不死鳥たちの航跡   作:雨守学

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第34話

【艦娘島】に上陸して、驚愕した。

 

「これは……」

 

現在は【禁足地】となっているこの場所に、人の手が入ったであろう畑が広がっていた。

 

「どういうことですか、上官……」

 

「…………」

 

上官は、船が遠ざかってゆくのを確認したのち、口を開いた。

 

「鈴木、君は、鈴木弥太郎氏から何も聞いていないのか?」

 

「いや、何も……。会ったことはありますが、その時には、もう大分衰弱していて……」

 

鈴木弥太郎は133歳で亡くなった。

鈴木本家と関わりのなかった俺は、彼がたまたま海軍本部の病院に緊急搬送されてきた時、初めてその顔を拝んだ。

 

「会話したこともありません。ただ、初めて彼と目があった時、その目力に圧倒されたのを覚えています。とてもじゃないが、数日後に亡くなるとは、思えませんでしたよ」

 

「そうか」

 

「つーか、どうして鈴木弥太郎は、本家の出でも無い俺に、この島の相続を? そもそも、どうしてこの島を、弥太郎が所有しているんだ? 国の所有物だとばかり……」

 

「表向きは、国の所有物で間違いないよ。管理を任されているのも、海軍だ。だがまあ、知っての通り、鈴木本家が政治的実権を握っているのは事実であるし、実質、鈴木家が所有していると言っても過言ではない。事実、この島へ足を踏み入れることが出来るのは、管理責任者である私と鈴木弥太郎氏だけであったし、島にかかる管理費などの予算も、天井知らずなんだ」

 

「鈴木家が政治的実権を握っているというのは知っていましたが、そんな事が許されているだなんて……」

 

「その弥太郎氏が、この島にかかる権限の全てを、君に相続したと言うわけだ」

 

「どうしてそんな事を……。一度、目があっただけなのに……」

 

「それで十分と判断されたのだろう。君は、弥太郎氏と【彼ら】に選ばれたというわけだ」

 

「【彼ら】?」

 

「ほら、噂をすれば」

 

「え……」

 

 

 

 

 

 

帰りの船に乗る頃には、もうすっかり日が暮れていた。

項垂れる俺を見て、上官は言った。

 

「ショックだったか。だが、これが現実だ。この世界の均衡は【彼ら】によって――」

「――そんなもんじゃねぇっす」

 

上官は言葉を待つように、俺をじっと見つめた。

 

「【彼ら】に……いや、【あいつら】に会った時、なんつーか……懐かしさというか……自分がどうしてここにいるのか、分かった気がしたんです……。それと同時に――……」

 

自然と涙が零れる。

 

「……分かるよ」

 

俺は涙を拭いて、上官を見た。

 

「私もね……初めて彼らと対面した時、君と同じ気持ちになったんだ……。それは、彼らも同じだったようでね……。君を見た彼らの表情……。それと同じ表情を、私に見せてくれていたんだよね……」

 

上官も同じなのか……。

 

「上官は、どうしてあの島に……? あいつらの話では、上官も、選ばれた存在だったようですが……」

 

「あぁ……。言っていなかったね……。君は【天音百合子】を知っている?」

 

「【天音百合子】?」

 

「こう言えば分かるかな?【人艤装戦艦アマネ】」

 

「【人艤装戦艦アマネ】って……。あの最強と言われた……?」

 

「そう……。彼女は、彼らの旧友というか、元上司だったらしくてね……。彼らは、彼女に対して、何やら恩を感じてくれているようで、彼女が亡くなった今でも、その子孫に対し、こうして目をかけてくれているんだ……」

 

「じゃあ……上官も……」

 

「あぁ……。私は天音百合子の曾孫にあたるんだ……」

 

そういう事か……。

 

「君は、若かりし頃の弥太郎氏にそっくりだったらしい。顔もそうだけど、性格もね……」

 

「鈴木弥太郎は、そんな俺だからこそ、あの島を相続させたと言うわけか……。俺だったら――彼らの親友となった俺になら【この世界の均衡を守れる】と……。そして、彼らに……」

 

鈴木弥太郎は、彼らの為に――……。

 

「上官……。俺に、出来ますかね……。鈴木弥太郎と同じことを……」

 

「そんな事を訊かれてもね……。いずれにせよ、もう、背負う決意は出来たんじゃないの?」

 

そう笑う上官は――いつも見せる男勝りな表情とは違い、どこか、可愛らしくて――。

 

「……そうっすね」

 

俺は、振り返り、島を見た。

 

「やってやるよ……。鈴木弥太郎……。俺は、あいつらを――【慎二】と【柊木】を――そして、この世界を――」

 

航跡が消えてゆく。

そこに寂しさを覚えるのは、きっと――。

 

「つーか、上官。途中から、なんか口調変わってないっすか? 声も、何トーンか上がってません?」

 

「……私は元々、こういう口調なのっ! 威厳を持たせるため、厳しく、低く喋っているだけで……」

 

「ハハ、冗談を……。少女漫画読んでそうな声を上官が出すわけないじゃないっすか」

 

「……読んでちゃいけない?」

 

「え……マジっすか……?」

 

「……もういい! 帰ったら、本部敷地内を五十周してもらうからな! 覚悟しておけよ! この前みたいに泣いても、絶対やめないからな!?」

 

「ヒィ……」

 

 

 

 

 

 

『不死鳥たちの航跡』

 

 

 

 

 

 

「緊張しているのか?」

 

話しかけてやると、青葉はハッと顔を上げ、困った表情で俺を見た。

 

「大丈夫だ。たくさん訓練して来ただろう?」

 

「はい……。そうですね……」

 

青葉は俯くと、少し悲しそうな表情を見せた。

 

「……大井のことか?」

 

「え……」

 

「大井よりも先に外の世界へ出ることになって、申し訳ないって思っているのか?」

 

図星だったのか、青葉は――。

 

「だって……社会適応試験に受かったのは……大井さんが先だったんですよ……? 司令官と一緒に外へ出られるって……とても喜んでいたのに……。司令官にとって、初めて人化させた艦娘で――試験も、訓練も、全部、大井さんが初めてで――なのに……」

 

「別に、初めてだから良いという訳でも無かろう」

 

「でも……!」

 

「十数年ぶりに艦娘が人の社会へと足を踏み入れるんだ。海軍も慎重になっているという訳だ」

 

「どうして青葉なんですか……。大井さんの方が、きっと……」

 

「大井は確かに合格した。しかし、荒い部分も多く見られた。実際、大井とお前が同時に試験を受けていれば、大井が合格したかも怪しいと言われている。それほどまでに、お前の成績は良かったという訳だ」

 

青葉は何も言えず、ただただ黙り込んでしまっていた。

 

「お前の気持ちは分かるよ……。だが、大井がお前より先に外へ出たとしても、お前と同じように、お前より先に来てしまった事で心を痛めることは、決してなかっただろうと思う」

 

「そ、そんな事は……! 司令官、酷いですよ!」

 

「事実、そう評価されている。だから、お前が此処にいるんだ。他者の為に心を痛めることが出来るお前だからこそ、最初にふさわしいと評価されたんだ」

 

「……司令官も、同じように思っているんですか?」

 

「そうだ」

 

青葉は怒りの表情を俺に向けていた。

 

「司令官……酷いです……。大井さんの気持ちをなんだと思っているんですか……! 大井さんは、司令官の隣に居ようと、あんなに――!」

「――なら、大井に譲るか?」

 

俺の冷たい表情に、青葉は言葉を失っていた。

 

「お前の気持ちは分かる。だが、その優しさで救われる奴がいると思うか?」

 

「え?」

 

「仮に、お前が譲ったとしても、大井がそれを喜ぶことは無い。そんなことしたら、お前、殺されるぞ」

 

「こ、殺される……?」

 

「あいつが努力してきたことは知っている。お前に負けたくないと、泣いたことも知っている。だからこそ、情けはかけたくないと思っている。公正であらねばとな……」

 

「でも……」

 

「青葉、優しさってのは、情けとは違うんだぜ……。お前の優しさは、お前に負けたくないと努める大井にとっては、ただのお情けでしかなくて、プライドを傷つけるには十分すぎるんだ。大井の事を本気で想うのであれば、堂々としていろ」

 

青葉は俯くと、泣き出しそうな表情を見せた。

 

「青葉」

 

俺は青葉の手を取り、しっかりと握ってやった。

 

「お前は、嫌なのか? 俺と外の世界へ出ること」

 

「い、嫌なわけないです……。むしろ……青葉は……」

 

「だったら、それでいいじゃないか。お前だって、努力してきたんだろ? どんな理由で努力してきたのかは、野暮なことだから訊かない……。けど……」

 

青葉は顔を上げると、俺をじっと見つめた。

 

「分かっているから」

 

「司令官……」

 

青葉はそっと目を瞑ると、軽くキスをした。

 

「ズルいですよ……。どうして……青葉が喜ぶことを言っちゃうんですか……」

 

「このままでは、席を立ちそうになかったからな」

 

「なるほど……。青葉は……攻略されたという訳ですか……」

 

「かもな」

 

青葉は頬を膨らませると、フイとそっぽを向いてしまった。

 

「さて、そろそろ行こうぜ。外が騒がしくなってきた」

 

「行きません……。こんな気分で……行ける訳が無いです……」

 

「じゃあ、大井と行っちゃうぜ?」

 

青葉はムッとした顔を向けると、立ち上がり、俺の手を取った。

 

「フッ……」

 

「なんですか……。堂々としていろと言ったのは、司令官ですよ……」

 

「そうだな」

 

そう笑って見せると、青葉は恥ずかしそうに俯いてしまった。

 

「青葉」

 

「なんですか……?」

 

「俺は、お前が初めてで嬉しかったよ。努力してくれて、ありがとう」

 

青葉は強く手を握りなおすと、小さく「司令官のばか……」と言った。

 

 

 

その日の夕方。

鈴蘭寮へと向かう道中――。

 

「……よう。こんな所でどうした?」

 

声をかけてやると、大井はゆっくりと、こちらに顔を向けた。

どうやら、俺の帰りを待っていたらしい。

 

「……青葉は? 一緒じゃないの?」

 

「検査で本部預かりとなった。初めて外の世界を体験したのもあってか、疲れが見られてな」

 

「そう……」

 

「それで? どうした?」

 

大井は何も言わず、ただ俯くだけであった。

 

「……少し、歩くか?」

 

素直に頷くと、大井は俺の手を取り、歩き始めた。

 

 

 

歩き始めて十数分。

ようやく大井は口を開いた。

 

「ニュース……みたわ……」

 

「ニュース?」

 

「青葉が……外の世界へ足を踏み入れたってニュース……」

 

ニュースになってんのか……。

まあ、そりゃそうか……。

 

「青葉、緊張するだとか、自信無いだとか言っていた癖に、案外堂々としていて、立派だったわ」

 

「それでも、姿を見せる直前まで、センチメンタルになっていたんだぜ」

 

「どうせ、あんたがキザなこと言って、元気づけたんでしょう? 青葉の奴、ずっとあんたの事を見ていたから」

 

「キザって……」

 

大井は立ち止まると、俯いてしまった。

 

「大井……?」

 

「……悔しかった」

 

「え?」

 

「悔しかった……。どうして……私じゃないんだって……。私だって……頑張ったのに……。貴方の隣にいるのは……私だったはずなのに……」

 

大井は顔を上げると――その瞳には、溢れそうなほどの涙が浮かんでいた。

 

「私だって……私だって……!」

 

そっと抱きしめてやると、大井は大声で泣き出してしまった。

 

「大井……」

 

大井が努力していたことは知っていた。

青葉に負けたくないと。

俺の隣に立つのは自分だと。

それがかなわず――悔しくて――ムカついて――。

けど、この涙の本当の意味は――。

 

「ごめんな……。不安だったよな……」

 

周りからの期待――不安と焦燥――。

 

「ごめんなさい……。ごめんなさい……」

 

謝り続ける大井を強く抱きしめることしかできなかった。

慰めの言葉は、きっと、今の大井には――。

 

 

 

泣き疲れたのか、大井は俺の胸の中で寝息をたてていた。

 

「寝ちゃった?」

 

様子を窺っていたのか、北上が物陰から顔を出した。

 

「北上。いつからそこに?」

 

「最初からいたよ。大井っちが泣き出す前からね」

 

「そうか……」

 

北上は、寝息をたてる大井の前髪を、指でそっとかきあげた。

 

「あたしさ……大井っちには悪いんだけど……青葉が先に外へ出るって聞いた時、安心しちゃったんだよね……」

 

「安心?」

 

「だって、大井っちが先に外へ出ることになったら、この先も、期待に応えようとしちゃうかもしれないじゃん? そうなったら、きっと、大井っちは……」

 

大井の寝顔を、どこか寂しそうに見つめる北上。

 

「お前も、大井と同じく、苦しんでいたんだな……」

 

そう言ってやると、北上は驚いた表情で俺を見た。

そして――。

 

「北上……」

 

大井を慰める言葉は、未だに見つからない。

それでも、北上の流す涙を見たら、そんなものは必要ない――そう思った。

 

 

 

北上に大井を任せ、俺は鈴蘭寮へと向かった。

 

「提督……!」

 

迎えてくれたのは、山城であった。

 

「山城。久しぶりだな。今日から鈴蘭寮か。少し、髪が伸びたか?」

 

「髪も伸びるわよ……! どうして会いに来てくれなかったのよ……!?」

 

俺は、山城の後ろに立つ明石たちに目を向けた。

ちゃんと説明したのよ? とでも言いたげに、どこか疲れた表情を見せていた。

 

「説明を受けたはずだろ。会いたくても会えなかったんだよ」

 

「それでも会いに来てほしかった……! 私……寂しくて……」

 

山城は俺を抱きしめると、急に大人しくなった。

 

「山城?」

 

「提督の匂い……」

 

顔をうずめる山城。

 

「なんか……キャラ変わってねぇか……?」

 

大淀たちもそうであったが……。

人化すると、変わっちまうのか?

 

「し、司令官……」

 

声をかけてきたのは、敷波であった。

 

「お取込み中ごめんね……。その……聞いたよ……。本当にアタシでいいの……?」

 

「あぁ、お前がいいんだ。本部もお前を推薦していたし、俺も『駆逐艦級としては初めて島へ出向する者』としては、お前がふさわしいと思っているよ」

 

大淀が島へ出向し、山城を連れて帰ってからというもの、本部は味を占めたのか、頻繁に人化した艦娘を出向させていた。

 

「提督ー! どうして島風じゃないのー!? 島風も行きたーいー!」

 

「お前は、もう少し勉強を頑張れ……。この前のテスト、酷い点数だって聞いたぞ」

 

「ぶー!」

 

「それと山城、そろそろ離れろ。いつまで引っ付いてんだ……」

 

そう言っても、山城が離れることはなかった。

 

 

 

翌日。

敷波を迎えに行った後、船へと向かうと――。

 

「鈴木!」

 

「おう……」

 

「謹慎、解けたのか」

 

鈴木は気まずそうな表情で頷くと、敷波を見た。

 

「艦娘を出向させているんだってな……。今回は敷波か?」

 

「あぁ。駆逐艦級では初めて、出向が許されたんだ。態度も良いし、成績も優秀。本部の推薦もあったんだ。な、敷波」

 

「う、うん……まあ……」

 

「そうか……。まあ、乗れよ」

 

 

 

船で移動している間、俺は鈴木に問うた。

 

「で? 香取さんとはどうなったんだ?」

 

鈴木は気まずそうに「別に……」と答えた。

 

「別にってなんだよ?」

 

「……謹慎中、連絡取れてないんだよ。つーか、敷波の前でそんなこと訊くな……」

 

「敷波は知っているよ。つーか、本部では話題になっているぞ。とんだ笑い話だってさ」

 

鈴木は敷波を見た。

敷波は赤面しながら、顔をそむけていた。

 

「しかし、何がどうなってあんなことになったんだ? 喧嘩していたんだろ?」

 

「正直、俺にもわからねぇ……。なんつーか……喧嘩していたら……お互いに目が合って……気が付いたら……」

 

鈴木は珍しく、赤面していた。

 

「す、鈴木さん……!」

 

「ん、なんだ?」

 

「喧嘩したら……その……そういう気持ちになった……ってこと……ですか……?」

 

「……まあ、そうだ」

 

敷波は何故か、俺に目を向けた。

その意味が分かったのか、鈴木はニヤリと笑って見せた。

 

「おい慎二、敷波が『喧嘩』を望んでいるようだぜ」

 

「え?」

 

「ちちち、違うし! そんなこと、思っていないから!」

 

「あぁ、そうか。喧嘩じゃないよな。お前が望んでいるのは」

 

あぁ、そういうことか……。

しかし鈴木の奴、話を逸らそうとしているな……。

けど、まあ……。

 

「違うし! 鈴木さんと一緒にしないでよ! アタシは別に……!」

 

少しノってやるか。

 

「俺はいいよ。敷波」

 

「え……?」

 

「『喧嘩』するか?」

 

敷波はフリーズすると、徐々に顔を赤くさせた。

 

「良かったじゃねぇか、敷波」

 

「え……あ……あぅ……。そ、その……ほ、本当に……いいの……?」

 

「あぁ、構わないぜ。さあ、かかってこい」

 

「い、今ここで!? そんな……アタシ……まだ……心の準備が……」

 

その様子に、鈴木は思わず噴き出していた。

 

「え……?」

 

「心の準備って、ただの喧嘩にそんなものが必要なのか?」

 

そう言われ、揶揄われていたことに気が付いたのか、敷波は頬を膨らませ、鈴木を蹴り始めた。

 

「痛っ! なにすんだよ!? 勘違いしていたのはお前だろ?」

 

「そう誘導したでしょ!?」

 

そして、今度は俺をキッと睨んだ。

 

「敷波」

 

「なにさ!?」

 

「大人になったら、な」

 

途端に黙り込む敷波を見て、鈴木は腹を抱えて笑っていた。

 

 

 

島に着く頃には、鈴木は足を引きずるまでになっていた。

 

「いてぇ~……。さすがに蹴り過ぎだろ……マジで……」

 

「フンっ!」

 

「香取さんに慰めてもらえよ。尤も、今度はちゃんとした場所でな」

 

そう言ってやると、鈴木は中指を立てながら、島を後にした。

 

「さて……」

 

敷波に目を向けると、寮の方をじっと見つめていた。

 

「やっぱり、思うところがあるか?」

 

「うん……。まさか、もう一度来られるとは、思ってもみなかったから……」

 

島に戻ってきた連中は、敷波と同じような反応を見せていた。

だが、必ずしも――。

 

「心配しないで、司令官。戻りたくなったとか、そういうことではないから。島を出たんだなぁって思ったというか……。人間になったんだなぁって……」

 

敷波はニコッと笑って見せた。

 

「アタシ、人間になれてよかったと思っているよ。司令官と同じになれたし、司令官と同じ時を過ごせるから。夕張さんと大和さんにも、この幸せを知ってほしいくらいなんだからね」

 

「敷波……」

 

ほかの連中にも同じような事を言われたが、やはり、こいつの笑顔は――こいつの言葉は――。

 

「わわ、司令官!?」

 

抱き上げると、敷波は相変わらず軽かった。

 

「なら、このまま見せつけに行こう」

 

「こ、ここまでなくてもいいじゃん! 恥ずかしいよ……」

 

「でも、お姫様抱っこに憧れているんだろ? 朧から、よく少女漫画の貸しっこしているって聞いたぞ。こういうのに憧れているようだ、とも」

 

「お、朧ちゃんが!? 内緒にしてって言ったのにぃ……」

 

「嫌なら、本気で暴れてくれてもいいんだぜ」

 

そう言ってやっても、敷波は――。

 

「そういうところだよ」

 

「へ? なにが?」

 

 

 

寮に着くと――。

 

「あら」

 

「まあ」

 

夕張と大和のニヤニヤ顔に、敷波は思わず顔を背けてしまっていた。

 

「今回は敷波さんなんですね」

 

「あぁ。かなり優秀でな。駆逐艦級としては初めて、島に来ることを許されたんだ」

 

「そうなんですね」

 

「敷波ちゃん、久しぶり」

 

敷波は小さく頷くと、降ろすようにと、俺を見た。

 

「という訳だから。敷波、こいつらの相手をしてやってくれ。俺は仕事があるから」

 

「アタシが世話するの? 普通、逆じゃない?」

 

「お前は立派な人間だろ。艦娘の相手をしてやってくれ」

 

それがどういう意味なのか敷波も理解したのか、少し複雑そうな顔を見せていた。

 

 

 

しばらく執務室にいると、敷波が戻って来た。

 

「もういいのか?」

 

「うん。二人が、司令官の傍にいてあげなさいって。せっかく二人っきりになれるんだからって……」

 

あいつら……。

ほかの連中には、そんな気遣いしなかった癖に……。

 

「……やっぱり、アタシって、子供だって思われているのかな?」

 

「どうして?」

 

「だって……そうやって気遣うってことは、自分たちのライバルにはなりえないって思っているからでしょ? 司令官、正直に言って? ほかの人たちには……こういう気遣い……しなかったでしょ……?」

 

そう言うと、敷波は俯いてしまった。

嘘を言ってもいいが、そういう気遣いも、また――。

 

「あぁ、しなかった」

 

「……だよね」

 

「けど、だからこそ、燃えるんじゃないのか?」

 

「え……?」

 

「そういう連中の鼻を明かしてやった時が、一番スッキリするだろ?」

 

そう言って、俺は敷波を抱きしめてやった。

 

「し、司令官!?」

 

「静かに……。二人が見ている……」

 

「え?」

 

「声は聴こえていないようだが、しっかり見ているよ」

 

「そ、そうなの……?」

 

「鼻を明かすチャンスだぜ」

 

敷波は少し恥ずかしそうにした後、そっと口づけをした。

そして、確認するように、振り返った。

 

「あ、あれ……? 誰も見ていな……っていうか、そもそも鍵をかけて……」

 

再び俺を見る敷波。

そして――。

 

「痛っ! 痛たたたたた!」

 

「司令官! アタシの事、からかったの!?」

 

顔を真っ赤にさせ、叩く敷波。

痛いとは言ったが、正直、全く痛くなかった。

 

「悪い悪い。でも、元気出ただろ?」

 

「出てない!」

 

「しかし、案外大胆なんだな。キスするなんて」

 

さらに顔を真っ赤にさせると、敷波は執務室を出て行ってしまった。

 

「フフッ……」

 

 

 

敷波が風呂に入っているタイミングで、大和がやって来た。

 

「お疲れ様です。お仕事、順調ですか?」

 

「あぁ。ちょうど終わったところだ。何か用事か?」

 

「いえ。ただ、いい趣味ではないと思いまして」

 

大和は座ると、じっと俺を見つめた。

 

「いい趣味、とは?」

 

「敷波さんのことです。本人から聞きましたよ。何でも、かなりの頻度、提督に揶揄われているのだとか」

 

「嫌がっていたか?」

 

「いえ、そういう訳ではないのですが……」

 

「だったらいいだろう。それに、趣味ではない。つい、揶揄ってしまうだけだ」

 

「つい、ですか」

 

「反応が可愛いんだよ。男の子ってのは、可愛い子をイジメてしまうもんなんだ」

 

「男の子って歳でもないでしょうに」

 

「で? なにが言いたいんだ? 揶揄うなと注意しに来たのか?」

 

「まあ……そうですね……」

 

まあ、そうですねって……。

 

「本人は嫌がっていないんだろう? 何が気に食わない?」

 

「気に食わない訳ではありませんけど……」

 

「じゃあ、なんだってんだよ?」

 

何やら歯切れの悪い大和。

 

「……女の子が揶揄われている姿に、いい気持ちになる訳ありません」

 

「そらそうだろうが……。別に、揶揄うところを見た訳でも無かろうに」

 

「敷波さんが報告してくるんです……」

 

そう言って、ムッとした表情を見せる大和。

こいつ、もしかして……。

 

「司令官、お風呂上がったよ」

 

敷波は、まだ少し湿っている髪を拭きながら、部屋へと入って来た。

 

「お! 髪を解いた姿、なんだか新鮮だな」

 

「へ、変かな……?」

 

「いや、大人びて見えるよ」

 

「……それって、普段は子供っぽいってこと?」

 

「普段は可愛いけど、今は美人に見えるって話だ。俺はどっちも好きだから、安心しろよ」

 

「べ、別に……不安になって無いし……」

 

ふと、大和に目を向ける。

その表情は――なるほど……。

 

「さて……まだ消灯時間には早いが、家に戻るとするか。敷波、行くぞ」

 

「え?」

 

「敷波さんは、こちらの寮に泊まるのでは?」

 

「それでもいいが、敷波はどっちがいい?」

 

「ア、アタシ!?」

 

敷波は少し悩んだ後、小さく言った。

 

「じゃあ……司令官の……お家で……」

 

そして、何やら言い訳を始めた。

 

「あ……別に! その……司令官のお家がいいとかじゃなくて! ほら、アタシ、もう人間だし! 艦娘寮にいるのは変っていうか……あ! 変っていうのは、こうして居るのが変って訳じゃなくて、寝泊まりするのが変って意味でね!?」

 

その焦りっぷりに、思わず笑ってしまう。

 

「な、なに笑っているのさ!?」

 

「いや、大丈夫だよ。お前の言いたいことは分かっているよ。つまり、俺と居たいってことだろ?」

 

「な……! 違うし! 分かってないじゃん! もー!」

 

ポカポカと叩く敷波と、どこか複雑そうな表情を見せる大和。

 

「ま、そういうこった。敷波、連れてくぞ」

 

「え、えぇ……」

 

「むぅー!」

 

 

 

家に着くと、敷波は縁側に座って、機嫌悪そうにしていた。

 

「機嫌直せよ、敷波。ほら、ココアだ」

 

「いらない!」

 

「そうかい」

 

機嫌が悪くても、こうして家に来ているんだから、やっぱり本気で怒っている訳じゃないんだよな。

 

「しかし、大和の奴、お前に凄い嫉妬していたな」

 

「へ? 嫉妬?」

 

「お前、大和達に、俺に揶揄われたこと話しただろ。お前が風呂に入っている間、揶揄うのをやめろって、言いに来たんだぜ」

 

「そ、そうなの? あ、だから、執務室に大和さんが居たんだ……」

 

「敷波が嫌がっているのならやめると言ったんだが、嫌がっている訳じゃないと言い出してな。じゃあ、何故、やめろと言うのかと問うたら、敷波の話を聞いていて気分が良くなかったから、だそうだ」

 

「そうだったんだ……。悪い事しちゃったかな……」

 

「いや、そうじゃない。おそらく、俺とお前がイチャイチャしているのが気に食わなかったんだろ」

 

「イチャイチャって……。どこがイチャイチャなのさ……」

 

「そう見えたんだろ。実際、俺も、そういう目で見られてもおかしくないって思っているよ」

 

そう言ってやると、敷波は目を細めて俺を見た。

 

「そうやって……。また揶揄っているんでしょ……?」

 

「いや、本気でそう思っているよ。だからこそ、大和は嫉妬したんだろう」

 

敷波は、納得いかないといった表情で、反論した。

 

「嫉妬嫉妬って言っているけど、何を根拠に言っているのさ? そもそも、大和さんは、アタシの事、子供だって思っているはずじゃん……。嫉妬なんて……しないはずだよ……」

 

自分で言っていて傷ついたのか、敷波は俯いてしまった。

 

「根拠と言える根拠はないが、何となく分かるんだよ。長い付き合いだしな」

 

「ふぅん……」

 

敷波は唇を尖らせると、小さくため息をついてみせた。

 

「司令官……初めて鹿島さんとデートした時よりも、なんだか察しが良くなったよね……」

 

「そうか?」

 

「……でも、なるほどね。確かに、大和さんは嫉妬していたのかも……。アタシだって、今、大和さんに……」

 

そこまで言うと、敷波は黙り込んでしまった。

 

「敷波?」

 

「……とにかく、よく分かったよ。どうして司令官が、アタシを家に連れてきたのか。大和さんの口ぶりから、出向してきた元艦娘は、寮で寝泊まりすることになっているんだよね? そうさせなかったのは、大和さんの嫉妬を煽る為、でしょ?」

 

相変わらず、察しがいいな。

 

「単純に、俺がお前と一緒にいたかっただけやも知れんぜ?」

 

いつものように、必死に否定してくるものだと思っていた。

しかし――。

 

「それならそれでいいよ……。もしそうなら……都合がいいし……」

 

「都合がいい?」

 

敷波は近づくと、そっとキスをした。

そして、俺を押し倒すと――。

 

「こうする理由……考えなくてよくなるから……」

 

もう一度キスをする。

だが、先ほどとは違い――。

 

「『喧嘩』……しよ……?」

 

震える手。

真っ赤に染まった耳。

風呂に入ったばかりなのに、じんわりと汗がにじんでいた。

 

「……参ったよ。降参だ」

 

そう言ってやると、敷波は、ポカンとした表情を見せていた。

 

「揶揄い過ぎた。その仕返しだろ?」

 

俺の言う意味が理解できたのか、敷波はそっと離れると「顔……洗ってくる……」と言って、フラフラと洗面所へと消えていった。

 

 

 

布団を敷いて待っていると、敷波が戻って来た。

 

「布団、敷いといたぞ。俺はもう寝るけど、お前は?」

 

「……アタシも、もう寝る」

 

「そうか」

 

明かりを夕方にして、布団へ入る。

 

「おやすみ。敷波」

 

「うん……」

 

しばらくすると、敷波は、こちらの布団へ入って来た。

 

「どうした?」

 

「さっきはごめんね……」

 

敷波は背を向けながら、小さくなっていた。

 

「別にいいよ。ちょっと驚いたけど……」

 

「全然だったじゃん……」

 

「そら、お前の必死さに比べたら、幾分か落ち着いていたように見えただろうよ」

 

敷波はこちらに体を向けると、ムッとした表情を見せた。

 

「……やっぱり、そういうことに興味があるのか?」

 

小さく頷く敷波。

 

「大和さんが嫉妬したくらいだから……チャンスがあると思って……」

 

「だからってお前な……」

 

「こういう事……ほかの娘からされたことある……?」

 

「……あるな」

 

俺は何故か、秋雲を強く思い出していた。

 

「それでも……さっきみたいに……?」

 

「まあ、そうだな……」

 

「そっか……」

 

敷波は、どこか嬉しそうであった。

 

「司令官、一つだけ……お願い、いいかな……?」

 

「なんだ?」

 

「鹿島さんにやったっていう……お腹さするやつ……アタシにもやって欲しい……」

 

あれか……。

思わず、古傷をさすってしまった。

 

「……悪いが、あれは――」

「――してくれたら、大和さんを島から出してあげる」

 

俺は思わず体を起こした。

 

「どういうことだ……?」

 

「そのままの意味……。アタシなら、大和さんを島から出せる……」

 

「それは、大和がお前に嫉妬しているからか? それだけが理由だというのなら――」

「――それだけじゃないよ」

 

敷波の目は、本気であった。

 

「どんな理由があると?」

 

「それは言えない。でも、大和さんがアタシに嫉妬しているっていうのが事実なら……」

 

敷波はそれ以上なにも言わなかった。

何を考えているのかは分からないが……。

 

「……分かった」

 

別に、お腹をさすってやるだけだしな……。

敷波は仰向けになると、恥ずかしそうに顔を背けた。

 

「ほら」

 

お腹をさすってやると、敷波はくすぐったそうに体をくねらせた。

 

「くすぐったいか?」

 

「う、うん……。でも、大丈夫……。続けて……」

 

しばらくすると、敷波は大人しくなった。

 

「敷波? 大丈夫か?」

 

「大丈夫……。大丈夫だから……。もっと下の方を……もうちょっと強く……」

 

要求通りにしてやる。

敷波はそっと、俺の胸に顔を埋めた。

そして、俺の手を掴むと、小さく震え出した。

 

「お、おい……。本当に大丈夫か……? なんだか苦しそうだぞ……」

 

「大……丈夫……。ありがと……。しばらく……このままで居させて……」

 

そう言うと、敷波は肩で息をした。

そして、それが落ち着いた頃、力が抜けたかのように眠ってしまった。

 

「汗かいてら……」

 

額にぴっちりと引っ付く髪を梳いてやると、赤子のように口をムニャムニャさせていた。

 

「…………」

 

不思議と、愛おしさを感じてしまう。

だがそれは、恋だとか――保護欲とも違うものに思えた。

 

「どういう感情なんだろうな……」

 

 

 

翌日。

夕張の声で目を覚ます。

 

「んん……なんだよ……?」

 

「なんだよって……。朝食の時間、過ぎているわよ……」

 

「え……?」

 

時計に目を向けると、確かに過ぎていた。

 

「敷波は……?」

 

「敷波ちゃんは……さっき出て行ったわ……」

 

出て行ったって……。

起こしてくれても良かったのに……。

 

「……ねえ、どうして雨戸を閉めていたの?」

 

「え?」

 

「いつも閉めないじゃない……。何か……変な事をしていたんじゃないでしょうね……?」

 

「変なことってなんだよ? つーか、雨戸なんか閉めてねぇぞ。鍵すらかけて無かったろ」

 

「鍵はかかっていなかったけれど……。雨戸は確かに閉まっていたわ。変だと思って開けて見たら……」

 

そこまで言って、夕張は閉口してしまった。

 

「開けて見たら、なんだよ?」

 

「……何でもない」

 

夕張は何やら顔を赤くして、家を出て行ってしまった。

 

「なんだ?」

 

 

 

外は快晴で、日差しがまぶしいくらいであった。

 

「確かに、雨戸が閉まっていなかったら、確実に目覚めている天気だな」

 

寮の玄関で靴をしまっていると、大和が声をかけて来た。

 

「おう、おはよう」

 

「おはようございます。提督、少し、お話ししたいことが……。よろしいでしょうか……?」

 

「構わないが……。腹、減っているんだ。朝食の後でもいいか?」

 

「でしたら、朝食を摂りながらでも構いません。お持ちしますので、執務室、いいですか……?」

 

深刻そうな顔の大和。

何か、あったのだろうか……。

 

「……分かった」

 

 

 

執務室で待っていると、大和が朝食を持って部屋へと入って来た。

鍵をかけたところをみるに、誰にも知られたくない話なのだろう。

 

「どうぞ」

 

「ありがとう。いただきます」

 

大和はしばらく、様子を窺っていた。

 

「で? 話ってなんだ?」

 

「えぇ……。お食事中にする話ではないかとは思うのですが……敷波さんの件です……」

 

「敷波?」

 

「今朝……夕張さんが提督の家に行ったのはご存知かと思います……。その時、雨戸が閉まっていたそうじゃないですか……」

 

「あぁ、そうらしいな。閉めた覚えは無いのだが……」

 

「やっぱり……提督ではなかったのですね……」

 

「どういうことだ?」

 

「いえ……。夕張さん、閉まっているのを不審に思ったようで、雨戸を少しだけ開けて、こっそり覗いてみたそうなんです……。そしたら……」

 

大和は閉口し、顔を真っ赤にさせた。

 

「そしたら、なんだよ?」

 

少し躊躇った後、大和は小さい声で言った。

 

「敷波さんが……その……寝ている提督の手を……じ、自分の……大事なところへ……」

 

「大事なところへ……? 大事なところって?」

 

「ですから……その……」

 

大和の様子に、何となく状況を察してしまい、咳き込んでしまった。

 

「大丈夫ですか!?」

 

「げっほ! だ、大丈夫だ……。んぐ……。そ、その……んんっ……大事なところってのは……つまり……そういうことか……?」

 

頷く大和。

だからか、夕張が赤面していたのは……。

 

「じゃあ……雨戸を閉めたのは……」

 

「提督を起こさないように、敷波さんが閉めたのではないかと……」

 

そういう事か……。

 

「しかし、なんだってそんな事を……」

 

「昨夜、お二人の間に何かあったのでは? 敷波さんをそうさせてしまうような、何かが……」

 

何か……か……。

 

『『喧嘩』……しよ……?』

 

「……いや、特にないよ」

 

流石に言えんわな……。

 

「何かあるかのような言い方ですね……」

 

そう言うと、大和は細い目で俺を見た。

 

「とにかく、事情は分かった。敷波の件は、俺に任せてくれ」

 

「分かりました……」

 

大和は立ち上がろうとして、何かを思い出したかのように、再び座った。

 

「どうした?」

 

「いえ……。一つだけ……いいですか……?」

 

「なんだ?」

 

「これも……何かの作戦……ではありませんよね……?」

 

「んな訳あるか……。仮に作戦だったとして……その……敷波の大事なところを触るなんぞ……」

 

気まずそうにする俺に、大和は安心したのか、そのまま部屋を出て行った。

 

「敷波の奴……」

 

ふと、自分の手を見つめてしまった。

 

「馬鹿か……」

 

 

 

食器を戻そうと食堂へ向かうと、夕張と敷波が洗い物をしていた。

 

「司令官。おはよう」

 

「お、おう……。おはよう」

 

「起こさなくてごめんね。司令官、ぐっすり眠っていたからさ」

 

平然と言う敷波。

 

「敷波ちゃん、後は私と提督でやっておくから、大和さんの方を手伝ってくれない?」

 

「うん。じゃあね、司令官。また後でね」

 

敷波が去って行くのを確認し、夕張は言った。

 

「大和さんから聞いた……? 敷波ちゃんのこと……」

 

「あぁ……聞いたよ。本人には言っていないのか」

 

「言える訳ないでしょ……。貴方……昨日、敷波ちゃんになにしたのよ?」

 

「何もしていないよ」

 

「嘘よ。絶対、何かあったでしょ……。それとも何? これも何かの作戦?」

 

大和と同じこと言ってら。

 

「そんな作戦あるかよ。敷波の大事なところを触る作戦か?」

 

「ロリコンの貴方ならあり得るんじゃないのかしら?」

 

こいつ……。

 

「またイライラする日か? お腹、さすってやろうか?」

 

「そんなんじゃないわよ! 馬っ鹿みたい……。ロリコンセクハラ男……」

 

夕張はドスドス足音を立てながら、食堂を後にした。

 

「セクハラロリコン男……の方が語呂は良さそうなもんだがね」

 

つまり、どうでもいいってことだ。

 

 

 

執務室に戻ると、大和と敷波が待っていた。

 

「おう。どうした?」

 

「敷波さんが手伝ってくれるとのことでしたので、書類仕事を……」

 

「書類仕事? 敷波に出来るのか?」

 

「出来るし!」

 

そう言うと、敷波は俺の膝の上に座り、書類とにらめっこを始めた。

大和に目を向けると、困った笑顔を見せていた。

 

「司令官、アタシが集中できるように、お腹さすって? 昨日みたいに」

 

「昨日みたいに? いや、却って集中できないだろ。くすぐったそうにしていただろ」

 

「いいから! やって!」

 

「……分かったよ」

 

昨日と同じようにお腹をさすってやる。

やはり、くすぐったそうにしている。

 

「ほら」

 

「いいから続けて!」

 

言われた通りに続ける。

やがて、昨日と同じく静かになると、敷波は同じ書類をじっと見つめるようになった。

 

「何か変な箇所があったか?」

 

書類を見てみても、変なところはない。

 

「敷波?」

 

さする手を止めると、敷波は無言で俺の手を取り、その手でお腹をさすらせた。

 

「し、敷波さん……?」

 

困惑した表情を見せる大和。

何かがおかしいと思い、敷波の顔を覗き込むと――。

 

「お、おい……」

 

その顔は真っ赤に染まっていて、どこか苦しそうであった。

 

「だ、大丈夫か?」

 

「大……丈夫……。もっと……やって……」

 

そういえば、昨日も同じようなことが……。

 

「て、提督! ストップ! ストップです!」

 

「え?」

 

思わず手を離す。

敷波は――。

 

「司令官……どうして……やめちゃうの……?」

 

トロンとした目。

これは……。

 

「し、敷波さん! ちょっと!」

 

大和は敷波の手を掴むと、そのまま執務室を出て行ってしまった。

 

「な、なんだったんだ……?」

 

 

 

一時間後。

夕張と大和が、真剣な表情でやって来た。

 

「敷波、大丈夫か?」

 

「大丈夫か大丈夫じゃないかと言えば……どっちなんでしょうかね……?」

 

大和が夕張に問う。

夕張は不機嫌そうに答えた。

 

「大丈夫なわけないわ……。貴方、敷波ちゃんに何しているのよ……」

 

「何って?」

 

「お腹! さすったんでしょ……? それ、セクハラだから!」

 

セクハラ?

 

「いや、セクハラって……。そもそも、あいつからお腹をさすって欲しいと……」

 

いや……。

鹿島にしてしまった事を考えると、セクハラになりうるのか……?

 

「敷波さん、どうやら、お腹をさすられるのが気持ち良かったそうで……」

 

「なら、いいじゃないか」

 

「そうじゃないんです! その……せ、性的な気持ちよさといいますか……。大和は……そういうの……よく分からないんですけど……。人間には、あるそうじゃないですか……。そういうの……。敷波さんは、提督がお腹をさするの……そういう意味で気持ち良かったそうなんです……。話を……聞く限り……」

 

そこまで言うと、大和は顔を真っ赤にさせ、俯いてしまった。

 

「性的な気持ちよさって……」

 

「苦しそうにしていたでしょ? 気が付かなかったの?」

 

確かに、苦しそうにはしていたが……。

 

「敷波ちゃんが、どこまで理解しているのかは知らないけれど……。今朝のことも考えると、敷波ちゃんは提督を使って……その……自慰……している訳でしょ……? それって……どうなのよ……? っていうか、そういう行為だって、本当に気が付かなかった訳?」

 

「いや……全く……。そもそも、どうしてお腹をさする事が、そういう行為につながるんだよ?」

 

「だって、お腹されると気持ちいいし、そういう気分になっちゃうでしょ……。普通……」

 

「「え?」」

 

キョトンとする俺と大和。

夕張もまた、キョトンとしていた。

 

「え……そうなのか?」

 

思わず大和を見る。

 

「え……大和は、そういうのは特に……」

 

永い沈黙が続く。

夕張は、ようやく状況が理解できたようで、徐々に顔を赤くしていった。

 

「え、じゃあ、もしかして……いつも、機嫌が悪くなった時にお腹をさすって欲しいっていう、あれも……?」

 

夕張の羞恥心は限界に達したのか、何かを叫びながら、部屋を出て行ってしまった。

 

「「…………」」

 

残された俺たちは、顔を見合わせる事しかできなかった。

 

 

 

大和が部屋を去った後、俺は頭を抱えていた。

 

「性の問題か……」

 

駆逐艦級以外であれば、なんとか説得できたものだが……。

そもそも、自慰をやめさせる意味はあるのか?

このまま放っておくのが一番なのだろうが……。

 

「…………」

 

俺は、自分の手を見つめた。

問題なのは、これ以上過激になるかもしれないということ……。

そして、指摘するにしても、敷波に配慮しなければいけないということ……。

下手すれば、敷波の将来に……。

 

「難しいな……」

 

 

 

結局、どうすればいいのか分からないまま、夜を迎えた。

 

「司令官、帰ろう?」

 

「いや、今日は……」

 

大和に目を向ける。

 

「敷波さん、今日は寮に泊まりませんか? 提督には聞かせられない女子トーク、しましょう?」

 

ナイスだ大和。

「女子トーク」としているのもいいぞ。

 

「いいわね。私も、敷波ちゃんに聞きたいことがあったのよ」

 

夕張の追撃。

流石に断れないだろう。

 

「あー……ごめんなさい……。アタシ、司令官と一緒に居たいから……」

 

そう言って、敷波は俺の手を取った。

二隻はポカンとした表情で、俺を見つめていた。

 

「……気持ちは嬉しいが、今日は寮に泊まってくれ。お前を連れて来たのは、こいつらと交流させるためだ。ちゃんと仕事をしてこい」

 

そう言って、敷波の背中を押してやる。

ここまで言えば、流石に――。

 

「どうしてアタシを避けるの? 司令官……」

 

「え?」

 

敷波は、涙目で俺を見つめた。

 

「お腹、さすってもらった事が関係している……?」

 

「え……いや……そういう訳では……」

 

思わず二隻に目を向ける。

だが……。

 

「夕張さんと大和さんの話から……いけないことかもしれないって、分かっているよ……? でも……それでも……アタシは……」

 

俯く敷波。

 

「いや……別に、いけないことだと言っている訳ではなくてだな……」

 

「じゃあ、何なのさ……」

 

俺が困っていると、夕張が代わりに答えてくれた。

 

「敷波ちゃん、お腹、気持ちいいよね。それは悪い事ではないわ。けど、提督にやらせるのは……良くないと思うの……」

 

「どうして……?」

 

「だって……」

 

夕張は黙り込んでしまった。

言いたいことは分かる。

けど、言葉にするのは難しいよな……。

 

「……本当は、分かっているよ。何となくだけど……司令官と二人っきりでこういうことするの、良くないって……」

 

「だったら……」

 

「なら、二人の前であれば、いいでしょ?」

 

「「「え?」」」

 

「そういう事を心配しているんでしょ……? 皆は……」

 

そうかもしれないが……。

いや、そういうことでは無いような……。

 

「司令官」

 

敷波は俺の膝の上に座ると、手を取り、お腹にあてた。

 

「二人が見ている前でなら、疚しい事もないでしょ?」

 

二隻に目を向ける。

だが、何も言い返せないのか、黙り込んでいた。

 

「司令官、お願い」

 

「……分かった」

 

二隻の反応が無いので、仕方なくお腹をさすってやる。

敷波は、くすぐったそうにする事も無く、大人しくしていた。

 

「もっと……強くして……」

 

「あ、あぁ……」

 

「そ、そう……あ……んっ……」

 

敷波の声に、顔を赤くさせ、目を逸らす二隻。

 

「も、もういいだろ……。苦しそうだし……」

 

「や、やめないで! 苦しくないから……。その……気持ちいいの……。お腹が……キュンキュンして……」

 

敷波は俺の手を掴むと、自分のお腹に強く押しあてた。

 

「お、おい!」

 

「あっ……うっ……」

 

体を小さく震わせると、敷波は涎を垂らし、ぐったりしてしまった。

 

「だ、大丈夫か?」

 

「う……うん……。大丈……夫……」

 

肩で息をする敷波。

大和は急に立ち上がると、そのまま自室へと戻って行ってしまった。

 

「大和!」

 

ふと、夕張に目を向ける。

 

「夕張?」

 

「ふぇ……?」

 

「どうした? 顔、真っ赤だぞ。汗も――」

 

瞬間、夕張もまた、急いで自室へと戻って行ってしまった。

敷波は体勢を変え、俺に向き合うと、小さく笑いながら、言った。

 

「にひひ……これで……誰も文句言わないね……」

 

 

 

動けないという敷波を抱きかかえながら、家へと帰って来た。

 

「司令官、もういいよ。おろして」

 

「お、おう……」

 

敷波はケロッとした様子で、居間へと歩き出した。

 

「もう平気なのか?」

 

「ん? うん、平気だよ。っていうか、最初っから平気だよ?」

 

「最初から?」

 

敷波はニッと笑って見せると、雨戸を閉めながら言った。

 

「全部演技だよ。お腹さすられて、気持ち良くなるわけないじゃん」

 

「は、はぁ? 演技ぃ?」

 

「そ。言ったじゃん。大和さんを島から出してあげるって。あの様子だと、かなり効いていたみたいだね。にひひ」

 

ポカンとしている俺に、敷波は詳しく説明を始めた。

 

「大和さん、アタシに嫉妬している訳でしょ? それが本当なら、きっと、アタシと司令官がやっていることに、自分を重ねて見るかもしれないと思ってさ。お腹を撫でてもらって、気持ちよさそうなところを見せれば、大和さんも同じようにして欲しくなるんじゃないかと思って。で、司令官に、同じような事をして欲しいと頼み込んでくるから、司令官はそれを、島の外に出た者にしかできないような理由を話して断る。それを聞いた大和さんは、島を出ることを考えるようになる……ってワケ!」

 

なるほど……。

言わんとしていることは分かるが……。

 

「じゃあ、なにか? ずっと演技していたって訳か? いつから?」

 

「最初からって言ったじゃん。まあ、最初って言うのは、昨日の夜の事なんだけどね」

 

「お腹を撫でて欲しいと言った時か?」

 

「あ、それは本当。厳密に言うと、お腹を撫でてもらった後、だね。くすぐったかったなぁ、あれ。でも、お腹を撫でられると気持ちいいって、漫画で読んだことあるし、これは使えるかもって!」

 

「じゃあ、お腹を撫でてくれたら、大和を島から出すってのは……」

 

「お腹を撫でてもらう為のデマカセ。結果として、いい方法が思い浮かんだだけだよ」

 

そうだったのか……。

 

「お前がそこまで考えていたとはな。恐れ入ったよ」

 

「大変だったんだよ? お腹撫でられても、くすぐったいだけだから、必死に堪えていたんだ」

 

だからか。

汗ばんだり、肩で息をしていたのは……。

 

「そうか……」

 

俺は、感心以上に、安心していた。

この問題は、大和や夕張を島から出す以上に……。

 

「すると、あれか。雨戸の件も……」

 

「あぁ……うん……。やっぱり、誰かに見られていたんだね。誰だった?」

 

「夕張だ。あえて俺を起こさず、覗きに来させたんだな」

 

敷波はニコッと笑うだけであった。

 

「で、これからどうする?」

 

「うん。このまま、同じような事を続けて、あの二人からの接触を待つ感じかな。あの様子だと、明日辺りにでも来るんじゃない? 二人っきりにならないと話さないだろうし、そういう時間をつくってあげるから、あとは司令官次第だよ?」

 

後は俺次第、か……。

 

「けど司令官、誘惑に負けちゃ駄目だからね? 大和さんがお腹撫でて欲しいって言ってきたら、ちゃんと拒否できる?」

 

「あぁ、出来るだろ。別に、腹を撫でるなんぞ……」

 

「本当にそう?」

 

そう言うと、敷波はお腹をペロンと出し、犬のように寝転がって見せた。

 

「こんな事されても、大丈夫?」

 

「あいつはそんなことしないだろ」

 

「ひゃあ!? さ、触ってんじゃん!」

 

「お前はいいんだろ? そら」

 

「キャハハハハハ! あ! し、司令官! そこは……んんっ……!」

 

敷波はお腹を隠すように丸まってしまった。

 

「すまん。痛かったか?」

 

「うぅ……司令官のえっち……」

 

「え?」

 

「……お風呂入ってくる」

 

そう言って、敷波は風呂場へと消えていった。

 

「え……?」

 

 

 

翌朝。

勢いよく雨戸が開かれ、その強い光に目が覚めた。

 

「んん……夕張か……」

 

夕張は、まだ眠っている敷波を見て、ホッとしたようであった。

 

「また、雨戸が閉まっていたわ……」

 

「そうか……。気が付かなかった……」

 

と、言うのは嘘だがな。

 

「本当、気を付けてよね……」

 

「あぁ……」

 

夕張は、もう一度、敷波に目を向けた。

そして、俺に近づくと、小さい声で言った。

 

「帰った後も……お腹……撫でたの……?」

 

「いや……昨日はあれで終わりだったよ。敷波も、すぐ眠っちまったからな」

 

「そう……」

 

夕張はもじもじすると、さらに小さい声で言った。

 

「ねえ……あれ……私にもしてくれない……?」

 

「え?」

 

「敷波ちゃんには出来るんだから……いいでしょ……?」

 

なるほど……。

 

「いや、駄目だ」

 

「な、なんで!? 前はしてくれたじゃない!」

 

「いや、あれは、お前の腹痛を和らげるためにやっただけだ。『そういう目的』でやった訳じゃない」

 

「……またお腹が痛いの」

 

「嘘つけ。自分で言っていただろ。気持ちいいって……」

 

夕張はムッとした表情で、敷波を指した。

 

「じゃあ、敷波ちゃんにはもうしないのね?」

 

「二人っきりではしないよ。ただ、お前たちの前では、するかもな」

 

「どうしてよ!?」

 

「こいつの欲求を否定する言葉が見つからないからだ。こいつはまだ子供だ。下手に否定しては、将来に響く……。やめさせたいのは俺だって同じだ。けど、説得するための言葉が見つからない。お前らだって、昨日、何も言えずに逃げただろ」

 

「そうだけど……」

 

「それが見つかるまでは、こいつの欲求を否定したくないんだ。気に食わないだろうが、目を瞑っていてほしい」

 

「別に、気に食わないわけじゃ……」

 

「じゃあ、なんだってんだ?」

 

夕張は反論できなかったのか、怒りと悲しみが混ざったかのような表情を見せ、家を出て行った。

 

「ふぅ……。おい、行ったぞ」

 

そう言ってやると、敷波はぴょんと体を起こした。

 

「ね? アタシの言った通りでしょ?」

 

「あぁ。しかし、早朝に来るとはな……」

 

「っていうか、司令官。夕張さんにもやってんじゃん。司令官のえっち……」

 

「ちげぇよ。あいつの場合、なんか、生理みたいな症状があるようでな。それを和らげるために、腹をさすって欲しいと言われたんだ」

 

「生理ねぇ……。司令官、艦娘に生理は無いんだよ?」

 

「だから、生理みたいな症状だって言ってんだろ。まあ、昨日の話を聞く限り、あいつはお腹を撫でられて気持ちいいと感じる体質らしいがな」

 

「ふぅん……。艦娘は性欲がほとんどないって聞いたことあるけど、夕張さんは違うのかな?」

 

性欲ね……。

確かに、人化した連中は、人化する前と比べて、かなり性欲が強いように感じる。

秋雲とか、秋雲とか……。

 

「夕張さんは時間の問題かもね。さて、大和さんはどう出るかな? 司令官、また、二人の前でお腹撫でてね?」

 

敷波はニヤリと笑って見せた。

本当、悪い顔をするようになったな。

 

 

 

朝食を済ませると、敷波は急いで食器を片付け、俺の膝の上に座った。

 

「司令官、お腹やって?」

 

「おいおい、ここでか?」

 

「ここじゃないと、二人に見てもらえないじゃん。疚しいことが無いか、見てもらわないとでしょ?」

 

「そうかもしれんが……」

 

二隻に目を向ける。

夕張は不機嫌そうで、大和は恥ずかしそうにしていた。

 

「ほら、早くー!」

 

「分かった分かった……」

 

もう一度、二隻に目を向ける。

だが、やはり反応は無い。

 

「……これくらいか?」

 

「あ……そ、そう……。そこ……もっと……下……」

 

撫でてやっている間、二隻がこちらを見ることはなかった。

それでも――。

 

「あ、あの……! そろそろ……お洗濯の時間なので……」

 

「そうか。敷波、もう終わりだ」

 

「ま、待って! もうちょっとだから……! もうちょっとで……!」

 

敷波はビクッと体をよじると、ぐったりと大人しくなった。

 

「あ、ありがとう……。もう……いいよ……」

 

「そ、そうか……」

 

しかし、迫真の演技だな……。

 

「終わったぞ、大和。悪かったな」

 

「い、いえ……。では、私は……」

 

大和は小走りで、食堂を後にした。

夕張は――。

 

「…………」

 

俯き、モジモジしていた。

 

「……夕張さん」

 

「な、なに……?」

 

「夕張さんも……司令官に……やって欲しいの……?」

 

「え……?」

 

「司令官から聞いたよ。お腹……やってもらった事あるって……」

 

夕張は俺を睨み付けた。

その瞳の中には、羞恥心が隠れていた。

 

「司令官の手、気持ちいいよね……。夕張さんも、アタシと同じ?」

 

「わ、私は……そういうのじゃ……」

 

「ふぅん……。司令官、夕張さんにやってあげないの?」

 

今度は「どうなのよ?」とでも言いたげに――だが、どこか弱弱しい表情で、俺を見ていた。

 

「やらない。やる意味が無くなったからな」

 

「そうなの?」

 

夕張はムッとした表情で、そっぽを向いてしまった。

 

「夕張さんも人化したらいいのに。人化した皆は、やってもらっているよ」

 

「え?」

 

「鹿島さんとか、凄かったって言ってたよ。なんせ鹿島さんは、司令官に……んぐっ!?」

 

「おい馬鹿!」

 

敷波の口を塞ぐ。

こいつ、何を言おうと……。

 

「ふぅん……。そう……。皆にやっているのね……」

 

「いや、皆にやっているわけでは……」

 

「少なくとも、鹿島さんにはやっているのね……」

 

「いや、それは……」

 

突如、夕張は机を強く叩いた。

敷波はビックリしたのか、俺に抱きついていた。

 

「ビックリした……。オイ!」

 

「なによ……なんなのよ……! 馬鹿にするのも大概にしてよ……! 私が何したっていうのよ……。私は……ただ貴方に愛されたいだけなのに……。なのに……どうして貴方は……」

 

夕張の目から、大粒の涙が溢れ出す。

 

「お、おいおい……」

 

「艦娘が恋しちゃいけないの……? 人間でないと愛してくれないの……? 人化させることが仕事だって分かってる……。でも……だったら……私をその気にさせないでよ……。苦しいのよ……。怖いのよ……。人化しても……貴方は私を愛してくれないかもしれないって……。なのに……どうして……」

 

夕張は、俺をまっすぐ見つめた。

その表情に、俺は――。

 

「私の大事な恋心を……もてあそばないでよ……」

 

そこまで言うと、夕張は大声で泣き出してしまった。

今まで見せてきたどの泣き顔よりも、幼く、そして、悲哀に満ちていた。

 

「夕張……」

 

伸ばそうとする手を押さえたのは、敷波であった。

 

「敷波……」

 

敷波は首を横に振ると、立ち上がり、俺の手を引いた。

夕張を置いて、食堂を出ろと、目が訴えていた。

その目は、いつだったか、俺に活をいれた大淀のものと同じであった。

 

「……分かった」

 

子供のように泣く夕張を尻目に、俺は敷波と共に食堂を後にした。

 

 

 

俺たちはそのまま外へ出て、海辺へと向かっていた。

 

「悪いな……」

 

敷波はニコッと笑顔を見せてくれた。

 

「それでいいんだよ、司令官。それが、司令官のいいところなんだからさ」

 

「しかし……」

 

「その後悔は、夕張さんを泣かせてしまったことに対して、ではないんでしょ? 夕張さんを慰めようとしてしまったから。仕事として、判断を誤ってしまいそうになったから。違う?」

 

俺は何も言わず、海を見つめた。

 

「その後悔があれば、それでいいじゃん。もし、また、間違いそうになったら、アタシが止めてあげる」

 

「敷波……」

 

「司令官」

 

敷波は手を広げると、俺をじっと見つめた。

 

「なんだ?」

 

「おいで、司令官」

 

「え?」

 

「抱きしめてあげる。朧ちゃんにやってもらったことあるんでしょ? 抱きしめてあげると、司令官は安心するみたいだって、朧ちゃんが言っていたよ?」

 

朧のやつ……。

 

「別に、安心するわけでは……」

 

「いいから。おいで、司令官」

 

「…………」

 

俺は、自然としゃがみ込み、敷波の腕の中に身をうずめた。

 

「よしよし。司令官は頑張っているよ。アタシは、そんな司令官が大好きだからね?」

 

「…………」

 

恥ずかしい。

だが、それ以上に――。

 

「フフ、これ、いいかも。司令官、可愛いんだー」

 

「……うるせぇ」

 

それでも離れない俺に、敷波は、朧と同じような優しい笑顔を見せていた。

 

 

 

寮へ戻る途中、備蓄庫を掃除している大和と鉢合わせた。

 

「洗濯、終わったのか?」

 

「はい。暇だったので、備蓄庫の掃除でもと思いまして……」

 

人数が少なくなった今、備蓄庫は使われていなかった。

 

「司令官、手伝ってあげなよ」

 

「え?」

 

「アタシ、やらなきゃいけないことがあるから。じゃあ」

 

敷波はそそくさと、寮へと戻っていった。

あいつ……。

 

「気を遣われちゃったみたいですね」

 

大和の目は、どこか――。

 

「それは、どっちに言えることだ?」

 

「提督は、どっちだと思いますか?」

 

「さぁな」

 

箒を持って、備蓄庫に入る。

大和も、同じように。

 

「敷波さんが気を遣ったことで、何か、お二人の狙いが分かった気がします」

 

「狙い?」

 

「とぼけなくていいですよ。長い付き合いですから、分かっています」

 

大和は箒を動かしながら、目を合わせず、そう言った。

何が言いたいのかは、分かっている。

だからこそ――。

 

「そういうことであってほしいんだろ」

 

大和の手が止まる。

 

「確かに、敷波はあることを企んでいる。それが作戦だと言われたら、そうなのかもしれない」

 

俺は、大和に目を向けた。

案の定、不安そうにしていた。

 

「敷波に嫉妬しているんだろ?」

 

大和は何も言わない。

 

「作戦だから、敷波を愛でている訳ではない。作戦だから、嫉妬を煽っている訳ではない」

 

「…………」

 

「作戦関係なく、お前は嫉妬しているんだ。敷波がなさんとしていることも、お前の嫉妬がきっかけで生まれた」

 

箒を握る手に、力が入っているようであった。

 

「敷波を揶揄うなと言ったのも、そういうことか?」

 

大和は――。

 

「……そうですよっ!」

 

大和は振り返ると、恥ずかしそうに――だが、怒っていた。

 

「いけませんかっ!?」

 

「え、い、いや……別に、いけないことは無いが……」

 

なんだこいつ……。

ヤケクソになったのか……?

 

「そうですよ! 大和は嫉妬したんです! 大和だって……提督に揶揄われたりしたいです! 敷波さんに見せる笑顔……。あんな笑顔、見たことないです! 少なくとも、大和には見せてくれてないです! いつもいつも、大和は作戦に翻弄されるだけで――貴方を好きで無かったあの頃の方が、まだいい関係でしたよ……!」

 

畳みかける大和。

言っていることは夕張と似ているが、夕張と違い、悲壮感は無い。

 

「……好きなんです。いけませんか……? 大和だって――私だって、貴方に……」

 

大和の手から、箒がすり落ちて行く。

それが床へ到達する前に、大和はキスをした。

 

「大和……」

 

「……大和には、性欲だとか、そういうのは……よく分かりません。でも、貴方に触れて欲しいって思います……。貴方の傍に居たいって……貴方に見て欲しくて――私にだけ見せる笑顔をしてほしいって……」

 

夕張に抱いた、憐憫の情――手を止めるのは、難しいことではなかった。

しかし――。

 

「…………」

 

純真――。

それは、彼女の肌のように、白く、透き通っていて――。

 

「提……督……?」

 

柔らかくて――全てを受け入れてくれるような――。

 

『おいで、司令官』

 

我に返り、大和の頬から手を離す。

 

「……悪い」

 

「い……いえ! もっと、触れてください! なんなら、提督のお好きなところを……!」

 

こういうことではないよな……。

 

「やることを思い出した。掃除、悪いが、あと頼めるか?」

 

「え、あ、はい……」

 

「悪いな」

 

俺は箒を置いて、備蓄庫を後にした。

 

「…………」

 

大和に触れた手を見つめる。

 

「クソ……」

 

 

 

寮へ戻り、執務室に入ると、敷波が待っていた。

 

「あれ、早いじゃん」

 

「ちょっとな」

 

俺は、敷波に全てを話してやった。

 

「へぇ……そこまで素直に……」

 

「夕張も大和も、お前の言った通りになったな」

 

敷波は何故か、不安そうな表情を浮かべていた。

 

「どうした?」

 

「……ちょっとまずいかもしれない」

 

「まずいって?」

 

「夕張さんはいいとして、大和さんは、吹っ切れた感じなんでしょ? もしかしたら、大和さん……」

 

その時、大和が部屋を訪ねてきた。

 

「大和。掃除はもういいのか?」

 

「えぇ」

 

大和は部屋へ上がってくると、俺の隣に座った。

 

「敷波さんと一緒だったのですね」

 

「あぁ。書類の整理をしてくれていたようでな」

 

「そうでしたか」

 

大和は、一瞬ではあったが、敷波に目を向けた。

そして、すぐに視線を戻すと、俺に言った。

 

「提督」

 

「なんだ?」

 

「大和のお腹も、さすってはいただけませんか?」

 

想定通りではあるはずが、予定外の事であった。

 

「いや……出来ない」

 

「何故ですか?」

 

「する理由がないからだ」

 

「敷波さんには出来るのに、ですか?」

 

「敷波は……仕方がないだろ……。本人を目の前に言うのもなんだが、多感な時期なんだ。下手に扱えないんだ」

 

「そうですか……。では、お腹でなくてもいいので、大和に触れてくださいませんか?」

 

「……どうして?」

 

「先ほど説明した通りです。触れて欲しいのです。提督に」

 

大和の目は、真剣そのものであった。

敷波に目を向ける。

しかし――。

 

「…………」

 

敷波は、大和を不安そうに見つめるだけで、何も言えないようであった。

大和は俺の手を取ると、それを自分の頬にあてた。

柔らかく、透き通るような肌――。

 

「もっと、近くでご覧になって」

 

近づく大和。

息がかかるほど――というよりも――。

 

「――……」

 

息を止めたのは――。

 

「……敷波さん」

 

「え……」

 

「貴女がそうするのなら、大和は――私は、こうします。貴女は欲するだけ。私は、提督が――彼が欲するものを与えます」

 

「俺が……欲するもの……?」

 

「もう……恥ずかしがっている場合ではありませんね……」

 

大和は貪るようにキスをすると、俺の手を自分の胸にあてた。

 

「や、大和……!」

 

「大和は……触れて欲しい訳では無いんです……。大和が本当に欲しいのは……貴方の目です……。その為に必要な事……本当は分かっていました……。でも……」

 

大和は顔を真っ赤にさせると、自分を奮い立たせるように、もう一度キスをした。

 

「敷波さんが――皆さんがそうするのなら、大和も同じ事をします……! それで、貴方が見てくれるのなら……!」

 

そう訴える彼女の顔から、純白の色が剥がれ落ちる。

その合間に見えたのは――。

だからこそ――。

 

「そうじゃないだろ」

 

「え……?」

 

「お前が真に欲したのは、こういうものではないはずだ」

 

冷静な俺に、驚きの表情を見せる大和。

敷波もまた、同じ表情を見せている。

 

「お前がこうして来なかったのは、そういう理由だろ。敷波に嫉妬したのも――下心があるように言ったのも――俺に見て欲しいから――。だが、その目は……」

 

俺は、大和の白い肌に触れた。

 

「安心しろ、大和。俺が求めているものも、お前と同じだ。だからこそ、お前には触れなかった」

 

大和は――。

 

「なるほど……」

 

小さく笑うと、大和はそっと、俺の胸の中に顔を埋めた。

 

「今、分かりました……。提督の仰る、大和が求めているもの……。確かに『そうでした』。でも……」

 

大和は敷波に目を向けると、悲しそうな笑顔を見せた。

 

「嫉妬してしまっていたんですね……。心では分かっていても、確かなものが目の前にあっては――……」

 

そして、もう一度、俺を見た。

 

「もう、変な言い訳はしません……。大和は、貴方に愛されたいんです……。貴方が同じ気持ちであったとしても、それが、誰かと同じでは嫌なのです……。確かなものとして……欲しいのです……」

 

『皆と同じ言葉で……片付けないで……』

 

確かに、以前、そんな事を言っていたもんな……。

 

「敷波さん……」

 

「な……に……?」

 

「人化して、提督からの『確かな愛』を感じられましたか……?」

 

敷波は小さく頷いた。

 

「感じたよ……。それでも……司令官はまだ遠くに居る感じはするけどね……」

 

「教えてくれませんか……? 感じたものを……」

 

「……簡単だよ」

 

敷波は俺を見て、微笑んだ。

 

「司令官と同じ……【命】と【時間】」

 

命と時間……。

 

「……なるほど」

 

「命っていうのは……ただ人化したって意味じゃないよ?」

 

大和が疑問に思っていると、敷波は、自分のお腹をさすった。

 

「アタシは……いつか、司令官の赤ちゃんを――新しい命を宿すつもりなんだ」

 

「は、はぁ!? 俺の赤ちゃん!?」

 

驚愕する俺とは対照的に、大和は寂しそうな表情をしていた。

 

「大和さんは、欲しくないの? 司令官との赤ちゃん」

 

何故か、俺を見る大和。

 

「な、なんだよ……」

 

「……すみません。少し、一人で考えます……」

 

そう言うと、大和は部屋を出て行ってしまった。

残された俺たちは――。

 

「司令官……」

 

「ん? どうした?」

 

「アタシは……不安だったよ……。司令官が……大和さんに流されちゃうんじゃないかって……」

 

「え?」

 

「大和さん、分かっていたんだよ……。司令官を襲えば、抵抗できないって……。司令官の本心は分からないよ……? でも、司令官は必ず、大和さんに流されちゃうはず……。大和さんから与えられる快楽に、身を委ねてしまうはず……」

 

「お前、何を言って……」

 

突如、敷波は俺を押し倒した。

 

「司令官は……男なんだよ……? そして、大和さんは……」

 

敷波は俺のズボンを脱がそうとしだした。

 

「ちょおおおおおおお!」

 

抵抗する俺に、今度は自ら服を脱ぎ、生まれたままの姿を見せつけた。

 

「何しているんだ!? 馬鹿な真似はよせ!」

 

敷波を退け、上着を着せてやる。

 

「何してんだお前は……」

 

「……くせに」

 

「え?」

 

「大和さんだったら、抵抗しないくせに……! 大和さんだったら、冷静でいられないくせに……!」

 

「さっきから何を言って……」

 

「もういい……!」

 

敷波は服を持って、部屋を出て行ってしまった。

 

「なんなんだよ……」

 

 

 

結局、消灯時間になっても、皆が部屋を出ることは無かった。

 

『私の大事な恋心を……もてあそばないでよ……』

 

『……すみません。少し、一人で考えます……』

 

『大和さんだったら、抵抗しないくせに……! 大和さんだったら、冷静でいられないくせに……!』

 

「はぁ……」

 

俺は、何をやっているんだ……。

敷波が離れていってしまった今、こうして冷静になってみると、本当、酷いもんだな……。

 

「愛だとか恋だとか性だとか……。そういう事を意識させるために来たわけじゃないんだがな……」

 

生きるということ。

それを教える為に、俺は――。

いや……。

 

「愛だとか恋だとか性だとか……。そういうのを意識してこその『生きる』か……?」

 

思えば、島に来る前の俺は、そういうものを意識したことは無かった。

この島に来て、俺は――。

 

『全てが終わったら、大淀とシてくれますか……?』

 

「全てが終わったら……俺は、どうなってしまうんだろうな……」

 

『生きる』を知らない俺に、あいつらを導くことは出来るのだろうか……。

 

 

 

家へ帰り、縁側に座って星を眺めていた。

 

「将来……か……」

 

全ての艦娘を人化して、その後どうするのか。

幾度となく考えてきた。

しかし、結局は全て、今の延長でしかなくて――何となくではあるが『生きる』とは違うように思えていた。

 

「この島で、一番人間らしくないのは……」

 

皮肉なものだな……。

 

「提督……」

 

「おわぁ!? や、大和……?」

 

いつの間にか、隣に大和が座っていた。

 

「ビックリした……。音くらい立てろよ……」

 

「すみません……。何か、考え事をしていらしたので、邪魔をしては悪いかと思いまして……」

 

大和はどこか、心配そうな表情で俺を見ていた。

 

「そ、そうか……。して、どうした? 消灯時間は、とっくに過ぎているが……」

 

「はい……。その……先ほどの件について……お話がありまして……」

 

まあ、そういうことだよな……。

しかし、こんな時間に来るかね……普通……。

 

「話してみろ」

 

大和は深呼吸した後、ゆっくり話し始めた。

 

「先ほどは、すみませんでした……。その……いろいろと……」

 

「いや……」

 

恥ずかしそうにする大和。

頭は冷えたようだな。

 

「……お前が去った後、敷波の奴がさ、裸になって、俺に迫ってきたんだぜ」

 

「え?」

 

「子供でもつくるつもりだったのかね。冷静に宥めてやったら、怒って出て行ってしまった。なんでも? これが大和だったら、俺は流されていたんだとかなんだとか言っていたな」

 

「大和だったら……ですか……?」

 

「少なくとも、敷波にはそう見えたらしい。まあ、つまり、あいつも、お前に嫉妬したらしいんだ」

 

大和は俯くと、複雑そうな表情を見せていた。

 

「でも……悔しいが……それは本当だと思うんだ……」

 

「え……」

 

「俺は、そういうのに弱い。陸奥の時もそうだったし――危機的状況は、たくさんあった。何とか避けて来れたが、いつもいつも、俺はいっぱいいっぱいだった」

 

「どうして……そんな話を……? 今の話を聞いて、大和が敷波さんと同じ行動をとったら……」

 

「さっきも言っただろ。お前が求めているのは、そういうことではないはずだ。そして、俺もまた、お前にそういうのは求めていない」

 

「……分かりませんよ? 敷波さんの話を聞いて――チャンスがあるのだと知った今、大和は――事実、大和は先ほど、貴方を……」

 

「俺が求めていないのなら、お前はできない。お前が求めているのは、そういうものだろう」

 

突如、大和は俺を押し倒した。

 

「…………」

 

「……抵抗しないのですか?」

 

「してほしいのか?」

 

大和は何も言わず、キスをした。

 

「艦娘と人間がシたら……どうなるか知っていますか……?」

 

「さぁな。子供ができないことは知っている」

 

「そうです。子供ができません。つまり、避妊の必要がないんですよ。言っている意味、分かりますよね……?」

 

「あぁ」

 

冷静な俺に苛立ったのか、大和は服を脱ぎ始めた。

 

「大和」

 

「なんですか? 抵抗しないのでしょう? だったら……」

 

「これでいいのか?」

 

「え……?」

 

「本当に、これでいいのか?」

 

大和は服を脱ぐ手を止めると、俺の言葉を待った。

 

「……大和」

 

俺は、大和との交換日記を手渡した。

 

「これ……」

 

「家に帰った後、そのノートを見ていたんだ。俺がお前に、何を求めていたのか――お前が俺に、何を求めていたのか……。それを思い出すために……」

 

大和は、ノートをパラパラとめくった。

そして――。

 

「大和……」

 

ノートを閉じると、大和は小さく笑った。

 

「今見ると、酷いですね……。これが交換日記? 笑っちゃいます……」

 

「それでも、確かにあったはずだ。お互いに求めていたものが……」

 

「分かりません……。教えてくださいませんか……?」

 

大和は、分かってはいるが、俺からの言葉を待っているようであった。

 

「知りたい……理解したい……近づきたい……」

 

「…………」

 

「お互いがお互いを知りたがっている……。そういうのだろ? 俺たちが求めていたのは……。それが、いつの間にやら、愛だとか恋だとか、性だとか――。そういうの以上だったはずだろ……」

 

大和は――。

 

「それでも……」

 

「…………」

 

「それでも……欲してしまったんです……。最初は、それでも良かった……。それが良かった……。でも……貴方が離れて行ってしまうようで……誰かのものになっていきそうで……。私は……」

 

「だから、こんなことを……」

 

大和は離れると、縁側に座りなおした。

俺も、同じように。

 

「好きなんです……。愛しているんです……。最初に求めていたこと――求めるべきもの――貴方が欲しているもの――それと違うと分かっていても、私は……貴方に愛されたい……あなたを愛したい……。触れたい……一つになりたい……。貴方にも……同じであってほしいんです……」

 

大和が俺を見る。

白い肌と同じくらい、大和の心は――。

そして、その心に――。

 

「俺だって……同じだよ……」

 

「え……」

 

「俺だって……男だ……。人間だ……。自分には使命があると分かっている……。背負ったものだって――。でも……その壁を破ってしまいそうになることだってある……。お前に近づこうとした時――近づいてきてくれていると知った時――素直に嬉しかったさ。それがいい。そうであるべきだと……。なのに……」

 

俺は、大和の頬に触れた。

 

「どうして、お前を美しいと思ってしまうんだ……。触れてしまいたいと――愛されたいと――そして……」

 

『将来……か……』

 

「お前と一緒なんだ……。強がって、必死に使命へ目を向けて――お前に言った全ては、俺自身を納得させる為の言葉だった……」

 

「提督……」

 

「大和……」

 

大和は顔を近づけると、キスを待った。

それに、応えたいと思った。

でも――。

 

「提督……?」

 

「……悪い。それでも俺は……」

 

『提督』

『司令官』

『雨宮』

『慎二』

 

「俺は、俺自身でありたいんだ……。お前だけではなく、皆が求める俺でありたいんだ……」

 

大和は俺の表情を見た後、そっと、抱きしめた。

 

「大和……?」

 

「そっか……今……分かりました……」

 

「え……?」

 

「鳳翔さんが――霞さんが――貴方に愛されたいと願った方々が、どうして島を出たのか……。その意味が、ようやく分かりました……」

 

大和はニコッと笑うと、恥ずかしげもなく言った。

 

「提督、セックスは出来ませんが、貴方の性処理をお手伝いさせてください」

 

「へ……?」

 

永い沈黙。

俺とは対照的に、大和は平然としていた。

 

「提督は、我慢していたんですよね? そして、これからも我慢しなければならない人です。提督は【提督】なんです。だから【一人を愛することは許されない】のです」

 

「な……え……?」

 

「でも、提督一人だけが気持ちよくなるのはいいはずです。それなら、貴方は貴方でいられる」

 

コイツ、何を言って……。

 

「提督は、大和の体に発情していたんですよね?」

 

「い、いや……発情……って訳じゃ……」

 

「でも、触れたいんですよね? それって、性的な気持ち――生物として、大和に触れたいわけです。それなら、大丈夫ですよ。さあ、大和に触れてください。気持ちよくなってください」

 

手を広げる大和。

俺は、何が何だか分からず、困惑していた。

 

「なんて……ウフフ……。そんなことしてしまったら、きっと提督は、私を抱きたくなってしまうはずです。だから、やめておきます」

 

大和はもう一度、俺を抱きしめた。

 

「提督……大和は……貴方を愛しています……。貴方に抱かれたいです……。敷波さんもそうでしたが、大和も赤ちゃん……欲しいです……。だから……」

 

「だから……?」

 

「だから……島を出ます……。人化して……貴方と同じ時間を歩みます……」

 

大和の目は、真剣であった。

なぜ、急にそんなことを言い出したのか、よく分からんが……。

 

「人化しても、お前が求めるものは手に入らんかもしれんぜ……」

 

「えぇ、そうでしょうね」

 

そうでしょうねって……。

 

「でもそれは、人化しただけの場合の話です。【すべてが終われば、貴方が私を愛さない理由は無い】はずです」

 

「すべてが終われば……?」

 

「大和は、すべてを終わらせるために人化するのです。すべてが終われば、貴方は【提督ではなくなる】。一人の――いいえ【本当の貴方】が始まるのです」

 

本当の俺……。

い、いや……そもそも……。

 

「それでも、俺は頑固かもしれんぜ……?」

 

「いいえ。必ず大和を愛してしまうはずです。大和は、提督に『抱きたい』と思わせた女ですよ? 愛されたいと――愛したいと思わせた女ですよ?」

 

「い、いや……抱きたいとまでは……」

 

「そうですか?」

 

大和は、すべてを脱ぎ捨て、生まれたままの姿になった。

 

「ななななな、なにしてんだああああああああ!?」

 

「提督、ほら」

 

大和は大事なところを――。

 

「や、やめろ! 分かった! 分かったからああああああああああああ!」

 

「いいのですか? 目に焼き付けとかなくて」

 

「え?」

 

「後で、自分を慰めるために、しっかり見ておいた方がいいですよ?」

 

そう言われ、見てしまおうとした自分の頬を叩く。

 

「……馬鹿、本気で怒るぞ」

 

「……そうです。それでこそ【提督】です」

 

大和は服を着始めた。

もう、何が何だか……。

 

「そろそろ帰ります。明日、また、島を出ることを話します」

 

「そ、そうか……。今一度、考えろ……。勢いで言ってしまった……ってこともあるからな……」

 

「はい。でも、変わらないと思います。あんな姿を見せてしまったのもありますし……」

 

少し冷静になったのか、大和は顔を赤くした。

 

「提督……」

 

「なんだ?」

 

「好きです……。愛しています……。いつか……大和を抱いてください……。赤ちゃん……お願いしますね……?」

 

そう言って、大和は家を後にした。

 

「お願いしますねって……」

 

大和が座っていた場所に、目が行く。

彼女はいなくなったはずなのに、何故か――そして――。

 

「クソ……」

 

大和に言わせれば、今の俺は――。

 

 

 

翌朝。

縁側に座っていると、大和がやってきた。

 

「おはようございます」

 

「……おはよう」

 

隣に座ると、大和は俺の顔をじっと見つめた。

 

「なんだか、お疲れの様子ですね」

 

「お前のせいだ……。結局、眠れなかったんだよ……」

 

「あ、もしかして……昨日、大和が裸になったから……」

 

「……ちげぇよ。お前が島を出るという件について、考えていたんだよ……」

 

「そんなに考えることが? 大和に島を出て行ってほしくなかった……とか?」

 

「それもちげぇよ……」

 

いや、あながち間違ってはいないが……。

 

「鳳翔や霞――他の連中と一緒だ。俺のことが好きだから島を出るんだと言った連中の気持ちを改めて考えていたんだ。けど……分かるようなわからないような……。お前もそうだが、島を出ると言った連中は、急にそんなことを言いだしたんだ。何がきっかけなのか、さっぱりでな……」

 

「そんなこと、理解する必要が? 艦娘が島を出るのなら、なんだっていいではないですか」

 

「二度と会うことがなければな……。艦娘を人化して終わり……ではないんだ……。人化した後も、そいつが自立できるようになるまでは、関わってゆきたいと思っている」

 

「それが、貴方の仕事だからですか?」

 

「いや……俺の意志だ……」

 

「お優しいのですね」

 

「違う……。責任があると思っているからだ……」

 

大和は悲しそうな表情を見せると、そっと俺を抱きしめた。

 

「そんな顔をしてほしくないからですよ……」

 

「え……?」

 

「そんな顔にさせたくない――貴方を【提督】に縛り付けたくないから――貴方を貴方として愛したいから、私たちは……」

 

「大和……?」

 

「とにかく、貴方は貴方でいてください……。私たちが必ず、貴方を【提督】から解放しますから……」

 

俺を【提督】から……?

 

「あ……」

 

「ん? どうした?」

 

「いえ……その……提督から、なんだか、えっちな匂いがするような気がして……」

 

「え、えっちな匂い!?」

 

「なんでしょうか……」

 

大和は匂いを辿るように、下へ下へと顔を近づけてゆき――。

 

「お、おい!」

 

「あ……ここが一番……」

 

そして、ハッと我に返ると、顔を赤くして離れた。

 

「ごごご、ごめんなさい!」

 

「い、いや……」

 

昨日の大胆さとは違い、大和はかなり動揺しているようであった。

 

「あ、あの……もしかしてですけど……えと……大和が帰った後……その……シ……ましたか……?」

 

俺が答えないでいると、大和はさらに顔を赤くした。

 

「えと……えと……その……大和の……裸で……ですか……?」

 

「……どうでもいいだろ、そんなこと。つーか、なんだよ? こんな朝早くから……」

 

「あ、はい……」

 

大和は姿勢を正すと、曇りのない瞳を見せ、言った。

 

「大和は、島を出ます。そのことを伝えに来ました……」

 

「本気なんだな……?」

 

「はい」

 

「もし俺が「まだこの島にいてほしい」と……そう言ってもか……?」

 

大和は一瞬、動揺を見せたが、すぐに答えた。

 

「本心からそう言わせるために、島を出ます」

 

「……そうか」

 

大和は立ち上がると、海の方を見つめた。

 

「夕張さんには、私から伝えてきます。提督も、同席しますか?」

 

「いや……。俺が居ては、あいつはムキになって、島に残ると言い続けるだろう」

 

「では……」

 

「頼んだ……。【どうか……これで終わらせてくれ……】」

 

自分で言って、驚いた。

これで終わらせてくれ?

俺は、一体、何を言って……。

 

「提督……?」

 

「……いや。頼んだぜ、大和。俺は、しばらく家にいるよ」

 

「分かりました……。心配でしょうが、今はお休みください……。お体に障りますから……」

 

「あぁ、分かった……」

 

大和は心配そうに俺を見つめた後、寮へと戻っていった。

 

『どうか……これで終わらせてくれ……』

 

「…………」

 

 

 

いつの間にか眠っていたようで、目を覚ましたのはお昼ごろであった。

 

「うぅん……」

 

「あ、起きちゃった」

 

敷波が、顔を覗き込んでいた。

 

「敷波……」

 

「おはよう、司令官」

 

「……おはよう。どうした……? 機嫌、直ったのか……」

 

「別に、悪くなってないし……。ちょっと、悔しかっただけで……」

 

「で、どうした?」

 

「うん……。大和さんから、島を出ること、聞いたよ……」

 

「そうか……。で、あいつらは……?」

 

「まだ、話し合ってる……。二人っきりで話したいって言うから、出てきたんだ……」

 

二人っきりで……か……。

 

「二人の様子はどうだった?」

 

「真剣だったよ……。司令官のために、島を出るんだって、大和さんが……。それに対して夕張さんは、何か思うところがあったのか、黙り込んじゃって……」

 

「そうか……」

 

「司令官……」

 

おそらく、大和は夕張を説得できないだろう。

そう思う根拠はない。

だが――。

 

『――私は島を出ない』

 

「司令官」

 

敷波はそっと、俺を抱きしめた。

 

「敷波?」

 

「そんな顔しないで……。たとえ夕張さんが島を出なかったとしても、大和さんは島を出る決意をしたんだよ……? それって、凄いことだよ。よく頑張ったね、司令官……。もう少しだよ……。もう少しで、終わるからね……?」

 

それを聞いて――。

 

「あ……?」

 

涙がこぼれる。

 

「なんだ……? なんで……」

 

「司令官……」

 

まるで縋るように、俺は敷波の胸の中で、涙を流すことしかできなかった。

 

 

 

しばらくして、大和がやってきた。

 

「……何やっているのですか?」

 

抱きしめられ、撫でられている俺を見て、大和は目を細めた。

 

「い、いや……すまん……」

 

離れると、敷波はニヤニヤしながら大和を見ていた。

 

「話し合いは……終わったのか……?」

 

「えぇ……」

 

俯く大和。

 

「駄目だったんだな……」

 

「すみません……。意志が固いようで……」

 

「そうか……。悪かったな……」

 

「いえ……。いかがいたしますか……? 何か、大和に出来ることはありますか?」

 

「いや、ここからは俺の仕事だ。お前は、今一度、敷波と話し合ってくれ」

 

「え、アタシと?」

 

「人化を決意した今、人化してからのことを聞いておいた方がいい。俺の為に人化するのは構わない。だが、俺も、お前と同じくらい、お前のことを想っているんだ。俺が大切に想う、お前の人生だ。しっかりと納得して、島を出ろ」

 

「提督……」

 

「頼んだぞ、敷波」

 

「あ、うん……」

 

敷波は不満そうに、俺を見ていた。

 

「フッ……お前も同じだよ。お前も同じくらい、想っているよ」

 

頭を撫でてから、俺は家を後にした。

 

 

 

寮へ向かう途中、ふと、海に目を向けた。

 

「綺麗だな……」

 

だいぶ見慣れた光景のはずなのに、何故か今日に限っては――。

 

「案外、終わりが近いのかもな……。敷波の言う通り……」

 

『艦娘を人化して終わり……ではないんだ……。人化した後も、そいつが自立できるようになるまでは、関わってゆきたいと思っている』

 

いや、まだ終わりではない。

すべての艦娘が人化した後も――。

 

 

 

寮は、恐ろしいほど静かであった。

 

「思えば、たった二隻の為にあるんだよな、ここ」

 

そう考えると、本当、贅沢だよな。

 

「…………」

 

大和が人化すれば、残りは一隻……。

しかし……。

 

『貴方を【提督】に縛り付けたくないから――貴方を貴方として愛したいから、私たちは……』

 

もし、夕張が人化せず、何年もあいつらを待たせることになったら……。

夕張のことも大切に想っている。

だが……。

 

『提督』

『提督さん』

『司令官』

『相棒』

『しれえ』

『雨宮』

『雨宮君』

 

「……そうだよな。よし……」

 

俺は、夕張の部屋をノックした。

 

「いるんだろ。入るぞ」

 

返事は無かったが、部屋へと入る。

夕張は、窓を開け、外を眺めていた。

 

「なに黄昏てんだよ」

 

「そういう気分なの。邪魔しないでよ」

 

「そうかい」

 

座ると、夕張は不機嫌そうな表情を見せた。

 

「邪魔しないでって言ったんだけど」

 

「帰れとは言われていない」

 

「じゃあ、帰って」

 

「やだ」

 

「やだって……貴方ね……」

 

夕張は、呆れるようにため息をついて見せた。

 

「言っておくけど、島を出ろって話なら……」

 

「いや、そんな話をしに来たんじゃない」

 

ポカンとする夕張。

 

「違うの?」

 

「違う。どうせ、説得したところで、お前は島に残るはずだ。ずっと、そういう決意でいたんだろ? 最後の一人になるって」

 

「まあ……そうだけど……。だったら、何をしに来たっていうのよ?」

 

「お別れを言いに来た」

 

「……へ?」

 

「島を出ることにしたんだ。まあ、すぐにって訳にはいかないだろうから、お別れを言うには早いのだろうが……。けど、出来るだけ早く出ていくつもりだ」

 

数秒の沈黙。

だが、冗談だと思ったのか、鼻で笑って見せた。

 

「いや、俺もいろいろ考えたんだがな。それがいいと思うんだ。そうじゃなければ、お前は……」

 

「……ちょっと待ってよ。貴方、言っていたじゃない。たとえ最後の一隻になったとしても、一緒に居てくれるって。その言葉に、偽りはないはずでしょう?」

 

「一緒にいてやるとは言っていない。お前がお前としてどう生きていくのか……それを見つけるまで一緒に探してやると言ったんだ」

 

「同じことよ」

 

「いや、違う。それは、俺が一緒に居てやらなくても見つかるはずだ。むしろ、今のお前は、俺に執着しすぎている。俺ではなく、自分を見つめるためには、これ以上一緒にいない方がいい。そう結論付けた」

 

夕張は、ニヒルな笑顔を見せた。

 

「どうかしらね……。貴方がいなくなっても、結局は何も変わらないわよ? そんなようなこと、何度もやってきたじゃない。同じようなことの繰り返しで、私が変わるとでも?」

 

「変わらないだろうな」

 

「だったら……」

 

「だが、俺たちは変わる」

 

「……!」

 

「俺だけではなく、島を出た連中もだ。現に、青葉はもう、外の世界へ足を踏み入れた。残りの連中も、そう時間はかからないだろう」

 

それが、どういう意味なのか、夕張も分かっているはずであった。

 

「お前を残して島を出るのは、心苦しいさ……。でも、俺にも背負うものがある。あいつらの将来――そして、俺自身の将来……」

 

「貴方の……将来……」

 

「俺だって男だ。あいつらが自立すれば、俺も同じように自立する。誰かを好きになって、結婚して――そんな未来だってあるはずだ。ここで一生、お前と暮らすことになるなんて……」

 

こんなこと、島に来た頃には思わなかったことだな……。

本当、俺は……。

 

「馬っ鹿みたい……。貴方が私を見捨てられるわけないでしょ……? 将来? 貴方は、そんな普通の人生を夢見る男じゃないはずよ……」

 

「お前の中の俺は、島に来た頃のままか? 俺だって、変わったんだよ」

 

突如、夕張は立ち上がった。

 

「いい加減にしてよ……! いつまで馬鹿にするつもりよ……!? そんな茶番に付き合っていられないわよ……! それで、私が島を出るとでも!? 貴方こそ、私のこと何も分かっていない……! どうして分かってくれないのよ!? どうして私の気持ちに向き合ってくれないのよ!?」

 

息を切らす夕張。

だが、俺は冷静であった。

 

「それが、お前の答えなんだな」

 

「そうよ……!」

 

「……分かった」

 

俺は立ち上がり、夕張に背を向けた。

 

「逃げるわけ……?」

 

「……あぁ、そう思ってくれて構わない」

 

夕張は鼻で笑うと、ドカッと座って見せた。

 

「夕張」

 

「…………」

 

「島の外で、待っているからな」

 

「……っ」

 

「じゃあ」

 

部屋を出て、静かな廊下に目を向ける。

 

「…………」

 

廊下を走り回る、駆逐艦の声。

それを注意する大淀の――。

食堂から聞こえる――。

洗濯場での――。

道場からの――。

 

「いろいろ……あったな……」

 

やはり、敷波の言ったことは――。

 

 

 

家へ戻り、二人に事情を話した。

 

「それは……」

 

「作戦でも何でもない。本当に、島を出るつもりだ」

 

二隻は顔を見合わせると、小さく頷き、微笑んで見せた。

 

「司令官がそうすると決めたのなら、アタシは止めないよ」

 

「大和も、それでいいと思います。夕張さんには悪いですが、提督に、ずっと居てほしいと思っている方もいるでしょうから……」

 

「大和さんも、その一人?」

 

「敷波さんもでしょう?」

 

敷波は顔を赤くさせながら、小さく頷いていた。

 

「しかし、海軍にはまだ言っていないのですよね? 大丈夫ですか……?」

 

「あぁ……。心配なのはそっちだ。すぐに……って訳にはいかないだろうと思うが……」

 

海軍がどうというよりも、坂本上官の期待を裏切ることになるのは――。

 

「それよりも、大和。敷波と話して、どうだった?」

 

「はい。決意は変わりません。むしろ、お話を聞いて、ますます島を出てみたくなりました。提督とデートしたり、お腹をなでてもらったり――いろいろしてもらえるのだとか」

 

俺は、敷波に目を向けた。

 

「な、なにさ……? 間違ったことは言っていないでしょ?」

 

まあ、そうかもしれんが……。

 

「とにかく……よく決意してくれた……。ありがとう、大和……」

 

「いえ……」

 

大和はじっと、俺を見つめた。

 

「どうした?」

 

「敷波さんから、こうも聞きました……。人化を決意した時、キス、してもらったと……」

 

俺は敷波を見た。

後悔しているような表情を見るに、調子に乗ってペラペラ喋ってしまったのだろう。

自慢になるのだと思って……。

 

「して……いただけませんか……?」

 

「いいのかよ?」

 

敷波に問いかける。

だが、否定しにくいのか、顔をそむけながら、頷いていた。

 

「提督……」

 

「分かった……」

 

そっと、キスをしてやる。

敷波がこちらをチラッと見たのに気が付くと、大和は見せつけるように深くキスをしなおした。

 

「フフ……大人による大人のキスです……」

 

「ふんっ……そんなの、アタシだってしたことあるし……」

 

なんの張り合いなんだか……。

 

 

 

その日の夜。

意を決し、坂本上官に電話をかけ、事情をすべて話した。

 

『そうか……』

 

「すみません……。いろいろ考えたんですが……」

 

『うむ……』

 

永い沈黙が続く。

あまりよく思っていないのか、失望したのか……。

 

『分かった。君が言うのなら、そうしよう。ただ、少しだけ時間が欲しい。こちらも、急な話で……。どのように対応するか、検討したい。後任が必要なのか、だとしたら誰にするのか……』

 

「えぇ、大丈夫です。すみません」

 

『いや……』

 

「あの、上官……。正直に答えてほしいです……。私のこの決断……上官は、どう思いましたか……?」

 

『……そうだね。君らしくない、そう思ったよ』

 

「ですよね……」

 

『だが、勘違いしないでほしい。別に、失望したとか、そういう気持ちは全くない。むしろ、よくここまでやってくれたと思っている。佐久間ですら、ここまでは……』

 

「上官……」

 

『雨宮、よく頑張ったな……。ありがとう……私の夢を叶えてくれて……。そして、すまなかった……。私が不甲斐ないばかりに……佐久間を――君のお父さんを――君の人生を……う……うぅぅ……』

 

受話器越しに聴く上官の嗚咽に、俺の頬にも涙が伝う。

 

『ごめんな……ごめんな……うぅぅ……』

 

「上官……泣かないでください……。私は……今の境遇を不幸だと思ってはいません……。むしろ、感謝したいくらいなんです……」

 

『雨宮……』

 

「上官――いや、坂本さん……。私を――俺をここまで連れて来てくれたこと……本当に感謝しています……。ここに来て良かった……。親父のこと……たくさん知れました……。ありがとうございます……」

 

上官は、ただただ嗚咽を聴かせるだけであった。

一向に泣き止む気配がなかったため、俺はそっと、受話器を置いた。

 

 

 

翌朝。

大和と敷波が訪ねてきた。

 

「海軍はなんと?」

 

「一応、認めてくれたよ。すぐに島を出るって訳には行かないが、いろいろ決まり次第って話だ」

 

「そうでしたか……」

 

「大和、お前はどうする? 俺と同じタイミングで島を出るか?」

 

「いえ……早々に出ようと思います。早く人化して、皆さんと会いたいですし」

 

「分かった。海軍にはそう伝えておく。きっと、夕方には来てしまうだろう」

 

「準備は済んでいます。今すぐにでも」

 

「そうか……」

 

俺も、準備しておかなければな……。

 

「司令官、アタシも大和さんと一緒に?」

 

「あぁ。俺も、一旦本土に戻る。一緒に帰ろう」

 

「うん!」

 

俺は、大和に目を向けた。

 

「提督?」

 

「長かったよ。でも、ようやく、本当の意味で隣に立てるんだな」

 

「……はい! 隣と言わず、上でも下でも!」

 

「上でも下でも?」

 

敷波の疑問に、大和が耳打ちをする。

それを聞いた敷波は、顔を赤くして、何故か俺を睨んだ。

 

「なぜ俺を見る?」

 

「だ、だって……!」

 

「まあ、48通りあるようですから、上下だけではなさそうですけどね」

 

「なんの話だ……」

 

嬉しそうにする大和。

そうか。

その顔が、本来の……。

 

「そういえば、夕張はどうしている?」

 

「相変わらず、自室にいます。一応、お別れは言っておきましたが……」

 

「そうか」

 

「司令官、夕張さんを……司令官が島を出るまでに説得できる……?」

 

「分からん。仮に説得できなかったとしても、俺は島を出る。俺がいる限り、あいつは……」

 

夕張……。

 

「とにかく、大和の件、海軍に連絡するよ。今一度、やり残したことがないか、確認しておけ」

 

「分かりました」

 

「敷波、お前もだ」

 

「へ? アタシ?」

 

「何かない限り、ここへ来ることはもう無いはずだ。人化してからも来られる機会なんて、めったにないことだ。後悔がないようにしておけ」

 

「……うん。そうだね……。確かに、まだやり残したこと、あるよ」

 

それが何なのか、敷波は語らなかった。

 

「よし、じゃあ、各々自由行動だ。解散!」

 

「「おー!」」

 

 

 

夕方。

海軍は本当にやってきた。

目を真っ赤に腫らした上官を乗せて。

 

 

 

寮では、荷物をまとめた大和が、最後まで、部屋の扉越しに夕張を説得していた。

 

「では……そろそろ行きますね……。夕張さん……待っていますからね……。そして、また、提督の猥談をしましょう……」

 

なんつー話をしてんだ……。

 

「司令官、ワイダンってなに?」

 

「……シランデエェ」

 

 

 

泊地に着くと、涙で顔がぐしゃぐしゃになっている上官の姿が!

 

「上官、後ろの連中が笑っていますよ」

 

「うるさい……! 笑わせておけばいいのだ……。私は……私は……うぅぅ……」

 

この人も、変わったよな……。

 

「大和」

 

「はい!」

 

大和が前に出る。

上官は涙を拭うと、頷き、寮の方へと目を向けた。

 

「夕張は、結局来ませんでした」

 

「そうか……。君が島を出るという話は……」

 

「してあります。信じていないのか、はたまた……」

 

「残り一隻……か……」

 

上官は俺の手を取ると、強く握り、深々と頭を下げた。

 

「ありがとう雨宮……。よくやってくれた……」

 

「……まだ終わりじゃありませんよ。本当に島を出るその時まで……ギリギリまであがいて見せます……」

 

「あぁ……頼んだよ……」

 

俺は、大和と敷波に目を向けた。

二人は、焼き付けるように島を見た後、ゆっくりと船へと乗り込んでいった。

 

「出港だ!」

 

船が動き出す。

夕張だけが取り残された島――徐々に遠くなってゆく。

 

「大和」

 

「提督……」

 

「寂しいか……?」

 

そう訊かれ、首を横に振る大和。

 

「今は、ワクワクの方が勝っています。皆さんに再会できること……新しい生活のこと……そして……」

 

大和はニコッと笑うと、どこか妖しい瞳で、俺を見た。

 

「提督にシたいこと……提督にシてほしいこと……たくさんあるんです……。ウフフ……」

 

なんか、早速キャラが変わっているような……。

 

「そ、そうか……。そ、そういえば敷波。お前、何かやり残したいことがあるって言っていたが、それは果たせたのか?」

 

「うん……。『司令官』に――佐久間さんに、お別れを言ってきたんだ……」

 

親父に……。

 

「島を出た時にもお別れを言ったんだけど、島を出た皆にも頼まれていたんだ」

 

「そうか……」

 

「佐久間さんの体はあそこにはないけれど、魂はある……。そんな気がしているんだ……。きっと、すべての艦娘が島を出るまでは――……」

 

すべての艦娘が島を出るまで……か……。

 

「なら、夕張だけではなく、親父も連れて来なきゃいけないな」

 

「司令官……」

 

親父の魂は、島に残っている……。

だとしたら、これからの俺の行動を――島を出る決断を、親父はどう見ているのだろうか……。

 

「雨宮、そろそろ船室へ」

 

「分かりました。行こうか、二人とも」

 

島へと続く航跡は、ゆらゆらと揺れ、やがて消えていった。

 

 

 

本土に到着すると――。

 

「鳳翔さん……!」

 

「大和ちゃん……」

 

大和は鳳翔を見つけると、すぐに駆け寄り、抱きついていた。

 

「鳳翔、来ていたのか」

 

「はい。大和ちゃんが島を出ると聞いて、特別に許可をもらいまして」

 

上官に目を向けると、優しそうな表情で頷いていた。

 

「そうか……」

 

「提督……大和ちゃんを連れてきてくださり……ありがとうございます……」

 

「いや、俺ではない。大和の決意だ」

 

「それでも、根底には提督への気持ちがあったはずです。そうでしょう?」

 

鳳翔が問いかけると、大和は頷き、なにやら鳳翔に耳打ちしていた。

 

「まあ……! そんなことを思うまでに……!?」

 

鳳翔は信じられないという目で、俺を見た。

そうか。

鳳翔が島を出る時、大和はまだ俺のことを……。

 

「提督を好きになるとまでは予想していましたが……そんな……破廉恥なことまで……」

 

「……ちょっと待て、大和はなんと言ったのだ?」

 

「それは……私の口からはとても……。提督のえっち……」

 

「だからなぜ俺なのだ!?」

 

そんなことを言いながら談笑していると――。

 

「……なんだって!?」

 

部下から何か耳打ちされていた上官が、厳しい表情を見せていた。

 

「上官、どうかしましたか?」

 

「いや……。雨宮、悪いが、私は席を外す。後で連絡するから、しばらく待機しておいてくれ」

 

「はぁ……分かりました……」

 

上官は血相を変え、その場を後にした。

 

「なにがあったんだろう?」

 

「さぁな。さて、俺たちは鈴蘭寮へ戻ろうか。大和、しばらく会えなくなるが、大丈夫そうか?」

 

「はい。敷波さんから、いろいろ聞いておりますから……。次に会うときは、貴方と同じ、人間として、ですよね」

 

「あぁ、そうだ」

 

「では……一つだけお願いがあります……」

 

「言ってみろ」

 

「艦娘としての、最後の思い出をください……。どんな形でもいいですから……」

 

「……分かった」

 

どんな形でもいい。

そうは言っても、答えはもう決まっているのだろう。

目を瞑る大和に、俺はそっとキスをした。

 

「……ありがとうございます。なんでもお見通しなんですね……」

 

「お前を島から出した男だぜ」

 

「ふふ、そうですね」

 

大和は微笑むと、鳳翔とともにバスへと乗り込んでいった。

 

「お前と大和、似た者同士だな。尤も、お前は褒美としてだったがな」

 

そう言って、恥ずかしそうにする敷波の頬を突いてやった。

 

 

 

鈴蘭寮でしばらく過ごしていると、上官から本部へ来るよう連絡があった。

 

「失礼します」

 

部屋に入ると、お偉いさんが全員集まっていた。

 

「雨宮……」

 

「上官。これは、どういうことですか?」

 

「大変なことになった……。君が――いや、君たちが言っていたことが現実になるかもしれない」

 

「私たちが言っていたこと……とは?」

 

上官は、一枚の写真を俺に見せた。

それを見た瞬間――。

 

「これは……まさか……!」

 

「あぁ、そうだ……。――海域を警備している船から観測されたものだ……。雨宮……」

 

「このこと……鈴蘭寮の連中には……?」

 

「伝えていない。伝えるべきかどうか、迷っている……。君の意見を聞きたいと思ってね……」

 

俺が答えられないでいると、部屋の扉がノックも無しに開かれた。

 

「雨宮君……!」

 

「山風……? どうした?」

 

「雛菊ちゃんと杏子ちゃんが倒れたの……! 二人とも、うわごとで雨宮君の名前を……一緒に来て欲しいの……!」

 

ヒナとアンが……?

 

「そんなの医者に任せておきなさい。彼が行く必要はないよ。そもそも、今は大事な会議中だぞ。非常識だ!」

 

発言した名も知らぬアホを睨む。

 

「雨宮、行ってやれ。後で詳しく話そう。ここでは少々、耳障りな音が気に障る」

 

坂本上官の一言で、皆、静かになった。

 

「ありがとうございます。行こう、山風」

 

「う、うん」

 

部屋を出る直前、俺はもう一度写真を見た。

 

『司令官……大好……き……』

『司令官……泣かないで……ね……』

 

何故だ……。

 

「雨宮君……?」

 

「……なんでもない。行こう」

 

 

 

 

 

 

何故、深海棲艦が――。

 

 

 

 

 

 

残り――1隻

 

 

 

――続く

 

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