事務所では、蘭子はとてもご機嫌だった。まず、今日は雨だったからお気に入りの傘を使えた。ちなみに、蘭子が寮の部屋に置いてある傘は全部で5本ある。そのどれもが、カッコイイものばかりだ。
いや、カッコイイだけではない。それらのデザインは、カッコ良さに加えて鮮やかさ、綺麗さ、美しさのような特化した部位も追加されているのだ。
これらを使う機会が訪れる雨の日が、決して嫌いではない蘭子だったが、今日ご機嫌な理由は違った。
「ご機嫌だね、蘭子。何か良いことがあったのかい?」
そんな蘭子に声をかけたのは、二宮飛鳥だった。そんな飛鳥に、蘭子は微笑みながら答えた。
「うむっ! 先程、ようやく生意気な我が眷属を手玉に取ってみせたのだ!」
「え……」
素直な返事に、普通に飛鳥は引いた。その様子を見て、ようやく蘭子はハッと正気に戻る。
「あっ……ち、ちがくて! 今のは……その、変な意味じゃなくて、ようやく無自覚に生意気な事を言うガキを懲らしめてやれた、みたいな……!」
「詳細に説明しただけだよねそれ」
「だ、だって〜……」
涙目になる蘭子。ホント、身体の成長の割に中身はからかい甲斐のある中学二年生である。まぁ、今はからかった、というよりは普通に引いたのだが。
「あの子、本当に無自覚に人を辱めるんだもん!」
「辱められたのかい?」
「そうなの! 我に我の美点を言わせようとしたり、冗談のつもりで誘ったデートに本気で喜ぶし、き……急に……可愛いとか、言い出すし……」
「……」
一つ目は普通に自己紹介や面接でやる事だし、二つ目は冗談のつもりでも言った蘭子が悪い、三つ目はしょっちゅう言われてるでしょ、と飛鳥の頭に次々とツッコミが浮かんだが、言わなかった。
「……まぁ、なんでも良いけどね。それで、どんな風に仕返ししてやったんだい?」
「エチュードの時の『ダメ……』という表情を覚えているか?」
「ああ。僕はやってないけど、MV見たよ。それが?」
「それを応用して仕返ししてやった」
ふんすっ、と胸を張って答える蘭子を見て、飛鳥は尚更、引いた。
「……大人気ない事して……」
「同期だ!」
「そういう問題じゃない」
その思春期が来ていない少年というのがどういうタイプの子なのか分からないが、おそらく白坂小梅とかその辺と同じタイプなのだろう。年上なのに年上と思わせない幼さは身の回りにもいる事だし、気にしなけれ良いのに、と思う。
「まぁ……でもほら、流してあげれるのが大人の女性ではないのかい? 蘭子」
「うっ……」
確かに、そう言われれば大人気ないことをしたのかもしれない。彼は友達がいないんだし、そこまで怒る程のことではなかった。
「……けど、やっぱりムカつく」
「おいおい……」
「生意気な上に、奴の頭はお粗末過ぎる。本物の愚者、というものを我は初めて見た」
「バカって……成績? 社会的に?」
「二刀流」
「僕は、こんなにかっこ悪い二刀流を初めて耳にしたよ……」
不名誉にも程がある刀だった。どうしようもないが、事実なのだから仕方ない。
「それで、今はどうしているんだい? そんなに言うなら、縁を切ったりしたの?」
「我は、自らの剣を折るような愚か者ではない。それに、我が剣はこの先において賢者にも知者にも転生するだろう」
「……大丈夫なのかい? 蘭子だって勉強得意なわけじゃないだろう」
「追試回避のために尽力すると誓った。我は簡単に覆すような薄情者ではない」
「いや、そうじゃなくて。……尽力しても勉強出来ないくらいバカだったら?」
「……」
言われて、蘭子は大量に汗をかく。確かに、自分の手に負えない相手なら、それはそれで困るものだ。
特に、コウには伝えていないけど自分はアイドルだし、一緒に勉強出来る時間は限られている。オフの日だって、昼休みの30分しか勉強に付き合えないのだから。
「ま、仮に追試になったとしても蘭子の所為じゃないよ。元々、ちゃんと勉強してなかったその人が悪いんだから」
「しかし、追試を回避した暁には、我と共に二人で街の闇を討ち払う約束をしている」
「へぇー……あ、それが冗談でしたデートの約束?」
「うむ。……褒美をやらないと闘志を抱かない現金な奴故にな……」
それは、確かに面倒だ。剣道へのやる気をそのまま勉強に移せないのだろうか?
「……なんか、聞いている話だと、友達同士というより姉弟のようだな……」
「む、ど、どういう意味だ?」
「友達がいない彼を放っておけなくて、一生懸命やってる剣道は応援してあげて、極め付けは勉強を見てあげる上にご褒美をあげるんだろう?」
「うっ……ま、まぁ、そう言われると……」
ぐうの音も出ない台詞だった。なんだろうか、この世話がかりのような自分の状態は。
「実際、姉のような目線で見てあげても良いかもしれないけれどね。何せ、相手は生意気な子供なんだし」
「……我は同い年の男の子の話をしているはずなのだが……」
なんだとても解せなかった。そんな子供が、試合になるとあんなにカッコ良く竹刀を振るい、上級生を押し除けて準優勝を果たしていたなんて……今思っても信じられない。
そのギャップが、彼の一番の魅力なのかもしれない。自分が彼に惹きつけられ、興味を抱いたのもそういう面だ。
「……我はたまに思う。何故、少し性格がアレな人ほど、何かしらの才能に長けているのか、と」
「蘭子がそれを言うのかい?」
「え、わ、私性格アレ……?」
「……いや、僕の言えた話でも無いし、やめておこう」
「? 飛鳥ちゃんはアレじゃないよ? とても優しくて、カッコイイ女の子だよ」
「……」
きょとんと小首を捻って言われ、思わず飛鳥は頬を赤らめて目を逸らす。無邪気な厨二病の目に、思わず飛鳥はイラっとしてしまった。
「……なんか、似てるよ」
「? 急になんだ?」
「蘭子とその彼。似てるっていうか、同じだよ」
「な、何をう⁉︎ 我は奴ほど子供ではない!」
「いやいや、君今その彼と全く同じ事してたよ」
「ええっ⁉︎ ど、何処が⁉︎」
「教えない」
言わない方が、案外、蘭子のためかもしれないし。
「でも実際、勉強はどうするんだ? 蘭子だけで見るにしても限界があるだろう」
「うむ……我も国語と英語の知識は授けられるが、彼は国語の点数はやたらと高い。英語の才を伸ばす以上の事は出来んかもしれぬな……」
特に数学は勘弁して欲しい。足し算も危ういのだから。
理科はありがたいことに、今回の範囲は人体の構造なので問題ないだろう。
社会も江戸時代の話だから何とかなると信じている。
……しかし、やはり数学はどうしようもない。
「……仕方ないな。僕が助太刀しよう」
「え……?」
「別に得意なわけではないけど、蘭子もその彼と共に楽園へと馳せ参じたいんだろう? ならば、手を貸すのもやぶさかではないよ」
「良いの?」
「構わないさ。……それに、蘭子の男友達というのには興味があるからね」
私の? と思ったが、よくよく考えれば自分だって飛鳥に男友達ができたら気になるもんだ。
「良いけど……しかし、飛鳥ちゃんが好む相手とは限らんよ。我が剣は、非常にクセのある……それこそ、ゼウスと対峙しても自らの意思を貫き通す剣士。常人には対話する事さえ不可能」
「ふふふ、蘭子ともあろうものが曇り眼鏡になったものだね。このセカイから拒絶されし僕が、常人に見えるのかい?」
「いや、そういう意味では無く……」
正直に言うと、何となく察していた。飛鳥とコウは絶対に相性が悪い、と。何となくだが、喧嘩が始まる気さえする。
勿論、協力してくれるのはありがたいのだが、それ以上に危機感を抱いてしまうのだ。
どうしたものかと頭を悩ませていると、そんな二人の間に新たな人物が顔を出した。
「二人とも、何の話をしているの?」
声を掛けてきたのは、みんなのお姉さんとも言える新田美波だった。
「女神ヴィーナスの加護を持ちし者……!」
「ふふ、そんな事ないわよ。大袈裟ね」
「闇に呑まれよ!」
「はい、お疲れ様です」
ある程度なら蘭子語を頭に入れている美波は、本当に女神のようなお淑やかさで挨拶してくれる。
そうだ、この女神様ならあるいは……。
「あ、あの……美波さん!」
「? なあに?」
「我が剣に、世界の真理とも言える叡智を授け、我と共に妖刀・村正の斬れ味に更なる磨きをかけよ!」
「……え、えーっと……私も流石に日本刀の研ぎ方は……」
「美波さん、数学を友達に教えてあげて欲しいんだって」
「え、わ、私が?」
「飛鳥ちゃんが彼と関わったら十中八九喧嘩になるから」
「どういう意味だ蘭子⁉︎」
あっさりと本音をバラした蘭子に、今にも「裏切られた!」と言いたげに飛鳥は顔を向けた。
「そのままの意味だ。我が同胞と我が剣の相性は、オリオンとサソリのように悪い」
「なっ……ら、蘭子だって、決して良いわけじゃないだろう⁉︎」
「我には、味方をも斬り裂きかねない斬れ味を制御する魔力がある」
「さっきまで愚痴ってたくせに!」
「毒抜きは誰にでもある!」
「ま、まぁまぁ二人とも! 少し落ち着いて?」
徐々にヒートアップしてくる2人の間に美波が入った。
「事情は分からないけど……とにかく、蘭子ちゃんのお友達に勉強を教えるって事で良いのかな?」
「うむ。頼まれて欲しい」
「良いよ。……そういえは、もうすぐ期末テストの時期だもんね。みんなでお勉強会、しよっか」
「え」
「そうだね。まだ一ヶ月くらいあるけど……偶像である僕らは勉強する時間も限られているからね」
「蘭子ちゃんは、それで良い?」
「わ、我は構わんが……」
正直、あまり人数を増やして欲しくない。自分は構わないけど、多分、コウが気まずさを感じてしまうと思うから。
子供は純粋だけど、純粋だからこそ男女差を感じる子供もいる。要するに「男の癖に女より力が弱い」とか「男の癖に女より身長が低い」とか。恐らく、コウもそういうのを気にし、言い訳するより自分を磨き上げたのだろう。
逆に「男の癖に女より頭が悪い」とはあまり聞かない。だから、勉強には一切、興味を持たなかったのだろう。
さて、そんな男の子1対女の子3(内1人は大学生)で勉強会なんてしたらどうなるか。
「……たまにはあたふたする桐原くんも見たいかも」
「? 蘭子ちゃん?」
「な、何でもない」
嗜虐心が芽生えて、許可してしまった。