今日は仕事がない蘭子は、部活終了時間まで教室で時間を潰していた。
やってしまった、と少し反省している。今にして思えば、確かにこの前から自分は変態的過ぎたかもしれない。彼が怒るのも頷ける。
ホント、つい暴走してしまったかもしれない。からかうのも大概にしないと、彼自身は決してマゾではないのだ。
まぁでもアホの子だし、今頃にはもう忘れている可能性だってある。だから、ここで謝ればなんとかなるはず……そう思っていると、部活が終わる時間に近づいてきた。
それに伴い、蘭子は教室を出て、靴を履いて武道場の前まで歩く。しばらく待っていると、剣道部が終わったのか、続々とジャージ姿の学生が降りてきた。
「……あっ」
コウの姿が見えるなり、パァッと表情を明るくする蘭子。やっと来てくれた、と言わんばかりに駆け寄ろうとするが、その隣には見知らぬ女がついていて、足を止めてしまう。
「なるほど……つまり、長く構えていた方が良いと?」
「そう。将棋でも何でも、隙がない姿勢ってのは最初の布陣、あるいは構えだから。その構えを崩すってのは、自分から隙を作るようなもんなんだよ。相手が攻撃する瞬間は、必ず隙が出来る。そこを捉えれば良いだけの話」
「なんか……カッコイイですね!」
「え、そ、そう?」
……アドバイスだろうか? にしては、少し親密に見えるが。何度か見たことある女だが、後輩の子だろう。コウは同期や先輩には嫌われているが、後輩にはその圧倒的な強さから慕われているらしいから。
そして、あの子とはいつも武道場の前でお別れするのも知っていた。だから、待っていれば一緒にいられる。そう思った時だ。
「……」
「……」
目が合った。少し気まずいながらも会釈で挨拶をした時だ。
「ふんっ……そうだ。今日は途中まで送って行くよ。お前の弱点、もうちょい教えてやる」
「え、良いんですか⁉︎」
「ふえっ……?」
ふんっ、と鼻を鳴らしながらそっぽを向かれたと思ったら、そのまま歩いて行ってしまった。
しばらく、蘭子は呆然とするしかなかった。
×××
「ゔっ、ゔっ……ゔあああああああああ‼︎」
その声量は、みくや飛鳥が思わず耳を塞いでしまう程の音響兵器だった。その号泣からは、魔王の矜持など微塵も感じることは出来ない程の泣き顔で、もはや中学2年生とも思えなかった。
「ら、蘭子チャン……落ち着くにゃ。可愛い顔が台無しだよ?」
「まったく……少し目を離すとこれだよ……」
「ゔあああああああんっ! ああああああああ!」
何があったのか、まだ聞かせてもらえていない。だから、アナスタシアや響子は未だ、部屋の入り口で心配そうに中を覗き込んでいる。
「とにかく、泣き止んで。どうせコウクン関係だろうけど、話を聞かせてもらわないと何もわからないにゃ」
「そうだよ、蘭子。蘭子は魔王だろう? 涙なんて、相応しくないよ」
「うぐっ……ぐじゅっ、ずるるっ……」
仮にも14歳のJCが、鼻水を啜っていた。その鼻水を啜りたい、なんていう飛鳥の邪心はともかく、二人は慌ててそのまま蘭子の背中をさすって落ち着かせる。
ようやく少し落ち着きを取り戻した蘭子は、まだ目尻に涙を浮かべたまま、ようやく人の言葉を話し始めた。
「……カした」
「え?」
「……コウくんと、ケンカした……」
それを聞いて、二人は顔を見合わせる。
「喧嘩って……なんで?」
「うっ……い、言わなきゃダメ……?」
「じゃないと、ボクらは何も言えないよ。助けることも出来ない」
「……」
喧嘩を解決するには、原因を絶たないといけない。意地の張り合いにまでなってしまうと、むしろ原因などはどうでも良くなってしまうが、まだその段階にまで行っていないのなら、根本的な解決は可能だ。
「……嫌いに、ならない?」
「みく達が、蘭子ちゃんを?」
「なるわけがないだろう」
言うか言うまいか、蘭子は少し躊躇った後、このまま彼と絶縁するよりは、今、恥を偲んだ方が良い、と判断し、ポツリと呟くように言った。
「実は……コウくんに、おっぱいを触らせる約束を、して……」
「「うん……うん?」」
ちょっと何を言ってるのか分からなかったが、蘭子は続ける。
「それで……少し、暴走しちゃって……コウくんを胸関係でからかうのが、楽しくて……それで……やり過ぎちゃって……」
「待て待て待て待って。おっぱい触らせるって何?」
「そ、それは……その……」
「話しなさい。蘭子チャン」
いつのまにか怒られるムードになっていて、とりあえず「相談する」というより「白状する」という感じで話し始めた。
案の定、みくも飛鳥も「うーわ……」と口に出して、ドン引きした顔で蘭子を眺める。
「……何してるの、アナタ達……」
「爛れているな、蘭子の中学は……胸を触り合うなんて……」
「筋肉がどうとかじゃないよそれ……普通に二人ともヘンタイだよ……」
「意識し過ぎてもしなさ過ぎてもダメになる、という事だね……」
「うぐぐぅっ……」
ボロクソに言われ、蘭子はさらに顔が赤くなる。あの時の自分はどうかしていた、という自覚はあった。
「ていうか、アイドル的にも見逃せないにゃ。付き合ってもいない男の子に胸を触らせようとするなんて……後でしっかりとお説教だからね」
「うっ……ご、ごめんなさい……」
「まぁまぁ、みく。とりあえず今は、このまるでダメな女子中学生をなんとかしてあげよう」
「分かってるにゃ」
といっても、喧嘩の仲直りには「ごめんなさい」しかないわけだが。
「でも、今回の件、仲直りした後も大変だよ、蘭子チャン」
「? どうして……?」
「だって、蘭子ちゃんがコウクンを怒らせたの、どうしてもからかいたくなっちゃって、我慢できずにやり過ぎちゃったから、でしょ?」
「う、うん……」
「つまり、仲直りした後、同じ事をやらかしたら、今度こそ本当に終わりだよ?」
「……」
それを聞いて、少し怖くなってしまう。正直、抑えられるか分からない。ついうっかり、からかうつもりがなく胸が当たったとかでも嫌われたら終わりだ。
「……ど、どうしよう……ほんの少し……いや、わざとじゃなかったとしても、ダメなのかな……?」
「正直、そこは本人に聞かないと何ともかなぁ……」
「ボクの方から、少し話を聞いておこう。みくが行ったら、彼はまた緊張してしまいそうだからね」
「? どうして?」
「蘭子とみくにあって、ボクにない武器を割り出した結果さ。とにかく、ボクに任せてくれ」
何となくみくは理解してしまった。……が、蘭子はわかっていない。純真な眼差しでキョトンと小首を傾げる。
「武器って? エクステ?」
「……蘭子、ボクとも喧嘩したいのかな?」
「どうして⁉︎」
「蘭子チャン、そもそもコウクンと喧嘩した、大雑把な意味合いでの原因は何?」
「え? ……あっ」
蘭子も察したようで、一瞬だけ飛鳥の胸に視線が行き、その後に続いてみくの胸元に視線がいく。……そして、もう一度だけ飛鳥の胸を見下ろし、顔を上げた。
「じ、じゃあ……その、お願いします……」
「うん。任された。……大丈夫、なんとかするよ。せっかくの、蘭子の想い人だからね」
「……っ」
そんな風に改めて言われると、少し恥ずかしくなってしまった。顔を真っ赤にしたまま、蘭子はそのまま続いたみくのお説教を受けた。
×××
翌日、飛鳥は早速、コウとマックにやって来た。蘭子の事で話がある、と直球で伝えた。そうすれば、コウなら敵前逃亡は格好悪い、と思うと踏んでのことだ。
案の定、二つ返事でオーケーが来て、今に至る。
「で、なんの用? あいつの事で話すことなんかないんだけど」
「嘘はやめて欲しいな。時間の無駄だ。聞きたいことはあるんだろう?」
「……」
「とはいえ、呼び出したのはボクの方だ。先にこちらの要件から話そう。……蘭子と、仲直りして欲しい」
それを言われ、コウは目を逸らす。
「……なんで」
「蘭子が泣いていたからさ。ボクにとって一番、気が合う友達である彼女が傷ついているのを見るのは忍び無い」
「ふーん……泣いてたんだ……」
あ、少しショック受けてる、と飛鳥はコウを見て思う。やはり、かなり分かりやすい子だ。
「そんなの知らんわ。どっちかって言うと虐められたのは俺の方なのに」
「大体の話は蘭子から聞いたよ。蘭子に、セクハラをされて喧嘩になったってね。……意外だな。からかわれるのがそんなに嫌だったのかい?」
「別に、からかわれるのが嫌だったとかじゃねーし」
「じゃあ何?」
「……しつこかったのが嫌だ」
それを聞いて、飛鳥は顎に手を当てる。それは裏を返せば、少しくらいなら気にはならない、という事だろう。
……とはいえ、蘭子の事だ。調子に乗ると制御出来なくなることもあるのだろう。
少し話しただけで収穫はあった。もう少し話を聞いてから帰ろう、と思った飛鳥に、コウは続けて言った。
「……それに、俺も蘭子に筋肉見せるだなんだって焚きつけちゃってたみたいだから……そういう自分も、嫌だ……」
「……」
「まぁでも……もう終わりだよ。最後、大っ嫌いって言われちゃったし」
自重気味にそう呟きながら、コウは飲み物を啜った。
「……でも、仲直りはしたいんだろう?」
「別に。蘭子が今後もああいう嫌がらせを何度もしてくるのなら、俺は別に……」
「しなかったら?」
「……そりゃ、それならまぁ……」
ぽりぽりと頬をかきながらそっぽを向く。変な所で素直じゃない男だ。思わず、飛鳥も「くすっ」と笑みを溢してしまう。
「……なら、何も問題はないな。近いうちに、蘭子と話をする機会を設けて欲しい」
「問題はあるでしょ。あの様子じゃ、蘭子はどうせまだ怒ってるでしょ。昨日だって、わざわざ俺に文句を言うために武道館の前で待ってたし」
「……会って話をすれば分かるさ。気まずいかもしれないし、正直今は少し嫌いなのかもしれない。でも、会って話をすれば、きっと『あの時話せて良かった』と後々、思えるよ」
「……」
コウは何も答えない。素直になりきれないのか、そっぽを向いたままだ。まぁ、後は本人次第だろう、と飛鳥は思うと、ブラックコーヒーを我慢して飲みながら続けた。
「もし、蘭子に伝えて欲しい言葉があったら伝えよう。結局、ボクに出来ることがあるのはそれだけだからね」
「……じゃあ、一つだけ」
「? なんだい?」
それを伝えると、飛鳥は一瞬、頬を赤らめた後、すぐにクスッと微笑みながら、唇を綻ばせる。そういう事を恥ずかしげもなく言ってしまうことが、一番蘭子を困らせている原因だろうに。
何か言い返してやろうと思い、まるでボソッと呟くようにぼやいた。
「……君は、本当に男の子だね」
この女泣かせは、死ぬまで治らないのだろう。そう強く思いながら。