不死鳥たちの航跡   作:雨守学

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第3話

『推定年齢』が俺の歳と重なったこともあり、俺と山風はすぐに意気投合した。

 

「海軍には若い人もたくさんいるけれど、雨宮君のように話しやすい人はいなかったから、なんだか嬉しいな」

 

そう言うと、山風は微笑んで見せた。

 

「俺も、島を出た艦娘で、同い年がいるなんて思ってもみなかったよ」

 

「本当はもっとおばあちゃんなんだけどね」

 

「なら、敬語の方がいいかな?」

 

「ううん。お友達が出来たみたいで嬉しいから、そのままがいいな」

 

俺が資料で知っている山風は、そこにはいなかった。

 

「暗いと思ってた?」

 

まるで俺の心を読んだかのように、山風は言った。

 

「正直な」

 

「よく言われるの。確かに、昔は暗かった。でも、島の外に出て、色んな人に出会って……。あたしは変わることが出来た」

 

「……後悔はないか?」

 

「うん、ないよ。たくさんのお友達が出来たし、今が一番幸せだから」

 

本当なのだろう。

目の輝きが、そう言っているようであった。

 

「島の皆にも、あたしのように幸せになって欲しいんだ……」

 

山風は遠くの島を見つめた。

 

「……雨宮君があたしを呼んだのは、鹿島さんの件だって聞いてるけど、どうしてあたしなの?」

 

「香取と一緒に島を出たのが、君だったからだ。香取と鹿島、そして、両者が取り合ったという男の事について、何か知っているのではと思ってな」

 

山風の表情が、一気に曇った。

 

「ごっちんの事……?」

 

「ごっちん?」

 

「あ……八百万『豪』(やおよろずごう)だから、ごっちん……」

 

八百万豪。

そんな強そうな名前だったのか、例の男は。

 

「そのごっちんの事について聞きたい。実は――」

 

俺は、鹿島の現状を山風に話してやった。

何か思うところがあるのか、山風は時折、「そっか……」とか「やっぱり……」と呟いていた。

 

「――という訳なんだ。何故鹿島が人間を恨んでいるのか、その理由を知りたいんだ」

 

「そっか……。分かった。じゃあ、ごっちんが島に来たところから話をするね」

 

そう言うと、山風は思い出すかのようにして、目を瞑り、語り始めた。

 

 

 

 

 

 

『不死鳥たちの航跡』

 

 

 

 

 

 

武蔵との和解から一週間ほど経った。

 

「卯月、行くよー! えい!」

 

「わわ……どこに投げてるの!? 皐月のへたっぴ!」

 

皐月の投げたボールが、俺の足元に転がって来た。

 

「ん……。ほら」

 

ボールを拾い、渡してやると、卯月はそれを恐る恐る受け取った。

 

「あ、ありが……とう……」

 

「……あぁ」

 

卯月が去って行くと、隣に座っていた鳳翔が、大きくため息をついた。

 

「……なんだよ?」

 

「あれから一週間も経っているのに……どうして仲良くなれないのですか……」

 

「……こっちが聞きたい。俺は好意的に接しているつもりだ。ボールだって持ってきてやったんだぜ?」

 

「物で釣ろうしているところがもう……」

 

呆れる鳳翔。

それを見ていた武蔵は、何やら申し訳なさそうな表情をしていた。

 

「どうしてお前がそんな顔をする」

 

「いや……私が駆逐艦に言い聞かせ過ぎたせいかと思って……」

 

「責任を感じてるって訳か……」

 

「武蔵さんの所為ではありません。提督があまりにも、子供に対して不慣れなだけです」

 

「それにしてもだ……。なんとか言い聞かせてはいるのだが……すまない……」

 

「いや……鳳翔の言う通りだ。100%俺が悪い」

 

そう言っても、武蔵は苦い顔をするだけであった。

この一週間、思いつくことは何でもやってみたが、イマイチ突破口が見えない。

子供の心を開かせるってのは、こんなにも難しい事であったか……。

 

「やはりカギになるのは、鹿島だろうな……」

 

「そうかもしれませんが、そこに頼り過ぎるのも悪い所ですよ?」

 

「思いつくことは何でもやった。もう手は無い」

 

「しかし、鹿島も中々だぞ。この武蔵とは違い、相当な覚悟を持って駆逐艦を守っている」

 

「相当な覚悟……か……」

 

それが本当に駆逐艦の為のものなのか、山風の話を聞いた今だからこそ、疑問に思う。

おそらく、その疑問の解消こそ、鹿島との交流を深めるターニングポイントとなるだろう。

 

「とにかく、まだ諦めるには早いです。こんな所で座っていないで、ボール遊びに交ざってきたらいいじゃないですか」

 

「いや……せっかく楽しんでくれているんだ。空気を悪くするのは……」

 

「そんな事だから駄目なんですよ……」

 

「ならば提督よ。この武蔵も同伴しよう。それなら二人も安心して遊べると思うのだ」

 

「武蔵……。お前、いい奴だな……」

 

「せめてもの罪滅ぼしだ」

 

呆れる鳳翔を後に、武蔵は、まるで根の暗い子供に友達を宛てがう先生の如く、俺を駆逐艦の方へと向かわせた。

 

 

 

「じゃあな」

 

「うん……」

 

武蔵と鳳翔に連れられ、駆逐艦は帰っていった。

 

「はぁ……」

 

結局、二隻と仲良くなることはなかった。

武蔵のお膳立てもむなしく、この世で最も緊張感のある玉遊びが繰り広げられるのみであった。

 

「情けない……」

 

流石に、今回ばかりは落ち込んだ。

武蔵のサポートがあってこのざまだもんな。

これだと、鹿島に取り入ったところで、なにも――。

 

「…………」

 

今までは、あいつらが勝手に転び、勝手に改心してくれたものだから良かったものの、やはりそればかりでは上手くいかないのだと、今回の件で痛感した。

信頼だって、結局は、今までの奴らと比べてマシだったというだけで、俺自身が実力で勝ち取ったものではない。

 

「何一つとして成しえていない……か……」

 

ふと、明石の言葉が頭に浮かんだ。

 

『提督に……佐久間さんに似ているなって。顔だけじゃなくて、性格も……』

 

そして、その言葉を利用しようとした、大淀との場面も――。

 

「……嫌になるぜ」

 

一瞬でも、ソレに縋ろうとした自分が許せなかった。

それでも、今こうしてみると、やはり――の信頼と言うものは、本物であったのだと思えて、なんともやるせない気持ちになった。

 

 

 

轟音に目が覚める。

外を見てみると、大雨になっていた。

 

「寝ている間に……。あんなに晴れていたのにな……」

 

武蔵たちが帰ったのが三時ごろであるから、二時間ほど眠っていたことになる。

 

「あ! 洗濯物……!」

 

時すでに遅し、物干し竿に吊らされた洗濯物は、見事にびしょぬれになっていた。

 

「……はぁ」

 

一気に気分が落ち込み、俺は力を失ったかのようにして、柱を背に座り込んだ。

こうも上手くいかない日が続くと、流石に気分が萎えてくる。

今までが上手く行き過ぎていた分、尚更――。

そんな事でぼうっとしていると、遠くの海面に、雷が落ちるのが見えた。

まばゆい光と、轟音があたりに響く。

 

「きゃ……!」

 

誰かの悲鳴。

遠くの寮の方から聞こえて来た……訳ではなく、案外近くにいる声であった。

 

「誰かいるのか?」

 

そう問いかけてやると、そいつは観念したかのようにして、家の影から、合羽姿で出て来た。

 

「……大淀か?」

 

屋根下に入り込むと、大淀は合羽のフードを脱いで、なんとも言えない表情を見せた。

 

 

 

縁側に座るよう促すと、大淀は何も言わず、素直に座った。

 

「どうした? 何か用か?」

 

「……いえ、たまたま通りかかっただけで。寄るつもりは……」

 

たまたま……か……。

この家へは一本道しかないし、一本道の終点はここであった。

永い沈黙が続く。

 

「……あんなに晴れていたのに、急だったな」

 

独り言のようにつぶやくと、大淀は退屈そうに返してくれた。

 

「ラジオで言っていましたけどね……。雷雨を伴う大雨になるって……」

 

「ラジオ……。そうか、ラジオか……」

 

家にもラジオはあるが、全く触ったことが無かった。

今度からは天気予報くらいは聴いておくか。

 

「…………」

 

雨は一向に止む気配を見せなかった。

 

「……心配になったのか?」

 

「え……?」

 

「佐久間肇が亡くなったのは、天気の荒れた日だと聞いている。雷雨を伴う大雨と聞いて、様子を見に来てくれたんじゃないのか?」

 

そう言ってやると、大淀は黙り込んでしまった。

 

「……否定しないんだな」

 

大淀はやはり答えなかった。

俺は続けた。

 

「どんな男だったんだ? 佐久間肇ってのは……」

 

その質問に、大淀の目の色が、少しだけ変わった。

 

「……立派な方でしたよ。けど、頼りなくもあって……。誰かがサポートしてあげないと、いつも危なっかしいというか……」

 

「……好きだったんだろ? 異性として……」

 

「……どうでしょうね」

 

その口元は、小さく微笑んでいた。

否定しないということが、全ての答えであった。

 

「俺も危なっかしいか。佐久間肇と一緒か」

 

「一緒ではありません。けど……」

 

大淀は言葉を呑んだ後、しばらく目を瞑り、何かを考えていた。

 

「けど?」

 

そして、何かを決意したかのように顔をあげると、俺を見つめた。

 

「けど……一緒であっても、おかしくはないのだと思います」

 

「……どういう意味だ?」

 

「そのままの意味です」

 

そう言うと、大淀は一枚の古びた写真を俺に手渡した。

そこには、若い男女二人と、小さな子供が一人、写っていた。

 

「……最初は気が付きませんでした。ただ、似ているなとは思っていました。けど、貴方の振る舞いを見ていて――写真の裏に印字されている日付を見て、確信しました」

 

見るまでも無かった。

俺は知っていたのだ。

この写真が撮られた日付を――。

 

「そこに写っているのは、『佐久間肇』とその奥様。そして、その二人の息子――貴方ですよね……?」

 

遠くで雷が一つ。

だが、大淀は怯むことなく、俺を見つめ続けていた。

 

 

 

雨は止むどころか、強くなる一方であった。

 

「……そんな話をする為に、ここに来たという訳か。だとしたら、お前も大概だよな。こんな雨の中、そんな妄想を引っ提げてくるなんて」

 

「…………」

 

「佐久間肇、確かに俺に似ているな。写真の年数から考えても、俺と同い年くらいか?」

 

俺がいくらとぼけようが、大淀は目の色を変えなかった。

 

「……この写真は、佐久間さんの遺品の一つです。彼が亡くなるまで、私は佐久間さんが既婚者だったとは知りませんでした……。けど、今思えば、駆逐艦との接し方だったり、女性の扱いが上手だったように思います」

 

「お前もその上手に扱われた一人って訳か」

 

揶揄うように言ったつもりが、却って動揺を隠す行動に見えてしまったようで、大淀は小さくため息をついてみせた。

 

「見た目と言い、癖と言い、振る舞いと言い――貴方が何故否定するのか分かりませんが、佐久間さんと瓜二つです……。ずっと見てきましたから……分かるんですよ……」

 

俺は何も言わなかった。

 

「……そんな貴方だからこそ、聞きたいことがあります」

 

「聞きたいこと? 俺が佐久間肇の息子ではないかってことか? だとしたら――」

「――違います」

 

空が光る。

遅れて、空気を切り裂くような轟音が、島を揺らした。

 

「どうして……自分が佐久間肇の息子だと……私に言わなかったのですか……? 言っていたら……きっと私は……」

 

大淀はもう確信しているようであった。

きっと、どう誤魔化しようとも、隠しきれることではないのだろう。

そう思った。

そう思ったからこそ、答えてやった。

 

「……なんてことはない。そうすることが許せなかっただけだ……」

 

大淀の目の色が、再び変わる。

 

「……認めるんですね」

 

俺は答えなかった。

だが、それが答えだと大淀も分かったのだろう。

俺から視線を外すと、じっと写真を見つめた。

 

「……一度だけ、たった一度だけ、佐久間さんが『行くぞ、しんじ』と、駆逐艦の名を言い間違えたことがあります。誰の事だって、皆は笑っていましたけれど、佐久間さんだけは笑っていませんでした。それもそのはずですね。息子の名を――隠してきた息子の名を口にしてしまったのですから……」

 

大淀は再び、俺を見た。

 

「既婚者はこの島に来れません。だから佐久間さんは、奥様と離婚した。幼い貴方をも残して……」

 

俺はわざとらしく、退屈そうな顔を見せた。

 

「どうして……彼の息子である事実が許せないのですか……?」

 

「……答える義理はない。この話はここで終わりにして欲しい。お前だって嫌だろう。自分の好きだった人が既婚者――しかも、子供までいる、なんて事実を再び顧みなければならないなんてのは……」

 

「確かに、最初はショックでした。彼の死も相まって、ずっと塞ぎ込んでいました。でも、もう十数年経ってます。流石に慣れましたし、今の私は――」

 

そこまで言うと、大淀は口を噤んだ。

代弁するように、俺は続けた。

 

「今の私は人間を恨んでいる。二度と同じショックを受けないために――人間に好意を抱かないために――自分が傷つかないために……。違うか……?」

 

大淀は深く目を瞑り、黙り込んだ。

 

「だがお前は、こうしてここにいる。俺に会いに来ている。何一つとして慣れてはいないし、今も佐久間肇の事を忘れられないでいる」

 

大淀はその矛盾に気が付いて、黙り込んでしまったのだろう。

 

「俺がもし、「お前の事を想って、このことを話さなかった」と言ったのなら、お前はどうするつもりだったんだ?」

 

大淀が答える前に、俺は続けた。

 

「言い方を変えようか。お前は、俺に何を期待している? 佐久間肇の息子である俺に、何を求めている?」

 

雨が少しだけ弱まって来た。

遠くの海では、雲の合間から光が零れている。

 

「……いや、答えなくてもいい。この話はもうおしまいだ。今日の事は忘れろ。俺も忘れる」

 

大淀はゆっくり目を開くと、悲しそうな表情で言った。

 

「……酷いですよ。忘れろなんて……。だったら、最初から認めないで下さいよ……」

 

光が広がって行き、辺りが一気に明るくなった。

 

「俺が認めなければ、お前はいつまでも進めないでいたはずだ。ずっと、俺が佐久間肇の息子なんじゃないかと考え続け、悩み続け、佐久間肇の影を追い続ける……。そうだろう……?」

 

雨が止み、俺たちの間に陽が射した。

ムワっとした湿気が、辺りを包む。

 

「俺は……俺は雨宮慎二だ。誰の息子だとか、誰の生き写しだとか、そんなことで俺を見て欲しくはない。大淀、お前にしてもそうだ。俺は、俺という一人の人間として、お前と接していきたい。この島の艦娘をお前と共に、未来へと導いていきたいんだ……」

 

大淀は立ち上がると、何も言わず、門の方へと歩いていった。

 

「大淀」

 

その呼びかけに、振り向くことはせずとも、足を止めてくれた。

 

「……心配してくれてありがとう。また、暇なときにでも、顔を出してほしい。短い時間であったが――決していい交流とは言えなかったかもしれないが――俺はお前と話せて良かったと思っている。だから……」

 

その先の言葉は言えなかった。

だが、大淀は分かってくれたのか、何か反応する訳でもなく、ただ歩みを進め、寮の方へと去って行くのみであった。

 

 

 

その日の夜、昼寝のせいで眠れずにいると、武蔵がやって来た。

 

「武蔵、どうした? お前も眠れない口か」

 

「落ち込んでいるのだと思ってな。慰めに来たんだ」

 

「フッ、だとしたら遅いぜ。もっと早く来てほしかったものだ」

 

「すまない。どうしても貴様と二人っきりで話がしたかったものでな。この時間になってしまった」

 

そう言う武蔵の手には、何やら瓶と御猪口が握られていた。

 

「酒だ。海軍の連中も律儀でな。年に一度、お神酒用に支給してくれるんだ」

 

「飲めるのか、お前」

 

「強いという意味か? それとも、法律的な意味か?」

 

「どっちもだ」

 

「まあ、たしなむ程度には飲める。法律に関しては、元々人権と言うものが無いから、我々艦娘には適用されない」

 

『推定年齢』が二十歳を超えているか以前に――そうか……。

 

「そういう貴様は?」

 

「そっちの訓練もばっちりだ」

 

海軍にはいりたての頃、これは訓練だと、先輩に吐くほど飲まされたことを思い出す。

 

「肴もいくつか見繕ってきた。気持ちよく眠れる程度に、楽しもうじゃないか」

 

そう言うと、武蔵はいつもより近づいて、俺の隣に座った。

 

 

 

酒は決して美味いものではなかったが、武蔵の添える肴のお陰で、酒が進んだ。

 

「――なんてことを言うんだ。大和は悪い奴じゃないんだが、どうも鳳翔に依存し過ぎている」

 

「ありゃ凄い睨みようだった。とりゃしないってのに」

 

「鳳翔ほどのいい女を娶ろうと考えないのか。貴様は本当に男か?」

 

「そんな事をするためにここにいるわけじゃない。まあ、いい女であることは確かだと思うが、俺はどうも見透かされているようで」

 

「では、この島であれば、どんな女が好みなんだ? まさか、駆逐艦だとは言うまいな?」

 

「まさか。そんな趣味はない。しかし好みか……。考えたこともないな」

 

「童貞か、貴様」

 

「あぁ。それどころか、交際を持ったこともない」

 

あまりにもあっさりしている俺に、武蔵はつまらなそうに、柱へ深く寄り掛かった。

 

「並ならぬ覚悟を持って、ここまで来たという訳か」

 

「モテないだけだ」

 

「モテないだけ、か……。ただ気が付かなかっただけではないのか? 実際、貴様に好意を持っている奴らもいるだろうに」

 

「心当たりがある言い方だな」

 

「明石辺りは、そうなのではないかと思うことがある。駆逐艦の勧誘に一番献身的だったのは、他の誰でもない明石であったからな。提督の為、という感じであった」

 

心当たりがあるのはそれだけではないのか、武蔵はまるで思い出すかの様に空を見上げた。

 

「いずれにせよだ。俺にその気はない。その気がないからこそ、ここにいるのだ」

 

「フッ、なるほどな。この十数年、貴様ほどの男が現れなかったのも、納得できる。それほどに、ここに来るのは容易くないということだな」

 

「俺以外の男が軟弱なだけだ」

 

そう言って酒を一気に飲み干すと、武蔵は間髪入れず、酒を注いだ。

 

「おい、酔わせてどうする気だ?」

 

「嫌なら飲まなければいいだろう?」

 

まるで煽るように、ニヤッと笑う武蔵。

 

「フッ、男を焚きつけるのが上手いな」

 

「酔えば本心が見えてくる。私は貴様を信用しているが、貴様はどうだ? 私は、どうも心の距離を感じていけないよ」

 

少し寂しそうに、武蔵は言った。

 

「急にどうした? 酔ったのか?」

 

「かもしれないな」

 

武蔵も酒を飲み干すと、催促をするようにして、御猪口を掲げた。

 

「そんなに酔って、どうするつもりだ?」

 

注ぎながら言ってやると、武蔵は微笑んでみせた。

 

「貴様を知りたいのだ。同時に、この武蔵の事を知って欲しいのだ」

 

そう言う武蔵の瞳は、酔っているせいもあってか、いつもの厳しい瞳とは違い、優しいものに見えた。

 

 

 

酒は、もう半分以上無くなっていた。

 

「流石に酔ったぜ……」

 

柱に寄り掛かり、まだまだ余裕そうな武蔵に目をやった。

 

「強いな……お前……」

 

「そんなことはない。顔に出ないだけで、大分酔っているよ」

 

「とてもそうは見えないがな……」

 

「本当さ」

 

言われてみれば、少しだけ口調がマイルドになっている気がする。

険しい瞳も、どこか優しく――何よりも、口元がずっと、微笑んでいた。

そんな姿を見たものだから――酔っていたのもあって、俺は思わず心に仕舞うはずの言葉を零した。

 

「いつもそうしていれば、女っぽいのにな」

 

言った後、我に返った。

変な汗がぶわっと噴き出る。

 

「い、いや! すまない! 今のは……!」

 

焦る俺を見て、武蔵は微笑んで見せた。

 

「いいんだ。よく言われる。むしろ、強さを求めて来た私にとっては、女性らしくない方が正解だ」

 

それは強がりという訳ではなく、本心のようであった。

 

「貴様は、男に生まれて来て良かったと思うことはあるか?」

 

「え?」

 

「私は、時々思うんだ。どうして艦娘として――女性として生まれて来たのだろうと。何かを守るには、邪魔なものが多すぎる。この胸とかな」

 

見せつける様に、胸を持ち上げる武蔵。

どう反応すればよいのか分からず、俺は黙って武蔵の言葉を待った。

 

「艦娘として、守るものがあるのはいいとして、どうして女の姿なのだろうか。いくら体を鍛えようとも、男のそれに勝てないことがあるというのが、私にはどうしてもたまらない事であった……」

 

「……それでもお前は強かった。それは今も変わらないだろう」

 

「あぁ。その気持ちがあったからこそ、私は強くなった。皆から頼られる存在となり、私に挑もうなどと考える男もいなくなった。ただ一人を除いてな」

 

そう言って、武蔵は俺を見た。

 

「挑んだだけで、実際に勝った訳じゃない。お前の弱い部分につけこんだだけだ」

 

「だからこそ強いんだ。貴様は、私がどうしても鍛えられなかったところを打ったのだ」

 

「鍛えられないところ?」

 

「心だ。男も女も艦娘も関係ない、どうしても鍛えられない場所だ」

 

「心……」

 

「思えば、貴様が挑戦を受けた時点で、私は負けていたのかもしれない。言い出したのは私とは言え、正直、貴様が受けるとは思っていなかったのだ。私の強さ、実績、噂に至るまで、貴様を脅すのには十分すぎるほどの情報を耳にしてきただろう。それなのに、貴様はあの場に立ち、私に勝利した。しかも、この武蔵を地に伏せた」

 

武蔵が褒めると、何だかむず痒くなって、俺は終始うつむき、手を揉んでいた。

 

「貴様に負け、『守る』という事の意味を知った。男も女も関係ない『強さ』を知った。私が抱いていた疑問など、とるに足りないのだと知った」

 

武蔵は御猪口を置くと、俺に近づき、そっと肩を寄せた。

 

「武蔵?」

 

「貴様は、強いな……。この武蔵を倒してしまうのだから……。負けて、とても悔しかった。けれど……安心している自分もいたのだ……」

 

武蔵は俺の手を取ると、そこに自分の手を重ねた。

 

「貴様に負けて、『守る』を知った時、私は同時に『守られる』という事を知った。相手を尊重する……それはすなわち、守られる者の気持ちを知ることだ」

 

手の中の武蔵は、とても小さく、戦いを潜り抜けて来たそれとは思えないほど、きれいなものであった。

 

「守られる……。そんな気持ち、一度も考えたことが無かった。自分を守ってくれる存在など――自分よりも強い存在など、いなかったから……。でも、それを考え始めた時、それは存在していた。貴様だ……」

 

俺は思わず笑ってしまった。

 

「ただのペテン師だぜ」

 

「それでも、この武蔵に勝ったという事実がある。それだけで十分だ」

 

武蔵は一呼吸置くと、続けた。

 

「守られると、安心するという。不安がなくなるのだという。思えば、私はいつも、不安に駆られていたように思う。不安だから鍛えるし、不安だから強くあろうと思う。貴様に負けなければ、そんな事、認めるどころか、思うこともなかっただろう」

 

俺の手が、武蔵の頬に宛てがわれた。

 

「強くあろうとする以外に、安心できることがあるのなら、私はそれを知りたいと思った……。守られるという事を知りたいと思った……。それを教えてくれるのは、貴様以外にないのだ……」

 

武蔵の目が、俺を見つめた。

いつものドライな瞳からは想像も出来ないほど、潤み、美しく光るその目に、俺は思わず息を呑んだ。

 

「提督……」

 

まるで甘える子供のように、武蔵はそっと――だが、少しぎこちなさを見せつつ、向かい合い、俺に体を預けた。

 

「……どうすりゃいいんだ」

 

「撫でてくれればいい……。そっと抱きしめて……労ってくれればいい……」

 

その注文は、「くれればいい」というには、あまりにも難易度が高いように思えた。

相手があの武蔵なだけに、尚更――。

俺は酒を一気に飲み干すと、その勢いのまま、武蔵を抱きしめ、頭を撫でてやった。

 

「……ずっと、一人で戦ってきたのだな。お前は凄いよ。だが、もう安心していい。俺がついている」

 

酒でも入っていなければ、こんな臭い台詞を吐くことなんてなかっただろう。

徐々に顔が熱くなってゆく。

だが、当の武蔵は安心しているのか、小さく「うん……」と答えると、まるで猫が頬を擦ってくるようにして、甘え始めた。

最初こそは背筋がゾクゾクとして、何だか気味が悪かったが、時間が経つに連れ、慣れていった。

 

「甘えるのも悪くないな……。むしろ……癖になりそうだ……」

 

こんな感じになってしまうんだ。

本当に、頼れる存在が居なかったのだろうな。

あの大和ですら、武蔵を頼っている。

皆が死を恐れる中、武蔵は一人で戦ってきた。

本人も、怖くないはずがないのに――。

誰も助けてくれないから、自分が強くなる。

そうすることで、武蔵自身が救われてきたのだ。

 

「…………」

 

俺に敗れ、さぞ不安だっただろう。

 

『守られる者の気持ちを知った』

 

それは、『守られる者の気持ちを考えた結果』なのではなく、『守られる者の気持ちを痛感した』という意味だったのだろう。

武蔵がそれを自覚しているのかは分からない。

だが、不安に駆られていたのは、本当なのだろう。

 

「こんな所、皆には見せられないな」

 

揶揄うように言ってやる。

武蔵は顔を赤らめると、小さく言った。

 

「貴様の前だけでは、せめてこうさせてほしい……」

 

潤んだ瞳が、まるで小動物のそれに見えて、俺は思わず――。

 

 

 

「――督、提督!」

 

「んぁ……」

 

目を覚ますと、そこには明石の顔があった。

 

「やっと起きた……。大丈夫ですか?」

 

どうやら、酒に酔ったまま眠ってしまったようだ。

体には毛布が掛けられており、武蔵はもういなかった。

 

「あー……頭いてぇ……。今何時だ……?」

 

「もう10時よ」

 

夕張の冷たい目が俺を見つめていた。

その手には、昨日の酒瓶が、空になって握られていた。

結局、全部飲んだのか……。

 

「駆逐艦との交流が上手くいってないからって、お酒に逃げるなんてね……」

 

「提督、大丈夫ですか? そうだ。お水、お持ちしますね」

 

「あぁ、ありがとう明石……」

 

台所へ向かう明石。

夕張は呆れながら、瓶を片付けた。

 

「一人でこれだけ空けるって……」

 

「いや……武蔵も一緒だ……」

 

「え……? 武蔵さんと? なんで?」

 

「慰めに来てくれたとかで……。よく覚えてないが、とにかくあいつ、凄い酒に強いんだ……」

 

「夜中まで飲んでたの……?」

 

「夜中に来たから……多分、夜明け近くまでじゃないかな……。覚えてないが……」

 

「二人で?」

 

「あぁ……」

 

夕張の視線が、より一層冷たいものになった。

 

「なんだよ……?」

 

「別に……」

 

「提督、お水です」

 

「おう、ありがとう……」

 

水はとても冷たく、胃にしみわたるようであった。

 

「それにしても、提督も結構飲まれるのですね」

 

「まあ、強くはないがな」

 

「私もです! あ、そうだ。実は私、趣味で果実酒を作っているんですけど、そろそろ飲み頃なんです。今度、一緒に飲みませんか……?」

 

「果実酒なんて作ってるのか。いいな。是非飲もう」

 

「本当ですか? えへへ、じゃあ、出来上がったお伝えしますね」

 

明石の笑顔を見て、ふと、昨日の記憶が蘇る。

 

『実際、貴様に好意を持っている奴らもいるだろうに』

『明石辺りは、そうなのではないかと思うことがある』

 

「提督?」

 

「……いや、なんでも」

 

ああいわれると、そうなんじゃないかと意識していけないな。

 

「……そういえば、備蓄庫に食材が戻っていたわよ。大淀さんが戻したみたいだけど、何かあったの?」

 

「え?」

 

 

 

備蓄庫に行ってみると、確かに食材が戻っていた。

 

「本当に戻っている……」

 

「良かったですね、提督」

 

「あ、あぁ……」

 

良かった……か……。

大淀にどんな心境の変化があったのかは分からないが、おそらくは昨日の――。

だとしたら、これはあまりいい結果とは言えないように思えた。

 

「けど、これでもう提督にお弁当を持っていくことは無くなるわけね。残念。ね、明石?」

 

「え!? なんで私!?」

 

「だって明石、最近、料理頑張ってるじゃない。それって、提督にお弁当を作ってあげるためなんでしょ?」

 

「そうなのか?」

 

「べ、別にそういう訳じゃ……。ただ、もうちょっと料理を上手く出来たらって思っただけで……」

 

「ふぅん、どうかしらね~?」

 

夕張がニヤニヤ笑うと、明石は顔を赤くして怒り始めた。

 

「夕張!」

 

「あはは、分かりやすいんだから!」

 

逃げる夕張を追うように、明石は備蓄庫を飛び出した。

本当、仲いいよな、あの二隻は。

 

「ん……? なんだこれ……」

 

ふと、食材の中に、手紙のようなものが置かれているのに気が付いた。

見てみると、俺の名前が入っている。

 

「俺宛……という訳か……」

 

開けて見てみると、そこには、手書きの島の地図が入っていた。

地図には、島の中心にある山の頂上付近にバツ印が描かれており、家から印の位置までのルートが、赤ペンで結ばれていた。

裏には小さく「2100に×の場所へ」と書かれている。

差出人は書かれていないが、食材を備蓄庫に戻したのが大淀であるのなら、これは――。

 

「…………」

 

こんな場所に呼び出して、大淀は一体何をするつもりなのだろうか。

俺の正体を知り――佐久間肇を忘れることの出来ないあいつは、一体――。

 

「提督? どうかしましたか?」

 

「……いや、なんでもない」

 

手紙をポケットにしまい、俺は備蓄庫を出た。

 

 

 

昼頃になると、鳳翔がやってきて、武蔵といつもの駆逐艦二隻が、今日は遊びに来れないのだと俺に伝えた。

 

「何かあったのか?」

 

「いえ、今日は寮で遊びたいのだと、二人が……」

 

まあ、ここ最近ずっと来ていたしな。

昨日の雨で地面もぬかるんでいるし。

 

「それと、武蔵さんの様子が少し変なんですよね。今朝からぼうっとされていて……」

 

結構飲んだからな。

流石の武蔵も、飲んだ翌日は辛いのだろう。

 

「それにしても、備蓄庫の聞きましたよ。提督、何をしでかしたのですか?」

 

「なんだその言い方……。まるで俺が大淀に何かしたみたいな……」

 

「あ、やっぱり大淀さんと何かあったのですね。私、大淀さんとは一言も言ってませんよ」

 

こいつ……。

 

「……本当、お前は鋭い奴だよ」

 

やはり見透かされているようで、俺はどうも……。

 

「何があったのか、お聞かせ願いますか?」

 

「その鋭い勘で当てたらどうなんだ」

 

嫌味っぽく言ったつもりだったが、鳳翔は真に受けたようで、何やら考え始めた。

 

「そうですねぇ……。これはあくまで勘ですけれど、提督と大淀さんって事は、きっと佐久間さん関連じゃないのかしらって……」

 

鳳翔が俺を見る。

俺は平静としていたつもりであるが、それが却っていけなかったようで――。

 

「……もしかして、提督が佐久間さんの息子だと、大淀さんが気が付いて、問い詰められた提督がそのことを認めた……。もしくは、提督自身がバラしたとか……」

 

俺は何も言わなかった。

鳳翔は察したように、小さく言った。

 

「やっぱり、あの写真に写っていたのは、提督だったのですね……」

 

鳳翔はそれ以上を言わなかった。

言わないことが、俺への配慮だと知っていたからだ。

変なところで鋭い癖に、そういう配慮は出来るのだから、本当に厄介だ。

 

 

 

夜になり、俺は地図に示された場所へと向かう事にした。

 

「はぁ……はぁ……ったく……なんだよこの道は……」

 

道、ではあるのだが、舗装されているわけではなく、幾度か人が通ってできた道、という感じであった。

歩き始めてから十分以上、昨日の酒が抜け切れていないのか、はたまた体力の衰えか――いずれにせよ、引き返してやろうかと思うほど、俺の気分は萎えていた。

 

「一体ここで何をしようというんだ……」

 

ふと、後ろを振り向いてみる。

当然だが、景色は高くなっており、いつもは島の高い岸壁に隠れている港が、姿を現し始めていた。

 

「……頂上からなら、本土の夜景が綺麗に見えるだろうな」

 

もしかしたら、大淀はそれを見せたいのか、或いは――。

 

「……はぁ。行くか……」

 

息を整えてから、俺は再び印の場所へと歩き始めた。

 

 

 

「おぉ……」

 

印の場所には、大きな風力発電機が建っていた。

その周りはフェンスで囲まれていて、入ることが出来ないようになっている。

 

「しかし、回っているところ、見たことないんだよな」

 

島から見て裏手の方には、舗装されたスロープが下の海の方へと伸びていて、その終点には小さな船用の泊地のような場所があった。

おそらく、風力発電機の点検の際に使われる道なのだろう。

確かにこれなら、艦娘に接触することもない。

 

「まだ時間には早かったか……」

 

島の表側を望める場所に大きな岩が転がっていて、俺はそこに座った。

目の前に広がる海。

右手には、本土の夜景が望める。

 

「いい場所だ……」

 

こんなロマンチックな場所に俺を呼び出して、大淀は何をしようってんだろうか。

そんな事を考えながらぼうっとしていると、後ろから何かが歩いてくる音がした。

大淀かと振り向いてみると、そこには、鹿島が立っていた。

 

「え……」

 

「鹿島?」

 

お互いに、数秒固まった。

理解に追いついたのは、俺が最初のようであった。

 

「……そういうことか」

 

大淀は、鹿島がここに来ることを知っていて――もしくは鹿島をここに呼びよせ、俺と会わせたのだ。

俺が駆逐艦と上手くいっていないことを知っていて――俺が佐久間肇の息子だから――。

 

「……どうして貴方がここに」

 

鹿島の表情が、険しくなってゆく。

 

「俺は一杯食わされたんだ。念のために聞いておくが、この手紙はお前が書いたものか?」

 

手紙を見せると、鹿島は怪訝な表情を見せた。

そして、小さく「大淀さんの字です……」と言った。

 

「やはりそうか……。俺はこの手紙の通り、ここに来たんだ。お前は誰に一杯食わされたんだ?」

 

「……私は」

 

何かを言おうとして、鹿島は口を噤んだ。

 

「どうした?」

 

「……貴方には関係ありません」

 

そう言うと、鹿島は来た道を戻り始めた。

 

「あ、おい! 鹿島!」

 

俺の呼びかけにも応じず、鹿島はそそくさと去って行った。

あんな獣道なのに、鹿島の足取りはなんとも軽快で、慣れているようであった。

 

 

 

翌日。

朝早くから備蓄庫で張っていると、案の定、大淀がやって来た。

 

「よう」

 

大淀は、俺がここにいる意味を知っているのか、目を逸らす様に俯いた。

 

「俺が手紙をちゃんと受け取ったのか、確かめに来たって所か?」

 

大淀は何も言わない。

 

「……やはりお前だったか。昨日、地図の通り、あの場所へ行った。そしたら鹿島が来た。ありゃどういうことだ?」

 

観念したのか、大淀は小さく息を吐くようにして、零した。

 

「鹿島さんはあの時間……必ずあの場所へ行くので……お二人が交流を持つには……都合が宜しいと……」

 

「……どういう風の吹き回しだ? 何故そんな事を……」

 

大淀は答えない。

 

「……俺が佐久間肇の息子だからか? 俺に協力すれば、佐久間肇に協力している気になれるからか?」

 

大淀は深く目を瞑ると、弱弱しい声で「分かりません」と答えた。

 

「私にも……分かりません……」

 

「分からない……。分からないまま、行動したと言うのか?」

 

「理解してくれとは言いません……。ただ、貴方が佐久間さんの息子だと知ってから……私は……」

 

大淀はその先を言わなかった。

或いは、まだ理解していないのか――。

 

「……とにかく、鹿島との交流の機会を与えてくれたのはありがたい。しかし、俺はあくまでも、佐久間肇とは関係なく、お前にそうして欲しかったぜ……」

 

遠くで、鶏が鳴き始めた。

同時に、昇って来た朝陽が俺たちを照らす。

 

「……利用すればいいじゃないですか。佐久間さんの息子であることを……。そうすれば、大抵の艦娘は言うこと聞くと思いますよ……」

 

「そうはしたくない」

 

「どうしてですか……?」

 

「お前がそれを一番よく分かっているんじゃないのか」

 

その意味が大淀に伝わったのかは分からない。

だが、何か思うところがあったのか、大淀は悲しそうな瞳を見せた。

 

「佐久間肇が何故『戦犯』と呼ばれているのかを知っているか? お前たち艦娘に『死を恐れる』心を植え付けたからだ。佐久間肇の死は、お前たちに『呪い』を齎したという訳だ。俺は、その『呪い』を解くために、ここにいる。それは息子だからじゃない。それが俺の――雨宮慎二の仕事であるからだ」

 

寮の方が騒がしくなり始め、誰かの声が大淀を探していた。

 

「……呼んでるぜ」

 

大淀は何か反応するわけでも無く、寮の方へと歩き始めた。

 

「……大淀」

 

立ち止まると、耳だけが俺を向いた。

 

「『呪い』は、必ずしも『死を恐れる』事だけではない。お前に纏わりついている影……佐久間肇の影も、その一つなんだぜ……」

 

大淀は再び歩み始めた。

どう感じたのか、はたまたそんなことは知っているのか――いずれにせよ、俺は少しだけ、大淀の心に近づけたような気がした。

そして同時に、俺自身もまた『呪い』にかけられているのだと――そう思ったのだった。

 

 

 

お昼になると、やはり鳳翔がやってきて、駆逐艦が来れない事を聞かされた。

 

「またか……」

 

「まあ……仕方がないですね……」

 

「……もしかして、俺が居るからなのではないか? 最近だと、一緒に何かすることも多かったし、あいつら的には、それが嫌だったんじゃ……」

 

「そんなことは無いと思いますけれど……」

 

鳳翔の視線が、俺から外れる。

思い当たる節があるという訳か。

 

「俺が嫌で、遊具で遊ばなくなるのは避けたい。駆逐艦たちに、俺は昼から夕方にかけては、ここにいないという事を伝えてはくれないか?」

 

「え……でもそれだと……」

 

「頼む」

 

鳳翔は少し困った表情を見せた後、「分かりました……」と承諾してくれた。

 

 

 

夜。

昨日と同じ時間、昨日と同じ場所に、俺は来ていた。

 

「昨日と違って、少しだけスムーズに登って来れたな」

 

昼間、鳳翔にこの場所の事を聞いてみると、どうやら鹿島にとって特別な場所らしい。

その理由は分からないとのことであったが、毎日ここに来るくらいだから、相当な思い入れがあるのだろう。

もしかしたら、鹿島の秘密に迫れる何かがあるのかもしれない。

 

「ん……来たか……」

 

足音に振り向く、鹿島はやはり、怪訝な表情をして、そこに立っていた。

 

「よう」

 

去ろうとする鹿島。

その背中に、言ってやる。

 

「鹿島! 帰るのか!? 明日も待ってるからな! 雨が降ろうと雪が降ろうと、ここに居るからな!」

 

俺の言葉が聞こえたかは分からないが、とりあえずはこんなものだろう。

 

「……明日から大変だ」

 

 

 

翌日。

朝早くに、寮から見える場所で立っていると、大淀が出て来た。

 

「よう、おはよう」

 

「……おはようございます」

 

「お前、誰よりも一番に早起きをして、一日の準備をしているんだってな。鳳翔から聞いたよ」

 

「……私を待っていたのですか?」

 

「あぁ」

 

そう聞いて、大淀は少しだけ不安な表情をみせた。

 

「そんな顔するな。ただ、謝っておきたいことがあっただけだ」

 

「謝っておきたいこと……?」

 

「佐久間肇のことだ。俺は、佐久間肇を利用することをしたくはないと言ったが、がっつり利用することになってしまった」

 

「え……?」

 

「鹿島の事だよ。鹿島があの場所にいるとお前から聞いて――佐久間肇を利用して、これから俺は、鹿島と交流をすることになる。だから、利用したくはないと言いつつ、利用する結果になることを謝りに来た」

 

大淀は、俺が何を言っているのか、よく分かっていないようであった。

 

「――つまりだ、俺はこれから毎日、お前の教えてくれた場所に行って、鹿島と交流することにしたんだ。お前の情報を利用する=佐久間肇を利用するということだろう? だから、お前にあんな口を叩いておいて、結局そうなってしまったことを謝りに来たって事だ」

 

大淀は表情を変えないまま、口を開いた。

 

「……いえ、それは分かっているんです。私が分からないのは、どうしてそんな事を言いに来たのかって事です。そんなの、黙っていればいいじゃないですか……。謝る必要なんてないじゃないですか……」

 

「いや、そういう訳にはいかない。俺は俺の信念を以て、お前に色々言ってしまったのに、結局、その信念を崩すことになったんだ。謝るのは当然だ」

 

「いえ、ですから……そんなことはどうでもいいんです……。貴方がどう思っているのかは知りませんけど、別に私は……」

 

「じゃあ、俺が許せないから、お前に謝らせてほしい。悪かった」

 

頭を下げ、顔を上げると、大淀は何故か、小さく笑っていた。

 

「何かおかしいか?」

 

「いえ、すみません。変な人だなと思いまして」

 

「……よく言われる」

 

「本当、貴方は――……」

 

大淀はそこまで言うと、口を噤んだ。

 

「大淀?」

 

「……とにかく、貴方が謝りたいというのなら、勝手にどうぞ。私は何も、気にしていませんから……」

 

「なら、そうさせてもらおう」

 

「……本当、変な人。そういうところが――」

 

強い風が吹いて、大淀の言葉をかき消した。

 

「……そろそろ皆が起きてくる頃です。鹿島さんとの交流、上手くいくと良いですね……」

 

「それはお前の本心か? それとも、影に言わされているのか?」

 

大淀は答えることをせず、風に乱れた髪をかき上げると、そのまま振り返り、寮の方へと去って行った。

 

「佐久間肇……」

 

お前は死してなお、俺を――『俺たち』を苦しめるのだな……。

 

 

 

その日の昼、俺が家に居ずにいると、案の定、駆逐艦が遊びに戻ってきたようであった。

 

 

 

夜。

一時間ほど待ってみたが、鹿島がやってくることはなかった。

だが、これでいい。

俺がここにいると信じ、あいつは来なかったのだ。

どんな形であれ、俺の事を信じたという結果が、今日一番の収穫だった。

 

 

 

翌日も昨日と同じであった。

昼は俺が不在の家に駆逐艦が来て、夜は鹿島が来なかった。

 

 

 

次の日は少しばかり違った。

というのも、朝から雨が降っていたのだ。

俺は念のため家を空けてみたが、駆逐艦が遊びに来ることはなかったらしい。

 

「さて、今日は絶対来ないだろうが、雨でも居ると言ってしまったしな」

 

そんな事を一人言いながら、あの場所へと向かった。

地面がぬかるんでいるため、かなり苦労したが、なんとか無事に着くことが出来た。

だが、当然、鹿島が来ることはなく、俺は再び苦労しながら、家路についた。

 

 

 

翌日も雨だった。

同じようにあの場所へと向かう。

鹿島は来なかった。

 

翌日も雨だった。

鹿島は来ない。

 

翌日は晴れたが、鹿島は来なかった。

 

その翌日も、その翌日も、その翌日も――。

 

 

 

あの場所を知ってから、二週間近くが経とうとしていた。

流石に皆も、俺が何をしているのか気が付いたようで、心配する声がポツポツと挙がり始めていた。

 

「提督、今日も向かわれるのですか……?」

 

「あぁ、鹿島が来るまでな。今日はよく晴れているし、来るかもしれんぜ」

 

そう笑って見せても、明石の表情は変わらなかった。

 

「でも……今日くらいはお休みされてはいかがですか……? 昨日、怪我をされたのですよね?」

 

「大したことはない。ちょっと足をひねっただけだ」

 

「……そうだ、前に言っていた果実酒がいい出来なんです。怪我の様子を見る必要もあるし、今日はお酒を飲むって事で、いかがでしょう?」

 

「ありがとう。だが、それはまた今度にしてくれ。あれだったら、鹿島との交流が成功した時にでも」

 

明石が何も言えないでいると、夕張が口を開いた。

 

「明石は心配しているのよ。自分の為に、提督が無理をしているんじゃないかって……」

 

それに、明石は俯くだけであった。

 

「そんなんじゃない。俺がそうしたいから、しているだけだ。確かにお前を外に出してやるとは言ったが、これは別だ。気負うことはない。それに、俺はあの武蔵に挑み、勝った男だぜ。大丈夫だ。信じて待っていてくれ」

 

そう言って、明石の頭を撫でてやる。

不安な表情は変わらないが、分かってはくれたようであった。

 

「……心配しているのは、明石だけじゃないんだからね。鳳翔さんとか、武蔵さんも心配しているんだから……」

 

「お前は心配してくれないのか?」

 

「……私が心配したら、行かないでくれるわけ?」

 

俺が何も言えないでいると、夕張は大きくため息をついた。

 

「鳳翔さんからの伝言……。無理だけはしないでくださいね……だって。武蔵さんも、そんな感じの事を言っていたわ……」

 

「諦められているのがよくわかるぜ」

 

「それだけ信じられている……とも取れるんじゃない……?」

 

そう言うと、夕張は退屈そうに膝を抱えた。

 

「私は……鳳翔さんや武蔵さんみたいには言えないわ……。あんな危ないところ……。人間なんだし……何かあったら……」

 

明石も同じなのか、表情を曇らせた。

 

「心配してくれているんだな。ありがとう、明石、夕張。だが、人間だからこそ――命ある者だからこそ、この行動には意味があると思うんだ。お前たちの気持ちは痛いほど伝わっている。無下にしてごめんな……」

 

首を横に振る明石とは違い、夕張は納得がいっていない様子であった。

 

 

 

二週間も登っていると、スイスイ登れてしまう為、逆に退屈になり、新しい道を模索し始める。

昨日はそれで足を取られた訳だが、こういう事でもしないと、モチベーションが上がらない。

鹿島が来てくれると信じてはいるが、流石に二週間も続くと――。

 

「さて……昨日はあっちに行ったが、今日はこっちに行ってみるかな」

 

このままずっと鹿島が来なければ、俺はただの島を探索する馬鹿な男になってしまう。

――いや、或いはもうなっているのかもしれないが。

 

「そちらは、やめた方がいいですよ……」

 

一瞬、幻聴――女神の啓示かと思った。

だが振り向くと、そこには――。

 

「鹿島……? え……お前……鹿島……!?」

 

自分でも何の確認をしているのか、よく分かっていない。

それほどに、俺は動揺していた。

 

「他の誰に見えるというのですか……」

 

そう言うと、鹿島はいつものルートを歩み始めた。

 

「あ、おい!」

 

 

 

鹿島は恐ろしいほどのスピードで、あの場所へと登っていった。

 

「はぁ……はぁ……ついた……」

 

息を切らす俺とは違い、鹿島は、まるで眠るような静かな息遣いで、本土の夜景を見つめていた。

 

「はぁ……」

 

息を整え、再び鹿島に目を移す。

鹿島が居る。

ずっと待っていた鹿島が――もう来ないんじゃないかと諦めかけていた鹿島が、ここにいる。

その事実が、俺に謎の感動を与え、しばらく話しかけることが出来なかった。

 

「ふぅ……よし……」

 

いつも待機している大きな岩に座ると、鹿島は俺を一瞥してから、隣に座った。

永い永い沈黙が続く。

当初は、何を話そうかと色々考えてはいたものだが、鹿島が来たという事実が、俺の頭を鈍らせていた。

そんな俺を見かねてか、はたまた沈黙が気まずかったのか、鹿島が口を開いた。

 

「……嫌になりますよ」

 

「え?」

 

「毎日毎日……鳳翔さんや武蔵さん……大淀さんまで、私を説得してくるのですから……」

 

「説得……?」

 

「貴方と交流をしてあげてください……って……」

 

そう言うと、鹿島は大きくため息をついた。

 

「……それで仕方なく、来てくれたって訳か」

 

鹿島は返事をしなかった。

その瞳はずっと、本土の夜景を見つめている。

 

「そうか……。それは……悪いことをしたな……」

 

「……何故貴方が謝るのですか?」

 

「俺が不甲斐無いから――見てられないものだから、皆が行動を起こした。俺がもっとしっかりしていれば、お前にそんな思いをさせずに済んだのかもしれないと思ってな」

 

それを聞いた鹿島は、何やら下唇をキュッと噛み締め、何かを思っていた。

 

「俺はてっきり、自主的に来てくれたのだと思っていたよ。毎日毎日、ここに来ている俺に折れてくれたのだと」

 

「……驕りもいい所ですね。私が貴方に同情するとでも……?」

 

「あぁ、お前はすると思っている。そうでなければ、あの時の風呂敷包みは、玄関に置かれていなかっただろう」

 

「……あれはそう言う意味では」

 

「じゃあ、どんな意味だったんだ?」

 

鹿島は何か答えようとして――だが何も言えず、閉口した。

 

「とにかく、お前がここに来てくれた理由は分かった。悪かったな。あいつらには、俺から言っておく」

 

そう言って立ち上がると、鹿島はやっと俺を見た。

 

「交流……しなくていいのですか……?」

 

「する気が無いようだからな。俺が今まで交流を成功させてこれたのは、あいつらが少しでも俺に関わろうとしてくれたからだ。関わろうとする気持ちをこじ開けたからこそ、成功して来れたんだ。お前のように、嫌々や苦しみから逃れるために来てくれた奴を説得できるほど、俺に能力はないよ」

 

そう言って、弱弱しく笑ってやると、鹿島は目を逸らす様にそっぽを向いた。

 

「明日もここに居る。もし気が変わったら、同情してくれることがあったら、来てくれると嬉しい。じゃあ、悪かったな……。お休み」

 

目を逸らし続ける鹿島を尻目に、俺はその場を後にした。

 

 

 

足を気遣いながら下っていると、急に何かに腕を取られた。

 

「うぉわ!?」

 

熊か何かと思い、振り向くと――。

 

「か……鹿島……?」

 

鹿島は手を離すと、何も言わず、俯いた。

 

「……気が変わったか? 同情したか?」

 

鹿島は何も言わず、再び登り始めた。

今度はゆっくりと、俺のペースに合わせながら――。

 

 

 

先ほどと同じように岩に座る。

鹿島も、同じように。

そして、やはり本土の夜景に目を向けるのであった。

 

「呼び止めてくれてありがとう。嬉しかったよ」

 

鹿島は答えない。

或いは答えられないでいるのか。

 

「……話をしてもいいか?」

 

鹿島はゆっくりと首を縦に振ると、俺の言葉を待った。

 

「ありがとう」

 

一呼吸おいてから、俺は話を始めた。

 

「正直に話す。俺は、俺の力だけでは、駆逐艦と交流を深めることが出来ない。お前の協力が必要だ」

 

鹿島に反応はない。

俺は続けた。

 

「お前に協力して貰う為、俺はお前と交流を持とうと思った。尤も、島の艦娘を全て島から出すのだから、お前との交流は必然ではあったのだが……。しかし、お前は何故か、異常に思える程、人間を避けている。最初は、ただ死を恐れ、人間を避けているのかと思った。駆逐艦を守る為であるのだと思った。だが、あの日……お前が風呂敷包みを持って来たあの日を境に、そうではないのかもしれないと思い始めた」

 

鹿島は夜景から目を離すと、じっと、自分の手を見つめていた。

 

「八百万豪……」

 

その名を言った時、明らかに鹿島の目の色が変わった。

 

「山風から聞いたよ。お前と香取さん……そして、八百万豪という男の事を……」

 

鹿島は深く目を瞑ると、震える手を胸に当てた。

 

「その男をめぐる色恋沙汰によって、香取さんは島を出ていったと聞く。その男を追って……」

 

雲に隠れていた大きな月が顔を出し、二人を照らした。

 

「お前が俺を避けるのは、その事と何か関係があるのではないか……?」

 

鹿島はゆっくりと目を開けると、震えの止まった手を膝に置いた。

 

「俺に……話してくれないか……? 何があったのかを……。お前の事を……」

 

鹿島は口を開かない。

ただ、小さく下唇を噛むだけであった。

 

「……分かった。じゃあ……俺から話すよ」

 

「え……?」

 

「俺の事を話す。正直、話したくはないが……。それはお前も一緒だと思う。だから、フェアに行こうじゃないか」

 

そして俺は、自分の事を全て話した。

俺の正体。

この島へ来た目的。

その経緯に至るまで――まだ誰にも話していないことさえ、鹿島に話してやった。

その間、鹿島はじっと俺の瞳を見つめ、静かに聞いてくれていた。

 

「――以上だ。悪いな、つまらない話で……。だが、俺にとっては大事な事で――本当は誰にも知られたくないことであったのだ……」

 

鹿島の目は、もうすっかり同情の色に変わっていた。

 

「……そうだったのですね」

 

「聞かせておいて悪いが、皆には内緒にしておいてほしい……」

 

「……言いませんよ。むしろ……良かったのですか……? そんな大事な事を私に話してしまって……」

 

「それだけの事を聞き出そうとしているのだと、分かっているつもりだ。むしろ、俺のこんな話では、釣り合わないのではないかと、思っているくらいだ」

 

「そんなことは……」

 

いつの間にか、俺と鹿島の距離は近づいていた。

物理的にも、精神的にも――。

 

「優しいんだな……」

 

「……私は別に、優しくはありません。現に、貴方を傷つけてしまいました……」

 

「……それは、八百万豪や香取さんにも言える事か?」

 

一瞬の静寂。

潮風が、鹿島のツインテールを揺らした。

 

「鹿島……」

 

「…………」

 

「聞かせてくれないか……? お前の事を……」

 

深く目を瞑る鹿島。

永い沈黙が続く。

やがて、意を決したのか、目を開き、本土の夜景に目をやりながら、鹿島は語り始めた。

 

 

 

 

 

 

あれは、佐久間さんが亡くなってから、数か月後の事でした。

新しい方が出向してくると聞き、私と香取姉は、その対応をすることになりました。

本来は大淀さんのお仕事なのですが、佐久間さんの事があった後ですから、大淀さんは――。

 

「鹿島、貴女も辛いでしょうけれど、大淀さんが塞ぎ込んでいる今、私たちが頑張るしかないのよ」

 

「分かっています……。でも、大丈夫でしょうか……。新しい方のお名前、八百万豪さん……ですよ……。もしも、とても怖い方だったら……」

 

そんな事を話していると、一隻の船が到着しました。

 

「香取姉ぇ……」

 

「大丈夫よ……」

 

重さんの後に、体の小さな男の人が降りてきました。

最初は、重さんの息子さんかと思いました。

それほどに、海軍の方とは思えないほど、何とも頼りなく見えたのです。

 

「八百万豪です。よろしくお願いいたします」

 

深々とお辞儀をするその姿に、私と香取姉は、不安な顔を見合わせたのをよく覚えています。

 

 

島に来てしばらくして、八百万豪さんは――どうも言いにくいので、呼んでいた『提督さん』とさせてもらいますね――提督さんは、すぐに皆さんと仲良くなりました。

尤も、『提督』や『司令官』のような器ではないと判断されたのか、『ごっちん』なんてあだ名をつけられるほどで――とにかく、友達のような存在だと認識されたのだと思います。

ただ、それで仲良くなったからと言って、いい事ばかりではありません。

 

「提督! ここにいらしたのですね……。全く……」

 

「香取さん」

 

「備品の申請、本土へ向かう時に、一緒にしてと欲しいと申し上げたはずですが……?」

 

「あ~……そう言えば……。すみません……失念していました……」

 

「失念って……。はぁ……そんな事だろうと思いました……。大体貴方は……」

 

こんな感じで、少しだらしないというか、覇気がないというか……。

香取姉が居ないと、危なっかしい人でした。

 

 

「はぁ……聞いて鹿島……。提督ったら、またあの書類を――」

 

「そうなのですね……。香取姉も大変ですね……」

 

「そうなのよ……。本当、だらしのない人ですわ……」

 

私はいつも、香取姉の愚痴を聞く係でした。

 

「また失敗してしまった……。香取さんに怒られる……」

 

「大丈夫です、提督さん。私も一緒に謝りますから」

 

また、提督さんの慰め役でもあったのです。

提督さんは、中々上手くいかないことばかりで、いつも香取姉を怒らせて……。

香取姉は、そんな提督さんにしっかりしてもらおうと、お叱りを続けていました。

 

 

そんなことが続いたある日の事です。

朝、誰かが怒鳴り合っているような声で目が覚めました。

何事かと声の方へと向かってみると、そこには香取姉と提督さんが居ました。

 

「僕だって努力しているんです! それをまるで何もしていないかのように……。何もそこまで言う必要ないじゃないですか!」

 

「実を結ばない頑張りは努力とは呼べません! 大体、提督にはやる気が見られません! 頑張っただけで満足されていては困ります!」

 

「お、お二人とも、一体、どうされたというのですか?」

 

私が割って入ると、二人はそれぞれ、相手に対しての不満を口にしました。

簡単に言うと、いつものように提督さんが失敗し、それを香取姉が責めたようで――けれど、それは提督さんのミスというよりも、そもそもの仕組みが悪いようで――とにかく、流石の提督さんも、自分ばかり責める香取姉に、堪忍袋の緒が切れた様子でした。

 

「もうウンザリです……。僕だって、本当はこんな仕事……したくないんだ……」

 

そう言って、提督さんは飛び出していきました。

 

「提督さん! か、香取姉……」

 

「……放っておきましょう。ああいう人なのよ……。全く……」

 

呆れる様な口調ではありましたが、香取姉もどこか、言い過ぎてしまったというような、複雑な表情を浮かべていました。

 

 

飛び出していったと言っても、この島の中ですから、提督さんはすぐに見つかりました。

 

「やっぱりここだったのですね」

 

「鹿島さん……」

 

提督さんは落ち込むと、いつも、『この場所』に来ていたので――案の定でした。

 

「……何の用ですか? また慰めに来てくれたのですか?」

 

「そんなところです……」

 

「……ありがたいですけど、それに甘えては、僕はやっぱり駄目な男のままなのだと思います。だから、今日ばかりはそっとしておいてください。大丈夫、あとでちゃんと戻って、香取さんに謝りますから」

 

そう言うと、提督さんは弱弱しく笑い、本土の景色に目を戻しました。

 

「……あの、先ほどの事ですけど。仕事、本当はしたくないって……」

 

「あぁ……別に、皆さんと一緒に居るのが嫌だとか、そういう事ではありません。ただ、上のやり方にウンザリしているというだけで……」

 

「上のやり方……ですか?」

 

「えぇ……。僕がこの島に来た時、疑問に思いませんでしたか? こんな情けない男が、どうしてこの島に来れたのだろう……って……」

 

私は何も言えませんでした。

その通りでしたから……。

 

「僕がここに来たのは、新しい試みというか……実験の為なんです」

 

「実験……ですか……?」

 

「この島に出向する人間は、そのほとんどが優秀で、艦娘を島の外へ導く、リーダーシップを持った人間が選ばれてきました。しかし、そんな人間だけでは導けない艦娘もいます。人間を恨む艦娘や、人間よりも優れていると思っている艦娘――心当たりがあるかと思います」

 

確かに、そういう艦娘がいるのも事実でした。

――ちゃんや――さんなど、とにかく、癖の強い艦娘は、あの佐久間さんにも、完全に心を開くことをしませんでした。

 

「そこで僕なんです。知っての通り、僕は何をやっても駄目で――しかし、それが却って良かったようで、海軍は実験的に、僕をこの島へと出向させたのです。今までとは真逆の性格を送り込めば、或いはそういった艦娘の心を動かせるかもしれない……と」

 

「……無理やり、連れてこられたという事ですか?」

 

「いえ……断ることもできました……。でも……馬鹿にされたのが悔しくて……。情けない自分が許せなくて……。この仕事を受け、成功すれば、僕を馬鹿にしてきた連中を見返すことが出来ると思って……」

 

「それで……この島に……」

 

「ただ、情けない自分を武器にしたくはなかった……。新しい試みなんて――実験なんてしたくはなかった。この島で成長して、成長した僕の力で、艦娘を外に出したかった。だから、たくさん努力したつもりです……。でも……やっぱり駄目でしたね……。香取さんの言う通り、結果が出なければ、それはただの足掻きなんです……。結局僕は、モルモットのように、僕本来の仕事をするしか道はないのかもしれません……」

 

何か慰めの言葉を言おうとした時、後ろから声がしました。

 

「そんなことはありません……」

 

声の主は、香取姉でした。

 

「香取さん……」

 

「今のお話……全て聞いていました……。そんな事とは知らず、私は……」

 

「……いえ、香取さんの言っていることは事実ですから。それよりも……」

 

「「ごめんなさい」」

 

二人の声が重なりました。

 

「どうして提督が謝るのですか……」

 

「香取さんこそ……。悪いのは僕です……。香取さんは、僕を想って言ってくれたのに……」

 

「それでも、言い過ぎたことは事実です……。もっと……提督の立場を考えていれば……」

 

「いえ……しかし――」

 

「だとしても――」

 

それから二人は、時間をかけ、お互いに対して思う事や自分たちが持っている信念など――とにかく、色々な事を話しました。

遠慮も何もなく、本気で思いを打ち明けていました。

それは夜が明けるまで続き、陽が昇る頃、香取姉と提督さんは、お互いをよき理解者と認識できるほどに、心も体も近づいていました。

 

「僕は、艦娘を島から出して見せます。実験や試みなんて関係ない、僕の力で……。だけど、僕の成長には、香取さん、鹿島さん、貴女たちの力が必要です……。こんな情けない僕ですけど……これからも力になってくれますか……?」

 

私も香取姉も、答えは一緒でした。

そこから、私たちの関係は始まったのです。

そう、あの時から――。

 

 

提督さんは、今まで以上に努力するようになりました。

失敗することも多かったけれど、それでも諦めることはせず、前に進もうと努力していました。

そんな提督さんを香取姉は献身的に支え続けました。

私はというと、いつもと変わらず、提督さんが落ち込めば、慰めることしかできませんでした。

 

 

私たちは毎日欠かさず、反省会と称し、『この場所』を訪れていました。

あれが駄目だったとか、こうすれば良かっただとか――。

その度に、心の距離は縮まって――けれどそれは、あまりにも近すぎたようで――。

 

 

ある日の晩の事です。

香取姉が私の部屋を訪ねてきました。

 

「香取姉、どうしました? こんな夜遅くに……」

 

「鹿島……。私……変なの……」

 

「変?」

 

「えぇ……」

 

話を聞くと、ここ数日、心が締め付けられているような、そんな感覚に襲われる事が多いそうで、その正体が分からず、不安で眠れていないとのことでした。

 

「艦娘は病気にならないでしょう……? なのに……私、怖くて……」

 

香取姉が怯える姿を見せるのは、後にも先にもその時だけでした。

 

「どういう時に、その症状が出るのですか……?」

 

「どういう時……」

 

香取姉は、思い出すかのようにして、目を瞑りました。

 

「そうね……。将来の事を考えた時かしら……」

 

「将来……ですか……」

 

「もし、このまま提督が成長して、島の艦娘を全て『人化』出来たら、この関係は、どうなってしまうのだろうって……」

 

「どうって……」

 

「この関係は、仕事だから成り立つのであって、その仕事が済んだら……提督は私たちに会ってくれなくなるんじゃないかって……」

 

「そんなことは無いと思いますけど……」

 

「でも、今の関係はそういう事でしょう……? 私は……」

 

そう言って、香取姉は胸に手を当てました。

その時私は、気が付いてしまいました。

香取姉は、提督さんに恋をしてしまったのだと。

仕事だけの関係ではなく、心から繋がるような――恋人のような、確かな関係を欲してしまったのだと――。

 

「香取姉、それはね――」

 

私は、香取姉にその事を伝え、応援することにしました。

 

「――きっと提督さんなら、香取姉の気持ちに応えてくれるはずです。私も、香取姉と提督さんが上手くいくよう、応援します!」

 

「鹿島……。ありがとう……」

 

 

それから私は、事あるごとに理由を見つけては、香取姉と提督さんを二人っきりにしました。

反省会も、駆逐艦の相手をすると言って、行かないこともしばしば……。

 

「今日、提督にお弁当を食べていただいたの。美味しいって言ってくださったわ」

 

「頑張った甲斐がありましたね。この調子で提督さんのハートを掴みましょう!」

 

「えぇ。鹿島、本当にありがとう。いつもいつも協力してもらっちゃって……」

 

「いえ、お二人の為ですから!」

 

事は順調に進んでいました。

そう、あの日の事が起こるまでは……。

 

 

ある日、私は、提督さんに『この場所』へと呼び出されました。

行ってみると、そこには提督さんだけしかおらず、呼び出されたのは私だけのようでした。

 

「提督さん? わざわざこの場所まで呼び出して……何かありましたか? 香取姉に言えないことでも?」

 

「えぇ……まあ……そんなところです……」

 

香取姉に言えないこと。

歯切れの悪い提督さん。

私は、ハッとしました。

もしかしたら、香取姉の努力が実を結び、提督さんも香取姉を好きになったのだと、そう伝えるために、私を呼び出したのだと思いました。

香取姉を好きになったから、恋を応援してほしい――そう言われるのだと思いました。

けれど――。

 

「鹿島さん、最近、僕の事を避けていませんか……?」

 

「え?」

 

「反省会もあまり参加してくれないし、前のように話しかけてくれることも、少なくなった気がします……」

 

「そんなことは……」

 

実際は、提督さんの言う通りでした。

私は提督さんを避けていましたし、香取姉と話す機会を多くするために、なるべく私からは話しかけないでいました。

 

「何故ですか……? 僕、何か失礼な事をしてしまいましたか……?」

 

「いえ、ですから、そんなことはなくて――」

 

いくら説明しても、提督さんが納得することはありませんでした。

 

「――どうしてそこまで、私にこだわるのですか? 提督さんのお仕事であれば、香取姉が完璧にサポートしてくれています。私は、何も出来ていませんよ……?」

 

「……貴女でなければいけないのです」

 

「どうしてですか?」

 

提督さんは、何やら拳を握りしめて、俯いてしまいました。

 

「提督さん?」

 

「鹿島さん……」

 

「は、はい……」

 

「僕は……」

 

あの時の事は、今でも時々、夢に出てくるくらいで――それほどに、私にとっては衝撃的な事でした……。

 

「僕は……鹿島さんの事が好きなんです……! 異性として……一人の女性として……!」

 

 

 

 

 

 

そこまで言うと、鹿島は黙り込んでしまった。

 

「……好きだったのか? お前も、そいつの事を……」

 

鹿島は少し躊躇った後、首を横に振った。

 

「香取姉のような、恋愛の対象として見たことはありませんでした……。ただ……一人の人間としては……」

 

その先を鹿島は言わなかった。

 

「それから、どうしたんだ?」

 

「……結局、提督さんの告白に対して、私はただ「ごめんなさい」「恋愛対象として見ることは出来ません」と返す事しかできませんでした……。ここで断っておけば、提督さんも諦めてくれると思ったからです……」

 

「……香取さんの為に、そうしたのか?」

 

「……はい」

 

返事に、少しの溜めがあった。

これはあくまでも憶測ではあるが、香取さんの気持ちを知らなければ、鹿島もその男の事を好きになっていたのではないのだろうか。

首を振る前の少しの躊躇い。

告白に対する、徹底的に相手を寄せ付けない為の返事。

その返事もきっと、相手を想って――香取さんを想って出たものではなく、鹿島自身の気持ちに決別するための返事だったのだろう。

 

「でも、提督さんは諦めませんでした。私との時間を無理やり作ったり、何度も告白を受けました……。その度に、私は告白を断り、提督さんを避け続けました。そんな態度を取っているものですから、香取姉が怪しまないはずがありません……」

 

鹿島は一呼吸置くと、再び話を始めた。

 

 

 

 

 

 

「鹿島、貴女、最近提督と一緒に居るのを見かけるけれど……。何をしているの……?」

 

その目は、完全に私を疑っているような目でした。

 

「……別に何もしていませんよ。ちょっとした世間話をしていただけです」

 

「……そう。ならいいのだけれど……」

 

その頃の提督さんは、所かまわず私に話しかけてきては、遠回しに告白をしてきました。

だから、駆逐艦の子たちの中には、私と提督さんが恋人のようだと言う子もいるくらいで――今思えば、それは提督さんの策略だったのかもしれません。

 

「最近の提督は、何だか貴女の事ばかりを気にしているものだから……」

 

「気にし過ぎですよ。私とお話ししている時でも、香取姉の事を話していますから」

 

「そうなの?」

 

「えぇ!」

 

嘘でした。

けれど、私は、香取姉を傷つけたくなかったのです。

告白されたことも黙っていました。

 

「…………」

 

だけど、それが良くなかったのでしょう……。

 

 

ある日の事です。

寮に戻ると、皆さんが何やら輪になって集まっていました。

 

「皆さん、どうされたのですか?」

 

輪の中心には、香取姉が居ました。

 

「香取姉?」

 

顔をあげた香取姉の目には、涙が――そしてその表情は、今まで見たことが無いほどに、怒りに満ちていました。

 

「鹿島……!」

 

香取姉は立ち上がると、私の胸倉を掴んで、壁に追い込みました。

 

「か……香取姉……!? い、痛い……放して……」

 

「鹿島……貴女……ずっと私を騙していたのね……!」

 

「え……?」

 

「今日……提督から呼び出されて……「鹿島の事が好きだから、この恋を応援してほしい」と言われたわ……。そこで全てを聞いたのよ……。貴女が提督に告白されたことも――全て……!」

 

私もどうして、こうなることを予想できなかったのか……今でも後悔しています……。

香取姉の事を相談してくると、あの時に予想できたのにもかかわらず、どうして逆の事は――と。

 

「私を応援するだなんて言って……。貴女は提督の気持ちを知っていたのに……。よくも弄んでくれたわね……!」

 

「ち、違います……! 私は……本当に香取姉を応援して……!」

 

その時、騒ぎを聞きつけた武蔵さんが飛んできました。

 

「何をしている!? やめないか!」

 

武蔵さんに引きはがされ、香取姉はやっと私を放しました。

けれど、その目は私を睨んだままでした……。

 

「返しなさいよ……! 私の……私の悩んだ時間を……! 苦しんだ時間を……!」

 

「香取姉……ごめんなさい……ごめんなさい……」

 

「う……うぅぅ……」

 

涙する香取姉に、私はただ謝ることしかできませんでした。

 

 

 

 

 

 

「それは……」

 

俺が何を言おうとしたのかが分かったのか、鹿島は言葉を重ねるように言った。

 

「分かっています……。事情を知った皆さんも……私は悪くないのだと言ってくれました……。でも……私がもし、告白されたことを香取姉に言っていれば……結果が変わっていたことも事実ですし……提督さんが自殺することも……」

 

そう言うと、鹿島は深く目を瞑った。

 

「……知っていたのか。自殺したことを……」

 

「えぇ……。次に島へ来た方から聞かされました……。私のせいで、提督さんが自殺をしたのだと……」

 

「そう言われたのか……?」

 

「お前は人間を貶める悪女だと……。そう言われても……仕方が無いと思いました……」

 

鹿島がハニートラップを仕掛けてくるというのは、そこから来ていたのか……。

 

「あの日を境に、私と香取姉が顔を合わせることはなくなりました……。事情を知った皆さんは、私たちではなく、なぜか提督さんを責め始めました……。迷惑がっている私に、無理やり近づいただとか……香取姉を傷つけたとか――セクハラをしただなんて噂まで飛び交いました……。そんなことが続いたものですから、提督さんは心身ともに疲労して、とうとう本土へと戻ってしまいました……。そして、それを追いかけるようにして、香取姉も出て行ってしまったのです……」

 

その後の事は、俺の知っての通りだろう。

鹿島も語ることはしなかった。

だが、一つだけ分からないことがある。

 

「その事と、お前が人間を恨むのに、どういった関係があるんだ? 今の話だと、人間を恨むというよりも、むしろ……」

 

その時、俺はハッとした。

香取さんの事を想い、自分が告白されたことを黙っているような、そんな優しい奴だと知ったからこそ、気が付いたことであった。

 

「……もしかして、お前が人間を恨むのは、お前自身が人間との関わりを絶つためか……? 同じ過ちを繰り返してはいけないという……お前の優しさか……?」

 

鹿島は、首を大きく横に振った。

 

「……優しさなどではありません」

 

「だが、認めるんだな……。人間を恨む、その理由については……」

 

鹿島は何も言わなかった。

だが、間違いなく、それが答えであった。

 

「……そうか。そういうことだったのか……」

 

いつも見せるあの顔も、突き放す様なあの言葉も――全ては、鹿島が俺を想っての行動であったのだ。

そんな事も知らず、俺は――。

 

「……ごめんな」

 

「え……?」

 

「お前は、そうやって一人で戦ってきたのに……俺は、何も知らないで、駆逐艦との交流が出来ないからと言って、お前を利用しようとした……。俺を守ろうとしてくれていたのに……」

 

「そんなことはありません……。そもそも、私は……」

 

そこまで言うと、鹿島は閉口した。

 

「私は……なんだ?」

 

永い沈黙が続く。

本土の夜景は、その光を徐々に減らしていった。

 

「二週間……」

 

「え?」

 

「今日までの二週間……貴方はずっと、この場所に来ていましたね……」

 

「あ、あぁ……」

 

「実は私も……この場所に来ていたのです……。貴方は気が付かなかったかもしれませんが……」

 

「来ていたって……二週間ずっとか!?」

 

「えぇ……。雨が降った時も――貴方が怪我をした昨日も、ずっと、近くに居たのです……」

 

嘘をついているのであれば、大したもんだと思った。

だが、鹿島の目に偽りはない。

 

「……驚いたな。そうか……ずっと近くにいたのか……」

 

俺は思わず笑ってしまった。

 

「ずっと、お前を待っていたんだぜ。諦めかけたこともあったんだ」

 

「知っています。ずっと、見ていましたから……」

 

鹿島は立ち上がると、夜空を仰いだ。

その表情は、どこか――。

 

「私がこの場所に来るのは、戒めの為なのです……。提督さんを悪者にして、死に追いやってしまった自分への……」

 

「戒め……」

 

「けれど……何度自分を戒めても……自分の罪が消えることはありません……。だからと言って、罪を背負う事を止める事は出来ません……。私はこのままずっと……一人で……苦しんでいかなければならない……。そう思っていました……。だけど……」

 

鹿島は再び、俺を見つめた。

 

「ずっと一人で居なければいけないと思っていたその場所に……貴方が居た……。一度だけではなく、毎日毎日……来る日も来る日も……。雨が降ろうが、怪我をしようが、貴方はそこに『居てくれた』」

 

鹿島の表情が、徐々に崩れて行く。

 

「それが……嬉しかったのです……。貴方にその気は無いのは知っています……。けれど……私は救われた気がしたのです……。その献身的な態度……諦めないその姿……。今までの『提督さん』とは、違う……そう思いました……。だから……だから私は……」

 

言葉を詰まらせる鹿島。

何か言いたいことがあるのだろうが、口には出せないでいるようだった。

 

「だから……だから……私は……」

 

俯き、拳を握るその姿は、何かに耐える様な――大きな不安に耐える様な――そんな風に、俺には見えた。

 

「鹿島」

 

立ち上がり、震えるその肩を落ち着かせるようにして、手を置いた。

 

「大丈夫だ。話してみろ」

 

そう言って笑って見せると、鹿島は安心したのか、ぽろぽろと涙を流しながら、言葉をこぼした。

 

「だから私は……貴方が……私の罪を一緒に……背負ってくれる人なのかもしれないと……思ったのです……。そしてそれに……縋ろうと……考えてしまったのです……」

 

大粒の涙が頬を伝い、やがて地面を叩いた。

何粒も、何粒も――。

 

「謝らなければいけないのは私の方です……。利用しようとしたのは私の方です……。貴方は怪我をしてまで私を待っていてくれたのに……。私は……消えない罪を……貴方にも背負わせようとしたのです……。あまつさえ……その事を隠す為に、嘘までついて……」

 

「じゃあ……嫌々ここに来たってのは……」

 

それが嘘だと言わんばかりに、鹿島は首を縦に振った。

 

「……そうか」

 

鹿島を慰めるように、俺はその肩を抱いてやった。

 

「お前はずっと……自分を救ってくれる人をここで待っていたのだな……。だけど、それを求めることは、人間と関わること――同じ過ちを犯す事だと、お前は踏み込めないでいたんだな……」

 

鹿島は涙を拭くと、首を横に振った。

 

「違わないだろう。もういいんだよ。そうやって一人で抱え込まなくて……。お前がどう思おうが、俺はもう一緒に背負う覚悟を持ってしまった。お前も知る通り、俺は諦めの悪い男だ。だから、否定しても無駄だぜ」

 

それを聞いて鹿島は再び泣き出してしまった。

だが、先ほどとは違い、その泣き声は大きく、それでいて、止むことはなかった。

 

「ずっと、我慢してきたんだな……」

 

涙は枯れることを知らなかった。

このまま一生、泣き続けるんじゃないか――そう思うほどに――。

 

 

 

本土の夜景が点々とし始めた頃、鹿島はようやく泣き止んだ。

 

「落ち着いたか?」

 

俺の問いかけに、鹿島は小さく頷くだけであった。

 

「……ずっと、泣き出したい気持ちだったんじゃないか? でも、自分自身がそれを許さなかった……違うか?」

 

「……そうかもしれません。私は……私自身の罪を背負っているだけだから……。泣いて苦しみを訴える事すら……許されないことだと……」

 

許してくれる人もおらず、裁いてくれる人もいなかった。

だから、自分の首を絞め続けるしかなかった。

いつまでも、いつまでも――。

 

「雨宮さん……」

 

「なんだ?」

 

「私は……私は……どうすればいいのでしょうか……? どうすれば……私は……悲しんだり……泣くことを許されるのでしょうか……?」

 

自分を許す。

簡単な事ではある。

だが、一度でも自分を戒めた奴は、きっと一生をかけても、自分を許すことなど出来ないのだろう。

 

「仮に、俺が神様で、お前を許したとしても、お前はお前自身を許すことは出来ないだろう」

 

鹿島は絶望の表情を浮かべながら、俯いた。

 

「自分に科した罪は消えない。許されることはない。だが、苦しみ続ける必要もないんだ」

 

鹿島は顔をあげると、言葉を待つように、俺を見つめた。

 

「罪を消したり、許されること……。それだけが、苦しみから――戒めから逃れる唯一の方法という訳でもない。お前が苦しいなら、それを共有する奴が居てもいい。共有してはいけないなんて、何処にも――誰も――ないのだから」

 

それでも、鹿島の表情は不安に包まれていた。

何を考えているのか、俺には分かっていた。

 

「俺は、その共有する第一号になるよ。きっと、俺と同じように、お前の苦しみを半分に――もっと小さくしてやりたいと、一緒に共有してくれる奴が、たくさん出てくるはずだ。そうでなくても、俺がいる。居続ける。もう一人で苦しむことは、絶対にない。だから、安心していいんだぜ」

 

そう笑って見せると、鹿島は再び泣きそうな表情を見せた。

 

「……いいのでしょうか? こんな……貴方に酷いことをしてきた私が……こんな……」

 

「それを決めるのはお前自身だ」

 

俺は鹿島の手を取ると、その潤んだ瞳を真っすぐ見つめた。

 

「鹿島」

 

「はい……」

 

「俺に、お前の苦しみを背負わせてくれないか?」

 

鹿島の頬に、涙が伝う。

先ほどとは違い、小粒で、細い線を描く涙であった。

 

「――……」

 

強い風が吹いて、鹿島の言葉をかき消した。

だが、その言葉が聞こえずとも、俺にはハッキリと、鹿島の気持ちが伝わっていた。

 

「――ありがとう、鹿島」

 

そう言って、俺はそっと、鹿島の涙をすくってやった。

枯れることを知らない涙をいつまでも――。

 

 

 

家に戻る頃には、もうすっかり空も明るくなっていた。

 

「流石に眠いぜ……」

 

寝室へと向かう途中、居間に寄ると、そこには夕張が居た。

 

「……お帰り」

 

「ただいま……って、どうしてお前が居るんだ?」

 

「提督の帰りを待っていたのよ……。昨日からずっとね……」

 

そう言う夕張は、どこか眠そうであった。

 

「昨日からって……何か用事でもあったか?」

 

そう問い掛けると、夕張は膝を抱え、黙り込んでしまった。

ふと、昨日、俺があの場所へ向かう事に、夕張が納得していなかったことを思い出した。

――なるほど。

 

「心配して、待っていてくれたのか?」

 

夕張は何も言わなかった。

 

「……そうか」

 

俺はそのまま居間の畳に寝転がった。

 

「……上手くいったの? 鹿島さんとの交流……」

 

「上手くいったかどうか、そういうことはよく分からんが、とにかく、鹿島は来てくれたよ」

 

「そう……。どんなことを話したの?」

 

「色々だ。とにかく、色々……ふわぁ……」

 

俺が大きな欠伸をすると、夕張も同じように欠伸をした。

そして、これまた俺と同じように寝転がった。

 

「今は……とにかく眠くて……。心配して待ってくれていたのに……悪いが……話はひと眠りした後にさせて欲しい……」

 

そう言って目を瞑る。

体の力が抜けて行く。

 

「……ねぇ、もうあの場所に行かなくていいの?」

 

「いや……鹿島があの場所に行くというのなら、俺も一緒に行こうと思う……。そんな約束をしてきた……」

 

「なにそれ……?」

 

「ふわぁ……夕張……それ、後じゃないと駄目か……? 俺はもう……限界だ……」

 

「後にしてもいいけど……。これだけは約束して……。絶対に……無理はしないって……」

 

「分かった……。約束するよ……」

 

徐々に意識が遠のいていく。

 

「絶対よ……」

 

「あぁ……」

 

適当な返事。

もはや、夕張が何を言っているのか、よく分かっていなかった。

 

「提督……」

 

「ん……」

 

「――……」

 

夕張が何か言ったのを最後に、俺は意識は夢の世界へと旅立った。

 

 

 

顔に何か違和感があり、目を覚ます。

 

「んぁ……?」

 

「わぁ!?」

 

「ふわぁ!?」

 

驚きの声をあげたのは、皐月と卯月であった。

 

「皐月……卯月……? お前たち……どうしてここに……」

 

起き上がると、そこら中にペンが落ちていることに気が付いた。

 

「なんだこりゃ……?」

 

状況が理解できないでいると、皐月と卯月は、何やら俺を見てクスクスと笑い出した。

 

「起きちゃいましたね」

 

声の方を見ると、そこには鹿島の姿があった。

 

「おはようございます」

 

「お、おはよう……」

 

戸惑う俺に、鹿島は手鏡を渡した。

自分の顔を映してみると――。

 

「な、なんじゃこりゃ!?」

 

驚愕と同時に、皐月も卯月も吹き出す様に大笑いした。

俺の顔は、滅茶苦茶な落書きで埋め尽くされていたのだった。

 

「鹿島!?」

 

「うふふっ、ごめんなさい。気持ちよさそうに寝ていたものですから」

 

そう言って笑う鹿島。

駆逐艦二隻も笑っている。

 

「…………」

 

俺はまだ夢でも見ているのかと思い、頬をつねった。

しっかりと痛みが走る。

一体、何が起こったのか。

まるで世界がひっくり返ったかのような……。

そんな俺の心を知ってか、鹿島は言った。

 

「夢ではありませんよ。ちゃんと、私たちはここにいます。ね、二人とも」

 

二隻が頷く。

まだ呆然とする俺に、鹿島は真剣な表情で向き合った。

 

「お二人には事情をお話ししました。雨宮さんは、他の人間とは違うんだって……。そして、私の事も……。貴方が私を救ってくれたことも……全て……」

 

「鹿島……お前……」

 

「私も……雨宮さんの力になりたいと思ったのです。貴方が私の罪を共に背負ってくれるというのなら……私も……貴方の苦しみを共有したいと思ったのです……。だから……」

 

その気持ちを理解しているのか、駆逐艦二隻は鹿島に寄り添った。

 

「私に出来ることなんて……これくらいしかないけれど……。それでも……共に歩んでくれますか……?」

 

鹿島の姿を見て、駆逐艦二隻も、まるで自分の事のようにして、頭を下げた。

 

「お願いします!」

 

「お願いしますぴょん!」

 

如何に鹿島が駆逐艦たちに愛されているのかが、よく分かった。

それと同時に、やはり、鹿島がキーマンであったのだと――そう実感した。

まだ頭が状況に追いついていないが、とにかく――。

 

「……あぁ、もちろんだ。こちらこそ、よろしくな。鹿島」

 

差し出された手を鹿島はしっかりと握った。

 

「はい、よろしくお願いいたしますね! 提督さん! うふふっ」

 

この島に来てから、ずっと鹿島のふくれっ面ばかり見て来たものだから、その真っ白な笑顔に、俺は思わずドキッとしてしまった。

 

 

 

「では、また」

 

「司令官、またね!」

 

「おう、またな」

 

去って行く三隻を見送り、俺は縁側へと倒れ込むように座った。

 

「はぁ~……」

 

まだ、夢を見ている気分だ。

それに、頭も回っていない。

あんなにも苦労して、結局駄目だった駆逐艦との交流は、鹿島のたった一声で、成功してしまった。

卯月も皐月も、俺の事を司令官と呼ぶようになったし、次は第六駆逐隊も連れてくるとのことであった。

 

「本当……怒涛の展開に頭が回らんぜ……。お前もそうだろう? なぁ、大淀」

 

俺の呼びかけに、大淀は家の陰から姿を現した。

 

「気が付いていたのですね……」

 

「そりゃ、あんな熱い視線を送られていたらな。俺と鹿島、駆逐艦が上手くいっているのか、様子を見に来た……って所か?」

 

大淀は何も言わず、少し離れて縁側に座った。

 

「お陰で鹿島とも上手くいったよ。ありがとう」

 

「いえ……私がやらなくとも、きっと鹿島さんは、貴方と交流を持とうとしたでしょう……。最初から、貴方の事を気にかけていたようですから……」

 

「それはお前にも言える事なんじゃないか? 今回の鹿島の件で分かったよ。お前も鹿島も、救いを求めているんだってな」

 

大淀は何も言わない。

だがそれは、否定とも肯定とも取れる様な――とにかく、読めない沈黙であった。

 

「案外、この島に残っている艦娘ってのは、皆が皆、救われるのを待っているのかもしれない。口では否定しつつも、それを乗り越えて救ってくれる――謂うなれば、ヒーローのような人間を待っているのではないだろうか?」

 

「……貴方がそのヒーローだと?」

 

「お前はどう思う? 俺をヒーローに仕立て上げたお前は、俺をどう見る?」

 

大淀は俺を見なかった。

それが答えであった。

 

「……お前のヒーローは、お前を苦しめる要因そのもののようだな」

 

「……私は救いなんて求めていません」

 

「じゃあ、何を求める? 何が欲しくてここにいる? 何を恐れてここにいる?」

 

「私は……」

 

大淀は拳をぎゅっと握りしめると、その身を小さく震わせた。

 

「……やはりお前も、救われないといけないようだな」

 

俺がそう言うと、大淀は何も言わずに立ち上がり、足早に去って行った。

 

「ヒーロー……か……」

 

大淀の敵は、俺なのか、それとも――。

そんな大淀の姿を見ていると、俺はどうも――を思い出していけない。

 

「あぁ、そうか……」

 

そうだ。

大淀は――と似ているんだ。

だからこそ俺は、大淀に『俺を俺として見て欲しい』と思っているんだ。

奴の事を忘れて欲しいと思っているんだ。

 

「…………」

 

俺は手帳に仕舞っていた、一枚の写真を手に取った。

 

「――……。俺は……」

 

写真に写った俺の隣で、その人は優しく微笑んでいた。

永遠に――ずっと――。

 

 

 

 

 

 

目覚ましが鳴るより早く、朝から元気いっぱいな太陽に、俺は起こされた。

 

「ふわぁ……はぁ~……。もう朝か……」

 

遠くで聞こえる鶏の鳴き声。

スッキリと晴れた大きな空。

なんともご機嫌な朝であった。

 

「……いよいよ今日か」

 

あれから数日。

鹿島と二隻の駆逐艦――皐月と卯月とも、もうすっかり仲良くなっていた。

今日はその次のステップとして、鹿島が第六駆逐隊を連れて来てくれることになっている。

昨日はその事で頭がいっぱいで、十分な睡眠がとれなかった。

 

「はぁ~……」

 

眠気と、交流が上手くいかないんじゃないかという不安が、布団の重さと共に、俺にのしかかっていた。

 

「……いや、今は鹿島もいるんだ。それに、駆逐艦の扱いも実践で学んできたんだ。大丈夫、大丈夫だ……」

 

自分に言い聞かせ、俺は大きく息を吸い込み、起きる為の気合を溜めた。

 

「……っし! 起きるか! おりゃあああ!!!」

 

思いっきり布団を剥いだ時であった。

 

「あんっ!」

 

謎の声。

そして、布団を剥いだ跡には、裸の女が蹲っていた。

 

「……は?」

 

俺の思考は、一気に停止へと追い込まれた。

 

「もう……いきなり剥ぐなんて……。でもお姉さん、そういう強引なのも……案外好きよ?」

 

同時に、カメラのシャッター音と、激しい光が俺を包んだ。

 

「な……!?」

 

発光元を向くと、そこには別の女が、意気揚々した表情で立っていた。

 

「『正体見たり! 島の重鎮たちを手中に納めたその手口とは!?』記事はこれで決まりですね!」

 

思考が音を立てて巡りだし、俺はやっと状況を理解した。

 

「……そういうことかよ。覚悟はしていたが、まさかこんな強引な手を使うとは、思っていなかったよ……。陸奥、青葉……」

 

俺がそう言うと、陸奥と青葉は、なんとも悪い表情を浮かべた。

本当、怒涛の展開だ。

一難去ってまた一難とは、まさにこの事だ。

 

「さて……どうしたもんかな……」

 

どうやら俺は『ハニートラップ』に――いや、『ハニートラップ』へと、強引にハメられたらしい。

 

――続く


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