ニューイヤーPUで恒例の邪ンヌがいなくなって
発狂している萃夢想天です。単体最強復讐者が
欲しかったんや…まだ暫く新宿狼に疾走してもらおう。
新年一発目の投稿…だったら良かったんですが、
初夢でオリジナルのハサンが人理修復に参戦する夢を
見てしまったんで、他の作品にて設定を投下しました。
お時間があれば、見て楽しんでいただければ幸いです。
前置きは此処まで。
今話にて、このオリオンの物語は一度幕を下ろします。
彼の生の終わり、そこから彼の物語の終わりを皆様と
共に見届けられること。これが何より嬉しく思います。
それでは、どうぞ!
――其処は、荘厳なる神意に満ち満ちたる、天上の世界。
ギリシャという
知性と理性を獲得し獣を脱却したばかりの「ヒト」に崇められし、神と呼ばれるモノ。
ギリシャに君臨した数多くの神の中でも特級の格を有した、オリュンポス十二神という
強力な神性が集う主神ゼウスの大神殿。その中央に位置する、大神が神々に勅を下す
大広間に、ギリシャに名立たる神がそれぞれに用意された席に腰を下ろしていた。
彼ら彼女らは、無言のまま大広間の片隅に視線を向ける。その先に居たのは…。
「………オリオン、オリオン。目を開けて、オリオン」
オリュンポスに数えられし月の狂気と狩猟を司る女神――アルテミスである。
いや、彼女だけではない。絶え間なく涙を零す虚ろな瞳が見つめる先、アルテミスの膝に
頭を乗せたままピクリとも動かない巨躯の男がいる。冷たく、眠るように死んだ男が。
その者の名は、オリオン。海神ポセイドンの実子であり、アルテミスの恋人だった。
集まった神々の多くは、もう二度と目を開けること叶わないオリオンに語り掛け続ける
アルテミスに同情的な視線を送っていた。人の理解の埒外に在る彼ら超越者…神でも、
今の月女神の姿は憐憫を抱かずにはいられないほど、悲壮で悲惨なものであった。
壊れたレコーダーのように、返事がないことも忘れたように、オリオンに目を開けてと
懇願し続けるアルテミス。同じ神でありながら滑稽だ、などと嗤う神などこの場に居ない。
なにせ、此処に今集っている神々は皆、オリオンの死を悼む意思があるからだ。
「……さて。事の次第は、アルテミスを見れば不要であろう」
神々が円環に集う大広間にて、上座に腰を下ろした神々の王が沈痛そうな面持ちで告げる。
誰もが理解している。言葉にせずとも、オリオンなる一人の人間の死によって最高位存在の
神の勢力図が大きく変動したことを把握している。だからこそ、彼らはこの場に集った。
――神々による裁判。すなわち、審問を行う為に。
「であるならば、我らの問いに答えるのが貴様の務めである。よいな、
「………ええ、父上。私も偉大なりしオリュンポスに席を置く者ですので」
大神ゼウス、その兄にしてオリオンの父ポセイドン、加えてオリオンの恋人で茫然自失の
アルテミス、さらには鍛冶神ヘファイストス、被告と同じ太陽を司る神ヘリオス。
他にもオリュンポスの神はいるが、今回の一件に無関係である者は参加していない。
常に十二神が揃っているわけでなく、現に今もゼウスの妻であるヘラの姿はあらず。
欠員がいることも日常茶飯事である為、ゼウスは関わりある者のみで審問を開始した。
さて。ギリシャに君臨するゼウスを前にして審問の対象者となったのは、太陽神アポロン。
この場にいる誰もがアルテミスの恋人オリオンの死に悲哀を感じている為、アポロンへと
向けられる視線には鋭い敵意が含まれている。針の筵状態の中、太陽神は軽々と語る。
「今回、このアポロンが成した行い。これ全て、オリュンポスが安寧を保たんが為」
「……続けよ」
「はい。オリュンポスの、ひいては我ら神々の為であるとする証は」
およそ審問にかけられているという状況に対し、恐れや怯えなど微塵も感じられない
声色で飄々と話し出すアポロン。しかし、そんな彼の言葉を遮る怒号が広間に響き渡る。
「――なにがオリュンポスの安寧‼ なにが神々が為‼ ふざけるなよアポロン‼」
「……おいおいヘリオス。場を弁えろよ、今はゼウス神が私へ詰問する時間だぜ?」
「貴様…ッ‼」
同じく太陽神の肩書を持つヘリオス神は、肩を怒らせ神聖なる場を揺らすほどの声量で
ゼウスの前に遜っているアポロンを睨みつける。対するアポロンは涼しい顔で受け流す。
アポロンの言葉を是としたのか、白磁の巨躯を誇る大神ゼウスの眼がヘリオスを視る。
「控えよヘリオス。この場、まさにアポロンが言った通り、彼奴を問う場に他ならぬ」
「し、しかしゼウスよ! この男は!」
「二度は言わんぞ。下がれ」
「………はい」
遥か格上の神性が睨みを利かせる状況でなおも吠え立てるような真似は出来ない。
不承不承、といった様子で唇を噛みながら引き下がるヘリオス。
それを見届けたゼウスは、顎でアポロンを指し、続きを申せと促した。
「では。まず私は、そこな海神の子オリオンを殺めてはおりませぬ」
「ほう?」
「私は何もしてはおりませぬ。その人間を射殺したのは、我が妹アルテミスです」
恭しい口調と軽々とした態度を重ね合わせるアポロンの話に、ゼウスが同じ主神格にして
姉である女神ヘスティアへ視線を向ける。ヘスティアは瞳を閉じたまま僅かに首肯した。
アポロンの言に嘘はない。本当にオリオンを殺害したのはアルテミス本人と証明された。
これに驚いたのはオリオンが父たる海神ポセイドン。泡を食ったように詰問し出す。
「莫迦な! アルテミスは我が子オリオンと結ばれようとしておったのだぞ!?
その旨はアルテミスの侍女たるプレイアデスたちから聞き及んでおる! それが何故!?」
「それは……オリオンを射るよう、私がアルテミスへ進言したからです」
「なっ…それは真か!?」
「ええ。アルテミスが自らの手であの人間を殺す。これぞ、オリュンポスを保つ術なれば」
「オリュンポスを保つ術、と。大きく出たなアポロン。よもや戯言ではあるまいな」
「はい、主神ゼウス」
ポセイドンはアルテミスがオリオンを射殺したと聞いて慌てふためき、そうするように
仕向けたのがアポロンと聞き、さらに混乱を深める。アポロンの言葉を逐次冷静に聞いて
いたゼウスは、彼の言葉に妙な引っ掛かりを覚えたのか、さらなる追及を行う。
アポロンはゼウスからの問いかけを好機と捉え、ニヤケ面を隠そうともせず再び語る。
「我が妹アルテミスは、海神ポセイドンが子オリオンと睦まじい仲にあるところでした。
此処にいる方々は御存知のはず。この両者の関係性がまさにオリュンポスの未来を
脅かす危険性の証左であります。神とヒト、どちらかに偏り過ぎる事態になれば……」
「貴様の宣った、オリュンポスの未来を脅かす事になると?」
「はい」
「では問おう。そこな人間、オリオンをアルテミス自身の手で撃たせる意とは?」
「無論、己が神格保持の為でございますれば」
深々と下げていた顔を上げ、広間に集まった神々の視線を一身に受けつつ、言い放つ。
太陽神の確固たる言動にまたも騒めきが起こるも、ゼウスの吐息一つでそれらは治まる。
神格保持。それ即ち、神が神であるという現状の維持。神という機構の確実性の証明。
(この正当なる理由がある限り、頭の固い主神やあの男の父も納得せざるを得ない)
俯き、ほくそ笑む。審問とは名ばかりの事実確認の場であると、アポロンは把握している。
あくまで自分がこの一件に直接的に関与していないという証明をする必要があるだけで、
本来の神前審問のように厳罰が下されることはない。確信に満ちた考えを脳裏に展開する。
ともあれ。自分の行いをゼウスが認めたのなら、ヘリオスの鬱陶しい糾弾も止むだろう。
そう思いながら、ふと、主神ゼウスが沈黙していることに気付くアポロン。
自分の発言に何か思うところあったのか。二の句を告げようとしたまさにその瞬間、
荘厳な大広間の中心で寡黙に目を伏していた主神が、重たげに口を開いた。
「……アポロン。
「は……?」
空気が凍る。アポロンと、彼以外のこの場に居る神々との間に、不可視の壁が生じる。
意味が分からない。理解が出来ない。どういうことだ。いったい何が分からない?
思考回路が煩雑なエラーで飽和しかけるアポロンに、ゼウスが再度問いかけた。
「神格の保持。言葉の意味は分かる。だが、それと今回の件とどう関わりがある?」
「な、は…? え?」
「答えよアポロン。アルテミスにオリオンを射殺させたのと神格の保持。どう関わる?」
至極真剣な様子で問いかけてくるゼウスに、アポロンは困惑を隠しきれずにいる。
何故アルテミス自身に撃たせたか? それはアルテミスが自らヒトと袂を分かつ為だ。
神と人間との明確な線引き。どちらかがどちらかに近付き過ぎない為の境界線の作例。
重要なのは、オリオンと関わりの無い他の神が殺すのではなく、深い仲となったアルテミス
自らが弓を引いた事によって、人より上位の存在としての格を取り戻す儀式的な意味合い。
ヒトの持つ感情というウイルスが感染することにより引き起こされる神の
それに伴って発生する、神格の零落。つまるところ、神の死。これを回避する為だ。
聡明なる主神にこれが分からぬはずがない。こちらの危惧が伝わらぬはずがない。
なのに、どうして。困惑と混乱が渦巻くアポロンは茫然とした顔で主神を見上げる。
すると、そんな凍てつく沈黙を破るように、広間を閉ざす大扉が開け放たれた。
「――おや。ちょうど良い頃合いだったようだね」
「……何用だ、ヘラ。今は審問の最中、部外者は疾くこの場より――ヘラッ!?」
「承知しておるわ。審問というのであれば、仔細知る者を呼ぶ必要もあろうて。ほれ」
扉を文字通り蹴破ってその姿を現したのは、主神ゼウスが妻、女神ヘラであった。
威風堂々たるその傍若無人っぷりを遺憾なく発揮する登場に、誰もが言葉を失う。
それは彼女の夫であり大神たるゼウスもまた同じ。ではない。彼らが一様に発言の機を
失ったのは、ヘラの予想外の登場ではない。神々の視線は彼女の、右手に集まっている。
何でもないと言いたげな様子で、ヘラは右手に持っていたソレを無造作に放り投げた。
――べちゃっ……ごろっ
生理的な嫌悪感と不快さをあまさず感じさせる水音と、絶妙な重さの物体の転がる音。
先程以上の冷たい静けさが広間を席巻する。ヘラが投げて寄越した物体へゼウスが問う。
「………ガイア!?」
「ん…。ぁ、あ。ゼウス。こんな形での再会になるとはね」
白磁の顔を蒼白に変え、ゼウスがその名を口にする。告げられた名は、神々の母たる者。
大地の母である女神ガイアその人…の、頭部のみ。首から下に在るべき身体が存在せず、
粘度の高い濃赤の液体で純白の床を汚しながら、しかし明瞭な意識で会話してきた。
大広間に居た誰もが驚愕と恐怖の渦に飲み込まれた。事の発端たるヘラを除いて。
そしてガイアの頭部を持ち込んできて右手を朱に染めたヘラは、冷徹な声色で語りだす。
「それにしても…はっ。神格の保持ときたか。滑稽此処に極まれり、だな」
「……それは、どういう意味でしょうか女神ヘラ?」
「なに、今更取り繕う必要もあるまい。貴様は普段通りの方が幾らか可愛気があるぞ」
「………じゃあ遠慮なく。ヘラ、滑稽とはどういうことかな?」
「滑稽どころか蒙昧すら頂きに至ったか? よもや貴様、妾を笑い殺す気かえ?」
アポロンが努めて平静さを保とうとしている様を見抜き、それを不要と断じたヘラ。
彼女の言葉に従ってかぶっていた猫の皮を捨てて、掴みどころのないいつもの調子に
戻ったアポロンに、ヘラは鼻を鳴らす。それどころか、押し殺すように嗤いだした。
「くくく…! なぁおい
「…ッ!」
「聞き捨てならぬ発言だな、ヘラ。アポロンがこの私に、何か秘していると?」
「見抜けぬお前も大概だゼウス。いや、蒙昧極めしこの小僧の愚劣さに気付けというのも、
それはそれで酷な話か。我らは偉大なる神性であれば。分からぬのも無理からぬ話だな」
アポロンが何か隠し事をしているぞ、と。そう語ったヘラに、主神は表情を険しくする。
加えて、それを見抜けなかったお前にも落ち度はあると言わんばかりの態度が鼻に衝く。
傲慢な性格なのは百も承知だったが、こうまで主神たる夫に盾突くことがあっただろうか。
酷く漠然とした苛立ちを覚えながらも、ヘラに「続けよ」と話を促すゼウス。
夫にして最高神からの命令に背くことなどせず、望まれるままに女神ヘラは話を続ける。
「アルテミスがオリオンを射殺した。これは事実だ。小僧が妹を唆して射抜くよう仕向けた、
これも事実。なるほど確かに、先程からこの小僧は何一つ嘘偽りを申してはおらぬ」
「……そうだ。だから」
「だが、話しておらぬこともある。そうであろう、小僧」
「…………さぁ?」
「白を切るか? よかろう。であれば、順に妾が事の起こりを詳らかにしてやろうか」
冷酷な微笑を湛えた最高神の妻が、その最高神に代わってこの場を支配している。
誰もが固唾を飲んで見つめている中で、女神ヘラは「まずはじめに」と前置いて語った。
「事は、アルテミスがオリオンを射殺したというもの。こ奴らが仲睦まじくあったのは
誰しもが知るところ。そんな二人が、突如として殺し殺される関係になったのだから
驚くのも無理はない。だがな、よく考えよ。オリオンが撃たれた状況を鑑みるのだ」
「……日の出後、ポセイドンの権能能わぬオケアノスの海の上。それがどうした」
「そうだ。オリオンは海の上でアルテミスに射抜かれた。では、何故だ?」
「…何故、とは」
「何故オリオンは海の上に居たのか。事の発端は、そのさらに先に焦点を置くべきだ」
すらすらと語られるヘラの話に、神々は首肯する。
アルテミスがオリオンを射殺した。誰もがその事実に驚き、見るのを忘れていた。
海の上で狩人は月女神に射抜かれたのだとすると、狩人がそこにいた理由があるはず。
しかし上位存在たる神々にとって、ヒト一人の思想などに考えが向かうはずもなく。
結果として、誰一人この不可解な謎に気付く者がいなかったのだ。ヘラを除いて。
それを思い起こされたように頷く神々を見やり、ヘラはさらに語る。
「……『神ともあろう者が、他者の言葉に踊らされるな』とは、ある男の諫言でな?
妾はその言葉に倣い、其方らがオリオンの死に慌てふためいておる間、下界へ赴き
一連の事態が起こるまでの道行きを引き返しておったのじゃ。それで、分かった」
「何が分かったという、ヘラ」
「ふふ。オケアノスと言えど、海であれば海神の血がその肉体の傷を粗方は癒そう。
されど、
挙句に地の底より続く大穴があったとなれば、もはや大地母神の関与は明らか」
「ッ……」
「顔が蒼褪めたな小僧。つまりは、オリオンが海に出向かねばならん理由として、
ひどく重篤な傷を負ったからに他ならぬ。それも、神々より仕向けられた刺客によって」
アポロンは硬直したまま冷や汗を垂れ流す。何故だ、どうしてと考えずにいられない。
女神ヘラ。傍若無人、唯我独尊、自由奔放。自己さえ良ければそれで良い我の化身。
良くも悪くも「ギリシャの女」らしい女神であったはずが、その有様は見る影もなく。
あれほど饒舌であったアポロンが言葉を飲み込むようになった。この明確な変化に
神々は気付き、いよいよヘラの語った話の信憑性が増してきたと感じるようになった。
女神ヘラは頃合いだと定め、自らが放り投げて今も床を転がるガイアへ視線を向ける。
「答えよガイア。其方、そこなアポロンめに、何ぞ頼まれでもしたか?」
「……ああ。頼まれたとも。海神ポセイドンの子を殺す手伝いを、頼まれた」
「なに!?」
「そうだろうとも。それで? 何を遣わせた? 並大抵の獣ではあるまい?」
「如何なる英雄豪傑であれ、死にも勝る辛痛を七日七晩は与える猛毒を持つ蠍を」
首だけとなったガイアは、すらすらと尋ねられるままに真相をぽつりと告げていく。
大地母神が言葉を一つ発する度に、下を向いたままのアポロンの表情が変化しているが、
それに気付く者はいない。何故なら、誰しもが怒りと蔑みで気が触れだしているから。
特に海神と鍛冶神の二人は、目を血走らせて憤怒の形相をこれでもかと歪ませている。
主神ゼウスの前でなければ、今すぐにでも私刑を執行せんと飛び出していただろう。
「…これで分かったろう、ゼウス。全て、アポロンの計画だったのだ。
オリオンという人間一人を殺す為だけに、大地母神さえ動かしてみせた小僧のな」
「ふむ。事態の流れは把握した。しかし、理解できぬ部分がある」
「アポロンの小僧が抜かした、神格保持とかいう大義名分であろ?」
「ヘラ、お前には分かるのか」
「まぁ、妾以外に分からぬのが当然、とでも言えようかの」
一触即発の場面に待ったをかけ、互いにとっての抑止力となっているゼウスが、
ヘラに問いかける。アポロンの提唱した、オリュンポスの脅威の排除。未来の保持。
これがどうして、オリオンという人間の殺害に直結するのか。大神には理解が出来ない。
しかし、ヘラにはこれが分かるという。その理由を問うと、ヘラは嘆息し、答えた。
「要はこの小僧の戯言よ。神格云々という話は、これ全てアポロンの妄言じゃ」
「妄言?」
「左様。これなる太陽神はな、
憮然と、しかして嘲弄を含めた言葉が、しかとアポロンの耳にも届く。
「――女神ヘラァッ‼ この私が、このアポロンが、人間を恐れるだと!?」
ついに限度を迎え、憤慨を撒き散らして太陽神は怒号を張り上げる。
それを視線で諫めようとするゼウスだが、それを遮るようにヘラが眼前に歩み出た。
「ああ、そうとも。貴様は人間が、オリオンが怖くて怖くてたまらぬ。
いずれ彼奴がアルテミスの在り方を変質させてしまうと、やがてそれが他の神々にも
伝播し得ると。本気でそう信じ込んでおる。ふはは、なんとも滑稽な話ではないか」
「いかな大神の妻、神々の女王たる御身といえど、それ以上の侮辱は許さんぞ‼」
「……許さぬ? 許さぬと申したかこの戯け。そも、妾は貴様なぞどうでもよい。
ただ、在りし日に妾を憎まず、されど敬いを忘れなんだ男を偲んで此処に居る。
ゆめ忘れるなよアポロン。其方、今此処にいる神性総て、敵に回しておるのだとな」
その眼光の鋭さたるや。その言霊の重さたるや。太陽神たるアポロンすら下して余りある。
主神ゼウスの威光満ちる大広間で、誰よりも厳粛な覇気をまとったのは、ヘラだった。
そこから女神ヘラは、アポロンの過ちをゼウスたち他の神々へと告げていく。
「貴様はヒトを過大評価し過ぎておるのだ。確かに人間の抱く感情の苛烈さは凄まじい。
されど、それらが我ら神々の神格を危ぶむ程のものであるか。答えは、否であろう。
ギリシャを統べしオリュンポス十二神。その神格、ヒト如きに変えられようはずもなく」
「ッ…! し、しかしアルテミスは!」
「アルテミスが何だ? アレはゼウスが処女神の地位を確約しただけのワガママ娘。
その気質は何一つ変わってなどおらぬわ。ただ、関心を他者へ向けるようになっただけ。
変化と言えどその程度よ。たかが知れておるわ。それをやれ零落だのと、騒々しい」
「……!」
「ではなにか? 貴様にとって、我ら十二神は、ひいてはそれを統べる大神ゼウスは。
人間の感情によって振り回される程度の小物でしかないと? ほほ、傲岸不遜極まったな」
ギリギリ、と歯を噛み砕かん勢いで鳴らして悔しさを押し殺しているアポロンに、
まだ足りぬと言わんばかりに女神ヘラは言葉を紡ぐ。煽り立て、嘲笑し、侮蔑する。
「主神をはじめとする神々を小物と愚弄し、挙句に人間を神すら脅かす外敵と断じたに
等しいのだぞ貴様。もう一度言う、許さぬなどという戯言は控えよ、この愚か者が」
憤怒が形を以ってそこに在る、と言えるほどに苛烈な怒りを内包するようになった太陽神を
脅威とみなすこともなく捨て置き、女神ヘラは主神ゼウスへと向き直り、恭しく振る舞う。
「さてな、我らが主たるゼウスよ。この愚者の沙汰、如何する?」
「………ふむ。此処に裁定は成った。皆の者、心して拝聴せよ」
白磁の巨躯を持つ主神が、雷鳴を轟かせる。これぞ、神託を下す裁きの号令。
その場にいる全ての者の視線が、ゼウスへと集中する。大神の言葉を、静謐と共に待つ。
冥府の死神すらも恐れるような形相になったアポロンを冷ややかに見下ろし、神は告げる。
「太陽神アポロン。汝、我らオリュンポスの未来を憂いて成そうとした行い。
それ即ち、我ら神の零落を阻止せんが為と申した。されどそれは、真に神を愚弄する
薄弱の証明と相成った。この不敬、この不遜。汝、罰され、贖わねばならぬ」
「…………」
「故。汝、アポロン。太陽神の神格を剥奪とする」
大神の決定は絶対。誰も苦言は呈さない。粛々と、その決定を受け入れねばならない。
「……それだけかえ? いやいや、それだけでは足りぬだろうゼウス」
ただ一人。主神の神託に異を唱えられる者があるとしたら、それは彼女しかおるまい。
「ヘラ。これは主神ゼウスが神託なれば。さしもの貴様も口出しが過ぎるぞ」
「罪状は他にもあろうが。神々への不敬で神位剥奪は良しとして、あと二つはどうする?」
「二つ?」
「そうさ。一つ、主神ゼウスが審問において、意図して真意を語らず秘した反逆行為。
加えて一つ、アルテミス自身に、最愛の恋人であるオリオンを殺させた不義の悪罪。
これらも合わせ清算せねばなるまいよ。そうでなくば、アルテミスが報われぬ」
「…………ふむ」
女神ヘラのアポロンへの追い打ちともとれる発言に、ゼウスは易々とは頷けない。
神の裁きは絶対。罰を付け足すことは不可能ではないが、これ以上も必要だろうか。
演算によって判断をどう下すべきかと思考するゼウスに、大地母神ガイアの首が語り掛ける。
「ヘラの言葉は正しいよ。裁きは正しくあれ。ゼウスの裁きは、正しくなくては」
「……正当なる裁き。アポロンに更なる贖いを強いることが、正しいと?」
「それを判ずるのが最高神たるゼウスだろう。私も、ヘラも、具申したまでさ」
平淡な声色でヘラに賛同したガイアに、とうとう限界を迎えたアポロンが憤怒を解き放つ。
「きっ…! 貴様が! 貴様がァッ‼ ガイア! お前がヘラに密告しなければ、
こんな事にはならなかったというのに! オリュンポスの神格を保たんとした俺の意を
汲んだのではなかったのか!? 何故事の次第を語った!? 何故喋った!? 何故だァッ‼」
「……他言無用などと言われなかったからな」
「――ガイアァァァッ‼‼」
激怒したアポロンが首だけのガイアを害そうと、他の神々を無視して飛びかかる。
いかな特大級の神格を有する大地母神と言えど、首だけの状態ならどうにでも出来る。
そう考えたが故の凶行なのか、それこそ感情任せの突撃か。
アポロンの魔の手がガイアの頬を鷲掴む寸前、主神ゼウスの雷霆がアポロンを貫く。
―――ズドオォォォォォン‼‼
「――――ぁ」
「……成程。この期に及んで愚行を重ねるか。先の我が裁定では不足と認めよう。
汝、アポロン。ヘラが述べた三つの罪状を以て、貴様に二つ、贖いを付け足す」
そこから怒りを多分に孕んだゼウスが告げたアポロンの贖罪は、二つ。
一つは、神位失った彼を人の身に堕とす事。
一つは、死したオリオンの従者だった事としたうえで、冥府に堕ちた彼の妻シーデーの
罪を肩代わりする事。
「……まだ足らぬ気もするが、ま、妥当か」
不満げなヘラも一応納得した様子で、ゼウスの下した沙汰を承認する。
海神ポセイドンも、姉ヘスティアも、同席していたすべての神性がゼウスの神託を認めた。
これにより主神の裁定は決定された。アポロンの身体を薄汚れた青銅の鎖が巻き取る。
やがて青銅の鎖の塊が音もなく消え、広間には痛々しいほどの静寂が戻ってくる。
そんな様子を見ていたアルテミスが、掠れた小声で父であるゼウスに懇願し出した。
「……おねがい、おとうさま。オリオンを、いきかえらせて…」
「…アルテミス。それはならぬ。アポロンへの沙汰は下された。この決定は覆らぬ。
であれば、オリオンへと降りかかった災いもまた同様に、覆されてはならぬのだ」
「……いや。いや。おりおんをかえして。おとうさま、おねがい。おとうさま」
「アルテミス……。死者の蘇生など、あってはならぬ事。諦めてくれ」
涙の跡をそのままに、アルテミスは懇願する。親を探す迷子のように、懸命に。
愛娘のお願いを叶え続けてきたゼウスだが、神の面目も関わる今回の一件においては、
譲歩するつもりはなかった。まして人間一人といえど、再度の命を約束してはいけない。
どれほど泣いて縋られようと決意を改めないゼウス。苦悶の表情を浮かべる月女神に、
ここでまたしても、意外な人物が助け舟を出した。
「星座にあげてやれ、ゼウス。ただし、条件を幾つか加えてな」
「……ヘラ」
神々の女王ヘラ。傍若無人の権化とも思われる狂気の女神が、思わぬ助太刀を成す。
また何かの気紛れか、と頭を悩ませるゼウスに、ヘラは確たる威厳を以て条件を提示する。
「古き者共との決戦…ギガントマキアも遠くない。人界の戦士が一人でも多く必要になると
申したのはお前自身ぞ、ゼウス。あの忌々しき【アルケイデス】めに全てを担わせるか?
冗談ではない。オリオンは戦士ではないにしても強靭なる心と体の持ち主。悪くあるまい」
「……このオリオンを、ヘラクレス同様、神々の末席に加えよと?」
「そうであれば、星にするのも吝かではあるまい? 宙は神々の領域なのだからな」
「…………よかろう。お前の言うように、ヘラクレス一人に限る話でもない」
ヘラが提示した条件とは、オリオンを
詳しく語るとクソほど長くなるので割愛するが、ゼウスらがかつて追放した巨人種たちが
再び奪われたギリシャを取り戻そうと戦争を仕掛けに来ると予言がされていた。
加えて、巨人種に神々の権能は通用せず、ヒトの力を持った戦士でなくば対抗できないとも
予言されている。この宣告を聞いたゼウスはあれこれ策謀を練って【アルケイデス】という
最強の人間を誕生させた。
このアルケイデスを些細な事で死ぬほど憎んでいるヘラは、彼を絶望と狂気の奥底へ堕とし、
煽るように【
彼はきたるギガントマキアの切り札としてゼウスが寵愛した存在。しかし、切り札は何も
一つきりである必要はないとヘラは言う。第二の矢としてオリオンを登用するのはどうか。
そう進言してきているのだ。これを聞き、悪くないと判断した主神はその具申を是とした。
「おとうさま。おねがい。おりおんを、おりおんを…」
「……おお、アルテミス。痛ましき我が娘。オリオンの命を蘇らせることは叶わぬ。
されどその代わりとして、彼の神性の部分を神の末席に加え、星座として迎えよう」
「…おりおん、オリオン。オリオンを、星座に?」
「ああ。お前が夜空を照らす月となり、オリオンはお前を彩る星々の一つとなるのだ」
ゼウスの言葉を聞き、虚ろだった瞳に段々と光が灯りだしたアルテミス。
愛娘の様子が正常に戻りつつある事を確認したゼウスは、これで審問を終了と宣言。
この場に集った神々に、各自の役目に戻るよう伝え、神の権能でオリオンの魂に含まれる
神性の部分を夜空の星座へと押し上げ、神の一人として新たに誕生させた。
巌の如き巨躯。絶世の美貌。屈強なる肉体。聡明なる知啓。
あらゆる全てを宿せし究極の一。戦士に非ず、されど戦士に並び立つ狩人。
「――さぁ、目覚めよ。汝、ギリシャの敵を屠る狩人……
後にギガントマキアにて神々の尖兵として巨人を狩った、ヘラクレスに並ぶと称されし
最強の狩人の名が、歴史に刻まれることとなる。
其は、遥か後世にてトロイの木馬と呼ばれる智謀を唱えた男の纏うか白磁の鎧の原点。
其は、ケンタウロスの賢者にして大神クロノスが子、ケイローンをも超える弓兵。
其の男の名は―――神代の狩人、オライオン。
「なぁ、ヘラ。私はとても気になっている」
「なんだヘスティア。妾になんぞ用向きかえ?」
「いや、なに。あのヘラがよくぞここまで、とな」
「……そのニヤケ面をやめよヘスティア。腹立たしい」
「酷い言い草だな。まぁいい。それより答えてくれヘラ」
「だから、何をだ」
「なんでそこまでする? アルテミスの為、ではあるまい」
「………」
「ふ、くくく…。ああ、そうか。なるほど。アポロンだけではなかったか」
「何が言いたい?」
「アレは人を恐れた。人の感情に、ヒトの在り様に。オリオンという男を恐れた」
「そうだな」
「ではさしずめ…お前は、憧れたのかねぇ。オリオンという男の生き様に」
「…笑止。妾がヒトなんぞに憧れだと?」
「でなきゃ、いくら神々の女王とは言え、大地母神に喧嘩を売ったりはしない。だろ?」
「………」
「あの男はお前に妻を奪われた。されどお前を憎まず、恨まず、敬いを忘れず。
いやぁ、思い出すだけで笑みが零れそうだ。あのヘラが、『ある男の諫言』とな!
ふははは! なんだそれは! いくらなんでも絆され過ぎだろうお前! くくく!」
「えぇい黙れヘスティア! 妾を愚弄するか! ゼウスが姉とて容認できぬぞ!」
「いやぁ笑った。微笑ましいとはこういうものか。ああ、良いものだな」
「良くあるか! 妾を嘲弄するなぞ…!」
「はは、許せ。なぁに、我が愚弟の妻となって久しい女の、初々しい春の門出だ。
頬も緩むというもの。そりゃそうだな。優しくもなろう。手厚くもなろうよな」
「訳知り顔で貴様ぁ…!」
「隠すな隠すな。照れたお前も中々良いぞ。そんなにいい男だったか、彼は」
「にゃにを―――何を言っておるのだ」
「……分かった。これ以上はやめよう。お前を見て「カワイイ」などと思うようになる
日が来るなんて。いよいよ私も潮時やもしれん。なぁヘラ、お前も……」
「……? お前も、なんだ?」
「いや。やめておく。言わぬが花、ってやつだ」
「……もう行くぞ。妾も多忙極まる身でな」
「はいはい。ちゃーんとガイアを元居た場所へ返してくるんだぞ」
「貴様妾の母親気取りか!? えぇい、知らぬ! 疾く去れ!」
「………ふふ。ヘラ、お前本当に―――変わったんだね」
――遥かな時が流れた。
しかしギリシャの地は未だ健在であり、人も、獣も、神々も。全てが天地に在った。
さて。そんなあくる日のギリシャ。数多くの英雄豪傑の伝説が人々の伝聞で語られる世と
なって久しい近頃。大海オケアノスを臨むクレタ島に、今日も甲高い鎚の音が響く。
カン! カン! カン!
金槌が振り下ろされる音。焔が鉄を溶かす音。水が白熱した武具を冷ます音。
様々な鍛冶の音が耳障りなほどに響き渡るそこは、クレタ島随一の匠が居を構えし鍛冶場。
「親方ー!
「おう! 今行く!」
新入りの少年に呼ばれ、愛用の鎚を置いて金床から立ち上がったのは、厳つい顔の男。
親方と崇められるクレタ島一の鍛冶師たる彼の名は、ケーダリオン。
そう。かつてオリオンと友誼を交わした鍛冶見習いの青年だった、ケーダリオンである。
ケーダリオンも今や齢五十も間近な精強の鍛冶職人。巷では匠と称される腕前を持つに
至った、ギリシャ有数の鍛冶師である。垢抜けた幼さなど見る影もない濃い髭面の男に
成長した彼は、今や自らの鍛冶場を持つまでになった。
彼が名を挙げたのは、独立して初めて取り掛かった仕事にして末代まで讃えられる偉業。
人々の記憶に今なお刻まれている【三ツ星の狩人】の伝説の生き証人である彼が、
その伝説の主人公である狩人当人と交わした約束。彼と出会う切っ掛けとなった神への崇拝。
即ち、暁の女神エオスを讃える巨大な神殿を建立した事である。
十二神の神殿に比肩しうる巨大さと荘厳さを誇る暁の神殿には、建てた鍛冶大工である
ケーダリオン本人の言葉が石碑として残され、数千年後の歴史館に展示される事となる。
『我は見た。その光輝を。我は三ツ星の狩人の従者となりて、彼の者をオケアノス臨むこの
岬へと導いた。彼の者は暁の女神を恐れることなく、ただ敬虔に崇め、礼節を尽くした。』
『我は見た。その奇跡を。舞い降りたる暁の女神は光輝を伴い、彼の者の焼き潰されたる
眼を癒した。彼の者は歓喜に震え、女神の慈愛に深く感謝を捧げ、信仰を約束した。』
『我は狩人と友誼を交わしし者。彼の者との約束を果たす者。この神殿は、その証明なり。』
さて。そんな後世の歴史に偉人として記されることとなるケーダリオンは、鍛冶見習いの
呼ぶ声にこたえ、鍛冶場の入り口まで向かう。腰元までしか届かない少年の頭を豪快に撫で、
眼を見つめながら問うた。
「タケに見合わねぇデケェ声で呼びやがって。何だってんだ?」
「あ、そ、その。こちらの方が、親方に尋ねたい事があるとかで…」
「ん? 見慣れねぇ装束と…そりゃ仮面か? 薄ッ気味悪ぃ魔女みたいだな」
見習いの少年は尊敬する親方に客が来ていると伝え、早々に自分の仕事に戻っていった。
年を重ねて厳つい顔つきと歯に衣着せぬ物言いになったケーダリオンが、相手を観察する。
鍛冶場の入り口になっていたのは、まるでこの世の者とは思えぬほど場違いに浮いた女性。
色の抜け落ちたような白金の腰まで届く長い髪は、手入れされておらず千々に乱れている。
手足も異様に痩せ細り、身にまとう装束もボロボロ。旅の者、と断ずるには軽装過ぎる。
加えて顔の上半分を覆い隠す、複雑怪奇な意匠の仮面が、女の怪しさを引き立たせていた。
「…ケーダリオン? 貴方が?」
「あ?」
年は恐らく自分とさほど離れてはいないだろう、とケーダリオンは見積もるが、
もしかしたら目の前に立っているのは魔術の最奥を覗いた魔女なる輩かもしれない。
言葉を慎重に選ぶ必要があると心構えをした途端、謎の女は訝しむように尋ねてきた。
「俺がケーダリオンだ。少なくとも、この島で他に同じ名前の奴は会った事ねぇよ」
「いえ、そんな事は…だって年若い少年のはず」
「はぁ? 訳の分かんねぇ事を言いに来たんなら、とっとと帰りな」
ブツブツと小声で呟いている女に、ケーダリオンは迫力満点の大声で圧をかける。
鍛冶場内の職人たちも驚いて振り返る声だが、女は(見えないが)顔色一つ変えない。
大した度胸の持ち主か、浮世離れした風貌も相まってこちらの常識が通用しないのか、
どうもやり辛さを感じるケーダリオン。そんな彼に、謎の女は姿勢を改めて語りだす。
「……申し遅れました。私の名は、メロペー。キオス島が王オイノピオーンが娘です」
「キオス島っていや、あの潮風で目が潰れちまうって呪いがかけられてた島か?」
「ええ、はい。尤も、海神の御怒りも静まったようで、今は何の問題もありませんが」
「へぇ。あの島は酒で栄えてたっていうし、一度行ってみたかったんだよな。
それで? そのキオス島の王様の娘っ子様が、遠い島の鍛冶場に何の用だい?」
「それは……」
このクレタ島から遠く離れた酒神の系譜が治めるキオス島よりやってきたという
メロペーという女。ケーダリオンは自分なりに不遜さを感じさせない気遣いをしつつ
用件を尋ねる。するとメロペーは少々言い澱んだ後、意を決したように打ち明けた。
「……私は、ある御方を探して旅をしております。終生の愛を誓い合った御方を」
「アンタの旦那…ってーか、婚約者って言い方だな?」
「はい。その名をオリオンといいます。天下無双の狩人であらせられる尊き御方です」
「オリオン…!? あの旦那が、アンタの婚約者だぁ!?」
「――やはり、御存知なのですね? あの御方が何処にいらっしゃるのか!?」
メロペーの口から飛びててきた知り合いの名前に、ケーダリオンの方が面食らう。
幼き頃に出逢い、今なお憧憬として心に焼き付いている男としての生き様の理想形。
未熟な鍛冶見習いだった己を一人前の鍛冶師として認め、敬いを向けてくれた恩人。
そして数十年前までは酒の席を共にした、対等な立場の友人として笑い合った男。
……数十年前の宴会を最後に、ぱたりと消息が途絶え、行方知れずとなった人。
「アンタ! なんで旦那を探してる!? 今何処にいるかなんざ、俺が聞きてぇ!」
「えっ!? あ、あのっ」
「教えてくれ! なぁっ‼ オリオンの旦那は何処にいるんだ‼」
「そ、そっ、それを知りたいのは私の方です! いいから教えなさい!」
ケーダリオンにとっても、メロペーにとっても、オリオンは最も大切な存在。
その消息が途絶えて久しいとなれば、どうにかして居場所を知りたいと思うのは
人の性である。こうして小一時間ほど同じような言い合いをし続けた。
結局、鍛冶場の職人たちが引き剥がすまでヒートアップしていた二人は、
冷静さを取り戻したところで互いの身の上を語り合い、友好を深めていった。
ケーダリオンは、幼き日に出会った憧れの男の面影を追い続けた日々を。
メロペーは、どれだけの時を経ても未だ燻り続ける恋の炎が宿った日を。
二人は意外と似た者同士であり、同じ人物に異なる理想を抱いた者同士である。
理解が深まる毎に距離が縮まっていくのは同然であり、親身になるのもまた同じ。
「……じゃあアンタ、それから三十年以上も旦那の行方を?」
「はい。これまでも、これからも。私はあの御方に届くまで探すのを諦めません」
「……そうかい。立派な覚悟だ」
「ありがとうございます。ですが、貴方も御存知でないとなると…」
「へっ。水臭ぇ事言うなよ? 探すんなら、俺も一緒に行ってやるよ」
「えっ!?」
ケーダリオンはとっくに腹を決めていた。これまで心血を注いできた鍛冶を捨てて
彼女の旅に同行するという事に抵抗が無いわけではない。が、心に決めたことだ。
メロペーの覚悟に触発されたのもある。無論、それだけではない。
ケーダリオンはもう一度逢いたかった。憧れのあの人に、もう一度だけでも。
逢って、「ちゃんと一人前の鍛冶師になりやした」と、胸を張って言いたかった。
その小さな願望に火が灯ってしまった。メロペーの願いを叶えてやりたいという
思いもちゃんとある。だがそれと同じほどに、自らの内に湧き出る願いを果たす
気概も膨れ上がっていったのもまた事実。要は、同じ夢を見たくなったのだ。
「目の見えない女一人の旅なんざ、危なっかしくていけねぇや」
「そ、それは……でも、これまでもそうしてやってきたし」
「いいんだよ。俺がやりたくて手ぇ貸すんだ。勝手にな。それでいいだろ」
「でも、でも、貴方にはこの鍛冶場が…」
「もう跡目は決めてらぁな。俺もそろそろ隠居を考える歳だしよ。気にすんな」
「そ、そうですか…?」
そうだよ、と。豪快な笑みを浮かべて立ち上がり、すぐさま旅支度を整える。
王族の娘という立場を捨て、女性の生涯でも特に重要な若い時期を魔術に捧げた
その覚悟に。俗っぽい言い方でまとめてしまうなら、ケーダリオンは惚れたのだ。
同じ理想を追い求める者として。自分と違い、まだ諦めない心の強さに。
ケーダリオンという男は、幼き頃に抱いた理想への愚直さを再燃させていた。
「行こうぜメロペーの嬢ちゃん! こうなったら意地でも旦那に逢ってやる!」
「……ええ! オリオン様と添い遂げるまで、御伴してください!」
こうして。鍛冶師ケーダリオンと魔術師メロペーの長い長い旅が始まった。
過酷な旅だった。険しい道のりだった。苦難の連続だった。何度も弱音を吐き合った。
男は戦士ではなく、彼らを襲う危険に出会う度にその身に傷を負っていった。
女は巫女ではなく、日増しに悪化していく男の傷を癒せず、祈りを捧げ続けた。
この旅は報われるものではないと男は知っていた。その結末を悲観していた。
この旅は報われて然るべきものだと女は信じていた。その結末を妄執していた。
けれど二人は食い違うことなく、一つの目的の為に助け合い、歩き続けた。
女の持つ『過去視の千里眼』がもたらす、不確定な情景だけを頼りに広いギリシャを
東奔西走。それが果たして「いつのオリオン」であるかも定かならぬまま…。
長く、永く、そして―――短い旅路だった。
鍛冶師と魔術師の出会いから、共に旅を歩み出してから十年が過ぎた頃。
オケアノスの海上に浮かぶ、神秘と野生に満ちた小島に、一人の女の姿があった。
その名はメロペー。オリオンという狩人を追い求め、女神ヘカテーを信奉する魔女。
彼女の傍らには、輩にして旅の友であったはずの男の姿は、何処にもない。
鍛冶師ケーダリオンは、死んだ。彼女の旅に同行し、傷を負い、病に罹り、死んだ。
彼の栄光が形として残るクレタ島で丁重に彼を埋葬したメロペーは、一抹の寂しさを
押し殺して、過去視が見せたとある島へと単身で向かい、辿り着いていた。
「はぁ……はぁ…此処に、いらっしゃるのですね、オリオン様っ!」
オイノピオーン王が娘メロペー。彼女はこの時、既に六十歳を超えていた。
四十代の頃ですら四肢は枯れ木のように痩せ細っていたが、今は最早見る影もない。
残されていた若さの残滓、成熟した女の妖艶さすら腐り落ち、骨と皮だけの老婆と
言っても過言ではない姿へと変わり果てた。魔術用の杖を歩行の支えに、ひた進む。
呼吸を整える余裕など無く、人の喧騒どころか気配すらない砂浜を弱々しく彷徨う。
ざくざく。ふらふらと頼りない足取りが砂に足跡を残す。メロペーは笑っていた。
「オリオン、さま……オリオンさま……オリ、オン、さま…」
やっと。やっと出会える。待ち侘びた。何十年と待ちに待った日がやっと。
彼女は再びオリオンと出逢うという希望だけを胸に、死に体を引っ張り続けてきた。
そして波打ち際を歩く最中、彼女の『過去視の千里眼』が唐突に映像を目に焼き付ける。
「―――え?」
その光景に映るのは、これまで幾度となく見てきたオリオンの傍らにいた白磁の女神。
身の丈ほどの大きな弓に矢を番え、遥か水平線へと矢を放ち、そして次の光景へ移り。
……胸を矢で穿たれ、血を流しながら眠るように海へ沈んでいく狩人の姿を視た。
「ぁ―――――あああアああああああアアああああぁアあああアあぁああああアアあああぁアああああああアアああああぁあアああぁあああアあああああァああアあ!!!」
およそ枯れ木の様な老婆の喉から迸ったとは到底思えぬほどの咆哮。いや、絶叫か。
残り僅かな魂を削り切るかの如き悲鳴を上げ、涙すら流せない彼女は空を見上げる。
空は、暗く、明るい。目の見えない彼女は知らぬことだが、時刻は夜だった。
星々は黒い海を爛々と輝かせ、一際大きな満月はギリシャの夜を静かに見守る。
そんなことなど知りもしないメロペーは、仮面と化した塩の結晶で傷ついた眼球から
血涙を垂れ流しながら、先の咆哮とは比べ物にならない声量で力の限り叫ぶ。
「―――ふざけるな‼ ふざけるな‼‼
限りある人生。その大半を好きでもない魔術に捧げ、多大な代償を支払ってきた。
王族の特権を捨てた。乙女にとって代え難い若さを棒に振った。全ては夢の為に。
もう一度、あの人に。かつて心の憂いを取り去る為だけに空に大穴を穿った彼と
再び逢う為だけに。出逢って、謝罪と色褪せぬ恋心を打ち明ける、その為だけに。
オリオンという理想を追い続けてきた生涯の、これがその果てに得た物とでもいうのか。
認めない。許せない。認められない。許せるはずがない。
声の限りに弾劾する。息が続く限り愚弄する。意思が尽きぬ限り夜空の月へ唾を吐く。
返せ、返せ、返せ、返せ、返せ、返せ、返せ返せ返せ返せ返せ返せ!!
あの人を、オリオンを、私のたった一人の英雄を‼
「返せぇぇぇぇぇぇぇッ‼」
―――――――瞬間、閃光が一条煌めく。
星々瞬く夜空の彼方より、一筋の光条がメロペーへと降り、音もなく突き刺さる。
否。それは痛みを伴うものではなく、
怒りのままに叫び続けるメロペーは盲目である為、光の柱が迫っていることに気付かず、
彼女が次に息を吸い込む時間すら与えることなく大熱量の
着弾地点の砂浜にはヒト一人分の穴が空き、浜の砂が一部ガラス状になって白煙を上げる。
もうそこにメロペーの姿は無い。彼女の存在も、その生涯も、怒り諸共に蒸発したのだ。
「―――対象、消滅。レベル
本機アルテミスへ権能使用の許可を申請……沈黙を承認と断定。神罰を発動、執行完了」
無人となった島の上空に、人影が現れる。その姿はアルテミスと呼ばれる女神と非常に
酷似した出で立ちをしているが、愛らしい表情を隠すように黒いバイザーを装着している。
星々を背に中空へ浮かぶアルテミスらしき人影は、バイザーの青白い光点を明滅させた。
「端末機Ⅰより本機アルテミスへ通信。この島の哨戒及び知性体排除任務の是非を問う。
当機の任務は実行する必要性があるのか。応答願う………本機の沈黙継続を確認」
西の夜空に淡く光る満月を見上げながら、自らの本体であるアルテミスと通信を試みる
端末機体。その外見は本体とほぼ遜色がない。違いは言動と顔のバイザーぐらいだ。
その端末機が、自らに課せられた任務への疑問を提唱するも、やはり応答はない。
三十七年と九ヵ月と二十三日、四時間十五分三十一秒前。端末機が稼働した。
それまで本機が人間に似せて鋳造された義体に自我を搭載して活動していたにも関わらず、
突然に義体の活動を休止。代わりに複数の端末機へ地上での月の女神としての任務を権限
ごと譲渡した。端末機は与えられた任務を指示通りこなすが、臨機応変な対応が難しく、
時折本機へ意見を具申したり承認を求めたりするが、変わらず沈黙を貫いているのだ。
本機が沈黙した理由。それは当然、海神の子オリオンの喪失である。
端末機は理解できない。神たるアルテミスが何故、半神といえど人間として生まれた
オリオンを失った程度で義体での活動を休止して、自我まで自己封印しているのか。
理解不能。理解不能。理解不能。
端末機は、独りぼっちで夜空を見上げる。
「……本機アルテミスへ通信。応答願う。応答、願う」
暗く、しかし明るい夜空の真下。
砂浜に座った人の形をした機械端末は、傍らに寄り添う者を待ち続けた。
いかがだったでしょうか。
敢えて書かずに詳細をボかすやり方にしてみましたが、皆様のご想像にお任せする部分ということで何卒御許しを。
ふとした思い付きから書き始めた拙作。
まさかこれほどの反響を頂けるとは思っておりませんでした。重ね重ね、御礼申し上げます。
オリオンという人間の物語は此処で一旦幕を閉じますが、そこから人類史を巡る聖杯戦争での彼の活躍もまた、書き綴っていけたらと考えております。
かなり長く皆様をお待たせしてしまうと思うと心苦しいのですが、それでも応援の御言葉や感想なんかを頂けると幸いです!
それとこの作品について、皆様にお願い…というかお伺いしたいことがありますので、活動報告をご一読いただけると助かります。
長々とお目汚しを致しましたが、これにて。
それでは皆様、またよろしくお願いします!!