天才がゲシュタルト崩壊!! by及川   作:こうやあおい

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44話:及川徹の決勝戦の翌日

 ──翌日、月曜日。

 

「及川君、試合だから欠席なんだよねー」

「えー、つまんなーい」

 

 ちらりとユカは一限が終わったあとの主のいない窓側の席を見やった。

 試合はもう始まっているだろうか。

 できれば及川にはインターハイに進んでほしい、が、おそらく今日の相手は牛島率いる白鳥沢学園。牛島は全国でも数本の指に入るスパイカーだと聞いた。

 対する青葉城西は──、チームトップの攻撃力を誇るのはセッターである及川。そして及川はセッターであるがゆえに自らは高頻度では攻撃には出られない。

 簡単な図式だ。勝負に絶対はないという前提はあるにせよ、どうしても力の差は生まれてしまう。

 勝負に絶対はない、という甘言は前提でしかなく、縋り付くようなものではない。それはどの世界でも同じだ。

 

『自分を甘やかすな。てめーでチャンスを掴み取りな』

 

 ハァ、とユカはため息を吐いた。

 まさかこんな時にあの跡部の姿が過ぎるとは。それほど青葉城西の優勝は厳しいだろうと感じてしまっているということだろうか。

 と、昼休みになっても鳴らない携帯を見てなお小さく息を吐いた。

 まだ試合は終わっていないのかもしれない。けれども、及川は勝利の報告はしてきても敗戦の報告をしてきたことは一度もない。

 試合、どうなったのだろうか。と、案じたまま結局は放課後になり、ユカは美術室を目指した。

 月曜は美術部の活動の日ではない。ゆえにおおよその場合は一人だ。今日はバレー部も通常ならばオフであるため、もしかしたら今日は彼らは現地解散で学校には戻ってこないのかもしれない。

 などと考えつつ、扉を開ければやはり誰もいない美術室の一角に座ってスケッチブックを広げた。

 そろそろ夏も近づいてきたし、本格的に受験対策をしなければならない。万に一つも現役で芸大に合格できなければ、いっそもうフランスに飛んで高校修了及び大学入学認定の証でもあるバカロレアを受け、エコール・デ・ボザールの受験資格を満たしてからフランスで受験すべきか。

 いまの自分のフランス語能力でバカロレアを取得できるのか。昨日の試験に受かっていれば、フランス留学に必要な語学力の最低基準は満たせる。が、最低基準程度では言語で苦労するだけなのが目に見えている。

 せめて英語力と同程度には引き上げないと──と、考えすぎてやや焦ってきたせいかうっかりフランス語の復習に熱中してしまい、ふとハッとして顔をあげると一時間以上が過ぎてしまっていた。

 もう5時か、と腕時計に目を落とす。携帯を未練がましく取りだして確認してもメールの受信は一通もなく、ふ、と息を吐いた。

 決勝戦どうなったのかな……、と過ぎらせる。便りがないのは良い便り、などとは言ったものだが及川の場合は試合に勝てば真っ先に連絡をくれるはずだ。

 もちろん、優勝で今なお盛り上がっているのならそれが一番であるが──とぼんやり窓越しに空を眺めていると、コンコン、と美術室のドアがノックされて反射的にユカの身体が撓った。

 振り返れば、ガラ、と扉が開いて──見慣れた青葉城西男子バレー部のジャージが目に入ってユカは反射的に立ち上がった。

「及川くん……!」

 扉の開いた先に立っていたのは及川で、及川は色のない表情を晒したまま静かに扉を閉めるとこちらに向かってゆっくりと歩いてきた。

 声をかける間もなくそばまで来た及川は、ポテ、と大きな身体を丸めてユカの肩に頭を乗せてから軽くユカの身体を抱きしめ、ユカは思わず目を見開いた。

「お、及川くん……」

「……負けちゃった……」

 ボソッと及川は頭を肩に乗せたまま呟き、ユカはぴくっと反応したもののそのまま数秒遅れで及川の身体を少しばかり抱きしめ返した。

「そっか……」

「まあ……、まだ春高があるけどね……」

 ふわりと及川の柔らかい髪が及川が喋るたびに首筋あたりでゆるゆると動き、及川は「だけど……」と何かを言いかけたところで言葉を濁した。

 だけど、何なのだろうか? 言葉の続きを待っていると、小さく息を吐いた及川が肩から顔をあげこちらの顔を覗き込んできて、ドキ、とユカの心音が跳ねる。

 及川は少しだけ苦しそうに瞳を細めた。

「キスしていい……?」

 え、とユカは少し目を見開く。及川はこうして何かをする前にこちらに確認を取ることがままある。が、たいていは答えを待ってくれない──、とユカが頷くより前にそのまま唇を重ねられてユカはキュッと瞳を閉じた。

「……っ……んっ」

 敗戦のせいか、それとも試合後だからなのか。及川が自分に触れたがっているというのを否が応でも感じてしまうほど性急にキスの深さが増し、ユカはギュッと及川の胸にしがみついた。

 及川に応えたくて、懸命に合わせて言葉にならない言葉を飲み込むようにして互いの息を合わせた。

 熱くて柔らかくて、頭がぼんやり痺れてくる感覚に少しユカの身体がふらつけば及川が片手でしっかり腰を支えた。

「………ッ……」

 ふ、と少しだけ唇が離れ、熱っぽいココア色の瞳と間近で目があって反射的に脈が高鳴っている間に及川はあろう事か唇を耳元へと移動させてさすがにユカは驚いた。

 首筋に這うように唇が移動してきて、ぞく、とユカの背中が粟立つ。

「……ぁ……っ!」

 そうして首元にピリと刺すような痛みが走って思わず眉を寄せたユカは及川の肩口を押し返した。

「ま……待って、待って……!」

 すると及川が目線だけでこちらを見てくる。

「ヤだった……?」

「そうじゃなくて……」

 美術室だし、と言う前に及川は言いたいことを悟ったのか被せてくる。

「場所、変えればイイ……?」

「う……」

 そう問われると急に恥ずかしくなって返事に窮していると、及川もそんな様子を見て少し落ち着いたのか、小さくため息をついてユカの身体を解放した。

 そうして何故かこちらに背を向けてしまい、ユカは小さく首を捻る。

「及川くん……?」

「6年連続だよ、もういい加減準優勝飽きちゃった。インハイ……、最後のチャンスだったのにサ」

 見えない顔はむくれているのか、それとも悲しげなのか。及川が何を訴えたかったのかは分からない。が……大きな背中だな、とユカはいつもより少し肩を落として丸められた背中にそっと手を伸ばすと、ギュッと後ろから抱きしめてその背に身体を寄せた。

 瞬間、ぴく、と及川の身体が撓る。

「え、ナニ、いきなりのデレ!?」

「昨日……、試合観にいったの」

 焦ったような声を聞きながら目を瞑って言うと、「え……」と及川が驚いたような声を漏らした気配が伝う。

「え……試験は?」

「午後からだったから、試合観てから行った。気になっちゃって……」

 すると少し間を置いて「そっか」と呟いた及川の大きな手が及川の身体の前に回していたユカの手にそっと重ねられた。

「で、どうだった? 及川さんカッコ良かった?」

 そうしていつも通りの本気なのか冗談なのか分からない軽い声が聞こえてユカは目を開けて少し笑った。

「影山くん、予想以上に大きくなっててびっくりしちゃった……。あんなに小さかったのにね」

「エ、なに、俺の試合観た感想が飛雄の身長?」

 確かに育ちすぎだけどさ、と続けた及川に「あ」とユカはもう一つ思い出して声をあげた。

「あの”スーパーリベロ”って烏野のリベロだったんだね!」

「……は……?」

「びっくりしちゃった。及川くんのサーブも一発で取っちゃうし、昨日も圧倒的に目立ってたもん。やっぱり凄いんだね、あのリベロの人」

 やや興奮気味に言うと、ぴく、と手に重ねられていた及川の手が反応し、次いで及川はその手を握ってくるりと身体を反転させユカを正面から見やった。

「ユカちゃん、一つ質問いいかな?」

「え……」

「ユカちゃんの、カレシは誰デスカ?」

 喋る及川の口元がヒクつき、ユカは思わず唇を結んだ。が、及川は構わず捲し立てる。

「ようやく及川さんの試合を観に来たと思ったらナニ? またあのリベロ君見てたワケ? 飛雄が大きくなってようがどうでもいいじゃん、なんで烏野ばっか注視してんのさ!」

「そ……、そう言われても……その。及川くんも見てたけど……」

「けど?」

「え、っと……及川くんが凄いのは分かったけど……。でも、影山くんがバレーしてるところは初めて観たから、どの辺りが天才なのか気になったの。最初は良く分からなかったけど、ずっと観てて分かった。すごく速くて正確なトスを上げてたから」

「だろうね。あんなピンポイント上げられるヤツ、世界でも飛雄くらいなんじゃない。そこ張り合ってないよ俺は」

「終盤、同点に追いついた時のワンハンドドス……凄かったよね」

「ソウデスネ」

「マッチポイントの時の長距離のクイックも本当に凄かった……。どうして及川くんが天才って言ったのかあの時よく分かった」

「あー……、うん」

「でも……、あの時、及川くん影山くんがクイック使うの読んでたよね……?」

 笑ってたもん、と伝えるとさすがに及川は目を見開いて、少しだけ肩を竦めた。

「まァ、ね。飛雄は第二セットの終わりに俺が岩ちゃんにトスあげるの読んでた。俺は同じコトを仕返しただけだよ。あいつ……てんでポンコツのくせに試合中にさえ進化してたからね」

 そうして悔しそうに口を尖らせたかと思うと、少しだけ意地の悪そうな笑みを浮かべた。

「けど、飛雄もショックだったんじゃない? あの3枚ブロック、飛雄の元チームメイト二人と岩ちゃんだったからね。俺に読まれて北一メンバーにドシャットされるとかぜったいツライよね」

 そして肩を揺らす様を見てユカは小さくため息を吐いて頭を抱えた。むろんあの時、前衛にいたのがたまたま元北川第一のメンバーだっただけという話なのだろうがそれにしてもだ。

 相変わらず影山の事になるとこれだ、と肩を竦めつつ及川を見上げる。

「でも影山くん、ずっと及川くんのこと見てたよ。準々決勝の時もずっと及川くんの事だけ見てた。サーブだってほんとに及川くんにそっくりでびっくりしちゃったもん。ずっと及川くんのことお手本にしてたんだね」

 すると及川は、むー、と不機嫌そうな顔を浮かべて眉間に皺を寄せた。

「──で、ユカちゃんは俺を見てる飛雄のことわざわざ見てたわけ?」

「え……」

「飛雄が俺のプレイをストーキングしてんのなんて今さらだけどさ。さすがに準々決勝ガン見されてたとかドン引きなんだけど」

「え、でも烏野って最前列にいたけど……気づかなかった?」

「気づいてたよ! 慣れてるからね俺はあの飛雄の視線が背中にチクチク刺さる嫌な感覚に悲しいことに! 改めて第三者から知らされてドン引きしてんの!」

 ていうか、と及川は真っ直ぐこちらを見据える。

「むしろなんでユカちゃんが最前列にいないのさ? 来てるとか全然気づかなかったんだけど?」

「え……と」

「まさかとは思うけど……、本当に俺のこと見てなかったの?」

 言われてユカはさすがに言葉に詰まるも、やはりあの運動部の独特の空気に混じれず場違い感を拭えなかったのも事実で──それにオンコートの及川はどこか別人に見えて、少し遠く感じたのも事実だ。

「その……コートにいる及川くんとか、キャプテンしてる及川くんを見るの初めてでちょっと及川くんじゃないみたいだったって言うか……」

「ふーん。それって良い意味? 悪い意味?」

「わ、悪い意味じゃないけど……。でも、試合に勝ったあとは及川くんホントに嬉しそうだったから……あの顔、見られて嬉しかったな」

 試合中の及川はともすれば普段とは別人のように見えたが、勝った瞬間に見せた笑顔は屈託なく本当に嬉しそうでホッとした。と思い出しながら少し目を伏せると、及川がキョトンとしたような気配が伝って、次いで「そっか」と呟きながら軽く抱きしめられた。

「じゃあ、今日の試合は観に来られなくて正解だったね……」

 静かな声が自虐も孕んでいて、ユカはそのまま及川の胸に顔を寄せる。

「試合……どうだったの?」

「ストレート。まったくこっちの作戦なんてお構いなしで突破されるんだからたまんないよね。あいつこれで三年連続MVPだし、ベストスコアラー賞だし」

 あいつ、とはむろん牛島の事なのだろう。憎々しげに語る及川の声に、そっか、とユカは相づちを打った。

「及川くんは……?」

 そしてちらりと見上げれば、う、と及川は一度息を詰まらせてから少し目を逸らした。

「ベストセッター賞、それからベストサーブ賞」

「すごい! ダブル受賞だったんだ!」

「別に。どうせこの賞獲ったって全国行けないんだし、中三の初受賞のときみたいな気持ちになれるほどもうピュアじゃないよ」

 言って及川は少し遠い目で息を吐いた。本当にどこか少しだけ諦念したような瞳の色をしていてユカは気にかかる。

 先ほど、「まだ春高があるけどね」「だけど」と言いかけて止めた事といい、なにか引っかかっていることでもあるのだろうか?

 むろんインターハイがダメになってしまったことはそう簡単に気持ちの処理が出来ることではないのだろう。だが、及川の中には別の感情もある気がして思わず訊いてしまう。

「もしかして、なにかあった……?」

「え……?」

「あ、その……さっきから何かもっと別のこと話したかったんじゃないかな、って気がしたから」

 すれば及川は目を見張って、そして少しばかり眉を寄せた。

「──大学」

「え……?」

「これが最後のチャンスだったんだよね。全国ベスト4が定位置、最低でもベスト8には入る白鳥沢破ってインターハイ行けてたら、どう少なく見積もってもベスト16は堅いからサ」

「え……と、何の話……?」

 話が見えずにぽかんとすると、及川は唇を尖らせてゴソゴソとポケットから携帯を取りだした。そうして操作をしながら呟く。

「ウシワカが言ってたけど、あいつはもう大学決まってんだよね。なんでか分かる?」

「ううん」

「ウシワカの進学先は関東一部リーグの深沢体育大学。そんなトップレベルの大学から推薦が来るような選手ってのは一年の頃から全国大会で活躍してて、もう二年の終わりには進学決まってるモンなのさ。あいつみたいにネ」

「で、でも……。推薦来なくても、一般受験で行けばいいんじゃ……」

「だから俺はウシワカと同じ大学行く気はないからね!?」

 がなりながら及川は携帯を操作しつづけ、何かを見つけたのかズイッと携帯をユカの方に差しだしてきた。

 受け取ってユカは画面を見やる。あ……とユカは記されていた名前を呟いた。

「筑波天王大学……」

「そ。深体大と同じく関東一部リーグ。いま上手いセッターがいるんだけど後釜がいなくてサ。分不相応って笑っていいよ、でも俺、ちょっと狙ってたワケさ」

 筑波天王大学──通称・筑波大。体育専門学部のある国立の大学だ。及川が国立理系のクラスを選んだ時からもしやと思っていたが、やっぱり、とユカはなお画面に目を通した。

 そこには筑波大のスポーツ推薦の対象になる基準項目が事細かに書かれており、読んでいると苦しげな声が頭上から降ってきた。

「俺じゃあもうこの基準は満たせない。仮に春高に出られたとしても、それじゃ遅すぎる。俺は……ユカちゃんと一緒に東京には行けないよ」

 きつく眉間に皺を寄せながら言われて、ユカは唇を引き結んだ。受験すればいいのでは、という疑問は愚問なのだろうか。

「受験……してみるのは? 私も出来る限り勉強に付き合うから」

「仮に俺が一般で受かっても……、筑波大は関東一部リーグだよ。けど俺は全国に一度も出たことないただの宮城の一選手。誰がどう見ても……場違いだよね」

 いつもはあれほど自信たっぷりの及川がこういう事を言うとは……と目を見開いた先で「ああ」とユカは理解した。

 自分にも、影山にも突っかかってきていた理由の一つ。それが「先を見ないで突っ走る」という事だった。

 

『ユカちゃん、さ……中学の頃に言ってたよね。”バレーで世界に出る、とか一度も考えたことないの?”って』

『あの時、俺、思ったんだよね。天才ってすぐ突拍子もない事言えてイイヨネってさ』

『君も、牛島も……飛雄も……! 真っ直ぐ自分に与えられた道を真っ直ぐ走っていけるから、そんなこと簡単に言えるんだって』

 

 及川は必要以上に自分の才能を自分で評価出来ていないのかもしれない。いや、かつては信じていたのだろう。が、目の前に現れた「天才」たちがその自信を奪ってしまったのか。それとも他に理由があるのか──。

 自分は何をどう言えばいいのか、と考えあぐねていたところでハッとユカの脳裏にいつか父親に訊かれた何気ない会話が浮かんだ。

 会合でたまたま宮城のバレー事情について聞かれた、という話だったはずだ。

 

『その教授が言うには体育学群の人が次世代のセッター候補を探してるらしくてね。話のついでに宮城のバレー事情について聞かれたから、ユカの同級生にセッターで有望な選手がいたことをチラッと話したんだよ』

 

 父は確かに体育学「群」と言った。あれは、まず間違いなく筑波大の事を指す独特の言い方だ。

 現に及川もいま、筑波大は次のセッターを捜していると言っていたし……とユカはゴクリと息を呑んだ。

「及川くん………」

「ん?」

「この、条件、だけど……」

 ユカは及川に見せられた携帯の画面を指しながら及川を見上げた。そこにはスポーツ推薦に関する条件──日本代表経験者。全国大会16位以上。そしてそのどちらかに準ずるもの──が書いてある。

「及川くん、最後のに当てはまるかもしれないんじゃないかな。だって全国ベスト4のチームがいる県のベストセッターなんだし、サーブは間違いなく宮城一なんだよね?」

「は……!? な、なに言い出すのユカちゃん。いくらなんでも無理があるよねソレ」

「白鳥沢と競ったチームは、それだけの価値があるかもしれないよ。決めるのは私じゃないから……分からないけど」

「何の話……」

「今日の決勝戦のビデオデータとかってあるかな? 貸して貰えたら、私、聞いてみる」

「──誰に!?」

「お父さんに!」

 そうしてユカはかつて父に訊かれたことを一通り及川に説明した。まだ先方がセッターを捜しているのであれば、及川のプレイにもしかしたら興味を持つかもしれないという「可能性」の話だ。

 むろん父に資料を渡すだけで、バレーとは何の関係もない父が見た段階でノーと言われればそれまでだ。が、示したのはあくまで可能性だ。

 及川はやや困惑したように考え込んだ。その様子を見つつユカは「私だったら……」と続ける。

「もしも本当にやりたかったら、何でもする。きっと使えるものはなんでも使うと思う」

「そりゃ……ユカちゃんはね。大学に乗り込んで直談判なんてマネ、普通はできないよ」

「前に、氷帝学園の跡部敬吾くんって人に言われたことがあるの。”自分を甘やかすな。てめーでチャンスを掴み散れ”って。私はそんな大層なことは出来ないけど、あとは及川くんがどうしたいかだよ」

 ぐ、と及川が言葉に詰まったのが分かった。それはそうだろう。及川にはおそらく明確に自分が「こうしたい」というビジョンはない。この辺りははっきりと自分や影山や牛島と違う。けれどもそれは「才能」の差が理由なのだろうか?

 もしかしたら別に何か深層心理に深く引っかかっていることが……と黙していると、及川は小さくため息を吐いて再びユカをそっと抱きしめた。

「ごめん、まだ分かんない……。進学のこと考えたとき、ユカちゃんが上京するなら、って思ったけど……」

「私が東京に戻るから……?」

「だって、ホントに分かんないんだもん! 俺はバレー続けたいし、中学の時は白鳥沢凹ませてやるって単純に青城に決めたけど、でもこれから先はそんな目標もないし、岩ちゃんどうするか分かんないし、俺は……俺は牛島が言うような”回り道”なんかしてきたつもりないのにさ……!」

 子供じみたようでいて、本当に困惑している自分を吐露するような声だった。ユカは次第に力の籠もる及川の腕に息苦しさを覚えつつもハッとした。

 

『バレー選手として、大学でどう過ごすかが貴重なのはお前も分かるだろう。そこで回り道をすれば、のちに悔いることになるぞ』

 

 及川と牛島の関係はよく知らない。けれども必要以上に牛島に感情を露わにしていた及川は牛島が「天才」だということ以外に、別の理由もあったのかもしれない。

 牛島はおそらく及川を選手として評価している。そしておそらく何度もあのような忠告めいた助言をしていたのだろう。

 及川は激高する反面、どこかで図星を刺されたと感じた部分もあるのかもしれない。

 だってそうだろう。及川がもしも進路を白鳥沢に決めていれば、今ごろ彼は全国でも名の知れたセッターだったに違いない。そしておそらく、希望通りの進路が容易に手に入っていたはずだ。仮にそれが気心の知れた仲間と別れることになっても、だ。

 牛島や影山や、そして自分も選んでいるのはそういう道。その世界で生きていくと決めた人間にとって牛島の言い分はどこまでも正しく、そして残酷だ。

 回り道──、それは自分が苦しんでいる事でもある。得たものがたくさんあったにせよ、仙台に越してきたために失ったものの方が自分にとってはきっと大きい。

 けれどもそれは仕方のない道だった。そして及川も……自分で決めた事とはいえ、中学生の段階で自分の将来を見極められる人間はそうはいないだろう。だから牛島も「これから」について忠告したのだ。

 及川には及川自身が一番望む道に進んで欲しいと思っている。それがどんな道であったとしても、だ。とユカもギュッと及川の背中を抱きしめ返した。

「及川くんのしたいようにすればいいと思う。仙台に残っても、どの県のどんな大学に進んでも……」

 すると及川は、ぴく、と身体を撓らせて少し腕の力を緩め、むくれたような表情をした。

「ユカちゃんは、俺と一緒に東京に行きたい、とか思わないの?」

「そりゃ……一緒にいられたらいいなとは思うけど、それは私が決めることじゃないもん」

「ヒドイ! 冷たい!」

 それに筑波大は茨城県だし東京ではない。と余計なことは言わずにいつも通りの言動をする及川を見やっていると、ハァ、と及川は息を吐いた。

「俺にとっては、けっこう重要なんだよね。ユカちゃんとか飛雄とか、そういうのいっさい考えないで突っ走るけど、俺は……」

 そうしてコツンと額を合わせてきた及川は瞳を閉じて黙し、しばしその整った顔を間近で見つめる。そのまま少し間を置いて、及川はようやく目を開けて右手で頬に触れてきた。

「ありがと。ちょっと考えてみる」

「う、うん」

「決勝戦のビデオは、負け試合だからホントはあんまり見せたくないんだけどね」

「私、観てみたいな。牛島くんのプレイ、観たことないもん」

「ヤダね! ユカちゃん派手なスパイクとか好きそうだもん、ウシワカに夢中になられたらさすがの及川さんも凹むよ!」

「あ、でもスパイクは確かに好きかも。及川くんも昨日の試合で何本も決めてたけど、すっごく格好良かった」

「え……!? じゃあビデオ観る? ウチ来る!?」

 及川さんの試合ビデオたくさんあるよ、と急に上機嫌になった及川の相変わらずな様子を見つめながら、ユカも緩く笑った。

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