天才がゲシュタルト崩壊!! by及川   作:こうやあおい

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31話:及川徹の後輩の影

 秋の大きなイベントは、文化部にとっては文化祭──。

 と言いたいところであるが、生憎と青葉城西は今年は体育祭の年である。

 

 11月3日の文化の日に行われた体育祭の目玉の一つは、三年引退後に新メンバーへと移行した部活紹介であった。それは春高県予選以降に新チームに移行した男子バレー部もむろん例外ではなく。

 及川が競技に出場するだけで女生徒からの歓声を集めるなどもはや恒例行事だったが、男女混合で行われたバレー部の紹介はその比ではなかった。

 

 そのすさまじさを改めてユカが実感したのは週明けの月曜日だ。

 体育祭翌日の金曜日は振り替え休日で、週末はそのまま東京にフランス語の試験を受けに行っていたユカはいまいちな手応えに失望しつつ気持ちが晴れないまま登校した。

「おはよ、栗原さん」

「おはよう、花巻くん」

 後ろの席の花巻と挨拶を交わしつつ席に座る。いつもなら大抵はスイーツを頬張っている花巻が今日はなにも食べていないのは月曜日だからに他ならない。男子バレー部は朝練も含め月曜は完全オフだからだ。栄養補給する理由がないのだろう。

 そのまま一、二限目を終えての中休み。ユカが次の授業の用意をしてるとクラスの女子が数人ほどそばにやってきた。

 何だろうと目線をあげ追えば、彼女たちは花巻の席を取り囲むようにして立ち、彼を見下ろしている。

「花巻、ちょっと聞きたいんだけど」

「なに?」

「及川君と女子バレー部の主将ってもしかして付き合ってたりする!?」

 え、と思わず手に持っていた教科書を落としそうになってユカは慌てて堪えた。反射的に後ろを向けば、目に映るのは取り囲まれていてさえ普段通りの花巻の淡々とした表情だ。

「さあ……、違うんじゃないの」

「でも仲良くない?」

「そりゃ女バレだから仲はいいデショ普通に」

 花巻の淡々とした声が漏れてきて、女生徒達は腑に落ちないといった声を漏らしていたが最終的には「そっか」「分かった」等々を口にして自分たちの席に戻っていった。

 ふ、と肩を落としたらしき花巻の小さなため息が漏れ、うっかり振り返ると目が合ってユカの胸がドクッと脈打った。対する花巻は、やれやれ、と言いたげに肩を竦めている。

「同じ質問、体育祭が終わったあとに別の女子にも聞かれたんだよね」

 どうやら少し愚痴りたいのだと理解して、ユカは「そうなんだ」と相づちを打った。

「及川が主将になって、何かと女バレの主将と話すことが増えてさ。主将会議とかで。そのせいで女バレの主将からも女子から絡まれて鬱陶しいって苦情がくるしアイツも災難だと思うわ」

「そ、そう……」

 ユカは無意識のうちに持っていた教科書を強く握りしめていた。

 男子バレー部と女子バレー部の関係はまったく知らないが、確かに体育祭では部員全体が仲良さそうにバレー部を紹介していたのは事実だ。

 男子バレー部の練習を見に行ったことはないが、もしかしたら一緒に練習することもあるのかもしれない。

 が──。主将同士というだけでさっそく余計な注目をされるとは。北川第一時代から分かっていたことであるが、学校関係者の近くで及川と親しく話すのはやっぱり難しいことなのかもしれない。と、重い息を吐いた。

 

 一方の及川は──。

 主将も二度目となれば既に板についており、部を仕切ること自体には何の苦も感じていなかった。

 そもそも北川第一よりは規模の小さい部であるし。ていうか北川第一のほうがよほど大変だった。部長は初めてだったし、いけ好かない一年は入ってくるし。と脳裏にうっかり影山の神懸かり的なトスが過ぎって、そしていま自分があげたトスの軌道が脳裏の影山のトス軌道とズレて、チッ、と舌打ちをした。

「及川、もうちょい上頼む」

「ほーい」

 打った松川に言われて返事をしつつ、思う。──影山のトス技術は完璧に近い。けれどもその影山の技術に大抵のスパイカーは付いていけない。影山の望むような攻撃には繋げられないだろう。──ナショナル、あるいは世界に出れば話は違うかもしれないが。あいにくと彼がいるのは日本の宮城県の中学の部活だ。

 セッターに必要なのはスパイカーの最高の攻撃力を引き出すこと。岩泉なら岩泉の、花巻ななら花巻の、もっとも打ちやすいトスをあげる。その見極めが影山には出来ていないからこそ、あの結果に繋がったのだ。──と及川は夏に観たあの「最悪の試合」を思い返して舌打ちをした。

 ──バカだね、飛雄。

 脳裏に浮かんだ彼の項垂れた姿に何度も投げかけた一方で、自分ならば影山の望むように打ってやれるのでは、とも何度も過ぎらせては掻き消してきた。

 影山は天才だ。そして歳の近い彼が頭角を現せばいずれは自分の脅威になる。だからこのまま潰れてくれればそれが一番いい。

 いっそバレーを辞めてくれれば。──そうドロドロと胸中を巡る感情が渦巻いているのに。ああイヤだ、と思う。

 あの指先から放たれるトスはいつだって美しくて、腹が立つほどに目が離せない。真っ直ぐな瞳がいつだって自分を見据えてきて、こっちは天才になんて太刀打ちできないと分かっているのに、なのに真っ直ぐにいつだって自分を追いかけてきて呼ぶのだ。及川さん、と。

 どうせいつか追い抜いて、あっという間に自分の事なんて忘れてしまうだろうに。

「──川、及川」

 一通り今日の練習メニューをこなし、終了時間になって終了を宣言して汗でタオルを拭っていると、ふと声をかけられて及川はハッとした。

 すれば眼前には監督がいて、及川はいつも通り人懐っこい笑みを浮かべてみせる。

「すみませーん、ちょっと考え事しちゃってて」

 監督は挨拶後にはたいていすぐ体育館を出てしまうが、残ったということは話があるのだろう。

 部員達も察したのか次々と「お疲れっしたー」と出ていって、あっという間に2人だけのシンと静まった空間が出来上がった。

「来年入ってくるだろう新一年生についてなんだが……。例年通り北川第一の生徒もウチに来るだろうな」

「ああ、そうですね。レギュラーが全員来るかは分かりませんけど……」

「うむ。いまウチには長身のセンターがいない。そこで金田一勇太郎君には推薦を出そうと思っているんだが」

「へえ、いいんじゃないですか。素直なイイコですよ、彼」

 瞬間的に、及川は監督が今冬に推薦という形で青葉城西に誘う生徒の情報を直属の先輩かつ主将であった自分に聞きたいのだと理解して笑った。

 ──とはいえ、あの世代と接したのは数ヶ月であるし詳しい人となりは知らないが、それでも直属の後輩だ。悪く言うはずもない。

 もしかして自分の時も彼は自分の北川第一の先輩にこうして質問していたのだろうか。だとしたら先輩達はどう答えたのだろうと思考を巡らせてちょっとだけ面白く感じていると「それと」と監督が切り出した。

「溝口コーチとも話し合ったんだが、もう一人……。影山飛雄君を是が非にでもウチに欲しいと考えている」

 瞬間、ドクッ、と及川の心音が嫌な音を立てたが、それでも及川は何とか笑みを作った。

「飛雄を……ですか」

「うむ。彼のセットアップ技術は中学生にしてほぼ完成していると言っていいだろう。総合的な力も申し分ない」

「トスは昔から上手かったですケド……。先生、観ました? 中総体の県予選」

 うむ、と監督は頷いて渋い顔をした。おそらく彼も、あの決勝を観たのだろう。

「飛雄と金田一をまた同じチームにして……上手くいくかは俺には分からないですよ」

 答えつつ、グ、と及川はタオルを握りしめた。

 来春になれば新一年生が入ってくるのは避けられない事で、その中に北川第一時代の後輩も含まれているなど今さらだ。その中の一人が影山である可能性は割合としては大きいはずで、監督が影山に興味を示したとしても驚くことではない。と、必死に自分に言い聞かせて笑みを保つ。

「金田一君はおそらくセンターでは即戦力になるだろう。そうなればトスをあげるのはお前だ。心配いらんだろう」

 すれば監督がさも当然のように言って、及川は少し目を見開いた後に心底ホッとした。そして、心底ホッとしている自分に呆れてしまう。仮に影山がセッターとして入部してきたとしても、主将の自分が正セッターの座を追われるなんてあり得ないのに。よしんば、1000%ありえないが、よしんば影山が自分の実力を上回っていたとしても、この監督はそういうタイプだ。が……やはり自分の中で練習試合とはいえ影山とセッター交代させられた記憶は苦く残っているらしい。

「が、影山も即戦力にはなる。矢巾には悪いが……、矢巾のセッターとしての能力は影山には到底勝てまい」

「それは……まあ。矢巾にはカワイソウですけど、飛雄は才能だけはありますからネ」

 及川はどこか人ごとのように言った。影山が入部すれば、自分の後釜は矢巾ではなく影山という事だろうか。──当然だな、と無慈悲なほど及川は即座に納得した。

 自分に降りかかれば恐ろしく無慈悲な出来事だと思うだろうが、外から見ている分には実力主義の世界として当然だと思える程度にはしっかりスポーツのなんたるかはインプットされていて。

 本当、心底厄介なのは自分という人間の性格だと改めて感じてしまう。

「中総体の県予選で、影山はスパイカーに無茶なセットアップを繰り出していた。それが決勝では残念な結果に繋がったのは百も承知だ。が……及川、お前であればあのトスを打てるんじゃないかと思ってな」

「え……、俺がですか? 打てるんじゃないですかー? 俺だったらそもそもあんなナメたトス出させませんからネ」

 及川はあえてヘラッといつものように軽く言った。が、これが失敗だったのか監督は何か確信したように「うむ」と頷いた。

「そこだ。お前なら影山をうまく使ってやれるだろう。もし影山がうちに来れば、北一の時と同様、主将としてセッターとして目をかけてやって欲しい」

「──は? ちょ、ちょっと待ってくださいよ先生。俺が飛雄に……って、俺が3年の時は飛雄は部に入ったばかりで、馴染む間もなく俺は引退したし、面識はありますけど仲がイイわけじゃないですよ」

「中学ではそうだったかもしれんが、高校だとお前は秋まで残るだろう?」

「ですけど……」

「影山が入れば、お前は打てる機会が増える。白鳥沢に対抗する手段が増えるということだ」

「それは──」

「2年前の白鳥沢と北川第一の試合は今でもよく覚えている。2-1の接戦だった。北川第一が初めて白鳥沢を追いつめた試合と言ってもいいだろう。あの時、もし北川第一にもう一枚強力なスパイカーがいれば……勝てた可能性はグッと上がっていたはずだ」

 言われて、グッ、と及川は言葉に詰まった。

 監督は影山を即戦力のレギュラーとして迎え入れたいつもりらしい。そして、彼は自分の高校生活最後の公式戦となるだろう春高の事までも見越している。しかも──。

「それは……まさか飛雄をセッターにして俺にウィングスパイカーになれって事ですか?」

 及川は解釈したままに、あえてニコッと笑って感情を目一杯抑えて明るく言った。

 うーむ、と監督は顎を撫でる。

「及川、お前の長所は総合力だ。サーブもスパイクも申し分ない。見たところ影山もそのタイプのようだ……。ブロック、スパイクモーション。どれを見てもお前にとても似ている」

「でしょうネ。あれでも可愛い可愛い俺の後輩ですから」

「及川……俺は現時点でお前が影山に劣っているとは思わない。正セッターとしてお前を変えるつもりもない。だが……影山が入れば攻撃のパターンが何倍にも跳ね上がる。それは影山が攻撃力も備えたセッターだからだ」

 お前と同じな、と念を押されて及川は少し目線をそらせた。

「いずれにせよ……お前次第だ。お前と合わなければ影山は使わない。が……お前が3年になる来年が一番のチャンスだ。かつて北川第一が白鳥沢に肉薄したように、白鳥沢を抑えて全国へ行くためのな。全国へ行く……というのはお前にとっても将来がかかっていると言っていい」

 及川は返事に窮した。監督はおそらく自分が抱えている畏怖──自分の立場が影山にすげ替えられる──も見抜いて不安材料を取り除いた言い方をしてくれている。

 笑って「そうですね」と言えばいいのだろうか。そうだ。それが無難のはずだ。と精一杯笑みを浮かべて及川は「そうですね」と答えた。

 監督も満足したのか一度深く頷いた。

「まあ、まずは影山がウチに来てくれんことには話にならんがね」

 言って監督は及川に背を向け、ふ、と及川は肩の力を抜いて近くの壁にもたれ掛かった。

 

『及川さんいるなら、俺も青城考えます』

 

 何度も何度も考えた。

 影山が青葉城西に入ってきたら、自分はまた北川第一時代を繰り返してしまうのだろうか、と。

 あの才能が怖くて、はね除けるだけだった日々。一度もあの真っ直ぐな瞳に向き合えずひたすら避けていた、彼にとっては嫌な先輩だっただろう自分。

 

『ウシワカだろうが天才一年だろうが、6人で強い方が強いんだろうが、このボゲが!!』

 

 影山は自分にとっては「敵」で、牛島と同じようにコートの反対側にいる叩き潰したい相手に他ならない。

 でも──もしも違ったら?

 

『バレーはコートに6人だべや!?』

 

 もしも影山が「仲間」だったら。

 腹の立つことにアタックも上手い影山の事だ。自分のトスで完璧なスパイクを決めてしまうだろう。

 そして自分が後衛にいたら。きっと影山は絶妙のタイミングで完璧なトスを上げてくれて、気持ちいいスパイクが決められる気がする。

 そしたら「ナイストス、飛雄!」とか声をかけたりしてハイタッチしたりするのだろうか。──と一瞬、12歳の頃の影山が嬉しそうに自分のハイタッチを受ける姿が過ぎって及川の全身に鳥肌が立った。

「ギャーキモイ!! なに考えてんの俺、気持ち悪い!! 無理!!」

 思い切り体育館にこだまする声で叫びつつ頭を掻きむしる。

 余計なこと考えてないでさっさと今日のサーブ練習をやろうと立ち上がり、ボール籠を抱えて、ふぅ、とため息を吐いた。

 一定のリズムで打っているといつものペースが戻ってきて、だいぶん気持ちも落ち着いてくる。

 ──先輩と後輩。

 もしも影山が本当に自分のあとを追ってきたら。そうしたら今度は上手くやれるだろうか。北川第一の時にはやれなかった事を……と無意識に考えつつ肩で息をする。

 いや、やはり無理かもしれない。

 自分はやはり、「天才」という存在に胸中を乱されるし、今でも思い出すだけで天から与えられた指を持つ影山が羨ましくて仕方ない。けれども。

 もしも、何かが変われば──と及川の思考は乱れていく息で徐々に消されていった。

 

『飛雄が俺の後輩であることと飛雄が俺の敵だってことは俺の中で矛盾なく成立してるからいいの!』

 

 あの「最悪の試合」を観たあと、ユカに無茶苦茶な事を言い放った自分の言葉が遠くで響いていた。

 

『飛雄は単に一人で何とかしようとしすぎなだけだよ。あいつ……天才だから勝手に周り置き去りにしてくんだろうね。金田一たちは、後輩たちは飛雄の進む早さで歩いていけない、だってあいつ天才なんだから。けど、飛雄にはそれが理解できない』

『飛雄の方が金田一たちに合わせなきゃなんないんだよ。そもそもそれがセッターの仕事なんだし。まったくおバカな方向に突っ走っちゃってサ、あんなヤツを脅威に思ってた自分がバカらしくなってくるよまったく』

『けど……! トス無視は、胸が悪い。どんな理由があっても、だよ』

 

 ユカはやや呆れ気味に、影山に直接言えばいいのに、と言った。

 もしも影山がまた自分の元に来れば……今度は上手く伝えられるのだろうか?

 「良い先輩」とやらになれるのだろうか。

 

『あんなイヤな試合だって二度とさせないよ』

 

 今度は──、今度こそは。

 そんな答えのでない葛藤を続けながらも新チームの組み立てや日々の勉強に追われる及川はそのことだけを考えている余裕など到底ない日々を送った。

 

 そうして月末が近づいてくれば例年通りの例のイベントがやってくる。

 そう、期末試験かつそれに伴う試験前の部活禁止期間である。

 

「あのさー、一つ文句言っていい?」

「黙れクソ及川」

「まだ何も言ってないじゃん!!」

 

 11月最終月曜日。

 中学の頃からのお約束となっている及川、岩泉、ユカによる勉強会は今回からは3人のそれぞれの家の中間地点である岩泉の家でやる事が決まり、ダイニングテーブルで教科書類を広げているわけであるが。

 及川が定期的に愚痴をこぼしては岩泉にどやされるという様式美も例年通り繰り返されていた。

 

「バレー部のオフって月曜だけだしー、試験前って貴重な時間なのにさー」

「ウルセー」

「毎週デートしてるわけじゃないしー、二人っきりのラブラブお勉強会でもよかったのにさー、よりによってなんで岩ちゃん家で──」

「うるっせえつってんだろが!」

 

 バン、と強烈な音と共に岩泉の放った分厚い歴史の教科書が及川の顔面にクリーンヒットして及川は悶絶した。

 隣でユカはもはや苦笑いを浮かべるしか術はない。

「ウチに来てもらっても良かったんだけど……」

「俺んちに来ればいいじゃん! 岩ちゃん抜きで!」

「おめーが帰れや!! つーかオマケはお前だっつーこと忘れんな!」

「──ッた!」

 岩泉は駄目押しとばかりに公民の教科書さえ及川に投げつけ……いったい彼らはこの手のやりとりを何年続けてきたのか。17時を過ぎて仕事から帰宅したらしき岩泉の母親が及川を見てさも当然のように「あら徹君いらっしゃい」と笑顔で言っていたため、少なくともこの空間に及川が居ることは岩泉家にとっては普通のことなのだろう。

 そんな2人に混ざる奇妙さも既に慣れたもので、ユカは中学の時と変わらない姿勢で岩泉に重点的に理数英を教えていった。

 勉強に関してもある程度は要領のいい及川と違い、岩泉は真面目ではあるものの成績の伸びはいまいち良くない。赤点となれば部活停止処分等々の恐れがあるため彼も必死なわけであるが、高校になって難易度は年々上がっているという。

 大学受験に向けておおよその生徒が授業に付いていこうと学習塾に通う等々の時間を部活にアテているのだから致し方ないといえばそうなのだろうが。

 岩泉は大学受験はどうするのだろうか。と、そんなことも過ぎらせつつそろそろ夕食の時間という頃合いでユカたちは岩泉の家から引き揚げることにした。

「おじゃましました」

「じゃーね岩ちゃん、また明日」

「おう。じゃあな」

 挨拶をして岩泉の家を出れば、既に外は真っ暗だ。肌寒い冬の風が不意に襲って、ブル、とユカは唇を震わせた。

「さむ……!」

 言って巻いていたマフラーに口元を避難させるようにして埋める。

「もう12月だもんねー」

 及川が軽く笑いながら手を繋いできて、ユカも自然とその手を繋ぎ返した。及川の家とユカの家は岩泉の家を挟んでほぼ正反対であるためすぐに分かれ道が来たが、及川は家まで送っていくと言ってユカも素直に受け入れた。

「光のページェントって今週末からだっけ? 今年も行っちゃう?」

 何気なく及川がそんな事を言って、ああ、とユカも去年の事を思い出した。去年は──そうだ。クリスマスにサンタに扮した及川が突然プレゼントを持って現れて、成り行きで一緒に出かけることになったのだ。

「あれからもう一年か……」

「早いよね。ほんとあっという間」

「及川くんにマグカップもらった時はびっくりしちゃったけど、あのカップすっごくお気に入りなの。あれから毎日、コーヒーを飲むときはあのカップ使ってる」

「ホント? 俺ってば愛されてるね!」

 すれば及川はいつもの調子でニコッと笑ってピースをし、ユカは一瞬固まったものの取りあえず頷いた。気に入って使っているのは本当だし、まあいいか、と同じく笑みを浮かべていると及川はなお言った。

「俺、去年はあれをペアで買うかすっごく迷ったんだよね。ま、結果的に俺もバラで買ったからペアといえばペアだけど。今年は最初からお揃いでなんか買う?」

「え……?」

「クリスマスじゃーん。どっか行きたいところとかある?」

「え……。で、でも、及川くん部活なんじゃ」

「部活だけど夜は空いてますぅ。だいたい週末だよ今年のクリスマス。部活早く終わるって」

「──あッ!」

 週末、という単語にピンと来て、ユカは思わず足を止めた。

 「え、なに?」と及川がきょとんとして聞き返してくる。

「あの……、確か、連休なんだよね今年のクリスマス。ちょっと前に12月の連休は温泉でも旅行に行こうかってお父さんが言ってたの。だから……」

「えッ──!?」

 記憶を手繰り寄せつつ言ってみると、ピシ、と及川が凍り付いた。

「……じゃあ大晦日は……」

「……えっと……東京に帰ってると思う……」

「デスヨネ」

 少しだけ沈黙が続いて、ユカはさすがに申し訳なさがこみ上げてきた。いまは部活停止期間であるし、試験が終われば及川は来月に控えている新人戦に向けての練習でオフを返上してバレーにかかり切りだろう。なにせ初めて青葉城西の主将として臨む大会だし──と過ぎらせてユカの脳裏に苦い思い出が過ぎった。

 3年前の冬のことだ。及川は同じように北川第一の主将として初めての試合に臨んだ。そこで白鳥沢に負けてからの数ヶ月間、いっさい笑みを見せることがなくなったのだ。

 あの時は牛島の事や、直後に入学してきた影山のことなど色々あって及川も追いつめられていたのだろう。が、自分はそこまで及川と深く関わっていたわけではないし、何より岩泉が極力自分を及川に近づけないようにしていてなかなか会うことすら叶わなかったため、詳しい事情は知らない。

「ユカちゃん……?」

 及川だってもう3年前の及川と同じではないはずだし、過去の繰り返しになどなるわけがないが──と思案していると及川が慌てたような声を漏らした。

「ゴメン、家族旅行ならしょうがないって。俺ぜんぜん気にしてないから!」

 及川は自分が責めるように言ってしまったと誤解したのだろう。

 ううん、とユカは首を振るった。

「まだ旅行が決まったかどうかは分からないし……。その、私も会いたい、から」

 そうしてギュッと握った手に力を入れると、及川は少しだけ目を見開いてから小さく笑った。

「うん。一分でも会えるなら会いに行くし、会えないなら電話する」

「──うん」

 空いていた及川のもう片方の手がユカのマフラーに触れて、ユカは瞳を閉じた。露わになった唇に及川の唇が触れた感触が伝い……温かい、と胸が熱くなる。

 

 このまま何ごともないといいのに──。

 

 そんな思いとは裏腹に、試験明けの及川は朝から晩までバレー一色の日々を過ごした。

 及川が主将に就任して以降、部活見学に来る女生徒がますます増え、終いには地元テレビ局が大会直前の取材にまでやってきて騒がしさと華やかさが何倍にも増した。

 が、及川自身は新人戦は新チームの腕試しと割り切ってもいた。

 むろん優勝は狙っているが、優勝したところで新人戦は県大会止まりである。

 ──先を目指すならば全国に行かなければ意味がない。

 そんな思いと、ただひたすら白鳥沢を凹ませて潰したいという思いとの間でせめぎ合っていた。

 

『白鳥沢に、牛島くんに勝ったら……そのあと及川くんはどうするの?』

 

 白鳥沢を倒したあと──そんなこと長らく考えていなかった気がする。

 昔は考えていたのだ。白鳥沢とか牛島とかそんなの関係なく、「全国へ行きたい」「もっと大きな舞台へ」そう思っていた。

 でも──。

 

『俺が俺がってうるっせええ!!!』

『一対一でウシワカに勝てるヤツなんかうちにはいねえよ! けど、バレーはコートに6人だべや!?』

 

 あの時から、岩泉や仲間と共に「個」では到底叶わない「天才」を撃破することが第一目標に切り替わった気がする。

 チームなら、岩泉と一緒ならどんな「個」が相手でも勝てると。どう足掻いても牛島や影山といった天賦の才には勝てないと絶望していた自分が拾い上げた希望の光。それこそが真実だと、証明してみせたかった。

 そして言ってやるんだ。「どんなに上手くても、一人じゃ勝てないんだよ」と。

 だから──。

 

『もし牛島くんと同じチームだったら及川くんももっと強くなれるんじゃないかな』

『影山が入れば攻撃のパターンが何倍にも跳ね上がる』

 

 もっと大きな舞台へ──。それが叶った究極の先で、牛島と同じユニフォームを着ている自分など想像したことすらなかった。

 まして、影山と同じコートに立つなんて考えることさえ拒否していたように思う。だって、アイツは「敵」。後輩であっても、それは変わらない。

 でも。もしも再び影山が自分の後ろに現れたら……、今度は良い先輩でいられるのだろうか。

 やり直せるのだろうか……。今度は真っ直ぐ彼と向き合って、逃げずにあの真っ直ぐな視線を受け止められるのか。

 

 今度は──、今度こそは……。

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