不死鳥たちの航跡   作:雨守学

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第22話

あの人だけは、違うと思っていた。

 

「よしよし、潮は可愛いな」

 

「も、もう! 子ども扱いしないでください!」

 

「実際、子供だろうに」

 

「う、潮にだって、大人なところはあります!」

 

「例えばどんなところだ?」

 

「む、胸……とか……」

 

「胸ねぇ……。まあ、大きいようではあるが、それが大人の証明にはならない。もっとこう、陸奥とか大和のような魅力が無いと」

 

初めてだった。

私の事を子ども扱いする人は。

他の大人たちは、私の事を――その目が怖くて、私はいつも怯えていて――。

だから、初めて提督に会った時、その優しい瞳に――私は恋をしてしまった。

 

「曙ちゃん……。潮……どうしたら、提督に大人として見られるようになるかな……?」

 

「さあね……。そのでっかい乳で誘惑してみたら?」

 

「誘惑……?」

 

考えたことも無かった。

私の事をそういう目で見る人じゃないって分かっていたし……。

でも……。

 

「…………」

 

もし、私が誘惑したら、提督は――。

そして、私の事を意識してもらうのに、それが必要なら――。

 

 

 

ある晩の事だった。

トイレに行こうと、執務室の前を通りかかった時――。

 

「声……?」

 

提督の苦しそうな声が聞こえて、私は様子を見ようと、そっと、執務室の扉を開いた。

そこで、提督は――。

 

「ひゃあ!?」

 

「な……!? う、潮……!?」

 

「提……督……。あの……えと……」

 

提督のソレは、まるで別の生き物のように、脈打っていた。

 

「ごごご、ごめんなさい! その……提督の声がして……とても苦しそうで……」

 

思わず目を逸らす。

 

「い、いや……! 俺の方こそ……鍵をかけていれば良かったものを……!」

 

ふと、鏡越しに提督の姿を見た。

傍に置かれている本には、大人の女性が裸で載っていて――。

 

「……提督も、そういう事……するんですね」

 

男の人に必要な事だって、知ってはいた。

でも、まさか、提督も同じだったなんて……。

 

「まあ……俺も男だからな……」

 

提督の気持ちを反映するように――小さくなって――。

 

『そのでっかい乳で誘惑してみたら?』

 

『もっとこう、陸奥とか大和のような魅力が無いと』

 

「お、おい! 潮、何をやって……!」

 

証明したかった。

潮も大人だって。

それと同時に、提督は違うって――あんな目を、私に向けないって――証明したかった。

 

「提督……」

 

矛盾しているって、分かってはいた。

それでも、思いとどまってくれるって、思っていたから――。

 

「あ……」

 

私の裸に、提督はしっかりと反応していた。

嬉しかった。

初めて、大人として見られたんだって。

けど――。

 

「提――」

 

顔を上げた瞬間、後悔した。

自分の認識が甘かったと、反省した。

荒い息遣い――血走る目――まぎれもない、あの目――。

 

「提……督……?」

 

「潮……」

 

近付く提督。

私は、動くことが出来なかった。

 

「スマン……。もう……我慢できそうもないんだ……」

 

「え……」

 

「お前を穢さないから……」

 

そう言うと、提督は――。

結局、提督も他の男と同じだった。

自分を慰める事に必死で、私に触れこそしなかったけれど、その目は、他の大人と同じものだった。

 

 

 

その日から、私を見る提督の目の色は変わった。

いつものスキンシップも、揶揄いも――普通の会話すら、しなくなってしまった。

私を避けなければいけないというその態度もまた、他の大人と同じだった。

 

「…………」

 

あんなにも大好きだった提督が、今はただの――。

 

「司令官! あそぼー!」

 

「あぁ、いいぞ」

 

「…………」

 

私にあんなことをしておいて、平気な顔で他の駆逐艦たちと戯れる提督に、私は――。

 

 

 

ある日の晩、私は提督を自室に呼び出した。

 

「う、潮……。俺に……何の用だ……?」

 

提督は緊張しているようだった。

それと同時に『期待』もしているようで――その証拠に、提督の――。

私の視線に気が付いて、提督はそっぽを向いてしまった。

 

「提督……」

 

「な、なんだ……?」

 

「あの日から……あの日の夜から……提督は潮の事……避けるようになりましたね……」

 

「そ……んなことはない……」

 

「視線が合う事も無いし……スキンシップも――会話だって――」

 

提督の背中は、とても小さく見えた。

 

「……提督」

 

「なんだ……?」

 

「こっち……向いてください……」

 

提督がゆっくりと振り返る。

そして、私の姿を見ると――。

 

「潮っ……! お前……!」

 

嗚呼、やっぱり――。

 

「……いいですよ。『また』……しても……」

 

提督に迷いはなかった。

裸の私を前に、提督も服を脱ぎだして――。

 

「あっ……!」

 

「え……」

 

相当我慢していたのか、下着を脱いだ瞬間、提督は――。

 

「す、すまない……! 今、拭くものを……!」

 

慌てふためく提督。

ここで悲鳴を上げれば、この男はもう……。

 

「あ……」

 

ふと、自分の体を穢したソレに目を向けた。

その瞬間――。

 

「うっ……うぉぇ……」

 

「潮!?」

 

自分でも、何故嘔吐したのか分からなかった。

ただ、その穢れが体に沁み込んでくる感覚に襲われて――。

 

「キモチワルイ……」

 

「え……?」

 

キモチワルイ……。

キモチワルイキモチワルイキモチワルイキモチワルイ……!

 

「潮――」

「近づかないで……!」

 

肌を伝う感覚……ニオイ……温度……。

男の声……視線……存在……。

ここにあるもの全てが、私を不快にさせる。

 

「キモチワルイキモチワルイキモチワルイ……!」

 

「う、潮……」

 

再び吐き気がして、私は思わず蹲った。

そして、やっとのことで『予定通り』悲鳴を上げることができた。

 

「潮!? どうかして……って、何やってんのよ……!?」

 

それからの事は、よく覚えていない。

私の作戦通り――思惑通り、提督は島を追い出されて、皆は私に同情するようになった。

これでいい。

あんな目をした提督は――あんな男は、もう――。

 

「これでもう安心よ……潮……。守ってあげられなくて……ごめんね……」

 

「…………」

 

曙ちゃんの言う通り、私は安心していた。

もう二度とあんな思いはしたくなかったし、皆が私を守ってくれると思ったから。

それでも――。

 

「ひっ……!」

 

時々、ふとした拍子に、あの時の感覚に襲われるようになっていた。

 

「潮!? 大丈夫!?」

 

「曙ちゃん……私……私……!」

 

そんな私を、皆は献身的に支えてくれた。

私も、それに甘えることにした。

安心できたし、何よりも楽だった。

私が戦わなくても――私が嫌な思いをしなくても、皆が代わりに戦ってくれる。

利用しない手は無かった。

ずっとこのままでいいと思っていた。

なのに――。

 

「あんたも腹をくくりなさい……! あんたを守ってくれる人は、もうその人間しかいないのよ……!」

 

こんなことになるなんて……。

雨宮慎二……。

 

『俺はもっと、大人の女が好みで……』

 

結局、貴方もあの男と一緒なはず……。

誰も守ってくれないのなら――もう一度同じ事が起これば、きっと皆も――だから――。

 

「腹をくくる……。もう二度と……こんな思いをしない為にも……」

 

私の決意に、雪風ちゃんは不気味に笑って見せた。

 

 

 

 

 

 

『不死鳥たちの航跡』

 

 

 

 

 

 

 

結局、俺が故意に潮の胸を揉んだのかどうかについては、大淀の計らいで不問となった。

 

「全く……。悪かったな、大淀」

 

「いえ。あの……本当にやっていないのですよね……?」

 

「お前まで疑うか……」

 

「だって、理由が分かりませんから。潮さんが提督の家に居た理由が……」

 

「俺にだって分からん……」

 

朝食を摂っている間、皆、俺から距離をおいていた。

 

「効果絶大だな……」

 

「私としてはありがたいですけどね。提督と二人っきりで朝食を摂れるなんて、滅多にない事ですから」

 

俺にしか聞こえないように、大淀は小声でそう言った。

 

「お前……この状況を楽しんでいないか?」

 

「さあ、どうでしょうね」

 

そんな事を話していると、夕張が食事を持って、俺の隣にドカッと座った。

 

「どうした?」

 

「いえ? ただ、なんか可哀想だなって思って」

 

「同情か? 半分、お前のせいでもあるんだぜ……。それに、大淀がいるから、お前の気遣いは無用だ」

 

そう冷たくあしらってやると、夕張はムッとした表情を見せていた。

 

「大淀との会話を楽しんでくれていると解釈しても?」

 

「独りで飯を食っているよりはマシなだけだ」

 

「揶揄われているのに?」

 

「ロリコンなんじゃないかと疑われるよりは、な」

 

そう言って、夕張に目を向ける。

 

「……何よ。私だって、別に本気でそう思っている訳じゃないわ……」

 

「どうだかね……」

 

「だって、大人の女性が好み、なんでしょ……?」

 

どこかバカにするような言い方であった。

 

「へぇ、そうなんですか?」

 

「らしいですよ。なんでも、異性として意識したのは、大人の女性だけだとかなんとか……」

 

こいつ……。

 

「大人の女性……ですか……。提督、大淀はどうです? 大人の女性……でしょうか……?」

 

「知らん……。そもそも、別に俺は、大人の女性が好きだという訳ではない……。雪風やこいつが勝手に言っているだけだ」

 

「では、どんな女性が?」

 

俺はそれに、言葉を詰まらせてしまった。

 

「やっぱりロリコンなんじゃないの? 大人の女性だとか言っているのは、ロリコンを隠す為のカモフラージュだったりして……」

 

「しつけーな……。まあ……好みかどうかはいいとして……。確かに、お前のようなお子様よりかは、大人の女性の方がマシかもな」

 

そう言って、飯を口に運んだ時であった。

夕張が急に、机を強く叩いたのだ。

 

「びっ……くりした……。おい!」

 

「悪かったわね……。大人の女性じゃなくて……」

 

「はぁ? お前、何をそんなに怒って――」

「――怒ってない!」

 

食堂が、静寂に包まれる。

 

「て、提督……。今のは言い過ぎですよ……」

 

「言い過ぎって……。突っかかって来たのはこいつだろ……。何を言い返されてムキになってんだ……」

 

「いいですから……。謝った方がいいですって……」

 

夕張は俯き、何かに耐えるように拳を握っていた。

 

「はぁ……。分かったよ……。悪かったな……。お前は大人の女性だよ……。ロリコンの俺が保証してやる」

 

「提督! ふざけない下さい!」

 

「だってよ……」

 

夕張は立ち上がると、そのまま走って食堂を出て行ってしまった。

 

「あ、夕張さん!」

 

「なんなんだよあいつ……」

 

「提督! ちょっとムキになり過ぎですよ……。どうされたのですか……」

 

「ムキになっていたのはあいつの方だろうが……」

 

と、口では言ってはみたものの、確かに、自分でもよく分からないが、ちょっとムキになっている自分がいた。

素直に謝ればよかったものを……。

 

「後でちゃんと謝ってください……」

 

「……分かっているよ。今は、飯に集中させてくれ……。ったく……」

 

今だって、追いかけて謝ればいいものを……。

どうしてこう、素直になれないのだろうか……。

昨日までは、あいつに対して優しくしようと決めていたのに……。

いつもいつも、こう、ムキになるあいつに対して、何故俺まで熱くなってしまうのだろうか……。

 

「…………」

 

いや、元はと言えば、あいつがロリコンロリコンと突っかかって来たのが悪い訳で――。

そもそも、どうしてわざわざあいつに優しくしなければ――。

確かに、あいつの泣き顔を見るのは辛くて――。

でも、ありゃ一時の感情で――。

 

「提督?」

 

「ん?」

 

「どうしました? 箸、止まっていますよ」

 

「あぁ……。いや……」

 

『そんなに冷たくすることないじゃない……。私だって……そんなに強くなった訳じゃないのよ……? 少しだけ不器用なだけじゃない……』

 

クソ……。

 

「悪い、大淀……。ちょっと行ってくる……」

 

「え?」

 

「夕張のところだよ……。謝ってくる……」

 

そう言って立ち上がった時であった。

 

「あ……」

 

山城が、俺の前に立っていた。

 

「山城? どうした?」

 

山城は驚いた表情を見せた後、すぐにいつもの不機嫌そうな顔に戻して見せた。

 

「あの子に……謝りに行くの……?」

 

「……あぁ。なんだ? 不満か?」

 

山城は首を横に振った後、道をあけてくれた。

 

「もしかして、謝れと説得しに来たのか?」

 

山城は何も答えなかった。

 

「……俺が駄目だったら、あいつのこと、頼んだぞ」

 

山城の返事を待たず、俺は食堂を後にした。

 

 

 

「夕張」

 

夕張の部屋をノックする。

返事はない。

 

「……入るぞ」

 

扉を開け、部屋に入ると、夕張は隅っこで、顔を隠すようにして、膝を抱えていた。

 

「……何しに来たのよ」

 

「謝りに来たんだ……。隣、いいか……?」

 

夕張は小さく頷いた。

依然として、顔は隠されたままだ。

 

「よっと……。はぁ……」

 

永い沈黙が続く。

 

「……さっきは悪かったよ。ムキになり過ぎた……。ごめんな……」

 

夕張は首を横に振ると、かすれた声で言った。

 

「謝るのは私の方……。ごめんなさい……」

 

冷静になった……ようだな……。

 

「貴方と大淀さんが、仲良さそうに話していて……イライラしちゃったの……」

 

俺と大淀が話していただけで……。

 

「でも、それだけじゃないの……。たまにだけど……何でもないはずなのに、イライラする日があって……。今日がその日みたいで……」

 

イライラする日……か……。

 

「頭とかお腹が痛くなって……イライラして……。今朝……貴方に話を聞いてもらおうと、家に行ったの……。話をすれば、幾分かイライラも治まると思って……」

 

「だが、逆にストレスになってしまった……というわけか……」

 

夕張は頷いた。

 

「それは……悪かったな……」

 

「ううん……。謝らないで……。悪いのは全部、私だから……」

 

より小さくなる夕張。

本当、こいつは……。

 

「それで?」

 

「え……?」

 

「話……何を話そうとしてくれていたんだ?」

 

夕張は顔を上げると、俺を見た。

泣いていたのか、目が赤くなっている。

 

「聴かせてくれよ。その話とやらを」

 

「……もういいわよ。大した話でも無いし……」

 

「なんだよ。気になるだろ」

 

「話って言っても、ほとんどが愚痴っていうか……悩みっていうか……」

 

「それでもいいよ。ほら、聴かせてくれよ」

 

「……優しいのね。貴方はこんなにも優しいのに……私……うぅぅ……」

 

とうとう夕張は泣いてしまった。

なんか、心が不安定だな……。

 

「大丈夫だ……。いっぱい泣いて、すっきりしておけ……」

 

「うん……。話……聞いてくれる……?」

 

「あぁ……」

 

夕張は泣きながら、たくさん話してくれた。

時々、イライラする日が来ること。

その度に、俺に突っかかってしまうこと。

それを後悔し、自己嫌悪に陥ったこと。

なるべく俺に近づかないようにしていたこと。

寂しかったこと。

自分だけ、俺の夢を見れなかったこと――。

 

「私が夢を見れなかったのは……私が貴方に酷い事をしたからなのかなとか……貴方に嫌われているからだとか……色々考えちゃって……。関係ないって分かってはいるんだけれど……。少しでも……理由が欲しくて……」

 

「そうか……」

 

「ただ夢が見れなかっただけなのにね……。笑っちゃうでしょ……?」

 

「いや……笑わないよ。くだらないとは思うがな」

 

夕張は黙り込んでしまった。

 

「そんなに夢の俺に会いたかったのか? 俺はここにいるのに」

 

「……!」

 

「夢なんかでじゃなく、現実の俺に絡みに来い。相手をしてやるからさ」

 

そう言って微笑んで見せると、やっと笑顔を返してくれた。

 

「でも、面倒くさい顔するんでしょ……?」

 

「実際、面倒くさいしな。あぁそれと、この前、島を出た時に、話を聞いてきたんだ。夢とヘイズ感染量の関係性についてな」

 

「ヘイズ?」

 

俺は、先生から聞いたことを、夕張に話してやった。

 

「そうだったのね……」

 

「つまり、ヘイズの感染量によって、夢を見ることがあるらしい」

 

「じゃあ、私はどうして……」

 

「あぁ、それは――」

 

『……あの島で、感染量の少ない艦娘はいますか?』

 

『いるよ。極端に少ないのが一隻だけね。それは――』

 

「お前の感染量が、極端に少ないからだ」

 

「そう……なの……?」

 

「知らなかったのか?」

 

「え、えぇ……。あ、でも……確かに、なんか、言われたことがあるような気もするけれど……」

 

まあ、興味はないよな……。

だから何だって話だし……。

 

「とにかく、お前が夢を見なかったのは、それが理由だ。だから、俺に突っかかったからだとか、嫌われているだとか、変に悩む必要はないんだぜ」

 

そう言ってやると、夕張はほっとした表情を見せた。

 

「そっか……。そうなのね……」

 

「少しは楽になったか?」

 

「うん……かなり……。ありがとう……提督……」

 

「おう。さてと……。そろそろ戻らないとな……」

 

「あ……待って……」

 

「ん、どうした?」

 

「ちょっとだけ……頼みたいことがあるの……」

 

「おう、なんだ? 言ってみろ」

 

「ここ……座って……」

 

言われた通り、座ってやる。

すると、夕張は背を向け、俺の足と足の間に座り、寄り掛かった。

 

「夕張?」

 

「あのね……お腹……さすって欲しいの……」

 

「え? お、お腹?」

 

「うん……。お腹さするとね……? ちょっと……痛みが和らぐの……」

 

どういう原理だ……。

しかし、まあ……楽になるというのなら……。

 

「分かった。こうか?」

 

腹をさすってやる。

細いなぁ……。

筋肉質というか、痩せていると言うか……。

 

「もうちょっと……下……。おへその下辺り……」

 

「ここか?」

 

「んっ……そこっ……」

 

さすってやっている間、夕張は借りてきた猫のように大人しかった。

 

「楽になって来たか?」

 

「んっ……う……んっ……」

 

どれほどさすっていただろうか。

 

「もう……大丈夫……。ありがとう……」

 

「そうか」

 

温まったのか、夕張の顔は赤くなっていた。

 

「じゃあ、そろそろ戻るか?」

 

「先、戻ってて……。ちょっと、休んでから顔を出すわ……」

 

「そうか。無理はするなよ」

 

「うん……」

 

「じゃあ、お先に」

 

少し苦しそうにしている夕張を心配しつつ、俺は食堂へと戻った。

 

 

 

朝食を済ませ、執務室で書類仕事をしていると、曙がやって来た。

 

「曙」

 

「潮、その気になったみたいね」

 

「そのようだな」

 

曙は近くに座ると、机の上の書類を手に取った。

 

「それで、どうするのよ?」

 

「どうもしないさ。俺からは何もしないと言ってしまったしな」

 

「じゃあ……」

 

「待つさ。潮は俺を本気で追い出そうとしてくるはずだ。そこを返り討ちにする」

 

「返り討ちにするって……。勝算はあるの?」

 

「そんなものはない。相手がどう来るのかも分からないしな」

 

曙はため息をつくと、書類を戻し、机に伏した。

 

「心配か?」

 

「別に……。あんたなら出来るって思っているし……」

 

俺は思わず顔を上げ、曙に目を向けた。

 

「なに……?」

 

「いや……。潮の事が心配かどうかって、意味だったのだがな」

 

曙は顔を真っ赤にして焦りだした。

 

「違っ……! その……今のは……!」

 

「随分買ってくれているんだな。俺の事」

 

曙は目を逸らしながらも、小さく頷いてくれた。

 

「否定しないんだな」

 

「そりゃ……そうでしょ……。あんたの親父ですら、ここまでは……」

 

曙は再び机に伏すと、そっぽを向いてしまった。

まだ恥ずかしいのか、耳は赤くなっていた。

 

「それでも、やはり心配だったんだろう? 皆から避けられた俺を見て――夕張とのいざこざを見て、心配になって、来てくれたんじゃないのか?」

 

「そんなんじゃないし……」

 

「じゃあ、何をしに来たんだ?」

 

永い沈黙が続く。

 

「曙」

 

「……なによ?」

 

「ありがとな」

 

そう言って、曙の頭を撫でてやった。

文句の一つでも飛んでくるかと思ったが、曙は何も言わず、ただ撫でられるだけであった。

 

「さて……。そう心配されては、やはり何もしないって訳にはいかないよな……」

 

「……どうする気よ?」

 

「大和と交流する。潮はおそらく、大和が味方でいる限り、自ら動くことはしないだろう。大和が俺の味方なのだと認識すれば……」

 

「潮から動く……。そして、そこを返り討ちにするって訳ね……。でも、いくらあんたが大和さんとの交流を進めていたとはいえ、今回の件で、もう……」

 

「そこは問題ないはずだ。大和は全てを分かった上で、潮の味方をしている。間接的に、俺に協力してくれているんだ」

 

「なにを根拠に……」

 

「根拠なんてない。だが、きっとそうだ」

 

曙は呆れたというように、わざとらしくため息をついて見せた。

 

 

 

仕事を終え、部屋を出ると、雪風と鉢合わせた。

 

「おっと……」

 

「しれえ!」

 

相変わらず声がデカいな……。

 

「ちょうど良かったです! これ、食堂に持って行ってくれませんか?」

 

そう言うと、雪風は食器を俺に渡した。

 

「なんだこれ?」

 

「食器です!」

 

「いや……食器なのは分かっている……」

 

「この前、潮さんに食事を持っていった時に、戻し忘れたものです!」

 

戻し忘れか……。

にしては、綺麗なもんだな……。

 

「洗ってあるので大丈夫です!」

 

俺の心を読んだかのように、雪風は元気に答えた。

 

「では、お願いしますね!」

 

「あ、おい!」

 

雪風はそそくさと、どこかへ行ってしまった。

ちょうど良かった……じゃねーよ……。

押し付けやがって……。

 

「仕方ないな……」

 

ぶつぶつと文句を言いながら食堂に入ると――。

 

「ひゃあ……!?」

 

この声……。

声の方へ視線を向けると、大和の陰に隠れた潮と目が合った。

同時に、鋭い眼光の大和とも――。

 

「よう」

 

食器を置き、大和に近づく。

怯える潮を背に、大和は立ちふさがった。

 

「そう警戒するな。何をしていたんだ?」

 

大和は答えず、ただ俺を睨むだけであった。

机の上には、色鉛筆やクレヨン、描きかけの絵が置かれていた。

 

「遊んでやっていたのか」

 

「……何の御用ですか?」

 

「いや、ただ食器を置きに来ただけだ。雪風に押し付けられてな」

 

食器を指してやっても、大和は俺から目を離さなかった。

 

「だが、ちょうどいい。少し、時間あるか?」

 

潮が小さくなる。

 

「……そちらからは手を出さないのでは?」

 

「あぁ、いや……。勘違いさせて悪いが……俺はお前に言っているんだ。大和」

 

驚いた表情を見せたのは、潮だけではなく、大和も同じであった。

 

「ダメかな?」

 

大和は少し考えた後、再び険しい顔を見せた。

 

「そういう事……。大和を利用するおつもりですか……?」

 

やはり、そう考えるか。

だが、ここは正直に答えてやろう。

 

「無論、そのつもりだ」

 

大和は再び、驚いた表情を見せた。

 

「だが、お前だって分かっているはずだ。いつまでも、そうしてやっているわけにはいかないと……」

 

大和は何も言わなかった。

 

「これは、お前にも言える事なんだぜ、大和」

 

「はい……?」

 

「いつまでも、こうしていがみ合っているつもりか……?」

 

潮が、困惑した表情で大和を見つめていた。

 

「お前には、本気で俺にぶつかって来て欲しいんだ。俺を嫌いになるのは、それからでもいいはずだろう?」

 

大和は目を瞑り、何かを考えているようであった。

 

「大和……」

 

永い沈黙が続く。

その沈黙を切ったのは、潮であった。

 

「や……やめてください……!」

 

「潮さん……?」

 

「大和さんが……困っています……!」

 

怯えたような態度ではあったが、その目には――。

 

「そうなのか……?」

 

大和は答えず、ただ目を逸らすだけであった。

 

「……そうか。まだ……追いついてすらいなかったわけか……」

 

その言葉の意味を、大和は理解しているはずであった。

 

「もう二度と……私たちに近づかないでください……!」

 

「安心しろ。お前には近づかない。だが、大和……お前は別だ……」

 

「しつこいです……! 大和さん、もう行きましょう……」

 

潮に手を引かれ、大和は歩き出した。

 

「大和」

 

大和が足を止める。

 

「大和さん……?」

 

「……俺は、最後の場所から動けないでいる。お前も……同じか……?」

 

大和は答えなかった。

 

「い、行きましょう……!」

 

動けないでいる大和を押しながら、潮たちは食堂を出ていった。

 

 

 

それから消灯時間まで、特に何かが起こるわけでも無く、時間は過ぎていった。

 

「提督、また寮に泊まったりしないんですか?」

 

「なんだ、泊って欲しいのか?」

 

明石はコーヒーを飲みながら、小さく頷いた。

 

「また、提督の夢が見たいなって……。夢の中だったら、提督は私を愛してくれるじゃないですか?」

 

「まるで、現実では愛していないような事を言うじゃないか」

 

「愛しているんですか? 私の事」

 

「愛しているじゃないか。皆と同じように」

 

そう言ってやると、明石は拗ねるように寝ころんで見せた。

 

「ここで寝ちゃおうかな~?」

 

「おい」

 

「冗談ですよ。でも、最近、全然構ってくれないじゃないですか……。夕張とか大淀ばかりに構って……」

 

「そんなことはないと思うがな」

 

「そんなことありますよ! 私も、夕張みたいに怒っちゃうかもしれませんよ?」

 

夕張のように……か……。

もしそうなったら、確かに厄介かもしれないな。

だが……。

 

「お前には無理だろうな。怒る前に、泣くだろ、お前」

 

そう言ってやると、明石はムッとした表情を見せた。

 

「じゃあ、今からギャン泣きしますけど?」

 

「フッ、やめてくれ」

 

俺の笑顔に、明石は何故か、満足気であった。

 

「まあ、涙は島を出る時まで取っておけ。構ってやれなくて悪かったな」

 

そう言って撫でてやると、今度はしおらしくなってしまった。

自分のために頑張ってくれているのに、我が儘言っちゃったなって顔をしているな。

 

「――とか思っているんじゃないですか?」

 

「あぁ、思っていた。泣かなくてよかった、ともな」

 

明石は頭突きをすると、そのままもたれかかり、動かなくなった。

 

「……もう少しの辛抱だ。今の内に、島の外へ出たらやりたいことでも決めておけ」

 

「……そんなものは、昔から決まっています」

 

「そうなのか?」

 

「えぇ……。でも、今はちょっとだけ違って……」

 

明石は俺の目をじっと見つめた。

 

「そのやりたいことの全てに……提督も一緒に居て欲しいって……思っています……」

 

顔を赤くする明石に、俺は思わずドキッとしてしまった。

どうも惚れやすくていけないな……俺は……。

 

「夢の続き……」

 

「え?」

 

「夢の続きも……期待していますから……」

 

そう言うと、明石は立ち上がり、部屋を出て行ってしまった。

 

「夢の続きって……」

 

俺は何故か、夢で見た明石の裸体をはっきりと思い出してしまった。

そして、連想ゲームのように、山風や陸奥の裸体が思い浮かんで――。

 

『雨宮君、本当は我慢してるんじゃないの? あの島でさ、たくさん、誘惑されたんじゃない? その度に、体が熱くなるのを感じたんじゃない?』

 

秋雲の言葉が、俺を責め立てる。

山風の笑顔も、また――。

 

 

 

家へ帰る前に頭を冷やそうと、海辺に向かった。

 

「はぁ……」

 

最近、ああいったような誘惑をされると『反応』してしまう自分がいる。

以前は少なかったように思うが――いや、そもそも、誘惑されることが無かったから――しかし、それにしたって――。

 

「思春期の中学生か……俺は……」

 

そんな事を呟きながら、海を眺めていた時であった。

後ろの方で、砂を踏む音がした。

振り返ってみると――。

 

「――……!」

 

思わず息を呑む。

月の出ていない夜なはずなのに、そいつだけは、まるで何かに照らされているかのように光って見えた。

長い髪が風に揺れるのと同時に、そいつは足を止めた。

 

「大和……」

 

乱れる髪を整えながらも、大和は俺から視線を外さなかった。

 

 

 

永い永い沈黙が続く。

このまま、夜明けを迎えるのではないかと、思うほどに――。

 

「ど――」

「――ここではないはずです」

 

言葉が重なる――が、そんな事などお構いなしとでもいうように、大和は続けた。

 

「大和が漂流物を見つけたのは……あちらです……」

 

そう言って、指差す大和。

俺は、頭が混乱して、何も言えずにいた。

 

「……貴方が呼んだのでしょう? 何をそんなに驚いて……」

 

大和は何かに気が付いたような表情を見せると、深くため息をついて、寮の方へと引き返し始めた。

 

「え……あ……大和!?」

 

やっとの事で出た声は、裏返っていた。

 

「お、俺が呼んだって……どういうことだ……!?」

 

大和は答えない。

俺が呼んだ……?

いつ……?

 

『ここではないはずです』

 

『大和が漂流物を見つけたのは……あちらです……』

 

さっきの言い方……。

まるで、俺がそこにいるはずだとでもいうような……。

 

『……俺は、最後の場所から動けないでいる。お前も……同じか……?』

 

「あ……!」

 

俺の声に、大和は足を止めた。

 

「もしかして……あの言葉を受けて……?」

 

大和は再びため息をついた。

 

「そういう意味ではなかったのですね……」

 

「いや……まあ……どうかな……」

 

単純に、漂流物関連の交流から、進展できていないという意味だったのだがな……。

 

「けど……そうか……。そういう意味で言ったとしても、お前は来てくれたんだな……。嬉しいよ……」

 

大和は何も言わなかった。

 

「……来てくれたって事は、俺と話す気になってくれたってことか?」

 

「……どうでしょうね」

 

そうじゃない、と言われなかっただけなのに、俺の心は舞い上がっていた。

 

「『俺も』勘違いしていいか……? お前に追いついたかもしれないって……。お前の隣に……立てるかもしれないって……」

 

大和は答えなかった。

永い沈黙が続く。

 

「……先に行っているぞ」

 

そう言って、漂流物のあった方へと歩き出す。

砂を踏む足音は、一つだけで――いや……。

 

「!」

 

大和は小走りで駆けてくると、俺の隣を歩き出した。

 

「…………」

 

言葉も、視線も――気持ちを伝えることは何もしていないはずなのに、大和の気持ちが――それはおそらく、大和も同じなのだろう。

一歩、また一歩と、歩みを進める度に、乱れた足音は、やがて一つになっていった。

 

 

 

漂流物のあった場所に着き、近くにあった流木に座ると、大和も――少し離れてはいたが――座ってくれた。

海はとても静かで、空には紡ぎきれないほどの星が鏤められていた。

 

「ようやく……同じ景色が見れたな……」

 

大和は何も言わなかったが、視線は俺と同じ方向を向いていた。

永い沈黙が続く。

それでも、俺の頭の中では、何度も何度も、大和との会話シミュレーションが行われていた。

 

「……こうしてさ」

 

大和は、少し驚きながら、視線を俺に向けた。

 

「こうして、いざ会話をしようと思っても……何も思い浮かばないものだな……」

 

大和は少し考える様子を見せた後、ゆっくりと口を開いた。

 

「同じです……」

 

「え……?」

 

「貴方に呼び出されたと勘違いして……こうしてここに来るまで……何を話せばいいのか、色々考えていました……」

 

「…………」

 

「色々考えて……こうしよう……ああしようって……決めていたのに……。こうやって隣に座ってみると……結局何も言えませんでした……」

 

大和も同じことを……。

 

「そうか……。嬉しいよ。そこまで考えてくれていただなんてさ」

 

今度は顔を背ける大和。

話して数分しか経っていないが、俺の中の大和の印象は、大きく変わっていた。

だからだろうか――。

 

「前々から気になっていたこと、訊いてもいいか?」

 

「……はい?」

 

「鳳翔の事、好きなのか?」

 

想定していない質問だったのか、大和は唖然とした表情のまま、しばらく固まっていた。

 

「どうなんだ?」

 

「……好きか嫌いかで言えば、好きですよ」

 

「それは、恋愛対象としてか?」

 

「そ……ういう感情とは……違うかもしれません……」

 

「でも、他の誰かにとられるのは嫌か?」

 

大和は黙り込んでしまった。

 

「悪い、変な事を訊いたかな」

 

「いえ……。そういう貴方はどうなんです……? 鳳翔さんの事……好き……なんですか……? 異性として……」

 

「そうだ……と言ったら?」

 

再び黙り込む大和。

 

「フッ、聞きたくなかったというのなら、質問しなければ良かっただろうに」

 

「別に、そんな事は……」

 

そっぽを向く大和に、俺は思わず笑ってしまった。

 

「…………」

 

「悪い。つい、楽しくなってしまってな」

 

「……そうですか」

 

何故だか、大和の気持ちが手に取るように分かった。

きっとそれは、大和も同じなのだろう。

だから、俺は――。

 

「そう言えば――」

 

 

 

どれくらいの時間が経っただろうか。

 

「――その時の熊野の顔ときたら」

 

「無理もないでしょうね。大和も、大人になった吹雪さんの写真を見た時、とても驚きましたから」

 

大和が微笑む。

それは、俺に向けられたものではなかったが、思わずドキッとしてしまった。

 

「そうか……」

 

「えぇ……」

 

吹雪さんを思い出すかのように、目を瞑る大和。

永い沈黙。

だが、気まずくはない。

むしろ、心地よくて――。

 

「……訊かないのですか?」

 

「え……?」

 

「潮さんの事……。大和を……利用するんじゃなかったのですか……?」

 

目を瞑ったまま、大和はそう問うた。

 

「……そういえば、そうだったな。すっかり忘れていたよ」

 

きっと、この言葉の意味を、大和は――。

 

「なら、訊いたらいいじゃないですか。今……」

 

冷たい風が、大和の長い髪を揺らした。

乱れた髪を整える手で、その表情は見えないが、おそらくは――。

 

「潮の事……か……」

 

「…………」

 

「……いや、いいよ。やめておく」

 

「……何故です? こんなチャンス、もうありませんよ……?」

 

「チャンスはない……か……。なら、尚更だ。もう二度と無いというのなら、今はこの時間を楽しみたい。潮の事ではなく、お前の話が聴きたい」

 

大和は何も言わなかった。

 

「……結構恥ずかしい事を言っているんだ。笑ってくれてもいいんじゃないのか?」

 

「……笑える話であれば、とっくに笑っていますよ」

 

髪をかき上げる大和。

風はもう止んでいた。

 

「別に――」

「――気を遣った訳じゃないぜ」

 

重なる言葉。

 

「気を遣った訳じゃない……。本心だ……」

 

重なる視線。

 

「本心だって……分かるはずだ……。そうだろう……?」

 

重なる――……。

 

「……分かりません」

 

立ち上がる大和。

 

「分かりません……。貴方は……ただ大和を利用すればよかったのです……。お膳立ては……済んでいたはずです……」

 

「…………」

 

「そんな薄っぺらい言葉を……信じろとでも……?」

 

俺は思わず立ち上がった。

 

「大和……!」

 

どうして伝わらないんだ。

 

「この交流の目的がそういうものだと……分かって言っているんです……。ですから、別にいいんですよ……」

 

どうして分かってくれないんだ。

 

「……仮にそれが、お前の本心だとでもいうのなら、俺は悲しいよ」

 

どうして分かろうとしてくれないんだ。

 

「……っ! そんな言葉で……大和を騙そうとでも……!?」

 

どうして――。

 

「……やっぱり、来るべきではありませんでした。せっかくお膳立てしてあげたのに……! 貴方は――……」

 

大和が言葉を切ったのも、無理はなかった。

 

「……すまない」

 

大和は言葉を失っていた。

これは、策略でもなんでもない。

ただ、自然とあふれ出していたのだ。

 

「……すまない」

 

もう一度そう言って、俺はその場を立ち去った。

自分でも、よく分からない。

仮に、大和の言葉に傷ついたとしても――悲しかったとしても――。

 

「泣く奴があるか……」

 

止めどなくあふれる涙を拭きながら、足早に家へと帰った。

 

 

 

結局その日は、そのまま眠ってしまった。

怒り、悲しみ――希望からの絶望――色んな感情に支配され、疲れ切っていた。

もういっその事、全てを諦めてしまおうかとも――。

 

 

 

翌朝。

軽くシャワーを浴びると、不思議なことに、憂鬱な気持ちも一緒に洗い流されたのか、気持ちが楽になった。

 

「ふぅ……」

 

昨日は、悲しみや怒りに感情が支配されて、冷静に考えることが出来なかったが――。

 

「どうってことない……。そうさ……。いつも通りに戻っただけだ……」

 

何をあんなに泣いてしまったのだろうか……。

こんな俺を大和は笑っているだろうか。

それとも――。

 

 

 

食堂に入ると、まだ時間的には早かったのか、数隻の艦娘しかいなかった。

 

「提督、おはようございます」

 

「おう、おはよう。鳳翔」

 

辺りを見渡す。

大和はまだ来ていないようであった。

 

「今日は隣に座ってくださるのですか?」

 

鳳翔は、少し嫌味っぽくそう言った。

 

「隣に座らないと、飯抜きか?」

 

「あら、その手がありましたね」

 

そう言うと、鳳翔は楽しげに笑った。

言うようになったよな、こいつも……。

 

「座るよ。座りますともさ」

 

そう言って、席に座った時であった。

 

「大和さん……!」

 

廊下の方で、潮の叫ぶ声が聞こえた。

その声はだんだんと近づいて行き――やがて二隻は、食堂へ入って来た。

 

「大和さん! どうして無視するんですか!? どうして!?」

 

潮が何度も大和に問いかける。

だが、大和はまるで、聞こえないとでもいうように、無視を決め込んでいた。

 

「大和さん……」

 

大和は俺を見つけると、ゆっくりと歩み寄って来た。

 

「大和……」

 

昨日の事を思い出し、思わず赤面する。

言い訳の一つでもしようと、口を開きかけた時であった。

 

「おはようございます。……提督」

 

食堂が、静寂に包まれる。

 

「……え……あ……お、おは……よう……?」

 

大和はそのまま、俺の向かいの席に座った。

今度はざわつく食堂内。

後から入って来た艦娘達も、俺と大和が向かい合わせで座っている状況に、動揺を隠せずにいた。

 

「……そういう事ですか」

 

潮が、俺を睨み付ける。

そしてそのまま、食堂を出て行ってしまった。

何故かそれについて行く雪風。

あいつ、余計なことをしなければいいが……。

 

「大和ちゃん……いつの間に提督と……?」

 

「えぇ。昨日、色々と話しました。そうですよね? 提督」

 

「え……あ、あぁ……」

 

鳳翔はとても嬉しそうにしていたが、俺の頭はパニック状態であった。

大和はどうして、潮を無視したのだろうか。

そして、どうして俺を――。

昨日の事があって、どうして――。

 

 

 

朝食は、皆の異様な視線の中で摂ることになった。

 

「――でも、良かったわ。大和ちゃんが提督と仲良くなれて」

 

「仲がいい訳ではありませんが……。まあ、悪い人ではないと分かりましたから」

 

大和の視線が、俺に向けられる。

俺は何も言えず、ただ空になった湯呑に口をつけることしかできなかった。

 

「提督はいかがです? 大和ちゃんの印象、変わりました?」

 

気を利かせて訊いてくれたのだろうが、なんとも答えにくい質問だ……。

 

「そうだな……。特に……変わらないかな……」

 

「変わらない……ですか……」

 

「それは、いい方に捉えても?」

 

大和がそう尋ねると、何故か食堂内は静寂に包まれた。

 

「……想像に任せるよ」

 

俺の答えに、皆、気の抜けたため息をついて見せた。

 

 

 

朝食を終え、皆が食堂を去った後も、大和だけは残っていた。

 

「どういうつもりだ……?」

 

俺がそう問うと、大和は深くため息をついた。

 

「何か不満でも……? 貴方の望み通りの結果じゃないですか……」

 

「そうかもしれないが……。どうして協力してくれたんだ……?」

 

大和は答えない。

 

「……同情か?」

 

「……いいえ」

 

視線を合わせず、大和はそう答えた。

 

「……悪かったな」

 

「はい……?」

 

「同情させてしまって……。嫌だったろ……? 俺を提督と呼ぶのは……」

 

大和は答えない。

 

「無理しなくていい……。皆にも、ちゃんと説明しておくよ……。あれは大和の演技だったのだと……」

 

「……そんなことをしたら、また潮さんが大和に依存するのでは?」

 

「それは無いだろう。どんな形であれ、俺に協力したのは事実だ……。そんな相手に再び近づくとは思えない。それに、お前だって、もう協力するつもりはないはずだ。違うか?」

 

大和は何かを言おうとして、閉口した。

 

「協力してくれたのには感謝している……。だが……こんな形ではなく、俺は……」

 

大和は席を立つと、視線も合わせず、さっさと食堂を出て行ってしまった。

 

「大和……」

 

 

 

執務室に戻り、ぼうっとしていると、鳳翔がコーヒーを持って訪ねて来た。

どうやら大和との会話を聴いていたらしく、慰めに来てくれたようであった。

 

「まあ、皆さんも、お二人が本当に仲良くなったとは思っていなかったようですが」

 

「お前もそうだったのか? だとしたら、随分いじわるな質問をしてくれたもんだぜ……」

 

『提督はいかがです? 大和ちゃんの印象、変わりました?』

 

「私が質問しなければ、大和ちゃんから質問していたはずです」

 

「大和から?」

 

「えぇ。永い付き合いだから分かるのです。大和ちゃんが提督に協力しようと思ったのは、同情なんかではなく、本心から、提督をいい人だと認識したからなんだと思います。『私は貴方をそう思っているのだけれど、貴方はどうなの?』って……。『それは、いい方に捉えても?』と言ったのも、それが理由なのではないでしょうか?」

 

なるほど……。

だとしたら、俺は――俺の答えは――。

 

「もしそうなのだとしたら、大和に悪い事をしてしまったな……」

 

「相変わらず不器用で、鈍感ですね、提督は」

 

「あぁ……」

 

コーヒーに口をつける。

 

「うっ!? こりゃ……」

 

「砂糖をたくさん入れたんです。駆逐艦たちには好評なんですよ」

 

「こんなの飲んでんのか、あいつら……。虫歯になっちまうぜ……」

 

「私たち艦娘は、虫歯とは無縁ですから」

 

「俺には縁があるんだっ!」

 

そう言ってやると、鳳翔はにっこりと微笑んで見せた。

なるほど。

どうやら気を遣われたらしい。

 

「ったく……。せっかく感傷に浸っていたのに……」

 

「素直に仰ったらどうです?『元気になった。ありがとう』って」

 

「恩着せがましい奴だな……」

 

「ちゃんと仰ってください。でないと、大和ちゃんにも言えませんよ。素直な気持ち」

 

言いたかったのはそういう事だったらしく、鳳翔はどこか、ドヤ顔をしているように見えた。

 

「……分かったよ。元気になった。ありがとう、鳳翔。愛している」

 

「――……はい」

 

仕返しだと笑ってやると、鳳翔は頬を膨らませ、ポカポカと俺を叩いていた。

 

 

 

その後の昼食、夕食ともに、潮が現れることはなかった。

同じように、雪風の姿もない。

 

「いつの間にか仲良くなったようで、潮ちゃんと食べるのだと……」

 

あいつ……。

一体、何を考えているのだろうか……。

 

 

 

その日の消灯間際の事であった。

 

「ったく……なんであんなところに……」

 

放った紙飛行機が戸棚の上にのってしまったとのことで、俺は雪風に食堂へ呼び出されていた。

 

「よ……っと! ほら、とれたぞ」

 

「ありがとうございます!」

 

「ったく……。こんな時間に紙飛行機で遊ぶもんかね……」

 

一人で遊んでいたようではあるが……。

紙飛行機で一人……。

 

「しれえ?」

 

やはり、何を考えているのか分からん奴だ……。

 

「……そろそろ消灯時間だ。もう部屋に戻れ」

 

「はい! では、おやすみなさい! しれえ!」

 

敬礼すると、雪風は紙飛行機を掲げながら、食堂を出ていった。

 

「……なんか、怖いぜ」

 

 

 

帰り支度をする為、執務室に戻る。

 

「さてと……」

 

明かりをつけた、その時であった。

 

「――っ!?」

 

部屋の隅の人影に、俺は声を上げることが出来ないほど驚いてしまった。

 

「う、潮か……?」

 

潮は立ち上がると――強調するように、手を後ろに回した。

 

「お前……なんで裸なんだ……?」

 

そう問う俺に、潮は答えない。

ただ顔を赤くして、俺をじっと見つめていた。

なんでこいつがここに……。

そして、どうして裸なんだ……。

 

「……もしかして、ハニートラップかなんかのつもりか?」

 

そう言ってやると、潮は急に悲鳴を上げた。

……なるほど。

そういうことか……。

 

「提督? 今の悲鳴は一体……って……!?」

 

部屋に駆けこんで来た大淀は、言葉を失っていた。

 

「大淀」

 

「て、提督……これは一体……!?」

 

「こ、この人が……潮を……」

 

潮は怯えるように、体を隠し、蹲った。

 

「フッ……」

 

俺はそのまま荷物を持って、部屋を出ようとした。

 

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 

「なんだ?」

 

「どういう事か、説明してください!」

 

「どういうこと……。それは潮が説明してくれるだろうよ。そうだろ?」

 

潮は答えず、ただ怯えるそぶりを見せるだけであった。

 

「俺はもう帰るぜ。消灯時間だからな」

 

「ちょ……!?」

 

困惑する大淀を尻目に、俺は家路についた。

 

 

 

翌朝。

目を覚ますと、そこには曙の顔があった。

 

「やっと起きたわね……」

 

「曙……? どうした……。こんな朝早くから……」

 

「どうしたもこうしたも無いわ。寮の方、大変なことになっているわよ……」

 

「大変? あぁ、もしかして、潮のことか?」

 

「そうよ……。あんた、なにも言い返さずに帰って来たんですって? なんで何も言わなかったのよ? おかげで、皆、潮の話を信じているわ」

 

「それならそれでいいさ。けど、お前だけは俺を信じてくれているのだろう? だからここに来た。違うか?」

 

曙は何も言わなかった。

 

「いずれにせよ、やっと潮が仕掛けて来た。簡単に返り討ちにするのは面白くない」

 

「面白くないって……。楽しむもんじゃないでしょ!?」

 

「いや、楽しんだ方がいい。そういう姿勢こそ、潮にとっては面白くないはずだ。あの手のやり方は、俺がどう対応するかによって、結果が変わるもんだ。いつも通りにしていればいいし、何なら楽しんでいる方が、あいつには都合が悪いはずだ」

 

「そういうこと……。本当、性格悪いわ……。あんた……」

 

「今からでも、潮につくか?」

 

曙は何も言わなかった。

 

「フッ、お前も大概だよ」

 

そう言ってやると、曙は顔を赤くして、そっぽを向いてしまった。

 

 

 

寮に着き、食堂に入ると、皆一斉に俺へ視線を向けた。

食事は用意されているが、誰も俺に近づこうとはしない。

 

「まあ、そうなるよな」

 

大淀に視線を向けるが、潮の件とは別の何かを疑っているようで、ただ細い目で俺を見るだけであった。

まあ、今回は一人で飯を食うかな。

そう思った時であった。

 

「ん……」

 

曙が食事を持って、隣に座った。

 

「いいのか?」

 

「何がよ?」

 

「お前も変な目で見られるぞ」

 

「別に……。どんな目で見られようとも、困りはしないわ」

 

平然とする曙。

俺も別に平気だったのだが、こう、優しくされると、何だかホッとするぜ……。

そんな中、潮が食堂にやって来た。

俺と曙の姿を見ると、少し驚いた様子を見せた後、怯えるそぶりを見せた。

皆が心配そうに、潮を見つめる。

 

「そんなに怖いのなら、お部屋で食べたらいかがです?」

 

そう言ったのは、大和であった。

 

「大和ちゃん……!」

 

「鳳翔さん、潮さんの食事をお部屋にお願いできますか?」

 

「え……? でも……」

 

困惑する鳳翔。

そんな鳳翔を尻目に、大和は食事を持って、俺の前の席に座った。

 

「おはようございます、提督」

 

「お、おう……。おはよう……」

 

こいつ……。

雪風といい、大和といい、本当に何を考えているんだ……。

潮は、怯えるそぶりを見せながらも、大和を睨んでいるように見えた。

 

「私もいいかしら?」

 

そう言ったのは、夕張であった。

 

「大和さん、隣いいですか?」

 

「えぇ、どうぞ」

 

ドカッと席に座る夕張。

これでいいんでしょ? とでも言いたげに、俺をじっと見つめていた。

 

「私は納得していませんからね」

 

そう言って、夕張の隣に座る大淀。

 

「あ……わ、私も!」

 

続く明石。

 

「しょうがないにゃあ……。漣も!」

 

「お、朧も!」

 

それから、我も我もと、皆、俺の近くの席に座って行く。

しれっと、山城も――。

 

「うぅ……」

 

困惑する鳳翔。

一度、潮に目を向けた後、申し訳なさそうに席を移動していた。

潮は俺を睨み付けた後、食堂を出て行ってしまった。

 

「潮ちゃん……」

 

「心配なら、追いかけてもいいんだぜ、鳳翔」

 

「……そうやって、私をのけ者にするのですね。提督は……」

 

「そうじゃない。別に、こうしてくれと頼んだわけでも無いしな」

 

それでもやはり心配なのか、鳳翔は何度も食堂の入口に目を向けていた。

 

「鳳翔さん! 心配しないでください! 雪風が食事を持っていきます!」

 

「え? で、でも……」

 

「大丈夫です! 行ってきます!」

 

雪風は食事を持って、駆け足で食堂を後にした。

やはりあいつ……何か……。

 

「雪風ちゃん……」

 

「心配か?」

 

「えぇ……あんなに走って……転ばないと良いのですが……」

 

そっちかよ……。

でも確かに、今はそっちの方が心配だぜ……。

いずれにせよ、皆が今回の件をどう思っているのか(棚ぼたではあったが……)これではっきりした。

あいつもこの結果を受けて、次の手を打ってくるだろう。

 

「何度でも来いよ……潮……。何度でも受けてやるからな……」

 

 

 

食事を済ませ、執務室に入ると……。

 

「……フッ、懲りないな」

 

今度は水着を着て、潮は待っていた。

 

「こういうの……好きじゃないですか……?」

 

そう言うと、潮は水着をずらして――露出させた。

 

「どこで覚えたんだ? そんなの」

 

潮は答えず、ただ俺の反応を見ているようであった。

 

「見て欲しいのなら見てやるが、お前は嫌じゃないのか?」

 

そう言って、俺は潮の体に目を向けた。

確かに、駆逐艦にしては成熟しているように見える。

だが――。

 

「所詮は子供だな。顔つきも、とてもじゃないが、歴戦を潜り抜けて来たソレとは思えないほどに、幼く見える」

 

そう言ってやると、潮の表情は一気に険しいものとなった。

 

「何が目的なのかは知らない。過去を知っているからこそ、どうしてそんな行動が出来るのかも分からない。だが、それが有効ではないことは、お前が一番よく分かっているのではないのか?」

 

潮は何も言わない。

 

「まあ、色々試してみろ。もしかしたら、お前の望む結果になるかもしれないぞ。俺も、自分がロリコンではないって事が証明できるし、お互いにwin-winだ」

 

そう笑ってやると、潮は部屋を出て行ってしまった。

 

「やれ……」

 

しかし潮の奴、あんなやり方、一体どこで……。

 

『見ろ、慎二! この水着をずらすやつ、超エロくないか!? 全裸よりエロいって感じるの、脳がバグってんのかな?』

 

「フッ……」

 

鈴木との思い出に、俺は思わずニヤけてしまった。

この場面だけ見たら、潮の体に興奮した奴みたいで、ヤバいかもな。

 

 

 

それから数日間、潮はあの手この手で攻めて来た。

ある時は布団の中に、ある時は着替え中に――風呂、トイレに至るまで、あらゆる場所で自分の体を見せつけて来た。

 

「最近は、何処に行ってもいるような気がして、ちょっと怖くなってきたんだ」

 

「だからさっき、押し入れを開けて確認していたのね」

 

「どうやら覗きもしているようでな。まさか、天井裏とかないよな?」

 

「流石にないでしょ……」

 

「……だよな」

 

と、夕張と会話をしていたその日に、執務室押し入れの天井点検口がずれているのを発見した。

流石に上がらなかったようではあるが……。

 

「これは……いよいよヤバい領域に来たな……」

 

 

 

そんな事が続いたある日の夜。

流石に万策尽きたのか、普通に服を着た潮が、家で俺を待っていた。

 

「逆に驚いたよ。服を着ているお前を見る方が、珍しいと思えるまでになっていたから」

 

潮は、いつもと違い、真剣な表情で座っていた。

 

「……色々やってどうだった?」

 

「……貴方、本当に男ですか? 普通、ここまでされたら……」

 

「お前の事を襲う……か?」

 

潮は何も言わなかった。

 

「子供の裸を見たところで、何も感じんよ」

 

「そうでなくても……」

 

「そうでなくても?」

 

「……そうでなくても、男の人は普通……その……するじゃないですか……」

 

「何を?」

 

「ですから……じ……自分を慰める事……です……」

 

潮は顔を真っ赤にさせた。

 

「慰める……。あぁ……そういう事か……」

 

言わずもがな、あの行為のことだな。

 

「この数日間……貴方を見てきました……。でも、一回もしていないし、そういう痕跡もありませんでした……」

 

そういう痕跡って……。

 

「今までの男は、していたのか?」

 

潮は答えなかった。

 

「……まあいい。しかし、誘惑が駄目であるというのなら、別の方法を考えないとな。それとも、誘惑にこだわる理由でもあるのか?」

 

そう問うてやると、潮は俯いてしまった。

 

「……お前、本当に男が苦手なのか?」

 

「……苦手です。私を穢した存在ですから……。そうでなくとも、男の人の視線は……いつだって……」

 

初めて本心を吐露したな……。

 

「俺は男ではないか?」

 

「え……?」

 

「男ではないから、こうして話せているのか?」

 

潮は少し考えた後、驚いたような表情を見せた。

 

「こうして話せるって事は、俺を不快に思っていない証拠なんじゃないのか?」

 

「ち、違っ……! そんなことは……」

 

と、口にはしているが、本人も分かってしまったのだろう。

以前、俺の姿を見て嘔吐していた頃と比べたら、今の状況は――。

 

「もし仮に、今俺がお前を襲ったとしても、お前の悲鳴は寮には届かない。誰も助けてはくれない。なのにもかかわらず、ここに来た。それは、俺がお前を襲わないという、俺に対する信用があったからだ。違うか?」

 

潮は何かを言おうとしたが、閉口してしまった。

 

「万策尽きて、ここに来た理由はなんだ?」

 

「それは……その……」

 

「…………」

 

「……分かりません」

 

「分からない?」

 

「どうやっても……貴方は私の思い通りにならなくて……もう……どうしたらいいのか分からなくて……。雪風ちゃんも何も言ってくれなくなっちゃったし……」

 

雪風……。

やはり、あいつも一枚噛んでいたか……。

 

「気が付いたら……ここに居て……」

 

気が付いたら……か……。

 

「そうか……」

 

「あの……本当に興味ないのですか……? 潮の体……」

 

「あぁ、興味ない。もっと大人になれば、分からんがな」

 

「大人……。潮は……こんな体なのに……。それでも……子供に見えますか……?」

 

「見えるも何も、子供そのものだろう。そんな奴が、陸奥のようなハニートラップを仕掛けようとしてんだぜ。こりゃもう、微笑ましいだけだ」

 

潮はムッとした表情を見せた。

 

「なんだ、大人として見て欲しいのか?」

 

今度はキョトンとする潮。

忙しい奴だ。

 

「お前、自分が気づいているのかどうか知らないが、矛盾しているぜ。男を恐れるって事は、自分を大人のように見てほしくないって事だろう? なのに、子供だと言われたらムッとしていやがる」

 

「それは……貴方の言い方に、悪意があったからで……」

 

「悪意があるかどうかはさておき、お前は子供だよ。いい意味でも悪い意味でもな」

 

「いい意味……ですか……」

 

「例えば、素直なところとかな。追い出そうとしている男の話を、しっかり聴いているところとか」

 

潮は顔を赤くして、俯いてしまった。

 

「ほら、恥ずかしいと思っている。子供なのだから、別にいいのだと、反論したらいいのに」

 

そっぽを向く潮。

そういうところも――いや、大人でもするか。

尤も、夕張や明石――そいつらが、本当に大人であればの話だがな。

 

「……俺は男だから、お前の負った傷は癒せない。それでも、戦い方は教えてやれると思っている。生きる方法もな」

 

「生きる方法……」

 

「あぁ、そうだ。まあ、単純な話なんだ。子供なのに大人の体であるから、変な目で見られるわけで、それが嫌なわけだ」

 

「…………」

 

「だったら、いっそのこと、島を出て、本当に大人になってしまったらどうだ?」

 

俺の提案が、あまりにも間抜けなものだと感じたのか、潮は唖然としたあと、鼻で笑いやがった。

 

「真面目な話だぜ。それとも、皆がお前を子供としか思えない世界になるまで、待つつもりか?」

 

「…………」

 

「お前に世界は変えられない。それは、俺も同じだ。だからこそ、自分が変わらないといけない」

 

今までの生活が、フラッシュバックする。

本当、変わったよな、俺も……。

 

「俺はその手助けが出来ると確信している。後は、お前が決意するだけだ」

 

潮は拳を握り、俯いていた。

 

「時間が解決するとは言わない……。だが、ずっとここで苦しみ続けるよりは、幾分かマシだと思う……」

 

「…………」

 

「潮……」

 

潮は立ち上がると、そのまま家を出て行ってしまった。

 

「俺に出来るのは……ここまでだ……」

 

そう自分に言い聞かせ、その日はそのまま床に就いた。

後は、お前次第だ……。

 

 

 

翌朝。

食堂に入るなり、鳳翔に呼ばれた。

 

「提督、おはようございます。こちらです」

 

鳳翔の隣には、大和が座っている。

俺の飯はもう運ばれていて――どうやら鳳翔が気を利かせたらしかった。

 

「おう、おはよう。鳳翔、大和」

 

大和はただ、頷くだけであった。

さて、潮は……。

視線を食堂の入口へ向けた時、ちょうど潮がやって来た。

視線が合う。

そして何故か、俺の元へと歩み寄って来た。

 

「潮ちゃん……」

 

潮は足を止め、俺を――いや、俺ではない。

俺の後ろ――大和の事を見つめていた。

 

「……なにか?」

 

皆、ただならぬ空気を感じたのか、食堂内は静かになった。

 

「……大和さんは、どうしてこの男の味方をするのですか?」

 

皆が大和に注目する。

そんな視線もお構いなしに、大和は平然と答えた。

 

「その答えを、貴女はもう分かっているはずです」

 

本当にそのようで、潮は俯き、考えるように目を瞑った。

二隻にしか分からない会話に、皆は完全に置いてけぼりとなった。

当事者である俺ですらも……。

 

「大和も……本当は分かっていました。でも、目を背けて来たし、信じられないと、敵対してきた……。でも……」

 

大和が俺を見つめる。

 

「この人は純粋なのだと思います……。大和は、それが本当なのか確かめたくて、ここに居るのです……。貴女だって、そう思ったのだから、この数日、あんなことをしてきたのではないのですか……?」

 

潮は何も答えない。

大和は続ける。

 

「大和にはまだ、全てを曝け出すことは出来ません。けれど、貴女は違う。貴女の抱える全てを、この人にぶつけたはずです。その全てを、この人は受け止めてくれたはずです。貴女は……それにどう応えるのですか……?」

 

よく分からないが、どうやら大和が潮を説得してくれているようだ。

大和の言葉が響いている様子だし、ここは任せてみよう……。

 

「潮……潮は……」

 

「潮さん」

 

声をかけたのは、雪風であった。

 

「雪風ちゃん……」

 

「雪風も、しれえは信じられる人だと思います。でも、信じたからと言って、潮さんの問題が解決するわけではありません」

 

「え……?」

 

雪風は俺の前に立って、じっと目を見つめた。

 

「しれえは潮さんに言ったそうです。潮さんが負った傷は癒せないけれど、生きる方法は教えることが出来ると……。それって、結局のところ、自分の事は自分で何とかしなければいけないって事です。しれえは、潮さんが島を出てさえくれればそれでいいと考えています。そうでなかったら、そんな曖昧なことは言わないはずです。しっかりとした――潮さんを守るための――道筋を立てるはずです」

 

皆、雪風の言動に驚いていた。

俺は、ただただゾッとしていた。

こいつは、一体何がしたいんだ……?

 

「……自分で何とかしなければいけないのは当然です。この人は、その決意をさせる為に、そう言ったのです……」

 

大和が反論する。

もう、何が起きているのやら……。

 

「本当にそうでしょうか? でしたらしれえ、潮さんはどう生きればいいと思いますか? 傷を癒せないと言うのなら、どう克服するというのですか? 痛みを知らないしれえが、何を教えてくれるというのですか?」

 

俺は言葉に詰まってしまった。

それは、気圧されたからではない。

雪風の言葉が真実だったからだ。

確かに、生きる方法を教えてやるとは言った。

だが、そこに道筋はない。

具体性はない。

結局のところ、俺は心の奥底で、時間が解決してくれるだろうと思っていた。

だからこそ、まずは島を出て、本当の大人になってしまえばいいのだと言った。

尤もらしい言葉を並べ、潮を騙そうとした。

 

「しれえ?」

 

俺が答えられないでいると、遠くで誰かが机を叩きながら立ち上がった。

 

「ちょ……霞!」

 

霞……?

振り返って見ると、霞がゆっくりと、こちらに近づいてきていた。

 

「黙って聞いていれば……。あんたたち、揃いも揃って……誰を信じるだの、誰を信じられないだの……。本当、くっだらないったら!」

 

「か、霞!」

 

朝潮が飛んでくる。

 

「黙ってて……。大丈夫だから……」

 

朝潮はそう言われ、俺の顔色を窺いながら、下がっていった。

曙が出てくるのならまだしも、どうして霞が……。

俺はもう、何も理解できないと悟り、ただ傍観者側に回ることにした。

 

「これは、この男の問題でも、あんたら二人の問題でもない。これは……潮、あんたの問題でしょう!?」

 

指差す霞に、潮は何も言えずにいた。

 

「誰を信じる信じないよりも先に、あんたはあんた自身の事を信じられたわけ?」

 

「潮が……潮自身を……?」

 

「そうよ! あんた、本当は何がしたいのよ? この男を追い出せれば、それで満足なわけ? それとも、自分の抱える問題を解決したいの? どっちなのよ?」

 

潮は黙り込んでしまった。

霞は続ける。

 

「ほら、これが潮の答えなのよ。大和さんも雪風も、解決策ばかり話すだけで、根本的な部分を見落としている。潮は何も考えてない。どうしたいのかも、何も分からず、ただ足掻いていただけなのよ!」

 

雪風の表情は分からなかったが、大和は悔やむような表情を見せていた。

 

「潮……。どうしてこの男が、あんたに何もしなかったのか、分かる?」

 

「え……?」

 

「この男が本気を出せば、あんたなんかすぐに島から出せるはずよ……。なのにもかかわらず、ただあんたのくっだらない『足掻き』に付き合っていた。その理由に気が付いていないの?」

 

その場にいる誰もが、その理由について考えているようであった。

無論、俺も同じく……。

 

「あんたを信じていたからよ。あんたがどうしたいのか……あんた自身が見つけ、あんた自身が乗り越えられるように、あえてただ見守ることにしたのよ」

 

潮がハッとした表情を見せた。

皆も同じだった。

アホ面を晒す、俺一人を除いて……。

 

「自分ですら、自分の事を信じられなかったのに、この男だけは、あんたの事を信じていた……。それでもまだ、あんたはあんた自身の事を信じてあげられないわけ……?」

 

「…………」

 

「誰かに訊くのではなく……誰かを信じるのではなく……あんた自身の心に訊いてみなさい……。あんた自身の心を信じなさい……。そうすれば、きっと、どうすればいいのか分かるはずよ……」

 

潮は自分の胸に手をあて、考えるように目を瞑った。

そして、ゆっくりと目を開けると、俺をじっと見つめた。

 

「ったく……」

 

霞は何かを確信したようで、席へと戻っていった。

永い静寂が訪れる。

その間も、潮は俺をじっと見つめていた。

 

「……とりあえず、座ったらどうだ?」

 

そう言ってやると、潮は頷き、俺の隣に座った。

これには、流石の大和も驚いていた。

 

「わ、私! 潮ちゃんのお食事を持ってきますね!」

 

そう言って、鳳翔は席を立った。

気まずい空気が流れる。

 

「よいしょ!」

 

雪風が食事と椅子を持って、俺たちのテーブルに着いた。

 

「雪風もご一緒いたします! その方が、しれえ的に助かるのでは?」

 

先ほどの事が無かったらな……。

大和はどこか、居心地の悪そうな顔をしていた。

本当、なんなんだよ……。

この状況は……。

 

 

 

結局、食事中も、このテーブルだけは会話が無かった。

潮と鳳翔はどこか緊張している様子だし、大和は食事に手をつけず、何か考え事をしているようだ。

雪風は呑気に飯を食っている。

 

「……提督、今日のお味噌汁……いかがです?」

 

「え?」

 

「お味……薄くないですか……?」

 

気を遣ってくれたのか、鳳翔は恐る恐るそう訊いた。

 

「味……」

 

んなもん、分からん……。

この緊張感で、味噌汁の味なんぞ……。

 

「雪風的にはおっけーです!」

 

お前には訊いていないだろ……。

しかし、まあ……これはいい流れかもしれない……。

 

「あぁ、俺的にもおっけーだ。大和、お前はどうだ?」

 

「え……?」

 

「味噌汁の味だ。おっけーか?」

 

皆が大和に注目する。

大和は困惑しながらも、味噌汁を口に運んだ。

 

「どうだ?」

 

「……おっけー……です」

 

大和が答えると、皆の視線は、自然と、潮へ向いていた。

 

「…………」

 

潮が俯く。

 

「潮」

 

俺の問いかけに、潮は顔を上げた。

 

「お前は……どうだ……?」

 

食堂が、静寂に包まれる。

潮は、恐る恐る味噌汁に口をつけると、お椀を置いて、小さく言った。

 

「……おっけー……です」

 

永い静寂。

雪風も、大和も、鳳翔も、潮も――俺たちは互いに目を合わせると、思わず噴き出してしまった。

 

「フッ、なんだこりゃ? ははは」

 

「本当、おかしいですよ。みんなして! うふふ」

 

「おかしいです! えへへ」

 

大和と潮も、くすくすと笑っていた。

笑っていないのは、俺達以外の連中だけであった。

 

「はぁ、馬鹿馬鹿しい……。せっかくの朝食なのに、変に緊張してよ」

 

「本当ですよ! せっかく美味しく作ったのに……。大和ちゃんも、全然食べてないじゃないの」

 

「す、すみません! 食べます!」

 

「潮ちゃんも! そんなに肩に力が入っていたら、美味しく食べられないでしょう?」

 

「は、はい!」

 

一気に緊張がほぐれたのか、皆、いつもの調子で食事を始めた。

 

「ったく……」

 

何気ない事であったが、緊張が解けて良かった。

それもこれも、鳳翔のお陰だな。

……いや、それと――。

 

「しれえ?」

 

「……口についてるぞ」

 

「え? どこですか? とってください!」

 

こいつにも感謝だな。

何がしたいのか分からんが、結果として助けになっている。

…………。

もしかして、分かってやっているのか……?

 

「しれえ! 服にもついちゃいました!」

 

……そうでもないのか?

 

 

 

朝食後、俺は霞に声をかけた。

 

「霞!」

 

霞はゆっくりと振り向くと、一瞬だけ目を合わせ、すぐにそっぽを向いてしまった。

 

「霞、ありがとな」

 

「……別に。あんたの為じゃないし……。くっだらない話にイラついてしまっただけよ……」

 

思えば、霞とちゃんと話をしたのは初めてかもしれない。

 

「それは……悪かったな……」

 

「……どうしてあんたが謝るのよ?」

 

「俺が不甲斐無いから、お前をイラつかせてしまった。何も出来ず、ただ傍観者になっていた。悪かった……」

 

霞は何も言わず、そのまま食堂を去って行ってしまった。

 

「司令官」

 

「朝潮」

 

「霞、あんなことを言っていますけれど、きっと、司令官が非難されている事が許せなかったのだと思います。普段の霞だったら、ああやって仲裁に入ることはありませんから」

 

そう言うと、朝潮はニコッと笑って、霞の跡を追っていった。

普段の霞だったら……か……。

 

「俺はまだ、霞の事、何も知らないんだよな……」

 

あいつはあいつで、また何を考えているのやら……。

 

「さて……」

 

振り返ると、潮が俺をじっと見つめていた。

 

「どうした?」

 

恥ずかしいのか、潮はもじもじとするだけで、中々話せずにいた。

 

「潮さん」

 

声をかけたのは、大和であった。

 

「大丈夫です」

 

それだけ言うと、大和は俺に視線を送った後、食堂を後にした。

 

「しれえ、雪風の仕事はここまでです」

 

雪風は潮の背中を押し、食堂を出ていった。

 

「……俺もお前も、誰かの助け無しには、上手くいかないようだな」

 

「……そうかもしれませんね」

 

そう言うと、潮は微笑んで見せた。

 

「潮の話……聞いてくれますか……?」

 

「あぁ、聴かせてくれ。お前の気持ちを」

 

潮はゆっくりと頷くと、自分の事を語り始めた。

過去に起こったこと――。

守られることを覚えてしまったこと――。

俺を追い出そうとしたこと――。

それら全てを――時には涙を流しながら――話してくれた。

 

「――大和さんの言う通りです。本当は分かっていました……。貴方が……そういう人じゃないって……。でも……確かめたかったのかもしれません……。信じていい人なんだって……確信が欲しかったのかも……」

 

自分でも、どうしてあんなことをしたのか、よく分かっていなかったわけか。

霞の言った通りだったな……。

 

「して、お前がどうしたいのかは……見えて来たのか……?」

 

潮は頷くと、俺の目をじっと見つめ、言った。

 

「潮は……この苦しみから脱したいです……。貴方に……助けて欲しいです……」

 

「潮……」

 

「貴方を信じても……いいですか……? 潮の事……助けてくれますか……? 守って……くれますか……?」

 

「……あぁ、もちろんだ」

 

そう言って、俺は手を差し伸べた。

潮は少し驚きながらも、恐る恐る手を伸ばし、弱弱しく俺の手を握った。

 

「第一段階突破、だな」

 

「……ですね」

 

潮は微笑むと、小さく言った。

 

「――提督」

 

 

 

あれから数日が経った。

潮が心を開いてくれたことで、艦娘達の間にあったピリピリとした空気は無くなっていた。

 

「おはようございます、提督」

 

「おう、おはよう潮」

 

挨拶する潮の後ろには、第七駆逐隊の姿があった。

 

「今日は目を見て自然な挨拶が出来たわね」

 

「うん。提督、朝食の後、潮たちと散歩しませんか?」

 

「お! 潮ちゃん、攻めますなぁ」

 

「あぁ、構わないよ。じゃあ、朝食の後で」

 

「朧、お弁当、作ってきますね。潮ちゃんも、一緒に作ろう?」

 

「うん。では提督、また後で」

 

「おう」

 

潮は笑顔を見せると、第七駆逐隊と共にいつもの席へと向かっていった。

 

「潮ちゃん、提督と自然な感じでお話しできるようになりましたね」

 

「鳳翔。あぁ、まだまだ課題は多いが……まずは俺に慣れてもらうところから始めなければな」

 

「大和ちゃんも、見習わなきゃね」

 

そう言われ、大和は恥ずかしそうに俯いていた。

潮の件が一旦落ち着き、当初大和の考えていた『潮の為の交流』は済んでいるはずなのに、鳳翔のせいなのか分からないが、大和は未だに同じテーブルで食事をしていた。

 

「提督もですよ? あれから、大和ちゃんとの会話、していませんよね?」

 

「え? いや……まあ……どうだったかな……」

 

大和に視線を送る。

以前のように睨むことはしなくなったが、どこか複雑そうな表情を見せるようになっていた。

 

「でもこれで、提督と交流していない艦娘はいなくなりましたね。霞ちゃんも、なんやかんや言って、提督の味方をしていましたし」

 

その霞は、俺たちの会話など聞こえていないとでもいうように、退屈そうに頬杖をついていた。

しかし……そうか……。

これで、交流をしたことが無い艦娘は、居なくなったわけだ。

 

「……とは言え、問題はまだまだ山積みだ」

 

潮の件も、山城の件も――大和、雪風、霞……そして――。

 

「響……」

 

響はこちらをチラリと見ると、フイとそっぽを向いてしまった。

 

「……今はそれでいいじゃありませんか。確実に進んではいますよ。ね、大和ちゃん」

 

鳳翔がそう言うと、大和は小さく頷いて見せた。

まあ、そうだよな……。

とりあえず、進んではいるよな……。

 

「先が思いやられるぜ……」

 

「何を言っているのですか。貴方のお父さんは、一隻を島から出すのに、一年かかったのですよ? それに比べたら、まだまだ早すぎるくらいなんですから」

 

言われてみればそうか……。

何故かは分からないが、この島に来て二年以上が経っているような気がする。

それほどまでに濃厚な時を過ごしたという訳なのだろうが……。

 

 

 

その日の昼すぎ。

第七駆逐隊と散歩をし、昼食を済ませた帰りの事であった。

 

「弁当、美味かったよ」

 

「それは良かったです。潮ちゃんと、一生懸命作ったんです。ね、潮ちゃん」

 

「うん」

 

「そうか。ありがとな、朧、潮」

 

朧は嬉しそうに笑い、潮もどこか、照れているようであった。

本当、数日前の事が嘘のようだ。

このまま、外に出る決意をしてくれればいいのだが……。

しかし……。

 

『しれえは、潮さんが島を出てさえくれればそれでいいと考えています。そうでなかったら、そんな曖昧なことは言わないはずです。しっかりとした――潮さんを守るための――道筋を立てるはずです』

 

結局は、雪風の言う通りなんだよな……。

潮が心を開いてくれるようになったのはいいとしても、問題が解決したわけではない。

大きな一歩ではあるが、まだまだ問題解決には程遠い……。

 

「なんて顔してんのよ……」

 

曙がボソッと、俺に言った。

 

「なにか独りで思い詰めてんのなら……話くらい聞くけど……?」

 

そう言うと、どこか心配そうな瞳を俺に向けた。

 

「……いや、別に大丈夫だ。心配してくれてありがとうな」

 

「別に……そんなんじゃないけど……。これでも一応……あんたには感謝しているんだから……。困ったことがあったら……その……助けてあげたいって言うか……恩返しになればいいと……思ったり……」

 

言葉を重ねる度に、曙の顔は真っ赤になっていった。

 

「はにゃ? ぼのたん、どったの? なんか顔真っ赤じゃない?」

 

「べ、別に……? ちょっと暑いだけよ……」

 

曙は俺をチラリと見た後、そっぽを向いてしまった。

最近の曙は、いつもあんな感じだ。

ちょっと余所余所しくなったというか……。

大和と同じで、潮の件が落ち着いてしまったものだから、俺とどう接したらいいのか分からないって所だろうか?

 

「ひゃあ!?」

 

突如、潮の悲鳴。

 

「どうした!?」

 

怯える潮の視線の先――。

 

「マジかよ……」

 

今、一番、潮に会わせたくない奴が、そこに立っていた。

 

「お、よう! 慎二!」

 

「鈴木……。お前……今日は来る予定じゃないだろ!?」

 

「あぁ、ちょっと緊急の用事だ。電話も出なかったし、直接来たんだ」

 

マズい……。

潮が完全に怯えている。

それならまだしも、相手が鈴木となると……。

 

「なんだぁ? 子守り中だったか?」

 

鈴木は第七駆逐隊へ目を向けた。

曙は透かさず、潮の前に立って、鈴木を睨んだ。

 

「そんなに警戒すんな。俺だって、こいつと同じで、この島に来る提督の候補だったんだぜ?」

 

「おい、鈴木……」

 

俺は鈴木を駆逐艦から遠ざけた。

 

「おいおい、なんだよ? 話しかけちゃいけないってか?」

 

「お前も知っているだろ……。潮は男が苦手なんだ……。最近、やっと俺に心を開いてくれたんだから、余計なことはしてくれるな……」

 

「別に取って食おうって訳じゃねぇんだぜ? それに、いい機会じゃねぇか。お前以外の男にも慣れた方がいい」

 

「そうかもしれないが……」

 

「じゃあ、いいじゃねぇか」

 

そう言うと、鈴木は俺を退け、駆逐艦へ語り掛けた。

 

「よう。お前ら第七駆逐隊だろ? 俺は鈴木。お前らの物資を運搬している者だ」

 

駆逐艦たちは、困惑した表情を見せた。

曙は俺を睨んでいる。

なんとかしろ……って事か……。

 

「鈴木、もういいだろ……。用事ってなんだよ?」

 

「あぁ、それは後で話す。とにかく、船に乗ってくれ。本部がお前を呼んでいる」

 

「本部が俺を?」

 

「あぁ。しっかし、なんだ、噂に聞いていたほどじゃねぇな」

 

そう言って、鈴木は潮に目を向けた。

 

「何が良くて、あんな赤ちゃんみてぇな子供を好きになるのか……分かんねぇな……」

 

「あ、赤ちゃん……?」

 

潮は唖然とした表情を見せていた。

 

「ちょっとあんた……。さっきから何なのよ!? 潮をジロジロ見んじゃないわよ!」

 

「お、そのキツイ言い方……お前が曙か」

 

「だったらなによ? 用事があるのなら、さっさと済ませて出て行きなさいよ!」

 

「そんなに怒んなよ。可愛い顔が台無しだぜ?」

 

「かわっ……は、はぁ!?」

 

「心配しなくても、俺はそんな赤ちゃん興味ねぇよ。どっちかって言うと、そっちの……あー……」

 

鈴木が指差したのは、朧であった。

 

「お前、朧だっけ?」

 

「え? は、はい! 朧……です……」

 

「ああいう方が俺のタイプだな。お前、大人になったら絶対、美人になるぜ。俺が保証する」

 

「え……あ……はい……! ありがとう……ございます……」

 

朧はどこか、恥ずかしそうに俯いていた。

そんな顔も出来るんだな……。

 

「ねぇねぇ! 漣は!? きゅぴぴーん☆」

 

「あぁ……ねぇな……。なんか……歳食ってもそうしていそうで……」

 

「辛辣ゥ!」

 

本来であれば、鈴木を止めなければいけないはずなのに、俺はただ茫然と、そのやり取りを見ていた。

 

「ちょっとクソ提督! 早くあいつを何とかしなさいよ!」

 

「え? あ、あぁ……いや……」

 

これは……もしかしたら……。

 

「……鈴木」

 

「ん?」

 

「お前、潮を赤ちゃんと言ったな。どの辺が赤ちゃんなんだ?」

 

「ちょ!? なに訊いてんのよ!?」

 

「いや、赤ちゃんだろ……どう見ても……。顔つきがもう赤ちゃんのそれだよ」

 

潮に目を向ける。

潮は――ムッとした表情を見せていた。

 

「潮……赤ちゃんじゃないです……」

 

「あ?」

 

「さっきから何なんですか……!? 潮の事……赤ちゃん赤ちゃんって……」

 

「あ? 何言ってんのか聞こえねぇなぁ? 文句があんのなら、前に出て来いよ。それとも、曙ママに守られねぇと文句も言えねぇのか?」

 

鈴木が煽る。

 

「ちょっとあんた……! いい加減に……!」

 

俺は、曙を止めた。

 

「なんで止めるのよ!?」

 

「曙」

 

曙は俺の表情を確認すると、何かを察したのか、大人しく引き下がった。

 

「ほら、どうした? ん? お腹でも空いたのかな?」

 

「……っ!」

 

潮は鈴木の前に立つと、睨みつけた。

 

「潮は……赤ちゃんじゃないです……!」

 

相当ムカついたのだろう。

怯えることも忘れ、怒りの感情に支配されているようであった。

 

「フッ……なんだよ。ちゃんとできるじゃねぇか」

 

「はい……?」

 

「誰にも守られず、初対面の男である俺に、ちゃんと立ち向かえたじゃねぇか」

 

潮はハッとした表情を見せた。

ようやく我に返った……って所か。

 

「もしかして、わざと怒らせた……のですか……?」

 

朧がそう訪ねると、鈴木はニッと笑って見せた。

 

「怯える女を笑顔にするのが、いい男の仕事だからな」

 

「いやいやいや……笑顔になってねーから!」

 

漣がそう突っ込むと、何が面白かったのか、朧のツボにハマったらしく、くすくすと笑い始めた。

 

「ほら、笑顔に出来ただろ?」

 

「今のは漣の手柄じゃねー?」

 

「いや、俺だろ? なぁ? 朧?」

 

盛り上がる鈴木と二隻。

その光景に、曙は唖然としていた。

 

「あぁいう奴なんだよ。鈴木ってのは」

 

しかし……まさか、初対面で潮をやる気にさせるとはな……。

朧と漣は、もう鈴木を受け入れているようだし……。

これはもしかすると……もしかするかもな……。

 

「で? どうだ? 潮? 男に立ち向かってみた感想は?」

 

「し……知りません……!」

 

引くに引けなくなったのか、潮はまだ怒っている態度を見せた。

鈴木もそれを分かっているようで――。

 

「何をそんなに怒っているんだ? 感情をコントロールできないとか、やっぱり赤ちゃんなのかな?」

 

「――っ! 曙ちゃん、もう行こう!? こんな男の相手をする必要ないよ!」

 

そう言って、立ち去ろうとする潮。

 

「お、逃げんのか? 帰ってママのおっぱいでも吸うってのか?」

 

潮は振り返り、鈴木を睨み付けると、そのまま寮の方へと帰って行ってしまった。

 

「ちょ!? 潮!? 待ちなさいよ!?」

 

慌てて追いかける曙。

 

「潮ちゃんがあんなに怒るところ、初めて見たかも。鈴木っち、艦娘を怒らせる才能の方があるんじゃねー?」

 

「かもな。ま、あいつにとって、いい経験になったはずだ。男は怖がるもんじゃなくて、情けなかったり、ムカついたり、呆れるような存在だって、実感できたはずだ」

 

「確かに。鈴木っちは怖がられるような感じじゃないし、憧れるような存在でもないしにゃー。ね、おぼろん」

 

そう問われた朧は、鈴木の事をぼうっと見つめていた。

 

「おぼろん? 朧ちゃん……?」

 

「え……?」

 

「いや……鈴木っちって、デリカシーの無い最低な男だよねって話」

 

「辛辣ゥ……」

 

「えっと……その……朧は……いいと思う……ます……」

 

「え?」

 

「朧は……カッコいいと……思います……。鈴木さん……。えへ……」

 

恥ずかしそうにする朧に、漣はドン引きしていた。

 

「やっぱり、いい女にはいい男の良さが分かるって事だな」

 

「いやいや……ないわー……。おぼろん、ちょっと目洗ってこようか……? 何か悪いもの見えちゃってるから……」

 

「おい……」

 

「んじゃ、ご主人様、いってらー。大淀さん達には漣から言っておきまーす。さ、行こう? おぼろん」

 

「うん……。鈴木さん……また……」

 

顔を赤くする朧を押しながら、漣は去って行った。

 

「フッ、どうやら惚れられちまったようだぜ。モテる男ってのはつれーワ」

 

いつもなら呆れて言葉も出ないものだったが、今回ばかりは感心していた。

 

「お前……凄いな……。流石はモテ男だぜ」

 

「あ? 何だよ急に……。気持ちわりぃ……。俺はそういう趣味はないぜ」

 

「はは、俺もないよ。だが、今は惚れそうだよ」

 

「……マジで言ってんのか?」

 

ドン引きする鈴木と共に、俺は船に乗った。

 

 

 

船はゆっくりと、本土を目指していた。

 

「それで? 本部が俺に何の用事だ? それも、急に呼び出すなんてさ」

 

「あぁ、用事は二点だ。まず一点は、大井の件だ」

 

「大井?」

 

「大井の奴、先日『高等学校卒業程度認定試験』の模擬試験に合格しやがったんだ」

 

「え!?」

 

「びっくりだよな。まだ島を出てそんなに経ってねぇのによ。んで、その事もあって、大井に『社会適応試験』の訓練をさせることになった」

 

『社会適応試験』の訓練……。

普通は『高等学校卒業程度認定試験』の合格をして初めて、受けることが出来る訓練だ。

ただでさえ『高等学校卒業程度認定試験』の合格には、軽巡級で三年以上かかると言われている。

それを、たった数ヶ月で……。

 

「相当勉強したようだぜ? 本部もそれを評価して『高等学校卒業程度認定試験』の勉強と並行して『社会適応試験』の訓練を実施することを決めたらしい。お前も知っている通り『社会適応試験』の訓練は、訓練用に造られた『セット街』で行われることになる。今回、大井の訓練には、海軍の人間だけではなく、一般人も参加させる予定らしい」

 

「一般人も?」

 

「あぁ。より一層、リアル感を出すために……って名目だが、本当の目的は、世間へのアピールだ」

 

「世間への?」

 

「今回の訓練は、動画で配信する予定らしい。艦娘の人化に反対する勢力が力をつけていることもあって、マイナスイメージを払拭する目的があるようだ」

 

「なるほどな……。しかし……海軍の印象操作に大井が利用されるってのは……」

 

「その点は俺も気に入らねぇ。だが、大井はそれを承知しているらしい」

 

大井……。

 

「それが一点目だ。二点目は、その訓練初日に、お前も参加して欲しいって事らしい」

 

「俺が? 何故?」

 

「初日の訓練では、まず『セット街』に慣れる必要がある。数名の人間も参加するから、必ず同伴者が必要となるんだ。本来であれば、永い期間を経て、この訓練は実施される。その間、同伴者として適任である人間が見つかるはずなんだ。しかし、この短い期間であるし、大井は……なんつーか……気難しい奴だろ? 同伴者として適任なのは、お前しかいないんだよ」

 

まあ……この短い期間で、大井の心を開くことが出来る奴なんて、そうそういないだろうとは思うが……。

 

「それに、大井自身が望んでいるんだ。お前の同伴をな」

 

「大井が……?」

 

「本当、艦娘にだけはモテるな。んで、さっきの話だが……。訓練は配信されるって言ったよな? 初日も配信する予定だ。つまり、お前の顔が世間に割れることになる」

 

「!」

 

「この意味が分かるよな……? 今、世間では、島に出向しているのは誰なのか、色んな憶測が飛び交っている。海軍の中にも、艦娘の人化に反対する勢力はいるんだ。お前の名前が世間に晒されるのも、時間の問題だろう」

 

「……その先手を打つ目的で、俺を配信に?」

 

「そういうこった……。お前を本部に呼び出したのも、その事に同意してもらう必要があったからだ。知っての通り、島へ出向した人間の顔が割れた事例は、いくつかある。そいつらの未来が明るくなかったことも……分かるよな?」

 

その件については『適性試験』を受ける前に承知している。

だからこそ『死ぬ気』でここにいる。

 

「……本土へ帰る途中で、意志があるかどうか、訊いて来いと言われた。意志が無いのなら、島へ引き返すように、ともな……」

 

だから、ゆっくりと進んでいた訳か……。

 

「そんなの決まっている。さっさと船を本土へ向かわせろ」

 

「……おう! そう言うと思ったぜ!」

 

そう言うと、鈴木は船を加速させた。

 

「俺たちの意志はそんなヤワなもんじゃねぇって、クソ上司に叩きつけてやろうぜぇ!」

 

『俺たち』……か。

 

「あぁ! 顔でも裸でも、世間に見せつけてやるぜ!」

 

「ははは! 男だな慎二! もっとトばすぜ!」

 

『しれえは、潮さんが島を出てさえくれればそれでいいと考えています。そうでなかったら、そんな曖昧なことは言わないはずです。しっかりとした――潮さんを守るための――道筋を立てるはずです』

 

そうだよな。

島を出たらおしまい……って訳じゃないもんな。

俺に出来ることは少ないし、島での問題ですら、一人じゃ解決できない。

それでも、大井が前に進むために、俺が――大げさかもしれないが――俺の命が必要だというのなら――。

 

「かけるべきだよな……。それくらいの覚悟が、俺には必要だったはずだよな……」

 

雪風の言葉で、見失っていたものが見えた気がする。

もしかして、あいつはこれを分かっていて……。

 

『雪風は、最後まで、この物語を――いえ……貴方の物語を……見届けたいと思っているんです……。そして、そこに、雪風も一緒に居たいと、思っているんです……』

 

いずれにせよ、今は出来ることを精一杯やるだけだ。

これで死んでもいい。

全てをやり切ったのだと、思えるように――。

 

「そろそろだぜ。本当にいいんだな?」

 

「あぁ!」

 

俺の決意――いや、俺たちの決意をのせ、船は本土へと近づいて行く。

遠くでは、艦娘の人化に抗議するデモの声が響いていた。

 

 

 

 

 

 

残り――18隻

 

 

 

――続く


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