『兄さん、私、音楽を辞めるわ』
酷く冷たい虚ろな目で友希那は俺を見つめる。友希那の足元に置かれたマイク。俺がいるはずなのに友希那は孤独に見えた。
マイクを置いた時点で、孤高の歌姫と謳われた湊友希那は歌姫ではなくなった。
そう、ただの孤独な少女へ……。
──置いちゃダメだッ!
言葉にしたいはずなのに、口を通る前に喉で突っかかる。まるで別の何者かに遮られているかのような。声を出せない間も友希那は、マイクから距離を離していく。そして友希那が乾いた微笑みを浮かべると口を開いた──
『さようなら』
◇
「──ッ!」
言葉にならない悲鳴をあげ、俺は目を覚ます。
「……夢 」
そうだと分かるのに時間はかからなかった。隣で眠る友希那の寝顔が教えてくれる。夢で見たあの冷えきった表情じゃない。思い出すだけで俺の体は震える。
決して秋が近づいているからではない、恐怖からだ。
俺は震えを抑えるために体を抱く。俺はあの目を、あの微笑みを知ってる。自分の信じていたものを斬り捨てられ、何もかもすべてを諦めた者の表情だ。なんでいまさらこんな夢を見るのか、思い出したくもないことを思い出させるのか。またあの表情を見せられるという忠告のつもりだろうか。
「兄さん?」
「ん……あぁ、起こしちゃったか 」
「ううん。それより、兄さん寒いの?」
「えっ」
「だって……」
友希那の手が俺の手に重なる。入っていた力が少しずつ抜けていき、体の震えも止まっていた。
「ごめん。ありがとうな」
「兄さんらしくない」
「あはは……どうも緊張しちゃってるみたいだ」
もう大丈夫だと友希那の手を引き離す。「ほんとに兄さんらしくない」と友希那に二度も言われてしまった。
──そう、今日はRoseliaがオーディションを受ける日。そして親父の仇を打ちに行く日でもあった。
「それより、昨日はよく眠れたか?」
「うん」
「でも珍しいな、友希那が眠れないなんて言うとは」
「緊張してたのよ」
いままでどんな大舞台でも一切緊張しなかった友希那が、眠れないほど緊張していたらしい。それもそうか、なんたって目標の一つにたどり着いたんだ。
でも友希那の清々しい寝起きを見る限り、緊張も消えたのだろう。
「よーし、友希那の可愛い寝顔も見れたし準備するか〜」
「なっ!」
俺は逃げるようにベッドから飛び出し部屋から出た。後ろから友希那の声が聞こえるが振り向かん。きっと恥ずかしがって真っ赤になってるだろう。どんな日であろうと、俺たちの朝はこんな感じでいいのだ。変に特別なことはしなくていい。 普段通り、オーディションも臨もう。
◇
「緊張するな……」
「自信を持って。今井さんの腕は私が保証します」
「そう、だよね。あっはは、紗夜に保証されちゃ自信持たないわけにはいかないよね!」
慌ただしく控え室内を歩き回るリサ。私が落ち着かせようと立ち上がったところ、代わりに紗夜が動いてくれた。
「うぅ……」
「あこちゃん、大丈夫?」
「さっきまで全然平気だったのに……」
「大丈夫だよ。支援バフはたくさんかけてあげるからね? あこちゃんはどんどん前に出て」
「りんりんっ!」
いつもとは違う風景。 燐子を支えていたあこ。それが今、あこが燐子に支えられている。Roseliaとして活動した末に燐子が見つけた自分のジョブ……確かあの時みんなでやったゲームではこういうのよね。
「それにしても秋也さん遅いね 」
「多分もうそろそろ来るわ」
緊張も解れたのであろうリサに、私がすぐ答える。その直後、急に廊下が騒がしくなった。靴と床が擦れる音が控え室の壁を越えて耳に行き届く。
「──すまん遅れた 」
「ほらね」
思わず自慢げになってしまった。
「流石、妹だ……」
「ん、何の話だ?」
状況がまったく読めないといった様子の兄さん。私は、遅れた理由を問いただすべく兄さんの前に立った。
「それで……どうして遅れたのかしら」
朝、家を出るとき最後の練習をするために私だけ早く出て行った。兄さんも一緒に来てくれると思いきや、「先に行っててくれ」と言われたのだ。
その時何をしていたのか気になる。
「実は親父と話し込んじゃっててな、それでつい遅れちまった」
「お父さんと? それでお父さんは私たちのオーディションについてなんて言ってたの」
「〝楽しんでこい〞」
たった一言、されど一言。私にとってそれだけで不思議とリラックスできた。 お父さんがぶつかったオーディションの壁、その過酷さを一番理解している人からのアドバイスは「楽しめ」その一言だけ。
その一言の中には、私がこれまでRoseliaとして活動してきて学んだことが全て詰まってる。
そんな気さえ感じられた。
「楽しむ……か」
「オーディションでは難しいことですね」
「安心しろ。お前らは何の心配もせずただ楽しむんだ。お前らがなんと言われようと俺が何とかしてやる」
「背中は守る。ですね 」
「燐子その言葉、ピッタリ……ベストマッチだ」
そう、私たちは何も考える事は無い。ただひたすらに自分たちの音楽を信じ、全力を出すだけだ。
緊張なんてする必要ない。
「なんとかするなんて約束していいのかな〜?」
「バカ言え、友希那の兄だからって何か特別なことができるわけないだろ」
「えぇ……」
兄さんはいつだって予想外な考えを見せてくれる。特別なことはできない、けれど至って普通なことならできる。今のはそういう意味だったんでしょ? 兄さん。
「でもな、一つだけあるぞ。お前らが最高の演奏ができるようになるおまじないがな」
「あこ知りたい!」
「わ、私も 」
「興味はありますね」
「どんなおまじないなのかな〜楽しみだね友希那 」
「ええ」
兄さんは普通なことしかできない。そう言うがそんなことは決してない。兄さんはいつだって道は作らない、でも道を作るきっかけはくれる。 一人で歌っていた私にあのスタジオを勧めてくれたのは兄さんだ。別のバンドの演奏を聴くのを勧めてくれたのも兄さん だ。そのおかげで私は紗夜に出会えた。それから流れるようにメンバーが揃って私がここまでこれたのは遡っていけば兄さんのおかげよ。
どれも普通の事を言ってるだけ。だから今も私は、兄さんから普通の事を言われるのを待っている。
みんなが兄さんに寄っていき、同じく私も少し距離を縮める。
「そのおまじないっていうのはな 」
「……」
「〝俺のために演奏してくれ〞」
迷いなくきっぱりと言う兄さん。そのあっけなさにみんな呆然としてる。
「あ、秋也さん……? 今のが、おまじない?」
「そうだ」
「言い間違いではなく?」
「間違えてないぞ」
「どういう意味ですか?」
「だってさ、お前らの演奏になんも期待してない聴く気もない。そんな奴に演奏を披露するってなって楽しめるか?」
「あっ……」
「ったく、親父も言葉足らずなのいい加減やめてほしいよ」と兄さんは小声で愚痴をこぼしていた。きっとお父さんの言葉と合わせてのおまじないなのかしら。
リサたちも兄さんに問われ首を横に振る。
「だろ? なら本当に楽しみにしてる奴に聴かせたほうが楽しめんだろ。だから俺がその楽しみにしてる奴になってやるんだよ」
「そっか、アタシ本気出す気だったけど、これはいつものライブじゃないんだよね。聴きたいって人に聴かせる場所じゃない。それじゃ、アタシの本気は出ないや」
「そうですね。全力を出してこそオーディションです。今日はあなたのために音を奏でましょう」
「秋也さんが聴いててくれるなら私……頑張れる気がします!」
「われの魔力の封印を解き放つは……えっと、うぅ……と、とにかく 秋也さんが聴いてくれてこそ、あこは全力が出せます!」
「もう兄さんはRoseliaに一生ついて来なきゃいけなくなったわね 」
今更な問いかけだけど、きっと兄さんの答えは決まってる。そう目が訴えてるから。
「あぁ 一生ついてってやるよ! ついていきゃあいいんだろ! その代わり、俺が満足しなかったらパスパレのファンになるかもしれないぞ!」
「秋也さん、なんでそんな強気なの」
「日菜には負けませんから……」
「あちゃ……火ついちゃった」
「兄さんは渡さない……」
「友希那〜可愛いけど今は抑えて……まぁ、アタシも負ける訳には行かないけどね」
はっ……つい、私も混ざってしまったわ。
私たちの番まで残り5分。燐子が今日のために作ってくれた衣装を纏い、6人で円陣を組む。
「それじゃ改めて、今日の観客は兄さんよ」
「自分で言ったのもなんだけどさ、なんか照れるな……」
「嬉しく思ってください。あなただけのために演奏するんですから」
「そうそう! なかなかこんな機会ないよ〜」
一番最初のライブもそうだった。いや、私が一人で歌ってた時もそうだ。〝みんなが楽しみにしてなくても俺だけは楽しみにしててやる〞その言葉に何度安心させられたか数え切れないわ。
「いつものやりましょう! 掛け声!」
「よっしゃ! 友希那、頼んだぞ 」
「……秋也さんがやらないんですか?」
「え?」
「私もそう思ってたわ」
この流れでなぜ兄さんがやらないのか不思議で「え?」なのは私の方だわ……。
「わかったよ。それじゃ行くぞ!」