天才がゲシュタルト崩壊!! by及川   作:こうやあおい

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38話:及川徹はやや弱気

 金田一と国見が露骨に顔を強ばらせたのが伝った。

 その横で及川は鼻歌でも歌いださんばかりに上機嫌で、ニ、と口の端を上げた。

 花巻と松川は顔を見合わせて解せないという顔をしている。岩泉に至っては直球で「なんで?」と呟く始末だ。

 

「明日、先方の顧問が改めて訪ねてくるということで……まだ仮決まりの段階だが、全員そのつもりでいるように」

 

 4月の第二金曜。練習開始前の挨拶を監督はそんな言葉で締めた。

「ハァイ、みんな。じゃあ練習始めるよー!」

 及川は上機嫌で手を叩いて部員全員の顔を見渡し、笑った。

 ──来週の火曜、烏野高校と練習試合を行う。

 監督はそう言ったのだ。金田一と国見が顔を強ばらせたのは、烏野にかつてのチームメイトである影山がいると知っているからだろう。そして岩泉は影山が烏野にいることを知らない。ゆえに花巻達と同様に「なぜ大して強くも付き合いもない烏野と急に練習試合を?」という純粋な疑問を抱いたに違いない。

 そして──、と及川はボール籠をコートに移動させつつスパイカーを呼び寄せて攻撃練習を始めながら、内心自分の望みが通ったことを確信していた。おそらく監督は影山を正セッターで出すならばという条件付きで練習試合を受けるのだろう。やや無茶な要求であるが、そこは強豪校の強みでもある。

「なにニヤニヤしてんだ及川、気持ち悪ぃ」

「酷いなイケメンに向かって!」

「俺の目にお前がイケメンに映ったことは生まれてこの方一度もねえけどな」

「カワイソウ岩ちゃん、美的感覚がおかしいんだね──あいたッ!」

 岩泉にトスを出したあとのそんなやりとりを経て頭にボールをぶつけられ、大げさに痛いと抗議しつつ及川は思った。

 ニヤニヤなんて冗談ではない。むしろ気合いが入りいすぎるのを抑えるのに苦労しているほどだ、と。

 そうしてブロック練習のために、サブのセッターである矢巾を呼んで及川はセンター陣と共にコートに立った。

 矢巾側は攻撃、及川側はブロックという練習だったが──開始して10分ほど経った頃。コート脇でボール拾いをしていたらしき一年から悲鳴が上がった。

「危な──ッ!」

 え──と悲鳴が聞こえたとき、及川はブロックに跳んでおり空中にいた。一瞬意識がそれ、岩泉の放ったスパイクを掌で弾いて空中で体勢が崩れる。

「及川ッ!」

「及川さんッ!」

 ボールがコートに転がり入ったのだ、と気づいたのは着地と同時に足下に転がってきたボールと接触してズルッと床に腰から落ちたあとだった。

 ゴン、という鈍い音が体育館に響き──瞬間的に及川は受け身を取ったものの身体を打ち付けた痛みが走って、う、と顔をしかめた。

「及川!」

「及川、おい、大丈夫か!?」

 ギャラリーから女の子の悲鳴が飛んだのが聞こえた。こんな時ばかりはさすがの岩泉も心配げな声を出し、手を差し伸べてくれた彼の手を及川は何とか掴んだ。

「てて……。ありがと、岩ちゃん」

「なにやってんだよ……。おい一年! 気ぃつけろアブねえだろうが!」

「す、すみません!」

 どうにか立ち上がった及川を、ハァ、とため息を吐いた岩泉が見上げてくる。

「大丈夫か?」

「うん。転んだだけだしヘーキヘー……ッた!」

 安心させるように笑って足を踏み出してみた及川だったが、ピシ、と左足をついた瞬間に痛みが走って顔をしかめ、思わず座り込んでしまう。

「及川!? ──おい、誰か救急箱! コールドスプレー持ってこい!」

「はい!」

 岩泉が叫び、監督を始め部員達が慌てたように駆け寄ってきた。

 あれよあれよという間に取り囲まれ、アイシングを受けつつ自身でも痛んだ箇所を見てみる。腫れているようには見えないし、軽い捻挫だろうと監督を見上げたものの彼は深刻そうな顔をして言った。

「取りあえず、お前は病院行って来い」

「え!? あの、先生……週明けの練習試合は……」

「医者の判断次第だろう。取りあえず診せてこい」

 監督の言い分は当然であり、及川も普段ならすぐに同意していた場面であるが。さすがに少し落ち込んで10秒ほど固まった後、力なく返事をして立ち上がった。

「一人で行けるか?」

「そんな先生……子供じゃあるまいし……」

「手助けが必要なら一人連れていくか?」

「いいです。練習させといてください。アテはありますから、友達に頼みます」

 じゃあ行ってきます、と取りあえずテーピングを施した足を引きずって体育館を出て、無言で部室棟に向かう。

 そうして部室に入って携帯を取り出すと、メールを打った。

 

 ──転んじゃった。足、捻挫しちゃったみたい。

 

 宛先はユカだ。今日は金曜で美術部の公式活動日ではないが、ユカは100%間違いなく美術室にいる。

 たぶん携帯も手元に置いているだろう、とそのままジャージから制服に着替えていると、携帯が鳴って及川は受信ボタンを押して耳に当てた。

「もしもーし」

「及川くん? 捻挫って……大丈夫?」

「ああ、うん……。大丈夫だといいんだけど、分かんないからいまから病院」

「そ、そっか。一人で行くの?」

「うん。みんな練習中だしね。けど俺、足痛いから一人で歩けないかも。ユカちゃん、もし手があいてるなら付き添ってくれない?」

「わ、分かった。すぐ行く!」

 電話が切れ、及川はそのまま着がえると部室を出て正門の方へ向かった。ユカとは正門辺りで会えるだろう、と校舎の横を歩いていると、前方から焦ったように駆けてくるユカの姿が見えた。

「及川くん……!」

「ごめんね、わざわざ来てもらっちゃって」

「ううん。あの……歩けるの? 肩とか支えた方がいい?」

 どこかオロオロした様子のユカを見て、及川はほんの少しだけ頬を緩めた。捻挫のショックで頭が真っ白だったが、ユカの顔を見て少し落ち着いたのが自分でも分かった。

「ヘーキ。テーピングしてるし、ゆっくり歩けば問題ないよ」

 するとホッとしたように息を吐いたユカと共に校門を出てバス停まで行き、及川は時間を確認した。かかりつけのスポーツ整形外科の営業時間は6時まで。どうにか着けそうだ、とやってきたバスに乗り、一番後ろの席に座った。

「金曜のこの時間にバスに乗るのって何か不思議なカンジ」

「そうだね……」

 車内は生徒がまばらで、及川はそれもそうかと納得した。帰宅部はとっくに帰宅しているし、部活に入っている生徒はまだ部活中だからだ。

 と、少し息を吐いてユカの肩にもたれ掛かるようにして体重を預ける。

「及川くん……?」

「やっちゃったよ、もう……ほんっとマヌケ」

「え……?」

「来週の火曜にさ、練習試合やることが決まったんだよね。本決まりじゃないけどたぶん確実」

「うん」

「──飛雄の高校と」

 目を伏せてぼそりと呟けば、ユカの肩が少し揺れたのがダイレクトに伝った。及川はなお目を伏せて零す。

「及川さん試合に出られないかも……」

 たぶん、こんな事を言える相手は世界でユカただ一人で。ハァ、とため息をついてユカの肩に顔を埋めるも、少し間を置けばさすがにやや気恥ずかしさが込み上げてきた。

 ユカは小さく「そっか」と相づちを打ち、及川は慰められる前に先手を打って明るい声を出してみた。

「なーんてね。飛雄にしたら命拾いだよね。入学早々俺にボコボコにされるなんて、いくら飛雄でもカワイソウだしさ」

「うん……。でも、影山くんも残念なんじゃないかな、きっと」

「そう? 飛雄はラッキーなんじゃない」

「そうかな……。影山くんだって及川くんのプレイ、見たかったんじゃないかな」

「あー……。ソウダネ」

 ユカの言葉に、及川は一瞬だけ冬至の夜に偶然会った影山の姿を浮かべた。新人戦、見てました。と言った。キラキラした目で「及川さんのサーブ、相変わらずかっけーです」などと言う彼は12歳の頃から少しも変わっていない。そう思ったのに──と無意識のうちに拳を握りしめていると、そっとその上にユカが手を重ねてきて及川はハッとしたのちに緩く笑った。

 そのままユカの肩にもたれ掛かったままバスに揺られ、仙台駅につけばほとんどの乗客が下車していく。入れ替わりのように多くの人が乗ってくるのを見て及川はユカの肩から身体を離した。

「降りないの?」

「うん。もうちょっと先」

 青葉城西の学校前を通るバスは全て仙台駅を経由しているが、その先はバラバラだ。ゆえに及川もユカもバスと地下鉄の連絡定期券を使っているわけであるが、いま乗っているバスはちょうど目的地を通るバスで二人はそのままバスに揺られた。

 そうして二つほどバス停を過ぎた辺りでバスを降り、及川はユカを連れて整形外科の入っているビルに向かった。

 小学校の頃から本格的にバレーをしている及川は常日頃から保険証を持ち歩いている。既にかかりつけの医院のスタッフとも顔なじみで、及川はいつも通りの外向けの笑みで「足捻っちゃったんですー」と軽く状況を説明しつつ診察券と保険証を出して待合室の椅子に腰を下ろした。

 しばらくして名を呼ばれ、ユカに待っててくれるよう告げて及川は診察室に入った。僅かに心拍数があがるのが自分でも分かった。きっと大したことはないと思っていても診られるというのは常に不安を煽るものだ。

 念のためとレントゲンを撮られ、目立った異常はないと告げられたものの様子見ということで数日間は部活を控えるよう言い渡された。及川は安堵する自分と、やはりどう足掻いても週明けの練習試合には出られないと落胆する自分とでせめぎ合う感覚を覚えつつ、医師に礼を言って診察室を出た。

「どうだった?」

 待合室に戻ればユカが心配そうに訊いてきて、及川は腰を下ろしつつ肩を竦める。

「軽い捻挫だって。取りあえず数日は通常練習を控えるように言われた。また火曜に来てくれってさ」

「そ、そっか……」

「やっぱ練習試合は無理だね」

 話していると受付に名を呼ばれ、会計を済ませて病院を出れば外はすっかり茜色だ。

 練習試合は残念だけど、と前置きをして地下鉄に向かう道すがらユカが励ますように微笑んだ。

「大きな怪我じゃなくてほんとに良かった」

「ま、そうだけどさ……」

「今回は影山くんと試合できないかもしれないけど、バレー続けてればそのうちぜったい試合できるよ。きっと何度でも」

「やーだよ。なんで飛雄と何度も試合しなきゃなんないのさ」

「なんで……、って。したくないの?」

「ヤだね。俺はアイツを叩き潰したいの! 正々堂々、できれば公式戦でね。それで飛雄は一生及川さんには敵わないって思ってりゃいいんだよ」

「んー……、でも影山くんだって一度負けたってめげないんじゃないかな……」

「なら俺は勝ち逃げしてやるもんね!」

 ついついそんな言葉を重ねていると、ユカは呆れたような顔をした。この「またか」と言いたげな彼女は既に自分の性格を熟知しているのだという証左でもある。

 ──たぶん、パブロ・ピカソをライバル視するような「天才」には凡才の苦悩なんて分からないんだろうな、とうっかり口に出しそうになって及川は止めた。

 分かっているのだ。ユカは……、いやユカだけではない。影山も牛島も、彼らが見ているのはいつだって前だけ。彼らにとって自分はただの通過点に過ぎず、追い抜かれ突き放され、決して追いつけない恐怖と戦いながら、それでも何とか虚勢を張っているだけ。

 敵わないから、虚勢を張って、徒党を組んで、足掻いてみせて。天才を少しでもその高みから引きずり下ろしてやろうと足掻いてる可哀相な名もなきプレイヤーその1。

 でも出来れば、自分は──と恨みがましくユカを見ていると、ユカはこちらを見上げてきて言った。

「及川くん、家に帰るんだよね? 一人で大丈夫?」

「……痛くて一人じゃ動けないから、手を繋いでクダサイ……」

 頬を膨らませてズイッと手を差し出すと、ユカはあっけに取られたように目を丸めつつも頬を緩めて手を取ってくれた。

 ──うっかり怪我をしたせいだろうか。ぜったい超絶ウルトラ格好いい男前のはずの”及川さん”が、ずいぶんと今日は格好悪い気がする。と少しばかり落ち込みつつも繋いだ手が温かくて及川は無意識のうちにヘラッと笑っていた。

 及川の家の最寄り駅で降りて、一緒に住宅街を歩く。ユカはまだ自分の家を知らないはずだと今さらながらに思い出した。

「お母ちゃん、まだ帰ってないと思うんだよね」

「え……」

「寄ってっちゃう? 及川さんの部屋」

 何気なく言ってみれば、ユカはきょとんとしたのちに冷静に自身の腕時計に視線を落として、んー、と唸った。

「でも、もう6時過ぎてるし……。及川くんは今日はゆっくり休んでた方がいいんじゃないかな」

 気にしないで、と笑って言われ、及川少し頬を引きつらせたものの「だよね」と肩を落とした。

「けど帰ってもバレーできないしー。明日も明後日もヒマだよ」

「じゃあプロの試合観るとか……。そうだスポーツ科学の本とか読むのもけっこう面白いと思うよ」

「またそういう……。まあ、確かにやれることはあるケドさ。ウチのチームだってこの機会に外からじっくり観察できるしね」

 そんな話をしていると自宅が見えてきて、及川はユカに自身の家を紹介した。

 洋風の壁に囲まれたモダンな造りのユカの家とは違い、どちらかというと和風の一軒家である。

「じゃあ、今日は付き合ってくれてありがとねユカちゃん」

「ううん。お大事にね」

 じゃあまたね、と背を向けたユカに手を振って、ふ、と及川は息を吐いた。

 たかだか捻挫。一生バレーができなくなるわけじゃないというのに、やっぱりヒヤッとしてしまった。オマケにせっかく影山と相対できると意気込んだ矢先だったというのに。

 ──やっぱりバレーの女神様は、飛雄を愛しちゃってるんだな。なんてすぐに卑屈になる自分は本当に厄介。アメリカンヒーローみたいなブレない心ってやつはどうやったら手に入れられるのか教えて欲しいくらいだ。

 だけど、と及川はバシッと自分の両手で自分の頬を叩いて気合いを入れ直し、鋭い目線を前に向けた。

 

 ──飛雄の前では、ぜったいに余裕の大先輩でいてやる。

 

 そうして改めて思えば良いのだ。自分は及川さんには一生勝てない、と。

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