「にへっ、にへへっ……」
蘭子は、顔を枕に埋めたままニヤケ面を抑え切れていなかった。自分が一番憧れている男の子にライブを見られ「カッコ良い」と褒められた。どうせ最後の「大好き」は文字通りLOVEではなくLIKEなのはわかっている。
だから、その辺はスルーして考えても、この前の出来事は嬉し過ぎた。美波とみくには感謝してもしきれないまである。
……あ、ダメだ。やはりまた、あの時の言葉を聞きたい。そう思うと、自然とスマホに手が伸びてしまう。
『もしもし?』
「む、我が刃か⁉︎」
『そうだけど?』
「再度、問おう……。我が魔の饗宴は如何であった⁉︎」
『カッコ良かった』
「えへ、えへへ……」
この用件の電話は、もう8回目である。電話する度に格好良さが下がるのは蘭子も分かっているのだが、やはり何度も聞きたい。
少しでも格好良さが下がるのを緩和する為、言い方を変えているが……まぁ、普通に電話の向こうの少年は「カッコ良いって言って欲しいんだな」と察して微笑ましく思っているので、割と無駄だったりする。
「ち、ちなみにどの辺が……」
『ごめん、蘭子。今から公園で素振りするんだ。終わったらでも良いか?』
「あ……う、うん。それなら、致し方ない……」
『じゃあ、また』
電話を切られてしまった。これからやる事があるのに、わざわざ誉めてくれるあたり、やはり優しい子だ。
「……」
そういえば、そろそろ彼が県大会に行く日だ。見に行かなければ。
今度こそ勝つために、今の時間になっても外で素振りしているのだろう……と、ふと時計を見ると、時刻は21時を回っていた。
「……えっ」
中学生が、この時間に素振り? と、引っ掛かる。未成年……それも、15歳未満が深夜の徘徊は、もし警察官にバレたら……と、思うと、割とマズイ気がした。
早速、再度、電話をかけた。が、出ない。というか、繋がらない。多分、集中力を切らさないために電源を切っているのだろう。
「も、もう……あの子は……!」
走って部屋を出た。廊下を歩いていると、ふと足を止める。廊下の先にあるラウンジで、アイドル達が談笑しているのが見えた。
「みくちゃん、見て見て! 新しいエアギター!」
「良いから本物のギター弾こうよ。いつまでエアでいるつもりにゃ?」
「うっ……そ、それはおいおい……」
よりにもよって、前川みくの部屋に泊まりにきた多田李衣菜がセットではしゃいでいる。みくが「椅子の上で立つな」と怒らないのは、もう諦めているからだろう。
「うう……」
ここを通らないとエレベーターには辿り着けない。だが、あまりに見晴らしが良過ぎる。まず間違いなくバレる。バレたら「こんな時間に何処に行くの!」と怒られる。
匍匐前進? いや、魔王としてそれは出来ない。なら、怪盗団の如くカバーアクション? 無理だ。人には出来ない。
「……」
なら、方法は一つだ。堂々と、姿を表した。
「ふ、二人とも! 闇に飲まれよ!」
「あ、蘭子チャン」
「お疲れ様ー」
「こんな時間に何してるにゃ?」
やはりその質問が来た。さすが、みんなの学級委員長だ。しかし、手は考えてある。
「飛鳥ちゃんが、みくちゃんに下着の事で相談があると言っていた」
「え、みくに?」
「下着で?」
「仕方ない、行ってみるにゃ。李衣菜チャンも」
「うん! ……え、それ私の胸ナチュラルにディスってる?」
「それこそ飛鳥チャンの胸をディスってるにゃ」
「何をー⁉︎」
言われるがまま騙されてくれた二人と、何一つ打ち合わせしていない飛鳥に心底「ごめんなさい」と思いつつ、蘭子はその隙にラウンジを通り抜けた。
×××
夏の夜は、のんびりと散歩するのにもってこいの季節だ。昼間の熱線もあれはあれで夏らしくて良いんだけど、やはり暑過ぎるのは少ししんどい。
その点、夜は涼しく感じるのだ。そもそも、発光しているものは何かしら熱を発しているのだから、明るい昼間と暗い夜中では、夜の方が涼しくて当たり前なのだ。
さらに、夜というのは蘭子的にテンションを上げさせてくれる。夜、闇、影、漆黒……それらは、厨二病には堪らないスパイスとなる。
とはいえ、これから一応、説教をしに行くのだ。ニタニタもしていられない。
中学の範囲内且つ、コウの家から近い公園は一箇所だけだ。そこに急行すると、竹刀を振る小さい少年と、その素振りを見守る男がいた。
「コウ、肘下がってる。やるんなら集中しろ。楽したいなら早く帰れ」
「は、はい!」
普通に兄と一緒に練習してた。というか、少し考えればわかることだろうに……。
自分の思慮の浅さに、少し恥ずかしくなりつつも、しっかりその様子を見学する。真剣な表情で振われる素振りのフォームは、やはりカッコ良い。今まで剣というものは片手で振るのが至高、両手で持つのは槍や鎌、ハンマーなどの破壊力抜群な長物でないと力が無いみたいでダサい、と思っていたが、理にかなっているのであればその限りではない。
あれは竹製だが、ちゃんと鉄を打った刃物を想定しているが故の両手持ち。悪くない、悪くなかった。
「……」
邪魔してはいけない。彼は大会に向けて自分を追い込んでいる。お兄さんの厳しい言葉もそれ故だろう。そこに自分が入って行っても、邪魔になるだけだ……と、思っている時だ。
「コウ。休憩にしとこうや」
「え、な、なんで?」
「追い込むにも限度があんだろ。オーバーワークは身体壊すだけだ」
「……わ、分かった……」
「飲み物買ってくる。休憩中に竹刀振ったら殺すから」
あまりにラジカルなセリフと共に、お兄さんが立ち去ったのを眺めていると、そのお兄さんは自分の方を見た。ドキッとして思わず木の影に隠れてしまったが、顎でコウの方を指し示した。
えっ、と蘭子は内心、ドキッとする。蘭子がいるのは、公園の入り口付近に生えてる木の後ろ。
それに引き換え、二人が素振りしているのは、ここから10メートルはある公園の中央だ。しかも、コウの素振りを正面から見ることができるポジションなだけあって、お兄さんはこちらに背中を向けていたはずだ。
まさか、これだけ距離があって、これだけ暗くて、視線さえこちらに送らずコウの指導をしながら自分に気付いた?
「……か、カッコイイ……!」
お兄さんキャラ、あるいは親父キャラが最強というのはリアルでもそうだったのか、と感心しつつ、とりあえず絡む時間をくれたことに感謝し、姿を表すことにした。
「わ、我が剣……!」
「? ……あ、ら、蘭子? なんでここに?」
「え? あ……」
そういえば、考えていなかった。いや、早く家に帰るよう言いに来たのだが、お兄さんがいるのなら問題もないし、完全に余計なお世話である。
だとすると、どう言えば良いのか……グルグルと頭の中を巡らせていると「あっ」と何かピンと来たのか、コウが手を叩く。100パー間違ってる、などと言うのは、これから先のセリフを聞くまでもないことだが、一応耳を傾けた。
「ライブの事、褒めてもらいたくて来たの?」
「っ、ち、違うよ!」
予想を超える勘違いのされ方だった。恥ずかしいにも程があるので勘弁して欲しいレベルで。
「じゃあ、モデルの事?」
「もっと違う……とは言い難いけど……」
「あ……じゃあアレだ、この前言ってたチチユレとかいう奴の意味教えてくれる、的な⁉︎」
「そんな事のために来ないよッ!」
知りたかったらググれよ、と思いかけたが、ここまで思春期に一歩、足を踏み入れながらも剣道欲の方が強い少年は、いっそこのままでいて欲しい気もする。
「じゃあ、どうしたの?」
「っ……」
とりあえず、それっぽい理由……と、思ったのだが、どういう紆余曲折を得て自分がここに来るのか。都合の良い理由なんて思いつかなかった結果、自分にも利がある理由を告げた。
「そ、その……我も、貴様の研鑽に力を貸そう」
「え、マジで?」
「うむ! 我が魔王の力を持って、貴様の剣技に冴えを見出してみせよう!」
言ってから後悔した。剣道素人の自分に、一体なんの手伝いができるというのか。良い所「カッコイイ!」という褒め言葉くらいだろうに……。
顔が赤くなるのを必死に抑え込んで、とにかく表面上だけでも格好をつけていると、コウは微笑みながら言った。
「あ、じゃあ俺が蘭子に剣道を教えるよ」
「え、なぜ?」
「や、兄上に竹刀振ったら殺すって言われてるし、手伝ってもらおうにも振れねえのよ。でも、蘭子が振る分には問題ないじゃん」
そういえばそんなこと言われていた。ある意味では棚ぼたと言うべきだろうか?
嬉しさを噛み殺しながら、瞳に右手を添え、左手を前に突き出して言った。
「良いだろう……我に力を!」
「任せろ」
そんなわけで、面打ちを教わる事にした。
竹刀を手渡され、とりあえず前に教わった竹刀の握り方をやってみる。竹刀は基本、左手で支えて右手は添えるだけ。横からガッチリではなく、上から手のひらで包み込むように。
両手で握った後は、両肘の力を抜いて楽に持ち、剣先は敵の喉へ。右足が前で左足は半歩後ろ、踵を紙一枚入るくらい浮かせて両足に体重を乗せる。
「あれ、前に教えたの覚えてた感じ?」
「う、うむ……実は、たまに部屋で練習してたり……」
「すごいじゃん。完璧」
「え……えへへっ」
嬉しそうにはにかんでいると、ふと頬を赤らめているコウが目に入る。なんか照れているみたいだ。
「……桐は……我が剣? 焔属性を纏ったのか?」
「っ、て、照れてねえよ!」
もしかして、自分が少し喜んでみせた顔にときめいたのだろうか? なんか……可愛く見えてきた。
冷静に考えてみたら、彼は剣道一直線で義理深くて礼儀正しく正直な反面、興味が無い事は何一つ身が入らず、格好良さに夢中な上に、純粋無垢で割とすぐに照れる中学2年生……なんだろう、この子。天然記念物?
「ほ、ほら。次は振ってみろよ。ちゃんと左手で振るんだぞ。右手使ったら変な癖ついて直すのに時間掛かるからな」
「
「ふふっ……」
「何笑ってんだよ! 言っとくけど、竹刀も刀だしふざけ半分で振ると怪我するからな!」
「はーい、師匠!」
「え、気持ち悪っ」
「魔王キック!」
「痛え⁉︎」
急に辛辣になられ、恥ずかしくなりながら脛蹴りをしてしまった。
そのまま二人で、また一緒に剣道をする。コウにとっては良い息抜きとなり、蘭子としてもなんだかんだ一緒に練習出来て楽しい時間となった。
×××
蘭子が竹刀を振り、そのフォームをコウが細かく修正する。もちろん、家で少しずつ練習しているとはいえ、実戦経験も無い素人のフリなので、周りから見たら遊んでいるようにしか見えない。
少なくとも、魔王と侍の会合とはとても思えない二人のやり取りを、公園の入り口付近で眺める四つの影があった。
「ふふ、蘭子……乙女の顔をしているね、そしてそれは……桐原くん、彼も同じさ。どうやら、二人の世界が共鳴しているようだ」
「え、うちの弟も乙女の表情してるの? 弟なのに?」
「みくちゃん、嘘と深夜の徘徊のお説教は?」
「今、邪魔しに行けるわけがないよ……」
というか、と、李衣菜が声を漏らす。その視線の先にいるのはレオだ。
「この人は誰なの?」
「蘭子の義兄さ」
「義兄のレオです。よろしく」
「えっ、じゃあ……もしかして、複雑な家庭?」
「そっちじゃねえ」
まぁ、分からないなら分からないで良いや、とレオは思う事にして、みくに声を掛けた。
「てか、なんでお前らまでここに?」
「蘭子チャンが嘘ついてまで事務所を抜け出したから、追いかけてきたの」
「なるほど。……まぁ、もう九時回ってるしな」
「そうだ、みくちゃん。もしかして、あの子が蘭子ちゃんの……?」
「そう。まぁ二人ともまるで自覚がないけど」
「あの子も義理の兄弟ってことかぁ……なんか、ラブコメみたいだね」
「うん、もうそれで良いや」
説明を投げつつ、みくはレオに声をかける。
「この後、どうしよう? そろそろ戻らないと……」
「いやまぁな? でもほら、なんか声掛けづらいでしょ」
「でも……僕もう眠いんだけど……」
「じゃ、私と飛鳥ちゃんは先に戻ってるから、みくちゃんは蘭子ちゃんお願いね」
と、いうわけで、しばらく胸焼けするほど甘ったるい中坊二人を、みくとレオは見守るハメになった。