不死鳥たちの航跡   作:雨守学

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「よう」

 

「あら、話しかけてくれるだなんて、いつぶりかしら?」

 

「ざっと二十年ぶりってところだ」

 

「それくらいしか経っていないのね。それで? どういう風の吹き回しかしら? 鈴木君と天音さんが島に来て、寂しくなっちゃった?」

 

「そんなところだ」

 

俺の態度に【雨野愛美】は、怪訝そうな表情を見せていた。

 

「【つーくん】のヘイズに呑まれた訳では無さそうね……」

 

「【雨野勉】のヘイズなんぞ、最初からない。あるのは、お前のヘイズのみだ。深海棲艦――艦娘――そして、それら全ての生みの親である、雨野愛美のヘイズ。それ以外は存在しない」

 

「喧嘩をしに来たにしては、ちょっと煽りが弱いんじゃない? それとも……喧嘩じゃなくて【この顔】を拝みに来たってわけ?【柊木紫】と会話している気分になるからとか?」

 

「フッ……今のお前の顔を見て、誰が柊木を思い起こせようか。【深海棲艦と同じ色の肌】を持つお前なんぞ、ただの化け物にしか見えん」

 

「でも、顔は柊木紫そのものよ? ねえ、つーくん。いい加減、私に靡いてよ。最後の艦娘であった雪風ちゃんも居ないし、貴方を愛してくれる人は、もう私だけなんだよ?」

 

「フッ……最後の艦娘、か……。まあ、そうじゃなくたって、柊木がいるだろ」

 

「まだそんなこと言ってる……。柊木ちゃんはもういないよ。私のヘイズが、彼女の人格を食べちゃったから」

 

「だといいな」

 

「……それでも愛してくれないの? せっかく、生き残ってくれたのに。【貴方だけだよ。二回目の戦争で生き残ったのは】。私が何千――いえ、何万回、貴方の死を見てきたと思っているの? 核戦争の無い世界を創るために、どれだけ努力してきたと思っているの? 貴方を守るために――」

 

「…………」

 

「なのに貴方は……【この世界】でも私を愛してくれないの……? ほかの世界と同じように、貴方を守るためだけの【艦娘】の方を選ぶって訳? あんなの、ただの兵器よ?【貴方を守る為、貴方に好意を向けるようプログラムされているだけ】の存在よ?」

 

「そうかもな」

 

「そうかもなって……。ねえ……いい加減、諦めてよ。もう、誰もいないじゃない。艦娘も……貴方を想う人も……。私だけ……。私だけが、貴方を愛しているの……。つーくん……思い出してよ……。私たち、ずっと、愛し合って来たじゃない……。貴方を生かす為に、ここまでやって来たの……。ここまで来れたのは初めてのことなの……。後は……貴方が私を選ぶだけ……。それで、全てが終わるのよ……?」

 

「いや、違う」

 

「え……?」

 

「それに、全てを終わらせる方法は、他にある」

 

俺は、一冊の本を渡してやった。

 

「何……これ……?」

 

「俺が書いた小説だ」

 

「貴方が……? どうして?【鈴谷を愛した雨野勉】の真似?」

 

「似たようなもんだな。それには、艦娘達の人生の軌跡が書かれている。雪風にも協力してもらった。あいつが持つ記憶も、それに載っている」

 

「……なんでこんなものを?」

 

「全てを終わらせる為だ。そして、柊木を取り戻す為だ」

 

雨野愛美は、鼻で笑って見せた。

 

「意味が分からないよ。それに、さっきも言ったけど、柊木紫はもう――」

 

「【ノベル】」

 

雨野愛美の表情が、固まる。

 

「艦娘を人化させる技術だ。ヘイズを殺す技術とも言える」

 

状況を理解したのか、雨野愛美は険しい表情を向けていた。

 

「だから、これを……?」

 

「そうだ。二十年間、ずっと、これを書き続けていた。お前のヘイズを殺す為に」

 

「……なるほどね。だから小説なんだ。でも、残念だったね。ノベルは不完全な技術よ。事実、雪風ちゃんのようにヘイズを残した艦娘もいた。」

 

「そうだな。だがそれは、お前がいたからだ。お前が居なくなれば、ヘイズが残ることはない。ヘイズの生みの親であるお前のヘイズがなくなればな」

 

「そう言える根拠は?」

 

「勘だ」

 

「勘、ね」

 

俺の勘の良さを知っているからか、雨野愛美は笑わなかった。

 

「きっと、そうなんだろうね。でも、私のヘイズは殺せないよ。私のヘイズを殺すには、あまりにも【ストーリー】が多すぎる。艦娘たちのヘイズですら、この世界での記憶や、それ以外の【提督とのストーリー】で満たされていた。だからこそ、雪風ちゃんのように、たくさんのストーリーを持ったヘイズを撲滅できなかった。そうでしょう? それに、自分で言っていたじゃない。『深海棲艦――艦娘――そして、それら全ての生みの親である、雨野愛美のヘイズ』って。彼女たちのストーリーは、私にとってのストーリーでもあるのよ? 何万とあるストーリーを書ききれるとでも?」

 

「無理だな」

 

「だったら……」

 

「だが、絞ることはできる。何万とあるストーリー――しかし、重要ではないストーリーがほとんどだ」

 

「重要ではないストーリー……?」

 

「艦娘たちの話を聴いてきたが、とても何万とあるようには思えなかった。雪風以外は、せいぜい一つや二つのストーリーだった。おそらく、何万と経験しているのは事実だが、ヘイズが『ストーリー』として記憶したのは、その艦娘にとって重要なもののみだったのだろう」

 

「だから、何万と書く必要はないと?」

 

「そうだ」

 

「仮にそうだったとしても、私は覚えているじゃない。何万と繰り返してきたストーリーを――。艦娘に――【器】に記憶がなかったとしても、私は覚えている……!」

 

雨野愛美は、何故か、余裕がなさそうに見えた。

いや、そのはずか……。

 

「覚えているだけだろう? ストーリーではない。ただの記憶――いや、記憶ですらあるかわからないものだ」

 

「…………」

 

「雪風がストーリーだと思っていた数々の記憶も、同じだった。その小説を書くにあたって、記憶の話を聴いた。その度に――そして、結局あいつは、【今】をストーリーとして認めることになった。だからあいつは……」

 

雪風……。

 

「雨野愛美。お前にとってのストーリーは、なんだ? お前の言う『器』ではない、お前自身のストーリーは、どこにある?」

 

雨野愛美は答えない。

いや――。

 

「……答えなくてもいい。俺は、分かっている。だからこそ、終わらせよう。まずは、お前が器と呼ぶ、彼女たちのストーリーからだ」

 

俺は小説を手に取った。

 

「あまりにも長いんで、何冊かに分けている。一冊目は、お前に関連する、一番古いストーリーから始めよう。最上や霞、大淀や鈴谷なんかにとっても、重要なストーリーだったものだ。さっき、お前が言っていたやつだよ」

 

「【鈴谷を愛した雨野勉】のやつね……」

 

「そうだ。最上の代表作に似たような内容のものがある。おそらく、記憶を参考に書いたものだろう。その作品に――いや、彼女のストーリーに敬意を表し、タイトルを考えてみた。タイトルは……『遺船を漕ぐ』だ」

 

「素敵ね」

 

笑みを見せる雨野愛美。

だが、どこか――。

 

「では、始めようか。なに、時間はいくらでもあるんだ。ゆっくり【終わらせよう】」

 

その言葉に、彼女の顔から笑みが消えた。

それに構わず、俺は小説の朗読を始めた。

 

 

 

彼女たちが歩んできたストーリー――

 

【不死鳥たちの航跡】を――。

 

 

 

 

 

 

『不死鳥たちの航跡』

 

 

 

 

 

 

「アン、ヒナ!」

 

アンとヒナは俺を見るなり、飛びついてきた。

 

「提督さん……!」

「提督……!」

 

倒れたのだと聞いていたが……。

 

「なんだ、元気そうじゃないか……」

 

山風に目を向けたが、首を横に振るだけであった。

俺が来る直前までは、しっかりと倒れていたというわけか。

 

「大丈夫か? 倒れたそうじゃないか」

 

「そうなの……! あのね……!」

 

説明しようとするヒナは、どう言ったらいいのか分からなかったのか、不安そうにアンを見た。

 

「信じてもらえないかもしれませんが……私たち……妖精を見たんです……」

 

「よ、妖精?」

 

「それで、その妖精に触れた瞬間……頭の中に映像が流れてきて……気付いたら……」

 

「倒れていた……というわけか……」

 

頷く二人。

俺は再び、山風に目を向けた。

しかし……。

 

「……そうか。怖かったろうに」

 

「そうなの……。提督さん、ナデナデシテー」

 

「し、してー……?」

 

ヒナは堂々と、アンは恐る恐る抱きつくと、いつものようなテンションで甘え始めた。

 

 

 

ひとしきり甘えた後、二人は検査の為、怖い顔をした看護主任に連れていかれた。

 

「まったく……」

 

「ごめんね、雨宮君……。雨宮君が来た途端、元気になっちゃって……」

 

「いや……。何事もなさそうで良かったよ。しかし、妖精が見えたってのは……。なんか、変なもんでも食ったのか?」

 

「そういう訳では無いと思うんだけど……」

 

山風は何やら、不安そうに俯いた。

 

「どうかしたのか?」

 

「うん……。実はね……?」

 

その時であった。

 

「ん……?」

 

俺の袖を引っ張る何か。

 

「うお……!?」

 

小さなネズミか何かかと思ったが、違った。

 

「え……なんだ……? こいつ……」

 

人形――のような何かが、俺の袖を引っ張っている。

つーか、ぶら下がっている。

親指サイズの人形が、俺の袖を――。

 

「山風、なんかこれ……」

 

山風は、驚愕の表情を浮かべていた。

そして、我に返ると、俺に問うた。

 

「雨宮君……もしかして……見えるの……?」

 

「え……? あ、あぁ……。なんか……人形? なのか? これ……」

 

山風は恐る恐る、そいつに手を差し伸べ、手のひらへと乗せた。

人形は嬉しそうな笑顔を見せている。

 

「え、すげぇなそれ。人形にしてはあまりにも……」

 

「どうして……」

 

「山風?」

 

山風は深刻そうな表情で俺を見ると、手を取り、どこかへ走り出した。

 

「お、おい!?」

 

 

 

着いたのは、アンとヒナの居る検査室であった。

 

「雛菊ちゃん! 杏子ちゃん!」

 

「わっ!? 山風さん!? と、提督さん! 来てくれたのー? キャー! 嬉しいー!」

 

喜ぶヒナに、困惑するアン。

そして、怪訝そうな表情の医者。

 

「二人とも、これ……」

 

山風は二人に人形を見せた。

 

「あ……これよこれ! 妖精! ね、アン姉!」

 

「う、うん……!」

 

「妖精……?」

 

俺は山風を見た。

山風は――。

 

「……先生。先生は……見えますか……? これ……」

 

妖精……らしいものを医者に見せる。

だが……。

 

「いや……私には見えないね……」

 

「やっぱり……」

 

山風の表情に、医者はハッとした表情を見せた。

 

「まさか……!」

 

「間違いないです……」

 

一体、何の話だ……?

 

「雨宮!」

 

突如、坂本上官が部屋へ入って来た。

 

「上官、どうしました?」

 

「大変だ……! 鈴蘭寮の連中が……!」

 

「え……?」

 

 

 

鈴蘭寮に向かうと、皆が一斉に俺へと飛びついてきた。

 

「お、おぉ!?」

 

「提督……! 良かった……! 無事だったんですね……!」

 

「ぶ、無事?」

 

「あんた……何してたのよ!? こんな時に……!」

 

「何って……。本部に呼び出されていたの、見ていただろ」

 

「提督……」

 

なにやら深刻そうな顔を見せる大淀。

 

「大淀、どうした?」

 

「その……どう説明したらいいのか……。信じていただけないかもしれませんが……その……」

 

「なんだ、言ってみろ」

 

大淀が言えないでいると、霞が代わりに言った。

 

「深海棲艦が現れたみたい……」

 

「え?」

 

「あんたには見えないかもしれないけれど、皆、急に妖精が見えるようになったの……。妖精は、深海棲艦が現れた時にだけ、見えるようになるの……」

 

「霞さん……急に妖精のことを言っても、提督には……」

 

深海棲艦が現れると見えるようになる……。

それが、妖精……?

 

「山風……本当か……?」

 

「……うん。そう言われている……」

 

なるほど……。

じゃあ、やはり、上官の言っていたことは――あの写真は――。

 

「……お前らの言う妖精ってのは、こいつのことか?」

 

先ほどの妖精を、皆に見せてやる。

全員、驚愕の表情で――だが、妖精ではなく、俺を見ていた。

 

「て、提督……もしかして……見えるのですか……?」

 

「幻覚じゃなければ、な……」

 

「どうして……。人間には見えないはずです……! 艦娘、もしくは――!」

「――大淀さん」

 

山風が首を横に振る。

大淀は口を噤むと、泣きそうな目で俺を見た。

 

「…………」

 

妖精をまじまじと見てみる。

いっちょ前に海軍式敬礼を見せている。

 

「妖精……ね……」

 

深海棲艦――妖精――。

もう、なにがなんだか……。

 

「提督、本部よりお電話がありました。至急、山風さんとともに、本部へ戻るように、と……」

 

「山風と共に?」

 

俺は皆に視線を向けた。

皆、心配そうに――そして、悲しそうな顔を見せていた。

 

「……安心しろ。すぐに戻る」

 

「私も行くわ……!」

 

そう言ったのは、霞であった。

それに続くよう、皆も――。

 

「不安だろうが、ここは堪えてくれ。何が起きているのか、調べてくる」

 

「でも……!」

 

「ここは海軍本部だ。万が一、深海棲艦が現れたとて……」

 

いや……。

 

「……こんな時のために、色々と準備してきたはずだ。戦いにおいて重要視されるのは、海戦や空戦ではない。情報戦だ。そうだろ?」

 

「そうかもしれないけど……」

 

「大淀、その妖精とやらについての情報をまとめてくれないか。詳しく知っておきたい。それと、全員に妖精が見える症状があるのかと、体の変化についても調べてくれ」

 

「は、はい! 明石、後者についてはお願いできる?」

 

「分かった……! 皆、食堂に集まってくれる?」

 

困惑しながらも、皆、二人の指示に従い始めた。

 

「霞……」

 

霞は、泣きそうな目で俺を見ていた。

 

「……俺は、お前らの提督だ。大丈夫――」

「――【今度は失敗しないから】」

 

「え……?」

 

「ん?」

 

今、何か……。

 

「……とにかく、大淀の指示に従ってくれ。行くぞ、山風」

 

「う、うん!」

 

何やら困惑した表情を見せる霞を横目に、鈴蘭寮を後にした。

 

 

 

本部に戻ると、何故か武装した警備隊のような連中に地下へと連れていかれた。

 

「地下なんてあったのか。知っていたか?」

 

「ううん……。でも、あってもおかしくないと思うというか……。もしかしたら……」

 

「もしかしたら?」

 

そんな事を話している内に、重々しい扉の前に着いた。

その扉が開けられると、レンガ調のいかにも古そうなトンネルが現れた。

 

「なんだこれ……」

 

トンネルは、緩やかな坂になっていて、さらに地下へと通じているらしかった。

薄暗く、ひんやりとしていて、不気味であった。

 

「やっぱりそうだ……。まだ……残っていたんだ……」

 

「山風?」

 

「ここ……戦前に使われていた地下シェルターだよ……。そっか……。シェルターの上に海軍本部を……」

 

「戦前に使われていた地下シェルターって……。何のためにそんなのが……」

 

「地上で鎮守府の襲撃があった場合、指揮本部をここに移す為だよ。訓練で何度か来たことはあったけど、あの時とは入口が違うみたい……」

 

入口が違う、か……。

確かに、ところどころに鉄扉があり、その上には本部の近くにそびえる「――山」の標識があった。

 

「しかし、なんだってこんなところに……」

 

突き当りの鉄扉を開けると、何やら広い空間へと出た。

そこには、大きな円卓と、立派な椅子が並べられていて、その一つに坂本上官が座っていた。

 

「来たか……」

 

「上官……」

 

「まあ、座りたまえ……。ここがどこなのかは分かるね? 山風君……」

 

「はい……。雨宮君にも、説明してあります……」

 

「なら、話は早い」

 

俺たちが椅子に座ると、上官は部屋を暗くし、プロジェクターを起動させた。

 

「山風君……これに見覚えがあるね……?」

 

映し出されたのは、先ほど上官が見せてくれた深海棲艦の写真であった。

 

「イ級……深海棲艦……」

 

「そうだ……。本日の夕方――海域において撮られたものだ……」

 

改めて写真を見る。

夢で見た姿そのもので、目だと思われる部分が、不気味に光っていた。

 

「先ほど、医務課より連絡を受けた。加賀・瑞鶴の娘である杏子と雛菊に、妖精が見えるという【艦娘にしか起こりえない症状】が現れたと……。そして、同じように、山風君と雨宮……。君たち二人にも……同じ症状が現れたとね……」

 

山風と俺は、二人して顔を見合わせた。

 

「鈴蘭寮の連中も、妖精が見えるようでした……」

 

「やはりそうか……。深海棲艦が現れたかもしれないと騒いでいたから、もしやとは思ったのだが……」

 

すると、鈴蘭寮の奴らは、妖精が見えることを上官には言っていなかったのか……。

 

「上官……。あいつらから話は聞いています……。深海棲艦が現れた時にだけ、妖精が見えるようになるって言うのは……本当ですか……?」

 

「あぁ……そう言われている……。我々人間には見えないから、本当なのかどうかは分からんが……」

 

「上官には……見えないのですか……?」

 

「あぁ……」

 

「じゃあ、どうして俺には!? いや、そもそも、どうしてヒナやアンまで……!」

 

「落ち着け雨宮……。それは今後、調査してゆく必要がある……。問題なのは、深海棲艦が現れたという事実に対し、我々がどう動くべきなのかという点だ……」

 

どう動くかって……。

 

「そういった対策については、戦後、話し合われてきたはずです……。あたしたちには知らされていませんが、どういった対策があるのですか……?」

 

山風は、どこか責め立てるような表情で、上官に問うた。

それに対し、上官は――。

 

「……二十年。戦後から、艦娘が初めて人化するまでにかかった年数だ……。その間、深海棲艦が復活した場合に、どう防衛するのかについては、世界中で協議されていた。だが、どれも、艦娘を中心としたものばかりで――そもそも、艦娘でしか太刀打ちできなかったのだ……。人化なんて出来ないと言われていたし、出来たとしても、ある程度の戦力は残すつもりでいた……。だが、年数が経つに連れて、深海棲艦の脅威は忘れ去られ、復活はあり得ないとされた……。そして、人化が進み、いつしか艦娘は『兵器』から『人』へと見られるようになり、戦力を残そうとする考えも消えていった……」

 

俯く上官に、山風は強い言葉で返した。

 

「つまり……何も考えてこなかったということですよね……? 戦争の記憶を忘れ、いざとなったら人化していない艦娘を戦わせようと考えていたんでしょう……?」

 

上官は何も言えずにいた。

 

「どうして……? どうして何も考えて来なかったの……? 島に残る艦娘たちの気持ちは……? 人化を急いでいたくせに、どうして? 艦娘達は、深海棲艦が現れたらどうするか、ずっと考えていたんだよ……? 雨宮君だって、ずっと……苦しんで……。なのにどうして!?」

 

「山風」

 

立ち上がる山風を落ち着かせるように、俺はその手を掴んだ。

 

「上官一人を責めるのは間違いだ。この人はむしろ、状況を変えるべく戦ってきたんだ」

 

山風は冷静になったのか、ゆっくり座ると、小さく「ごめんなさい」と謝った。

 

「いや……事実であるから、責められても仕方がない……。事実、私は何も変えられなかったし、一度は逃げた人間だ……」

 

「上官……」

 

「雨宮……山風君……」

 

上官は席を立つと、そのまま床で土下座した。

 

「上官!?」

 

「頼む……。力を貸してくれ……。戦ってくれとは言わない……。せめて……人類を守る為にどうすればいいのかだけでも……」

 

山風は困惑したように、俺を見た。

 

「……頭を上げてください、上官。俺も山風も、鈴蘭寮の連中も、突然のことで混乱しています……。まずは、落ち着くところから始めませんか……?」

 

「そ、そうだな……。すまない……」

 

「今、鈴蘭寮で、妖精が見えるのかどうかと、体の変化について調べさせています。深海棲艦が現れたこと、まだ彼女達には言っていませんが、確信があるようでした」

 

「流石だな……。私の方も、――海域の監視を徹底させる事と、戦時中の資料を集めさせているところだ……。鈴蘭寮の連中に……深海棲艦を確認したこと……話すべきだろうか……?」

 

俺は、山風を見た。

 

「話すべきだと思います……。その上で、海軍には冷静でいてもらいたいと思っています……。深海棲艦を撃退する準備はあると思わせなければ、パニックになるどころか、きっと……」

 

「きっと……なんだね……?」

 

「きっと……彼女達は……いえ、あたしたちは、雨宮君を守ることを優先し、あなた達を見捨てる動きをとるはずです……」

 

「山風……!?」

 

山風の目は、恐ろしいほど冷たく、上官は気圧されたのか、手が小さく震えていた。

 

「……分かった。彼女たちにどう伝えるのかは、君たちに任せよう……。それと、情報収集には、この施設を使うといい。ここには、深海棲艦や艦娘に関する資料が保管されている。機密情報だが、そうも言っていられない状況だ……。外部への持ち込みだけは……しないでくれ……」

 

上官は何故か、目を逸らしながら話していた。

 

「上官……」

 

「なにかな……?」

 

「怖い……のですか……?」

 

上官は――顔を上げたその目は――。

 

「怖いよ……。だが、勘違いしないでくれ……。深海棲艦が怖いんじゃない……。戦うのが怖いんじゃない……。私が恐れているのは……」

 

上官の目が、俺に向けられる。

 

「君だよ……雨宮……。君の事を信頼している……。君を信じているから、ここへ連れてきた……。だがね……どうしても恐れてしまうのだよ……。山風君の発言であったように、艦娘達が君を守るため、人類を捨てるのではなかろうかと……。むろん、そんなことをする連中ではないと信じている……。だが……そうする理由があったのだとしたら……? それを裏付けるだけの確固たる【証拠】があったとしたら……?」

 

確固たる証拠……。

 

「妖精が見えるようになった事を言っているんですね……?」

 

山風の言葉に、上官はただ頷くだけであった。

 

「そ、そんなことは……。山風だって、上官に活を入れる為、言っただけだろう……?」

 

山風は答えない。

 

「……もしそれが本当だとして、それで俺が喜ぶとでも? 俺が、お前らに同調すると、本気で思っているのか……?」

 

「思わないよ……。だからこそ、強行する……。雨宮君を守る為だったら……あたしたちは……きっと……」

 

「どうして……そこまで……。妖精が見える事に、何の意味があると言うんだよ?」

 

「意味ならあるよ……。そうでしょう……? 坂本さん……」

 

上官は俯くと、険しい表情をしながら、カードキーらしきものを渡した。

 

「これは……?」

 

「奥の扉を開ける為の鍵だよ……。山風君、後は頼んだよ……」

 

そう言うと、上官は俺たちだけを残し、出て行ってしまった。

 

「上官……」

 

山風はカードキーを手に取ると、奥の扉へと歩き出した。

 

「行こう、雨宮君……」

 

「あ、あぁ……」

 

 

 

カードキーと一緒にメモが用意されており、そこには扉の開け方について記載があった。

扉を開けると、また扉があり、そのまた先にも――といった具合で、厳重に守られているようであった。

 

「これで最後かな……。開錠まで時間がかかるみたい……」

 

「そうか……」

 

開錠を待っている間、山風はチラチラと俺を見ていた。

 

「どうした?」

 

「……ううん。なんて言うか……いいのかなって……」

 

「なにがだ?」

 

「この先にあるものを……雨宮君に見せちゃっていいのかなって……。雨宮君に……知らせちゃっていいのかなって……」

 

「……そんなヤバいものが眠っているってのか?」

 

「うん……。雨宮君の人生に……大きく影響してくるというか……。もしかしたら……」

 

「もしかしたら……?」

 

「……なんでもない。きっと、何も聞かなかったとしても、雨宮君なら、きっと――」

 

扉が音を立てて開きだす。

その先にあったのは――。

 

「これは……」

 

一冊の分厚い記録らしきものと、その隣にあるのは――。

 

「艦娘の……艤装か……?」

 

駆逐艦の――いや、軽巡のものだろうか……?

 

「これがそうだね……」

 

山風は艤装に目もくれず、記録を手に取ると、俺に渡した。

 

「っと……。これは……?」

 

「ここ……読んでみて……」

 

機密事項とスタンプのついた、その資料のタイトルは――。

 

「【人間艤装部隊についての記録】……?」

 

反応を見るように、山風は俺の顔をじっと見ていた。

 

「え……人間艤装部隊ってのは……どういう……?」

 

「深海棲艦と戦う、艤装した人間の部隊って意味だよ……」

 

「艤装した人間……? 人間でも、艤装できたのか?」

 

「そのようだね……。あたしも……存在は知っていたんだけど……。なんせ【艦娘がドロップされる前の存在】だから……」

 

艦娘がドロップする前……?

 

「艦娘がどうやって生まれるのか……知ってる……?」

 

「……深海棲艦を倒した際に生まれると聞いている」

 

「じゃあ、人類はどうやって、艦娘をドロップしたのだと思う? 坂本さんも言っていたけれど、深海棲艦は、艦娘でしか倒せないはずでしょう?」

 

答えは簡単だとでも言うように、資料に触れる山風。

 

「じゃあ……なんだ……? 人類が艦娘として戦っていたとでも?」

 

「そうみたいだね……」

 

資料をめくる山風。

ほとんどが何を書いているのか分からないものであったが、比較的新しい付箋が貼ってあるページには、内容が分かるようにまとめられたメモが挟まっていた。

 

「これは……部隊の名簿か……?」

 

人間の――それも、女性らしき名前が書かれている。

 

「笹沼愛美……。宇佐美高子……」

 

その中の一つに――。

 

「佐伯……ゆうみ……?」

 

『貴方は佐伯さんになれない……。けれど……それでもいいと思えたのです…』

 

いや……まさかな……。

 

「雨宮君、ここ……」

 

山風が示したページには、艤装した人間の特徴が書かれていた。

 

「生娘であること――艤装出来ること――妖精が見えること……」

 

妖精が……。

俺は、山風に目を向けた。

その表情は――。

 

「……なるほど。だからか……。お前が上官を脅したのは……。俺を守る為と言ったのは……」

 

頷く山風。

俺は、艤装に目を向けた。

 

「妖精が見えるという事は……俺も……こいつで……」

 

山風は俺の手を取り、抱き寄せた。

 

「山風……?」

 

「そんな事はさせない……。そんな事をさせるくらいなら……もう一度、あたしたちが……」

 

『この先にあるものを……雨宮君に見せちゃっていいのかなって……。雨宮君に……知らせちゃっていいのかなって……』

 

『きっと……彼女達は……いえ、あたしたちは、雨宮君を守ることを優先し、あなた達を見捨てる動きをとるはずです……』

 

『私が恐れてるのは……君だよ……雨宮……』

 

上官は知っていたんだ。

山風の発言が本気だと分かる、その理由を……。

そして、山風も上官も、分かっていたんだ。

この話を知った俺が、艦娘の代わりに戦おうとすることを……。

 

「…………」

 

皆の心配は分かる。

けど……。

 

「雨宮君!?」

 

俺は、艤装へ手を伸ばした。

 

「それでも、俺は……!」

 

艤装に触れた、その瞬間――。

 

「うわっ!?」

 

手がはじかれる。

静電気――というにはあまりにも衝撃が強く――だが、痛くはなくて――。

 

「なんだ……? 今の……」

 

もう一度、触れてみる。

だが、同じように――。

 

「だ、大丈夫!?」

 

「あ、あぁ……」

 

「触れられないように、何か細工がされている……とか……?」

 

そう言うと、山風は艤装に触れた。

 

「お、おい!」

 

しかし、何も感じなかったのか、何度も確認するように、艤装へ触れていた。

 

「何とも無い……けど……」

 

「そんなことは……」

 

再び触れてみる。

だが、同じことであった。

 

「どうしてはじかれるんだ……」

 

俺が人間だからか――とは、流石に言えなかった。

 

「あ……」

 

何かに気付いたのか、山風が声を漏らす。

その視線の先――艤装の傍で、妖精がこちらを見つめていた。

妖精と目が合った瞬間、不思議な感覚に陥った。

声はしないが、妖精の意志というか、考えが俺に伝わってきたのだ。

 

「俺が……提督だから……艤装は出来ない……?」

 

山風も同じように伝わってきたらしく――どうやらその感覚に慣れているようであった――ゆっくりと俺の方を見ると、小さく頷いていた。

 

「え……山風、今の……。つーか、俺が提督だから艤装出来ないってのは……」

 

「どういうことなのかは分からないけれど、妖精が言うのなら本当なんだと思う。妖精はね、艤装の製造方法や、進むべき航路を示してくれる存在なの……。妖精が間違ったことを言ったことは、一度もない……」

 

何という万能な存在だ……。

まるで、神様か何かのような……。

 

「俺が提督ってのは、どういうことだ?」

 

そう妖精に問うても、答えは返ってこなかった。

 

「いや……そもそも、俺が男だからって話かもしれない……。特徴に、生娘であることとあったし……。そうだ……。俺が去勢して、性別が女になったとしたら……」

 

「雨宮君」

 

山風は真剣な表情で、俺を見ていた。

 

「……お前の気持ちは分かっているよ。けど、妖精が見えるってんなら……。俺にも、戦えるってんなら……」

 

「……どうしても戦いたいのなら、提督として戦って。歴代の提督は、妖精が見えなかった……。それ故に、士気の低下も見られていた……。けど、雨宮君は違う……。艦娘からの信頼が厚いだけでなく、妖精も見えるし、その聲を聴くこともできる……」

 

「…………」

 

「あたしたちを戦場に出したくない気持ちは分かっているよ……。だったら、指揮を執って……。あたしたちが傷つかないよう……一緒に……戦って……」

 

『一緒に戦って』

本当は、そんなこと言いたくないのだろう。

それでも、分かっているんだ。

俺がどうするのかを――。

 

「山風……」

 

「雨宮君……」

 

そんな気持ちを抑えることが出来なかったのか、山風はそっと寄り添うと、一筋の涙を見せた。

 

「嫌だよぉ……。雨宮君を失いたくないよぉ……。こんな事……本当は……うぅぅ……」

 

「山風……。ごめんな……。気を遣わせてしまった……」

 

「雨宮君……うぅぅ……」

 

 

 

山風が落ち着いた頃、俺たちはもう一度、資料を読み返すことにした。

 

「攻撃された場所に、無傷で佇んでいた……。そして、妖精が見える症状に見舞われた……か……」

 

「艤装はかなりの重量があるけれど、それを軽々と持ち上げ、操り――深海棲艦との戦闘に関しても、人間であれば致命傷となる場面でも、ほぼ無傷で――海を走るようにして――」

 

ほぼ艦娘と当てはまる特徴を得たという訳か……。

 

「艦娘をドロップしてからは、戦場に出ることは無く、しばらくして、全員、原因不明の病で亡くなった……みたいだね……」

 

「原因不明の病……か……」

 

山風が泣きそうな目で、俺を見た。

 

「そんな顔するな。俺は大丈夫だろ……多分……。生娘では無いし……」

 

「男性の場合、童貞が条件だったら……?」

 

「まあ、可能性はあるわな……。つーか、それが条件だったとしたら、本当に俺が童貞だったんだとバレてしまうな」

 

「雨宮君はまだいいよ……。あたしなんか……お墨付きで処女だってバレちゃったんだから……」

 

「いや……まあ……そうかもしれんが……。そもそも、生娘ってのが条件ということではなく、あくまでも、特徴が生娘だったというだけだ。必ずしも、生娘だからって訳でも……」

 

そんな話をしていると、坂本上官が慌てた様子で部屋へ入って来た。

 

「雨宮、大変だ! 天音君が……!」

 

 

 

「天音上官!」

 

「雨宮」

 

天音上官は、少しやつれているように見えた。

 

「お久しぶりです、天音上官……。その……何から言ったらいいのか……。まずは……お礼を言わせてください……。上官がいなければ、俺は……」

 

「礼を言うのはこっちだ。活躍は聞いているよ。よく頑張ったな、雨宮」

 

「上官……」

 

涙を拭い、俺は本題に入った。

 

「こちらに来た理由……聞きました……」

 

「あぁ……。私にも、何が起きているのか分からなくてな……。最初は幻覚だと思っていた……。しかし、坂本さんから話を聞いて、まさかと思い、こうして来てみたのだ……」

 

そう言うと、上官は、傍に居た妖精を手のひらに乗せ、俺に見せた。

 

「本当に……見えるんですね……」

 

「あぁ……。艦娘が、妖精を見ることができたのは知っていた……。しかし、どうして私まで……」

 

俺は、山風に目を向けた。

しかし、困ったようにするだけで――。

 

「……上官。艦娘をドロップする前、人間が艤装して戦っていたということはご存知ですか……?」

 

「あ、あぁ……。上官となった時に、本部地下の資料室で……。お前たちも知ってしまったのか……」

 

「えぇ……。その……妖精が見えるようになった者の特徴として、生娘というのが挙げられているのですが……。その……何と言いますか……」

 

上官は察したのか、顔を赤くすると、小さく言った。

 

「……お察しの通りだ。というか……分かっていたことだろう……」

 

「い、いや……うぅん……」

 

助けを求めるように山風を見る。

 

「天音さん……。なにか……感じることはありませんか……?」

 

「感じること……?」

 

「雨宮君を目の前にして……なにか……」

 

そう言われ、上官は俺を見た。

 

「何と言ったらいいのかは分らんが……。そうだな……この男を守らなければいけない……そう思ったよ……」

 

そう言い終えると、上官は恥ずかしそうに目をそらしてしまった。

 

「俺を……ですか……」

 

「……うん」

 

それを見ていた山風は、何故か俺を小突いた。

 

「痛っ!? 何!?」

 

「別に……」

 

山風は、落ち着くよう深呼吸をしてから、話を続けた。

 

「資料にも書いてあったのだけれど、所謂【艦娘化】した人間は、皆、戦う決意を持った理由として、こう言っていたみたい……」

 

【提督を守るために戦う】

 

「提督を守るため……」

 

「その時代、提督なんて存在は無かった……。艦娘をドロップし、彼女たちの指揮を執る存在を彼女たちの言葉から提督と呼ぶようになったくらいだし……」

 

そんなこと、書いてあったか……?

 

「じゃあ……雨宮がその提督だと……?」

 

「妖精も、その認識みたいです……。事実、雨宮君は艤装に触れることができなかったんです……」

 

天音上官が、俺を見る。

 

「……そうか。雨宮が……提督……。守らなければいけない存在……」

 

上官は深く目を瞑ると、何かを思うように、じっとしていた。

そして、ゆっくりと目を開けると――その瞳は、とても優しくて――されど、心強さというか、安心できるようなもので――。

 

「上官……?」

 

「……これからどんなことが起きるのかは、まだ分らない。けど、もし、私にも戦うことができるのなら、力になりたいと思っている。その時は、私の提督として、存分に指揮を執ってほしい」

 

先ほどの山風とは違い、上官は力強く、そう言い切った。

 

「……はい!」

 

「いい返事だ」

 

笑顔を見せる上官に、山風は――。

 

 

 

上官と別れる頃には、日をまたいでしまっていた。

 

「じゃあ、俺はこっちだから。明日、鈴蘭寮に顔を出すよ」

 

「うん……」

 

「じゃあ……」

「雨宮君……」

 

山風は駆け寄ると、そっと、俺を抱きしめた。

 

「どうした?」

 

「雨宮君……もし……もしだよ……? もし……雨宮君が戦わなくて済むのなら……そっちを選ぶ……?」

 

「え?」

 

「天音さんの話を聞いて……雨宮君が、艦娘化した人たちの言っていた【提督】であるのは間違いないのだと思う……。きっと、その条件には、生娘と同じで、雨宮君が……その……童貞であること……が含まれているかもしれないとも……思っていて……」

 

「何が言いたいんだ……?」

 

「だから……その……試してみない……?」

 

「え……試すって……?」

 

「だから……その……あたしと……セックス……して……みない……?」

 

顔を真っ赤にする山風。

だが、その表情の中には、どこか真剣な色を残していて――。

 

「雨宮君には戦ってほしくないし……それが叶うのなら……あたし……」

 

「山風……。いや……心配してくれるのは嬉しいが、俺は……。それに、俺のためにそんなことをしては――」

「――あたしはっ!」

 

山風は、唇を震わせながら、絞り出すようにして、言った。

 

「あたしは……シたい……。そういう……理由がなくても……あたしは……シたい……です……」

 

ゆっくりと視線を上げる山風。

その視線が合った瞬間、俺の心臓は一気に跳ね上がった。

 

「え……あ……え……」

 

顔が熱くなってくる。

こういうこと、結構言われてきた気がするが、どうしてだろう、今日に限っては――。

 

「あ……」

 

「うおっ!?」

 

そして、びっくりするくらい――。

 

「……恥ずかしがらなくてもいいよ。むしろ……嬉しい……。あたしで……こんなに……」

 

「うぅ……」

 

恥ずかしさで死にそうだ。

しかし、なんだってこんな……。

 

「雨宮君……」

 

トロンとした瞳。

 

「山……風……」

 

心臓がうるさい。

いや、それ以上に……。

 

「くっ……うぅ……!」

 

山風の肩を掴む。

自分でもびっくりするくらい、力強く。

それでも、山風は――。

 

「雨宮君……ここで……ここでシよ……! 今すぐ……あたしを……!」

 

今にも脱ぎだしそうな山風に、俺は――。

 

「山風……!」

 

その服を剥いで、押し倒す。

 

「はっ……はっ……」

 

「雨宮君……」

 

「ご、ごめん……なんか……俺……」

 

「ううん……。いいよ……。来て……」

 

俺も山風も、明らかに様子がおかしかった。

でも、そんなことはどうでもよくなるくらいに、興奮していた。

そして――。

 

「あ……」

 

月明かりも無いのに、彼女の体は――そして、それに向けられるのは――。

 

「山風……」

 

「うん……」

 

いよいよといったその時――。

 

「え……」

 

ふと、視線に気付き、顔を上げると……。

 

「柊……木……?」

 

いるはずのない存在が――いや、というよりも……。

 

「柊木……だよな……?」

 

赤い瞳。

柊木の姿をしているが、どこか別人に見えるのはなぜだろうか。

そして、何故、そんな恐ろしい表情を……。

 

「え……? 柊木さん……?」

 

「ほら、そこ……」

 

しかし、もうそこに、柊木はいなかった。

 

「あ、あれ!?」

 

「誰も、いないけど……」

 

「いや、今、確かに……」

 

その時、遠くの海で、何かの叫び声が聞こえてきた。

 

「この声は……!?」

 

「深海棲艦か……!?」

 

しかし、海は静かで――。

 

「…………」

 

「…………」

 

俺たちは顔を見合わせると、落ち着くようにして、そっと離れた。

 

「……ごめん、山風。やっぱり、俺……」

 

「……うん。雨宮君なら、そうすると思ったよ……」

 

頭が冷えたのか、お互いに恥ずかしくなって、そそくさと服を着なおした。

気まずい時間が流れる。

 

「戦いが終わったら……その……」

 

俺がそうつぶやくと、山風は――。

 

「うん……。きっとだよ……。約束……」

 

そういうと、山風は鈴蘭寮へと戻っていった。

残された俺は、しばらくその場を動くことができなかった。

 

 

 

それから数週間は、島へ戻ることもできないくらい、忙しくなった。

まず、鈴蘭寮の連中は、全員、妖精が見えるようになっていた。

しかも、指導艦の四人までも……。

 

「いや~よかったよかった! 山さん、もしかしたら処女じゃなくなっていたんじゃないかと思っていたからさ~。雨宮君も童貞って分かったし、秋雲さんはそれで満足満足!」

 

「お前な……」

 

そして、アンやヒナと同じく、元艦娘の子供たちも、妖精が見えるようになっていた。

 

「加賀さんと瑞鶴さんは見えないみたい。やっぱり……そういうことなのかな……」

 

すると、ここに集まった連中ってのは……。

 

「もし、このメンバーで戦うことになったらさぁ、処女艦隊って呼ばれることになるかもね~。いや、ここはもっと格好よく言って、ピュア・フリートって名乗っちゃう?」

 

「お前、もう黙ってろ……」

 

再び妖精が見えるようになった連中は、艦娘の力を取り戻し――もともと見えなかった連中については、艦娘と同等の力を得たようであった。

 

「あー! アン姉、また提督さんをお姫様抱っこしてるー! ずるいずるい! アタシもアタシもー!」

 

「だ、駄目……! まだ……抱っこしてばっかりだから……」

 

妖精が見え、さぞかしショックを受けているのかと思っていたが、力がついたことを嬉しいと感じているようで、俺は毎日誰かかしらに抱きかかえられることとなった。

 

「提督……私……絶対に守りますからね……!」

 

そういうと、アンは俺の匂いを嗅ぎ始めた。

 

 

 

海の状況にも変化があった。

 

「深海棲艦の現れた海域が、赤く染まる現象が起きている。戦時中にも見られた光景だ」

 

「激しい動きは無いようですが、備えなければなりませんね……」

 

「今、艤装の製造を急いでいるところだ……。雨宮、本当にいいんだな……?」

 

「えぇ……。彼女たちは戦うつもりです……。私は……その意思を尊重したい……」

 

「分かった……。そちらの方は任せる……。頼んだぞ、雨宮提督……」

 

「はい……」

 

数日後、艤装が完成し、艦娘指導の下、訓練が開始された。

 

「本当に海を走っている……」

 

「みんな、やる気マンマンだよ。全盛期よりも動けるようになっているって」

 

「そうなのか?」

 

「うん。でも、それよりも凄いのが……」

 

山風の指す先で、天音上官が武蔵・大和を相手にしていた。

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!」

 

上官の雄叫びに、二人は怯み、そして、あっという間に倒されてしまっていた。

 

「凄いな……上官……。武蔵と大和が相手にならんとは……」

 

「戦艦級の素質があるみたい」

 

「ヒナとアンはどうだ?」

 

「二人とも、親譲りなのか、正規空母の素質があるみたいだね。ずば抜けて優秀で、無理な体勢から射ったり、針に糸を通すような正確さで射ることができるみたい」

 

二人の技術については、夢の中で見たことはあったが、まさか現実になるとはな……。

 

「おぉ! 雨宮!」

 

「天音上官。お疲れ様です」

 

「上官はよせ。今は、人艤装戦艦アマネと名乗る、艦娘モドキだ」

 

「いえ、上官は上官ですから……」

 

上官は陸へ上がると、海を望んだ。

 

「しかし、まさか、こうして艦娘と肩を並べて戦うことになろうとはな……」

 

「…………」

 

「そんな顔をするな。確かに、最初は戸惑ったが……今は使命感の方が勝っているし、何よりも……」

 

「アマネちゃーん! こっちこっちー!」

 

手を振り、上官を呼ぶ朧。

 

「あの子たちの笑顔を守れるのなら、これ以上の幸せはなかろう」

 

そう言って、上官は満面の笑みを見せ、朧たちの方へと向かっていった。

 

「上官……」

 

「雨宮君?」

 

「いや……。上官はああ言ってくれたけど……本当はどう思っているのか、疑ってしまってな……。結婚することが夢だと言っていたのもあるし……。皆にも同じことが言える……。せっかく、人化を決意し、島を出てくれたのに……。これから、人並みの幸せを手に入れられると思っていただろうに……」

 

山風はニコッと笑って見せた。

 

「思うところはあるだろうね」

 

「…………」

 

「でも、本当に不満があるのなら、ちゃんと言う人たちだと思う。それが無いのは、きっと……」

 

突如、背中に痛みが走り、俺は海へと落下した。

 

「雨宮君!?」

 

「ぷはっ!? な、なんだぁ!?」

 

見ると、霞がこちらを見下げていた。

 

「情けないこと言ってんじゃないわよ! あんたは提督でしょ!? そんなことを心配している暇があったら、労いの言葉一つくらいかけたらどうなのよ!?」

 

「霞……」

 

「そうですよ、提督さん。皆さん、提督さんに褒められたくてやっているんですから」

 

「そーそー。大井っちなんか、さっきからずーっと、雨宮君のこと見てるもんねー?」

 

「き、北上さん!」

 

「お前ら……」

 

大和がこちらへ手を伸ばす。

 

「大和……」

 

「皆さんの言う通りです。それに、貴方には、まだやることがあるはずでしょう?」

 

「……!」

 

「ここは大和たちに任せて、貴方が本来なすべき最後の仕事をしてきてください。それが終わったら、今度は私たちの【提督】として、戻ってきてください」

 

皆も同じことを考えていたのか、頷いて見せた。

 

「……そうだな。ありがとう、みんな……」

 

大和の手を取り、陸へと上がる。

大和はその手を離すことなく、そのまま俺を抱き寄せた。

 

「うぉ!? 大和!?」

 

「解放してほしいですか? 戦いが終わったら、大和とえっちしてくれると約束してくれたら、放してあげてもいいですよ?」

 

「お前、何を言って……」

 

助けを求めるように、皆を見る。

しかし……。

 

「……お前ら、何並んでんだ?」

 

大和の後ろに、列ができる。

それを仕切っているのは、秋雲であった。

 

「はーい、並んだ並んだ~! 雨宮君とチョメチョメ出来る権利を得る列はこちらでーす。あ、最後尾は、この最後尾カードを持ってね~」

 

チョメチョメって……。

 

「約束……してくれますよね……?」

 

まるで蛇に睨まれた蛙のように、動くことができなかった。

 

 

 

島へと戻ることが決まり、船へ向かうと――。

 

「鈴木?」

 

鈴木は深刻そうな表情で、俺に缶コーヒーを渡した。

 

「……どうした?」

 

「まあ……乗れよ……」

 

 

 

本土を離れてから少しして、鈴木は船を停めた。

 

「コーヒー、いただくよ」

 

「あぁ……」

 

缶コーヒーを飲んでいる間、鈴木はじっと、俺を見ていた。

 

「これから死ぬ人間を見るかのような目だな」

 

「……どういう目だよ?」

 

「鏡を見てこい」

 

そう笑って見せたが、鈴木は俯いてしまった。

 

「……聞いただろ? 深海棲艦のこと」

 

「あぁ……。香取からも聞いたよ……」

 

「香取さんに会えたのか」

 

「妖精が見えるかどうかの検査で来た時にな……。坂本さんが気を利かせてくれてさ……」

 

上官が……。

 

「……香取と、結婚を前提に付き合うことになった」

 

「マジか。おめでとう」

 

「あぁ……」

 

鈴木は、嬉しそうではなかった。

 

「……芽衣ちゃんのことだろ」

 

「……!」

 

「妖精が見えているんだろ? 知っているよ。上官から聞いている」

 

「え……? 坂本さんから……?」

 

「検査では、妖精は見えないと判定されたんだろ? あれ、上官が根回しして、見逃してくれたんだよ」

 

「……そうだったのか。俺はてっきり……」

 

うなだれる鈴木。

 

「……お前、俺に芽衣ちゃんのこと、話すつもりだったんだろ? だから、そんな深刻そうな顔をして、こうして船まで停めたんだろ?」

 

鈴木は答えない。

 

「どうしてだ……? 黙っていれば良かっただろ……」

 

顔を上げる鈴木。

その表情は――。

 

「黙っていられると思うか……? これから……あんなバケモンと戦おうっていうお前を前に……!」

 

「…………」

 

「黙っていようと思ったさ……。けど……お前に嘘はつけなかった……。お前は……俺たちを守ろうとしてくれているのに……俺は……」

 

「……お前が気に病むことじゃないだろ」

「――あの子は戦うつもりだったんだ」

 

「え?」

 

「お前のために戦う気があったんだ……。力だって……俺よりもあるのだと証明してくれた……。でも……俺は……俺が……あの子の意思を……」

 

今にも泣き出しそうな鈴木に、俺は思わず笑ってしまった。

 

「何がおかしいんだよ……!」

 

「いや、悪い。だったら尚の事、黙っていれば良かったのにと思ってな」

 

「だからそれは――!」

「――俺が戦わせると思うか?」

 

俺は、本土の方で上がる砲撃の煙に目を向けた。

 

「俺だって……嫌なんだ……。あいつらを戦場に出すのは……」

 

「…………」

 

「それでもあいつらは、それを許してはくれなかった……。俺ですら、あいつらを止めることができなかったんだ……。だから、お前には感謝しているんだ」

 

「感謝……?」

 

「芽衣ちゃんを止めてくれたことに、だよ」

 

「……!」

 

「だから、気に病むな。そういう気持ちがあるのなら、せめて、香取さんと芽衣ちゃんを幸せにしてやってくれ。そして、全てが終わったら、俺を結婚式に呼んでほしい。約束を果たすのだと、そこで誓ってくれ」

 

「慎二……」

 

「ま、俺が生きていたらの話だがな。むろん、死ぬつもりはないし、早々に終わらせるつもりだ。だから、今は笑顔で応援してくれよ、相棒。お前がそんなんだと、こっちまで辛気臭くなって、士気の低下につながるんだよ」

 

笑顔を見せる俺に、鈴木は肩の力を抜いた。

 

「……悪い。そうだよな……」

 

「そうさ」

 

鈴木は缶コーヒーを飲み干すと、涙を拭い、何やらしばらく考え込んでいた。

そして、顔を上げると、力強い瞳で俺を見た。

 

「決めたぜ……。俺は、俺の人生のすべてをかけて、お前を支えてゆく。何があろうとも、絶対にだ!」

 

「やめろよ気持ち悪い……。そんなことより、香取さんたちを支えてやれよ」

 

「むろん、あの二人を守りながらだよ! 俺に何ができるのかは分からねぇ……。けど、そうしたいって、今、思っちまったんだ。お前が何と言おうと、俺はお前の力になり続ける。何世代に亘っても――たとえ、お前が迷惑しようともだ!」

 

相当な決意なのか、鈴木は前のめりになりながら、そう息巻いた。

 

「いや……俺が迷惑しているのなら、やめたほうがいいんじゃないのか……?」

 

「いいや! お前の言う迷惑するような事ってのは、たいていの場合、お前の為になることなんだよ! なのに、お前は遠慮ばっかしてよ……! 昔からそうだろ!? あの時だってそうだよ――!」

 

鈴木は鼻息を荒くしながら、昔話を始めた。

どれもこれも覚えていないことであったが、鈴木にとっては大切な思い出だったようで、その気持ちが怒りとなって表れていた。

 

「だから、お前はもっと支えられるべき人間なんだよ! つーか、遠慮なんかすんじゃねーよ! お前の為になりたいと思う人間の気持ちをだな!?」

「――鈴木」

 

俺の目を見た鈴木は、一気に冷静さを取り戻したようで、小さく「悪い……」と言った。

 

「いや、お前の熱意は伝わったよ。分かった。お前を頼ることにする。相棒だもんな」

 

「……そうだぜ。相棒なんだから、なんでも頼れよな……」

 

鈴木は恥ずかしそうに拳を突き合わせると、そのまま立ち上がり、船のエンジンをかけた。

 

「……慎二」

 

「ん?」

 

「ありがとな……。必ず、生きて帰って来いよ……相棒……」

 

「……もちろんだ」

 

大きな音を立てて、船は走り出す。

ハンドルを握る鈴木の表情は、どこか明るく――そして、たくましく見えた。

 

 

 

船を見送り、寮へと向かう。

 

「夕張の奴、大丈夫かな……」

 

手入れされていない畑には、雑草が生えまくっていた。

夕張一人であるから、もう畑は必要ないとは言え、流石にこれは……。

 

『島を出ることにしたんだ』

 

あれから数週間経っている。

夕張から連絡はないと聞いているが……。

 

「まさか、機能停止しているとか無いよな……?」

 

 

 

寮で靴を脱いでいると、夕張が部屋から出てきた。

 

「お、生きていたか」

 

「こっちの台詞よ。どうせ戻ってくるとは思っていたけれど、あまりにも遅いんで、死んでしまったのかと思ったわ」

 

「それでも連絡してこなかったのは、俺が島を出ると言ったことが本気なのかもしれないと思ったからだろ? 何かあったのかもしれないと、様子を見に戻らせるために」

 

「それが分かっていて、戻ってきたわけ?」

 

「それで戻ってきたわけじゃないという事だ」

 

「じゃあ、なんだってんのよ?」

 

「それについては後で話そう。とりあえず、あれを何とかしなければな」

 

そう言って畑を指すと、夕張は露骨に嫌そうな顔を見せた。

 

「手伝ってくれるよな?」

 

「……嫌だと言ったら?」

 

「じゃあいいよ。手伝わなくて」

 

ムッとする夕張を横目に、執務室に荷物を置いてから、畑へと向かった。

 

 

 

しばらく雑草を抜いていると。

 

「何か用か?」

 

軍手をつけた夕張は、何も言わず雑草を抜き始めた。

 

「お、やってくれるのか。じゃあ、俺は書類仕事やらなきゃだから、後よろしくな」

 

そう言って去ろうとすると、夕張は抜いた雑草を俺の背中へと叩きつけた。

 

「おい」

 

「わざとやってんの……?」

 

「何がだよ?」

 

「……そういうの、もういいから。なんで島に戻ってきたのか、後で話すって言ってたでしょ……?」

 

「だったら、お前も試すようなことを言うなよ。何が「嫌だと言ったら?」だよ」

 

「貴方こそ……。何が「お別れを言いに来た」よ。結局、戻ってきたじゃない……」

 

「お別れは本当だぜ。事が済んだら、もうここには戻ってこないつもりだ」

 

「事って何よ?」

 

「お前を説得すること、島を出るための身支度をすること、そして……」

 

俺は、畑の雑草を抜こうとしている妖精を手に乗せ、夕張に見せた。

 

「……見えているんだろ? その確認をしに来た」

 

夕張は驚愕の表情を浮かべていた。

 

「……どうして貴方にも見えるのよ?」

 

「やはり、妖精が見えるようになっていたんだな」

 

「そんな事はどうでもいいわよ……! なんで……貴方……」

 

俺は、夕張にここまでの経緯をすべて説明してやった。

もちろん、深海棲艦の存在を確認したことも……。

 

「……じゃあ、なに? 貴方は、妖精が見えるようになったけど、艤装は出来なかったってこと?」

 

「あぁ、そうだ」

 

夕張は、ほっと胸を撫で下ろすと、遠くの海へと目を向けた。

 

「妖精は、深海棲艦が現れた時に見えるようになったと聞いている。どうして、妖精が見えるようになったことを黙っていた?」

 

「確証が無かったからよ……。伝えたところで、信じてもらえるか分からなかったし、深海棲艦らしき存在も見られなかった……。本当に、深海棲艦を確認したの……? 人化した皆は、艦娘に戻ってしまったの……?」

 

「深海棲艦が現れたのは本当だ。――海域も赤く染まっている。人化した連中は、艦娘に戻ったというよりも、力を取り戻したという方が正しいようだ。艦娘にはなかった体の反応が、今も出続けている」

 

「艦娘にはなかった体の反応?」

 

「まあ……例えば……生理とか……そういうのだ……」

 

明石の修理が効いたり、体が頑丈なところは、人間離れしているが……。

性欲とかも、どこか強くなっているように思えるし……。

 

「そう……。深海棲艦が……。どうして海軍本部は、私に伝えなかったのかしら……」

 

「お前が戦うつもりだったら、信じてもらえるかどうかなんて関係なく、連絡してくるだろうからだと思うぜ。島を出た連中は、俺が止めようとも戦うつもりだった」

 

「気を遣われたってわけ……」

 

「出来るだけ戦いに巻き込みたくないんだ。戦いたくないのなら、戦わせるつもりは無いさ」

 

「そんな事は言っていないでしょ……」

 

「そう言っているようなもんだろ」

 

夕張はムッとすると――尤も、ずっとムッとしているが――。

 

「だったら、尚更よ……。どうして戻ってきたのよ……? 説得って、何を説得しに来たわけ?」

 

「いつもやっていることだ。人化の説得だ」

 

「こんな状況なのに、いつも通り仕事をしに来たってわけ……?」

 

「仕事を全うしたいと言う話だ。お前が人化しないというのなら、それでもいい。だからこそ『説得』にとどめている」

 

「…………」

 

「……雑草、ちゃんと抜けよ。じゃあな」

 

「説得しなくていいの……?」

 

「してほしいのか?」

 

「するべきでしょ……。その為に戻ってきたんでしょ……?」

 

そういうと、夕張は身構えるように、俺をじっと見つめた。

 

「ある意味、今までの話が説得となったはずだ。それでも、島を出ると言わせられないのなら、それが俺の限界なんだろう」

 

「…………」

 

「フッ……悪いな。ここ数週間で、色々考えていたんだろ? 俺が説得してきたら、どう返すかとか――畑を気にすることも出来ないくらい、色々と。なのに、無駄になってしまって」

 

図星なのか、目をそらす夕張。

そんな夕張を横目に、俺は寮へと戻った。

 

 

 

夕方になると、夕張が執務室を訪ねてきた。

 

「雑草抜き、終わったのか」

 

「えぇ」

 

風呂上りなのか、髪が濡れている。

 

「で? なんの用だ?」

 

「髪、やって」

 

そう言って、夕張はドライヤーを渡した。

 

「自分でやれよ」

 

「前はやってくれたじゃない。ほら、陸奥さんのハニートラップを警戒して、交替で見張りをしていた時よ」

 

『ね、知ってる? 女性が男性に髪を触らせるのって、本当はセックスした後とかなんですって』

 

あぁ、そんな事あったな……。

 

「やってくれるまで、こうしてやるんだから!」

 

そういうと、夕張は俺の膝の上に座り、濡れた髪のまま寄りかかった。

 

「あ、てめ……! 濡れたじゃねーか!」

 

「じゃあ、さっさと乾かさないとね?」

 

そう言い、いたずらな表情で笑う夕張。

こんな表情、久々に見た気がする。

 

「ったく……分かったよ……」

 

素直に乾かしてやる。

 

「これで満足か?」

 

しかし夕張は、何故か悲しそうに俯いてしまった。

 

「どうして素直に従うのよ……」

 

「はぁ? お前がやれって言ったんだろ……?」

 

「断ってほしかったのよ……」

 

「どうして?」

 

「だって……どうせ最後だからって……同情でやってくれたんでしょ……? 普段の貴方なら、断るはずなのに……」

 

そういうことか……。

 

「お前、マジでめんどくせぇな……」

 

「そうよ……。私はめんどくさい女よ……。そういうの、好きでしょ……」

 

さっきまで怒っていたくせに、急にセンチメンタルになるんだよな……。

 

「どうせ、シャワー浴びている間に、色々考えちゃったんだろ? 頭を冷やすって、そういうことじゃないんだぜ」

 

「分かってるわよ……。私だって……よくわかんないの……。自分がどうしたいのか……。貴方の恋人にしてほしいけど……それは無理だって分かっていて――貴方に甘えたいけど、素直になれなくて――嫌味ばっか言っちゃって――イライラして――もう、訳わかんないのよ……」

 

膝を抱える夕張。

人間の女というものを詳しくは知らない俺だが、何故だか、とても人間らしい奴だなと思ってしまうのは何故だろうか。

 

「お前が当初想定していた通りの結果になったんだから、好き勝手しろよ。それこそ、色々考えていたはずだろ……」

 

「考えていたわよ……。でも……貴方とは喧嘩ばかりしちゃって……」

 

「余計、素直になれなくなっちまったってわけか。そこにきて、俺が簡単に受け入れてしまうもんだから、情緒がぐちゃぐちゃになったってわけか」

 

「なんで、いつもいつも、そういうことだけは察しがいいのよ……」

 

「さあな」

 

乾かしながら、指で髪を梳いてやる。

確かに、こういうこと、最近はしてなかったよな。

顔を合わせれば、嫌味を言い合う感じで――二人っきりでいる時は、深刻な話が多かったし……。

 

「ねぇ……本当に島を出て行っちゃうの……?」

 

「……あぁ」

 

「私の事……嫌いになった……?」

 

「そうじゃない。ただ、これ以上は、お前が求めるものを与えられないし、島を出た連中のためにも、俺は前へ進まなきゃいけないってだけだ。それに、まもなく深海棲艦との戦いが始まる。そのためにも……俺は……」

 

「深海棲艦の戦いについては……貴方である必要はないじゃない……」

 

「いや、俺でなきゃいけないらしい。妖精も、俺が提督だと言っていたし、事実、艤装に触れることができなかった」

 

「他に探せばいいだけじゃない……」

 

「仮にいたとしても、俺は戦うよ。分かっているだろ?」

 

ドライヤーのスイッチを切ると、夕張はこちらへ振り向き、キスをした。

 

「……抵抗してよ」

 

「そうしてほしいのならするぜ」

 

「そうじゃないわよ……。受け入れないでよ……。どうして……別れを思わせるようなことをするのよ……」

 

「…………」

 

「だったら……恋人にしてよ……。私を島の外へ連れて行ってよ……」

 

「それは出来ない」

 

「どうしてよ……!?」

 

どうして……か……。

 

「……分からない」

 

「はぁ!? 何よそれ……。馬鹿にするのも大概に……!」

 

「馬鹿にしてなんかいない。ただ、そうあらねばならないんだ。理由は分からない。けど、妖精が見えた時、こう、言葉には出来ないが、理解出来た気がするんだ。幾度となく、艦娘に誘惑された。島を出た元艦娘や、昔出会った女性にも――いつ堕ちても不思議ではなかった。なのに、俺はまだ童貞だ。それどころか、恋人もいない。そこに、深い意味がある気がするんだ。妖精が見えるようになったのも、提督と言われた事も、その全てに、今のこの俺の状況が関係している。そんな気がしているんだ。だから……」

 

自分でも、何を言っているのか分からない。

だが、自然と言葉が溢れてゆく。

夕張と恋人になりたくないからでも、『そういう作戦』だからでも無い。

自然と――そんな事を考えたこともないくせに――まるで、ずっとそう思っていたかのような言葉として――。

 

「……そう。そうなのね……」

 

「あぁ……」

 

「じゃあ、もういい……」

 

そう言うと、夕張は俺を押し倒した。

 

「嫌でも好きになってもらうわ……」

 

「…………」

 

「そんな顔したって無駄よ。化けの皮を剥いでやるんだから……」

 

夕張は全裸になると、反応を見るように俺の股間に手をあてた。

 

「……緊張しているの?」

 

「きわめて冷静だ」

 

ムカついたのか、俺の服を脱がそうとする夕張。

 

「強引だな」

 

夕張は何も言わない。

いや……。

 

「あまり雑に扱ってくれるなよ。先約があるんだから」

 

「……先約?」

 

「約束したんだ。大淀や山風、大和に――全てが終わったら、そいつらとするって」

 

「するって……何をよ……」

 

「お前がしようとしていることだ。尤も、これは不同意性交ってやつだから、違うのかもしれんが……」

 

いや、まあ、半強制的に約束させられたところもあるから、同じなのやもしれんが……。

 

「……じゃあ、なに? 全てが終わったら、貴方は皆とするってわけ……? 皆を愛するってわけ……?」

 

「そうなるな」

 

「ばっかじゃないの!? そんな事が許されるわけないでしょ!? 皆を愛するって……そんなことを皆が許してくれるとでも!?」

 

「まあ、そうだよな」

 

「そうだよなって……。貴方……自分が何を言っているのか分かっているの……? 何……? ハーレムが成立するとでも……? 無理よ……。女ってのはね――いいえ、女じゃなくてもそうよ……。愛し合うってのは……一対一でなければいけないの……。貴方だって分かっているはずよ……。そんなのが成立しないって……。なのに、どうして……」

 

「性交が全てではないはずだ」

 

「……はぁ?」

 

「性交したからパートナーになるわけではない。愛するとは言ったが、一生とは言っていない」

 

「何それ……。そんなこと……!」

 

「分かっているんだよ、あいつらは……。それでも、確かなものを欲するのが『人間』だ。あいつらは、人間になったんだ……。その行動に――その約束に、大きな意味がなくてもいいんだ……。ただ、そうしたいからそうするだけで――せめてものと、そうするだけで――」

 

俺は、夕張の目をじっと見つめた。

 

「……何よ、その目は」

 

「お前には分からんだろうな……。あいつらの気持ちも、あいつらを想う俺の気持ちも……」

 

夕張は体を震わせると、大粒の涙を流した。

 

「どうしてよ……」

 

「…………」

 

「どうして……私だけ……。私だって分かっているわよ……! でも……だってぇ……うぅぅ……うあああああああああ……」

 

情けない泣き顔。

全裸で、鼻水を流しながら泣くその姿は、さながら赤子のようであった。

 

「う……うぅぅ……」

 

俺は立ち上がり、そっと、夕張を抱きしめてやった。

 

「な、なによぉ……」

 

「別に、何も。言っただろ。俺は人間だから、こうしたいからそうするだけだ。そこに、理由なんてない」

 

「意味わかんないわよ……。うぅぅ……」

 

背中に手を伸ばす。

柔らかく、温かくて――時折ビクッと体がはねて、少し笑ってしまう。

 

「夕張……」

 

「……なによ」

 

「ごめんな……」

 

そっと、口づけをしてやる。

涙が唇に伝ったのか、少しだけしょっぱかった。

 

「提督……」

 

「俺の説得はこれで終わりだ。どうするのかは、お前に任せるよ」

 

「待ってよ……。私、まだ……!」

 

「いや、お前はもう分かっているはずだ。もう、あの頃のお前ではない。誰の為でも無い、お前自身の為に、何ができるのか……。何をしたいのか……」

 

夕張は、分からないといったように、首を横に振った。

 

「あの頃の約束は果たしたぜ。だから、今度は、次に向けた約束だ。全てが終わったら、お前を迎えに行く。そして、その時にでも、お前の答えを聞かせてほしい」

 

「提督……待って……」

 

「じゃあな……」

 

何かを叫ぶ夕張を尻目に、俺は寮を出た。

俺を追ってくることは無かったが、きっと――。

 

「…………」

 

振り返り、艦娘寮を見る。

もう、ここには戻ってこない。

そう思うと、なんだか……。

 

「ありがとな……」

 

それは、夕張に対してではなく――誰が見ているでも無いのに、俺は恥ずかしくなって、そそくさと家へと向かった。

 

 

 

その日の内に上官へ連絡し、役割を終えたことを伝えた。

 

『そうか……。しかし、いいのかね? まだ、戻って初日じゃないか』

 

「長居すればするほど、夕張にとっては良くないことだと思ったんです。それに、あいつ、全裸で俺に襲いかかってきたんですよ。これ以上は、流石に……」

 

『な、なるほどな……。夕張は……やはり……?』

 

「……はい。すみません……」

 

『いやいや……。そうか……。頑張ったな、雨宮……。お前の親父も、きっと……』

 

上官が泣き出しそうだったので、俺は話題を戻した。

 

「それで、俺はいつ戻れますか?」

 

『あぁ……。それについては、もう少し待ってほしい。こちらにも準備があるのでね』

 

準備?

 

「分かりました。では、連絡を待っています」

 

電話を終え、ふと、縁側へと出てみた。

遊ばれなくなった遊具には、落ち葉が溜まっていたり、苔らしきものが生え始めていた。

 

「…………」

 

駆逐艦がいなくなって随分経つはずだが、何故か、今、この瞬間に、寂しさを覚えてしまった。

艦娘と交流するきっかけとなった遊具。

これがなければ、きっと、今頃……。

 

「明石……」

 

何故か、明石に会いたくなってしまった。

会って、抱きしめたくなった。

――いや、明石だけではない。

 

「大淀に武蔵に鹿島に――あぁ……早く、皆に会いたい……。本土に戻って……皆と……」

 

なんだ……?

この寂しさは……。

なんだ?

この愛おしさは……。

 

「……っ!」

 

俺はたまらず、再び上官へ連絡をとった。

そして、すぐにでも戻れるよう、発破をかけてしまった。

 

『わ、分かった……。とりあえず、明日、日程について連絡するよ』

 

 

 

翌朝。

早々に連絡があり、今日の夕方にでも迎えに行くとのことであった。

 

『最後だからね。ちょっとしたサプライズを用意しておくよ』

 

「ありがとうございます。こちらも、準備はできておりますから」

 

『そうか……。雨宮、その……』

 

「えぇ、分かっています。最後まで、あがいて見せます」

 

『健闘を祈る……』

 

受話器を置き、俺は縁側へと出た。

 

「聴いていたんだろ?」

 

夕張は、遊具を撫でながら、海を望んでいた。

 

「……説得は終わったんじゃないのかしら?」

 

「あぁ、終わったよ。上官には、ああ言っとかないと、格好がつかないだろ」

 

「じゃあ、私とは何も話してくれないの……?」

 

「そのつもりだった。でも、お前が来てくれたのなら、話は別だ」

 

そう言って、縁側に座る。

夕張も、同じように。

 

「どうして来てくれたんだ?」

 

「……分からない」

 

「そうか」

 

夕張はこちらをちらりと見ると、唇を尖らせた。

 

「深くは追求しないよ。多分、分からないってのは本当だろうから。でも、安心していい。これで会話が終わりってことはないよ」

 

「まだ何も言っていないじゃない……」

 

「分かるよ。お前のことなんだから」

 

「……なによそれ」

 

拗ねているように見えるが、ほんのりと赤くなった耳がすべてを物語っていた。

 

「夕張」

 

「なに……?」

 

「おいで。お腹撫でるやつ、やってやるよ」

 

「は、はぁ……!? 別に……いいわよ……。そんな……同情でなんて……」

 

「俺がしたいからだよ。最後だからってのもあるが、お前にしてやれなかったことをしてやりたいんだ」

 

「何よそれ……。今更そんなこと……」

 

「今までは、お前を説得するために色々と要望を断ってきたんだ。言っただろ? 説得は終わったって。だからさ……」

 

「じゃあ、なに……? 本当は……私にしてあげたいって……思っていたってこと……?」

 

「あぁ、そうだ」

 

「ふぅん……」

 

まんざらでもなさそうな表情。

だが、そんな言葉にはもう騙されないとでも言うように、細い目で俺を見ていた。

 

「フッ……本当、分かりやすいな、お前は」

 

そう言って、抱き寄せてやる。

 

「ちょ、ちょっと! やめてよ変態!」

 

「お前がやったことに比べれば、大したことないはずだろ」

 

「そ……うかもしれないけど……」

 

「ほら、ここらへんだったっけ?」

 

お腹を撫でてやる。

夕張は黙っていたが、やがて、俺の手を少し下の方へずらし、恥ずかしそうに俯いてしまった。

 

「ここだな」

 

敷波に仕込まれた方法で撫でてやる。

 

「ちょっ……」

 

「痛かったか?」

 

「そうじゃなくて……。なんか……手つきが……んっ……!」

 

別に、性器を触っているわけではないはずなのだが、徐々に夕張の息遣いが荒くなってゆく。

 

「あっ……んんっ……!」

 

体をよじる夕張。

俺は何も言わず、ゆっくりと撫でる力を弱めていった。

 

「満足したか?」

 

何度も頷く夕張。

そして、立ち上がると、ふらふらとトイレの方へと歩いて行った。

 

 

 

「お帰り」

 

戻ってきた夕張は、ムッとしていた。

 

「何をそんなに怒っている?」

 

「無理やりやられたんだもの……。そりゃ……怒るでしょ……」

 

「でも、良かっただろ? いい思い出になったはずだ」

 

夕張は俺を蹴ると、そのまま寄りかかるように座った。

 

「夕方には島を出ることになっている。それまでに、してほしいことがあったら言ってくれ。なんでもするよ」

 

「じゃあ……」

 

「それ以外で、な」

 

「まだ何も言っていないじゃない……」

 

「分かるって言っただろ」

 

「じゃあ……貴方が満足するだけってのは……? それなら、貴方だって……」

 

「同じことだろ。きっと、そんなことになったら、俺はお前を襲ってしまうよ」

 

「じゃあ……ずっとこうしていてほしい……。時々、キスしてほしい……」

 

「分かった」

 

そうして、俺たちは寄り添ったまま、時間を過ごした。

時折、キスをして――食事も摂らず、ずっと――。

 

 

 

やがて、遠くの方で汽笛が鳴り、夕方を迎えている事に気付いた。

 

「もう、時間か……」

 

「うそ……。もうなの……?」

 

時計を見ることもしなかったから、どれだけ時間が経っているのか分からなかった。

腹も減らなかったし、空模様だって――。

夕張はゆっくりと離れると、じっと、俺の目を見つめた。

 

「夕張……」

 

「提督……」

 

そっと、キスをしてやる。

深く、探るような――名残惜しそうに伝う銀の糸を、もう一度辿るように――。

 

「そろそろ行かないと……」

 

「ま……」

 

待って。

そう言おうとした彼女は、言葉を吞み込んだ。

そして、言い直すように、無理してつくった笑顔を――されど、涙は頬を伝っていた――見せながら、言った。

 

「待っているから……」

 

「あぁ……。必ず、迎えに行くよ……」

 

名残惜しそうに離れる手。

俺は――俺も同じで――。

 

「……ごめん。もう一度、キスしてもいいか……?」

 

そう訊いた時、彼女は大粒の涙を流し、もう一度キスをした。

それが、最後のコミュニケーションだった。

唇を離すと、何も言わずに立ち上がり、荷物を持って家を出た。

振り返ることもせずに。

彼女が追ってきたのかは分からない。

それを知るのは、許されないことだと思った。

それを知ってしまったら、きっと、俺は――。

 

 

 

泊地に着くと、大きな船と、大勢の海軍が俺を出迎えてくれた。

 

「これはまた……盛大な……」

 

楽器隊が、俺を讃えるように、音楽を奏でている。

紙吹雪が舞い、その合間で後輩たちが手を振り俺に称賛の声をかけていた。

 

「雨宮」

 

「上官。ちょっとしたサプライズって、このことだったんですね」

 

「んー……まあ……これは余興に過ぎないよ。サプライズはここからだ」

 

そう言うと、船から、天音上官が降りてきた。

その傍で、花束を抱えているのは――。

 

「重さん……」

 

「よう、慎二。元気そうじゃねぇか」

 

「重さん……!」

 

俺は、思わず重さんに抱きついてしまった。

 

「よくやったなぁ、慎二……。約束……果たしてもらいに来たぜ……」

 

『最後の艦娘が島を出る時、船頭は重さんにお願いするよ』

 

「重さん……。でも……ごめん……。俺……俺……」

 

「何言ってんだ。てめぇは十分やってくれたぜ。ありがとな、慎二……。立派になったな……」

 

重さんの涙に、俺の頬にも涙が伝う。

 

「雨宮」

 

「上官……とんだサプライズですね……。泣いてしまいましたよ……」

 

「重さんをどうしても呼びたくてね。その為に、時間が欲しかったのだよ。早々に帰せなくてすまなかったね……」

 

「いえ……」

 

俺は振り返り、島を望んだ。

 

「慎二……」

 

「あぁ……」

 

重さんを含め、皆で島に敬礼をした。

もう、ここには戻って来られないかもしれない。

そう思いながら。

 

「雨宮」

 

「天音上官……」

 

「私たちが必ず、もう一度、ここに連れてきてやる。だから、安心していいぞ、提督」

 

「……はい。頼みましたよ、アマネ」

 

「うむ! それじゃあ、早速!」

 

天音上官は俺を肩に乗せると、凱旋でもするかのように、船の方へと歩き出した。

 

「お、重くないですか?」

 

「なーに、軽い軽い! もっと食ったほうがいいぞ、提督よ!」

 

再び響き渡る音楽。

大量の紙吹雪。

空気を震わせるほどの歓声。

 

「……!」

 

その中で聴こえた、俺を呼ぶ声。

しかし……。

 

「どうした?」

 

「いえ……」

 

気のせいか……?

いや、今確かに――。

 

「それじゃあ、出港だ!」

 

大きな汽笛が体を震わせる。

船が、島を離れてゆく。

 

「あぁ……」

 

遠ざかる島。

消えゆく航跡。

静まりゆく歓声。

大きくなる鼓動と不安。

――その中に、小さな声が一つ。

 

「……っ!」

 

「雨宮!?」

 

上官の肩から降り、船尾の方へと走る。

 

「はぁ……! はぁ……!」

 

船尾へたどり着き、息を整えながら、顔を上げた。

そして――。

 

「夕張ーっ!」

 

「え!?」

 

皆が、船尾に集まる。

見えるのは、消えゆく白波だけであり、夕張の姿はない。

 

「雨宮、どうした!?」

 

「聴こえたんです! 夕張の声が!」

 

「夕張の声? 馬鹿な……。島からはだいぶ離れているはずだが……」

 

もう一度、夕張を呼ぶ。

 

「聴こえているぞ夕張! どこだー!?」

 

姿は見えない。

だが、確かに……!

 

「あそこ!」

 

上官の指す先。

波にのまれそうになりながら、艤装した夕張が海を走っていた。

 

「夕張!」

 

「うわっぷ……て、提督!」

 

「ふ、船を停めてくれ!」

 

船が、ゆっくりと速度を落としてゆく。

夕張は苦しそうにしながら、船と並走している。

 

「夕張……夕張!」

 

夕張は狙いを定めるようにしゃがみ込むと、まるで水面を叩くかのように踏み込み、上空へと跳びあがった。

 

「うぉ!?」

 

波の衝撃で船が揺れる。

何という跳躍力……。

やがて、空から艤装が降って来るのが見えた、次の瞬間――。

 

「ぐっ……!?」

 

外された艤装が船体にめり込む。

それと同じくらいの威力で、夕張が俺の胸の中へと落ちてきた。

 

「雨宮!」

「慎二!」

「提督!」

 

皆が、心配そうに駆け寄る。

当然だ。

俺の体はそのまま吹き飛んで、船体へとめり込んだのだから。

 

「い、いってぇ……」

 

びっくりしたのは、そんな衝撃であるのにもかかわらず、ちょっと痛い程度で済んだことであった。

いや、そんなことよりも……。

 

「夕張……無事か……?」

 

夕張はピクリとも動かない。

どうして夕張が……。

つーか、あそこに転がっている艤装は一体……。

 

「夕張……夕張……!?」

 

呼びかけに応じない。

まさかとは思い、顔を上げてみると……。

 

「なんちゃって」

 

舌を出し、いたずらな笑顔を見せる夕張。

 

「へへへ、びっくりしたでしょ?」

 

その顔を見た瞬間――。

 

「わっ!?」

 

強く、強く、抱きしめていた。

 

「て、提督!?」

 

「お前……! 馬鹿……! なんで……どうして……!」

 

自分でも引くくらい、涙が溢れてしまった。

鼻水もだらだらで、体中の水分が一気に放出されたんじゃないかと錯覚するほどであった。

そんな顔をする俺を見て、夕張の頬にも涙が伝う。

 

「やっぱり……私も連れて行ってほしいの……! 嫌よ……。私も戦う……。貴方と別れたくないから……。貴方を愛しているから……! 貴方と……生きたいから……!」

 

そう言い切ると、夕張も同じように涙と鼻水を溢れさせた。

どちらの体液か分からなくなるほど、俺たちは強く抱き合い、涙を流した。

 

「馬鹿……! どうして……! あんな……お前に酷いことばかり言ったのに……! 突き放したのに……!」

 

「本当よ、馬鹿……! でも……それでも諦めきれない私が……一番……馬鹿だって……うわああああああああ……!」

 

言葉通り、俺たちは馬鹿みたいに泣いた。

馬鹿みたいに抱き合った。

馬鹿みたいに――。

遠くで、重さんがつぶやく。

 

「やっぱりな。約束、守ってくれると思っていたぜ」

 

満足そうに笑う重さん。

この時の笑顔は、今でも時折思い出す。

まるで、役割を終えたのだとでも言うような――。

 

「夕張……」

 

「何よ……」

 

「お前が好きだ……。愛している……」

 

夕張は涙を拭うと、優しい表情で微笑んだ。

その笑顔は、今でも――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

残り――1隻

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大丈夫か?」

 

雨野愛美の体には、血色の良い肌が見え始めていた。

全てのストーリーを読み終え、俺は改めて彼女に向き合った。

 

「なあ、雨野愛美よ。これまでのストーリーを読んで、何かに気付かなかったか?」

 

「……何かって、何に?」

 

「確かに、お前の言うように、俺には雨野勉の素質があった。提督の素質がな……。だが、どのストーリーにも【彼はいなかった】。そうだろう?」

 

雨野愛美は答えない。

 

「お前だけなんだよ。お前のストーリーにしか、雨野勉はいなかった。器ではない、お前のストーリーだ」

 

「私の……ストーリーにだけ……?」

 

「お前は、素質を持った人間が、雨野勉の生まれ変わりだと信じていたんだろう? 自分と等しく【回帰する】人間だと」

 

「……そうよ。でも、それだけじゃない。顔だって、声だって、全部一緒なのよ……」

 

「本当にそうか?」

 

「えぇ、そうよ。私が言うのだもの。艦娘たちだって、貴方を求めた。貴方の顔が夢に出てきたと言っていたじゃない」

 

「いいや、少しだけ違う。夢に出てきたのは事実だ。だがそれは、現実に存在する俺の顔を見るまでは、ぼんやりとしていたはずだ。そうだろう?」

 

『そして、その夢には必ず、顔の見えない男の人が登場するんです』

 

雨野愛美の目が、大きく開かれる。

 

「そうだ。顔が似ていたんじゃない。【顔を覚えていなかった】んだ。【顔をあてはめただけ】なんだよ」

 

「……そんな事あるわけ!」

 

「だが、事実だろう。思い出してみろ。雨野勉の本当の顔を! 雨野勉の本当の声を!」

 

雨野愛美は立ち上がると、机の上の小説を手で払った。

 

「嘘よ……! そんなはずない! 私がつーくんの顔を忘れるなんて……!」

 

「じゃあ、思い出してみろよ……! 全てのストーリーに、同じ顔があったか!? 同じ声はあったか!? いや……性格もそうだ! 性格だって、千差万別だったはずだろう!?」

 

「うるさいうるさいうるさいうるさいうるさい」

 

「お前は、雨野勉の幻影を追いかけていただけなんだ。お前の知る雨野勉は、もういないんだよ! 提督の素質は、雨野勉の魂なんかじゃない。お前が創り出した【回帰の為の幻想】なんだ!」

 

「ああああああああああああああああああああああ!」

 

泣き崩れるように、床に突っ伏す彼女に、少しだけ同情した。

 

「私は……私は……何の為に……」

 

「雨野愛美……」

 

その肩に、手を置く。

温かく、小さく震えるその肩に。

 

「お前には……感謝しているんだ……」

 

「え……?」

 

「これまでのストーリーを振り返って、思ったんだ……。お前は、お前を愛してくれた雨野勉のいた世界を、守りたかっただけなんだろう? 人間同士の戦争が起きないように――人類共通の敵である深海棲艦を――そして【提督】を守る存在、艦娘を、お前は――」

 

雨野愛美は、やはり何も言わなかった。

 

「確かに、お前の言うように、艦娘は俺を愛していたのではなく、そうプログラムされていただけなのかもしれない。でも、俺は確かに感じたんだよ。人間の心というものを……。きっと、それは、お前の意思を受け継いでいたからだと思うんだ……」

 

「…………」

 

「艦娘を通して、お前の心が分かった。だからこそ、俺は、彼女たちを心から愛することが出来たんだ。そして、それは、お前も同じだ」

 

「私も……?」

 

「そうだ。【最後の艦娘であるお前をだ】」

 

「最後の……艦娘……?」

 

残り――1隻

 

「知っての通り、俺が本来やっていた仕事は、艦娘の人化だ。ヘイズによって人化させることが……って意味なら、お前も艦娘の一隻に入るはずだ。違うか?」

 

あまりにも突拍子も無いことであったからなのか、雨野愛美は思わず噴き出してしまっていた。

 

「間違ってはいないはずだろう?」

 

「フフ……そうね……。確かに、そうだわ……」

 

雨野愛美は、ふらふらと立ち上がると、そのまま寮を出て、いつの間にか暗くなっていた空を見上げた。

 

「星が綺麗ね……」

 

「そうだな」

 

「知ってる? どんな世界にいてもね、星空の景色だけは変わらないのよ?」

 

その言葉の意味を理解してしまい、俺は俯いてしまった。

 

「そんな顔しないで。本当は……分かっていたの……。でも、認めたくなかった……。諦めきれなかった……」

 

「雨野愛美……」

 

「愛美って呼んで、慎二君」

 

「……愛美」

 

「ありがとう、慎二君……。君が【提督】で良かったわ……」

 

「……行くのか?」

 

「そうみたい……。きっと、この時、この瞬間のために、私は、ずっと――」

 

愛美は天を仰ぐと、深呼吸をした後、真剣な表情で俺を見た。

 

「私がいなくなれば、再び人間同士の戦争が始まるかもしれないわ……。深海棲艦はもう現れない。もちろん、艦娘もね……」

 

「…………」

 

「慎二君、貴方に守れる? 私が守り抜いたこの世界を……」

 

俺は、愛美と同じように天を仰いだ。

 

「広大だよな、星空ってのは。それこそ、何が起きるのか予測できないほどだ」

 

「……?」

 

「愛美、俺が初めて艦娘と出会った時、残りの艦娘は何隻だったか覚えているか?」

 

「何、その質問……?」

 

「いいから、答えろよ」

 

「……私を含めないのなら、あの島にいた艦娘は――」

 

指折り数える愛美。

 

「――【29隻】だったはずよ」

 

29隻か……。

やはりな……。

 

「正確には30隻だ」

 

「え? ちょっと待って……。まず、大淀さんでしょ? それから……」

 

艦娘の名前を挙げる愛美。

しかし、【彼女の名】は無かった。

 

「――ほら、29隻よ」

 

「いや、30隻で合っているよ。やっぱり、認識できていないんだな」

 

「認識出来ていない?」

 

「さっきのストーリーで、一隻だけ、ストーリーを語らなかったんだ。何故なら、彼女だけ、お前由来のストーリーが無かったからだ。必要なかったからだ」

 

「どういうこと……?」

 

『あの島で、感染量の少ない艦娘はいますか?』

『いるよ。極端に少ないのが一隻だけね』

 

「とにかく、大丈夫だ。後は、俺に任せろ、愛美。お前が守ってくれたこの世界は、俺が――いや、俺たちが守ってみせる。だから、行ってやれよ。彼のところに」

 

そう言って、俺は天を指さした。

そこには――。

 

「え……」

 

大きな手が、こちらへ伸びてくる。

その顔は――。

 

「……全然似てねぇじゃねーか」

 

まるで、魂が抜け出たかのように、倒れる愛美。

そして――。

 

「愛美」

 

彼女が振り返る。

手を引かれ、遠くなってゆく。

キラキラと残る光の道筋は、さながら航跡のようであった。

 

「ありがとう……」

 

それは、彼女の言葉であったか、はたまた俺の――あるいは――。

どちらにせよ、道筋が消える頃には、彼女の顔も、声も、俺の記憶からは消えて行ってしまった。

 

「うぅん……」

 

声の方を振り返ると、そこには――。

 

「柊木……!」

 

「わわっ!? あ、雨宮君……!?」

 

駆け寄り、柊木を抱きしめる。

 

「良かった……! 柊木……!」

 

「雨宮君……」

 

「全部終わったよ……。本当に良かった……。柊木……」

 

柊木はそっと、俺を抱きしめ返した。

 

「うん……。全部、見ていたよ……。ありがとう……雨宮君……。辛かったね……。苦しかったね……。でも、もう大丈夫だよ……」

 

空が明るくなってゆく。

水面がキラキラと光っている。

静かな海に、一筋の光が差している。

 

「帰ろう、雨宮君……。そして、始めよう……。私たちのストーリーを……」

 

「あぁ……」

 

 

 

離れゆく島を見ていると、柊木がそっと傍へ寄ってきた。

 

「やっぱり、寂しい?」

 

「まあな……。あそこには、たくさんの思い出があるから……」

 

遠い目をする俺に、柊木はそっとキスをした。

 

「私はずっと傍にいるよ。不謹慎かもしれないけど……もう私しかいないし……。私、羨ましかったんだから。心は雨野愛美にのまれていても、雨宮君が皆を愛しているのを見て、どうして私はって……。だから……いいよね……?」

 

そう言って、俺の腕を抱く柊木。

 

「フッ……そうだな……。けど、あいつが許してくれるかな……?」

 

「あいつ……?」

 

「俺は、柊木もあいつも愛する自信はあるけれど、あいつは一対一を望んでいると言っていたしな……」

 

「あいつって誰……? まだ、誰か残っているの?」

 

「あぁ、いるよ……。雨野愛美にも認識できなかった存在……。艦娘でありながら、ノベルが通用しなかった存在……。それもそのはずだ。あいつは【雨野愛美のストーリーを持たない新しい艦娘】だったからだ。その役割を理解したあいつは、待つことを選んでくれた。わずかに影響のあったヘイズに身を任せ【機能停止】になってまで、この時を――」

 

そんな話をしている内に、本土へと着いた。

そして、聞き覚えのある声が俺を呼んだ。

しかしどうやら、あの時と等しく、その声は俺にしか聞こえなかったようで――。

 

「早速、お出ましか。柊木、あいつこそが、お前のライバルとなりうる存在で、この世界の秩序を守る新しい存在だ」

 

「え?」

 

突如、船が揺れる。

大きな水しぶきが上がり、艤装が落下してくる。

俺は、大きく手を広げ、そいつを受け止めた。

 

「約束通り、迎えに来たぜ。夕張」

 

「遅いわよ、馬鹿」

 

ずっと想い続けた笑顔が、そこにはあった。

夕張は柊木に目を向けると、見せつけるように俺にキスをした。

そして、これまた見せつけるように言った。

 

「提督、今度こそ貴方の恋人にしてね。もちろん、セックスも!」

 

「あぁ、分かったよ」

 

堂々と答える俺に、夕張は満足そうであった。

そして「貴女はどうするの?」とでも言いたげに、柊木を見た。

だが、柊木は、驚愕と、夕張に対する敬意と同情があるのか、何も言えずに俯いてしまっていた。

そんな彼女に勝ち誇ることもせず、夕張は煽るように言った。

 

「何も言わないのなら、独り占めしちゃうけど? また指をくわえて、艦娘にグッチャグチャに犯される提督を見たいってわけ?」

 

「お前、なんでそんな事を知って……!」

 

「知ってるわよ。機能停止になっても、意識はあったもの。貴方の元を離れた艦娘が、貴方との生活がどういうものだったのか、わざわざ報告してくれたのよ? 本当、嫉妬でおかしくなりそうだったわ。貴女もそうだったんじゃない? 柊木紫さん?」

 

柊木はムッとした表情を見せると、腕を掴み、俺を睨みつけた。

 

「ひ、柊木?」

 

「その意気よ。恋はライバルが居た方が燃えるもの」

 

夕張はとびっきりの笑顔を見せると、顔を近づけ、今度は妖しい笑顔を見せた。

 

「ね、艦娘とシたといっても、彼女たち、もう艦娘ほどの体力は無かったんでしょ? 私は違うけど、大丈夫……?」

 

「え、いや……どうかな……」

 

「……大丈夫だよ、夕張さん。もうここ数十年、雨宮君は誰ともシていないから、体力も精力も余っているはず。そうだよね? 雨宮君?」

 

同じく妖しい笑顔を見せる柊木。

 

「どちらも久々の再会だってのに、下品だぜ……。まあ、似たもの同士、仲良くやれそうで良かったが……」

 

「「似てないし、仲良くするつもりはないから!」」

 

睨みあう二人。

俺はふと、島の方へと目を向けた。

そこには、俺たちの乗ってきた船の航跡が、まだ残っていた。

 

「終わったぜ、みんな……」

 

数々の思い出が、走馬灯のように流れてゆく。

どのストーリーも、俺にとっては――。

 

「いってぇ!?」

 

突如、股間に痛みが走る。

どうやら夕張が蹴り上げたようであった。

 

「何すんだよ!?」

 

「別に? なんか元気になってたから」

 

「いや……まあ……色々思い出しちゃって……」

 

「……誰の裸を思い出していたわけ?」

 

「…………」

 

「最低……。行こう、柊木さん。反省するまで、シてあげないから!」

 

「べ、別に……シたいとは言ってないだろ……」

 

「本当かしら? 何十年もシてないんでしょ? ちょっとは期待していたくせに……」

 

そう言って去る夕張。

柊木は心配そうに近寄って来てくれたが――いや、違う。

柊木は妖しく笑うと、耳元で囁いた。

 

「我慢してね、雨宮君。その分……ね……?」

 

そう言って、夕張の元へと駆けて行った。

 

「フッ……」

 

久しく忘れていた、この気持ち。

俺はもう一度、島の方へ目を向けた。

先ほどまであった航跡は、もう、無くなっていた。

 

「ありがとうな……」

 

名も知らぬ大きな鳥が、水面に映る光の筋を辿ってゆく。

その先に何があるのか、何を目指しているのかは分からない。

それでも――。

 

「……待ってくれよ二人とも! 分かった! 反省したから!」

 

俺たちは進まなければならない。

不死鳥たちがそうしたように。

未来へと続く航跡を、残せるように――。

 

 

 

-終-




ご愛読いただきありがとうございました。
次回作については、後日X https://x.com/og1UcDJ544IEWN1 にて報告させていただきますので、そちらの方もよろしくお願いいたします。
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