好きだとか嫌いだとかではなく、俺がこの仕事に対して、それだけ本気だという事だ」

 

鹿島の顔を見ることは出来なかった。

それは、鹿島に対して申し訳ないという気持ちがあったという訳ではなく――夕張の時と違って、鹿島の誘惑に――自分の気持ちに、のまれそうになったからであった。

それほどまでに、俺は鹿島に対して――。

 

「お前の言う通り、一筋縄ではいかない仕事だ。それでも俺は、この命尽きるその時まで、艦娘の人化に尽力したいと思っている」

 

「……説得が難しかったら」

 

「……確かに、お前を娶って、幸せをアピールするのはありかも知れない。だがそれは、俺の幸せでなくていい」

 

鹿島は何か言おうとしたが、何も思いつかなかったのか、閉口した。

 

「俺の幸せは、お前たちの人化だ。恋も……確かに悪くないし、それに逃げてしまおうとしたこともある……。それでも俺は……」

 

再び、夕張の顔が浮かぶ。

その顔は、呆れた表情を浮かべていた。

そら、呆れもするわな。

夕張に言ったことと、鹿島に言ったこと。

その二つは、まるで矛盾しているのだから。

恋愛として、夕張の気持ちを蹴った。

仕事として、鹿島の気持ちを蹴った。

結局俺は――そう、俺は――この二隻から――。

 

「……分かりました」

 

鹿島は深呼吸をすると、表情をやわらげた。

 

「すみませんでした。変なこと言って……」

 

「いや……」

 

鹿島は自分の顔を両手で叩くと、スッと立ち上がった。

 

「せっかくのデートなのに、こんな顔していちゃ駄目ですよね! 仕切りなおしです!」

 

今度は違う形で顔が赤くなった鹿島に、俺は思わず笑ってしまった。

 

「そうだな。仕切りなおそう」

 

「はい! じゃあ、あーんからやり直しません?」

 

「やってないだろ……さっき……」

 

「やりたかったんです! ささ、あーん!」

 

まるで、数秒前の事なんてなかったかのように、鹿島はきっちり仕切りなおした。

気を遣わせたのか、それとも、本人が忘れたかったのかは分からない。

いずれにせよ、仕切りなおされたその笑顔に、俺の心は救われた。

 

 

 

昼食の後、どうしようかと話していると、鹿島が、俺の家で過ごしたいと言い出した。

 

「家って……。何もないぜ」

 

「お家デートですよ。やってみたかったんです。えへへ。それに、島を巡ったって、それこそ何もないですよ?」

 

「まあ、そうかもしれないが……」

 

鹿島はルンルン気分で、家へと歩き出した。

お家デート……か。

それは流石に、鈴木から教えてもらっていない。

想像は出来るが、それはあくまでも、島の外での話であって――ただでさえ何もない島に、何もない家があるのだ。

一体、何をすればいいのだろうか……。

 

 

 

家に着くと、鹿島は俺に、外で待つよう指示をした。

 

「しばらくしたら、戸を叩いてくださいね」

 

そう言うと、鹿島は戸を閉めて、鍵をかけた。

一体、何をしようというのか……。

とりあえず、戸を叩く。

「はーい」という声と共に、鹿島は戸を開いた。

 

「お帰りなさい、あなた。えへへ」

 

あぁ、そういうことか……。

 

「あぁ、ただいま」

 

「えへへ、一回やってみたかったんです。夫婦ごっこ」

 

「それでお家デートって訳か」

 

「うふふ。さ、あがってください。あなた」

 

続けるのか。

しかし、まあ、そういう事なら。

 

「俺からは、なんて呼べば?」

 

「普通に、『鹿島』で結構ですよ。今だけ鹿島は、雨宮鹿島です! うふふ」

 

雨宮鹿島……。

 

「提督さ……じゃなかった……あなた? どうかしましたか?」

 

「いや……」

 

イカンな……。

つい、感慨に浸ってしまった。

夫婦生活……か……。

 

 

 

「はい、どうぞ」

 

「おう、ありがとう」

 

鹿島は茶を渡すと、俺の隣に座った。

 

「『夫婦ごっこ』ですけど、それにしてはちょっと若すぎますね、私たち」

 

「お前の『推定年齢』がどれくらいなのかは分からんが、多く見積もっても、俺よりも若いだろうしな」

 

「まだまだ恋人気分の抜けない夫婦って設定でいきます?」

 

「具体的なのに想像がつかないぞ、その関係……」

 

そんな事を話していると、ふと、違和感に気が付く。

 

「あぁ……そうか……」

 

「どうしました?」

 

「いや、なんか違和感あると思ったら、駆逐艦がいないんだ。今日は家に遊びに来ていないのか」

 

「あ、それはですね……。実は、私たちのデートを邪魔しないようにと、皆さん、今日一日は外に出ないようにしてくれているんですよ」

 

それでさっきも、誰とも会わなかったのか……。

 

「徹底しているというか、あれだけ騒いでおいて、やけに協力的だな」

 

「この島に来る『提督さん』と艦娘がデートするときは、いつもこうなんです。尤も、ここ何十年かはありませんでしたけど……」

 

なるほど……。

以前、青葉から『娶りを期待する風習があった』と聞かされていたが、その文化の名残という訳か……。

 

「言ってしまえば、皆さん公認の関係……という訳ですよ……?」

 

そう言うと、鹿島はじっと、こちらを見つめた。

 

「えへへ……そう考えると、なんだかドキドキしますね……」

 

公認……してくれていない奴もいるだろうが――いや、それは自惚れってやつか……。

 

「今まで、たくさんの方がお嫁さんになって、この島を出て行きました。結婚式みたいなこともやったことがあるんですよ?」

 

「気が早いな」

 

「お嫁さんになってみたいって方がいまして、その夢を『提督さん』が叶えてくれたのです。海軍も協力して、衣装を用意してくれて……。とっても素敵でした……」

 

思い出すかのように、鹿島は目を瞑った。

 

「やはり憧れるか。花嫁ってのに」

 

「もちろんです。憧れない女の子なんていませんよ」

 

そういうものか。

 

「…………」

 

鹿島は黙り込むと、そっと近づき、寄り掛かるように俺の肩へ頭を預けた。

 

「鹿島?」

 

「私……何十年もこの島に居ますけど、今が一番幸せです……。私は……鹿島は……提督さんに会う為に……生まれて来たんじゃないかなって……思うくらいに……」

 

それはつまり、鹿島の言う幸せってのは、俺が居るから成り立つという訳か。

なんとまあ、歯の浮くような台詞だ。

 

「――……」

 

だが、そんな台詞に、俺はまんまと――。

 

「提督さん……」

 

鹿島は顔を近づけると、何かを待つかのように、目を瞑った。

 

「か、鹿島……」

 

どうすればいいのかは分かっている。

だが、それが出来るとは――。

狼狽える俺に痺れを切らしたのか、鹿島はそのまま近づき、キスをした。

 

「――……。抵抗……しないんですね……」

 

「……動けなかっただけさ」

 

「なら、今度は抵抗してくださいね……?」

 

今度はゆっくりと、鹿島の顔が近づく。

 

「しちゃいますよ……? キス……」

 

俺はハッとし、鹿島を押しのけ――。

 

「もう遅いです……」

 

俺は改めて、艦娘の力というものを思い知った。

再び――だが、先ほどとは違い、大人のキスであった。

 

「――……。鹿島……こういうのは、大事な人の為にだな……」

 

「大事な人ですよ……。提督さんは……」

 

「しかし……」

 

なおも抵抗する俺に、鹿島は膝を抱え、小さくなってしまった。

 

「鹿島は……提督さんの大事な人になれませんか……?」

 

俺は何も言えなかった。

何と言ったらいいのか、分からなかった。

いや、本当に分からないのは――。

 

「提督さんはこの先も、仕事をまっとうするまで、そうするおつもりですか……?」

 

「……あぁ。誘惑に負けそうになることもあるが、努力するつもりだ……」

 

「絶対に……? もし、もう自分の実力じゃ、艦娘の人化が無理だと分かったら……? せめて、一隻でもと、娶ることはしませんか……?」

 

その質問に、俺は一瞬、閉口してしまった。

本当に一瞬だったから、鹿島は気が付かなかったようであるが……。

 

「……あぁ、しない。最期まで、諦めないつもりだ……」

 

明石の背中が、俺にはハッキリと見えていた。

 

「さっきも言ったが、好き嫌いではない。それだけこの仕事に本気で『ありたいんだ』」

 

ついに本音が出る。

『本気でありたい』

つまり、まだ本気にはなれていない証拠。

認めたくはなかった証拠だった。

だからこそ、俺は二隻に対して、あべこべな回答をしてしまったのだ。

 

「提督さんは、鹿島の事が好きですか……? 異性として……意識出来ますか……?」

 

「だから、それは関係なくて――」

「――答えてください」

 

鹿島は真剣な表情で、俺を見つめていた。

 

「……あぁ。好きさ……。異性としても意識している……」

 

「…………」

 

「だがそれは、俺が未熟な男だからだ。現に、お前にだけではなく、俺は……」

 

その先は言えなかった。

言わなきゃいけないはずなのに、言えなかった。

 

「……よく分かりました」

 

「鹿島……」

 

「仕事に専念したいのだけれど、恋をしてしまう自分がいる。それを払いのけようとする努力が、今の提督さんには必要だ……という事ですね……?」

 

「あぁ……。だからこそ、お前の気持ちには――いや、俺の気持ちを抑えなければいけないんだ……」

 

「具体的に……どう抑えるおつもりですか……?」

 

「……『艦娘には恋をしない』ということを、胸に強く意識するつもりだ」

 

それも、半分崩れてしまっているがな。

 

「艦娘であるから……」

 

鹿島は目を瞑ると、何やら考え事を始めた。

そして、それが終わると、何やら決意した表情で、俺を見た。

 

「だったら……私は今すぐにでも艦娘をやめます……」

 

「え……?」

 

「それなら、提督さんは私を意識してくれますよね……?」

 

並々ならぬ決意のようであった。

これを払いのけるには――。

 

「……そこまで決意するほどか」

 

「はい……!」

 

「……分かった。だが、その前に一つ、聞いて欲しい話があるんだ……。それを聞いてもまだ、同じことが言えるか……?」

 

俺は、本土での十日間、山風に恋をした話を――事の顛末を包み隠さず、鹿島に話した。

 

「――この前は言えなかったが、俺は山風に恋をして、フラれたんだ。山風は俺を想って――仕事に専念させるために、その道を選んでくれたんだ……」

 

鹿島は何も言わず、俯きながら、俺の話を聞いていた。

 

「だからこそ、それを無下には出来ないし、お前にも同じ道を歩んで欲しくないんだ……」

 

「でもそれは……山風さんが引いただけですよね……? 私は……私だったら……!」

 

そこまで言って、鹿島は閉口した。

まるで、何かに気が付いたかのように。

そして、訂正するように、もう一度言った。

 

「私だったら……やっぱり、同じことをするかもしれません……。だって、私の好きな提督さんは、そういう人だから……」

 

何かに――誰かに同意するかのように、鹿島は頷いた。

 

「山風さんは、本当に提督さんが好きだったんですね……。いえ……きっと、今も……」

 

鹿島はしばらく黙り込んでいたが、やがて顔をあげ、決意した表情で俺を見た。

 

「だったら尚更、私は艦娘をやめなければいけませんね」

 

「え……?」

 

「だって、この島に居る限り、私はきっと、提督さんに娶ってもらおうとするはずです。現に、こうして無理やり、デートに誘ってしまっているわけですから」

 

確かにそうだが……。

 

「私の好きな人は、鹿島の誘惑にも負けない人……。仕事を全うするんだって――負けそうになりながらも、そう決意できる人ですから……」

 

「鹿島……」

 

「……本音を言うと、鹿島が島を出て人化したら、提督さんの気持ちも変わるかなって、思ったりしているんですけどね」

 

鹿島は舌を出すと、ニコッと笑って見せた。

 

「……策士だな」

 

「それでも、提督さんは仕事を全うするって、信じています。そしていつか、全ての艦娘を人化したら、きっと――」

 

鹿島は、縁側の向こうに広がる海を眺めた。

 

「……本気なんだな」

 

「えぇ、本気です。どうせその内、島を出ることになるのですから、早い方がいいって、前々から思ってはいたんです。けど、勇気が無くて……」

 

勇気……。

 

「香取姉や『提督さん』の事もありますし、駆逐艦の事もありましたから……。それに……」

 

鹿島は再び、俺を見た。

 

「この気持ちに……提督さんを想うこの気持ちに嘘はないって……確かめたかったんです……」

 

「……結論が出たんだな」

 

「はい」

 

鹿島の目は、本気であった。

 

「……分かった。ただ、もう一晩考えてからにしてくれ。勢いに任せているだけかもしれないから」

 

「はい。そうさせてもらいます」

 

一呼吸置くと、鹿島は再び、俺の肩に頭を預けた。

今度は、腕組みもセットで。

 

「でも、今はデートに集中しますね。えへへ」

 

切り替えの早いやつ。

だが――。

 

「あぁ、そうだな」

 

これでいい。

――というよりも、これでしかいられない。

どんな理由であれ、島を出る決意を持ったというのなら、俺からは何も言うまい。

そうさ。

それが俺の仕事なのだ。

そうだ。

――そう、割り切るしかないのだ。

 

 

 

夕方。

寮まで送ろうとする俺を、鹿島は止めた。

 

「提督さん、今日はお家に居てください」

 

「え? どうしてだ?」

 

「実は、今日の決意を皆さんに聞いて貰おうと思っているのです。もしかしたら、私と一緒に島を出ようとする駆逐艦が居るかもしれません。今後の事もありますし、結構ナイーブな話になると思いますので、提督さんにはお家にいてもらって、私たちだけで話し合おうと思っています」

 

「……皆に話すのか」

 

「私一人の問題ではありませんから」

 

どんな問題があるのか、鹿島が具体的に話すことはなかった。

 

「分かった……。今日はもう、家から出ないことにするよ」

 

「すみません」

 

「いや……」

 

「……今日は、ありがとうございました。デート、とっても楽しかったです! 次はきっと、島の外でデートしてくださいね?」

 

俺は返事をすることが出来なかった。

だが、それが正しい反応だったようで、鹿島はニコッと笑って見せた。

 

「あ、そうだ……」

 

「ん?」

 

「最後に……お願いしたいことがあるのですが……」

 

「なんだ?」

 

「その……ぎゅって……抱きしめてくれませんか……?」

 

「え?」

 

鹿島は恥ずかしそうに手を揉むと、顔を真っ赤にして、俺を待った。

 

「……あぁ、分かった」

 

断るなんて、出来るはずがなかった。

それだけの決意を、鹿島は――或いは、それを分かっていての――。

俺は恐る恐る、鹿島を抱きしめた。

 

「……こうでいいか?」

 

「はい……えへへ……」

 

しばらくそうした後、鹿島は顔をあげ、俺の頬にキスをした。

 

「お、おい……」

 

「うふふ、ごめんなさい。でも、唇じゃなければ、提督さんも誘惑には負けないかなって」

 

舌を出す鹿島。

そっちの方が、俺にとっては辛いものがあるけどな。

 

「ありがとうございました。満足です。えへへ」

 

「そりゃよかった」

 

「では、帰りますね。本当にありがとうございました。また明日」

 

「あぁ、また明日」

 

「では……」

 

「あぁ」

 

鹿島は振り返ることなく、寮の方へと帰っていった。

 

「…………」

 

一体、何と言って皆に話すのだろうか。

そもそも、鹿島は本当に――だとしたら、俺は――。

 

「って、馬鹿か俺は……」

 

去って行く鹿島の背中を、俺はいつまでもいつまでも、見続けていた。

 

 

 

翌朝。

敷波が起こしに来ることはなかった。

ラジオ体操も、鶏の鳴き声さえ、聞こえなかった。

 

「静かな朝だな……」

 

不気味なほどに、な……。

 

 

 

寮もまた、静寂に包まれていた。

朝食の時間だというのに、食堂にはまだ、誰もいなかった。

 

「こりゃ一体……」

 

「あ、提督。おはようございます」

 

声をかけて来たのは、鳳翔であった。

 

「鳳翔。おはよう」

 

「おはようございます。ちょうど今、朝食を持ってお伺いしようかと思っていたところです」

 

そう言うと、鳳翔は風呂敷包みを見せた。

 

「朝食を? 家にか?」

 

「えぇ。訳は後でお話ししますから、とりあえず寮を出ましょう」

 

事情が分からないまま、俺は鳳翔と家へと戻った。

 

 

 

「昨日、鹿島さんから島を出るのだというお話を聞きました。はい、御味噌汁です」

 

「ありがとう。して、どうなったんだ?」

 

「それはもう大騒ぎです。特に、駆逐艦なんかは――鹿島さんを説得する娘達も居て――全員を集めて、話し合いをすることになったのです。実はそれが、先ほどまで続いていて……。皆さん、今は眠っているのです」

 

だから誰もいなかったのか。

 

「お前は眠らなくていいのか?」

 

「えぇ。実は、昨日一日はお休みをいただいていたので、恥ずかしながら、ずっと眠って過ごしていたのです。外に出ようにも、提督と鹿島さんがデートしていますから、寝ることしかできなかったのですよ?」

 

鳳翔はわざとらしく頬を膨らませた。

 

「それはすまなかったな」

 

「ふふ、冗談ですよ。でも、結果として良かったです。こういう事になるのなら」

 

鳳翔は嬉しそうに笑うと、「いただきます」と手を合わせ、食事を始めた。

 

「しかし、鹿島さんが島を出る決意をするなんて、どんなペテンを使ったのです?」

 

「ペテンか……」

 

どう答えようかと考える俺の様子を見て、鳳翔はくすくすと笑った。

 

「恋ですか」

 

「……知っているじゃないか」

 

「提督の動揺するお顔が見たかったのです。ごめんなさい」

 

鳳翔は舌を出し、おどけて見せた。

 

「どこまで聞いている?」

 

「鹿島さんが提督に恋をして、それ故に島を出るのだと」

 

つまり、全部って事か……。

 

「鹿島さんが提督の事を好きだって事は知っていましたけれど、まさか、島を出るとまで言い出すなんて」

 

「やはり、意外に思ったか?」

 

「えぇ。大井さんが島を出た後、自分が駆逐艦を守るんだって、息巻いていましたから」

 

やはり、並々ならぬ決意だったのか。

 

「簡単に言ってはいましたけれど、ずっと考えていたのだと思います。こう言ってはなんですけれど、駆逐艦を守るなんて、鹿島さんでなくてもいいはずです。それに、守られなければいけないほどの敵はもういないって、本当はみんな分かっているのです。それでも――」

 

鳳翔は箸を置くと、何やら俯いてしまった。

 

「鳳翔?」

 

「提督は……鹿島さんの事が好きなんですか……?」

 

「え?」

 

「考えていたのです……。鹿島さんの決意について……。もし、自分が同じ決意をするのなら、何が決め手になるのかと……」

 

鳳翔はじっと、俺を見つめた。

 

「鹿島さんに告白されて、自分も好意があることを伝えたのではないのですか……?」

 

その瞳は、責めているというよりも、どこか――。

だからこそ――。

 

「……あぁ、伝えたよ」

 

「やはり……そうなのですね……」

 

鳳翔は微笑んで見せると――だが、それ以上に――。

 

「……分からないんだ」

 

「え……?」

 

「それでもなお……俺は鹿島の気持ちに――あいつの望むようには応えなかった……。なのに……」

 

鳳翔は驚いた後、険しい表情を見せた。

 

「……分からないのは提督です。どうして応えてあげなかったのですか……?」

 

「お前たちがこの島に居るからだ……。俺の仕事は、全ての艦娘を人化させること。それを果たすまでは――」

 

「それはいい訳です……! 鹿島さんを好きになったというのなら、一緒に島を出るべきです……! 何を恐れているのかは分かりませんが、私たちを盾にしないでください……!」

 

「盾になんてするものか……」

 

「いえ! 貴方は――」

「――あいつの決意はそんな安いもんじゃねぇんだよッ!」

 

思わず声が出る。

鳳翔は怯える様に、胸に手をあて、小さくなった。

 

「……悪い」

 

永い沈黙。

 

「……逆なんだ」

 

「え……?」

 

「気持ちに応えられない俺に対して、あいつは、仕事をまっとうしようとする俺が好きなのだと言って、背中を押してくれた……。あいつの気持ちに応えることも出来た……。あいつもそれが分かっていたはずだ。それでも……あいつは……」

 

俺の言っている意味が分かったのか、鳳翔は俯いてしまった。

 

「……それほどまでに、提督の事を想っているのですね。鹿島さんは……」

 

「……だからこそ、分からんのだ。俺は、そんな決意が出来るほどに、誰かを好きになったことはない……」

 

山風と鹿島。

『二人』の気持ちに対して、俺は本気になれなかった。

本気であれば、今頃――。

 

「私……正直なところ、鹿島さんがそこまでの決意を持っているなんて、思ってもみませんでした……。恋に流されているだけなんじゃないかって……」

 

「そうであったのなら、俺は本気で止めていたさ……」

 

もうすっかり冷えた味噌汁を口に運ぶ。

 

「……冷えても美味いな」

 

そう言って微笑んで見せると、鳳翔は安心したのか、優しく微笑み返した。

 

「ありがとうございます」

 

再び朝食に手を付ける俺たち。

 

「提督」

 

「なんだ?」

 

「私も、本気になろうと思います。鹿島さんの様に」

 

「島を出るということか?」

 

「いえ」

 

鳳翔は箸をおくと、俺に近づき――。

――同じものを食べているはずなのに、口の中に残る味は、少し違っていた。

 

「――鹿島さんがそのように貴方への愛を示すのなら、私はこうします」

 

「……俺は艦娘に恋はしないと誓ったんだぜ」

 

「本気にさせるだけの艦娘が居なかっただけです。私は、諦めませんから」

 

そう言った数秒後、自分のしたことに気が付いたのか、鳳翔は顔を赤らめると、飯もそっちのけで家を出て行ってしまった。

 

「…………」

 

ふと、鳳翔の器に、口紅の跡を見つけた。

 

「鳳翔……お前……」

 

 

 

皆が起き出したのは、お昼直前の事であった。

 

「失礼します」

 

最初に執務室を訪ねて来たのは、大淀であった。

 

「寝坊だぜ」

 

「すみません。実は……」

 

「あぁ、鳳翔から聞いているよ。鹿島の件だろ?」

 

大淀は真剣な表情を見せると、小さく頷いた。

 

「……流石ですね。たった一回のデートで、鹿島さんに決意を持たせるなんて。佐久間さんでも、そこまでは――。少し、貴方が怖いくらいです」

 

「俺ではない。あいつの決意が――あいつの想いが並外れているんだ。俺には抱えきれないほどにな……」

 

俯く俺に、大淀は何かを察したのか、空気を変える様に微笑んで見せた。

 

「とにかく、鹿島さんの決意は、今後大きな波紋を呼ぶはずです。鹿島さんの跡を追う娘たちもいるでしょうし、そうでなくとも、人化を考えるきっかけになるはずです」

 

「……そうだな」

 

そうだ。

今はとにかく、喜ぶべきだ。

大淀が言うように、、大きな波紋を呼ぶことになるのは間違いないのだ。

やっと成果が出て来たのだ。

今は――とにかく――。

 

「提督!」

 

ノックもせずに現れたのは、明石であった。

 

「明石、ノックくらいしなさい?」

 

「あ、ごめん……。そ、それよりも!」

 

「鹿島の事だろ? 今、大淀と話していたところだ」

 

「それもありますけど……! 違うんですよ! 皐月ちゃんと卯月ちゃんが……!」

 

 

 

食堂へ向かうと、皆が皐月と卯月を囲っていた。

 

「あ、司令官!」

 

皐月と卯月は俺を見つけると、傍へと駆け寄って来た。

跡を追うように、鹿島も。

 

「皐月……卯月……。お前ら……」

 

「うん。もう聞いた?」

 

「……あぁ。明石からな……。本気なのか……?」

 

「えへへ」

 

皐月と卯月は、互いに顔を見合わせ、大きく頷いた。

 

「うん。本気さ。ボクたちは――」

 

「――鹿島さんと一緒に、島を出ることにしたぴょん」

 

皆がざわつく。

鹿島に目を向けると、首を横に振って、俺の疑問に答えてくれた。

 

「けど……どうして……?」

 

「昔から決めていたんだ。鹿島さんが島を出ることになったら、ボクたちも一緒に出ようねって。ね、卯月」

 

「うん!」

 

俺は、唖然としていた。

そんな理由で島を出る決意をしたと言うのか……。

 

「提督」

 

大淀が、俺の肩に手を置いた。

その意味が、俺には分かっていた。

 

「――そうか。よく決意してくれたな。お前たち」

 

二隻の頭を撫でてやる。

これが正解なんだろ?

大淀。

 

「でもね……その前に、司令官にお願いがあるんだぴょん……」

 

「お願い?」

 

「うん……。皐月……」

 

卯月はバトンタッチをするように、皐月を見た。

 

「実はもう一人……連れて行きたいのがいるんだけど……。中々手ごわくってね……」

 

「その、もう一人……ってのは……」

 

「もっちーだぴょん……」

 

「もっちー?」

 

「望月さんの事です」

 

望月だからもっちー……か。

確か、寮に居る時は、いつも三隻がセットで――だが、俺はまだ一度も絡んだことがなかった。

 

「昨日……というか、今日なんだけど、ボクと卯月、もっちーの三人で話したんだ。鹿島さんと一緒に、島を出ようって……」

 

「でも……もっちーは行かないって……。うーちゃん達は、三人で一つだぴょん……。鹿島さんと一緒に島を出たいけど……もっちーが一緒じゃないと嫌だぴょん……」

 

なるほどな……。

 

「つまり、俺に望月を説得してほしいと……?」

 

二隻は頷くと、俯いてしまった。

 

「提督さん……」

 

「鹿島……」

 

「私からもお願いします……。望月さんが島を出る決意をするまで、私も島に残って協力しますから……」

 

苦い顔をしたのは、俺だけではなかった。

大淀もまた、その意味が分かっていた。

 

「……分かった。やってみよう」

 

やってみよう……ではないのだ。

やらなきゃいけないのだ。

望月を説得できなければ――。

 

「良かったね。二人とも!」

 

「「うん!」」

 

こいつらも――。

 

 

 

「厄介な事になりましたね……」

 

執務室に戻ると、大淀は開口一番に、俺の気持ちを代弁した。

 

「望月さんを説得できるかどうかはいいとして……あまり時間はかけられませんよ……」

 

「あぁ……。あいつらの決意が熱を持っている内に、何とか解決したいものだ……」

 

とは言え、全く絡んだことのない駆逐艦相手に、短期間でどこまで踏み込めるのか……。

 

「望月さんについては、どこまで?」

 

「……いつもあいつらと一緒に居て、マイペースで、めんどくさがり屋ってところくらいだ」

 

概ね合っているのか、大淀は頷いて見せた。

 

「望月さんはああ見えて、かなりのキレ者ですよ。皐月さんや卯月さんと同じように考えてはいけません」

 

それは何となく感じていた。

なによりも、駆逐艦特有の元気いっぱいな感じが全くなく――だからと言って、陰気な感じでもない。

どこか、傍観に徹するかのような――。

 

「今回の件、おそらく望月さんは、自分がキーマンであることを自覚しているはずです。そして、提督が接触してくることも、想定しているはずです」

 

「島を出たくないと言っているところを考えると、接触には気を遣わないといけない訳だな」

 

「対応を間違えれば、敵対関係に発展するかもしれません。そうなれば……」

 

正直、そこまで警戒するべき相手ではないと思ってはいたが……。

 

「……分かった。接触については、少し様子を見ることにする。もしかしたら、望月の方から接触してくるかもしれないからな」

 

「それが宜しいかと。私も、鹿島さん達と協力して、何かできないか考えてみます」

 

「悪いな」

 

「いえ」

 

ふと、大淀の口元が緩んでいることに気が付いた。

 

「どうした? 何かおかしい事でも?」

 

「あ、いえ……その……」

 

大淀はチラリと、俺を見た。

ああ、そういう事か……。

 

「佐久間との思い出がよみがえったか?」

 

大淀は驚いた後、小さく頷いた。

 

「そうか……」

 

「すみません……」

 

「いや……。しかし……そうだよな……。お前は人化に協力的だったと聞く。こんな話も、したはずだよな」

 

大淀は何も言わず、恥ずかしそうに手を揉んだ。

 

「これから嫌でも似たような経験が出来るぜ。もっと喜んだらどうなんだよ?」

 

揶揄うように言ってやると、大淀は安心したように小さく笑った。

 

「提督はそれでいいのですか?」

 

「あぁ。その方が、お前もやる気になるだろうしな」

 

「少し前まではシリアスな顔になっていたくせに、現金な方ですね」

 

「お互い様だろう」

 

「ふふ、確かに」

 

大淀は一呼吸置くと、優しい表情で俺に向き合った。

 

「これは大きな一歩だ。佐久間肇がそうだったように――お前に初めて会った時に伝えた――艦娘の人化には……俺には、お前が必要だ。これからも頼んだぜ、大淀」

 

「はい!」

 

大淀はとびっきりの笑顔を見せてくれた。

大淀、お前は俺に佐久間を見ているようだが、俺もまた、佐久間が見ていたお前を見ている。

きっと、この笑顔も、また――。

 

「『俺にはお前が必要』……かぁ。提督の事が好きな艦娘に聞かれたら、誤解されそう」

 

「……これ以上、話をややこしくしないでくれよな」

 

 

 

それから数日。

望月との直接的な接触は避け、動向を窺った。

だが、目立った動きはなく――それどころか、まるで何事も無かったかのように、皆も同じように、日常を取り戻していったのだった。

 

「思えば、ここの連中は切り替えの早い奴らばかりだったな……」

 

「皐月さんと卯月さんの決意に揺ぎは無いようですが……それもいつまで続くか……」

 

これ以上様子を窺ったところで、進展はないのではないかという意見も出始めていた。

ここはあえて、接触を試みるべきなのかもしれない。

しかし、失敗すれば……。

 

 

 

結論が出ないまま、本土へ戻る日がやって来た。

 

「デートはどうだったんだ? 慎二」

 

「あぁ、おかげさまで上手くいったよ。助かったぜ」

 

「そりゃ何よりだ。八割方テキトーな事を言ったもんで、心配だったんだ」

 

「おい」

 

「冗談だよ」

 

鈴木はカラカラ笑うと、船を急がせた。

 

「何をそんなに急いでいるんだ? この前のようにゆっくり行ったらいい」

 

「いいんだよ。これで」

 

鈴木はわざとらしく、さらにスピードをあげた。

 

「あとで俺に感謝することになる。お礼は、缶コーヒーでいいぜ。慎二」

 

鈴木の言っている意味が分からず――まあ、昔から何を言っているのか分からない奴だったから、俺は考えることをやめた。

 

 

 

本土に着き、報告を済ますと、何やら病棟の方へ向かうよう指示があった。

 

「また検査か?」

 

受付へと向かい、声をかける。

 

「すみません」

 

「はーい」

 

返事の声に、聞き覚えがあった。

やがて、声の主が、受付へとやって来た。

その姿を見た瞬間、俺は――。

 

「今日はどうされましたか? なーんて、えへへ。久しぶり。雨宮君」

 

真っ新な白衣に包まれた山風が、そこに立っていた。

 

 

 

「えへへ、びっくりしたでしょ?」

 

廊下を歩きながら、山風はそう言った。

 

「びっくりなんてもんじゃない。俺はてっきり……」

 

そこまで言って、俺は閉口した。

 

「実はね、正式にここへ配属になったの。研修じゃないよ? 正式に、だよ?」

 

「そうだったのか。おめでとう」

 

「えへへ、ありがと」

 

俺は……正直、いっぱいいっぱいであった。

この前フラれてから、山風とは一度も会っていない。

もう一度会えるなんて思ってもみなかったし、会ったとしても、こうして普通に話せるとは……。

 

「聞きたいこと、たくさんあるでしょ」

 

まるで俺の心を読んだかのように、山風はそう言った。

 

「色々あったけど、あたしはやっぱり、雨宮君の事が好きなんだ。それはもちろん、異性としてでもあるけれど、それ以上に、友達として、雨宮君の事が好きなの。それだけだよ」

 

その言葉に含まれた意味は、俺と山風にしか分からないであろうものであった。

無論、その事を分かっているからこそ、山風は――。

 

「そうか……」

 

俺はそれ以上、聞くことをしなかった。

そうであるべきだと、俺たちは分かっていた。

 

 

 

山風は、ある病室の扉の前で足を止めた。

 

「サプライズだよ」

 

「サプライズ? お前と再会できたこと以上のサプライズがあるのか?」

 

揶揄うように言ってやると、山風は嬉しそうに笑って見せた。

 

「うん。あるよ。開けてみて」

 

俺は躊躇う事もせず、扉を開けた。

山風との再会以上のサプライズなんて、大したことがないと思っていたから――しかし――。

 

「あ……」

 

潮風が体を叩く。

白いカーテンが風に舞い、病室にいる誰かを隠した。

だが、その正体に、俺はすぐに気が付いた。

 

「大井……!」

 

駆け寄り、カーテンを退ける。

大井は俺の顔を見ると、優しく微笑んで見せた。

 

「大井……」

 

「提督」

 

「大井……大井……」

 

俺は思わず、泣いてしまった。

どうして泣いたのか、自分でもよく分からない。

 

「何泣いてんのよ……ばか……」

 

大井は笑っていたが、その頬には、涙が伝っていた。

 

 

 

「すまん……取り乱した……」

 

山風はハンカチを取り出すと、俺の涙を拭いた。

手術中に先生の汗を拭く、助手の様に……。

 

「びっくりさせようと思ったのに、こっちが驚かされたわ」

 

なるほど……。

鈴木が言っていたのは、こっちの事であったか。

 

「人化は無事成功したわ。これで晴れて、私も人間だわ」

 

「そうか……」

 

感慨深過ぎて、それしか返事が出来なかった。

 

「大井さんはしばらく、検査の為に入院するの。あたしがここに配属になったのは、大井さんの面倒を見る為でもあるんだ」

 

そういう事か。

俺はてっきり――。

 

「山風。ちょっと提督と話があるから、外してもらってもいいかしら?」

 

「分かりました。じゃあ、後はよろしくね、雨宮君」

 

「あぁ」

 

山風が出て行くと、大井はベッドから起き上がった。

 

「起きて大丈夫なのか?」

 

「えぇ。別に、悪い所もないのよ。まだ病室を出る許可が出ていないから、寝ることしかできなくて」

 

退屈だとでも言うように、大井は欠伸をして見せた。

 

「元気そうで良かったわ。最後に会った時は、なんだか死にそうな感じだったから」

 

「そうかもしれないな……」

 

「島に戻ったんでしょ? あんたならそう決意してくれるって、信じていたわ。ありがとう、提督」

 

「大井……」

 

「……それよりも、聞いてくれる? 人化して気が付いたのだけれど、人間の体って、ほんっとに不便じゃない?」

 

「え?」

 

「例えば階段! 人化する前は全然大丈夫だったのに、ちょーっとあがっただけで疲れちゃうのよ? 力も弱くなったようだし、何よりも、生理って何なのよ!? 血は出るし、お腹痛くなるし……。最悪よ……」

 

最後の悩みは、俺にはちょっと分からなかった。

 

「人間って、本当に弱い生き物なのね。分かっていたつもりだったのだけれど、実感すると、想像以上に弱くて……」

 

「……後悔しているのか?」

 

「いいえ……。そういう話じゃないのよ。ただ……」

 

大井は俺を、じっと見つめた。

少しだけ、悲しそうな目であった。

 

「こんなにも弱いって、人間であるあんたが一番よく分かっていたはずなのに、あんたは私を恐れずに――あんなに傷つけられたのに、真っすぐ向き合ってくれたんだなって……」

 

「……ただ馬鹿なだけさ。危機感というものを知らないんだ。俺って奴は」

 

「そんな馬鹿を好きになっちゃった女もいるのよ? あまり悪く言わないで頂戴」

 

なんとまあクサイ台詞。

大井自身もそれが分かっているのか、ほんのりと顔が赤くなっていた。

沈黙が続く。

 

「……そうだ。島の皆はどうしてるの?」

 

話題を変える様に、大井はそう言った。

 

「あぁ……実は……」

 

俺は、大井が居なくなってからの出来事を――少し躊躇ったが、鹿島達が島を出ようとしていることも含め、事細かく話した。

 

「鹿島さんが……」

 

「だがそれには、望月を説得する必要があるんだ。しかし……」

 

「接触できていないんでしょう? そういう状況になったら、すぐに立場を理解するような子だものね」

 

望月の事をよく知っているのか、大井はすぐに、状況を理解してくれた。

 

「警戒しているような感じではないのだが、こう、見透かされているような……。とにかく、他の駆逐艦とは、どこか違う雰囲気があるんだ」

 

「確かに、他の駆逐艦とは違って、凄くしっかりしているわ。でも、所詮は子供よ。私からしてみればね」

 

そう言うと、大井は窓の外を眺めた。

 

「でも……そうなのね……。私だけじゃないんだ……。島を出ようとしているのは……」

 

そしてもう一度、俺を見つめた。

 

「あんたって……本当……」

 

そこまで言って、大井は閉口した。

 

「大井……?」

 

「……私にいい考えがあるわ」

 

「え?」

 

「望月との接触について、よ。このまま普通にあんたから接触しても、警戒されるだけ。だったら、望月からあんたに接触すればいい。そうでしょう?」

 

「いや……そうなのだが……。そんな方法、あるのか?」

 

「えぇ。成功するか分からないけれどね。なんせ、十数年前の話だから……」

 

「十数年前……?」

 

「とりあえず、時間と協力者が必要だわ。少しだけ待っていてちょうだい」

 

「俺はどうすればいい? というか、何をしようとしているんだ?」

 

「あんたはこれまで通り、島に居ればいいわ。何をしようとしているのかは、秘密」

 

「秘密? どうして?」

 

「だって、言ってしまったら、私抜きで動こうとするでしょう? それだと困るのよ。だって」

 

大井はニンマリ笑うと、悪戯な目で俺を見つめた。

初めてみる表情であった。

 

「だって、私のおかげで望月との交流が図れたとなれば、それを出汁にあんたに色々できるじゃない?」

 

フフン、と鼻を鳴らす大井。

 

「……それだけの理由か?」

 

「他に理由がある訳?」

 

俺は拍子抜けして、思わず笑ってしまった。

 

「俺が恩知らずだったらどうするんだよ?」

 

「そういう男じゃないって、私が一番、よく分かっているわ」

 

その返しには、流石に言葉が無かった。

 

「色々って、何をする気だよ?」

 

「質問の多い男ね……。でもまあ、そうね……」

 

大井は考える様に、天井を仰いだ。

 

「じゃあ、こういうのはどう? 作戦が成功したら、私とデートしなさいよ」

 

「デート……?」

 

「作戦が成功する頃には、ここの敷地くらいまでなら歩けるようになるだろうし、人化して初めてのデートは、やっぱりあんたとがいいわ」

 

またデートか……。

どうしてこうも、艦娘ってのは――いや、もう艦娘ではないのか。

 

「約束してくれないのなら、協力はしない。どう?」

 

なんて強引な奴……。

だが……。

 

「あぁ、分かったよ。デートだな?」

 

俺の返事に、大井は何故か、目を細めた。

 

「なんか余裕って感じね……。もっと過激な要求にしようかしら?」

 

「お、おいおい……」

 

焦る俺に、大井は満足気であった。

 

「冗談よ。デートでいいわ。むしろ、デートがいいわ」

 

「じゃあ……」

 

「契約成立ね。約束破ったら、殺すから」

 

笑顔で言ってはいるが、大井の事を知っているからこそ、本当に恐怖を感じた。

 

「失礼します」

 

ノックと共に、山風が入って来た。

 

「雨宮君、そろそろ……」

 

「もう時間か。あっという間だったな」

 

「えぇ。でも、いい時間だったわ。作戦の件は任せて頂戴。来週、また顔を出しなさいよ?」

 

「あぁ、分かったよ」

 

「じゃあね、提督」

 

 

 

「ほら、コーヒーだ」

 

船に乗り込み、鈴木に缶コーヒーを渡した。

 

「な? 感謝することになったろ?」

 

「ったく……下手なサプライズしやがって……」

 

「どうだった? 山風との再会は」

 

「え? 大井との再会がサプライズじゃなかったのか?」

 

「え? 大井と会ったのか? 人化して、まだ誰とも面会できないって話だったが……」

 

「え?」

 

「え?」

 

 

 

島に戻ると、鹿島と皐月、卯月が出迎えてくれた。

 

「提督さん……」

 

何やら表情を曇らせている三隻。

 

「何かあったのか?」

 

「うん……。実は……さっき、もっちーを説得しようとしたんだけど……」

 

「いい加減にしろって……怒られちゃって……。喧嘩になっちゃったんだぴょん……」

 

喧嘩……。

 

「ごめんね司令官……。ボクたち……余計な事しちゃった……」

 

そう言うと、駆逐艦二隻は泣き出してしまった。

 

「お前たち……。そうか……。俺の方こそごめんな……。俺が不甲斐無いばかりに……辛い思いをさせてしまったな……」

 

本当にその通りだ。

俺が不甲斐無いばかりに……。

 

「提督さん……」

 

「……今日はもう遅い。鹿島、こいつらを頼む……」

 

「は、はい……」

 

二隻を連れ、鹿島は寮へと戻っていった。

 

「はぁ……」

 

悪い事させちまったな……。

敵対しようが何をしようが、もっと早く、俺が望月に接触していれば……。

鹿島達が島を出る事を天秤にかけて、慎重になり過ぎたんだ……。

 

「…………」

 

今更遅いが――大井を頼って待つよりも、明日にでも望月に接触しよう……。

 

 

 

そんな俺の決意を見透かしてか、翌日の早朝、再び鈴木がやって来た。

 

「鈴木。どうした、こんな朝早くから……」

 

「山風に頼まれたんだ。これをお前に渡してくれってよ」

 

そう言って、鈴木は紙袋を俺に渡した。

 

「山風からの伝言だ。『大井さんから頼まれたものだよ。とりあえず、すぐに用意できたものだけ渡しておくね』だとよ。なんだよ? 大井から頼まれたものって」

 

「いや……俺にも分からんのだ……」

 

紙袋の中には、何やら変な小型の機械と、大井からの手紙が入っていた。

 

「なんだ、こりゃ……?」

 

「お! おめぇこりゃ!」

 

鈴木は変な機械を手に取ると、スイッチを入れ、起動させた。

 

「懐かしいな。しかし、どうしてこんなもんを?」

 

俺は大井の手紙に目を通した。

そこには、作戦の全容と、俺が下手な真似をしないよう、すぐに山風に手配させたという旨が書いてあった。

 

「なんでも見透かしてるって訳か……」

 

俺が手紙を読んでいる間、鈴木は機械に夢中になっていた。

 

「おい、いつまでやっているんだ?」

 

「あぁ、悪い悪い。しかしお前、これが何なのか知らないのか」

 

「あぁ……手紙を読んで、初めてそれの正体を知った」

 

「お前、こういうのに疎いもんな……。けど、どうしてそれをこの島に?」

 

「ちょっとな……。そうだ鈴木。まだ時間があるようなら、これの使い方を教えてくれないか?」

 

「あぁ、構わねぇけど……」

 

それから朝食の時間まで、俺は鈴木に機械の操作方法を教えて貰った。

 

 

 

「ごちそうさまでした」

 

朝食を済ませると、皆はいつものように、それぞれの時間を過ごし始めた。

 

「も、もっちー……!」

 

皐月と卯月が、望月を呼び止めた。

 

「……なんだよ?」

 

どこかめんどくさそうに返事をする望月。

 

「あの……昨日はごめんね……。ボクたち……その……」

 

「……あー、もういいよ。別に、もう怒って無いしさー……」

 

「で、でも……」

 

「喧嘩しっぱなしってのも面倒だしさー……。ごめんって思っているのなら、あたしを説得すんのはもうやめとけ。あたしはこのままでいいんだ。島の外に出るとか、マジめんどくせぇーって感じだし」

 

望月の言葉に、二隻は何も言えないでいるようであった。

よし……今だ……。

 

「あーっ!」

 

声をあげたのは、山城の食器を返しに来た夕張であった。

誰かが反応してくれるとは思っていたが、ここまでとは……。

 

「提督! それ!」

 

皆が俺を見る。

そして、俺の持っている機械を見つけると、駆け寄って来た。

 

「そ、それは……!」

 

まだ交流のない駆逐艦も、その機械に目を奪われていた。

 

「知っているのか。夕張」

 

「あったりまえじゃない! うわぁ! 懐かしい!」

 

「そういや、以前、島に持ち込んだ奴がいたんだってな」

 

「そうそう! まだあったのね! この『ゲーム機』!」

 

『ゲーム機』という言葉を耳にした望月の反応を、俺は見逃さなかった。

 

 

 

 

 

 

残り――29隻

 

――続く

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