『推定年齢』が俺の歳と重なったこともあり、俺と山風はすぐに意気投合した。
「海軍には若い人もたくさんいるけれど、雨宮君のように話しやすい人はいなかったから、なんだか嬉しいな」
そう言うと、山風は微笑んで見せた。
「俺も、島を出た艦娘で、同い年がいるなんて思ってもみなかったよ」
「本当はもっとおばあちゃんなんだけどね」
「なら、敬語の方がいいかな?」
「ううん。お友達が出来たみたいで嬉しいから、そのままがいいな」
俺が資料で知っている山風は、そこにはいなかった。
「暗いと思ってた?」
まるで俺の心を読んだかのように、山風は言った。
「正直な」
「よく言われるの。確かに、昔は暗かった。でも、島の外に出て、色んな人に出会って……。あたしは変わることが出来た」
「……後悔はないか?」
「うん、ないよ。たくさんのお友達が出来たし、今が一番幸せだから」
本当なのだろう。
目の輝きが、そう言っているようであった。
「島の皆にも、あたしのように幸せになって欲しいんだ……」
山風は遠くの島を見つめた。
「……雨宮君があたしを呼んだのは、鹿島さんの件だって聞いてるけど、どうしてあたしなの?」
「香取と一緒に島を出たのが、君だったからだ。香取と鹿島、そして、両者が取り合ったという男の事について、何か知っているのではと思ってな」
山風の表情が、一気に曇った。
「ごっちんの事……?」
「ごっちん?」
「あ……八百万『豪』(やおよろずごう)だから、ごっちん……」
八百万豪。
そんな強そうな名前だったのか、例の男は。
「そのごっちんの事について聞きたい。実は――」
俺は、鹿島の現状を山風に話してやった。
何か思うところがあるのか、山風は時折、「そっか……」とか「やっぱり……」と呟いていた。
「――という訳なんだ。何故鹿島が人間を恨んでいるのか、その理由を知りたいんだ」
「そっか……。分かった。じゃあ、ごっちんが島に来たところから話をするね」
そう言うと、山風は思い出すかのようにして、目を瞑り、語り始めた。
『不死鳥たちの航跡』
武蔵との和解から一週間ほど経った。
「卯月、行くよー! えい!」
「わわ……どこに投げてるの!? 皐月のへたっぴ!」
皐月の投げたボールが、俺の足元に転がって来た。
「ん……。ほら」
ボールを拾い、渡してやると、卯月はそれを恐る恐る受け取った。
「あ、ありが……とう……」
「……あぁ」
卯月が去って行くと、隣に座っていた鳳翔が、大きくため息をついた。
「……なんだよ?」
「あれから一週間も経っているのに……どうして仲良くなれないのですか……」
「……こっちが聞きたい。俺は好意的に接しているつもりだ。ボールだって持ってきてやったんだぜ?」
「物で釣ろうしているところがもう……」
呆れる鳳翔。
それを見ていた武蔵は、何やら申し訳なさそうな表情をしていた。
「どうしてお前がそんな顔をする」
「いや……私が駆逐艦に言い聞かせ過ぎたせいかと思って……」
「責任を感じてるって訳か……」
「武蔵さんの所為ではありません。提督があまりにも、子供に対して不慣れなだけです」
「それにしてもだ……。なんとか言い聞かせてはいるのだが……すまない……」
「いや……鳳翔の言う通りだ。100%俺が悪い」
そう言っても、武蔵は苦い顔をするだけであった。
この一週間、思いつくことは何でもやってみたが、イマイチ突破口が見えない。
子供の心を開かせるってのは、こんなにも難しい事であったか……。
「やはりカギになるのは、鹿島だろうな……」
「そうかもしれませんが、そこに頼り過ぎるのも悪い所ですよ?」
「思いつくことは何でもやった。もう手は無い」
「しかし、鹿島も中々だぞ。この武蔵とは違い、相当な覚悟を持って駆逐艦を守っている」
「相当な覚悟……か……」
それが本当に駆逐艦の為のものなのか、山風の話を聞いた今だからこそ、疑問に思う。
おそらく、その疑問の解消こそ、鹿島との交流を深めるターニングポイントとなるだろう。
「とにかく、まだ諦めるには早いです。こんな所で座っていないで、ボール遊びに交ざってきたらいいじゃないですか」
「いや……せっかく楽しんでくれているんだ。空気を悪くするのは……」
「そんな事だから駄目なんですよ……」
「ならば提督よ。この武蔵も同伴しよう。それなら二人も安心して遊べると思うのだ」
「武蔵……。お前、いい奴だな……」
「せめてもの罪滅ぼしだ」
呆れる鳳翔を後に、武蔵は、まるで根の暗い子供に友達を宛てがう先生の如く、俺を駆逐艦の方へと向かわせた。
「じゃあな」
「うん……」
武蔵と鳳翔に連れられ、駆逐艦は帰っていった。
「はぁ……」
結局、二隻と仲良くなることはなかった。
武蔵のお膳立てもむなしく、この世で最も緊張感のある玉遊びが繰り広げられるのみであった。
「情けない……」
流石に、今回ばかりは落ち込んだ。
武蔵のサポートがあってこのざまだもんな。
これだと、鹿島に取り入ったところで、なにも――。
「…………」
今までは、あいつらが勝手に転び、勝手に改心してくれたものだから良かったものの、やはりそればかりでは上手くいかないのだと、今回の件で痛感した。
信頼だって、結局は、今までの奴らと比べてマシだったというだけで、俺自身が実力で勝ち取ったものではない。
「何一つとして成しえていない……か……」
ふと、明石の言葉が頭に浮かんだ。
『提督に……佐久間さんに似ているなって。顔だけじゃなくて、性格も……』
そして、その言葉を利用しようとした、大淀との場面も――。
「……嫌になるぜ」
一瞬でも、ソレに縋ろうとした自分が許せなかった。
それでも、今こうしてみると、やはり――の信頼と言うものは、本物であったのだと思えて、なんともやるせない気持ちになった。
轟音に目が覚める。
外を見てみると、大雨になっていた。
「寝ている間に……。あんなに晴れていたのにな……」
武蔵たちが帰ったのが三時ごろであるから、二時間ほど眠っていたことになる。
「あ! 洗濯物……!」
時すでに遅し、物干し竿に吊らされた洗濯物は、見事にびしょぬれになっていた。
「……はぁ」
一気に気分が落ち込み、俺は力を失ったかのようにして、柱を背に座り込んだ。
こうも上手くいかない日が続くと、流石に気分が萎えてくる。
今までが上手く行き過ぎていた分、尚更――。
そんな事でぼうっとしていると、遠くの海面に、雷が落ちるのが見えた。
まばゆい光と、轟音があたりに響く。
「きゃ……!」
誰かの悲鳴。
遠くの寮の方から聞こえて来た……訳ではなく、案外近くにいる声であった。
「誰かいるのか?」
そう問いかけてやると、そいつは観念したかのようにして、家の影から、合羽姿で出て来た。
「……大淀か?」
屋根下に入り込むと、大淀は合羽のフードを脱いで、なんとも言えない表情を見せた。
縁側に座るよう促すと、大淀は何も言わず、素直に座った。
「どうした? 何か用か?」
「……いえ、たまたま通りかかっただけで。寄るつもりは……」
たまたま……か……。
この家へは一本道しかないし、一本道の終点はここであった。
永い沈黙が続く。
「……あんなに晴れていたのに、急だったな」
独り言のようにつぶやくと、大淀は退屈そうに返してくれた。
「ラジオで言っていましたけどね……。雷雨を伴う大雨になるって……」
「ラジオ……。そうか、ラジオか……」
家にもラジオはあるが、全く触ったことが無かった。
今度からは天気予報くらいは聴いておくか。
「…………」
雨は一向に止む気配を見せなかった。
「……心配になったのか?」
「え……?」
「佐久間肇が亡くなったのは、天気の荒れた日だと聞いている。雷雨を伴う大雨と聞いて、様子を見に来てくれたんじゃないのか?」
そう言ってやると、大淀は黙り込んでしまった。
「……否定しないんだな」
大淀はやはり答えなかった。
俺は続けた。
「どんな男だったんだ? 佐久間肇ってのは……」
その質問に、大淀の目の色が、少しだけ変わった。
「……立派な方でしたよ。けど、頼りなくもあって……。誰かがサポートしてあげないと、いつも危なっかしいというか……」
「……好きだったんだろ? 異性として……」
「……どうでしょうね」
その口元は、小さく微笑んでいた。
否定しないということが、全ての答えであった。
「俺も危なっかしいか。佐久間肇と一緒か」
「一緒ではありません。けど……」
大淀は言葉を呑んだ後、しばらく目を瞑り、何かを考えていた。
「けど?」
そして、何かを決意したかのように顔をあげると、俺を見つめた。
「けど……一緒であっても、おかしくはないのだと思います」
「……どういう意味だ?」
「そのままの意味です」
そう言うと、大淀は一枚の古びた写真を俺に手渡した。
そこには、若い男女二人と、小さな子供が一人、写っていた。
「……最初は気が付きませんでした。ただ、似ているなとは思っていました。けど、貴方の振る舞いを見ていて――写真の裏に印字されている日付を見て、確信しました」
見るまでも無かった。
俺は知っていたのだ。
この写真が撮られた日付を――。
「そこに写っているのは、『佐久間肇』とその奥様。そして、その二人の息子――貴方ですよね……?」
遠くで雷が一つ。
だが、大淀は怯むことなく、俺を見つめ続けていた。
雨は止むどころか、強くなる一方であった。
「……そんな話をする為に、ここに来たという訳か。だとしたら、お前も大概だよな。こんな雨の中、そんな妄想を引っ提げてくるなんて」
「…………」
「佐久間肇、確かに俺に似ているな。写真の年数から考えても、俺と同い年くらいか?」
俺がいくらとぼけようが、大淀は目の色を変えなかった。
「……この写真は、佐久間さんの遺品の一つです。彼が亡くなるまで、私は佐久間さんが既婚者だったとは知りませんでした……。けど、今思えば、駆逐艦との接し方だったり、女性の扱いが上手だったように思います」
「お前もその上手に扱われた一人って訳か」
揶揄うように言ったつもりが、却って動揺を隠す行動に見えてしまったようで、大淀は小さくため息をついてみせた。
「見た目と言い、癖と言い、振る舞いと言い――貴方が何故否定するのか分かりませんが、佐久間さんと瓜二つです……。ずっと見てきましたから……分かるんですよ……」
俺は何も言わなかった。
「……そんな貴方だからこそ、聞きたいことがあります」
「聞きたいこと? 俺が佐久間肇の息子ではないかってことか? だとしたら――」
「――違います」
空が光る。
遅れて、空気を切り裂くような轟音が、島を揺らした。
「どうして……自分が佐久間肇の息子だと……私に言わなかったのですか……? 言っていたら……きっと私は……」
大淀はもう確信しているようであった。
きっと、どう誤魔化しようとも、隠しきれることではないのだろう。
そう思った。
そう思ったからこそ、答えてやった。
「……なんてことはない。そうすることが許せなかっただけだ……」
大淀の目の色が、再び変わる。
「……認めるんですね」
俺は答えなかった。
だが、それが答えだと大淀も分かったのだろう。
俺から視線を外すと、じっと写真を見つめた。
「……一度だけ、たった一度だけ、佐久間さんが『行くぞ、しんじ』と、駆逐艦の名を言い間違えたことがあります。誰の事だって、皆は笑っていましたけれど、佐久間さんだけは笑っていませんでした。それもそのはずですね。息子の名を――隠してきた息子の名を口にしてしまったのですから……」
大淀は再び、俺を見た。
「既婚者はこの島に来れません。だから佐久間さんは、奥様と離婚した。幼い貴方をも残して……」
俺はわざとらしく、退屈そうな顔を見せた。
「どうして……彼の息子である事実が許せないのですか……?」
「……答える義理はない。この話はここで終わりにして欲しい。お前だって嫌だろう。自分の好きだった人が既婚者――しかも、子供までいる、なんて事実を再び顧みなければならないなんてのは……」
「確かに、最初はショックでした。彼の死も相まって、ずっと塞ぎ込んでいました。でも、もう十数年経ってます。流石に慣れましたし、今の私は――」
そこまで言うと、大淀は口を噤んだ。
代弁するように、俺は続けた。
「今の私は人間を恨んでいる。二度と同じショックを受けないために――人間に好意を抱かないために――自分が傷つかないために……。違うか……?」
大淀は深く目を瞑り、黙り込んだ。
「だがお前は、こうしてここにいる。俺に会いに来ている。何一つとして慣れてはいないし、今も佐久間肇の事を忘れられないでいる」
大淀はその矛盾に気が付いて、黙り込んでしまったのだろう。
「俺がもし、「お前の事を想って、このことを話さなかった」と言ったのなら、お前はどうするつもりだったんだ?」
大淀が答える前に、俺は続けた。
「言い方を変えようか。お前は、俺に何を期待している? 佐久間肇の息子である俺に、何を求めている?」
雨が少しだけ弱まって来た。
遠くの海では、雲の合間から光が零れている。
「……いや、答えなくてもいい。この話はもうおしまいだ。今日の事は忘れろ。俺も忘れる」
大淀はゆっくり目を開くと、悲しそうな表情で言った。
「……酷いですよ。忘れろなんて……。だったら、最初から認めないで下さいよ……」
光が広がって行き、辺りが一気に明るくなった。
「俺が認めなければ、お前はいつまでも進めないでいたはずだ。ずっと、俺が佐久間肇の息子なんじゃないかと考え続け、悩み続け、佐久間肇の影を追い続ける……。そうだろう……?」
雨が止み、俺たちの間に陽が射した。
ムワっとした湿気が、辺りを包む。
「俺は……俺は雨宮慎二だ。誰の息子だとか、誰の生き写しだとか、そんなことで俺を見て欲しくはない。大淀、お前にしてもそうだ。俺は、俺という一人の人間として、お前と接していきたい。この島の艦娘をお前と共に、未来へと導いていきたいんだ……」
大淀は立ち上がると、何も言わず、門の方へと歩いていった。
「大淀」
その呼びかけに、振り向くことはせずとも、足を止めてくれた。
「……心配してくれてありがとう。また、暇なときにでも、顔を出してほしい。短い時間であったが――決していい交流とは言えなかったかもしれないが――俺はお前と話せて良かったと思っている。だから……」
その先の言葉は言えなかった。
だが、大淀は分かってくれたのか、何か反応する訳でもなく、ただ歩みを進め、寮の方へと去って行くのみであった。
その日の夜、昼寝のせいで眠れずにいると、武蔵がやって来た。
「武蔵、どうした? お前も眠れない口か」
「落ち込んでいるのだと思ってな。慰めに来たんだ」
「フッ、だとしたら遅いぜ。もっと早く来てほしかったものだ」
「すまない。どうしても貴様と二人っきりで話がしたかったものでな。この時間になってしまった」
そう言う武蔵の手には、何やら瓶と御猪口が握られていた。
「酒だ。海軍の連中も律儀でな。年に一度、お神酒用に支給してくれるんだ」
「飲めるのか、お前」
「強いという意味か? それとも、法律的な意味か?」
「どっちもだ」
「まあ、たしなむ程度には飲める。法律に関しては、元々人権と言うものが無いから、我々艦娘には適用されない」
『推定年齢』が二十歳を超えているか以前に――そうか……。
「そういう貴様は?」
「そっちの訓練もばっちりだ」
海軍にはいりたての頃、これは訓練だと、先輩に吐くほど飲まされたことを思い出す。
「肴もいくつか見繕ってきた。気持ちよく眠れる程度に、楽しもうじゃないか」
そう言うと、武蔵はいつもより近づいて、俺の隣に座った。
酒は決して美味いものではなかったが、武蔵の添える肴のお陰で、酒が進んだ。
「――なんてことを言うんだ。大和は悪い奴じゃないんだが、どうも鳳翔に依存し過ぎている」
「ありゃ凄い睨みようだった。とりゃしないってのに」
「鳳翔ほどのいい女を娶ろうと考えないのか。貴様は本当に男か?」
「そんな事をするためにここにいるわけじゃない。まあ、いい女であることは確かだと思うが、俺はどうも見透かされているようで」
「では、この島であれば、どんな女が好みなんだ? まさか、駆逐艦だとは言うまいな?」
「まさか。そんな趣味はない。しかし好みか……。考えたこともないな」
「童貞か、貴様」
「あぁ。それどころか、交際を持ったこともない」
あまりにもあっさりしている俺に、武蔵はつまらなそうに、柱へ深く寄り掛かった。
「並ならぬ覚悟を持って、ここまで来たという訳か」
「モテないだけだ」
「モテないだけ、か……。ただ気が付かなかっただけではないのか? 実際、貴様に好意を持っている奴らもいるだろうに」
「心当たりがある言い方だな」
「明石辺りは、そうなのではないかと思うことがある。駆逐艦の勧誘に一番献身的だったのは、他の誰でもない明石であったからな。提督の為、という感じであった」
心当たりがあるのはそれだけではないのか、武蔵はまるで思い出すかの様に空を見上げた。
「いずれにせよだ。俺にその気はない。その気がないからこそ、ここにいるのだ」
「フッ、なるほどな。この十数年、貴様ほどの男が現れなかったのも、納得できる。それほどに、ここに来るのは容易くないということだな」
「俺以外の男が軟弱なだけだ」
そう言って酒を一気に飲み干すと、武蔵は間髪入れず、酒を注いだ。
「おい、酔わせてどうする気だ?」
「嫌なら飲まなければいいだろう?」
まるで煽るように、ニヤッと笑う武蔵。
「フッ、男を焚きつけるのが上手いな」
「酔えば本心が見えてくる。私は貴様を信用しているが、貴様はどうだ? 私は、どうも心の距離を感じていけないよ」
少し寂しそうに、武蔵は言った。
「急にどうした? 酔ったのか?」
「かもしれないな」
武蔵も酒を飲み干すと、催促をするようにして、御猪口を掲げた。
「そんなに酔って、どうするつもりだ?」
注ぎながら言ってやると、武蔵は微笑んでみせた。
「貴様を知りたいのだ。同時に、この武蔵の事を知って欲しいのだ」
そう言う武蔵の瞳は、酔っているせいもあってか、いつもの厳しい瞳とは違い、優しいものに見えた。
酒は、もう半分以上無くなっていた。
「流石に酔ったぜ……」
柱に寄り掛かり、まだまだ余裕そうな武蔵に目をやった。
「強いな……お前……」
「そんなことはない。顔に出ないだけで、大分酔っているよ」
「とてもそうは見えないがな……」
「本当さ」
言われてみれば、少しだけ口調がマイルドになっている気がする。
険しい瞳も、どこか優しく――何よりも、口元がずっと、微笑んでいた。
そんな姿を見たものだから――酔っていたのもあって、俺は思わず心に仕舞うはずの言葉を零した。
「いつもそうしていれば、女っぽいのにな」
言った後、我に返った。
変な汗がぶわっと噴き出る。
「い、いや! すまない! 今のは……!」
焦る俺を見て、武蔵は微笑んで見せた。
「いいんだ。よく言われる。むしろ、強さを求めて来た私にとっては、女性らしくない方が正解だ」
それは強がりという訳ではなく、本心のようであった。
「貴様は、男に生まれて来て良かったと思うことはあるか?」
「え?」
「私は、時々思うんだ。どうして艦娘として――女性として生まれて来たのだろうと。何かを守るには、邪魔なものが多すぎる。この胸とかな」
見せつける様に、胸を持ち上げる武蔵。
どう反応すればよいのか分からず、俺は黙って武蔵の言葉を待った。
「艦娘として、守るものがあるのはいいとして、どうして女の姿なのだろうか。いくら体を鍛えようとも、男のそれに勝てないことがあるというのが、私にはどうしてもたまらない事であった……」
「……それでもお前は強かった。それは今も変わらないだろう」
「あぁ。その気持ちがあったからこそ、私は強くなった。皆から頼られる存在となり、私に挑もうなどと考える男もいなくなった。ただ一人を除いてな」
そう言って、武蔵は俺を見た。
「挑んだだけで、実際に勝った訳じゃない。お前の弱い部分につけこんだだけだ」
「だからこそ強いんだ。貴様は、私がどうしても鍛えられなかったところを打ったのだ」
「鍛えられないところ?」
「心だ。男も女も艦娘も関係ない、どうしても鍛えられない場所だ」
「心……」
「思えば、貴様が挑戦を受けた時点で、私は負けていたのかもしれない。言い出したのは私とは言え、正直、貴様が受けるとは思っていなかったのだ。私の強さ、実績、噂に至るまで、貴様を脅すのには十分すぎるほどの情報を耳にしてきただろう。それなのに、貴様はあの場に立ち、私に勝利した。しかも、この武蔵を地に伏せた」
武蔵が褒めると、何だかむず痒くなって、俺は終始うつむき、手を揉んでいた。
「貴様に負け、『守る』という事の意味を知った。男も女も関係ない『強さ』を知った。私が抱いていた疑問など、とるに足りないのだと知った」
武蔵は御猪口を置くと、俺に近づき、そっと肩を寄せた。
「武蔵?」
「貴様は、強いな……。この武蔵を倒してしまうのだから……。負けて、とても悔しかった。けれど……安心している自分もいたのだ……」
武蔵は俺の手を取ると、そこに自分の手を重ねた。
「貴様に負けて、『守る』を知った時、私は同時に『守られる』という事を知った。相手を尊重する……それはすなわち、守られる者の気持ちを知ることだ」
手の中の武蔵は、とても小さく、戦いを潜り抜けて来たそれとは思えないほど、きれいなものであった。
「守られる……。そんな気持ち、一度も考えたことが無かった。自分を守ってくれる存在など――自分よりも強い存在など、いなかったから……。でも、それを考え始めた時、それは存在していた。貴様だ……」
俺は思わず笑ってしまった。
「ただのペテン師だぜ」
「それでも、この武蔵に勝ったという事実がある。それだけで十分だ」
武蔵は一呼吸置くと、続けた。
「守られると、安心するという。不安がなくなるのだという。思えば、私はいつも、不安に駆られていたように思う。不安だから鍛えるし、不安だから強くあろうと思う。貴様に負けなければ、そんな事、認めるどころか、思うこともなかっただろう」
俺の手が、武蔵の頬に宛てがわれた。
「強くあろうとする以外に、安心できることがあるのなら、私はそれを知りたいと思った……。守られるという事を知りたいと思った……。それを教えてくれるのは、貴様以外にないのだ……」
武蔵の目が、俺を見つめた。
いつものドライな瞳からは想像も出来ないほど、潤み、美しく光るその目に、俺は思わず息を呑んだ。
「提督……」
まるで甘える子供のように、武蔵はそっと――だが、少しぎこちなさを見せつつ、向かい合い、俺に体を預けた。
「……どうすりゃいいんだ」
「撫でてくれればいい……。そっと抱きしめて……労ってくれればいい……」
その注文は、「くれればいい」というには、あまりにも難易度が高いように思えた。
相手があの武蔵なだけに、尚更――。
俺は酒を一気に飲み干すと、その勢いのまま、武蔵を抱きしめ、頭を撫でてやった。
「……ずっと、一人で戦ってきたのだな。お前は凄いよ。だが、もう安心していい。俺がついている」
酒でも入っていなければ、こんな臭い台詞を吐くことなんてなかっただろう。
徐々に顔が熱くなってゆく。
だが、当の武蔵は安心しているのか、小さく「うん……」と答えると、まるで猫が頬を擦ってくるようにして、甘え始めた。
最初こそは背筋がゾクゾクとして、何だか気味が悪かったが、時間が経つに連れ、慣れていった。
「甘えるのも悪くないな……。むしろ……癖になりそうだ……」
こんな感じになってしまうんだ。
本当に、頼れる存在が居なかったのだろうな。
あの大和ですら、武蔵を頼っている。
皆が死を恐れる中、武蔵は一人で戦ってきた。
本人も、怖くないはずがないのに――。
誰も助けてくれないから、自分が強くなる。
そうすることで、武蔵自身が救われてきたのだ。
「…………」
俺に敗れ、さぞ不安だっただろう。
『守られる者の気持ちを知った』
それは、『守られる者の気持ちを考えた結果』なのではなく、『守られる者の気持ちを痛感した』という意味だったのだろう。
武蔵がそれを自覚しているのかは分からない。
だが、不安に駆られていたのは、本当なのだろう。
「こんな所、皆には見せられないな」
揶揄うように言ってやる。
武蔵は顔を赤らめると、小さく言った。
「貴様の前だけでは、せめてこうさせてほしい……」
潤んだ瞳が、まるで小動物のそれに見えて、俺は思わず――。
「――督、提督!」
「んぁ……」
目を覚ますと、そこには明石の顔があった。
「やっと起きた……。大丈夫ですか?」
どうやら、酒に酔ったまま眠ってしまったようだ。
体には毛布が掛けられており、武蔵はもういなかった。
「あー……頭いてぇ……。今何時だ……?」
「もう10時よ」
夕張の冷たい目が俺を見つめていた。
その手には、昨日の酒瓶が、空になって握られていた。
結局、全部飲んだのか……。
「駆逐艦との交流が上手くいってないからって、お酒に逃げるなんてね……」
「提督、大丈夫ですか? そうだ。お水、お持ちしますね」
「あぁ、ありがとう明石……」
台所へ向かう明石。
夕張は呆れながら、瓶を片付けた。
「一人でこれだけ空けるって……」
「いや……武蔵も一緒だ……」
「え……? 武蔵さんと? なんで?」
「慰めに来てくれたとかで……。よく覚えてないが、とにかくあいつ、凄い酒に強いんだ……」
「夜中まで飲んでたの……?」
「夜中に来たから……多分、夜明け近くまでじゃないかな……。覚えてないが……」
「二人で?」
「あぁ……」
夕張の視線が、より一層冷たいものになった。
「なんだよ……?」
「別に……」
「提督、お水です」
「おう、ありがとう……」
水はとても冷たく、胃にしみわたるようであった。
「それにしても、提督も結構飲まれるのですね」
「まあ、強くはないがな」
「私もです! あ、そうだ。実は私、趣味で果実酒を作っているんですけど、そろそろ飲み頃なんです。今度、一緒に飲みませんか……?」
「果実酒なんて作ってるのか。いいな。是非飲もう」
「本当ですか? えへへ、じゃあ、出来上がったお伝えしますね」
明石の笑顔を見て、ふと、昨日の記憶が蘇る。
『実際、貴様に好意を持っている奴らもいるだろうに』
『明石辺りは、そうなのではないかと思うことがある』
「提督?」
「……いや、なんでも」
ああいわれると、そうなんじゃないかと意識していけないな。
「……そういえば、備蓄庫に食材が戻っていたわよ。大淀さんが戻したみたいだけど、何かあったの?」
「え?」
備蓄庫に行ってみると、確かに食材が戻っていた。
「本当に戻っている……」
「良かったですね、提督」
「あ、あぁ……」
良かった……か……。
大淀にどんな心境の変化があったのかは分からないが、おそらくは昨日の――。
だとしたら、これはあまりいい結果とは言えないように思えた。
「けど、これでもう提督にお弁当を持っていくことは無くなるわけね。残念。ね、明石?」
「え!? なんで私!?」
「だって明石、最近、料理頑張ってるじゃない。それって、提督にお弁当を作ってあげるためなんでしょ?」
「そうなのか?」
「べ、別にそういう訳じゃ……。ただ、もうちょっと料理を上手く出来たらって思っただけで……」
「ふぅん、どうかしらね~?」
夕張がニヤニヤ笑うと、明石は顔を赤くして怒り始めた。
「夕張!」
「あはは、分かりやすいんだから!」
逃げる夕張を追うように、明石は備蓄庫を飛び出した。
本当、仲いいよな、あの二隻は。
「ん……? なんだこれ……」
ふと、食材の中に、手紙のようなものが置かれているのに気が付いた。
見てみると、俺の名前が入っている。
「俺宛……という訳か……」
開けて見てみると、そこには、手書きの島の地図が入っていた。
地図には、島の中心にある山の頂上付近にバツ印が描かれており、家から印の位置までのルートが、赤ペンで結ばれていた。
裏には小さく「2100に×の場所へ」と書かれている。
差出人は書かれていないが、食材を備蓄庫に戻したのが大淀であるのなら、これは――。
「…………」
こんな場所に呼び出して、大淀は一体何をするつもりなのだろうか。
俺の正体を知り――佐久間肇を忘れることの出来ないあいつは、一体――。
「提督? どうかしましたか?」
「……いや、なんでもない」
手紙をポケットにしまい、俺は備蓄庫を出た。
昼頃になると、鳳翔がやってきて、武蔵といつもの駆逐艦二隻が、今日は遊びに来れないのだと俺に伝えた。
「何かあったのか?」
「いえ、今日は寮で遊びたいのだと、二人が……」
まあ、ここ最近ずっと来ていたしな。
昨日の雨で地面もぬかるんでいるし。
「それと、武蔵さんの様子が少し変なんですよね。今朝からぼうっとされていて……」
結構飲んだからな。
流石の武蔵も、飲んだ翌日は辛いのだろう。
「それにしても、備蓄庫の聞きましたよ。提督、何をしでかしたのですか?」
「なんだその言い方……。まるで俺が大淀に何かしたみたいな……」
「あ、やっぱり大淀さんと何かあったのですね。私、大淀さんとは一言も言ってませんよ」
こいつ……。
「……本当、お前は鋭い奴だよ」
やはり見透かされているようで、俺はどうも……。
「何があったのか、お聞かせ願いますか?」
「その鋭い勘で当てたらどうなんだ」
嫌味っぽく言ったつもりだったが、鳳翔は真に受けたようで、何やら考え始めた。
「そうですねぇ……。これはあくまで勘ですけれど、提督と大淀さんって事は、きっと佐久間さん関連じゃないのかしらって……」
鳳翔が俺を見る。
俺は平静としていたつもりであるが、それが却っていけなかったようで――。
「……もしかして、提督が佐久間さんの息子だと、大淀さんが気が付いて、問い詰められた提督がそのことを認めた……。もしくは、提督自身がバラしたとか……」
俺は何も言わなかった。
鳳翔は察したように、小さく言った。
「やっぱり、あの写真に写っていたのは、提督だったのですね……」
鳳翔はそれ以上を言わなかった。
言わないことが、俺への配慮だと知っていたからだ。
変なところで鋭い癖に、そういう配慮は出来るのだから、本当に厄介だ。
夜になり、俺は地図に示された場所へと向かう事にした。
「はぁ……はぁ……ったく……なんだよこの道は……」
道、ではあるのだが、舗装されているわけではなく、幾度か人が通ってできた道、という感じであった。
歩き始めてから十分以上、昨日の酒が抜け切れていないのか、はたまた体力の衰えか――いずれにせよ、引き返してやろうかと思うほど、俺の気分は萎えていた。
「一体ここで何をしようというんだ……」
ふと、後ろを振り向いてみる。
当然だが、景色は高くなっており、いつもは島の高い岸壁に隠れている港が、姿を現し始めていた。
「……頂上からなら、本土の夜景が綺麗に見えるだろうな」
もしかしたら、大淀はそれを見せたいのか、或いは――。
「……はぁ。行くか……」
息を整えてから、俺は再び印の場所へと歩き始めた。
「おぉ……」
印の場所には、大きな風力発電機が建っていた。
その周りはフェンスで囲まれていて、入ることが出来ないようになっている。
「しかし、回っているところ、見たことないんだよな」
島から見て裏手の方には、舗装されたスロープが下の海の方へと伸びていて、その終点には小さな船用の泊地のような場所があった。
おそらく、風力発電機の点検の際に使われる道なのだろう。
確かにこれなら、艦娘に接触することもない。
「まだ時間には早かったか……」
島の表側を望める場所に大きな岩が転がっていて、俺はそこに座った。
目の前に広がる海。
右手には、本土の夜景が望める。
「いい場所だ……」
こんなロマンチックな場所に俺を呼び出して、大淀は何をしようってんだろうか。
そんな事を考えながらぼうっとしていると、後ろから何かが歩いてくる音がした。
大淀かと振り向いてみると、そこには、鹿島が立っていた。
「え……」
「鹿島?」
お互いに、数秒固まった。
理解に追いついたのは、俺が最初のようであった。
「……そういうことか」
大淀は、鹿島がここに来ることを知っていて――もしくは鹿島をここに呼びよせ、俺と会わせたのだ。
俺が駆逐艦と上手くいっていないことを知っていて――俺が佐久間肇の息子だから――。
「……どうして貴方がここに」
鹿島の表情が、険しくなってゆく。
「俺は一杯食わされたんだ。念のために聞いておくが、この手紙はお前が書いたものか?」
手紙を見せると、鹿島は怪訝な表情を見せた。
そして、小さく「大淀さんの字です……」と言った。
「やはりそうか……。俺はこの手紙の通り、ここに来たんだ。お前は誰に一杯食わされたんだ?」
「……私は」
何かを言おうとして、鹿島は口を噤んだ。
「どうした?」
「……貴方には関係ありません」
そう言うと、鹿島は来た道を戻り始めた。
「あ、おい! 鹿島!」
俺の呼びかけにも応じず、鹿島はそそくさと去って行った。
あんな獣道なのに、鹿島の足取りはなんとも軽快で、慣れているようであった。
翌日。
朝早くから備蓄庫で張っていると、案の定、大淀がやって来た。
「よう」
大淀は、俺がここにいる意味を知っているのか、目を逸らす様に俯いた。
「俺が手紙をちゃんと受け取ったのか、確かめに来たって所か?」
大淀は何も言わない。
「……やはりお前だったか。昨日、地図の通り、あの場所へ行った。そしたら鹿島が来た。ありゃどういうことだ?」
観念したのか、大淀は小さく息を吐くようにして、零した。
「鹿島さんはあの時間……必ずあの場所へ行くので……お二人が交流を持つには……都合が宜しいと……」
「……どういう風の吹き回しだ? 何故そんな事を……」
大淀は答えない。
「……俺が佐久間肇の息子だからか? 俺に協力すれば、佐久間肇に協力している気になれるからか?」
大淀は深く目を瞑ると、弱弱しい声で「分かりません」と答えた。
「私にも……分かりません……」
「分からない……。分からないまま、行動したと言うのか?」
「理解してくれとは言いません……。ただ、貴方が佐久間さんの息子だと知ってから……私は……」
大淀はその先を言わなかった。
或いは、まだ理解していないのか――。
「……とにかく、鹿島との交流の機会を与えてくれたのはありがたい。しかし、俺はあくまでも、佐久間肇とは関係なく、お前にそうして欲しかったぜ……」
遠くで、鶏が鳴き始めた。
同時に、昇って来た朝陽が俺たちを照らす。
「……利用すればいいじゃないですか。佐久間さんの息子であることを……。そうすれば、大抵の艦娘は言うこと聞くと思いますよ……」
「そうはしたくない」
「どうしてですか……?」
「お前がそれを一番よく分かっているんじゃないのか」
その意味が大淀に伝わったのかは分からない。
だが、何か思うところがあったのか、大淀は悲しそうな瞳を見せた。
「佐久間肇が何故『戦犯』と呼ばれているのかを知っているか? お前たち艦娘に『死を恐れる』心を植え付けたからだ。佐久間肇の死は、お前たちに『呪い』を齎したという訳だ。俺は、その『呪い』を解くために、ここにいる。それは息子だからじゃない。それが俺の――雨宮慎二の仕事であるからだ」
寮の方が騒がしくなり始め、誰かの声が大淀を探していた。
「……呼んでるぜ」
大淀は何か反応するわけでも無く、寮の方へと歩き始めた。
「……大淀」
立ち止まると、耳だけが俺を向いた。
「『呪い』は、必ずしも『死を恐れる』事だけではない。お前に纏わりついている影……佐久間肇の影も、その一つなんだぜ……」
大淀は再び歩み始めた。
どう感じたのか、はたまたそんなことは知っているのか――いずれにせよ、俺は少しだけ、大淀の心に近づけたような気がした。
そして同時に、俺自身もまた『呪い』にかけられているのだと――そう思ったのだった。
お昼になると、やはり鳳翔がやってきて、駆逐艦が来れない事を聞かされた。
「またか……」
「まあ……仕方がないですね……」
「……もしかして、俺が居るからなのではないか? 最近だと、一緒に何かすることも多かったし、あいつら的には、それが嫌だったんじゃ……」
「そんなことは無いと思いますけれど……」
鳳翔の視線が、俺から外れる。
思い当たる節があるという訳か。
「俺が嫌で、遊具で遊ばなくなるのは避けたい。駆逐艦たちに、俺は昼から夕方にかけては、ここにいないという事を伝えてはくれないか?」
「え……でもそれだと……」
「頼む」
鳳翔は少し困った表情を見せた後、「分かりました……」と承諾してくれた。
夜。
昨日と同じ時間、昨日と同じ場所に、俺は来ていた。
「昨日と違って、少しだけスムーズに登って来れたな」
昼間、鳳翔にこの場所の事を聞いてみると、どうやら鹿島にとって特別な場所らしい。
その理由は分からないとのことであったが、毎日ここに来るくらいだから、相当な思い入れがあるのだろう。
もしかしたら、鹿島の秘密に迫れる何かがあるのかもしれない。
「ん……来たか……」
足音に振り向く、鹿島はやはり、怪訝な表情をして、そこに立っていた。
「よう」
去ろうとする鹿島。
その背中に、言ってやる。
「鹿島! 帰るのか!? 明日も待ってるからな! 雨が降ろうと雪が降ろうと、ここに居るからな!」
俺の言葉が聞こえたかは分からないが、とりあえずはこんなものだろう。
「……明日から大変だ」
翌日。
朝早くに、寮から見える場所で立っていると、大淀が出て来た。
「よう、おはよう」
「……おはようございます」
「お前、誰よりも一番に早起きをして、一日の準備をしているんだってな。鳳翔から聞いたよ」
「……私を待っていたのですか?」
「あぁ」
そう聞いて、大淀は少しだけ不安な表情をみせた。
「そんな顔するな。ただ、謝っておきたいことがあっただけだ」
「謝っておきたいこと……?」
「佐久間肇のことだ。俺は、佐久間肇を利用することをしたくはないと言ったが、がっつり利用することになってしまった」
「え……?」
「鹿島の事だよ。鹿島があの場所にいるとお前から聞いて――佐久間肇を利用して、これから俺は、鹿島と交流をすることになる。だから、利用したくはないと言いつつ、利用する結果になることを謝りに来た」
大淀は、俺が何を言っているのか、よく分かっていないようであった。
「――つまりだ、俺はこれから毎日、お前の教えてくれた場所に行って、鹿島と交流することにしたんだ。お前の情報を利用する=佐久間肇を利用するということだろう? だから、お前にあんな口を叩いておいて、結局そうなってしまったことを謝りに来たって事だ」
大淀は表情を変えないまま、口を開いた。
「……いえ、それは分かっているんです。私が分からないのは、どうしてそんな事を言いに来たのかって事です。そんなの、黙っていればいいじゃないですか……。謝る必要なんてないじゃないですか……」
「いや、そういう訳にはいかない。俺は俺の信念を以て、お前に色々言ってしまったのに、結局、その信念を崩すことになったんだ。謝るのは当然だ」
「いえ、ですから……そんなことはどうでもいいんです……。貴方がどう思っているのかは知りませんけど、別に私は……」
「じゃあ、俺が許せないから、お前に謝らせてほしい。悪かった」
頭を下げ、顔を上げると、大淀は何故か、小さく笑っていた。
「何かおかしいか?」
「いえ、すみません。変な人だなと思いまして」
「……よく言われる」
「本当、貴方は――……」
大淀はそこまで言うと、口を噤んだ。
「大淀?」
「……とにかく、貴方が謝りたいというのなら、勝手にどうぞ。私は何も、気にしていませんから……」
「なら、そうさせてもらおう」
「……本当、変な人。そういうところが――」
強い風が吹いて、大淀の言葉をかき消した。
「……そろそろ皆が起きてくる頃です。鹿島さんとの交流、上手くいくと良いですね……」
「それはお前の本心か? それとも、影に言わされているのか?」
大淀は答えることをせず、風に乱れた髪をかき上げると、そのまま振り返り、寮の方へと去って行った。
「佐久間肇……」
お前は死してなお、俺を――『俺たち』を苦しめるのだな……。
その日の昼、俺が家に居ずにいると、案の定、駆逐艦が遊びに戻ってきたようであった。
夜。
一時間ほど待ってみたが、鹿島がやってくることはなかった。
だが、これでいい。
俺がここにいると信じ、あいつは来なかったのだ。
どんな形であれ、俺の事を信じたという結果が、今日一番の収穫だった。
翌日も昨日と同じであった。
昼は俺が不在の家に駆逐艦が来て、夜は鹿島が来なかった。
次の日は少しばかり違った。
というのも、朝から雨が降っていたのだ。
俺は念のため家を空けてみたが、駆逐艦が遊びに来ることはなかったらしい。
「さて、今日は絶対来ないだろうが、雨でも居ると言ってしまったしな」
そんな事を一人言いながら、あの場所へと向かった。
地面がぬかるんでいるため、かなり苦労したが、なんとか無事に着くことが出来た。
だが、当然、鹿島が来ることはなく、俺は再び苦労しながら、家路についた。
翌日も雨だった。
同じようにあの場所へと向かう。
鹿島は来なかった。
翌日も雨だった。
鹿島は来ない。
翌日は晴れたが、鹿島は来なかった。
その翌日も、その翌日も、その翌日も――。
あの場所を知ってから、二週間近くが経とうとしていた。
流石に皆も、俺が何をしているのか気が付いたようで、心配する声がポツポツと挙がり始めていた。
「提督、今日も向かわれるのですか……?」
「あぁ、鹿島が来るまでな。今日はよく晴れているし、来るかもしれんぜ」
そう笑って見せても、明石の表情は変わらなかった。
「でも……今日くらいはお休みされてはいかがですか……? 昨日、怪我をされたのですよね?」
「大したことはない。ちょっと足をひねっただけだ」
「……そうだ、前に言っていた果実酒がいい出来なんです。怪我の様子を見る必要もあるし、今日はお酒を飲むって事で、いかがでしょう?」
「ありがとう。だが、それはまた今度にしてくれ。あれだったら、鹿島との交流が成功した時にでも」
明石が何も言えないでいると、夕張が口を開いた。
「明石は心配しているのよ。自分の為に、提督が無理をしているんじゃないかって……」
それに、明石は俯くだけであった。
「そんなんじゃない。俺がそうしたいから、しているだけだ。確かにお前を外に出してやるとは言ったが、これは別だ。気負うことはない。それに、俺はあの武蔵に挑み、勝った男だぜ。大丈夫だ。信じて待っていてくれ」
そう言って、明石の頭を撫でてやる。
不安な表情は変わらないが、分かってはくれたようであった。
「……心配しているのは、明石だけじゃないんだからね。鳳翔さんとか、武蔵さんも心配しているんだから……」
「お前は心配してくれないのか?」
「……私が心配したら、行かないでくれるわけ?」
俺が何も言えないでいると、夕張は大きくため息をついた。
「鳳翔さんからの伝言……。無理だけはしないでくださいね……だって。武蔵さんも、そんな感じの事を言っていたわ……」
「諦められているのがよくわかるぜ」
「それだけ信じられている……とも取れるんじゃない……?」
そう言うと、夕張は退屈そうに膝を抱えた。
「私は……鳳翔さんや武蔵さんみたいには言えないわ……。あんな危ないところ……。人間なんだし……何かあったら……」
明石も同じなのか、表情を曇らせた。
「心配してくれているんだな。ありがとう、明石、夕張。だが、人間だからこそ――命ある者だからこそ、この行動には意味があると思うんだ。お前たちの気持ちは痛いほど伝わっている。無下にしてごめんな……」
首を横に振る明石とは違い、夕張は納得がいっていない様子であった。
二週間も登っていると、スイスイ登れてしまう為、逆に退屈になり、新しい道を模索し始める。
昨日はそれで足を取られた訳だが、こういう事でもしないと、モチベーションが上がらない。
鹿島が来てくれると信じてはいるが、流石に二週間も続くと――。
「さて……昨日はあっちに行ったが、今日はこっちに行ってみるかな」
このままずっと鹿島が来なければ、俺はただの島を探索する馬鹿な男になってしまう。
――いや、或いはもうなっているのかもしれないが。
「そちらは、やめた方がいいですよ……」
一瞬、幻聴――女神の啓示かと思った。
だが振り向くと、そこには――。
「鹿島……? え……お前……鹿島……!?」
自分でも何の確認をしているのか、よく分かっていない。
それほどに、俺は動揺していた。
「他の誰に見えるというのですか……」
そう言うと、鹿島はいつものルートを歩み始めた。
「あ、おい!」
鹿島は恐ろしいほどのスピードで、あの場所へと登っていった。
「はぁ……はぁ……ついた……」
息を切らす俺とは違い、鹿島は、まるで眠るような静かな息遣いで、本土の夜景を見つめていた。
「はぁ……」
息を整え、再び鹿島に目を移す。
鹿島が居る。
ずっと待っていた鹿島が――もう来ないんじゃないかと諦めかけていた鹿島が、ここにいる。
その事実が、俺に謎の感動を与え、しばらく話しかけることが出来なかった。
「ふぅ……よし……」
いつも待機している大きな岩に座ると、鹿島は俺を一瞥してから、隣に座った。
永い永い沈黙が続く。
当初は、何を話そうかと色々考えてはいたものだが、鹿島が来たという事実が、俺の頭を鈍らせていた。
そんな俺を見かねてか、はたまた沈黙が気まずかったのか、鹿島が口を開いた。
「……嫌になりますよ」
「え?」
「毎日毎日……鳳翔さんや武蔵さん……大淀さんまで、私を説得してくるのですから……」
「説得……?」
「貴方と交流をしてあげてください……って……」
そう言うと、鹿島は大きくため息をついた。
「……それで仕方なく、来てくれたって訳か」
鹿島は返事をしなかった。
その瞳はずっと、本土の夜景を見つめている。
「そうか……。それは……悪いことをしたな……」
「……何故貴方が謝るのですか?」
「俺が不甲斐無いから――見てられないものだから、皆が行動を起こした。俺がもっとしっかりしていれば、お前にそんな思いをさせずに済んだのかもしれないと思ってな」
それを聞いた鹿島は、何やら下唇をキュッと噛み締め、何かを思っていた。
「俺はてっきり、自主的に来てくれたのだと思っていたよ。毎日毎日、ここに来ている俺に折れてくれたのだと」
「……驕りもいい所ですね。私が貴方に同情するとでも……?」
「あぁ、お前はすると思っている。そうでなければ、あの時の風呂敷包みは、玄関に置かれていなかっただろう」
「……あれはそう言う意味では」
「じゃあ、どんな意味だったんだ?」
鹿島は何か答えようとして――だが何も言えず、閉口した。
「とにかく、お前がここに来てくれた理由は分かった。悪かったな。あいつらには、俺から言っておく」
そう言って立ち上がると、鹿島はやっと俺を見た。
「交流……しなくていいのですか……?」
「する気が無いようだからな。俺が今まで交流を成功させてこれたのは、あいつらが少しでも俺に関わろうとしてくれたからだ。関わろうとする気持ちをこじ開けたからこそ、成功して来れたんだ。お前のように、嫌々や苦しみから逃れるために来てくれた奴を説得できるほど、俺に能力はないよ」
そう言って、弱弱しく笑ってやると、鹿島は目を逸らす様にそっぽを向いた。
「明日もここに居る。もし気が変わったら、同情してくれることがあったら、来てくれると嬉しい。じゃあ、悪かったな……。お休み」
目を逸らし続ける鹿島を尻目に、俺はその場を後にした。
足を気遣いながら下っていると、急に何かに腕を取られた。
「うぉわ!?」
熊か何かと思い、振り向くと――。
「か……鹿島……?」
鹿島は手を離すと、何も言わず、俯いた。
「……気が変わったか? 同情したか?」
鹿島は何も言わず、再び登り始めた。
今度はゆっくりと、俺のペースに合わせながら――。
先ほどと同じように岩に座る。
鹿島も、同じように。
そして、やはり本土の夜景に目を向けるのであった。
「呼び止めてくれてありがとう。嬉しかったよ」
鹿島は答えない。
或いは答えられないでいるのか。
「……話をしてもいいか?」
鹿島はゆっくりと首を縦に振ると、俺の言葉を待った。
「ありがとう」
一呼吸おいてから、俺は話を始めた。
「正直に話す。俺は、俺の力だけでは、駆逐艦と交流を深めることが出来ない。お前の協力が必要だ」
鹿島に反応はない。
俺は続けた。
「お前に協力して貰う為、俺はお前と交流を持とうと思った。尤も、島の艦娘を全て島から出すのだから、お前との交流は必然ではあったのだが……。しかし、お前は何故か、異常に思える程、人間を避けている。最初は、ただ死を恐れ、人間を避けているのかと思った。駆逐艦を守る為であるのだと思った。だが、あの日……お前が風呂敷包みを持って来たあの日を境に、そうではないのかもしれないと思い始めた」
鹿島は夜景から目を離すと、じっと、自分の手を見つめていた。
「八百万豪……」
その名を言った時、明らかに鹿島の目の色が変わった。
「山風から聞いたよ。お前と香取さん……そして、八百万豪という男の事を……」
鹿島は深く目を瞑ると、震える手を胸に当てた。
「その男をめぐる色恋沙汰によって、香取さんは島を出ていったと聞く。その男を追って……」
雲に隠れていた大きな月が顔を出し、二人を照らした。
「お前が俺を避けるのは、その事と何か関係があるのではないか……?」
鹿島はゆっくりと目を開けると、震えの止まった手を膝に置いた。
「俺に……話してくれないか……? 何があったのかを……。お前の事を……」
鹿島は口を開かない。
ただ、小さく下唇を噛むだけであった。
「……分かった。じゃあ……俺から話すよ」
「え……?」
「俺の事を話す。正直、話したくはないが……。それはお前も一緒だと思う。だから、フェアに行こうじゃないか」
そして俺は、自分の事を全て話した。
俺の正体。
この島へ来た目的。
その経緯に至るまで――まだ誰にも話していないことさえ、鹿島に話してやった。
その間、鹿島はじっと俺の瞳を見つめ、静かに聞いてくれていた。
「――以上だ。悪いな、つまらない話で……。だが、俺にとっては大事な事で――本当は誰にも知られたくないことであったのだ……」
鹿島の目は、もうすっかり同情の色に変わっていた。
「……そうだったのですね」
「聞かせておいて悪いが、皆には内緒にしておいてほしい……」
「……言いませんよ。むしろ……良かったのですか……? そんな大事な事を私に話してしまって……」
「それだけの事を聞き出そうとしているのだと、分かっているつもりだ。むしろ、俺のこんな話では、釣り合わないのではないかと、思っているくらいだ」
「そんなことは……」
いつの間にか、俺と鹿島の距離は近づいていた。
物理的にも、精神的にも――。
「優しいんだな……」
「……私は別に、優しくはありません。現に、貴方を傷つけてしまいました……」
「……それは、八百万豪や香取さんにも言える事か?」
一瞬の静寂。
潮風が、鹿島のツインテールを揺らした。
「鹿島……」
「…………」
「聞かせてくれないか……? お前の事を……」
深く目を瞑る鹿島。
永い沈黙が続く。
やがて、意を決したのか、目を開き、本土の夜景に目をやりながら、鹿島は語り始めた。
あれは、佐久間さんが亡くなってから、数か月後の事でした。
新しい方が出向してくると聞き、私と香取姉は、その対応をすることになりました。
本来は大淀さんのお仕事なのですが、佐久間さんの事があった後ですから、大淀さんは――。
「鹿島、貴女も辛いでしょうけれど、大淀さんが塞ぎ込んでいる今、私たちが頑張るしかないのよ」
「分かっています……。でも、大丈夫でしょうか……。新しい方のお名前、八百万豪さん……ですよ……。もしも、とても怖い方だったら……」
そんな事を話していると、一隻の船が到着しました。
「香取姉ぇ……」
「大丈夫よ……」
重さんの後に、体の小さな男の人が降りてきました。
最初は、重さんの息子さんかと思いました。
それほどに、海軍の方とは思えないほど、何とも頼りなく見えたのです。
「八百万豪です。よろしくお願いいたします」
深々とお辞儀をするその姿に、私と香取姉は、不安な顔を見合わせたのをよく覚えています。
島に来てしばらくして、八百万豪さんは――どうも言いにくいので、呼んでいた『提督さん』とさせてもらいますね――提督さんは、すぐに皆さんと仲良くなりました。
尤も、『提督』や『司令官』のような器ではないと判断されたのか、『ごっちん』なんてあだ名をつけられるほどで――とにかく、友達のような存在だと認識されたのだと思います。
ただ、それで仲良くなったからと言って、いい事ばかりではありません。
「提督! ここにいらしたのですね……。全く……」
「香取さん」
「備品の申請、本土へ向かう時に、一緒にしてと欲しいと申し上げたはずですが……?」
「あ~……そう言えば……。すみません……失念していました……」
「失念って……。はぁ……そんな事だろうと思いました……。大体貴方は……」
こんな感じで、少しだらしないというか、覇気がないというか……。
香取姉が居ないと、危なっかしい人でした。
「はぁ……聞いて鹿島……。提督ったら、またあの書類を――」
「そうなのですね……。香取姉も大変ですね……」
「そうなのよ……。本当、だらしのない人ですわ……」
私はいつも、香取姉の愚痴を聞く係でした。
「また失敗してしまった……。香取さんに怒られる……」
「大丈夫です、提督さん。私も一緒に謝りますから」
また、提督さんの慰め役でもあったのです。
提督さんは、中々上手くいかないことばかりで、いつも香取姉を怒らせて……。
香取姉は、そんな提督さんにしっかりしてもらおうと、お叱りを続けていました。
そんなことが続いたある日の事です。
朝、誰かが怒鳴り合っているような声で目が覚めました。
何事かと声の方へと向かってみると、そこには香取姉と提督さんが居ました。
「僕だって努力しているんです! それをまるで何もしていないかのように……。何もそこまで言う必要ないじゃないですか!」
「実を結ばない頑張りは努力とは呼べません! 大体、提督にはやる気が見られません! 頑張っただけで満足されていては困ります!」
「お、お二人とも、一体、どうされたというのですか?」
私が割って入ると、二人はそれぞれ、相手に対しての不満を口にしました。
簡単に言うと、いつものように提督さんが失敗し、それを香取姉が責めたようで――けれど、それは提督さんのミスというよりも、そもそもの仕組みが悪いようで――とにかく、流石の提督さんも、自分ばかり責める香取姉に、堪忍袋の緒が切れた様子でした。
「もうウンザリです……。僕だって、本当はこんな仕事……したくないんだ……」
そう言って、提督さんは飛び出していきました。
「提督さん! か、香取姉……」
「……放っておきましょう。ああいう人なのよ……。全く……」
呆れる様な口調ではありましたが、香取姉もどこか、言い過ぎてしまったというような、複雑な表情を浮かべていました。
飛び出していったと言っても、この島の中ですから、提督さんはすぐに見つかりました。
「やっぱりここだったのですね」
「鹿島さん……」
提督さんは落ち込むと、いつも、『この場所』に来ていたので――案の定でした。
「……何の用ですか? また慰めに来てくれたのですか?」
「そんなところです……」
「……ありがたいですけど、それに甘えては、僕はやっぱり駄目な男のままなのだと思います。だから、今日ばかりはそっとしておいてください。大丈夫、あとでちゃんと戻って、香取さんに謝りますから」
そう言うと、提督さんは弱弱しく笑い、本土の景色に目を戻しました。
「……あの、先ほどの事ですけど。仕事、本当はしたくないって……」
「あぁ……別に、皆さんと一緒に居るのが嫌だとか、そういう事ではありません。ただ、上のやり方にウンザリしているというだけで……」
「上のやり方……ですか?」
「えぇ……。僕がこの島に来た時、疑問に思いませんでしたか? こんな情けない男が、どうしてこの島に来れたのだろう……って……」
私は何も言えませんでした。
その通りでしたから……。
「僕がここに来たのは、新しい試みというか……実験の為なんです」
「実験……ですか……?」
「この島に出向する人間は、そのほとんどが優秀で、艦娘を島の外へ導く、リーダーシップを持った人間が選ばれてきました。しかし、そんな人間だけでは導けない艦娘もいます。人間を恨む艦娘や、人間よりも優れていると思っている艦娘――心当たりがあるかと思います」
確かに、そういう艦娘がいるのも事実でした。
――ちゃんや――さんなど、とにかく、癖の強い艦娘は、あの佐久間さんにも、完全に心を開くことをしませんでした。
「そこで僕なんです。知っての通り、僕は何をやっても駄目で――しかし、それが却って良かったようで、海軍は実験的に、僕をこの島へと出向させたのです。今までとは真逆の性格を送り込めば、或いはそういった艦娘の心を動かせるかもしれない……と」
「……無理やり、連れてこられたという事ですか?」
「いえ……断ることもできました……。でも……馬鹿にされたのが悔しくて……。情けない自分が許せなくて……。この仕事を受け、成功すれば、僕を馬鹿にしてきた連中を見返すことが出来ると思って……」
「それで……この島に……」
「ただ、情けない自分を武器にしたくはなかった……。新しい試みなんて――実験なんてしたくはなかった。この島で成長して、成長した僕の力で、艦娘を外に出したかった。だから、たくさん努力したつもりです……。でも……やっぱり駄目でしたね……。香取さんの言う通り、結果が出なければ、それはただの足掻きなんです……。結局僕は、モルモットのように、僕本来の仕事をするしか道はないのかもしれません……」
何か慰めの言葉を言おうとした時、後ろから声がしました。
「そんなことはありません……」
声の主は、香取姉でした。
「香取さん……」
「今のお話……全て聞いていました……。そんな事とは知らず、私は……」
「……いえ、香取さんの言っていることは事実ですから。それよりも……」
「「ごめんなさい」」
二人の声が重なりました。
「どうして提督が謝るのですか……」
「香取さんこそ……。悪いのは僕です……。香取さんは、僕を想って言ってくれたのに……」
「それでも、言い過ぎたことは事実です……。もっと……提督の立場を考えていれば……」
「いえ……しかし――」
「だとしても――」
それから二人は、時間をかけ、お互いに対して思う事や自分たちが持っている信念など――とにかく、色々な事を話しました。
遠慮も何もなく、本気で思いを打ち明けていました。
それは夜が明けるまで続き、陽が昇る頃、香取姉と提督さんは、お互いをよき理解者と認識できるほどに、心も体も近づいていました。
「僕は、艦娘を島から出して見せます。実験や試みなんて関係ない、僕の力で……。だけど、僕の成長には、香取さん、鹿島さん、貴女たちの力が必要です……。こんな情けない僕ですけど……これからも力になってくれますか……?」
私も香取姉も、答えは一緒でした。
そこから、私たちの関係は始まったのです。
そう、あの時から――。
提督さんは、今まで以上に努力するようになりました。
失敗することも多かったけれど、それでも諦めることはせず、前に進もうと努力していました。
そんな提督さんを香取姉は献身的に支え続けました。
私はというと、いつもと変わらず、提督さんが落ち込めば、慰めることしかできませんでした。
私たちは毎日欠かさず、反省会と称し、『この場所』を訪れていました。
あれが駄目だったとか、こうすれば良かっただとか――。
その度に、心の距離は縮まって――けれどそれは、あまりにも近すぎたようで――。
ある日の晩の事です。
香取姉が私の部屋を訪ねてきました。
「香取姉、どうしました? こんな夜遅くに……」
「鹿島……。私……変なの……」
「変?」
「えぇ……」
話を聞くと、ここ数日、心が締め付けられているような、そんな感覚に襲われる事が多いそうで、その正体が分からず、不安で眠れていないとのことでした。
「艦娘は病気にならないでしょう……? なのに……私、怖くて……」
香取姉が怯える姿を見せるのは、後にも先にもその時だけでした。
「どういう時に、その症状が出るのですか……?」
「どういう時……」
香取姉は、思い出すかのようにして、目を瞑りました。
「そうね……。将来の事を考えた時かしら……」
「将来……ですか……」
「もし、このまま提督が成長して、島の艦娘を全て『人化』出来たら、この関係は、どうなってしまうのだろうって……」
「どうって……」
「この関係は、仕事だから成り立つのであって、その仕事が済んだら……提督は私たちに会ってくれなくなるんじゃないかって……」
「そんなことは無いと思いますけど……」
「でも、今の関係はそういう事でしょう……? 私は……」
そう言って、香取姉は胸に手を当てました。
その時私は、気が付いてしまいました。
香取姉は、提督さんに恋をしてしまったのだと。
仕事だけの関係ではなく、心から繋がるような――恋人のような、確かな関係を欲してしまったのだと――。
「香取姉、それはね――」
私は、香取姉にその事を伝え、応援することにしました。
「――きっと提督さんなら、香取姉の気持ちに応えてくれるはずです。私も、香取姉と提督さんが上手くいくよう、応援します!」
「鹿島……。ありがとう……」
それから私は、事あるごとに理由を見つけては、香取姉と提督さんを二人っきりにしました。
反省会も、駆逐艦の相手をすると言って、行かないこともしばしば……。
「今日、提督にお弁当を食べていただいたの。美味しいって言ってくださったわ」
「頑張った甲斐がありましたね。この調子で提督さんのハートを掴みましょう!」
「えぇ。鹿島、本当にありがとう。いつもいつも協力してもらっちゃって……」
「いえ、お二人の為ですから!」
事は順調に進んでいました。
そう、あの日の事が起こるまでは……。
ある日、私は、提督さんに『この場所』へと呼び出されました。
行ってみると、そこには提督さんだけしかおらず、呼び出されたのは私だけのようでした。
「提督さん? わざわざこの場所まで呼び出して……何かありましたか? 香取姉に言えないことでも?」
「えぇ……まあ……そんなところです……」
香取姉に言えないこと。
歯切れの悪い提督さん。
私は、ハッとしました。
もしかしたら、香取姉の努力が実を結び、提督さんも香取姉を好きになったのだと、そう伝えるために、私を呼び出したのだと思いました。
香取姉を好きになったから、恋を応援してほしい――そう言われるのだと思いました。
けれど――。
「鹿島さん、最近、僕の事を避けていませんか……?」
「え?」
「反省会もあまり参加してくれないし、前のように話しかけてくれることも、少なくなった気がします……」
「そんなことは……」
実際は、提督さんの言う通りでした。
私は提督さんを避けていましたし、香取姉と話す機会を多くするために、なるべく私からは話しかけないでいました。
「何故ですか……? 僕、何か失礼な事をしてしまいましたか……?」
「いえ、ですから、そんなことはなくて――」
いくら説明しても、提督さんが納得することはありませんでした。
「――どうしてそこまで、私にこだわるのですか? 提督さんのお仕事であれば、香取姉が完璧にサポートしてくれています。私は、何も出来ていませんよ……?」
「……貴女でなければいけないのです」
「どうしてですか?」
提督さんは、何やら拳を握りしめて、俯いてしまいました。
「提督さん?」
「鹿島さん……」
「は、はい……」
「僕は……」
あの時の事は、今でも時々、夢に出てくるくらいで――それほどに、私にとっては衝撃的な事でした……。
「僕は……鹿島さんの事が好きなんです……! 異性として……一人の女性として……!」
そこまで言うと、鹿島は黙り込んでしまった。
「……好きだったのか? お前も、そいつの事を……」
鹿島は少し躊躇った後、首を横に振った。
「香取姉のような、恋愛の対象として見たことはありませんでした……。ただ……一人の人間としては……」
その先を鹿島は言わなかった。
「それから、どうしたんだ?」
「……結局、提督さんの告白に対して、私はただ「ごめんなさい」「恋愛対象として見ることは出来ません」と返す事しかできませんでした……。ここで断っておけば、提督さんも諦めてくれると思ったからです……」
「……香取さんの為に、そうしたのか?」
「……はい」
返事に、少しの溜めがあった。
これはあくまでも憶測ではあるが、香取さんの気持ちを知らなければ、鹿島もその男の事を好きになっていたのではないのだろうか。
首を振る前の少しの躊躇い。
告白に対する、徹底的に相手を寄せ付けない為の返事。
その返事もきっと、相手を想って――香取さんを想って出たものではなく、鹿島自身の気持ちに決別するための返事だったのだろう。
「でも、提督さんは諦めませんでした。私との時間を無理やり作ったり、何度も告白を受けました……。その度に、私は告白を断り、提督さんを避け続けました。そんな態度を取っているものですから、香取姉が怪しまないはずがありません……」
鹿島は一呼吸置くと、再び話を始めた。
「鹿島、貴女、最近提督と一緒に居るのを見かけるけれど……。何をしているの……?」
その目は、完全に私を疑っているような目でした。
「……別に何もしていませんよ。ちょっとした世間話をしていただけです」
「……そう。ならいいのだけれど……」
その頃の提督さんは、所かまわず私に話しかけてきては、遠回しに告白をしてきました。
だから、駆逐艦の子たちの中には、私と提督さんが恋人のようだと言う子もいるくらいで――今思えば、それは提督さんの策略だったのかもしれません。
「最近の提督は、何だか貴女の事ばかりを気にしているものだから……」
「気にし過ぎですよ。私とお話ししている時でも、香取姉の事を話していますから」
「そうなの?」
「えぇ!」
嘘でした。
けれど、私は、香取姉を傷つけたくなかったのです。
告白されたことも黙っていました。
「…………」
だけど、それが良くなかったのでしょう……。
ある日の事です。
寮に戻ると、皆さんが何やら輪になって集まっていました。
「皆さん、どうされたのですか?」
輪の中心には、香取姉が居ました。
「香取姉?」
顔をあげた香取姉の目には、涙が――そしてその表情は、今まで見たことが無いほどに、怒りに満ちていました。
「鹿島……!」
香取姉は立ち上がると、私の胸倉を掴んで、壁に追い込みました。
「か……香取姉……!? い、痛い……放して……」
「鹿島……貴女……ずっと私を騙していたのね……!」
「え……?」
「今日……提督から呼び出されて……「鹿島の事が好きだから、この恋を応援してほしい」と言われたわ……。そこで全てを聞いたのよ……。貴女が提督に告白されたことも――全て……!」
私もどうして、こうなることを予想できなかったのか……今でも後悔しています……。
香取姉の事を相談してくると、あの時に予想できたのにもかかわらず、どうして逆の事は――と。
「私を応援するだなんて言って……。貴女は提督の気持ちを知っていたのに……。よくも弄んでくれたわね……!」
「ち、違います……! 私は……本当に香取姉を応援して……!」
その時、騒ぎを聞きつけた武蔵さんが飛んできました。
「何をしている!? やめないか!」
武蔵さんに引きはがされ、香取姉はやっと私を放しました。
けれど、その目は私を睨んだままでした……。
「返しなさいよ……! 私の……私の悩んだ時間を……! 苦しんだ時間を……!」
「香取姉……ごめんなさい……ごめんなさい……」
「う……うぅぅ……」
涙する香取姉に、私はただ謝ることしかできませんでした。
「それは……」
俺が何を言おうとしたのかが分かったのか、鹿島は言葉を重ねるように言った。
「分かっています……。事情を知った皆さんも……私は悪くないのだと言ってくれました……。でも……私がもし、告白されたことを香取姉に言っていれば……結果が変わっていたことも事実ですし……提督さんが自殺することも……」
そう言うと、鹿島は深く目を瞑った。
「……知っていたのか。自殺したことを……」
「えぇ……。次に島へ来た方から聞かされました……。私のせいで、提督さんが自殺をしたのだと……」
「そう言われたのか……?」
「お前は人間を貶める悪女だと……。そう言われても……仕方が無いと思いました……」
鹿島がハニートラップを仕掛けてくるというのは、そこから来ていたのか……。
「あの日を境に、私と香取姉が顔を合わせることはなくなりました……。事情を知った皆さんは、私たちではなく、なぜか提督さんを責め始めました……。迷惑がっている私に、無理やり近づいただとか……香取姉を傷つけたとか――セクハラをしただなんて噂まで飛び交いました……。そんなことが続いたものですから、提督さんは心身ともに疲労して、とうとう本土へと戻ってしまいました……。そして、それを追いかけるようにして、香取姉も出て行ってしまったのです……」
その後の事は、俺の知っての通りだろう。
鹿島も語ることはしなかった。
だが、一つだけ分からないことがある。
「その事と、お前が人間を恨むのに、どういった関係があるんだ? 今の話だと、人間を恨むというよりも、むしろ……」
その時、俺はハッとした。
香取さんの事を想い、自分が告白されたことを黙っているような、そんな優しい奴だと知ったからこそ、気が付いたことであった。
「……もしかして、お前が人間を恨むのは、お前自身が人間との関わりを絶つためか……? 同じ過ちを繰り返してはいけないという……お前の優しさか……?」
鹿島は、首を大きく横に振った。
「……優しさなどではありません」
「だが、認めるんだな……。人間を恨む、その理由については……」
鹿島は何も言わなかった。
だが、間違いなく、それが答えであった。
「……そうか。そういうことだったのか……」
いつも見せるあの顔も、突き放す様なあの言葉も――全ては、鹿島が俺を想っての行動であったのだ。
そんな事も知らず、俺は――。
「……ごめんな」
「え……?」
「お前は、そうやって一人で戦ってきたのに……俺は、何も知らないで、駆逐艦との交流が出来ないからと言って、お前を利用しようとした……。俺を守ろうとしてくれていたのに……」
「そんなことはありません……。そもそも、私は……」
そこまで言うと、鹿島は閉口した。
「私は……なんだ?」
永い沈黙が続く。
本土の夜景は、その光を徐々に減らしていった。
「二週間……」
「え?」
「今日までの二週間……貴方はずっと、この場所に来ていましたね……」
「あ、あぁ……」
「実は私も……この場所に来ていたのです……。貴方は気が付かなかったかもしれませんが……」
「来ていたって……二週間ずっとか!?」
「えぇ……。雨が降った時も――貴方が怪我をした昨日も、ずっと、近くに居たのです……」
嘘をついているのであれば、大したもんだと思った。
だが、鹿島の目に偽りはない。
「……驚いたな。そうか……ずっと近くにいたのか……」
俺は思わず笑ってしまった。
「ずっと、お前を待っていたんだぜ。諦めかけたこともあったんだ」
「知っています。ずっと、見ていましたから……」
鹿島は立ち上がると、夜空を仰いだ。
その表情は、どこか――。
「私がこの場所に来るのは、戒めの為なのです……。提督さんを悪者にして、死に追いやってしまった自分への……」
「戒め……」
「けれど……何度自分を戒めても……自分の罪が消えることはありません……。だからと言って、罪を背負う事を止める事は出来ません……。私はこのままずっと……一人で……苦しんでいかなければならない……。そう思っていました……。だけど……」
鹿島は再び、俺を見つめた。
「ずっと一人で居なければいけないと思っていたその場所に……貴方が居た……。一度だけではなく、毎日毎日……来る日も来る日も……。雨が降ろうが、怪我をしようが、貴方はそこに『居てくれた』」
鹿島の表情が、徐々に崩れて行く。
「それが……嬉しかったのです……。貴方にその気は無いのは知っています……。けれど……私は救われた気がしたのです……。その献身的な態度……諦めないその姿……。今までの『提督さん』とは、違う……そう思いました……。だから……だから私は……」
言葉を詰まらせる鹿島。
何か言いたいことがあるのだろうが、口には出せないでいるようだった。
「だから……だから……私は……」
俯き、拳を握るその姿は、何かに耐える様な――大きな不安に耐える様な――そんな風に、俺には見えた。
「鹿島」
立ち上がり、震えるその肩を落ち着かせるようにして、手を置いた。
「大丈夫だ。話してみろ」
そう言って笑って見せると、鹿島は安心したのか、ぽろぽろと涙を流しながら、言葉をこぼした。
「だから私は……貴方が……私の罪を一緒に……背負ってくれる人なのかもしれないと……思ったのです……。そしてそれに……縋ろうと……考えてしまったのです……」
大粒の涙が頬を伝い、やがて地面を叩いた。
何粒も、何粒も――。
「謝らなければいけないのは私の方です……。利用しようとしたのは私の方です……。貴方は怪我をしてまで私を待っていてくれたのに……。私は……消えない罪を……貴方にも背負わせようとしたのです……。あまつさえ……その事を隠す為に、嘘までついて……」
「じゃあ……嫌々ここに来たってのは……」
それが嘘だと言わんばかりに、鹿島は首を縦に振った。
「……そうか」
鹿島を慰めるように、俺はその肩を抱いてやった。
「お前はずっと……自分を救ってくれる人をここで待っていたのだな……。だけど、それを求めることは、人間と関わること――同じ過ちを犯す事だと、お前は踏み込めないでいたんだな……」
鹿島は涙を拭くと、首を横に振った。
「違わないだろう。もういいんだよ。そうやって一人で抱え込まなくて……。お前がどう思おうが、俺はもう一緒に背負う覚悟を持ってしまった。お前も知る通り、俺は諦めの悪い男だ。だから、否定しても無駄だぜ」
それを聞いて鹿島は再び泣き出してしまった。
だが、先ほどとは違い、その泣き声は大きく、それでいて、止むことはなかった。
「ずっと、我慢してきたんだな……」
涙は枯れることを知らなかった。
このまま一生、泣き続けるんじゃないか――そう思うほどに――。
本土の夜景が点々とし始めた頃、鹿島はようやく泣き止んだ。
「落ち着いたか?」
俺の問いかけに、鹿島は小さく頷くだけであった。
「……ずっと、泣き出したい気持ちだったんじゃないか? でも、自分自身がそれを許さなかった……違うか?」
「……そうかもしれません。私は……私自身の罪を背負っているだけだから……。泣いて苦しみを訴える事すら……許されないことだと……」
許してくれる人もおらず、裁いてくれる人もいなかった。
だから、自分の首を絞め続けるしかなかった。
いつまでも、いつまでも――。
「雨宮さん……」
「なんだ?」
「私は……私は……どうすればいいのでしょうか……? どうすれば……私は……悲しんだり……泣くことを許されるのでしょうか……?」
自分を許す。
簡単な事ではある。
だが、一度でも自分を戒めた奴は、きっと一生をかけても、自分を許すことなど出来ないのだろう。
「仮に、俺が神様で、お前を許したとしても、お前はお前自身を許すことは出来ないだろう」
鹿島は絶望の表情を浮かべながら、俯いた。
「自分に科した罪は消えない。許されることはない。だが、苦しみ続ける必要もないんだ」
鹿島は顔をあげると、言葉を待つように、俺を見つめた。
「罪を消したり、許されること……。それだけが、苦しみから――戒めから逃れる唯一の方法という訳でもない。お前が苦しいなら、それを共有する奴が居てもいい。共有してはいけないなんて、何処にも――誰も――ないのだから」
それでも、鹿島の表情は不安に包まれていた。
何を考えているのか、俺には分かっていた。
「俺は、その共有する第一号になるよ。きっと、俺と同じように、お前の苦しみを半分に――もっと小さくしてやりたいと、一緒に共有してくれる奴が、たくさん出てくるはずだ。そうでなくても、俺がいる。居続ける。もう一人で苦しむことは、絶対にない。だから、安心していいんだぜ」
そう笑って見せると、鹿島は再び泣きそうな表情を見せた。
「……いいのでしょうか? こんな……貴方に酷いことをしてきた私が……こんな……」
「それを決めるのはお前自身だ」
俺は鹿島の手を取ると、その潤んだ瞳を真っすぐ見つめた。
「鹿島」
「はい……」
「俺に、お前の苦しみを背負わせてくれないか?」
鹿島の頬に、涙が伝う。
先ほどとは違い、小粒で、細い線を描く涙であった。
「――……」
強い風が吹いて、鹿島の言葉をかき消した。
だが、その言葉が聞こえずとも、俺にはハッキリと、鹿島の気持ちが伝わっていた。
「――ありがとう、鹿島」
そう言って、俺はそっと、鹿島の涙をすくってやった。
枯れることを知らない涙をいつまでも――。
家に戻る頃には、もうすっかり空も明るくなっていた。
「流石に眠いぜ……」
寝室へと向かう途中、居間に寄ると、そこには夕張が居た。
「……お帰り」
「ただいま……って、どうしてお前が居るんだ?」
「提督の帰りを待っていたのよ……。昨日からずっとね……」
そう言う夕張は、どこか眠そうであった。
「昨日からって……何か用事でもあったか?」
そう問い掛けると、夕張は膝を抱え、黙り込んでしまった。
ふと、昨日、俺があの場所へ向かう事に、夕張が納得していなかったことを思い出した。
――なるほど。
「心配して、待っていてくれたのか?」
夕張は何も言わなかった。
「……そうか」
俺はそのまま居間の畳に寝転がった。
「……上手くいったの? 鹿島さんとの交流……」
「上手くいったかどうか、そういうことはよく分からんが、とにかく、鹿島は来てくれたよ」
「そう……。どんなことを話したの?」
「色々だ。とにかく、色々……ふわぁ……」
俺が大きな欠伸をすると、夕張も同じように欠伸をした。
そして、これまた俺と同じように寝転がった。
「今は……とにかく眠くて……。心配して待ってくれていたのに……悪いが……話はひと眠りした後にさせて欲しい……」
そう言って目を瞑る。
体の力が抜けて行く。
「……ねぇ、もうあの場所に行かなくていいの?」
「いや……鹿島があの場所に行くというのなら、俺も一緒に行こうと思う……。そんな約束をしてきた……」
「なにそれ……?」
「ふわぁ……夕張……それ、後じゃないと駄目か……? 俺はもう……限界だ……」
「後にしてもいいけど……。これだけは約束して……。絶対に……無理はしないって……」
「分かった……。約束するよ……」
徐々に意識が遠のいていく。
「絶対よ……」
「あぁ……」
適当な返事。
もはや、夕張が何を言っているのか、よく分かっていなかった。
「提督……」
「ん……」
「――……」
夕張が何か言ったのを最後に、俺は意識は夢の世界へと旅立った。
顔に何か違和感があり、目を覚ます。
「んぁ……?」
「わぁ!?」
「ふわぁ!?」
驚きの声をあげたのは、皐月と卯月であった。
「皐月……卯月……? お前たち……どうしてここに……」
起き上がると、そこら中にペンが落ちていることに気が付いた。
「なんだこりゃ……?」
状況が理解できないでいると、皐月と卯月は、何やら俺を見てクスクスと笑い出した。
「起きちゃいましたね」
声の方を見ると、そこには鹿島の姿があった。
「おはようございます」
「お、おはよう……」
戸惑う俺に、鹿島は手鏡を渡した。
自分の顔を映してみると――。
「な、なんじゃこりゃ!?」
驚愕と同時に、皐月も卯月も吹き出す様に大笑いした。
俺の顔は、滅茶苦茶な落書きで埋め尽くされていたのだった。
「鹿島!?」
「うふふっ、ごめんなさい。気持ちよさそうに寝ていたものですから」
そう言って笑う鹿島。
駆逐艦二隻も笑っている。
「…………」
俺はまだ夢でも見ているのかと思い、頬をつねった。
しっかりと痛みが走る。
一体、何が起こったのか。
まるで世界がひっくり返ったかのような……。
そんな俺の心を知ってか、鹿島は言った。
「夢ではありませんよ。ちゃんと、私たちはここにいます。ね、二人とも」
二隻が頷く。
まだ呆然とする俺に、鹿島は真剣な表情で向き合った。
「お二人には事情をお話ししました。雨宮さんは、他の人間とは違うんだって……。そして、私の事も……。貴方が私を救ってくれたことも……全て……」
「鹿島……お前……」
「私も……雨宮さんの力になりたいと思ったのです。貴方が私の罪を共に背負ってくれるというのなら……私も……貴方の苦しみを共有したいと思ったのです……。だから……」
その気持ちを理解しているのか、駆逐艦二隻は鹿島に寄り添った。
「私に出来ることなんて……これくらいしかないけれど……。それでも……共に歩んでくれますか……?」
鹿島の姿を見て、駆逐艦二隻も、まるで自分の事のようにして、頭を下げた。
「お願いします!」
「お願いしますぴょん!」
如何に鹿島が駆逐艦たちに愛されているのかが、よく分かった。
それと同時に、やはり、鹿島がキーマンであったのだと――そう実感した。
まだ頭が状況に追いついていないが、とにかく――。
「……あぁ、もちろんだ。こちらこそ、よろしくな。鹿島」
差し出された手を鹿島はしっかりと握った。
「はい、よろしくお願いいたしますね! 提督さん! うふふっ」
この島に来てから、ずっと鹿島のふくれっ面ばかり見て来たものだから、その真っ白な笑顔に、俺は思わずドキッとしてしまった。
「では、また」
「司令官、またね!」
「おう、またな」
去って行く三隻を見送り、俺は縁側へと倒れ込むように座った。
「はぁ~……」
まだ、夢を見ている気分だ。
それに、頭も回っていない。
あんなにも苦労して、結局駄目だった駆逐艦との交流は、鹿島のたった一声で、成功してしまった。
卯月も皐月も、俺の事を司令官と呼ぶようになったし、次は第六駆逐隊も連れてくるとのことであった。
「本当……怒涛の展開に頭が回らんぜ……。お前もそうだろう? なぁ、大淀」
俺の呼びかけに、大淀は家の陰から姿を現した。
「気が付いていたのですね……」
「そりゃ、あんな熱い視線を送られていたらな。俺と鹿島、駆逐艦が上手くいっているのか、様子を見に来た……って所か?」
大淀は何も言わず、少し離れて縁側に座った。
「お陰で鹿島とも上手くいったよ。ありがとう」
「いえ……私がやらなくとも、きっと鹿島さんは、貴方と交流を持とうとしたでしょう……。最初から、貴方の事を気にかけていたようですから……」
「それはお前にも言える事なんじゃないか? 今回の鹿島の件で分かったよ。お前も鹿島も、救いを求めているんだってな」
大淀は何も言わない。
だがそれは、否定とも肯定とも取れる様な――とにかく、読めない沈黙であった。
「案外、この島に残っている艦娘ってのは、皆が皆、救われるのを待っているのかもしれない。口では否定しつつも、それを乗り越えて救ってくれる――謂うなれば、ヒーローのような人間を待っているのではないだろうか?」
「……貴方がそのヒーローだと?」
「お前はどう思う? 俺をヒーローに仕立て上げたお前は、俺をどう見る?」
大淀は俺を見なかった。
それが答えであった。
「……お前のヒーローは、お前を苦しめる要因そのもののようだな」
「……私は救いなんて求めていません」
「じゃあ、何を求める? 何が欲しくてここにいる? 何を恐れてここにいる?」
「私は……」
大淀は拳をぎゅっと握りしめると、その身を小さく震わせた。
「……やはりお前も、救われないといけないようだな」
俺がそう言うと、大淀は何も言わずに立ち上がり、足早に去って行った。
「ヒーロー……か……」
大淀の敵は、俺なのか、それとも――。
そんな大淀の姿を見ていると、俺はどうも――を思い出していけない。
「あぁ、そうか……」
そうだ。
大淀は――と似ているんだ。
だからこそ俺は、大淀に『俺を俺として見て欲しい』と思っているんだ。
奴の事を忘れて欲しいと思っているんだ。
「…………」
俺は手帳に仕舞っていた、一枚の写真を手に取った。
「――……。俺は……」
写真に写った俺の隣で、その人は優しく微笑んでいた。
永遠に――ずっと――。
目覚ましが鳴るより早く、朝から元気いっぱいな太陽に、俺は起こされた。
「ふわぁ……はぁ~……。もう朝か……」
遠くで聞こえる鶏の鳴き声。
スッキリと晴れた大きな空。
なんともご機嫌な朝であった。
「……いよいよ今日か」
あれから数日。
鹿島と二隻の駆逐艦――皐月と卯月とも、もうすっかり仲良くなっていた。
今日はその次のステップとして、鹿島が第六駆逐隊を連れて来てくれることになっている。
昨日はその事で頭がいっぱいで、十分な睡眠がとれなかった。
「はぁ~……」
眠気と、交流が上手くいかないんじゃないかという不安が、布団の重さと共に、俺にのしかかっていた。
「……いや、今は鹿島もいるんだ。それに、駆逐艦の扱いも実践で学んできたんだ。大丈夫、大丈夫だ……」
自分に言い聞かせ、俺は大きく息を吸い込み、起きる為の気合を溜めた。
「……っし! 起きるか! おりゃあああ!!!」
思いっきり布団を剥いだ時であった。
「あんっ!」
謎の声。
そして、布団を剥いだ跡には、裸の女が蹲っていた。
「……は?」
俺の思考は、一気に停止へと追い込まれた。
「もう……いきなり剥ぐなんて……。でもお姉さん、そういう強引なのも……案外好きよ?」
同時に、カメラのシャッター音と、激しい光が俺を包んだ。
「な……!?」
発光元を向くと、そこには別の女が、意気揚々した表情で立っていた。
「『正体見たり! 島の重鎮たちを手中に納めたその手口とは!?』記事はこれで決まりですね!」
思考が音を立てて巡りだし、俺はやっと状況を理解した。
「……そういうことかよ。覚悟はしていたが、まさかこんな強引な手を使うとは、思っていなかったよ……。陸奥、青葉……」
俺がそう言うと、陸奥と青葉は、なんとも悪い表情を浮かべた。
本当、怒涛の展開だ。
一難去ってまた一難とは、まさにこの事だ。
「さて……どうしたもんかな……」
どうやら俺は『ハニートラップ』に――いや、『ハニートラップ』へと、強引にハメられたらしい。
――続く