不死鳥たちの航跡   作:雨守学

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第5話

あの島にいては、いつか彼の事を忘れてしまう。

彼の代わりが来て、再び沼に足を取られてしまう。

そう思って、ボクは島を出ました。

彼を忘れないために。

彼を想い続けるために。

彼を愛し続けるために。

この小説も、その一環でした。

いつか彼に、この小説を読んで欲しいと思っています。

ボクの師であり、ボクの初恋の人――佐久間先生に――。

 

『最上 作『遺船』――受賞インタビュー』より

 

 

 

 

 

 

『不死鳥たちの航跡』

 

 

 

 

 

 

陸奥さんは、青葉なんかとは決して釣り合う事のない存在でした。

強くて、凛々しくて、どんな事にも対応出来て――まるで、太陽のような存在でした。

青葉は、それに照らされて出来た影のようなもので――。

とにかく、今のように隣に立つなんてこと、一生ないと思っていました。

 

 

この島にまだ多くの艦娘が居た頃の事です。

信じられないかもしれませんが、私達艦娘にも、人に娶られることを期待する風潮がありました。

わざわざそれを待つ艦娘もいたくらいです。

人側もその事を承知しているのか、婚活気分でこの島に訪れる方が多かった印象です。

当然、そんな気分で来ているものですから、スキンシップも過激なものが多くて……。

娶りを期待していた艦娘からしたら、好意的なスキンシップになるのでしょうけれど、死を恐れている艦娘や、人を嫌っている艦娘などからしたら、ただのセクハラでしかありませんでした。

そんなスキンシップ……いえ、セクハラをされることの多かった艦娘は、他でもない陸奥さんでした。

 

「陸奥、お前、こんなにいい体をしているのに、どうして島を出ないんだ?」

 

「やんっ! もう、火遊びはだーめ。私、紳士的な男の人が好きなの。素敵な人が来るまで、この島に残ろうと思って」

 

「俺も紳士的だぜ。ベッドの上ではな」

 

「何言ってるのよ。ほら、駆逐艦たちと遊ぶ時間よ。私も用事があるから。じゃあね」

 

他の艦娘と違って、陸奥さんはセクハラに対するかわし方が上手でした。

どんなセクハラにも動じないし、自分を犠牲にして他の艦娘を守ることもしていました。

強くて、頼りがいのある美しい女性。

けれど、そんな陸奥さんも、一人になると――。

 

「うぅ……ぐす……」

 

誰もいない備蓄庫の裏で、よく泣いていました。

青葉だけです。

その事を知っていたのは。

けれど、青葉は何も出来ませんでした。

青葉にどうこう出来るものじゃないと思っていましたし、青葉ごときが関わっていい事ではないと思っていました。

青葉はただ、誰の味方をするわけでもなく、仕事をこなすだけでした。

 

 

やがて陸奥さんは、人を避ける様になりました。

しかし、その頃になると、陸奥さんは『高嶺の花』であると認識され始めたのか、そもそも近づこうとする男の人が少なくなっていました。

優しい方も多かったのですが、そう言う人に限って陸奥さんと接することはしませんでしたから、『セクハラをしてくる存在』という、陸奥さんの持つ人間のイメージが変わることはありませんでした。

 

 

そんなある日の事です。

一人の男が出向してきました。

 

「佐久間肇だ。よろしく」

 

最初は、なんてことない、普通の人だと思っていました。

どうせまたすぐにいなくなる。

そう思っていました。

けれど、いつまで経っても、佐久間さんが島を出ていくことはありませんでした。

それどころか、今まで人間に心を開かなかった艦娘たちが、次々と佐久間さんの虜になってゆくのです。

そしてとうとう、島を出る艦娘まで現れました。

娶りなどではなく、彼の言葉を以って――。

 

 

「隣、いいか?」

 

一人で昼食を摂っている青葉に、佐久間さんが話しかけてきました。

 

「……どうぞ」

 

「ありがとう」

 

佐久間さんと話すのは、これが初めてでした。

避けていたつもりはなかったのですが、青葉から近付くことはしませんでしたから――。

 

「お前が海軍に送っているという情報、見たよ。新聞になっているやつ」

 

「恐縮です……」

 

「ありゃ、一人で書いているのか?」

 

「えぇ……まあ……」

 

「そりゃ凄い。あんな面白いものを一人で。大したもんだ」

 

嬉しくはありませんでした。

どうせ、適当な事を言っているのだと思ったから……。

 

「だが、もっと華やかな方が受けると思うぜ。例えば、絵をいれてみるとか」

 

「絵……ですか……」

 

「もし描けないのなら、写真はどうだ? 写真なら、皆の顔も撮れるし、お前のルポルタージュ的な記事にも合うと思うんだ」

 

「でも……カメラなんて……」

 

「俺が用意する。だから、やってみないか?」

 

「はぁ……」

 

「よし、決まりだ。すぐに手配するから、お前も記事の構成を考えておいてくれ」

 

そう言うと、佐久間さんは足早に去って行きました。

カメラなんて、絶対に無理だと思いました。

そんな高額な物を海軍が支給するわけありません。

ましてや、青葉の新聞の為なんかに――。

けど、あの人は――。

 

「ほら」

 

「う、嘘……。こんな高そうなカメラ……。どうやって……」

 

「まあ、細かいことはいいじゃないか。早速使ってみたらどうだ?」

 

後になって分かったのですが、どうやら佐久間さんが自ら購入したもののようでした。

 

「駆逐艦が新しい遊びを思いついたらしい。それを記事にするのはどうだろう?」

 

「え……あぁ……はい、いいと思います……」

 

「それじゃあ、早速、取材と行こう」

 

「え?」

 

「現地の声を拾いに行く。それがルポライターの仕事だ。写真、しっかり頼むぜ。交渉は俺に任せろ」

 

「あ、ちょっと!」

 

初めてでした。

人の手を握ったのは。

大きくて、温かい手でした。

あの時の温もり――そして、青葉の手を引く佐久間さんの大きな背中は、今でも忘れられません。

 

 

それから青葉の新聞は華やかになっていって、海軍だけではなく、艦娘たちにも新聞がいきわたるよう、佐久間さんが手配してくれました。

そのおかげで、今まで青葉とは関わりがなかった艦娘たちも、青葉に話しかけてくれるようになりました。

それが、佐久間さんの狙いだったようです。

日陰者の青葉を太陽の下に連れ出すための――。

今の青葉があるのは、佐久間さんのお陰なのです。

――あ……すみません……。

陸奥さんの事を話していたのでしたね……。

いつの間にか、青葉の事を……。

 

 

陸奥さんは、佐久間さんが来る頃には、人に対して完全に心を閉ざしていました。

普段のふるまいを見せてはいても、決して佐久間さんには近づきません。

佐久間さんから話しかけようとしても、何かと理由をつけては、避け続けていました。

その理由を佐久間さんは気が付いているようでした。

 

「陸奥、お前も一緒にどうだ? 人生ゲームっていうんだ。面白いぜ」

 

「陸奥、ちょっと手伝ってくれないか? 人手が足りないんだ」

 

「陸奥、同僚からマニキュアを貰ったんだが、お前にやるよ。きっと似合うぜ」

 

それでもあえて、佐久間さんは陸奥さんに近づいていきました。

最初こそ警戒していた陸奥さんも、徐々に佐久間さんに慣れていきました。

心を開きつつある陸奥さん。

きっと、あと数日もあれば――。

でも――。

 

 

佐久間さんが亡くなって、陸奥さんは再び塞ぎ込んでしまいました。

そして追い打ちをかける様に、出向してきた人たちによるセクハラが再開しました。

 

「うぅ……うぅぅ……」

 

青葉はまた、陸奥さんが涙するところを見てしまいました。

けど、昔と違って、ただ見過ごす訳にはいきませんでした。

佐久間さんがそうしたように、青葉も陸奥さんを救いたいと思いました。

もう、見て見ぬふりは、青葉には――。

 

 

手始めに、セクハラの現場を写真におさめました。

セクハラに苦しむ艦娘の声を聴き、記事にしました。

その記事を見て、海軍は、セクハラの情報を隠蔽しようとしましたが、既に島を出ている元艦娘たちによって、それは阻止されました。

結果として、セクハラをしていた人たちは、懲戒免職処分されました。

 

 

この頃になると、島を出たくない艦娘が多かったので、青葉の行動は大いに称賛されました。

不祥事を報告するだけで、人間を追い返すことが出来る。

この事が、人と艦娘の関係の全てを変えました。

 

 

最初は、人の行動に目を光らせるだけでした。

けれど、徐々に不祥事を起こさせるように仕掛け始めて――最終的には、『ハニートラップ』が手軽だと、気が付いたようでした。

味を占めた島の艦娘たちは、成功率をあげるべく、陸奥さんに協力を求めました。

 

「陸奥さん、お願いします! 陸奥さんの力が必要なんです!」

 

「お願いします!」

 

陸奥さんは嫌だったでしょうね。

でも、断れる雰囲気ではありませんでした。

島の艦娘を守るため……なんて言われたら……。

 

 

いつもの場所に、陸奥さんはいました。

やはり泣いていました。

いつもなら、声もかけられずに、ただ「力になれたら」って『思うだけ』でした。

でも……。

 

「む、陸奥さん……!」

 

佐久間さんのある言葉が、青葉の背中を押しました。

『助けて欲しい人がまず最初にやって欲しい事は、解決策の提案ではなくて、共感だ。だから、困っている奴が居たら、まずは話を聞いてやって欲しい。きっとそこに、理屈では語れない、本当の意味での解決策が眠っているはずだ』

青葉にしかできないことだと思いました。

こんな青葉だからこそ、出来ることだと思いました。

 

 

陸奥さんは、全てを青葉に話してくれました。

佐久間さんの言う通り、陸奥さんは共感を求めていました。

 

「誰にも相談できなかった……。皆のイメージを崩したくなかったし……期待を裏切れなかった……。失望させたくなかった……」

 

尊敬、憧憬――それら全てが、陸奥さんを苦しめていました。

 

「でも貴女は……こんな私にも声をかけてくれた……。失望せず、期待せず――ありのままの私として、受け入れてくれた」

 

陸奥さんは手を取ると、涙を流し、微笑みながら言いました。

 

「ありがとう……」

 

 

それから陸奥さんは、いつものように皆の期待に応えて行きました。

辛いこともたくさんありましたが、「青葉が居てくれるから」と、挫けず頑張ってくれました。

その甲斐あって、出向してくる人間は徐々に少なくなって行き、やがて一人も来なくなりました。

 

「陸奥さん、やりましたね」

 

「えぇ。貴女のお陰よ。ありがとう、青葉」

 

「いえ」

 

もう青葉無しでも、彼女は大丈夫だと思いました。

そう、貴方が来るまでは――。

 

 

「青葉……」

 

陸奥さんに話しかけられるのは、久々の事でした。

『ハニートラップ』が必要なくなってから十数年。

青葉は、陸奥さんと距離を置いていたのです。

青葉と陸奥さんが一緒に過ごした日々というのは、陸奥さんにとって辛いものであったはずですから――思い出させてはいけないと思って……。

 

「出向してきた雨宮って男……。とうとう鹿島まで味方につけたって……」

 

「……そのようですね」

 

「それで……私……」

 

陸奥さんはほろほろと涙を流し、俯いてしまいました。

 

「……皆に言われたんですね。あの男を追い出してほしいと……」

 

陸奥さんは小さく頷くと、これまた小さな声で言いました。

 

「怖いの……。あの武蔵までも味方にしてしまった人間だなんて……。今はいい人のように振る舞っているけれど、この先、彼が本性を現して、悪事に走り出したら……。彼を信用している艦娘も、きっとそれに加担することになって……」

 

陸奥さんが何を恐れていることは分かっていました。

佐久間さんの時も、陸奥さんは同じように怯えていましたから……。

人に信頼を置き過ぎた艦娘が、知らぬ間に人に利用されてしまう事例を青葉は知っています。

陸奥さんも、その事を恐れていたのです。

 

「でも……やらなきゃいけないわよね……。私がやらないと……。だから青葉……また私を助けて欲しいの……。貴女がいれば……私、頑張れる……」

 

「陸奥さん……」

 

「青葉……」

 

陸奥さんの華奢な手が、青葉の冷たい手を包み込みました。

 

「……分かりました。でも……」

 

「でも……?」

 

嫌なら嫌だと言った方がいい。

そう言いかけて、やめました。

嫌だといえるなら、とっくに言っているはずです。

でも、そう出来ないから、青葉なんかを頼るのだと思ったから――。

 

「……なんでもありません。分かりました。一緒に雨宮を倒しましょう」

 

「青葉……ありがとう……」

 

そして、私たちは再び手を組むことになりました。

そこからの事は、貴方の知る通りです。

 

 

 

 

 

 

青葉は全てを話し終えると、反応を確認するように、俺をじっと見つめた。

 

「つまり、救ってほしいってのは、陸奥に『ハニートラップ』をやめさせるよう仕向けて欲しいということか?」

 

「というよりも、陸奥さんの支えになって欲しいのです……。『ハニートラップ』自体をやめることは出来ません……。陸奥さんの立場もありますから……。それよりも、その負担を軽減してあげて欲しいのです……。過去に受けたセクハラに対するトラウマが、陸奥さんを苦しめています……」

 

俺はわざと大きくため息をついて見せた。

 

「失礼を承知でお願いしています……。どうか……支えになってあげてください……」

 

「……支えになったとして、『ハニートラップ』がなくならない限り、陸奥の中にある根本的な問題は、解決しないと思うがな」

 

「陸奥さんのトラウマを払拭できれば……人間の悪いイメージを払拭できれば、解決するはずです……」

 

「そこが分からん。なぜそこまでして『ハニートラップ』を続けようとする? やめさせることが出来ない……立場があるって……。なぜそこを脱却しようとしないんだ?」

 

「……この島特有の事情があるのです」

 

「その事情とやらを無くすことは出来ないのか? 『ハニートラップ』を無くさない限り、フラッシュバックは避けられないぜ。その時はどうする?」

 

青葉は、露骨に嫌な顔をして見せた。

そして小さく言った。

 

「……佐久間さんなら、何も言わずに支えになってくれたはずです。なのにどうして貴方は……」

 

佐久間肇なら……か……。

 

「まあ、俺は佐久間肇じゃないからな。それよりも、何故俺が佐久間肇の息子だと?」

 

「大淀さんと門のところでお話をされていたのをこっそり聞いていたんです。響ちゃんの件で……」

 

なるほど……。

流石はスパイと言ったところか……。

 

「佐久間さんの息子である貴方なら、きっと理解してくれると思っていました……」

 

「理解はしている。だが、それでは根本的な解決にはならないと言っているんだ」

 

「理解していません! 陸奥さんには事情があるのです……。彼女にしか背負えないものが……。それを最大限に考慮して欲しいのです……」

 

「それが陸奥の為になると?」

 

「はい……」

 

それを聞いて、厄介な奴にあたってしまったと思った。

青葉は、俺が佐久間肇の息子であること――自分たちの理解者であることを前提にしか、モノを考えられていない。

佐久間肇の手法が、中途半端に成功へと向かっていたせいで、その事例でしか解決できないと思っている。

『助けて欲しい人がまず最初にやって欲しい事は、解決策の提案ではなくて、共感だ』

それは間違っていない。

だが――

『困っている奴が居たら、まずは話を聞いてやって欲しい。きっとそこに、理屈では語れない、本当の意味での解決策が眠っているはずだ』

そうだ。

佐久間肇はそこまで行きつかなかったのだ。

だからこそ、青葉は、佐久間肇がやったように、共感――奴の言うところの『支えになって欲しい』の一点張りなのだ。

さらに、それに加え、島特有の事情とやらがある。

それが何かは知らないが、おそらく、我々で言うところの『暗黙のルール』に近いものなのだろう。

守らなければいけないという、錯覚に陥っている。

佐久間肇と錯覚――。

どちらも、あまりにも厄介な案件だ。

 

「……事情は分かった。だからこそ、協力は出来ない」

 

「え……?」

 

「お前の言う支えってのは、佐久間肇がやったことだと言ったな。だとするならば、それを再現することは得策ではないと考える」

 

「得策じゃないって……。そんな訳ありません! 現に陸奥さんは、佐久間さんのお陰で、人を信用してもいいと思い始めていたのですよ!? あんな事件が無かったら、今頃……」

 

「だが、成し得なかったのは事実だ」

 

「それは、事件が無かったら……!」

 

「佐久間肇がこの島に居たのは十年だ。お前たちにとっては少ない時間かも知れないが、俺たちの感覚からしたら、十年も一緒に居てやって、結局その程度までしか行けなかったのだと非難できるレベルだ」

 

「それほどに陸奥さんの心の傷は深いんです! そんな事も知らない貴方に……佐久間さんを非難する筋合いはありません!」

 

「俺なら半年もかからずに、陸奥を解決策へと導いてやれる。佐久間肇とは違う」

 

「何を根拠に……。出来もしないことを……!」

 

「佐久間肇の息子であることだけを根拠に行動するお前と、何が違う?」

 

青葉の表情は、見たこともないほどに怒りに満ちていた。

 

「もういいです……。貴方に相談した青葉が間違いでした……」

 

「その通りだ。お互いに不利益にしかならん。お前と協力しては、陸奥がいつまでたっても救われない」

 

「はい……?」

 

「いい加減気づけよ。お前のその考えが、陸奥を苦しめているのだと」

 

「……どういう意味ですか?」

 

「お前は陸奥を救いたいんじゃない。佐久間肇の成し得なかったことを成し得ようとしているだけだ。自分の身勝手な行動にしか目が行かず、根本的な解決策に目をやれていない。陸奥が望んでいる未来の姿に、何故気が付けないんだ」

 

それに、青葉は強く反発した。

 

「違います! 青葉は、本当に陸奥さんを……! 陸奥さんを一番、傍で見て来たのは青葉です! たった数日関わっただけの貴方に、一体何が……!」

 

「確かにそうかもしれない。だが、お前が佐久間肇に執着しているのは事実だし、陸奥が本当に望む未来に対して、お前が目を向けれていないのも事実だ。いつまでも故人に執着するのはやめろ。奴は死んだ。そして、陸奥は再びトラウマを抱えた。一時のしょうもない気休めに付き合わされ、安い希望に身を寄せて、どん底に落ちていった。これじゃあ、希望なく泣き続けていた方がマシだ。絶望の中で、微かに光る希望を手につかめず、どん底へ落ちていった奴の気持ち、お前に分かるか? 『あれほどの絶望』が――泣き続けていた方がマシだったという気持ちが、お前に分かるのかよ?」

 

「……まるでその絶望を見て来たかのような言い草ですね」

 

そう言われ、俺はハッとした。

だがそれは、見てもいないものを見たかのように言ったことではない。

自分の経験を――『あの絶望』と、この事を重ねて考えていたことに対してであった。

 

「……まあいいです。よく分かりました……。貴方に頼ろうとした青葉が馬鹿でした……」

 

「そのようだな」

 

青葉は再び俺を睨み付けると、下唇をぎゅっと噛み締めた。

その目には涙が溜まっていて、やがてあふれ出した。

 

「貴方たちが居なければ……。貴方たちが陸奥さんを傷つけなかったら……!」

 

そう言い残して、青葉は去って行った。

 

「俺たちが居なければ……か……」

 

艦娘と人間の関係。

そもそも、人間が艦娘を艦娘として受け入れることが出来たのなら――。

考えてこなかったわけじゃない。

だが、どうしようもない現実でもあった。

だからこそ、俺は――。

 

 

 

俺は一人で考えるべく、鹿島と語り合った『あの場所』へと向かった。

 

「相変わらずだな」

 

停止したままの風力発電機。

故障しているのか、それとも――。

大きな岩に座り、空と海を眺める。

遠く聞こえる波の音と、風。

感情と理屈でぐちゃぐちゃになった俺の頭の中が、リセットされるようであった。

 

「はぁ……」

 

落ち着くと共に、後悔が俺を襲った。

青葉に対して言ったことは間違いない。

だが、少し感情的になり過ぎたというか、配慮が足りなかったというか……。

話を聞く限り、『問題』を抱えているのは陸奥だけではない。

本人は否定するだろうが、青葉もそうなのだ。

青葉の抱える『問題』を解決しなければ、おそらく陸奥は――。

いや、或いは、陸奥の『問題』解決にこそ、青葉の『問題』解決策が――。

 

「……はぁ。もう分からん……」

 

そう言って空を仰いだ時、俺の両目は誰かの華奢な手によって塞がれた。

 

「だぁれだ?」

 

精一杯声を変えているつもりなのだろうが、すぐに分かった。

 

「どうしてお前がここにいるんだ。鹿島」

 

「ウフフ、正解です」

 

鹿島は隣に座ると、何やら包みを俺に渡した。

 

「朝食、まだですよね? 備蓄庫の食材が減っていないので、きっと何も食べていないんじゃないかって、鳳翔さんが」

 

包みを開けると、握り飯が二個入っていた。

それを見た瞬間、腹の虫が小さく鳴いた。

 

「よく見てるな、あいつ」

 

「それだけ、危なっかしい人って、思われているんですよ」

 

「お前もその一人って訳か?」

 

「どうでしょう」

 

何がおかしいのか、鹿島は「ウフフ」と、清楚に笑って見せた。

 

「とにかく、お腹、空いているんですよね?」

 

俺の腹を突く鹿島。

 

「……聞こえたのか」

 

「えぇ、とってもかわいい音が」

 

「……まあいい。そのとおりだ。いただくとしよう」

 

飯を食っている間、鹿島は何も言わず、その姿をじっと見つめていた。

 

 

 

飯を食い終わってからも、鹿島は何も言わず、何やら俺の言葉を待っているようであった。

 

「どうして俺がここにいると分かったんだ?」

 

とりあえずそう聞いてやると、鹿島は待っていましたと言わんばかりに目を見開き、俺を見た。

 

「実は、お弁当を持っていこうと、提督さんの家に行った時、青葉さんとのやり取りを聞いてしまいまして……。話が終わったら、提督さん、ここに向かっていたので、あとをつけて来たのです」

 

なるほど、聞かれていたという訳か。

握り飯が冷めていた事を考えると、おそらく最初から――。

 

「そうか……」

 

「陸奥さんと青葉さんの仲が良い事は知っていましたけれど、まさかあんな事情があったとは……」

 

鹿島の反応を見るに、青葉の言う通り、陸奥は青葉以外に弱みを見せなかったらしい。

 

「……陸奥さんと青葉さんの事もそうですけど、最後の方……提督さんが言った『あれほどの絶望』って……」

 

俺は何も言わなかった。

事情を知る鹿島にとっては、それが答えだった。

 

「……やっぱりそうでしたか」

 

「お前、俺と青葉のやり取りを見て、どう思った?」

 

「どう……とは……」

 

「いや、少し言い過ぎたと思ってな……。感情的になり過ぎたというか……」

 

「……やっぱり、重ねてしまいますか? 自分との境遇と……」

 

「あぁ……。だから、ちょっと感情的になってしまったのかもしれないな……」

 

「仕方がないですよ。私が提督さんと同じ立場だったら、きっと同じことを言ったはずです……。現に、最初の頃の私は、提督さんに……」

 

そう言って、鹿島は黙り込んでしまった。

俯き、何やら悔いる様な瞳に、俺は――。

 

「……それでも、今はこうしている。俺とお前がそうならば、きっと、青葉とも上手くやっていけるのかもしれない。そう思うと、少しだけ気が楽になるな。もしかして、それを気づかせるために言ったのか?」

 

「え? い、いえ……そんな意図は……」

 

「そうなのか? だが、気が楽になったのは確かだ。ありがとう、鹿島」

 

そう言って笑って見せると、鹿島は再び俯いてしまった。

 

「鹿島?」

 

「また、慰められちゃいました……」

 

「え?」

 

「今の……私を慰めるために、言ってくれたんですよね?」

 

俺はとぼけようとしたが、見透かされているのが分かって、ただ頭を掻いて見せた。

 

「本当は私が、提督さんを慰めるつもりだったのに……。駄目ですね……」

 

「なに、別に俺は――」

「――私は」

 

俺の言葉をかき消す様に、鹿島は言葉を重ねた。

 

「私は、提督さんが私にしてくれたように、提督さんの抱えているものを共有したいのです……。けど、提督さんは優しいから……私に背負わせまいと、いつもなにもなかったかのように笑って、私を遠ざけますよね」

 

「遠ざけているだなんて……」

 

「昨日の事もそうです。何か悩みがあるのかと聞く私に、提督さんは何もないと答えました……。でも、あの後、大淀さんと何か話していたのを私は見ていました。青葉さんも言っていました……。大淀さんとの会話を聞いたと……。響ちゃんの件だと……」

 

何と言ったらいいのか分からず、俺は黙り込む事しかできなかった。

 

「響ちゃんの件が、どんなことなのかは分かりません。でも、昨日の提督さんのあの顔をつくったのは、きっとその事なのだろうと思います。大淀さんには話せて……私には話せませんか……?」

 

「いや……そういう訳ではない……」

 

「じゃあ、どうして私を避けるのですか? 私は……鹿島は、提督さんのお力になりたいのです。大淀さんほど優秀じゃないことは確かです。でも、守られるだけなのは嫌です! 私の罪を一緒に背負ってくれるというのなら、私にも、貴方の悩みを背負わせてください……。お願いします……!」

 

真剣な表情であった。

嘘偽りのない感情――。

その真っすぐな感情が、俺にとっては――。

 

「提督さん……」

 

「……そうか。お前の気持ちはよく分かったよ。確かに、俺はお前に話さなかった。昨日のこともそうだし、正直に言えば、青葉や陸奥のことも、話すつもりはなかった」

 

「え……」

 

「だが、聞いてくれ。それには理由があるんだ」

 

「理由……ですか……?」

 

「あぁ……」

 

鹿島は俺に向き合うと、真っすぐと目を見つめた。

 

「教えてください……。その理由を……」

 

その姿勢に、俺は思わず尻込みしてしまった。

 

「提督さん?」

 

「い、いや……本当、大した理由ではないから、そんな真剣に聞いてもらわなくてもいいんだが……」

 

「いえ! 提督さんにはそうかもしれませんが、私にとっては重要なことです! ですから、お願いします! 教えてください!」

 

息巻く鹿島。

俺は少し躊躇しながらも、その理由を語った。

 

「分かった……。正直に言って……」

 

「はい……」

 

「正直言って、お前のその優しさが……その……俺によく効くというか……」

 

「え?」

 

「困惑するんだ。普通、優しさってのは裏がある。だけど、お前のは真っすぐすぎて……。そういう純粋な気持ちってのに、俺は慣れていないものでな……。自分を見失ってしまう気がするというか……」

 

「困惑……ですか……?」

 

「お前は、俺が今まで会ってきたどんな奴とも違う。だから、時々、お前の優しさを怖いと思うことすらあるんだ。そんな純粋な優しさ、体験したことがないものだから……」

 

ようやく意味が分かったのか、鹿島は複雑な表情を見せた。

 

「とにかく、悪意があってだとか、信用がないから、お前に話さないのではない。俺自身、お前の優しさに慣れていないものだから、頼ることも躊躇っているだけだ。その純粋な――損得の見えない感情に……」

 

鹿島はどんな呆れた表情を見せるものかと顔を覗いてみると、予想に反して、真剣な表情を見せていた。

 

「なら、鹿島が純粋なのではなく、不純だと分かれば、私を避けないでくれますか……?」

 

「え?」

 

鹿島は俺の手を取ると、その手を自分の胸に宛てがった。

その顔は、真っ赤に染まっている。

 

「純粋無垢な女だと思っているかもしれませんが、そんなことはありません! 私だって、不純な気持ちを持つことだってあります!」

 

「え……?」

 

「私だって、男の人とキスしてみたいだとか、その……え、えっちな事をしてみたいとか、思ったりします……! そういう妄想をしたこともありますし……一人で……あの……その……そ、そういう……練習……だって、したことあるんです……!」

 

「か、鹿島……?」

 

「提督さんの力になりたい気持ちだって、純粋ではありません! 私がそうしたいだけですし、もっともっと、提督さんと関わっていきたいという、私の――!」

 

「わ、分かった分かった! 分かったから、とりあえず落ち着け!」

 

手を離さんとする俺に対し、鹿島は更に詰め寄った。

 

「嘘です! そう言う時の「分かった」は、分かっていない証拠です!」

 

ハイになっているのか、鹿島は我を忘れているようであった。

 

「本当に分かった! だから、とりあえず手を離してくれ!」

 

「離しません!」

 

「いや! 胸にあたってるんだよ! セクハラになってしまうから!」

 

「構いません! なんなら、私を抱いてくれたっていいんですよ!?」

 

「抱くってお前……!?」

 

そんな事ですったもんだすること数十秒。

それは突然、終わりを告げることとなった。

 

「ちょ、鹿島、あぶな……うわ!?」

 

「きゃあ!?」

 

鹿島があまりにも迫るものだから、仰け反った俺は、岩の上から落下したのだった。

鹿島諸共……。

 

「いってぇ……」

 

「うぅん……。あ……て、提督さん!? 大丈夫で……す……か……」

 

「あ、あぁ……大丈――」

 

目を開けると、覆いかぶさるように倒れ込んで来た鹿島の顔が、異様に近くにあって、俺は思わずドキッとしてしまった。

 

「……大丈夫だ。だから、その……とりあえず……俺の上から退いてもらっていいか……?」

 

そう言ってやっても、鹿島は何も言わず、何やらただじっと、俺の瞳を見つめるだけであった。

 

「鹿島……?」

 

その瞬間――。

それは、あまりにも唐突であったものだから、俺は抵抗することも出来なかった。

そして、時間が止まったかのような――永い永いものであった。

 

「――……」

 

ゆっくりと唇を剥がす鹿島は、燃えてしまうのではないかというほどに顔を赤くすると、小さく言った。

 

「これで……分かってくれましたか……? 私が……純粋ではないって……」

 

否定のしようもなかった。

 

「あ……あぁ……」

 

鹿島は俺の胸に手をあてると、どこかホッとした顔を見せた。

 

「良かった……」

 

「え……?」

 

「ドキドキしているの……私だけじゃなかったんですね……」

 

安心した……というよりも、無理にでも自分を落ち着かせようというような、そんな笑顔であった。

 

「……やり過ぎだ」

 

「……こうでもしなければ、納得していただけないかと思いまして」

 

「だとしても、そこまでの事じゃなかっただろ」

 

そう言ってやると、鹿島は黙り込んでしまった。

 

「……とりあえず、退いてくれるか?」

 

 

 

仕切りなおす様に、再び岩の上に座ったものの、俺たちに会話はなかった。

 

「…………」

 

鹿島は、思い出すかのように目を瞑ったり、悔いる様に下唇を噛んだりしていて、何やら色々な感情と戦っているようであった。

 

「ファーストキスだったんだぜ」

 

和まそうと言ったつもりであったが、鹿島は申し訳なさそうに俯いてしまった。

 

「あぁ、いや……責めるつもりで言ったんじゃない。だた、場を和まそうと言っただけで……」

 

そう聞いても、鹿島は俯くことを止めなかった。

 

「…………」

 

どうしたもんか……。

再び、永い沈黙が訪れる。

 

「あの……」

 

沈黙を切ったのは、鹿島であった。

 

「ごめんなさい……。私……ちょっと……気が変になっていて……その……」

 

膝を抱える鹿島。

申し訳なさと恥ずかしさが混在しているといったような、そんな表情であった。

 

「あぁ……まあ、ハイになっていたしな……」

 

「本当にごめんなさい……。嫌……でしたよね……」

 

それに、俺は少し答えを躊躇ってしまった。

良いという訳ではないが、嫌という訳でも――。

 

「……よく分からなかった」

 

自分でも変な答えであるとは思ったが、そう言うしかなかった。

 

「まあ、とにかく……お前の本気度はよく分かった。今まで、相談しなかったことを詫びるよ。すまなかった……。これからは、お前を避けないし、ちゃんと相談するよ」

 

頭を下げると、鹿島はあたふたし始めた。

 

「そ、そんな……。頭をあげてください……。私が不甲斐無いせいというか……そもそも、提督さんが誰に相談するのかなんて、提督さんの自由ですし……。ただ私が我が儘を言ってしまっただけなんです……。だから、謝るのは私の方です……。ごめんなさい……」

 

そう言って、鹿島も頭を下げた。

このままでは埒が明かない。

そう思って、俺は頭をあげた。

 

「じゃあ……まあ……お互いさまって所で、手を打とうじゃないか」

 

そう言ってやっても、鹿島は頭をあげなかった。

 

「いえ……そう言う訳にはいきません……。私は……我が儘を言ったばかりではなく……提督さんの唇を……」

 

俺はふと、そのシーンを思い出し、ドキッとしてしまった。

あの柔らかい感触――。

 

「俺があまりにも納得しないものだから、そうさせてしまったんだ。むしろ、俺が悪い」

 

「でも――」

「――この話はもうおしまいだ」

 

鹿島は反論しようと顔をあげたが、俺の顔を確認すると、閉口した。

そして、顔を真っ赤に染め上げると、伏し目がちに小さく言った。

 

「……ファーストキスって言うのは、本当なんですね」

 

太陽が厚い雲に隠れ、冷たい風が吹いた。

だが、俺の顔は、まるで太陽に焦がれたかのように、いつまでも冷めることを知らないでいた。

 

 

 

しばらく変な雰囲気に飲まれていた俺たちだが、お互いに何とかしようと当たり障りのない話題を振り続けていたお陰もあって、何とか平静に戻ることが出来た。

 

「はぁ……。なんか汗かいちゃいました……。こんなにドキドキしたの……初めてですよ……」

 

俺もだ……とは言えなかった。

だが、鹿島は分かっているのか、意味ありげに微笑みを見せていた。

 

「でも、結果として良かったです。これからは、ちゃんと鹿島に向き合ってくれるんですよね?」

 

「そうせざるを得ないだろうな。あんな事されたら」

 

そう言ってやると、鹿島は恥ずかしそうな表情を見せた。

 

「冗談だ。これからはちゃんと向き合うよ。今まで、お前の気持ちを無下にして、悪かったな……」

 

「提督さん……」

 

「俺も、お前の力になれるよう、頑張るよ。こんな俺だが……これからも支えてくれるか……?」

 

手を差し伸べると、鹿島は涙ぐんだ瞳に笑顔を乗せて、俺の手を力いっぱい握り返した。

 

「――はい! もちろんです! これからも、精一杯、提督さんの為に尽くします! うふふ」

 

本当、こいつの笑顔を見ると、俺は――。

 

「ありがとう。それじゃあ……早速で悪いのだが、鹿島、お前の力を貸してほしい」

 

涙を拭うと、鹿島は逞しい表情を見せた。

 

「陸奥さんと青葉さんの事、ですよね」

 

「あぁ、そうだ。陸奥と青葉、両方の抱える問題を何とかしたい」

 

「それなのですが、私に考えがあります。陸奥さんの『ハニートラップ』をやめさせる方法です」

 

「陸奥に『ハニートラップ』を? そんな事出来るのか?」

 

「えぇ。名付けて『目には目を作戦』です」

 

「目には目を作戦……」

 

「尤も、この作戦には、皆さんの協力も必要ですし、提督さんのお財布にも、協力してもらわなければいけませんが……」

 

そう言うと、鹿島は作戦の説明を始めた。

 

「――という訳です。陸奥さんの『ハニートラップ』が無くなれば、青葉さんの問題も一緒に片付くかと思います。どうでしょう……?」

 

不安そうにこちらを見つめる鹿島。

 

「あぁ、いい作戦だ。どう転ぶかは分からないが、少なくとも、陸奥が『ハニートラップ』をやめるきっかけにはなるだろう」

 

「じゃあ……!」

 

「あぁ、早速手配しよう。機材の方は任せてくれ」

 

「では、私は皆さんに協力を仰ぎます!」

 

「ありがとう。やるからには、絶対に成功させよう」

 

「もちろんです。一緒に頑張りましょう!」

 

「あぁ」

 

俺たちは再び握手を交わすと、早速その準備に取り掛かった。

 

 

 

翌日、重さんが目的の物を持ってきてくれた。

 

「よっと……。これで全部だ」

 

「ありがとう、重さん。立て替えて貰った分は、明日にでも振り込むよう手配してある」

 

「そうか。しかし慎二、これ全部てめぇの自腹なんだろ? ――万円はしてるぜ? どうして海軍に申請しなかったんだ?」

 

「申請したところで、却下されるだけだ。作戦が成功する保証は無いし、海軍としては、艦娘たちに金を使いたくないのが現実だ」

 

「……それだけ本気って事なんだな」

 

「最初から本気さ」

 

それを聞いて、重さんはニヤリと笑った。

 

「ったく、敵わねぇな。そうだ。慎二、これももってけ」

 

「これは?」

 

「ノートパソコンとプリンターだ。この島じゃネットは使えないが、それ以外の用途には問題なく使える代物だ。ま、有効に使ってくれればいいさ」

 

「これって、重さんの自腹か?」

 

「あぁ、まあな……」

 

そう言うと、重さんは恥ずかしそうに鼻頭を擦った。

 

「てめぇの事を見ていると、どうも協力したくなるんだ。こんなことくらいしか出来ねぇけど、頑張って欲しいからよ」

 

「重さん……」

 

「ま、そう言うこった。俺はもう行くぜ。後は頼んだぜ、慎二」

 

「あぁ、ありがとう。重さん」

 

重さんを見送り、俺は荷物を持って家へと向かった。

 

 

 

「あ、提督さん!」

 

鹿島に迎えられ、家の門をくぐると、皆が集まっていた。

 

「皆さんにお話ししたら、これだけ集まってくれました」

 

集まったのは、鳳翔、第六駆逐隊、明石、夕張、武蔵、皐月に卯月――とにかく、いつものメンバーであった。

 

「皆、協力してくれてありがとう。ちょうど、機材が来たところなんだ」

 

そう言って箱を置いてやると、それに真っ先に飛びついたのが、駆逐艦たちであった。

 

「あ、皆! あまり乱暴にすると、壊れちゃいますよ!?」

 

「大丈夫だ鳳翔。丈夫なものを選んだから、ちょっとやそっとじゃ壊れないさ」

 

「そ、そうですか? 爆発したりしませんか?」

 

「これにどんなイメージを持っているんだお前は……」

 

ハラハラとしながら皆を見守る鳳翔。

他のメンバーは、駆逐艦たちが落ち着くのを待ってから、機材を手に取った。

 

「しかし、作戦を聞いたときは驚いたわ。目には目をって……」

 

「鹿島のたてた作戦だ。いい作戦だろう」

 

「いい作戦だとは思うけれど……。本当にこんなことで、陸奥さんが『ハニートラップ』をやめるかしら……」

 

「やってみないことには分からないが、有効ではあると思う。まあ、そうでなくとも、お前たちの遊び道具にくらいにはなるだろう」

 

そう言ってやると、夕張は何やら面白くないのか、大きくため息をついた。

 

「提督、これ、高かったんじゃないですか? 海軍がよく出してくれましたね」

 

「自腹だよ」

 

「え!? でも、こんな精密な造りの物を……自腹って……」

 

流石はモノづくりをしているだけあって、明石の目利きは正確であった。

 

「それだけこの男が本気だということなのであろう。寮の連中を裏切るようで気が引けるが、これも陸奥の為だ。この武蔵も全力を尽くそう!」

 

「あぁ、頼りにしているぜ。武蔵」

 

拳を突き合うと、武蔵は嬉しそうな笑顔を見せてくれた。

 

「提督さん」

 

「鹿島、皆を説得してくれてありがとう。この作戦、絶対に成功させような」

 

「はい! それじゃあ、早速。目には目を作戦、始動です!」

 

鹿島の掛け声に、駆逐艦たちは元気よく「おー!」と返し、作戦は幕をあげた。

 

 

 

その日の昼過ぎであった。

いつもの通り、駆逐艦の遊びを響と眺めていると、陸奥と青葉がやって来た。

 

「こんにちは。遊びに来たわ」

 

この前の事なんて、まるでなかったとでも言うように、陸奥はいつもと変わらぬ笑顔で俺の隣に座った。

 

「よう。もういいのか?」

 

「何が?」

 

「この前、急に出て行ってしまったからよ」

 

「あら、心配してくれてるのね。嬉しい」

 

陸奥の笑顔の向こうに、青葉はいた。

物凄い剣幕で、カメラ越しに俺を見つめている。

 

「響、ちょっとどいてくれるか?」

 

「うん」

 

響を膝の上から降ろすと、陸奥は待ってましたといわんばかりに、俺に寄り添った。

 

「あらあら、うふふ。私に近づいて欲しくて、響ちゃんを退けたわけ? 可愛いところあるのね」

 

「あぁ、そうだ」

 

その答えに、陸奥は何やら異変を感じたのか、眉をひそめた。

瞬間――。

 

「きゃっ!?」

 

カシャリという音と共に、陸奥と俺は強い光に包まれた。

 

「ちょっと青葉、フラッシュなんてたかなくても――」

 

その青葉はというと、駆逐艦たちの方を見て、驚愕の表情を浮かべていた。

 

「何をそんなに驚いて――」

 

再びフラッシュ。

流石の陸奥も、そのフラッシュの正体に気が付いた様子で、青葉と同じような表情を見せた。

 

「シャッターチャンスだよ!」

 

「ぴょん!」

 

写真機とビデオカメラを持った皐月と卯月が、そこにはいた。

 

「あ、あなた達……それは……?」

 

「えっへへ~。ボクは戦場カメラマンだよ!」

 

「うーちゃんは映画監督だぴょん!」

 

戦場カメラマンに映画監督……。

こりゃまたデカく出たものだ。

 

「……なるほど」

 

そう言ったのは、青葉であった。

 

「目には目を作戦……。そう言う事ですか……」

 

「お、知っているのか、青葉」

 

「えぇ……。何やら皆さん、様子が変でしたので……。作戦の内容は分かりませんでしたが……そんな事を耳にしました……」

 

「目には目を作戦って……どういう事……?」

 

これまた待っていましたといわんばかりに、第六駆逐隊と鹿島がとんできた。

 

「鹿島……」

 

「目には目を作戦を考えたのは、鹿島だ。鹿島、説明してやれよ」

 

「はい! 目には目を作戦……それは、陸奥さん達がやっているように、私たちも、写真機やビデオカメラで、お二人の『ハニートラップ』の証拠をつかもうという作戦です!」

 

ドヤ顔を決める鹿島。

第六駆逐隊は、一斉に撮影を始めた。

 

「暁は、パ……パパ……なんとかよ!」

 

「パパラッチ、なのです」

 

「雷と電は、その活動を追うドキュメンタリー撮影をしているの!」

 

「私は司令官の追っかけだよ」

 

そう言って、響は俺の顔を連写した。

 

「響、お前さっきから、俺の顔しか撮ってなくないか?」

 

「追っかけだからね」

 

皆が皆、この作戦の意味をあまり理解していないようであるが、子供の好奇心ってのは怖いもんで、悪意のないフラッシュが陸奥を襲ったのだった。

 

「駆逐艦だけじゃないぜ。鳳翔に武蔵、夕張に明石も協力してくれている。これらの機材を用意するのに、痛い出費ではあったが……それだけ俺が本気なのだと、理解してほしい」

 

そう言ってやると、陸奥は不安そうに青葉を見つめた。

青葉は陸奥を庇うように、俺の前へと立ちふさがった。

 

「お前の言う通り、佐久間肇と同じことをしてやったぜ。これで満足か?」

 

青葉は何も言わず、俺を睨み付けるだけであった。

 

「怖いな。そんなに怖い顔されると、命の危機を感じるよ」

 

駆逐艦たちが一斉に撮影を始め、俺たちは熱を感じるほどのフラッシュに包まれた。

撮影している本人たちにその気がなくても、俺と青葉には、その意味が分かっていた。

 

「あ、青葉……」

 

「……行きましょう、陸奥さん。作戦を立てましょう……」

 

「う、うん……」

 

「逃げるのか? 俺はお前に撮られても、逃げなかったぜ?」

 

言い返そうとする陸奥を青葉は止めた。

 

「今は言わせておきましょう……。冷静さを失ったら、青葉たちの負けです……」

 

「もう負けてんだよ。勝利はない」

 

それに、青葉は反論することなく、さっさと陸奥を連れて、家を出て行ってしまった。

 

「言い過ぎたと反省していた人は、一体どこに行ってしまったのでしょうか?」

 

鹿島は厭味ったらしく――だが、笑顔でそう聞いた。

 

「昨日の俺は昨日の俺だ。今日の俺は、誰でもない今日の俺だ」

 

そう言う俺の姿を皆が一斉に撮影を始める。

 

「名言でたね」

 

「名言でたぴょん」

 

その日の駆逐艦のカメラには、俺の赤面する顔と、鹿島の大笑いする写真と映像が、おさめられることとなった。

 

 

 

夜。

皆が寝静まったであろう時間に、陸奥と青葉はやって来た。

 

「なるほど。この時間なら、証拠を押さえる者はいないと踏んで来たわけだ。だが、残念だったな」

 

木陰から、カメラを持った明石が飛び出してきた。

 

「交代制で、見張りを立てることにしたんです。いつ陸奥さんが来てもいいようにって」

 

カメラを構える明石。

 

「どうする? 普通に交流する分には、相手をしてやってもいいぜ?」

 

陸奥はやはり青葉を見た。

青葉の言う通り、陸奥は本当に青葉を信用しているらしい。

 

「それで勝ったつもりですか……?」

 

「昼間も言っただろ。つもりじゃなくて、勝ってんだよ」

 

「いいえ、負けています……。あなた達がどんなに協力しようとも、私たちのような人間を嫌う艦娘の数には勝てません……。必ずあなた達を潰します……」

 

そう言うと、青葉は明石を見た。

 

「明石さん……貴女だって、ただでは済まないのですよ……? 艦娘を裏切るその行為……。今は皆さんの慈悲に守られていますが、もし私達が本気になったらどういう事になるのか……分からない貴女ではないはずです……」

 

それは、俺も恐れていたことであった。

青葉の言っていた、『島特有の――』というのは、暗黙の了解――つまるところ、この島で安全に暮らすための『掟』なのだろう。

掟を破った者がどうなるか。

備蓄庫の食材を隠されたことのある俺だからこそ、分かる気がするのだ。

特に、この『島』という隔離された空間の中で、さらに隔離された寮にいる明石達が『掟破り』による『制裁』を恐れるのは、必然であった。

もし、それを利用されたら――そんな事を考えてはいたが、まさか本当についてくるとは……。、

 

「……確かに、そういう考えもあって、行動できない艦娘は多いです」

 

明石は俺の前に立つと、まるで対抗するかのように、青葉を睨み付けた。

 

「でも、私たちは――この島の艦娘たちは、そうしなかった。どんなに裏切る行為があっても、仲間を非難することはしなかった。それは今も同じです」

 

青葉は思わず、明石から目を逸らしてしまった。

それを見逃さんとするように、明石は詰め寄った。

 

「そもそも、青葉さんの言う通りならば、今の私が無事なのはどうしてですか? 人間を嫌う艦娘たちにとって、提督に協力している私は敵な筈です」

 

「そ、それは……」

 

「青葉さんの言っていることは、全て嘘です! 私を脅して、提督の体制を崩さんとする、ただのハッタリです! そもそも、私はそんな脅しや制裁があっても、屈することはありません! だって私には、私にしかないこの力が――!」

「――明石」

 

俺は明石の肩を叩き、その目を見つめた。

 

「もういいよ。ありがとう」

 

その意味が分かったのか、明石は口を噤み、後ろへと下がっていった。

 

「そう言う事だ。しかし、ハッタリなんて、お前らしくないな。何をそんなに焦っている?」

 

「……青葉の何を知っているというのですか」

 

「ルポライターなんだろ? 嘘を言うなんて、まるでジャーナリストのそれじゃないかと思ってな」

 

「嘘などでは……。実際に、そう言った意見もあるのです……」

 

「誰が言った言葉なのかは分からないが、まるで艦娘の総意であるかのように言っていたじゃないか」

 

青葉は拳をぎゅっと握りしめると、何かに耐える様に俯いた。

 

「お前のその思い込みと詰めの甘さ……それら全てが陸奥の足枷になっているんだ」

 

青葉は何も言わなかった。

自分でも分かっているのだろう。

 

「お前に陸奥は救えない。それどころか、お前のせいで陸奥は危険に晒されることになるんだ」

 

今にも泣きだしそうな青葉。

拳が小さく震えていた。

 

「もうこんなことは止めておけ。これ以上は、お前たちの首を絞めるだけだ」

 

「…………」

 

「ここで誓うんだ。もうこんなことはしないと。これ以上、陸奥を苦しめたくないだろう?」

 

青葉が陸奥を見つめる。

その瞳は、どこか――。

 

「青葉……」

 

「陸奥さん……」

 

青葉は俯くと、小さく言った。

 

「……分かりました。貴方の言う通りかもしれません……」

 

「青葉……!」

 

「陸奥さん……今までごめんなさい……。青葉のせいで……こんな事になってしまって……」

 

「そんな……そんなこと……」

 

顔をあげ、俺の方を向くと、青葉は大きく息を吸い込んで、言った。

 

「約束します……。青葉は……もう――」

 

その時であった。

 

「――っ!?」

 

頬に激しい痛みが走る。

一瞬、何が起こったのか分からず固まる俺を陸奥は涙交じりに睨み付けていた。

 

「……痛いじゃねぇか」

 

「これ以上……私たちの邪魔はしないで……!」

 

「え……?」

 

「貴方のお節介なんていらない……。私は……私はただ……青葉が居れば……」

 

今度は陸奥が青葉を見つめる。

 

「陸奥さん……?」

 

陸奥は何か言う訳でもなく、青葉から視線を外すと、家を飛び出して行ってしまった。

 

「む、陸奥さん……!」

 

それを追いけんとする青葉は、俺を一瞥すると、何やら複雑そうな表情を見せた後、家を出ていった。

 

「提督、大丈夫ですか……?」

 

「あぁ……大丈夫だ……」

 

『私たちの邪魔はしないで……!』

『私は……私はただ……青葉が居れば……』

青葉を見つめるあの表情は、どこか悲しそうであった。

守る者と守られる者。

陸奥は、青葉を『自分を守ってくれる艦娘』であると――それだけの関係であると考えているのかと思っていたが――。

 

「…………」

 

どうやら、俺が――いや、青葉ですら知らない何かが、陸奥の中にあるらしい。

青葉が持っているような、守る以上に守りたい――守られる以上に守りたい、何かが――。

 

 

 

その後の数日間、陸奥と青葉を警戒して、皆が交代制で家を訪れてくれたが、昼も夜も、二隻が現れることはなかった。

駆逐艦たちもごっこ遊びに飽きたのか、今ではカメラを置いて、普通に遊具で遊んでいる。

 

「司令官、今度はキメ顔で『愛してる』いってみようか。3,2,1……キュー」

 

「……愛してる」

 

「――オッケー。ばっちりだよ司令官。今日もかっこよかったよ」

 

「そりゃどうも……」

 

響だけは、相変わらずだが……。

 

 

 

夕方。

備蓄庫のチェックを終えた大淀は、俺を発見すると、小さく会釈をして見せた。

 

「よう」

 

「私を待っていたのですか?」

 

「あぁ、これを渡そうと思って」

 

そう言って、俺は『記録』を大淀に渡した。

 

「遅れて悪かった。お前と佐久間肇が使っていたものと同じ物が無くてな。似たようなものを重さんに探して貰っていたんだ」

 

「……わざわざ似たようなものを?」

 

「あぁ。佐久間肇を模倣して、佐久間肇との思い出を俺との思い出として上書きしようという魂胆だ」

 

「……ふふっ、それ、言っていいんですか?」

 

「嘘をついたところで、お前はすぐに見抜いてしまうだろうからな」

 

「どうですかね」

 

大淀はどこか、嬉しそうであった。

だが、その背景には、きっと――。

 

「そう言えば、目には目を作戦でしたか。どうやら上手くいったみたいですね」

 

「あぁ……まぁな……」

 

「……あまり嬉しそうじゃないですね」

 

「『ハニートラップ』は確かに無くなった。だが、引っかかることがあってな……」

 

「引っかかること?」

 

「陸奥の事だ。青葉曰く、陸奥は『ハニートラップ』に対して、本当は乗り気じゃなかったらしい。むしろ、嫌がっていたとのことであった」

 

「らしいですね……」

 

「それなのにもかかわらず――『ハニートラップ』をしなくていい状況になろうというのに、陸奥は喜ばなかった。むしろ、それを阻止しようとするように、俺を――」

 

あの時の陸奥の目が、思い起こされる。

 

「そのお二人ですが、先ほど、何やら言い争いをしているようでした」

 

「言い争い?」

 

「内容までは分かりません。ただ、陸奥さんが青葉さんに、何かを訴えかけているようでした」

 

「それで?」

 

「話がうまく纏まらなかったのか分かりませんが、陸奥さんが激怒して、その場を去って行ってしまいました。残された青葉さんは、ただ俯くだけで……」

 

陸奥が青葉に……。

一体何を……。

 

「……何やらもう一波乱ありそうだな。教えてくれてありがとう、大淀」

 

「いえ……」

 

「っと……仕事が残っているんだろ? 呼び止めて悪かったな。『記録』はまた取りに来るよ。じゃあ……」

 

「雨宮さん」

 

去ろうとする俺を大淀は呼び止めた。

 

「なんだ?」

 

「今回の件……貴方に解決できそうですか……?」

 

「どうしてそんな事を聞く?」

 

「答えてください」

 

大淀は何やら、真剣な表情を見せていた。

 

「……こればかりは分からん」

 

「…………」

 

「だが、これは俺の勘だが、陸奥は、もう一度俺に接触してくる可能性がある。お前の聞いた言い争いってのは、おそらく、『ハニートラップ』を続けるかどうか……だ。この前の様子から推測するに、陸奥は何故か、『ハニートラップ』をやめたくないと考えている。青葉はそれに、反対の意思を――協力しない意思を示したのだろう」

 

「だから言い争っていたと……」

 

「確証はない。だが、俺の勘が当たっていれば、陸奥から何か解決策を得られるはずだ。そうなれば、俺に解決できる可能性はある……と、思う訳だが……。なんだ、解決したら、景品でもくれるのか?」

 

揶揄うように言ったつもりだが、大淀は真面目な表情を崩さなかった。

 

「今回の件が解決したら……お話ししたいことがあります……」

 

「……今では駄目な事なのか?」

 

「えぇ……」

 

その理由を大淀は語らなかった。

 

「……そうか。分かった。必ず解決して見せる。だから、お前もその話したいことの要点、しっかりまとめておけよな」

 

「その点はご心配なく」

 

「そうかよ。じゃあ、今度こそ行くぜ。またな」

 

「えぇ、また……」

 

いつもとは違い、今日は大淀が、俺の姿が見えなくなるまで、いつまでも見送ってくれていた。

振り返り際に見た大淀の表情は、夕日の照らされていたのもあってか、どこか寂し気なものに見えた。

 

 

 

その日の夜は、夕張が見張りに来てくれた。

 

「お風呂頂いたわ。ありがとう」

 

「頂いたわって……。お前、見張り役の自覚があるのか……?」

 

「いいじゃない。どうせ今日も来ないわよ」

 

「そうかもしれないが……。そもそも、なんでこっちの風呂に入ったんだよ。向こうの風呂の方がでかいと聞いているぜ」

 

「向こうだとゆっくりできないのよ。駆逐艦たちが入ってきちゃって」

 

「時間を外せばいいだろ」

 

「その頃にはぬるくなっちゃうから」

 

そう言うと、夕張はタオルで頭を拭きながら、縁側にいる俺の隣に座った。

 

「頭くらい乾かしてから出て来いよ……」

 

「別にいいじゃない。艦娘は風邪ひかないのよ」

 

「にしたって……」

 

「そんなに言うなら、代わりに拭いて?」

 

夕張はタオルを渡すと、拭けとでも言うように、後ろを向いた。

 

「……ったく。分かったよ」

 

渡されたタオルで、髪を拭いてやる。

 

「いつもこんな感じなのか?」

 

「そうしたいのだけれど、明石が許してくれないのよ。まるでお風呂上がりの犬のように、丁寧にドライヤーで乾かされるの」

 

「だらしのない話だ……」

 

しばらく髪を拭いていると、夕張は倒れ込むようにして、俺に寄り掛かって来た。

 

「おい」

 

「ね、知ってる? 女性が男性に髪を触らせるのって、本当はセックスした後とかなんですって」

 

「なんだそりゃ。聞いたことないな」

 

「それだけ、女性にとって髪って言うのは、デリケートなものなんじゃない? 私には分からないけれど」

 

「なんで今、そんな話をしたんだ?」

 

「提督が照れるかなって」

 

そう言うと、夕張は何が嬉しいのか、満面の笑みを見せた。

 

「今日はやけに機嫌がいいじゃないか。いつもはむくれているくせに」

 

「不機嫌な時は、ちゃんと不機嫌な理由があるわ。別に、理由もなくいつもむくれているわけじゃないわ」

 

「俺には逆に思えるがな。機嫌のいい時の方が、何か理由があるんじゃないかと勘ぐってしまう」

 

「そんなに複雑な感情は持ち合わせていないわよ。私、最近気が付いたんだけど、自分でも驚くほど、単純な感情を持っているらしいのよ。嬉しい時は本当に嬉しいし、不機嫌な時は本当に不機嫌。理由とかよりも、態度の方が先に出ちゃうの」

 

夕張は何かを訴えるかのようにして、俺をじっと見つめた。

 

「ね、この意味、分かる?」

 

「なにがだ?」

 

「分からないの?」

 

そんな事で、機嫌のいい夕張のダル絡みに付き合ってやっていると、庭の方から足音が聞こえて来た。

 

「誰かくるみたい」

 

それに真っ先に気が付いたのは、夕張であった。

夕張はすぐさまカメラを構えると、それを待った。

 

「別にここを撮ってもしょうがないだろ」

 

「あ、ごめん。つい癖で」

 

何の癖だ。

足音は段々と近づいてゆき、やがてそいつは、居間から零れる光の中から、徐々にその姿を現していった。

 

「あらら……本当に来たわ……」

 

驚く夕張の視線の先に、陸奥は立っていた。

季節外れのトレンチコートに、身を包んで――。

 

 

 

陸奥は何も言わず、どこか緊張した面持ちで俺を見つめていた。

 

「よう。青葉が居ないようだが、一人か?」

 

陸奥は小さく頷いた。

夕張が庭に出て、周りを確認する。

 

「本当に一人みたい……」

 

陸奥が一人でここに来ることは、初めての事であった。

 

「聞いたぜ。何やら青葉と揉めたそうだな」

 

陸奥は何も言わない。

或いは、何も言えないのか。

 

「それで、何か用事か?」

 

陸奥は夕張をチラリと見た。

 

「……もしかして、私に出て行けって言ってます?」

 

「…………」

 

「どうやらそうらしいぜ」

 

夕張は苦い顔を見せると、俺を見つめた。

 

「分かった。二人で話そうじゃないか」

 

「提督!」

 

「大丈夫だ夕張。青葉もいないようだし」

 

「けど……見えないどこかに隠れているかもしれないし……」

 

「ならこうしよう。お前が寮に戻って、そこに青葉が居なければ、もう一度ここに戻ってくる。それでどうだろう?」

 

そう提案しても、夕張は納得していない表情を見せた。

 

「夕張」

 

「……分かったわよ」

 

「悪いな」

 

夕張は、俺の持っていたタオルを奪い取ると、去り際に一瞥し、小さく言った。

 

「せっかく――ばか……」

 

何を言ったのかよく聞き取れなかったが、とにかく、不機嫌そうに去って行った。

 

「さて、夕張は帰っていったようだぜ。そろそろ口をきいたらどうなんだ? 陸――」

 

陸奥に視線を移した時、俺は思わず息を呑んだ。

トレンチコートが、陸奥の体から、まるで風がすり抜けて行くかのようにして、するりと地面に落ちたのだ。

生まれたままの姿……というには、あまりにも成熟しきっていて――。

向こう側が見えそうなほど透き通るような体を露わにした陸奥は、俺をじっと見つめていた。

 

「お、おい……」

 

「――いて……さい……」

 

「え?」

 

聞き返す俺に、陸奥は顔を真っ赤にして、枯れる様な小さな声で、もう一度言った。

 

「私を……抱いてください……」

 

時が止まったかのように、辺りが一気に静かになった。

それと同時に、俺の心臓の鼓動は、徐々に大きくなっていった。

 

「抱くって……お前……」

 

自分の体を強調するかのようにして、陸奥は手を後ろに回した。

 

「……っ!」

 

俺は思わず目を逸らした。

だが、冷静になろうとすればするほど、体が熱くなってゆく。

理性を失いそうなほどの熱だ。

こんなこと、初めての経験であった。

困惑する俺に、陸奥は近づいて、手を取った。

 

「私の初めて……貴方に捧げます……。貴方のそれで……私を傷つけてください……」

 

その手は、小さく震えていた。

 

「陸奥……やめろ……」

 

言葉に反して、体は動かない。

体の熱は、ピークに達していた。

陸奥の手が徐々に、熱のこもったソレに近づいてゆく。

 

「くっ……」

 

ふと、夕張の不機嫌そうな顔が浮かぶ。

嗚呼、こんな事になるのなら――こんなにも自分が弱いのなら――夕張に残ってもらえばよかった。

『ハニートラップ』なんて効かない。

そう思っていた自分が、恥ずかしい。

 

「くそ……!」

 

色々と覚悟をした時であった。

陸奥の手が、ソレの直前で止まった。

 

「……?」

 

恐る恐る陸奥の方を見てみると――。

 

「…………」

 

陸奥は、泣いていた。

声も漏らさず――いや、或いは堪えていたのかもしれない。

 

「お前……」

 

体の熱が、冷めて行く。

感情が、理性が、正常に戻って行く。

 

「……はぁ」

 

深呼吸をしてから、俺はトレンチコートを拾い上げ、陸奥の肩にかけてやった。

 

「とりあえず……コーヒーでも飲むか……?」

 

 

 

俺の淹れたコーヒーを陸奥は素直に口にした。

涙は既に引っ込んでいるようであったが、悲しそうな表情は変わらなかった。

 

「美味いか……?」

 

陸奥は答えない。

とりあえず甘口で作ってみたが……。

 

「……どうしてこんな事をしたんだ? 青葉もいないのに……」

 

陸奥はやはり黙ったまま、手に持ったカップに視線を落とすだけであった。

 

「……言いたくないのなら、それでもいい。話したくなったら、話してくれればいい。俺はとりあえず、ちょっと……夜風にあたってくる……」

 

感情も理性も正常に戻ったとはいえ、陸奥の姿を見るとどうも――。

そんな煩悩を捨てるべく、俺は海岸へと向かった。

 

 

 

しばらく浜辺を歩いていると、腰掛けるのに手ごろな、大きな流木が見つかった。

 

「よっと……。はぁ~……」

 

座ると同時に、一気に体の力が抜けた。

 

「……トンデモナイものを見せられたな。クソ……」

 

自分がこんなにも、女体と言うものに弱いとは……。

初めて陸奥に『ハニートラップ』を仕掛けられた時も、あいつは裸だったはずだ。

だが、あの時は大丈夫だったんだ。

どうして今日に限って――。

 

「あぁ駄目だ……。何故だ何故だと思うほどに、思い出してしまう……」

 

そんな事で一人唸っていると、誰かが俺の隣に座った。

横目で見てみると――。

 

「うぉわ!?」

 

俺は思わず立ち上がった。

 

「む、陸奥……。お前……ついてきたのか……」

 

相変わらずトレンチコートのみの姿で、俺を見つめていた。

 

「お、お前……まさか、また……」

 

「ち、違う……!」

 

やっとの事で聴けた陸奥の声は、いつもの猫なで声とは違い、ハッキリとしたものであった。

 

「違うって……。じゃあ……何しにきたんだよ……」

 

「何しにって……。貴方が言ったんじゃない……。話したくなったら話せばいいって……」

 

先ほどのベソベソした態度はどこへやら。

陸奥は少しムッとした表情をしていた。

 

「あ、あぁ……そうだったな……」

 

俺は恐る恐る陸奥の隣に座った。

 

「…………」

 

「…………」

 

座ったはいいものの、陸奥は何も話そうとしなかった。

俺から問いかけてもいいが、何故か言葉が出てこない。

何を緊張しているんだ俺は……。

陸奥に向き合えば、自ずと言葉が出てくると思ったが、トレンチコートの合間に見えるその肌がまぶしくて、目を合わせられなかった。

 

「……ごめんなさい」

 

先に口を開いたのは、陸奥であった。

 

「話をきいてもらいにここに来たのだけれど……」

 

ふと、陸奥の顔を横目で見てみると、その顔は真っ赤に染まっていた。

 

「その……なんだか恥ずかしくて……言葉が出てこなくなっちゃったの……」

 

そう言うと、陸奥はコートで体を隠す様に、小さくなった。

 

「まあ……そうだろうな……」

 

恥ずかしがっているところを見るに、あの行動は、相当追い詰められた結果に出たものなのだろう。

 

「日を改めるか……?」

 

「……ううん。話すわ……。だから……落ち着くまで待ってほしいの……」

 

「……分かった」

 

『俺たち』は、自分たちの中に残る熱が完全に冷めるまで、ただ夜の海を眺めていた。

 

 

 

あれからどれくらいの時間が経っただろうか。

陸奥は落ち着いたのか、ポツリポツリと話し始めた。

 

「私……いつも青葉を見ていたの……」

 

語り始めは、青葉のそれと似ていた。

 

「顔色を窺い自分に嘘をつき続ける私と違って、青葉はいつも正直だった。人間に対して――艦娘に対してもそうだけれど、嫌いだと思う人には絶対に心を開かなかった。自分の居場所を見つけるのに必死な私達とは違って、青葉は何処にでもいて、何処にもいないように思えた……」

 

青葉を語る陸奥の目もまた、青葉のものと同じであった。

何となくではあるが、話が見えて来た気がする。

 

「貴方も聞いたと思うけれど、私はずっと、出向してくる男のセクハラに悩んでいた……。そんな私を救ってくれたのは、他の誰でもない、青葉だった……」

 

「……あぁ、そう聞いている。というより、青葉から聞いたのか? 俺と青葉が話をしたことを……」

 

「えぇ……。私の事を貴方に相談したって……。その事で、喧嘩になっちゃって……」

 

大淀の言っていた、言い争いの事か。

 

「青葉は私の事をなんでも分かっていた。私が苦しんでいること、私が一人で泣いていること……。そして、それを救う手段があることを……。自分にすら嘘をついてきた私だけれど、青葉にだけは嘘はつけなかった……」

 

陸奥は思い出すかのように、目を瞑った。

 

「嬉しかった……。そして、心地よかった……。青葉と一緒に居ると、私はとても正直になれたし、話をきくだけじゃなく、ちゃんと行動で

応えてくれた……。私はこんなにも弱いのに、皆の目にうつる私は、真逆の存在だった。弱い自分を偽って、奮い立たせ、皆の期待に応えなきゃいけないプレッシャーを青葉だけは理解してくれた……。そんな青葉の事が、私は大好きだった……。私の事を理解してくれる『友達』だって……そう思ったわ……」

 

嬉しそうに語る陸奥であったが、途端に表情が崩れた。

 

「でも……この島に人間が来なくなってから、青葉は私を避けるようになった……。私が話しかけようとしても……青葉は……」

 

「……それは、青葉が――」

「――分かってる」

 

食い気味に、陸奥は答えた。

 

「分かっているわ……。私の為だったんだって……。人間に対してトラウマを持っている私に、気を遣っていたんだって……。でも……私は……私はそれでも……青葉と一緒に居たかった……」

 

話が完全に読めて、俺は流木に深く腰掛け、陸奥から視線を外した。

 

「なるほど……。俺への『ハニートラップ』を仕掛けたのも、その為か……。青葉と過ごすために……。友達としての関係を戻すために……」

 

図星なのか、陸奥は何も言わなかった。

 

「島の艦娘から依頼されたってのは……」

 

「……私のついた嘘。また青葉が私を見てくれると思って……」

 

「……そうか」

 

ため息をつく俺に、陸奥は申し訳なさそうな顔を見せた。

 

「……でも、俺を追い出そうとしたのは本当なんだろ?」

 

「最初はね……。でも……すぐに分かったわ……。貴方がいい人だって……」

 

「それでも、認めなかった……。いや、認めてしまえば、青葉がまた離れて行ってしまう……そう思った訳か……」

 

「えぇ……。本当にごめんなさい……」

 

頭を下げる陸奥。

 

「頭をあげてくれ。まだ終わっていない」

 

「え……?」

 

「お前が何故、さっきみたいなことをしたのか、それを話して貰ってないぜ」

 

陸奥はハッとした。

 

「そうだったわね……」

 

「お前が青葉とどうなりたいのか……。それを話しに来たんだろう……?」

 

そう言ってやると、陸奥は小さく首を横に振った。

 

「違うのか?」

 

「ただ謝ろうと思って来ただけよ……。どうしてあんなことをしたかは話すつもりだったけれど……それはあくまで謝る為であって……」

 

「自分の相談をしようとしたわけじゃない……という事か……」

 

陸奥は深く目を瞑ると、しばらく考え込んでいた。

そして、何かを決心したかのように目を開けると、俺を見た。

 

「でも……そうよね……。貴方なら……きっと貴方なら、私の悩みを解決してくれるのかもしれない……」

 

助けを求める様な、そんな目であった。

 

「あぁ……必ず解決させてやる。だから、聞かせて欲しい。こうなった経緯を……。そして、お前が青葉とどうなりたいのかを……」

 

陸奥は頷くと、事の経緯を話し始めた。

 

 

 

貴方を叩いてしまったあの日。

私たちは寮に戻って、今後の事について話し合った。

尤も、青葉は完全に意気消沈していて、頻りに謝るばかりだったのだけれど……。

 

「青葉は悪くないわよ! あの男が言っていることは、全部デタラメよ……」

 

「でも……青葉が余計な事をしなければ、そもそも『ハニートラップ』なんてものは生まれませんでした……。陸奥さんを苦しめることも無かったでしょう……」

 

「そんなことない! 貴女のお陰で、私はセクハラから救われた……! 貴女のお陰で……苦しみから解放された……! それが余計な事だって言うの!?」

 

「……青葉がやらなくても良かったことです。雨宮さんも言っていました……。青葉の詰めの甘さが原因だって……。悔しいですが、それは事実です……。青葉でなければ、きっと――」

 

反論しようとする私に、青葉は悲しそうな顔を見せた。

その顔に、私は言葉を詰まらせてしまった。

 

「……そういうことです。逃げるようで申し訳ないですが……これ以上……青葉は関われません……」

 

「青葉……」

 

「本当にごめんなさい……」

 

去って行く青葉の背中に、私は、昔感じた孤独感――青葉が友達ではなくなってゆく感覚を思い出した。

もう二度と味わいたくなかった感覚だった。

その為に私は――って……。

だから私は、それから毎日、青葉を説得し続けた。

貴女の所為じゃないって……。

まだやれることはたくさんあるって……。

それでも、青葉の心が動くことはなかった。

そして、今日――いえ、もう昨日の事になるのかしら……。

私は焦っていた。

だから、青葉への説得の口調も、無意識のうちに強くなっていた。

 

「じゃあ……私があの男に手を出されても、貴女は見て見ぬふりをするって訳……!?」

 

「そう言う訳ではありません……。それに……陸奥さんも気が付いているはずです……。雨宮さんは……あの人は……決して陸奥さんに手は出しません……」

 

「そんな事……分からないじゃない……!」

 

「いえ……分かります……。実は……陸奥さんの事を雨宮さんに相談しました……」

 

「え……?」

 

そこで私は、貴方と青葉が裏で会っていたことを知った。

 

「――けれど、話は破綻しました。本当のことを言われ、青葉もムキになってしまって……。でも、今思えば、雨宮さんは心の底から、陸奥さんの事を思っているようでした……。間違っていたのは、青葉の方です……。だから……」

 

「何よそれ……。そんな事……頼んでないわよ……!」

 

「そうです……。青葉が勝手にやったことです……」

 

「そうじゃない……! 私は……私はただ……」

 

言えなかった。

貴女に相談できれば――貴方と友達であれればそれで――なんて……。

だから――。

 

「だったら、あの男が優しくない人間と証明できれば……私に協力してくれるって事かしら……?」

 

「え……?」

 

「あの男が不祥事を起こせば……貴女がもう一度……私を守ってくれる……?」

 

「……何をするつもりですか?」

 

「約束して……」

 

「陸奥さん……」

 

「約束して!」

 

結局、青葉が返事をすることはなかった。

でも、もし貴方が不祥事を起こせば――私を抱くことがあるのならば、きっと――。

そう思った。

 

 

 

話を終えると、陸奥は俯き、黙り込んでしまった。

 

「だから、あんなことを……」

 

「でも、やっぱり貴方は優しかった……。私を抱くことはしなかった……」

 

そう言う陸奥に、俺はまごまごしてしまった。

 

「なに……? どうかしたの……?」

 

「いや……その……」

 

一瞬、何か言い訳をと考えていたが、やはり正直に話すべきだと腹をくくり、陸奥に向き合った。

 

「正直言うと……あのままお前が涙を見せなければ……俺は黙ってお前に抱かれていた……と思う……」

 

「え……?」

 

「俺は……その……マジの童貞ってやつで……女とも付き合ったことはないし、恋も知らない男だ……。そういうのは俺には必要ないものだと思っていたし……この島に……この仕事に一生を尽くすつもりだった……。でも、最近どうも調子が悪いというか……俺らしくないというか……。そんな状態だったものだから、お前の美しい女体を見てしまった時、体が言う事を聞かなくなって……その……」

 

俺は陸奥の女体を思い出してしまった。

 

「つまりだ……。お前が手を止めなければどうなっていたのか、俺にも分らないという事だ……」

 

横目でチラリと陸奥を見る。

どんな反応を見せるのかと思ったら、ただ赤面するだけであった。

 

「そ、そう……なの……」

 

幻滅だとか、失望だとか、そんな表情をされるものだと思っていたが……。

 

「……お前が手を止めたのは、やはりまだ、男にトラウマがあるからなのか?」

 

たまらず、話を本筋に戻すと、陸奥も真剣な表情を取り戻した。

 

「…………」

 

陸奥は何も言わなかったが、やはり――。

 

「そうか……」

 

永い沈黙が続く。

 

「……話してくれてありがとう。お前の事、よく分かったよ。そして、お前が青葉とどうなりたいのか……」

 

「え……?」

 

「要するに、お前は青葉と友達になりたいだけなんだろ?」

 

本当に要して言うものだから、陸奥は唖然としていた。

 

「そ、そう……なんだけど……」

 

「なら、そう言ってしまえばいいだろうに」

 

陸奥は何やら反論しようとしたが、何も言えずに、閉口した。

 

「言いたいことは分かる。だが、お前は……いや、お前たちは、色々と難しく考えすぎだ。まあ、そうなるのも無理はないとは思う。お前のトラウマから始まり、それを守りたい青葉が居て――トラウマを思い出させたくない青葉、それ以上に友達であり続けたい陸奥――すれ違い続けるお前たちだからこそ、お前はそうは言えなかったんだ」

 

「…………」

 

「青葉と友達になりたいか……?」

 

陸奥は少し躊躇した後、覚悟を決めるかのように、言った。

 

「なりたいわよ……。でも……青葉と私は、守り守られる立場……。私は……対等であり続けたいと思っている……。それが友達だって……思っているから……。けど……」

 

その先を陸奥は言わなかった。

だが、言いたいことは分かっていた。

陸奥がトラウマを抱える限り――俺がこの島にいる限り、それは叶わないのだと、陸奥は言いたいのだろう。

いくら俺を信用したところで――優しい男だと知ったところで、怖いものは怖いのだ。

 

「……分かった。なら、俺に考えがある」

 

「え……?」

 

「お前がトラウマを克服し、俺を信用できる日が来ると信じての事ではあるのだが……」

 

そして俺は、その考えを陸奥に伝えた。

あまりにも馬鹿馬鹿しい考えに聞こえたはずだが、陸奥も俺も真剣であった。

 

「確かに、それなら心配はないかもしれないけれど……貴方はそれでいいの……?」

 

「あぁ、構わない」

 

「でも……私がトラウマを克服できるのなんて、何年かかるか分からないのよ……? その間、貴方はずっと、そうしていられるの……?」

 

「あぁ、何年何十年かかっても、俺は待ってやる。そして、その間、絶対に不祥事は起こさないと約束する。俺がお前を守れるように――お前を誰にも傷つけさせない様に……。だから……信じて欲しい……」

 

俺は手を差し伸べた。

 

「俺に……お前を守らせてくれ……」

 

陸奥は恐れる様に、自分の手を胸にあてた。

 

「陸奥……」

 

「私……私は……」

 

その時、ふと――。

俺が何故、その事を口にしたのか、未だに分からないでいる。

そんな事を言える雰囲気ではなかったはずなのに。

それでも、口が勝手に、言葉をこぼしたのだった。

 

「ご飯粒……」

 

「え……?」

 

「ご飯粒……ついてるぜ……。左の頬のところ……」

 

カピカピになったご飯粒が、くっついていた。

何故今まで気が付かなかったのだろう。

 

「あ……本当だわ……」

 

ご飯粒を片手に、呆然とする陸奥。

やがて俺と視線が合う。

 

「…………」

 

「…………」

 

永い沈黙が続く。

 

「……プッ、ウフフ」

 

「フッ……ははっ」

 

緊張の糸が切れたかのように、俺と陸奥は、思わず笑ってしまった。

 

「ご飯粒、全然気が付かなかったわ」

 

「俺もだ。思えば、まともにお前の顔を見れていなかったのかもしれんな」

 

ひとしきり笑った後、陸奥はじっと、俺の目を見つめた。

 

「どうした? 俺の頬にもついているか?」

 

「ううん。ただ……もしかしたら……」

 

「もしかしたら?」

 

「……何でもないわ。そうね……。分かった……」

 

そう言うと、陸奥は、自ら手を差し伸べた。

 

「陸奥……」

 

「私を……守ってくれる……? 貴方を信じて良かったって……思えるようにしてくれる……?」

 

「……あぁ、もちろんだ」

 

陸奥の手を握ってやる。

温かく華奢な手が、俺の手を握り返してくれた。

 

「必ずお前を守る。だから、お前も青葉に気持ちを伝えて来い」

 

「……えぇ!」

 

空が明るくなって行く。

それはまるで、俺たちのこれからを暗示するような、ゆっくりとした夜明けであった。

 

 

 

「ん……」

 

「あ、起きました。ただいまの時刻は、1000です。完全に寝坊ですね」

 

ビデオカメラを構える明石を横目に、俺は体を起こした。

 

「なんだ……今日は明石か……」

 

「はい! よろしくお願いします! 早速ですが提督、朝の一言をお願いします!」

 

「朝の一言……? そんなコーナー、いつ始まったんだ……」

 

「今日からです。やっぱり、ただ監視するだけの動画よりも、提督の魅力を伝える方がいいと思うんですよ。ですから、青葉さんと陸奥さんに向けて、何か魅了させる様なメッセージを残してください!」

 

「魅了させる様なって……。今は頭が回らんよ……。それより……昨日は似たようなこと言われて、深夜まで撮影されたんだ……。もうちょっと寝かせてくれ……」

 

「あ、駄目ですよ! 起きてください!」

 

あれから数日。

俺は、ビデオカメラで監視される毎日を送っている。

撮影した動画は、青葉と陸奥の元へと持っていかれることになっている。

 

「しかし提督。本当にこんなこと、続けていくんですか?」

 

「あぁ……。陸奥が安心していけるようにする為だ……。こうして俺自身を監視することで、俺は不祥事を起こせない。つまり、陸奥が安心して暮らしていけるって寸法だ」

 

「確かに、提督の言うように、それで陸奥さんと青葉さんの『守り守られる関係』は無くなって、対等な関係としての友達になれるかもしれませんけれど……。結局、陸奥さんが青葉さんに『友達になりたい』と伝えて、それは解決したじゃないですか」

 

そう。

あの日、陸奥は青葉に、友達になりたいと伝えたのだ。

青葉がどんな反応をしたのか、俺はその場に居合わせなかったから分からないのだが、どうやら上手くいったらしい。

 

「だがそれは、『守り守られる関係』が無くなったからこそ、成立したんだ。陸奥がトラウマを克服できていない以上、こうするしか方法はない」

 

「そうかもしれませんけど……」

 

「まあ俺も、監視されていた方が安心するんだ……」

 

「え? どういう意味です?」

 

「いや、なんでもない……」

 

陸奥とのこともあって、俺は俺の知らない俺自身の側面を見た。

もし、あの時、陸奥が手を止めなかったら……。

そう思うと、ゾッとするのであった。

 

 

 

昼過ぎになると、いつものように駆逐艦たちが訪れた。

監視役は明石に夕張、加えて鹿島に武蔵に鳳翔に卯月に皐月に――。

 

「おい……。なんで全員が俺の事を撮っているんだ……。しかも鳳翔、お前まで……」

 

「あ、いえ……私はちょっと……」

 

何やら皆、どこかニヤニヤしながら俺を撮っている。

いつもの監視の為というよりも、どこか……。

 

「一体なんだって言うんだよ、気持ち悪い……」

 

しばらく撮られていると、大淀がやって来た。

 

「来た来た」

 

誰かがそう言った。

来た来たって……大淀を待っていたという事か……?

 

「よう、珍しいな。どうかしたか?」

 

大淀はどこか嬉しそうであった。

 

「実は、お話があって参りました」

 

それを聞いて、ハッとした。

 

「そういや、言っていたな。陸奥と青葉の件が解決したら、話したいことがあると。解決……したとは、あまり思っていないのだが、それでもいいのか?」

 

「えぇ、大丈夫です。もう『決定しました』から。お話出来るんです」

 

「決定した? 何がだ?」

 

周りの皆が、嬉しそうにカメラを構える。

どうやら状況を理解できていないのは、俺だけのようであった。

 

「お二人にも承認をいただきました。そうですよね」

 

大淀がそう言うと、家の影から陸奥と青葉が現れた。

 

「お前ら……どうして……」

 

陸奥と青葉は互いに顔を合わせると、何やら頷き、陸奥が口を開いた。

 

「貴方の事、青葉と話したの……。最初は貴方の言う通り、トラウマが克服するまで、待ってもらおうかと思ったのだけれど……」

 

そう言うと、陸奥は俺をじっと見つめた。

その頬が徐々に、赤く染まって行く。

 

「思ったのだけれど……なんだ?」

 

咄嗟に、青葉が前に出て来た。

 

「そう思ったのですが、貴方の献身的な態度を見て、陸奥さんは、自分もトラウマを克服できるように、もっと貴方と関わっていきたいと思ったそうです」

 

青葉の後ろで、陸奥が小さく頷いた。

 

「雨宮さん……。まだお礼を言っていませんでしたね……。本当にありがとうございます……。おかげで青葉は……青葉たちは、友達になれました……。対等な立場であるって……心から感じることが出来ました……」

 

「青葉……」

 

「正直、陸奥さんが友達になりたいと言って来た時は驚きました……。その為に、貴方が自らを監視すると言ったことも……。けど、何よりも驚いたのは……雨宮さん、貴方が、陸奥さんだけでなく、青葉までも救ってくれたことです……。青葉はずっと、陸奥さんを救う事ばかり考えていて、誰かを――自分すらも、救おうとはしませんでした……。それなのに、貴方は……」

 

「結果論だ。俺は別に、そんなこと……」

 

「それでも、青葉は救われました……。だから今度は、青葉が貴方の為に何かしたい……。そう思い、ここに来ました……」

 

そう言うと、青葉は手を差し伸べた。

 

「陸奥さんがトラウマを克服できるように――貴方が――司令官が艦娘を救えるように……青葉に……こんな青葉ですが……お手伝いをさせていただけませんか……?」

 

青葉の手は、小さく震えていた。

 

「青葉……」

 

俺はその手を強くとった。

 

「あぁ、もちろんだ。お前となら、きっと出来る。是非、俺の力になって欲しい」

 

「司令官……。ありがとうございます……」

 

青葉の目に、涙が溜まる。

陸奥はそれを優しくすくってやっていた。

 

「青葉さん、陸奥さん。本当に宜しいんですね。取り消すなら、今ですよ」

 

大淀がそう言うと、陸奥と青葉は頷き、「承認します」と言った。

 

「決まりですね……」

 

「さっきから一体何の話をしているんだ、お前は……。一体、何が決まったというのだ」

 

そう言う俺を無視するかのように、大淀は皆の前に立った。

おそらくこれは、歴史的な瞬間だったのだろうが、そんな事、この時の俺に分かるはずもなく、俺はただ、大淀の叫ぶ『結果』にただ困惑するだけであった。

 

「では、発表します! 賛成8票、反対4票、無投1票……以上の結果より、『雨宮さんを【艦娘寮】へ迎える案』を可決いたします!」

 

もし、この事が歴史の教科書に載るのならば、俺の顔に落書きをする子供は決していないだろう。

それほどまでに俺は、艦娘たちの構えるビデオカメラ全てに、とんでもない間抜け面を晒していたのであった。

 

――続く

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