月曜日。梅雨が明け一日目の日、朝練は無理して来なくて良い、と言われている俺は、ありがたくお休みをもらって普段より1時間遅く起床する。
こうして片腕しか使えない生活にも慣れてきた頃だが、慣れてきた頃が一番危ないと言われているし、気を抜かずに行こう。何かあって傷治るの遅くなるとか絶対に嫌だし。
朝食を終えて、歯磨きを終えて、寝癖を治して家を出た。呑気に欠伸をしながら通学路を歩く。久しぶりに傘をささずに表を歩けるのは、これはこれで清々しいものだ。道端に落ちてる水溜りがスライムの死骸に見えて、なんか勇者ごっこもできるし楽しい。
そんな時だ。急激にお腹が痛くなった。
「うっ……」
ヤバいな……ここから学校までは15分くらいあるし……駅の近くにある公衆トイレなら5分で着く! 学校までは遠回りになるけど、背に腹は変えられるか!
大慌てで早歩きでトイレに向かった。公衆便所に駆け込み、用を済ませ、何とか一息つく。本当はコンビニの方がトイレ綺麗なんだけど、登校中にコンビニ入ったのバレると怒られるんだよな。財布なんて持ってきてないっつの。
ホッと一息つきながら、洗った手をプラプラと振りつつ出て来ると、ちょうど駅から出てきた蘭子と目が合った。
「……」
「……」
……この前、俺と喧嘩になった奴だ。正直、まだ少し頭に来ているので視線をすぐに外した。そもそも、なんで急にこいつがキレたのか分からなかった。そんなに足に触って欲しかったのか?
お互いにむすっとしたまま並んで歩いて登校する。や、だってほら、一緒に登校する機会なんて滅多にないし。喧嘩中とか、それとこれとは別問題だよね。
「……」
「……」
お互いに、黙り込んだまま通学路を歩く。目も合わせないし、口も開かない。ただ並んで歩いているだけだ。
だって、ムカつくし。確かに、蘭子のプライドを踏みにじったのかもしれない。蘭子の目の前で「お前より新田さんの方がカッコ良い」と言ったようなものなのだから。
でもさ、恥ずかしいって言ったらやめてよ。大体、なんで足を触らせようとするの? 何その逆痴漢。……冷静に考えたら、俺もあの時、新田さんの足とか触っちゃってたけど。
や、実際ほら、剣道とか後輩に教える時、構え方から修正させる時は「足はもう少しこの辺」とか言う時に触ることもあるから、本当に下心は無かったからね。
……そもそも、アレは勉強会なのになんであんなことになったんだっけ? ……あ、勉強会と言えば、蘭子にまだあの会を開いてくれたお礼言ってなかったな。
「なぁ、蘭……」
「ん?」
っ、と、危ねぇ……まだ仲直りもしていないのにお礼を言う所だった……。まずは仲直りからだろ。……いや、でも俺から謝った方が良いのか? いやでも……。
「あ、桐は……」
「あん?」
「……いや、なんでも」
返事をすると、蘭子もむすっとしたまま目を逸らしてしまった。なんだ、謝られるのかと思った。
とにかく、俺からは謝らないからな。だって俺悪くないし。……いや、あの後の言い争いになった時は少し言い過ぎたかなとは思うけど……。
先に謝ったからって、向こうも謝って来る保証は無いし。……あ、保証がないといえば。蘭子の奴、奇跡の雫を使ったってマグナからSSR武器が落ちる保証はないとか言ってたけど、昨日、ティア銃三回中三回落ちてめっちゃ美味しかったんだよね。
「そうだ、ら……」
「え?」
「……や、なんでも……」
や、だからさ。なんで喧嘩中にゲームの話? アホか、俺は。仲直りするまで絶対に喋らんぞ俺は。
……あの後、新田さんから気にかけるようなL○NEが来たし、なるべく早めに仲直りしないと申し訳ないわけだが。
「あ、桐……」
「え?」
「……なんもない」
なんだよ……あーもう、面倒臭いな! なんだこれ、もうこれ謝っちまった方が良いのか? だってこう言う時に限って話したいことたくさん思いつくんだもん!
……いい加減、つまらない意地を張っても仕方ないのかな。いや、でも意地を通してこそ漢って兄上も言ってたしな……。
そうだ。謝っちまおう。このままじゃ、昼休みにいつもの教室に集まれないし。
そう決めて、蘭子の方に顔を向けた時だ。蘭子も同じようにこっちを見ていた。それならちょうど良い、この勢いで謝っちまえば……。
「ねぇ、蘭子……」
「我が剣よ、話が……」
と、口を開きかけた時だ。俺と蘭子が歩いている道を車が通った。その車線上には、水溜りがある。あ、これやばい奴だ……。
そう判断した時、俺は蘭子の手を引いて民家の壁側に押し込み、自分の身体を壁にした。直後、背後から水が強襲して来る。背中に直撃した。
「きゃっ……あ」
「……」
死ぬほど冷たいんですけど……。なんだよ、これ。喧嘩中の相手を庇うってどういうことなの……。
「……わ、我が剣?」
「……ごめん、帰って着替えて来るわ……」
「あ、う、うむ」
結局、仲直りなんて出来ずに帰宅した。
×××
ブラウスを取っ替えて、頭から被ったのでシャワーも浴びてズボンも履き替えて包帯まで巻き直して(ここは少しカッコ良い)出発した俺は、当たり前のように遅刻。事情は後から説明する予定だったが、蘭子が違うクラスなのに先生に説明しておいてくれたようだ。ありがたい限りです。
で、今は3〜4時間目。つまり、体育である。この時期の体育では何をするのか。決まっている。プールである。
「ま、俺は入れないんですけどね」
本当クソなんだよ、世の中。怪我してるってだけで何も出来ないの大概にしろ。
みんなが梅雨明けでクソ暑くなった季節に反抗するための特攻兵器プールを用いてる中、俺は一人で見学。半袖短パンでも暑いもんは暑いわボケェ。
まぁ良いさ。プールでの特訓なんて、侍には一番必要ないものだし。だって、水は斬れないもの。こんなもんに入ったって身体を拭くの面倒だし、海パン脱ぐのにも苦労するし、プールから出た直後、風が吹いて寒くなるだけだし、良いことなんか何一つもないんだ。
だから……だから全然、羨ましくなんかない。
「……はぁ」
このため息は違うから。暇なだけだから。
とにかく、あまりプールの中は見ないようにした。羨ましくないけど腹立つから。特に自由時間なんて腹立つことこの上ない。なんで授業中に遊び? 中でもキャーキャーはしゃいだり、プールサイドで休みながらペチャクチャ喋ったりとか大概にしろボケナス。
そんな時だ。一人の女子生徒がプールサイドから上がるのが見えた。いや、正確には目に入った、と言うのが正しいか。
神崎蘭子、銀髪の魔王だ。水中眼鏡と帽子を取ると、新鮮な事に髪を下ろした姿の蘭子がでてきた。
「……」
あれ……蘭子って、髪下ろすと意外と……それこそ新田さんと同じレベルで綺麗……じゃない、大人っぽいんじゃないだろうか……。普段、縦に髪を竜巻のようにロールにしているからか、その名残が残されていて、それが年相応さを表していた。
目に映ったのはそれだけではない。あいつ、やたらと肌白いんだな。なんか、本当に魔王なんじゃないか、と思う程度には真っ白だ。いや、魔王というより吸血鬼っぽい感じさえある。
その白い肌を覆うのは、蘭子の体型をそのまま表しているスクール水着。その時、俺は重大なことに気付いてしまった。
「……あれ?」
蘭子って……なんか、蘭子の足って普通にアスリートっぽい味してない? いや、正直、新田さん程ではないけど、すらっとしてて細くて多少、筋肉質で……その上で白い。蹴り技で鮮血を浴びたら映えそうだ。
……それに、腕だって余計な脂肪は付いていないし、流石に剣道や野球などの腕を使う人達に比べたら微妙だが、十分過ぎるほどの筋肉はついている。
もしかして……蘭子って俺が思うより運動できるのか? ……だとしたら、この前のは本当に謝らないといけないな……。
そんな事を思っていると、蘭子が俺の視線に気づいたのか、そっぽを向く。そういや、喧嘩中だったな……。まぁ、昼休みいつもの所で待って、来なきゃ放課後に謝れば良いや。
そう決めて、とりあえず俺も目を逸らした。のんびりとプールサイドを歩くアリの観察をし続けた。
×××
昼休み、いつもの場所に来ると、既に蘭子が待っていた。俺の顔を見るなり、すぐに席を立ってポーズを取った。
「煩わしい太陽ね」
「本当に憎たらしいほどにな……」
「クックックッ……我が身においてこの程度の灼熱は、新緑の微風に等しい。鍛え方が足りないのではないか?」
「さっきまで全身くまなく水中にいた奴と比較されてもな……」
「……」
「……」
お互いに黙り込んだまま、俺は蘭子の向かいの席に腰を下ろす。
とにかく、こうして来てくれた以上は良い機会だ。謝るか。
「蘭子」
「我が刀」
「「えっ?」」
全く同じタイミングで声をかけ、思わず俺も蘭子も顔を向ける。そのタイミングがまた完璧で、それがなんだか気恥ずかしくて、お互いに目を逸らしてしまう。
「……さ、先どうぞ」
「わ、我の方が譲ろう」
「いやいや、俺は後出しタイプだから」
「魔王も勇者に先手をかける事なく、むしろ後手に回った上で蹂躙するものよ」
……仕方ないな。俺から行くか。
「……悪かったよ、この前は。さっき見てて思ったけど、新田さんに負けずとも劣らない良い脚と腕だったよ」
「む……え、そ、そう?」
「や、嘘。正直、性能は新田さんの方が良さそう」
でも、と話を続けた。
「蘭子のだってそれなりにトレーニングを積んでいるのはよく分かったし、何よりその肌の白さはオンリーワンだと思う。それ以上、太く力強い筋肉を得たら、似合わなくなってたと思うから、ビジュアル的には五分五分って事」
「……クスッ、何それ」
あれ、そんなにおかしい事言ったかな。でも、実際の所、むしろ俺は蘭子の足の方が好きだ。だって……こんなに肌白いひと見た事ないもの。オンリーワンって良いじゃない。
「だから、俺は蘭子の方が好きだよ」
「えうっ⁉︎」
ああ、それとお礼言っておかないとな。
「あと、先生に遅刻すること言っておいてくれてありがとう」
「え? あ、う、うん……き、気にしゅるな」
「今、噛んだ?」
「うるさい!」
なんで怒られたの⁉︎ また怒られるような事言っちゃったのかな……。
「……まったく、貴様は無意識に他人を狙撃する天武の才を持つようだな」
「俺、弓道も射的もやった事ないよ」
「ええい、黙れ。次は我の番だ」
強引に話を進めた蘭子は、急に弱々しい表情になり、頭を下げた。
「わ、我の方こそ済まなかった。この前は、その……変な事で、怒っちゃって」
「許す。終わり」
「早いよ!」
その件に関しちゃ、俺の方が間違ってるって認めたからなぁ。蘭子の足が良いって言っちゃった後だし。
「とにかく、許した」
「……むぅ、じゃあお礼だけでも……」
「登校中に自ら庇った話なら気にしなくて良いから」
「だから早いよー!」
「お礼も謝罪もいいよ。それよりも蘭子と話したい事がたくさんあるんだから」
「……」
すると、蘭子は意外そうな顔で俺を見たあと、フッと不敵に微笑んで両手を組み、その上に顎を置いた。
「良いだろう。では、この話はここまでとしよう」
「それよりさー、蘭子。聞いてよ、さっきプールの間、クソ暇でさー」
「フッフッフッ、天界から見定めし千里眼の泉を管理せし者よ。我もナイル川から貴様の退屈そうな顔を見ていた」
「るせーなー。人が体育座りしてる中、楽しそうにはしゃぎやがってよー」
「中々に悪くない至福の時間であった。夢幻に続く砂漠の果てに、たった50メートルのオアシスに心身を浸す刻は、シャングリラにも等しいひと時であった」
「自慢やめろよ。……いや、別に羨ましくなんかないけど」
「ふーん……そう?」
すると、蘭子はニヤリと勿体ぶるようにほくそ笑む。なんだその顔。なんかムカつくな。
「では、その怪我が治ったら我と共にプールに行こう、と言っても断るのだな?」
「え……行きたい!」
「羨ましくない、という事は別に入りたいというわけではないのだろう?」
うぐっ……! こ、こいつ……意外な意地悪を……!
「……なんだよ、いきなり意地の悪いこと言いやがって……」
「フッフッフッ、冗談だ。空いている日があれば、共に参るとしよう」
「ああ。いつか、な」
そんな話をしながら、昼休みが終わるギリギリまで談笑を続けた。やっぱり、蘭子とこうして話せるのは楽しい。次に喧嘩になったら、手早く仲直りしてすぐに話せるような仲に戻ろう。