もしも、オリオンがクソ真面目な堅物だったら   作:萃夢想天

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どうも皆様、萃夢想天です。
この度は日間ランキング2位という偉業を
読者の皆様あってこそ成し遂げられたこと。
そのお礼を申し上げます。

仕事から帰った来たら、お気に入り件数が二倍で
日間ランキング2位とか、頭抱えましたよ。

そんな皆様の熱い思いに応えます!


それでは、どうぞ!








始まりは突然に…シーデーの悲劇

 

 

 

 

 

オリオンが長老から半ば強引に縁談を組まされてから、きっかり明後日。

 

生まれはクレタ、育ちはボイオティアの端の村落。そんな美丈夫オリオンと。

生まれも育ちもボイオティアの端の村落。長老の孫娘で美女と評判のシーデー。

 

彼らが正式に夫婦という新たな関係へ発展する、記念すべき日を迎えた。

 

長老がオリオンに(一方的に)約束した通り、村人総出で彼らの結婚を祝福している。

 

今日という日の為に、これ以上ないというほどの化粧と衣服で着飾る新郎と新婦。

そんな二人の頭上を飛び交う声に、男も女も関係なかった。

 

 

「クソ! シーデーをものにするなんて、あの野郎羨ましいにもほどがある!」

 

「狩人のアイツが村一番の美女と結婚できて、戦士の俺がなぜ独り身なんだ⁉」

 

「爆発しろションベン小僧!」

 

 

一方は新郎である狩人オリオンへの賛辞。実に熱気と殺気に満ちた男の言葉である。

 

 

「ちょっと綺麗だからって調子に乗ってんじゃないわよ!」

 

「そんなぁ……オリオン、あたしのオリオンが…」

 

「ね、ね! オリオン、今からでも私を妻にしないかい? ねぇったら!」

 

 

一方は新婦である美女シーデーへの賛辞。実に労いと妬みに満ちた女の言葉である。

 

村一番の美男美女が腕を組んで佇む姿に、そこら中から奇声と慟哭が発せられていた。

ここまで熱い視線(良くも悪くも)を向けられる夫婦など、世界中を探しても見当たるまい。

 

阿鼻叫喚の花道を仲良く歩んだ新郎新婦は、神々の祝福あれかしと誓いの契りを結んだ。

 

 

「愛しているわ、オリオン」

 

「………ああ。麗しき我が妻。お前の想いに背くことだけは、決してしない」

 

 

どこまでも情熱的に愛を口にするシーデー。一方、夫となったオリオンは、自分の結婚にこそ

納得がいっていないものの、ここまで自分に入れ込んでくれる女を無碍(むげ)にはできなかった。

 

実際、シーデーはとても良い女であるとオリオンも思っていた。

 

美しさは言うに及ばず、頭もいい。辺境の村落でありながら学があり、審美眼もある。

やたらと己を誇示する振る舞いが目立つものの、それを除けばまともな女性であったのだ。

 

 

「……そうだな。何か不都合があるわけでもなし。うん、これでいいのだろう」

 

「何か言った?」

 

「いや、なんでもないさ」

 

 

村の開けたスペースに設けられた、今日という祝いの日の為だけに建てられた簡素な祭壇。

そこへ歩み寄った二人は、自分たちが晴れて夫婦となることを天上の神々に報告する。

 

現代では役所やらへ書類を提出するものだが、この時代にそんなキッチリしたものはない。

それでも、結婚やら何やらを司る誰得な神がいたりする時代ではあったのだ。面倒な事に。

故に簡素ではあるが畏敬のこもった祭壇に跪き、オリオンは敬虔に神々へ祈りを捧げた。

 

 

(天上におわすいと高き神々よ。今日より、妻を娶りともに寄り添う事を赦したまえ)

 

 

正史におけるオリオンであれば、鼻くそでもほじりながら「んじゃ、よろしく」とでも

ほざいていた場面であっても、この歴史ではそうならない。クソ真面目な堅物だから。

片膝をつき、両手を額の前で重ね、目を閉じ、黙して祈る。信奉者も驚く敬虔ぶりだ。

 

対して彼の妻となったシーデーだが、彼女は念願の男を手に入れた事実に浮かれていた。

 

オリオンの妻となる。これはもはや、村に住まう独り身の女において最上級の地位(ステータス)

言っても過言ではない。競争率が高いだけでなく、難易度が桁外れに高いのだから。

 

当時のギリシャ。しつこいようだが価値観としては、「力こそ正義」が主流である。

強ければいい。強けりゃ何をしてもいい。それが男の価値観。ならばそんな世界の女たちは、

誰よりも強いと己が認められるような男とくっつくことができれば、まぁ幸せなのだ。

 

このような時代に、オリオンという規格外のイイ男ありけり。

 

他の男と違い、野蛮でも粗暴でもなく、理知的で誠実。暴力も脅迫もせぬ高潔な人。

では腕っぷしがないのかと問われれば、否。村の誰よりも強く、速く、逞しい男。

 

彼が朝起きればお茶に誘われ、狩りに出向こうとすれば引き止められ、夜に帰ればやたら

ギラギラした目つきな年頃の女たちに優しくされる。倍率なんて数えるだけ無意味だった。

 

そんな超々優良物件であるオリオンを、長老のコネ入りといえど、やっと手に入れた。

シーデーとて女。嬉しくないわけがない。ましてプロポーズ(本人に自覚なし)すら受けて

いるのだから、誰の目を憚ることもない。大手を振って最高の男を自慢できるというもの。

 

狩人の妻となった彼女の心はまさに、有頂天にあった。

 

 

「うふふ、うふふふ……あーっはっはっは!」

 

 

だからこそ―――――このような悲劇が起こったのは、いわば必然であろう。

 

 

「見なさい! オリオンを夫としたこの私の美しさを! 至上にして究極と証明されし美を!

 この美しさはもはや、全能なるゼウス神が妻、かの女神ヘラすら上回ったと言えましょう!」

 

 

差し伸べるように、その手を天に向けて哄笑するシーデー。彼女は本気でそう思っていた。

ギリシャに屈強なる者は数あれど、我が夫たるオリオンにならぶ者は現れはしない、と。

断言出来たし、彼女はそう信じていた。そしてそれはそのまま、己の美の証明と成り得る。

 

シーデーは根本的な誤解をしている。彼女はこの誤解に、ついぞ気付けなかったが。

 

そも、オリオンと結婚できた理由に、彼女の美しさは欠片ほども関係なかったのだ。

ただ彼女が長老の息子の娘であり、オリオンと親しくあり、彼に心底惚れていた。

残酷な事実を敢えて突き付けよう。その条件さえ満たせば、彼女でなくても別に良かった。

 

美女の裡にあった「傲慢」が、彼女の目を曇らせ、その運命を定めてしまう。

 

 

「………………なんだ? 空が、暗く…⁉」

 

 

狩人として磨き抜かれたオリオンの瞳は、不自然に空が暗黒へ染まる様子を捉える。

ほんの一分足らずで空は黒一色に変わり果て、異様な光景に村人も怯え始めた。

 

長老や村人たちが何事かと浮足立つ中、オリオンだけは冷静にこの異常を俯瞰していた。

 

自然現象ではない。祈祷師が扱う魔術でもなかろう。人の身には余る大いなる超常。

そこまで情報が揃えば、これを繋ぎ合わせて答えを導き出すことなど、児戯である。

隣でようやく高笑いを引っ込めた妻にも聞こえぬ小声で「神か」と、低く呟くオリオン。

 

その答え合わせをするかのように、暗黒と化した空より、威厳に満ちた声が響く。

 

 

『―――妾を誰と心得る。天に仰ぎ見るべき天上の主人、ゼウスが正妻【ヘラ】なるぞ』

 

 

唐突に空から降って湧いた、神の言葉。村の誰もが経験のない一大事に大混乱を起こす。

 

ヘラ。この名を知らぬギリシャの民はいない。神々の長ゼウスの正妻にして神々の女王。

それこそが女神ヘラ。この世の何より美しい女にして、何よりも嫉妬深い魔性の神。

 

こう聞けば、怒らせると怖い女神、程度には認識されるだろう。間違ってはいない。

だが実際はもっと酷い。ギリシャの女性問題のうち、ほとんどが主神ゼウスの責任なので

あまり強く言えない部分もあるが、ギリシャの家庭問題のほとんどにこの悪女が絡んでいる。

 

先程言ったように、ヘラという女神は相当に嫉妬深い。というか堪忍袋の緒が極細なのだ。

 

もともと彼女はゼウスに一目惚れされ、「ヤラせてくれ(ド直球)」としつこく狙われていた。

あまりの執念についに折れた彼女は、体を許す条件として「今の妻と別れて私と結婚しろ」と

離婚を迫ったのだ。中々のメンタルである。自分にそれほどの自信があったと言ってもいい。

 

これを渋々承諾するゼウス。どんだけヤリたかったんだお前。妻の女神とあっさり別れて、

ヘラを正妻に迎えた主神だったが、それで浮気癖が治ったわけではない。むしろ悪化した。

自分に絶対の自信があるヘラは肢体こそ極上ながら、性格はキツく、長続きはしなかった。

その結果、他の女神やら人間の女に安らぎを求め下半身の赴くままとなってしまう。

 

当然、これを許すヘラではない。しかしこの女神、前述の通り性格はゼウス並にクソである。

 

浮気を繰り返すゼウスを、彼女は立場上罰することができない。夫はギリシャの神格を束ねる

主神であり、大いなる権能を持つ男。よって彼女の怒りの矛先は、浮気相手へ向けられた。

 

曰く、「ゼウスを誑かす女の方が悪い」

曰く、「絶対の美である私を差し置いてゼウスの寵愛を賜るなど、万死に値する」

 

夫婦そろってどんだけだよ、と頭を押さえずにはいられないレベルのクズっぷりだが、

腐っても最高神夫婦。ゼウスの姉であるヘスティアさえも、罰するだけの権限はない。

ゼウスはあちこちで種をまき、ヘラはまかれた種に災いを撒き散らす。病原菌かお前ら。

 

そして今。そんな、あらゆる神話上最もヤバい女ナンバーワンが、降臨したのだ。

 

こればかりはタイミングが悪過ぎた、としか言えない。どちらにとっても。

結婚を司る誰得な神がいると言ったが、それはまさしくこの女神ヘラの事を指している。

 

村に供えられた祭壇を通じて、今日より夫婦となるものへ祝福を授けんと権能を持ち寄った

ところで、ちょうどハイテンションなシーデーの発言とバッティングしてしまったのである。

誰が悪いわけでもない。いや、神を見下すようなことを言ったシーデーも悪いには悪い。

ただ、そう。ここまで噛み合わさった奇跡的な不運。もはやこれは、運命としか言えまい。

 

 

「へ、ヘラ様⁉」

 

「なんでそんな方が俺たちの村に…」

 

「何なの、何がどうなってるのよ…」

 

 

混乱が波及し、ざわざわと騒めく村人たち。それが最高潮に達するかに思われた瞬間。

 

 

「ひっ⁉ な、なに―――」

 

「シーデー⁉」

 

 

ジャラジャラ、と耳慣れない音がオリオンの鼓膜を揺らす。音の発生源は、隣にいる妻。

喉から絞り出されたような短い悲鳴に顔を向けると、そこにあったのは青銅の鎖玉のみ。

ちょうど成人女性が一人すっぽり収まるほどの大きさをした、鎖の球体が彼の横にあった。

 

村人たちはいきなりの出来事に慌てふためくばかりで、状況への理解が追いついていない。

しかしこの男。聡明にして智博なるオリオンだけは、混沌の渦中においても冷静である。

隣で鎖が巻かれる音と、そこから微かに漏れる人の悲鳴。オリオンは瞬時に行動した。

 

 

「待っていろシーデー! 鎖など私にかかれば―――――ッ⁉ 何故だ!」

 

 

巨木の如き剛腕と、それに見合った膂力を誇る彼にとって、金属製のものも若葉に等しい。

指で捻れば千切れる程度の脆いもの。そう信じて疑わなかった彼が、初めて瞠目する。

 

 

『この者は妾に対する不敬を働いた。故、神々の女王の名に於き、冥府(タルタロス)へ幽閉する』

 

 

並の人間であれば、声色だけで平伏するだろう厳かさをひしひしと感じさせるヘラ。

事実、彼女の降臨からこの言葉が出た直後、村人は混乱と恐怖をそのままに平伏している。

そうするのが当然であり、礼儀であり、常識。神の機嫌を損ねることは、自殺も同義だ。

 

だが、そんな理由で妻を放っておかない男が此処にいる。

 

 

「ぐ、ぐぉぉ………ッ‼ 待って、いろよ……‼」

 

 

自らの剛力をもってしても砕けないことは理解した。が、それは諦める理由にはならない。

血管が皮膚を押し上げ、全身の筋繊維を隆起させ、なおも妻を解放しようとする夫がいた。

 

無駄な足掻きと冷ややかに見下しつつも、その執念深さに嫌な事を思い出した女神ヘラは、

冥府へ送る罪人を決して逃がさないタルタロスの鎖に挑み続ける男へと神の言葉を伝える。

 

 

『それは青銅の鎖。大罪を犯した者を冥府に縛るもの。この世の如何なる力も届きはせぬ。

 しかし興味が湧いた。神の血を交えし男よ、其方は何故にそこな不敬者を救わんとする?』

 

「何故と……? 何故、と問うか女神ヘラ! 我が妻を助くるに理由は必要か⁉」

 

『……よほどその者の〝味〟を占めたとみえる。手放すには惜しいのか?』

 

「く、ぐッ…! 無礼を承知で申し上げる……! 下衆(げす)な勘繰りを、取り消せ‼」

 

『―――なに?』

 

 

次々と鎖が巻かれ、拘束はどんどん厚みを増していく。オリオンはそれをどうにかして

引き剥がそうとするが、彼の尋常ならざる力をもってしても及ばない。息も絶え絶えだ。

 

そんな醜態を晒しながら、彼の眼光は一向に衰えず。ただひたすらに妻へと向けられる。

 

 

「妻を、シーデーを取り戻す! 私が………俺が愛すると決めたんだ! このオリオンが!

 主神の妻だろうが神々の女王だろうが! 関わりを持たぬ者は例外なく引き下がれ‼」

 

 

咆哮。絶叫にも等しい宣言の直後、神々すら忌み嫌う絶対の拘束に、亀裂が奔った。

 

女神ヘラは絶句する。なんだこの男は。これまで出会ったどんな男とも違う存在だ。

まず、人は神に逆らわない。超常存在にして大いなる権能。人は上位者たる神に従うもの。

その前提を打ち崩してきた。不快感を募らせるヘラだが、しかし激情は湧かなかった。

 

この男は言った。「妻を助けるのに理由が必要か」と。

 

一度も聞いたことのないセリフだった。少なくとも女神の生を受けて現在に至るまで。

彼女の夫は好色王ゼウス。今もどこぞの女と楽しく盛り合っているだろう。殺意が溢れる。

けれど眼下の人間は違う。女神ヘラの決定に異を唱え、その身一つで逆らおうとしていた。

 

自分をゼウスの正妻ヘラと知っての啖呵。されど侮蔑も傲慢も感じさせぬ誠実なる訴え。

成り行きとはいえ夫のみを愛するヘラにとって、初めての「興味の湧く男」となった。

 

 

『ほう。そなた、名をオリオンと言うのか。妾に「引き下がれ」とは不敬な輩よ』

 

「女神ヘラ! 結婚と貞節を司りし大いなる母よ! 俺とシーデーとの契りには、

 一欠片ほどの不純はないはずだろう! 問いを返そう! 何故我が妻を冥府へ送るのか!」

 

『……その女の言葉、しかと我が耳にも届いていた。神を恐れぬ傲慢を妾は容認せぬ』

 

「傲慢、だと⁉ ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()‼」

 

 

ところが、オリオンを雁字搦めに縛り付ける運命は、彼に許されざる誤解を植え付けた。

 

オリオンは聡明な男だ。常日頃から神々へ祈り、感謝を捧げ、崇拝を忘れない。

そんな彼が、妻の身が危険であるとしても、「神に逆らう」という選択肢を取るはずもない。

そういう世界、そういう時代に生きる者である。納得はさておき、理解は出来る男なのだ。

 

だというのにオリオンはヘラに逆らった。その答えは至極単純。

 

彼は―――ヘラがなぜシーデーを「傲慢である」としたのか、本当に理解できていなかった。

 

 

『………オリオン。そなた、本気で言っておるのか』

 

「嘘偽りを軽々と語る趣味はない! 我が問いに答えよ女神ヘラ! 何故だ!」

 

 

言わずもがな。ヘラが許せなかったのは「自分を差し置いて最上の美である」と驕ったこと。

女神にしてゼウスの正妻。それを気位高く受け入れている彼女にとって、己以上であると

比較されることが(比較にならなかったとしても)我慢ならない沸点なのだ。

 

咎められるべきはシーデーの傲慢。舞い上がっていたとはいえ、ゼウスすら認める美の究極、

すなわち女神ヘラを下に見るような発言をしていいはずがない。ただの人間の小娘が。

彼女の戯言は裏を返せば、「ゼウスは見る目がない。本当の美は此処にいるぞ」と豪語する

ようなものなのだから。これはゼウスも気分を悪くする発言である。

 

ヘラの怒りは正当なものであり、最高神夫婦を同時に侮辱したのは許されざる大罪だ。

 

それでも、オリオンには()()()が理解できていない。

 

 

「シーデーは美しい! 己が認めるように、俺も彼女の美しさを認めていた!

 美しいのだと事実を口にしただけで、どうして彼女がこんな仕打ちを受けるのか!」

 

 

奇しくもこの価値観のズレは、豊かな自然の中で健全に育った結果でもあった。

 

彼にとって「美しさ」とは、分類(ジャンル)に等しい。そういうものである、とする理解の範疇。

分かりやすく言えばオリオンは「どちらが美しい?」という問いに答えられないのだ。

 

何故ならオリオンには美しさとは「競うもの」ではない。そういった分類なのだから。

この人にはこんな美しさがあり、あの人にはあんな美しさがある。それでおしまい。

オリオンの中にある「美しさ」は、比較も上下も優劣もない。漠然とあるだけのもの。

 

この悲しいすれ違いの根本には、生来のクソ真面目さと狩人としての価値観があった。

 

 

『この不敬者は、妾をも超えた美貌を持つなどと吹聴してみせた。これは認められぬ。

 神々の女王にしてゼウスの正妻となった妾よりも美しいものなど、あってはならぬ故』

 

「それではなにか! 我が妻は、美しいから冥府へ堕ちるとでものたまうか‼」

 

『違う。人間如きの尺度で以て、神をも超えると自負することこそが大罪である』

 

 

同じ「美しさ」という観点に対する、どこまでも価値観の異なる狩人と女神の問答。

シーデーが冥府へ堕ちねばならないのは、あくまで神への不敬。しかしオリオンにとっては、

己の美しさを言葉にしただけで神に罰せられた、というようにしか思えなかった。

 

そして女神ヘラの確信に満ちた一言を聞いたオリオンは、ここで更なる輝きを見せる。

 

 

「女神ヘラ! 尊き御身はいま、仰ったな!」

 

『………?』

 

「確かに聞いたぞ! 『人間如きの尺度』と! その通りだ! 我が妻シーデーの言は、

 神たる貴女様からすれば人間の尺度で語られたもの! それを罰するというのか‼」

 

『何が言いたい、オリオン』

 

「いと高き神々の女王ともあろう御身が、()()()()()()()で語られた言を真に受けたか⁉」

 

『―――――っ‼』

 

 

尊顔を拝謁してはいないが、天上より声を発する女神の表情が歪んだとオリオンは悟る。

 

彼の言葉の真意をすぐさま理解したヘラは、瞬間湯沸かし器もかくやな憤怒を抱いた。

神の血を引く人間はこう言った。「見下している相手の戯言を本気で捉えたのか」と。

 

女神ヘラは怒った。だからシーデーを罰しようとしている。それは、狩人の妻が言い放った

暴言を「事実である」と認めたに等しい行いだと狩人は語った。ここにきての正論である。

 

否定するのは簡単だ。神たるヘラはただ「違うから。不遜な態度がダメなんだから」とでも

言い包めればそれでいい。しかし彼女は、己に絶対の自信を持つ彼女にはそれができない。

一度でも彼の言葉を認めてしまえば、女神としての器が実に狭量であると示すことになる。

(今更過ぎるとか言ってはいけないが)それはできない。気位の高い彼女には。

 

ならば度重なる神への不遜を大罪として、このオリオンも同じく冥府へ堕とせばよいか。

答えは否である。夫婦の契りを交わしたその日に夫婦諸共冥府へ送る。とんでもない醜聞だ。

 

これがもし他の神々やギリシャの人々に伝われば、間違いなくこう思われることになる。

 

 

あぁ。まーた女神ヘラが嫉妬に狂ってやらかしたんだな、と。

 

 

事実無根とまでは言い切れないにしても、そんな噂が立てば女神ヘラの沽券に関わる。

なにせ彼女は結婚を司る神である。だというのに祝福しないばかりか新婚夫婦を冥府送り。

人々は女神ヘラに対し、結婚という文化・概念での信仰心を薄れさせることは明らかだろう。

 

こんなことになれば、女神ヘラから結婚を司る部分が失われかねない。権能の消失とは即ち、

神としての格の零落を意味する。許容できるはずもない。ゼウスの正妻の座すら揺らぐ。

 

だからこそ、どれだけ怒りに染まろうと、女神ヘラはオリオンまでも罰することはできない。

 

 

『………これは神の宣告。違えることはない。オリオン、そなたの妻を冥府へ送る』

 

 

これ以上言葉を介すると、それだけで女神ヘラは不利な立場に追い込まれると理解した。

多少強引にでもこの場を去ろうとし、青銅の鎖で完全に拘束されたシーデーを引き寄せる。

 

 

「待て! 待ってくれ女神ヘラ! 何卒、慈悲を!」

 

『ならぬ。この者への沙汰は下された。だがオリオン。そなたの献身を讃えよう』

 

「そんなものは要らん‼ シーデーさえ返していただければ、何も求めん‼」

 

『………気に入ったぞオリオン。そなたが砕いてみせた鎖の欠片、神器として取らせる。

 後で遣いをヘファイストスめにでも寄越して鋳造させよう。妾を諫めた褒美としてな』

 

 

オリオンは暗黒の空へ吸い寄せられていく鎖の塊に手を伸ばすが、既に距離が離れ過ぎた。

ならばと彼は自宅へ駆け出し、狩り用に自作した弓矢を手に、一面黒となった空を仰ぐ。

即座に限界まで引き絞った矢を放つ。風を切り裂いて飛翔した矢は、青銅の鎖に阻まれる。

 

打つ手がなくなったオリオンは、ついに膝を屈して項垂れた。妻を失った悲しみで。

 

神への怒りは、湧かなかった。理不尽だと思った。それでも彼は、神を尊ぶ。

彼の胸に到来したのは、「何故」という疑念のみ。ただそれだけが分からないでいた。

 

 

「何故だ……どうして………ああ、シーデー」

 

 

あわれオリオン。結婚したその日に、愛そうと誓った妻とは二度と逢えなくなった。

 

 

これが、オリオンという狩人の伝説の始まり。

 

誰も彼もを魅了した海神の落胤である彼を彩る恋愛譚の〝序章〟である。

 

後世に語り継がれたこの出来事は、【シーデーの悲劇】と呼ばれ、多くの人が涙した。

 

 

 

 

 









書いてる途中で日間1位になってました。
嬉しさのあまり死ぬんじゃないかと思ったら、
邪ンヌで無事爆死致しました。なるほどね(涙)


あまりの高評価に心臓がどうにかなりそう。
あ、続きは未定です。未定にさせてください(土下座)


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