「うう……ううう〜……!」
魔王は、自室で悶えていた。枕で頭を覆い、ベッドの上で足をドタバタとバタつかせる。本当に死にかけている。
思春期特有の全自動黒歴史生産により、もう悶えるしかなかった。よりにもよって何故、あそこで性欲が増してしまったのだろうか。もう本当に嫌だ。普通、少しは抑えようとするのに、割と抑制が効かなかった。
そんな死にかけの蘭子を、飛鳥とアナスタシアはこっそりと扉から見ていた。あの厨二病は一体どうしたのだろうか? と言わんばかりに。
「……蘭子、何かあったのか?」
「アー……具合悪いですか?」
「いや、そんな本気の方ではなく、多分頭の病気だと思うけど……」
「アルツハイマーですか?」
「いやそういうんじゃなくて」
「じゃあ、健忘症?」
「だから違うって。お願いだから最後まで聞いて」
「脳○炸裂ガール?」
「どこで覚えたのそれ?」
勢いが止まらなさそうな天使を、とりあえずコホンと咳払いして止めると、改めて説明した。
「だから、そういうんじゃなくて、何か嫌なことがあったんじゃないかなってこと」
「イヤなこと、ですか?」
「そう。例えば、友達と喧嘩したとか、恥ずかしい思いをしたとか、つい我を忘れてドン引きされるようなことしてしまった、とか」
「つまり……ウマトラ?」
「惜しい」
そんな話をしつつ、とりあえずこのままなのは放っておけない。いや、アレがみくとか李衣菜とかなら放っておいても何とかなりそうなものだが、割とポンコツ魔王の蘭子なら暴走しかねない。仕事に影響出ても困るし、声をかけてあげることにした。
「蘭子、何かあったのかい?」
「……飛鳥ちゃん……」
「……?」
顔を見るなり、再び蘭子は顔を真っ赤に染めてしまう。
「見ないでー!」
「ちょっ、な、何を⁉︎」
「えっちな私をー!」
「何があったんだ蘭子⁉︎」
本当に何があったのだろうか。徐々に本気で心配になってきてしまった。
「とにかく出ていってー!」
「わ、分かった、分かったから!」
さらにベッドの上で暴れ出したので、とりあえず様子を見ることにした。
×××
「と、いうわけなんだけど、何かしらないかい?」
「え? あ、あー……」
翌日の蘭子の部屋の前。こういう時のための前川さん、と言わんばかりにみくに聞くと、何か知っているようで目を逸らした。
「まぁ、知ってるには知ってるけど……」
「ランコ、やはり脳○炸裂ガールですか?」
「飛鳥チャン、何を言ってるのこの子?」
「今は気にしちゃダメだ。後でアーニャをこんなにした人をとっちめた方が良い」
そこを指摘しておきつつ、とりあえず話を戻した。
「で、何があったんだい?」
「それはー……その、かなりデリケートな話だから……」
「それはそうだろう。蘭子がデリケートだからね」
確かに、と変に納得してしまった。蘭子はあの口調の割に、中身は繊細な子だ。だから、こうなっているのだろう。
「で、大丈夫なのかい? 蘭子は」
「まぁ……うん。蘭子チャンも、女の子って事にゃ」
「え?」
「クラスの男の子を押し倒そうとして押し倒されて照れて逃げちゃったにゃ。結果、クラスの男の子にも自分にもトラウマを残しちゃったってわけ」
「な、なるほど……」
思わず飛鳥も引いてしまった。中学生の割にどすけべな身体をしていると思ったら、案の定、性欲は割と強い方らしい。或は、むっつりスケベなのか。
「……しかし、押し倒したって……桐原くんが、かい?」
「なんだ、知ってるの?」
「ああ。蘭子のライブのチケットを蘭子に内緒で頼まれていたんだ。……あの思春期がまだ来ていない子が、蘭子を押し倒す?」
「ああ、ごめん。押し倒す、と言っても、性的な意味じゃなくて、押し倒されそうになったのを堪えてたら、蘭子ちゃんが力を抜いたお陰で逆に押し倒しちゃった、って事にゃ」
「なるほど……そういう事か。……え、じゃあ蘭子はどういう意味で押し倒そうとしたんだい?」
「……」
「嘘でしょ?」
ふっと目を逸らしたみくに、飛鳥は素で聞き返してしまった。
「いや、定かではないにゃ。……でも、片肌脱ぎの剣道着の男の子の両手を掴んでたら……」
「……蘭子。いつの間にか、蘭子は大人になろうとしていたんだね、身体以外も……」
「その上、隣の部屋にみくとレオく……兄がいるのに襲う大胆不敵さ……」
「まぁ、心の成長は人それぞれだからね……。蘭子がヴァージンを手放すのもまた、早いものかもしれ……」
「違うよ!」
蘭子が扉を開けて喧しいバカ二人を阻止した。
×××
さて、とりあえず落ち着いてから話を再開した。せっかく蘭子が出て来たのだ。これ以上の機会はない。
「で、大丈夫なの?」
「大丈夫……では、ない。……死にたい」
「まぁ、うん。何があったのかは知らないけど、とにかく死なないでね」
そこを注意しておいてから、続けて話した。
「で、なんで押し倒そうとしてたにゃ?」
「え、えっと……あれは、別に押し倒そうとしてたんじゃなくて……その、写真を……」
「写真?」
「片肌脱ぎの武士って……カッコイイから……」
それを聞いて納得したのは、飛鳥の方だった。その気持ちはとてもわかる。片肌脱ぎの様にアンバランスでセクシーなものはカッコイイのだ。銀さんは当然、ドラゴンボールのように服が破れたり、卍解一護の黒装束が破れた姿も同じだ。
「分かるよ、蘭子。それで、つい色んな写真を撮りたくなっちゃってしまったんだね」
「クックックッ……流石、我と魂が共鳴せし盟友よ。我らの共感覚性は、もはや真人類とも呼べる新たな人類種よ」
「フフ、悪くないね。人の世の理から外れた新たな希少種……僕らがそれに選ばれたのは、素質による……」
「分かったから話を進めるにゃ」
この二人、一度ノリが合うと一々、話が長くなる。
「とにかく、写真を撮りたいだけだったなら、下心は無かったんでしょ?」
今の蘭子の話ではそういうことになる。みくの中ではあんな襲う間際の男みたいなセリフを言ったコウにも多少の問題があると思っていた。あの場面であんなこと言ったら、蘭子でなくても逃げるに決まっている。
しかし、蘭子は頬を赤らめたまま俯いている。
「え……あ、あったの?」
「いや、その……」
言えない、腹筋を触ったりおへそを見てたりした、なんて言えない。
が、まぁ今の玉虫色の返事で、少なくとも邪な考えがあった事を理解したみくは、一気にジト目になって蘭子を睨んだ。
「蘭子チャン……」
「ち、違う! えっちなことを想像したわけではない!」
「じゃあ何?」
「……ふ、腹筋を……触らせて、もらっただけ……」
「飛鳥チャン?」
「
「ごめんなさーい!」
分かっていた判決に、泣きながら謝る蘭子だが、みくも飛鳥も首を横に振った。
「みくや飛鳥チャンに謝られても困るにゃ」
「そうだよ。一番、かわいそうなのは桐原くんじゃないか」
何せ、お腹を触られて恥ずかしい写真を撮られ、転びそうになったのを助けたのに逃げられたわけだ。実際、逃げられた時のコウはかなり涙目だったことを、みくは思い出していた。
「とにかく、謝るにゃ!」
「で、でも……どんな顔して会えば……謝るセリフも見つからないし……」
「えっちでごめんなさいとか?」
「いやだー!」
飛鳥の案は流石に直球過ぎる。みくも涙目で首を横に振った蘭子を止める気にはならなかった。
「なんて謝るか、なんて蘭子ちゃんが考える事にゃ。それよりも、もう夏休みなんでしょ? 早く謝らないと、夏休みの間、会えなくなっちゃうよ?」
「うっ……」
「あと、レオ先輩が『なんであれ女を泣かせる奴は侍じゃねぇ』って言ってたから、コウくん死んじゃうかもよ?」
「すぐ謝る!」
謝ることにした。
×××
その日の夜、蘭子は桐原家の前に向かった。いつも通りなら、家の前で素振りをしているはず……と、期待を込めて来てみると……。
「はい、あと100本〜」
「オッス!」
「はい、心頭滅却、煩悩退散!」
「心却滅頭、本能爆散!」
「全然違う!」
めちゃくちゃ太い木刀に重りを五個つけて素振りしていた。しかも、コウだけでなくレオも一緒に。
相変わらず馬鹿なことをやっているように見えるが、本人達の表情は至って真剣だ。
「……」
やっぱり、あの兄弟が揃って剣道やってる姿を見るのはカッコイイ。何本かようつべで剣道の試合を見たが、どういうわけかコウ達の剣道が一番、カッコイイ。思わず見惚れてしまう程だ。
だが、そういうわけにもいかない。これから、謝らなければならないのだから。
「……あ、あの……こんばんは……」
「あ、神崎さん」
「ッッッ‼︎」
唐突にビクビクンと背筋を伸ばしたコウは、慌ててレオの背中に隠れてしまった。全然、心頭滅却出来ていない。
「……か、かんざきさん……」
「……」
呼び方もすっかり元に戻っている。これには、少しショックを受けたよりもイラついた蘭子だが、まぁ抑えることにした。
「……桐は……コウくんに、謝りたくて」
「え?」
「昨日は、その……ごめんなさい。つい、恥ずかしくて……逃げちゃったから……」
「……」
正面から謝られ、コウは小さく咳払いをすると、控えめに兄の背中から出てきた。
「……いや、蘭子は悪くない。全部、俺の精神的な修行が足りなかった所為だから」
「え? いや、それは……」
「そうなの! だから、蘭子が謝ることはないよ」
「……」
そんな風に言われてしまうと、蘭子は思わず黙り込んでしまう。本当は悪いのは自分なのに、彼は首を横に振るってしまう。
それどころか、むしろ微笑みながらこんな事を言い出した。
「……それより、俺を嫌ったわけじゃないなら……夏休み、また遊んでくれるか?」
「! ……も、勿論だ!」
「じゃ、今度こそ夏休みの予定決めようや」
「うん!」
もう完全に水に流すつもりなら、自分もそれに乗った方が良いだろう。コウが家を指差したので、蘭子も中に入ることにした。
家の敷地内に入りながら、蘭子は「そういえば」とコウに声を掛けた。
「我が剣、あの者は貴様の兄、ということで間違い無いな?」
「そうだよ?」
「ふむ……奴の素振りも中々、良いものだな」
「そりゃそうだろ。何せ、俺の師匠だからな」
「道理で、桐原くんよりカッコイイわけだ……」
「……は?」
喧嘩にはならなかった。ただ、この日、明らかにコウの機嫌は以前より遥かに悪くなった。