「青葉が人間側のスパイ……ですか……」
「厳密には『元スパイ』だね。尤も、スパイという言い方も、厳密にいえば違うのだが」
「しかし……」
俺は、机の上に並べられた、青葉から送られてきたという写真を見た。
「青葉は元々、人間に協力的で、島での出来事を事細かく、海軍へと報告する仕事を任せられていた。しかし、ある時期を境に、その報告はこの様なものになって来てね」
上官は、俺と裸の陸奥が一緒に寝ている写真を手に取った。
そして、「こんなに露骨なものは、今までなかったが」と言った。
「『ハニートラップ』なんて言葉が出始めたのも、その頃だった。青葉にどんな心境の変化があったのかは分からないが、その影響力は多大なものだ。ここ十数年、我々があの島へと足を踏み入れることが出来なかったのは、その影響もあるのだ」
俺が不満な表情を見せるものだから、上官は察したのか、付け加えるように言った。
「尤も、島への出向に関しては、人間側にも落ち度がある。君のようにしっかりした人間が居たのなら、こうはならなかったのかもしれないね」
「……しかし、私も撮られてしまいました」
「こんなものは、何の証拠にもなりはしないよ。私も皆も、君がこんな事はしない人間だと、知っているつもりだ。真の意味で『適正』な人間であるとね。だからこそ、陸奥も青葉も、こんな露骨な写真を撮らざるを得なかったのだろう――強引に貶めようとしたのだろう」
そういうと、上官は俺の肩をポンと叩いた。
「おそらくこれから、本格的に君を貶めようとする動きが活発化するだろう。君には期待しているし、期待通りの成果もあげてくれている。その期待、その成果……それら全てを無駄にしてはいけないよ」
それは、上官から俺に対する警告のようにも聞こえた。
「分かったね?」
「はい」
重さんが船の準備をしている間、本部内にあるカフェに行ってみると、そこには山風ともう一人、女性が座っていた。
「山風」
「あ! 雨宮君! 良かった。今日は会えないのかと思ってたよ」
そう言うと、山風は俺の手を引いて、空いていた椅子に座らせた。
「えへへ、また会いに来たよ。鹿島さんとの件、上手くいったみたいだね」
「あぁ、君のお陰だよ。ありがとう、山風」
「えへへ、どういたしまして」
ふと、同席していた女性と目が合った。
その女性は、どこか驚いた表情で俺を見つめていた。
「あ、紹介するね。北上さんだよ」
「北上って……。元艦娘の北上……さんですか……?」
北上さんはハッとすると、小さく頷いた。
「初めまして。君が噂の雨宮君?」
「はい、雨宮慎二です。お目にかかれて光栄です」
艦娘の北上と言えば、伝説的な戦果をあげた艦娘として有名だった。
北上さんは握手をするかわりに、俺の肩をポンポンと叩いた。
「そんなに畏まらなくていいよ~。歳も4つしか離れていないようだし、もっと気軽に話しかけていいよ~」
「は、はぁ……そうですか……」
話に聞いていた北上さんは、もっとこう、鬼神的な存在であったから、ギャップに少し困惑した。
「雨宮君の事、北上さんに話したら、ぜひ会ってみたいって」
「私にですか?」
「まぁね。ちょっと気がかりなことがあるというか……」
「気がかりな事……?」
「大井っち……大井って艦娘、いるでしょう? どんな様子かなって……」
大井っち……。
「すみません。まだ大井とは交流できていなくて……。確か、武蔵との決闘の時に見かけたくらいで……」
「元気だった……?」
「えぇ、おそらくは……。凄い目つきの艦娘だったのを覚えています」
そうだ。
あの決闘中、大和もそうだが、大井もどこか、鋭い視線を俺に向けていたように思う。
「……そっか」
そう言うと、北上さんは黙り込んでしまった。
遠くに見える島を見つめて――。
「あの……大井と何かあったのですか?」
香取さんの件があったから、或いは何かあったのだろうと思い、聞いてみた。
明らかに場の空気が変わる。
どうやら山風は、何か事情を知っている様子であった。
「――……」
北上さんが口を開いた時、割って入るようにして、同期の鈴木が声をかけて来た。
「よう慎二! 聞いたぜ。陸奥にハニートラップを仕掛けられたらしいじゃねぇか……って、山風と北上? どーも」
山風も北上さんも、どこかぎこちない笑顔で鈴木に応えた。
「で? 慎二、陸奥はどうだった? やっぱりエロい体してただろ。全く、羨ましいぜ。俺も出向したかった~」
「鈴木、悪いが外してくれないか? 真面目な話をしているんだ」
「なんだよ、俺だってマジメな話をしてるんだぜ!? 俺が出向出来なかった分、お前に託したんだからさ。話だけでも聞かせてくれよ。すぐに出発しちまうんだろ? 次に話をきけるのが一週間後とか、まじで寸止めされてる気分だぜ。気持ちよくイかせてくれよ~。な?」
気まずそうな二人など、まるで眼中にないといわんばかりに、鈴木の下品なトークは続いた。
「……いい加減にしろ、鈴木。そんなに気になるのなら、試験に合格し、自分の目で確かめたらどうなんだ。尤も、お前のような下衆な奴が、『適性試験』に受かるとは思えんがな」
そんな俺の言葉が癪に障ったのか、鈴木の顔から笑みが消えた。
「なるほどねぇ……。流石、『適正者』は言うことが立派だぜ。そういや慎二、ケツはまだ痛むか? 試験に受かるため、上官にケツを差し出したと聞いたが?」
「お前こそ。何度も試験を受けているんだろう? 後輩が噂していたぜ。鈴木さんは『具合がイイ』から、上官が気に入ってしまい、なかなか試験に受からないのだとな」
そう言ってやると、鈴木はおもむろに俺の胸倉を掴んだ。
止めに入ろうとする山風に、俺は止めるよう手で合図を送った。
「……調子に乗ってんじゃねぇぞ。てめぇみたいな野郎に、艦娘を『人化』出来る訳ねぇだろ。女ってのはな、てめぇみたいな童貞よりも、俺みたいなプレイボーイを求めてんだよ」
「まるで艦娘を知っているみたいじゃないか。艦娘童貞のくせに」
「このクソ野郎……!」
鈴木が振り上げた拳を北上さんが止めた。
「それくらいにしたら~?」
「なんだ北上! てめぇには関係な……いっ!?」
苦痛の表情を浮かべる鈴木。
北上さんに掴まれた腕が、ミシミシと音を立てていた。
「もうちょっと力を込めてもいいけど、どうする?」
「ぐっ……! わ……分かった……! 分かったから……! 離せ……!」
北上さんが手を離すと、鈴木は俺を睨み付け、そのままカフェを出て行った。
「……すみません、北上さん。山風も、悪かったな……」
「う、ううん……そんな……雨宮君は悪くないよ……」
「そーそー。前々からムカつく奴だと思ってたんだよねー。懲らしめるいい機会になったよー。ありがとね」
そう言って、北上さんは笑顔を見せた。
「けど、話に聞いていた通り、いい人だね、君。試験に受かったのも納得だわー」
「恐縮です」
「だからいいって、そんなに畏まらなくて」
北上さんは俺の肩を叩くと、力を抜くよう促した。
「そっかそっかー。……うん、君になら、託せるかな。大井っちの事」
そうだった。
「話の途中でしたね。大井とのこと、聞かせてくれませんか?」
「時間、大丈夫? 結構長くなっちゃうかもしれないよ?」
「重さんには話をつけておきます。だから、何時間でも話してください」
そう言うと、北上さんは再び驚いた表情を見せた。
「……本当、そっくりだなー」
「え?」
「……ううん、なんでもない。どこから話そうかな……。あ、じゃあ――から」
そう言って、北上さんは話し始めた。
大井との関係、そして、北上さんが島を出た理由――大井が島に残る理由を――。
話の途中、北上さんが俺を見て、言葉を詰まらせるシーンが何度かあった。
そして、その理由は、すぐに分かった。
「――そして、新しい人が出向してきて、私たちの生活は一変した」
北上さんが俺を見つめる。
だが、見つめているのは、俺ではない誰かであった。
「佐久間肇……。私は、彼を尊敬し、彼の遺した言葉を以って、島を出た一人なんだ……」
その目に映る俺の姿が、俺を嘲笑っていた。
『不死鳥たちの航跡』
「司令官、みてて!」
そう言うと、皐月は新しい遊具である雲梯を身軽に伝ってみせた。
「おー、凄いじゃないか」
「でしょ? えへへ、もう一回やるね!」
往復しようとする皐月を暁が止めた。
「こら皐月! 次は暁の番よ!」
「えー? 往復で一回じゃないの?」
その光景を見た鹿島が、二人の間に割って入った。
「皐月ちゃん、往復だと詰まっちゃうから、もう一度並んで遊びましょうね」
「鹿島さん。うん、分かった」
そう言うと、皐月は列の後ろへと走っていった。
「流石だな」
戻って来た鹿島は、どこか嬉しそうにして、俺の隣に座った。
「あんなに楽しそうな子たちを見るのは久しぶりです。提督さん、ありがとうございます」
「礼なら明石と夕張に言ってくれ。新しい遊具を提案してきたのは、あいつらだから」
「新しい遊具の事もそうですけど、この場を提供してくれたことに、ですよ。再びあの笑顔が見れる日が来るなんて、本当に幸せです。うふふっ」
鹿島の笑顔が輝く。
本当、笑うとこんなにも――。
「提督さん? 私の顔に何かついていますか?」
「いや……。それよりも、こいつだよ。こいつが来て一週間になるが、遊びに来る度に俺の膝に座って来て……。ちょっとはあいつらと一緒に遊具で遊んだらどうなんだ?」
そう言ってやると、響は、嫌であるというようにして、さらに深く俺に体を預けた。
そして、自分を抱えさせるようにして、俺の腕を手にとった。
「響ちゃん……」
鹿島は何やら、悲しそうな瞳で響を見つめた。
そして、チラリと俺を見た。
何か事情がある……という感じか。
それも、俺に関連する何か……。
――あぁ、そう言う事か。
「……まあいいさ。気が済むまで付き合ってやるよ」
そう言ってやると、響は座る向きを変え、俺に向き合った。
そして、目を瞑ると、まるで眠る赤子のようにして、俺の胸の中で静かになった。
「甘えん坊だな」
響の頭を撫でてやる俺の姿に、鹿島は遠い目を見せていた。
「響ちゃんは、佐久間さんの事が大好きだったのです……」
眠る響をそっと撫でながら、鹿島はそう言った。
「そんな事だろうと思ったぜ」
「響ちゃんは、提督さんが佐久間さんの息子だとは知らないはずですが、何か感じ取ったのでしょうね。第六駆逐隊の中でも、かなり鋭い子ですから……」
「単純に顔が似ているから、なのかもしれんがな。大淀や鳳翔も、その事に気が付いていたし」
「お二人にはどこまで?」
「俺が佐久間肇の息子だってところまでだ。俺がこの島にいる理由は、お前しか知らないよ」
そう言うと、鹿島はどこか複雑な表情を見せた。
「結局、俺は佐久間肇を利用してしまった……。お前に対してもそうだが、
それを聞いた鹿島は、小さく「ごめんなさい」と呟いた。
「何故、お前が謝るんだ」
「だって……響ちゃんがそうする理由を私が言わなければ……提督さんがその理由を知らなければ……そんな事……思わなかったはずですから……」
鹿島のその表情に、俺は心を打たれた。
「……お前は本当に優しい奴だな」
首を横に振る鹿島。
「お前がそうやって、俺の気持ちに寄り添ってくれるだけで救われるよ。ありがとう、鹿島」
「提督さん……」
悲しい表情で見つめ合う俺たちを心配して、駆逐艦たちが寄って来た。
「司令官、鹿島さん、どうしたの……? 何かあった……?」
「う、ううん……。大丈夫よ」
「そう……? なんだか悲しそうだったぴょん……」
皐月と卯月の後ろで、第六駆逐隊の三隻も、どこか心配そうにこちらを見つめていた。
「本当に大丈夫だから。さ、皆で遊びましょう?」
鹿島が立ち上がると、皆一斉にその手を引いて、鹿島を連れて行ってしまった。
本当、慕われてんな。
最初こそ、その理由が分からなかったが、今はよくわかるというか、その理由を実感しているというか……。
「そりゃ、件の男が惚れるわけだ」
あれが計算でやっているというのなら、俺は既にトラップに引っかかっているという事になる。
それほどに――。
「『あいつら』も、そうすりゃよかったのに……」
その『あいつら』が現れたのは、その日の夜の事であった。
「ほう、こりゃ美味いな」
明石の自家製果実酒は、今まで飲んだ果実酒の中でも、かなり出来の良いものであった。
「本当ですか? えへへ、良かった。ちょっと飲み頃は過ぎてしまったのですが、喜んでもらえて良かったです」
「中々時間を取れなくて、悪かったな」
「いえ、それだけ頑張ってくれている証拠ですし、実際に、鹿島さんまで……本当、提督は凄いです」
そう言うと、明石は小さく笑って見せた。
「で、夕張、お前は飲まないのか?」
隅の方で、肴である漬物を咥える夕張に話しかけてやる。
「私、飲めないのよ……。どうも苦手でね……」
「じゃあ、なんで来たんだ?」
「……来ちゃいけなかった?」
「そうは言っていない」
「ならいいじゃない……」
夕張はどこか不機嫌そうであった。
まあ、最近はずっとそうなのだが……。
「私が誘ったんです。流石に二人っきりだと、あれかなって思ったので……」
そう言うと、明石は俺をじっと見つめた。
「そうだったか。気を遣わせたな」
「い、いえ……そんな……」
明石は酒をグイッと飲み干すと、夜空を仰いだ。
「そうじゃないでしょ……」
「ん? 何か言ったか? 夕張?」
「別に?」
不機嫌な夕張を尻目に、俺と明石は酒を酌み交わした。
しばらく飲んでいると、怪我をした艦娘が居るのだと、鳳翔が飛んできた。
「すみません。お楽しみのところ……」
「いえ、大丈夫です。提督、すみません……。ちょっと行ってきますね。すぐに戻りますから」
「あぁ、頼んだぞ、明石」
「お任せください!」
明石が去って行くと、夕張は隅の方から出て来て、俺の隣に座った。
「明石、大変だな……」
「えぇ」
夕張は空返事をすると、グラスに酒を注いだ。
「なんだ、相手してくれるのか」
「ちょっと飲んでみようと思って……」
口をつける夕張。
だが、すぐにグラスを置いてしまった。
「やっぱり苦手だわ。アルコール」
「無理すんな」
そう言ってやると、夕張は再び不機嫌なため息をついて見せた。
「……ずっと機嫌が悪いのな」
「そう? いつもこんな感じよ。それよりも、さっきの事だけど……」
「さっきの事?」
「明石が『流石に二人っきりだと、あれかなって思ったので……』って言った時よ。アレ、提督に「俺は二人っきりでも良かった」って、言って欲しかったのよ」
夕張は再び酒を口につけた。
苦い顔を見せながら。
「……なるほどな。お前が不機嫌なのも、それが理由か?」
「どういう意味?」
「明石に出汁に使われたから、不機嫌になっている……ってさ」
夕張はグラスを置くと、退屈そうな表情を見せた。
「だったらここにいないわ。明石が飲みに誘ってきた時点で、その事には気が付いていたから。私は明石の味方だし、明石を応援したいと思っているから」
明石を応援したい……か。
「提督も気が付いているんでしょ。明石、提督の事が好きなのよ」
「……かもしれないな」
「かもしれないって……。提督はどうなの? 明石の事、いいなとか思ってたりするの?」
「俺は艦娘に恋はしないよ」
「どうかしら……。鹿島さんといる時の提督は、何だかとっても楽しそうだったけれど?」
「あいつとは色々話したからな。お互いのよき理解者となれた。だが、それが恋愛には結びつかない。もう一度言うが、俺は艦娘に恋はしない」
「頑なじゃない……」
夕張は酒をグイッと飲み干すと、空いたグラスに酒を注いだ。
「やめとけ。苦手なんだろ?」
「酔うまで飲んだことないの。どうなるのか、データを取っておこうと思って」
「どうなっても知らんぜ」
俺も同じように酒を飲み干した。
「俺は艦娘を『人化』するためにここにいる。艦娘に恋をしてしまったら、『艦娘』を愛さなきゃいけないだろう? だから、艦娘に恋はしないと決めているんだ」
「つまり、『人化』したのなら、艦娘でも恋をするって事?」
「『人化』したら艦娘じゃない」
「……元艦娘になら、恋をするって事?」
「かもな」
グラスを取ると、夕張は酒を注いでくれた。
「悪いな」
「ううん……。ねぇ、提督……」
「なんだ?」
「明石が……もし明石が、最後の艦娘として『人化』して、提督と一緒に島を出ることになったら……提督はどうするの?」
「どうするってのは?」
「だから……明石は『人化』したら、きっと提督に告白すると思うから……どう応えるのかなって……」
「どう……か……」
俺が考えている間、夕張は瞬きもせず、俺をじっと見つめていた。
「……その時考えることにする」
「それはつまり……今時点では、明石の気持ちに、いい答えを出せないって意味?」
「……さっきも言ったが、俺は艦娘にそういった感情は持たない」
「……答えになってないわ。むしろ、答えから逃げているように見える……。艦娘艦娘って……もしもの話なんだから……明石を艦娘じゃなくて、女性として考えられないの……?」
俺が困っていると、夕張は膝を抱え、そこに顔を埋めた。
「私達だって……艦娘だけれど……人と同じように恋もするし……そういう目で見られたいって思うこともあるわ……」
「お前も同じなのか?」
夕張は顔をあげると、膝を解き、俺に近づいた。
「夕張?」
仄かに赤くなった顔、据わる目。
「お前、酔ってないか?」
ふと、夕張のグラスに目が行く。
こいつ、ストレートで飲んでいたのか……。
「もし……」
「え?」
「もし私が……明石と同じように、恋をしていたとしたら……提督はどうする……?」
夕張は顔を近づけると、顎をあげて――。
瞬間、時が止まる。
風の音も、波の音もしない。
するのは、夕張の息遣いだけであった。
そして――。
「――……」
夕張は俯くと、そのまま俺の胸に頭を預けた。
「ごめん……。酔ってるわ……私……」
『それ』は、未遂に終わった。
だけど、夕張は確かに――。
「……俺も大分酔っている。今宵の事は、きっと明日にでも忘れてしまうだろう……」
「……うん」
夕張は頭をあげると、そのまま家を出て行ってしまった。
「…………」
空を仰ぐと共に、風と波の音が戻って来た。
少し早くなった、俺の鼓動を連れて――。
ぼうっとしていると、明石が戻って来た。
「おう、お帰り。大丈夫だった……か……」
申し訳なさそうにする明石の後ろに、『あいつら』がいた。
「すみません提督……。どうしてもって聞かなくて……」
陸奥と青葉は、満面の笑みを浮かべ、俺に手を振っていた。
「ねぇ、この前の事、怒ってる? でも私、貴方みたいな素敵な人とどうしてもシてみたかったの」
「離れろ、陸奥……。暑苦しい……」
「冷たいのね。でもお姉さん、そういう態度をとられると、燃えちゃうタイプなの」
どんなに突き放そうと、陸奥は酒を片手に、グイグイと俺に詰め寄った。
青葉はそんな俺たちの攻防を写真におさめていた。
「明石、ごめんな……」
「い、いえ……私が連れてきてしまった訳ですし……。それに……提督ならきっと、陸奥さんの事も……」
「私の事もなぁに? 明石、貴女もしかして、もうこの人に抱かれているとか?」
「だ……そ、そんな事……」
「赤くなっちゃって、可愛いんだから」
陸奥がそう言うと、明石は萎縮してしまったのか、黙り込んでしまった。
「陸奥、お前いい加減にしろ。邪魔をするなら帰れ」
「そんなに怒らないで。私はただ、貴方と交流がしたいだけ。男と女の交流を……ね……?」
「何が交流だ……。見え透いたハニートラップ仕掛けやがって……」
「ハニートラップなんかじゃないわ」
「じゃあ何故、青葉がいるんだ……」
青葉は知らぬ存ぜぬというようにして、ヘタクソな口笛を吹き、目を逸らして見せた。
なんてベタな……。
「とにかく、普通の交流なら歓迎するが、お前のその訳の分からん男女の交流とやらに、付き合ってはいられん」
「お堅いわね。なら、こっちも硬かったりするわけ?」
そう言うと、陸奥は俺の股間に手を突っ込んだ。
「な、何をしているんですか!?」
驚きの声をあげたのは、明石であった。
「何って……ナニをね?」
「シャッターチャンスです!」
パシャパシャと写真を撮る青葉。
フラッシュがまぶしくて、俺は思わず目を瞑った。
「くそ……」
この隙にやられてしまう。
そう思った。
しかし――。
「――……?」
手を突っ込んだまま、何もしない陸奥。
それどころか、ナニを触ることもしない。
やがて青葉も写真を撮ることを止めて、皆が皆静かになった。
永い沈黙が続く。
「…………」
陸奥の手を掴み、股間から離してやった。
「……お前、何がしたかったんだ?」
そう言ってやると、陸奥は顔を真っ赤にして、俺を睨み付けた。
「貴方、もしかしてソッチ!? それともED!?」
「あ?」
「信じられない! 普通、こうなったら興奮するのが男でしょう!? 何をそんな……おかしいわよ!」
何やら激怒する陸奥に、俺は助けを求める様に明石を見た。
明石は苦笑いをするだけで、何もヒントはくれなかった。
「……もう! 何なのよ貴方! 本当に男!? 付いてるの!?」
「付いてるって、何が?」
「……っ! だから……! 男の……あぁ、もう!」
陸奥は顔を真っ赤にしながら、家を出て行ってしまった。
「なんだあいつ……」
ふと、青葉と目が合う。
呆然と俺を見つめる青葉。
「どうした? 追いかけなくていいのか?」
青葉はハッとすると、駆け足で陸奥を追いかけ、去って行った。
「……ったく。マジで何だったんだ……」
視線を戻すと、何やら俺の股間をじっと見つめる明石が居た。
「……一応言っておくが、ちゃんと機能するからな?」
明石は顔を真っ赤にすると、気まずそうに酒に口をつけた。
「多分、陸奥さんは、提督に色仕掛けが通用しなかったことが、悔しかったのだと思います」
ほろ酔いになった明石は、グラスを掲げて、そう言った。
「それだけ自信を持っていた、という訳か」
「陸奥さんが一番多いですから。ハニートラップの成功率」
明石は俺をチラリと見た。
「でも、提督には効きませんでしたね」
何がうれしいのか、明石はニマニマと笑って見せた。
酔っているのもあるのだろうが、なんだかテンションが高いように見える。
「陸奥は何故、この島に残る? 何故、人間を追い出そうとする?」
「うーん……理由は分かりません。この島に残る艦娘達は、島に残る理由を語りたがりません。暗黙の了解で団結している……という感じですから……」
「そうなのか」
「単純に私が知らないだけなのかもしれませんけど……。ほら、私って、中立的な立場の艦娘ですから。現にこうして、提督の味方になっていますし」
誰がスパイになるか分からない……という訳か。
まあ、青葉もその一隻であったからな。
隠したがる理由もよく分かる。
「青葉さんは、よく陸奥さんと一緒に居るので、もしかしたら何か知っているのかもしれませんね」
「青葉か……」
青葉にも、何か事情がありそうだがな。
人間側から艦娘側に寝返ったと考えると、探るのは難しいかもしれない。
「けど……提督は本当に凄いです。陸奥さんのハニートラップも効かないし、鹿島さんを味方につけてしまうし……」
「まだ一隻も島から出せていないがな」
「時間の問題ですよ。本当……佐久間さんが居なくなって……絶望していた私を……提督は救ってくださいました……」
「フッ、大げさだな。まだ救ってやっていないだろう。お前が島を出た時が、その時だ」
「それでも私は……」
明石はグラスの酒を飲み干した。
「はぁ~……酔っちゃいました……。提督も、酔っていますか?」
「あぁ、だいぶな」
「そっか……」
明石は空になったグラスを眺める様に回すと、何やらまごまごとし始めた。
「どうした?」
「提督……武蔵さんと飲んだ時の事、あまり覚えていないんですよね……?」
「あぁ、まあ……」
「今……どれくらい酔っていますか……? 記憶……飛びそうですか……?」
「うぅん……どうだろう。武蔵の時ほどは酔っていないが……。それがどうかしたか?」
再びまごまごとする明石。
「なんだよ? なにか言いたいことがあるのか?」
「まあ……そんなところというか……」
「……話しにくい事か?」
俺は酒を置いて、真剣な表情で明石に向き合った。
「何を話そうとしているのかは分からんが、どんなことでもちゃんと聞いてやる。だから、話してくれ」
そして、微笑んで見せた。
明石はというと、ただ茫然と、俺を見つめていた。
「明石?」
明石の長い髪が揺れて、風の姿があらわになった。
その合間に見えた小さな唇が、赤子の寝言のように、ぽつりぽつりと、言葉を零し始めた。
「……きです」
「え?」
「好き……です……。提督の事が……好きです……」
言った後、明石は驚いた表情を見せた。
「え……あ……やだ……私ったら……何を……」
まさに、零れた言葉であった。
溢れた言葉であった。
無意識の言葉であった。
「ご……ごめんなさい……! 私……!」
立ち上がり、逃げ出そうする明石の手を掴む。
「は、放してください……!」
「明石」
明石は恐る恐る、俺の顔を見た。
そして、その表情を確認すると――。
掴まれた手は、力を失い、やがて抵抗することを止めた。
手を放してやると、明石はそのまま、俺の隣に座り込んだ。
永い沈黙が続く。
「……そんな顔、するんですね」
そう言った明石の表情は、どこか――。
酒をグラスに注いで、明石に渡してやった。
その意味が分かったのか、明石は同じように、俺のグラスに酒を注ぎ、渡した。
カクテルのモヒートに添えるミントの様な、小さな言葉を添えて――。
「――……」
そして、俺たちは酒を飲み干した。
添えられた小さな言葉も、一緒に――。
「うぅん……んが!?」
息苦しさに目が覚める。
目の前にあったのは、響の顔であった。
穴を塞ぐようにして、俺の鼻をつまんでいた。
「……何してんだ?」
「起こそうと思って」
「普通に起こせなかったのか……?」
響は考える様に空を仰ぐと、何も思いつかなかったのか、「サプラーイズ」と言った。
「……そうか。今何時だ?」
「朝の六時だよ」
「朝の六時!? なんちゅう時間に起こしてくれてんだよ……」
体を起こすと、小さな頭痛と共に、昨日の夜の記憶がよみがえった。
「あぁ……そうか……。寝ちまったって訳か……」
明石はもういなかった。
酒も片付いているし、俺の体には毛布が掛けられていた。
「ふわぁ……。悪い、響……。水持ってきてくれないか? 冷蔵庫に入っている……」
「うん、分かった」
水を飲むと、ぼうっとした頭が、徐々に回転を始めた。
「で、お前は何故、こんな朝早くからここにいるんだ?」
「実は、司令官に話があって来たんだ。皆が居るところじゃマズイと思って……」
響は俯くと、小さく手を揉んだ。
皆が居るところじゃマズイ……。
俺は寝惚け眼を擦って、真剣な態度で響に向き合った。
「……分かった。話してみろ」
そう言ってやると、響は周りを確認し、耳打ちで俺に言った。
「司令官は……本当は『司令官』の生まれ変わりなんでしょ?」
響の目は、真剣そのものであった。
「生まれ変わり……?」
「しっ! 大きな声で言っちゃ駄目だ……! 誰が聞いているか分からない……」
再び周りを確認する響。
こいつはマジで、何を言っているんだ……?
何かのごっこ遊びか……?
「……もしかして、記憶が無いのかい? 私だよ。響だよ。司令官、思い出せない……?」
俺が呆然としていると、響はポケットから綺麗な貝殻を取り出した。
「これ、覚えてない? 司令官がくれたんだよ? 私の瞳の色と同じだって……。今も大切に持っているんだ……」
『今も』。
過去に誰かが響に貝殻をやって――。
或いはごっこ遊びなのかもしれないが――それでも、響は必死に訴えかけている。
『司令官』に。
「司令官……。自分の名前、分かる……?」
名前……。
「……いや、俺の名前は、なんだ?」
何となく、嫌な予感はしていた。
こういう時の予感は、よく当たるんだ、これが。
「――佐久間。佐久間肇だよ……司令官……」
響は、俺に肩車をさせると、そのまま海岸を歩くよう指示した。
「司令官、覚えてる? よくこうして、朝の散歩をしたんだ」
「……いや」
「そっか……。でも、きっと思い出す日が来るさ」
そう言うと、響は俺の髪の毛をわしゃわしゃと崩した。
「こら、やめろ」
「フフッ、同じ反応。やっぱり司令官は『司令官』だ」
響はずっとこの調子だった。
『司令官』に似ているとか、同じ匂いだとか――。
そんな事ばかり言われるものだから、俺は本当に『司令官』の生まれ変わりなのではないかと思ってしまう。
「…………」
本当、嫌になる。
類似点を挙げられれば挙げられるほどに、俺と奴は――。
「ねぇ司令官……」
「なんだ?」
「司令官は……今の私たちを……どう思う……?」
「どう思う……ってのは?」
「司令官は私たちに言った……。『不死鳥もやがて死ぬ。そして生まれ変わる。お前たちも同じだ』って……。『だから、生きて欲しい』って……」
不死鳥……。
「でも……私たちはまだここにいる……。司令官の『生きて欲しい』という言葉を守らずに……。司令官が死んじゃって、十数年経つけれど……私たちは……やっぱりまだ……」
響の手が、小さく震えていた。
「……怖いか?」
響は何も言わなかった。
俺は響を降ろしてやると、しゃがみ込み、視線を合わせて、手を取った。
「死ぬのが怖いか。生きるのが怖いか」
伏せられた目は、何かを思うようにして、ゆっくりと閉じられた。
そして響は、小さく頷いてみせた。
「……そうか」
死を恐れる。
思えば、皆が皆、死を恐れておるものだと思い、俺はこの島に来た。
だが、今まで関わって来た艦娘たちは、死を恐れているというよりも、別の理由があった。
純粋に死を恐れている艦娘と話すのは、実は初めての事であった。
「死んじゃうと、真っ暗な場所で、永遠に独りぼっちになってしまうらしいんだ……。とっても怖いよ……」
だが、響は顔をあげると、安心したような顔を見せた。
「けど、そうじゃなかったんだって、司令官が証明してくれた。司令官が言った通り、私達は生まれ変わることが出来るんだね」
希望に満ちた瞳に、俺は――。
「……あぁ、その通りだ」
頭をなでてやると、響は嬉しそうに笑って見せた。
自分が嫌になる。
佐久間肇の影どころか、俺自身が佐久間肇になろうとしている。
だけど――。
「司令官、手、繋いでもいいかい?」
「あぁ」
「このまま歩こう。こっちの方が、司令官の顔がよく見える」
「……そうだな」
この笑顔を――生に対する希望を崩すくらいなら、俺は――。
響を寮へと送り、鹿島に引き渡してやった。
「ありがとうございます。提督さん」
「あぁ」
「ほら、響ちゃん。朝食が出来ているから、食堂に行ってね」
「うん。バイバイ司令官」
響を見送ると、鹿島は心配そうに俺を見つめた。
「提督さん……大丈夫ですか……?」
「え?」
「なんだか、とってもお疲れのようですけれど……」
お疲れ……か。
疲れているというよりも、今は――。
「提督さん……」
鹿島は俺の手を取ると、両手でそっと包み込んだ。
「何かお悩みですか……? 鹿島でよければ――……いえ、鹿島に聞かせてください……」
その優しさは、今の俺にはよく効いた。
だが反面、ゾッとした。
その純粋さ――悪意も計算もない、純粋な心に――。
そして、それに飲み込まれそうになる自分自身に――。
「――ありがとう、鹿島。俺は大丈夫だ。それよりも、皆のところに行ってやってくれないか?」
「そうですか……? 何かあったら言ってくださいね?」
「あぁ」
手を振り、去って行く鹿島。
その姿が見えなくなると、大淀は門の影から姿を現した。
「盗み聞きとは趣味が悪いな」
「貴方だって、寮を覗いていたではありませんか……」
「フッ、そうだったな」
寮の中から、駆逐艦たちの「いただきます」の声が大きく聞こえた。
「鹿島さん、何だか貴方に入れ込んでいるように見えますけど、何を言ったのですか?」
「何を……ってのは?」
「とぼけないでください。鹿島さんがあそこまで肩入れするのは、同情するような何かがあったからです」
その正体を大淀は掴んでいるようであった。
俺に言わせたい、という訳か。
「案外、俺に惚れているのかもしれんぜ」
「明石や夕張さんなら、そうかもしれませんね」
それに、俺は何も言えなかった。
大淀の方が、役者が上であった。
「……鹿島には、俺がここにいる理由を話した。この島に来た理由をな……」
「……それは、同情するような事なのですか?」
俺は何も言わなかった。
大淀は小さくため息をつくと、退屈そうに門に寄り掛かった。
「嫌になるよ。俺は佐久間肇の影を利用し続けなければならない。あまつさえ、佐久間肇自身になることだって……」
「佐久間さん自身に……。やっぱり……響ちゃんと何かあったのですね……」
俺が驚いた表情を見せると、大淀は一枚の短冊を見せてくれた。
「これは……」
「響ちゃんの短冊です。七夕の時に、書いたものです」
短冊には「司令官が無事に生まれ変わりますように」と書かれていた。
「彼女はずっと、佐久間さんが生まれ変わり、再び会いに来てくれると信じていました。そんな中で、貴方が来たものですから……」
大淀は全てを見抜いているようであった。
「こうなると知っていたのか……」
「えぇ……」
「だったら……」
「だとして、どうなるというのですか? 知っていたところで、避けることは出来ないでしょう……。貴方と佐久間さんが、親子であるという事実のように……」
今度は俺がため息をついた。
「……どうして、佐久間さんを避けるのですか? 貴方の口ぶりから、佐久間さんを嫌っているような……恨んでいるような感じでしたが……」
「お前には関係のない事だ」
「鹿島さんにはあったのですか?」
そう言うと、大淀はじっと俺を見つめた。
「それだけの事をあいつから聞いた。等価交換だ」
「等価交換……」
「そうでなくとも、お前には、ちゃんと俺を見て欲しいと思っている。佐久間肇の影を持つ、お前だけには……」
俺も大淀をじっと見つめ返した。
永い沈黙が続く。
「……お前も」
響の短冊を見ながら、俺は呟くように言った。
「お前も、俺が佐久間肇の生まれ変わりならいいと、思っているか……?」
大淀は少し驚いた表情を見せると、どこか悲しそうな顔をして見せた。
「……いいえ。佐久間さんは亡くなりました……。人が生まれ変わることはありません……」
大淀は俯いてしまった。
「……悪い。変な事を聞いてしま――」
大淀は俺の手を取ると、俯きながら、小さく言った。
「貴方は……貴方です……。だから……」
手は、小さく震えていた。
「……お前、もしかして、俺の事を慰めてくれているのか?」
手を離すと、大淀はそのまま寮の方へと歩き出した。
「大淀」
歩みが止まる。
振り向くことはしないが、俺の言葉を待ってくれていた。
「お前も……前に進もうとしているんだな……。俺はずっと……お前は……」
「……貴方が佐久間さんに向き合い、進もうとするのなら、私もそうしようと思っただけです」
「俺が……佐久間肇に……?」
「本当に自分の信念を貫こうとするのなら、貴方は佐久間さんの事を鹿島さんに話しはしなかったでしょう……。そして、響ちゃんの為に佐久間肇になることはなかった……」
大淀は振り向き、俺を見た。
「貴方自身の為ではなく、誰かの為に向き合う……。貴方はそういう選択をしました……。きっと貴方は、そうは思わず、自分の未熟さを責めるでしょうけれど……少なくとも、私はそう感じました……。だから……私も……」
「大淀……」
「何も言わなくでください……。もし、私が進むことを応援したいと思うのなら……」
遠くで、ウミネコが一斉に飛び立った。
重さんの船が、物資を届けに来たのだろう。
「対応をお願いします……」
「あぁ……」
大淀は再び寮へと歩みを進めた。
俺は、その後ろ姿をいつまでも見つめることしかできなかった。
物資を運び終わり、家路につくと、何やら家の中からいい匂いがしていた。
「そういや……朝食まだだったな……」
鳳翔とかが心配して、来てくれているのだろうか
そう思い台所へ向かうと――。
「お帰りなさい。ずいぶん遅かったのね。朝食、まだでしょう?」
「陸奥……?」
陸奥は、裸エプロンの姿――とまでは流石にいけなかったのか、エプロンの下に水着を着ていた。
「なぁに? そんなに見つめて。こういうのが好きだった?」
そう言うと、陸奥はエプロンをぺらりと捲った。
「……朝食を作ってくれているのか?」
「私が朝食、って言ったら?」
挑発する陸奥を尻目に、コンロの方を覗くと、鮭が焼かれていた。
「美味そうだ」
「……もうちょっとで出来るから、座って待っていて」
つまらなそうに口を尖らせる陸奥。
居間へ向かうと、案の定、青葉が居た。
「あ、おはようございます!」
「……おう」
茶碗の数を見る限り、皆で食おうという訳か……。
「ありゃどういうことだ? まさか、胃袋から掴もうって腹か?」
「さあ? 青葉は、決定的な瞬間をカメラに収めようとしているだけです」
そう言うと、青葉はカメラを取り出した。
「……そうか。そういや、お前とこうして話すのは初めてだな」
「そうですね」
「元海軍のスパイ、だって聞いたぜ。どうしてまたこんなことを?」
それを聞いて、青葉は表情を曇らせた。
「スパイ……ですか……。別に青葉は、誰の味方でも無かったのですけれどね……」
そういうと、青葉は縁側からの景色に目を向けた。
その横顔は、どこか――。
「ねぇ、長いお皿ってどこにあるのかしら?」
台所と居間を区切る暖簾から、陸奥が顔を出した。
「あ? 長いお皿?」
「さんま皿みたいなやつよ」
「あぁ、ちょっと待ってろ。確か……」
ふと、青葉に視線を戻す。
先ほどの横顔はもう無くて、ただカメラを構えていた。
「ねぇ、早くしてくれない? 焦げちゃうわ」
「だったら火を止めればよかろう」
朝食は、鮭を焼いたものと、味噌汁、鳳翔が漬けたという漬物に、支給品のヨーグルトであった。
「どう、美味しい?」
「あぁ」
「でしょう? お姉さん、ソッチだけじゃなくて、コッチもいけるの」
「フッ、何がソッチコッチだ。ただ鮭を焼いただけだろうに」
「味噌汁だって作ったわ」
「味噌汁なんぞ、味噌を突っ込んで火にかけりゃ誰にでもできる」
「……冷たい人」
ふん、と鼻を鳴らす陸奥。
その様子を見て、小さく笑う青葉。
「ちょっと青葉、何がおかしいのよ?」
「す、すみません!」
「もう……。本当、貴方って何なのよ? 普通、お姉さんがこんな格好で料理していたら、食べちゃうのが男ってものでしょう?」
「料理をか?」
「私を、よ」
「んなことするか……。そもそも、俺にその気があったとして、誰かに見られながらってのは、俺の趣味じゃないのだがな」
そう言って青葉を見る。
「青葉が居なかったら、手を出す可能性があるって事?」
「趣味じゃないってだけだ」
「なら、どうしたら――」
ふと、陸奥の口の付近に、米粒が引っ付いているのが見えた。
「陸奥、口の付近に米粒が付いているぜ」
「え? やだ、どこ?」
「右右」
「え? こっち?」
「違う、こっちだよ」
そう言って、米粒を取ってやろうと手を伸ばした時であった。
「やっ……!」
俺の手は、陸奥に触れる前に叩かれた。
青ざめる顔。
怯える様な瞳。
「む、陸奥……?」
「あ……ご、ごめんなさい……」
小さく震える体。
「……なんだ、手を出せと言うくせに、触れられるのは嫌なのか?」
揶揄うように言ったが、陸奥は怒るでもなく、ただ茫然としていた。
「お、おいおい……。大丈夫か? お前、なんだか……」
「……ごめんなさい。私……ちょっと……」
「え? あ、おい!」
陸奥はおもむろに立ち上がると、そのまま家を飛び出していった。
「行ってしまった……。一体何だったんだ……」
青葉に目を向けると、その表情は、悲しみに包まれていた。
「青葉」
「ふぇ!? あ、はい……なんでしょうか……」
「陸奥、行ってしまったぜ。追いかけなくていいのか?」
「あ……はい……。そうですね……。追いかけなきゃ……」
立ち上がる青葉。
だが、立ち上がるだけで、青葉はその場に突っ立っているのみであった。
「青葉?」
そして、しばらく俺を見つめると、何か言いたげに口をモゴモゴさせて、結局何も言わずに陸奥を追いかけていった。
「…………」
その日の夜は、武蔵がやって来た。
「陸奥にトラウマ?」
「あぁ、あいつに手を差し伸べた時、何やら怯えているようだったから、何かあるのではないかと思ってな」
武蔵は俺の膝を枕にして、視線を送った。
「特に聞いたことはないな。むしろ、ある方がおかしいと思えるくらいだが」
「と言うと?」
「陸奥は、誰に対しても大人の余裕を見せている。取り乱すところを見たことが無いし、むしろ、陸奥のペースに取り乱されることがあるくらいだ」
だが俺は、陸奥が取り乱す姿を知っている。
「そうか。青葉は何か知っていそうだったが……。あいつらは長いのか?」
「いや、昔から仲が良かったわけじゃない。この島に長くいた佐久間肇という男が死んでから、この島には何人もの男がやって来ては、すぐに去って行った時期がある。その頃からかな」
「ハニートラップが多発した時期か」
「いつの間にか仲良くなっていたよ。何をするにも一緒だった。この島に人が来なくなってからは、一緒に居るところを見るのは少なくなったが、最近になって、また復活したようだな」
俺が――人間が来ると復活する仲……か……。
「ハニートラップの為のビジネスパートナーって感じか」
「そうかもしれないな。なんだ貴様、陸奥や青葉までも懐柔しようと言うのか?」
「懐柔ってお前……」
「懐柔だろう。あの鹿島ですら、貴様には協力的だ。この武蔵にしてもそうだ」
そういうと、武蔵は俺の手を取り、自分の頭に乗せた。
「陸奥や青葉を懐柔するのは構わないが、この武蔵との時間を疎かにするのだけはやめてほしい。最近だと、夕張や明石、駆逐艦や鹿島などに時間を取られて、こうして過ごす時間が少なくなっているように思う」
「だから、こうして時間を作ってやっているだろうに。今日だって本当は、お前が「甘えたい」と言い出さなければ、駆逐艦と花火でもやろうと思っていたんだぜ」
「そうだったのか。言ってくれればよかったものを」
「言ったところで、今日が先延ばしになるだけだ。済ませるうちに済ましたいと思ってな」
「嫌々やっている、と言いたいのか?」
「かもな」
武蔵は、しゅんとしてしまった。
こういう表情も、二人の時にしか見せないものであった。
「フッ、冗談だ。お前のそんな表情が見れるんだ。嫌々というには、少し贅沢過ぎる」
「……ならさっさと撫でたらどうなんだ」
拗ねる表情も、また――。
「お前が今までどれだけ頑張って来たか、分かっているつもりだし、労ってやりたいとも思う。だが、これから色々と動かなきゃいけない。なるべく時間は取るつもりだが……」
頭を撫でてやると、武蔵は眠たそうな瞳で、「分かっている」と言った。
「ちょっと我が儘を言いたかっただけだ。そして、それを聞いてくれる人がいる安心を確かめたかったのだ……」
そう言うと、武蔵は目を瞑り、やがて寝息を立てた。
「安心……か……」
武蔵がそうだったように、陸奥にもまた、何か安心できないことがあるのだろうか。
翌日も響に起こされ、海辺を散歩した。
「司令官、何か思い出したかい?」
「いや……」
「そっか……。時間はたっぷりある。ゆっくり思い出そう」
どうやら響は、記憶が――『司令官』の記憶が俺に宿っているのだと、信じているようであった。
響を寮へ送ると、やはり大淀が出て来た。
「響ちゃん、どうですか……?」
「記憶の事を言われた。佐久間肇の記憶が俺に眠っていて、それを呼び起こそうとしているらしい」
「そうですか……」
「このまま、思い出せない……というスタンスで居続けるのもいいが……限界があるだろう。いつか響に、現実を見てもらわなきゃいけない時が来る……」
「今は、そのタイミングではないと思います……。もう少し様子を見た方がいいでしょう……」
「やはりそう思うか」
「えぇ……」
そう言うと、大淀は一冊の分厚い手帳のようなものを俺に手渡した。
「これは?」
「佐久間さんと私が毎日つけていた、『記録』の一部です」
「『記録』?」
「私と佐久間さんが、一日の活動をお互いに報告するためにつけていたものです。まあ、交換日記のようなものだと思ってください」
交換日記。
「それには、響ちゃんと佐久間さんが、どのようにして毎日を過ごしていたのかが書かれています。参考になればと、持ってきました」
やけに協力的になった大淀に、俺は少し不安を抱いていた。
だが、それを見抜いてか、大淀は付け加えるように言った。
「響ちゃんには、貴方が佐久間さんではないことを徐々に気付かせる必要があるかと思います。その為には、貴方は佐久間さんに向き合う必要がある。佐久間さんとは違う自分を見せる必要がある。その為の物です」
「佐久間肇と響が、共に築いてきた関係を否定するように、俺が振る舞えばいいという事か」
「そうです。そして、貴方は貴方としての魅力を響ちゃんに魅せる必要があります。佐久間さんを忘れることが出来るくらいの魅力を……」
そこまで言うと、大淀は俯き、黙り込んでしまった。
「大淀……」
『記録』を受け取る。
「ありがとう大淀。そこまで考えてくれていたのだな」
「貴方が佐久間さんに向き合うというのなら……」
大淀は顔をあげ、俺の顔をじっと見つめた。
「……初めて俺を俺として見てくれたな」
「いえ……まだです……。私はまだ……あの人の事を忘れることが出来ていません……。貴方に協力したのだって、貴方の前に進もうとする姿に、佐久間さんを感じたからです……。もう一度、佐久間さんと過ごしたあの日々を取り戻す様に、貴方に協力しているのです……」
そう言うと、大淀は顔を背けてしまった。
「すみません……」
俺は胸ポケットに入っていた小さなメモ帳を取り出し、それを大淀に渡してやった。
「これは……?」
「『記録』だ」
「え?」
「お前が佐久間肇としたように、俺もお前と『記録』をつける。今はそれしかないが、次回までにはちゃんとしたものを用意するつもりだ」
「『記録』を……。でも、それだと……」
「あぁ、佐久間肇の真似事になる。確かにそれは癪だ。だが、それ以上に、俺はお前を知りたい。そして、俺を知って欲しいと思っている」
「私を――貴方を――?」
「佐久間肇に向き合うという事は、お前とも向き合う事だと思っている。お前にとっても、それは同じだ。響にするように、お前にも知って欲しいのだ。そしていつか、疑いの余地もないくらい――真っすぐ、俺を見て欲しいと思っている」
大淀はメモ帳を胸に当てると、祈るように目を瞑った。
「俺も向き合う。だから、お前も俺に向き合ってくれ。頼む……」
そう言って頭を下げると、大淀は何やらメモ帳に書き込み、そして、俺に手渡した。
メモ帳には――いや、『記録』には、小さく、『雨宮慎二と記録を付け始めた』と書かれていた。
「佐久間さんとの初めての『記録』を付けた時も……何を書いていいのか分からなくて……そう書きました……」
「……なんて返って来たんだ?」
「ただ一言です……。『これからよろしくな』って……」
大淀は再び、俺をじっと見つめた。
「……なら、そうは書けないな」
「書くつもりだったのですか?」
「かもな」
そう言ってやると、大淀は小さく笑った。
俺も、同じように。
「大淀さ~ん、朝ごはんの準備が出来たよ~」
遠くで、駆逐艦が大淀を呼んでいた。
「呼んでるぜ」
「えぇ。では……また……」
「あぁ、『また』な」
大淀は視線を外すと、振り返ることもせず、寮の方へと戻っていった。
「…………」
いつか、振り向いた時には、きっと――。
家に帰り、大淀から渡された『記録』に目を通した。
「響と佐久間肇の関係……」
『記録』には付箋が貼ってあり、そのページが響関連であった。
『――年――月――日
陽も出ぬ朝方に、響がやって来た。
暁、電、雷を失う夢を見たとのことであった。
夢とはいえ、酷く怯えている様子で、響を落ち着かせるために、肩車をして、浜辺を散歩した。
今は落ち着いている様子だが、またいつ取り乱すか分からない。
大淀からも気にかけてやってくれ。』
その文章の下に、大淀の字で『分かりました。また腰を痛めない様に、気を付けてくださいね。』と書かれていた。
他のページを見てみる。
『――年――月――日
今日も響はやって来た。
どうやら懐かれてしまったらしい――』
『本当、子どもから好かれる人ですね。最近はずっと駆逐艦にばかり構っておられるので、皆さん、提督をとられたのだと嘆いていましたよ。時々でいいので、皆さんともコミュニケーションを取ってくださいね。もちろん、私とも……なんて。』
『――年――月――日
何かに影響されたようで、響が死について聞いてきた。
死ぬのが怖いと震えていたので、響が戦時中に「不死鳥」を呼ばれていたのを引き合いに出して――何とか落ち着いて貰った。
艦娘の「死」と、人間の「死」には、大きな差がある。
人間の死は、いずれ訪れるものだが、艦娘にとっての死とは、「選択」だ。
「死」を選択するのではなく、「生きる」という事を選択するように考えて欲しいと、俺は思っている。
不死鳥のように、炎に身を焦がす「選択」を経て、艦娘は人へと蘇る……って、映画の宣伝文句のようになってしまった。』
『素敵な宣伝文句だと思います(笑) 提督には、その選択をさせるだけの実力と人望があります。明後日に島をでる――さんも、提督に背中を押されたって、仰っておりました。感謝しているって。私も早く、島を出てみたいです。期待していますよ。提督。』
響と佐久間肇の関係も然ることながら、大淀と佐久間肇の関係もまた――。
「…………」
佐久間肇。
艦娘と人間の対立を招いた『戦犯』と呼ばれた男。
だが、この『記録』には――。
少なくとも、佐久間肇に導かれて島を出た艦娘たちは――きっと――。
「それでも……俺は……」
ふと、庭の方で何者かの気配を感じた。
「誰かいるのか?」
しんとする庭。
返事がないので、縁側に出て庭を覗いてみると、そこには青葉が居た。
隠れるように座って。
「あ……」
「……そんなところで何をやっているんだ?」
青葉は何やら焦った表情で、すっと立ち上がった。
そして、俯き、もじもじと手を揉み始めた。
「陸奥は……来ていないようだが、お前ひとりか? 何をしに来た?」
青葉は答えず、何か言いたいことがあるのか、口を開いたり閉じたりしていた。
この様子……まるで……。
「……お前、俺に何か言いたいことがあるんだな?」
青葉は何も言わなかった。
ただ、図星だというように、体を強張らせた。
「話にくいことなら、お前が話せるようになるまで、待っていてやる。だから、焦らず、お前のタイミングで話してほしい」
そう言って、青葉を縁側に座らせた。
「そうだ。何か食うか? 重さんが色々持ってきてくれてな。菓子は好きか? 持ってくるから、ちょっと待ってろ」
台所へ向かおうとする俺を青葉は止めた。
袖を小さく掴んで。
足を止め、青葉に向き合った。
「……話す気になったか?」
青葉は小さく頷くと、深呼吸をして、俺の顔をじっと見つめた。
そして、言った。
「貴方を司令官の……佐久間さんの息子さんだということを見込んで……お願いがあります……」
「え……?」
今、こいつ……。
青葉は、さも当たり前のように続ける。
「救ってほしいのです……」
「救う……? 誰を……?」
「陸奥さんです……。陸奥さんを……救ってほしいのです……。心の支えになって欲しいのです……。佐久間さんがそうだったように……佐久間さんの息子である……貴方にも……」
雲に隠れていた太陽が顔を出し、俺の背後に影をつくった。
大淀の持ってきた『記録』が、その影の中へと沈んでゆく。
溶け込むように。
同化するように。
俺という存在を――否定するように――。
――続く