不死鳥たちの航跡   作:雨守学

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第2話

「全て私の所為です……。あの子に、酷い事をしてしまいました……」

 

そう言うと、香取さんは一枚の写真を見せてくれた。

少し若い香取さん、鹿島、そして、一人の若い男が写っていた。

 

「私がもっと大人であれば……。あの子を……あの島に閉じ込めることはなかったでしょう……」

 

その理由を香取さんは語らなかった。

ただ遠くに見える島を眺め、涙ぐむだけであった。

 

「鹿島を……よろしくお願いいたします……」

 

香取さんが頭を下げる向こうで、小さな娘さんもまた、事情も分からないまま、深々と頭を下げた。

 

 

 

 

 

 

『不死鳥たちの航跡』

 

 

 

 

 

 

「香取に会ったか」

 

上官は、「一週間のお勤めご苦労様。甘い物が恋しかっただろう」と、――屋のケーキを用意してくれていた。

 

「鹿島の様子を聞きに、たまにああして顔を出すのだよ」

 

「何やら自責の念に駆られているようでしたが、鹿島と何かあったのですか?」

 

「まあね。詳しいことはよく分からないが、出向した男を巡って、香取と鹿島の間に亀裂が入った……という訳らしい。所謂三角関係ってやつだね」

 

三角関係……。

 

「渦中に居た男は、その件で島に居づらくなったらしく、帰って来たんだ。それを追ったのが香取だった。だが、どうやらその男が好きだったのは鹿島の方だったらしく、結局香取と結ばれることはなかった」

 

「では、あの娘は……」

 

「あれは別の男との子供だ。尤も、父親は逃げてしまったようだがね。シングルマザーなんだ」

 

「そうでしたか……」

 

「香取はショックだったろうね。渦中の男も、その事がプレッシャーになったのか、心を病んでしまってね。結局自殺してしまったよ」

 

そう言えば、噂で聞いたことがある。

出向した男が、帰って来たのち、心を病んで自殺した事例があると。

 

「そんなこともあったせいか、香取の生活――特に異性交遊は荒れていたそうだ。彼を忘れるためだったのだろうね」

 

ふと、香取さんの娘の顔が、頭に浮かんだ。

父親は逃げた……か……。

 

「島を出た艦娘が、必ずしも順風満帆な人生を歩むとは限らない。まさに人生。まさに人間だ」

 

上官は俺の表情を確認すると、隣に座り、肩を叩いた。

 

「雨宮。君の気持ちはよく分かる。艦娘を気の毒に思っているのだろう。人間を守り、英雄となった艦娘が、幸せになれないというのはね……」

 

「いえ……」

 

「我々は艦娘を幸福にする存在ではない。彼女たちの『希望』通り、命を与えてやるだけだ。神にも等しい行為だが、神もまた、必ずしも人間を幸福にはしなかった。そうだろう?」

 

俺は何も言えなかった。

こういう時の上官は、とても不気味で、恐ろしかったのだ。

 

「雨宮、君の仕事はなんだ?」

 

「……艦娘を『人化』させることです」

 

「そうだ。ならば、悩むことはないだろう。君はそういう選択をしたのだ。よく覚えておきなさい」

 

「……はい」

 

上官はフッと笑うと、再び俺の肩を叩いた。

 

「だが、それが君らしさだ。その態度があったからこそ、吹雪さんは君に託したし、『適性試験』にも受かったのだ。脅して悪かったね。だが、これも私の仕事なんだ。君と同じで、私も心を痛めているのだ」

 

「上官……」

 

飴と鞭。

この使い分けこそが、上官が上官たる所以なのだろう。

 

「ここ一週間の報告は聞いているよ。今日はゆっくりと本部で過ごしたらいい。何なら、何か手配させようか」

 

「いえ、すぐに島へ戻ります」

 

「仕事熱心だな。いい報告を待っているよ」

 

「はい」

 

本部を後に、俺は重さんの待つ船へと向かった。

 

 

 

「じゃあなんだ、武蔵と決闘する件は本部に報告しなかったのか!」

 

重さんは何やら楽し気にそう言った。

 

「そりゃ、『島の退きをかけて武蔵と決闘する』なんて言えるわけがない。そんな決闘を受けるなんて、いよいよ頭がおかしくなったのだと思われてしまうだろう」

 

そう。

決闘を申し込まれたあの日、俺は迷わず武蔵の提案を承諾した。

俺の返事を聞いた艦娘たちの表情は、今まで見たどの『驚愕』よりも、驚愕としていた。

 

「決闘は、明日だ。組手試合のような方式で行うらしい。相手が「参った」と言うまで試合は続くとのことだ。まあ要するに、ただの素手喧嘩(ステゴロ)だ」

 

「なるほど、正気じゃねぇな。そもそもいいのかよ? 素手喧嘩なんてして。艦娘は人間を傷つけられないし、人間だって艦娘に手を出したと知れたら、まずいんじゃねぇのか?」

 

「その為の誓約書だ。ほら」

 

重さんに一枚の紙を渡してやる。

 

「誓約書……この決闘に於いていかなる事態が――責任を問わぬことをここに誓うもの也……か。慎二、てめぇいよいよここがおかしくなったんじゃねぇのか?」

 

そう言って、重さんは頭を指した。

 

「武蔵からの提案だ。尤も、こんなものあったとして、海軍が認める訳がないが」

 

「本当にやるのか? てめぇの腕がどんなものか知らねぇが、武蔵の力は本物だぜ。素手で深海棲艦を沈めたとも言われているんだ。そんな相手にどうやって勝つ?」

 

「そんなもの、当たらなければどうってことないだろう」

 

「当たらなけりゃって……。そもそも、どうしてそんなものを受けたんだ?」

 

「これは決闘のようで決闘じゃない。武蔵から提案された『交流』なんだ」

 

俺があまりにも嬉しそうに話すものだから、重さんは、本当に参ってしまった人間を見るかのように、苦笑いを見せた。

 

 

 

島に着き、重さんを見送ると、鳳翔と明石、夕張が迎えてくれた。

 

「提督……どうでしたか……?」

 

鳳翔が心配そうにそう聞いてきた。

 

「どう、とは?」

 

「決闘の事です……! 海軍本部に報告されたのですよね……? だったら、やめるよう言われたのでは……?」

 

「海軍には報告していない」

 

「ど、どうしてですか!?」

 

「どうしてって言われてもな……。決闘をする……なんて言ったら、頭がおかしいと思われそうで……」

 

それを聞いて、鳳翔は唖然とした。

空かさず夕張が突っ込む。

 

「いやいや、既におかしいわよ……。提督、武蔵さんの強さ知らないでしょ……。あの人、素手で深海棲艦沈めたのよ……?」

 

「噂だろ?」

 

「そうかもしれないけど……。そうなってもおかしくないほど、武蔵さんは強いって事なのよ……」

 

「提督……やめた方がいいです……。私の力では、人間を治すことは出来ないんですよ……? それに……もし怪我だけで済まなかったら……」

 

「心配してくれてありがとう。だが、大丈夫だ。これはあくまでも『交流』だ。誓約書なんて物騒な物を書かされてはいるが……俺も武蔵も怪我することなく、済ませるつもりだ」

 

明石と夕張は、お互いに顔を見合わせると、まるで気の毒な人を見る様な目で俺を見つめた。

 

「それよりも、遊具の方はどうだ。完成したのか?」

 

「あ、はい。後は塗装とか、バリ取りとかが残っているだけで……」

 

「早いな。おっと、そうだ。頼まれていた工具、これでよかったか?」

 

瞬間、明石の目の色が変わった。

 

「わぁ、もう用意してくれたんですね!」

 

「早速試してこいよ」

 

「はい! 夕張、行こう!」

 

「あ、うん……」

 

シリアスな空気から一変、新しい工具にウキウキの明石を見て、夕張は若干引き気味に後を追いかけていった。

 

「行ったか。そら鳳翔。お前にはチョコレートだ」

 

鳳翔はハッとすると、チョコレートを押しのけ、何やら頬を膨らませて俺を見つめた。

 

「むっ……!」

 

「……もしかして、それ、怒っているつもりか?」

 

「そうです……! むっ……!」

 

あまり怒り慣れていないのだろう。

怒っていることをどうアピールすればよいのか、分からない様子であった。

膨らんだ頬を指でついてやると、プピィというような間抜けな音が鳴って、俺は思わず笑ってしまった。

 

 

 

結局、俺があまりにも言うことを聞かないものだから、鳳翔はとうとう折れて、「絶対に怪我をしない・させないこと」と、俺に誓約書を書かせることで落ち着いた。

 

「やれ、この島に来てまで書類仕事をする羽目になるとはな……」

 

「いいから書いてください……」

 

そんな事をやっていると、大淀が家を訪ねて来た。

 

「おう、どうした」

 

「……本当に決闘するのですか?」

 

「なんだ、心配してくれているのか?」

 

「そうではありません……。ただ……誰がどう見ても、貴方に勝ち目はありません……。貴方だって、その事を分かっているのではないですか……?」

 

「確かに、力で敵う相手ではないだろうな。だが、人間には知恵がある。俺は武蔵に、力ではなく、知恵で勝利する」

 

「……本気なのですね?」

 

「あぁ、本気だよ」

 

大淀は見極める様に俺の瞳を見つめた。

俺も、同じように。

永い沈黙が続く。

 

「……分かりました。私は忠告しましたからね……」

 

「あぁ、ありがとう」

 

「では……」

 

去って行く大淀を横目に、鳳翔は小さく言った。

 

「大淀さん、心配でたまらないのでしょうね。あの日から、ずっとソワソワしていましたから」

 

「俺がボッコボコにされるのを願ったりしてそうなもんだが」

 

「敵とは言え、提督の事を認めているのですよ。そうでなければ、忠告になんて来ません」

 

認めている……か……。

大淀の本心がどうなのかは知らないが、おそらく、大淀自身は「認めたい」とは思っているのかもしれない。

そう出来ないのは、やはり――。

 

「そういや、鳳翔。お前、俺の事を提督と呼んでくれるのだな」

 

「まあ……それが島の習わしですから……。それに、遅かれ早かれ、この島の艦娘全員から『提督』と呼ばれるようになるでしょうから、今の内に呼んでおこうかなと」

 

「随分贔屓してくれるじゃないか」

 

「チョコレートのお礼ですよ。そういう事にしておいてください」

 

そう言うと、鳳翔はチョコレートを一口含んだ。

 

「安い信頼だな」

 

「私にとっては貴重なチョコレートです。つまり……そういう事ですよ」

 

鳳翔が笑う。

俺はなんだか照れてしまって、何も言えなかった。

もしこれがハニートラップだったら、俺はまんまと引っかかっているのだろうな。

 

 

 

遊具が完成したのは、その日の夕方であった。

 

「完成です!」

 

「おぉ、立派なものが出来たな」

 

まるで芸術品のように美しく、そして正確な出来であった。

 

「うん、寸分も狂わない、設計通りの造り。それでいて丁寧で、明石の優しさを感じるわ」

 

「夕張の指示が良かったからよ。ありがとう」

 

そして、明石と夕張は俺を向いて、頭を下げた。

 

「ありがとうございます、提督。これも提督のお陰です」

 

「ありがとうございます」

 

「いや、礼を言うのは俺の方だ。立派な物をありがとう。きっと駆逐艦たちも喜ぶよ」

 

そう言ってやると、明石も夕張も嬉しそうに笑って見せた。

 

「お披露目はいつにしますか?」

 

「そうだな。まあ、明日の結果次第じゃないか?」

 

「明日……。そっか……」

 

武蔵との試合の事を思い出したのか、二隻は不安な表情を見せた。

 

「まあ心配するな。もし俺が負けたとしても、この遊具だけは守ってやる。ここに置けなくなったとしても、寮の方には運べるだろう?」

 

「そうだけど……。提督はそれでいいの……?」

 

「駆逐艦との交流目的とは言え、ここまで立派なものが出来たら、やっぱり使ってもらいたいしな。それは海軍としての俺の気持ちじゃなく、俺個人としての気持ちだ。っと、これはオフレコで頼むぜ」

 

そう笑ってやると、夕張は少しだけ安心した表情を見せた。

 

「まあ、そういうこった。そろそろ夕食の時間なんじゃないか? 戻った方がいい」

 

「うん……。明日、頑張ってね。応援してるから。じゃあ、行こう、明石」

 

夕張がそう言っても、明石は動こうとしなかった。

 

「明石?」

 

「あ……ごめん……。先行ってて。ちょっと……やり残したことがあって……」

 

「やり残し……?」

 

「うん……」

 

夕張は明石の様子を見て、何やらピンときたらしく、俺を見て、小さく言った。

 

「明石の方が下手じゃない?」

 

夕張が何を言いたいのか、俺には分かっていた。

 

「あぁ、そうだな」

 

「え……? 下手? なにが?」

 

「明石は知らなくていいわ。じゃあ、私は先に帰ってるから」

 

そう言って、夕張は俺にウィンクをして見せると、門の方へと歩いていった。

そして門を出ると、何やら驚いた声をあげた。

 

「うわ! びっくりした……」

 

蛙でも踏みつけたか?

そう思い、様子を見てみると、そこには鹿島が立っていた。

 

「鹿島?」

 

鹿島は俺を見るなり、驚き、寮の方へと走り去ってしまった。

 

「あ、おい! 何しに来たんだ、あいつ……」

 

「夕食が出来たって、知らせに来たんじゃないかしら?」

 

そんな事、一度だってなかったが……。

 

「じゃあ、今度こそ。じゃあね」

 

夕張は再びウィンクを見せると、寮の方へと走っていった。

 

「さて……。それで、何をやり残したって?」

 

夕張の時とは違い、少しとぼけるようにして、そう聞いた。

 

「すみません……。やり残したことというより……少し、提督とお話出来たらと思いまして……」

 

「俺と?」

 

「はい……」

 

何やら明石は、恥ずかしそうに手を揉んでいた。

 

「そうか。分かった。縁側に座れよ。お茶をいれてくる」

 

「い、いえ……。長居するつもりはないので……。皆も、心配しちゃうだろうし……」

 

「そうか?」

 

「……本当はしたいんですけどね」

 

そう小さく言うと、明石は縁側に座った。

俺も、同じように。

 

「……明日、もし提督が決闘に負けたら、本当にこの島を出ていくつもりですか?」

 

「あぁ、そういう約束だ。俺が勝てば、武蔵が出ていく」

 

「そうですか……」

 

夕日が遊具を照らす。

逆光のシルエットも、何と美しい事か。

 

「せっかく……信頼できるような人が来てくれたのに……」

 

「オイオイ、まだ負けたわけじゃないんだぜ。不吉なこと言うな」

 

「そうですけど……」

 

明石は口にしなかったが、やはり俺が負けるものだと思っているようだった。

――いや、勝てると思っているのは、おそらくこの島でも俺だけだろう。

 

「……提督、やっぱりこの決闘、やめるわけにはいきませんか?」

 

「何故だ?」

 

「だって……危険ですし……。私は……提督に居て欲しいです……」

 

そこには、色々な意味が込められていた。

俺に居て欲しい。

この言葉だけ取れば、明石は俺を好いてくれているか、もしくは、工具の使用が出来なくなることを恐れているか、そのどちらかを考えるだろう。

だが、夕張から話を聞いていたからこそ、俺はもう一つの明石の真意に気付くことが出来た。

 

「俺に可能性を見いだしてくれているからか?」

 

「え……?」

 

「自分を島から出してくれるかもしれない。そう思っているから、俺に出て行ってほしくないんだ。違うか?」

 

図星だったのだろう。

明石は驚いた後、何も言えずに俯いた。

 

「お前の力の話を聞いた時、なんとなくそうなんじゃないかと思っていた。その後、夕張から話を聞いて、確信に変わったんだ」

 

「…………」

 

「島を出たいんだってな。けど、そう出来ないものだから、人間が艦娘を島から出してくれるのを待っていたのだろう? そして俺が来た。他の連中がどんな奴かは知らないが、お前は俺に可能性を見たんだ。全ての艦娘を島から出してくれるかもしれない……と」

 

明石は何も言わなかった。

 

「何も悪い事じゃない。そう思うのが普通ってやつさ。……お前は少し優しすぎる。自分が島を出たければ、さっさと出て行ったらよかったんだ。誰も恨みやしないだろうぜ」

 

「でも……」

 

「あぁ、分かってる。お前の心がそうさせないんだろう。優しいものだから。だからこそ、人に任せようとした」

 

「提督……私は……別に提督を利用しようとしたとかそういう訳ではなくて……!」

 

「じゃあ、どういう訳なんだ?」

 

明石は言葉を紡ごうとしたが、やはりいい訳は出来なかったようだ。

 

「いいんだよ。ジャンジャン利用してくれて。俺だって、お前たちの弱みに付け込んで、遊具を造らせたし」

 

「でもそれは……私たちの為で……駆逐艦の為で……」

 

「お前も同じだろう。俺を利用したのは、あいつらの為だ。俺とお前は、何も違わないさ」

 

遊具から細く伸びた影が、俺たちを二分した。

 

「お前の不安は分かる。だが、ここで武蔵と勝負をしなければ、俺は前に進むことは出来ない。お前の苦しみも救ってやれないんだ」

 

「別の方法があるはずです……」

 

「ない。ここで負けるようであれば――逃げてしまったら、今までの奴らと同じだ」

 

俺は明石の方を向くと、不安そうなその瞳をじっと見つめた。

 

「俺は必ず勝つ。そして、お前の不安を取り除いてやる。絶対だ。だから、俺を信じて欲しい」

 

「提督……」

 

「……そろそろ戻った方がいい。皆が心配するぜ」

 

そう言って笑ってやると、明石はそっと、俺の手を握った。

 

「絶対……勝ってくださいね……」

 

「……あぁ、絶対に勝つさ。約束する。だから、お前も約束してほしい」

 

「え……?」

 

「俺が勝ったら、お前はお前の為に道を選ぶんだ。誰かの為だとか、変に自分を隠さず、真っすぐなお前の道を選ぶんだ」

 

「私の為の……道……」

 

「約束してくれるか?」

 

小指を差し出してやると、明石は小さく頷き、小指を絡めた。

 

「約束だ」

 

「約束です……」

 

遊具の隙間から太陽が覗き、約束を紡いだ小指を強く照らした。

 

 

 

翌朝。

いつもはラジオ体操やら鶏の鳴き声やらが聞こえてるはずだが、今日は少しばかり違った。

 

「出港ラッパ……?」

 

誰が吹いているのか、寮の方からラッパの音が響いていた。

 

「洒落たことをする奴もいるんだな」

 

そんな事を一人呟きながら、鳳翔が用意してくれた握り飯を食ってから、浜辺の方へと向かった。

 

 

 

浜辺には、大勢の艦娘が揃っていた。

 

「おぉ……凄い集まったな……」

 

島の艦娘全てが居るわけではなさそうだが、まだお目にかかったことのない艦娘なんかも大勢出て来ていた。

まあ、何もないこの島からしたら、一大イベントだよな。

 

「あ、来たよ!」

 

駆逐艦が俺を指すと、皆一斉に俺を向いた。

 

「おはよう。結構集まったもんだな」

 

そう言ってやっても、誰も返事を返すことをしなかった。

 

「無口だな」

 

しばらくすると、武蔵がやって来た。

 

「武蔵さんよ!」

 

「武蔵さん!」

 

「武蔵!」

 

皆、武蔵を囲み、騒ぎ立てた。

まるでスーパースターだ。

 

「提督……!」

 

その後ろから、鳳翔、明石、夕張が、俺に駆け寄って来た。

 

「おう。おはよう」

 

「おはようございます……。あの……本当に決闘をなさるのですか……?」

 

「あぁ、もちろんだ」

 

「やめるなら今よ?」

 

「やめないさ」

 

明石は何も言わなかった。

ただ、小さく頷き、一歩引いた。

 

「雨宮さん……」

 

「大淀」

 

「……本当に宜しいのですね?」

 

「何度も言わせるな。それよりも、ジャッジをやってくれるんだろう? 判定は公平で頼むぜ」

 

「……分かっています」

 

「それと、一つ頼みがあるんだ。大淀、お前はジャッジだけをして欲しいんだ」

 

「はい? そのつもりですが……」

 

「そうじゃない。本当にジャッジだけして欲しい。なんというか……変に仕切らないで欲しいんだ」

 

「……分かりました」

 

「頼んだぜ」

 

大淀は、何を言っているのか分からないと言う様な顔をして、皆の輪へと戻っていった。

 

「人間よ」

 

変わるようにして、武蔵が俺の前に立ちふさがった。

 

「よく逃げなかったな。その点は褒めてやる」

 

「逃げるって……この島のどこにそんな場所があるんだ?」

 

「海があるじゃないですか。それとも、泳げないとか?」

 

大和がそう言うと、皆はドッと笑った。

 

「挑発か。なるほど、もう戦いは始まっている……そう言いたいのか?」

 

「戦いなら、もう何十年も前から始まっている……! 我々はずっと戦ってきた……! 平和を脅かす貴様らとな……!」

 

「なるほど、俺とお前の決闘も、これから始まるどころか、既に始まっていたと……」

 

「そうだ……!」

 

「なるほどなるほど……。そうかそうか……」

 

俺が余裕そうにしているのが気に入らないのか、大和は俺を睨み付けて、言った。

 

「そうして居られるのも今の内です……。鳳翔さんを誑かしたことを後悔させてあげますから……!」

 

「誑かしているつもりはないのだがな……。話しかけて来たのは鳳翔の方だし……」

 

「鳳翔さんは誰にでも優しいから、貴方のような人間に情けを与えただけです! それを貴方は……!」

 

「その辺にしておけ、大和」

 

「武蔵……。でも……!」

 

「勝てばいいんだ。勝てば全て終わる」

 

「負けた時の事は考えてないのか?」

 

「この武蔵が人間ごときに後れは取らない。考えるだけ時間の無駄だ」

 

武蔵が二ッと笑うと、大和は落ち着いたのか、後ろへと下がっていった。

 

「死なれても困るから、砂浜を舞台にした。故に、手加減はしないつもりだ。早めにギブアップした方が身のためだぞ」

 

「こっちの台詞だぜ」

 

「フッ……救えない奴だ……」

 

武蔵は下がると、向き合い、礼をした。

そして、構えた。

それを見た皆は、一斉に散り、俺たちを囲んだ。

 

「提督……」

 

「下がってろ。危ないぜ」

 

「御武運を……」

 

鳳翔たちも、同じように後ろに下がった。

辺りは一気に静かになり、波の音だけがこの島を包んでいるようであった。

 

「貴様も構えろ……」

 

「あぁ。その前に、ルールを確認をさせてほしい」

 

「覚えの悪い奴だ……。まあいい……。ルールはシンプルだ。武器の使用を認めない、素手のみの勝負。基本的にはどんな技を使ってもいいが、まあ金的だけは無しにしておいてやろう」

 

先ほどと同じように、皆が笑う。

 

「ありがたいね。勝敗は?」

 

「再起不能と判断された場合、もしくは「参った」と言った時点で――」

「――あ!」

 

叫んだのは、大淀であった。

 

「なんだ大淀? どうかしたか?」

 

「え……あ……その……」

 

「気付いたか。流石は大淀だ」

 

皆、状況がのみ込めていない様子であった。

武蔵も同じだ。

無理もない。

おそらく、気が付いているのは、俺と大淀だけであろう。

 

「大淀、ジャッジだ!」

 

「なに……!? ジャッジだと……!?」

 

皆が一斉に大淀を見る。

 

「あ……はい……。こ、この勝負……雨宮さんの勝利です……。武蔵さん……貴女の……負けです……」

 

 

 

ウミネコが、波に追われて、一斉に飛び立った。

 

「武蔵の……負け……?」

 

一瞬の静寂。

そして、風が一つ、俺たちの間を通り抜けるのと同時に、皆、騒ぎ立てた。

 

「どういうこと!? どうして武蔵さんが負けなの!?」

 

「まさか、大淀さんもあの人間の味方……!?」

 

「そんな訳ないでしょ!?」

 

皆が混乱する中、武蔵はただ茫然と大淀を見つめていた。

 

「残念だが、ジャッジは公正だぜ」

 

俺がそう言うと、武蔵はやっと我に返った。

 

「貴様……何をした……!? まさか、大淀までも……!」

 

「俺は何もしていない。全てお前が自分でしたことだ」

 

「なに……!?」

 

「大淀、説明してやれよ」

 

「は、はい……」

 

大淀が前に出てくると、皆一斉に話すのをやめて、大淀に注目した。

 

「えと……まず結論から言うと、武蔵さんは「参った」と言ったので、負けとなったのです……」

 

「なんだと……?」

 

「ルールを確認したいという雨宮さんに対し、武蔵さんは説明をしました。その説明の中で、武蔵さんは「参った」という言葉を言いましたよね? ですから、負けなのです……」

 

大和が前に出て、大淀に迫った。

 

「何を言っているのですか!? ルールの説明をしていただけでしょう!? それに、まだ戦いは始まっていなかったじゃないですか!」

 

「いえ……始まっていたのです……。武蔵さん、貴女は言いましたよね? 戦いは何十年も前から始まっていると……」

 

それを聞いて、流石の武蔵も――皆も気が付いたようであった。

 

「で、でも……! それはあくまでも人間と艦娘の戦いであって……! この勝負とは関係ありません!」

 

「だから、俺は言ったじゃないか――」

 

 

『戦いなら、もう何十年も前から始まっている……! 我々はずっと戦ってきた……! 平和を脅かす貴様らとな……!』

『なるほど、俺とお前の決闘も、これから始まるどころか、既に始まっていたと……』

『そうだ……!』

 

 

「――って。お前もはっきり返事をしたじゃないか。あの時から――いや、何十年も前から、『この決闘』は始まっていたんだ」

 

皆、呆然としていた。

無論、武蔵も同じであった。

 

「せ、せこ~……」

 

そう言ったのは、夕張であった。

 

「せこくても、勝ちは勝ちだ。そうだろう? 大淀」

 

「……まあ、そうですね」

 

あまりにも間抜けな決着に、皆の不満は、当然ながら爆発した。

 

「くっだらない! こんなの無効よ!」

 

「そうよそうよ!」

 

「正々堂々戦いなさい!」

 

皆がギャイギャイ騒ぐ中、武蔵はその身を小さく震えさせていた。

 

「悔しいのか? それとも、島を出る事を思い、恐ろしくなったか?」

 

「黙れ卑怯者め……! 貴様……! 海軍として恥ずかしくないのか……!?」

 

「お前こそ、恥ずかしくないのか? 自分で定めたルールで負けたのにもかかわらず、それを認めずに駄々をこねるなど……」

 

「くっ……!」

 

「お前の負けだ武蔵。勝ちは勝ちだぜ」

 

「……もう一度戦え! 今度は正々堂々と!」

 

「正々堂々と戦ったじゃないか。お前こそ、正々堂々と負けを認めろ。卑怯者め」

 

「貴様ァ!」

 

武蔵が俺の胸倉を掴む。

 

「提督……!」

 

瞬間、皆が息を呑んだ。

一触即発の空気に――という訳ではなく、まるで衝撃的な光景を目の当たりにしたような――だが、それもそのはずであった。

武蔵の体が、空中に弧を描いていたのだ。

 

「ぐぁっ!?」

 

砂浜に、背中から叩きつけられる武蔵。

一瞬の出来事で、皆、何が起こったのかよく分かっていないようであった。

 

「一本背負い……」

 

誰かが言う。

それが誰であったのかは分からない。

それほどに、俺は高揚していた。

 

「ぐっ……貴様……」

 

倒れながらも、睨む武蔵。

その顔の真横を俺の足が踏みつける。

それには流石の武蔵も、息を呑んでいた。

 

「お前の負けだ、武蔵……。約束も守れないお前に、こうもあっさり倒されるお前に、何を守れるというのだ……」

 

「……っ!」

 

「約束通り、島を出て行ってもらうぜ……。それでもまだ反抗するというのなら、次は外さない……」

 

そう言ってやって、俺は足を退けた。

我ながらくっせぇ台詞を吐いたなと、少し後悔しながら。

 

「武蔵……!」

 

大和が駆け寄ると、皆も我に返り、武蔵に駆け寄っていった。

 

「提督……」

 

「鳳翔。一応、約束は守ったぜ。俺も武蔵も、怪我はしていない。叩きつけてはしまったが……。正当防衛ってやつだ」

 

「貴方って人は……」

 

鳳翔はほっとした表情を見せた後、やはり頬を膨らませて、俺を見つめた。

 

「何を怒っているんだ?」

 

「最初からこうなると言ってくだされば、私も不安にならずに済んだのです……」

 

「上手くいく保証はなかったからな。それに、言ってしまうのは、負けフラグでもあるし」

 

「負けフラグ……?」

 

疑問を抱く鳳翔をよそに、俺は明石に目をやった。

 

「だから言っただろ。俺は必ず勝つとな」

 

そう言って笑ってやると、明石は小さく頷き、目に涙を溜めた。

何を泣いているのだと慰めようとした時、夕張が俺の背中を強く叩いた。

 

「痛っ!?」

 

「やるじゃない、提督。まあ、あまりにも手が汚いものだから、失望もしたのだけれど」

 

「いてて……。正当な勝利だ。それに、見ただろ? 綺麗な一本背負い。あれで実質チャラだろう」

 

「あんなまぐれ技、一文にもならないわよ」

 

「目利きの悪い奴だ……」

 

そんな事でワイワイ騒いでいると、武蔵が立ち上がり、こちらへ向かってきた。

 

「武蔵……!」

 

心配そうに駆け寄る大和を止め、俺の前に立った。

 

「勝負は決したぜ。まだ何かあるのか?」

 

武蔵は何か言いたげであったが、口を噤んだ。

 

「ないなら帰るぜ。海軍に、お前が島を出るのだと報告させてもらう。お前も今の内に荷物をまとめ、挨拶を済ませておけ。島を出る日は追って連絡させてもらう。以上だ」

 

背を向け、その場を後にする。

後ろからの奇襲に備えていたが、武蔵は何かするどころか、その場に俯き、佇むだけであった。

 

 

 

家に帰ると、まるで緊張の糸が切れたように、一気に体の力が抜けた。

 

「フッ……手も震えてるぜ……」

 

正直、ああも上手くいくとは思っていなかった。

『勝負はすでに始まっている』『参った』

その言葉を引き出す手段を考えてはいたが、上手くいく保証はなかった。

たまたま大和が挑発してくれたおかげで――たまたま武蔵がああ言ってくれただけで――。

だからこその震えなのだろう。

 

「とんだペテン師ですね……」

 

そう悪態をついたのは、大淀であった。

 

「おう。何か用か? 祝いにでも来てくれたのか?」

 

「そうではありません……。ただ、文句を言いに来ただけです……」

 

「文句?」

 

「貴方は私を利用しました……。『ジャッジだけをして欲しい』『変に仕切らないで欲しい』。あれは私に、試合開始の合図や、ルール説明をさせないための言葉なのでしょう……?」

 

「……そんなところまで見抜くとは、流石は大淀だな」

 

「そして、私が公正にジャッジすることを知っていて、それを利用した……」

 

「そこまで知っていて、文句があって、武蔵の味方をしなかったのだな」

 

「貴方が知る通り、私は公正ですから……。それに、暴力沙汰はごめんです……」

 

「そうか」

 

永い沈黙が続く。

 

「利用した事は詫びよう。だが、お前を信頼していたって事なんだぜ。お前はジャッジを任せられていた。その気になれば、お前のたった一言で、あの勝利は無くなり、再戦になっていたかもしれない。そうなったら、俺が負けることくらい、分かっていただろうに」

 

大淀は何も言わなかった。

俺が何を言いたいのか、分かっていたからであろう。

 

「あの勝負は、『俺が』勝った訳じゃない。かといって、武蔵自身の負けではない。お前だ。お前が勝敗を決したんだ」

 

潮風が強く吹いて、大淀の髪を乱した。

顔にかかる髪を手で梳くと、退屈そうな表情で言った。

 

「私はただ公正にジャッジをしただけです。それ以上でも、それ以下でもありません……」

 

「……そうかよ」

 

それだけだと言うようにして、大淀は立ち去ろうと、歩き始めた。

 

「大淀」

 

大淀は返事することなく、立ち止まった。

小さな背中が、俺の言葉を待っていた。

 

「ありがとな」

 

それには、色々な意味が含まれていて、大淀もそれを分かっているはずであった。

だが、それを認める訳にはいかないと言うようにして、返事をせず、去って行った。

 

 

 

強い光に目が覚める。

 

「うぉ……寝てしまったか……」

 

体の力が抜け、気が付いたら眠っていたようだ。

時計を見ると、お昼過ぎであった。

 

「ん……」

 

起き上がり、縁側に出てみると、そこには明石が座っていた。

 

「やっと起きた」

 

「明石」

 

「お昼ご飯、お持ちしましたよ」

 

「そうか。ありがとう」

 

「寮の方では、武蔵さんが島を出て行くということで大騒ぎですよ。何とか止められないのかって、鳳翔さんを説得する人もいたりして……」

 

「そうなのか」

 

「そうなのかって……。まるで他人事ですね……」

 

「まあ、他人事だしな。鳳翔には申し訳ないが」

 

明石の持ってきてくれた弁当を開ける。

いつも鳳翔が作って来てくれるものと違い、少しばかり形の歪なおにぎりや、焦げた卵焼きなどが入っていた。

 

「あ、それ、私が作ったんです。ちょっと失敗しちゃったけれど……。鳳翔さん、忙しそうだったから……」

 

「お前が作った……か……」

 

卵焼きを箸で持ち上げ、庭に見える遊具と重ねた。

 

「とてもそうは思えないがな」

 

「……料理はしたことなくて。見よう見まねで作ってみたんです……」

 

「まあ、料理は味だしな」

 

卵焼きを食ってみる。

 

「……どうですか?」

 

「……大人な味」

 

「それ、不味いって事じゃないですか! いいですよ、無理に食べなくて!」

 

「冗談だ冗談。美味いよ。はじめてにしちゃ上出来だ」

 

「……本当ですか? 怪しいです……」

 

「本当だって」

 

それから明石は、俺が飯を食う表情をじっくり観察していた。

時折、美味いかどうかを尋ねながら。

 

「そう見られていると、味も分らなくなってしまうよ」

 

「むぅ……」

 

 

 

遠くの空に、一筋の飛行機雲が描かれてゆく。

 

「ごちそうさま。美味かったよ」

 

「お粗末さまでした」

 

弁当箱を洗ってやり、ついでに麦茶を入れてやった。

 

「ほら」

 

「わぁ、ありがとうございます。冷たいです」

 

「もうすっかり夏だ。暑い日はこれに限る」

 

ふと、この島の静けさに気が付いた。

こんな時期であるのに、セミが鳴いていないのだ。

まあ、離島だしな。

 

「静かだな」

 

「そうですね」

 

風と、波の音。

そして、寮の方から時折聞こえる、駆逐艦たちの声。

 

「……私、こうして静かに耳を澄ましている時間が好きなんです」

 

そう言うと、明石は目を瞑り、耳を傾けた。

 

「こうしていると、時折聞こえてくるんです。島外の音が……」

 

同じように耳を澄ます。

言われてみれば、微かに聞こえてくるような気がした。

 

「これは何の音だろうって、想像するんです。この島では決して聞くことのない音もあったりして……。きっと島の外では、色んな音で溢れているんだろうなって……。私の想像できないもので、溢れているのだろうなって……」

 

明石は目を開けると、俺をじっと見つめた。

 

「提督……私は、やっぱりこの島を出たいです……。『生きたい』のです……」

 

「明石……」

 

「でも……この島の艦娘たちを見捨てられません……。だから……私は『生きる』為に、提督に協力したいです……。この島の艦娘たちを島から出すために……。私が私の『人生』を歩むために……」

 

それが、明石の――隠し続けた明石の本心であった。

 

「……それが、お前の選ぶ『道』なのか?」

 

「はい……!」

 

何ともたくましい返事であった。

 

「そうか……。勇気のいる選択だっただろう。よく言ってくれた」

 

「約束しましたから……」

 

「そうだとしてもだ。明石、今まで大変だったな。もう大丈夫だ。お前を必ず島の外に出してやる。約束だ」

 

小指を出してやると、明石も同じように小指を出して、約束を紡いだ。

それが解かれるのと同時に、明石はこれまで抱えて来た不安を吐き出すようにして、大声で泣いた。

 

「明石……」

 

細い体を抱きしめてやる。

70年分の不安を詰めるには、この体はあまりにも小さすぎた。

それでも明石は――。

 

「今までよく頑張ったな……。明石……」

 

島外の音が聞こえる様に、明石の泣き声もまた、島の外に届いているのだろうか。

――いや、届けなければいけないのだろう。

そう思わずには、居られなかった。

 

 

 

明石の泣き声を聞いたのか、夕張がやって来た。

事情を説明してやると、夕張も一緒に泣いてしまった。

 

「どうしてお前まで泣くんだ」

 

「嬉しくて……。明石がずっと苦しんでいるのを見て来たから……」

 

そうか。

明石は一人じゃなく、夕張が居たのだ。

もし夕張が居なかったら、明石は――。

 

「お前も大変だったんだな、夕張……」

 

「でも……もう大丈夫なんでしょ……? 私も、提督の事を信頼してる……。協力するわ」

 

「夕張……」

 

夕張は涙を拭くと、気合を入れるようにして、自分の顔を叩いた。

 

「そうと決まれば、まずは皆との交流よね。遊具も完成したし、駆逐艦たちを取り入れるところから始めましょう!」

 

「あぁ、そうだな」

 

「でも、今は大変ですよ……。武蔵さんとの決闘で、提督の株は大暴落です……」

 

「そうなのか?」

 

「そりゃそうよ。あんな勝ち方して、投げ飛ばして……。武蔵さんは駆逐艦たちのヒーローだったのよ?」

 

「本当の悪党になってしまったという訳か」

 

俺がおかしそうに笑うものだから、二隻は呆れた表情を見せた。

 

「そんな顔するな。考えはある。まあ、あいつ次第だがな」

 

「あいつって?」

 

「武蔵だよ。勝負は決したが、俺とあいつの交流は、まだ終わっていない。あいつが本物のヒーローなら、きっと俺たちの味方をしてくれるはずだ」

 

「本物のヒーローなら、悪党の味方はしないと思いますけど……」

 

「俺たちが本物の悪党じゃなければどうだ? 俺たちがヒーローであったのなら?」

 

そう言ってやっても、二隻は複雑な表情を見せた。

 

「いずれにせよ、あいつが島を出れば、駆逐艦たちも諦めがつくだろう。交流も時間の問題だ」

 

「でも提督は、武蔵さんの何かにかけているんですよね? それって一体、なんなのですか?」

 

「いずれ分かる。今は、俺を信じて欲しい。お前たちの遊具は、決して無駄にしない」

 

明石と夕張は、お互いに顔を見合わせると、小さく頷き、俺に微笑んで見せた。

 

「分かりました。提督を信じます」

 

「私も、信じてあげるわ」

 

「明石、夕張……。ありがとう」

 

 

 

深夜。

俺は縁側に座り、海を眺めていた。

この季節には珍しく、雲一つない夜空が広がっており、大きな満月がこの島を照らしていた。

 

「来ると思っていたよ」

 

門の方に目をやると、そこには驚いた表情の武蔵が立っていた。

 

「……分かっていたと言うのか? 私がここに来ることを……」

 

「何となくな。まあ、細かいことはいいだろう。座れよ。話があるんだろう?」

 

武蔵は少し躊躇った後、距離を置いて、縁側に座った。

 

「何か飲むか? とはいっても、麦茶くらいしかないが」

 

「いや……結構だ……」

 

「そうか」

 

永い沈黙が続く。

武蔵はじっと、遊具を見つめていた。

 

「立派だろう。夕張の完璧な設計と、明石の完璧な施工が成した一品だぜ」

 

「あぁ……そのようだな……」

 

「駆逐艦たちが楽しそうに遊ぶ姿が目に浮かぶようだ」

 

俺は仕掛ける様に、わざとそう言ってやった。

だが、武蔵は反応することなく、ただじっと、遊具を見つめるだけであった。

 

「……それで、俺に言いたいことがあるんじゃないのか?」

 

武蔵は黙ったままだ。

 

「無いのなら、何をしに来た? 寝込みを襲うつもりだったのか?」

 

流石の武蔵も、それには反応した。

 

「そんな事するか……! 貴様じゃあるまいし……」

 

「俺は正々堂々戦ったぜ?」

 

癪に障ったのか、武蔵は一瞬、表情を歪めた。

だが、すぐに平生を取り戻し、俯いた。

 

「突っかからないのだな」

 

何故武蔵が大人しいのか、俺には分かっていた。

分かっていたからこそ、聞いてやったのだ。

 

「人間よ……」

 

「雨宮だ」

 

「……雨宮。貴様は確かに強い……。素直に負けを認めよう……。だが……貴様とて、後味の良い勝利だとは思っていないのではないか……? 今回の決闘で、艦娘からどう思われているのか――それがどう今後に影響するか……。分からない訳ではないだろう……」

 

「何が言いたい?」

 

「後味の処理をさせて欲しいのだ……。貴様との勝負に負けたことを認め、皆にそのことを公表する……。公正であったことを公表する……。自分でも言うのは何だが、この武蔵が言うのであれば、皆は納得すると思うのだ……。どうだ……?」

 

「確かに、俺が島に居づらくなることも無いだろうな。だが、何か条件があるようだな」

 

その通りだと言うようにして、武蔵は小さく頷いた。

 

「……話が早くて助かる。そうだ……。一つだけ条件がある……」

 

武蔵は縁側から降りると、地面に膝をつけ、そのまま土下座して見せた。

 

「頼む……。駆逐艦たちには手を出さないでくれ……。この通りだ……」

 

俺はわざと、大きくため息をして見せた。

 

「まるで俺が、駆逐艦に何かするような言い方じゃないか」

 

「……貴様も分かっているはずだ。私が何を言いたいのか……」

 

「分からないな」

 

武蔵は顔をあげると、悲しそうな表情で俺を見た。

 

「駆逐艦たちは……この島を出ることを恐れている……。死を恐れている……。今までは守ってやれたが……私がこの島を離れてしまえば……」

 

「駆逐艦を島から出す為に、手荒な真似はするなと言いたいのか?」

 

武蔵は小さく頷いた。

 

「元々そんな事をするつもりはない。お前は何か勘違いしている。俺は艦娘に、自ら島を出たいと思えるように導こうとしているだけだ」

 

「それが手荒だと言っているのだ……! 駆逐艦たちは純粋だ……。言い換えれば、心が未熟なのだ……。故に、何でも疑わずに受け入れてしまう……。自らが望まない結果を招いてしまう……。後悔する頃には……手遅れになる……」

 

「そうならないために、お前が守って来たという訳か……」

 

「そうだ……」

 

「なるほどな……」

 

風が、俺たちの間を抜けていった。

まるで、俺の――そんな、冷たい風であった。

 

「駆逐艦は純粋で、何でも疑わずに信じてしまう……か。確かにそうだな。だって駆逐艦たちは信じて居るもんな。お前たちの思う『死は怖いものだ』という事を……。『島を出ることは恐ろしい』という事を……」

 

「……何が言いたい?」

 

「『駆逐艦が』死を恐れているわけじゃない。『駆逐艦が』島を出ることを恐れているんじゃない。お前たちが恐れているだけだ。そして、その事を駆逐艦に刷り込んだ。信じさせた。未熟な事をいいことに……」

 

流石の武蔵も、それには声を荒げた。

 

「馬鹿な事を言うな……! 駆逐艦たちは、本当に……!」

 

「だったらやってみろよ。死を恐れず、そして、自らの意思で島を出てみろよ。それをあいつらにアピールするんだ。果たしてあいつらはどう出るかな? お前も言っていたじゃないか。『この武蔵が言うのであれば、皆は納得すると思うのだ……』と。駆逐艦は、お前の都合のいい事だけ信じ、都合の悪いことは信じないのか?」

 

「くっ……!」

 

「駆逐艦の純粋な気持ちを利用してきたのはお前たちだ。あいつらは、お前たちの恐怖に感化されているだけで、自らが道を選ぶ権利を奪われてしまっている。駆逐艦を守る? ヒーロー? 人間のエゴよりも厄介なエゴだぜ」

 

「貴様……!」

 

武蔵は俺に迫ると、胸倉を掴んだ。

剣幕の向こう――寮の方で、明かりが一つ、灯っているのが見えた。

 

「俺を殴るならやればいいさ。だが、それでどうなる? 駆逐艦を守れるのか?」

 

「黙れ……!」

 

「いい加減大人になれよ……。そして認めるんだ。自分が守っていたのは駆逐艦ではない。自分のエゴであると……!」

 

「貴様ァ……!」

 

武蔵が拳を振り上げる。

俺は流石に覚悟して、歯を食いしばった。

 

「やめてください……!」

 

武蔵の拳が止まる。

声の方を見ると、そこには鹿島が立っていた。

 

「やめてください……。手を……放してあげてください……」

 

「鹿島……!? 何故この人間の味方をする……!」

 

「味方する訳ではありません……。ただ……駆逐艦の事を想うのなら……やめてください……」

 

よく見ると、鹿島は震えていた。

その事に気が付いたのか、武蔵はゆっくりと手を放した。

 

「鹿島……貴様、どういうつもりだ……?」

 

「どうもこうもありません……。雨宮さんの言う通りです……。私たちは……駆逐艦の事を本当の意味で想ってはいませんでした……」

 

鹿島はゆっくりと遊具を見た。

 

「聞いていたのか……。私たちの会話を……」

 

「武蔵さんが出て行くのが見えて……もしかしたらと思いまして……」

 

「何故この人間の肩を持つ……!」

 

鹿島は俺をじっと見つめた。

 

「肩を持つわけではありません……。しかし、雨宮さんの言う通りです……。私たちはずっと、駆逐艦たちを守るために努力してきました……。人間に近づけさせず、恐ろしい存在なのだと言い聞かせてきました……。でもそれは、私たちが勝手に押し付けているだけで、駆逐艦が望む未来なのではないのかもしれないと、最近思うようになったのです……」

 

「……そうか。鹿島、貴様もこの人間に何かされたのだな……」

 

武蔵がそう言うと、鹿島は呆れたようなため息をついた。

 

「それは、そう思い込みたい貴女の妄想です……。自分のエゴを正当化したい――エゴをエゴと認めたくない貴女の妄想なのです……」

 

「なんだと……!」

 

「私は知っています……。駆逐艦が、何度も何度もこの場所を訪れては、遊具の様子を見に来ていることを……」

 

確かに、駆逐艦が訪れていたことはあった。

武蔵もその事を知っているはずだ。

 

「だから何だというのだ……!」

 

「分かりませんか……? 駆逐艦たちは興味を持っているのです……。私たちが散々、人間は恐ろしい存在だと教えていたのにもかかわらず、危険に近づいてまで、遊具に興味を示したのです……。私たちはその関心を潰した……。駆逐艦を守るという、私たちのエゴの為に……」

 

「……!」

 

鹿島は再び遊具を見た。

 

「この遊具が完成した時、私はその様子を隠れて見ていたのです……。武蔵さんの言うように、駆逐艦に手を出すための――明石さんや夕張さんを脅し、造らせたものなのだという証拠を掴むために……」

 

だからあの時、鹿島はあそこにいたのか……。

 

「しかし、実際はそうではなかった……。明石さんと夕張さんは、完成をとても喜んでいましたし、雨宮さんは、例え武蔵さんとの決闘で負け、自分が島を出ることになっても、遊具だけは寮に運び、駆逐艦に遊んでほしいと言っていました……」

 

武蔵が俺を見る。

その瞳は、まるで信じられないというような――見方を変えれば、間違いを犯してしまったというような――そんな瞳であった。

 

「私はその時、決闘が決まったあの日に、雨宮さんに言われたことを思い出しました……」

 

 

『『守る』なんてのは聞こえのいい言葉で、お前のそれは『束縛』だ』

 

 

「もし、その言葉が正しければ、私たちは私たちの価値観を駆逐艦に押し付け、『守る』なんて言葉で縛っていただけなのかもしれない……。そう思いました……」

 

鹿島は真っすぐな瞳で武蔵を見つめると、力強く言った。

 

「本当に駆逐艦たちの事を想うのなら、『守る』のはでなく、『尊重』することが大事なのではないでしょうか……? それが駆逐艦を真に想う事なのだと思います」

 

「鹿島……」

 

武蔵の握られた拳が、小さく震えていた。

 

「武蔵……そういう事だ……。確かにお前の言う通り、死を恐れている駆逐艦はいるかもしれない。だが、俺はそいつらを無理やり外に出すことはしない。価値観を押し付けることはしない」

 

「……私は、間違っていない」

 

「武蔵……」

 

「私はずっと皆を守って来たんだ……! 私を否定するな……!」

 

武蔵の叫びが、島中に響き渡る。

その反響が消える頃、島は恐ろしいほどの静寂に包まれた。

 

「……それがお前の本音なのだな、武蔵……」

 

「武蔵さん……」

 

武蔵は拳をゆっくりと開くと、脱力したように俯いた。

 

「私は……皆の為に戦ってきた……。それが間違っていたと言うのか……!? 私を否定するつもりか……!」

 

「否定はしないさ。お前がやってきたことは、間違いじゃない。実際に守られた奴も多くいるし、お前を失う事を恐れている奴もいるだろう。だが、『守る』と『守ってやる』は、大きく違うんだ」

 

「……!」

 

「お前は駆逐艦のヒーローなんだってな。ヒーローはいつだって、助けを求める誰かの声を聴き、戦うものだ。お前は誰の声を聴いたんだ? その声は、本当に助けを求める声だったのか……?」

 

武蔵は考えるようにして、目を瞑った。

 

「お前を否定しているわけじゃない……。ただ少し、守る相手を疎かにしてしまっただけだ。己の使命に――戦うことに意識が寄り過ぎただけだ……」

 

静かな島に、強い風が吹き付けて、木々を大きく揺らした。

永い沈黙が続く。

 

「武蔵……」

 

「私は……どうすればいいんだ……。どうすればよかったのだ……」

 

それはまるで、助けを求めるような――震える声であった。

 

「……皆の声をもっと聴いてやればいいさ」

 

「皆の……声……」

 

「俺は、あいつらが何を考えているのかを知りたかったんだ。何を求め、何を恐れ、どう接してやればいいのかを……。この遊具だって、交流の為に造ったとはいえ、あいつらがこの遊具への関心以上に、人間や死を恐れていたら、意味を持たないものになってしまう。だが、その時はその時で、別の方法を考えるまでと思っていた。つまり、あいつらとの距離を測る為――あいつらが本当に死を恐れているのか、確かめていたんだ」

 

「それが……『声』……」

 

鹿島が呟く。

 

「そうだ。駆逐艦の心は未熟だ。自分の本心を伝えるどころか、自分の本心が本心であると理解することも難しいだろう。だが、確実にそれはあいつらの中にある。ちょっとした行動や発言の中に――本人も気づかないほど小さなところに隠れているのだ。それを見つけ、気づかせてやること。それが鹿島の言う『尊重』だ。声を聴き、尊重し、守ってやる。武蔵、お前にはそれが出来る。それだけの力や信頼がある」

 

「私に……?」

 

「お前はそれだけの事をしてきた。だから、俺はお前を否定しない。むしろ、いい方向に持っていけるのではないかと思っている」

 

武蔵は真っすぐ、俺を見つめた。

 

「いつか、俺が出さなくとも、強制的に島を追い出される日が来るだろう……。その時、お前が今のまま守り続けられる保証はない。お前が出来ることは、島を出ることを恐れる艦娘の声を聴き、そいつが強く『生きる』為に力を持たせてやることだ。お前が俺に立ち向かって来た時のような、勇気を持たせてやることだ。戦う力を持たせてやることだ……」

 

「戦う……力……」

 

「それが、真のヒーローだと――皆を守るという事だと、俺は思っている」

 

空が明るくなってゆく。

夜明けが近いのだ。

 

「俺に協力してほしい。お前となら、あいつらの本心を『尊重』できる気がするんだ。あいつらを『守る』ことが出来る気がするんだ」

 

武蔵は深く目を瞑ると、俯き、永い事考えていた。

 

「すぐに答えを出せとは言わない。約束通り島を出るのもいいし、お前が正しいと思う道を行ってもいい。俺とお前の『決闘』は――『交流』は、今終わった。俺もお前も、全力で気持ちをぶつけた。後はお前次第だ」

 

武蔵はゆっくりと目を開くと、そのまま門の方へと歩いていった。

 

「武蔵さん……」

 

鹿島がそれを追いかける。

 

「鹿島」

 

鹿島は立ち止まると、ゆっくりと俺を見つめた。

 

「……勘違いしないでください。私はただ、正しいと思うことをしただけです……。貴方の味方をした訳ではありません……」

 

そう言う鹿島の表情は、どこか悲しそうに見えた。

 

「……お前も武蔵のように、向かい合わなきゃいけないことがあるようだな」

 

「……失礼します」

 

そう言って、鹿島と武蔵は去って行った。

 

 

 

「おーい、起きろー」

 

目を開けると、そこには夕張の顔があった。

 

「あ、起きた。おはよう、提督」

 

「夕張……。あぁ、おはよう……」

 

「随分眠そうね。あまり眠れてないとか?」

 

「まあ、そんなところだ……。あれ、お前だけか?」

 

「明石も一緒が良かった?」

 

「そうは言ってない。珍しいと思ってな」

 

そう言ってやると、夕張は少し寂しそうに微笑んで見せた。

 

「ほら、明石ももう一人で大丈夫そうだし、いつまでも一緒に居るのは違うかなって……」

 

夕張は庭にある遊具を見つめ、やはり微笑むだけであった。

 

「別に、明石が大丈夫そうだからって、離れる必要はないだろ」

 

「そうかもしれないけどさ。なんというか……ね……?」

 

武蔵の事があったからこそ、俺には夕張の心が分かっていた。

 

「なるほどな……。お前、明石にとっての自分とは何だろうと、考えてしまったのではないか?」

 

武蔵と同じであった。

誰かの為の自分。

それを否定された時、武蔵のように戦うものもあれば、夕張のように逃げてしまうものもある。

いずれにせよ、否定されたことを受け入れられないでいることは確かであり、最善ではないこともまた、確かであった。

 

「別に明石が強くなったところで、お前の存在価値が失われるわけじゃないだろ」

 

「まあ、そうなんだけど……」

 

「つまるところお前は、明石が強くなったことで寂しいと思っているんだろう? 明石を支える理由がなくなったものだからさ」

 

夕張は何も言わなかった。

 

「明石はお前の事、そんな目で見ているわけじゃないと思うぜ。俺から見るお前たちってのは、何処からどう見ても親友って感じだった。きっと明石もそう思っている。お前がそんな事を言い出したと知ったら、きっと悲しむぜ」

 

「……そうかな」

 

「あぁ、絶対そうだ。しかし、お前も面倒くさい奴だよな。そんな事ばかり考えて、持ち前の明るさはどうしたんだよ?」

 

「自分の事はてんで弱いのよ……。ずっと明石の支えにならなきゃって事ばかり考えてて、自分の事なんて……」

 

確かに、夕張がこの島に残っている理由も、明石の支えになりたいからだと言っていた。

それが必要なくなった今、夕張は果たして――。

 

「だったら、明石から逃げてるだけじゃなくて、お前はお前自身の為にどうしたいのか、これから考えていくべきじゃないのか?」

 

「私が……私自身の為に……?」

 

「そうだ。まあ、すぐには見つからないかもしれないが、絶対に存在するからさ。時間をかけてゆっくり探そう」

 

「……見つかる前に、皆島を出て行ってしまうかもしれないわね。提督、そんな勢いを持っているし……」

 

「フッ、かもな。でもまあ、その時はその時だ。例えこの島の艦娘がお前だけになっても、見つかるまでずっと一緒に探してやるから、安心しろ。まあ、追い出されなけりゃの話だけどな」

 

そう言って笑ってやると、夕張は何かを言うわけでも無く、ただ俺をじっと見つめた。

 

「夕張?」

 

「……ううん。そっか……。そうだよね。うん……私の為の何か……探してみることにするわ。ありがとう、提督」

 

「あぁ、その意気だ」

 

その時、夕張の腹がぐぅと鳴った。

 

「安心したら、お腹減っちゃったみたい」

 

「朝食、まだだったんだな。何か振る舞ってやりたいが、ここには何もないんだ。悪いな」

 

「うん、知ってる。提督もお腹減ってるでしょ? 何か持ってきてあげるから、一緒に食べない?」

 

「いいのか? 悪いな」

 

「ううん。いいのよ。じゃあ、行ってくるわ。待ってて」

 

夕張は笑顔を見せると、門の方へと走っていった。

そして、門を抜けると、悲鳴をあげた。

デジャビュ。

だが、前に聞いた悲鳴とは違い、あまりにも真に迫るものであったため、今度こそ蛙を踏んだかと駆けつけてみると、そこには武蔵が立っていた。

 

「武蔵……」

 

夕張は俺の背中に隠れると、小さく「怒ってるわ……」と言った。

確かに、その表情はとても険しいものであった。

 

「雨宮……」

 

武蔵が動く。

まさか……。

思わず構える。

だが、武蔵はそのまま頭を下げ、小さな声で言った。

 

「すまん……。二人しか連れてこれなかった……」

 

「へ……?」

 

頭を下げる武蔵の後ろから、明石がひょっこりと頭を出した。

 

「明石?」

 

「提督……」

 

その明石の後ろに居たのは、二隻の駆逐艦――卯月と皐月であった。

 

「武蔵さんから、遊具で遊びたい駆逐艦を連れてやって欲しいと言われまして……」

 

「え!?」

 

俺も夕張も、思わず武蔵を見た。

 

「他の駆逐艦にも声をかけたのだが……来てくれたのはこの二人だけであった……。この武蔵が言えば――なんて大口を叩いていたのに、この様だ……。すまない……」

 

険しい表情は、悔いている表情だったのか。

 

「ど、どういうこと……? 提督、今度はどんなペテンを使ったのよ!?」

 

「ペテンなどではない……」

 

武蔵は何も言わなかったが、その目が全てを物語っていた。

 

「……それがお前の出した答えなんだな。武蔵」

 

「あぁ」

 

真っすぐな瞳であった。

そしてどこか、すっきりした表情でもあった。

 

「本当に守るべきものに気が付けた……。そして、これからも守り続けるために、私はやはり戦いたいと思った……」

 

「……そこに俺が居てもか?」

 

「あぁ……。この武蔵、まだまだ未熟ゆえ……それを補ってくれる――導いてくれる存在が必要だ……」

 

そう言うと、武蔵は俺をじっと見つめた。

 

「過大評価かも知れんぜ」

 

「この武蔵を投げ飛ばしたのだ。それだけで十分評価されるべきだろう」

 

明石も夕張も、駆逐艦ですら、何が起きているのか分からずにいるようであった。

 

「そうか……。ありがとう武蔵。そして、これからよろしくな」

 

俺が手を出し述べると、武蔵はその手を力強く握った。

 

「いててて……!?」

 

「す、すまない……」

 

「いや……心強いよ。これからもその手で、駆逐艦を守ってやってくれ。――いや、一緒に守っていこう」

 

「……あぁ! もちろんだ」

 

「改めて」

 

今度は優しく、俺の手を握ってくれた。

 

「よろしく、武蔵」

 

「よろしく、我が提督よ……」

 

そう言って笑った武蔵の表情は、朝陽よりも輝いて見えた。

 

「ちょいちょいちょい! ちゃんと説明してよ! 何があったってのよ!? 明石!?」

 

「私も分らないのよ……。何だか怖いわ……」

 

だが、誰よりも困惑しているのは、他でもない駆逐艦であったのだろう。

卯月と皐月は互いに顔を見合わせると、怪訝な表情で首をかしげていた。

 

 

 

武蔵が駆逐艦たちを遊具で遊ばせている間、夕張と明石に全てを説明してやった。

 

「そういうこと……」

 

「ビックリしましたよ。昨日の今日だったから……何が起きたのだろうって……」

 

「実の所、俺も驚いている。まさか駆逐艦を連れてくることで、答えを示すなんてな。いや、そもそも、俺のあんな無茶苦茶な話で、改めてくれるとは……」

 

「無茶苦茶な事を言っている自覚はあったのね」

 

「後で考えてみるとな……。俺のやり方ってのは、いつだって自分の正当化以上に、相手を追い込むことにあるからな」

 

「……なんかヤな人ですね。提督……」

 

「それで事が運べるなら、どんな手でも使うさ。言っていることは正しいのだから」

 

そう言って二隻を見た。

二隻とも、少し複雑そうな表情を見せた。

 

「まあ結果として、駆逐艦を遊具で遊ばせてやれたし、武蔵は島を出て行くどころか、味方してくれることになったし、いい方向に向いている。そうだろう?」

 

「……提督にとっては、でしょ?」

 

「そうですよ……」

 

「後々にお前たちにもプラスになる話なんだよ」

 

「どうだか……」

 

「ねぇ?」

 

さっきの夕張の悩みはどこへやら、二人はやはり親しそうに口を合わせていた。

 

「あ、鹿島さん!」

 

皐月が叫ぶ。

門の方を見ると、鹿島が駆逐艦に手を振っていた。

反対の手には、何やら包みをぶら下げている。

 

「明石、私たちも遊具の方へ行きましょう」

 

「え? ちょ、夕張!?」

 

「武蔵さん一人だと大変でしょ?」

 

夕張は明石の手を取ると、遊具の方へと走っていった。

振り向きざま、夕張は俺にウィンクをして見せた。

――なるほど、相変わらず気の利く奴だ。

 

「よう」

 

鹿島は駆逐艦たちに笑顔を返した後、俺を見てすぐ、険しい表情を見せた。

 

「駆逐艦の様子を見に来たのか?」

 

「……えぇ、そんなところです」

 

鹿島は少し離れて縁側に座ると、包みを俺に渡した。

 

「鳳翔さんからです……。夕張さんと貴方の朝食だそうです……。駆逐艦の様子を見るついでにお願いされました……」

 

鳳翔から……か……。

思えば、鳳翔も夕張と同じで、気を遣える奴だよな。

自分で持っていけばいいものを、まるで何かきっかけをつくらせるように、誰かを寄越してくる。

明石や夕張の時だってそうだった。

 

「そうか。ありがとう」

 

「……ついでですから」

 

念を押す様に、鹿島はそう言った。

永い沈黙が続く。

 

「……楽しそうに遊んでいるだろ。他の連中は、興味ないのだろうか」

 

そう言っても、鹿島は答えなかった。

 

「お前に言っているんだぜ」

 

「……知りませんよ」

 

「知ろうとしないのか? 駆逐艦の気持ちを尊重するのだろう?」

 

「相談があれば尊重します……。声が出て居ないだけです……。興味が無いのでしょう……」

 

「なんだ、知らなくないじゃないか。俺が欲しかった、最初の質問の答えはそれだぜ?」

 

鹿島はムッとした表情を俺に見せた。

 

「馴れ馴れしく話しかけないでください……。武蔵さんの件で、仲良くなったつもりですか……? 変な勘違いをされては困ります……」

 

「そんなことはない。俺は誰にだって、こうして話しかける。勘違いしているのは、お前の方ではないか?」

 

これには流石の鹿島も怒りの表情を向けた。

 

「……何故そこまでして俺を憎む?」

 

その質問に、鹿島は視線を伏せ、小さく「貴方には関係ありません」と答えるのみであった。

 

「関係ありそうだがな。俺……というより、人間を憎んでいる感じだ」

 

鹿島は答えない。

俺は詰めるようにして、いくつかの単語を口にした。

 

「人間……。ハニートラップ……。駆逐艦……」

 

鹿島に反応はない。

 

「海軍……。男……。香取……」

 

香取と言った時、鹿島の目に、小さな動揺が見られた。

 

「……なるほど。香取さんと男女関係の事で揉めたと聞いているが、それか」

 

鹿島は何も言わなかったが、反応が平生のそれとずれていた。

 

「この前、島を出た時に、香取さんに会ったんだ。お前の事を凄く心配していた」

 

「……!」

 

「詳しいことは分からないが、出向してきた男を巡って、香取と一悶着あったようだな。お前が俺を憎んでいるのは、その事と関係が――」

「――違います!」

 

鹿島が叫ぶ。

皆、何事かと、鹿島の方を見つめた。

 

「違います……。香取姉は関係ありません……」

 

鹿島は立ち上がると、駆逐艦たちに手を振って見せた。

そして、俺にしか聞こえないような小さな声で言った。

 

「私は単純に、貴方を……人間を憎んでいるだけです……。死神である人間を……」

 

そして、駆逐艦に一言二言残すと、寮の方へと帰っていった。

 

「提督、何があったってのよ?」

 

「いや……」

 

あの反応……やはり……。

 

「まあいいわ。私、朝食とってるから、私の代わりに駆逐艦たちと遊んであげてよ」

 

「え?」

 

遊具の方を見ると、武蔵と明石が手招きをしていた。

駆逐艦はと言うと、不安そうな表情で、こちらを見ていた。

 

「その為の遊具でしょ? 行ってきなさいよ」

 

「あ、あぁ……」

 

恐る恐る駆逐艦に近づく。

駆逐艦たちは、やはり怯えているのか、武蔵の背中に隠れてしまった。

 

「大丈夫だ。ほら、挨拶しとけ」

 

武蔵が促す。

だが、二隻は出てこようとしなかった。

 

「皐月ちゃん、卯月ちゃん、大丈夫よ」

 

明石はしゃがみ込み、二隻に語り掛けていた。

そして、俺を見つめた。

なるほど、こうしろと……。

しゃがみ込み、二隻の目をじっと見つめた。

 

「雨宮慎二だ。よろしくな」

 

そりゃもう、上官に見せる様な、愛想のいい笑顔を見せてやった。

二隻は互いに顔を見合わせると、小さな声で言った。

 

「……卯月です」

 

「……皐月です」

 

「卯月に皐月だな。何かあれば言ってくれ。なるべく要望には応えるつもりだ」

 

二隻に反応はない。

どう声をかけていいのか分からず、永い沈黙が続いた。

 

「まあ……えーっと……そういうことだ。じゃあ……邪魔して悪かったな……」

 

俺は逃げるようにして、そそくさと縁側に戻り、座り込んだ。

 

「なに戻って来てるのよ?」

 

「いや……まずはこれくらいだろ……」

 

遠く、明石と武蔵が、やれやれというようにして、首を振っていた。

 

「……提督、もしかして、子供が苦手とか?」

 

「苦手ではないさ。ただ……どう接すればいいのか分からないだけだ……。言葉で言って聞かせられない存在ってのは……」

 

夕張は驚いた表情を見せた後、大いに笑った。

 

「なるほどね~。そうよね。子供を騙すのに、確かにペテンは通用しないわ。非の打ちどころもない相手だし」

 

「……笑うな」

 

駆逐艦たちは、再び遊具で遊び始めた。

明石や武蔵は、流石に慣れているようで、まるで幼稚園の先生のように振る舞っていた。

 

「遊具を造らせる前に、子供との距離の縮め方を教わるべきだったわね」

 

「ぐうの音も出ない……」

 

武蔵を味方につけれたことはデカいが、やはり駆逐艦との交流には、鹿島の存在は不可欠なのだろうと思った。

今から幼稚園の先生になる訳にもいかないしな……。

 

「鹿島……か……」

 

武蔵のように真っすぐぶつかってくるような存在とは違い、まるで俺を避ける様な感じであるから、そうそう簡単に心を許してくれることはないだろう。

まずは鹿島が、俺に向き合おうと考えなければ、何も始まらない。

向き合おうと思わせるには、何が必要か……。

そう考え始めた時、俺の腹が鳴った。

 

「まずは腹ごしらえか……」

 

朝食を摂ろうと風呂敷包みを見ると、そこには何もなかった。

 

「あれ?」

 

夕張を見ると、俺の分まで飯を食っていた。

 

「お、おい! それ……」

 

「え? あ! これ、提督のだったの!? ごめん……全部私の分だと思ってた……」

 

「お前……おかしいと思わなかったのかよ!?」

 

「だって、鹿島さんが持ってきたから……。てっきり、提督の分は持って来ないものだと……」

 

「俺の朝食……」

 

遊具の方で、明石と武蔵がケラケラと笑った。

 

「笑うな!」

 

「提督、駆逐艦が怖がってるから、声を抑えて」

 

「あ……すまん……。って、お前が……!」

 

「提督が鹿島さんと仲良くなっていたら、そんな勘違いしなくてよかったのに」

 

「くっ……それを言うのは卑怯ってもんだぜ……」

 

「誰かさんの真似よ。ふふ」

 

夕張がそう笑うものだから、俺は参って、諦めるようにして寝転がった。

 

「あーあ……。せっかくこれからいろいろ考えようと思ったのによ……」

 

夕張は、最後の一口をひょいと食べると、口の中に食い物を残したまま言った。

 

「次は鹿島さん?」

 

「あぁ……。だがまあ、難しいだろうな」

 

肘枕をついて、遠くの空を眺めた。

広い広い青空に、積乱雲がいくつか浮かんでいる。

あんなにもデカく見える雲も、きっと想像もできないほど遠くにあるのだろうなと思うと、なんだか気分がげんなりしてしまう。

 

「提督なら出来るわよ」

 

「出来なくてもやるしかないってのが本当だ」

 

そう言ってやると、夕張はそっと俺の手を握った。

そして、俺の耳元に近づくと、小さく言った。

 

「私は、貴方が出来るって、信じてるから……」

 

「え?」

 

「……行ってくるわね」

 

夕張は縁側から飛び出すと、皆の方へと走っていった。

 

「信じてるから……か……」

 

夕張にとって、俺を信じることが何につながるのかは分からないが、そう言われたからにはやるしかないよな。

ただ、今回のように大きな一歩を踏み出しても、その先に進めなければ意味がない。

今はどうも、ぬかるみに足を掬われている気がしてならない。

 

「とにかく、コツコツ踏み固めるしかないんだろうな……」

 

そんな事を呟きながら、皆の先生っぷりを盗むべく、駆逐艦たちの遊ぶ様子をまるで輪に交ざることの出来ない子供のように、指をくわえ、遠目に眺めることにした。

 

――続く


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