不死鳥たちの航跡   作:雨守学

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第9話

嫌いになればなるほど、それについて詳しくなってゆくことがある。

『ゴキブリの味は、エビに似ている』だとか『ゴキブリは頭が無くても、およそ1週間生きられる』のような、知りたくない、絶対に知らなくていいことまで、知ってしまう。

あいつもそうだった。

ゴキブリの様にどこにでも居て、ゴキブリの様に忙しなく動いて、ゴキブリの様に死んでいった、あいつのことも――。

 

「俺を信じて、ついてきてほしい」

 

差し出された手を私は――。

 

 

 

 

 

 

『不死鳥たちの航跡』

 

 

 

 

 

 

大井は速足で俺に近づくと、胸倉を掴んだ。

 

「ふざけんな……! あんた……何勝手な事を言ってんのよ……!」

 

「大井……」

 

「正義面して……私を庇ったつもり……!? 気持ち悪いのよ……!」

 

捲し立てる大井。

何故、そこまで熱くなっているのか、俺には――いや、皆も分かっていないようであった。

 

「……勝手な事をして悪かった。だが、これで良かったんだ。お前も、俺が出て行くことになって、嬉しいんじゃないのか?」

 

大井は何やら複雑そうな表情を見せると、俺を突き放した。

 

「……そうね。清々するわ……。でも……やっぱりムカつく……! あんたなんかに庇ってもらって……この先もこの島で生きて行くなんて……!」

 

「だったらどうするというのかな?」

 

上官が出て来て、大井に詰め寄った。

 

「せっかく雨宮が庇ってくれているんだ。それなのにわざわざ出てくるとは。君がかわりに島を出てくれるとでも?」

 

大井は答えない。

――いや、或いは答えられなかったのだろう。

 

「黙って見送ればいいものを……ここにこうして来たという事は、何か後ろめたい事でもあったのではないかね?」

 

「……違う。私は、ただこいつが勝手な事をしたから……」

 

「それを怒りに来たという訳かね。もう会う事のない男に。自分が連れ去られてしまうかもしれないリスクを背負って」

 

上官が何を言いたいのか、俺には分からなかった。

だが、大井は何か感じ取ったようで、上官を睨み付けていた。

 

「……まあいい。君が島を出ないというのなら、このまま雨宮を連れて行く。有難迷惑だと思うのは勝手だが、そんなことはすぐに忘れてしまう事だ。気にすることはないよ」

 

そう言って、上官は大井の肩をポンと叩いた。

 

「雨宮、せかっく大井が来てくれたんだ。お別れを言うくらいは許そうじゃないか」

 

上官は俺を大井の前に立たせると、一歩下がった。

お別れか……。

 

「大井……」

 

「…………」

 

「……余計なお世話かも知れないが、一言だけ言わせてくれ」

 

「…………」

 

「自分を信じてやれ。お前が何を苦しんでいるのかは分からないが、それを救ってやりたいと思っている奴は、たくさんいるはずなんだ。その救ってやりたいと思っている奴を信用するには、まずはお前がお前自身に向き合わなければいけない」

 

「…………」

 

「一人で戦うよりも、誰かと一緒の方がいい。俺はこの島で、それを学んだ。きっと、お前もそう思う日が来ると信じている。そうでなくても、俺がそうだったと、覚えてくれたら嬉しいよ」

 

そう笑ってやっても、大井は何も言わなかった。

俺は上官に向いた。

 

「ありがとうございました……」

 

「……もういいのかね?」

 

「えぇ……」

 

歩き出すと、再び皆が声をあげた。

だが、俺は振り返ることが出来なかった。

振り返る資格が無かった。

 

「色々とご迷惑をおかけしました……。私の力不足でした……」

 

「そうだね。だが……惜しいところまではいったのではないかな……」

 

「え……?」

 

上官は再び大井を見た。

 

「本当にいいのかね?」

 

その問いに、大井はただ俯いて見せた。

 

「……君の気持ちは手に取るように分かるよ。雨宮の言う通り、自分に素直になったらどうなのかね……?」

 

大井は答えない。

 

「私はね、君のような艦娘を多く見て来た。間違った選択をしてしまい、今なお後悔している艦娘をね……」

 

唐突な上官の態度に、俺は困惑していた。

一体、何を言って……。

 

「君もその一隻になってしまうのかな。君だって、なんとなく、そう思っているのではないのかね……?」

 

上官の目は、追及するものではなく、どこか悲しそうなものであった。

 

「……船が出るまではまだ時間がある。せめて、後悔しない様に、雨宮にぶつけてみたらどうだろう? 自分の気持ちを……」

 

大井は深く目を瞑ると、何か決意したかのように、顔をあげた。

そして、俺をじっと見つめると、背を向け、歩き始めた。

 

「大井……」

 

「行ってやれ、雨宮」

 

「え……?」

 

「追いかけるんだ。大井は、自分に向き合う決意が出来たようだ。最後だ、ちゃんと応えて来い」

 

そう言うと、上官は俺の背中を押した。

 

「上官……どうして……」

 

「そんな事を聞いている暇があるのかね? 船の準備が出来たら、すぐに出発する。時間はないよ」

 

そう言うと、上官は船へと向かっていった。

 

「雨宮さん……」

 

「大淀……」

 

「行ってください……。早く……」

 

「あ、あぁ……」

 

大淀に促され、俺は大井の後を追いかけた。

途中、振り返ってみると、皆が俺を見ている中で、大淀だけは、船をじっと見つめていた。

 

 

 

大井が向かったのは、風力発電機のある『あの場所』のようであった。

かつて、北上と大井が決別した場所だ。

 

「何かと縁のある場所だな……」

 

山を登り切り、例の大きな岩の方へ行くと、案の定、大井が座って待っていた。

 

「大井……」

 

「……何しに来たのよ」

 

付いて来いと言わんばかりだったのに――いや、俺の勘違いだったか……。

 

「すまない……。てっきり、付いて来いと言っているものだと思ってな……」

 

「そんな事、言ってないわよ……」

 

「だよな……」

 

永い沈黙が続く。

せっかく上官が時間をくれたんだ。

何か言わなくては……。

 

「大井、その――」

「――いつまでそんなところで突っ立ってるのよ……」

 

大井は、帰れ、とでも言うように、俺の言葉を切った。

折れかけていた心は、今ので完全にポキリと音を立てて逝った。

 

「……悪い。もう行くよ……。邪魔して悪かったな……」

 

そう言って立ち去ろうとすると、大井はそれを止めた。

 

「どこに行くのよ……」

 

「え……?」

 

「時間がないんでしょ……。座ったら……?」

 

大井は遠くの景色に目を向けながら、隣を空けてくれた。

さっきの台詞は、「帰れ」ではなく、「突っ立ってないで、座ったら?」という事だったのか……。

 

「あ、あぁ……」

 

「ったく……どんくさいったら……」

 

隣に座る。

鹿島の時もそうだったが、ここで誰かと座る時は、何故か緊張していることが多い気がする。

 

「…………」

 

「…………」

 

再び、永い沈黙が続く。

俺はただ、大井の言葉を待っていた。

 

「……どうしてよ?」

 

「え……?」

 

「どうして……私を庇おうとしたのよ……。悪いのは……私なのに……」

 

そう言うと、大井は膝を抱えた。

夕張と同じように。

 

「いや……悪いのは俺だ……。もっと上手くやれると思っていたし、こんなことになるなんて、思ってもみなかった……」

 

「それでも……発端は私じゃない……。あんたにあんなことをしなければ……」

 

打って変わって、大井は急に、自分の非を認め始めた。

 

「……どうした急に?」

 

その問いかけに、大井は何も答えなかった。

 

「……こんなことを言うのも、何だか変に思うかもしれないが、俺は嬉しかったんだぜ」

 

「嬉しかった……?」

 

「あぁ……。どんな形であれ、お前が俺に向いてくれたことがさ。暴力は良くなかったかもしれないが……」

 

「……暴行されて、喜んでいたって訳?」

 

「言い方……。まあでも……そういうことになるのかな……」

 

「……確かに、変に思うわ。普通、そんなこと……思わないもの……」

 

「そうかな……」

 

「そうよ……」

 

大井とこうして話せているってのは、新鮮……な、はずだったが、俺はどこか――そうだ、夕張と話しているような、そんな日常的な――面倒くさいような――でも、どこか心地よいような、そんな気持ちになっていた。

 

「でも……あんたと似たような事を言っていた奴が……昔、いてね……」

 

「佐久間肇か……?」

 

大井は、驚いた表情を見せた。

 

「佐久間肇は……俺の親父だ……」

 

そしてさらに、より一層、驚いた表情を見せた。

 

「……顔が似ているとは思っていたけれど」

 

「言動も似ているだろ。意識はしていなくとも、似てしまうようでな。よく言われるんだ」

 

普通、冗談だ嘘だと言いそうなもんだが、大井は疑う素振りも見せなかった。

 

「そう……。そうなのね……」

 

「……お前は佐久間肇を嫌っていると言っていたが、本当にそうなのか?」

 

大井は俯くと、黙り込んでしまった。

 

「何があった……。佐久間肇と……。奴の何が……お前をそこまで変えてしまったんだ……?」

 

大井はしばらく黙り込んだままであったが、やがて顔をあげると、ゆっくりと語り始めた。

 

 

 

 

 

 

私は、あいつの事が嫌いだった。

 

「佐久間肇だ。よろしくな」

 

この島を出る気なんてなかったし、あいつでなくとも、私は人というものが嫌いだった。

 

「新しい提督、なーんか変な人だったねー」

 

「そうですか? 私には、どいつもこいつも同じように見えますけど……」

 

「大井っちは相変わらずだねー。そんなに人が憎い?」

 

「憎いというか……ムカつくんですよ……。戦ったのは私達で、今の平和をつくったのも私達……。なのに、人間ときたら、まるで自分たちの功績だと言わんばかりに偉そうにして……」

 

「まあ、そうかもしれないけどさ。あたしたちは兵器な訳じゃん? 人間でない以上、仕方ないよー」

 

北上さんはそう言っていたけれど、私の意見は違った。

私達が兵器であることは間違いないけれど、こうして自我はあるわけだし、人と同じものを食べ、『生きている』って思っていたから。

人間は嫌いだけれど、私は自分の事を『人間』だって、そう思っていた。

 

 

 

佐久間肇は、北上さんの言う通り、少し変な人間だった。

自分に好意的な艦娘よりも、むしろ、自分を嫌ってくるような艦娘にばかり、手を差し伸べる様な人だった。

 

「霞、隣いいか? 座るところなくて、困っているんだよ」

 

「はぁ? 何処がよ? 席ならたくさん空いてるじゃない」

 

「察しが悪いな。お前と一緒に飯を食いたいって言っているんだよ」

 

「……だったら、最初からそう言ったら?」

 

「恥ずかしくてな……。ほら、俺って人見知りだろ?」

 

「どこが人見知りよ……。まあ……別に拒む理由も無いし……勝手にしたら……?」

 

「おう、ありがとう」

 

私ですら、霞には手を焼いていたというのに、あいつは易々とその殻を破っていた。

 

「やり手だねぇ、提督は」

 

「……ただのたらしですよ。霞はああいうのに弱いだけです」

 

「それを見抜いたのがやり手だって話だよー。大井っちは、本当に提督の事が嫌いなんだねぇ」

 

正直、認めてはいた。

今までの人間とは違うって。

でも、それ以上でもそれ以下でも無かった。

海軍としての実力は認めても、人であることに変わりはなかったから。

 

 

 

やがて、手のかかる艦娘達は、皆、佐久間肇の餌食になっていった。

私のところに来るのも時間の問題だって思っていたけれど、私が避けているのもあってか、交流を持ちかけてくることはなかった。

 

「阿武隈のやつ、あんなに人の事を怖がっていたのに、今では提督に夢中になってるよ。女の顔してる」

 

「そうですか……」

 

「大井っちもさ、実は気になってるんじゃないの? 提督の事」

 

「はい? どうして私がそんなこと……」

 

「いやね? 提督が来て、かれこれ三年くらい経ってるけどさ、未だに大井っちに話しかけようとしないじゃん? 流石の大井っちも、その事を意識しているんじゃないかなって。どうして私にはーってさ」

 

確かに、思ってはいた。

けれど、私も避けているわけだし、そもそもどうでも良かったから、深く考えないようにしていた。

 

「あたしが思うにさ、提督はわざと大井っちに話しかけていないんじゃないかって、思うんだよね」

 

「わざとですか?」

 

「そう。あえて大井っちに話しかけないことによって、どうして自分にだけ話しかけないんだろうって、意識させるためにさ」

 

そう言われて、ハッとした。

なるほど、あいつならやりかねない……。

現に、私はそう思っていた訳だし。

 

「そこんとこどうなのよー? 大井っちー」

 

「……別に、どうでもいい事です。それよりも、北上さんの方こそ、随分、あいつにご執心のように見えますけど?」

 

「お菓子くれるしねー。いい人だよ、提督は」

 

「お菓子くれるなら誰でもいいんですか……」

 

あいつの目論見が、北上さんの言う通りならば、私は既に、その術中にハマっていることになる。

それを否定したくて、あいつをより一層避けてみたり、存在自体を認識しないように振る舞ったりしてみたけれど、そうすればそうするほどに、逆に意識しなければいけなくなって――気が付くと私は、無意識のうちに、佐久間肇の事を考えるようになっていた。

 

 

 

そんなことが続き、佐久間肇が島に来て五年が経過した頃、私も気が変になっていたのでしょうね。

逆に、佐久間肇に私を意識させようって、思い始めていたの。

――自分でも、変なことを言っているってことくらい、分かっているわ。

でも、当時の私は、それほどに追い詰められていたのよ。

どうにかして、佐久間肇を私の頭の中から追い出したい一心だったのよ。

……本当、今思えば、バカな事をたくさんやったわ。

意識させる為に、わざとあいつの視界に映るように振る舞ったり、薄着でうろついてみたり、夜中に偶然を装って鉢合わせてみたり……本当、ばっかみたい……。

結局……いろいろやってはみたのだけれど、あいつは相変わらずで――私に話しかけることはしなかった。

ただ私が馬鹿をやっただけ。

笑っちゃうでしょ……?

 

 

 

それから色々考えて、私が導き出した答えは、『一人になる』という事だった。

いくら寮の中で佐久間肇を避け続けても、結局、誰かしら奴の話題を出すから、私は嫌でもそいつの事を考えなければいけなくなる。

だったら、誰もいない――誰にも見つからない場所で、出来るだけ一人で居ようと思ったのよ。

そうすればきっと、奴の事を考えずに済むって……。

そうして見つけたのが、『この場所』だったの。

 

「こんな所、あったのね……」

 

当時はまだ、風力発電機なんてなくて、この大きな岩だけが転がっている、何もない場所だったの。

ここへ来る道だって、今みたいには続いて無くて、草木をかき分けて進まなければいけないほどだったから、誰にも発見できるはずがなかった。

 

「ふぅ……」

 

潮風がとても気持ち良くてね。

風と、ウミネコの鳴き声くらいしか、ここにはなかった。

 

「綺麗……」

 

船が通るたびに、その航跡がキラキラと光っていた。

その光景を見ているだけで、私の心は――佐久間肇の事なんて、入る隙間も無いくらい――満たされていった。

私だけのサンクチュアリ……のはずだった。

 

 

 

「大井……?」

 

『この場所』を見つけてから数日とも経たないうちに、佐久間肇に発見された。

――いえ、あとから聞いた話だと、先に見つけたのはあいつの方だったらしいけれど。

 

「どうしてあんたがここに……」

 

「こっちの台詞だ。ここは、俺がたまに休憩しに来る場所だぜ」

 

最悪。

よりにもよって、こいつに見つかるなんて……。

 

「……あっそ」

 

また、一人になれる場所を探さないと。

そう思って、立ち去ろうとした時だった。

 

「待てよ大井」

 

「……なによ?」

 

「せっかく来たんだ。少し、話でもしないか?」

 

「はぁ……? 普通に嫌……」

 

「そんなこと言わずにさ。頼むよ」

 

私は嫌な顔を見せたけれど、本当言うと、悪い気はしなかった。

愚かな行動だったとはいえ、一度でも意識させようとしていた相手が、今まさに、私に交流を求めてきているのだもの。

 

「あんたなんかと話すことなんてないわ……」

 

「いや、あるだろう。ほら、北上の事とか、駆逐艦の事とか、この場所の事とかさ」

 

「なにそれ……。北上さんの話題はともかく、どうでもいい事ばっかじゃない……」

 

「じゃあ、北上の事を話そうぜ。ほら、突っ立ってないで、座ったらどうなんだ?」

 

「絶対に嫌……」

 

そんなに嫌なら、すぐにでも去ればいいものを……。

そこを指摘しなかったのは、きっと、あいつなりの気遣いだったのだと思う。

……本当、気持ち悪い。

 

「そうか……。そこまで嫌なら仕方ない……。諦めるよ」

 

そういって、あいつは岩の上に寝ころんだ。

 

「ここに来ると、色々忘れられるんだよな。お前もその口か?」

 

私は答えなかった。

……去ることもしなかったけれど。

 

「……しばらく寝させてもらうぜ。引き留めて悪かったな」

 

ものの数分で、寝息が聞こえて来た。

相当眠かったのか、はたまた、ただ眠りにつくのが早いだけなのか……。

 

「……あほくさ」

 

それは、佐久間肇に対して言ったものではなくて、そんな事を考えている自分に対してだった。

 

 

 

それからというもの、『この場所』に来る度に、あいつはここに居た。

 

「よう」

 

私は、佐久間肇が居ないものだとして、少し離れた場所にレジャーシートを敷いて、座ることにした。

……別に、ここに来たのは、奴と話す為じゃない。

この場所は私のものだという主張をする為……。

抗議をする為……。

…………。

…………。

…………。

なんて、最初は自分に、そう言い聞かせていたけれど、本当は違った。

 

「そういや、最近、北上がさ――」

 

「…………」

 

「それで、島風が――」

 

「…………」

 

「おーい、聞いてるか?」

 

「…………」

 

「……参ったな。もう話題がない。今日のところは帰るぜ。次会った時には、お前が思わず反応するような話題を持ってきてやる。覚悟しておけよ、大井」

 

ここに居れば、あいつは私と交流しようとする。

優越感に浸れたのよ。

ざまあないわってね。

あいつは必死に私と交流しようとするけれど、私は絶対に振り向かない。

あいつが私にしてきたことを今度は私がやる番だって。

そう思ったのよ。

……あんたが言いたいことは分かる。

当時の私は、本当に馬鹿だったのよ……。

 

 

 

そんなことがしばらく続いたのだけれど、ある日を境に、あいつは顔を出さなくなった。

そう……山城さんを部屋から引っ張り出した日から……だったかしら……。

 

「おう、山城。元気にしてるか?」

 

「……逆に、元気に見えますか?」

 

「部屋に引きこもっていた時よりかは、元気に見えるぜ。少し明るく見える」

 

「はぁ……そうですか……」

 

山城さんを部屋から出すのは、凄く苦労したみたいで――それを成し遂げたあいつは、山城さんに夢中だったみたい。

 

「明日は外に出てみないか? 陽の光を浴びれば、きっと元気になるぜ」

 

「はぁ……普通に嫌です……」

 

「そんなこと言わずにさ」

 

山城さんも山城さんで、あいつの事を嫌がるものだから――余計に火が付いたみたいね。

 

「提督、とうとう山城さんまで出しちゃったねぇ」

 

「…………」

 

 

 

かくして、私のサンクチュアリに平穏が訪れた訳だけれど……。

 

「…………」

 

――別に、寂しいとか、そういうんじゃないの。

何て言うか……ここにいる意味が無くなったというか……。

何のためにここに来ていているのか、よく分からなくなっちゃって……。

 

「あほらしい……」

 

ここで一人になっても、考えるのはあいつの事ばかりだった。

これじゃあ、本末転倒。

寮に戻って、北上さんとの楽しい時間で、あいつの事を忘れようとも思ったけれど、寮にはあいつがいるし、何よりも――。

 

 

 

 

 

 

そこまで言うと、大井は急にイライラしだした。

 

「大井……?」

 

「はぁ……ムカつく……! あぁもう……! 本当……! 最悪よ……!」

 

そう独り言のようにつぶやくと、しばらく黙り込んでしまった。

俺は何も言わず、ただ大井が続けるのを待った。

 

「はぁ……ごめんなさい……。取り乱したわ……」

 

「いや……」

 

「続けるわね……」

 

 

 

 

 

 

そう……。

そうだわ……。

私は、イラついていたのよ。

また、あいつの事に悩まされているって。

それなのにあいつは……。

 

 

 

 

 

 

再び黙り込む大井。

何かを考える様に、目を瞑っている。

或いは、何かに耐えているようにも――。

 

「大丈夫か……?」

 

そう言ってやると、大井は大きくため息をついて見せた。

 

「大丈夫じゃないわよ……。なんか……もう……考えたくない事まで考えちゃって……」

 

「……すまない」

 

「……どうしてあんたが謝るのよ?」

 

「いや……思い出したくないこともあるのだろうと思って……。それを俺が……無理に話させようとしてしまったから……」

 

普段の俺なら、こんなことは言わなかっただろうと思う。

だが、今の俺は――。

そんな俺に、大井は呆れる様な表情を見せた。

 

「馬鹿……違うわよ……。私が勝手に話しているだけだし……。そもそも、あんたが心配しているような事じゃないから……」

 

そう言って、大井は顔を背けた。

 

「……慰めてくれたのか?」

 

「そんなんじゃないわよ……。ただ……あんたの落ち込んでる顔が気持ち悪かっただけよ……」

 

退屈そうに頬杖をつく大井。

 

「……そうか」

 

永い沈黙が続く。

 

「……気づいちゃったのよ」

 

「え……?」

 

「気づいちゃったのよ……。あいつが……佐久間肇が、私じゃなくて、山城さんとの交流に夢中になっている……。その事に、苛立ちを覚えてしまっていたんだって……」

 

そう言う大井の横顔は、どこか――。

なるほど。

大井が黙り込んでしまった意味が――イライラし出した意味が、ようやく分かった。

 

「寮に戻らなかったのは、佐久間肇が山城に構っている姿を見たくなかったから……という事か……」

 

大井は何も言わなかった。

 

「そうか……」

 

「本当は……あの時から気づいていたのかもしれない……。でも、認めてこなかった……。認めたくなかった……」

 

「佐久間肇の事が嫌いだったから……」

 

大井は小さく頷くと、話を戻す様に、一呼吸置いた。

 

 

 

 

 

 

そんな苛立ちを、私は『人間への憎悪』というかたちに変えていった。

憎悪を増すことによって、『佐久間肇』という『個人』を否定し、『人間』という大きな括りの一つとして認識しようと考えたのよ。

幸い、人間を恨んでいる艦娘は多かったし、そのグループに交ざることによって、憎悪はさらに増していった。

 

 

 

人間への憎悪が完成に近づいた頃、『この場所』に突如、あいつが現れた。

 

「よう」

 

「……何しにきたのよ?」

 

以前とは違い、憎悪全開で向かうことが出来た。

それが無かったら、きっと私は――。

 

「永い事、ここに来れてなかったと思ってさ」

 

そう言うと、あいつは私の隣に座った。

 

「ちょっと……! 何勝手に座ってんのよ!?」

 

「別にいいだろ。ここは誰の場所でもないんだ」

 

「……ッチ」

 

私は立ち上がり、去ろうとした。

 

「あ、待ってくれ。大井」

 

今度ばかりは待たなかった。

もう振り回されない。

私の決意は、それほどに固まっていた。

するとあいつは、何を考えているのか、私の手を取って、強引に引き留めようとしたの。

 

「ちょ……! あんた何を考えて……!」

 

その表情に、私は思わず固まってしまった。

 

「頼む……大井……」

 

まるで、助けを求めるかのような――とにかく、今まで見たこともないほどに弱弱しい表情だった。

 

「無視しててもらって構わない……。少しだけ……俺の話を聞いてくれないか……?」

 

今更何の話を聞けと言うのか。

 

「嫌よ……。気持ち悪い……」

 

掴まれた手を振りほどくと、佐久間肇は小さく「そうか……」と項垂れた。

その姿がとても情けなくて――。

 

「話なら……山城さんにでも聞いて貰ったらいいじゃない……」

 

なんて、思わずアドバイスなんかしちゃったのよ。

そんな事をしてしまうくらい、哀れに思えちゃったのよ。

 

「お前がいいんだ……。俺の事をなんとも思っていない、お前がいい……」

 

ただ話を聞いて欲しい。

交流などではなく、ただ、自分のことを聞いて欲しい。

 

「頼む……」

 

懇願してくることもそうだったけれど、自分の事を進んで話そうとするなんて、今まで一度だってなかったし、聞いたことも無かった。

 

『提督に色々聞いてもさ、なーんかはぐらかされちゃうんだよねぇ』

 

むしろ、自分の事を話したがらないことで有名だったから――。

 

「あんた……一体どうしたっていうのよ……?」

 

思わず聞いてしまった。

心配……というよりも、単純に好奇心だった。

佐久間肇の事は嫌いだけれど、嫌いなものほど、知りたくなる時ってあるじゃない?

そんな感じよ……。

別に、他意はないわ……。

 

「聞いてくれるか……?」

 

私は返事をしなかった。

けれど、それが答えだって、あいつは分かっていたみたい。

 

「ありがとう、大井……」

 

私は何も言わず、ただあいつの言葉を待つことにした。

 

「実は……『とある事情』があってさ……この島を出るかどうか……迷っていてな……」

 

『とある事情』について気になったけれど、何よりも、島を出ようとしている事実に、驚いていた。

 

「俺は今まで、艦娘の『人化』を成し遂げることが、『為』になることだと思っていた。俺が出来る唯一の事だと思っていた。けれど、そうじゃないのかもしれないと思うことがあってな……」

 

こいつは一体、なんの話をしているのか。

 

「この仕事だって、最近は上手くいっていないし、もう俺に出来ることはないんじゃないかって、思い始めていたところだ……」

 

確かに、その頃のあいつは、上手くいっていない様に見えた。

山城さんだって、部屋を出てから何も変わっていないし、寮の皆も、佐久間肇に好意を寄せ過ぎて、島を出る気配すら見せていなかった。

 

「お前だったら、島を出てしまったらいいと思うかもしれない。けれど……本当にそうすることが正しいのか、俺には分からなくて――」

 

何が引っかかって島を出れないのか、あいつは語らなかった。

おそらく、『とある事情』とやらに何かあるのだろうけれど、それを語らないところを見ると、言っていた『無視してても構わない。話を聞いて欲しい』というのは、本当の事なのだろうと思った。

 

「――そんな話だ。こんな弱音……あいつらには聞かせられなかったんだ……。それでも、やっぱり、誰かに聞いて欲しかった。誰かに話すことによって、俺の考えも見えてくるだろうと思ったんだ……」

 

私にだけは話せた。

私なら、どうでもいい事だと流してくれるから。

 

「わざわざ呼び止めたのに、こんな話で悪かった……。少しだけ、自分の気持ちが見えた気がするよ」

 

そう弱弱しく笑う姿に、私は――。

 

「本当よ……。何よ……そんな馬鹿みたいな話……」

 

「はは……すまん……」

 

「……まだ、やらなきゃいけないことがたくさんあるじゃない」

 

「え……?」

 

「あんたは……それを疎かにして、この島を出ようって訳……? 何を悩んでいるのかは知らないけれど……中途半端で終わらせるのは……どうかと思うわ……」

 

自分でも、何を言っているんだって思った。

けれど、何だか分からないけれど――。

 

「あんたの事は嫌いだけれど……あんたに救われた艦娘だってたくさんいるし、それを待っている奴だって、まだいるはずよ……。それを見捨てて、あんたは去って行くというわけ……?」

 

別に、引き留めようとして言った訳じゃない……。

ただ、ムカついただけで……。

…………。

…………。

…………。

ううん……違う……。

そう自分に、言い聞かせていただけ……。

本当は、本当に救われたかったのは――。

 

「…………」

 

けれど、それは言えなかった。

 

「大井……」

 

「…………」

 

「……ありがとう」

 

それが、なんのお礼だったのかは分からない。

ただあいつは、この島に残ることを決めたみたいで、翌日には、いつもの調子を取り戻していた。

 

 

 

それから時々、あいつは『この場所』に現れては、私に自分の話を聞かせた。

私も、何を律儀に聞いているんだって思うかもしれないけれど――悪い気はしていなかったのよ。

別に、することも無かったし――いえ、本当は、楽だったのよ。

人間への憎悪を持つグループと話しているよりも、あいつの話を聞いている時の方が、気持ちが楽になれた。

その理由は分からないけれど――ううん、本当は分かっているのだけれど、認めたくなかったし、今もそう思ってる。

そんな気持ちに隙が出来たのか、私は思わず、この島に残る理由を話すことになったのよ。

どういう流れだったかは、未だに思い出せないけれど……。

 

「怖い……?」

 

「えぇ……恥ずかしい話だけれど……怖いのよ……。私なんかが、人間の社会に馴染めるかどうかって……」

 

「……意外だな。お前なら、何とでもなりそうなものだが……」

 

「私は戦いしかしてこなかったし、見ての通りの性格だから……。今こうしていられるのだって、優しい人に恵まれているだけで、私一人じゃ何も出来ないし、きっと誰かを傷つけてしまうって……」

 

「優しいんだな……」

 

「臆病なだけよ……。誰かを傷つけるだけじゃなく、私自身も傷ついてしまうから……。体の傷は消えても、心の傷は残り続ける……。今も……ずっと……」

 

 

 

 

 

 

大井は言葉を切ると、俺の方を向いた。

 

「じゃあ……お前が島に残るのは……」

 

「えぇ……。私は……恐れているのよ……。人間の社会が怖いの……。死ぬのだって怖いし……なにより……」

 

「なにより……?」

 

「独りになるのが……怖いのよ……」

 

 

 

 

 

 

「独りになるのが怖い……か……。北上なんかが、一緒に居てくれそうなもんだがな……」

 

「一生一緒ってのは無理でしょ……。それに、北上さんもいつか、異性に恋をする日が来るわ。――いえ、もう既に、恋をしているのかもね……」

 

北上さんは、佐久間肇の事が好きだったのだと思う。

その事に気が付いていたのか、あいつは何も言わず、ただ私の言葉を待つだけだった。

 

「いつだったか、誰かに言われたの……。外の世界に出れば、きっと私の事を理解してくる人がいるって……。そんな、在るかも分からないものを信じ、島を出るなんて……私には出来ない……。私は……」

 

そこまで言って、我に返った。

私はどうして、こんな奴にこんな話を……って……。

 

「……今日はもう帰るわ」

 

逃げ出す様に去ろうとする私をあいつは止めた。

 

「……なによ?」

 

「今の話……お前の事を理解してくれる人がいると信じることが出来れば、お前は島を出るって事か?」

 

「……どうかしらね」

 

「もしそうなら……信じてみないか……?」

 

「え……?」

 

「要は、お前を理解し、独りにさせない存在が居ればいいって事だろう?」

 

「まあ……そうなるのかしらね……」

 

「だったら、俺がその存在になるよ」

 

そんな、あまりにも馬鹿らしいことを、あいつは真剣な表情で言ってのけた。

 

「はぁ……? あんた、何を言って……」

 

「外の世界には必ず、お前を理解してくれる人がいる。そんな人が見つかるまで、俺がその存在になってやる」

 

「……馬鹿言ってんじゃないわよ。そういう冗談は……本当に嫌い……」

 

「俺では嫌か……?」

 

私は何故か、答えに詰まってしまった。

 

「俺の事が嫌いなのは分かっている……。俺なんかに理解されても、迷惑だって事もな……」

 

私は何も言えなかった。

 

「だが、少しの辛抱だ。お前を理解してくれる人は、俺が必ず見つけてみせる。もし見つからなくても、お前を独りになんてしない。約束するよ」

 

「ちょ、ちょっと……何勝手に盛り上がってるのよ……。私は……別に……」

 

「だから、大井」

 

あいつは、私の話なんか耳に入っていないようで――ただ手を差し伸べた。

 

「俺を信じて、ついてきてほしい」

 

私は、その手を――。

 

 

 

 

 

 

「掴めなかったんだな……」

 

大井は小さく頷くと、俯いてしまった。

 

「そうか……」

 

「でも……拒絶したわけでも無かったから、あいつは「待っている」って、言ってくれたの……」

 

言ってくれた……か。

 

「それからずっと、一人で考え続けた……。最初こそは、絶対にありえないって気持ちの方が勝っていたけれど、日が経てば経つほどに、あいつの気持ちが痛いほど分かってきて――それはあいつも同じようで――……」

 

大井は言葉を詰まらせると、膝を抱え、そこに顔を埋めた。

 

「信じたいって思った……。信じてもいい人だって、思った……。だから私は……あの嵐が止んだら……あいつに……あいつの手を……」

 

それから、大井は黙り込んでしまった。

永い永い沈黙が続く。

 

「佐久間肇に……裏切られたって訳か……。孤独にされたって訳か……」

 

大井は何も言わない。

 

「それが、お前がこの島に残る理由か……。お前が誰も……自分すらも信じなくなった理由か……」

 

「…………」

 

「もう二度と、傷つきたくない……。そう言う事だな……?」

 

大井ほどの艦娘の心を動かすのは、相当な事だろうと思う。

佐久間肇ですら、永い時間をかけ――尚且つ、実力ではないところを見ると――。

そんな奴が負った傷は、おそらく、俺ですら理解できないほどに、深いものなのだろうと思う。

 

「大井……」

 

「…………」

 

「そんなお前が……どうして俺に……そんな話を……?」

 

大井は深く目を瞑ると、しばらく黙り込んでしまった。

そして、ゆっくりと目を開けると、俺をじっと見つめた。

 

「あんたは……言ってくれた……」

 

「え……?」

 

「あんたの事じゃなく……私自身を信じてくれと……」

 

その目は、潤んでいた。

 

「昨日……いえ……今日になるのかしら……。私の部屋の前で、言ってくれたじゃない……」

 

『俺を信じなくとも、お前はお前自身の事を信じて欲しい……。自分が本当はどうしたいのか……何を苦しんでいるのか……それに向き合って欲しいんだ……』

 

扉越しに言った、あの言葉か……。

 

「聞こえていたのか……」

 

「ずっと、誰かを信じろって……言われてきた……。あいつですら……そう言っていた……。誰かを信じるなんて……私には出来ないって……ずっと否定してきた……。信じた結果……裏切られるのが嫌だったから……」

 

「…………」

 

「でも……あんたは違った……。自分の事じゃなくて……私自身を信じろと言ってくれた……。その時、思ったの……。あんたは……私を信じてくれているんだって……。今までの人とは違って、私を信じてくれているのだって……」

 

俺が、大井を信じる……。

 

「誰かを信じろって言ってくる奴らは、私の事を信じていなかったんだと思う……。だからこそ、手を差し伸べてやらなきゃいけないんだって、思ったんじゃないかしら……。でも私は……そんな世界が怖いと言っているのに……。誰かに助けられなきゃ生きていけない世界なんて……私が生きて行けるはずがない……。独りになって……死んでゆくだけだわ……」

 

大井のその気持ちが、俺には少し分からなかった。

俺自身、そんなつもりで言ったわけではないし、おそらく、手を差し伸べてきたやつらも、きっと――。

 

「あんたにそのつもりはなかったのかもしれない……」

 

俺は心を読まれた気がして、思わずギョッとした。

 

「それでも……そうなんだって思いたい自分が居た……。そうであって欲しいと思っている自分が居た……。そうだったら、きっと私は……」

 

大井の手が、小さく震えていた。

 

「大井……」

 

「私は……もう一度……誰かを信じてみたかった……。裏切られるのは怖いけれど……やっぱり……信じてみたかったのよ……」

 

大井の目から、涙が零れる。

 

「どんな理由があってもいい……。もう一度……信じることが出来る人に出会いたかった……」

 

「それが……俺であると……?」

 

「どんなに私が嫌っていても……あんたは私を信じてくれた……。最後の最後まで……自分を犠牲にしてまでも……信じてくれた……。それが……嬉しかった……」

 

大粒の涙が、地面を叩く。

その音は、静かなこの場所では、よく響いていた。

 

「こんなことになったのは……私の所為よ……。もっと……もっと早くから、あんたを信じていれば……もっと早くから……私を信じてあげていれば……」

 

「大井……」

 

「ごめんなさい……。ごめんなさい……。うぅぅ……」

 

大井は泣き続けた。

声こそは大きくなかったが、それでも、彼女の普段の性格からは想像もできないほど、情けない泣き声であった。

 

 

 

泊地の方が騒がしくなっている。

それは、残された時間が、もう少ないことを意味していた。

 

「……もうそろそろ行かないと」

 

大井は泣き止んでいたが、あれから一言もしゃべらないでいた。

 

「大井、最後にお前の事を知れてよかった。その上で、改めて言わせてほしい……」

 

「…………」

 

「俺は、お前を信じている。信じているからこそ、この島を出るんだ。そうでなければ、俺はしがみついてでも、この島に残ろうとするだろう」

 

「…………」

 

「……ありがとう、大井。お前が俺を信じようとしてくれたこと……本当に嬉しかった……」

 

「…………」

 

「じゃあな……。島の外で、お前の事を待っているよ。必ず会いに来てくれると……強くなったお前の姿が見れるって……信じている……」

 

「…………」

 

「さようなら、大井……」

 

俺はあえて、『さようなら』という言葉を選んだ。

『さようなら』は、もう二度と会えないという様な、マイナスな言葉として使われがちだけれど、本来は『左様ならば、また会いましょう』という言葉が短縮されたものなのだ。

大井がその意図を察してくれるかは分からないが、もう一度会える日を願う意味でも、俺はあえて、その言葉を選んだのだった。

 

 

 

泊地に着くと、皆、一斉に俺を見た。

その表情は、俺が一人でいるところを確認すると、絶望の色に染まっていった。

 

「上官……」

 

「……駄目だったかね?」

 

「いえ……大井は大丈夫です……。あいつはこれから、きっと、強くなって行くでしょう……」

 

聞いているのはそんな事ではない、とでも言うように、上官は困った顔を見せた。

だが、それを承知の上で、俺はあえて、そう言ったのであった。

 

「準備は済んでいるようですね……」

 

「あぁ……」

 

俺は、そのまま船の方へと向かっていった。

引き留めようとする皆の声に、あえて振り向くことはしなかった。

 

「慎二さん……」

 

「協力してもらったのに、悪かったな……」

 

後輩は、なんとも言えない表情で、俺を船に乗せた。

 

「本当にいいんだね?」

 

「はい。出してください」

 

「……分かった」

 

船は、けたたましい音を立てて、震え始めた。

皆の声をかき消すような、そんな大きな音であった。

やがて、ゆっくりと、船が動き出す。

 

「…………」

 

母さん……ごめんな……。

でも……俺、母さんが言っていたこと、ようやく分かった気がするよ。

確かにあの人は、母さんの言う通り、立派な人だったかもしれないって……。

佐久間肇が遺したものは、あまりにも大きくて、戦犯だって言われているのも分かる。

けれど、少なくとも、誰かを本気で救いたいと思っていたことは確かなんだ。

そして――

 

『実は……『とある事情』があってさ……この島を出るかどうか……迷っていてな……』

 

『俺は今まで、艦娘の『人化』を成し遂げることが、『為』になることだと思っていた。俺が出来る唯一の事だと思っていた。けれど、そうじゃないのかもしれないと思うことがあってな……』

 

もしそれが――そうなのだとしたら――。

 

「待って……!」

 

船の轟音すらもかき消すような、そんな大きな声であった。

その声に振り返った時――まるで、スローモーションの中に居るかのような、そんな光景であった。

泊地から飛び出してきたであろう何かが、今まさに、俺の目の前に迫っていたのだった。

 

「ぐぅっ……!?」

 

俺はそれを受け止めきれず、その勢いのまま、後ろへと吹き飛んでいった。

 

「慎二さん!?」

 

「雨宮!」

 

皆が心配して、俺に駆け寄る。

船も停止し、やがて辺りは静かになった。

 

「い、いてぇ……。一体……何が……」

 

起き上がる俺の胸の中に、大井がいた。

 

「な……!? 大井……!? お前……何して……!?」

 

大井は俺を見つめると、今にも泣き出しそうな表情を見せた。

 

「大井……」

 

「……じゃないわよ」

 

「え?」

 

「勝手に……いなくなるんじゃないわよ……! 何がさようならよ……。私は……まだ……」

 

大井は立ち上がると、上官に向いた。

 

「私も……島を出る……」

 

「ほう……」

 

「……ちょっと待て! 大井、お前、何を言っているんだ……!」

 

「あんた一人に背負わせたくない……。元はと言えば、私が悪いのだもの……」

 

「だけどお前……!」

 

俺の発言を遮るように、上官は大井の前に立った。

 

「どういう心境の変化なのかな?」

 

「……どうもこうも無いわ。ただ……」

 

「ただ?」

 

大井は深く目を瞑ると、首を横に振った。

 

「……いえ、いい訳はもうしないわ。私は……」

 

「…………」

 

「私は……この人と一緒に居たい……。別れたくないのよ……」

 

そう言って、大井は俺を見た。

 

「大井……」

 

「私は……私を信じてくれる人と、一緒に居たいの……。信じてくれる人と、生きてみたいの……。だから……」

 

大井の目から、大粒の涙が零れる。

 

「いかないでよ……! 居なくならないでよ……! やっと信じることが出来る人に出会えたのに……。私を……独りにしないで……!」

 

大井は俺の手を取ると、そのまま俺の胸に頭を預けた。

 

「あんたのような人を二度も失いたくないの……。だから……行かないで……。もし外に出るのなら……私も連れて行ってよ……」

 

震えるその体を、俺はそっと抱きしめてやった。

 

「……どうした、急に」

 

「あんたの言う通り……自分を信じてみただけよ……。自分の気持ちに……素直になっただけよ……」

 

潤む瞳で、俺を見つめる。

先ほど見せた瞳とは違い、それは何とも純粋なものであって――。

 

「あんたを信じたい……。私を信じてくれるあんたを失いたくない……。だから……」

 

上官は俺たちの前に立つと、その肩をポンと叩いた。

 

「上官……」

 

「それが、君の答えかね。大井」

 

「えぇ……」

 

「だがお前……怖いんじゃないのか……? 島の外に出る事が……」

 

「怖くないわ……。あんたが一緒なら……」

 

そうは言っても、やはり怖いのか、大井の手は震えていた。

 

「……そうか」

 

上官は俺たちを残し、船橋へ向かった。

 

「悪いが、バックして戻してくれないか?」

 

「え……?」

 

船は再び動き出すと、バックし、泊地へと近づいていった。

 

「上官……?」

 

「作戦は成功だ」

 

「え……?」

 

「この作戦の目的は、君が大井との交流に成功するというところにあった。今まさに、それが果たされたわけじゃないか」

 

唖然としていると、上官は続けた。

 

「作戦は成功したから、君を連れ帰る必要はなくなった。だから、島に戻るんだ」

 

「ちょ……ちょっと……! 一体、どういうことなのよ!?」

 

大井は涙を拭くと、俺に詰め寄った。

 

「い、いや……俺にもさっぱりで……」

 

再び上官に目を向ける。

その顔は、どこか――。

 

「……あぁ、そういう事か」

 

「え? どういうことよ!?」

 

俺は大井を離し、上官に向き合った。

 

「上官……貴方は、最初からこうなると、分かっていたんですね……」

 

「…………」

 

「期限を設け、私を脅したのも、その為ですか……? 私に危機感を持たせるための――全ては演技だったのではないですか……? もしそうなら――」

「――雨宮」

 

俺の言葉を遮るように、上官は言葉を重ねた。

 

「君は、今回の作戦が失敗に終わったら、自分一人が責任を負うと言ったね。だが、本当にそれで済むと思っているのかね……?」

 

上官の鋭い目が、俺を睨み付けた。

上官が何を言いたいのか、俺は理解してしまった。

 

「私の顔に泥を塗る真似をしたくはないだろう……? いいかね……。今回の作戦は『成功』だ。人間に反抗的だった大井との交流を果たすどころか、島を出たいと言わせた。大変な功績だ。今回の作戦にかかった費用や、その資金を調達するために行った上層部への虚偽報告――それら全てがチャラになるレベルだ。そうだろう……?」

 

大井もその意味が分かったのか、不安そうに俺の手を握った。

 

「そう言えば、何か言いかけていたな。何か、言いたいことでもあるのかね?」

 

俺は思わず、息を呑んだ。

 

「……いえ、なんでもありません」

 

「そうか。ならいいんだ」

 

俺と大井は動くことさえできなかった。

それは後輩たちも同じようで、泊地に停止するまで、船は異様な空気に包まれていた。

 

 

 

船を降りると、皆が駆け寄って来た。

 

「雨宮さん……大井さん……」

 

事の顛末を知った大淀は、どこか複雑な表情を見せていた。

海軍の船は、何の合図も無く、突然動き出した。

 

「上官!」

 

「私も暇ではないのでね。帰らせてもらうよ」

 

泊地を離れて行く船に、大淀は叫んだ。

 

「坂本さん……!」

 

上官が――坂本上官が振り返る。

 

「貴方、坂本さんでは……!? 容姿が変わっていたので、気が付きませんでしたが……」

 

どうして大淀が上官の事を……。

 

「大淀……」

 

「坂本さん……まさか貴方……大井さんの為に……」

 

坂本上官は何も言わず、背を向けてしまった。

その間際に見えた表情は、どこか――。

 

「早く出してくれ」

 

「坂本さん……!」

 

まるで逃げるかのように、船はスピードを上げて、島を離れて行ってしまった。

 

「坂本さん……」

 

「大淀、お前、上官を知っているのか……?」

 

「えぇ……実は……」

 

大淀が語ろうという時、甲高い――何かを叩くような音が、その場に響き渡った。

音の方を見ると、よろめく大井と、それを睨み付ける夕張が立っていた。

 

「夕張、お前……何やって……!」

 

大井は、来るなというように、俺をじっと見つめた。

 

「貴女がもっと早くに提督を信じていれば……こんなことにはならなかった……!」

 

「……えぇ、その通りです。夕張さん、貴女に説得された時、私がすぐに彼を信じていれば、きっと結果は変わっていました……。本当にごめんなさい……」

 

俯く大井。

夕張は胸倉を掴むと、大井を睨んだ。

 

「散々提督に迷惑をかけておいて……今更行かないでなんて……。自分もついていくだなんて……」

 

「夕張、大井にも事情があったんだ……。手を放してやれ……」

 

「貴方も貴方よ……! どうして貴方は……いつも勝手な事ばかり……。貴方がいなくなったら……困る人たちはたくさんいるのよ……

!? なのに……どうして……」

 

そう言うと、夕張はぽろぽろと涙を流した。

 

「夕張……」

 

「私は……提督も大井さんも……こんな形で失いたくないの……。こんな形で……お別れなんてしたくないの……」

 

夕張は手を放すと、大井の胸に項垂れて、涙を流した。

 

「夕張さん……」

 

「夕張……」

 

大井は夕張をそっと抱きしめると、同じように涙を流した。

 

「ごめんなさい……。心配かけて……ごめんなさい……」

 

それにつられてしまったのか、皆も泣き出してしまった。

特に、駆逐艦たちは、大号泣であった。

 

「大井……」

 

「うぅぅ……」

 

「みんな……お前を心配していたんだぜ……。お前は独りで戦っていたつもりなのだろうけれど、お前の力になりたいって奴らは、こんなにも多くいたんだ……。俺を信じてくれたように――こいつらがお前を信じてくれたように、お前も、こいつらの気持ちを信じてやって欲しいんだ……」

 

「みんな……」

 

駆逐艦たちが、大井を取り囲んだ。

 

「ごめんね……。ごめんね……うぅぅ……」

 

涙する大井に、俺もほろりとやられそうになった。

が、それを阻むように、誰かが俺を強く抱きしめた。

 

「ぐぇぁ!?」

 

思わず声が漏れる。

それもそのはずで、俺を抱きしめているのは、武蔵であった。

 

「む、武蔵……! 苦しい……!」

 

「提督……!」

 

俺の声が聞こえないのか、武蔵は強く、より強く、俺を抱きしめる。

 

「良かった……。本当に良かった……。貴様が居なくなっては……私は……」

 

「……っ!」

 

もう声も出ない。

どうやら武蔵は泣いているようであるが、その表情も確認できない。

 

「…………」

 

目の前が靄に包まれてゆく。

 

「む、武蔵さん! 提督が……!」

 

明石の声が聞こえたのを最後に、俺は――。

 

 

 

「……あれ?」

 

気が付くと、見慣れた天井がそこにあった。

 

「…………」

 

起き上がり、自分が置かれた状況を整理する。

確か俺は――。

 

「あぁ……なるほど……。失神したわけか……」

 

時計を見ると、ちょうど昼を過ぎたところであった。

 

「あ! 提督!」

 

声の主は、明石であった。

 

「起きられたんですね。気分はいかがですか?」

 

「あ、あぁ……大丈夫だ……」

 

「武蔵さんに絞められて、失神したみたいです」

 

「そのようだな……」

 

しかし、抱きしめられるだけで息が出来なくなるなんてのは、マンガの世界の話だと思っていたが、本当にあるもんなんだな……。

 

「……そういや、大井は?」

 

「寮に居ます。皆さんに事情を説明しているようでした」

 

「そうか……。海軍の方はどうだ? あれから船は来ているか?」

 

「いえ……。ぱったりと来なくなってしまいました。船の航跡も無いですよ」

 

海軍は本当に撤退していったようだな。

だが、今後、俺は海軍から目をつけられることになるだろう。

再び同じことが起きない様に注意しなければ……。

 

「提督、お腹、空いていませんか? おにぎり持ってきましたよ」

 

そういや、朝から何も食べていなかったな……。

 

「悪い。いただこう」

 

おにぎりは、少しいびつな形をしていたが、味は悪くなかった。

 

「美味い」

 

「良かった。それ、私が握ったんです。味も、提督が好きそうな味付けにしたんですよ」

 

「そのようだな。俺好みの味だ」

 

握り飯を頬張る俺の姿を明石はずっと見つめていた。

 

「どうした?」

 

「いえ、美味しそうに食べてくれるなぁって。えへへ」

 

「実際、美味いからな」

 

そんな事で見つめていた明石だが、その表情は、時間が経つにつれて、暗くなっていった。

 

「明石?」

 

そして、突然、ぽろぽろと涙を流し始めた。

 

「お、おいおい……。どうした? 大丈夫か?」

 

「提督……」

 

「明――」

 

俺の言葉を遮るかのように、明石はそっと、口づけをした。

 

「――……」

 

「明石……」

 

明石は何も言わず、俺を抱きしめた。

小さく震えるその体に、俺は全てを察した。

そうか……。

そうだよな……。

 

「……ごめんな、明石。不安にさせてしまって……」

 

そう言って抱きしめてやると、明石は静かに泣き始めた。

本当なら、もっと大声で泣き出すほど、不安に駆られていたはずなのに――。

 

「勝手な事をして悪かった……。お前との約束を忘れたつもりはなかったんだ……。ただ……それを守ることが出来るほど、俺が立派じゃなかったんだ……。裏切るようなことをして、ごめんな……明石……」

 

明石が泣き止むまで、俺はずっと、明石を抱きしめてやった。

明石の抱える不安を包み込むように、そっと――。

 

 

 

寮に戻ると、皆が心配して駆け寄って来た。

 

「みんな……」

 

「提督よ……。先ほどは済まなかった……。つい……その……」

 

「いや、いいんだ。それよりも、聞いたか? 何があったのか……」

 

「あぁ……大井から事情は聞いている……」

 

「そうか……」

 

俺は床に伏せ、土下座をした。

 

「お前たちの知っての通りだ……。今回の件……すべては俺が仕組んだことだ……。本当に申し訳ない……」

 

皆が、土下座をやめるように説得する中、大和が出て来て、俺の胸倉を掴み、持ち上げた。

武蔵に負けず劣らず、凄い力だ。

 

「大和……」

 

「皆さん! これで分かったでしょう!? この人間は……私たちを危険に追いやった……! いくら綺麗ごとを並べようとも、自分の仕事をこなせれば、私たちを危険に晒してもいいと考えているんですよ……!? こんな人間をこのまま放っておいていいんですか!?」

 

「よせ大和!」

 

すかさず、武蔵が止めに入る。

俺は投げ飛ばされ、壁に叩きつけられた。

 

「提督さん……!」

 

「いてて……大丈夫だ、鹿島……。危ないから、下がってろ……」

 

「でも……」

 

心配する鹿島を遠ざけてくれたのは、大淀であった。

 

「悪い……大淀……」

 

「いえ……」

 

大淀は何も言わず、ただ見守ってくれた。

 

「武蔵……どうして貴女は、この人間を庇うのよ……!」

 

「確かに、この男がしたことは、立派なものとは呼べなかったかもしれない……。だが、誰かを救いたいという気持ちから来たものであって、決して悪意があったわけではないのだ。結果として、大井も救われたし、誰も被害を受けていないではないか」

 

「それは結果論でしょう……? この先も、この男の思うままの行動を許せというわけ……? また同じような事があったら、今度はどうなるか、分かったものではないわ……!」

 

同じ考えを持っているのか、数隻の艦娘が、不安そうな表情を見せた。

 

「……大和の言う通りだ。俺が不甲斐無いばかりに、皆を危険に追いやった……。それは事実だ……」

 

「提督……」

 

「武蔵、庇ってくれてありがとう。だが、今は大和の思うようにさせてほしい」

 

「だが……」

 

「頼む」

 

武蔵は、ぐっとこらえる様な表情を見せると、そのまま下がっていった。

 

「みんな、すまなかった……。今回の件で、俺は思い知った……。俺はまだまだ未熟だ……。大井との交流も、もっと上手くいくものだと思っていたし、海軍が素直にいう事を聞いてくれるものだと思っていた……。傲慢であった……」

 

「少し考えれば分かるはずです! そんな事も分からないなんて、貴方は一体何をしにこの島に来たというのですか!?」

 

「……返す言葉もない」

 

大和は俺の前に立つと、睨みつけながら言った。

 

「この島から出て行ってください……。人間は、そうやって責任を取る生き物でしょう……?」

 

「……確かにそうだ」

 

ここで、島を出ることを宣言しても良かった。

だが――。

 

「…………」

 

明石が不安そうに俺を見つめていた。

数隻の艦娘も、同じように。

 

「……悪いが、出ていくことは出来ない」

 

「はい……?」

 

「俺が悪かったことは確かだし、出て行けと言われてしまうのも納得している……。だが……」

 

俺は再び頭を下げた。

 

「俺にはまだ、やるべきことがあるんだ……。俺にしかできないことがあるって……そう思っている……。だから……まだこの島に居させてほしい……。頼む……」

 

すかさず、大和が胸倉を掴む。

 

「ふざけないで……! その考えが傲慢だと言っているんです!」

 

「傲慢な事は分かっている……。それでも……俺は……」

 

「この……!」

 

「やめてください!」

 

止めに入ってくれたのは、大井であった。

 

「大井……」

 

「大井さん……」

 

「大和さん……その人から手を放してください……」

 

「でも……!」

 

「その人だけが悪い訳ではないと、貴女も分かっているはずです……。責めるなら、私も責めてください……」

 

そう言うと、大井は大和の前に立った。

 

「……大井さんは悪くないです。全ては、この男が仕組んだことで……!」

 

「それでも、きっかけは私の暴行です……。大和さん……貴女がその男を責めるのは、ただの私怨からなのではないですか……? 鳳翔さんを……貴女が好きな鳳翔さんをこの男にとられたという、ただの私怨ではないですか……?」

 

「そ、そんな事……!」

 

「なら、私も罰してください……。その男だけではなく、私も……」

 

二隻はしばらく睨み合っていた。

永い静寂が、その場を包む。

 

「……分かりましたよ」

 

大和は俺を放した。

 

「今回は何事も無かったことを考慮して、見逃してあげます……。ですが、次はありませんから……」

 

そう言って、大和は自室へと戻っていった。

 

「大井……」

 

大井は俺を一瞥すると、そのまま部屋へと戻って行ってしまった。

 

「大井!」

 

「雨宮さん……」

 

大淀は俺を止めると、首を横に振った。

 

「どちらもそっとしておきましょう……。色々あり過ぎたので、今はとりあえず落ち着く時かと……」

 

「……そうだな。悪い……」

 

再び、皆に頭を下げた。

 

「改めて、済まなかった……。俺は、しばらくここには来ないことにする……。お前たちの気持ちの整理もあるだろうからな……」

 

俺は大淀に目配せをすると、そのまま寮を後にした。

 

 

 

家に着くと、全身の力が一気に抜けて、思わず座り込んでしまった。

 

「はぁ……」

 

軽いめまいがする。

同時に、眠気も襲ってくる。

 

「なんて言うか……疲れたな……」

 

体の疲れというよりも、精神的に疲弊している。

 

「…………」

 

結局俺は、一体何がしたかったんだろうか――。

 

皆を危険に追いやって、大井の気持ちを知って――それからどうしたかったのだろうか――。

 

突発的ではなく、もっと計画的にやるべきだったし、自分の立場と言うものを過信し過ぎていた――。

 

もし上官が、大井と交流するとして、もっといい方法を思いついていただろうか――。

 

もし、あの時――。

 

あの時も――。

 

いや、あの時だって――。

 

もし――。

 

もし――。

 

「もし……」

 

もし、佐久間肇だったら――。

 

 

 

その日の夕方。

俺の体は高熱を出し、念のため島を出ることになった。

 

「慎二、てめぇ……その……なんだ……。さっきからぼうっとしているが……大丈夫か……?」

 

「……あぁ、大丈夫だ。少し……船酔いしただけだ……」

 

島から伸びていた航跡が、徐々に消えて行く。

風が連れて来た波に溶けて行く。

まるで、そこには最初から、何もなかったとでも言うように、静かな海へと戻って行く。

 

「…………」

 

離れ行く島を見つめ、ふと、もう二度と戻れないかもしれないと思ってしまった。

けれど、不思議な事に――明石たちには申し訳ないと思ったが――その方が、あいつらの為になるんじゃないかと、思ってしまう自分もいた。

 

「本土に戻ったら、少し休めよ。島の艦娘たちも、きっとそれを望んでいる」

 

それは重さんの慰めであったはずだったが、今の俺には――。

 

「……そうだな」

 

船が速度を落とすと、水面に自分の影が現れた。

風が吹き、波が立つ。

揺れる影の口元が、少しだけ、ほんの少しだけ、笑っているように見えた。

 

――続く

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