この度、拙作が30万UAを達成致しました!
ひとえに読者の皆様のご愛顧があってこそ!
これからもよろしくお願いします!
さて、もう少しで真のヒロイン登場…。
その前にまたサブヒロインが加わるんじゃ。
それでは、どうぞ!
神々の女王ヘラがキオス島へ降臨してより、数週間後。
太陽神ヘリオスは訝しむ。最近、どうにも妹である暁の女神エオスの様子がおかしいと。
「なぁ妹よ。近頃は俺を呼ぶ時間が早過ぎやしないか?」
彼は日の出を司り、世界に朝という概念を引っ張り出す重要な役割を担う神である。
これまでは妹にして暁の女神と呼ばれたエオスが、決まった時刻になると自分を起こし、
朝を告げろと命じてきていたのだが、最近になってその時刻が徐々に早まっていた。
そのせいでギリシャ世界の夜が短くなってきており、人々の生活リズムが崩れ始め、
次第に生命のバランスの均衡が乱れるなどの悪影響が各地で発生するようになった。
自分の仕事が早まるだけで甚大な被害が出る。それをよく理解していたヘリオス神は、
事の発端であるエオスの異常を突き止めようと考えたのだが。
「うるっさいなぁ‼ 兄貴にゃ関係ないでしょうが‼」
「無関係ではないぞ。俺の仕事が早すぎると各方面から苦情がだな」
「喧しい‼ さっさと働きな‼ アタイはやる事やったら行くとこがあんだよ‼」
「行くところ? それはどこだ?」
「兄貴に関係ないところだよ‼」
取り付く島もないとはまさにこのこと。エオスは癇癪を起こした幼子のように喚き、
ヘリオスが引き止める声も聞かずに神馬に跨り、朝焼けの空を駆け抜けていった。
「……やれやれ。俺では事情をうかがうどころじゃないな」
権能でギリシャの空に朝をもたらしながらぼやくヘリオス。太陽神としての威光で
世界を輝かせる彼は、自分と同質にして同等以上の神格が顕現する気配に気付く。
『やぁ。どうやら失敗したようだね。同じく妹を持つ身として心労をいたわるよ』
「………これはこれは。アポロンじゃないか。心にもない事をありがとう」
ヘリオスの傍に現れた光源は、平坦な口調で人間味のあるセリフを淡々と呟く。
それが自身と同じ、太陽神の役割を与えられた神アポロンと察したヘリオスは、
つい先ほどエオスと交わしていたやりとりを盗み見られていたことにも勘付いた。
「神殿を各地に持つ太陽神の代表たるあなたが覗きとは、随分趣味が悪い」
『神である我々の仕事の一環さ。覗かれて困るような事情でもあるのかい?』
「そういうところだぞアポロン。それで、なんでまた俺のところにきたんだ?」
太陽という苛烈な恒星を権能として有する神にしては、あまりに軽薄な性格。
そんなアポロンとの付き合い方を熟知しているヘリオスは、会話もそこそこに本題を
切り出す。自分との会話に興じないことに不満そうなアポロンも渋々答えた。
『つれないね君は。わざわざ来た理由は、我々の活動時間が早まりだした件だよ』
「……それなら俺じゃなく妹の方へいけばいいのではないか?」
『おいおい、そんなことをしたら私が君の妹にちょっかいを出しているようじゃないか。
冗談じゃないぜ。私はああいうのが苦手でね。逆に初々しい若葉こそが好ましい』
「人間の幼子にばかり祝福を授けている変態が妹に近づかなくて良かったよ」
『失礼な。純真無垢に日々成長する可能性を愛でることの、何が悪いんだい』
「愛でているのがあなたという点かな。それで、エオスの事をどうする気だ?」
軽口を叩き合う神々。和気藹々としているようでその実、高度な情報戦に発展しかけていた。
ヘリオスは妹を守り、もし何か深刻な異常をきたしているのであればその解決に尽力する
つもりでいる。しかしアポロンは違う。飄々とした態度の裏は冷酷かつ残忍な本性が潜む。
もしもの場合は殺し合いもやむなし、と。そう結論付けたヘリオスにアポロンは告げる。
『物騒な顔で睨まないでくれ。私は君の妹をどうこうするつもりは微塵もないんだ。
むしろ朝を早めてくれたおかげで眠い目をこすりながらもっと寝ていたいと母親に縋る
美少年を拝められていいぞもっとやれと―――いや、何でもない』
「既に手遅れだぞアポロン」
『まぁとにかく。私はエオスに対して何らかの行動は起こさない。約束してもいいよ。
でも、異常には違いないからね。君が尋ねてもダメなら、
「ではどうするつもりだ? 大神に報告でもしてさらに神格を貶めるのか?」
『ははは、まさか。最近退屈している我が妹を唆して、聞きにいってもらうよ』
「……アルテミスか。それだったら、まぁ」
アポロンの言い分を聞き、妹に害が及ぶ可能性を凄まじい速度の演算で導き出すが、
そのどれも実現率が低いものであると算出できた。ヘリオスはアポロンの言葉を信じ、
エオスの事を同じ妹という立場であるアルテミスに任せることにした。
『では、それとなくアルテミスに言っておこう。お気に入りの
ずっと待っていられる性分じゃないからね。負荷の発散ぐらいにはなるかもしれない』
「…確か、あなたが神託を授けた大神の血を引く英雄の試練、だったか?」
『そうそう。【ヘラクレス】なんて大層な名を貰った、神々の未来を担う人間さ』
言うだけ言って話を済ませたアポロンは、別れの挨拶もそこそこに姿を消してしまう。
掴みどころのない奴だ。と、声もなくぼやいたヘリオスは、水平線の彼方を眺める。
「……妹よ。俺はお前が心配だ」
演算により無数に列挙させた不幸な可能性。そのいずれかが実現しないことを祈って。
そこはギリシャの海に浮かぶ一つの島。冠された名は、クレタ。
そう。ある狩人が神託を授かり、昇りゆく朝陽によって目を癒したと云われた島である。
「…………………………………………」
さて。後にある鍛冶師が伝えた狩人伝説が語り継がれるその島に、一人の男がいた。
筋骨隆々にしてその巨体は動かざる山の如し。されど世の女を虜にする絶世の美貌あり。
彼の名は、オリオン。ボイオティアというギリシャの片隅にて育ちし無双の狩人である。
しかしその風体からはみすぼらしさしか感じられず、まるで雨に濡れた泥の塊のように、
ただそこに蹲っているだけの男となっていた。
声も発さず、せっかく見えるようになったはずの瞳からは光が消え、ただ呼吸をする。
何の目的もなく、生きるだけの動物。抜け殻と呼ぶに相応しい状態で彼はそこにいた。
「…………………………」
「あぁ、オリオン。かつての凛々しさも猛々しさも好いが、その憂いもまた……」
そんな状態のオリオンの隣には、一人の女が満面の笑みで寄り添っていた。
絶望の沼底に沈み切っている今の彼を見て、恍惚とした表情で果実を手に取る女。
彼女こそは、暁の女神エオス。人としての姿で地に降り立った、正真正銘の神である。
「ほらオリオン。たんとお食べ。食わねば死んでしまうからな、食ってくれ」
「…………………ああ」
エオスが差し出した肉厚の熟した果実を前にして、やつれた様子のオリオンは掠れ声で
小さく呟く。もはや彼は、死なない為に食べ、死なない為に眠るだけの生き物と化した。
いったいどれほどの絶望が彼の心を苛んだのか。どれほどの絶望を知れば心砕けるのか。
それは彼にしか分かり得ないことだが、まるでその苦悩を共有しているかの如く女は語る。
「オリオン。もういいんだよ、何もかも全部。これからはアタイが何から何まで面倒を
みてやるからね。生存も、罪業も、悔恨も、欲望も。子々孫々に至るまで愛するよ」
「………………」
「だから、さ。今は全てを忘れて。食って、寝て、ただそれだけを考え生きればいい」
沈黙を続けるオリオン。そんな彼の口に食べ頃の果実を押し付け、女神を頬を緩ませた。
「はぁぁ…最高だよオリオン。アンタと一緒にいるってだけで、何かが満ちていく。
言語化できない何か。それでもアタイはコレを、ずっと持ち続けていたいと思う」
語り聞かせるように呟いたエオスは、自身よりずっと背の高い狩人の頭を優しく撫でて、
優先事項の更新を確認する。
「さて、と。それじゃオリオン。もうすぐ夜になると思うけど、また朝にして戻るからね。
それまでにその果実は食べておいてくれよ。新しいの、持ってきてやるからさ」
そう言い残すと、エオスの身体は光に包まれ、その輝きに導かれるようにして現れた
二頭の神馬に颯爽と跨って女神としての唯一の役割を果たすべく水平線へ駆けて行った。
一方。取り残されたオリオンはというと。
「…………………」
ガブリ。一口で果実を頬張ると、死人のような顔で自分のいる場所を見回し始めた。
神秘溢れるクレタ島の樹海。彼は遥かキオス島から、知らずこの島へ戻っていたようだ。
その間の記憶がまるで無いことに軽く驚くも、表情筋が死滅しているので表現されない。
腐り濁った男の目は、豊かな自然に彩られた世界を眺めるも、感動の一つも起こらない。
ふと彼は、自分の手を見つめる。先程食べた果実の汁と蜜で粘つく手である。
(どれほど日が経ったか分からんが、相当な日数を果実で食い繋いできたようだな)
自我を呼び起こそうものなら、たちまち腹の虫が養分不足を騒音によって訴えだす。
絶望によって心が折れて以来、食べ物らしい食べ物を果実以外に口にしていないことを
思い出したオリオン。それと同時に、女神エオスに介抱されていたのだと認識する。
(目を癒してもらうばかりか神託を授けていただき、そのうえ生かしていただけた…)
昏く澱んだ瞳に、微かな光が灯る。最小限にしか動かさなかった手に、渾身の力を込めた。
ぐっ、ぐっ。筋肉の軋む音を鈍痛と共に知覚した狩人は、肉体の衰えに再度驚愕する。
(このままではだめだ。慈悲深き女神エオスといえど、いつまでもその懐深き愛に甘える
わけにはいかない。自らの力で、意思で、生きねば。生きて、答えを見つけるのだ!)
もう二度と光を絶やさぬようにと、彼の中で再び芽生えた生存への執念が燃え盛る。
灰色の世界を映していた瞳に生気が戻り、鈍化していた思考が目まぐるしく廻りだす。
(俺が招いた災厄なんだ! 俺が責任を取らずに逃げてどうする! 見捨ててどうする!
出来ることがあるはずだ! 彼らに、彼女に償わぬまま腐り果てる気だったのか俺は‼)
先程までそこにあった、静まり返った生き物はもういない。
そこにいるのは、立ち上がった者は、清廉にして潔白なる狩人の自負を持つ男。
海神の血を引き、神々の女王すら諫めてみせた、天下無双の名にふさわしき男。
それこそが、誰あろう――オリオンである。
「………生きねば」
深く、大きく、息を吐き出す。体の中に溜まった悪い気を放出するように。
そのまま大きく、深く、息を吸い込む。瞳を閉じ、開く。
ここに狩人オリオンは、ようやく復活を遂げることができた。
「……まずは腹ごしらえ、の前に、狩りの腕と勘の冴えを取り戻さねばならんな」
茫然自失な日々を送っていたせいで、肉体がとんでもなく衰えていると自覚させられた
オリオンは、とにもかくにも失った時間を取り返すべく行動を開始する。
かの鍛冶神が自分専用に鋳造してくれた神器二振りがあることを確かめたオリオンは、
栄養失調寸前の巨躯を無理やりに動かし、息も絶え絶えに苦しみつつ樹海を練り歩く。
「ぐっ、くぅ……こ、こうまで身体が思うようにならないか。難儀だな」
自身の想像する「自分」であれば、たかだか島一つ駆け回るぐらいで息切れなど起こす
無様は晒さなかったはず。額に浮かぶ大粒の汗を拭いながら、情けなさを悲観する。
それでも彼は想像通りに動いてくれない肉体で、しかし懸命に腕を磨き直していく。
やがて日も暮れる頃。初めて狩りを教わった時のように、彼は樹海に突っ伏した。
息を整える余裕すら今の彼には残っていない。荒い呼吸が木の葉を激しく揺さぶるのを
汗で滲む視界で眺める。徐々に暗くなっていく森の中、オリオンは静かに笑った。
(あぁ。俺は、俺は今、どうしようもなく生きている。生かされているのではない)
自分の力で生きる。一人の人間として、世界の中で生きようとしている。
当たり前のことであり、しかしそれがこうも難しく、辛く、苦しい事であった。
オリオンはまさにこの瞬間。生を実感していたのだった。
「は、はは、ははは…!」
知らず、笑い声まで喉の奥からこぼれ出る。声の震えで全身の筋肉がビリビリと痺れるが、
お構いなしに豪笑してみせる。誰もいない、自然と一人で向き合うからこそ見出せたもの。
「はははっ! はははは……ん?」
愉快さとはまた違う思いで噴出した笑いに倒れながら震えるオリオン。
そんな彼は、閉じることも億劫な視線で、薄暗い森の木の枝に何かの存在を捉える。
濁った眼を強引に研ぎ澄ました今の彼には、かろうじてソレが鳥であることが分かった。
しかし、ただの鳥ではない。落ちた視力、闇の中という状況にあっても、美しく光る羽が
その鳥にあったのだ。自然という過酷な環境の中で磨かれたものとは別種の輝き。
オリオンの目は、その鳥に釘付けになった。
「なんだ、あの鳥は…? 夜目が効く類の鳥じゃないが、それにしてもあの羽は…」
狩人の目が捉えたその鳥には、全身を覆う羽毛とは異なる形状の飾り羽根が生えている。
しかも明らかに目立つほど大きく、夜闇の中でもうっすら発光しているようであった。
初めて見る鳥の美しさに仰向けのまま見惚れていたオリオンは、ゆっくり上体を起こす。
「大鷲なんかを狩ったことはあるが、あんな小さな……鳩か? 狩りの経験はないな」
勿論のこと、鳥類への狩りの心得もあるオリオン。けれどそれは大型の鳥類魔獣に対する
ソレであり、通常サイズの鳩のような鳥への狩りはしたことがなかったと思い返した。
「ふむ、棍棒どころか矢ですら粉々にしかねん小柄さだ。では……お、あった」
自分が狩りに使用している神器や手製の矢を使えば、木の枝にとまる鳥に風穴が開く。
いや、それどころかバラバラの肉片に成り果てる事だろう。狩りの腕が落ちたとはいえ、
やれてしまうだろうという確固たる自負が彼の中によみがえりつつあったのだ。
オリオンは下半身を放り出したまま、手探りで手のひらサイズの石ころを見つける。
重さや硬さを手指でじっくり確かめ、問題ない事を認めるとおもむろにそれを投げた。
狙いは当然。狩人の動向を観察するように動かないままの、綺麗な羽をもつ小鳩だ。
シュッ―――ゴシャッ‼
「命中。久方ぶりの狩りで体が疲れていても、小石を放るくらいはできるな」
いくら野生を生き抜く獣の動体視力であっても、音を切り裂く勢いの石弾を見てから
回避することなど不可能。何の変哲もない石が小鳩の胸部に着弾し、羽ばたきもせず落下。
ボトリ、と草むらに落ちてきた美しい鳥にオリオンは歩み寄ろうとした。
その時、バサバサとけたたましい羽音が耳に届き、オリオンの前に現れる。
「ん? なっ、なんだコレは…?」
狩人は瞠目する。彼の前に、いや、石で胸を撃たれ落ちた鳩を囲うようにして現れたのは、
同じ種類の小鳩たち。どこからか飛んできた六羽の鳥、そのどれもが異なる配色の羽根を
一つ携えている。赤、青、黄、緑、桃、紫、そして倒れている白い飾り羽の鳩含めて七羽。
群れの仲間を守る、といった類の行動ではない。それ以上の決意と敵意を放っている。
聡明な狩人オリオンは目の前の鳩たちの様子を見て、すぐさま気付く。己の過ちに。
「これは、まさか………この島の神獣か!? それとも、何処の神の飼われる神鳥か!?」
肉体疲労でかいた脂汗が、途端に背筋を凍らす冷や汗に代わる。顔からは血の気が引く。
自分がたった今撃ち落としてしまったのは、クレタ島に住まう神獣の類ではないか、と。
これはとんでもない失態だ。人間が神獣を殺めるという事態はそもそも起こりえないが、
時には英雄と呼ばれる並々ならぬ力量を誇る者によって成されることもあった。
ただ、それをやって良いことがあった試しがないのがギリシャである。
神獣を殺めることと神の怒りを買うことは、ほぼイコールでつながる。嫌な計算式だ。
人間側の知らぬ存ぜぬなど、それこそ神からしたら知らぬ存ぜぬこと。理不尽の極み。
こうなってしまえば辿る道筋は一つ。「よくも殺したな、お前も死ね!」ルートのみ。
誰よりも神の気まぐれさ、傲慢さ、厳格さを知るオリオンである。
たとえ「美しさに見惚れて狩ろうと思ったら神獣だった、メンゴ」とバカ正直に応えても、
というかストレートに答えようがはぐらかそうが、神の所有物殺っちまったら即アウトだ。
(まずいまずいまずいまずいまずいまずい! とにかくこの場はまず……ん?)
疲れでまた鈍化しかけていた思考をオーバーフロー寸前までフル稼働させ、この危機を
乗り切る閃きを模索しようとしていたオリオンだが、そこで信じ難い光景を目にする。
小鳩の身体に生えていた、仄かに発光する飾り羽根の輝きが強く激しくなっていく。
やがて光は鳩の全身を包み込み、あまりの眩さに狩人が目を手で覆った次の瞬間。
「―――ぅ、ぅ…」
鳩が落下した草むらに、見目麗しい美女が横たわっていた。
―――なんという無様を晒したものでしょう。
鳩の姿から人型へ。月女神アルテミス様の許可がなければ変身を解いてはいけないという
戒めがあるにも関わらず、私はこの身に奔る激痛のあまりに元の姿を晒してしまった。
我々はキュレーネ山にて誕生せし【プレイアデス七姉妹】と呼ばれる、
このクレタ島には、侍女として我々が仕えているアルテミス様からの御命令で来ていた。
ただの御遣い程度なら一人だけでも派遣すればいいのに、わざわざ七人全員を呼び出して。
その内容は、「クレタ島のエオスに会いに行くから、なんかいい感じによろしく」とのこと。
なんでもここ最近、暁の女神エオス様が極端に夜明けを早めていらっしゃるようで、その件で
お話を伺いに行きたいとかなんとか。
いやいい感じって何を? といった疑問を口に出す暇もなく、我々は小鳩に姿を変化させられ、
アルテミス様の許しなく元の人型に戻ることを禁じられてクレタ島へ向かわされたのだ。
マイア・エレクトラ・ターユゲテ・アルキュオネ・ケライノ・ステロペの姉妹たちと共に
一路クレタ島へ赴いた我々。そこにいらっしゃるはずのエオス様にご挨拶をと島に入った
我々は、島の樹海の深部にて、とんでもない光景を目撃してしまったのです。
女神が人間の世話をしている。甲斐甲斐しく、さながら主人に侍る侍女たる我らのように。
言葉が出なかった。鳩になっているから元から言葉などでないが、それでも驚愕した。
兄に太陽神を、姉に月女神がいらっしゃる暁の女神様が、たかが人間ひとりに対して、
食事の用意から体の清めなど、何から何まで世話を焼いているのだから。
それから私以外の姉妹は、なんとかエオス様にアルテミス様ご来訪の一報を告げようと
機を窺っているようだけど、こちらのことなど眼中にすらないようだと報告を受けた。
この島に来てからはほとんどをあの人間と過ごし、役割を果たす時だけ空を駆ける。
神馬に跨るのでただの小鳩の我々では追いつけず、かといって島では接近できる機会が
ほとんど皆無と言っていい。八方ふさがりの状況に姉妹たちは頭を悩ませていた。
そんな中で私は、女神から手厚い介護を受けてなお反応を示さない男に興味を抱いていた。
通常、外装も美麗に設計されている女神からの恩寵を賜ることを喜ばぬ人間はいない。
まして男だ。邪なる感情、下劣なる欲情を抱き、身の程を弁えない愚行に及ぶ場合も
可能性として充分に考えられる。しかし、現在の彼にはそのような兆候は見えてこない。
何故だろう。あの男は何故、生きながらにして死人のような顔をしているのだろう。
どうして。あの男はどうして、この世界の全てを諦観の眼差しで見ているのだろう。
気になってしまう。目で追ってしまう。果たすべき役割が、使命があるのに。何故。
そうして男を観察し続けてはや一か月。ついに彼は、狩人である男は動き出した。
光が消え濁り澱んだ瞳に、生気が宿るのを見た。彼の活気に満ちた瞳を初めて見る。
これまで世界を昏く映していた彼の鋭い眼光に、鳩の姿でありながら身震いしてしまう。
立ち上がる。ああ、彼が立ち上がる。泥の塊のように沈んでいた、巌の如き肉体が。
およそ並み居る人間とは隔絶した身体美。躍動する生命力に、視線が定められる。
なんという屈強。なんという俊敏。なんという雄々しさ。彼の性能に脱帽させられた。
樹海を突き進む彼。恐ろしく速い。どんどん獣を狩り、道を作っていく。
待って、待って。もっと見せて。もっと見たい。見ていた。貴方を、貴方だけを。
原因不明の感情に振り回されるように、私は一生懸命に彼の後を追いかけていく。
そうして、日が暮れる。クレタ島に夜の帳が下りる。彼の動きがようやく止まる。
息も絶え絶えに汗を流す彼。苦しそうだ。辛そうだ。けど、どうしてだろう。
女神エオス様に献身を施されていた時よりも、遥かに生き生きと、満たされていて。
噤まれていた口が開き、高らかに笑い声を上げだした。心底から、解き放つように。
そんな彼の事を見ていると、なんだか私も嬉しくなってくるようで。
体温の急上昇を知覚していると、彼がなにやら草むらを手探りしだして……?
―――え?
突然。凄まじい衝撃が迸った。呼吸困難状態に陥り、思考も危険域に突入する。
何が起きたのか。分からない。彼が石を手に取ってから、それから……?
力なく鳩の身体で草むらに落下する。どうすることもできない。痛覚信号に苦しむ。
なんで、どうして。彼が、貴方が私を? ひどい。私はただ、貴方を見ていただけなのに。
私が貴方に何をしたというの。ひどい。いたい。くるしい。いたい。いたい。いたい。
――バサバサバサッ‼
羽音が聞こえる。複数。ここにはいないはずなのに、姉妹たちがいるように見える。
いや、本当にいる。現実に。六人全員、ちゃんといる。私を守るかのように囲んでいた。
彼に石で撃たれた私を、彼から守ってくれている。姉妹たちが、危険を顧みずに。
それが嬉しい。けれど、このままでは姉妹が危ない。くるしい。いたい。どうしたらいい。
そうしているうちに私の意識が遠のいていき、私にかけられていた術が解かれてしまう。
アルテミス様の許しを得ずに術を解くことが禁止されているが、気にかける余裕もない。
近付いてくる。やめて、こないで。いたい。こわい。あんなにも見ていたかった彼が
目の前にきているのに、もう見たくない。人の姿になった私は、女性的な造形をしている。
そして、彼は男だ。邪で、下劣で、醜悪な欲望に満ちた生き物だ。きっと穢される。
私は
力で押さえつけられ、彼の欲望のままに身体も精神も汚される。他の男たちのように。
その大きく、強い掌が私に触れようとする。姉妹たちが鳩の姿で懸命に男へ抵抗しているが、
構わず手を伸ばしてきた。いやだ。いやだ。たすけて。けがされたくない。こないで。
そこで、私の意識は途絶えた。
「人間に効く薬が、この者に効果があるか分からんが……効いてくれ!」
オリオンは自分の手や顔をやたらめったら突いてくる鳩に構うことなく、倒れ伏した
麗しい美女を介抱し出す。狩りで怪我をした時の為に、様々な効能の薬を常備していた。
これ幸いと薬を取り出し、効果が見込めるか不安を感じつつも、女性の手当てを始める。
胸を強く打たれたせいか、人間でいうアザのようなものができていることが確認できた。
人体を治癒する魔術や人工的な方法など知り得ないオリオンだが、狩りの教えを乞うていた
少年時代に自分の身体を検体に怪我の治し方を習得している。
(他者に行った試しなどないが……やるしかあるまい!)
懸命に。目の前の名前も知らない女性の為に、他の一切を思考せず治療を敢行する。
薬草を、薬液を、とにかく自分の経験し蓄積してきたありとあらゆる治療行為の全てを
倒れた女性に注ぎ込む。自分が愚行が招いた結果だからこそ、死なせるわけにはいかない。
オリオンは気付かない。必死になって見知らぬ女性の怪我を癒そうとする彼は気付かない。
あれほど彼の身体を突いていた六羽の鳩が、いつの間にか彼への攻撃を止めていたことに。
そうして、どれほどの時間が経過したのか。
「…………ん」
「おお!」
意識を失っていた女性がうっすらと目を開いて艶やかな唇から吐息を漏らす。
どうやら自分のイチかバチかの大勝負は成功したようだ。ホッと胸をなでおろした。
オリオンは女性を怖がらせぬよう、しばらくは女性をそのまま見守り声をかけない。
女性がハッキリと意識を回復させたのを確認してから声をかけねば、混乱させることになる。
そう思って夜の闇に包まれた樹海でオリオンは、女性を取り囲む六羽の鳩を見つめていた。
(うーむ。鳩が女性になったのを見るに、この六羽も皆……女神に準ずる者らか)
心配しているのか、女性に羽を擦り付ける仕草をする鳩に、人間味を感じるオリオン。
そこでようやく女性は彼の存在に気が付き、明らかに警戒している態度を表出させる。
「っ!」
「……知らぬこととはいえ、無礼を働いたことをお詫びします」
「えっ…?」
ところがオリオンが頭を下げつつ発した言葉を聞き、逆に困惑することになったのは女。
彼女からしてみれば、自分を石で撃った野蛮な男であるはず。そんな者が意識を取り戻すのを
傍らで待っていたのも驚きだが、想像だにしないほど礼節を尽くした態度に混乱しかける。
そんな女性の機微を察したオリオン。続けて誤解を解こうと言葉を選んで話す。
「何処やの女神と存じます。此度は我が身の不徳の致すところ。如何なる罰をも
お受けします。尊き御身に傷を負わせた我が身を許せぬならば、御随意に……」
「え、え…? そ、そんなこと言われても、あの、困る…」
山の如き巨漢が、額を地につけ平伏する様を見せつけられ、再び混乱に陥る女性。
思いもよらない反応がかえってきて、これまたオリオンも頭を下げつつ首を傾げる。
ゆっくりと顔を上げ、女性の視線と交錯する。見目麗しい美女は仄かに顔を赤らめた。
「女神様ではない、のでしょうか。しかし、御身が鳩から人へ変わるのを……」
「そ、それは! あの、私が
「月女神アルテミス様…となると貴女は、かのプレイアデス七姉妹の御一人?」
「え、あ、はい。そうです」
オリオンとまともに視線を合わせられない美女は、自らが人間でないことを明かした。
賢者に等しい知慧を獲得したる我らが狩人。目の前の女性がかの月女神の侍女としている
妖精の七姉妹だと知ると、彼女の周りにいる六羽の鳩の正体を即座に把握した。
「であれば、先程私から貴女を守ろうとしていたこちらの方々は…」
「は、はい。姉様たちです。今は皆、アルテミス様の御許可がないのでこの姿に」
「そういう事情でしたか。いや、御身に無礼を働いたことに相違なし。どうか……」
「あ、あの! 頭を上げてください! エオス様の恩寵厚き貴方がそんなこと!」
鳩の姿をしてこそいるが、その正体は月女神の従者たる妖精の七姉妹。
知識としてそうした者がいることを知っていたオリオンは、また頭を下げる。
それを良しとしない女性。彼女は彼女で、眼前の男が暁の女神のお気に入りであることを
知っていたので、そんな相手に恐縮といった態度を取られることが恐れ多いのである。
互いに頭を下げ合って、夜の暗さが増していく。
流石にこのやりとりが不毛だと感じた二人は、改めて向き合い話を続ける。
「驚きました。あまりに美しい鳥がいて、物珍しさに狩ろうと思えばまさか…」
「う、美しいだなんて、そんな…。私なんか、姉様たちに比べれば大したことは」
「ご謙遜を。淑やかな淡い白光放つ貴女の羽根は、まさしく純真無垢なる心の現れ」
「あぅ……や、やめてください。恥ずかしい…!」
「ああ、失礼。ですが、思わず『手にしたい』と考えてしまうほど、可憐でした」
朗らかに微笑みながらそう語るオリオン。彼の言葉と表情に、女性の頬が真紅に染まる。
妖精である彼女らは、人並み外れた美貌を有する。神に口説かれることも割とある。
けれどそれらのほとんどは、彼女らの女体にしか興味がなく、己の欲望のはけ口として
褒めそやすばかりだった。だが彼は、目の前の男は違う。女性はそう確信する。
静けさが包む夜の森で、彼女とオリオンはたわいのない話で想像以上に盛り上がった。
オリオンからしてみれば、人々に災厄を振りまき絶望し、そこから這い上がったばかりで
人とまた接することなど厳しいものだと思っていた。しかし、彼女は人ではない。
己の暴行を意外にも御咎めなしで許してくれた麗しい美女と話す。心が軽くなるようだ。
一方で女性もまた、普段はわがまままみれの月女神に仕えたり、神々に連なる子々孫々の
乳母や教師としてその生涯を見守るなど、苦労を強いられることがそれなりにあった。
けれど彼は違う。己の行いを反省し、謝罪し、傷の手当てをしてくれたほど優しいのだ。
半神半人の狩人と巨人の娘たる妖精はそのまま、時間を忘れて語らい合った。
ふと気づくと、東の空が明るみだしている。オリオンは「暁の女神エオスが夜明けを
告げようとしている」と呟くと、薬や手当ての跡で汚れた女性に声をかける。
「月女神の侍女殿。今宵は楽しかった。私はつい昨日まで己の招いた災いに耐え切れず
死んだようになっていたからな……貴女と出会い、語らい、気が晴れました」
「いえ、それはこちらも同じです。それにしても、ふふ。おかしな人ね」
「………なにか?」
別れの言葉を告げ、エオスが戻るのを待とうとしていたオリオンは、野花のように健気に
笑う女性の言葉が耳に届き、野次る意味はないと気付きながらも思わず尋ねてしまう。
拗ねた少年のような聞き方に笑みを深めながら、女性は嬉しそうに答えた。
「だって、無防備になった私を貴方は助けた。猛る欲のままに私の身体を貪ることも
出来たでしょうに。いえ、普通の男ならそうしていたわ。なのに、何故?」
「……であれば、私が普通ではなかったということでしょう」
「ふふふっ。拗ねないで狩人さん。ねぇ、どうして私を助けたの?」
「鳩が人へ変わったのだ。神獣か女神に準ずる者と考えての行いだったが……」
「だとしてもよ。意識なく倒れた女の身体を、貴方は肉欲のままに犯さなかった」
三度、「何故」と問う女性。どうやらオリオンをからかうだけからかう腹積もりだろう。
意地悪そうな顔を横目で見やったオリオン。どうにも悔しい彼は、一転攻勢に出る。
「おかしなのは貴女だ。その口ぶりではまるで、私に犯されたかったようですが?」
「………そ、そんなことは、ありません」
「それは残念。とはいえ私は妻と初夜すら遂げておらぬ清い身の上。女神の侍女たる
御身を組み敷くだけの度胸などありはしません。これで、満足いただけましたか?」
「…………からかったのですね、ひどい人」
「ええ。私はひどい人ですとも。女神の侍女に石を投げたのですから」
「……だから、もう! それは許します! もういいんです!」
ははは、と知らず笑みがこぼれるオリオン。やはり彼は心の奥底で、こうして人との
関わり合いを渇望していたのだろう。彼は人々の暖かさをよく知っているからだ。
空から夜が瞬く間に消えていくのを見上げる二人。別れの時が近づいている。
オリオンが空から女性へ視線を戻すと、そこにはあの夜に見た七羽の鳩がいた。
「では、いずれどこかでまたお会いしよう。姉妹愛麗しきプレイアデスよ」
にっこりと微笑みながら言葉をかける狩人。彼の別れの挨拶を聞き入れた鳩たちは、
自らの身体に生える発光する飾り羽根を嘴で啄むと、勢いよく引き抜いてしまう。
七羽が目の前でそれぞれの羽根を毟るのを見たオリオンは何事かと目を剥いた。
驚きに硬直する彼に、仄かに白く輝く羽根を咥えて近づく鳩が、つぶらな瞳で見上げる。
そして嘴で咥えたその羽根を、オリオンの足元にそっと落としてまた見上げてきた。
「……もしや、この羽根を私に?」
思わず呟いたオリオンの言葉に、鳩たちは首を動かし頷く。
プレイアデスたちは、オリオンが他の男と明らかに違うことを理解していた。
昨夜に末妹が石で撃ち落とされ、正体を晒した時はこの男に妹を穢されると思っていた。
そうはさせないと必死に嘴で突いたり爪を食い込ませたりと抵抗をしていたのだが、
実際に男は妹で欲を満たそうとせず、逆に一心不乱に傷を癒そうと奮闘してくれていた。
彼女らにとって知り得ない男。そして、もっと知りたいと思わせる初めての男。
それがこのオリオンであった。彼女らは妖精としての力が込められた大切な羽根を、
傷つけたことを真摯に謝り続けた狩人に託そうと、話し合って決めていた。
いや、誰あろう石で胸を打たれたその末妹こそが、彼に授けようと言い出したのだ。
「微かな温もりを感じる……なんと美しいのだろう」
拾い上げた羽根に見惚れる彼の姿は、生まれて初めて宝石を目にした少女のよう。
巨木を思わせる外観とは似ても似つかない姿に七姉妹は顔を見合わせてクスクスと笑い、
そのまま日の出が見える水平線へと羽ばたく。一羽、また一羽と飛び立っていく。
「ありがとう。良いものを見られた」
オリオンの言葉を最後に聞いた、一番小さな鳩がこちらを振り向き、名残惜しそうに飛ぶ。
暁が染め上げる空を並んで飛んでいく鳩を見上げ、オリオンは満面の笑みを浮かべ語る。
「なんとも鮮やかなり。その姉妹愛こそ、俺が見た最も美しいものだ」
その手に淡く輝く七色の羽根を握り、オリオンは命の息吹を新たに実感した。
「さようなら、プレイアデス。さようなら、可憐にして無垢なる人」
これこそが、オリオンの伝説を彩る一幕にして、彼を人たらしめる一助となった話。
絶望の奥底に自らを投じようとしていた狩人を、月が落とした七色の羽根が救う伝承。
後の世で【プレイアデスの献身】として記された、狩人オリオン復活にまつわる出来事だ。
この時、七姉妹がオリオンにどのような感情を抱いていたのか。
それを正確に記したる文献は存在しない。後世で脚色された恋愛譚のうちのいずれかには、
七姉妹全員がオリオンに恋をして、彼からの愛を勝ち取るために贈り物をしたとある。
しかし、それが事実であるかどうかは、誰にも確かめようがない。
なお、オリオンが石で撃ち落とされたとされるこの七姉妹の末妹。
彼女の名が「メロペー」であったことをオリオンは果たして知っていたのか。
それを知る術もまた、今となってはどこにもありはしない。
いかがだったでしょうか。
あと前書きに書き忘れていましたが、
前回の話でオリオンが向かっていた島が
「クレタ島」になっていましたね。
正確には「キオス島」です。
誤字・誤植報告、誠にありがとうございます。
今後ともよろしくお願いします。
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