「え、ふ、不登校、ですか……?」
とある日の放課後、蘭子は職員室に来てコウの担任の先生に声を掛けると、予想外の返事が返ってきた。
最近、昼休みになっても例の教室に来ないし、登校中や下校中、休み時間にすれ違うこともなくなったので、心配で聞きに来た次第だ。
まぁ、なんであれ病気や怪我、行方不明に異世界転生じゃないだけマシだったと言うべきだろう。
「ああ、そうなんだよ。最近は楽しそうにしてたのに、何かあったのかねぇ……。いや、その割に『鋼の精神を鍛えてからいくので心配なさらず』とか意味不明なこと言ってたし……」
「……」
言えない、自分の所為です、とは。何とかして謝らないといけない。
幸い、家は知っている。毎日、素振りをしている彼を覗いていたのだから。今日はちょうどオフだし、少し顔を見に行くことにした。
……しかし、大丈夫だろうか。あの子、強がってはいるが、実は割と繊細で傷つきやすい子だ。分かりやすいくらいに彼の本質を見抜いてしまっている自分が、今遊びに行くとかえって追い返されてしまうんじゃないだろうか?
「……でも、不登校は少しアレだよね……」
それに、明日休めば次は土日、しばらく会えなくなってしまう。ならば、謝罪は早い方が良いだろう。
とりあえず、職員室を出て行った。放課後になったら、少し様子を見に行ってみるしかない。
「はぁ……なんだか、悪いことをしちゃったなぁ……」
反省の念を込めつつ、肩を落としてクラスに戻った。謝りたい。というのも、最近は学校があまり楽しくない。彼と話すのは昼休みの短い時間だけだというのに、それが無くなるだけで随分とモチベーションが下がったものだ。
ならば、やはり自分から行動して彼を連れ戻す他ない。
×××
放課後。早速、蘭子はインターホンを押そう……としたが、その手を引っ込めた。
……なんか、学校を休んだ男の子の家に来るのが予想以上に恥ずかしい。特に、もしかしたらコウは怒っているかもしれないし、入るなり喧嘩になったら困る。
でも……不登校になるなんてよっぽど傷つけてしまったんだよな……と、思えば、やはり声はかけていくべきだと思える。
そんなわけで、再びインターホンに手を伸ばしかけたのだが……やは。その手は止まってしまう。
……よくよく考えたら、これってやっぱり火に油をかけにきているだけなんじゃないだろうか? だってほら、トラウマを刻んだ自分が慰めに来るなんて舐めてる気がする。
「……う、うーん……」
どうしたものか悩むに悩んでいる時だった。
「あれ、蘭子チャン?」
「ふえっ⁉︎ ……あ、み、みくちゃんと……」
「あ……コウの彼女?」
立っていたのは、みくともう一人、コウの兄貴だった。なんでこの二人が一緒に? と思うまでもなく、みくが自分と同じことを聞いてきた。
「……なんでここにいるの? 蘭子チャン」
ジト目になっているが、そのセリフはそっくりそのまま延滞料金をつけて返してやりたい所だった。
「フッ、その台詞……そのままお返ししよう、我が友みく。そちらの者は、盟友か?」
「え? あー……いや、その……」
頬を赤らめて俯くみく。これはもう答えは出たようなものだ。この前の取り調べの仕返し、と言わんばかりに畳み掛けようとした蘭子より先に、レオが口を挟んだ。
「みくは俺の後輩だよ。たまに一緒に図書室で勉強してるってだけ」
「……はぁ」
「……」
それを聞いた直後、ため息をついたみくの姿を見て、大体、蘭子は察した。要するに、みくもそれなりに苦労しているのだろう。
しかし、かと言ってからかうのをやめるか、というのはまた別の話である。みくはどうせ誤魔化すので、隣の男性に聞いた。
「ならば、本日は何故、みくと定めを共にしている?」
「みく、この人アイドルの神崎さんだよね? 和訳頼める?」
「つまり……その、なんでみくと先輩が一緒にいるの? って聞いてるにゃ」
「ああ、そういう事。普通に勉強だよ。試験前で図書室空いてなくてさぁ。うちなら丁度、今、弟が修行してるし、一緒に勉強するのにちょうど良いなって」
「え……弟さんと一緒のつもりだったの? みく聞いてにゃい」
「え、だ、ダメなの?」
食いつくみくを無視して、蘭子は片眉を上げた。
「修行中?」
「そう。なんか精神面の修行が足りない、とか言って、とりあえず今は布団をかぶって中で瞑想してるらしい」
布団を被ったまま出て来れなくなっている。かなり心配な状態である。それ以上に気になることがある。弟がそんな状態なのに、平気な顔で女の子を部屋に連れ込んでいるこの男は何なのだろうか?
思わず、睨みつけながら問いただしてしまった。
「……貴様、肉親がそんな状態でありながら、何故平然としていられる?」
「ん、そりゃだって他人事だし。俺にはコウがどんなダメージを負ったのか知らないけど、それを解決できるのはあいつだけだよ」
「……」
そう言われれば、確かにその通りだ。他人事のようで、実は一番、弟を考えているのかもしれない。
「……で、でも……」
「まぁ、弟のために何かしてくれるって言うならありがたいし、上がってってよ」
「わ、分かりました……」
なんかホイホイとアイドルを部屋にあげる人である。こういう能天気な所、確かにコウの兄って感じがする。
勿論、レオの頭の中はコウ以上に難解で、今は「なんかアイドル二人を家に連れ込むなんて、事務所の社長の息子みたいで気分が良いわー。……いやでも強キャラの七光の雑魚息子みたいでやっぱ気分悪いわ」とかよく分からないことを考えている。
そんな話はともかく、レオは玄関に向かって鍵を取り出した。
その後ろで、みくが蘭子に声をかけた。
「……あの、蘭子チャン? ちなみに、蘭子チャンは何しに……」
「我が剣を救いに来た」
「や、やっぱり……?」
なんとなく分かっていたが、自分の先輩の弟は、ついこの前聞いた蘭子の彼氏、という男なのだろう。なんだか複雑だ。正直言って、みくにとって蘭子は危なっかしい妹みたいな立ち位置だ。
純情で純粋で発育が良くて、それでいて思春期。悪い男にとっては絶妙なカモだ。それに彼氏ができた、とあらば自分くらいは注意しておかなければならない。
しかしー……尊敬している先輩の弟となると話は別だ。なんか話を聞いてると大分バカっぽい子だし、平気な感じもする。
「ただいまー」
レオが中に入り、蘭子とみくは後に続く。全員で家の中に入り、まずは手洗いをしてレオが先に二階に上がる。
一応、コウの様子を見に来た。まぁ、多分あの弟のことだから平気だとは思うが……。
「……おーい、コウ。帰ったぞー」
「あ、お帰り兄上」
家族とのコミュニケーションは取れている。……が、部屋から出てくる様子は無い。その癖、母親が作っておいてくれた朝飯と昼飯の残りはちゃんと食べ終えた上で洗い物まできちんと済ませているのだから、本当に引きこもっているのか怪しい所だ。
「ふぅ……そろそろ良いかな……」
「あ? 何が?」
「明日、学校に行こう」
「え、どうしたの?」
こんなにあっさりと登校宣言出来るものなのだろうか? と、レオは眉間にシワを寄せた。
が、部屋の扉が開き、中に入ると、コウは思いの外、スッキリした顔をしていた。
「……お前何してたの?」
「心頭滅却するために瞑想しながら勉強してた」
「そんな高度な技術を……」
「今の俺なら、例えにミサイルが降ってきても冷静に対処できる」
「冷静にあの世に行けるだけだなそれ」
例えが物騒すぎた。まぁ、でも立ち直ったのなら良かった。瞑想しながら勉強とかいう迷走してるとしか思えない方法でどうやったのかは知らないが、過程よりも結果である。
「なら良かったよ。お友達来てるから、さっさと下に来い」
「え、と、友達……?」
ヒヤリとコウから怯えたような声が漏れた時だ。階段を上がってくる足音が聞こえる。姿を見せたのは、蘭子だった。
「あ……わ、我が剣!」
「っ!」
「何故、自ら封印の門を閉ざす⁉︎」
反射的に部屋の中に隠れるコウに、レオは呆れながら言った。
「……どの辺が『ミサイルが降ってきても冷静に対処できる』?」
「み、ミサイル以上の爆弾だよ!」
「どういう意味⁉︎」
憤慨する蘭子の後から、さらにみくがやって来る。
「ち、ちょっと、蘭子チャン。人の家で勝手に……」
「我が剣、封印を解せよ!」
「やーだー! なんでいるのー⁉︎」
「お見舞いに来たからだよ!」
なんてやってる間に、レオは小さくため息をついて蘭子に言った。
「じゃ、俺らは勉強会に入るから、後よろしく」
「え……わ、我だけで……?」
「そいつ、割とちょろいから。頑張れよ」
「え、あの……」
レオはみくを連れて自分の部屋に引っ込んでしまった。こうなれば仕方ない、自分で目を覚まさせてやるしかない。
「我が剣、我との対話を望む気はないか?」
「……あるけどない」
「……」
これはまぁ面倒臭さの極みである答えを返したものだ。まぁ、要するに「友達に戻りたいけど戻りたくない」という事だろう。
「なら、勝手に独り言を語らせてもらう。我がこの地に転移して来たのは、貴様に謝意を贈るためだ」
「……」
「その……こっちはこっちで切羽詰まっていたとはいえ、貴様に要らぬ誤解を生み落とした事を謝罪する。……‥その上で、また我が魔剣となる契約を結び直したい」
「……」
返事はない。ダメかな……と、思った蘭子は、ハッとさっきの兄上の言葉を思い出した。「割とちょろいから頑張れよ」という言葉。
つまり、コウの赦しをもらうのに、もう一つ餌があるという事だ。
「また……我にも貴様の流麗な剣技による勝利を、この目に見せて欲しい」
「許す」
「はっや!」
まるでスケート選手並のターンの速さ。五輪でも目指しているのだろうか?
「まぁ……元々、別に怒ってなかったし……簡単に踊らされた自分の情けなさに腹が立ってただけだし……」
「……」
相変わらず他人より自分の所為にしたがる男だ。そういう所は嫌いじゃないが。
「でも、一つだけ条件……というか、頼み」
「え?」
「……あの時の俺の事は、もう忘れて下さい……」
「あ、あー……」
なるほど、と蘭子は理解する。確かに、忘れてあげた方が良いのかもしれない。正直、少し惜しい気もするが、本人がそう言うなら仕方ない。
「わ、分かった……」
「ほっ……」
「……けど、埋め合わせくらいはしてくれるんだよね?」
「え?」
「我はずーっと貴様が戦場に来ない間、我しかいないヴァルハラで奮戦していた」
「あ? あー……」
言われて、コウは罰が悪そうに目を逸らす。確かに、いない間は退屈な思いをさせてしまっていたのかもしれない。
「じゃあ……今日は泊まっていく?」
「……」
相変わらず、さっきまで恋人がどうの誤解がどうのって話をしていたのに、何もわかっていない男である。まぁ、もうこういう反応にも慣れたものだ。
そんな蘭子の表情を見て「ダメ」と察したのか、コウは別の事を提案した。
「あ、じ、じゃあ……今から剣道でもやる?」
「は?」
「竹刀の振り方とか教えようか?」
言ってから後悔した。この前調べたら「恋人たるもの」の中に「自分の趣味に無理矢理、彼女を付き合わせるな。でも彼女の趣味には付き合え」というのがあった。
これは完全にやらかしたか? と思ったのだが……ふと顔を上げると、これでもかと言う程、目をキラキラと輝かせた蘭子がコウの目前にまで迫っていた。
「やるー!」
「お、おう……」
元気にそう言われ、思わず心臓がドキリと跳ね上がる。全てがトラウマとなりつつある「恋人たるもの」だが、その中で唯一、参考にした方が良いと思った事がある。
『可愛いと思ったら、素直に褒める』
正直、褒めるのはハードルが高い。でも、せめて素直に思うくらいなら良いんじゃないだろうか? だって、思ってるだけなら相手には通じないのだから。
「? 桐原くん?」
「っ、や、なんでもない」
「表でやろうか」
「うん!」
黙っていたからだろうか? 不思議そうな顔で見られてしまったので、顔を背けながら表を勧めた。