7月も中盤に入り、夏休みが近づいてくる。今年の終業式は7月20日だ。
「及川さんも18歳で、いよいよオトナってカンジかな?」
その日が及川の誕生日だと知ったのは、昼休みに進路志望の資料等々を確認しつつ及川の昼食に付き合っている時だった。
カレンダーを見やって、ペロッと舌を出しつついつもの調子で彼はそう言ったのだ。
「あ……そういえば、一学期の終わり頃の及川くんっていつも以上に女の子に囲まれてた気がする。そっか、誕生日だったんだね」
「って、ええ!? 知らなかったの!?」
露骨に顔を強ばらせた及川に相づちを打ち、「そうだね」とユカは自身のタンブラーを手にとってコーヒーに口を付けた。
「大人か……18歳で成人になる国ってけっこうあるもんね」
「ていうか俺もユカちゃんの誕生日知らないや……ごめん。絶対忘れないから教えて」
「え? 6月だけど……」
「は!? なに、じゃあもう18歳なのユカちゃん?」
「うん」
「俺全然知らなかったんだけど!? 何で言わないのさ! ていうか岩ちゃんも誕生日6月なんだよね。二人してズルイんだけど!」
そうして頬を膨らませる及川にユカは肩を竦めるしかない。ズルイもなにも誕生日は自身で選べないというのに、と過ぎらせていると及川はため息を吐きながら頬杖をついた。
「ユカちゃん、夏休みはまた東京行っちゃうんだよね?」
「うん。今年はさすがに受験対策講座をみっちり入れてるから。一ヶ月の講座だから、まるまる仙台にいないわけじゃないけど……」
及川は小さく唸りながらも息を吐いた。が、及川たちにとっても今年の夏休みは部活に受験対策にと通常以上に忙しいはずだ。
及川が推薦で大学を決めたいと希望している理由も、最後の春高へ向けて出来る限り部活に時間を割きたいという思いがあるからだろう。
実際、推薦を得るのに必要な及川の内申点はかなり上位のはずだ。そもそも、ユカが岩泉と行っている試験前勉強会に及川は毎回加わっており及川のテスト成績自体は元々悪くない。加えて三年生になって以降は休み時間ごとに細かい復習を重ねて勉強の効率化を図っているのだ。その成果が出て及川のテスト成績は伸びており、バレー部の主将ということも相まって内申点は申し分ない。
元から推薦を見越していたのなら、及川にとってはコツコツと内申点を稼いでいくのは大事なことだったのだろう。
だというのに、及川はユカの父親に話を通すか否かという選択に一度は迷いを見せた。
チャンスがあればいつでも捕まえられるだけの準備は怠らないのに──、そのチャンスを掴む手を一瞬緩める。例えば影山の、「天才」のように前のめりにはなれない。というのが及川の及川自身に対する自己分析であり、ユカ自身もそう感じている事でもある。おそらくは牛島もそう感じていたから毎回のようにアドバイスめいたことをしていたのだろう。
チャンスを掴もうとする手をふと手控える。──というクセを彼が克服できたかどうかは定かではないが。推薦の話、上手くいくといいな。とユカはタンブラーの持ち手にキュッと力を込めた。
そうして数日が過ぎ、終業式の朝。
「おはよう、ユカ」
「おはよう……」
及川を家に連れてきてから10日ほどが過ぎた早朝。まだ眠い目を擦ってキッチンでコーヒーを入れようとしていると父がやってきて話しかけてきた。
「夕べ、筑波大の担当者からメールが来ていたんだけど」
「え……」
「及川君のことだけど、ぜひ見てみたいと言っていてね。父さん、来週の出張で筑波大にも寄るから……どうだろう? その時に一緒にと思ってね」
「ほ、ほんと……!? 良かった……!」
あくまでキャンパス見学のついでに時間が合えば、とニュアンス的には「そこまで期待をしないで欲しい」という雰囲気であとは彼次第だろうと続ける父だったが、ユカはそれでもホッとして笑みを零した。
今日は及川の誕生日だ。良い知らせができる。おめでとうメールと一緒にその知らせを入れようかと携帯を取りだしたユカだったが、少し間を置いて考え直した。おめでとうは直接会って言いたい、とそのままソワソワしながら登校したものの──、校門に入った瞬間に見えた第三体育館入り口に出来ている人だかりを見てその思いは途切れた。
──これは今日は話をするのも大変かもしれない。と悟ったからだ。
むろんメールでもいいのだが、とそのままクラスに向かうも、経験上、今日のような日に及川を捕まえるのは難しいと身に染みて知っている。
なにせ中学から同じ学校なのだし。と、一限目の準備をしていると及川はギリギリになって教室に飛び込むようにして朝練から戻ってきた。
ともかく声をかけるなら一限目が終わってすぐだ。と、ユカは一限目が終わると共に席から立って窓際の方を向いた。
「及川く──」
「及川クーン、今日誕生日なんだって!?」
「おめでと──!」
が、ユカの発した声は複数の女生徒によって掻き消され、あっと言う間に及川はクラスの女子に囲まれてしまった。
ユカは力なく自身の席に座り直して小さく息を吐く。そして案の定、午前の授業後に行われた終業式が終えるまでいっさい話しかけるチャンスはなく。
普段なら部活後の夜まで待っていればいいのだが、あいにくと今日は終業式。部活開始時間が早いゆえに及川も自主練習をはやく切り上げるだろう。誕生日を家族と祝う予定だってあるに違いない。それになにより、及川が早めに切り上げる事を見越したファンがきっと待っているだろう。
──今日、時間ある?
あまりにらちがあかず放課後の美術室でメールを送ってみると、しばらくして返事がきた。
──なになに、デートのお誘いですか???
──話したいことがあるから、少し時間作ってもらえると嬉しいな。
──んー、6時過ぎにはあがると思うけど。ユカちゃんもそのくらいに帰るなら、仙台駅で待ち合わせでもいい?
時計を見やると、午後1時過ぎだ。おそらく今いるのは部室かな、とユカは18時半あたりにコーヒーショップで待っていると伝え、了解の返事がきたところで携帯を閉じた。
珍しく仙台駅を指定してきたということは。及川なりに放課後は経験上、校内外問わず女の子に囲まれてしまうことを分かっているのだろう。そういう部分を極力自分に見せないよう及川が配慮しているのは知っているし、早めに切り上げてカフェでゆっくりしていようとユカは気持ちを部活に切り上げた。
17時を過ぎたあたりで学校を出て、バスに揺られて仙台駅を目指す。及川に指定したのは比較的空いているコーヒーショップだ。約束の時間よりも早くついたユカは少しでも早く終わらせておきたい夏休みの課題を広げた。受験用にクラス毎に違う課題が出されたそれは、むろん及川とも同じものだ。
そうして小一時間ほど経っただろうか。ふと店内がざわついて女性の小さな声が響き、ユカは手を止めた。
たぶん及川だな……と察したからであるが、顔をあげると案の定、青葉城西の夏服を身に纏った及川が店内をキョロキョロしており、パッと目があったところで笑って手を振ってくれた。
すれば店内の視線が一斉にユカの方を向くわけで──、ユカは少しだけ頬を引きつらせつつも小さく手を振り返した。
「ゴメン、お待たせ」
「ううん」
「俺、なんか買ってくるね」
こちらに来た及川がバッグをユカの対面の椅子に乗せ、「あ」とユカは立ち上がった。
「私が行くよ。及川くん、誕生日だもん」
「え……」
「なにがいい?」
すると及川はキョトンとしたあとに、少しだけ気恥ずかしそうにしながらも顔を緩めて「へへ」と笑った。
「ありがと。じゃあ、ストロベリーフラペチーノにしよっかな」
可愛らしくも及川らしいチョイスに頷き、ユカは注文に向かいつつ考えた。今までの経験上、及川は記念日などのイベントを好んでいるように見える。が、自分は特にこだわりもなく。もう少しちゃんと誕生日のプランを練っておくべきだったかと今更ながら自省しつつ、出来上がったドリンクを受け取って席へと戻った。
広げていた課題を興味深そうに見ている及川の前へ「はい」とドリンクを置く。
「ありがと」
「ううん。ちょっと遅くなっちゃったけど、お誕生日おめでとう」
すると及川は先ほどと同様に不意打ちを受けたようにキョトンとしたあと、少しだけ頬を染めていつも通りピースサインをして「うへへ」と肩を揺らした。
「ありがと。どう? 18歳になった及川さんオトナ??」
言葉とは裏腹に普段に増して子供じみた反応だったが、ユカは微笑んだ。もう散々言われた言葉だろうに、嬉しそうにしてくれた事がくすぐったい。
そのまま「あのね」と話を切り出す。
「話、なんだけど……」
「ん? 話? 誕生日デートじゃないの?」
「そ、それはそうなんだけど……厳密に言うとちょっと違くて……」
やはりもう少し誕生日らしい何かを用意しておくべきだったかと自省しつつ、ユカは朝に父から伝えられたことを告げた。
来週、父の出張に伴って共に上京できるかという言葉に及川は目を丸めつつもコクコクと頷いた。
「モチロン! ていうかホント!? ホントにイイって!?」
「う、うん。いいっていうか……キャンパス見学も兼ねてどうぞ、って。でもたぶん本当に及川くんの力を気にしてくれてるんだと思う。でもまだ具体的には何も進んでないし、ここから先は手助けできないから……その」
身を乗り出す勢いの及川へとユカはやや言葉を濁す。及川の状況は現段階では願書すら受け付けてもらえないものであり、どうにか願書を提出できる状態まで自身で持っていかなければならない。
ここから先は完全に及川の実力次第ということになる。と、何とか伝えると及川は深く頷いた。
「やるよ。せっかくもらったチャンスだからね!」
「うん。お家の人にもお話ししてね。……あ、志望校って及川くんのご両親はどう言ってるの?」
訊いてみると、及川はくわえていたストローを目一杯吸い込むようにしてしかめっ面をした。
「ジョーダンかと思われてた。失礼だよね、俺、けっこう成績イイのにさ」
「え……」
「けど、親も県外に出る可能性は頭にあったみたいだし、ホントなら大賛成で助かるってさ。ま、そうだよね」
国立だし、と続けてユカは「そっか」と納得した。確かに学費や生活費の面でも国立かつ首都圏でありながら都心から離れた筑波大だと家計的には助かるだろう。
そうだ、と及川はこちらに目線を移した。
「ユカちゃんの受ける大学ってさー、キャンパスは上野だっけ? 親戚の家から通うの?」
「ううん。上野キャンパスじゃなくて茨城の方で講義があるから、受かってたら部屋を借りるつもり」
すると「え!?」と及川は目を丸め、数秒後には昂揚気味に頬を紅潮させて目を輝かせた。
「そ、それってユカちゃんも茨城に住むってこと!?」
「え、うん。そうだけど、でも──」
「じゃあ、俺も受かったら一緒に住んじゃう!?」
ギュッと手を握りしめられ、あまりに突拍子のない物言いにユカは目が点になるも、あまりにも「良いこと思いついた」と言いたげに嬉しそうにする及川に苦笑いを漏らしつつそっと手を離した。
「筑波大と芸大のキャンパス、市が違うしけっこう距離があるから無理だと思う……」
仮に同じ市でも一緒に住むのはさすがにどうか、とは言わずに告げれば及川はあからさまにがっくりと肩を落とした。そうして頬を膨らませて唇を尖らせている。
「ちぇー。いいもんね。県内ってのは変わらないんだし、お互い行き来するのも楽しそうだしさ」
さすがに気が早すぎではないだろうか、と及川の言葉を聞きながら思いつつユカは考える。及川には第二志望以下はあるのだろうか、と。自分は受験がダメだった場合はすぐさま渡仏してバカロレアを受験というプランBに移行しなくてはならない。
とはいえ。いま考える事でもないか、とユカ自身のすっかり冷め切ったカフェラテに口を付けつつ話を変える。
「そうだ及川くん」
「ん?」
「なにか欲しいものってある?」
誕生日プレゼントに、と続けると及川は瞬きをしつつ肩を竦めた。
「いいよ。俺もなにもできなかったしね」
それにコレもらったし、とフラペチーノを掲げて言われユカも肩を竦めた。きっとファンの子たちからたくさんもらっただろうしな、と考えていると「あ」と及川は何か思いついたように笑った。
「来週ってさ、ユカちゃんも一緒に行くんだよね?」
東京、と続けられ「うん」とユカは頷く。
「そのまま私は東京に残るし……。どうして?」
「んー……、時間が余ったら、でいいんだけどさ」
「うん」
「ユカちゃんの地元に連れてってよ。プレゼント、それがいい」
ニ、と少し照れたように言われてユカは面食らってしまう。
「え、地元……って言っても、もう家もないし。あ、でも有明だから観光としては良いかもしれないけど……」
「じゃあ決まり!」
イエイ、と両手でピースを作る相変わらずな及川が眼前に映り、ユカは瞬きをしてから緩く笑った。
及川が自分の故郷を知りたがってくれているということがくすぐったくもあり、二人で帰京できるということも嬉しくて。
けれども何よりも及川の受験が希望通りになるといいな、と思いつつユカは頬を緩めた。