『”自分を甘やかすな。てめーでチャンスを掴み散れ”』
自室の布団に転がって、及川はジッと天井を見つめていた。
『あとは及川くんがどうしたいかだよ』
白鳥沢との決勝で負けが決定したとき、自分の「可能性」もこぼれ落ちた気がした。
関東一部リーグ大学への進学が決まっている牛島のように、日本のトップレベルでバレーができる「可能性」。
もしも、に賭けていたのかもしれない。チームプレイであるバレーボールにおいて、チームメイトはみな同等の成績・結果が手に入る。もしも自分が全国ベスト8になったとすれば、それは岩泉も同等であることを意味するのだ。それは、これから先も自分たちが何も変わらないという「可能性」。あり得ない、と心のどこかで痛いほどに理解しながらも縋り付きたい「可能性」だった。かつて岩泉がくれた言葉のような「可能性」。
『一対一でウシワカに勝てるヤツなんかうちにはいねえよ! けど、バレーはコートに6人だべや!?』
『相手がウシワカだろうが天才一年だろうが、6人で強い方が強いんだろうが』
自分と岩泉と、それから他の誰でもいい。自分がその5人を上手く使いこなせさえすればどんな相手にも勝てるという「可能性」だ。
『もし牛島くんと同じチームだったら及川くんももっと強くなれるんじゃないかな』
『もっと強い選手ばっかりのチームでセッターすれば、もっともっと強くなるって事なんじゃ』
『私だったらたぶん、たぶんきっともっともっと強いチームでセッターしたくなるんじゃないかな、って思っただけ』
ユカが言ったことは「現実」。反発すればするほど、当たり前の事実は膨れあがって押し寄せてくる。
牛島はいずれやがて全日本の代表にさえ選ばれるような器だ。きっとこのままでは差は開いていくばかり。元々「個」で勝てないからチームで勝とうとした。けれども結局は「個」にも拘っている自分を捨てきれない。自分にとって「チーム」とは結局、居心地の良い仲間のいるチーム。
牛島や影山のように、現状を突き破って突き進んでいくほどの向こう見ずな真っ直ぐさは自分にはない。
まして──。
『私、小さい頃から、ここで絵の勉強をするのが夢だったの』
『ダメ元で、教わりたいなっていう教授にメールしてみたの』
あっさり海を越えて直談判に繰り出すユカは規格外すぎてとても真似できるものではない。──とパリでのユカのことを過ぎらせて及川は頬を引きつらせた。
あんな風には絶対なれない。という思いを「自分は天才ではないから」だと結論付けて、自分もああできれば、という思いを心の奥の奥に仕舞い込んだ。だってそうだ。自分ははっきり、そんなユカに惹かれていると知っているのだから。
『ユカちゃんは、俺と一緒に東京に行きたい、とか思わないの?』
『一緒にいられたらいいなとは思うけど、それは私が決めることじゃないもん』
ユカの進む道に自分はいっさい関与できないことなど嫌と言うほど理解している。
それでも……自分はユカと離れたくない。だから彼女が東京の大学に進むなら、自分もそうしてもいいと思った。そこに岩泉もいればもっといい。単純な話だ。単純で、そしてひどく他力本願な事情。
その実──、本当に筑波大でプレイしたいと思っている自分もいるから厄介なのだ。
環境的にも、セッターを現在捜している状況的にも自分にドンピシャ。問題は、宮城のいちプレイヤー程度などお呼びでないほどの実績を誇る大学だということ。
分不相応なのは分かっている。自分は分不相応の頭脳で白鳥沢を受けた影山みたいに当たって砕けたい願望があるわけではない。どうしても直前でブレーキがかかってしまう。より良い環境へ……と、単身で飛び込む勇気とパワーはどうしても持てない。
何故なのだろう、と自分でも不思議で仕方がない。バレーを始めたばかりの頃は、当たり前のように思っていた。自分もいずれあんな風になるんだ、とモニター越しの世界を夢見ていた。
そうして突き進んで、自分にはその才能がないのだと思い知ったから? だったらそれでもなおバレーを続けている自分はいったい何なんだろう。
バレーを辞めたいなどと思ったことは一度もないというのに、なにを尻込みしているのか。
牛島に負けたくない。影山に負けたくない。そんな闘争心だけは一人前で、結局、自分はここから飛び出せない。
『及川』
『及川くん』
『及川さん……!』
ハッとして目を開けたら、いつもの天井が映っていた。
夢か……と頭に手をやってムクッと起きあがる。
「……朝練……」
いつの間にか夜が明けており、呟きつつハッとした及川は急いで身支度を整えて家を出ると学校に向かった。
いつも通りの通学路。これからの部活は春の高校バレー予選に向けて気持ちを切り替え、練習して行かなければならない。
が──、春高の本戦に仮に出られても大会は一月。その頃には関東の強豪校の推薦試験は終了しており、推薦待ちなど当然望めない。しかも、その一週間後にはセンター試験が控えている。勉強など間に合うはずがない。
では春高に出られなかったら? いずれにせよ推薦の可能性はゼロで、センター試験までは3ヶ月。──筑波大志望です、と言って教師が絶句する姿が浮かんだ。
しかし、だ。学力はそこまで大きな問題でもないのだ。死ぬ気でやれば何とかなるかもしれない。
けれども自分一人が頑張ったって……と目を伏せる。
何も関東一部リーグなんて大層なところを狙わずとも、県内の大学からなら話が来るかもしれない。青葉城西の卒業生が多数行くような大学からならきっとレギュラー陣には声がかかるだろう。
けれども──、と思う。牛島は深沢体育大学。それでもなお地元に残って「打倒・深体大」とでも言えばいいのか。どうやってそれを叶える? 戦うチャンスすら有りはしない。青葉城西vs白鳥沢とは話が違う。
そうして少しずつ確実に広がっていく差を「天才だから」と恨み言を言いながら指をくわえて見つめ続けるしかないのだろうか。牛島だけではない。もしかしたら影山でさえ、いずれは日本のトップに──と過ぎらせてしまって及川は髪が乱れるのも気にせず反射的に頭を掻きむしった。
結局、それから進路のことには触れずに6月も中旬を過ぎれば試験期間となった。
いつも通りにユカと岩泉の3人でかっちり勉強して、どうにか試験を乗り切った試験明け──。
試験中に溜まったフラストレーションのせいか、珍しく岩泉が最後まで及川の自主練習に付き合ってくれ、二人して部室に戻って黙々と着がえつつ及川は何気なく聞いてみた。
「岩ちゃん、試験どうだった?」
「あ? あー、まあいつも通りだな」
「まあ俺たち受験生ど真ん中だしね。そろそろ進学先もはっきりさせないとヤバいよね」
そうしてちらりと岩泉を見やると、なぜか岩泉は黙り込んでTシャツを脱ぎ捨て、無言で制服の半袖シャツに腕を通している。
「岩ちゃん?」
「何だよウルせえな」
「岩ちゃんさあ……、進学先ってもう決めちゃった? まさかとは思うけどウシワカみたいにどっかから推薦とか来ちゃったりしてる?」
あえて軽い調子で言ってみると、ぴく、と岩泉の眉が反応して三白眼が目線だけでこちらを睨むようにして見てきた。
「ああ、決めた」
「──え!?」
あまりに予想外の答えで、及川はただただ瞠目した。むろん3年生のこの時期、おおよその進路を決めているのが普通であるが──、一言もどこに進むか言わなかったのに、と動揺してしまう。
「な、なになに!? なんで俺に黙って決めちゃってんのさ、ねえ、どこ? どこ行くの!?」
「うるっせえ! 俺がどこに進もうがおめーになんか関係あんのか!?」
そして今度は真っ正面から睨まれて、さすがに及川も眉を釣り上げた。
「なにソレ。酷くない?」
「だったらおめーはどうなんだ」
「質問してるの俺なんだけど」
「──東大だ」
「は……!?」
「俺が”東大”つったらおめーは東大受けんのか?」
「な、なに……それ……。岩ちゃんなに怒ってんの?」
さすがの及川もはぐらかされた事を察しムッとするも、岩泉は黙々とシャツのボタンを留め、ネクタイに手を伸ばした。
「俺の進路は俺が決める。おめーの進路もおめーで決めろ」
「な、何なのささっきから……。岩ちゃん、俺と同じ大学行きたくないの!?」
「俺は仙台に残る。おめーは違うべ?」
「そッ……、そんなこと言ってないじゃん! 俺だって地元に残ったっていいし! ていうか何で仙台に残るの!? 俺と一緒に東京行ってくんないの!?」
そこで及川はハッとして言葉を止めた。岩泉もネクタイを結ぶ手を止め、肩を竦めている。
「だろ。お前は東京の大学に行くつもりなんだろ? ならそうしろや」
「だから、俺と一緒に──」
「おめーが関東の強豪で正セッターになれても、俺はエースになれねーだろうが! それに俺は……地元に残っていずれ北一でバレー教えんのも良いと思ってんだ。おめーとは目指してるモンが違う」
「な、なんで……エースになれないとか誰が決めたのさ! ていうか教員になりたいの!? だったら俺と一緒でも教員免許取れるんじゃないの!?」
「自分の進路、自分で決めて何が悪いんだボゲ!」
「だって、岩ちゃんが言ったんじゃん! 一人でウシワカに勝てなくても6人なら勝てるって……、6人で強い方が強いって言ったの岩ちゃんじゃん!」
及川は岩泉に縋るように岩泉の両肩を掴んで訴えた。が、岩泉はそれを振り払って睨み上げるようにしてこちらを見据えてくる。
「だから……白鳥沢からの推薦蹴ったのか?」
「──え?」
何で知っているのだ……と及川は愕然としてとっさに言い返すことが叶わなかった。
「俺と青城に進むために、白鳥沢の推薦蹴ったのか……?」
「そ、そうだけど違うよ! ウシワカと同じチームとか頼まれてもゴメンだし、それに中総体のあと誓ったじゃん、高校行ったら白鳥沢ぜったい凹ませてやるって」
「だから……それ高校で終わりにすんべって言ってんだろうがよ。それともお前はこのさき一生、ウシワカだ白鳥沢だって言ってるつもりか? 冗談じゃねえぞ」
「い、岩ちゃ──」
「6人で強い方が強いってのは、その6人に俺が含まれてなくても変わんねえだろうが、ボゲ!」
「けど……ッ」
「俺がいなくても……お前は最強のセッターだべや!!」
「──ッ!?」
「お前が東京に行こうが、俺と同じ大学に行こうが意見するつもりはねえよ。けど……俺の自慢の相棒はここで埋もれるような選手じゃねえべ!」
そうして岩泉に襟元を掴まれて凄まれて、及川は言葉を失った。岩泉は自分の背中を押してくれている。だというのに、勝手に裏切られたような気分になっているのだから自分でもいっそおかしいと思ってしまう。
「岩ちゃんのいないチームなんて……きっとつまんないよ」
「まずその甘えた根性たたき直せや、ボゲが」
「俺と離れて寂しくない!?」
「気色悪ぃこと抜かしてんじゃねーぞ、クソ及川! 俺は……おめーがいねえとむしろ清々するわ」
「ヒドイ!!!」
「だからお前は、自分の思うとおり真っ直ぐ進め。どんなスパイカーでも活かしてより強いチームを作っていけ。仮にそこにウシワカがいても関係ねえ」
「岩ちゃん……」
「けど春高予選では白鳥沢ぶっ潰す」
「──!?」
「俺が将来、おめーのチームと当たっても全力でぶっ潰す。だからキバれや、相棒」
ふ、と真剣な瞳で見据えられて、ぐ、と及川は言葉に詰まった。
子供の頃から当たり前のように隣にいた親友とは、きっと残り少ない時間でしか一緒にプレイできなくて。けれども、自分たちの関係が変わるわけではない。自分たちはこの先の未来も永遠に幼なじみで、けれども違う一歩を踏み出すだけ。
ぐ、と及川は込み上げてきた思いを振り切るように頷いてから軽口を叩いた。
「岩ちゃんが俺に勝てるとは思えないけどね」
「あ!? だいたいおめーがいつ俺に勝ったってんだ?」
「全体的にいつも俺が勝ってる!」
「よし、いま歯ァ食いしばれクソ及川!」
「暴力反対だってば!」
そのまま取っ組み合いが続いて、せっかく着がえた制服がしわくちゃになるころには二人で部室に転がって笑い声を立てていた。
──ああ、と及川は思った。
今度こそ本当に、俄然無敵だ、と。
自分には仮に遠く離れたとしても、こうしてこんなにも自分のことを考えてくれる親友がいる。
当たって砕けても、きっと大丈夫だ。とくしゃくしゃの笑みを浮かべた。