天才がゲシュタルト崩壊!! by及川   作:こうやあおい

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03話:及川徹の憂鬱

 ──翌週。月曜日の放課後。

 ユカは取りあえず岩泉が土日の間に進めてきた数枚の理科のプリントを見やって渋い顔をしていた。半数近くの問いが空欄で、他の半数は間違いが目立つ。

「い、岩泉くん……コレ……。電気回路とか物理分野のところ、全部空欄なんだけど……」

「あ? 全て意味不明だ」

「え……」

「記号の羅列にしか見えん」

「……」

 岩泉はそんなに不真面目な人間には見えない。きっと彼なりにノートなりを広げてやってはみたのだろう。ということは余計に厄介だな、とユカは自分のノートの空白ページを机に広げた。

 ユカにしてみれば全て得意分野。図解して基礎の理屈からの説明に入った。ユカにとっては得意分野である以上に好きなことでもあるため、きっと岩泉だって分かれば楽しいだろうとなるべく興味をそそるように伝えていく。

 岩泉の良いところは躊躇や遠慮などおよそ感じさせない部分のようで、分からなければすぐに何故そうなるのか質問が飛び、ユカとしてもやりやすかった。

 少しコツが掴めたのか、一問解けたときには笑みを見せてくれ、ユカもつられて笑った。が、あっという間に一時間が過ぎ、岩泉も部活に参加したいということで今日はここまでと切り上げる。

「じゃあ、今日の部分は復習してきてね。明日また進めようね」

「おう。わりぃな」

 岩泉の背を見送って、深い息を吐きつつ思案する。このペースで間に合うのだろうか、と。

 案の定、火曜・水曜と思ったように勉強は進まず、木曜日の放課後は一時間で切り上げずに延長した。

 取りあえず数学を今日終えられるだろうか? 英語はどうしよう。と、悩んでいたら二時間ほどが過ぎてきたようで、廊下から聞こえてくる足音にユカは顔を上げた。と、同時に勢いよく教室のドアが開かれた。

「岩ちゃーん!? なにやってんの、もう二時間経ったんだけど!?」

 ドアの方を振り返る前から、おそらく岩泉も声の主が誰であるか理解しただろう。二人揃って目線をやると案の定ジャージ姿の及川がいて、なぜか目を丸めている姿が映った。

「あれ、クラスメイトに勉強教わってるって……。なんだ、ユカちゃんだったんだ」

「こ、こんにちは……」

 なぜそんな不本意そうな顔をするのだろう? 眼前の岩泉もややうんざりしたような顔をしている。

「おめーは何やってんだよ」

「たったいま休憩に入ったの! それに副主将がいないんじゃ示しつかないじゃん」

「示しつかすほど部員いねーだろ。レギュラーしか部活出てねえんだし。こっちも好きで残ってるわけじゃねえしよ」

 そこまで言い下して岩泉はハッとしたのか、焦ったようにこちらを見て「スマン」と一言言った。

 ううん、と首を振っていると及川が近づいてきてひょいと机に置かれていたプリント類を掴み上げた。

「ふぅん。ユカちゃん、数学得意なんだ?」

「え……、うん」

「絵だけじゃなくて、お勉強もできるんだ。へぇ」

「オイ、なに絡んでんだよ」

 試すような目線だったせいか岩泉が強く突っ込み、ユカは目を瞬かせた。相変わらず自分はなにか及川の気に障るような事でもしただろうか? と思い巡らせるも、話したことすら数回しかないわけで、当然ながら思い当たらない。

「及川くん、あと少し時間いいかな? 予定通り進んでなくて……」

「人のことより及川、おめーは大丈夫なのかよ?」

「ん、なにが?」

「期末」

「ああ、岩ちゃんよりは大丈夫なんじゃない?」

 ヘラッと及川が笑い、ハッキリと岩泉の額に青筋が立つのが見えたが、ユカとしてはどうしようもなく岩泉に続きを促す他ない。

 及川は休憩中ゆえか、適当に椅子を見繕って座ってしまい、取りあえずユカは及川のことは置いておいて岩泉に集中しようと目線をプリントに向けた。

 なんだかとても視線を感じる、と思いつつも岩泉が質問してきたため、答えることに意識を向ける。

 及川がまだ手をつけていない英語のプリントを掴み上げたのが目の端に映った。

「ねえ、コレ授業で一回やったヤツ?」

「え? うん。試験範囲のプリントを復習してるの」

「ふーん。俺、あんま英語好きじゃないんだよね。勉強する意味わかんないし」

「え……!?」

 あまりにサラッと言われて、ユカは及川の方を思わず向き直ってしまった。意外だったのか及川もこちらを見て目を見開いている。

「な、なに?」

「え、だって……勉強する意味わからない、って。世界に出たとき困るよ……?」

 すれば、及川はいっそう目を見開いて、次いで声を立てて笑い始めた。

「なに、世界!? ユカちゃん、なに、世界目指してんの!?」

 笑われてキョトンとしたユカだったが、すぐにどうやらバカにされているらしいと気づいて、む、と唇を尖らせた。

「及川くんは違うの?」

「は……?」

「バレーで世界に出る、とか一度も考えたことないの?」

「は……!?」

 何を言っているか解せない、とでも言いたげに瞠目する及川を見て、ユカはこんな時ですら「綺麗な目をしているな」と相も変わらず甘ったるいココアのような色をした及川の目を見つつ感じた。

 及川は少し何か言いたそうに唇を揺り動かしたあと、一度キュッと結んでから歪んだ笑みを作り出した。

「世界、ね。やっぱ天才ってスケールが違うよね」

 言って、ガタッと及川は席を立ち、こちらに背を向けた。

「じゃあ岩ちゃん、早めに切り上げてさっさと部活来なよ」

 そのまま教室を出て行ってしまい、再び2人きりになった空間にやや気まずい空気が流れた。

 「あー」と岩泉が言いづらそうな声を漏らした。

「ワリぃ。あいつ、試合前で元からのクソな性格に輪をかけてクソになってやがんだ」

「そ……そう」

「けど……。女に絡んでるとことか見たことねえんだがな」

 岩泉が不思議そうに眉を寄せ、ユカは少し肩を落とした。──たぶん「天才」という言葉の先にいたのは、県大会で対戦する白鳥沢の牛島の事なのだろう。と察するも、なぜ自分と彼を重ねている風なのかユカには全く解せない。

「あ……、もしかして、牛島くんって日本代表とかに選ばれたことあったりする?」

「は……? 牛島、ってウシワカのことか?」

「え、っと、白鳥沢の……」

「ああ、ウシワカ。さあ……さすがにまだねぇんじゃねーか」

 そっか。とそこで雑談を打ち切り、勉強を再開する。何とか一通り終えて岩泉を送り出し、ユカは肩で息をした。はやく帰って少しは自分も勉強しようと思う。なにせ期末は9教科だ。さすがにいくつかは復習をしっかりやらないと心許ない。

 岩泉は元よりみっちり部活を入れているバレー部の他のレギュラーは試験対策は平気なのだろうか。それほど勉学に厳しい学校とも思えないが、集団赤点などになったら部活動はどうなるのだろう。と思いめぐらせるも、ユカにとってはあまり関係のない事であることも事実であり。

 翌日、なんとか担任に渡されていた分のプリントを終え、土日の午後はバレー部はオフにしたのか何度か岩泉から質問の電話がかかってきて答え、一応は自分に課せられた役目は果たし終えた。

 そうして週明けの三日間のテスト期間を終え、岩泉にどうだったか声をかければやや青い顔をしながら「まぁまぁかな」と力なく答えていた。

 

「岩泉ー! 新人戦っていつやんの?」

「今週末、ホットアリーナでだ」

「マジか。遠くない?」

「まー、市内の方が楽っちゃ楽だったけどな」

「じゃあ決勝! 決勝はぜったい見に行くよ!」

「及川君の初キャプテンっぷりも超見たいしね!」

「及川君に私ら応援行くって伝えといてよね!」

 

 そうして女子から質問攻めされて答える彼を横目に見つつユカは感じた。今さらながら、「及川徹の幼なじみ」というポジションにいる以上、彼の気苦労が今の会話の中に見えた気がして同情心のようなものが少しだけ芽生えてしまった。

 バレー部は北川第一中学校きっての期待の星だ。土日の試合。しかも試験開けのストレスから解放された直後となれば、部員以外にも多数の生徒が応援に駆けつけるだろう。

 及川は、主将として初めて臨む大会。勝負である以上は毎回100%勝つという事は不可能であるし、そこは仕方のない世界なのだろうが。それでも、初キャプテンは気合いが入るだろうな。と、夏の終わりに「1」の背番号を付けて遅くまでサーブ練習に明け暮れていた及川の後ろ姿を思い出してユカは少し肩を竦めた。試験前の及川はどうやらピリピリしていたようだが、やはり出来る限り頑張って欲しいと思う。

 とはいえ。ユカはむろんバレー部の行方に心を割いている暇はなく、今度の土日に至っては上京の予定が入っている。そのまま慌ただしく残りの日々を過ごし、「バレー部の新人戦があった」という事実を思い出したのは試合明けの月曜日の朝のニュースでの出来事だった。

 

「宮城県中学新人バレーボール大会は大本命である白鳥沢学園の優勝で幕を下ろしました。主将の牛島若利選手を中心とした攻撃力の高いチームとして知られる白鳥沢は、決勝相手の北川第一中学校を全く寄せ付けず──」

 

 ローカルニュースで、画面には白鳥沢の牛島と思しき選手のスパイクシーンが映し出されていた。

 ──そっか。負けちゃったのか。とユカの脳裏にチラッと及川の後ろ姿が過ぎった。

 夏、白鳥沢に負けて彼は少し荒れているように見えた。今回は主将として臨んだ大会で、きっと優勝を狙っていたはずだ。もしかして夏以上にダメージを受けているのだろうか? それとも、新人戦は全国へ続くわけではないゆえにそこまででもないのか。

 バレーに関してだけは、彼のひたむき具合を良く知っている分、これ以上がむしゃらに突っ走らないといいのだけれど。などと思いつつ登校する。

 すれば、バレー部の勝敗は結構なニュースとなっていたのかちらちらと通り過ぎる生徒達からバレー部の話をしているのが聞こえた。「及川先輩残念だったよねー」「ねー」。そんな会話が主だ。

 それからユカが「違和感」に気づくまでそう時間はかからなかった。

 時おり、廊下や校庭で及川を見かける。そういう時はたいてい、彼は笑顔だった。その笑顔をいつも「作り物みたいだ」と感じていたのは事実だ。しかし体育館外で見る彼はいつも笑っていた。

 だというのに、新人戦以降、ユカは一度も彼の笑っている姿を見ていない。はじめのうちは気に留めていなかったが、はっきりと気づいたのは冬休みに入る直前に女生徒に囲まれてすら笑みを見せなかった様子を見かけてからだ。

「及川くん……」

 意識しなくとも及川の姿や声はそれなりに目に付く。なのに、ぱったりとそれが止むと違和感しか残らない。

 とはいえ、ユカには何もできることはなく──。ユカはその日の美術室で一人、スケッチブックを広げていた。他の部員は顔見せ程度で既に帰ってしまっている。あまり熱心でない部員ばかり抱えているのは悲しくもあり、自由に美術室を使えて快適でもあり。

 ユカはパラパラとスケッチブックを捲った。──自分は元来、あまり人物画というのに興味を抱いたことがない。だからだろうか? 「正確に出来ればいい」と思っているスケッチは、人物に至っては「機械のようだ」と揶揄される事があった。まるで、体育館外で見かける及川の笑顔のような、だ。

 しかしながら、今日の及川は──、とユカは自身のスケッチブックを見据えながらやや顔をしかめた。例え機械のようでも、笑みを作る余裕すら失ってしまったということだろうか。と、小さく息を吐きつつ、パタン、とスケッチブックを閉じた。

 長時間練習を続けることの弊害がどれほど身体に出るかは分からないが。自分だって腱鞘炎や指の怪我には気を遣っている。ただ、それでも、身体への負荷など気にも留めずひたすら描き抜くこともある。例えば狙っていた賞に漏れたときなど、だ。

 だから。及川の気持ちも少しは分かる。──と、帰宅時に明かりの付いた体育館を見やってユカはキュッと唇を閉じた。

 通り過ぎれば良かったのに、ユカは足を体育館に向けた。さすがに真冬。体育館の扉は閉じている。一定の打撃音とシューズが床を擦る音がドアの先から聞こえてくる。中に誰がいるんだろう? とは今さら思わない。今日も及川が残ってサーブ練習をしているのだろう。

 ふる、とユカは肩を震わせた。さすがに寒い。帰ろう。ここにいても自分に出来ることはない。と踵を返してハッとした。

「岩泉くん……」

「栗原……」

 いったん体育館から離れてまた戻ってきたのか、振り返った先には岩泉がこちらに歩いてくる姿が映ったのだ。

「及川に用事か?」

「え? あ……その、そういうわけじゃないんだけど。その……」

 ユカは目を少し伏せた。その先に白いものが落ちていく様子が映った。伏せた先で目を見開く。雪だろう。

「及川くん、最近、様子が変じゃないかな……って思って」

「まあ、ヘラヘラできねえ程度には凹んでんだろうな。白鳥沢には連戦連敗だ」

 ユカは返事に詰まる。岩泉も口をへの字に曲げ、そうして話を逸らすように空を見上げて「降ってきたな」と呟いた。

「お前、傘持ってきたか?」

「え……。ううん」

「なら、これ使え」

 すると岩泉は鞄の中からゴソゴソと折り畳み傘を出して差し出してきた。

「え? いいよ、雪だし、平気」

「いいから使っとけ。今日はあのバカの回収に手こずりそうで送って行けそうにねえからな」

「でも──」

「部室に置き傘あんだろうし、あんま酷けりゃ親に来てもらうから心配すんな。帰り道、なんかあったらすぐ電話しろよ」

「う……うん。じゃあ、ありがとう」

「おう」

「また明日ね」

 半ば押しつけられるようにしてユカは傘を受け取り、岩泉に背を向けた。帰れ、と暗に言われているのだと察したためだ。元々及川に会って帰るつもりは少しもなかったが、岩泉なりに今は顔を合わせない方がいいと感じての行動だったのかもしれない。

 

 岩泉はそんなユカの背を見送って、ため息を吐きつつ体育館に入った。

 コートの半分にはいっそ無惨なほど無数のボールが散らばっており、その反対側にいた及川はまるで自分がコートに現れたことなど気づいていないといった様子でサーブを放った。

 そうして岩泉は3本ほどサーブを見送り、はぁ、とため息を吐いた。

「おいコラ、及川──」

「なんで勝てないんだ……?」

 声をかけると同時に、及川は強くボールを握りしめて唸るように呟いた。

「なんで勝てない──ッ!?」

 岩泉は眉を寄せた。何度も聞いた台詞だった。──白鳥沢学園は、牛島若利は、及川にとって初めての壁であると言える。

 及川は小さい頃から体格にもセンスにも恵まれていた。実際、彼に敵う人間はそうそういないし、いなかった。及川も自分自身で理解していただろう。自分は強いし、強くなれる、と。けれども彼の思いはまるで幻想であると突きつけるかのように牛島が及川の前に立ちはだかった。

 ポジションの被っていない牛島にああも対抗心を燃やすのは、個人として負けていると実感しているからだろう。事実、及川は今すぐ牛島と同じウィングスパイカーにコンバートしたとしてもやはり優秀な選手だろうと断言できる。が、圧倒的なスパイク力を持つ牛島に勝るかと言えば、答えはノーだ。

 秀でている、と自覚があるから苦しむのだろうか? 自分ははっきりと、個人としても同じポジションとしても牛島に負けている、という事実を認めているし、それを踏まえて、北川第一が負けているとは認めていないというのに。

「次、勝てばいいだろうが」

「次ったって、白鳥沢とやれるチャンスはあと2回。全国のかかった中総体は来年の夏、たった一回しかない……!」

「つったって、次は勝とうと思う以外に出来ることはねーべや……!」

「だから、そのためにやってんだよ俺は! 俺がサービスエースで25点取れば、それで勝ちだよ!」

 言って及川はそのまま持っていたボールを空に投げ上げた。

 あと30分以上続くようなら、さすがに止めるか。と、岩泉は大きくため息を吐いた。

 

 二学期が終わり、冬休みが開けても及川の様子に変化は見られなかった。

 ユカの目に「機械的」と映っていようとも及川が常に笑みを浮かべて明るい様子だったことは、きっと親しみやすさにも通じていたのだろう。

 女生徒も話しかけにくいのか、ここ最近は女生徒に囲まれている様子さえ見ない。

 けれども及川の人気が落ちたかというとそういうわけでなく、美術部内ですら「アンニュイな及川先輩も素敵」等々の声が流れていて、ユカとしてはいっそ感心もしたが。

 それでも、あのままで大丈夫なのか、というのは気がかりでもあった。もし、白鳥沢に一度でも勝てば笑みも戻るのだろうか?

 ぜったいに勝てない相手がいる。というのは多かれ少なかれ誰しも持っているものだろう。及川の気持ちが分からないわけではないが、はやく立て直せると良いのだが──。

 

 という思いとは裏腹に、北川第一男子バレー部は今年度最後となる県春季選抜大会にてまたも白鳥沢学園に敗北を記した。

 

 そして4月──。

 及川にとって、自分の人生に大きな影響を及ぼす人間に出会うことになるなど、この時はまだ誰も知るよしもなかった。

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