不死鳥たちの航跡   作:雨守学

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第32話

【ケッコンカッコカリ】って、ご存知ですか?

戦時中――第一次の方です――提督が艦娘に指輪を贈ることで、艦娘の【馬力】が上がるとされていた、儀式みたいなものです。

実際には【馬力】が上がるというよりも、提督を守りたい気持ちが強くなることで、戦力が向上したように見えただけのようですが……。

そんな儀式を知ってか知らずか、第二次でも、艦娘達が彼に、何か特別なものを求めたようで――それが、【幸福のキス】だった。

 

【幸福のキス】については、有名だから知っていると思いますが、実はケッコンカッコカリと同じで、キス自体に意味はないんです。

それを求める艦娘達が、何としてでもMVPをとろうと――MVPをとった艦娘が、してもらえることになっていたんです――精一杯戦う事で、ケッコンカッコカリと同じ結果を生み出していたんです。

――と、結論付けられたのですけれど、やっぱり私は、皆さんが仰るように、彼のキスには、特別な力というか、誰かを幸せにする力があると思うんです。

そうじゃなかったら、たった一年で――それも、一隻も大破させずに戦争を片付けることは、できなかったんじゃないかなって……。

…………。

フフ……ここだけの話なんですが、純粋な人間で、初めて彼とキスしたのは、私なんです。

艦娘や元艦娘に先を越されてはいたようなんですが、それでも……えへ……。

 

――……。

そうですね……。

でも、いいんです。

彼には、たくさんの幸せを貰いましたから。

だから、いいんです……。

それに、彼は言ってくれたそうですよ。

私の事を『大切な人』だって。

……フフ、それを知った彼女の顔を、私も見たかったなぁ。

そうしたら、この気持ちも、きっと――なんてね。

 

『柊木紫 著『戦争を終わらせた男』――賞受賞インタビュー』より

 

 

 

 

 

 

『不死鳥たちの航跡』

 

 

 

 

 

 

薄明の空の下、本部の門の前で待っていると、大きな荷物を持った柊木が姿を現した。

 

「よう……」

 

俺の存在に気付くと、柊木は驚いた表情のまま、固まってしまった。

 

「……酷いじゃないか。俺に内緒で出て行くなんてさ……」

 

驚愕と混乱。

二つの表情を見せる柊木。

だが、その表情も、徐々に崩れてゆき――。

 

「柊木……」

 

「どう……して……」

 

「……天音上官だよ。ほら、俺は上官と一緒に、取り調べを受けていたからさ……。内緒にして欲しいと言われていたそうだが、知っての通り、上官はお節介なところがあるからさ……」

 

あの日――柊木から高速修復材を受け取った日――俺が島へ戻ったのを確認した天音上官は、高速修復材の製造を、自ら告発した。

本部は情報をもみ消そうと動いたようだが、彼女を慕う者――その声が大きかったこともあり、存在を認めざるを得なくなった。

だが、高速修復材の存在よりも、無断で製造したことが問題なのだと、天音上官への処遇は厳しいものとなった。

 

「艦娘との関わりが無ければ、高速修復材は製造出来ないだろうと、俺にも疑惑の目が向けられた。けど、最後まで、上官は俺を庇ってくれたよ……。無論、お前の名前も、最後まで吐かなかった……」

 

「…………」

 

「……それでも、行くのか?」

 

柊木が頷く。

 

「これ以上……迷惑かけられないから……。私が高速修復材を研究していたことは、実は本部にバレていたようなの……。でも、天音上官を慕う人たちが、上官の意志を汲んで、何とか隠蔽してくれたようなの……」

 

「そうだったのか……」

 

「その恩に報いる為にも……私は……」

 

色々と葛藤があったのだろう。

柊木は俯くと、拳を握りしめていた。

 

「……それにしても、酷いよ。私の気持ち、分かっているはずでしょ……? なのに、待ち伏せなんてして……」

 

「それはこっちの台詞だ……。黙って出て行こうとしやがって……。それも、あんな手紙を寄越してさ……」

 

柊木は恥ずかしそうに俯くと、そのまま俺の胸に頭を預けた。

 

「柊木……」

 

そっと抱きしめてやると、柊木もまた、恐る恐る、俺を抱きしめた。

 

「せめて……礼くらいは言わせろよ……。どんだけ泣いたと思ってんだ……。艦娘達に心配されたほどだぞ……」

 

「……うん。ごめんね……」

 

永い永い、沈黙が続く。

お互いに、手紙に書かれた最後の言葉について、詳しく触れることは無かった。

空が、徐々に明るくなって行く。

 

「本当に……行ってしまうのか……?」

 

「うん……」

 

「また、会えるか……?」

 

「……うん」

 

躊躇いが見られる返事であった。

その意味が、俺には痛いほど伝わってきて――そしてそれは――。

 

「また、会えるよ……。雨宮君が頑張ってくれたら……」

 

「……あぁ、頑張るよ。すぐに、会いに行ってやる……!」

 

「うん。会いに来て。その時は『同僚』ではなく、『友達』として、私に会いに来て」

 

そう笑う彼女の表情が、徐々に歪んでゆく。

だがそれは――それを証明するかのように、俺の瞳から――零れ落ちていった。

 

「雨宮君……」

 

「柊木……俺……」

 

彼女は俺の首へ手を伸ばすと、そのままそっと抱きしめ、キスをした。

 

「――……」

 

ゆっくりと離れて行く彼女に、俺はもう一度、キスをした。

彼女は驚きながらも、目を瞑り、それを受け入れた。

そして、一筋の涙を見せた。

 

「柊木……」

 

「えへへ……ファーストキス……捧げちゃった……」

 

「……俺も同じだ」

 

「え……!?」

 

「純粋な人間でキスをしたのは、お前が初めてだ……」

 

そう言ってやると、柊木は噴き出すように笑って見せた。

 

「わ、笑うなよ……! 情けないのは認めるが……」

 

「ふふ、ううん。違うの。純粋な人間で、ってことは、艦娘や元艦娘にはされたことがあるのかなって。普通に、ファーストキスとだけ言えばいいのに。そういう正直なところが、雨宮君らしいなって」

 

恥ずかしそうにする俺の頬に、柊木は軽くキスをした。

 

「そういうところが、大好きだったよ」

 

「……今は好きじゃないのか?」

 

「そうだと困るでしょ?」

 

俺が何も言えないでいると、柊木は門の外側へと出た。

 

「嘘、今でも大好きだよ」

 

「フッ……おい、ズルいぞ。俺が出られないからってさ」

 

「出られないから、正直になれるんだよ」

 

そう言うと、柊木はじっと、俺の目を見つめた。

 

「雨宮君」

 

「ん?」

 

「ありがとう。あの日――あの場所で貴方に会えて、本当に良かった。初恋の相手が貴方で、本当に良かった」

 

「……あぁ。俺も、お前に会えて良かったよ……。ありがとう……柊木……」

 

「じゃあ……そろそろ行くね……。また、会おうね」

 

「あぁ……。必ず会いに行く……。すぐに行くからな……。俺がこの向こう側へ行けるか、お前が立派な小説家になるか、どっちが先か勝負だ!」

 

「うん、待っているね。絶対、負けないからね」

 

「柊木……」

 

「じゃあ……またね……」

 

柊木は、少し躊躇った後、駆け足で去って行った。

 

「柊木……!」

 

彼女の姿は、すぐに見えなくなってしまった。

悲しい別れのはずなのに、空はいじわるでもするかのように――或いは、新たな門出を祝うかのように――陽の光を迎え入れていた。

 

 

 

島へ戻る許可が出た頃、天音上官の異動を知った。

 

「取り調べから、姿を見ないと思っていたんだ……」

 

「どうやら、坂本さんと同じ――基地にいるみたいだぜ。あそこには研究所もあるから、高速修復材の製造に着手するんじゃないかと噂になっている」

 

「本部は認めたという事か!? 高速修復材の使用を!」

 

「さあな。あくまでも噂だ。ただ、噂が本当であるのなら、本部の凝り固まった保守体制に、何かしらの変化があったのだと言えるだろうな」

 

そう言うと、鈴木はニヤリと笑った。

 

「知っているか? 上層部の不祥事などを内部告発した奴がいるって噂。もし不祥事が本当なら、革命が起きるぞ。上層部の総入れ替えとなれば、坂本さんや天音上官の息がかかった連中が選任されることになるだろう。いや……天音上官の異動が――基地だった時点で、革命は既に完了しているのやも……。だとすれば、件の内部告発も……」

 

それ以上は邪推だと思ったのか、鈴木は首を横に振って、話題を変えた。

 

「そういや、艦娘達が寂しがっていたぜ。お前はまだ帰らないのか……ってよ」

 

「そうか。まあ、連絡できていなかったし、帰れるかどうかも分からない状態だったしな」

 

「今日帰ることも伝えていないんだろ? 急なサプライズに、泣かれても知らんぜ」

 

「それはどうかな……」

 

ため息をつく俺に、鈴木は怪訝そうな表情を見せていた。

 

 

 

島に戻り、寮へと向かっていると、俺の存在に気が付いたのか、皆が出迎えてくれた。

 

「しれえ!」

「提督!」

 

駆け足で近づいてきたのは、雪風と明石であった。

ほかの連中は、ゆっくりと近づいてくる。

……怪訝そうな表情で。

 

「提督……大丈夫でしたか……? 高速修復材の件……問われたのでは……?」

 

「あぁ……。でも、大丈夫だ。こうして戻って来れたのが、なによりの証拠だ」

 

「高速修復材の使用許可は……」

 

「まだ先の話になるだろうが、その内、使用許可がおりるだろう。心配すんな」

 

ホッと胸を撫で下ろす明石の後ろで、夕張が冷たい視線を俺に向けていた。

 

「で? 貴方の大切な大切な彼女さんは、無事だったのかしら?」

 

こいつ、また言ってやがる……。

 

「だから、彼女じゃねぇって言ってんだろ……。柊木は、海軍を去っちまったよ……。だが、高速修復材の製造は、天音上官に引き継がれそうだから、心配すんな」

 

「どうだか……」

 

この「どうだか」は、彼女じゃないって事に対して言っているのだろうな……。

高速修復材の事を――柊木の事を話したあの日から、皆(特に夕張)は、柊木の事をやたらと気にし始めた。

俺が「大切な人」と言ったことに、何か思うところがあったらしい。

 

「提督、柊木さんという方は、本当に恋人ではないのですか?」

 

「だから、違うって言ってんだろ……。しつこいぜ……」

 

そう言ってやると、大淀はポケットから、柊木の手紙を取り出した。

 

「お前、それ……」

 

「悪いとは思ったのですが……見つけてしまいまして……」

 

手紙の内容を知っているのか、皆の視線が俺に向けられる。

 

「『一人の女として、貴方の事が好きでした』って書いてあったけれど……この手紙を読んで、あんなに号泣して、何もないって訳ないでしょ……」

 

「何もないとは言っていないだろ……」

 

「じゃあ、何があったってのよ……」

 

めんどくせぇ……。

 

「どうでもいいだろ……。そんなに俺のことが信じられないのか?」

 

そう言ってやると、数隻の艦娘は、申し訳なさそうな表情を見せていた。

相変わらず、こういうのには弱いよな。

 

「とにかく……そういう事だ……。帰って来て早々悪いが、色々と片付けなければならないことがあるから、今日は寮に戻れん。飯も結構だ」

 

「お仕事であれば、大淀もお手伝い致しますが……」

 

「いや、仕事ではあるのだが、お前たちには見せられない資料も出したりするから、大丈夫だ。それに、俺がいない間、色々と大変だっただろう? 支給品と一緒に、詫びの品をいくつか用意したから、ゆっくりして欲しい」

 

詫びの品を預け、夕張の冷たい視線を無視しつつ、家へと向かった。

 

 

 

倉庫から過去の資料を運び出すと、中々の量になっていて驚いた。

 

「かれこれ一年くらい経つのか……」

 

本部から、資料をまとめて送るよう指示があった。

高速修復材の事もあり、何か疚しいことが無いか、今更チェックすることになったらしい。

 

「何もねぇっつんだよ……。よっと……!」

 

段ボールいっぱいに資料を詰め込む。

日付の新しい資料は、枚数が少なく、まとめ方も綺麗であった。

 

「この辺りのは、大淀の仕事か。インデックスまで付いてやがる」

 

そんなことを言いながら資料をまとめていると、霞がやって来た。

 

「おう、何か用事か?」

 

「……なにしているの?」

 

積まれた段ボールを見て、何やら険しい表情を見せる霞。

あぁ、なるほど……。

 

「実は、島を出ることになったんだ……」

 

霞は数秒固まった後、零すように「ウソでしょ……」と言った。

 

「あぁ、嘘だ」

 

一瞬、ムッとした表情を見せたが、霞は大人しく、少し離れた位置に座った。

 

「何か用事か?」

 

「別に……。何もすることないし、交流しにきてあげているのよ」

 

交流……ね……。

 

「さっきも言ったが、見せられない資料がいくつかある。構って欲しいのなら、後にしてくれないか」

 

「別に構って欲しいわけじゃ……。それに、見ないように、こうして離れてあげているじゃない……。仮に見ちゃったとしても、誰にも言わないわよ……」

 

「そうかい……」

 

何を言っても無駄そうなので、そのまま作業を続ける事にした。

 

「……その資料、どうするの?」

 

「本部に送るんだ。今更、見たいんだってよ」

 

「そう……」

 

霞はしばらく作業を見ていたが、退屈になったのか、どこかへ行ってしまった。

 

「本当、何しに来たんだ……?」

 

しばらくすると、コーヒーを持って戻って来た。

 

「そろそろ休憩したら……?」

 

「ん、あぁ……そうだな。ありがとう」

 

そういや、この前も似たような事が……。

ああ、なるほど……。

 

「フッ……」

 

「……なに?」

 

「いや、せっかく素直になったのだから、こんな回りくどい事しなくてもいいのにと思ってな」

 

霞はコーヒーを啜った後、そっとカップを遠ざけた。

そして、なにも言わず、胡坐をかく俺の足に、背を向けるようにして座った。

 

「コーヒーは嫌いか?」

 

「……あまり好きじゃない」

 

「無理して合わせてくれなくてもいいんだぜ」

 

「分かっているわよ……。ただ……」

 

「ただ?」

 

「……何でもない」

 

霞は胸に寄り掛かると、退屈そうに俺の手で遊び始めた。

 

「ただ甘えに来た……って訳じゃなさそうだな」

 

「なんで分かるの……?」

 

「当てられたら嫌そうな事は、大体当たっちまうだけだ。敷波で証明済みだ」

 

「ふぅん……」

 

遊んでいた手を放ると、霞は体を横にして寄り添った。

 

「あんたって……艦娘以外にもモテるのね……」

 

「柊木のことか?」

 

小さく頷く霞。

なるほど。

他の連中と同じで、柊木の事が気になって、ここへ来たらしい。

 

「俺も驚いているよ。今まで、ロボットか何かと思われていたらしいからな。尤も、柊木は特殊と言うか……最近出会った奴ではないからな」

 

「……他にも、艦娘以外であんたを好きだって言ってくれる人はいるの?」

 

「あー……まあ、いるっちゃいるが……」

 

ヒナとアンの顔が頭に浮かぶ。

 

「……そう」

 

「それが何か? まさか、ヤキモチか?」

 

揶揄うように言ってやったが、霞は何も言わず、耳を赤くするだけであった。

 

「悪態すらつけなくなっちまったか」

 

「そうする必要が無くなっただけ……よ……」

 

霞は向き合うと、顔を隠すようにして、俺を抱きしめた。

 

「さっさと島を出ないと、誰かと結婚してしまうぜ」

 

「あんたが私たちを残して行くわけないじゃない……」

 

「じゃあ、何故ヤキモチを?」

 

霞は少し考えた後、そっと俺から離れ、小さく「知らない」と言って、そのまま家を出て行ってしまった。

 

「揶揄い過ぎたか」

 

それにしても、ヤキモチか……。

恋かどうか分からない、と言っていたし、本人も困惑しているんだろうな。

 

「さて……仕事の続きだ……」

 

 

 

翌日の早朝。

資料を鈴木に渡し、船を見送っていると……。

 

「……っ!?」

 

急に何か気配を感じ、隣に目を向けると――。

 

「ビッ……クリした……。お前か……」

 

山城は申し訳なさそうな表情を見せると、遠くの船に目を向けた。

 

「あぁ、鈴木を見送っていたんだ」

 

「随分な荷物を持っていったようだけれど……」

 

「全部、お前らに関する資料だよ。たった一年であの量だぜ。今より艦娘が多かった時代は、一体どれだけあったんだか」

 

山城は何故か、ホッとしたような表情を見せていた。

 

「で? お前は何を?」

 

「別に……貴方の姿が見えたから……」

 

「俺の姿が見えたから……なんだってんだ?」

 

山城は何故か、黙り込んでしまった。

 

「……まあいい。せっかくだ。少し、歩かないか?」

 

山城は素直に頷くと、隣を歩き始めた。

 

 

 

空が明るくなってゆく。

風は少し冷たく――だが、却ってそれが気持ちいいくらいであった。

 

「ふわぁ……」

 

「……眠そうね」

 

「まあな……。遅くまで資料をまとめていたんだ。で、資料回収がさっきだろ? あまり眠れていないんだよ……」

 

「そう……」

 

もう一度欠伸をして見せると、山城が足を止めた。

 

「ん、どうした?」

 

山城は辺りを見渡すと、程よい流木を見つけ、そこに座った。

俺をじっと見つめながら。

 

「隣に座れと?」

 

山城は何も言わない。

でもまあ、そういう事だろうな。

 

「ん……」

 

隣に座ってやると、山城は近付き、体を密着させた。

 

「寒いのか?」

 

「……少し、寝たら?」

 

「え?」

 

「肩……貸してあげるわ……」

 

思わぬ提案に唖然としていると、山城は顔を背けながら「嫌ならいいのよ」と言った。

 

「え、あぁ……嫌ではないが……。どうした急に……?」

 

「別に……眠そうだったから……」

 

いや、まあ、そうなのだろうが……。

だからって――そう提案する理由を知りたかったのだが……。

 

「どうするのよ……」

 

やはり顔を背けながら、反応を待つ山城。

何を考えているのかは分からん……が……。

 

「じゃあ……まあ……頼むよ……」

 

恐る恐る、肩を借りる。

が、小柄な山城の肩は、俺にとっては――。

 

「……こっちの方がいいわね」

 

そう言って、膝を指す山城。

 

「い、いや……流石にそこまでしてもらわなくても……」

 

「……いいから!」

 

半ば強引に、膝の上に寝かせられる。

小さな肩とは違い、太ももは――。

 

「……どう?」

 

「どう……って言われてもな……」

 

訳分からない状況だし、山城が何を考えているのかも分からんし……。

正直、困惑しかない。

けど……。

 

「ふわぁ……」

 

なんか……急に眠気が……。

 

「寝てもいいわよ……」

 

そう言って、俺の頭を撫でる。

その行動に驚いたが、今は――。

 

「ん……」

 

瞼が徐々に重くなって行く。

意識も、また――。

 

「お疲れさま……。提督……」

 

労いの言葉……。

山城が、俺に?

本当……一体……どういう風の吹き回し――……。

 

 

 

「……いっ!?」

 

後頭部に痛みが走り、目が覚めた。

 

「な、なんだぁ……!?」

 

体を起こし、寝惚け眼を擦ると、遠くへ走って行く山城の背中が目に入った。

ああ、そうだ……。

確か、膝枕されていて――。

 

「おはようございます」

 

声の方を向く。

 

「大和……」

 

大和は隣に座ると、ニコッと笑顔を見せた。

 

「朝食の時間になってもいらっしゃらないので、皆で探していたのですよ?」

 

空はすっかり明るくなっていた。

 

「そうだったか……。悪い……」

 

「それなのに、提督は山城さんの膝枕で、スヤスヤ眠っていた、と」

 

「……悪いと言っているだろう。つーか、膝枕だって、山城が無理やりだな……」

 

「でも、安心して眠っちゃったのですよね?」

 

揶揄うように、ニマニマ笑う大和。

珍しい表情だ。

 

「昨日の仕事で疲れていただけだ。早朝に、資料を取りに来る船もあったし……」

 

「なるほど。あの船は、そうでしたか……」

 

何故か、ホッとする大和。

そういや、山城も同じような反応を……。

 

「早朝に、船が島を出て行くのが見えたのです。その時は、特に気にも留めなかったのですが……。朝食の時間に、提督が家にもいないと騒ぎになって――ふと、船の事を思い出して――もしかしたら、その船に乗って、島を出て行ってしまったのではと――霞さんが、資料を段ボールに詰めているのを見たと――今も、大騒ぎになっているのですよ」

 

なるほど……。

色んな要因が重なって、俺が島を出たのではと、勘違いしている訳か……。

すると、大和のホッとした表情は――まさか、山城も同じなのか……?

 

「しかし、まさか、山城さんに膝枕されていただけだったとは……」

 

「すまない……」

 

大和は小さくため息をつくと、どこか安心したかのような表情を見せた。

 

「さて、心配させちまったようだし、さっさと戻るとするか……」

 

そう言って立ち上がろうとする俺の手を、大和は掴んだ。

 

「どうした?」

 

「せっかくです。もう少しだけ、皆さんを心配させませんか?」

 

「え?」

 

「その方が、皆さんに危機感を持ってもらえると思うのです。きっと、島を出るきっかけになるかもしれませんよ」

 

「なんの危機感だよ?」

 

そう問う俺に、呆れた表情を見せる大和。

 

「相変わらずですね……。とにかく、もうちょっとだけ、待ちましょう」

 

そうするまで行かせない、とでも言いたげに、掴んでいる手に力が入る。

 

「……分かったよ」

 

大人しくすると、ようやく手を放してくれた。

 

「しかし、すぐに見つかるぜ……。山城が行っちまったからな……」

 

「大和が山城さんなら、今まで提督を膝枕していた……なんて、言えません。きっと、しらを切るのではないかと」

 

まあ、そうか……。

 

「……大和が提督を見つけた時、山城さん、じっと、提督の顔を覗き込んでいたのですよ」

 

「そうなのか?」

 

「えぇ。それで、大和に気が付いたのか、そそくさと逃げて行ってしまったのです。恥ずかしそうな顔をしながら」

 

なるほど。

その背中を、俺は見たというわけか。

 

「……山城さん、もしかしたら、提督にキスしようとしていたのではないでしょうか?」

 

「キス? 山城が? んなアホな」

 

「じゃあ、どうして、あんなに顔を近づけていたのでしょうか?」

 

「……どれだけ顔を近づけていたのかは知らんが、親父の顔にそっくりだとでも思ったんじゃないのか? あいつ、親父にゾッコンだったようだし」

 

「だからこそ、キスしようとしたのでは?」

 

そう言う大和の表情は、どこか――。

 

「そんなに、山城がキスしたかったことにしたいのかよ?」

 

「い、いえ……そういう訳では……」

 

「仮に好意があったとしても『そういう好意』ではないはずだ。親父に対しても、キスどころか、ハグすら出来ていなかったっぽいんだぜ。夢の中では、ドン引きするレベルでイチャイチャしていた癖にさ」

 

お姫様抱っこまでされていたしな……。

ありゃサブイボものだったぜ……。

 

「それだけ奥手なのに、提督に膝枕をしたのですね……」

 

まるで独り言のように零す大和。

確かに……。

 

「……気まぐれだろ。それに、あいつは案外心配性なんだよ。寝ていない俺を気遣ったんだろ。人間は簡単なことで死んでしまうのだと、心配してのことだろうよ」

 

「心配されるだけの存在、ということですね」

 

コイツ……。

 

「……さっきからなんなんだ?」

 

「え……?」

 

「そんなに好意を持っていてほしいのか? あの山城に……」

 

「そ、そういうわけでは……」

 

「じゃあ、なんなんだよ? どうでもいいだろ……。何故そこまで邪推するんだ?」

 

そう言ってやると、大和は、ムッとしたような――或いは悲しそうな――そんな表情を見せた。

 

「じゃあ……提督はどうなのですか……?」

 

「あ?」

 

「山城さんのこと……どう思っているのですか……?」

 

「どう思っているって……」

 

「山城さんが『そういう好意』を持っているのだとしたら、どう応えるのですか……?」

 

いつだったか、夕張にも似たような質問をされたな。

だが、あの時と今では、俺の考えも――。

 

「どうしてそんな事を知りたがる……?」

 

大和は何も言わず、ただ俯くだけであった。

山城が俺に『そういう好意』を持っていたら……か……。

 

『もし私が……明石と同じように、恋をしていたとしたら……提督はどうする……?』

 

ふと、夕張の言葉が思い起こされる。

嗚呼、そうか……。

あの時と――。

つまり――。

 

「……大和」

 

「…………」

 

「その質問、相手が山城じゃなくても良かったんじゃないのか……?」

 

そう言われ、驚いた表情を見せる大和。

なるほど、当たってしまった……というわけか……。

 

「『そういう好意』なのか……? お前が言ってくれた……好き……ってのは……」

 

大和は何も言わない。

俯き――風に吹かれた髪の合間から、赤い耳が見えていた。

 

「大――」

 

言葉を遮るかのように、大和は突然、俺の手を取った。

顔は上げず――まるで、祈るかのようにして、俺の手を、そっと、自分の胸に抱き寄せた。

永い永い沈黙が続く。

 

「……分からないのです」

 

「…………」

 

「知りたいのか……知りたくないのか……。分からないのです……」

 

大和の体は、小さく震えていた。

 

「知ってしまったら……何かが変わるような気がして……。それは……とても恐ろしいことのようで……。でも……知りたい自分もいて――柊木さんという人を大事な人だと言った、貴方の顔が忘れられなくて――山城さんの膝枕で眠る貴方と、それを優しい表情で見つめる山城さんが――大淀さんが――明石さんが――島を出た皆さんが――……」

 

その一つ一つの正体が『不安』の一言で片付くことは、分かっていた。

今まで、似たような『不安』を、何度も何度も聴いてきた。

だから、分かる。

分かってしまう。

大和の抱く『不安』の正体が。

俺に抱く『好意』の正体が。

そして、それに対する、俺の『答え』が――。

 

「大和……俺は――」

 

その『答え』を、俺は言わせてもらえなかった。

 

「言わないで……」

 

綺麗な瞳の中に、俺の顔が映り込んでいた。

その表情は――。

 

「皆と同じ言葉で……片付けないで……」

 

大和はハッと我に返ると、何も言わず、走り去ってしまった。

 

「…………」

 

唇に残る、彼女の熱。

火傷しそうなほどの――だが、それよりももっと、熱を持っていたのは――。

 

「…………」

 

なるほど……。

どうして彼女が、胸に手を当てていたのか、彼女が離れた今、分かる気がする。

 

「クソ……」

 

皆が俺を見つけ出すその時まで、その場を動くことが出来なかった。

 

 

 

寮へ戻った時には、皆は既に朝食を済ませていた。

 

「どうぞ、提督」

 

「ありがとう、明石」

 

朝食を摂っている間、明石は――というか……。

 

「お前ら、なんだよ?」

 

全員が、朝食を摂る俺の姿を見ていた。

 

「……なんか、朝食に変なのでも入っているのか?」

 

「いえ、いつものメニューです」

 

「じゃあ、どうして部屋に戻らないんだ?」

 

それに、誰も答えない。

 

「明石?」

 

「わ、私は……その……提督の朝食を用意した訳ですし……。見守る義務があると言うか……何と言うか……」

 

見守る義務……。

 

「お前はなんだ? 夕張」

 

「別に……私が何処に居ようと、私の勝手でしょ……。今朝、何処で何をしていたのかは知らないけれど、それも貴方の勝手だって訳でしょ? それと同じよ」

 

霞と大淀も同じなのか、何度も頷いていた。

 

「……そっちの三人は?」

 

大和と山城は、何やらお互いに目を合わせた後、恥ずかしそうにそっぽを向いた。

 

「皆さん、しれえが心配なんですよ。どこかに行ってしまうんじゃないかって。動作一つ一つに、それを示す傾向が表れるかもしれないって、見ている訳です」

 

「なんじゃそりゃ……。俺が島を出て行くわけないだろ……」

 

「分からないじゃない……。恋人作って、出て行くかもしれないし……」

 

そう言うと、夕張はムスッとした表情を見せた。

山風に恋したことを知っている夕張だからこそ、この表情なんだろうな。

 

「そんなに心配なら、島を出たらどうなんだよ?」

 

「島を出たところで、恋人にはしてもらえないんでしょ……」

 

そう言った瞬間、夕張はハッとした。

皆が、夕張に視線を向けていることに――その意味に気が付いたからだろう。

 

「え……あ……その……」

 

恥ずかしくなったのか、夕張は食堂を出て行ってしまった。

皆の視線が、俺に向けられる。

そして、俺が何も言わないところを見ると――気まずい時間が流れる。

 

「やっぱり……夕張さんも……だったんですね……」

 

大和がそう零す。

それに反応したのは、明石であった。

 

「夕張「も」……ってことは……大和さんも……?」

 

大和は何も言わず、俯いてしまった。

皆が皆、互いに目を合わせる。

そして、誰も何も言わない。

永い永い沈黙が続く。

 

「まあ……そうですよね……」

 

そう言ったのは、大淀であった。

 

「島に残る理由も、もはやそうでないとおかしいのかもしれませんね……なんて……」

 

「そ、そうかもね……」

 

明石が同意する。

だが、それ以外のメンバーの反応は薄い。

 

「と、というか……大淀~! やっぱり、大淀も好きなんじゃない~! 提督のこと~!」

 

「え……う、うん……まあ……そう……ね……」

 

「へー……。じゃ、じゃあ、もしかして、山城さんとかも~? とか言っちゃったりして~……えへへ……」

 

山城に視線が集まる。

一瞬だけ――ほんの一瞬だけではあるが、山城はどこか――。

 

「……いえ、私は別に」

 

そう言って、俺をチラッと見ると、そのまま食堂を出て行ってしまった。

 

「あー……なんか……どうなんだろうね~? 今の反応……」

 

「否定……は、していなかった……のでしょうかね……?」

 

何故か俺に問う大淀。

 

「……知らん」

 

俺は、すっかり冷えた味噌汁に口をつけた。

いや……なんだよ……この空気……。

 

「流石はしれえですね。そんなしれえは、一体誰が好きなんでしょうね?」

 

皆が俺を見る。

コイツはまた余計なことを……。

つーか、分かっててやっているだろ……。

 

「……ごちそうさま」

 

食器を重ね、席を立つ。

 

「あ……洗い物は私が……」

 

「……そうか? じゃあ、頼むよ、明石」

 

「は、はい!」

 

食堂を出ようとしたところで、大淀に呼び止められた。

 

「提督、本日のご予定は? もし、お仕事など残っていれば……」

 

「いや……仕事は済んだ。今日は……少し休もうと思う。昨日、遅かったしな……。昼食も、家で簡単に済ますから、お構いなく。心配せずとも、何処にも行きやしないぜ」

 

そう言って笑って見せると、皆も小さく笑ってくれた。

 

「洗い物、悪いな、明石」

 

「い、いえ!」

 

「じゃあ」

 

食堂を出る時、俺は軽く雪風の頭をひっぱたいてやった。

 

 

 

家に帰ると、すぐに眠気が襲ってきて、そのままお昼すぎまで眠ってしまっていた。

 

「ん……あぁ……よく寝たぜ……」

 

ふと、庭に目を向けると、洗濯物が干されていて、気持ちよさそうに風に吹かれていた。

 

「ようやくお目覚め?」

 

声の方を向く。

エプロン姿の霞が、退屈そうな表情で俺を見ていた。

 

「霞……?」

 

「こんなに天気がいいのに、洗濯しないなんて、勿体ないわ」

 

再び庭へ目を向ける。

 

「お前がやってくれたのか?」

 

「そうよ。寮の方で、天気がいいから洗濯しようって話になって――あんたの洗濯物をどうするかで、皆がモメだしてね……」

 

「どうして俺の洗濯物の話が?」

 

「さあね……。結局、私が行くことになったってわけ……。雪風は論外だし、私が一番、害がないだろうって……」

 

何をどうモメたのか、どう害が無いのか――。

今朝のやり取りから、なんとなく想像がついてしまう。

それを裏付けるかのように、霞はため息をついてみせた。

 

「あんたって本当……」

 

俺は何と言っていいのか分からず、ただ頭を掻くことしかできなかった。

 

「まあいいわ……。顔、洗ってきなさいよ。昼食、出来ているわよ」

 

「昼食?」

 

言われてみれば、何やら味噌汁のいい匂いがするような。

 

 

 

顔を洗い終えると、居間に食事が用意されていた。

箸の数を見るに、霞も一緒に食べるようだ。

 

「これ、お前が?」

 

霞は首を横に振ると、小さく「味噌汁だけは私が……」と答えた。

それ以外は、どうやら他の連中が作ったものを持ってきたようであった。

 

「昼食は用意せずともよいと言ったはずだが……」

 

「洗濯物と一緒よ……。あんたが明石さんに洗い物を頼んだものだから、自分も役に立ちたいって、皆が頑張っちゃった結果よ……」

 

なるほど。

昼食にしては量が多いとは思ったが……。

 

「あの山城さんですら、料理していたのよ……」

 

「山城も? あぁ、もしかして、これか?」

 

小皿を一つ取ってやると、霞は怪訝そうな表情を見せた。

 

「なんで分かるのよ……?」

 

「あぁ……まあ……山城だったら作りそうだと思って……」

 

「……他の料理は?」

 

「え? うぅん……そうだな……。こっちのは明石で、こっちは大淀かな……。この二品は大和で……この小さいのは……雪風か?」

 

「……あっているわ」

 

「で……夕張は作らなかった……と。というよりも、部屋から出てこなかった……とか?」

 

それも正解だったのか、霞は少し引き気味に俺を見ていた。

 

「まあ、生活を共にして、永いしな……」

 

「あんたの親父でも、そこまでじゃなかったわ……」

 

「人数が多かったら、俺にだって分からんはずだ。それに、残っている艦娘は……」

 

そこまで言って、俺は閉口してしまった。

 

「残っている艦娘は……何よ……?」

 

「……何でもない。それよりも、せっかくの料理が冷めてしまう。いただきます」

 

そう言って、具沢山の味噌汁から手をつける。

霞はどこか緊張気味に、俺をじっと見つめていた。

 

「ん、美味いよ」

 

「……そう」

 

「フッ……美味しいか、自信が無かったのか?」

 

「別に……。誰が作ったって、味噌汁は美味しいでしょ……」

 

そっぽを向き、味噌汁を啜る霞は、どこか――。

 

 

 

昼食を終え、皿を洗っていると、霞が踏み台を持って近づいてきた。

 

「手伝うわよ」

 

「いや、いいよ。そこまでやってもらわなくても」

 

「明石さんには頼んでいたじゃない」

 

「あれは……まあ……そうだが……」

 

「ん……」

 

洗い終わった皿を、霞は拭き始めた。

 

「やけに積極的じゃないか」

 

「別に……。見ていられないだけよ……」

 

見ていられないだけ……か……。

 

「ムキになっているんじゃないのか?」

 

「え?」

 

「自分が一番、害がないとか言われてさ」

 

そう言ってやると、霞は皿を拭く手を止めた。

 

「図星か?」

 

霞は何も言わない。

 

「おかしいと思ったんだ。嫌々洗濯しに来たような態度でいた割に、味噌汁まで作ってさ。あれだけの量の昼食であれば、具沢山な味噌汁を足そうなどとは思わんはずだろう」

 

「……私が欲しかっただけよ」

 

「だとしたら、俺の反応なんぞ、気にせずとも良かっただろうに。不安そうな表情を見せておいて、それは苦しいぜ」

 

そう言ってやると、霞は観念したのか、大きなため息をついて見せた。

 

「……どうした? らしくない」

 

「……あんたの所為でしょ」

 

「俺?」

 

霞は皿を拭き終えると、縁側に座った。

俺も同じように。

 

「私だって……ビックリしているんだから……。どうして、害がないなんて言われて――こんなにムキになっているんだって……」

 

退屈そうに空を見上げる霞の横顔は、少し寂しそうに見えた。

 

「最近、色々考えちゃうのよ……。私は今後、どうしていきたいんだろうって……。あんたを守りたい気持ちは、まだ強くあるし、だからこそ、島に残っている……。でも……時間が経てば経つほど、あんたを遠くに感じるようになって――あんたが島の外で何をしているのかとか、恋人が出来たらどうなっちゃうんだろうとか――あまつさえ、島の中でも、あんたに好意を持つ人たちがいて――あんたも、満更でもなさそうで――」

 

空を仰ぐその顔が、徐々に下がって行く。

 

「もし……あんたをこの島へ留めるのに、異性としての魅力が必要なら……「害がない」なんて言われるような私には……あんたを……」

 

洗濯物が風に揺れる。

その合間に見える海は、とても穏やかであった。

 

「別に、異性としての魅力でなくとも、俺を島に留めておけるだろうよ」

 

「……どうかしらね」

 

その言葉に――その視線の先に、一体誰がいるのか。

霞の不安を煽るのは、一体――少なくとも、この島にいる誰かであることは――。

 

「……俺はな、霞。島の外で、初恋を知ったんだ。それも、この島に出向して、しばらく経ってからだぜ」

 

「……柊木って人のこと?」

 

「いや、違う。山風だよ」

 

それには流石の霞も、驚愕の表情をこちらに向けていた。

 

「山風って……駆逐艦の山風!? 確かに、動画で見た時、美人になったとは思ったけれど……」

 

霞は、信じられないといった表情を見せていたが、俺の顔を見て、それが事実だと理解したようであった。

 

「しばらく経ってからって……具体的にいつ頃?」

 

「あれは確か……」

 

軽く、山風とのことを話してやった。

 

「――といった感じだ」

 

「しばらくも経っていないじゃない……」

 

確かに、島へ出向してから、実はそんなに経っていなかったのかもしれないな……。

 

「いや、まあ……つまり……なんだ……。俺が言いたいのは……そんな奴が島の外にいても、結果として、こうして島に残っているのだから、異性としての魅力とかは関係ないということだよ」

 

そう言ってやっても、霞の表情が晴れることは無かった。

 

「霞?」

 

「今でも……山風が好きなの……?」

 

その質問に、俺は一瞬、答えに詰まってしまった。

 

「……あぁ。だがそれは、皆にも言えることだ。初恋を知ってからの俺は……」

 

俺の沈黙に、霞は何かを察してくれたようであった。

 

「フッ……でもまあ、だからと言って、安心して欲しくはない。異性がどうだ色恋がどうだ関係なく、俺はお前を島から出すつもりだ。そんな事でいちいち不安になっていたら、簡単に足をすくわれちまうぜ?」

 

その言葉に、霞は、寂しそうな笑顔を見せるだけであった。

 

「さて、そんじゃあ、寮に行ってやるかな」

 

「今日は家で休むんじゃないの?」

 

「モメているんだろ? このままじゃ、気になって休めない。それに……」

 

俺は霞の手を握り、言ってやった。

 

「お前を「害がない」と言った連中に、危機感を持ってもらわなきゃな。今日はたっぷり働いてもらうぞ、霞」

 

そう笑ってやると、霞は小さく「ばか……」と言って、微笑んで見せた。

 

 

 

翌日。

俺は再び、本土へ戻ることになった。

 

「またヒナとアンか?」

 

「どうやら違うみたいだぜ。俺も詳しくは知らねぇが、回収された資料についてだろうな」

 

回収した資料について……か……。

これといって、変なことは書いていないはずだが……。

 

 

 

本部に着くと、多目的室へ行くよう言われた。

扉をノックし、部屋へ入ると――。

 

「失礼しま……え……」

 

「お、来たね」

 

すぐに誰だか分かった。

 

「坂本上官……」

 

「元気そうだね、雨宮」

 

「上官……坂本上官……!」

 

駆け寄る俺の肩を、上官は優しく抱いてくれた。

 

「上官……俺……俺……!」

 

「あぁ……君の活躍は、よく耳にしていたよ……。よく頑張ったな……。本当に……」

 

俺は、情けないほど涙を流した。

再会に対してもそうだが、これまでやってきたことが、全て報われたかのような――ようやく認めてもらえたかのような――そんな気持ちになったからだ。

 

「し、しかし……っ……上官……どうしてここに……」

 

「それについては、後で話そう。まずは……ほら、――屋のケーキを持参したから、一緒に食べよう。話はそれからだ」

 

 

 

ケーキを食べている間、上官は俺を泣き止まさせるために、色々と面白い話をしてくれた。

 

「――そこに天音君が来てね、破廉恥だなんだと叫ぶわけだよ。とは言え、一番興味津々で見ていたのは、彼女だったのだがね」

 

「フッ……天音上官らしいですね……」

 

俺が笑ったのを見て、上官は微笑んで見せた。

 

「それにしても、見ない間に、随分有名になったじゃないか、雨宮。動画、こっちの方でも評判になっているぞ」

 

「お恥ずかしい限りです……」

 

「いや……島を出た艦娘達も、とても幸せそうで……。君がどれだけ努力してきたのか……それが伝わってきてね……」

 

上官は顔を隠すように、空になったコーヒーカップに口をつけた。

 

「上官……」

 

「君が頑張ってくれたお陰なんだろうね。私がこうして、ここに来れたのも」

 

そうであった。

 

「本部に復帰……ですか?」

 

「いや、それはまだ先の話になるだろうね……。私がここに居るのは、君が提出した資料に整合性があるかどうかを見定める為、なんだ」

 

「整合性……ですか……」

 

「当時の責任者は私だからね。君の資料に嘘偽りがないか、本部はそれを見定めたいらしい」

 

なるほど……。

確かに、当時、俺があの島へ出向している事は、坂本上官と一部の人間しか知らなかった。

 

「……まあ、それは表向きの理由だがね」

 

「え?」

 

「君は知っているかね? 上層部の不祥事などを内部告発した者がいる件について……」

 

「え、えぇ……噂程度ではありますが……」

 

「実は、それは本当のことでね。その告発の裏取りをするために、ある程度権限のある私が派遣されたと言うわけだ」

 

「告発の裏取り……」

 

「天音君の異動も、それが関係している。尤も、彼女については、別の理由もあるのだがね」

 

そう言うと、上官は見覚えのある薬品を俺に渡した。

 

「これは……!」

 

「高速修復材だ。天音君から、君に渡してほしいと頼まれた」

 

驚いている俺に、坂本上官は小さい声で言った。

 

「天音君から事情は聴いている。向こうの――研究所では、今、高速修復材の製造に着手している。無論、非公認でだがね……」

 

「非公認って……大丈夫なんですか……?」

 

「バレたらマズいだろうね。しかし、それ以上にマズい情報を、私は握っている。実は、内部告発の件については、ある程度裏が取れているんだ。あと一押しのところまで来ている。その情報が公開されることになれば……分かるね……?」

 

『上層部の総入れ替えとなれば、坂本さんや天音上官の息がかかった連中が選任されることになるだろう』

 

なるほど……。

鈴木の予想は、当たっていたと言うわけか……。

 

「今はこうして、コソコソ渡す事しかできないが、すぐに公認させてみせる。君が道を切り拓いてくれたように、私もきっと、やってみせるよ。雨宮、我々は君の味方だ。今まで一人で背負わせてしまって、悪かったね……」

 

「上官……」

 

再び涙を見せる俺に、上官は気合を入れるよう、肩をがっちりと掴んで見せた。

 

「さて……今日はそれだけじゃないんだ。君から回収した資料を全て見させてもらった。そこで、私からある提案をしようと思ってね」

 

「提案……ですか?」

 

「あぁ。どうやら、今島に残っている艦娘達は、君に惚れているようだね」

 

俺はそれに、何も返すことが出来なかった。

 

「いや、答えずともよい。少なくとも、私にはそう見えるという話だ。そんなモテモテの君には、しばらく島へは戻らず、こちらでの活動に専念してもらいたいのだ」

 

「……それは、どういった理由からですか?」

 

「いや、なに……。私もそこまで女性を知っているわけではないのだがね、女というものは、中々に嫉妬深いと言うか、疑い深いと言うかね……。自分の知らないところで、好きな男が何をしているのか――その行動に、良からぬ妄想をするものなのだよ」

 

上官が苦い顔を見せる。

おそらく、羽黒との事を思い出しているのだろう。

 

「つまり、こちらでの活動を島の艦娘達には伝えず、その良からぬ妄想をさせようと?」

 

「そうだ。だが、活動内容については、ある程度伝えた方が良いだろう。その方が、色々と想像できるだろうしね。君は得意だろう? そういうの」

 

上官がニヤリと笑う。

どうやら資料を全て見たというのは本当らしい。

昨日回収されたばかりだぞ……。

 

「なるほど……。しかし、それが齎す結果とは……?」

 

「君が何をしているのか、島を出て、確かめたくなるはずだ。或いは、良からぬ妄想に背中を押され、君と生きたいと思うやもしれんな」

 

そういう事例があるだろうとでもいうように、鈴蘭寮を見る上官。

確かに、島の連中は、最近、俺がいなくなることを恐れているように思える。

だが、そんなことは何度もあったし、それを乗り越えて残る奴らだ。

特に――。

 

『私は……最後の艦娘として、貴方と共にこの島に残る……』

 

「最終的に決めるのは君だ。これはあくまでも、私からの提案でしかない。だが、もし実行するというのなら、協力は惜しまないし、そうする準備もある」

 

上官の目が、俺の迷いを吹き飛ばしてくれた。

 

「……分かりました。やってみましょう、上官。また貴方と仕事が出来ることを、誇りに思います」

 

「雨宮……」

 

固い握手を交わす。

 

「立派になったな、雨宮……。赤子だった君の手を握ったあの日――君が私の部下になったあの日――幾度となく握手を交わしてきたが、今の君の手は、どの手よりも立派だよ……」

 

「フッ……上官の手が、老いただけでは?」

 

「フフ……それは間違いないな。だが……!」

 

上官が力いっぱい俺の手を握る。

 

「痛ったたたたたたっ!」

 

「これでもまだ老いたと?」

 

「ままま、参りました参りました……! 参りましたから……!」

 

「ハハハ、まだまだ若いのには負けんよ」

 

上官の勇ましい瞳が、俺を真っすぐ見ていた。

体は老いて行けども、その魂はなお健在というわけか。

おそらく、親父も――だからこそ、親父は――。

 

 

 

島の艦娘達へは、坂本上官から連絡してもらった。

 

「いつまでか問われたので、三日と答えておいたよ」

 

「三日ですか?」

 

「無論、三日で帰すつもりはない。三日後に延期を伝える。そっちの方が、リアリティーがあるし、帰ってくるはずの人が帰ってこなかったモヤモヤを抱えることになるだろう。延期を伝える際も、期限は不明とし、連絡頻度も少なくして行くつもりだ」

 

そう言って、ニヤリと笑う上官。

 

「……なんだか、変わりましたね、上官。嫌な性格になったのでは?」

 

「君を参考にしたのだよ」

 

なるほど……。

 

「さて、やることはたくさんあるぞ、雨宮。鹿島が『社会適応試験』の訓練を始める事になった。付き添ってやれ。きっと大喜びする」

 

「分かりました」

 

「訓練の様子は、動画にして、島の艦娘達にも見せるつもりだ。嫉妬させるようなデートを頼むぞ」

 

再びニヤリと笑う上官。

 

「……善処します」

 

それから三日後、島の艦娘達に延期が告げられた。

 

 

 

本土に戻って来て一週間が過ぎた。

 

「ウフ……ウフフ……」

 

「またその動画をみているのか、鹿島」

 

「提督さん。だって、ウフフ……。鹿島と提督さんが、デートしているんですよ? 本当に外の世界にいるみたいで……永久保存版です! ウフフ」

 

上官に言われ、嫉妬を煽るよう色々考えてはいたが、結果として、鹿島がはしゃいでくれたおかげか、何もせずとも、それなりにデートらしくはなっていた。

 

「いいなぁ……鹿島さん……。司令官とデート出来て……」

 

「皐月ちゃんも、たくさん勉強すれば、きっと提督さんがデートしてくれますよ」

 

「本当? 司令官、ボクともしてくれる?」

 

「あぁ、してやるよ。だから、勉強頑張れよ」

 

「うん! 約束だよ!」

 

指切りしてやると、それを見ていた数名が、同じように指切りを求めた。

 

「人気者ですね、提督さん。でも、本物のデートは……鹿島とだけにしてくださいね……? その時はきっと……提督さんがしたい事……たくさんしてあげますから……ね……?」

 

そう言って、体を寄せる鹿島。

 

「あらあら、そんな貧相な体よりも、お姉さんの体の方がいいんじゃない? そうよね? 提督」

 

「む、陸奥さん……。そうなんですか? 提督さん……」

 

「いや、別に……」

 

「そんなに胸が好きなら、提督よ、私の胸も負けていないぞ。ほら」

 

「武蔵……お前、この状況を楽しんでいるな?」

 

そんなやり取りを、白い目で見ている大井。

どこか余裕の表情を浮かべる鳳翔。

ドギマギしている青葉と、呆れ顔の鈴谷と熊野。

駆逐艦たちは、どうすれば胸が大きくなるのかと、潮に詰め寄っていた。

 

「フッ……」

 

やっぱり、ここにいると落ち着くと言うか、安心すると言うか。

気まずくなることがないよな。

上官のこの提案は、俺の気分転換も考えてのことだったのかもな。

 

「か、鹿島だって、その……そういう練習を重ねていますから、きっと提督さんに満足してもらえるはずです!」

 

「わ、私だって……! 提督に裸みせて、反応してもらっているわ!」

 

「……お前らは何の話をしているんだ?」

 

 

 

そこからさらに一週間が過ぎた。

上官によると、俺が帰ってこないことに不安を覚えた連中が、何度も本部へ問い合わせを行っているとのことであった。

 

「ここまで永く島へ戻らなかったのは、初めてのことだしな。そら、心配にもなるよな」

 

そう言いながら島を眺める俺に、山風はコーヒーを渡してくれた。

 

「やっぱり、雨宮君も心配になったりするの?」

 

「ありがとう。いや……最初こそ、心配になったが、今はどちらかというと、俺が居ない方がいい事もあるだろうと思い始めているよ」

 

「雨宮君が居ない方が?」

 

「俺がいると、俺のことで気まずくなることもあったし……山城なんかも、俺がいなければ、自立しようと思えるだろうしな」

 

また引きこもってしまった、なんてことになるか心配だったが、そうなってはいないようだしな。

尤も、そうなる要因も、もう――。

 

「そう言えば、例の噂の件、聞いた?」

 

「あぁ……。とうとう公表されたらしいな。上層部のほとんどは、何かしらの処分を受けるんだろう?」

 

「まだ決まった訳じゃないけれど、多分そうなるだろうね。そうなったら、坂本さんが本部に復帰して、実権を握ることになるかもしれないって」

 

上官……流石だ……。

 

「高速修復材の事も聞いたよ。坂本さんが本部に復帰すれば、艦娘に使用する許可が出るかもしれないね。そうなったら、柊木さんの努力も……」

 

そう言うと、山風は俯いてしまった。

 

「柊木がいなくなって、寂しいか?」

 

「……うん。恋敵ではあったんだけど……友達でもあったから……」

 

確かに、似た者同士だったしな。

 

「あたしね、柊木さんがいなくなったから、雨宮君を独り占めできるーだなんて、思っていないよ。むしろ、柊木さんに負けたなぁって……思っているくらいなんだから……」

 

「負けた?」

 

「雨宮君の役に立って――それも、とても重要なことで――最後、見送ったんでしょ? バレたら大変なのに、そんな危険を冒してまで、見送ってもらえただなんて……」

 

山風は小さく「羨ましい」と言った。

 

「……そうか」

 

慰めることはしなかった。

山風はきっと、俺が柊木をどれだけ想っているのかを――だからこそ、何も言わなかった。

 

「島には、いつ戻るの?」

 

「一か月くらいと考えてはいたが……状況に応じて決めるつもりだ」

 

「……雨宮君的には、すぐにでも戻りたい?」

 

「どうかな……。今戻っても、10日そこらいなかった時と同じ結果になりそうだしな……」

 

「そうじゃなくて……。雨宮君自身が――結果とか関係なく、戻りたいって……思っているのかなって……。皆に会いたいって……思わない……?」

 

俺自身が、あいつらに……か……。

 

「永いこと一緒に居たからな……。でも、こんなこと言っちゃいけないのだろうが、こっちでの生活の方が、気は楽だよ。皆も嬉しそうだし、山風にもこうして会えるしな」

 

そう言ってやると、山風は照れくさそうに「もう……」と言った。

 

「坂本上官は、大井のように行動する艦娘がいるかもしれないと、期待しているようだ。だが、同じように島を飛び出す艦娘はいないだろうと、俺は思う。何かしらの変化はあるだろうが、果たしてそれが、島を出るきっかけになるのかどうか……」

 

「それでも、雨宮君は島へ戻らないんだね。信頼しているんだ。坂本さんのこと」

 

「上官の眼が、俺をそうさせなかったんだ。あの人は今でも、全艦娘の人化を諦めていないんだ」

 

それは自分の為なのか、それとも――。

いや、それは俺も同じか……。

 

「とにかく、今は、鈴蘭寮の連中との時間を大事にしたいと考えている。人化することだけが、俺の仕事じゃないからな」

 

「そうだね。皆も喜んでいたし。ヒナちゃんとアンちゃんの対応も、よろしくね」

 

「……それも、俺の仕事なのか?」

 

「だって、あの子たち、雨宮君の言う事しかきかないんだもん……。ちゃんと手綱を握ってくれないと……。ね? 未来の提督さん?」

 

「勘弁してくれよ……」

 

困った顔を見せてやると、山風は嬉しそうに笑って見せた。

 

 

 

結局、一か月が過ぎた頃、俺は島へ戻ることになった。

 

「失礼します」

 

「遅いぞ、雨宮」

 

「すみません。島へ戻ると話したら、鈴蘭寮の連中が泣きわめいてしまって……」

 

「まあ、駆逐艦はな……」

 

「いえ……駆逐艦ではなく……」

 

それを聞いて、若干引き気味の笑顔を見せる上官。

 

「そ、そうか……。とにかく、今日でようやく、島へ戻れるな。色々とお疲れ様」

 

「ありがとうございます。まあ、島へ戻ってからの方が大変でしょうがね……」

 

「だろうね。ここ数日で、島の艦娘達にも、何か心境の変化があったようだ。最初の方は、何度も君の帰りを催促する連絡があったのだが、最近は、一切連絡が無くなった。おそらく、あえて連絡を途絶えさせ、君に心配をかけさせようという魂胆なのだろう。さすれば、すぐに帰ってくるだろう……と」

 

「だとしたら、今戻るのは得策ではないのでは?」

 

「そういう訳にもいかなくてね……。例の噂の件、公表されたのはいいものの、上層部は抵抗する姿勢を見せていてね。何か別の大きな事件を起こして、うやむやにしようとする動きがあるらしい……。それが事実であるのなら、真っ先に目を付けられるのは、艦娘に関することだろう。君を巻き込む可能性がある以上、早々に島へ帰した方が良いとの判断だ」

 

なるほど……。

 

「一筋縄ではいかないですね」

 

「長年トップに居座る連中だ。彼らを守らんとする奴らも大勢いる。腐っても鯛、と言ったところだな」

 

上官は、遠くの島を見つめながら、小さくため息をついて見せた。

そして、不安そうな俺に気が付いたのか、フッと笑みを零した。

 

「心配するな。そういう動きも予測して、こちらも動いてきたつもりだ。不祥事についても、まだ公表を控えている情報があるんだ。最終的には、それで脅すことになるだろうな」

 

それがどんな情報なのかは分からないが、知らない方がいいと、上官の表情が語っていた。

 

「そうですか……。しかし、残念です……。これでは、島の連中の思う壺では……」

 

「うむ、それなのだがね」

 

上官は机の抽斗から、指輪ケースのようなものを取り出した。

 

「これは?」

 

「指輪だ。これを、右手薬指につけて、あの島へ戻りなさい」

 

「これを右手薬指に? 何故、そんなことを?」

 

「君は知らない方がいい。これを誰に貰ったのか訊かれても、絶対に答えてはいけないよ。それと、指輪は外せないと――外さないようにしなさい。いいね?」

 

「はぁ……」

 

一見すると、婚約指輪のようだが……右手薬指か……。

てっきり、左手薬指につけて、婚約相手がいることを意識させるのが目的だと思ったのだが……。

 

「……右手薬指で間違いないですか? 左ではなく?」

 

「左では駄目だ。右でないと意味がない。右であるからこそ、意味があるのだ。そしてその意味を、君は知らない方がいい。その方が、いい影響を及ぼすだろう」

 

知らない方がいい……か……。

思えば、大和たちにも同じような事を言われたな……。

意味を知らない方がいい……。

その方が、成功率が上がる……。

あの時と同じなのであれば、これはおそらく――。

 

「……分かりました。やってみます」

 

「うむ。おそらく艦娘達は、一か月以上帰還がない事について、君の作戦なのではないかと疑ってかかるはずだ。それを探るために、何か試してくるのやも……。そこに、その指輪を見せつけてやれ」

 

「はい」

 

この指輪に、そんな力があるとは思えんが……。

上官の言う事だ、何か大きな意味があるのだろう。

 

「雨宮、君が次にここへ戻る頃には、高速修復材の使用が認められているはずだ。いや……必ずそうしてみせる。だから君も、次にここへ戻る時には、一隻でもいい……艦娘を連れてこい。いいね?」

 

「……はい! 必ず! 上官こそ、私を失望させないで下さいよ?」

 

「フッ……生意気を……。さ、行ってこい、雨宮!」

 

「行ってきます!」

 

敬礼して見せると、上官もまた、敬礼を返してくれた。

 

 

 

島へ戻ると、いつもは誰かが迎えに来るはずだが、誰も来ることは無かった。

 

「戻ることを伝えているはずだが……」

 

 

 

寮へ行ってみると、夕食を済ませた後なのか、皆が食堂から出てきた。

 

「あ、提督」

 

「よう。戻ったぜ」

 

「お帰りなさい。夕食がまだでしたら、冷蔵庫にお惣菜が残っていますので、それをどうぞ」

 

そう言うと、明石は部屋へと戻って行ってしまった。

一か月いなかったことを、まるで忘れているかのような――そんな、いつもの表情であった。

てっきり、明石はもっと――。

 

「あ」

 

「夕張」

 

「帰っていたのね。夕食がまだなら――」

 

「それは明石から聞いたよ」

 

「そっ」

 

夕張もまた、部屋へと戻って行ってしまった。

なるほど……。

 

『おそらく艦娘達は、一か月以上帰還がない事について、君の作戦なのではないかと疑ってかかるはずだ。それを探るために、何か試してくるのやも……』

 

上官が言っていた通り、この素っ気ない態度こそが、作戦と言うわけか……。

それを証明するかのように、久々に顔を合わせる艦娘達全員が、素っ気ない態度であった。

尤も、山城はいつもの様子であるように見えたが……。

 

「さて……」

 

俺は指輪をそっと、右手薬指につけた。

一体これが、どういう結果を齎すのやら……。

 

 

 

しばらく執務室にこもっていると、痺れを切らしたのか、大淀が様子を見にやって来た。

 

「コーヒーをお持ちしました」

 

「あぁ、悪い。ありがとう」

 

「帰って来て早々、お仕事ですか?」

 

「まあ、そんなところだ」

 

「そうですか。では、私はこれで……」

 

「あぁ、待て」

 

「はい?」

 

振り返った大淀の表情は、わざとらしいほど、とぼけたものであった。

 

「お土産があるんだ。皆に渡しておいてくれ」

 

そう言って、紙袋を渡してやる。

 

「ありがとうございま……す……」

 

大淀の視線が、指輪へと向かう。

とぼけた表情が、一瞬にして、険しいものへと変わっていた。

 

「それだけだ。呼び止めて悪かったな」

 

そう言って、再び書類へ向き合う。

大淀は何か言おうとしたようだが、少し躊躇った後、部屋を出て行った。

 

「完全に指輪を見ていたな……。普通の反応とは違うようだったが、やはり何かあるのか?」

 

 

 

しばらくすると、今度は明石と夕張がやって来た。

 

「おう、どうした?」

 

「本当だ……」

 

そう言うと、明石は俺の右手を取り、指輪をまじまじと見つめた。

 

「提督……これ……どうしたんですか……?」

 

「あぁ……なんか、貰ったんだよ。指輪なんてしたことないから、少し恥ずかしいが……。せっかく貰ったものだしな」

 

「誰から貰ったのよ……」

 

そう問う夕張の目は、どこか――。

 

「それが、誰から貰ったのかは絶対に言うなと、口止めされているんだ」

 

二隻は俺の目をじっと見つめた。

何か、疑っているようだが……。

 

「……提督は、これが何なのか、知っているんですか?」

 

「何って……ただの指輪じゃないのか?」

 

「とぼけないでよ……。知っていて、つけているんでしょ……? じゃなかったら、右手薬指になんてつけないわ……」

 

「いや……マジで知らないんだ……。右手薬指につけろと言われて……。意味があるとしたら、左のはずだろ? 右に、何の意味があるってんだ?」

 

二隻は、やはり、俺の目をじっと見つめた。

そして、嘘偽りがないと確信したのか、大淀と同じような、険しい表情を見せた。

 

「本当に知らないのですね……」

 

「あ、あぁ……。何か知っているのなら、教えて欲しいのだが……」

 

「それは……ケッコンカッコカリの指輪よ……」

 

「ケッコンカッコカリって……戦時中の?」

 

夕張は明石を見た。

 

「間違いないです……。本物です……。戦時中、取り扱ったことがあるので……」

 

ケッコンカッコカリの指輪……。

それも、本物……。

 

「ケッコンカッコカリは……その名の通り、カッコカリであるから、右手薬指につけるのが通例なのよ……。貴方にそれを贈ったのが誰なのかは分からないけれど、その意味を知っているのは間違いないわ……」

 

俺はもう一度、指輪を見た。

 

『右であるからこそ、意味があるのだ。そしてその意味を、君は知らない方がいい。その方が、いい影響を及ぼすだろう』

 

なるほど……。

そういう事だったのか……。

だから、俺が知らない方がいいと――そして、誰から渡されたのか、相手を言わないことで、こいつらは――。

 

「相手は……元艦娘……?」

 

「……いや、だから、それは言えないんだ。相手に言われたからというのもあるが、意味を知ったからこそ、尚更言えない。そういう理由で贈ったかどうかも分からんしな」

 

「元艦娘かどうかだけでも教えてくださいませんか……?」

 

「駄目だ」

 

「じゃあ……せめて外したらどうなのよ……? 皆、その指輪が気になっているわ……。ただのアクセサリーじゃないと知ったのなら、外せるはずでしょう……?」

 

そう言われ、俺は一瞬、躊躇ってしまった。

それは、外して良いかどうかを考えていたからなのだが、明石と夕張には、別の意味として伝わったようで――。

 

「外せないほど……大事な人から貰った……ということなのですか……?」

 

「え?」

 

「もしかして、柊木って人……?」

 

なるほど……。

こりゃ、外さないのが正解か……。

 

「悪い……。外すことは出来ないんだ。外すなと言われているし、個人的にも、外したいとは思わん」

 

「……それは、意味を知ったから?」

 

「……どうかな。とにかく、指輪に込められた意味は理解した。だが、お前らを混乱させるつもりはない。そういう意味でつけている訳ではない。それを皆にも周知して欲しい。俺が言っても、嘘くさくなるだろうから……」

 

明石と夕張は、納得していないといった表情であった。

 

「仮に周知したとしても……皆は納得しないわよ……」

 

「そ、そうですよ……」

 

俺が指輪を外すまで、粘るつもりか……。

……いや、そうか。

 

「……分かったよ。指輪は外すよ」

 

「本当ですか……?」

 

「あぁ。但し、食事だとかの、皆で集まる時だけだ。それなら、混乱させずに済むだろ。それ以外の時は、つけようが外そうが、俺の自由だ」

 

苦い顔を見せる二隻。

だが、反論出来ないのか、黙り込んだままであった。

 

「決まりだな。話は、それだけか? 仕事が残っているんだ。ずっとは構ってやれないぞ」

 

そう言って、俺は書類へ向き合った。

二隻は何も言わず、部屋を出て行った。

 

「効果覿面だな……。しかし……そうか……。ケッコンカッコカリの指輪だったか……」

 

艦娘達に一杯食わせるためとは言え、当時の――貴重な資料であるはずの指輪まで持ち出すとは……。

 

「恐ろしい人だ……」

 

 

 

二隻が去ってから消灯時間まで、誰も執務室へ来ることは無かった。

 

「さて、帰るか……」

 

玄関へ向かうと――。

 

「山城?」

 

玄関ホールに置かれたソファー。

そこに、山城は座っていた。

 

「どうした? 珍しい」

 

「……貴方を待っていたのよ」

 

「俺を? これまた珍しいな」

 

山城は立ち上がると、俺の右手をチラリと見た。

 

「あぁ……指輪のこと、誰かから聞いたのか? もしかして、その事か?」

 

「いえ……。ただ……その……少し……散歩でもどうかと思って……」

 

「散歩?」

 

「えぇ……。嫌ならいいのだけれど……」

 

山城はどこか、不安そうに目を逸らした。

 

「……嫌じゃないよ。散歩だな。いいぜ。行こうか」

 

何か話したいことがある……という事か……。

 

 

 

しばらく海辺を歩いていたが、山城は不意に立ち止まり、近くにあった流木に座り込んでしまった。

 

「どうした?」

 

山城は何も言わず、こちらをチラリと見た。

隣に座れ、という事か。

 

「ん……」

 

座ってやると、山城は近付き、体を密着させた。

そういや、前にもこんなこと――。

 

「あぁ……そうか……。前にも、ここでこうしたことがあったよな。確かあの時――」

 

そう言って、山城に目を向ける。

 

「え……」

 

山城は、俯いていた。

耳を――顔を真っ赤にさせながら。

 

「あー……」

 

なるほど……。

流石に、恥ずかしくなったか……。

 

「……そんなに恥ずかしがるのなら、何故わざわざここに座ったんだ?」

 

「別に……アレが恥ずかしかったんじゃないから……」

 

「え?」

 

「恥ずかしかったのは……大和さんに見られたからで――膝枕自体は……別に……」

 

「そ、そうなのか……」

 

頷く山城。

膝枕は恥ずかしくなかった……か……。

まあ、こいつから提案してきたことだし、そりゃそうか……。

つーか……。

 

「で、どうしてここに? まさか、また膝枕してくれるってか?」

 

揶揄うように言ってやったが、山城は俺をじっと見つめ、小さく言った。

 

「してほしいの……?」

 

「え? い、いや……別に……」

 

「いいわよ……。してあげても……」

 

「え……し、しかし……」

 

「……ほら!」

 

あの時と同じように、半ば強引に、膝の上に寝かせられた。

 

「な、何なんだよ……」

 

「いいから……大人しくして……」

 

いいから……って……。

 

「……分かったよ」

 

どういう訳かは分からないが、どうやら山城は、俺に膝枕をしてやりたかったようだ。

 

「……この為に、散歩へ出ようと誘ったのか?」

 

山城は答えない。

 

「まあ……いいけどよ……」

 

永い沈黙が続く。

海は穏やかで、波の音だけが、辺りに響いていた。

 

「……貴方のその指輪」

 

「ん?」

 

「一度だけ……見たことがあるわ……。扶桑姉さまが……貰っていた……」

 

「扶桑さんが? 扶桑さんって確か……娶られて島を出て行ったんだよな?」

 

「えぇ……。その時に……貰っていたの……。海軍が……用意してくれたらしくて……」

 

ケッコンカッコカリの指輪を……。

中々粋な事をするじゃないか。

当時の海軍は。

 

「今でも……時々思い出すわ……。姉さまの……幸せそうな顔……。左手に光る……指輪の輝きを……」

 

左手……か……。

 

「カッコカリが外れた瞬間って訳か。めでたい話だな」

 

「えぇ……。でも……私は素直に喜べなかった……。最後まで姉さんを祝う事が出来なくて――引きこもってしまって――別れの際にも、顔を合わせることが出来なくて――」

 

その事を悔いているのか、山城は俯いてしまった。

顔が近い。

思わず、ドキッとしてしまう。

 

「悔いているのか……?」

 

山城は答えない。

 

「会いたいか? 扶桑さんに……」

 

山城は答えない。

 

「……島を出れば、会えるんだぜ」

 

山城は――。

 

「山城?」

 

山城はじっと、俺を見つめていた。

その表情は、どこか――。

 

「貴方も……」

 

「え?」

 

「貴方も……いなくなってしまうの……?」

 

その表情――声色――悲しさというか、寂しさというか――色んな感情が、それらに表れていた。

 

「山――」

 

山城は、ぎゅっと、俺の頭を抱きしめた。

突然のことに驚きはしたが、その手が小さく震えているのを見て、徐々に冷静になることが出来た。

 

「山城……」

 

俺は体を起こし、山城に向き合った。

 

「どうした……。指輪を見て……姉さんと俺を重ねてしまったか……?」

 

「…………」

 

「……心配しなくても、俺はどこにも行かないよ。お前が島を出るその時まで、一緒に居てやる」

 

「そんなの……分からないじゃない……」

 

顔を上げた山城は、今にも泣きだしそうな表情で、俺に目を向けた。

 

「そんな指輪貰って……ずっと帰ってこなくて……。連絡も寄越さないし……」

 

山城はそっと、俺の胸に頭を預けた。

 

「山城……」

 

おそらく山城は、扶桑さんとの別れを思い出して、センチになってしまったのだろう。

そうじゃなかったら、こんな事――。

 

「フッ……なんだよ。そんなに、俺に会いたかったのか? 指輪の事も、実は気にしているんじゃねぇか」

 

慰めるように、揶揄ってやった。

いつものように、否定的な言葉が返ってくるのを待った。

しかし――。

 

「そうよ……」

 

「だよな……って、え?」

 

「そうよ……! 悪い……!?」

 

耳を真っ赤にさせ――だが、顔は上げず、山城はそう言った。

 

「え……いや……え?」

 

困惑する俺に、山城は続ける。

 

「どうしてこんなことを思ってしまうのか……分からない……。分からないけど……」

 

顔を上げた山城の目には、涙が浮かんでいた……。

 

「山城……」

 

「……ばか」

 

そう言うと、山城は走り去ってしまった。

 

『山城さんが『そういう好意』を持っているのだとしたら、どう応えるのですか……?』

 

大和の言葉が、思い起こされる。

 

「そういう……ことなのか……?」

 

俺はしばらく、その場を離れることが出来なかった。

 

 

 

翌日。

食堂へ入る直前で、指輪を外していると――。

 

「しれえ! おはようございます!」

 

「……おはよう。相変わらず声がでけぇよ……」

 

「あ! それですか!? 噂になっている指輪!」

 

噂になっている……か……。

雪風にまで知れ渡ってんのか……。

 

「指輪……?」

 

食堂から出てきたのは、不機嫌そうな表情の夕張であった。

 

「……指輪はしてこない約束じゃなかったかしら?」

 

「あぁ、だから、こうして外そうとしているんだ」

 

「どうして持ってきたのよ……?」

 

「どうしてって……。約束は、皆の集まる前では外す……だろ? 持って来てはいけないとは言っていないだろ」

 

「そうかもしれないけど……」

 

「雪風、お前の所為だぞ。お前がデカい声で指輪がどうだと言わなければ……」

 

「すみません!」

 

舌を出して謝る雪風。

絶妙にムカつく表情してんな……。

 

「なんなのよ……」

 

夕張は何やらぶつぶつ言いながら、食堂へ戻っていった。

 

「しれえ」

 

「なんだ?」

 

「雪風を褒めてくださいませんか?」

 

その表情は、子供の雪風ではなく――その意味が、俺には分かっていた。

 

「協力してくれるってんなら、撫でてやってもいいぜ」

 

「抱っこもして欲しいです」

 

「……分かったよ。ったく……子供なのか大人なのか、ハッキリしろよ……」

 

「しれえの困った顔を見たいが為、ですよ。今、そんな顔に出来るのは、雪風だけでしょうからね」

 

得意げな雪風に、お望みの表情を見せてやりながら――抱きかかえながら、俺は食堂へと入っていった。

 

 

 

食事は、とても静かな中で行われた。

皆、何も言わないが、指輪を気にしているようで、右手に視線が集中していた。

指輪が無いのにもかかわらず……。

 

「しれえ」

 

痺れを切らしたのか、雪風が仕掛ける。

 

「指輪、誰に貰ったんです?」

 

その質問に、皆の手が止まる。

俺が黙っていると、夕張が独り言のように呟いた。

 

「内緒って言っていたけれど……本当にいるのかしら……? 提督に指輪を贈った人なんて……」

 

その疑念は皆にもあったのか、俺に視線が集中する。

何か言った方がいいのかとも思ったが、あえて何も言わずに食事を続けた。

 

「しれえが結婚したら、島を出て行っちゃいますか? そうなったら、寂しいです……」

 

迫真の演技だな……。

涙こそ出ていないが、今にも泣きだしそうな表情に、全員が騙されているようであった。

特に、山城なんかは――。

 

「結婚したら、そらここには来れないだろうよ……。だが、結婚はしない。お前らを人化するまではな」

 

「だから、ケッコンカッコカリ……なんですか?」

 

「……さあな。そもそも、これがケッコンカッコカリの指輪とは知らなかったんだ。右手薬指につけていろと言われたが、その意味や理由は、よく分からん」

 

「でも、外さないんですね。しれえも、指輪を贈った人も、お互いを大事にしている訳なんですね」

 

「……どうかな」

 

否定はしない方がいいよな。

実際、そういう意味ではないが、上官は大事な人だしな……。

 

「しれえ、雪風は、霞さんと共に島を出ると言いましたが、もし、しれえが、指輪を贈ってくれた人の事を大事に想っているのなら……雪風は、すぐにでも島を出たいと思っています……」

 

「「「え?」」」

 

皆が驚愕する。

無論、俺も同じであった。

コイツ、何を考えて……。

 

「雪風は、貴方が好きです……。貴方と結婚したいです……。大人になって……しれえに振り向いて欲しいです……」

 

そう言うと、雪風は、そっと近づき、俺にキスをした。

 

「お、おい……」

 

「しれえ……」

 

雪風の瞳に、涙が浮かぶ。

これが嘘の涙であるのなら、大した役者であるが……。

 

「……夕張達にも言ったが、そういう理由で指輪をつけているわけではない。お前の言う通り、大事な人から貰ったものであることは認める……。だが、そういう関係ではない。だから……」

 

そういう関係ではないことは本当だが、皆、そうは思わなかったはずだ。

雪風を慰める為の言葉でしかない――と。

そして、それを引き出すことが――そういう疑念を皆に抱かせることが、雪風の狙いであった。

 

「しれえ……」

 

雪風は抱きつくと、俺の胸の中でスンスンと泣きまねを始めた。

 

「……仕方ねぇな。ちょっと慰めてくる……」

 

そう言って、雪風を連れ、食堂を後にした。

 

 

 

しばらく外を歩き、寮が見えなくなった頃――。

 

「……もういいだろ」

 

そう言ってやると、雪風は顔を上げ、ニコッと笑って見せた。

 

「効果覿面、ですね」

 

「どうかね……。つーか、演技上手いな、お前」

 

「伊達に何十年と子供を演じてきていませんから」

 

そういやそうだったな……。

 

「ほら、そろそろ下りろ。重いんだよ……」

 

「嫌です! 協力してあげたんですから、もう少しだけ甘えさせてください」

 

そう言うと、まるで赤子のように、引っ付いて見せた。

 

「……分かったよ。せめて、座らせてくれ」

 

手ごろな流木が無かったため、そのまま乾いた砂浜に座り込む。

 

「それで……? お前は、どこまで察しているんだ? 俺が成さんとしていることについて……」

 

「そうですね……。おそらく、指輪がケッコンカッコカリのものであることを知らなかったのは、事実だと思っています。誰が贈ったのかは知りませんが、大事な人というのが、しれえの言う「そういう関係」ではないことも事実でしょう。その贈った人は、島の艦娘達に疑念を抱かせるのが目的であって、しれえは「知らない方がいい」とでも言われ、よく分からないまま指輪をつけ、そして、夕張さん達の話を聞いて、その贈り主の意図を察し、今も動いている……と言ったところじゃないでしょうか?」

 

俺は思わず、ゾッとしてしまった。

 

「凄いな……お前……。まさか、それも夢で見たとか言わないよな?」

 

「……最近は、夢を一切見られていません。大人の雪風も……」

 

だとしたら、マジで考察されたって訳か……。

 

「すると、なんだ。お前の察しがいいだけなのか、それとも、そういう魂胆だと、皆にもバレたか?」

 

「確かに、雪風の言ったこと全てではないにしろ、何か魂胆があるとは思われているでしょうね。しかし、大事な人から贈られたもの――その贈り主が異性であると、信じている感じでしたね」

 

「お前がそう信じなかったのは何故だ?」

 

「しれえの事を、いい意味でも悪い意味でも知っているからだと思います。それに、皆さんはどうやら、盲目的になっていると言うか、しれえの目的以上に、しれえに大事な人がいる――それも、異性であるというところばかり、気になっているようですから。柊木さんの存在が、相当に効いているようです」

 

なるほど……。

こんな形で柊木の件が効いてくるとはな……。

上官がそこまで想定しているとは、流石に思わないが……。

いや、しかし、天音上官経由で知っていれば、或いは――。

 

「……一つだけハッキリさせてほしいのですが、指輪の贈り主は、柊木さんではない……ですか?」

 

「それを知ってどうする?」

 

「いえ……その……」

 

少し、ムッとしたような表情の雪風。

 

「フッ……なるほど……。さっきの演技、半分は本当だったと言うわけか?」

 

「……どうでしょうね。それで? どうなんですか……?」

 

「内緒だ」

 

「……そう言うと思っていました」

 

「それを確かめるには、俺に協力して、霞を島から出すしかないな。頼りにしているぜ、雪風さんよ」

 

そう言ってやると、雪風は何も言わず、ただ俺の胸に顔を埋めるだけであった。

 

 

 

その日以降、指輪の事は、誰も何も言わなくなった。

 

「失礼します」

 

「大淀」

 

「お仕事、順調ですか? お手伝いは必要ですか?」

 

「至って順調だ。本土への呼び出しも無くなったし、ようやくこっちに集中できるってもんだ」

 

「それは何よりです」

 

大淀はコーヒーを渡すと、じっと指輪を見つめた。

 

「悪い、気になるか?」

 

「いえ、誰も何も言わなくなっちゃったなと思いまして」

 

「流石に慣れた感じか。これならもう、外す必要もないかな。一々外すの、面倒くさいんだよな」

 

「それは……その……やめた方が宜しいかと……。気にしていない素振りを見せているだけで、本当は気になってしょうがない感じですし……」

 

やはりそうなのか。

確かに、島へ戻って来た時のように、わざとらしいほど、話題を避けている感じではあったが……。

 

「皆さん、指輪は何かの作戦なのだと、疑っているようですよ」

 

「だとして、ここまで何もないってのは、おかしい話だな」

 

「……えぇ。だからこそ、皆さん、モヤモヤしているのではないかと」

 

「それは、お前も同じなのか?」

 

大淀は何も言わず、ただコーヒーを啜るだけであった。

 

「……話してほしいか? 俺が何を企んでいるのか」

 

「何か、企んでいるのですか?」

 

「どう思う?」

 

大淀は、俺の目をじっと見つめた。

 

「大淀?」

 

「……企んでいる、というよりも、何かの作戦に巻き込まれている――或いは、知らぬ間に作戦へ参加させられ、それを察して進めている……感じでしょうか?」

 

俺は何も言わず、コーヒーを啜った。

それが答えであると、大淀は察してくれたようだった。

 

「……その作戦が何なのかは、大体察しがつきます。そして、ターゲットとなっているのは、島に残らんとしているメンバー――大和さん、山城さん、霞さん、夕張さん……ですね。雪風さん、明石、大淀は、島を出る決意を持っていると、提督は知っていますから……」

 

「……お前はどう思う? この指輪が、それへ導くことがあると思うか?」

 

大淀は驚いた表情を見せた後、ホッとしたかのような笑顔を見せてくれた。

 

「どうでしょうね……。少なくとも、夕張さんは動揺を隠せていないようですし、山城さんも、どこか――」

 

「霞や大和はどうだ?」

 

「霞さんは分かりませんが、大和さんは、いつもの通りと言いますか――或いは、提督の思惑に気が付いているのかもしれません」

 

「そうか……」

 

大淀はそっと、俺の右手に自分の手を重ねた。

 

「あまり大淀を不安にさせないでください……。島を出ていいのか……迷ってしまいますから……」

 

「悪い……」

 

「指輪を贈った相手のこと……訊いちゃ駄目ですか……? 大事な人……なのでしょう……?」

 

「あぁ……。知ってしまったら、お前は安心してしまうからな。その態度を見て、他の連中も、きっと……」

 

「安心できる相手……と言うわけですか……? それ、教えてはマズかったのでは……?」

 

「そうとでも言わないと、迷ってしまうんだろ?」

 

「……そこまで言ったのなら、同じことですから、相手を教えて欲しいです」

 

「そこは教えない。いい塩梅だろ? 少しだけ不安がある方が、リアルな反応をあいつらに示せるはずだ」

 

「それはそれは……お気遣い感謝します……」

 

大淀はそっと寄り添うと、小さく「ありがとうございます」と言った。

 

 

 

事情を知った(?)大淀は、俺に協力するよう動き出した。

 

「提督、指輪の件、いい加減、吐いたらどうなんですか?」

 

夕食時、大淀は皆に聴こえるよう、声を張りながら言った。

 

「何のことだ?」

 

「とぼけないでください。私たちを動揺させる作戦なのでしょう? 指輪を貰ったことをアピールして、提督が島を出て行っちゃうのではないかと思わせ、人化を促す作戦ではないのですか?」

 

皆、顔をこちらに向けてはいないが、聞き耳を立てているのか、食事の手は止まっていた。

 

「そうかもしれないな。俺も、指輪について、色々と考えていたんだ。お前が言った通り、もしかしたら、この指輪を贈ってくれた奴は、お前らに疑念を抱かせるため、指輪を贈ったのではないかとな。だとしたら、俺に説明しなかったことも理解できるし、実際、お前らには効果覿面だった」

 

大淀は驚いた表情を見せた。

「それ、言っていいの?」といった感じか。

 

「そ、それが分かっていて、それでも指輪を外さないのは何故ですか? そこまで言ってしまったら、作戦の意味が無くなってしまいますが……」

 

「あくまでも、そうかもしれないといった話だ。いずれにせよ、どんな目的があろうと、俺はそいつを信じて、指輪をつけ続けるだけだ」

 

「作戦が失敗しても……ですか……?」

 

「元々、そういうのを意識してつけている訳じゃないしな。贈ってくれた奴も、それを俺に言わなかった。もしかしたら、お前らに疑念を抱かせる為じゃなく、マーキングの意味があったのかもな。「雨宮慎二は自分の物だ」と、お前らにアピールしたかっただけなのやも知れんぜ」

 

大淀は複雑そうな表情を見せた。

相手が誰であるか知らず、それでいて、俺が作戦を意識していなかったことが事実であると知っているからこその表情であろう。

そして、その大淀の様子に、皆も何かを思っているようであった。

やはり、指輪を贈った相手が誰であるか、大淀に知らせなかったのは正解だな。

 

「だったら教えなさいよ……」

 

そう言ったのは、夕張であった。

 

「作戦云々はもういいはずでしょう……? 誰か教えてくれてもいいじゃない……」

 

「いや……贈り主は「誰から貰ったのかは教えないで欲しい」と言った。俺はそれを遵守したい。俺は贈り主を信じている。指輪をつけ続けるのも、それと同じだ」

 

「でも……その指輪で、私が島を出ることは無いわよ……。それでも、教えてくれないって訳……?」

 

「あぁ、教えない。それに、俺は、この指輪の所為で、お前が島を出るとは思っていない。違うか?」

 

それに、夕張は閉口してしまった。

そうだよな。

あの時、俺に伝えた決意に嘘はないはずだ。

 

「他の奴も同じはずだ。そんな事で、人化する連中じゃない。そうだろう?」

 

皆にも問い掛ける。

だが、誰も反応することは無かった。

 

「……そういう事だ。もういいだろう? 指輪、外さなくても……。面倒くさいんだよ……。一々外してくるの……」

 

そう言って、席を立った時であった。

 

「一つだけ教えて……」

 

立ちふさがったのは、霞であった。

 

「なんだ?」

 

「もし……もしも、その信じている人が、あんたと本当に結婚するだとか、恋人になるだとか言ってきたら――それが、何かの為になるのだと言われたら……あんたはそれも信じるの……? その人と……結ばれる道を選ぶの……?」

 

霞の表情は、どこか悲しみに包まれていた。

 

「……島を離れるという選択になるのであれば、いくらその人が言ったことでも、俺は反対する」

 

「島を離れる事でなければ、結婚や恋人になることを厭わないの……?」

 

「一つだけ教えて、だろ。二つは答えないぜ」

 

そう言って、俺は食堂を後にした。

今の発言がどう影響するかは分からないが――しかし、霞の奴、案外指輪の事を気にしていたのか……?

 

 

 

その日から、数隻の艦娘に変化があった。

まず、明石が部屋に引きこもってしまった。

 

「提督の発言がショックだったようで……。元々、指輪の件で落ち込んでいたようです……」

 

「とどめを刺してしまったと言うわけか……」

 

大淀と話し合った結果、ある程度教えてやってもいいだろうという事になり、説得の末、部屋から出すことに成功した。

 

「全部を教えた訳ではないので、下手に煽ると、また引きこもってしまうかもしれませんよ……」

 

 

 

次に、夕張が口をきいてくれなくなった。

尤も、特に支障はなかったので、これは放置することになった。

まあ、数日もすれば、あちらからモーションがあるだろう。

 

 

 

次に、山城がぼうっとするようになった。

これも、いつものことであるから問題ないと判断された。

しかし……。

 

「お、おい……山城の奴、また止まっているぞ……」

 

食事を摂る手がピタッと止まり、そこから数分間動かなくなるのは、結構怖い。

しかし、まあ、放置でいいだろう。

 

 

 

大和・雪風には、特に変化が見られなかった。

問題は――。

 

「ごちそうさま……」

 

霞は飯を残したまま、フラフラと部屋へ戻っていった。

 

「霞さん、また残していますね……。ここ最近、ずっとです……」

 

「飯が美味しくない……訳じゃないだろうしな……」

 

「あまり眠れていないのか、目の下の隈が酷くなっているような……。部屋から出てくることも少なくなりましたし……もしかしたら、明石のように、提督の発言を気にしているのでは……?」

 

「まさか。明石ほどダメージはないはずだろう。なあ、明石?」

 

明石は恥ずかしそうに、サラダをモリモリ食べていた。

 

「しかし、やはり心配です。提督、気にかけてあげてください」

 

「……そうだな」

 

 

 

食事を済ませ、霞の部屋を訪ねる。

 

「霞、ちょっといいか?」

 

中から返事はない。

 

「……開けるぞ」

 

扉を開けると、中は真っ暗で――とはいかないようで、オレンジの小さな電球が点いているのみであった。

そして、霞は、部屋の隅で、布団に包まっていた。

 

「……どうしたよ?」

 

傍に座ると、霞は布団を深くかぶって見せた。

 

「放っておいて欲しいのなら、そうするぜ」

 

霞は何も言わない。

 

「分かったよ……」

 

去ろうと立ち上がると、俺の袖を掴み、それを止めた。

 

「……ほら」

 

座り、腕を広げてやると、霞はそっと近付き、そのまま抱きついた。

 

「ちょっと細くなったか?」

 

首を横に振る霞。

 

「……何か、俺に言いたいことがあるんじゃないのか?」

 

霞は少し考えた後、俺の目をじっと見つめた。

確かに、少し隈があるような……。

 

「教えて……」

 

「ん?」

 

「指輪……誰から貰ったのよ……? その人は……あんたの大事な人なんでしょ……。好きなの……? 恋人……? 結婚の約束……したの……?」

 

そう問う霞の目から、ポロリと涙が零れた。

 

「お、おいおい……」

 

「自分でも分からないけど……不安になっちゃうの……。あんたが……誰かのものになっちゃうって考えたら……胸が……キュってなって……」

 

霞はとうとう、スンスンと泣き出してしまった。

なるほど……。

 

「お前が感じている不安ってのは、結局のところ、俺が島を出て行ってしまうのではということだろう。だが、この前話した通り、島を出ることになるのなら、俺はその選択をとらんよ」

 

「…………」

 

「何度も言ったはずだがな。しかし、それで飯が喉を通らなかったり、眠れなかったりしたのか? 可愛いところあるじゃないか」

 

揶揄うように言ってやったが、霞はただ泣くだけであった。

参ったな……。

こりゃ、いくら言い聞かせても――。

 

「……違う」

 

「え?」

 

「違う……。あんたがいなくなることは……嫌だけど……そうじゃない……」

 

再び顔を上げる霞。

涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった表情は、あまりにも子供っぽくて――。

 

「あんたに恋人が――結婚しちゃうのが――それを引き留めるだけの魅力が、私には無くて……う……うぅぅぅ……うぁぁぁぁ……」

 

何かが切れたかのように、霞は大粒の涙を零し始めた。

子供っぽかったぐちゃぐちゃの顔は、より一層若返って行くようで――赤子のそれと大差ないようにも――。

 

「うぁぁぁぁ……うぅぅぅ……」

 

「…………」

 

泣き止ませなきゃいけないとは思いつつも、あまりの泣きっぷりに引いてしまい、しばらく動くことが出来なかった。

 

 

 

しばらくすると、疲れたのか、自然に泣き止んだ。

 

「ひっ……ひっ……」

 

「……大丈夫か?」

 

「だ……大丈……ひっ……夫……」

 

そういや、以前、朧にも、似たような感じで泣かれたことがあったな。

あの時は、朧が鈴木にフラれて――。

 

『あんたに恋人が――結婚しちゃうのが――それを引き留めるだけの魅力が、私には無くて……』

 

嗚呼、なるほど……。

 

「お前、俺が指輪しているのを見て、失恋した感じになっている訳か」

 

霞は首を横に振った。

 

「じゃあ、なんだ?」

 

「分からないわよぉ……」

 

分からない……か……。

 

「恋とか、そういうのかは分からないと言っていたが……好きなのか……? 俺のことを……異性として……」

 

霞は――。

 

「でも……だとしても……」

 

否定はしないか……。

 

「……少し、冷静になれ。指輪を貰ったからなんだってんだ。俺に恋人が出来たとか、結婚する予定があるだとか、そういうのはないんだ。それはマジだ。誓ってな」

 

何に誓うのかは知らんが。

 

「……分かっているわよ。でも……結局……指輪云々が無くても……あんたが私を好きに――私があんたの恋仲に選ばれることは無いんでしょ……」

 

「!」

 

「それが……辛い……んだと思う……。それを考えると……私は……うぅぅ……」

 

すると、理由そのものも、朧や潮と似たようなもんか……。

 

「……そうだな。お前を選ぶことは無い。お前のことは好きだ。しかし、異性に対して抱く――お前が俺に抱いている感情とは、違う……」

 

「あんたが、その指輪の贈り主を好きだから……?」

 

「違う。指輪があろうがなかろうが、お前を選ぶことは無い……」

 

『――それはお前じゃないからだ』

 

夕張にも、似たような事を言ったな。

けど、あの時ほど、今の俺の心は――。

 

「それに、俺はロリコンじゃないからな」

 

「山風の事は好きになったくせに……?」

 

「いや……あいつが子供だった頃に出会った訳じゃないし……。つーか、子供の状態で選ばれると、本気で思っているのか? 潮や朧のように、大人になって相手を振り向かせようとすればよかろう」

 

まあ、そう簡単に島を出ることが出来ないから、こうして悩んでいるのだろうが……。

 

『でも……あんたには悪いけど……やっぱり私には……島を出る決意は出来ない……』

『あんたを失いたくない……。あんたを戦争に駆り出したくはない……』

 

そこを完全に崩さなければ、恋心をついたとしても、霞は……。

だとしたら、これ以上は、霞をただ傷つけるだけなのではないか?

俺は、指輪を見つめた。

もしそうなら、いっそのこと、霞に全てを話してもいいのかもしれないな……。

 

「霞、あのな――」

「――島を出る」

 

霞は、ゆっくりと顔を上げた。

 

「……え?」

 

「私も……島を出る……。山風みたいに……なってやる……」

 

「お、おい、ちょっと待て……。そんな、一時の激情に身を任せていい問題ではないだろ……。冷静になれ……」

 

って、何を止めているんだ俺は……。

 

「なによ……! 私を島から出したいんじゃないの!? だったら! ほら! いいわよ! さっさと出してちょうだい! 今すぐ!」

 

「いいから冷静になれ! お前はどうして島に残ろうと考えた!? それをもう一度思い出せ!」

 

「あんたを守るのは、もう私でなくてもいいはずでしょ! 戦争だって、本当に起こるか分からないし、待っている間にも、あんたはどんどん年老いて――島を出た鹿島さんや陸奥さんに――もしかしたら、姉さんがあんたを――!」

 

自分で否定したことを、全て肯定しているな……。

それほどまでに――いや……。

とにかく……。

 

「だから――!」

「――霞」

 

俺は、霞の顔を両手で包み、じっと目を見つめた。

 

「な……によ……」

 

「いいから落ち着け」

 

「わ、私は別に……冷静……よ……」

 

「本当か?」

 

近付き、目を合わせる。

 

「ほ、本当……! 本当……だから……。その……顔……なんで近づけて……」

 

声のトーンが小さくなる霞。

ようやく冷静になったか……。

まさか、犬を落ち着かせる方法が効くとは……。

 

「落ち着いたか……?」

 

そう訊いてやると、霞は小さく頷いた。

 

「そうか……」

 

離れ、立ち上がると、霞は不安そうに俺を見つめた。

 

「今、お前が言ったそれが、本心なのかは分からん。だが、もう一度、冷静に色々と考えてみろ。俺が言いたいことは、大体伝えたつもりだ。その上で……な」

 

立ち去ろうとすると、霞は小さく呟いた。

 

「私が大人になったら……あんたは……」

 

「……さあな。未来の事は、誰にも分からん。あの雪風ですら、俺がどうなって行くのか、分からなかったようにな」

 

それは、霞にとって希望となるのか、はたまた絶望となるのか……。

霞がどう捉えたのかは分からない。

だが、正直に答えなかったのは、きっと、俺にも――同じように――。

 

 

 

それから数日間、霞は食欲を取り戻したようだが、夕張と同じように(尤も、夕張は悪意をもって無視しているようだが)俺へ話しかけることをしなかった。

 

「霞さん、大丈夫でしょうか……。元気そうではありますが……」

 

「色々と考えているんだろ。少なくとも、どっかの誰かさんと違って、無視されている訳じゃないから、安心しろ」

 

そのどっかの誰かさんは、ムッとした表情で去って行った。

 

 

 

その日の夜。

消灯時間も過ぎ、家へ帰ろうとすると――。

 

「霞?」

 

玄関ホールのソファーに、霞が座っていた。

 

「……どうした?」

 

霞は何も言わず、立ち上がり、俺の目をじっと見つめた。

 

「外で……話すか?」

 

「……ううん。ここでいいわ……。そんなに……永い事……話すつもりはないから……」

 

決意を抱いたかのような表情の霞。

島を出るか出ないか、結論が出た……という事か……。

 

「分かった……。話してみろ……」

 

霞は目を瞑ると、深呼吸したのち、言った。

 

「私は……島を出る……」

 

たった一言のはずなのに――二秒も無い時間であったはずなのに――永遠とも思えるような、そんな一言に感じた。

 

「理由を訊いても……?」

 

「……前に言った通りよ。大人になりたい……。子供の私を好きになれないのなら……私は……」

 

「……お前を島に縛り付けていたものは?」

 

「消えたわ……。戦争が起きるかも分からず――私でなくても、仲間はたくさんいて――夢でのことも、所詮は夢で――」

 

霞は、首を横に振った。

 

「いえ……もう言い訳は止しましょう……。私は……私はただ……」

 

不安そうな瞳が、俺を見つめる。

 

「私はただ……戦争よりも……あんたの命よりも……あんたに愛されたいと……思ってしまったの……」

 

ただ愛されたいだけ、と……。

 

「不純だし……あんたの命や、戦争で犠牲になる命を想ったら、こんな事を思ってはいけないと分かっている……。こんな結論を出してはいけないって……。でも……でも……!」

 

霞の頬を、涙が伝う。

この前見た泣き顔よりも、少し大人びて見えるのは――。

 

「私だって……我が儘言ってもいいはずでしょ……! だって、まだ子供なんだもの……! 大人のあんたに恋しちゃうし……『私が大人になったら……』なんていう、夢だって見ちゃうもん……! 世界の平和……? 大切な人の命……? それも大事だけど、私だって愛されたいもん……! 鹿島さんみたいに――陸奥さんみたいに――島を出た皆みたいに……! あんたに……好きって言ってもらいたい……! キスしてもらいたい……! そんな自分を……認めてあげたい……」

 

まるで、救いを求めるかのように、俺を見つめる霞。

そうか……。

 

「あぁ、認めてやれ、霞……。俺がお前を許してやる……。たとえ戦争になろうとも、俺がお前を守って見せる。お前が大事にしたい連中の命も……俺自身の命も……な……」

 

「司令官……」

 

「けど……お前が大人になったら……ってのは、約束できないぜ……。それでも……島を出るのか……?」

 

「それ以外の約束を……絶対に叶えてくれるのなら……」

 

「それは……島を出なくても与えてやれる……。それでもか?」

 

「え……?」

 

俺はそっと、霞にキスをしてやった。

 

「な……んで……」

 

「お前が好きだ、霞。お望みなら、いくらでもキスをしてやるよ」

 

俺は何を言っているんだ……。

……でも、やっぱり、俺にはまだ、霞の気持ちが理解できない。

霞はまだ、激情に駆られているままなのではないのか……?

そう疑ってしまう。

島を出た連中に抱いてしまった――いや……未だに抱き続けている、その疑いを――俺は――。

 

「……なんて表情をしているのよ」

 

そう言うと、霞はそっと、俺にキスをした。

 

「霞……?」

 

「今、分かったわ……。どうして皆、あんたと結ばれるかも分からないのに、島を出られたのか……」

 

「え……?」

 

「司令官……」

 

霞は俺を抱きしめると、頭を撫で始めた。

 

「安心して……。私は冷静だし、島を出るのは本当よ……。言ったでしょ? 我が儘言いたいって……。これは、私の我が儘なの……。だから、安心して……」

 

まるで、俺が不安を抱いているかのような言い方を――いや、或いはそうなのかもしれないな……。

 

「どうしてあんたが、しばらく島に戻らなかったのか――どうして、そんな指輪を持ってきたのか――それが、よく分かったわ……。ごめんね……司令官……。貴方を苦しめてしまったわね……。島を出た連中と同じことを……あんたに……。怖かったよね……。不安になったよね……」

 

何を言っているのかは、よく分からない。

よく分からないが……。

 

「霞……」

 

何故か、涙が零れる。

そして、その涙の理由を、霞はよく理解しているようであった。

 

「司令官……」

 

きっと、鹿島も、鳳翔も――皆、俺が涙する理由を知っているのであろう。

自分が涙する理由は分からずとも、それだけは何故か、理解できた。

 

 

 

翌日。

目が覚めると、ソファーに眠っていた。

 

「あれ……」

 

どうやら、霞に抱きしめられたまま、眠ってしまったらしい。

 

「マジか……」

 

掛けられている毛布は、霞が用意したものだろう。

ご丁寧に、枕まで――。

問題なのは、そうまでされたはずなのに、起きなかったことだ。

ぐっすりと、眠ってしまったということだ。

 

「くそ……」

 

子供相手に恥ずかしい……。

三十歳を超え、子供に抱きしめられ、安心して眠るなど――いや、年上ではあるよな――だとしても……。

 

「はぁ……」

 

ソファーから離れ、洗面所へ向かう。

まだ時間が早いのか、廊下は冷え切っていて――その寒さに、冷静さを取り戻してゆく。

 

「そうか……」

 

昨日、霞は、島を出ると言ってくれたのか……。

――いや、だが、昨日は何と言うか……冷静じゃなかったというか……。

とにかく、霞にもう一度、問う必要があるな。

本当に島を出るのか、それとも――。

 

 

 

顔を洗い終え、執務室へ向かうと――。

 

「あ、おはようございます」

 

「大淀……って……」

 

大淀以外にも――というか、全員が、執務室に集まっていた。

 

「ど、どうした……? こんな所に集まって……」

 

「私が集めたのよ」

 

そう言ったのは、霞であった。

 

「島を出る事、皆に伝えたの。あんたは知らないようだけど、話し合いは、いつもここでやっていたのよ」

 

そうだったのか。

つーか……。

 

「……だとしたら、俺がここにいるのはマズいか?」

 

「いいえ。今回は居て欲しいの。だって……」

 

霞が、全員に目を向ける。

何を言いたいのか、俺には分かっていた。

 

「……分かった」

 

皆の近くに座ると、霞が説明を始めた。

 

「今、全部を話し終えたところよ。私は島を出る。皆は、どうするの……?」

 

一瞬の沈黙。

 

「雪風は、最初に約束した通り、霞さんが島を出るのなら、雪風も同じように島を出ます」

 

「雪風……」

 

「……他の皆は?」

 

大淀が、俺に視線を送る。

そして、小さく頷くと、手を挙げた。

 

「大淀も、島を出ます……」

 

それに大きな驚きを見せたのは、大和と明石であった。

特に明石は、少し泣きそうな表情を見せていた。

 

「大淀……」

 

「……提督にはお話ししていたんです。雪風さんと霞さんが島を出たら、私も……と……」

 

「それは……」

 

口を開いたのは、大和であった。

 

「それは……どうしてですか……? どうして……このタイミングで……?」

 

「本当は、全ての艦娘を人化したら……と思っていたのですが……」

 

大淀が、大和を見つめる。

その意味を、大和は――。

 

「大淀……」

 

今にも泣きだしそうな明石。

そんな明石に、大淀はニコッと笑って見せた。

 

「明石」

 

「……なに?」

 

「貴女も、一緒にいかない?」

 

「え……」

 

大淀が再び、俺を見る。

霞も、この為にお前を呼んだのだと言わんばかりに、俺を見ていた。

 

「明石」

 

「提督……」

 

「……高速修復材の事は、気にするな。必ず使用許可は出る。俺が保証する。だから――」

 

明石に手を差し伸べる。

 

「提……督……」

 

「明石」

 

大淀が背中を押すと、明石は涙目で俺を見つめた。

 

「大丈夫だ」

 

震える手が、徐々に伸びて行き――俺は、その手を優しく引き寄せ、明石を抱きしめた。

 

「今まで、よく頑張ったな……。もう大丈夫だ……。これからは、お前の好きに生きていいんだぞ……」

 

「あ……あぁぁぁ……!」

 

明石は、大声で泣き出した。

何度も涙を見せてはきたが――これから流すであろう涙も、一緒に出ているのではないかというほどに、大粒の涙が零れ落ちていた。

 

「明石……」

 

泣き続ける明石。

それに構わず、霞は続けた。

 

「それで……そっちの三人はどうするの……?」

 

夕張、山城、大和の三隻は、俯き、黙り込んでいた。

 

「……説得するつもりはないけれど、一つだけ言っておくわ。私が島を出る理由に、この男が大きく関わっていることは言うまでもないけれど……その決め手になったのは、鳳翔さん達と同じ理由なの……」

 

「鳳翔さんと……?」

 

「大和さん、貴女になら分かると思うわ……。どうして鳳翔さんが、島を出たのか……。鳳翔さんは、この男が好きだった。『だからこそ、島を出た』のよ……。この意味……分かるでしょう……?」

 

その意味を知っているのか、大和は俺をじっと見つめた。

俺には、その意味が分からなかった。

 

「この男は……【提督】なのよ……。きっと、この島に留めている限り、そこから脱却することは出来ない……。この男を【異性】として――【人間】として扱うには、【提督】からの脱却が必要なの……。私は、この男が好き……。だからこそ、なって欲しいの……。私を【女】として見ることの出来る【男】にね……」

 

大和――そして、山城もまた、霞の言葉に、何かを思っているようであった。

夕張は、何のことだかよく分かっていないようで――無論、俺も同じであった。

 

「この男に選ばれることを望んで、島に残ろうとしているのなら、無駄だと思うわ……。今はその時じゃない……。これ以上は、この男にストレスを与えるだけになるわ……。分かるでしょ……?」

 

三隻は何も言わない。

 

「……それでも残るというのなら、私は止めないわ」

 

話は以上だとでも言うように、霞は俺に視線を向けた。

 

「……お前らの気持ちはよく分かった。海軍への連絡は、夜に行おうと思う。早ければ、明日の朝にでも、迎えが来るだろう……。それまでに、各自、もう一度よく考えて欲しい……。俺は一日、家に居ることにする。消灯時間直前に、再び寮に来るから、その時、もう一度答えを教えて欲しい……。以上だ」

 

涙を流す明石を大淀に預け、俺は寮を後にした。

 

 

 

消灯時間まで、あと数十分というところで、雪風が家へやって来た。

 

「おう。今、行こうと思っていたところなんだ」

 

「そうでしたか。少しだけ、お時間をいただけたらと思いまして」

 

「ああ、構わないぜ」

 

「ありがとうございます」

 

雪風は座ると、キョロキョロと辺りを見ていた。

 

「どうした? 何か、探し物か?」

 

「いえ、これで見納めだなぁ……と思いまして」

 

見納め……か……。

 

「島を出ること……伝えに来たのだな……」

 

小さく頷く雪風。

しかし、わざわざ家に来たのは、何故だろうか。

見納めとはいえ、特段思い入れがある場所でも無かろうに。

 

「……本当にいいのだな?」

 

「……はい」

 

少し、躊躇いが見られる返事であった。

 

「何か、不安があるようだな……」

 

図星なのか、俯く雪風。

 

「話してみろ。その為に、ここへ来たのであろう?」

 

「……流石しれえです。その通りです……」

 

弱弱しい笑顔に、こっちまで不安になる。

こいつには、幾度となく困らされてきたが――そんな奴の表情だからこそ――。

 

「夢を見られなくなったことは話しましたよね……」

 

「あぁ……」

 

「それと同時に、子供の雪風が、無意識の内に、出てくるようになったのです……」

 

「子供の雪風が……?」

 

「はい……。覚えがあるはずです。肩車をせがんだり、突拍子もない行動に出たり――それだけじゃなく、昔のように、食い意地も出てきているようで――」

 

語られる行動に、確かに心当たりはあったが――だがそれは、何気ない日常のようで――雪風なら、あり得なくもないようなものばかりで――。

 

「――行動している時は、疑問にも思わなかったのですが、後々になって、何故あんなことをしたのか、分からなくなるのです……」

 

そう語る雪風は、小さく震えていた。

 

「それの、何が不安なんだ……?」

 

「……大人の雪風が、消えてしまうのではないかと思うのです」

 

顔を上げた雪風の表情は、少し大人びて見えた。

 

「違和感はずっとありました……。しれえの為に出来ることが無くなってから、ずっとです……。霞さんが、しれえに心を開く度、それは顕著になって――きっと雪風は、しれえのお役に立つため、大人となったに過ぎなくて――役目を終えた大人の雪風は、徐々に消えていって――人化したら、完全に消えてしまうように感じて――……」

 

震える手を胸にあてる雪風。

その手を、そっと包み込んでやる。

 

「しれえ……?」

 

「落ち着け、雪風。もしそうなったとしても、お前自身が消える訳じゃないだろう」

 

「……違うんです」

 

「え?」

 

「怖いのは……」

 

その時、雪風の瞳から、一筋の涙が零れた。

 

「怖いのは……貴方を想うこの気持ちが……消えてしまうことです……」

 

一粒、また一粒と、涙が畳を叩く。

真っ赤に染まった顔は、先ほど以上に大人びて見える。

 

「貴方への恋心が消えてしまう……。貴方との思い出は残ったとしても……貴方を想っていたこの心は――……。それを大事に生きてきたのに……それが……雪風にとっての……一番大事なものなのに……」

 

「雪風……」

 

雪風にとって一番大事なものは、俺を想う心……。

 

『貴方は……ここにいる……。どこにでも居て、誰にでも優しくて――でも、それはただの夢であって――貴方が本物だって分かるまで、時間がかかったけれど――夢じゃないんだって分かったから――』

 

思えば、最初からずっとそうだったな。

 

「雪風」

 

顔を上げる雪風に、俺はそっと、キスをしてやった。

 

「し……れえ……?」

 

「たとえそうなったとしても、思い出は残るはずだ。キスした思い出があれば、きっと、恋心も思い出すはずだぜ」

 

そう笑って見せると、雪風は少しだけ、拗ねたような表情を見せた。

 

「キスは……何度もしているじゃないですか……。夢を見せるために……」

 

そういやそうだったな……。

 

「まあ……なんだ……。つまり……たとえ恋心を忘れたとしても、俺が思い出させてやるって話だよ。子供だろうが大人だろうが、きっと、お前は俺に惚れる。そうさせてみせる。だから、安心しろ」

 

自分でも、何を言っているのかと、恥ずかしくなる。

そんな気持ちを知ってか、雪風は笑顔を見せてくれた。

 

「ふふ……何ですか、それ」

 

「……言っておくが、自信はあるんだぜ。霞とか、他の駆逐艦だって、俺の事を異性として好きだと言ってくれたし……。俺は……あ、案外……モテるん……だ……」

 

嗚呼、恥ずかしい……。

本当、自惚れが過ぎるぞ……。

 

「……確かに、そうですね。きっと、子供の雪風も、しれえに夢中になると思います……。でも……新しく惚れるよりも、やっぱり、思い出を持ちながら、貴方に惚れたいです……」

 

「キスでは足りないのか……?」

 

「……かもしれませんね」

 

雪風が、恥ずかしそうに目を逸らす。

だが、逆に、何かを期待しているようにも見えて――。

 

「……分かった」

 

俺は、雪風に近づき、目をじっと見つめた。

 

「しれえ……?」

 

そのまま、ずっと、見つめ続ける。

雪風が目を逸らそうものなら、無理やりにでも目を合わせた。

 

「し、しれえ……なんですか……これ……。あの……とても恥ずかしいです……」

 

その問いにも答えず、ただひたすら見つめ続ける。

 

「し……しれぇ……何か……言ってください……。あの……」

 

徐々に、顔が近づいて行く。

雪風の息が、荒くなって行く。

 

「んっ……」

 

唇が触れそうなところで、雪風はそっと、キスをした。

永く――深く――探るような――。

 

「――……」

 

名残惜しそうに、ゆっくりと垂れ下がって行く甘い糸の行方を、雪風は知らない。

まるで、瞳に焼き付けるかのように、ただじっと、俺を見つめていた。

 

「……舌、仕舞い忘れているぞ」

 

そう言われ、雪風は我に返ったのか、恥ずかしそうに口を拭った。

 

「これで、忘れることも無かろう」

 

雪風は何も答えず立ち上がると、フラフラと家を出て行ってしまった。

 

「……戻るのは、少し待った方がいいな」

 

不安が解消されたのかは分からない。

だが、『子供の思い出』とは言えない体験であることは、間違いなかろう。

 

「…………」

 

畳に垂れた、どちらのものとも分からない唾液。

瞳に焼き付いた、彼女の表情――。

 

「……俺は、ロリコンじゃねぇぞ」

 

そう口にしたのは、きっと――。

 

 

 

寮に戻ると、玄関で霞が迎えてくれた。

 

「島を出ることに変わりはない。以上」

 

それだけ言うと、部屋へ戻って行ってしまった。

それほどまでに固い決意、と言うわけか。

 

 

 

執務室に入ると、明石と大淀が待っていた。

 

「お待ちしておりました」

 

「あぁ……」

 

不安そうにする俺に、大淀はニコッと笑って見せた。

 

「私たちは、島を出ます。それを伝えに来ました」

 

明石も、同意するように頷く。

スンと、鼻を鳴らしながら。

 

「もしかして、今の今まで、ずっと泣いていたのか?」

 

「ふふ、そうなんですよ。明石ったら、泣きながらご飯も食べていたんですよ?」

 

「い、言わないでよぉ……」

 

泣きながら、か。

朧も同じようにしていたな。

 

「そうか……」

 

「提督……ありがとうございました……。貴方に会えて……本当に良かったです……」

 

「おいおい……。何も、今生の別れじゃなしに……」

 

「そうですけど……。どうしても伝えたくなっちゃうんです……。ね、明石?」

 

「そうですよ……。特に……私なんか……う……うぅぅ……」

 

泣きはしているが、枯れてしまったのか、涙は出ていなかった。

 

「お前ら……。馬鹿……感謝するのは、俺の方だよ……。お前らに、どれだけ助けられたか……」

 

「提督……」

 

「提督ぅ……」

 

「……本土で会えるとは言え、寂しくなるよ」

 

それを聞いて、今度は大淀が涙を見せた。

 

「提督だって言っているじゃないですかぁ……。今生の別れみたいなことぉ……」

 

「はは……悪い……」

 

俺はそっと、二人を抱きしめてやった。

 

「本当にありがとう……。これからは、お前たちの人生を全力でサポートする……。これからも、よろしくな……。大淀、明石……」

 

「「はい……!」」

 

二隻は――二人は、俺をじっと見つめると、それぞれキスを強請った。

 

「いつだったか、元気の出るおまじないと言っていましたよね……? 元気にしてください……」

 

「……分かったよ」

 

可愛らしい理由とは裏腹に、明石のキスは――。

そして、大淀もまた――。

 

「艦娘として、最後のキスです……。人化しても……してもらいますからね……?」

 

「わ、私も私も!」

 

今生の別れみたいだと泣いていたのが嘘のように、俺たちは笑いあった。

 

「残りは、三隻ですね……」

 

「……だな」

 

「夕張は、私の説得でも駄目でした……。山城さんと大和さんも……。提督……」

 

「……大丈夫だ。必ず、全員人化させてみせる。今はそんな心配よりも、外に出たらやりたいことを考えておけ」

 

「じゃあ……噂のTMDとやらで、デートしたいです……」

 

「わ、私も……!」

 

「……もっとやりたいことがあるはずだろう」

 

 

 

翌朝。

遠くに聴こえる警笛で、目を覚ます。

 

「来たか……」

 

 

 

朝食を済ませ、いつものように泊地へ向かうと――。

 

「坂本上官……!?」

 

「やあ」

 

制服姿の上官が、待ち受けていた。

ちょっとしたトラウマが蘇る。

 

「そう引き攣った顔をするな、雨宮。あの時みたいに脅しはしないよ」

 

「……どうして上官がここに?」

 

上官は微笑むだけであった。

船の方へ目を向けると、鈴木が満面の笑みで、サムズアップを見せていた。

 

「……なるほど。本部への復帰、おめでとうございます。流石です」

 

「君の功績に比べたら、ちっぽけなものさ……」

 

上官は敬礼すると、大声で叫んだ。

 

「雨宮慎二! 君の活躍に、敬意を表す! 一同、敬礼!」

 

こちらも、敬礼を返す。

そして――。

 

「大淀」

 

「はい」

 

「明石」

 

「は、はい!」

 

「霞」

 

「……はい」

 

「雪風」

 

「はい!」

 

「以上、四隻です」

 

上官が、残りの三隻に視線を移す。

 

「残りの者は、いいのかな?」

 

三隻は、何も答えない。

 

「必ず、連れて行きます」

 

俺のその答えに、上官は驚いた表情を見せたが、すぐに優しい笑顔を返してくれた。

 

「……その言葉、信じているぞ! 雨宮!」

 

「はい!」

 

「それと……明石君」

 

「え、あ、は、はい!」

 

「……高速修復材の使用が許可されていないのに、よく決意したね」

 

「……提督は、約束してくれました。必ず、許可されると……。それを……信じていますから……」

 

明石の瞳に決意が宿る。

それが分かったのか、上官はフッと笑うと、何やら書類を取り出した。

 

「高速修復材の使用許可がおりた。これは、それを証明する書面だ」

 

と、見せられても、何が書いてあるのか、字が細かすぎてよく分からなかった。

だが――。

 

「提督ぅぅぅぅぅぅぅ……!」

 

「おわ!? あ、明石!? 何を抱きついて……!」

 

「良かったぁぁぁぁぁ……! 本当に良かったぁぁぁぁぁ……! うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!」

 

昨日、あれだけ泣いたくせに、それ以上の大声で、明石は泣き出した。

 

「明石……」

 

「しかし、喜んでばかりはいられないよ」

 

上官は再び、残る三隻を見た。

 

「君たちを気遣っての許可ではない。雨宮に人化を進めてもらうための許可だ。それを忘れないように」

 

それを、三隻がどう受け止めたのかは分からない。

だが、高速修復材の存在が、三隻を島へ留める要因になるのは、間違いなかった。

 

「……それだけだ。では、行こうか」

 

船に乗り込む。

島に残る三隻は、じっと、去って行く四人の背中を、ただ見つめていた。

船が動き出す。

 

「夕張……!」

 

明石の声に、夕張は目を逸らしてしまった。

 

「ずっと、私を支えてくれてありがとう……! 一緒に居てくれて……ありがとう……!」

 

「…………」

 

「そして……ごめんなさい……。支えてくれたのに……一緒に居てくれたのに……私は……」

 

明石が俯いた、その時であった。

 

「明石……!」

 

「夕張……」

 

「……またね!」

 

それは、夕張の慰めか、それとも――。

だが、明石は――。

 

「……うん! またね! また、一緒に、遊具とか造ろうね!」

 

「うん!」

 

「大和さん! 山城さんも!」

 

山城が、珍しく笑顔を見せる。

大和も、同じように。

 

「笑顔の別れってのも、珍しいな」

 

「きっと、予感しているんじゃないのかな。再び、会えることを……」

 

そう言うと、上官は俺の肩を強く叩いた。

 

「……会わせてみせますよ」

 

「その意気だ」

 

三隻の姿が、遠くなって行く。

それでも、いつまでも手を振り続ける四人の表情は、明るいままであった。

 

 

 

本土に着き、いつものバスへ向かう四人。

山風との再会を喜びつつ――大淀は少し複雑そうではあったが――バスへと乗り込んでゆく。

そんな中――。

 

「雪風、どうした? バスに乗り込めよ」

 

「しれえ、人化する前に、一つだけ、言っておきたいことがあります」

 

「なんだ?」

 

「雪風は、【しれえ】との夢をたくさん見てきました。その中で、必ずと言っていいほど、出てくるキーワードがあったんです……。それが【提督の素質】です」

 

「提督の素質……?」

 

その言葉……どこかで……。

 

「霞さんの夢でも、同じワードが出てきていました……。それが何なのか、雪風には分かりません……。しかし、それが、しれえの命にかかわることだと、雪風は確信しています。霞さんの夢で起きた【司令官の死】は、それを見つけることが出来なかった――もしくは、その素質が無かったからだと思います……。何を言っているのか分からないと思いますが――それが何なのかは分かりませんが――必ず、それを見つけてください……。それを見つけなければ、きっと、しれえは……」

 

「雪風ちゃん、行くよー!」

 

山風の呼びかけに、笑顔で応える雪風。

 

「雪風……」

 

「しれえ……死なないでくださいね……。雪風の物語を……最後まで見届けてくださいね……」

 

「……ああ、分かった」

 

「さようなら……」

 

雪風は顔を見せないよう、バスへと走っていった。

さようなら……か……。

今生の別れのつもりなのだろうが……。

 

「必ず、思い出させてやるからな……」

 

 

 

その日の夕方、四人は人化した。

 

 

 

島へ戻る船を待っている間、俺は雪風の発言について考えていた。

 

『夢をたくさん見てきました。その中で、必ずと言っていいほど、出てくるキーワードがあったんです……。それが【提督の素質】です』

 

提督の素質……か……。

霞の夢でも、夢の中の大淀が言っていたよな。

 

『これは運命なんです……! 貴方でなければいけないのです……! 雨野勉の――いえ【提督の素質】を継承しているであろう貴方でなければ……!』

 

霞の見た夢が、現実に起こるかどうかは分からない。

だが、あの手帳――時代錯誤遺物のこともある……。

考えるだけ無駄だと思っていたが、雪風のあの表情は――。

いや、今は――。

俺は、遠くの島に目を向けた。

 

「…………」

 

提督の素質なるものが、何なのかは分からない。

それが必要なのかどうかも。

だが、一つだけ心当たりがあるとすれば、島を出た連中が感じている――霞が島を出る決意を持てた、俺にある『何か』であろう。

もしそれが、提督の素質であるのなら……。

 

「突き進むのが正解……だな……」

 

準備完了を知らせる警笛が聴こえる。

俺は、指輪を見つめた。

 

「……これはもう、無駄だろうな」

 

いや、むしろ、これがあると――。

それほどまでに、残った三隻は――。

 

『愛です。愛があったから、私は死を受け入れることが出来たのです』

 

吹雪さんの言葉が思い起こされる。

彼女の首下で光っていた、あの指輪は――。

その輝きに、今だったら、きっと――。

 

「……強敵だぜ。だが、負けん」

 

俺は、指輪をゴミ箱へと放り込む……ような気持ちで、本部に指輪を返却し、『戦場』へと向かった。

 

 

 

 

 

 

残り――3隻

 

 

 

――続く

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